中部タイの農村は, 小規模潅漑システムの発達している北部タイや日本の農村に比べて, 村レベルでの緊密な労働組織がないことで知られてきた. その「ルースな社会構造」をもつといわれる中部タイ農村において農業発展のなかで政府当局が果たした役割を検討するために, ある先進的な稲作村落を事例として, 農業に関わる公的組織と村民との関係を検討した結果, 以下の事柄が明らかになった. (1) 村内には国家規模のプロジェクトによる潅漑水路が整備されているものの, 潅漑のための村レベルでの農民の組織化は進んでいない. (2) 従前から民間の貸し手に対する依存度が高かった農民向け金融においては, 現在では公的金融機関である農業・農業協同組合銀行 (BAAC) と農業協同組合とが大きな役割を果たしている. (3) 農業普及局による村落レベルでの普及活動は, 村レベルでの農民の組織化という課題において成功していないにも関わらず, 一定の効果をあげている. このように, 中部タイ農村部では, とりわけ1970年代半ば以降, 潅漑, 金融, 新技術の普及などにおいて公的機関が限界をもちながらも一定の役割を果たしてきた. しかし, 稲作生産の発展は, 村レベルで組織的・集団的になされるというよりは, 基本的に個々の農民と公的機関や民間市場とのサービスや財の直接的な取り引きによって推進されている側面が強い. ただ, 村内に唯一存続する普及組織 (農民主婦会) のメンバー構成は, 村内の親しい親族を中心とした日常的つきあいの関係を反映しており, もし農村開発のための村レベルでの農民の組織化を考えるとするならば, かかる既存の日常的社会関係を考慮するべきと思われる.
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