印度學佛教學研究
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68 巻, 3 号
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  • 置田 清和
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1107-1113
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    13世紀インド・マハーラーシュトラで活躍したヴォーパデーヴァが残した数々の作品の一つに『ハリリーラー』が挙げられる.この作品はバーガヴァタ・プラーナの内容を章ごとに簡潔にまとめた「索引」とも言うべきものである.この作品に対して『ハリリーラーヴィヴェーカー』と題する註釈書の存在が知られているが,多くの研究者はその著者を16世紀に活躍した不二一元論思想家として著名なマドゥスーダナ・サラスヴァティーであると同定している.しかし本論文では註釈書の著者がヴォーパデーヴァのパトロンであり,13世紀にヤーダヴァ朝で宰相として活躍したヘーマドリであった可能性を検討する.

  • 麦 文彪
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1114-1119
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    紀元前後のものとされるGārgīyajyotiṣaは,64章からなるサンスクリット語の著作であり,インド天文史の中で最も古い現存資料の一つと見なされている.Karmaguṇaと名付けられた第1章では,ティティ,ナクシャトラ,ムフールタ,カラナという四つの天文単位に関する知識が述べられている.この知識はVṛddhagargaに帰され,第2章以降の内容と異なり,のちのGargaの作品よりさらに古い年代に属すると考えられる.ムフールタは時間の単位として1日の30分の1を意味し,概念としてはティティ(朔望月の30分の1)に類するものである.本論文では,この章におけるムフールタ,ティティそしてナクシャトラの体系を,漢訳仏典に残されているインド天文学に関する記述と比較する.それによって,かつて基本的な知識としてインド中に広く行き渡り,インド以外の地域にも大きな影響を与えた天文資料の共通の核が明らかとなる.しかしそれは,紀元後5世紀頃には,惑星運動とホロスコープによって特徴づけられたギリシャインド系天文学にとって代わられた.本論文は,Gārgīyajyotiṣaにおけるムフールタに関する諸説について分析し,初期インドにおける天文学資料の中の位置づけを試みた.

  • 是松 宏明
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1120-1123
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    ジャイナ教におけるタントリズム研究の一環として,空衣派のシュバチャンドラ(Śubhacandra; 11世紀頃)によって書かれたヨーガ文献『ジュニャーナールナヴァ(Jñānārṇava)』(以下JA)所説の瞑想方法(dhyāna)について論じる.

    ウマースヴァーミン(Umāsvāmin; 2–5世紀頃)によって書かれたジャイナ教の教義綱要書『タットヴァールタ・スートラ(Tattvārthasūtra)』(以下TAS)では,瞑想は「苦悩・残忍・美徳・純粋(ārta, raudra, dharmya, śukla)」の四種類に分けられる.そして美徳の瞑想はジナの教説を考察の対象とする「教令の考察(ājñā-vicaya)」,正法から生類が逃避してしまうことについて考察する「惨禍の考察(apāya-vicaya)」,業の異熟を考察の対象とする「異熟の考察(vipāka-vicaya)」,世界の構造について考察する「構造の考察(saṃsthāna-vicaya)」の4種類に細分化される.

    JAはTASの瞑想の分類を踏襲している.しかしJAでは別の種類の美徳の瞑想として,四大の観想によって身体を浄化する「物質的な対象に関わる瞑想(piṇḍasthadhyāna)」(JA34章),様々なマントラの文字の身体への布置や念誦の行法を含む「言葉に関わる瞑想(padasthadhyāna)」(JA35章),一切智者の特性を観想する「形象に関わる瞑想(rūpasthadhyāna)」(JA36章),形象を持たない個我を観想する「形象を超えたものの瞑想(rūpātītadhyāna)」(JA37章)が説かれる.TAS所説の美徳の瞑想の対象は教理的な内容となっているが,JA所説の美徳の瞑想では四大や身体内部の蓮華,マントラの文字などのタントラ的な象徴の観想の有用性が強調される.

    JA36章「形象に関わる瞑想」は一切智者の様々な性質を対象とする瞑想について説かれており,多くの一切智者の形容が並んだ内容となっている.注目すべき点は「形象に関わる瞑想」の実践者が一切智者となると説かれており,更にシュバチャンドラはここで「私は彼である(so’ham)」という大格言(mahāvākya)を使用していることである.この不二一元論的な大格言は個我の多元論を説くジャイナ教の思想と相容れない.しかしシュバチャンドラはタントリズムにおける修行者と瞑想対象の合一を目指す志向性を意識していた可能性が考えられる.

  • 房 貞蘭
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1124-1128
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    シヴァ教Trika文献の一つTantrasadbhāva(以下TaSa)には,三つのネパール梵語写本が現存している.現行のTaSaには,Siddhānta,MantrapīṭhaやKaulaといった他のシヴァ教伝統との並行関係などが見られ,それらの歴史的背景をうかがうことの出来る記述が豊富に含まれている.さらに,この文献はインド後期密教,特にサンヴァラ系密教との関係も近年の研究により明らかにされつつある.シヴァ教の教説をモデルとして密教がそれを依用発展したという見方が主流である.しかしながら,シヴァ教とインド後期密教との関係を考える上で,シヴァ教文献の中の仏教からの影響も考える必要があるだろう.本稿では,その一例として,TaSa第1章において,仏教典籍所説の偈が改変引用されていると考えられるいくつかの偈を取りあげ,考察した.

  • 近藤 隼人
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1129-1134
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    PātañjalayogaśāstraにはYogasūtra 4.10に対する注釈として,縮小拡大する心の輪廻を主張する「他の者たち」(apare)の異説と,遍在する心の機能(vr̥tti)が縮小拡大すると主張する「学匠」(ācārya)説との対立が伝えられている.本稿においては,ヴァーチャスパティ・ミシュラ(10世紀)による注釈Tattvavaiśāradīにもとづき,この異説がサーンキヤ説に相当し,さらに「学匠」説がそのサーンキヤ説と対置されるヴィンディヤヴァーシン説に相当することを解明する.

    この異説をサーンキヤ説に帰する論拠としては,(1)イーシュヴァラクリシュナ著Sāṃkhyakārikāに登場する喩例や用語法との対応,そして(2)細長いシャシュクリー(dīrghaśaṣkulī)に対する言及という二点が挙げられる.まず(1)に関して,「他の者たち」に論難を加える論敵は心が輪廻の際の基体となることを示すために杭や画布を喩例として挙げるが,これはSāṃkhyakārikā 41の喩例に対応するものであり,さらに微細身を「恒常的」(niyata)とする記述もSāṃkhyakārikā 39に対応する用語法である.次に,(2)細長いシャシュクリーは心と身体が同じ大きさであることを示すための実例として言及されるが,これは一度嚙めば五官が同時に働く例として度々言及される菓子を指す.NyāyamañjarīVyomavatīはこれを五官の同時認識と関連付けつつ,いずれも同説をカピラに帰しており,サーンキヤとの関係性を窺わしめる.さらに,ヴァーチャスパティ自身がNyāyavārttikatāt­paryaṭīkāにおいて同説をサーンキヤ説とみなしている点も,本異説をサーンキヤに帰す根拠として十分である.

