印度學佛教學研究
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56 巻, 3 号
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  • 手嶋 英貴
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1037-1042
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『タイッティリーヤ・ブラーフマナ』(Taittiriya-Brahmana=TB)3.8-9は,古代インドの馬犠牲祭・アシュヴァメーダ(asvamedha-)の規定・釈義等を収録している.このテキストは,『シャタパタ・ブラーフマナ』(Satapatha-Brahmana=SB)13.1-3にあるアシュヴァメーダの規定・釈義の手本となったものであり,SBによるTBの伝承借用については,W.CALANDが1932年に発表した論文"A note on the Satapathabrahmana"(Acta Orientalia vol.10)の中で詳述されている.しかし,一方のTBの側で,アシュヴァメーダ伝承がどのように形成されたのかについては,未だ検討されていない.本稿は,そのTB・アシュヴァメーダ部分の記述内容を,(1)Satapatha-Brahmanaとの比較,および(2)実際にアシュヴァメーダを行う際の式次第との比較,という二つの視点から捉えなおす.これを通じて,後代の挿入ないし増広と思われる箇所をいくつか指摘していき,TB3.8-9のテキスト形成史の一端を推論する.
  • 堂山 英次郎
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1043-1048
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ヴェーダ語の動詞時制幹である現在幹とアオリスト幹には,印欧祖語に遡る機能的差異として,動詞の動作を全体として見るか(全体観)或いは動作をその経過の中で見るか(途中観)という観方(アスペクト)の違いが指摘されてきた.この差がヴェーダ語のinjunctiveや直説法において有意的であることは既に指摘されているが(HOFFMANN Der Injunktiv im Veda,1967),他の動詞範疇(接続法,願望法,分詞等)においては,十分な研究は未だ為されていない.本稿では,アオリスト分詞の大半を占める語根アオリスト分詞(殆どRVのみで例証)の用例を,現在分詞や完了分詞との関係や主動詞との関係において吟味し,アスペクトの現れの有無を検討した.その結果,語根アオリスト分詞に特徴的な機能として,主動詞の動作に先行して起こる動作を表現する;主動詞の帰結を表わす;動作を一般論化し,動作主あるいは指示対象の一般的性質を表わすことが確認された.これら三つの諸機能はいずれも,アオリスト語幹の動作を幅の無い点として観る,或いは動作そのものだけを問題とする全体観アスペクトによって最もよく理解されうる.動作全体を外から観る時,それは未来か過去のもの,もしくは一般論として対象化されるのが自然であり,上記の三機能はこの三つの可能性に対応していると言える.一方,アオリスト分詞が主動詞の動作と共起する動作を表わす用例も見られた.検討した用例では主動詞のAktionsartが瞬間的であり,またアオリスト語幹が用いられていることから,それに伴う分詞の選択にもアスペクトが関与している可能性も排除出来ない.扱った用例は網羅的ではないものの,多くの用例が上記のような機能的特徴を示すという調査結果は,リグヴェーダの言語においてまだアスペクトの差異が機能或いは残存していたことを裏付けるものと思われる.
  • 井田 克征
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1049-1053
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    いわゆる正統ヒンドゥイズムが酒などの「不浄」を忌避するのと対照的に,ヒンドゥータントリズムでは,そうした不浄を意図的に使用する例がしばしば見出される.タントリズムは,タブーの侵犯を通じて宗教的な成就の達成を目指すものと説明されることも多い.しかしながら,これはタントリズムにおける酒の使用を,説明し尽くすものではない.本稿は,そうした酒の使用が,神秘主義的な解釈を経由しなくても説明しうることを示すものである.まず正統ヒンドゥー的規範の中で,飲酒は(特にバラモン階層において)厳密に禁止されていた.この一方で,ヴィナーヤカ,祖霊,悪魔など「恐ろしい」存在を鎮めるために行われる献供において,酒は欠かせないものであった.これに対して,タントリズムでは,飲酒と献酒の文脈が重なり合っている点が興味深い.タントリズムにおいては,宗教的熟練者に,しかも儀礼的文脈の中でのみ飲酒が許され,それどころか解脱をもたらすものとさえ言われる.これを理解するには,タントリズムにおいては崇拝対象たる最高神への献酒が重視されていることを考慮する必要がある.飲酒の許可は,女神が好む酒を,その信徒達(その大半はバラモンであった)が忌避するという矛盾の回避として考えられる.またほとんどの場合,飲酒とは,神格へ捧げた酒のお下がりを飲むことであり,ならばそこに宗教的意味が見出されるようになるのは必然である.一方いくつかのタントラ文献では,バラモンは酒を献供に用いなかったり,代理人を立てて献供したりする.これもまた,現実の女神崇拝の要請と,バラモン的規範意識との間の矛盾の解消策の一つとして理解できよう.
  • ―― Nalavenpaをめぐって――
    宮本 城
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1054-1057
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    南インドのタミル文学の起源は,紀元前に遡り,古来から,北インドのサンスクリット文学とは異なる独自の伝統を保持してきた.しかし,中世以降,タミル社会のヒンドゥー化が進むにつれて,文学の分野でも,サンスクリット文学の影響を大きく受けるようになり,『ラーマーヤナ』,『マハーバーラタ』,プラーナ文献などのサンスクリット作品が,タミル語で翻案されるようになった.そのような潮流の中,『ナラ王物語』に対しても,タミル語版Nalavenpa(『ナラ・ヴェンバー』)という作品が,13世紀頃(?)に,Pukalentiによって作られた.このNalavenpaによって,Pukalentiは,当時,大きな名声を得たといわれている.しかし,近現代のタミル文学研究では,Nalavenpaは,『ナラ王物語』の単なる翻案に過ぎないとみなされ,これまで重要視されることはなかった.ところが,実際に同作品を読んでみると,話の筋そのものは,サンスクリット文学の『ナラ王物語』に従いつつも,サンスクリット文学特有の長大な装飾表現を用いず,タミル文学の伝統に従って著されたものであることが見てとれる.本論文では,まず,『ナラ王物語』とNalavenpaの類似点,相違点を示すとともに,Nalavenpaの中で,タミル文学の伝統表現がどのように用いられているかを例示した.そして,Nalavenpaは,『ナラ王物語』をただタミル語に翻訳したものではなく,『ナラ王物語』をタミル文学の伝統に基づいて改変したものだからこそ,タミル地方で大きな名声を博したのではないか,ということについて考察した.
