文化人類学
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85 巻, 2 号
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表紙等
原著論文
  • アマゾン植民者による所有地作製の事例から
    後藤 健志
    2020 年 85 巻 2 号 p. 187-205
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

    ブラジル・アマゾンの植民者が営む所有地作製とは、自らが占有する土地を私有財として運用・譲渡可能な所有地へと作製すること、あるいは、その類似物へと擬製する実践である。それは植民者の間であまねく営まれ、フロンティアでの産業活動の脊柱をなす技術である。人間活動の痕跡が投影された土地被覆の領域的広がりを「景観」として捉える視座に立った場合、所有地作製の影響を幾何学図形の充溢として色濃く映し出すに至った今日のアマゾンの状況は、「フロンティア産業景観」として把握できる。さらに敷衍するなら、それは人新世的世界における地表の姿である。本論では、この景観の形成過程を技術-生態誌という方法論をもとに考察する。技術論と生態学の双方的視点からの記述が不可欠なのは、所有地作製が人為的介入を通じて連続的変化を引き起こす湿潤熱帯環境の生物物理的性質に対応し、前者の探究はその適用対象である後者との関連性の解明を必要とするからだ。事例研究としては、マト・グロッソ州北部のシングー川上流域で域外から流入した植民者が非公式に設立した入植地に注目し、彼らが所有地を基盤に農採取的資源利用、記号的人工物の生産、企業・官僚的運用といった事業を複合的に展開する過程を考察する。本論では技術-生態誌的記述を通じて、所有地作製と譲渡可能性を維持した地表の領有という表裏一体の企図が、土地の私的所有権の確立を目標に設計された行政・司法の諸制度との間に、多種多様な翻訳的関連を生み出し、フロンティア特有の産業景観が拡張していく動態を解明する。

  • ソロモン諸島マライタ島北部における森林伐採の展開と土地-自己知識の真理性について
    橋爪 太作
    2020 年 85 巻 2 号 p. 206-225
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     ソロモン諸島マライタ島北部西ファタレカ地域では、中国・東南アジアの経済発展を背景とした華人系森林伐採企業の進出が相次ぎ、開発対象となる土地では争いが頻発している。だがその裏では、森林伐採を契機として数〜十数世代前に離れた故地との紐帯を再構築し、そこから独自に新たな暮らしを拓こうという動きも巻き起こっている。

     しかし公的な土地制度の未整備や過去に試みられた在地の知識編纂事業の失敗により、両者の関係を一義に規定することは困難である。本論はこうした状況を背景に、土地について相異なる見解を持った人々がその知識の真理性をいかに確証しているのかについて検討する。

     考察の鍵となるのは、人格、社会関係、そして自然を巻き込んだ運動の媒体である土地が、当事者にとってさえ「わからない」領域を残した存在であるということである。これは単なる不可知論ではなく、むしろ他者や土地それ自体が絶えず変化する状況において、それらと結びついた自己知識が動態的に構築されていくプロセスと、当事者にとって真理(ママナ)とされるものの事後的かつ一時的な確定を意味する。

     本論の最終的なねらいは、メラネシアの土地-自己関係をめぐる従来の人類学的議論に共通して見られるある前提——「真正な」土地との関わりとそうでないもののア・プリオリな線引き——を批判的に再考し、一義性ではなく多義性、確実性ではなく不確定性を根底に据えた新たな真理観のもとにそれらを再構築する可能性を提示することにある。

  • バングラデシュ・ゴヒラ村の人々の記憶に生きる原忠彦教授
    南出 和余, アナム ムジブル
    2020 年 85 巻 2 号 p. 226-241
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     本稿は、1960年代に現在のバングラデシュ(当時の東パキスタン)で故原忠彦氏(元東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授)が実施したフィールドワークの軌跡を、調査地の人々の記憶のなかに追い、人類学者と調査地の人々の「長期的関係」について検証する。原氏による民族誌「東パキスタンのモスレム農村における家族と親族」(1967)は、当該地域に関する世界で最初の本格的な民族誌であり、親族構造と宗教を軸とした価値体系から当該社会の世界観を描いている。この民族誌が描かれた過程を調査地の人々の記憶から検証するとともに、人類学者との出会いや関係を人々がどのように解釈記憶しているかということから、人類学者がフィールドに残した影響について明らかにする。

