印度學佛教學研究
Online ISSN : 1884-0051
Print ISSN : 0019-4344
ISSN-L : 0019-4344
66 巻, 3 号
選択された号の論文の33件中1~33を表示しています
  • 竹崎 隆太郎
    2018 年 66 巻 3 号 p. 975-079
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    R̥Vにおける心臓の主要機能には以下がある:(1)大工仕事としての讃歌形成(2)ソーマの純化としての讃歌形成(3)精神活動の座(4)感情の座(5)損傷されうる生命の核(6)インドイラン時代に遡る定型句Skt. hr̥̥dā́́ mánasāとその変形.このうち本稿では(2)を扱う.

    讃歌形成はソーマ濾過と同一視され,そのプロセスにおいてしばしば両方に同一の表現が用いられる.即ち,共に:(1)三つの濾過機を通して祭場・詩人の心臓で濾過され,(2)神格へと注いで捧げられ,[(3)ソーマの場合,飲んだ神格や詩人の心臓に入り,](4)心臓に作用し,(5)神々を力づけて増大させる.

    ソーマ草を叩き潰した後の茎の滓などの不純物が残っているが故に飲用に適さない粗いソーマ汁は,濾して初めて人間や神格に飲めるようになる.それと同様に詩も,アイデアのままでは夾雑物が混ざっており神格が味わうことができないので,ソーマを濾過器で濾すように心臓(中の濾過器)によってこれを洗練された讃歌という形で詩の言葉に表現して初めて,神格が味わうことが出来るようになる,というアナロジーが含意されている.

    この同一視の背景として,ソーマの肉体に及ぼす作用,および言葉を甘い蜜酒やlibatioに用いる液体等に喩える印欧語の詩的伝統が挙げられる.

  • 髙橋 健二
    2018 年 66 巻 3 号 p. 980-984
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    本稿では『マハーバーラタ』(MBh)において頻繁に用いられるX-sahasr - ◡ Y -śat-caという定型句を扱う.この定型句は,シュローカ韻律におけるcadenceの韻律的制約に合致しているため有用性が高く,さらにsahasra-śata- の曲用については中性単数具格形(sahasreṇa, śatena)や中性複数主格・対格形(sahasrāṇi, śatāni)などいくつかの選択肢があり,また比較的韻律的制約の緩いopening(X, Y)に四音節をあてはめればよいので,自由度の高い定型表現である.

    MBhにおけるX-sahasr - ◡ Y-śat - ◡ caの用例は,(1)XとYに数詞が用いられる場合,(2)XとYに同一の語・語群が用いられる場合,(3)XとYに異なる語・語群が用いられる場合,という三つの類型に分類できる.本稿では各類型についてMBhにおける用例の特徴と分布を分析し,『ラーマーヤナ』(RA)との比較からその歴史的発展について考察する.(1)についてはMBhの新層および古層両方に用いられ,特に第1巻では各巻の詩節数を述べる場合に頻繁に用いられるが,RAでは一度しか用いられないためMBh特有の表現であると言える.一方(2)は両叙事詩における用例は非常に少ない.MBhでは古層と新層の両方に用いられているのに対して,RAでは新層にのみ用いられていることから,MBhに特有の表現であったものが,RAでも用いられるようになったものと思われる.(3)については,MBhにおける幾つかの用例について,字義通り「幾千のXと幾百のY」と理解した場合に解釈上の問題が生じることがあり,「幾千幾百のXとY」と理解する方がよい場合がある.またこの用例は,MBhとRA双方の古層において使われており,古層段階から両者において共有されていたものである可能性がある.

  • 麦 文彪(Bill Mak)
    2018 年 66 巻 3 号 p. 985-991
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    GargasaṃhitāGārgīyajyotiṣaとも呼ばれ,長年最も古いjyotiṣaに関するテキストの一つとされてきた.WeberやKernそしてPingreeはこのテキストを紀元前後のものとしている.内容的には,バビロニアやギリシアの,兆を扱ったテキストと関連していると考えられている.最も重要なYugapurāṇaを含むいくつかの章を除いて,このテキストはその重要性にもかかわらず未だ校訂も出版もされていないままである. Tithikarmaguṇaは,このGargasaṃhitāのいくつかのリセンションにおいて認められる一つの章であり,GargaあるいはVṛddhagargaに帰せられている.この章は,ヴェーダ時代のインドにおけるティティ(tithi)儀礼に関する,現存するなかでは最も初期の資料であると考えられる.というのも,この章には15の月齢の日とぞれぞれに対応する神々にとって吉凶となる振る舞いが詳細に記されており,これが基本的な暦と祭事に関する枠組みであると見做すことができるからである.このようなGargaの体系は,VarāhamihiraのBṛhatsaṃhitāにおいても認められるが,これに対するBhaṭṭotpalaによる註の中で,Gargaの文が直接的に引用されており,似通った平行句は,Śārdūlakarṇāvadānaや不空の『宿曜経』にも見受けられる.本論文は,Gargasaṃhitāにおける当該箇所の,現時点では検討されてこなかった写本の資料について,他の関連資料を参考にしながら考察を加えるものである.

  • 川村 悠人
    2018 年 66 巻 3 号 p. 992-998
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    バルトリハリは,Vākyapadīya 2.486において,「Mahābhāṣyaに示された種に従うチャンドラ師など」が,文法学伝統を再び繁栄させたことを語っている.ここに言及されるチャンドラ師がチャンドラ文法の創始者チャンドラゴーミンであることは,一般に認められている.バルトリハリが,文法学伝統の復興に尽力した先師らのうち,チャンドラゴーミンをその筆頭とし,しかもācāryaという敬称を付して彼の名を挙げていることを考慮するならば,チャンドラ文法に保存された文法理論は,パタンジャリからバルトリハリへと継承され発展する文法学伝統に思索を巡らす上で,看過し得ないものと言わねばならない.本稿は,パーニニが規定するkarman(行為対象,〈目的〉)をチャンドラゴーミンがどのように自身の文法体系に組み込んだかという問題に焦点をあて,チャンドラゴーミンとバルトリハリの思想的繋がりを見ようとする試みである.バルトリハリのkarman論の全貌は小川2008; 2012; 2014; 2015などに明らかにされており,我々はその研究成果を利用して,同理論とチャンドラゴーミンのそれとを比較できる時代を迎えている.

    チャンドラゴーミンは,Aṣṭādhyāyī 1.4.49: kartur īpsitatamaṅ karmaの規定から「行為を通じて到達しようと望まれるもの(īpsita)であること」,すなわち「行為を通じて到達されるべきもの(āpya)であること」をkarmanの特質として抽出し,その特質がAṣṭādhyāyī 1.4.49–51が規定するkarman全てに妥当すると見る.そして,これら三規則が説明する言語表現を網羅できるものとして,Cāndrasūtra 2.1.43: kriyāpye dvitīyāの定式化に至る.このことは,チャンドラゴーミンがバルトリハリと同様,karmanを「行為主体によって行為を通じて得ようと望まれるもの」と意味論的に規定する一規則にAṣṭādhyāyī 1.4.49–51は短縮されうる,という考えを有していたことを示す.