  • 植木 夕紀子
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1058-1062
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    インドの大叙事詩Mahabharata[MBh]の補遺とされるHarivamsa[HV]は,Vaidyaのテキストによれば118章から成り,三巻の構成となっている.またこの文献はPurana文献と共通する詩節を多く含んでいる.HVのテキスト形成についてはこれまで様々な見解が呈示されてきたが,H.BrinkhausはMBhに関係する登場人物の系譜を収めるHV23章121節までを原HVと考え,HV23章122節より後の詩節は後代の付加と考える.W.Kirfel著PuranapancalaksanaにおいてHVとPurana文献に共通する詩節を分析した結果,HV23章121節と114章2節から18節に該当する詩節がPurana文献では連結して述べられていることが判明した.さらに詩節の内容を吟味すると,HV23章121節と114章2節以降が一連のものである可能性が高いことがわかった.この結果,Purana類との対応関係を吟味すれば,本来はHV23章121節と114章2節以降が一連のテキストであったが,それがHVの形成過程のある段階で切り離されて,間にクリシュナ物語等が挿入され,現在のHVの構成になったと考えられるのである.
  • 丸井 浩
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1063-1071
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Pramanaからnigrahasthanaに至るニヤーヤ学体系の16基本項目をまとめた綱要書Nyayakalika(=NKali)が、Nyayamanjariの著者Jayanta Bhatta(=J)の真作であるか否かは、これまでも幾度か議論されてきた。著者自身もMarui[2000]において、先行研究をほぼ網羅的に概観した上で問題の所在を明らかにするとともに、若干の研究ノートを付して、朧気ながらもJの真作ではないかとの方向性を示した。しかしDezso[2004]も指摘するように、基本的なテキスト問題が立ちはだかり、かつNKaliの具体的な記述の検討が満足になされていなかったのが実情である。本論文はその欠を補うために、入手しえた4写本と写本カタログの情報を手掛かりとして、NKali冒頭の帰敬偈および終結部のテキスト問題を考察したほか、sabda-pramanaの議論の特徴、ならびに12prameyaの一つである"artha"の説明内容を検討した。その結果、今後有力な反証が出てこない限り、NKaliはJの真作と見なしてよいだろう、という結論に至った。
  • ―― nipatana語形の問題――
    尾園 絢一
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1072-1076
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Panini-Sutra VII4,65にはヴェーダ語の重複語幹の語形が列挙されている.これまでのところ,chandas「ヴェーダ語」はRV,黒YS(散文部分も含む)まで含むことが明らかにされている.問題はその後に成立した文献,特にSBやABといったBrahmanaをも含むかということであり,検証が必要である.Panini-Sutraに収録されているnipatana語形の位置づけの問題はこのことと関連している.伝統文法学によれば,nipatanaとは規則によって説明できない語形を直接引用して確立することである.殆どの場合,何らかの意味での例外語形と解しうるが,その中には通常の規則から導かれる語形もある.従って化石化したヴェーダ語形をPaniniはどのように位置づけ,伝統説がどのように処理したかということについても考察が必要である.VII4,65に挙げられる語形の中,dadharti,dardharti,dardharsi,bobhutu,tetikteは以上の問題を考える上で特に重要である.ヴェーダ語の規則に一致する語形の圧倒的多くはRV,黒YSに見られる中,redupl.pres.dadharti JB II 27はBrahamana文献のみに見られる数少ないものである.しかし,同所に見られるdadharayatiが挙げられていないことをも考慮する必要があり,Paniniがこの箇所を念頭に置いていたとは考えにくい.Paniniはこれらをintensive語形と見なしていたと判断されるが,dardharti,dardharsiは通常の規則によって説明されるにもかかわらず,nipatana語形として挙げられていることが注目される.ヴェーダに見られる形であっても,通常の規則によって説明できるものが挙げられることは珍しい.Paniniは,たとえ通常の規則によって説明される語形であっても,彼の時代に既に化石化していたヴェーダ語形を記録したものと思われる.即ちnipatana語形は規範的観点からだけでなく,日常の用法の観点からも挙げられていることが推測される.
  • 加賀谷 健臣
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1077-1080
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文では,Vasarupa-vidhi(3.1.94)とそれに係わる解釈規則(pari.67-69)を定式化し,それらから逸脱するケースを主にKasika-vrttiに基づき全て列挙することを試みる.Vasarupa-vidhiとは接尾辞間での共存を許す規則であり,これによりapavada(例外規則)もutsarga(一般規則)を常には妨げず,両者は共存できる.例えば,apavadaたるyat(3.1.97)はutsargaたるtavyat等(3.1.96)を常には妨げず,"ceya"(3.1.97)に加えて"cetavya"(3.1.96)等も一方で可とされる.しかし,Panini文法では他所でもそうであるように,このVasarupa-vidhiには例外,さらにそれから逸脱するケースが多々あり,正確な範囲を確定するためには,結局は一つ一つを吟味する他はない.これらの規則の正確な意味とそれが影響する範囲を,少なくとも理論上で,明確にすることは,krt接尾辞に関わるどのような応用に対しても,基礎として不可欠である.或いは,これら原則の範囲を確定してのち,はじめて個々の規則を安全に適用することが可能となる.また,本論文での試みは誰がやっても概ね同じ結果が得られるはずである.これらの意味で本研究は公表する意義があると考える.
