文化人類学
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87 巻, 3 号
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表紙等
原著論文
  • 世界チャンピオンの「ハイブリッド型歩行」の3次元動作解析
    板垣 明美, 西村 拓一
    2022 年 87 巻 3 号 p. 367-386
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    本稿は、世界チャンピオンによるボールルーム・ダンスの指導現場の参与観察とボールルーム・ダンス歩行の3次元動作解析を統合することによって発見した新たな歩行、すなわち「ハイブリッド型歩行」について明らかにすることを目的とする。

    これまで歩行は右足が出ると右半身が出るような上体と脚部の回転周期が全くずれない0度ずれの「同側型(いわゆるナンバ)歩行」と、上体と脚部が互い違いに180度ずれている「ひねり型歩行」の2項で考えられてきた。本稿で報告するボールルーム・ダンス世界チャンピオンの「ハイブリッド型歩行」は上述のいずれとも異なり、1歩の歩行の前半は「同側型」、後半は「ひねり型」が出現し、周期的には上体と足の周期が270度ずれる第3の歩行であった。

    脚部と上体の回転周期のずれの型は無限の多様性がある。ボールルーム・ダンスで2人の身体が交流しながら踊ることによって、さまざまな独特な動きが創生されることを、ダンサーたちは「化学反応」と呼ぶ。ボールルーム・ダンスの指導では型よりも相手に合わせる研ぎ澄まされた身体感覚が強調され、その中で新しい身体技法が生み出される。

  • パチプロAの「期待値を積み上げる」プレーの論理
    松崎 かさね
    2022 年 87 巻 3 号 p. 387-406
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    本稿が取り上げるのは、パチプロ(パチンコ・パチスロで生計を立てる人)として約20年間生活してきた経験を持つAの語りである。彼は、プレーで最も重要なことは「期待値の積み上げ」であると語った。これは、期待値が高い台で繰り返しプレーすることであり、当時の彼はプロの中で一番になることを目指し、この実践に日々励んでいたという。けれども一方で、彼はこの実践を適度に抑えることのできる人間こそレベルの高いプロであるとも語った。本稿の目的は、この一見相反する事柄——「期待値を積み上げる」こととそれを抑えること——がなぜAにおいてどちらも重視されるのかを考察することである。彼によれば、「期待値の積み上げ」で重要なのは、その都度のゲームの結果よりも、期待値を根拠に打ち続けるプロセスの方であり、この実践によって長期的には収支がプラスに上向いていくという。さらに、彼は店や他の客に配慮してその日の稼ぎを適度に抑えることが、プロを長く続けるうえで重要なことであるとも語った。つまり、その場の利益という、賭けにおいてつい注目しがちなものから一旦視点を「はずし」、長期的な見方へと転換することが彼の思考の要諦だったのである。これを踏まえて本稿は、「期待値の積み上げ」を抑えることはその積み上げを至上とするプロに相応しいプレーであったことを提示する。

特集 孤独とつながり──ポスト関係論的音楽論に向けて
  • 相田 豊
    2022 年 87 巻 3 号 p. 407-420
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    Taking its cue from the articles in this special issue, this introduction explores what value the debates over the "post-relation" might have for Japanese anthropology and its studies on music. It argues that in these two decades after 2000, Japanese anthropology has valued and quite frequently overvalued the social power the relation may have, influenced by the precarious social situation of Japanese society, which has experienced a drastic post-industrialization shift. Especially focused on the studies on music, which has had a significantly active role in those relation-focused debates, it demonstrates how mainstream Japanese anthropological debates have been dependent on and reproduced its relational thinking. Hence, it maintains the necessity of the revaluation of solitude or being alone as an ethnographic concept, overlooked and even ignored although sometimes found in people's actual lives. This introduction is not intended to provide any theoretical definition for "solitude." Instead, it reviews the three original strategies and techniques—the institutionalization of the relation, self-enjoyment, and in-relation analysis—that the articles of the special issue used to expose their ethnographic details.

  • 現代日本の市民参加型音楽実践における規範化された「つながり」をめぐって
    石橋 鼓太郎
    2022 年 87 巻 3 号 p. 421-440
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    本論文は、現代日本における行政を主催とした市民参加型の音楽実践〈千住だじゃれ音楽祭〉を研究対象とし、そこで探究される「だじゃれ音楽」なる新たな音楽の形態と、行政が期待する「つながり」との相互関係を明らかにするものである。それによって、現代日本において制度的に規範化された関係としての「つながり」やそれに基づく音楽観を相対化するとともに、その只中において別様の関係や音楽のありようを模索する「ポスト関係論」的な音楽研究の可能性を提示することを目指す。

    だじゃれ音楽において見られる「だじゃれ的」な関係とは、思いついただじゃれをつい言ってしまうように、内的な必然性にしたがってふるまうことで、外的な規範から「浮いた」ままの状態を保つような関係である。一方このような関係は、「つながっているか、いないか」を問う行政的なつながりの規範に基づくと、「つながっているような、いないような」ものとして映り、それによって両者の関係は「浮いた」ままにされ、音楽実践の制度的な基盤は保たれ続けている。