    そして,この異説に対して学匠説では「機能」(vr̥tti)の縮小拡大が説かれるが,“vr̥tti”という概念はサーンキヤ知覚論において感官の対象への到達を想定するために主張されたものである.とりわけ感官の遍在を主張し,対象への到達を想定しないヴィンディヤヴァーシンにとっては,対象において開顕する“vr̥tti”の想定によって学説の整合性が確保されるほど,この“vr̥tti”は枢要な概念であった.さらに,微細身の存在を否定し,“vr̥tti”の有無を生死と結びつけるTattva­vaiśāradīの記述がYuktidīpikāにみられるヴィンディヤヴァーシン説と符合している点も考慮すると,「学匠」はヴィンディヤヴァーシンを指すものと考えられる.

    以上の点は,通常のサーンキヤ説とヴィンディヤヴァーシン説との懸隔を示しているばかりか,夙に指摘されるPātañjalayogaśāstraと「学匠」ヴィンディヤヴァーシンとの親和性を確証させる一証左たりうる.

  • 斉藤 茜
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1135-1140
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    Maṇḍanamiśra(7–8世紀)の著作Brahmasiddhi(BS)(『ブラフマンの存在証明』)は,要所要所でその思想の下敷きとして,Bhartṛhari(5世紀)の著作Vākyapadīya(VP)(『文章単語論』)の存在を示唆する.Maṇḍanaは,BSにおいて,当著作の眼目でもある「無限定の実在」とそこから生まれる多様な現象世界を言い表し,また論証するために,VPに存在する多くの論説を受け継いでいると思われるが,直接の言及は少なく,漠然とBhartṛhariが想起されることの方が多い.そこでBS第二章から,Maṇḍanaが,諸事物の多様性を実現する「力」(mahiman, śakti)について言及し議論している二つの箇所を取り上げる.特に彼の言葉遣いと自註に展開される「力」についての考察を手掛かりに,それに類する表現ないし思想をVPに見つけることができるか.本論文では,BS II vv.8cd–9abが,ヴェーダに遡る宇宙的力(mahiman)についての言明を背景にしているのは明らかであるが,それに加えてVPにおける,諸事物の区別を否定する言明を念頭に置いている可能性,またBS II v.32が,VPにおける「時間能力」(kālaśakti)についての言明を受けたものである可能性を示し,Maṇḍanaにとっての「力」の概念が,ヴェーダ由来のmahimanと,Bhartṛhariの提唱したśaktiに,強く影響されたものであると結論する.

  • 眞鍋 智裕
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1141-1146
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    16世紀後半から17世紀前半のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派の学匠であるMadhusūdana Sarasvatīは,彼のバクティ論の著作Bhaktirasāyana (BhR)に対する自註Bhaktirasāyanaṭīkā (BhRṬ)において,〈人間の目的〉(puruṣārtha)としてkarmayoga, aṣṭāṅgayoga, jñānayoga, bhaktiyogaの四つのヨーガ(実践)を提示する.これらはそれぞれ,祭祀行為の実行,パタンジャリ(Patañjali)のYogasūtra (YS)に基づくヨーガの実践,アドヴァイタ学派におけるブラフマンの明知(brahmavidyā)獲得のための実践,ヴィシュヌ教(Vaiṣṇava)の一派であるバーガヴァタ派(Bhāgavata)の信愛(bhakti)の実践のことである.従来のマドゥスーダナ研究は,これらのうち,jñānayogaとbhaktiyogaとの関係に専ら焦点を当てており,マドゥスーダナの実践論において四つ全てのヨーガを体系的に理解しようとはしてこなかった.そこで本稿では,マドゥスーダナの実践論を体系的に理解するため,先ず,彼の修行体系において,特にjñānayogaとの関係においてaṣṭāṅgayogaが占める意義を考察した.

    マドゥスーダナは,aṣṭāṅgayogaを思考器官の止滅の手段と考えている.また,その思考器官が止滅した時,アドヴァイタ学派におけるブラフマンの考究のための必要条件である心の静穏・自制等が達成されるため,マドゥスーダナは,aṣṭāṅgayogaを静穏・自制等の達成の手段であると見做している.そして,静穏・自制等の達成,ヴェーダーンタの文の聴聞・思惟・熟考の達成,それらの修習という次第を経て真実の知が生起するため,マドゥスーダナはaṣṭāṅgayogaを,間接的に真実の知の手段であると考えている.これらのことは,マドゥスーダナは,aṣṭāṅgayogaをブラフマンの考究のための前段階に位置づけているということを示していよう.そしてこのことは,BhRṬにおいてaṣṭāṅgayogaがjñānayogaの前段階とされていることと一致している.

  • 須藤 龍真
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1147-1150
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    本稿は中世ニヤーヤ学派の学匠バッタジャヤンタ(ca. 9–10c)による『ニヤーヤマンジャリー』第12章前半部に展開される「詭弁的論駁」(jāti)論を考察するものである.当該箇所において,彼は詭弁的論駁の定義・対象・論証例・下位区分に関して詳細に論じている.彼の詭弁的論駁論に特徴的な点として以下のものが挙げられる.ジャヤンタは,1)従来の詭弁的論駁定義を巡る問題を整理し,綱要所『ニヤーヤカリカー』において新たな定義的説明を与えている.2)時代的に先行するウッディヨータカラ著『ニヤーヤヴァールッティカ』や仏教論理学文献にも確認される詭弁的論駁の適用対象の正誤に関する議論の中で,正しい論証のみを適用対象とする解釈を排し,誤った論証が適用対象となりうることを論書における詭弁的論駁の教示の妥当性の文脈で論じている.3)ヴァーツヤーヤナが詭弁的論駁の適用対象として用いた論証例をウッディヨータカラが等閑視している一方で,先述の議論の文脈で正当化している.4)ニヤーヤ学派の詭弁的論駁の24区分に対する仏教徒からの批判に起因すると思われる分類上の内容重複を巡る問題について,ウッディヨータカラと論点を共有しつつも,異なる視点から下位区分の区別を論じている.以上の点について,『ニヤーヤマンジャリー』とニヤーヤ学派の諸注釈との比較考察を通じて明らかにした.