  • 間瀬 忍
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1081-1085
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    パーニニ文法家は,『アシュターディアーイー』(Astadhyayi)において規定されている規則あるいは操作の適用順序を決定するためにantaranga-bahirangaという概念を用いる.antarangaとは先に導入される要素を根拠(nimitta)とする操作あるいは規則であり,bahirangaとは後で導入される要素を根拠とする操作あるいは規則である.antarangaはbahirangaに対して優先適用される.このことを規定した解釈規則が二種パーニニ文法家によって提案されている.(AP)「antarangaが適用されるべきとき,bahirangaの適用はまだ成立していない」(asiddham bahirangam antarange)(BP)「antarangaはbahirangaより強力である」(antarangam bahirangad baliyah)パタンジャリは,これらのうちBPの必要性を否定している.彼の否定の根拠は何か.それを明らかにするのが本稿の目的である.BPはantarangaとbahirangaが同時に適用可能なときにのみ,antarangaが優先適用されることを規定する解釈規則である.二つの操作が同時に適用可能であるということはそれらの根拠が同時に存在しているということを意味するが,それら根拠となる要素導入の同時性は意味しない.APは,先に導入される要素を根拠とする操作(antaranga)が先に適用可能となり,あとで導入される要素を根拠とする操作(bahiranga)があとで適用可能となることを規定する.もしBPの適用環境においてもこのAPの適用条件が見いだされるならば,APによって規則適用の優先性が決定されるであろう.これがパタンジャリがBPの必要性を否定する論理である.ナーゲーシャは彼の『パリバーシェーンドゥシェーカラ』においてこの論理を見事に解明している.
  • ――南方仏教伝承の総括および北伝資料との関連について――
    松村 淳子
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1086-1094
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    燃燈佛授記物語は南北両伝の仏教文献に数多く語られるが,伝承により様々な要素が含まれ,その相互関係について把握するのは極めて困難である.そこで本稿では南方伝承であるパーリ文献中に見られる燃燈佛授記物語,すなわちスメーダ・カターの総括を試みた.その結果,南方伝承ではBuddhavamsaの韻文物語ならびにその註釈中の散文物語を合わせたものが正統的で完全なスメーダ・カターと見做され,それは一般によく知られたジャータカ・ニダーナカター中のものとは細部において異なること,またチャリヤー・ピタカ註やマハーボーディヴァンサには,大乗的な誓願の思想がはっきりと看取できることを指摘した.また,パーリ文献のスメーダ・カターは布髪供養による授記物語であり,散華供養と布髪供養の二つの要素が通常見られる北伝の燃燈佛授記とは対照を為しているが,パーリのアパダーナには布髪供養ではなく散華供養により授記を受ける物語(Theri-Apadana No.28)があり,またNo.468 DhammaruciはMahavastu,Divyavadana,増壹阿含經,經律異相に対応が見られるスメーダ・カターを含むことを指摘し,特に親近性の強いMvuとの比較を示した.説話としてみた場合,散華供養による授記物語と布髪供養による授記物語はそれぞれ単独に成立し,それが後に合わせられたと見るのが自然であり,ガンダーラ美の中にも,布髪供養のない表現が見られることを傍証として指摘した.
  • 新田 智通
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1095-1101
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ブッダの三十二相に代表されるような大人相は,しばしばブッダ超人化の所産とされてきたが,その一方で,大乗仏教や後代の部派仏教においては,それは観相の対象とされていたという見解も示されている.もしそうであるならば,相好はブッダを超人として飾り立てるだけのものではなく,むしろ何らかの象徴的な意味を有しているはずである.したがって本稿は,三十二相についての伝承を含んでいる「大譬喩経」(Mahapadanasuttanta,Dighanikaya所収)の注釈書を中心としつつ,他の初期・部派仏教文献にもよりながら,相好を観察することの意味について考察することを目的とする.一連の考察の結果,まず初期・部派仏教文献において,ブッダの相好は,彼の過去世における善業を表すと同時に,見る者の疑念を取りのぞき,さらにブッダに対する信を起こさせるものとして説かれていることが明らかとなった.加えて三十二相をそなえたブッダの身体は,『大毘婆沙論』においては「最上の正しいさとりにふさわしい器」と理解されていたが,それと近似的なことに,「大譬喩経注」(Mahapadanasuttatthakatha)においては,一般の人間の身体とは異なりまったく欠点のない完全体として説かれていた.したがって,ブッダの相好は,単に超人として彼を飾り立てるものであったというよりも,むしろ仏教においてそうした相好観が説かれるようになった当初から,以上のような象徴的意味を有していたと考えられる.
  • 鈴木 隆泰
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1102-1109
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    筆者はこれまで,『金光明経』の編纂意図に関して以下の仮説を提示してきた.<提示した仮説>余所(大乗・非大乗・非仏教)ですでに説かれている世・出世間両レベルの様々な教義と儀礼を,多様な形成過程を通じて様々に集めて説き続ける『金光明経』に基づくことで,人々は功徳の獲得や儀礼の執行を含めた日々の宗教生活を「『金光明経』の教え」「〔大乗〕仏教の教え」に基づいて送ることができるようになる.したがって,『金光明経』に見られる,従来の仏典では余り一般的ではなかった諸特徴は,仏教に比べてヒンドゥーの勢力がますます大きくなるグプタ期以降のインドの社会状況の中で,仏教の価値や有用性や完備性をアピールすることで,インド宗教界に生き残ってブッダに由来する法を伝えながら自らの修行を続けていこうとした,大乗仏教徒の生き残り策の一つのあらわれと考えることができる.さらに,『金光明経』の編纂意図の一つが,できるだけ多くの教義と儀礼を集めることによる上記の「試み」にあるとするならば,多段階に渡る発展を通して『金光明経』の編纂意図は一貫していたということになる.加えて,『金光明経』は様々な教義や儀礼の雑多な寄せ集めなどではなく,『金光明経』では様々な教義や儀礼を集めること自体に意味があったということになる.本稿では『金光明経』のうち「四天王品」,「弁才天女品」,「吉祥天女品」,「堅牢地神品」に後続し,それら<諸天に関する五品>の末尾に位置する「散脂鬼神品」に焦を当てつつ,<五品>全体の特徴を明らかにすることで<仮説>の検証を行った.その結果,「『金光明経』の編纂者は<五品>を通じ,主として王族階級の人々を領民共々仏教に誘引し,伝法や修行という自らの目的を達成するため,彼らから経済的援助を得ようと試みた」という結論を得たことで,<仮説>の有効性が一層確かめられた.
