文化人類学
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88 巻, 4 号
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表紙等
原著論文
  • マカオのカジノにおけるギャンブルに見られる身体性の重視
    劉 振業
    2024 年88 巻4 号 p. 617-636
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
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    本稿では、マカオのカジノにおけるギャンブルを事例に、ギャンブル実践におけるギャンブラーと荷官(=ディーラー)の行為についての検討を通じて、ギャンブルの不確実性に対して中国人ギャンブラー特有とされる身体性の重視について考察する。ギャンブル研究において、ギャンブラーの予想および行動に対して、認識論に偏重する傾向が見られる。この大きな潮流の中で、中国人ギャンブラーの行動に目立つ「制御幻覚(illusion of control)」に対する考察の多くは心理学・精神病理学からのものであり、制御幻覚による迷信行為は科学的根拠のない非理性的行動と理解されることが多い。しかし、マカオのカジノにおける完全偶然性ゲームに見られる中国人ギャンブラーと荷官の行動をめぐる思考は、認識論および確率論的思考の合理性のみでは捉えきれない側面がある。中国人ギャンブラーの思考には、ゲーム道具と身体の相互作用または直接的な接触によって、ゲーム道具に潜むギャンブルの不確実性を察知し、それを変更したり制御したりするという、一見奇妙な発想が見受けられる。その妥当性を探るには、認識論だけではなく身体性重視の思考に目を向けるべきである。その背後には、中国人が不確実性の事項に対応する際の対処法である命理信仰が存在する。マカオのカジノにおける中国人ギャンブラーを考察するには、既存の研究で見落とされてきた身体という切り口から再検討することが有効であると主張したい。

  • 絵手紙を通じた記憶の形成
    飯田 淳子
    2024 年88 巻4 号 p. 637-659
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル 認証あり

    死と看取りに関する近年の研究では、死にゆく人の決定や選択、主体的コントロールに着目するアプローチの限界が指摘されるなか、周囲の人の記憶に着目して死にゆく人の人格や自己の構築過程に接近しようとする研究が見られる。その際、これまで人類学では、看取りの過程における記録および「記録する」という行為は十分に主題化されてこなかった。本稿では、1998年にホスピスで夫を看取った楠見育子さんという女性が当時かいていた絵手紙と、16〜24年後の彼女の語りをもとに、意識が低下した状態の終末期患者の看取りの過程でどのような記憶が形成され、また、それを記録するという行為がどのような実践であり経験であったのかを検討する。楠見さんは夫の世話をするなかで、それまで夫とともに築いてきた記憶を呼びおこし、それを絵手紙とその裏のメモに記録していった。また、ホスピスでの半年間の夫の姿や夫とのやりとり、周囲の環境や物、医療スタッフや他の人びととのやりとりをかいた絵手紙は、楠見さんにとって看取りの身体的経験をたどった跡となった。それは夫が最期まで人格を保持した社会的存在として生き抜いた過程を伝えようとするものとなった。

特集 「狭間に生きる」——現代日本を民族誌する上での困難と可能性
  • 平野 邦輔
    2024 年88 巻4 号 p. 660-672
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
    ジャーナル 認証あり

    Ethnographers of contemporary Japan experience a variety of interstices. In academia, the hegemony of English controls the master narratives. This means that scholarly work written in Japanese or other languages is rarely cited in dominant English-speaking journals and books. In the field of area studies, in-depth ethnography shrinks to insignificance. Researchers should think about intersectionality and the politics of writing: Who writes Japan for whom and for what, and what voices and perspectives are neglected and silenced? This special issue focuses on the concept of hazama (interstices or gaps, margins, a chasm, or a state of being in-between, as it is variously translated by the contributors to the issue). It addresses the linguistic, political, and methodological challenges and possibilities of doing ethnography in contemporary Japan. The five papers discuss Zainichi Korean women and intersectional forms of discrimination, domestic violence, activist and media representation, multispecies ethnography, and marginalization in the context of interdisciplinary and multilingual collaborative research projects.

  • 植民地主義、男性中心主義、複合的不平等の克服に向けてのDEI
    鄭 幸子
    2024 年88 巻4 号 p. 673-691
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
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    DEI(Diversity, Equity, and Inclusion)は「多様性・公平性・包括性」を意味し近年重要性を増している。人類学における課題解決の鍵でもある。H. リーヴァイは、人類学とフェミニズムの交差が暴いた男性中心主義、植民地主義との共謀関係にある人種主義、調査対象者に押し付けるジェンダーや人種が掛け合わされた複合的不平等が、人類学に学問的危機を招いたと警鐘を鳴らす。これらは日本社会の危機とも重なる。本稿ではカネヴィンフレームワークを用い危機を可視化し解決法を探る。日本の性平等は2023年には世界125位である。人種差別も国連から何度も勧告を受ける惨憺たる状況だ。日本人男性複合特権は在日コリアン女性が苦しむ複合差別と表裏一体だ。「女性差別」は問題視しても人種差別には無頓着、あるいは人種差別には留意しても性差別は不問といったことが長年続いてきた結果だ。ジェンダーと人種の交差性(インターセクショナリティ)への着目は、性差別と人種差別を同時に解決する第一歩だ。「複合差別」の是正に尽力する日本人男性もいれば、日本人男性の「複合特権」的価値観を受け入れてしまっている在日コリアン女性もいる。日本の「安全神話」や「男女平等神話」、「単一民族神話」をフェミニスト・エスニック・スタディーズの視点で読み解きつつ、人類学及び日本社会の課題と解決方法を考察する。

