日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の228件中151~200を表示しています
  • 一柳 亮太
    p. 151
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに

     島嶼において中心地が立地する最も重要な条件は港湾の存在,すなわち船の発着点という役割によって諸機能が集積した結果とされる。一定の面積を上回る島においては首位都市から距離が相対する位置に2位以下の中心地がおかれ,かつ相互の関係は希薄とされる。さらに島嶼地域の中心地は,完結した地域に立地するという特性から,非島嶼地域における同一人口規模の中心地と比較して多種の事業所が立地し,地域において影響力をもつ存在とされてきた。

     わが国の島嶼地域は離島振興法などを背景に港湾はもとより,空港・道路などの基盤整備が進められ,住民の生活は大きく変化している。さらに近年顕著に見られる既存の中心地に多大な影響を及ぼす商業施設の変化,すなわち小売店鋪の大型化と立地の郊外化は,島嶼地域においても例外なく行われていると考えられる。

     また,島嶼地域の中心地は隔絶性により人口に比して多くの事業所が立地する。島嶼地域が基本的に人口が流出傾向にある地域であることに加え,何らかの理由でその隔絶性が低くなれば,中心地の存立に大きな影響を与えるものと考えられる。



    2 変化の要因

     1) 戦後の奄美諸島は,諸島全体の中心地である名瀬市へ人口が集中し,名瀬市の市街地は極めて過密な状態となっていた。過密状態にある市街地の改善を目的に,名瀬市は1960年代から公有水面の埋立事業を開始し,大規模な土地を生み出した。

     2) 奄美諸島は奄美群島振興開発特別措置法に基づいて大規模な公共投資が行われ,さまざまな基盤整備がなされた。その中で,奄美大島を南北に縦断する主要な交通路である国道58号線も大幅に改良がなされた。国道58号線の改良により,瀬戸内町_から_名瀬市間の距離が短くなり,所要時分も短縮された。また,全国的なモータリゼーションの進展は瀬戸内町においても例外ではなく,自動車の保有率が上昇した。


     3) 以上に述べたような変化は,同時期に全国的に進展していた商業施設の変化と合わせて,奄美大島の商業形態を変化させた。すなわち名瀬市の埋立によって生み出された土地と,道路改良と自動車保有率上昇による自動車利用の増加が,名瀬市近郊への大型商業施設立地につながり,既存の中心市街地を指向しない生活形態を生み出した。



    3 考察

     以上に述べたような変化の結果,瀬戸内町においては以下のような変化が見られた。

     1) 道路改良と自動車保有率上昇は,これまで分離していた名瀬市と瀬戸内町の日常生活圏を一体化させた。これまでは不可能であった瀬戸内町から名瀬市間の通勤通学行動が可能となったが,同時に,名瀬市を始めとして他町村から瀬戸内町への通勤者もみられるようになった。これは瀬戸内町への通勤者が町内に居住しなくなったものと考えられ,瀬戸内町の事業所立地に影響を及ぼしているものと考えられる。

     2) これまで瀬戸内町は,奄美諸島における低次の中心地という位置づけと,名瀬市に対する奄美大島の南部における生活圏の中心地という2つの立場を有していた。しかし,後者においては名瀬市に並ぶ中心地という位置づけに変化が生じてきているものと考えられ,それは奄美大島における名瀬市への集中であると言える。発表当日は,以上の点に更なる考察を加える予定である。



  • 鈴木 敬子
    p. 152
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     活断層トレンチ調査は、常にその活動履歴資料が重要視され続け、それ以外にもたらされる資料については殆ど利用されてこなかった。トレンチ壁面に現れる変位層準の表面は、過去の断層運動直後の地表断面を意味し、埋没した変位地形を三次元的に復元するための資料である。
     本研究では、断層構造の三次元的把握を狙って掘削された丹那断層子乃神地区トレンチ(第3次丹那断層発掘調査研究グループ、1988)の壁面スケッチをもとに、本地域における埋没断層変位地形の復元を試みた。

    2. 復元方法と復元対象
     地形の復元には、地形作成機能を持つ3D-CADを使用した。本壁面では6回のイベントが認定されているが、その中でも層準が連続的に多くの壁面で出現しているイベントIV(4e層上面)と、イベントVI(7-8層上面)の層準を対象にした。

    3. 結果
    (1) イベントVI層準上面から復元した起伏(図1)
     復元した起伏は、中央部を南北に貫く東側低下の低崖が出現するが、その比高は南へ向かって低くなり、中部で最も小さい。東側地塊は、緩やかに東西方向へ背斜を形成し、小起伏や、低崖の方へ引きずられる構造も見られる。西側地塊は、全体的に大きく東西方向に向斜する。北部では急激に高度を上げ、丘状の地形を形成する。
     本来水平に堆積した本層準が、低崖を隔てて両地塊が互いに異なる起伏や褶曲構造を形成するのは、断層運動によるものであると考えられる。ただし本地形は、イベントVIにより生じた地形が、その後の断層活動でさらに変位変形を受けたものである。

    (2) イベントIV層準上面から復元した起伏
     地形の中部に、ほぼ南北走行の低崖がみられる。この低崖は、場所により斜面の方向が異なり、北部では東向き、それ以外では西向きである。崖の比高も、北部と中部で高く、南部へ低くなる。東側地塊では、全体的に背斜を形成する。西側地塊では、中央部に向斜軸を持ち向斜構造を形成する。北部では明瞭な高まりを持つ。
     本層準から復元した起伏は、本来水平に堆積した地層を上下に食い違わせ、形成された低崖を堺に異なるパターンの地形を形成しているので、これも断層運動による変位地形だと考えられる。ただし本地形も、イベントIV以降の複数の断層運動による変位も受けて形成されたものである。

    4. 考察
    (1) 上下変位量について
     本研究では、復元した地形から任意の測線における断面図が作成できる。そこで復元した両地形から上下変位量を求めた。イベントVI層準による地形では、北部で1.0m(東側低下)、中部で0.1m(東側低下)、南部で0.2m(東側低下)であった。同様にイベントIV層準による地形では、北部で0.5m(東側低下)、中部で1.3m(西側低下)、南部で1.1m(西側低下)であった。
     これらの変位量は、通常のトレンチ調査における壁面の解釈では求められず、埋没断層変位地形の復元は、この点において非常に有効である。

    (2) 復元した地形の比較と変位の累積性
     復元した両地形を比較すると、上下変位方向は異なるが、各地塊にあらわる背斜、向斜などの構造には共通性がみられる。またイベントIV層準からの地形より、イベントVI層準からの地形は、両地塊に見られる起伏が明瞭で大きい。これはイベントVIの方が、より多くの断層運動を経験し、変位を累積しているためだと考えられる。
  • 高橋 健一, 松倉 公憲, 岡本 亘
    p. 153
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_ はじめに
     日南海岸・青島と九州本島とをむすぶ弥生橋には、四角錐台型の橋脚が4基あって、その側面は整層積みの砂岩塊で覆われている。砂岩塊の表面にはタフォニ様の窪みが形成されており、窪みの深さは、砂岩塊の高度や方位、ならびに橋脚の位置によって変異している。
     従来の研究(高橋ほか、1993)によれば、_(1)_窪みの形成過程は砂岩塊表層部の塩類風化を介在した主として波浪による摩耗侵蝕で、_(2)_この過程は風化による砂岩塊表面の強度低下がない限り生じることがない。したがって、_(3)_窪み深さの方位・高度による差異は、塩類風化による砂岩塊表面の強度低下の方位・高度による差異によるものであり、_(4)_塩類風化は海水の供給と日射強度との微妙なバランスによって制御されている。
     さらに、窪み深さの橋脚の位置による変異の研究(高橋ほか、1998)では、日照条件は、窪み深さの方位による差異や、橋桁の下方で窪み深さが小さいことの原因としては重要であるが、窪み深さの橋脚による差異の原因ではないことが示された。
     塩類風化の過程においては日照条件の他に海水の供給が重要である。そこで、本研究では、海水供給の橋脚による差異が窪み深さの橋脚による差異とどのような関連を有するかを検討するために、各橋脚における海水供給量の計測を試みた。

    _II_ 海水供給量の計測
     砂岩塊に対する海水の供給量を直接に計測することは難しい。そこで、海水の供給様式や供給量の方位・高度・橋脚による差異を間接的に推定できる計測項目として、砂岩塊に対する波浪の直撃継続時間を計測した。計測装置は、センサー、水位計基板、カウンタからなる。センサーは2本平行棒型電極をもち、波浪の直撃で電極間が通電すると水位計基板のオープンコレクタが閉じ、カウンタが作動する。カウンタは、直撃回数をカウントするトータルカウンタと直撃継続時間を積算するタイムカウンタの2種とし、その表示値を5分毎にカメラで撮影して記録した。
     センサーは、波浪の直撃範囲や波浪直撃の高度変化傾向を把握するため、各橋脚北面の中央部で平均海面上0.5m、0.9m、1.3m、1.7m、2.1m、2.5mの6高度に、南面では0.5_から_2.1mの5高度に設置した。計測は、2003年3月18_から_20日と9月29日に実施した。計測日の潮汐はいずれも大潮である。

    _III_ 計測結果
     _(1)_橋脚南面の計測結果には全調査結果に共通な特徴が認められる。すなわち、波浪の直撃回数・直撃継続時間ともに、青島側から2つ目の第2橋脚についての結果が、他の橋脚の結果にくらべて常に大きいことである。これは、第2橋脚南面が最も高い領域まで多量の海水供給を受けていることを意味するが、橋脚南面における窪み深さの高度変化において、第2橋脚だけが上方減少傾向であることと調和的である。
     _(2)_橋脚北面の9月の計測結果をみると、波浪の直撃積算時間は九州側橋脚(第4橋脚)から青島側にむかって増大している。これは、北面の窪み深さが青島側にむかって減少していることと調和的である。