    他方,チャンドラゴーミンはパーニニ文法のさらなる簡易化を図っている.彼は「話者の意図」(vivakṣā)に依拠することで,意味論的には規定しえないkarman,例えばgrāmam adhiśete「村に住まう」における「村」などをも,Cāndra­sūtra 2.1.43の射程に収めているのである.これは,より簡易簡潔な(laghu)文法体系を目指した必然的結果と言える.

  • 渡邉 眞儀
    2018 年 66 巻 3 号 p. 999-1003
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    ニヤーヤ学派の伝統説は,『ニヤーヤスートラ』(以下NS)およびその注釈である『ニヤーヤバーシュヤ』(以下NBh)に代表される.両文献では,推理(anumāna)の対象に関する議論の一環として三時の考察が扱われている.そこで展開される時間論は,(1)過去・未来の存在を認め,現在のみを否定する論者を対論者としている点,(2)作用の有無を三時の決定要因としている点に特色がある.

    このようなニヤーヤ学派の時間論は,特に仏教の中観派の議論や,説一切有部の三世実有説との関連から注目され研究されてきた.しかし仏教学説の具体的な影響の度合いについては,先行研究の見方が分かれている.本稿ではこの問題について,仏教側の資料も含めて改めて検証した.まず対論者の見解を扱ったNS 2.1.39については,三時における行為を否定した『根本中論頌』(MMK)第2章のうちで,現在の行為を否定するMMK 2.1を抜き出し,それに対する中観派内のある特定の解釈を引用したものであると結論出来る.また,NS 2.1.40に見られるニヤーヤ側の主張は作用に着目して三時の区別を論じたものであり,これは三世実有説の中でヴァスミトラの説と近い.一方で,NS 2.1.40とブッダデーヴァ説との類似性を,‘‘apekṣā’’という語が両者に共通して現れることに基づいて主張する見解もある.しかしこの語は前者では「依存」,後者では「関係」という別々の意味で用いられている.したがって,両者の説に類似性を認めるべきではない.

    以上のようなNSおよびNBhの時間論の概要からは,ニヤーヤ学派の学説の形成過程における仏教との複雑な相互作用の一端が見て取れる.ニヤーヤ学派は仏教側の主張の全体を引用するのではなく,必要に応じて換骨奪胎し,自説の補強に役立てたと言える.

  • 石村 克
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1004-1009
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    本稿では,ミーマーンサー学派のクマーリラと彼を批判する仏教学派のシャーンタラクシタのsaṃvāda(整合性,整合知)という概念の解釈の違いについて明らかにする.

    クマーリラは,『ブリハッティーカー』で,最初の認識の〈真〉(prāmāṇya)の確立のためにその〈真〉が後続のsaṃvādaによって検証されなければならないと仮定した場合に,そのsaṃvādaの〈真〉の確立のためにさらなるsaṃvādaが要請され,無限連鎖(anavasthā)の問題が帰結すると主張している.彼は『シュローカヴァールッティカ』でも同じことを主張しているが,その主張を他のプラマーナとの整合性(saṃgati)が〈真〉の条件でないことを論じる文脈の中に置いている.その文脈の中では,整合性は,新規情報を持たない再言(anuvāda)と関連づけられる.このことから,クマーリラは,saṃvādaという語によって,全く同じ情報を伝えるという意味での先行知との整合性を有する後続知を意図していたと考えられる.

    上記の無限連鎖の主張を直接的に否定するために,シャーンタラクシタは,その中のsaṃvādaという語を〈他の認識との整合性〉ではなく〈実在者との整合性〉(vastusaṃvāda)を意味するものとして解釈する.彼によれば,〈実在者との整合性〉は,最初の認識の〈真〉そのものであり,具体的には効果的作用の認識のことである.この効果的作用の認識によって最初の〈真〉が検証されると仮定した場合には,無限連鎖の問題は全く起こらない.なぜなら,他のプラマーナが要請される余地がないからである.すなわち,最初の認識とは違って錯誤因を持たないのでそれによって〈偽〉の懸念が生じることがないという理由から,効果的作用の認識そのものはその自己認識の直後に生じる分別知によって自動的に確定される.そして,それは最初の認識の〈真〉であるので,その確定がそのまま〈真〉の確定にもなるのである.

  • 斉藤 茜
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1010-1015
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    紀元後7–8世紀の哲学者Maṇḍanamiśraの最後の著作とも言われるBrahmasiddhi (BS)は,様々な議論を網羅的に扱った大著である.Kuppuswami Sastri版の校訂本は四章構成となっていて,その内第二章はTarkakāṇḍaと呼ばれているが,この章立てはAcharya[2006]が示す通り,後代付け加えられた区分である可能性が高い.BSには四本の注釈が存在するが,最も古いVācaspatimiśraの注釈を除く三注釈は,Tarkakāṇḍaの存在を認め,その目的を「証言(śabda)と他の認識手段が矛盾なく無区別(abheda)を証明すること」であるとする.このような証言とそれ以外の認識手段の間の矛盾は,BS冒頭で既に問題提起されており,矛盾を解消するための努力がTarkakāṇḍa全体の骨子であると言ってよい.そして,その議論の中で,しばしばミーマーンサーの諸原則が,従うべきルールとして提示される.BSはヴェーダーンタの伝統の上に位置づけられることが多い著作であるが,実際にはMaṇḍanaは,多くの重要な局面でミーマーンサースートラを引用し,ジャイミニやシャバラの見解に沿った解釈を示す.

    本稿では,Tarkakāṇḍaの構成を大まかに提示した後,Maṇḍanaがミーマーンサーのルールを自身の議論に適用する一例を取り上げ,彼の哲学にミーマーンサーの伝統がどれほど影響を与えているかを考察する.

  • 眞鍋 智裕
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1016-1021
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    16世紀に活躍したアドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派の学匠マドゥスーダナ・サラスヴァティーは,Bhāgavatapurāṇa(BhP)1.1.1–3に対して註釈Parama­haṃsapriyā(PP)を著している.そのうち,BhP 1.1.2に対する註釈箇所において,マドゥスーダナはBhPが一切の論書よりも優れていることを述べている.彼はその際に,一切の論書を行為篇・知識篇・念想篇の三つに分類し,それらは何れもBhPの目的を果たしていないことを明らかにしている.この三分類の中の知識篇は,マドゥスーダナの所属するアドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派に該当する.また一方で彼は,PP on BhP 1.1.1においてはBhP 1.1.1とBrahmasūtra(BS),即ちアドヴァイタ学説とが一致するとも述べている.以上のように,マドゥスーダナはBhPがBSよりも優れていると述べる反面,BhPがBSと一致するとも述べている.本稿では,PP on BhP 1.1.1–2を分析することにより,マドゥスーダナがBS即ちアドヴァイタ教学とBhPとの関係をどのように考えていたのか,ということを明らかにした.

