本稿では,神岡鉱山栃洞地区での江戸末期における鉱山開発の展開とその地域的基盤について,開発に必要とされた技術者,資金の確保のあり方に注目して検討した.北陸,東海地方には,衰退した鉱山から盛況へ向かいつつある鉱山へと移動を繰り返す金山師が多数存在し,地域に技術者が確保されていた.開発資金は,主に船津町村,高山町の商人によって供給された.とりわけ,山元の船津町村では江戸末期までに戸数が増加し,さまざまな属性の者が居住するようになっており,それらが時期に応じ,経済力に応じて,資金供給,下請稼行,必要物資などの販売など,異なったかたちで開発に関与したことが,開発の継続と盛行に大きく寄与していた.江戸末期には対象地域のような,比較的貧弱な鉱床の開発が広く行われたが,それらの開発は,地域住民の積極的な開発への関与,全国規模での鉱物資源の流通システムの成立によって可能になったと考えられる.
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