文化人類学
Online ISSN : 2424-0516
Print ISSN : 1349-0648
ISSN-L : 1349-0648
87 巻, 1 号
選択された号の論文の26件中1~26を表示しています
表紙等
原著論文
  • 現代ソロモン諸島マライタ島西ファタレカにおける社会変容の深層
    橋爪 太作
    2022 年 87 巻 1 号 p. 005-025
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/12/08
    ジャーナル フリー

    1990年代以降のメラネシア人類学では、そこに存在するとされる西欧近代社会とは異なる社会性を描き出す、「新メラネシア民族誌」と呼ばれる議論が勃興してきた。これらの新たな議論は現地の実践を個人/社会といった実体ではなく、それらを横断する関係に着目して論じてきた。

    これに対し本論の論点はそもそも「関係」とはいかなるものであるのかというメタ的な問いにある。こうした関係概念そのものへの反省は、近年の人類学の理論的展開の中で「ポスト関係論」として論じられてきたが、本論ではこの問題を現地の人々の土地と系譜をめぐる再帰的な知識実践に見出す。具体的には、現地の人々にとってのアイデンティティの基盤であるクランが、実は当人たちがその起源となる社会関係を認識できないというパラドックスとともに立ち現れていることに注目する。そして、森林伐採事業に伴うクラン同士の争いを通じてこのパラドックスがどのようにして人々の意識に上り、既存の社会関係の認識を改変しているのかについて考察する。

  • イスタンブルに住むアレヴィーの若者たちの信仰実践
    今城 尚彦
    2022 年 87 巻 1 号 p. 026-043
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/12/08
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、ムスリムの少数派アレヴィーの人々の事例から、世俗主義を国是とするトルコ共和国において少数派として生きることの葛藤を明らかにすることである。西洋近代において、世俗主義は宗教的制約に左右されない民主的な討議を可能にするものとして捉えられてきた。しかし人類学において世俗主義批判と称されるアプローチでは、世俗主義によって言論の自由を保障されるためには「宗教」の範囲を規定する世俗主義の文法に従わねばならないというジレンマが指摘されている。このジレンマは、トルコにおいて多数派のスンナ派ムスリムから差別されてきたアレヴィーにとって特に深刻なものである。1990年代に生じた宗教復興的な運動の結果、彼らへの差別は比較的改善したとされるが、その後のアイデンティティ・ポリティクスが世俗主義の枠組みの内部で展開せざるを得なかったために、アレヴィーの儀礼実践が生活に占める領域も縮小したことが指摘されている。このことはフィールドにおいて「共同性の喪失」とも呼びうる葛藤を生み出しているが、他方でそれを世俗主義の権力に還元してしまうと、人々が共同性の喪失をいかに乗り越えようとしているのかを考えることができない。そこで本稿は、イスタンブルにおけるアレヴィーの集会所に集まる若者たちの事例から、彼らが都市においていかなる共同性を模索しているのかを明らかにする。

  • 〈生き方〉としての基地反対運動と命の民主主義
    比嘉 理麻
    2022 年 87 巻 1 号 p. 044-063
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/12/08
    ジャーナル フリー

    本論は、沖縄県名護市辺野古の基地建設の進行に伴って、熾烈化する抗議行動の最前線で、心身に傷を負い、抗議に行けなくなった人びとが、新たに勝負できる領域を模索するなかで見出した、〈生き方としての基地反対運動〉とでも呼びうる動きを積極的に掬いあげる。現在生まれつつあるのは、狭義の政治運動におさまるものではなく、むしろ、政治の限界(代表政治と直接政治の双方の限界)を踏み越えて、〈生き方〉そのものとして展開される基地反対運動である。日本政府の暴力により、従来の運動の限界に立たされた人びとは、これまでの闘い方とは異なる形で、自らの生き方を通して変革の方途を切り出していく。それは、生活を丸ごと抱き込んだ運動の全面化であり、自らの生き方の社会運動化、とでも呼びうるものである。本論では、従来の「政治運動」で傷ついた人びとが、口にするようになった「これは、政治じゃない」という言葉に耳を傾け、基地反対運動を「非政治化」し、より広い領域を巻き込みながら、自らの〈生き方〉として展開する新たな基地反対運動を理解することを目指す。さらに本論では、ここでの生き方を、人間のみに限定せず、他の動物たちの生き方をも含み込むものとして、より広く捉える。そこから、基地建設によるかつてない規模の破壊によって、改めて交差する人間と動物たちの生を捉える視座を築いていく。