    引用文献
    高橋健一・松倉公憲・鈴木隆介 1993. 海水飛沫帯における砂岩の侵蝕速度_--_日南海岸・青島の弥生橋橋脚の侵蝕形状_--_. 地形14:143-164.
    高橋健一・松倉公憲・小林 守 1998. 海水飛沫帯における砂岩の侵蝕速度に及ぼす地形場の影響. 平成7_から_9年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書.
  • 広島県山県郡戸河内町を例として
    赤石 直美
    p. 154
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.研究目的
    本研究の目的は、中国山地西部の一山村を取り上げ、近世末期_から_昭和初期における森林荒廃と、農業をはじめとする生産活動との関係性について明らかにすることである。
    森林荒廃、あるいは森林破壊と生産活動との関係性、さらに治山問題はこれまでも議論されてきた。本研究は特に、近代以降を対象とし上記の問題を検討した。
    本研究が対象としたのは、中国山地の西部広島県の一山村である。使用した資史料は、江戸時代末期に作成された『芸藩通志』、明治期から昭和初期にかけて作成された行政資料、農業調査資料、地籍図などである。さらに高度成長以前の実態を把握するため、可能な限り高齢者への聞き取り調査を踏まえて分析した。
    2.様々な生業と森林の状況
    近世末期_から_昭和初期にかけて、広島県山間部では製鉄業に関わる運送や製炭をはじめ、林業や狩猟、畑作などが営まれていた。それは、江戸時代より発達していた山陰と山陽を結ぶ交通路や河川交通を巧みに利用したものであった。
    広島県西部に位置する山県郡戸河内町もまた、製炭や木材生産を行なう地域であった。資料から昭和初期の当町における山林の状況をみると、著しく禿山化した一帯があったことがわかった。例えば、麻栽培を行なう畑作村であった上殿集落は、堆肥生産のため柴草刈により山林が著しく禿山化していた。やはり、農業生産が林野の荒廃に関係していたことがわかった。上殿は林業よりも石工や大工などの諸職を兼業する者が多い集落であったが、これには山林が荒廃していたことも関係したと考えられる。
    このように、上殿集落では畑作(麻栽培)と様々な生業が複合的に営まれていたものの、1932(昭和7)年に新たに水路が建設され、畑を水田に開墾する工事が行なわれた。その結果、以前は総耕地面積の約半数を占めていた畑のほとんどが水田となり、上殿は稲作中心の集落となった。開墾の要因は麻価格の下落であったが、山林が荒廃していたことも関係したと考えられる。
    3.麻栽培と稲栽培における肥料の相違
    土地利用の変化は森林荒廃と関係があったのかどうか、昭和初期における麻栽培と稲栽培について肥料問題に着目して検討した。その結果、両者では1反当りの施肥の回数が異なり、水田の方が少なかったことがわかった。さらに、必要な肥料の量も稲作の方が少なく、堆肥の生産あるいは肥料の購入といった面でも、稲作の方に利点があることがわかった。これは、山林から得る柴草の利用量にも影響したと考えられる。
    4.森林荒廃と水田稲作との関係
     以上、山間地域における森林荒廃と生産活動との関係性を検討した結果、両者には密接な関係があったといえる。そして、農業のなかでも畑作より稲作の方が森林への負担は小さかった。ただし、山間地の面積の比較的狭い水田稲作の場合であり、広大な平野の水田の場合も検討する必要がある。今後の課題としたい。
  • 高木 哲也, サーカー M.H., マーチン M.A., 小口 高, 松本 淳
    p. 155
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1. はじめに
    高木ほか(2003)は,1967~2002年の14時期における乾季のランドサット画像およびCorona衛星写真を利用し,ブラマプトラ川の「川原」(現氾濫原と流路からなる範囲)における水面,砂地,草地の分布を表す解像度240 mのグリッド・データを作成した.次に,そのデータをGISに入力して解析した.結果は以下の通りである.調査期間に平均川原幅は増加傾向にあり,特に1980年代後半から1990年代前半には河道幅が狭い部位が急激に拡幅した.流路数は基本的に川原幅と正の相関を持つが,拡幅期には相関が不明瞭になった.また,水面と砂地のセルを不安定,草地と川原外のセルを安定とみなすと,安定化した区間と不安定化した区間が一定の周期で交互に分布し,それらの区間が時間とともに下流に移動する傾向がみられたが,川原の拡幅が終了した1990年代後半以降,上記の移動は不明瞭になった.すなわち,安定化・不安定化区間の移動は河原の幅の変化と連動している.また1990年代後半以降には河川が動的平衡に達したと推定された.本発表では,高木ほか(2003)のデータを用いて新たに行った河道の安定度に関する定量的解析の結果を報告する.

    2. 河道の安定度の変化と最大洪水との関係
    ある期間に河床が安定化した程度(DSI)は次式で表せる.

    ここで,Sは不安定から安定に転じたセルの数,Uは安定から不安定に転じたセルの数,Aはセルの総数である.河道の不安定化は,大規模な洪水でもたらされる可能性が高いが、このことを検証するために,画像が撮影された間の期間における最大洪水とその前後を含む21日間の流量の総和と,その期間のDSIとの相関を調べた.その結果,2期間(1967-73,1980-84)を除くと両者には明瞭な負の相関が見られた.また,上記の例外的な2期間は他の期間よりも長いために,不安定と安定との相互変化が複数回生じた可能性が高く,期間内の最大洪水の代表性も低くなるため,他の期間とは傾向が異なることは妥当といえる.以上から,洪水の規模が大きいと河道の不安定化が顕著になることが裏付けられた.

    3. 空間自己相関を用いた安定度変化の分布解析
    各期間について,安定化・不安定化したセルと,安定度に変化のないセルの分布に見られる空間的自己相関(spatial autocorrelation)を,下記のMoranの式(Moran, 1950; 野上ほか, 2001)によって定量化した.

    ここで,Nはセルの数,ijはセル番号,Xiはセルの値(種類),Aijはセルiの近接度を意味する.近接度は近接する前後左右4個のセルを1,それ以外を0とした.一般に,Iが1に近ければ類似の属性を持つセルが近接しており,Iが-1に近ければ異質なセルが近接しているといえる.
    調査地域を14のセグメントにほぼ等分し,各セグメントのIを時期ごとに計算した.その結果,川原幅が大きく変化した1980年代後半_から_1990年代前半には,Iの値がセグメントごとに顕著に異なっていたが,1990年代後半以降には,Iの値が全セグメントでほぼ共通となったことが判明した.また,後者と類似の状況は1980年代前半にも一時的に生じていた.
    上記のIの変動と,高木ほか(2003)との検討結果との対応から,河川が動的平衡に近づくとIが全域でほぼ等しくなると推定される.従来,空間自己相関の指標は土地利用分布などの解析にしばしば取り入れられてきたが,地形学への適用例はほとんどなかった.上記の結果は,空間自己相関の指標が網状河川の複雑な形状とその変化の解析に有用なことを示唆している.

    4. 河道変化にみられるステージ
    以上の検討と河原幅の変化に基づき,1967~2002年におけるブラマプトラ川の河道の状態を,_I_:1967-73,_II_:1976-80,_III_:1984-92,_IV_:1994-2002の4つのステージに分類した._II_と_IV_は動的平衡状態,_I_と_III_は平衡状態へと移行する期間とみなされ,ブラマプトラ川の状態は断続的に変化していることがわかった.
  • 河角 龍典
    p. 156
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに
     京都は,天候や自然災害に関する古記録が歴史時代を通して最も充実した地域のひとつである.水害に関する古記録もそのひとつであり,京都市内を流下する鴨川を中心にいくつかの水害史料が編纂されている.これまで鴨川の水害史は,文字として記録された災害史料をもとに,洪水の頻度やその発生メカニズムについて論じられてきた.しかしながら,過去の洪水氾濫区域の特定やその変遷については,ほとんど検討されることはなかった.また,洪水の頻度や洪水氾濫区域が,歴史時代の地形変化とどのような関係にあるのかということについても不明な点が多かった.
    本研究の特徴は,考古遺跡に堆積物として記録された洪水の痕跡に注目することによって,平安時代以降の地形変化や過去の洪水氾濫区域の復原を試みることにある.具体的な研究目的は,鴨川の水害史料に現れた洪水の発生頻度の変遷と平安時代以降の地形変化との関係,平安時代の地形変化と洪水氾濫区域の変化との関係について考察し,鴨川の水害史を再構築することにある.
    2.歴史時代の地形変化
     本研究では,ジオアーケオロジー(geoarchaeology)の手法を適用し,考古学や歴史学の研究成果に対応する精度の地形環境復原を行った.その結果,鴨川流域の歴史時代の地形変化は,5ステージに区分できた.
    ステージ_I_(8世紀_から_10世紀頃)地形は比較的安定しているが,氾濫原と河床との比高は小さい.
    ステージ_II_(11世紀から14世紀頃)河床低下が進行し,扇状地が段丘化した.2mほどの段丘崖によって扇状地が段丘面と新しい氾濫原の2面に区分される.
    ステージ_III_(15世紀頃)段丘面においても溢流氾濫に伴う堆積が開始し,河床が徐々に上昇した.
    ステージ_IV_(16世紀_から_20世紀前半)自然堤防の形成と天井川化が進行し,河床はさらに上昇した.
    ステージ_V_(20世紀後半)1935年の鴨川大洪水を契機に浚渫工事が行われ,河床が低下した.鴨川に隣接する河川(紙屋川,御室川)では,天井川が撤去される.
    3.水害史料による洪水頻度の変遷と地形変化
     歴史時代の地形環境復原によって明らかになった鴨川の河床変動と水害史料による50年後ごとの鴨川における洪水発生頻度の変遷とを比較した結果,両者はよく対応することが判明した.すなわち,史料に記録された洪水頻度の記録は,気候変動や流域の植生環境に加えて,鴨川の河床高度と京都の市街地が展開する地形面高度の垂直的な位置関係と密接に関係する.平安時代の前半に洪水発生回数が増加するが,この時期には,鴨川氾濫原が大半を占める平安京左京において都市開発が著しく進行した.こうした氾濫原の土地利用も洪水頻度を増加させた要因のひとつとして考えられる.
    4.平安時代の地形変化と洪水氾濫区域の変化
     地形環境復原よって明らかになった地形変化,鴨川の河床変動,水害史料,堆積物として刻まれる洪水記録から平安時代(ステージ_I_・_II_),すなはち河床低下前後における鴨川の洪水氾濫区域の復原を試みた.
    ステージ_I_(8世紀_から_10世紀頃)氾濫原と河床の高度差が小さいために,鴨川の洪水氾濫区域は平安京左京の大半を占めることが判明した.この時期の洪水発生区域は,水害史料をみても,「京中」と示される頻度が高い.
    ステージ_II_(11世紀から14世紀頃)河床低下に伴い鴨川沿いに形成された段丘崖によって,洪水は段丘崖下の新しい氾濫原内に限定され,段丘面では洪水の氾濫する頻度が低くなった.この時期の洪水発生区域は,水害史料をみても,「京中」と示される頻度が少なくなる.
    5.おわりに
     本研究では,従来から行なわれてきた水害史料の分析に加えて,遺跡に記録される洪水の痕跡についても検討することによって、鴨川水害史の再構築を試みた.その結果,史料による鴨川の洪水発生頻度の変遷は,鴨川の河床変動と密接に関係することが明らかになり,さらには平安時代以降の一連の地形変化によって洪水氾濫区域も変化することが判明した.今後は,こうした土地に刻まれた過去の水害の履歴をいかに防災に活用するか考える必要がある.
  • 各種報告書と各地の実態より
    山元 貴継
    p. 157
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    研究の背景と目的 朝鮮半島においては,日本統治時代(1910から45年)に入り「土地調査事業」(1912年以降)と,それに続く「林野調査事業」(1916年以降)などが進められる中で,山林の所有や地目に関する把握を徹底することが求められた.そこで本報告では,これら「事業」の進行の過程などにおいて朝鮮半島における山林がどのように制度的に把握されていったのかについての,一試論を提示することとした.資料としては,「事業」に関する各種報告書の記述と,実際に各事例地域において,当時の山林の状況を記載した地籍資料(林野台帳・林野図等)とを用いた.そして,これらの過程を経た山林については現地調査を行い,その後現在に至るまでいかなる変化を経験したのかについても検討を加えた.