    マドゥスーダナはBhPを,ブラフマンを教示するものとしてはBSと一致するものと考えていた.マドゥスーダナにとってBSの所説はアドヴァイタ教学に他ならないため,このことはBhPとアドヴァイタ教学とを,基本的には同じものと考えていたということでもある.しかし,原則的には上位三種姓にしかブラフマンの知の獲得を認めない保守的なアドヴァイタ教学に反し,マドゥスーダナはBhPによって女性やシュードラにもブラフマンの知の獲得が可能であることを明言している.マドゥスーダナにとってBhPは,アドヴァイタ教学と一致するものでありつつも,その保守的な伝統主義を崩すきっかけとなったという点で重要な意義を占めている,と言うことができよう.

  • 三澤 博枝
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1022-1026
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    ヒンドゥー教の造形美術の背景には,演劇や文芸の理論書に説かれる美的概念「ラサ(情趣)理論」があったとされる.造形美術は,彫刻,絵画,浮彫の3種類とされるが,特にラサの概念を重要視していたのは絵画であった.そのため中世以降に盛んに制作されるようになった細密画では,宗教的叙情表現が色彩豊かに描かれ,鑑賞者は画家の意匠によってラサを追体験することができると想像される.しかしながら,このようにラサ理論が重要であると認められながらも,実際には絵画の中でラサがどの様に表現されているのかという問題を扱った研究はほとんどない.

    ウダイプル博物館所蔵のGītagovindaの細密画は,絵画化されたラサ理論を研究する上での重要な資料になり得ると考えられる.この作品は,一偈につき一枚の絵が描かれ,詩の内容を精緻かつ忠実に表現した作品である.K. Vatsyayan氏は,この作品を一枚一枚取り上げ,B. S. Miller氏によるGītagovindaの偈の英訳とそれらを対比させているが,その研究は概説に留まっている.しかし,絵画化されたラサを知るためには,絵画のみを分析するのではなく,その基となる文学で表現されるラサも分析する必要がある.

    本稿ではフォリオNo. 32を取り上げ,Gītagovinda 1.32の本文とそれに対する二つの註釈を基に実際の作例と比較して,細密画にラサがどのように表現されているのか解明を試みている.

  • Adity Barua
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1027-1031
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    本論は,女性の従属・隔離という価値観や規範が染み込んだ父系社会バングラデシュで,女性たちに小額融資をすることで新たなチャンスを与えてきたグラーミン銀行を取り上げ,その女性向けローンが,実際,家計の役には立ってきたものの,父系社会を変革するものではないことを,現地調査による4つの村の100名への面談結果などをもとに論じる.

    銀行ローンを自分で管理しているのは100名のうち6名のみで,夫と離別,死別,あるいは夫が海外居住の人だけである.この割合は,先行研究の報告事例よりも低下している.女性が自らのためにローンを利用,管理できているわけではまったくない.

    グラーミン銀行側もそのことは承知のうえである.ローン会員の申請書には,夫の職業や給与額の項目があり,会員申込に際して家父長の許可があるかもチェックしている.つまり銀行側はあくまで父系社会の枠組みの中で女性に対して金融をおこなっており,家夫長の収入があってこそローン返済ができるということを前提にしているのである.

    バングラ村落女性の可動範囲は家の敷地か,広くてもパラ(集落)の中である.女性がバザールに行って商売するなどありえないとされており,女性がローンを得て仕事をしている場合でも,仕入れや販売は家族内の男性に委ねるしかない.

    このように,女性の名前で金を借りて返すというだけで,結局は男性のためのローンでしかないが,女性の方も,借りた金が夫の仕事に使われ,それで何とか家計が回ることに満足してしまっている.村落の伝統的なジェンダー関係は何ら揺るがされていない.

    しかし,父系社会そのものが貧困の一因であるとすれば,貧困の解消と女性の起業を旗印にして有名になったグラーミン銀行こそ,その根源の問題に取り組むべきだろう.

  • バンチャード チャオワリットルアンリット
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1032-1037
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    パーリ三蔵は,様々な国・地域で出版されている.それらの内で,主要なのは以下の四つである:ローマ字によるPTS版,ビルマ文字によるChaṭṭhasaṅgīti版,シンハラ文字によるBuddhajayanti版,そしてタイ文字によるタイ王室版.その中でも,学界に標準版としてもっともよく知られているのは,PTS版である.ところが,パーリ語の参考文献や利用できる貝葉写本などの数がまだ限られていた時代に,PTS版の多数のテキストが編集されたので,パーリ三蔵を再編集し,その新校訂版を作成すべきという声も高まりつつある.現在,Dhammachai Tipitaka Project (DTP)がシンハラ文字,ビルマ文字,コム文字,タム文字,そしてモン文字による,五つの貝葉写本伝承を主な資料にして,パーリ三蔵の新校訂版の作成作業に取り組んでいる.

    Subhasuttaは,Dīghanikāyaの一部としてDTPによって編集されている.SubhasuttaとはDīghanikāyaの第十経であり,仏陀が入滅して間もない場面を語るもので,アーナンダがスバというバラモンに戒定慧という三学について説法するという経である.Subhasuttaを含むDīghanikāyaを編集するため,82の貝葉写本から21の代表写本が厳選され,編集作業の主な資料とされた.それらの代表写本の比較研究をした結果,Subhasuttaのテキストは非常に正確に伝承されてきたことが分かる.諸写本の読みからは,異読がテキスト全体の約6%しか見つからなかった.当論文では,それらの異読の性質を言及しながら,その実例を取り上げていく.

  • スチャーダー シーセットタワォラクン
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1038-1044
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    シャム王国とコム文字の起源であるクメール王国では,パーリ三蔵の貝葉写本が何世紀にも渡って,コム文字で書写されてきた.しかし,現在のところ,シャムとクメールの,コム文字によるパーリ三蔵の貝葉写本が,同一の起源を有するものか否かについては未だ不明である.

    印刷技術の向上に伴い,パーリ三蔵の刊本が諸地域の写本伝承に基づいて作成された.クメール版の序文では,このクメール版のテクストが,カンボジアで発見されたコム文字の貝葉写本を元に,ヨーロッパ版,ビルマ版及びモン族版を参照しながら,編集されたことが言及されている.しかし,シャム版が主な資料として使用されていないのは,カンボジアの貝葉写本と同じ系統に属するものと見なされたからである.この主張は,カンボジアにおけるパーリ三蔵のコム写本伝承が,タイから継承されたと考える研究者の見解に呼応するが,この問題に関して異なる見解を持つ研究者もいる.