  • 趙 世弘
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1151-1154
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    12世紀後半から13世紀前半までカシミール地方で活躍したサンスクリット語修辞学者ショーバーカーレシュヴァラミトラ(ショーバーカミトラともいう)は,自身の著作である『アランカーラ・ラトナーカラ』において,修辞手法としての推理(anumāna)と証因(hetu)について論じた.マンマタ(ca. 1050–1100)やルッヤカ(ca. 1125–1175)といった彼以前の修辞学者の理論と比べると,この二つの修辞手法を推理視点から分析することが彼の独創的な貢献といえる.彼にとって,両種の修辞手法に詩的美感が存在するのは,ある種の特殊な目覚ましさ(vicchittiviśeṣa)が含まれているからである.

    修辞手法としての推理は一般的に詩的推理と名付けられる.マンマタとルッヤカがこの修辞手法に因の三相という属性が存在することを規定したことから,古代インドの論理学の強い影響力が窺える.ショーバーカミトラは詩的推理が自分自身のための推理の形を有すると規定していた.一方,修辞手法としての証因は詩的因と呼ばれる.ショーバーカミトラはこれが他人のための推理の形を有すると明示していた.彼によると,この二つの修辞手法の区別は以下の通りである.詩的推理が存在する場合,「私は知っている」など自分自身のための推理を暗示する単語がある.一方,詩的因が存在する場合,証因が文の形,あるいは語の形を取り,明示的に,あるいは暗黙に表される.両者の共通点は,未知の情報を伝えることである.また,他人への呼びかけは両者を区別する根拠にならない.

  • バンチャード チャオワリットルアンリット
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1155-1159
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    Dhammachai Tipitaka Projectでは,Dīghanikāyaの新校訂版を作成するために,シンハラ文字,ビルマ文字,コム文字,そしてタム文字という4つの写本伝承から,延べ45本の写本が,主要な資料として厳選された.このテキストを編集する過程において,十分な数の異読が収集されていくと,パーリ聖典の写本伝承に関する新しい理解を提案することが可能になりつつある.概して言うと,パーリ聖典は,シンハラと東南アジアという2つの主要な系統を通じて私たちに伝わっているよう思われる.後者は,さらにビルマ文字,コム文字,そしてタム文字の写本系統に分けられる.

    本論文では,コム文字の写本系統に焦点を当てることによって,少なくともラッタナコーシン期以前とラッタナコーシン期(1782年以降)という2つの分岐系統が存在することが判明した.前者はまれな写本にのみ現存するが,後者は,タイにおけるパーリ聖典の標準版となるSyāmaraṭṭha版の基礎であると考えられる.

    歴史を振り返れば,アユタヤ王国が1767年に戦争で完全に破壊された時には,パーリ聖典を含む膨大な数のコム文字写本が失われたようである.そのことから,パーリ聖典のコム伝承はシンハラやビルマの伝承からの助けを得ながら,自分の伝承を回復せざるを得なかったという指摘がある.つまり,コム伝承では両伝承からの混交(contamination)という問題があることを意味する.

    しかし,ダムロン王子の記録及び本論文で取り扱うコム文字写本に見出される異読を検証した結果,アユタヤ期以降のパーリ聖典のコム伝承は,シンハラやビルマ伝承との著しい混交を示していない.逆に,ラッタナコーシン期のコム文字写本のいくつかの読みは,コム伝承が独自のものであり,シンハラとビルマの両伝承から距離を置くことが確認された.

  • Suchada Srisetthaworakul
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1160-1164
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    パーリ三蔵の各テキストの現存写本は,時には百近くの膨大な数にのぼることもある.各写本は,異なる寺院,場所および時代を通じて継承されている.パーリ三蔵の批判校訂版を作成するために,これらの貝葉写本を収集してデータベースを作成する場合,膨大な時間と人的・物的資源が必要である.したがって,批判校訂版の貝葉写本のデータベースを作成する実用的かつ効率的な方法を求めて,Dhammachai Tipiṭaka Project (DTP)は,各伝承から代表的な5つの貝葉写本を選択するために,それらの貝葉写本の系統樹を作成している.

    パーリ三蔵の写本伝承―シンハラ,ビルマ,モン,コム,タムの伝承―にはそれぞれ独自の様式と特徴がある.そのため,特にコム文字貝葉写本に従って,貝葉写本の背景を考慮して,テキストを選択および比較するさまざまな手段を適用する必要がある.シンハラとビルマの写本の伝統とは異なり,コム文字貝葉写本はいくつかの小さな束(phūk)に分割され,1つの写本に受け継がれる.

    問題は,これらのコーム文字貝葉写本の約80パーセント以上にコロフォン(奥書)がないことである.これにより,筆写された年代,筆記者や寄付者の名前など,コロフォンで通常見られる写本の詳細に関する情報が知られない.したがって,系統樹を準備するための最も重要な情報の1つである各コーム文字貝葉写本の背景を知るのは困難である.

    本論文では,Saṃyuttanikāya Mahāvaggaの校訂のために収集されたコム文字貝葉写本を取り上げ,その中から,代表的な写本を選択する方法を紹介する(DTPでは,8つのコム文字貝葉写本の各本が示す詳細,例えばuddāna(摂頌;目次),選択した段落のテキストの読み,各章の開始点などを比較研究して,5つの代表的な写本が選択される).そのことを通じて,コム文字貝葉写本の系統樹を作成する方法を検討する.

  • 左藤 仁宏
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1165-1168
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    説出世部に属する仏教文献Mahāvastuには,Avalokita Sūtra(観察経)という同名の経典が二つ含まれている.その内,第一のAvalokita Sūtraは降魔成道の仏伝をその主題とし,第二のAvalokita Sūtraは降魔成道の仏伝記事を記載しながら,戒蘊の功徳や仏塔崇拝の功徳に関する説法の記述をも含んでいる.この第二のAvalokita Sūtraには,仏塔崇拝の功徳が説かれる箇所で逐語的に平行する文献が二つ存在する.一つは寂天のŚikṣāsamuccayaに見られる断片的な引用文であり,一つはチベット訳の単一経典である.そしてそれら二つの平行テキストは共にAvalokana Sūtraと呼ばれ,仏塔崇拝の記述を専らの主題としている.先行研究は,Mahāvastuの第二Avalokita SūtraとこれらAvalokana Sūtraは同一の源泉を有していると指摘する.第二Avalokita Sūtraのプロトタイプを想定すれば,それはチベット訳のAvalokana Sūtraの形態によく似ており,序文の大部分も仏伝の記述も有していないものだったと思われる.