  • ――第4章は元来独立したテキストか否かをめぐって――
    宮崎 展昌
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1110-1113
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『阿闍世王経』は,第3章に相当する『放鉢經』(T629)が現存することから,諸先行研究では第3章は元来は独立していたテキストと考えられたきたが,その他の章節をめぐる編纂事情についてはこれまで明らかにされてこなかった.本稿で筆者は『阿闍世王経』第4章に注目し,以下の3点から第4章が元来は独立したテキストか否かについて検討を試みた.第一に,第4章の内容と前後の章節との文脈について検討した.第4章の内容は単独で完結しており,文脈についても前後の章節とは明確な連続性は見られない.次に,第4章の登場人物に関する相違点・矛盾点について検討した.他の章節との相違点として,第4章には『阿闍世王経』の主要登場人物である文殊が一切登場しないという点が挙げられる.矛盾点としては,第4章には「サーガラマティ」という名の比丘が登場するが,第1章で同じく「サーガラマティ」という名の菩薩が登場していて,異なる人物に対して同じ名称が用いられるという点である.最後に,独立経典であったことを示唆する「残滓」が二つの古い漢訳に見られたことを指摘した.すなわち,支婁迦讖訳『阿闍世王經』(T626)と竺法護訳『文殊支利普超三昧經』(T627)にのみ,第4章末尾付近に,^*mahayana-parivartaあるいは^*mahayana-sutraに相当する語が見られる.これらの語は元来は『阿闍世王経』に見られたものと考えられ,第4章を指示するものであると同時に,それが独立していたテキストであったことを示唆するものである.以上の検討から,第4章は,第3章同様,元来は独立したテキストであったと考えられる.また,それらに先行する第1章・第2章については,登場人物などの点よりこれら2章の連続性は高い一方で,第3章以降の章節とは断絶性が強く,また,第1章の形式が他の大乗経典にも共通するものであることから,第1章・第2章については編纂時に新たに付加された部分と予想される.
  • ――宝塔涌出,二仏並座に関する記述をめぐって――
    Elsa LEGITTIMO
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1114-1120
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『法華経』の「見宝塔品」は,壮麗な宝塔が大地より涌出し,空中に住在するという劇的な記述で始まる.この塔は,過去多宝如来の全身舎利を安置しており,多宝如来の往昔の誓願によって出現したものである.釈迦牟尼が白毫より光を放射すると,十方の仏国土に住する如来の分身の姿が映し出される.その時,多宝如來の舎利塔を礼拝するために,十方の諸如来がそれぞれ菩薩を引き連れて,この世界にやって来る.そこで,釈迦牟尼が宝塔を開くと,多宝如来が現れる.多宝如来が自らの座を釈迦牟尼に半分譲ると,空中の宝塔の中で二仏が並座する姿が,衆会の前に顕現する.釈迦牟尼は,ここで『法華経』の功徳を述べ,さらに往昔に一人の聖仙からこの経を授かった因縁を説く.物語は,多宝如来の仏国土から来た智積菩薩の突然の登場,彼と文殊師利との議論へと続く.ここで,龍女成仏の物語が始まる.章の終わりでは三千人が受記を得て,この章が締めくくられる.『菩薩處胎経』には,「見宝塔品」に類似する章題は見られないが,当品の主題,及び記述の詳細が散見される.『處胎経』では,これらの記述は複数の章に分散しているが,『法華経』とパラレルな表現,例えば,宝塔涌出,仏の分身の顕現,他世界から説法を聞きに来る菩薩,二仏並座,受記を授けられる衆会などを見出すことができる.前回の日本印度学仏教学会では,『處胎経』と『維摩経』の比較を通して,『處胎経』における釈迦牟尼中心主義について考察した.今回は,『處胎経』と『法華経』「見宝塔品」のパラレルな記述を比較し,一見『法華経』と同じような記述が,全く別のメッセージを送信していることを分析し,説明していきたい.『處胎経』の著者の第一の目的は,釈迦牟尼への信仰を強化し,他の有名な如来たちからその威光を取り戻すことにあった.このため,著者は意図的にその世界観に合致しない諸経の物語と主題を利用し,変形させたといえる.
  • ――『二諦分別論』研究(4)――
    赤羽 律
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1121-1125
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ジュニャーナガルバ(Jnanagarbha)は『二諦分別論』(Satyadvayavibhanga-vrtti)において二諦説を説くが,その中で,自らの二諦説の教証として『聖無尽意経』(Arya-Aksayamatinirdesasutra)の二諦説に言及した一節を引用し,さらにその内容に注釈を行っている.本稿では,この注釈部分の大半がジュニャーナガルバ自身の独自の理解ではなく,『聖無尽意経注』(Arya-Aksayamatinirdesasutra-tika)の注釈内容に依拠していることを示した.その一方で,その『聖無尽意経注』に依拠していない注釈部分に関しては,チャンドラキールティ(Candrakirti)を意識して書かれており,そこにジュニャーナガルバ自身の独自の思想が示されている可能性に言及した.具体的には,『空七十論注』(Sunyatasaptati-vrtti)においてチャンドラキールティが同経典を引用し,それに対してなされた注釈内容を訂正している可能性が存在するということである.つまり,「世間の慣習」(lokavyavahara)に関して,チャンドラキールティが「認識活動」と「言語表現」の両者をその特徴として理解しているのに対し,ジュニャーナガルバはそれを基本的には「認識活動」と理解し,少なくとも表現する主体である「言葉に関する特徴」を排除しているという点を明らかにした.