    本稿では,パーリ三蔵のコム写本伝承の歴史研究の必要性を論じ,更に東南アジア,特にシャム王国とクメール王国におけるパーリ三蔵のコム写本伝承史を論ずる.

  • 井上 綾瀬
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1045-1049
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    塩は比丘の健康維持のために生涯,持ち歩き摂取することが許可されていた薬(人形寿薬)の一種である.塩は動物の生命維持に必要不可欠であり比丘の生活に密着していた.インドで使用されている塩の種類は,律文献やアーユルヴェーダ文献における塩についての記述の用例から判断して古い時代より今日まで大きな変化はみられない.パキスタンのソルトレンジから採掘される無色透明から白色,ピンク色の岩塩が文献中でsindhuと呼ばれる塩で岩塩のなかでも価格が高く,黄色の岩塩はnādeya,硫黄臭がする黒い岩塩はsauvarcalaと呼ばれる.また,romakaはサンバル塩湖から完全天日製塩される塩である.律文献における用例より,比丘たちが使用していた塩は,岩塩・塩湖塩・海塩sāmudra(-ka)が中心であったことがわかる.塩の色や形状をめぐってその使用有無を限定する条文は律文献中になく,比丘は「塩」であれば,どのような塩でも使えた.“lavaṇa”という語は「塩全般,もしくは,塩味の物質」を示し,岩塩や塩湖塩,海塩,塩味の灰を含んでおり,漢訳語の「塩・鹽」がこれに通じる.基本的には,岩塩や塩湖塩,海塩が「塩」に相当するが,場合によっては「塩味の灰」も塩と見なされる.しかし,これら岩塩などの塩も塩味の灰もあくまでも食事とは区別されていた.

  • 王 丽娜
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1050-1055
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    仏陀が入滅した後,彼の生涯が弟子たちによって記録されている.経蔵の小部及び律蔵の中に,仏陀の伝記が書かれている文献が多く残っている.これら文献を分析する際,仏伝が聖典のどこに収められており,どのような文脈で説かれているかを考察した.その結論は次のように要約できる.

    1. 仏伝には冒頭に偈頌を置き,その後に長行を置く形式と,偈頌と長行の混交からなる形式とがある.

    2. 内容から見て,仏伝は当初断片的な記述に過ぎなかったものが,次第にそのあらすじが整えられ,明快なものになっていることがわかる.また時代が降るにつれ,様々な内容が付け加えられ,人物の描写も装飾的なものになっているという変化の過程を認めることができる.

    3. 仏陀の姿も,素朴な修行者から,全能な宇宙の神として描かれるようになった.

  • 山崎 一穂
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1056-1062
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    Subhāṣitaratnakaraṇḍakakathā(SRKK)は六波羅蜜の実践を説く191の詩節の集成である.SRKKは詩人Śūraの作とされるが,彼が4世紀に活動した同名の仏教詩人ではないことはSRKKにŚāntideva(西暦7–8世紀の間)のBodhicaryāvatāraからの詩節引用があることから明らかである.またŚūraの活動年代の下限はSRKKのチベット訳の年代から推定し11世紀に置くことができる.17世紀のチベット僧Tāranāthaが著した史書には,8世紀のパーラ王朝のGopāla一世の同時代人として学僧Śūraの名が現れる.従って彼がSRKKの作者である可能性が考えられるが,このŚūraをJātakamālā(GJM)の作者である仏教詩人Gopadatta(西暦5–8世紀の間)と同一人物と見る見解もある.本論ではSRKKとGJMで用いられる〈飾り〉(alaṃkāra),韻律,文体の用例に注目し,ŚūraとGopadattaの同一人物説を検証した.その考察結果は以下のように要約できる.

    SRKKには,GJMに特徴的な,比喩基準と比喩対象が性・数・格の点で一致しない〈直喩〉(upamā)の用例が等しく見られる.この点だけに注目すると,ŚūraとGopadattaが同一人物である可能性は排除できない.しかし両者の作品には使用される韻律の傾向に相違がある.またSRKKには長い複合語を用いて神々と侍女の沐浴を描く詩節の用例が見られるが,GJMには同様の用例が見られない.興味深いことに,長い複合語で水遊び(jalakrīḍā)を描く詩節は9世紀以降に著されたヒンドゥー教宮廷詩に顕著に見られる.この事実を考慮に入れると,Śūraが9世紀頃の作品の美文作品を知っており,これを自作にとりいれた可能性が考えられる.従ってŚūraとGopadattaが同一人物であることはあり得ず,前者は西暦9世紀以後に活動した詩人と見るのが妥当と思われる.

  • 笠松 直
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1063-1070
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    「与える」のアオリストは本来,Pāṇini II 4,77が言う如く,語根アオリストである(adāt).パーリでは,古層部分にadāが散見されるが,s-アオリストadāsiが一般的である.これは中期インド語共通の傾向で,Mahāvastuも専らadāsiを用いる.

    梵文『法華経』では特徴的な現象が観察される:中央アジア・カシュガル本はadāsīt又はprādāsītを用いるが,ギルギット・ネパール伝本はほぼ一貫してadātを示す.

    この現象は次のように説明できる:『法華経』祖形はadāsīt(乃至adāsi)を用いた.中央アジア伝本はこの読みを伝えるが,ネパール伝本は伝承の過程で古典サンスクリット語形adātに置き換えていった.そのためネパール伝本でadāsītを伝える箇所は写本間で一致しない,例えば:コルカタ112a5(並行はKN 250,2)と北京本p. 255,7(同,KN 302,9).

    pra-はVeda時代以来,現在語幹を担うpra-yamと補完現象を起こす.例えば『法華経』XXI巻に「陀羅尼の文句」を目的語にとるdāsyāmaḥ ... dāsyāmi ... prayacchantiの例がある.

    他方カシュガル本は特徴的な語形を示す.Kashgar IV: 119b4 pradeti(~KN IV 49 dadāti)はパーリのpadetiとほぼ等しい.偈文である故,中期インド語形が保存されたものであろう.一例のみ見られるKashgar XXV: 428a7 anuprayacchīt(~KN XXIV: 446,9 dadāti sma)は,現在語幹にアオリスト語尾を付した異例形で,補完現象の原則にも反する.この言語的事実は,「観世音菩薩普門品」が他の諸章とは編集事情を異にし,異なる言語層に属することを示唆するであろう.