    各種報告書の記述と各地の実態 各種報告書において注目される3つの観点について,報告書の記述と各地の実態とをまとめると,以下のような状況が指摘される(図).

    ○集落空間としての山林 「土地調査事業」当初は課税対象とはならず調査対象から外されたとされる山林ではあったが,実際には同事業の時点においても,「亭子」(図)といった氏族集団による建築物が存在するなどして,集落の続きとして調査対象となった山林が各地で散見される.こうした山林は地籍資料上,氏族集団の代表者による,あるいは同者を含めた連名での所有とされた.ただし,非常に小規模の建築物しか存在しない場合,後の「林野調査事業」において,追加的にその所有などが把握されていくこととなる.なお,一連の「事業」時に「林野」あるいは「田(畑作地に相当)」に区分され地籍資料に記載された山林は,後に幾度かの実態調査を経て,とくに解放(1945年)以降の一時期にその多くが再び「林野」としての記載に改められていく,といった過程をみた.

    ○墓地としての山林 朝鮮半島においては,稜線上に氏族集団などの墳墓が設けられることが多く(図),各種報告書においても「陵墓」としてその存在に留意することが特記されていた.そして,「林野調査事業」等を通じて整備が進められた地籍資料においては,これら墳墓が含まれる稜線の全体が,比較的明確に,氏族集団の代表者による,あるいは同者を含めた連名での所有と記載されていった.ただし,山林全体に占める墓地自体の面積比率が低く,またその領域も明瞭でない大部分の墓地は,地籍資料上では一括して「林野」と記載されていることが多い.一方で,墓地のほとんどみられない山林は,事業を通じていったん「国有」扱いとなってしまったものがしばしばみられる.こうした,いったん「国有」扱いとなった山林が,後に一部で,民間への払い下げ等を経験することとなる.

    ○境界としての山林 面・里(日本の村や字に相当)の境界を明確にすることも目的とされていた一連の「事業」では,当初,稜線上を境としてそれらの境界を確定するよう想定していたことが各種報告書の記述にみられる.しかしながら先述したように,稜線上には墓地が設けられ,かつ稜線全体が氏族集団などの所有となっていることが多いという実態をふまえてか,実際に地籍資料でも,いったんは稜線に沿って面界・里界を求めながら,後に稜線を避けるように境界線を移動した事例が確認される.

    以上の結果から 以上見てきたように,朝鮮半島における山林は,「事業」が開始された当初はその所有者の確認などがさほど重視されていなかったものの,後に一連の「事業」を通じて,集落空間および墓地としても重要な場所となっていることが制度的に把握されていったことが指摘される.とりわけ,氏族集団が関わっている山林は,関係者が隣接して居住しているか否かを問わず,早い時期にその所有が確認されていった可能性が高い.逆に,そうした条件を持たない山林の制度的な把握はしばしばあいまいなものとなっていき,解放後の土地改革などを待つこととなる.

     その中で,稜線上の墳墓を軸とした稜線全体が氏族集団などの所有となりやすいという実態は,山林の制度的な把握において,墳墓の存在を根拠として所有者の特定を容易にするといった形で寄与した可能性がある.しかし一方で,それらの実態が後に,地筆の再確定や境界の再編を求める結果となっていった点も強調したい.
  • 愛知県豊田市の事例
    中条 健実
    p. 158
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに

    発表者は昨年人文地理学会において広島県福山市の閉鎖百貨店の再利用について報告したが、今回は福山事例と異なる特徴をもつ愛知県豊田市の閉鎖百貨店再利用について述べる。中心市街地空洞化・経営破綻による大型店の店舗閉鎖などにより、ここ数年で各地の中心市街地に大規模な商業空白が発生した。その中で、撤退した大型店の跡地・建物を再利用することで中心市街地の利便を維持する事例が増えてきた。民間業者間での大型店転用がうまく進まない場合、地元自治体の何らかの関与が必要となるが、自治体主導での大型店の詳しい転用の経緯・合意形成過程については、各地の中心市街地の業務・居住などの利便を維持するために重要と考えられるにもかかわらずほとんど報告がされていない。本研究では閉鎖百貨店という商業空白が再利用される過程を地域の特徴を踏まえつつ明らかにし、その効果も考察する。

    2 研究事例での再利用経緯

    愛知県豊田市の旧豊田S百貨店は、大型店を求めていた市と経営拡大を図る旧Sグループの意向により、1988年名鉄豊田市駅前中心市街地再開発の一環として開業した。しかし開業以来一度も黒字を計上することなく、2000年秋の旧Sグループ経営破綻を受け、同年12月の閉鎖が決まった。
    豊田市の構想では、駅地区の再開発事業は豊田市商業の中心核と位置付けられていた。大型店を長期に欠くと、同地区への集中投資により交流施設群として蓄積を進めてきていたこれまでの豊田市の政策全体が破綻しかねないとの理由で、市は旧S百貨店の後継体制を速やかに構築する必要があった。
    豊田市はS百貨店グループ経営破綻の直後すなわち豊田S百貨店閉鎖発表前から、市長のトップダウンで市三役と商工部・都市整備部代表者などで百貨店閉鎖対策プロジェクトチームを構成、事態の変化に瞬時に対応しつつ関係者との交渉を行うことにした。
    まず豊田市は可能な支援政策を検討、代替百貨店誘致を試みたが複雑な債権債務関係から失敗し、結局、地元資本が旧S百貨店の債権債務を整理、土地建物を全て購入して新事業を誘致する以外に大型店存続の可能性が無いとの結論に至った。
    そこで豊田市は既存のTMOまちづくり会社を利用、市から公的資金を貸し付け、購入に充当する方法をとることにした。公的関与による大型店再生・変則的な資金利用を行う具体的な再生スキームを組み立て、それに従い市民の理解を得ることにした。市民アンケート・意見募集などを通し、市民の意見を旧S百貨店購入にまとめ、2001年3月市議会で購入予算案を可決した。代替のM屋百貨店は2001年10月開業した。

    3 考察

    豊田市は建物管理の第3セクター「豊田まちづくり」とともに主導的に新規店舗探しを行うことで、比較的短期に代替のM屋百貨店を誘致できた。専門店導入による店舗面積の適正化のほか、販売品目の特化・賃料引下げの工夫により代替百貨店をテナントとして入居しやすくしている。名古屋に本拠地を置くM屋百貨店にとっても中京経済圏での集中出店、地元自動車メーカーとの関係強化への貢献というメリットがあった。
    町村合併を繰り返し成長してきた豊田市では、豊田市駅前の再開発地区は中心地ではあるが吸引力が強いわけではない。また、名古屋方面への自動車通勤の多い同市では近隣自治体の大型小売店利用も多く、駐車場の少ない豊田市駅前中心地域は商業的にも不利な場所である。それにもかかわらず、市議会および市民の意見を短期間で駅前大型店は必要であるとまとめあげ、また今回豊田市が百貨店を維持することを通して中心地を強調する政策をとったことは特徴的である。
  • 北川 卓史
    p. 159
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    ■はじめに
     ホームセンターは,生鮮食料品を扱わないため,商品回転率の低く,商品鮮度管理が容易である.従って生鮮食料品を取り扱う他業態とチェーン運営の条件を比較して,商品発注・納入のリードタイムの短縮や遵守よりもチェーン全体のコスト低減を指向している(兼子.2000).また、取扱商品数量,体積や重量も多種多様である.以上の理由から店舗へ一度に配送する商品数量は膨大となりうるので,その配送パターンは生鮮食料品を取り扱うチェーンにおけるものとは差違が見られるのではないだろうか。
     本報告では,それらのチェーンの特徴を考慮し,チェーン全体の商品配送費用の削減がどのように行われているかを明らかにすることを目的とする. 

    ■対象企業および研究方法
     大分市に事業本部と配送センターを持つA社を対象企業とした.A社は大分県・熊本県・宮崎県に合計18店舗を展開しており(2003年2月),店舗は都市部に加えて郊外ロードサイドにも立地している(図).住関連商品は全店舗で取り扱っており,また食料品を取り扱う店舗も一部にみられる.
     各店舗への商品配送を集約的に行っているのが,配送センターである.この配送センターを経由して店舗に納入される商品量は全体の約70%を占めている.そこでは商品荷受や仕分け(発注ロット単位以下の商品小分け等)を行い,配送は主に店舗営業時間外の夜間に行われる.
     本報告では,A社配送センターで使用された各店舗への配送データを基にして,配送パターンを分析した.