    本稿では,Avalokana Sūtraには見られない,第二Avalokita Sūtra独自の序文箇所に着目した.第二Avalokita Sūtraの序文は,釈迦牟尼が菩提座周辺でなした観察のことを‘avalokita’という述語で指示し,続く仏伝部分が釈迦の回答(vyākaraṇa)であることを示唆しながら,経典の主題へと導入していた.この事情は第一のAvalokita Sūtraとよく合致する.第一Avalokita Sūtraも菩提座周辺での観察を‘avalokita’と呼び,自らを‘vyākaraṇa’(分別経)であるとしながら,仏伝記事に導入していた.この類似性はAvalokana Sūtraには認められないものである.

    結論として,これら二つのAvalokita Sūtraの符合は,以下のことを示唆しうるとした.即ち,Mahāvastuが自らの外部に存在していたAvalokana Sūtraを取り込む際,もともとMahāvastu内に存在していた第一Avalokita Sūtraの内容と形態を模倣することで,第二Avalokita Sūtraを形成したという発達段階である.また,二つのAvalokita Sūtraは経典内部の仏の行為を‘avalokita’と呼んでいるのに対し,Avalokana Sūtraの経題‘Avalokana’はコロフォンなどの経典外部からの名付けであるという差異に注意すべきだと指摘した.

  • 杉木 恒彦
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1169-1175
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    インド古典では広く,刑罰は王権の主要な機能であり,その創造の理由でもあるとされた.インド仏教においても同様である.だが死刑や身体をひどく損傷させる重度の身体刑は,不殺生の戒めとの関係が問題になる.本稿は,Kūṭadantasutta,Milindapañha,ナーガールジュナ作Ratnāvalī,Satyakaparivarta,チャンドラキールティ作Catuḥśatakaṭīkāを主題材に,インド仏教における刑罰観の一側面を明らかにする.

    インド仏教の刑罰論は,不殺生に加え,刑罰の目的と効果,王と受刑者の業の状態,刑を執行する際の王と受刑者の心理状態をめぐる論点を含んでいる.上記文献が説く刑罰観を大きく3つに分類することができる.(1)王は死刑を含む刑罰を執行できる.死刑は受刑者自身の業の報いとして生じる.ここでは刑を執行する王の業の問題は議論されない.(2)王は死刑と重度の身体刑を除く刑を執行できる.死刑などの重刑は殺生に相当するため,王に悪業の問題が生じる.加えて,大乗文献には,刑罰は罪人の矯正を目的として憐れみをもって行うべきとする見解がある.それらの文献では,この観点からも死刑などの重刑が禁止されている.(3)刑の執行は,もし問題の解決に至らないのであれば,必須ではない.

  • 中山 慧輝
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1176-1179
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    インド仏教の瑜伽行派が基本典籍とする『瑜伽師地論』の最古層に属する「声聞地」は,4つの瑜伽処から成るが,第三瑜伽処において(1)入門から師に学ぶ準備段階を説き,第四瑜伽処において(2)世間道と(3)出世間道を順番に説く.ヨーギンは(1)準備段階を終えると,(2)世間道か(3)出世間道のいずれかを選択する.(2)世間道に進むと,初禅から非想非非想処までの色界と無色界の禅定である八定を修習し,五神通の獲得と色界や無色界に属する天界への再生を目指す.また,(3)出世間道に進むと,四聖諦を観察し,阿羅漢果の獲得,つまり涅槃への到達を目指す.このような「声聞地」の修行体系に対して,先行研究は,世間道と出世間道をそれぞれの目的に沿って別立てする枠組みこそが「声聞地」の修行体系の特徴であり,「声聞地」より後に編纂されたとされる「摂事分」になって初めて,『瑜伽師地論』においては,世間道から出世間道へ進む修行道の一本化がされたと指摘する.本稿では,第四瑜伽処に説かれる,世間道あるいは出世間道に進む場面の記述をもう一度整理し,一部の仏教徒(以前に止を行じたことがあるが,鈍根である者,または,鋭根ではあるが,善根が熟していない者)が,世間道を経てから出世間道へと進む可能性を提示する.さらに,そのことを示すことによって,「摂事分」で明らかにされる世間道から出世間道へという修行体系の萌芽が「声聞地」に見られることを指摘する.

  • Ham Hyoung Seok
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1180-1186
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    Kajiyama (1963)およびde Jong (1990)は,アヴァローキタヴラタ(8世紀頃)がPrajñāpradīpaṭīkāにおいてヴァルナ制(「カースト」制)を容認する意図をもって『マヌ法典』の引用を行う,例外的な仏教徒だとする.さらにこれらの研究は,このアヴァローキタヴラタによる注釈をもとに,Prajñāpradīpaの著者バーヴィヴェーカ(6世紀頃)も,アヴァローキタヴラタと同様,ヴァルナ制に対して肯定的な立場であったと見なしている.近年,これらの解釈に対し,高橋(2011)およびNishiyama (2012)は,アヴァローキタヴラタがヴァルナ制に対する否定的な意味合いで『マヌ法典』を引用しているという論考を提示している.しかしながら,これまでの研究では,Tarkajvālāというバラモンの優越性に対して明確に批判を行うバーヴィヴェーカの著作が扱われていない.そこで本稿は,Tarkajvālā中に示される,ヴァルナ制に対するバーヴィヴェーカの立場に関する,新たな資料を提示する.さらにそれにもとづき,バーヴィヴェーカも,この社会的階級制度に対して,仏教思想の伝統的見解に従っていたことを明らかにする.

  • 横山 剛
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1187-1192
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    本稿では,チャンドラキールティの著した『中観五蘊論』における解脱(vimukti)について考察する.同論は心相応行法の一つとして解脱を説くが,説一切有部のアビダルマの伝統と比較すると,解脱は心相応行を構成する法としては異例の要素である.本稿では,いかなる理由で『中観五蘊論』において解脱が心相応行法として説かれたのかという点を明らかにする.

    はじめに『中観五蘊論』に説かれる解脱の基本的な情報として,心相応行における位置とその定義を確認する.続いて,心相応行の構成から想定される仮説,ならびに,先行研究における指摘を紹介し,その問題点を指摘する.

    次に解脱に対する有部の理解を確認する.有部が有為の解脱を無学の勝解(adhimokṣa)であると理解することを示した後に,その理由として,解脱と勝解が語根(muc)を同じくするからであると説明することを紹介する.以上の有為の解脱に対する有部の理解を考慮に入れて,本稿の後半では『中観五蘊論』における勝解の理解を検討し,同論において解脱がなぜ勝解に含まれなかったのかという点を考察する.

