本研究では集落規模を越えた地域営農組織がどのように農地利用を調整して存立しているのかについて,一関市の門崎ファームを事例に検討した。門崎地区の農家は高齢化が進行し,後継者層の他産業就業が拡大しているため,農業経営は縮小している。こうした課題への対応として,基盤整備を契機に設立された複数集落にまたがる営農組織が門崎ファームである。これによって門崎地区の農地は6戸のオペレーター農家を中心に利用されることとなったが,他方で自家消費米や縁故米の確保を目的に自作の継続を望む農家も存在していた。
門崎ファームはこうした農家の意向を踏まえて,基盤整備が実施された農地を集積し,オペレーター農家層,自作農家層という順で農地を再配分している。こうした再配分によってオペレーター農家による水稲作付けを大規模な圃場に集積し,比較的小規模な圃場において自作を希望する農家の農業経営を継続している。
1822年3月23日に有珠山から噴出した火砕流・火砕サージがアブタ集落を襲い,6人の和人と72人のアイヌの人々が死亡した。一旦は遠方へ避難していたにもかかわらず,噴火の前日にアブタ集落周辺に帰って死亡した理由については不明であった。本研究の目的は,アイヌの人々が有珠山の噴火の状況をどのように解釈して行動していたのかを復元し,噴火前日夕方の大雨のなかを避難先からアブタ集落へ帰った理由を明らかにすることである。
3月12日に有珠山は噴火し始めたので,和人の責任者は山麓周辺の人々に10 kmほど遠方のベンベ集落まで避難するように指示した。多くの和人の人々はこの指示に従い避難した。しかし,アイヌの人々や善光寺の和人の僧侶たちはその避難の指示が届く前に,既に避難し始めていた。
アイヌの人々は,悪神が有珠山を噴火させているので,善神に鎮めてくれるように祈った。3月23日早朝に火砕流・火砕サージがアブタ集落を襲った。その前日の夕方の4時ころからは大雨となっていた。アイヌの人々は大雨と少ない噴煙をもって,有珠山を噴火させている悪神が善神に対して劣勢になりつつあると解釈した,と推測される。そのために,アイヌの人々はアブタ集落の自宅に一時的に帰っていたと考えられる。
2000年代に入り,インターネットの高速通信を可能とした新たな通信基盤として,ブロードバンドが急速に普及している。ブロードバンドには様々な技術があるが,日本で広く普及しているADSLは,技術的制約から広大な平野部のような地域に対するブロードバンドの提供には適さない。本研究では,こうした地域におけるブロードバンドの整備事例として,北海道東川町を対象に,住民へのアンケート調査を通じて光回線の需要を明らかにした。
アンケート調査からは ① 光回線はADSLの利用が困難である地区で顕著な需要がある,② 光回線とADSL等の他のブロードバンド利用目的はほぼ同じであるという結果が得られた。これらの結果から,光回線整備によって,これまでブロードバンドが利用できなかった地区でも,他地区の住民と同様にブロードバンドが利用できるようになったと指摘できる。しかし,ADSLが利用できず光回線の整備が求められた地区は,人口密度が低く採算性が悪いことから,単独のサービス事業体で通信基盤を維持するのは厳しい。この課題に対しては,電話サービスで義務付けられているユニバーサルサービス制度のように,個々の事業体を超えて相互補助が可能な制度が求められる。
Ohuratabaru coast lies in the northern part of Miyako Island, where beachrock develops continu- ously about 400 m in length and 70 m in width. Eight calibrated 14C ages reported previously were used to estimate formative age and rate of beach rock. They suggest that beachrock was formed from inland toward the present strand line between ca. 1,500 cal BP and present time. The average formative rate of beachrock evacuated from age and distance indicated 3~7 cm/y.