    ■結果および考察
     総配送量と総配送回数配送の相関関係は,総配送量とトラック総数の相関関係よりも強い傾向がみられた.つまり,全店舗への配送量増減に伴う配送回数増減を,ある一定量まではトラックの台数の増減によってでなく,各トラックの配送回数を増やすことで対応している.
     次にA社は各店舗への商品納入量が多く,1台のトラックを超える量の商品を配送する.しかし、各店舗への配送量は店舗規模,曜日,そして季節によって変化する。したがって,配送センターではその変化に対応するため,トラック1台の積載量が配送量より多いか(_丸1_),少ないか(_丸2_),もしくは,ほぼ同じか(_丸3_)といった基準を用いて配送パターンを作成している._丸1_のような状況の店舗に対しては,_丸2_か_丸3_の配送量になるまで配送が設定される._丸3_では該当1店舗向けのトラック1台による一回の配送が設定される。_丸2_の場合は積載率を向上させるために,1台のトラックに複数店舗分を積み合わせる.そして,複数店舗分同時積み合わせを行う配送パターンを設定する際には,店舗の立地が影響を与えている.配送トラックの積載率を向上させるために,一定範囲の店舗地区内で一台のトラックへの積み合わせがなされている.場合によっては,範域をまたいだ商品の積み合わせが行われている.それがみられるのが,大分県南東地区店舗を介した配送ルートである.この大分県南東地区は,効率的な複数店舗配送を行うための調整・補完機能を持つ地区と捉えることができよう.
     以上のことより,A社では生鮮食料品を取り扱う他業態に比べて,リードタイムの短縮や遵守よりも,最小数のトラック台数を使用することで,配送経費の削減を指向した配送パターンを作成していると考えられよう.また,複数店舗配送を行う店舗間距離を出来るだけ短くなるように設定されているのは,その間のトラック積載率が低下している時間を短くすることで、そのトラックの輸送効率を維持し,配送費用の上昇を抑えようとしているものと考えられる.

    参考文献:兼子 純 2000.ホームセンターチェーンにおける出店・配送システムの空間構造. 地理学評論 73A:783-801.
  • 吉田 英嗣
    p. 160
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    日本を始めとする環太平洋には,世界の火山の多数が分布する.成層火山は,その成長途中で重力不安定などを要因として大規模山体崩壊を一度は起こすとされており,この証拠である岩屑流堆積物は各地で発見されている.しかし,個々の火山レベルでは発生頻度が小さく,流域の長期的地形発達に対する重要性が認識されにくいためか,大量の堆積物によって下流域が受ける影響に関しては,十分に検討されていない.ところが,国土や環太平洋全体のスケールでみれば,最近では100年に4度の割合で大規模山体崩壊が発生している.例えば,1000-10000年オーダーでの土地評価が必要とされる,国レベルでの土地利用計画に際しては,こうしたイベントを現実に起こりうる最大級のものとして捉え,評価する必要がある.

     本研究は,土砂供給という点で大規模かつ間欠的な,第四紀成層火山における火山イベントが,平野部を主とする流域の地形形成に及ぼす影響を,発達史地形学的(長期的)な視点に基づいて見出すことを目的とし,その事例研究として浅間火山と,その周辺地域において地形地質調査を行った.浅間火山は約2.3_から_2.4万年前に大規模山体崩壊を発生させ,これを起源とする堆積物が広く及んだことが知られている.

    今回は,堆積物の分布範囲と到達距離に関する考察,発達史的理解に基づく量的検討結果,長期的な河川プロセス評価のための一方法とその検討結果について,それぞれ報告する.

    大規模山体崩壊を起源とする岩屑流(泥流)堆積物は,崩壊源から最大で100km遠方まで達し,堆積面を形成した.また,分布面積は500km2に及び,周囲の地形に強く依存した分布形態を呈す.火山性の岩屑流は非火山性の地すべりに比べ,経験的に崩壊源から遠方まで達しうる現象であることが示されているものの,本研究で対象とした岩屑流(泥流)のうち特に前橋泥流は,従来の他の火山における事例にまして遠隔地に達している.堆積物の分布範囲が拡大した要因として,吾妻川や利根川の存在が大きく関与していると考えられる.谷が深く密に発達し,かつ水系の流量が多い日本では,大規模山体崩壊とそれに伴う土砂の影響到達予測に際し,例えば火山体からの距離に応じた,単純な”段階評価”が適さない場合が十分にありうる,ということを意味している.

    イベントの影響を客観的に評価する手法のひとつとして,堆積物の量的検討を行ったところ,岩屑流(泥流)堆積当時の体積は,中之条泥流堆積物が0.25×109m3,子持・渋川地域における前橋泥流堆積物が0.28×109m3,前橋・高崎地域における前橋泥流堆積物が3.98×109m3,塚原岩屑流堆積物が1.46×109m3とそれぞれ推定された.これらを合計した5.97×109m3という値は,3.9×109m3と推定される崩壊土砂量の約1.5 倍であり,流下途中において相当量の河床堆積物を巻き込んだことが推測される.従来の知見では,本流規模の水系による堆積物の輸送をほとんど考慮する必要がない場合においても,25%程度の体積増加があるという.岩屑流が規模の大きな水系へ流入し,最終的に泥流化することによって,25%を大幅に超える土砂の付加は十分に想定されることである.

    地形地質断面において推測される岩屑流(泥流)堆積域と,その後の河川による侵食域との面積比が,河川による堆積物の侵食の度合いを示すと単純に仮定したとき,堆積物の河川による長期的な侵食は,堆積物の分布幅とイベント後の河床変動との両者に大きく規定されていると考察された.すなわち,岩屑流(泥流)堆積面が長く残存するのか,あるいは短期間にほとんどが消失してしまうのか,という問いに対しては,堆積物の分布形態,イベント発生時期およびその後の気候変化に応じた堆積場における河床変動の三者に留意することによって,大まかな将来予測が可能であると示唆された.
  • 岩崎 亘典, スプレイグ デイビッド
    p. 161
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに

     GPSを内蔵したテレメトリシステムは,野生生物の生態調査の効率化と高精度化に貢献することが期待され,その実用化が待たれている.これらのGPSテレメトリシステムは電源を有効に使うために,稼動と休止を繰り返す間欠的動作をするよう設定されている.一方で,GPSは稼動間隔が長くなることにより,測位成功までの時間(Time to first fix, TTFF)も長くなる.すなわち,GPSテレメトリの成功率には,稼動時間と共に測位試行の間隔も影響を及ぼす可能性がある.

     そこで本研究では,日本における野生生物調査の頻度が高いと考えられる森林環境下で,GPSテレメトリの測位間隔と稼動時間の違いが測位成功率に及ぼす影響を考察する.



    2.測位成功率評価試験

     評価試験は(独)農業環境技術研究所内の生態系保全実験ほ場の広葉樹林(クリ_-_コナラ),針葉樹林(スギ植林)および対照地として農環研屋上で行った.使用機器は,NTT-AT製の過搬型生体追跡システムを用い,アンテナ部が上を向くように機器を三脚に固定した.測位間隔及び稼動時間は1) 30分毎に5分間測位と,2) 1時間毎に10分間測位の二通りで行った.この両者の寿命はほぼ同じで,限られた電源を有効に使う上での最適な条件を評価するため,この設定で試験を行った.それぞれの評価試験の条件を表1に示す.



    3.結果

     各条件下の稼動時間毎の測位頻度と累積成功率を図1に示す.森林環境下では,屋上よりも成功率が低い傾向が見られた.また,屋上では二つの試験の間に成功率の違いは見られなかったが,森林環境下では顕著な差が認められた.屋上では,5分稼動,10分稼動共に30秒以内に90%以上の測位が成功した.広葉樹では10分間稼動する場合,測位開始5分後の測位成功率は90.3%であったが,5分間稼動の成功率は32.1%であった.針葉樹では10分間稼動の成功率は66.7%で,稼動開始5分後の成功率は43.8%であったが,5分間稼動の場合の測位成功率は20.2%に過ぎなかった.



    4.考察

     本試験は8月と11月に行ったため,広葉樹林では樹冠の状態の違いが測位成功率に影響を及ぼしたことも考えられる.しかし,通年で樹冠状態に顕著な変化が見られない針葉樹林下でも成功率に顕著な差が見られたことから,GPSテレメトリの作動条件が測位成功率に与える影響が大きいと言える.また,10分稼動の場合,測位開始5分後の成功率は5分稼動条件よりも高かった.すなわち,測位間隔と稼動時間が短い場合より,測位間隔が長くても,一回の稼動時間を長くした場合で成功率が高く,取得位置情報が多くなる.これは稼動時間が長くなることにより,GPS衛星から発信される測距信号の受信成功確率が高くなると共に,延長された稼動時間内に航法メッセージを受信,蓄積しているため,測位成功までの時間が短縮され,稼動5分後,10分後の成功率が共に高くなったと考えられる.

     以上の通り,本試験の結果から稼動時間を長く設定することにより成功率が高くなることが示唆された.しかし,稼動時間を長く設定するということは,テレメトリシステムの運用期間が短くなることでもある.実際の調査にあたっては,この両者のトレードオフを勘案し,動作条件を設定することが求められる.

  • 大和田 道雄, 畔柳 洋子
    p. 162
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_ 研究目的
    亜熱帯高圧帯は年間を通じて現れるが,対流圏上層部と下層部での形成位置が異なるのは夏季のみである(大和田・石川)。これは,夏季の対流圏上層部の高気圧が,チベットを中心として形成されたもので,南アジア高気圧とも呼ばれている。しかし,最近の熱帯海域の海面温度の上昇に伴い,ハドレ-循環が強化されていることから,高気圧の領域面積の拡大が懸念されている。
    そこで,Zhang et.al(2002)は100hPa等圧面高度場における南アジア高気圧の中心位置が東アジアモードとイランモードに分けられることに着目し,高気圧の東側に位置する東アジアの前線との関係について論じている。これは,高圧帯の中心位置の緯度的・経度的位置のモードの違いが高気圧の北を流れる亜熱帯ジェット気流の蛇行の変動と深い係わり合いがあるからである(大和田・畔柳,2004)。これは,亜熱帯ジェット気流の中心が100hPa面付近であるからであり,これが対流圏中層部の500hPa面にまで及んでいるからである。500hpa面を対象としたZonal windの季節別解析では(大和田・畔柳,2004),夏季のトラフ,およびリッジの緯度的・経度的位置が,チベットを中心とする南アジア高気圧の盛衰に左右されていることから,南アジア高気圧の西と東への張り出し,中心位置,高気圧領域面積の半旬別変動を求めてみた。

    _II_ 解析資料
    解析に用いた資料は,NCEP/NCARの再解析データである。また,解析した年は,東アジアが冷夏となった1993年と猛暑であった1994年,およびヨーロッパが洪水に見舞われた2002年と異常猛暑であった昨年の2003年である。