    まずは『中観五蘊論』における勝解の定義を示す.そして,説一切有部における勝解の理解と異なる点として,同論において勝解の本質が智(jñāna)であると理解されている点を指摘する.一方,有部の法体系を解説するという論全体の趣旨に沿って,解脱については有部と同様に無学の勝解と理解していると考えられる.また,有部の教理によれば,智の本質は慧(prajñā)であり,勝解とは異なる法である.

    結論としては,これらの諸法の関係にもとづいて,『中観五蘊論』においては,本質的には智(すなわち,慧)である勝解に,本質的には勝解である解脱を含めることができなかったために,解脱が独立した心相応行法として説かれた可能性を指摘する.

  • 吉水 千鶴子
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1193-1199
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    帰謬派(*Prāsaṅgika)と自立派(*Svātantrika)という中観派の区分は,チベットにチャンドラキールティの著作を翻訳・紹介したパツァプ・ニマタク(1055–1145?)に帰せられる『根本中論般若釈』(カダム文集第11巻所収)に確認されるが,この著作はカシミールでインド人の共訳者マハースマティの講釈にもとづき著されたことから,11世紀後半には少なくとも一部のインド仏教徒の間で用いられていたと考えられる.パツァプは自らを「帰謬派」と名乗り,この時期に明確な帰属意識が生まれていたことを示す.本稿では,『根本中論般若釈』写本の解読により,パツァプが考えていた「帰謬派」「帰謬論証」とはいかなるものかを論じた.彼にとって「自立派」「帰謬派」の対立とは,バーヴィヴェーカとチャンドラキールティの間の『中論』第1章の解釈をめぐる論争に端を発しながらも,自らに先行する8世紀の中観派学匠シャーンタラクシタ,カマラシーラ師弟の著作と自らとの対峙であった.この対峙がなければ,「帰謬派」という自覚は生まれなかったと推測される.さらに用いるべき「帰謬論証」はダルマキールティの論理学によって整えられ,シャーンタラクシタ師弟によっても使われた「帰謬論証」である.また,彼らによって体系的・批判的な仏教内外の学説の整理と中観思想の優位の確立が成されたことを受けて,パツァプは彼らの自立派系の中観思想の上に帰謬派の思想を置くことを目指した.そのために,彼らによる中観以外の思想批判を利用し,離一多性論証を帰謬論証に読み換えて取り入れ,それらを踏まえた新しい帰謬派と帰謬論証を構築しようと試みたのである.

  • 森山 清徹
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1200-1207
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    ジュニャーナガルバは,『二諦分別論』(SDK14)及びその自注(SDV)において次のことを論じている.すなわち,

    (SDV7a5–6)因果関係(kāryakāraṇabhāva)も不合理である.というのは多によって一なる事物(dṅos po, vastu)は設けられない(SDK14a).多によって多は設けられない(SDK14b).一によって多なる事物は設けられない(SDK14c).一によって一は設けられない(SDK14d)

    SDV ad SDK14aから14bへの経緯の中で,対論者の見解としてダルマキールティのhetubinduからの感官知(眼,色,光,注意力など→眼識)の生起を表す因果論の引用が見いだされる.SDV ad SDK14cから14dへの経緯についても吟味し,その論議の全体がダルマキールティのアポーハ論に基づく因果論に対する批判であり実世俗と位置付けることが知られる.それは同一の原因をもたない(因非Aから生起した)別の結果からの排除ということを観点にした原因に基づく点からのアポーハ論により多因→一果から多因→多果への推移を,また一因→多果から一因→一果への推移を表している.それと同じ観点に基づき一因→多果から一因→一果への推移を表わすものが,ダルマキールティのPVSVP.42,7–8 ad PVⅠ–75である.ジュニャーナガルバによる論難は因果間における区別と無区別との肯定的否定的随伴関係を問うものである.また,多因→多果に関する論議において,無区別という立証因により特殊性の多と単一な結果(眼識)との不一致を論じるジュニャーナガルバの推論に対し不成因(asiddha)と指摘するのはシャーキャブッディであると考えられる.シャーキャブッディによるジュニャーナガルバへの論難はカマラシーラのmA前主張に,またハリバドラのAAAに取り上げられると考えられる.一因→一果においては,デーヴェンドラブッディによるPVⅢ534への注釈(眼なる質料因が一刹那後に同類のものを生起すること)が論難されていると考えられる.

  • 木村 整民
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1208-1211
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    『尊母の伝統に従う注釈』(*Bhagavatyāmnāyānusāriṇīnāmavyākhyā,以下『尊母釈』)は,『八千頌』(Aṣṭasāhasrikā Prajñāpāramitā,以下『八千頌』)の注釈書である.『尊母釈』は,『八千頌』第二十九章を注釈する最後に,『八千頌』と『般若波羅蜜多圓集要義論』(Prajñāpāramitāpiṇḍārthasaṃgraha,以下『圓集要義』),また他の注釈書を引用し,十六空を解説する.その中でも特に『圓集要義』は十六空の一つ一つの解説すべてに引用されることから,その重要性は明らかである.しかし,『尊母釈』における十六空の配列は『中辺分別論』(Mādhyāntavibhāga)と一致する.これも『尊母釈』と『圓集要義』の異なる点であるが,本論文では,『尊母釈』と『圓集要義』が引用する『八千頌』の文に相違がある点について検討した.

    『圓集要義』では,計六カ所に『八千頌』の文が引用される.また,第六偈によれば,それらの引用文は『八千頌』においても「順番通りに」説かれていると言う.しかし,『尊母釈』が引用する『八千頌』の文は『圓集要義』と異なるものもあり,それらは『圓集要義』が述べる様に『八千頌』において「順番通り」に説かれていない.したがって,『尊母釈』に説かれる十六空の順番を『圓集要義』の順に従って並び替えた場合,一切法空と勝義空で引用する文が,『八千頌』においては畢竟空に引用する文よりも前に位置し,説示の順番が逆転する.本論文では,一切法空を例に挙げ,その点について明らかにした.

  • Yong Tsun Nyen
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1212-1215
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    ディグナーガ(Dignāga,陳那,ca. 480–540)著Ālambanaparīkṣāは,漢訳と蔵訳のみが現存する.漢訳には,パラマールタ(Paramārtha,真諦,499–569)訳『無相思塵論』と玄奘(600/602, 664)訳『観所縁縁論』があり,この注釈書であるダルマパーラ(Dharmapāla,護法,6c)釈には義淨(635–713)訳『観所縁論釈』(ĀP_Y)がある.蔵訳には,本頌(dMigs pa brtag pa, ĀP)とディグナーガの自注(dMigs pa brtag pa’i ’grel pa, ĀPV),およびヴィニータデーヴァ(Vinītadeva,調伏天,ca. 690–750)釈(dMigs pa brtag pa’i ’grel bśad, ĀPṬ)がある.