    以上の記述を通じて、人類学者にとっての関係概念や音楽概念を対象に即して組み直していく戦略としての「ポスト関係論」を、あらゆる関係へと開かれているがそれ自体は関係に満たない「プロト関係論」によって実行することを試みる。

  • バリ島「聾の村」ブンカラにおける音楽参与・孤独・自己充足
    西浦 まどか
    2022 年 87 巻 3 号 p. 441-460
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    本稿は、インドネシアのバリ島を事例に、聾者による音楽実践への参与/非参与の諸相を音楽人類学の見地から論じるものである。本稿ではまず、全身感覚的な響きに焦点を当てる音響身体論と、関係性に満ちた相互行為出来事としての音楽観を展開するミュージッキング論の2つの音楽人類学の系譜を概観し、それらが音楽パフォーマンスの「音」中心性を解体してきたと同時に、音楽実践内で参与者らが「とけあって1つになる」ことに価値を置く関係論的思考を共有してきたことを示す。こうした理論的視座を通して現地の聾者と音楽との関わりを見ると、聾者は響きあう身体として聴者と共にミュージッキング相互行為へと参与し、他者とつながっているように見える。その上で本稿では、聴児たちの踊り遊びに入らずその後たった独りで踊った聾児のふるまいを事例に、聾者が音楽の場で直面する「孤独」のありかを検討する。本稿ではその要因の一端が、当該村落コミュニティにおける社会的な暗黙の領域差と、それを形成する手話言語をめぐる言語使用の問題にあると分析すると同時に、独りで踊る経験の「自己充足性」に着目する。そしてポスト関係論的な視点から「音楽するすべての身体」がそれぞれ脆く自己充足的な孤の側面を持ち合わせていると論じる。

  • 楽器をめぐる「迷い」と「決断」の自己エスノグラフィー
    吉川 侑輝
    2022 年 87 巻 3 号 p. 461-479
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    本稿は、音楽家たちの社会生活の一画をなす活動のひとつとしての「ひとりで行う活動」の探求を通じ、関係論的な音楽研究を省察的に検討する試みである。ひとりで行う活動に関連づいた概念のひとつに、「個別的なもの(the individual)」がある。本稿が試みるのは、「個別的なもの」を、それが日常的実践において志向されている水準において特徴づけることである。具体的には、筆者自身によって断続的に取り組まれている楽器の弦の選択活動を対象として、その過程を記述したフィールドノートに見出される「判断に迷うこと」や「決断を下すこと」が生じている場面の分析を行う。結果として、こうした出来事の編成プロセスが、個人が持つ能力への疑いへの対処として、その積極的遂行の結果として取り組まれていることが明らかになる。こうした作業を通じて本稿は、いわゆる関係論的な音楽研究が可能となる条件としての日常生活世界の探求の重要性を主張する。

  • ボリビア・フォルクローレ音楽家の孤独とつながり
    相田 豊
    2022 年 87 巻 3 号 p. 480-498
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    現在、英語圏の人類学において「ポスト関係論」と呼ばれる一連の議論が次第に潮流化しつつある。そこでは、人類学者が関わりあいやつながりに注目するあまり、フィールドの中の「つながりたくてもつながれない人々」、「つながりをあえて拒否しようとするふるまい」が見えにくくなっていること、主題化されなくなっていることが問題化されている。確かに音楽に関する人類学的研究においても、音楽を「他者とつながるため」のものとして捉え、そのつながりを肯定的なものとして価値づける傾向が存在してきた。本稿では、こうした「関係論的」な音楽観にあえて抗して、「他者に抗する音楽」、「うまくひとりになるための音楽」という音楽観を提示することを目的とする。具体的には、ボリビア・フォルクローレ音楽の事例を取りあげ、2人の音楽家のライフヒストリーを通じて、そこに音楽に関する固有の思考を取り出すことを試みる。2人の音楽家は、いずれもフォルクローレ音楽の黎明期に活躍したものの、時代の流れの中で次第に没落し、再起を図る音楽家である。本稿では、彼らがいかにボリビアの親族関係や、同業者関係、時代に抗い続けてきたか、それがボリビアにおける力としての音楽観といかに重なっているかを示しつつ、その思考を孤独の希求というテーマのもとで論じる。

  • 持続性、在地論理、非現前の関係
    内住 哲生
    2022 年 87 巻 3 号 p. 499-505
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー
展望論文
  • 危機の危機・レジリエンス・不気味さ
    芝宮 尚樹
    2022 年 87 巻 3 号 p. 506-515
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    By providing a literature review, this essay aimed to propose a fruitful anthropological approach to todayʼs crises, which are no longer an exception but a new normal. In response to Anthropocene crises such as the coronavirus pandemic and the climate change, two modes of power governing human behavior in critical situations are becoming increasingly dominant. On the one hand, the politics of crisis, which mobilizes people to overcome crises, prevents the design of politics that does not presuppose progress. On the other hand, the biopolitics of resilience, which promotes mechanical adaptation to crises, reduce the value of human life to mere survivability. An alternative to these two modes lies in the corporeal experience of crises and the imagination they evoke. Anthropology should thus explore how images can mediate the inarticulate uncanny revealed during a crisis, and how they can be guides for navigating the self in an unfamiliar world.

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