文化人類学
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86 巻, 3 号
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表紙等
原著論文
  • フィリピンにおける数字くじの事例から
    師田 史子
    2021 年 86 巻 3 号 p. 365-383
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/04/14
    ジャーナル フリー

    本稿では、フィリピンの数字くじを事例に、賭けの実践と結果の解釈についての検討を通じて、賭けに繰り返し没頭する人びとによって遊戯の世界がいかに想像·構築されているのかを考察する。遊び理論の中で、単調で純粋な偶然性の遊びである数字くじは遊戯者の自律的関与が及ばない「つまらない」遊びに分類されるが、事例においては「面白い」遊戯として遊び変えられている。愛好家たちは、抽せん数字を予想するために日常世界のあらゆる存在や出来事から数字のサインを読み取る。また、賭けの結果は賭けた自己をとりまいていた過去を遡及的に参照することで理解される。こうした数字への賭けの反復は、無根拠な数字くじの遊戯の世界に恣意的な意味づけをし、賭ける自己と数字の間に関係性を想像しながら、偶然的事象を幸運の物語として認識する行為である。経験や知識は秩序づけられて未来の賭けに運用されるものの、数字くじの偶然性は絶対的に残存し続ける。この点において数字への賭けは、いまここにおいて幸運であるか否かという自己の現在的状況を確認する契機として機能する。幸運と戯れ、幸運を狩りたてることに、遊戯としての数字くじの面白さは醸成されている。

  • 岩田慶治の新アニミズム、C.S.パースの記号論、佐藤信夫のレトリック論を視座として
    根本 達
    2021 年 86 巻 3 号 p. 384-403
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/04/14
    ジャーナル フリー

    宗教的自覚者が「生きること」を「救済的」に探求してきたとするならば、人類学を学ぶ者は「生きること」を他者とともに学問的に問い続けてきた。本論では宗教的自覚者による「救済的に分かること」がどのような経路をたどることなのかを学問的に理解することを目指す。前半部分ではアニミズムとシャーマンをめぐる人類学の議論に、岩田の新アニミズム、パースの記号論、佐藤のレトリック論を組み入れ、宗教的自覚者の表現を理解するための新たな視座を提示する。ここでは、より偉大な宗教的自覚者が第一次性と第三次性の間の折りかえし運動を繰りかえし、言語化できない第一次性の輪郭を類義累積で表現し、そこに虚空を造形するのではないかと考えたい。後半部分ではこの視座から、インドで不可触民解放運動を率いる佐々井秀嶺の宗教表現を検討する。佐々井はラージギルでの宗教経験を原体験とし、インドの被差別民によって聖者化されながら宗教実践を行ってきた。その経験の中で佐々井は出来事性と死の予兆を再発見し、第三次性から第二次性を経て、第一次性を直観しようと試みる。「唵」や「1つの生命」など、自らの宗教経験を多彩な言葉で表現する類義累積により、佐々井は自らが直観した第一次性の輪郭を描き、そこに虚空を造形してきたと考えられる。佐々井の手記にある筆跡からは言語表現と文字の姿、身体動作、現実の生の間の連続性が明らかになる。この本論の試みは他者とともに学ぶ人類学の1つと言えるだろう。

特集 異種集合体の生政治-パンデミックを通して考える
  • 西 真如
    2021 年 86 巻 3 号 p. 404-416
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/04/14
    ジャーナル フリー

    This special issue, “the Biopolitics of the Multispecies Collectives,” aims to explore possible modes of ethnographic engagements with those who strive to survive the COVID-19 pandemic. It brings together the works of anthropologists with different research backgrounds: multispecies, gender, and biopolitics. Authors agree that no single theoretical framework is enough to produce a sensible investigation of the pandemic. In this introduction to the special issue, three interrelated research fields are identified to guide inquiries over the epidemic's impacts on the more–than–human socialities: biopolitics, multispecies, and science and technology studies (STS). Furthermore, it argues, drawing on feminist ethics of care, that concerns for the vulnerability of our bodies and fragility of the world are essential features of contemporary ethnographic engagements. Guided by such concerns, the authors demonstrate how human and non–human actors are involved in rearranging troubled relationships during the pandemic in Alaska's terrains, Korean hospitals, and Japanese museums.

