大正期童謡運動で多く世に生み出された「童謡」について, 唱歌教育にそれを教材として積極的に使用する動きに, 批判的な動きを見せた人物に, 東京高等師範学校附属小学校の唱歌訓導を務めた田村虎蔵と青柳善吾がいる。両名とも斯界をリードする人物であり, 音楽ジャーナリズム, 教育ジャーナリズムを通して発表されたその言説は, 常に注目の対象であった。
本稿では, 青柳善吾が大正期, 東京高等師範学校附属小学校の唱歌訓導として在籍した当時の「童謡批判」を中心に検討する。その観点として (1) 批判の経緯, (2) 批判の内容, (3) 批判の限界, 以上3点を軸に, 青柳の言説を取り上げて分析する。この分析を踏まえ, 童謡批判を通じて青柳がどのような唱歌教材観を形成していったのか。青柳の「思想性」も含め, 青柳が学び, 築いていった「音楽美学」との関連において描き出す。
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