    _III_ 結果
    ヨーロッパで洪水が頻発した2002年の高気圧の中心は,東アジアにシフトしているが,猛暑であった2003年夏の場合には,西側にシフトしていることが読み取れた。したがって,ヨーロッパの異常気象年は,高圧帯の東西シフトと密接な関係にあり,Zonal windの変動が大きく関与していることが明らかとなった。しかし,東アジアについての明瞭な関係は得られていない。今後は,南アジア高気圧の盛衰に伴う高気圧の東西シフトと東アジア,およびヨーロッパの異常気象のテレコネクションについても言及していく予定である。
  • 吉田 英嗣, 須貝 俊彦
    p. 163
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
     中之条盆地は,流域に多くの第四紀成層火山を有する利根川水系吾妻川中流域に位置する.このうち浅間火山は,約2.3_から_2.4万年前に大規模山体崩壊を発生させた.このイベントに伴う岩屑なだれ堆積物の一部が吾妻川に流入し,中之条盆地を経て最終的には関東平野北西部まで達したことが知られている.中之条盆地にこのとき及んだ堆積物は,”中之条泥流堆積物”(守屋1966)と呼ばれている.
     中之条盆地には少なくとも6段の段丘地形が発達し,その形成史について知見が得られているが,中期更新世に成立した古中之条湖と中之条湖成層に関する議論が主である.現段階では,後期更新世末期における先述のイベント堆積物が,盆地内の段丘地形発達に与えた具体的な影響については,ほとんど吟味されていない.中之条泥流堆積物の3次元分布に関する情報や,段丘堆積物の記載は依然として不十分であると考える.よって本研究では,浅間火山における大規模山体崩壊に起因する中之条泥流堆積物の影響に特に着目して,最終氷期以降の中之条盆地における段丘地形発達を検討する.

     地形地質調査から考察される地形発達は,以下の通りである.

    1)最終間氷期に吾妻川は80m程度下刻し,成田原面が離水した.

    2)このとき形成された谷を,中之条礫層(NG)が埋積した.その後,再び吾妻川が15_から_20m程度下刻し,中之条礫層(NG)を段丘堆積物とする段丘面が離水した.

    3)吾妻川は基底礫層(BG)を堆積させつつ,再び河床を上昇させていった.

    4)基底礫層(BG)の堆積中途である約2.3_から_2.4万年前頃,中之条泥流(NMf)が盆地内に及び,中之条礫層(NG)からなる段丘面の大部分にのりあげることにより,盆地低所を埋積した.その後,中之条泥流(NMf)堆積面に河道が定まり,中之条面が離水した.

    5)中之条泥流堆積物(NMf)は主に側刻を受け,伊勢町_I_礫層(Is-_I_G)が形成された.

    6)おそらく浅間草津黄色軽石降下以前に,吾妻川は下刻傾向に転じて伊勢町_I_面が離水し,次いで伊勢町_II_面,_III_面が形成されていった.

    また中之条泥流は,盆地内で丘陵状の高まりとして存在していた基盤岩上にも達し,吾妻川の攻撃斜面側に相当する左岸の中之条礫層上には,ほぼ全面的に中之条泥流堆積物がのりあげた.しかし,右岸側では,中之条泥流堆積物が中之条面の下流側においてのみ分布する.中之条面に分布する流れ山の長軸方向,中之条面における泥流堆積物の層厚の偏差(吾妻川の攻撃斜面側で特に厚い),中之条面の地形的特徴なども踏まえ,現段階では定性的ではあるものの,流下時における中之条泥流の流動の様子がはじめて具体的に考察された.
    (引用文献)守屋以智雄 (1966): 地理学評論, 39: 51-62.
  • 昭和初期の奄美大島の事例
    藤永 豪, 八久保 厚志, 須山 聡
    p. 164
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.記録としての写真、資料としての写真
     今日、フィールドにおいて写真を撮影しない地理学者や民俗学者は存在しないのではないか。フィールドでの調査を終え、一つの成果をまとめる段階になって写真を眺めた時、あらためてその地域を確かめなおすこともしばしばである。あるいは他者にフィールドを示す場合、写真は見る者に具体的なイメージを伝え、地域を理解させる上で有効な手段となる。実際、写真を用いて地域を記述した書籍が地理学者によって多数出版されている。ただし、このような写真の利用は記憶を呼び戻し、フィールドを説明するという「記録」としての枠組みを超えるものではない。しかし、最近では、他者が撮影した写真を、資料としてどう扱うべきかという論議が活発になっている。撮影者の主観(何かを撮ろうとする行為と視点)と写真の中に現れた事物の客観的判断が重要な課題となっている。
    2.澁澤写真について
     周知のように澁澤敬三は澁澤榮一の孫であり、第二次世界大戦以前は日本銀行総裁、戦後は大蔵大臣等の要職を務め、財界人として活躍した。その一方で、澁澤敬三はアチックミューゼアム(屋根裏博物館)を立ち上げ、多くの歴史・民俗資料を収集し、研究を行った。1930年代には日本各地においてフィールドワークを実施している。その調査の中で、澁澤敬三は「人」や「もの」、「景観」など地域や民俗を記録した数多くの映像資料を残した。これらはスチール写真と18mmフィルムの形で神奈川大学日本常民文化研究所に保管されており、昭和初期の日本各地の景観を分析、あるいは現在の景観との比較考察を行う上で、貴重な資料となりうる。
    3.写しとられた景観
     撮影という行為のもとに写真を語れば、すべてが主観の中に埋没してしまう。一見、写真には客観性など存在しないかのようにさえ思える。しかしながら、写真には撮影者が意図しなかった多くの景観と事物が写しとられている。澁澤フィルムもその例外ではない。地理学者が景観を考える場合、当然「地域性」を念頭におくのが普通である。この「地域性」を写真の中の景観をもとに考察する際、何を「見る」べきか、その視点は次の2点にあるのではないか。
     一つは前述したような撮影者が意図しなかった、まさに偶然、「写しとられた」景観である。中心となる被写体以外の景観構成要素が客観的に地域性を表現する場合である。もう一つは中心となる被写体そのものが、撮影者の意図するところとは別に地域を象徴的に表現する場合である。
     本報告では、この二つの視点にもとづき、地域性を解明するための景観資料としての澁澤写真の可能性について、澁澤敬三が中心となって撮影した奄美大島の写真資料をもとに、若干の試論的考察を行ってみたい。

    [付記] 
    本報告は神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」における研究拠点形成事業の一部である。
  • 峯 孝樹, 小野寺 真一, 吉田 浩二, 齋藤 光代
    p. 165
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに

    今日、都市からの生活廃水や農地起源の化学肥料の溶脱により河川の水質悪化が顕在化している。特に、窒素成分に関しては、都市排水が集水したのちの下水処理排水中においてもアンモニア態窒素として残存している。これに対して河川にはもともと自然浄化機能が備わっており、脱窒作用などそのメカニズムも明らかにされている。しかし、洪水時を含めて、その浄化機能がどのような過程を経ているのかは明らかにされていない。そこで本研究では、農地と都市部が混在する流域において、洪水時の河川中での溶存窒素フラックスの変動に着目し、窒素形態の変動過程および自然浄化過程を明らかにすることを目的とした。



    2.研究地域及び方法
    本研究では、広島県のほぼ中央部を流れる黒瀬川を対象とした。河川延長50.6km、流域面積238.8km2の二級河川である。本河川は、東広島市の並滝寺池を源とし、西条盆地、黒瀬盆地を南流し、呉市広で瀬戸内海に注いでいる。地質は主に広島花崗岩類、高田流紋岩類からなる。観測地点は並滝寺池より約17km流下した地点にある落合橋に設定した。洪水時には水位計をもちいて自動観測を行い、同時に自動採水機をもちいて河川水を採取した。採水したサンプルは実験室に持ち帰り、イオンクロマトグラフィーをもちいてNO2--N、NO3--Nの濃度を、全有機体炭素計を用いてDN濃度を測定した。またインドフェノール法をもちいてNH4+-N濃度を測定した。流量は水位計の測定値から、あらかじめ作成しておいた水位流量曲線をもちいて算出した。



    3.結果と考察

    1)洪水時における脱窒

    図1に2003年7月20日から21日にかけて発生した総降雨量31mmの降雨イベント時における流量とDN、DONおよびNO3--Nの各フラックスの変動を示す。結果として流量が増加するとDNフラックス、NO3--Nフラックスは減少し、流量がピークを超えて減少してくと、DNフラックス、NO3--Nフラックスは増加した。このことは流量が増加することで脱窒域が拡大し、NO3--Nが窒素ガスとして系外に放出され、DNフラックスも減少したと考えられる。

    2)洪水時における硝化

    図2に冬期における河川水中のNO2--NフラックスとNO3--Nフラックスの関係を示す。なお夏期においてはNO2--Nが検出されなかったため、採水地点で地点まで流下する過程で完全に硝化が進んでいるものと考えられる。11月15日は総降雨量が1mmであり、流量はほとんど変動していなかった(Base flow)。この時は相関が取れていることから観測地点においても硝化が起きていると考えられる。しかし流量が変動している時(Event)はBase flowに比べてNO2--Nが非常に少なかった。これは降雨や流量の変動による河川水中への酸素供給が、硝化を促進していると考えられる。

    3)洪水時における有機化

    また、図1より、流量がピークをむかえる7月21日3時にDONフラックスが急激に増加し、それとは反対にNO3--Nフラックスは急激に減少している。これは流量が増加することで河川への酸素や二酸化炭素の供給が増加し、それにともない活発になった植物プランクトンが栄養塩としてNO3--Nを吸収し、有機窒素に変えて流出する、いわゆる有機化が行なわれているためと考えられる。

  • 森田 圭, 野上 道男
    p. 166
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    空中写真は比較的高解像度であることに加え,人工衛星以前の地理的データとしてきわめて重要である(野上ほか 2001).また,1990年代には国土地理院から日本全国を網羅する50m-DEMが整備され,地形計測(野上 1995),流域計測(中山 1998)などの分野は大きく発展してきた.野上(1995)は,地形図から作成されたDEMにおいて日本の細かい地形のきめ(テクスチャ)を表す空間解像度は50m-DEMが限界であるとしている.現在では,空中写真,衛星画像,航空レーザスキャナ測量などから高解像度DEMの生成が可能となっている.一部都市域ではあるが,航空レーザスキャナ測量により計測された5m-DEMが整備されつつある.
    山岳地域のDEMは,オルソ化画像の作成や地形計測など定量的な解析には必要不可欠なデータである.
    そこで本研究では,空中写真のデジタル写真測量から10m-DEMを作成した.また,それを用いて空中写真のオルソ化を行い,その応用として植生分布の地形的立地条件解析を行った.

