四国南西部,僧都川および松田川流域における河成段丘の編年を広域テフラを用いて明らかにし,中期更新世以降の地形発達と地殻変動様式について検討した.研究地域の段丘面は高位からH1面,H2面,M面,L面の4面に分類される.最高位のH1面は連続性の良い堆積段丘で,その堆積層には0.58±0.11Maのフィッショントラック年代を示す銭坪テフラと,0.66±0.15Maのフィッショントラック年代を示す光専寺IIテフラが挟在する.銭坪テフラは,年代・鉱物組成・含有鉱物の屈折率の一致から中部九州の由布川火砕流堆積物に対比される可能性が高い.銭坪テフラの年代からH1面は0.6Ma頃に離水したと推定される.H1面以降の段丘面は連続性が悪く,その堆積層は薄い.H1面形成までは松田川流域から増田川・僧都川流域を経て,豊後水道へ注いでいた古南宇和川が存在したが,その後,古南宇和川の水系は河川争奪によって消滅した.広く分布するH1面が厚い堆積層から成ることから,僧都川・松田川流域では約0.6Ma前後まで地盤が沈降あるいは安定していたと想定される.Hl面の縦断勾配の変形から,約0.6Ma以降に北東一南西走向の隆起の軸を持つ曲隆運動が生じたと推定し,この運動が四国山地の曲隆運動の南西端にあたることを示した.この曲隆運動によって,大規模な河川争奪が生じたと推定される.
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