     人々の記憶には、当時の原氏のフィールドワークの様子だけでなく、原氏と自分たちとの関係、また自分たちが原氏からどのような影響や恩恵を受けたかという、調査地の人々の「自分語り」の側面も往々に含まれていた。本稿では、それらの語りから、フィールドの人々にとっての人類学者との出会いと、当該地域に民族誌が存在することの意味を考察する。「記憶の政治」を考慮するならば、「人類学者と調査地の人々の長期的関係」とは個人レベルの関係に留まらず、人類学者がこの世を去った後もなお解釈され続ける。そのことは、70年代以降のWriting Cultureの議論を踏まえた60年代民族誌再定義の可能性を示すものと考える。

文化遺産、ツーリズム、防災――レジリエンスの観点から
  • 山下 晋司
    2020 年 85 巻 2 号 p. 242-253
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     In recent years, catastrophes, both natural and man-made, have struck frequently in many parts of the world. These events have adversely impacted not only people and communities but also cultural heritage. As a collaboration between anthropologists and architects, this special issue focuses on cultural heritage in relation to tourism and disaster risk reduction from the viewpoint of resilience. Defining the term resilience as a capacity for adapting to changes in existing conditions, papers in this special issue discuss social, cultural, and political resilience in relation to disaster risk reduction by examining the cases of Mount Fuji in Japan, Lijiang and Beichuan in China, Bali in Indonesia, Patan in Nepal, and Bergama in Turkey. In so doing, they uncover the ethnographic meanings of “living together with cultural heritage” in the intertwined context of cultural heritage, tourism and disaster risk reduction in the age of global disaster.

  • ネパール・パタン、中国・麗江、トルコ・ベルガマの世界遺産エリアの事例から
    狩野 朋子, 郷田 桃代
    2020 年 85 巻 2 号 p. 254-271
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     防災研究においてレジリエンスとは、一般に災害によって受けたダメージに対する回復力と定義されるが、被災地を歩いてみると、地域コミュニティの再生の核となるような社会的空間があることに気づく。本論では、こうした空間を「レジリエントな空間」と呼び、ゴルカ地震を経験したネパール・カトマンドゥ盆地のパタンで得られた知見に基づき、中国・雲南省の麗江、およびトルコ・イズミル地方のベルガマの世界遺産エリアの事例を検討する。いずれの場合も世界文化遺産を焦点としたツーリズムが展開されているため、ここでは観光客を含めた地域コミュニティの防災を検討し、地区全体の防災力を高める方法を探る。特に地域や都市の防災を考える場合は、それぞれの地域や都市の課題を十分に検討して事前復興計画のなかに問題解決の視点をとりいれること、そして復興や再建それ自体が社会や文化の再生につながっていることが望ましい。ここでは、平時と非常時を貫くレジリエントな空間を防災に活用することを提案する。

  • 三保松原という視座
    堂下 恵
    2020 年 85 巻 2 号 p. 272-289
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     富士山は当初「自然遺産」としての登録が試みられたが、「顕著な普遍的価値」をもつ自然としては認められないと判断された。そこで、文化的価値を主張して「文化遺産」としての登録を目指す方針へと転換され、2013年に世界文化遺産「富士山──信仰の対象と芸術の源泉」が誕生した。本論では、世界遺産・富士山の「芸術の源泉」を証明する構成資産の1つである三保松原を取り上げ、世界遺産制度の特徴や限界に注意を払いながら、動態的な文化的景観のあり方を検討する。三保松原が位置する三保半島の形成は、幾度も水害を引き起こした安倍川と深く関係しており、その保全には安倍川の適正な管理が不可欠である。また、三保松原が富士山の芸術の源泉となり得たのは、古くから日本の幹線である東海道を人々が往来し三保松原と富士山という構図を創造してきたからである。加えて、松原そのものが防災林であることから、防災の観点からも三保松原の保全はきわめて重要である。以上を踏まえて、三保松原という視座から開発や環境の変化に着目しながら富士山のレジリエントな文化的景観を検討する。