  • 内陸アラスカ先住民の過去回帰言説を事例として
    近藤 祉秋
    2021 年 86 巻 3 号 p. 417-436
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/04/14
    ジャーナル フリー

    本稿では、内陸アラスカ先住民社会で語られる「昔ながらの生活」への回帰という予言(過去回帰言説)について考察する。とりわけ、危機管理の専門家集団が使う用語としての「備え」との比較を通じて、不確実性を生きる生活者の生存戦略として内陸アラスカ先住民の「予言」を捉えなおすことを目指す。長期調査とコロナ禍後の短期オンライン調査の結果に基づき、ディチナニクのイーサイ家がたどった歴史を事例として、入植者がもたらす物品への依存、キリスト教化、感染症の流行など、過去回帰言説の成立に影響を与えた事柄について指摘した。土地権益請求を経た現在、過去回帰言説が基盤となって、ニコライ村では狩猟ガイド業と「文化キャンプ」のような生業の再活性化の取り組みが実施されている。これらの実践は、人間·動物·精霊·器具の有機的なつながりが不断に更新されていくような異種集合体の維持を意味し、混交経済下での生業活動であると同時に、ポスト混交経済を視野に入れたものでもある。詳細な「シナリオ」に基づいた「シミュレーション」をおこなう「備え」とは対照的に、「予言」は曖昧さを含んでいるからこそ、個々の人々が微妙に異なる実践をおこなうことを許容するものとなっている。

  • 韓国の「コロナ19」病棟におけるアフェクトの攪乱と再編
    澤野 美智子
    2021 年 86 巻 3 号 p. 437-456
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/04/14
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、アフェクト論の観点からパンデミック下の医療現場で起きたアクター間の相互作用について検討することである。特に韓国の「コロナ19」病棟における防護服と看護師に注目する。本稿では防護服を病棟内で相互作用しあうアクターのひとつとして捉え、看護師側だけでなく防護服側の視点も交えながらアクターの動きを描き出す。感染症対策マニュアル上では単純に人間をウイルスから防護するだけのはずだった防護服であるが、現場ではそれぞれに物質性と文脈を持つ防護服と看護師、その他のアクターが出会うことで新たな作用が生じ、アフェクトの秩序が乱されたり連続性が失われたりする。これを本稿ではアフェクトの攪乱と呼ぶ。防護服は独特の環境における多様なアクターとの相互作用によって、防護服に合った身体操作をするよう看護師たちを飼いならそうとする。一方で看護師たちは業務を遂行するため、防護服が遮断しようとする防護服外部の刺激を拾い上げようとするとともに、自らの身体と防護服の間に「第3者」を介在させることで防護服を飼いならそうとする。防護服と看護師が接触を継続せざるを得ない状況下、攻防自体は継続して繰り広げられつつも、アフェクトの秩序が再編されてゆく。

  • パンデミックにおける身体、統治、速度
    浜田 明範
    2021 年 86 巻 3 号 p. 457-476
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/04/14
    ジャーナル フリー

    本論は、日本において感染症の流行を減速させるための方法として採用されたウィズコロナという発想の検討を通じて、2020年2月から2021年3月にかけての日本における新型コロナウイルス感染症の流行とそれへの対応の経験を記述していく。この作業を通じて、感染症の人類学の蓄積に基づいて日本におけるこのパンデミックの経験を理解するひとつの方向性を示すと同時に、この経験を通じて感染症の人類学をどのように更新しうるのかに関するいくつかの論点を提示することを目的とする。この際、本論では、分析の手がかりとして、画家の横尾忠則の手による連作WITH CORONAに注目し、そこからの学びを軸に据えるという手法を採用している。結論として、(1)パンデミックを理解するためにはアネマリー·モルの提唱する「誰」の政治から「何」の政治への移行が必要であること、(2)ミシェル·フーコーに端を発する環境という発想が記述の戦略として有効であること、(3)カール·ポランニーがその重要性を指摘していた社会を防衛するための減速をいかに実現させるのかが重要な課題として浮上していること、の3点が示される。

萌芽論文
  • フランスのジプシー巡礼祭を事例に
    左地 亮子
    2021 年 86 巻 3 号 p. 477-487
    発行日: 2021/12/31
    公開日: 2022/04/14
    ジャーナル フリー

    Every May, thousands of European Romanies gather in the southern French town of Saintes–Maries–de–la–Mer for the annual pilgrimage of carrying the statue of Sainte Sara from the church's crypt to the sea. During this festival's day–and–night party atmosphere, streets and squares are filled with gypsy music, and a diverse crowd – Romany pilgrims, performers, local residents, and tourists – gather and communicate with each other. In France, where the Romany population has been marginalized, such co–presence is unusual. To explore the political potential of bodies that appear together during the “Gypsy Pilgrimage,” this paper reconsiders Arendt's notion of politics and of “spaces of appearance,” along with Butler's concept of “body politics” and Rancière's understanding of “politics of the sensible.” By describing how bodies of Romanies and non–Romanies appear in distinctiveness and relatedness, the paper illustrates the politics that appearing bodies exercise by interrupting the existing boundaries of the “community of citizens.”

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