    山口益『世親唯識の原典解明』(1953年,法蔵館)の第三章「観所縁論の原典解釈」では,第三偈に述べられている「極微の形相は認識の対象ではない.堅性等のように」(rdul phran rnam pa rnam rig gi // don min sra ñid la sogs bźin)は,ディグナーガによるものか,対論者によるものかが論じられている.山口氏によれば,パラマールタはこれをディグナーガの説とし,玄奘もこの説に従っている.しかし,ダルマパーラはこれを対論者の説とし,ヴィニータデーヴァと共通する.本発表はダルマパーラ釈の義淨訳(ĀP_Y)を精査し,第三偈に対する山口氏の指摘を再考するものである.

    この義淨訳は解読が困難であり,意味が曖昧なところ多い.ヴィニータデーヴァ釈(ĀPṬ)をダルマパーラ釈の義淨訳(ĀP_Y)と比較すると,ヴィニータデーヴァにおいて,ダルマパーラのアイデアを採用する場合があることが明らかになった.このように,ヴィニータデーヴァがダルマパーラ釈について言及する個所が多く見られるため,ヴィニータデーヴァ釈と義淨訳を厳密に比較することによって,ヴィニータデーヴァ釈を通して義淨訳が用いる難解な語句について明確にすることができる.

  • 兼子 直也
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1216-1219
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    シャーンタラクシタ(ca. 725–788)は,『真理綱要』(Tattvasaṃgraha)第17章の第1264–84偈において,第1263偈までに証明された直接知覚(pratyakṣa)の無分別性をジャイナ教徒の論難から擁護する.この箇所で登場する空衣派のスマティは,無分別・有分別二種の直接知覚を主張しつつ,無分別な直接知覚は実在(vastu)の持つ存在性(sattā)等の高次の普遍に対して起こり,有分別な直接知覚は低次の普遍や特殊に対して起こるとする.これに対して,シャーンタラクシタは,個物の直接知覚こそ無分別だという立場から,普遍は特殊と相互排除の関係にあるので却って有分別知によって把握されると反論する.

    かつて服部正明博士がこの議論を紹介されたが,その後,ジャイナ教団の師弟系譜やジャイナ教の認識論の研究によって新たな情報がもたらされた.その結果,スマティがサマンタバドラ(7c)とアカランカ(ca. 720–780)の間に位置する実在人物であることが確認された.また,ジャイナ教の認識論には伝統的な四段階説と論理学者が再編した五段階説があり,前者では知覚(avagraha)が無分別,後者では直観(darśana)が無分別だが,続いて生じる知覚は有分別とされる.さらに,ジャイナ教では元来,感官知(matijñāna)は直接知覚ではなかったが,シッダセーナ=ディヴァーカラ(6–7c)やジナバドラ(6–7c)以降,世俗的な意味で直接知覚と見なされるようになった.本稿では,これらの先行研究を踏まえて,仏教徒とジャイナ教徒の無分別知理解をめぐる論争の一例としてスマティの思想背景を明らかにする.解明にあたっては,まとまった著作が残っている空衣派と白衣派の諸論師の著作を参照した.検討の結果,スマティの思想的立ち位置は,感官知を直接知覚として認める立場であった.またTS/TSPで紹介される彼の思想には独自の用語が含まれないため,仏教側による誤解や改変の可能性が残るものの,同じ空衣派の思想だけでなく普遍と特殊の体系的説明等の点では白衣派との共通性が見られることも分かった.

  • 岡崎 康浩
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1220-1226
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    ディグナーガは,その著『取因仮設論』において,取因仮設を総衆,相続,分位の3種に分類している.本論の目的はその分類の背景を探ることだが,この3種の中で特に分位に着目した.総衆,相続については以前取り上げたプドガラ論とも関係が深く,また,仏教の基本的教説(無我論,無常論)とも明確な関わりを想定できるが,分位は説明的概念であり,そこにこそ彼の分類の特徴を見いだすことができると考えたからである.『取因仮設論』では,分位は属性と同等に扱われ彼に分類の中でも重要な位置を占めている.こうした分位仮設の記述が彼以前に見られるかを探ると,『瑜伽師地論』の摂事分中本母事序弁摂に見られる仮有の6分類にある分位仮有の記述で生・住・異・滅の四相がディグナーガの記述でも重なっていた.ただ,『瑜伽論』では四相を含めた心不相応行すべてが分位仮有に属するに対し『仮設論』では心不相応行には言及していない,また『仮設論』ではそれに含まれない有見,有対を分位として言及しているといった違いが見られた.このうち,『仮設論』が言及する有見,有対については,『瑜伽論』の摂決択分における四大種と触の関係を分位で説明している記述との関連を指摘した.こうした調査から,ディグナーガの分位概念が『瑜伽論』のアビダルマ的要素と関連を持つこと,彼の概念がアビダルマ的範疇を超えてより言語活動を説明するのに適したものとなっていることを論じた.

  • 道元 大成
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1227-1231
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    クマーリラは,〈非存在という認識手段〉(abhāvapramāṇa)が非存在を把握する認識手段であると主張する際に,Ślokavārttika(ŚV) abhāvaparicchedaで,推理などでは非存在を把握することが出来ないと論じる.そして,特にvv.38–44では,〈非存在という認識手段〉以外の直接知覚などの5つの認識手段の不生起が具体的な証相として挙げられるが,そのような証相でもって非存在を把握すると主張する対論者がダルマキールティであるか否かがこれまで盛んに議論されきた.そこで本稿では,vv.38–44における前主張について,ŚVやその諸注釈書を基に新たな付随情報を提示しつつ,改めてその内容が如何なるものであるのかを検討した.

    Ślokavārttikakāśikā(ŚVK)とNyāyaratnākara(NR)はvv.38–44までの対論者説に関して,v.44で証相の三条件としてPS II 1abを引用しつつも,ダルマキールティの非認識論証因の解釈をする形で前主張を展開していた.更には,ŚVKはvv. 40–41の無限後退の過失についても,その対論者をPVSVを引用する形でダルマキールティの主張としている.また,ŚVKとNR,特にŚVKはあくまでダルマキールティの非認識論証因を正確に理解しつつも,あえてそれを曲解して,認識手段の不生起が批判されるvv.38–44に適用していた.これは,ダルマキールティに先行するイーシュヴァラセーナが,純粋否定としての非認識を主張しつつも,それを推理とは別の第三の認識手段として主張した点,ディグナーガの否定的論証が積極的になされず,むしろ後代になるとそれが省略して述べられる点,ダルマキールティの非認識論証因のみが一般的に仏教徒説として普及していたなどの点などが背景にあると推察した.