    2.対象地域
    対象地域は,飛騨山脈の南端に位置する乗鞍岳であり,日本の火山としては富士山,木曽御嶽山に次ぐ高さの火山である.
    乗鞍岳周辺の植生帯概要は,2400m以上はハイマツ帯,1500m_から_2400m間は亜高山帯,1500m以下は山地帯となっている(森田・野上 2002).しかし,局地的な植生分布は,斜面傾斜の程度,日射や卓越風の様相,方位および土壌水分収束を決定するラプラシアンのような地形条件の影響を受けて複雑なものとなっている. 

    3.方法
    乗鞍岳をオーバーラップする61枚のカラー空中写真をスキャナーで読み込み,IMAGINE 8.5 OrthoBASE Pro 8.5.1を用いて10m-DEMを作成し,地形特性を算出した.また,作成したDEMを用いてオルソ化空中写真(空間解像度1m)を得た.次にオルソ化空中写真に10m×10mメッシュをかけ,肉眼判読によって各メッシュ内における最大面積を占める植生分類項目を空間代表値として採用し,植生分布図を作成した.なお,本研究における植生分布図はキャノピーを対象としている.

    4.結果
    標高において,ハイマツは2600m付近において最も占有面積率が高い結果となった.現地調査によって森林限界を認定する場合には,その付近で常緑針葉樹林が見られる一番高い標高を森林限界と定義しているであろうが,ここでは定量的に,ハイマツと常緑針葉樹林の占有面積率が等しくなる競合線を森林限界と定義する.乗鞍岳山頂付近の森林限界は,約2440mとなった.上部落葉広葉樹林(ダケカンバ,ミヤマハンノキ)は,ハイマツと常緑針葉樹林の競合線付近において高い占有面積率を示した.これらは,ハイマツ,常緑針葉樹林にとって立地条件が悪い隙間(ニッチェ)に生育していると考えられる.
     その他の地形条件(斜面方位・ラプラシアン・斜面傾斜)において,ハイマツはNE_から_S_から_W向き・直線及び凸型・傾斜10°付近の緩斜面を中心に生育していることがわかった.つまり,雪が早く消雪する日当り良好なところを好むこと(嫌雪性)が読み取れた.逆に上部落葉広葉樹林はNW向き・直線及び凹型・傾斜55°付近の急斜面を中心に生育していることがわかった.上部落葉広葉樹林は,深い積雪や雪崩に対応する能力があること(耐雪性)が読み取れた.その結果は現地で根曲がりなどとして観察される.
    参考文献
    中山大地 1998.DEMを用いた地形計測による山地の流域分類の試み _-_阿武隈山地を例として_-_.地理学評論 71A:169-186
    野上道男 1995.細密DEMの紹介と流域地形計測.地理学評論 68A:465-474
    野上道男・岡部篤行・貞広幸雄・隈元 崇・西川 治著 2001.『地理情報学入門』東京大学出版会,163p.
    森田圭・野上道男 2002.乗鞍岳周辺の植生分布と地形的立地条件の解析.地理情報システム学会講演論文集 11:349-352
  • 加藤 弘亮, 恩田 裕一, 平松 晋也, 関 李紀
    p. 167
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.研究の背景と目的
     温暖湿潤気候に属する日本の国土は,その60%以上が森林で覆われており,主要な土砂生産形態は斜面崩壊であると考えられている.しかし,近年,山間地の開発や荒廃した植林地に起因する土砂流出が問題になっているが,それが河川流域に与える影響はよくわかっていない.
     ところで,欧米諸国を中心に,放射性同位体を用いた流域微細土砂のFingerprinting手法が注目されている.例えば,Olley et al.(1993)は,ガリーが発達する小流域(5.1km2)において,137Cs,7Be,226Ra,232Thの放射性同位体を用い,河床堆積物の供給源の推定した.また,Wallbrink et al.(1998)は,耕作地や牧草地が大きな割合を占める流域で,浮流土砂と土砂供給源と考えられる複数の斜面土壌の137Cs,210Pbex濃度を測定し,簡単な混合モデルによって各土砂供給源からの寄与率を求めた.Motha et al.(2003)は,土砂の137Cs,210Pbex濃度と地球化学的特性を指標として,浮流土砂の主な供給源が未舗装の道路であることを明らかにした.
    しかし,崩壊地からの土砂流出が予想される山地流域に放射性同位体を用いた手法を適用した研究はない.そこで,本研究では,崩壊地が分布する山地流域において,放射性同位体を用いた河床堆積物の供給源の推定を試みた.

    2.研究対象流域と方法
     高知県を流れる四万十川上流部の一支流である四万川流域を研究対象流域とした.流域81.3km2の四万川流域は,標高360_から_1402mに分布しており,流域の大部分が砂岩・泥岩またはそれら互層で構成されている.流域の約90%を森林が占めており,多数の崩壊地が確認されている.
     四万川とその支流において,土砂供給源の可能性がある斜面土壌(森林,崩壊地,林道)と,河床に集積していた微細物質を採取し,粒径が2mm以下の微細物質の放射性同位体濃度をガンマスペクトロメトリーによって測定した.また,研究対象流域に分布する崩壊地面積を空中写真判読によって求めた.

    3.まとめ
     Cs-137,Pb-210ex濃度は森林土壌で高く,崩壊地やガリーなどの下層土で低い値を示した.二つの土砂供給源の放射性同位体濃度の違いを利用して,簡単な混合モデルにより,河床堆積物に対するそれぞれの寄与率を求めた.その結果,研究対象流域における河床堆積物の主な供給源は崩壊地などの下層土であるが,崩壊地面積の割合が小さい地点では,森林表層土壌の寄与率が大きいことがわかった.また,河床堆積物のCs-137,Pb-210ex濃度は,崩壊地面積率の増加とともに減少する傾向を示し,河床堆積物のこれらの放射性同位体濃度が,上流域に位置する崩壊地面積の割合を反映していることが明らかになった.
  • _-_千葉県房州ちくら漁協の事例_-_
    深瀬 圭司
    p. 168
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに
    昨今の水産業において,生産者も流通事業に乗り出し,漁獲した商品を高く安定的に売ることで収入の安定化を図るよう様々な販路を確保すべきだとの提言が多くの場面で行われるようになった.例えば漁業白書では「地域資源の有効活用を図るとともに,地場流通,宅配便等を活用とした実需者との直接取引等の流通ルートの多元化に取り組むことも重要である」(漁業白書,1998年,p.83-p.84)という.しかし生産者による流通への参入を可能にするには様々な条件の克服が必要で,その創意工夫のありようも様々であり,こうした提言はあまりに楽観的である.
    本研究は1961年という比較的早い時期からこうした生産者側からの流通事業への参入に取り組んだ千葉県安房郡千倉町の漁協の取り組みを考察する中で,こうした事業を可能とする条件を整理することを目的としている.

    2.水産物の流通体系
    水産物流通一般を考えると、生産されてからの品質劣化の進行が速いこと,大きさや形がばらばらで規格化が困難なこと,魚種が多く量も定まらず,またそれを調整することが比較的困難であることなどの商品特性により,水産物を手にした者は迅速な川下側への商品販売を求める.そのため長い年月をかけて,生産者→産地仲買→消費地卸売→消費地仲卸→小売店・業務需要者という市場流通の仕組みが組み立てられ,素早く価格形成がなされ,在庫を負担せねばならない時間がどの流通主体も短期ですむ流通体系が成立した.しかし,そこには全量即日上場・需給調整なしという原則があり,迅速な価格評価がなされる反面,価格変動のリスクはとりわけ川上側に転嫁され,生産者の収入は不安定なものであった.
    そうした生産者のおかれた厳しい状況の打破を目指したものに,産地仲買人の中間マージン部分を生産者に内部化することを目的とした,産地市場を通さずに生産者が共同で消費地市場へ直接出荷する「共同出荷」とよばれる出荷形態がある.
    この出荷形態は全国では比較的多くの事例があるが,房州ちくら漁協の事例によると、水産物の商品特性由来の問題が共同出荷開始で直ちに解決されるわけではなく,この事業が所期の目的を達成するには複数の条件を満たしている必要があるといえる.

    3.房州ちくら漁協の事例
    ちくら漁協では,生かしたまま出荷調整ができるという水産物としては特殊な商品特性を持ち,古くから地元の磯で漁獲されるアワビ・サザエ・イセエビの魚種で,築地市場を中心に首都圏の市場へ共同出荷事業を1961年に開始し,需要に応じた出荷調整で十分な価格を実現させた.事業が軌道に乗ると,地元の水揚げを生産者の手で出荷するという単純な共同出荷事業を超え,取扱規模拡大で安定した供給を可能にし販売力を強め,出荷を有利に進めるために他産地からもこれら魚種を買い付ける卸売業的な事業に変容していった.
    ちくら漁協の買付け先は僻地が多く,自身で首都圏へ共同出荷するのでは,長い時間距離のために安定した価格実現が困難であった.他産地にとってはちくら漁協との取引によって首都圏近郊の千倉をストックポイントのように利用し首都圏の市場へ自身の生産物を安定的に出荷できるようになったということができた.

    4.生産者による水産物流通事業継続の条件
    当事例で確認された第一の条件は,出荷調整ができ安定出荷が実現可能な魚種を選択できることである.需要と供給によって価格という経済現象が左右される以上,安定したかつ商品価値を生かした価格の実現ができる条件として,供給能力安定化と出荷調整実施という課題の克服が必要である.
    第二の条件は,需要の吸収力が相対的に大きいと考えられる消費地市場に実際に継続して出荷することが可能なことである.これは大市場に時間距離の面で近接しているという条件が満たされることで達成される.
    第一の条件が成り立つ魚種では出荷調整のコストが負担可能なほどの高級魚種である必要があり,それらは首都圏など大都市の市場に需要が集中しているため,第一の条件が満たされても時間距離の問題で需要に応じた安定的な出荷をすることが困難である産地は少なくなかろう.
    こうした好条件が揃う地域はそれほど多いとはいえず,生産者が流通事業に取り組むことはあらゆる産地に対して安易に勧められるものではないと考えられる.