  • 鈴木 隆泰
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1071-1078
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    『法華経』(全27章)のうち「如来神力品:20」には,釈尊自らが教化してきた地涌の菩薩のみに『法華経』を委嘱するという〈別付嘱(ぺっぷぞく)〉が説かれる一方で,最終章の「嘱累品:27」には,全ての菩薩に『法華経』を委嘱する〈総付嘱(そうふぞく)〉が説かれる.このように『法華経』には,別付嘱に代表される「純化・排他的姿勢」と,総付嘱に代表される「融和的姿勢」の混在が確認されており,どちらの姿勢が『法華経』にとって本来的・本質的かの議論は,いまだ結論をみていなかった.

    『法華経』の内容を再吟味した結果,「序品:1」から「如来神力品:20」に至る教説は,

    先達の如来から成仏の授記を与えられない者は,いかに修行しようとも成仏することができない.『法華経』の制作者たちは,釈尊入滅後の〈成仏の授記を与えてくれる如来がいない時代〉という強い意識のもと,釈尊の意義を,“説法によって現在化され衆生に授記を与えて利益する〈現実のハタラキ〉”と捉えた.そして,このことを自覚し釈尊の〈ハタラキ〉を代行する法師(地涌の菩薩)が存在し,仏語にして釈尊そのものである『法華経』を説示して衆生に授記を与え続ける限り,釈尊も永遠にこの世に存在し続けることになる.

    という,純化・排他的姿勢を中心とした唯一の文脈の中に位置づけられることが確認された.この文脈を,『法華経』の〈メインストリーム,テーゼ(正)〉と呼ぶことにする.

    『法華経』にとって,『法華経』を説示して成仏の授記を与え,釈尊滅後にその〈ハタラキ〉を現在化する行為は,経典の成立・存在理由の根底を形成しており,何らかの別行為(象徴行為等)によって代替することは不可能である.ところが「巻末七本」の「普賢菩薩勧発品:26」では,「普賢菩薩の名号受持という象徴行為によって『法華経』聞法と代替可能」という教説が展開されており,これは『法華経』にとって〈アンチテーゼ(反)〉となる.総付嘱も,「誹謗者の堕地獄回避」の問題に有効な解決策を示していない以上,『法華経』にとって本来的ではないといえる(アンチテーゼ,反).『法華経』における「融和姿勢」とは,実は「正と反を止揚して合を目指すもの」ではなく,「正と反の混在,夾雑を放置する姿勢」であったのである.

    段階成立か否かに関わらず,『法華経』は紀元三世紀の竺法護訳以降,一貫して現在の全27章構成を維持し続けてきた.インドにおける『法華経』の“編纂者,実践者”が『法華経』の教説における夾雑状態を放置してきたという事実は,インドにおける『法華経』の実践が実質上,「書写を通した功徳の獲得」に限定されており,『法華経』はどこまでも「エクリチュール」として存在していたことの一証左と考えられる.

  • 清水 俊史
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1079-1084
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    本研究では,上座部における聖典観を,北伝仏教のそれと比較した.具体的には,次の三点を明らかにした.(1)有部は現行の三蔵が成立した過程について明示的な伝承を有しておらず,さらに既に本来あった教説の大半が失われてしまった後のものであると理解している.一方の上座部は三度の結集によって現行の三蔵が完成し,それは現在に至るまで何一つとして失われていないと理解している.(2)上座部は正法(三蔵)を久住さるための教団事業として,書写による聖典伝持を取り入れたと記録される.しかし,書写された三蔵聖典は正法そのものではなく,正法の有無は三蔵を憶持する人の有無によって判断される.書写聖典そのものが正法たり得ないという理解は有部も同様である.(3)経巻崇拝を上座部は否定的に評価した.この理由は,仏舎利と経巻を等価として理解し得なかった上座部教理が背景にあると考えられる.この経巻崇拝への態度は,崇拝の対象として仏舎利と経巻を等価に理解する大乗仏教とは大きく異なる.

  • 石田 一裕
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1085-1090
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    本論文は『大毘婆沙論』における西方尊者の学説を考察したものである.『大毘婆沙論』第六巻と第七巻では,西方尊者による煖・頂・忍・世第一法の四法からなる順決択分の考察が紹介される.『大毘婆沙論』は『発智論』に対する注釈書であるから,当然『発智論』の枠組みに従ってその本文を注釈するが,『発智論』は四つの順決択分のうちで忍のみを説かない.忍が順決択分に組み込まれる思想的な背景についてはこれまで研究がなされてきたが,本論文では『大毘婆沙論』が西方尊者の順決択分の解釈を紹介することで,四法からなる順決択分の導入の妥当性を補強した可能性に言及した.すなわち『大毘婆沙論』は,西方尊者の四法からなる順決択分に対する分析を紹介したのちに,初めて四善根位の語を用いて順決択分の考察を行う.ここでは西方尊者説が「四善根位=順決択分」という理解の導入の役割を担っていると推測することができるのである.同時に本論文において『大毘婆沙論』における「尊者」という語の用例を検討し,この西方尊者がある特定の論師を指す可能性が高いことも示した.

  • 木村 整民
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1091-1095
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    ディグナーガ(Dignāga)著『仏母般若波羅蜜多圓集要義論』(Prajñāpāramitā­piṇḍārthasaṃgraha)は,『八千頌般若波羅蜜多』の綱要書である.その中心テーマは十六空と十種の分別散乱である.本稿では『圓集要義』と『八千頌』における十六空について検討する.『圓集要義』の注釈書であるトリラトナダーサ(Triratnadāsa)著『仏母波羅蜜多圓集要義釈論』には,これらの空性の名称が『中辺分別論』と一致することが述べられている.しかし,すべての空性の名称や内容が『中辺論』に説かれるものと一致するわけではない.『八千頌』との関係については,『圓集要義』の第八偈において『圓集要義』が『八千頌』に準拠していることを述べている.

    従って,『圓集要義』と『八千頌』を比較検討し,十六空について両書の関係を明らかにすることが本稿の目的である.『圓集要義』が『八千頌』から引用していると想定出来る箇所は六つの空性に関係する.それらを比較検討し,それぞれの対応箇所と両書の説示順序が一致するかを指摘する.さらに,要約されていないものについては,『圓集要義』における空性の解説内容から『八千頌』と比較検討し,該当する空性について指摘する.

  • Vo Thi Van Anh
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1096-1101
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    入正性離生/決定(samyaktvanyāmāvakrānti / -niyāma- / -niyama-)という語は,従来の指摘のように,原始仏教以来,定型的に用いられ,凡夫から離れて初めて聖者位に達することを示している.その語は瑜伽行派において,十地のうち,初地の別名であることが知られている.

    本稿は,瑜伽行派における入正性離生の意味内容を解明し,その入正性離生に沿って,瑜伽行派と『十地経』との思想史的関係について新しい解釈の提示を試みるものである.瑜伽行派における入正性離生は,既存の伝統仏教のものを継承しており,自派の階位説を確立する際に採用されたと考えられる.初地を見道とし,入正性離生をその初地の別名としていることは,『解深密経』など以来の瑜伽行派の特徴であると言える.その入正性離生という語が『十地経』の旧漢訳にはないため,新漢訳本やサンスクリット本においてこの語が挿入されたものと考えられる.その挿入者については,瑜伽行派が入正性離生を重要視する点,同学派の地説の解釈と類似する点,『十地経』の担い手という点からしても,かれらである可能性が高い.