  • ――『釈軌論』第五章における議論――
    堀内 俊郎
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1126-1130
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    世親の『釈軌論』は経典解釈の方法を説き示した論書であり,後代の仏教に大きな影響を与えた.そのなかでもよく知られているのが,『釈軌論』第一章で説かれる五つから成る経典解釈法である.これは,目的・要約された意味・語句の意味・関連・論難と回答というの五つの順序で経典が解釈されるべきことを説いたものである.ところが,終章である『釈軌論』第五章では,「〔教法を〕尊敬して聞くことに関する〔話〕」が,「目的など」すなわち五つから成る経典解釈法よりも先に説明されねばならないと説かれており,これは第一章における記述と矛盾するように思える.本稿では,『釈軌論』第五章冒頭に見られる「説法者」という語句に着目するこよなどにより,同章が,聴衆の面前で説法する際に語られるべき話を提示したものとして位置づけられることを論じた.その結果,〔書物の形での解釈ではなく〕説法の際には,「〔教法〕を尊敬して聞くことに関する〔話〕」が「目的など」よりも先に説かれるということが,同章で述べられていることを示した.同時に本稿は,経典解釈者あるいは説法者に対する指南書としての『釈軌論』の特徴を指摘した.
  • 松田 訓典
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1131-1135
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    初期瑜伽行派において,nimittaという語は同学派の存在論・認識論を論ずる上で非常に重要な役割を担っている.このnimittaという語は様々な文脈で用いられているが,その中でも重要な用法の一つと思われる^*drstiとの対比において用いられるMahayanasamgraha(MS)の用例がある.この^*nimittaと^*drstiの用例は,言うまでもなく,のちに法相宗において説かれる識の四分説の先駆とみなされるものでもある.さて,MS IIにおいて^*paratantraの特質として十一種の^*vijnaptiが挙げられており,その後,^*vijnaptiのみであることが立論されている.その立論の第二の根拠として,^*vijnaptiが^*nimittaと^*drstiの二つの部分を具えていることが説明されている.この箇所に対して長尾[1982:p.314]は,十一種の^*vijnaptiの一つ一つが^*nimittaと^*drstiの二分に分たれる,という趣旨の説明をなしている.これは^*nimittaとdrstiという二つを,いわばvijnaptiの下位分類としてとらえているものであると考えられるが,はたしてこの二つとvijnaptiの関係はそのようなものなのであろうか.本論文ではMSおよびその注釈であるMahayanasamgrahabhasyaの記述を再検討することによって,vijnapti(-matra)と^*nimitta,^*drstiの関係を再考する.
  • 上田 昇
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1136-1144
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ディグナーガの因の三相による論理学には相違決定(viruddhavyabhicarin)の現象が見られる.この現象について学者(古代,現代)は様々に説明するが,本稿は,これが特定の思想的立場に基づく論証に生ずる現象ではなく,因の三相による論証自体に内在する問題であることを明確にする.そのため,本稿は,因の三相の論理学を純粋に形式的な観点から見て,相違決定となるための必要条件を求めた上で,相違決定の極小例を提示し,相違決定の「発生現場」を捉える.相違決定の必要条件はまず喩体(遍充関係)に基づいて求められる.続いて,因の第二,三相の各々が喩体を論理的に含意することを証明する.第三相が喩体を含意することは基本的にJ.F.Staalのかつての証明に譲るが,第二相が喩体を含意すること-Staalが証明を試みたが,成功していない-の証明は新たに行う.また本稿は,因明で謂うところの「因同品」「宗同品」の概念を用いて第二相を定式化することによっても喩体が導出できることを示す.相違決定は喩体とは直接のかかわりはない.しかし,因の第二相・第三相が喩体を(論理的に)含意していることが上のようにして示されるから,喩体を基礎として得られた相違決定の必要条件は因の三相を推論の基礎としたときの相違決定の必要条件と考えてよい.従って,第二相・第三相,喩体のいずれを推論の基礎とするかに拘らず,本稿で得られた相違決定の必要条件は成り立つ.
  • 渡辺 俊和
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1145-1151
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文では,ダルマキールティがディグナーガによるasapaksaの定義に変更を加えた過程,およびその原因を考察した.ディグナーガはasapaksaを「sapaksaの(1)abhavaであり,(2)anyaでも(3)viruddhaでもない」と定義する.彼は(2)と(3)とが認められない理由について「(2)の場合にはたとえ同類のものであっても他の属性を持つがゆえに異類となってしまうし,(3)の場合には同類と異類とは別の,第三の領域が生じてしまう」という問題を挙げている.これに対してダルマキールティは(1)から(3)全てを認めている.彼はPramanaviniscaya第3章で,彼のアポーハ論の特徴的な点である「話者の意図」という視点を導入することにより,(2)も(3)もasapaksaの否定辞の意味として理解され得る,とする.彼が(2)と(3)を認めたのは,ウッディヨータカラによる「非存在は拠り所とはならない」という反論に答えるためでもあったと考えられる.また彼は(2)の場合に起こる問題について,その否定辞がanyaを意味している'abrahmana'という語を例に説明する.彼は「バラモンはバラモン性以外の属性とも結びついているが,世間一般では'abrahmana'と言われることはない」というように,言語慣習の点から解決を導いている.更に(3)の場合については,<共存不可能性>と<相互否定>という二つのvirodhaの定義を用いることによって解決され得る.つまり,問題となっている(3)viruddhaを,後者の意味で理解すれば第三の領域は起こり得ないのである.このようにして(2)と(3)の問題点は解決されるのであるが,ダルマキールティは自身の見解とディグナーガのそれとをはっきりとは会通させていない.この点はアルチャタ・ダルモーッタラなどの注釈者の課題として残された.
