本稿では,従来,書誌学者や文献学者,あるいは図書館員としてわが国に紹介されている,帝政ロシアに生まれてぺテルプルグ等で図書館活動や書誌活動を行い,その後スイスに亡命して引き続きそれらの活動を行った N.A.ルバーキン(1862-1948)に関し,彼の著作『読書と図書の心理学一書誌心理学』(1929年)を通じてその理論を紹介することにより,その歴史的な意義を考察した。
ルバーキンは,19世紀ドイツの著名な動物学者R.セモンのムネメ論に基づいて「図書現象」,「書誌心理学」等の基本的概念を確立し,それらの概念を用いて心理学的な観点から読書と図書との関係の計量的な理論化を試みた。
現代の生物科学や情報科学等の研究水準からみると,セモンのムネメ論は時代遅れとなっているが,ルバーキンが設定した理論的な命題は,決して時代遅れとはなっておらず,逆に,彼がソ連図書館界の思想的,理論的混乱を間接的にではあるが根底から批判しているが故に,予言的な性格さえ帯びている。それは,次のような優れた特質をもっている。
① 「図書現象」という概念を用いて,「著者」(話し手を含む)ー「図書」(ことばのレベルを含む)ー「読者」(聞き手を含む)という三つの要因から成る社会コミュニケーションのモデルを設定したこと。
② そのモデル中において,理念型としての「読者」の概念を創造したこと。
一私は,この著作において図書現象を社会現象として扱い,著者や話し手が集団に与えようと夢想している事柄ではなく図書が集団に与えている事柄を考察することによって,言葉や図書は,それを知覚した人に影響を及ぼしている限りにおいてのみその内容を持っているという,動かし難い事実を証明しようとした。本質的に単純なこの真実は,従来,非常に多くの人々にとって明らかではなかったのである。私は,本書で次のように主張している。即ち,真実がその奥底までかつ総ての面において詳細に明らかにされない限り,図書現象は確固たる基盤の上に立つことはできず,多量のエネルギーや労働や時間が図書現象関係者によって非生産的に消費されるということを一 (N.A.ルバーキン「読者と図書の心理学」p. 229)
抄録全体を表示