  • 横山 啓人
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1232-1236
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    プラジュニャーカラグプタのPramāṇavārttikālaṃkāra(PVA)ad Pramāṇavārttika(PV) III 194–207では,ディグナーガの知覚理論とアビダルマの学説の会通が試みられており,経量部の原子論と対立するニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派の全体(avayavin)説への批判が展開されている.本稿では,当該箇所における,特に多色蝶(citrapaṭaṅga)の例を用いた議論に焦点を当て,全体説批判の論法を考察する.

    仏教による全体説批判の重要な批判の一つは,「布などの全体が単一であれば,その一部は赤いが他は赤くないということはありえない」といった,全体が単一である場合に生じる不合理の指摘であり,これはダルマキールティのPV IIやPramāṇaviniścaya(PVin)Iにおいて見られる.一方,PV III 200では多色蝶の例が挙げられ,対論者は全体である蝶の多様な色は単一だと主張する.この,全体には多様という一色が存するという理論は,全体が複数の色を有しえないことを指摘するPVin等における批判に対する反論として機能していると理解できる.

    PVA ad PV III 201–204では,多数の色を有する種々の宝石や人工蝶の例を用いた議論が行われる.対論者は,宝石の例においては,種々の宝石は個々に分けることができるが多色蝶は分割不能なため単一だと主張する.これに対して,仏教側は,多数の布から作られたに過ぎない人工の蝶の例を用いて,天然の多色蝶を単一なる実体だと見なす必要が無いことを示し,諸部分とは別に全体を想定する根拠が存在しないことを指摘する.以上のように,当該箇所における議論では,全体である多色蝶と部分の集合である人工蝶等の比較によって両者が異ならないことを示すという論法が採られている.

  • 中須賀 美幸
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1237-1242
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    本稿では,ダルモーッタラとジュニャーナシュリーミトラにおけるアポーハ論,特に語の対象に関する思想的対立が,分別知・語の対象に関する二つの異なる見解―〈三区分説〉と〈二区分説〉―に起因するものであることを明らかにする.〈三区分説〉とは対象の存在領域として認識内部・非内非外・認識外部を認めるもので,〈二区分説〉とは認識内部・認識外部のみを認めるものである.ダルマキールティは,Pramāṇavārttika (PV)において,分別知に関しては三区分説を,語に関しては二区分説を採用しているが,Pramāṇaviniścaya (PVin)において,分別知と語のいずれに関しても二区分説を採用している.ダルモーッタラはダルマキールティのPVにおける分別知に関する三区分説を継承し,それを語に対しても適用している.彼は語の対象を〈発話行為の原因・結果となる分別知の対象〉と同一視している.これによって,語の対象に関しても,内にも外にもない(=非内非外)ものとして,その非実在性を主張することが可能になる.一方,ジュニャーナシュリーミトラはPVinにおける二区分説を継承し,〈非内非外〉という存在領域を前面に押し出したダルモーッタラの見解を批判する.さらに彼は,語の対象に関して世俗のレヴェルと勝義のレヴェルを設定することで,世俗のレヴェルでは〈認識内部〉にある把捉対象と〈認識外部〉にある判断対象を語の対象として認めながらも,勝義のレヴェルでは語の対象となるものは何もないとして,語の対象の非実在性を主張している.以上のことから,ダルモーッタラとジュニャーナシュリーミトラにみられる思想的対立は,彼らがそれぞれダルマキールティから相異なる見解を継承していることに由来するものであると言えるだろう.

  • 藤井 明
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1243-1247
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    タントラ文献がその秘匿性を保つ方法としてはsandhyā-bhāṣā(あるいはsandhā-bhāṣā)という隠語の機能を備えた密意語(あるいは,たそがれの/含みをもった言葉)という術語が挙げられる.またタントラ仏教文献で,ある単語が特殊な意味合いで用いられる文脈が存在し,暗号の様に用いられる語が見受けられる.また,マントラの暗号化とその解読の法則を含むmantroddhāraが挙げられる.これは特定の語や図形を用いてマントラを暗号化,観想する法則も含み,類似の方法はヒンドゥータントラ文献に多く認められる.本論文では,Hevajratantra(HT)内の暗号化の法則とヒンドゥー教版Bhūtaḍāmaratantra(HBT)のマントラの暗号化の法則を提示し,HBTの暗号化の特徴を明らかにすることを目的とする.仏教版Bhūtaḍāmaratantra(BBT)では,HBTに見られるようなマントラの暗号化はなされていない.その為,BBT内のマントラとHBTのマントラを対照することで,HBTが如何にBBTのマントラを取り入れているかも考察した.考察の結果,HBT中ではHTに見られるprathamasya prathamaの様な方法は用いられず,HBTの音と単語との対応はHTの単語の対応とは別の伝統に属し,同様にVaiṣṇavaとも異なる伝統に属するものであることが確認された.また,HBTがBBTのマントラをも踏襲していることが明らかとなった.しかし,仏教に特有の術語を用いることを避け,改変した上で暗号化を施したと考えられる.

  • 望月 海慧
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1248-1256
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    DīpaṃkaraśrījñānaのMantrārthāvatāra (P. 4856)の表紙には「Dīpaṃkaraの13のマントラの流儀に入る」とあり,また,Citāvidhi (P. 4868)の奥書には,「Dīpaṃkaraのマントラの流儀は13である.すべてがあるならば,珍しい.13は,マントラの意味に入ることと,灌頂と,三摩耶の秘密と,天宮の布施と,水供養と,護摩と,天供養と,寿成就と,死を欺くことと,命終の論書と,荼毘護摩と,七句と,小像の設置との13である」と述べられている.この両者の記述は,彼に帰せられるマントラの流儀として13の文献があったことを伝えている.この13の著作は,テンギュルの北京版の目録では,最初のMantrārthāvatāraに続く, Sekopadeśa (P. No. 4857),Samayagupti (P. No. 4858),Saudadāna (P. No. 4859),Peyotkṣepavidhi (P. No. 4860),Homavidhi (P. No. 4861),Devapūjakrama (P. No. 4862),Āyūḥsādana (P. No. 4863),Mṛtyuvañcana (P. No. 4864),Mumūrṣuśāstra (P. No. 4865),Śmahoma (P. No. 4866),Saptaparvavidhi (P. No. 4867)と最後のCitāvidhiである.すなわち,前述の引用は,これらの13文献の表紙と奥書と理解することができ,テンギュルに編入される以前にこれら文献が「Dīpaṃkaraの13のマントラの流儀」として伝承されていたことが確認できる.これらの文献のうち,最初のものは,真言乗に入る意味をまとめたものであり,続く12文献は実際に行う儀軌を説いたものである.その儀軌も,前半の6文献は一般的儀軌をまとめたものであり,後半の6文献は死と再生に関する儀軌をまとめたものである.前半は,灌頂,三摩耶,曼荼羅供養,撒水,護摩,供養からなり,後半へ前行となっている.