  • ――『大乗荘厳経論』第十一章<幻喩>再考――
    松岡 寛子
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1152-1156
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『大乗荘厳経論』第十一章「求法品」において弥勒は幻喩(mayopama)を用いて三性説を例証する.彼は,<非実在の構想>(abhutaparikalpa,虚妄分別)と<二者の錯誤>(dvayabhranti,二種迷)を<幻術>(maya)と<幻術>からつくり出されるもの(mayakrta)に各々喩える(k.15).注釈者世親は<幻術>において<幻術>からつくり出される象の姿が「象として顕現する」のと同様,<非実在の構想>において<二者の錯誤>が「所取・能取として顕現する」と説明する.幻喩に関する研究は数多いが,象の姿に喩えられる<二者の錯誤>とは具体的に何なのか,いまだ明確になっていないように思われる.本稿は,世親による著書『三性論』,及び後代の有相唯識論者ジュニャーナシュリーミトラによる著書『有相唯織論』における『大乗荘厳経論』の引用の検討を通して,この問題に対するひとつの回答を与えようとするものである.マジックショーにおいては,幻術の素材(maya)から象の姿が現出し,観客にはその象の姿が象として顕現する.たとえ「実在する象を見ている」と思ったとしても,その象は実在ではなく,実在するものは象の姿のみである.同様に,たとえ「実在する所取・能取を経験している」と思ったとしても,所取・能取は実在ではなく,実在するものは所取・能取の実在する形象を有する<二者の錯誤>,或いは<非実在の構想>である.従って,世親にとって「二者の錯誤」は,所取・能取の形象の実在性に基づいて所取・能取を実在するものとして誤って認識する,そのような誤謬知を意味する.一方,有相唯識論者ジュニャーナシュリーミトラは,『大乗荘厳経論』の当該箇所をadhyavasaya理論の枠組みで解釈する.彼にとって「二者の錯誤」はそれに関して所取・能取が誤って認識されるところの所取・能取の形象を指示する.所取・能取はそれらの形象の実在性に基づいて措定されるところのものである.
  • 山野 智恵
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1157-1163
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ナーガールジュナの伝記資料は,これまでの研究において,彼の歴史的な事蹟を再構成する資料として,あるいは,その思想を事蹟から裏付ける資料として読まれてきた.そこで問題とされてきたのは,ナーガールジュナの生存年代を決定する,サータヴァーハナ王やカニシカ王との同時代性であり,あるいは『勧誡王頌』『宝行王正論』の著者である事を裏付ける王の師としての事蹟である.これらの記述をもとに,サータヴァーハナ王が誰であるのかという学説が様々な学者によって提示されてきた.しかし,従来の研究は,文献自体の資料的価値を疑問視せずに,ナーガールジュナとサータヴァーハナ王の関係を無条件に歴史的事実の反映と見た事に,根本的な問題があったといえる.ここでは,伝記や聖者伝から歴史的事実を再構成する伝記研究の限界を認識した上で,従来の研究とは異なった,ナーガールジュナ伝の読みを提示したい.七世紀のバーナの『ハルシャチャリタ』は,龍宮を訪問したナーガールジュナが,ヴァースキ龍王から真珠の瓔珞を譲り受け,この宝物を友人のサータヴァーハナ王に贈与したとする物語を説いている。サータヴァーハナは,紀元前一世紀頃から三世紀にかけてデカン地方を統治した王家の名称であるが,インドの説話文学の中には,サータヴァーハナ(あるいはその異称であるハーラ)という名を持つ王がしばしば登場する.ナーガというイメージの連鎖の中で,ナーガールジュナ伝は様々な説話的要素や人物を融合しながら展開していくが,ナーガールジュナとサータヴァーハナ王をめぐる伝説も,デカン地方における説話世界の中に置き直すことで,この展開の一過程として読むことが可能である.
  • 熊谷 誠慈
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1164-1167
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ボン教は仏教の思想体系を取り入れて,独自の体系を創り出したと一般に言われており,仏教同様,ボン教にも二諦説が存在する.チベット仏教で"dBu ma bden gnyis"といえば,ジュニャーナガルバの『二諦分別論』(Satyadvayavibhanga)を指すが,ボン教で"dBu ma bden gnyis"といえば,ヤルメー・シェーラプウーセル(Yar me Shes rab 'o zer,1058-1132)の『二諦分別論』(dBu ma bden gnyis kyi gzhung)を指す.本稿では,ボン教の二諦説研究の手始めとして,ボン教『二諦分別論』の二諦説を解明する.主な事項を以下に概説する.まず,顕現を理解する4主体が以下のように設定される.(1)眼病者:二重の顕現が生じる.(2)凡夫:様々な顕現に諦執をなす.(3)後得知:顕現を幻の如く偽りと見る.(4)仏の等至:如何なる顕現も見ない.また世俗は2段階に分類される.まず,世俗が清浄世俗(dag pa kun rdzob)と不浄世俗(ma dag kun rdzob)の2つに区分され,さらに,不浄世俗が実世俗(yang dag kun rdzob)と邪世俗(log pa kun rdzob)の2つに区分される.これを上述の4主体に対応させると以下の通り.(1)眼病者:邪世俗(2)凡夫:実世俗(3)後得知:清浄世俗(4)仏の等至:対応なし一方,勝義には区分は存在せず,二義的な勝義は設定されない.したがって,語義解釈としては,カルマダーラヤとタットプルシャの2解釈のみが採用される.