    従来,大乗の修行階位は『十地経』に基づいたものであると理解されているが,この入正性離生の検討によって,瑜伽行派の修行階位は『十地経』から思想的影響を受けただけでなく,自派で確立した思想を同経に組み入れた側面も考えられる.

  • 堀内 俊郎
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1102-1108
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    三宝随念に関連して,無著に帰せられる『仏随念注』『法随念注』『僧随念釈』という文献がある(以下,無著の三書).また,世親に帰せられる『仏随念広注』という文献もある.他方,確実に世親の手になるものとして『釈軌論』があり,徳慧による注釈『釈軌論注』もある.すべてチベット語訳としてのみ残る.また,無著の三書は,Arthaviniścayasūtranibandhanaでの四証浄解釈に密接に関連することも知られている.

    本稿ではそれらの文献の前後関係について,いくつかのパッセージを比較することによって考察し,以下の結論を得た.1)『釈軌論』が,無著の三書に先行する.2)『法随念注』と『僧随念釈』のほうが,『釈軌論注』よりも後に書かれたものである.3)無著の三書は,チベット語訳の題号に出るタイトルが異なっており(「仏随念」と「法随念」は「注」,「僧随念」は「釈」),梵本のタイトルも他のインド文献に言及されず,無著作として言及するインド文献も見られない.その点で,それら三書は,梵本タイトル,著者性が疑わしい.さらに,『法随念注』と『僧随念釈』は冒頭に四証浄に言及するが『仏随念注』にはそれへの言及がない点で,三書が同一著者によって同一の構想のもとで作成されたことに対する疑義がある.

  • 横山 剛
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1109-1114
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    チベット語訳でのみ現存するチャンドラキールティ(Candrakīrti,600–650頃)の『中観五蘊論』(Madhyamakapañcaskandhaka)は,中観論書でありながら,仏教の初学者が無我の教えを理解するための入口として,有部の法体系を体系的に解説する一書であり,有部の教理に対する中観派の理解を伝える貴重な資料である.本論文では,同論の思想的な背景のひとつとして,龍樹(Nāgārjuna,150–250頃)の『宝行王正論』(Ratnāvalī)との関係について指摘する.

    『中観五蘊論』の解説は,有部の法体系を論の中心に据えて,必要に応じてそれに中観派の教説を補足するというかたちで進められる.瓜生津隆真「中観学派におけるアビダルマ」(『三藏集』第三輯,1978,185–192頁)は,この中観派的な教説の中に『宝行王正論』と共通する教理が見られることを指摘する.一方,拙稿「『牟尼意趣荘厳』(Munimatālaṃkāra)における一切法の解説」(『密教文化』233,2014,51–77頁)で指摘した通り,アバヤーカラグプタ(Abhayākaragupta,11–12世紀)の『牟尼意趣荘厳』における一切法の解説は『中観五蘊論』にもとづくものであり,『牟尼意趣荘厳』の当該箇所の梵文テキスト(李学竹,加納和雄「梵文校訂『牟尼意趣荘厳』第一章」,『密教文化』234,2015,7–44頁)が刊行されたことで,『中観五蘊論』の原文を部分的に回収することが可能となった.この『牟尼意趣荘厳』から回収される梵文にもとづいて『中観五蘊論』の細部をみると,両論に共通する点は瓜生津論文が指摘する中観派の教理にとどまらない.

    本論文では『宝行王正論』の第五章における罪過の解説に注目し,『中観五蘊論』にも説かれる十九法中の八法(忿,覆,悩,諂,嫉,憍,掉挙,悪作)において,両論の定義に逐語的な一致が確認されることを指摘する.そして,中観派の教説のみならず,有部アビダルマの教理という点でも『中観五蘊論』が『宝行王正論』と共通する伝統を受け継いでいる可能性を指摘する.

  • 米澤 嘉康
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1115-1121
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    月称(Candrakīrti)著『入中論註(Madhyamakāvatārabhāṣya)』第6章,ならびに,第12章において,『陀羅尼自在王経(Dhāraṇīśvararāja-paripṛcchā)』が引用されている.この経典は『宝性論(Ratnagotravibhāga-Mahāyānottaratantra)』において引用されていることが知られている.さらに,月称に先行する清弁(Bhāviveka)もその経題に言及している.

    『入中論註』に引用される『陀羅尼自在王経』の記述は,十力と十八不共法に関するものであるが,これらと四無畏とを併せて「如来の三十二業」を構成している.本論文は,『入中論註』において『陀羅尼自在王経』が引用されるコンテキストを検討して,月称にとって,般若経で説かれる「一刹那ですべてを知る」という頓悟が,菩薩・独覚・声聞とは明らかに区別される仏地に至るための重要な要因となっていることを指摘している.

  • 横山 啓人
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1122-1126
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    プラジュニャーカラグプタのPramāṇavārttikālaṃkāra (PVA) ad Pramāṇavārttika(PV)3.194–207における議論はPVA ad PV 3.208–222で展開される彼のcitrādvaita理論の前段となるものであり,そこでは経量部の原子論に基づいて特にニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派(N-V学派)への批判が行われている.本稿では,この議論の論点をプラジュニャーカラグプタの理解に基づいて整理し,N-V学派批判の構造の解明を試みた.

    まず,PVA ad PV 3.197abにおいて,プラジュニャーカラグプタは反論を二つの論点に大別している.すなわち,彼の「感官知の対象は多数の原子である」という見解に対する(A)「知は同時に多数の対象を把握しない」および(B)「感官知の対象は単一なる全体(avayavin)である」という反論が想定されている.

    また,ダルマキールティは反論(A)としてヴァスミトラの「迅速さ」(lāghava)説のみを想定しているが,プラジュニャーカラグプタはこの反論をN-V学派によるものとも考え,Nyāyavārttikaを引用してウッディヨータカラの「迅速さ」説への批判も行っている.この「迅速さ」説とは,個々の対象を迅速に把握するため同時に把握したと錯覚するというものであり,反論(A)を支持するために説かれたものだと解せられる.

    そして,このN-V学派による反論(A)は彼らの到達作用説(prāpyakārin)に依拠している.この説によれば,視覚知の生起にはマナスの働く眼光線と対象の接触が不可欠であるが,マナスは単一であるため同時に多数の対象へ到達することはできない.したがって,彼らは同時把握説ではなく反論(A)を主張することになる.この到達作用説への批判はプラジュニャーカラグプタによってPV 3.205注に挿入されており,反論(A)を否定して自説を擁護するために有効な議論となっている.以上の考察により,反論(A)を中心とした議論の構造と,プラジュニャーカラグプタがダルマキールティのN-V学派批判をより精緻なものとしていることが明らかにされた.