  • 世界遺産とコミュニティのレジリエンス
    岩原 紘伊
    2020 年 85 巻 2 号 p. 290-307
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     2012年、インドネシア・バリのスバックと呼ばれる灌漑組織とその実践が「バリ州の文化的景観──トリ・ヒタ・カラナの哲学を具現したスバック・システム」として世界遺産に登録され、バリ観光に新たな付加価値がもたらされた。しかし、スバックによる水田稲作は、衰退の一途をたどり始めている。スハルト政権下で進められた観光開発はバリ経済の成長に貢献したが、多くのバリの農民にとっては生業の維持を脅かす「災害」ともいえる状況を生み出している。水田が観光用地として急速に売却されるようになっていること、大量の観光客の流入により農業用水不足が深刻化していることなどである。

     本論は、バリの文化的景観を代表する棚田で知られるタバナン県プヌブル郡ジャティルウィ村を事例として取りあげ、世界文化遺産登録を契機として導入されたコミュニティベースト・ツーリズム(コミュニティが主体となって展開されるツーリズム)が、観光開発がもたらす脅威に対抗する手段としてどのように位置づけられているのかを検討する。このなかで特に注目するのは、こうした動きにおける外部アクターの関与である。そうしながら、世界遺産登録後に水稲耕作者というだけではなく、景観の保全者という新たな役割を付与されたスバック・コミュニティのレジリエンスについて論じる。

  • 田中 孝枝
    2020 年 85 巻 2 号 p. 308-324
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     本論では、2008年に発生した四川大地震の災害後復興における地震被害の遺跡化とツーリズムの関わりに焦点を当てる。観光は震災後の産業復興の重要な柱となり、地震の痕跡を保存した地震遺跡は新たな観光資源の1つに位置づけられた。政府は観光を軸として短期間のうちに大規模な開発を進め、地震遺跡の保存と観光地化、再建不可能と判断した地域からの人々の移住、農業村から民俗観光村への転換などを実施した。政府はまた2年半で復興終了を宣言し、共産党の強いリーダーシップのもと、地震に打ち克った中国の特色ある社会主義の勝利を喧伝する。地震遺跡をめぐるツーリズムは、中国共産党に縁のある地をめぐる紅色旅游の地として、国家のレジリエンスを示す場となっている。しかし、人々の生活再建は、国家の示すレジリエンスと同じペース・道筋で進んではいない。本論では、震災から10年余が過ぎた現時点における国家のレジリエンスと生活のレジリエンスのずれを観光を通して考察し、地震遺跡をめぐるツーリズムの持つ意味を検討する。

萌芽論文
  • アフリカ狩猟採集社会を題材とする演劇手法を用いたワークショップ
    飯塚 宜子, 園田 浩司, 田中 文菜, 大石 高典
    2020 年 85 巻 2 号 p. 325-335
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     Anthropological fieldwork constitutes a dynamic process of the co-creation of knowledge and understanding between fieldworkers and informants by mixing and/or hybridizing different cultures. A crucial role for anthropology is its introduction of transcultural experiences to the public by fieldworkers. Accordingly, the authors conducted a workshop for Japanese elementary students about Baka hunting and gathering society in Africa. This paper examines how the workshop utilized play-acting in improvisational theater methods to increase the students' understanding and insight into other cultures. Play-acting enabled students to gain insight into “the otherness in self” by thinking of another culture as if it were their own. Specifically, through analysis of the video recorded classroom activities and interactions among students, lecturers, and performers, this paper explores how the field emerged during the workshop process.

  • アーカイブズ資料をとおしてその性格をふり返る
    飯田 卓
    2020 年 85 巻 2 号 p. 336-346
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/02/07
    ジャーナル フリー

     This paper aims, with reference to Shibusawa Foundation for Ethnological Studies' Archives, to envisage activities of Japanese Society of Ethnology (1934-2004, later Japanese Society of Cultural Anthropology) in the 1930s through the 1960s. Focusing on its reorganization from a voluntary society into an incorporated foundations (1942), and restoration back to a voluntary society (1964), this paper discussed 1) how its museum-related estates were inherited on occasion of the first reorganization; 2) the society's intention of establishing the museum in 1937; 3) why and how the society was slightly renamed around 1946, and 4) the society's intention of the second reorganization in 1964. As a result, the relevance of museum activities proved to be much larger than the society members had ever estimated. The society was reconciling two different functions as volunteer society and as incorporated foundation, until it transferred the latter to Shibusawa Foundation for Ethnological Studies.

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