  • 根本 裕史
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1168-1172
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,ツォンカパ・ロサンタクパが中観帰謬派の時間論をどのように再解釈し,そこにいかなる独自性を見出そうとしたかを考察するものである.彼によると,帰謬派は未来,現在,過去の三つの時間をいずれも実在と見なしている.つまり,彼の理解する帰謬派説では,現在のみならず未来(事物の未生起状態)と過去(事物の消滅状態)もまた,原因によって生み出され,かつ,自身の結果を生み出しつつ消滅するというのである.こうした考えは毘婆沙師の三世実有説を連想させるものであるが,ツォンカパによると帰謬派の時間論は三世実有説とは相容れないものである.なぜなら,毘婆沙師は事物が三つの時間を通じて同一性を保ちつつ存続することを主張するのに対し,帰謬派は経量部等と同じ過未無体の立場を取っており,事物は現在にのみ存在すると主張するからである.さらにまた,未来と過去を実在と見なす帰謬派説は,それらを非実在と見なす経量部,唯識派,自立派の説と対照をなすものである.ツォンカパによれば後者の三学派は,事物が未だ生起していない時と既に消滅した時にいかなる実在も見出されないことを根拠に,未来と過去は非実在であると結論する.一方,「自性によって成立した物」を全く認めない帰謬派の立場においては,未来や過去として特徴づけられる実在が探し求められなくとも,それらを実在であると見なすことができる.すなわち,事物の未生起状態と消滅状態はいずれも原因によってもたらされるものであるゆえに,それらは実在に他ならないと結論されるのである.こうしたツォンカパの説明が如実に示すのは,一切法無自性の立場に立つ帰謬派だからこそ,未来と過去を実在と捉えることができるのだという事柄である.
  • 洪 鴻榮
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1173-1180
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    1999年に大阪の金剛寺で発見された『安般守意経』,『仏説十二門経』『仏説解十二門経』は安世高をはじめ初期漢訳仏典の解明に大変重要な役割をなしている.とりわけ,金剛寺本の『安般守意経』は『出三蔵記集』に記載されている『安般守意経』と同じ物の可能性が大変高いということで,すでに学者の間で論証されている.また,新出『安般守意経』は『仏説大安般守意経』及び『修行道地経』の「数息品」と密接な関係があることも明らかになっている.例えば,他の経典に見られない八正道用語中の「直口,直身,直意」は上述の三つの経典にともに見られる.しかし,新出『安般守意経』自体は原典そのものからの漢訳か,あるいは中国で新たに編集されたお経かは未だ明確になっていないようである.本稿は新出『安般守意経』の構造から,とりわけその特有の用語からその成立の問題点を明らかにしたい.新出『安般守意経』中の「欲愛不復愛・意解得脱・癡解・從解慧得脱」(金剛寺一切経の基礎的研究と新出仏典の研究p.192,226-227行)の文は『陰持入經』の「貧愛欲不復貧念・意得解脱・癡巳解・令從慧得解脱・」(T603,p.176,a29-b1)からの引用と思われる.上述した『陰持入經』の漢訳のパーリ文ragaviragam cetovimuttim avijjaviragan ca pannavimuttimもPetakopadesa(p.123,line15-16.,Pali Text Society,1982)中にみられる.また,新出『安般守意経』文中の「日出作四事」(同上p.192,221-224行)の喩えも『陰持入經』のその文章(T603,p.179,b1-b25)とほぼ一致している.それらのことから,新出『安般守意経』は安世高によって「数息品」をもとにして『陰持入經』の文を加え新たに編集されたものという可能性が高いと指摘したい.
  • Sanja JURKOVIC
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1181-1187
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    弘法大師空海の著作『秘密曼荼羅十住心論』及び『秘蔵宝鑰』の第十住心「秘密荘厳心」は,「自心の源底」を覚知した真言行者の状態を示す.「秘密荘厳心」の意義を説明する為に,『秘密曼荼羅十住心論』は『大日経』の「百字果相応品第二十品」,『秘蔵宝鑰』は『菩提心論の「三摩地菩提心」の箇所を中心に引用している.「秘密荘厳心」の特徴としては,空海の極めてユニークな総合的解釈が示されていると言える.それを二つの例証で示したい.第一に,心の展開に関連して,各住心の識の数という定量的な考え方と,「百字果相応品」に説かれる「心身の無量性」という質的な面を統合し,他の住心とは異なった第十住心が構築されていると思われる.もう一つの特徴として,第十住心では,各住心における大乗教の深秘釋の一般化を見ることができよう.「百字果相応品」の文脈によりながら,「具縁品」の「二十九字門」を引用し,文字とそれぞれの教えとを神秘的に同一視し結びつけようとするのが,空海の密教的解釈の特徴と言える.各文字に相当する曼荼羅諸尊の三昧地によって,「秘密荘厳心」はあらゆる教えを総合し,「三密行」という新しい実践方法をもたらすことになる.「三摩地の菩提心」と「三昧耶」という二つの重要な概念を「秘密荘厳心」のキーワードとして,取り上げることができる.「秘密荘厳心」という名は,『大日経疏』の「身(語)(意)平等無尽荘厳蔵」の解釈にもとづいている.つまり,秘密に荘厳された四種曼荼羅の無量の身を知るようになるという意味を持っている.実践論に関して,空海は「三昧耶」というヨガの過程を基盤をしている.そして,それが,『秘蔵宝鑰』の「秘密荘厳心」に引用されている『菩提心論』所説の「三摩地の菩提心」に相当すると思われる.「秘密荘厳心」は,空海の横の解釈により,「住心品」の「如実知自心」の究極的な側面と示すものであると言える.