  • 伊集院 栞
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1127-1131
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    『ヴァジュラジュヴァーローダヤー』(Vajra­jvālodayā)は,9世紀の密教僧アーナンダガルバ(Ānandagarbha)の著作であり,『サマーヨーガタントラ』(Sarva­buddha­samāyoga­ḍākinī­jāla­śaṃvara)に基づく儀軌書である.同書にはサンスクリット写本1本が現存するが,未校訂のままである.Alexis Sanderson氏により内容の一部が取り上げられ,Harunaga Isaacson氏により写本の紹介がなされたものの,全容は明らかになっていない.著者は現在,このテキストの校訂本を準備している.

    本稿では,まず『ヴァジュラジュヴァーローダヤー』の前半部分に説かれる準備的な儀礼について,そのシノプシスを提示する.それと共に,同じアーナンダガルバの著作で,『真実摂経』(Sarvatathāgatatattvasaṃgraha)に基づく儀軌書である,『サルヴァヴァジュローダヤー』(Sarvavajrodayā)と『降三世曼荼羅儀軌』(*Trailokyavijaya­maṇḍalopāyikā)の前半部分を取り上げ,それらの構成を比較した.

    その結果,三つの儀軌書は,依拠する典籍が異なるにもかかわらず,非常に類似した構成を持つことが判明した.このことは,三作品が同じ著者によるものであるという見解を裏付けるものである.

  • 藤井 明
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1132-1136
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    漢訳密教経軌中において,「大自在天祠」や「大自在天廟」或いは「大自在天宮殿」という訳語を以って各修法の場を表現する箇所が見られる.本論文は,これらの訳語がいかなる場を指しているのか,そしてまた密教行者がどのような意図を以ってこれらの場を説いたのか,ということを明らかにすることを目的とする.これを明らかにする方法として,仏教版とヒンドゥー教版とで近似する内容を備える『ブータダーマラ・タントラ』(Bhūtaḍāmaratantra)を中心としたいくつかの密教経軌に言及される,以上に関連する記述を挙げ,その訳語の示す対象と,修法の傾向を見ていく.当文献内での上記の漢訳語はekaliṅgaに対応している.当文献の一つの文脈においてekaliṅgaとMahādeva(シヴァ神)が関連付けて描かれており,「大自在天」という漢訳と結び付けられているekaliṅgaはシヴァリンガのある場所を指しているものと推測される.また,『文殊師利根本儀軌経』(Mañjuśriyamūlakalpa)内にも,ekaliṅgaにおける修法が言及されており,この記述においてもこの語はシヴァリンガのある場を指していると考えられる.加えて,両文献の修法はリンガを踏みつける行為を伴っており,類似の修法は他の密教経軌にも見られる.以上より仏教の密教行者が頻繁にヒンドゥー寺院に赴き修法を行っていたという状況が推察される.また,ekaliṅgaという単語は後世のヒンドゥー文献内にも見られ,「一定の範囲(5クローシャ)に一つだけリンガがある場所」として明確に定義されている.

  • 望月 海慧
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1137-1144
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    チベット大蔵経の「秘密疏部」には,Dīpaṃkaraśrījñānaに帰せられる7種のバリ儀軌文献,Balividhi, Mahākālabali, Amṛtodayabalividhi, *Jalabalivimalagrantha, Nāga­balividhi, *Balipūjavidhiの著作と,Caturmahārājabaliの翻訳書が収録されている.このうち,Amṛtodayabalividhiは先行する儀軌の注釈書であるために,本稿ではこれを除いた6論について考察を行う.バリ儀軌の目的は,妨害者の慰撫であると述べられおり,これらの文献も同じ目的で著されている.

    その内容に関して,Balividhiは,魔鬼に対する一般的なバリ儀軌の紹介書である.空性の修習と三密行の加持から始まり,供物であるバリの加持方法を紹介しているが,特定のバリ儀軌については言及されない.MahākālabaliNāga­balividhiCaturmahārājabaliは,それぞれ大黒とナーガと四天王を対象とする特定の儀軌であり,それぞれの対象に対する特定の方法が紹介されている.*Jalabalivimalagranthaは,水を対象とする特別のバリであり,その目的は,煩悩の火に苦しむ有情の苦を寂滅することである.*Balipūjavidhiは,バリによる供養について酒・手・マンダラ・身体のマンダラ・供物・聚輪の観点から解説したものであり,それぞれの加持と供養の方法が説明される.ただし,最後の項目の解説は欠落している.

    また,これらの文献の相互関係は次のようになる.MahākālabaliCatur­mahārājabaliは’Brom ston pa,Nāgabalividhiと*BalipūjavidhiはRin chen bzang poとともに翻訳されているので,翻訳時期はそれぞれにおいて同じ頃であり,後者のグループが早いことが推定できる.*Jalabalivimalagranthaは,マンユルで著されたことが記されており,著者がチベットに入った後の著書となる.ただし,Balividhiには著作状況を示す情報はない.

  • 石田 勝世
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1145-1149
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    チベット大蔵経カンギュル伝承の研究は個別の経典ごとに多くの研究者により行われている.本論文では蔵訳『賢愚経』において「章題の異読」を利用して系統樹が推定できるか検証を試みた.ここで,「章題の異読」とは諸本の対応する章の章題を比較して得られた異読である.

    系統推定ではテキストの異読を利用することが多い.異読には<D1>「テキスト本文の異読」,<D2>「章題の異読」の2種類が考えられる.先行研究では<D1>の利用が多い.すでに筆者も<D1>を利用して『般若心経』と『賢愚経』第2章の系統推定を行った.本論文では<D2>を採用した.

    また,異読へのウェイト付けという点で次の2種類の方法が考えられる.<M1>「特定の異読に注目して(ウェイト付けして)定性的に系統推定する方法」,<M2>「異読にウェイト付けしないで(等ウェイトで)定量的に系統推定する方法」の2種類である.<M1>は,先行研究でよく使われている方法であるが,ウェイト付けするために歴史的知識や言語的知識などの外的情報が必要であり,その選択において主観性が入るという問題点がある.一方,<M2>は,テキストの異読のみの情報を利用し他の外的情報を必要としない.異読データと定量的手法が特定されれば機械的に系統推定を行うことができるので追試も可能である.本論文では<M2>を採用した.定量的な手法として生物系統学の統計ツールSplitsTree4を利用した.