  • チェコ共和国におけるポスト社会主義からポスト社会主義以後への移行の契機
    坂田 敦志
    2022 年 87 巻 1 号 p. 064-080
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/12/08
    ジャーナル フリー

    1989年に旧東欧諸国が社会主義体制から資本主義体制へと移行して以降、文化人類学においてポスト社会主義人類学という新たな領域が形成され、研究が進められてきた。しかし、2000年代以降、当該研究領域の基盤であるポスト社会主義という枠組みに対して、その有効性を疑う見解が内外から寄せられるようになり、2010年代半ば、ポスト社会主義からポスト社会主義以後へというパースペクティヴが示されるに至る。

    本稿の目的は、トリックスター概念を手掛かりに、反共産主義を掲げるチェコ共和国の政治活動家ヤン・シナーグルの言論活動を検討する作業を通じて、2010年代に当国において進行したポスト社会主義からポスト社会主義以後への移行に関わる契機の1つを示すことにある。はじめに、シナーグルの言論が、1989年以降、「西欧」への回帰を旗印に当国の政治・経済体制の「民主化」を推し進めてきた「西」派の人びとにいかに受容されているのかを検討する。続いて、シナーグルの一連の言論が指し示しているのが、ナチス・ドイツによる占領期および社会主義期をはじめとする過去にまつわる記憶との関わり合いの中で1989年以降の新たな秩序が抱え込むことになった「民主主義」の「パラドクス=トラウマ」であることを示す。最後に、シナーグルの言論が新旧2つの秩序を等しく対象化することによって、ポスト社会主義からポスト社会主義以後への移行に関わる契機の1つになっていることを指摘する。

展望論文
  • 石井 花織
    2022 年 87 巻 1 号 p. 081-093
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/12/08
    ジャーナル フリー

    This review makes the following observations about research related to Arctic waste: firstly, there is a regional bias in anthropological research on waste and discarding, which has resulted in relatively little research being conducted in the Arctic compared to other regions. Secondly, most research, including non-anthropological studies, has investigated waste coming into the Arctic region from outside. In contrast, recently, the problem of waste generated by societies within the Arctic has begun to be investigated. Moreover, anthropologists have mainly blamed colonial rule as a structural factor in waste issues generated in the Arctic. Furthermore, what is needed in the future is to focus not only on the aspect of the local people as victims, but also on the aspect of the people as waste disposers, and to more accurately depict the human-waste relationship in the Arctic region. This will contribute not only to the development of regional studies of the Arctic region, but also to overcoming the false dichotomy between the social environment and the natural environment, which is a challenge for waste and discard studies in anthropology.

  • 感情史との対話
    小栗 宏太
    2022 年 87 巻 1 号 p. 094-106
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/12/08
    ジャーナル フリー

    This review article brings together recent anthropological works on affect to summarize how the notion has been adopted in the field, especially in relation to the more conventional category of emotion. Theoretical debates on affect often emphasize the radical distinctions between them: defining affect as intersubjective, visceral and pre-linguistic while equating emotion with a person's inner feeling generally expressed through language. Such dichotomous definitions, however, are criticized in anthropology and related fields in humanities such as the history of emotions, notably in terms of their inapplicability to empirical research. By reviewing these debates, this article argues that ethnographic approaches to affect, despite their attempts to focus on intersubjective, creative, nonlinguistic aspects of emotional experiences, still have to critically engage with conventional notions like subject, power, and language. It concludes that affective anthropology's struggles have similarities with—thus can possibly contribute to—other anthropological trends questioning the limitations of those categories.

レビュー
フォーラム
学会通信等
裏表紙等
feedback
Top