ウイルス教育の現状,すなわちウイルス学を専門とする大学のコース以外,とりわけ中等教育の場においてウイルスを教育する場が少ないのは,わが国に限らず世界においても同様であると考えられるが,コロナ禍を受けて,ウイルス教育を加速させようとする動きが,わが国でも海外でも見られるようになった.わが国のウイルス教育の現状は,残念ながらコロナ禍を挟んでもなお,一足飛びに進歩しているとは言えないが,特に高等学校などでのウイルスの扱いは,学習指導要領ではウイルスについて記されていないにもかかわらず,近年になっていくつかの萌芽がみえてきた.通常のウイルスは光学顕微鏡でも観察できないため,ラボベースで取り扱う方法には限りがあるが,それでもいくつかの方法があり,選択の余地はある.ウイルスの中でもバクテリオファージはとりわけ20世紀の頃から中等教育において多く用いられてきたが,最近では,ヒトには感染しない変異型インフルエンザウイルスを用いた赤血球凝集活性の測定実験,環境サンプル中のバクテリオファージの検出実験,巨大ウイルスの光学顕微鏡での観察の試みなど,数多くの先行研究が行われてきた.普段は観察できないウイルスを生徒が身近に感じるためには,PCRによる遺伝子の増幅や,ウイルスの“生での”観察など,「ウイルスをいかに見せるか」が重要であると考えられる.こうした様々な試みは,生徒により身近にウイルスを感じてもらうためのものでもあり,ウイルスに関する正しい知識を修得してもらい,国民全体のウイルスリテラシーを向上させるためのものでもある.これはわが国に限らず,諸外国においても同様で,今後のウイルス教育を生物科目において充実させていく意義は,ウィズ・ウイルス社会を迎えようとしている今だからこそ,大きなものとなるであろう.
モバイル顕微鏡を用いるクラスと通常の光学顕微鏡を用いるクラスで,ドジョウの血流観察を行う授業(小学5年生対象)を行い,発話分析,ワークシート分析,質問紙調査により,教育効果の比較を行った.その結果,モバイル顕微鏡を用いたクラスでは,発話の質の早期向上,気づきの促進,次回の観察への高い意欲が確認された.
遺伝子を扱う技術について原理と有用性に加えて,課題や問題点がすべての教科書で示されている.しかし,高等学校「生物」教科書に記載されている遺伝子診断に関する記述はごく一部に限られている.高校「生物」を受講した生徒が遺伝子を扱う技術についての理解を深めるためには生徒どうしでの話し合いが有効であると考えるが,その際には共通の話題が必要となる.本実践では東北メディカル・メガバンク機構が作成した短編ドラマ「知ること,知らないこと」を共通の話題として話し合いを行い,生徒一人ひとりが批判的に思考する契機とした.生徒にとって日常生活から形成される遺伝子診断に対するイメージは肯定的なものとなる可能性が高いが,映像の視聴,授業での話し合いによりその印象は変化しており,生徒が抱く考えは可塑的なものであることがわかった.授業後に遺伝子診断について「ポジティブ」な印象を抱いた生徒は「予測性」に気づきつつもそれを上回る利点があると結論づける傾向があり,授業後に遺伝子診断について「ネガティブ」な印象を抱いた生徒および「わからない」と回答した生徒は,利点よりも「共有性」に問題を感じる傾向があることが示唆された.
国語科の教科書には自然への愛や生命尊重を内容とする教材が含まれており,国語科の教科書を起点として生活科の学びへと発展させることができると考えられる.しかし,そのような試みはあまり見受けられない.国語科教科書の可能性が十分に活用されているとは言いにくい状況にあり,国語教科書の内容を教科横断的に活用した実践が求められていると考える.そこで筆者は国語教科書を起点として生活科へと展開していく教科横断的な実践を試みた.
国語科においては教科書の内容や文の構造の読み取りを行い,生活科においては,筆者が作成した絵本とそれを補足するスライド,ホタルの生息する環境の観察(昼間),ホタル観察(夜間)を行い,ホタルの生活環,ホタルが生きていくために必要な環境条件,ホタルは食物連鎖の中で生きており,ホタルの捕食者も種としてのホタルの生存に不可欠であることを扱った.
認知面についての自己評価,生活環の理解は良好であった.しかしホタルの捕食者も種としてのホタルの生存に不可欠であることへの理解については7割程度の正答にとどまった.情意面についても,一定の効果が見られた.
自己有能感についてはある程度の自己有能感を獲得することができた.
現在の大学や高等学校における生物教育では,ウイルスに関する教材や,分子生物学を中心に発展しつつあるバイオインフォマティクス分野に関する教材はあまり充実していない.そこで本研究では,バイオインフォマティクスを活用したウイルス教育のための教員用プロトコルをつくることを目的として,新たな「ウイルス・インフォマティクス実習」を開発した.その中でも,アミノ酸配列から立体構造を予測するウェブツールであり,世界的にも研究論文においてよく用いられているAlphaFold2ならびにRoseTTAFoldについて,どちらが大学や高等学校において実践を行うにふさわしいかを検討し,さらにウイルスと生物の関係について学生・生徒に「気づき」をもたらすことができる遺伝子の選定を行って,実習案を作成した.その結果,「ウイルス・インフォマティクス実習」において用いる構造予測ツールは,AlphaFold2の方が適切であり,ウイルスと生物との深い関わりにおいて学生・生徒に「気づき」をもたらす遺伝子(タンパク質)として,興味深い特徴を有する大型の二本鎖DNAウイルスがもつカプシドタンパク質がふさわしいことがわかった.そこで,これらを用いた実習を組み立て,その教員用プロトコルを作成した.ここで用いたカプシドタンパク質は,生物がもつproliferating cell nuclear antigen(PCNA)と,アミノ酸配列をもとにした分子系統解析ではヒットしなかったが,予測した構造を用いた構造類似性検索ではヒットすることがわかり,分子系統解析だけでなく構造予測解析を加えることで,ウイルスと生物の,これまで知られていなかった進化的,系統的なつながりを学生・生徒が意識できるようになることが考えられた.この「ウイルス・インフォマティクス実習」は,生物とウイルスの関係を考えるという探究活動的な側面からも,今後の生物教育に有益なものとなるだろう.