    『賢愚経』において<D2>と<M2>により系統推定を行った結果,得られた系統樹は<D1>と<M2>の場合に得られたものと同程度のものであり,カンギュル伝承の先行研究の結果とも類似していた.その理由として,第一に『賢愚経』においては<D2>に系統推定に必要な情報が含まれていること.第二に<M2>,特にSplitsTree4は少ないデータであっても情報を適切に抽出し系統推定する能力を持つということがあげられる.

  • 釋 果暉
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1150-1156
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    『八正道経』(大正蔵no. 112,以下本経と略)は安世高の訳経として『僧祐録』などの諸経録に記載され,『内典録・大周録・開元録』の「入蔵録」にも収められている.『八正道経』は前半が経文,後半が注釈となっており,そして前半の内容は『雑阿含経』の第784経とはほぼ対応している.後半の文は安世高によって新たに追加された注釈であると分析できる.こうした経文と注釈という二重の構造から成り立ったテキストは安世高の訳経スタイルの一つになると指摘したい.

    本経の内容と文型を考察すると,安世高の訳経によく出た疑問詞の「爲何等(何らとなる)」,そして八正道のそれぞれ定義の内容を収める語の「是名爲(これ名づけて…と為す)」があるから,本経は安世高訳に帰されることが妥当である.また,「諦見・諦念・諦語・諦行・諦受・諦治・諦意・諦定」の八つの用語は大正蔵の中国撰述仏典(1–55巻)には二度と出てこないが,一巻の雑阿含経(大正蔵no. 101)の第27経――『七處三觀經』には「諦見到諦定」(正見から正見まで)という用語が五回も見られる.そのほかに,「三十七品経(三十七道品)」,「不墮貪(むさぼりに落ちない)」,「因緣止(因縁という的による止)」などの用語も安世高に特有の術語に当たると思われる.

    以上,本経の内容を外的証拠(external evidence)及び内的証拠(internal evidence)から検討すると,前半の経文も後半の注釈も安世高の訳風を有しているに違いない.しかし,「懸繒」,「燒香」,「散花」,「道品」,「誠信」などの支謙によって使われていた用語も見いだされるので,支謙は本経を一度改訂したと判断されることができる.

  • トーマス ニューホール
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1157-1161
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    中国の初唐(6–7世紀)において,三人の学僧である相州の日光寺の法礪(569–635),終南山の豊徳寺の道宣(596–667)と京の長安の崇福寺の東塔の懐素(634–707)が,『四分律』に対する注釈書を執筆し,それぞれ相部宗,南山宗,東塔宗という三つの戒律学の系統が形成される.

    本稿では,各者の論書に見える戒体論の内容と相違点を考察する.結果として,道宣は初め『行事鈔』において『成実論』による「非色非心説」を用い,後に『羯磨疏』では「種子戒体説」を主張するのに対して,法礪と懐素は有部系の「色法戒体説」を主張するようである.法礪と懐素の戒体論については,さらなる検討の余地があるが,三人は皆四分律宗の伝統的な解釈の拠り所とされる『成実論』の説を批判するので,当時には『成実論』を律宗の解釈では用い難くなっていたのではなかろうか.

  • 大谷 由香
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1162-1168
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    南宋代,鉄翁守一(1182–1254頃)と上翁妙蓮(1182–1262)の間には,南山宗義の中心的思想を「観」とみるか「戒」とみるかということをめぐって論争が行われた.守一は道宣著作に由来する「南山三観」を三諦の真理を観得する「天台三観」と同一視し,真理を感得する方法こそ,宗祖道宣の主張したことであったと宣言した.一方の妙蓮は「南山三観」は自ら犯した罪を対象として行う観法について述べられたものであり,あくまで懺悔法であって,真理を対象としたものではないとし,道宣の主張はあくまでも持律持戒を旨とするものであったと反論する.両者は幾度も文書を提出し,30年近く論争を続けた.

    南宋における両者の論争は,この時期商船に便乗して日中間を往来する日本僧によって継続的に見守られ,その経緯が日本に伝えられたと考えられる.守一の元へは曇照(1187–1259,入宋1214–1220,1233–?)が参学しており(『碧山日録』),妙蓮の元へは1208–1252年の間に多くの日本からの「学律の者」が集ったとされ,そのうち「忍・敬の二法師」「範法師」,真照の名が残っている(『蓬折箴』・『円照上人行状』).

    両者の論争は日本の著作内でもいくつか紹介されているものの,管見の限りそれらは全て,増受・不増受についての記述に特化したものである.すなわち守一は不増受の立場を採って一度の受戒で菩薩僧になれると主張し,妙蓮は増受の立場を採って具足戒と菩薩戒を重受しなければ菩薩僧としては認められないと主張した,ということのみが強調されている.このことから,両者の論争は増受・不増受をめぐるものであったと単純化されて日本に広まったものと考えられる.

  • 亀山 隆彦
    2018 年 66 巻 3 号 p. 1169-1174
    発行日: 2018/03/25
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

    癡兀大慧は,東福寺の開山である聖一国師円爾の高弟の一人で,自身も同寺の第九世をつとめた鎌倉末期の臨済宗聖一派の僧である.

    すでに小川豊生と伊藤聡の二氏に加えて,筆者自身も指摘するように,この癡兀大慧が残した口決と,同じく鎌倉末以降の成立と考えられる真言密教関連の典籍『纂元面授』の間には,少なからず共通の記述・教説が見出される.その中には,後代「立川流」のレッテルを貼られ,「邪義」「邪流」と評されることになる独自の本有説も含まれる.このように癡兀大慧の口決と『纂元面授』がほぼ同じ内容の本有説を述べる理由として,おおよそ以下の三つが考えられよう.①『纂元面授』に記載される同説を癡兀大慧が参照した.②元来,両者が等しく関与した法流(醍醐寺三宝院流等)の「秘密口決」だった.③癡兀大慧が発信した説を『纂元面授』の作者が参照した.

    本論文では,上述の小川氏と伊藤氏に加えて,末木文美士氏,菊地大樹氏,加藤みち子氏等の研究成果も踏まえて,癡兀大慧の口決の記録である『灌頂秘口決』『東寺印信等口決』の記述を検討し,さらに,それらを『纂元面授』の記述と比較することで,上記①②③の何れが妥当な理由か,解答を試みた.結論として,もともと両者が関与した法流の秘説であった可能性は残るものの,『纂元面授』の本有説自体は,癡兀大慧『灌頂秘口決』のそれに基づいている公算が高いことが明らかとなった.

    末木氏も議論するように,中世日本の禅僧,特に禅・密・天台の兼修を主唱する臨済宗の僧にとって,密教はきわめて重要な意味を持ち,その事教二相の伝授・相承が盛んに営まれた.ただ,その密教として,従来は天台密教のみが想定されていたが,今回の検討から,中世期の禅僧が真言密教とも密接な繋がりを有し,その秘密口決の生成・発信に深く関与していたことが明らかになったといえる.

feedback
Top