  • 日本の人類学DV研究が捉える家父長制の具現化と暴力の痕跡
    桑島 薫
    2024 年88 巻4 号 p. 692-711
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
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    本稿の目的は、ドメスティック・バイオレンス(DV)や家族の暴力を捉える多元的な視点を、狭間という概念を使って示すことにある。日本のDV研究は応用研究が中心で、DVの中核を成す家父長制については抽象的な概念に留まっている。本稿は、日本の人類学DV研究かつフェミニスト人類学という立場に立ち、DVに関する学問分野の言説の狭間と、研究者の経験を通じて出会う対象において示される狭間という、異なる次元の2つの狭間を取り上げる。1つ目の事例では、DVの経験を家族の暴力の文脈に置いて再解釈することで、家父長制が様々な関係において具現化するプロセスを捉える。2つ目の事例では、DVシェルターでの筆者の経験を出発点に、現象学的な視点で、支援の場には未だ分節化されていない暴力の痕跡が潜在していることを論じる。狭間の探求を通して家父長制の再定義と暴力の痕跡の潜在性を示し、DVや家族の暴力に関する人類学的知の可能性を模索する。

  • マスメディアで発信する社会運動研究者の抱える「原罪」と「贖罪」の過程
    富永 京子
    2024 年88 巻4 号 p. 712-731
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
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    本稿は、社会運動研究者である筆者が、調査という行為によって社会運動従事者の人々を搾取してしまった経験から、自らマスメディアを通じて社会運動をすることで償いを試みた実践を、調査という「原罪」とその「贖罪」、また「共約不可能性」という観点から記述する。本稿は、多くの質的調査者が調査対象に対して抱くであろう「罪」という感情の揺れ動きをオートエスノグラフィにより検討することで、研究者と活動家、調査研究と社会運動の「狭間」がどこにあるのかを考える。それにより、人類学と社会学の差異と連携の可能性を提示することで、「「狭間に生きる」——現代日本を民族誌する上での困難と可能性」という本特集のテーマに貢献する。

  • 水族館とマルチスピーシーズ民族誌から「狭間」を見つめる
    高橋 五月
    2024 年88 巻4 号 p. 732-750
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
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    日本の水族館におけるマルチサイテッドな民族誌的調査をもとに、本論文は絡み合うふたつの目的をもつ。ひとつは、近年国内外で研究が盛んなマルチスピーシーズ民族誌を援用しながら現代日本における水族館を「狭間」の観点から分析し、狭間に生きることの困難さと可能性の両方を論じることである。具体的には、現代日本の水族館で乗り越えようとしながらも再生産される人間中心主義的および西洋中心主義的な関係を明らかにしつつ、人間と非人間、および日本と西洋の狭間において乗り越えることを目的としない「共に生きる」あり方の可能性を考察する。もうひとつの目的は、マルチスピーシーズ民族誌を「狭間」の人類学と捉えることである。本論文は現代日本の水族館の事例をもとに、人間中心的や西洋中心的な関係について批判的な姿勢を保持しながら、「どうにか共に生きる」という観点を今後の理論展開の重要な視座として提示する。また、本論文はマルチスピーシーズ人類学における英語圏と日本語圏の狭間についても言及し、日本におけるマルチスピーシーズ人類学をそうした狭間で実践する困難と可能性についても検討する。

  • 学際的協働研究における日本の人類学
    堀口 佐知子
    2024 年88 巻4 号 p. 751-760
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
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    This paper is an autoethnography of a bilingual, liminal Japan anthropologist based in Japan. It explores what it means to be on the margins of the margins, against the backdrop of the structural peripherality of Japan anthropology. I reflect on dilemmas and possibilities that my participation in interdisciplinary collaborations has brought about, drawing parallels between these recent experiences and my past experiences growing up in-between Japanese and Anglophone cultures. I discuss how interdisciplinary collaborative research and practice may distance anthropology from its core in terms of methodology and theory. Being the only anthropologist in interdisciplinary projects may also inadvertently promote essentialization of anthropology. At the same time, collaboration helps open up anthropology and position it vis-a-vis other scholarly fields, leading to relativization of the discipline. My autoethnographic explorations highlight the roles that anthropologists on the margins can play in mediating anthropologists across borders and helping re-imagine the nature and possibilities of anthropology.

萌芽論文
  • ケアと社会関係の再概念化のために
    田口 陽子
    2024 年88 巻4 号 p. 761-772
    発行日: 2024/03/31
    公開日: 2024/06/24
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    While housework has been discussed based on binary groups such as public and private, production and reproduction, and man and woman, it has also crossed these boundaries and changed form. Similarly, the dichotomous domains themselves have changed according to the perception and practice of housework. Focusing on housework as wage labor, this paper attempts to extend housework to reimagine care and social relations differently. Drawing on Annemarie Mol's conception of care, it extends housework theoretically to encompass an act of creating people and things through intervention and interaction. Moreover, it shows that through housework, social relations also emerge along with the person who does and receives housework, the domestic space, and the boundaries of "one's own." By interpreting materials from ethnographies, literary works, and field episodes, this paper portrays housework as a practice of intervention and interaction and explores the possibility of alternative relations.

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