  • 豊嶋 悠吾
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1188-1192
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『大乗起信論』の注釈書である『釈摩訶衍論』には,真理を認識できるかという問題に対して十種の心量を用いて説明している.十種の心量とは,八識心と多一識心,一一識心である.このうち初めの九識心に関しては真理を対象とできず,最後の一一識心のみが対象にできると説く.この多一心と一一心は『釈摩訶衍論』独自の説であり,その解釈は一通りではない.例えば,33種の法門の構造から見れば,多一心と一一心は第二重の生滅門と真如門に位置づけられる.一方で,真理を不二摩訶衍と見れば一一心は不二摩訶衍と関係する心になり,第二重よりも上位となる.空海は後者の立場から不二摩訶衍を密教と捉え,一一心を不二摩訶衍と関係づけた.また,『釈摩訶衍論』の五重問答を用いて十住心の立場から三自一心摩訶衍を華厳と解釈した.この空海の解釈は,単独では問題とはならないけれども,『釈摩訶衍論』と一緒に考えたとき矛盾が生じることとなり,最初にこの問題に直面したのが済暹である.済暹は空海の『辨顕密二教論』の注釈を書いたが,そこでは多一心を三自一心摩訶衍に,一一心を不二摩訶衍と解釈している.一方『釈摩訶衍論』の注釈書では,空海の五重問答の解釈に沿って,多一心と一一心を共に第二重に位置づけた.前者は空海の『辨顕密二教論』と『秘密曼荼羅十住心』の解釈にしたがい,後者は『釈摩訶衍論』の解釈にしたがっている.結局の所,済暹はこの二書を見る限りにおいては,空海と『釈摩訶衍論』の間の矛盾を解決できてはいない.しかし,この事実は済暹の先駆者としての性格を端的にあらわしているともいえよう.最終的にこの問題が解決できたかどうかは,他の著述を見ないといけないが,それについては今後の課題としたい.
  • ――虚空會における生中心のドラマ(2)――
    小谷 幸雄
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1193-1201
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿(全三回)は大正末期から昭和の前半にかけて梵本法華經からゲーテ形態・發生學の發想と方法でそれの原型の摘出を試みた富永半次郎の業績紹介である.今回は涌出品後半の,六萬菩薩の誰一人をも知らぬ彌勒の釋迦への質問から始まり,有名な廿五歳の黒髪の青年(=父)と百歳の子達の譬喩の文脈を受けて壽量品が登場する.如來「壽命の詮量」とは「完成されたサンスカーラ」の認識判斷の詮量の謂で,人(プルシャ=純粹精神)による<五>百塵點劫點下は數論派の過去遡及・本源回歸の發想を改作し,五蘊を微塵的構成に見立て,意識・無意識の一回轉を一劫として,從來の時間形式の<劫>を踏襲しつゝ五蘊活動に還元して空間形式で表現したもの.過去遡源のみに非ざる「復倍上數」における現在活用の意義.後世形而上學的に「本覺」思想に展開する契機となった羅什譯の問題點にも觸れる.屬累品は五蘊正觀の證の委囑と認可.虚空會舞臺の後始末.最後に傳統・法華經に言及した英文著作二點に觸れる.1-H.Kern:"The Lotus of True Law"(序)は天體日月神話的にこの經典が佛陀の力と榮光を印象づけるとし,M.Anesakiは,「佛教のヨハネ傳」たるこの經典が現實問題の解決の鍵を佛陀の悟りと宇宙的眞理の同一視の中に探らんとすると述べる.因みに富永はゲーテ『ファウスト』の『ヨハネ傳』冒頭のLogos→行為の譯問題に「悲劇」の所以を見た.
  • ――戦闘描写に関するCulavamsaの信憑性――
    藪内 聡子
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1202-1207
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    アヌラーダプラ時代後期,Mahjnda V(982-1029)の治世下においてスリランカ北部はチョーラの侵略によりその占領下に入ったが,Vijayabahu I(1055-1110)はチョーラ軍を駆逐し,ポロンナルワから即位してシーハラ政権を奪回した.史書Culavamsaによれば,チョーラの侵略時には寺院が主たる略奪の対象となり,Vijyabahu Iはこの戦いにおいてダミラ人を根絶したと伝承されるが,この伝承に反してポロンナルワ時代以降もダミラ人は島内に残留していたことが種々の碑文の記録により確認される.また首都ポロンナルワにおいて,ポロンナルワ時代のものと推定される神像,南インド様式の天祠の痕跡も発掘され,ダミラ人との激しい戦闘ののちにも,ダミラ人の宗教に関してシーハラ王は寛容的であったとみられる.シーハラ王Vijayabahu Iとチョーラとの戦闘は,チョーラ軍との戦いであり,民族としてのダミラ人に対する戦いではなかったといえよう.スリランカの王は,仏教を守護し,かつ絶対に勝利をおさめる英雄たるシーハラ人でなければならないという編纂者の意図のために,ダミラ人に対するシーハラ人の優位性に関する誇張表現が史書には存在する可能性に留意すべきである.
  • Titu Kumar BARUA
    原稿種別: 本文
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1208-1213
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文ではバルアにおける,とりわけチッタゴングの,住民の結婚式の儀礼に焦点を合わせることとする.バングラデッシュにあるバルア社会において,2種の結婚式が見られる.花嫁の父のところで行われる結婚式は「チャランタ・ビヴァーハ」と呼ばれる.一方,花婿のところで行われる結婚式は「ナマンタ・ビヴァーハ」と呼ばれるのである.後者はバルア社会において流行っているのに対して,前者はイスラム,またはヒンドゥ地域において共通である.結婚式を恵まれたものにするために,僧侶が宗教儀礼を行なうようと要請される.花嫁と花婿が僧侶の祝福を受けない限り,結婚式は無効なものとバルアの人々が考えている.また,僧侶の祝福によって夫婦の新婚生活の幸福が保証されるとも考えられている.僧侶による儀式の後,社会義務および習慣として一般信者による結婚儀礼も行われる.バルア族の儀礼はバルア仏教に属しているが,バングラデッシュにある他の宗教儀礼と似ているところもある.とりわけ,ヒンドゥ教儀礼に似ている(本稿では詳細に述べられる)点が多く思われる.
  • 原稿種別: 文献目録等
    2008 年 56 巻 3 号 p. 1215-1339
    発行日: 2008/03/25
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
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