アフリカ研究
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2003 巻, 62 号
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 親子として斬生した預言者ムハンマドとイエス・キリスト
    盛 恵子
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 3-30
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    セネガル共和国の漁民レブーは、首都ダカールが位置するカプ・ベール半島を居住地とする。レブーはイスラーム以前に遡る精霊信仰を保っている。フランスの植民統治時代に、レブーの一漁師リマーム・ライが、ダカール近郊の町ヨフで、イスラーム教団ライエンを創設した。この教団の信仰内容の中心となるものは、転生思想である。教団創設者リマーム・ライは預言者ムハンマドの生まれ変わりであり、彼の息子イサ・ライはイエス・キリストの生まれ変わりである、と信じられている。本稿は、白人であった預言者ムハンマドとイエス・キリストとが、黒人であるレブーの親子として転生したという2つの転生は、カブ・ベール半島に居住するレブーの意識と呼応するものであるという解釈を提出する。カブ・ベール半島はかつてのフランス領西アフリカの中心地域であり、レブーはムスリムでありながら、西洋文明とキリスト教の影響にさらされていた。2つの転生は、白人の宗教であるイスラームとキリスト教を黒人化し、さらに、子は父に従うべきであるとするレブーの倫理感に訴えて、イスラームのキリスト教に対する優越性を主張する表象であると考えられる。
  • 19世紀末ゴールド・コーストの事例を中心に
    溝邊 泰雄
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 31-42
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    本稿は, 19世紀末のゴールド・コーストにおけるアフリカ人植民地政府官吏の実態を概観し, 世紀転換期におけるいかなる状況の変化が, 彼らの植民地政府に対する認識の変化を生じさせたのかを考察する。
    19世紀末までの西アフリカ海岸地域は, 病気, 資金, 現地についての知識不足などの厳しい制約のために, ヨーロッパ人が本格的にアフリカヘ侵入できる状況になかった。その為, 植民地政府は西洋教育を受けた一部のアフリカ人を官吏として採用し, 彼らの重要性を認識していた。そして, その「植民地」の運営にアフリカンエリートも進んで参加しようとした。
    しかしながら, 世紀転換期を迎える頃になると, 植民地政府官吏を輩出してきたアフリカンエリートの中から, 植民地政府がアフリカ人に向けて突き付けた様々な植民地政策に対して, 活発に改善要求を行う者が現われるようになった。そして, そうした一連の「アフリカ人」の権利回復運動が, 結果として, 20世紀アフリカ史の重要テーマであるパン・アフリカニズムや反植民地思想の形成の根幹となる,「部族」を超えた連帯意識を生み出す原動力となっていく。こうしたアフリカンエリートの植民地政府及びその背後に位置する大英帝国に対する認識の変化こそが, アフリカン・ナショナリズムのみならず, その後の「アフリカ人国家」建設にも少なからぬ影響を与えていったと考えられる。
  • 死と再生の民族誌をめざして
    阿久津 昌三
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 43-55
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    アサンテの諺に「親族は死体を好む」というものがある。アサンテの人びとが生者のことよりも死者に対して重大な関心があることを告発する言説的表現として頻繁に引用される慣用句である。アサンテの葬儀は, 宗教的なものよりも政治的, 経済的な意味,「あの世」よりも「この世」のものであることを認識することが必要である。ここでは, 死と死者の地位との関わりで, 生と死とを媒介として, 二つの世界を結びつける死から生への象徴的置換あるいは隠喩的装置を検討する。
    本稿は, 西アフリカ, ガーナ共和国のアサンテの事例をとりあげることによって,「民族誌のなかの葬儀」と「実践のなかの葬儀」というコンテキストにおいて, 葬儀の儀礼的プロセスの政治的意味を検討することが目的である。「民族誌のなかの葬儀」では, 民族誌のなかで, 生と死の世界, 悲しみの表現, 遺体の処理,「髪」の神秘性, 王の葬儀の主題がとのように記述されているかを分析した。「実践のなかの葬儀」では, 1999年2月25日のオポク・ワレ2世の崩御から4月26日のオセイ・ツツ2世の即位までの儀礼的な枠組を分析した。王位継承の儀式には, 二つの儀礼的な枠組があって, ひとつは, 王位継承の方式に従って, 王の選出機関 (つまり,「王母と評議員たち」) の手続きを経るという儀礼的枠組である。もうひとつは, 先王の葬儀を経て, 儀礼的認証を得て, 正式に王位に就くという儀礼的枠組である。前者の儀礼的枠組はいわゆるアクセッションからサクセッションに至る儀礼過程である。アクセッションとは, 王の崩御とともに, 王の選出機関の決定を経て, 次ぎの王に即時的に権力が委譲するものであり, サクセッションとは, 王位が継承されたのち, その事実を内外に告知する儀式である。
    本稿は, オポク・ワレ2世の崩御からオセイ・ツツ2世までの儀礼的な枠組を現地での資料収集と聞き取り調査にもとづいて記述したものである。王位継承というドラマを通して「死」と「再生」の置換的なメカニズムを明らかにした。先王の死と新王の誕生という王権の継受という「死」と「再生」の置換的なメカニズムが機能していると同時に, 広義の即位式という儀礼的な枠組において「死」と「再生」の置換的なメカニズムが機能している。「王の母」という擬制的な親子関係にその「謎」があるのではないかというひとつの仮説を提示することができる。
  • 象徴権力の観点からの試論
    岩田 拓夫
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 57-63
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    サブサハラアフリカ諸国における最長政権となったトーゴのエヤデマ政権は, どのようにして36年間も権力を維持してきたのだろうか。このような問題意識から出発して, 小稿では, トーゴにおいてエヤデマイズム (Eyadémaïsme) と呼ばれる非物質的な要素から構築されてきた権力のあり方に関して, P, ブルデューの象徴権力という概念を手がかりとしながら考察していく。そこでは, 軍や警察による物理的強制力や富の独占的分配によるクライアンテリズムに基づいた物質的な権力を補完・強化してきた, 非物質的な権力様式に注目していく。
    概念的検討をふまえた上で, はじめに象徴権力としてのエヤデマイズムの構成に関わる要素である神話化, 名づけ, 宗教, 伝統の再発掘に関する分析と, エヤデマイズムの形成過程に関して考察していく。次に, 1980年代以降のエヤデマイズムのほころびから, 1990年代はじめの民主化プロセスにおけるエヤデマイズムの崩壊の危機と, その後の復活の過程までを明らかにする。
    小稿における考察を通じて, サブサハラアフリカ最長政権となったエヤデマ体制の権力構造に関する一つの理解を提示すると共に, アフリカ政治における権力と支配の一側面を考えていく。
  • 「女性/ジェンダーの視点からのアフリカ史再考-奴隷制・植民地経験・ナショナリスト運動・その後-」に参加して
    舩田クラーセン さやか
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 65-70
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 澤田 昌人
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 71-73
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 岩城 剛
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 85-86
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 寺谷 亮司
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 86-88
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 中村 亮
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 89-91
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 原口 武彦
    2003 年 2003 巻 62 号 p. 91-96
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
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