    これらの13文献はその著作スタイルが統一されておらず,すべての文献に注釈者による注記が付されている.そのことから,この13のマントラの流儀は,Dīpaṃkaraśrījñānaが意図して編纂したものではなく,チベットにおいて後代の者がこれらの13文献をマントラの流儀としてまとめたものと考えられる.またこれら13の文献には,注記が付されていない版が存在しないことから,彼の他の著作とは異なる伝承を有していたと考えられる.

  • 伊藤 奈保子
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1257-1263
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    マカラ(Makara)には諸説あるが,インドの文献を源流とする海や渦と関連したワニに似る海獣として知られ,インド,バールフットの門の欄楯をはじめ,ジャワ島,スマトラ島にも確認できる.本論は現地の作例を網羅的に紹介し,インドネシアでのマカラの様相の明確化を目的におく.マカラがあらわされる箇所は大きく4つに分類できる.①寺院の建物入口の門等,上部に飾られるトーラナの左右,門の柱の下部左右(図1),②寺院の階段,一番下段の左右両端(図2・3),③寺院の排水溝(図4),④石造像・鋳造像等の光背(図5・6)である.まず,①については,寺院入口上部や横壁の窓等の上部にキールティムカが彫刻され,トーラナ左右に外向きの顔が設えられる.寺院入口の柱一番下のマカラも,同様に左右顔を外向きに置かれる.口内には鳥や獅子,シャールドゥーラか?などが設えられる(図1・2).②は,①よりも姿が大きく,中部ジャワ地域では,細い目,象の鼻,耳を有したワニのような口に鋭い牙が特徴で,鼻先の花の芯からは花綱があふれ,それを口内の獅子や天人などが受け止める形状をとる.スマトラでは,全体に装飾過多となり,手を有し,口内には武器を手に執る戦士があらわされ,守門的な意味あいが考えられる.マカラの形状の変化は,同時期の他の尊像と同様に,インド美術の影響から土着化がすすみ,装飾過多となってゆく傾向が読み取れる.③は寺院の雨水等の排水用で,マカラ口内に円形の筒等が設えられる.②にもみられるが,ヤクシャが両手で下から持ちあげる作例もみられる(図4).④については石造・鋳造の尊像,光背に確認ができる.ヒンドゥー教,仏教(密教)の宗教を問わず用いられ,特に,光背の残存率も高い金剛界大日如来に多くみられることが特徴といえよう.また①②④はチャンディ・ボロブドゥール『華厳経』「入法界品」レリーフに彫刻されており,8世紀末頃には形式が確立していたと推察される.

  • 根本 裕史
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1264-1270
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー

    ツォンカパがその形成期において,後に彼自身が否定する無念無想の行を認めていたことは,『善説金鬘』や『常啼菩薩譬喩品』などの20代から30代の頃の著作や,彼の伝記の記述から確認される.クンタン・テンペー・ドゥンメは「一般的な見え方」に従ってツォンカパの形成期からそれ以降にかけての思想的変化を認めるが,形成期の思想はツォンカパの真意ではなかったとして教義的に正当化を図ろうとしている.ツォンカパは46歳の著作『道次第大論』において,かつてカマラシーラと対決した禅僧ハシャン(摩訶衍)に帰せられる無念無想の立場を厳しく批判する.その批判は後代のゲルク派の文献にも繰り返し登場する.無念無想の境地を説く修道論はチベット仏教導入期から存在していたが,ツォンカパの同時代および以後においても根強く存在し,ゲルク派にとって無視できない理論であったのであろう.ゲルク派で批判対象とされるその理論が,ケードゥプジェと対立して異端視されたクンル・ギェルツェン・サンポに帰せられたこと(彼自身がそれを強く主張していたかどうかは別として)は必然であったといえるかもしれない.ハシャン,形成期のツォンカパ,クンル・ギェルツェン・サンポの三者が唱えたとされる無念無想の立場は,分析的修習によって乗り越えられるべき思想であるが,より高次の修習を正しく理解するための批判対象として,ゲルク派の修道論の議論に欠かせない存在となる.

  • 李 四龍
    2020 年 68 巻 3 号 p. 1271-1279
    発行日: 2020/03/25
    公開日: 2020/09/10
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    天台『小止観』は中国では『童蒙止観』と通称されている.日本では,1950年代に,写本『略明開矇初學坐禪止觀要門』(以下:『止觀要門』)が関口真大先生によって新しく発見され,使われてきた.

    『止觀要門』には,「天台山顗禅師説」「斉国沙門浄辨私記」の題記があるので,『小止観』が智顗が兄のために自ら著述したものであるという学界での通説は否定された.本稿では『小止観』は歴史上二つの伝承系統があることを示す.一つは元照系の『小止観』であり,北宋で刊行され,元照の序が付記されている.通行本『童蒙止観』である.もう一つは浄弁系の『小止観』であり,刊行はされておらず,「浄辨私記」という題で,写本として流行していた『止觀要門』である.『止觀要門』は『小止観』の古い形ではなく,宗密の『円覚経道場修証儀』に引用されている『小止観』が最も古い形である.

    本稿では,『童蒙止観』は北宋で刊行された時に,すでに改編されていたか否かを,『小止観』で言及された「六気治病法」を通じて考察する.

    「六気治病法」というのは,中国民間から生まれ,道教に吸収された治病方法である.智顗が『次第禅門』『天台小止観』『摩訶止観』の中で,治病を論じる時,この治病法についてよく言及したが,版本によって内容が異なっている.『次第禅門』『摩訶止観』に説かれている「六気治病法」は『止觀要門』と同じく,また,同時代の名医道士陶弘景と孫思邈の治病法と同様である.しかし,『童蒙止観』の内容はそれらと異なる.中に智顗時代の中国医学に合わない面があり,それは北宋以後流行してきた「孫真人衛生歌」と一致し,晩唐の女道士胡愔が主張した「治心用呵」という理論からきたと考えられる.

    本稿では,『小止観』を例に,宗教典籍の改編が,経典化される際よく使われる方法であることを説明したい.特に,古代中国において,これも思想が進化する表れの一つである.

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