    参考文献 農林統計協会 1998.『漁業白書』農林統計協会.
  • スーパーの青果物調達を事例に
    池田 真志
    p. 169
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに
     2000年以降,BSE騒動や食品の表示偽装問題など,食の安全をめぐる様々な問題が発生し,流通業界は対応に迫られてきた.青果物業界においては,いわゆる「顔が見える」野菜といわれる,生産者名や生産者方法が分かる青果物が大手スーパー各社で導入されている.
     この「顔が見える」野菜の流通は,従来は一緒くたに扱われていた商品を個別に扱おうとする動きであり,ここではその概念を‘流通の「個別化」’と呼ぶ.例えば,青果物流通においては,同じ野菜であっても,生産者別に流通させる動きである.
     この動向は,高度経済成長期以降の日本の流通を支えた大量生産・大量流通の仕組みとは全く異なり,新しい流通のあり方を示している.そこで,本研究では,「顔が見える」野菜の流通を手がかりに,新しい流通のあり方を議論する.

    2.本研究の視角と方法
     流通の「個別化」は調達先を限定させる動きであるため,収穫量の不安定さや腐敗性の高さなどの青果物の商品特性を考慮すると,安定調達を基調とするスーパーの論理では実現が難しい.そこで,本発表では,需給調整とリスクマネージメントの観点から「個別化」した流通の新しさを検討する.そのためには,生産から流通までを一連のシステムとして捉える必要があり,本研究では,「顔が見える」野菜に取り組んでいるスーパーから生産者までの当該流通に関わる全ての主体に対する聞き取り調査を実施した.そこで明らかになった各主体間の需給調整の方法とその行動の背後にある考え方から総合的に考察を進める.

    3.「顔が見える」野菜の流通形態
     需給調整とリスクマネージメントを議論するに当たって,「顔が見える」流通の形態を把握する必要がある.各社の調達方法は様々であるが,その形態は,単一の農協から通年で多品目仕入れるインショップ方式と,青果物の専門流通業者から仕入れる専門流通業者方式の2つに大別できる.インショップ方式の場合,産地は1ヵ所に限定されるが,専門流通業者方式の場合,産地は複数にまたがる.また,両者では生産者とスーパーの間に入る主体の数や性質が異なる.それゆえ,形態によってその需給調整の方法は異なるため,両者を分けて検討をおこなう.

