1970年代の初期に始まったサイエンス・パーク計画について, その成功物語とされるフランスのソフィア・アンティポリスとアメリカのサンディエゴの30年後の姿を比較すると, 後者は世界級のバイオ・クラスターとしての認知を獲得しているのに対し, 前者は研究機能や産業機能が高成長したが専門が分散している点が特徴となっている。80年代初頭に, 統治組織の分権改革の波と重なって, 「ソフィア・アンティポリスのクローン」がフランス全土に拡がったが, 90年代末には, クラスター開発の観点からみてあまりに諸機能が分散したため, 新たな戦略が採用されるに至った。同時期に, ヨーロッパ・レベルで「バイオ・バレー」の創出計画が推進されることになったが, 当時フランスには国際的に競争力のあるバイオ・クラスターが存在していなかったのである。99年に, フランス政府(研究省)は, 23のレジオン(地域)それぞれに拠点を配置するという分散方式から転換して, 8ヶ所のみ-Ouest, Lille, Evry・Pasteur・Ile de France, Strasbourg・Alsace Lorraine, Rhone・Alpes, Toulouse, Montpellier・Languedoc・Roussillon, Marseille・Nice-を「ゲノ・ポール」に指定するゲノム・サイエンス・ネットワーク計画を開始する。また, 保健省も2002年に同様の戦術に基づく「キヤンサー・ポール」計画を開始する。そして, それらの集中化計画に基づくバイオ・ゲノミックス・クラスターEvryが, ソフィア・アンティポリスの後に続く30年後の成功事例となるのである。さらに, 2004年12月に, フランス政府は「競争的ポール計画」を打ち出し, 80年代初期の全レジオン, その後の8ヶ所のゲノム・サイエンス・ネットワークをさらに的を絞って, 全国の3ヵ所-Evryを含む遺伝子学のパリ, ナノバイテクのグルノーブル, ガン研究のツールーズ-を指定する。ツールーズの場合を事例に取ると, 航空学や宇宙学のクラスターがあるエアバス都市であり, また, フランスで第一の大学都市でもあり, 技術移転を促進するためのイノベーティブな技術プラットフォームを発展させていた。さらに, バイオテクノロジーの領域では産業のクリティカル・マスも存在したが, グローバルなレベルでみた場合, どこにニッチェの的を絞るべきかの問題があった。2003年に, ツールーズ市当局は「競争的ポール計画」を先取りして, la Cite des Biotechnologies(バイオ都市)の計画に着手し, 国のガン計画と統合させることによって, ガンに焦点をあてたバイオ・クラスターの指定を得たのである。フランスでは, 70年代のソフィア・アンティポリス型サイエンス・パーク政策から, 30年を経て, 90年代末以降, 「競争的ポール」政策への転換を図ることによって, 知識基盤型経済に対応しようとしているのである。
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