    4.「個別化」した流通の需給調整とリスクマネージメント
     インショップ方式の場合,スーパーは大まかな規格(形や色づき)を認め,欠品や余剰に対しても柔軟な姿勢を持つことで,システム全体としてのリスクを減らしている.一方で,生産者は余剰分を市場などで処理するなどのリスクを負う.
    専門流通業者方式の場合,出荷組合や専門流通業者が多めの生産を行い,スーパーに安定的供給するために余剰分を別のルートで調整している.一方で,スーパーも数量の変更に柔軟な姿勢を示している.
    さらに,両方式において,消費者は求める商品を買えないかもしれないというリスクを負う.
     このように,「個別化」した流通の特徴の一つは,スーパーも含めた各段階でリスクを分散するという新しい方法に求められ,仲卸売業者にリスクが集中していた大量生産・大量流通のシステム(坂爪,1999)とは一線を画するものであるといえる.
  • 野中 健一, 鈴木 義久, 谷 謙二, 田中 哲哉, 真野 栄一, 戸田 春華
    p. 170
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    地域の環境保全において、人間と野生動物との良好な関わりを作ることは、最重要課題の一つである。日本では人間の生活圏が開発とともに山地へと進むにつれ、野生動物の生息圏との重なりやさまざまな環境への圧力によって、人間_-_野生動物の対立構造が顕在化している。この問題を解決するには、人間活動及び野生動物の適切な管理と地域住民の合意形成が重要である。
     この報告では、三重県で2001年以降に進められてきた猿害対策事業において、市民グループ、地元住民、研究者、企業とが、協働体制と活動を通じてサルの位置情報システムをハード・ソフトの両面から構築してきた取り組みをとりあげ、利用者主体のGISの構築を検討する。
     三重県では、猿害対策に関して、電波発信機の装着と遠隔測定法によるサル群の位置把握を実施してきた。2001年度にサルの群れをほぼ把握し、サル群の位置情報データは、調査員らによりファクス、PCメール、携帯メールを通じて集積された。2002年度にはそのデータベース作りと情報公開システムの構築へ向けて動き出した。まずはサルの出現動態を分析表示するために、サル情報の時空間GIS化を図ることが有効であると考えられた。次に猿害対策の実践に際して、サルの情報をリアルタイムで共有でき、市民レベルで手軽に扱える端末システムの開発がめざされた。そのソフトは、可能な限り手軽で、可変的な対応ができること、そして容易に入手できるものであることが要件である。そこで、2003年度には、汎用GISによるサル位置情報システムと、携帯電話を用いたサル情報発信閲覧集積システムの2つが構築された。
     1)サル位置情報システム“SaIS”
     集積される情報をデータベースとして整理し、利用者の望む地図に視覚化することに主眼がおかれた。市町村や市民への普及のためには、安価で取り扱いの容易なシステムが必要である。そこで、データベースの作成にはエクセル、GISには汎用シェアウェアソフト「MANDARA」を用い、その組み合わせのシステムによって表示・分析を行えるようにした。これによって必要に応じてさまざまな地図をベースマップとすることを可能とした。また、サルの行動をトレースすることで、サル群の行動予測やサルの場所利用が明らかになり、効果的な対策を立てられることにつながると考えられた。そこで、時空間表示を行い、サルの動きと範囲を表示できるようにした。
     2)携帯電話とウェブGISによるシステム“サルどこネット”
     三重県の事業終了の後、調査員らが主体となり、猿害対策のネットワーク「サルどこネット」が発足した。ここで用いられるシステムが作られ、日常生活の中での発見と報告を容易にすることに主眼をおき、GPS機能カメラ付携帯端末を用いて情報の取得と送信を行うこと、位置情報のDatingを瞬時に共有、情報付加し蓄積できるサーバWeb-GISとウェブサイトの活用によるサルの位置情報の発信と携帯電話およびパソコン上でウェブページによる閲覧を可能とした。
     以上二つのシステムを相互に運用して、1不特定に移動するサルの群れ位置情報を簡便に発信し、データを共有すること、2猿害情報の集積を行い、時系列等で整理して地図上に表示し、分析に供すること、が可能となった。
     三重県では、この猿害対策の活動を通して、距離的に離れ、行政に対して被害感情ばかりが募りがちだった市民が、同じサルの問題を共有することにより孤立から連帯へとネットワークの形成を図りつつある。
     今後は、サルの群れの分布、移動状況、被害状況から猿害ハザードマップを作成し、人間側の土地利用のあり方も同時に検討する、あるいはこれらから、集積したデータから行政が関与すべきこと、地域住民が行うべきことを明確化し、被害に苦しむ住民に「安心」と「責任」を提供することが可能となろう。
     GISを利用したこのシステムは、情報の「発見」「発信」「共有」そして「問題解決」というプロセス的思考を具現化するシステム、そしてこれらがコミュニケーションを作り出し、共通する問題意識によって解決するという地域社会アシストシステムとしての普遍的なモデルを示す事例となることを確信する。
  • 田上 善夫
    p. 171
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_ カリブ海地域の島嶼
     カリブ海には多数の島々があり,30ほどの国・地域が存在している。当該地域についてカリブ海沿岸国や南米ガイアナなどを含めることが多いが,以下では西インド諸島,すなわちカリブ海の島々を対象にする。大アンティル諸島は規模が比較的大きいだけでなく,小アンティル諸島にはない広い平野や丘陵が発達する。小アンティルでも風下諸島およびバハマ諸島,ケイマン諸島では,珊瑚礁が発達して山地も低い。一方風上諸島では,高度1000mに達する火山が連なっている。小アンティル諸島でも南米大陸沿岸は,著しく乾燥した気候である。こうした自然的基盤の差異にともない,サトウキビなどのプランテーション農園,カリブの海を中心とした観光,大陸から運ばれた原油の精製,バナナなどの熱帯果樹栽培,など各島の現在の産業構成に差異がみられる。またそれ以前より各島々への移住者の出身地域は異なり,現在も民族構成やそれにともなう宗教や文化的側面も,それぞれ特色あるものとなっている。
    _II_ 近年の社会的変化
     一方現在ではこれらとは異なる地域的特色が,人々の流動などに表れている。カリブ海地域の住民は,15世紀よりほとんどが域外から流入したが,19世紀より大量に流出するようになった。現在も大半の島嶼から人口流出が続いているが,風下諸島など一部では人口が流入している(図1)。また1人あたりGDPも,35,000US$のケイマンから1,400US$のハイチまで,各島々で大きく異なっている。この格差には,一部の島では1990年代以降とくに発展が続いて主要産業になった観光をはじめ,オフショア金融や便宜置籍船などの果たす役割が大きい。ただし人口の流動との関係では,所得の高い島々に流入し,低い島々から流出しているわけではない。それにはカリブ海地域で従来からの宗主国との関係や現在大きな影響を受けている近隣諸国などとの関係がより大きくかかわると考えられる。
    _III_ 地域内・地域外の移動
     カリブ海地域内でもとくに旧・現英領の国・地域において,さまざまな経済連合などが結成されてきた。しかしそのほかにも仏蘭西米などと密接な関係を保つ,多くの非独立地域や半独立の地域がある。こうした宗主国が異なるのみならず,域外諸国との関係が島々で異なることは,貿易や援助受取の相手国などにも表れている。また域内や域外との地域的結びつきは,現在の交通にもみられる。多くの小島では島外との関係は重要で,交通や運送の手段は欠かせぬものの一つである。現在島嶼への人々の移動は主として航空路によるが,カリブ海地域内の主要空港間の路線数や便数は地域により異なる。大アンティル諸島では路線数・便数が少なく,小アンティル諸島では稠密な航空路線網がある。小アンティル諸島でも,風下諸島ではサンファンとの便数が多く,風上諸島ではトリニダードとの便数が多くなっている。カリブ海地域外の主要都市とでは,イスパニオラ島から西ではマイアミと,東ではニューヨークとのつながりが相対的に密接である。また大アンティル諸島ではアメリカとのつながりが強いのに対して,小アンティル諸島およびキューバではヨーロッパの比重が高くなっている(図2)。
    _IV_ 交通変化の影響
     カリブ海の各地域はハリケーンベルトにあたり,また地震および火山地帯であるため,近年も大きな自然災害があることで共通する。緩やかな弧状列島をなすもかかわらず多くの国・地域から構成されるのは,珊瑚礁地域を除いて多くの島々には火山があって各島は海峡で隔てられており,また海洋資源は豊かでなく,移民も大陸内部からきたため,陸上での農業が中心的に営まれて,各島間の交通が盛んでなかったことが大きい。しかし現在では食料の多くを輸入に頼る地域が多く,域外との交流は不可欠である。とくに航空路線の発達により,島嶼にも多くの観光客をよぶことが可能となると同時に,カリブ海観光のクルーズ船も多くの観光収入をもたらす。観光客のみならず住民の流動もまた盛んであるが,これらはカリブ海地域における諸島間の結びつきに変化をもたらしている。
  • 初澤 敏生
    p. 172
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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     和ろうそく製造業は我が国の伝統的な産業の一つで、各地に産地を形成していた。しかし、安価な洋ろうそくの生産拡大によって急速に縮小し、各地の業者は新たな体制で生産を進めている。本報告では和ろうそく製造業の存立基盤の検討から和ろうそく製造業の現状と課題を明らかにすることを目的とする。
     和ろうそくの主要な原料は灯心と木ロウに大別される。灯心は和紙を軸としてそのまわりをい草の芯と真綿で固定する。木ロウは糸などではうまく吸い上げられないので、和紙を芯に使わなければならない。ただし、品質的にはあまり高級なものを必要としているわけではない。現在は機械すきの和紙が主に使用されている。灯心で問題となっているのはい草である。近年、我が国のい草生産は急減し、特に東日本では良質な原料の入手が困難になっている。
     一方、木ロウは主にハゼの実を原料として採取しているが、生産量が少ない上にコストが高いため、使用量はあまり多くない。伝統的な原料にこだわる業者も少なくはないが、生産量的に見るとパラフィンやステアリン酸、牛脂硬化油などを使用しているものが多い。形態は和ろうそくであっても、成分的には洋ろうそくと大差ないという状況である。そのため、伝統的な原料にこだわっている業者からは成分表示を明確化するように要求がでているが、業界としては対応できていない。これについては消費者保護の観点からも、今後、問題になるものと考えられる。
     和ろうそくの生産方法は、大きく手がけと型どりに区分される。型どりは型の中にロウを流し込み成形するもので、特別な技術は必要とされない。
     これに対し、手がけは1本1本のろうそくを手でロウを付けて成形していくもので、一人前の職人になるためには約10年の修業が必要であると言われている。このため、現在では家族以外の後継者の育成は事実上不可能な状態となっている。既に手がけ技術の伝承が途絶えてしまった業者も存在している。この傾向は今後さらに強まるものと考えられる。手がけ技術の保存が課題である。
     市場については業者による差が大きい。以下では4つの事例から検討を加える。
    1.地元市場型
     a.宗教需要依存型
     宗教需要は和ろうそく需要の中心的なものの一つである。福井市内に立地するA社は地域の一般家庭での需要を中心とした生産を進めている。仏壇の灯明に用いられるために製品は小振りかつ安価で、1匁ろうそく10本で250_から_300円程度の価格の商品が中心である。このために生産は全て型どりで行われている。出荷ルートは雑貨問屋経由で、荒物屋などで多く販売されている。
     b.観光需要依存型
     和ろうそくに絵を付けた絵ろうそくは観光土産品として根強い需要がある。会津若松市内に立地するB社は観光土産品を中心に生産・販売している。生産価格は10匁ろうそくで1500円程度になる。観光地に立地していることを生かして店舗も兼営、生産量の6割ほどを自店舗で販売していている。残りは市内及び周辺部の土産物店で販売されている。
    2.広域市場型
     ここでは2つの事例を紹介したい。
     C社は新潟県亀田町に立地している。C社は自らはろうそくの生産能力を持たず、外注によって生産したろうそくに、内職を利用した絵付けを行って出荷している。C社は15年ほど前から戦略を転換し、伝統にとらわれない様々なタイプの絵付けを行った製品を東京市場などに出荷、市場を開拓してきた。価格帯は10匁ろうそくで1000円程度と前述の事例に比べて安めであるが、これは前述のような生産体制を活用してコストダウンに努めているためである。C社は新製品開発にも力を入れ、和ろうそくをインテリア的な要素を持ったものへと拡大している。
     D社は滋賀県今津町に立地している。D社は伝統的な材料を中心とし、絵付けのないろうそくを生産している。製品は使用されることを前提としているため、価格は1匁ろうそく16本で2000円程度である。D社では手がけと型どりを併用している。D社は線香問屋を経由して出荷し、比較的広い流通地域を確保している。また、D社は7人のパートを利用して型どりで生産を行っているために生産力が大きく、無地のろうそくを絵付けろうそく業者に素材として提供してもいる。
     和ろうそく製造業は生産業者が少なく、もはや産地を単位とした生産体制を組むことは困難になってきている。しかし、その一方で、これまでとは異なった形で広域的な分業体制を形成するなどして新しい発展方向を模索する企業もある。今後は全国的な分業体制なども視野に入れ、新たな生産体制を形成することが必要であると考える。
  • 加世田 尚子, 坪本 裕之, 若林 芳樹
    p. 173
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに
    東京都区部では,減少を続けていた人口が1996年を境に増加に転じ,「都心回帰」の兆候がみられる.都心部に隣接する江東区でも,その余波を受けて1990年代後半からマンション供給戸数が急増し,近年では区部で最も多い人口増加数を示している.江東区での集合住宅の増加は,すでに1970年代には顕在化しており,地理学でも集合住宅建設に伴う土地利用変化や住宅のタイプによる居住分化が検討された.これらの研究が対象にしたのは,いずれも1990年以前であり,バブル経済期以降の江東区におけるマンション立地の動向は明らかになっていない.そこで本研究は,江東区における近年のマンション大量供給の背景とその影響を明らかにすることを目的とする.
    2.資料と研究方法
    人口分布の傾向は国勢調査などの統計資料で把握し、マンションの立地動向は江東区役所ならびに不動産経済研究所の資料を用いた.また,小学校児童の受け入れ状況については,区の教育委員会から資料収集するとともに,学区内での建物用途の変化について東京都都市計画地理情報システムの建物現況データを用いてGISによる分析を行った.
    3.江東区の人口増加とマンション建設
    江東区の人口は90年代後半に増加している.人口の転入・転出先をみると,郊外方向への転出が目立った85_から_90年と比べて95_から_00年には江東区内や他の区部からの移動が増加しており,都心回帰の兆候が表れている.年齢別人口構成の変化では,90年代後半に学齢期の子供を持つ若い世帯が多く増加しており,この町丁別の人口の変化をみると,人口急増地区と大型マンションの立地とが対応していることがわかる.
    4.マンションの規模・価格・立地の変化
    江東区内の集合住宅は,もともと公共住宅の占める比率が高かったが,近年では民間分譲マンションの割合が高まっている.その立地場所は区内に散在しているが,大型マンションは臨海部に比較的多い.1棟当たりの戸数でみると,70_から_80戸の高い水準で推移した1970年代末の第4次ブーム期に比べて,バブル経済期には急激に縮小した.その後,93年以降は再び拡大傾向にあるものの,第4次ブームの水準には達していない.これは,転用できる用地の小規模化によると考えられる.バブル経済期まで一貫して上昇していた1戸当たりの平均価格や1_m2_当たりの単価は,90年代以降に急落し,デフレの影響を受けてバブル経済期以前の水準に近づきつつある.その結果,マンション販売価格の低廉化によって,比較的若いファミリー世帯の一次取得層でも購入できる物件が増加した.
    5.「受け入れ困難地区」の指定と学区内での地域変容
    こうしたファミリー世帯の増加に対して,江東区は小学校を当面は新設しない方針をとっている.その理由として,児童数が増加したとはいえ,1980年頃のピーク時ほどではなく,空き教室の活用等で対応できること,また児童の増加が一過性のものと予想されること,および区の財政事情等が考えられる.そのかわり02年に江東区は,児童数が急増もしくは今後増加が見込まれる学区を「受け入れ困難地区」に指定して,マンションの新規建設を制限する措置を講じた.指定された地区は,都市基盤が未整備な臨海部を中心にした7つの小学校区である.
    数少ない既成市街地内の受け入れ困難地区である川南小学校区を事例として,建物用途の変化を分析した.その結果,80年代まで工場や倉庫だった場所が一時的に空地となった後,90年代後半にマンションへ転用されるケースが多いことがわかった.こうした変化には,江東区が30戸以上のマンションから徴収していた公共施設整備協力金を93年から02年まで中断したこと,および建築基準法の改正等による容積率の緩和も影響している.つまり,近年みられるマンションの大量供給は,バブル経済期以降の規制緩和が促進したと考えられる.
  • 石川 守, 門田 勤, 大畑 哲夫, な シャルフー
    p. 174
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    活動層と永久凍土上層の水分状態を電気比抵抗法と中性子法によって調べた.土壌の比抵抗値は土壌水が凍結すると(水が氷に相変化すると)極端に大きくなる.したがって,比抵抗値から土壌の凍結状態が推定できる.一方,中性子法は土壌中の水素原子数を計る手法で,全水分量(氷+液体水)の含有量を見積もることができる.地温観測に,これらの手法から得られる知見を加え,温度状態のみならず水分状態も併せた永久凍土の分布やその季節変動について述べる.
  • _-_地域構成主体の協同的競争と共生をめぐって_-_
    伊藤 貴啓
    p. 175
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    本研究は農業地域の自立的発展とそれに関わる地域的条件を愛知県蒲郡市のハウスミカン産地を事例としながら,地域構成する主体の競争と共生という観点から論じようとするものである。
    ■ 農業地域の自立的発展とは
     農業地域が,例え,都市化・工業化といった地域内部の変動や農産物貿易の自由化とそれに伴う農産物価格の変化,食の安全と健康志向などの地域外部からの変動の影響を被ったとしても,そこから回復することができれば,地域として維持・発展していくことができる。発表者は先にこのようなプロセスを農業地域の自立的発展と位置づけ,農業地域が回復力,安定性,自立性を有しているかどうかがその発展に重要なことを指摘した(拙稿,2001)。しかし,地域がいかにそのような安定性や回復力,自立性を有することが可能なのかという点の分析が残されていた。本研究はこの点を主に,愛知県蒲郡市におけるハウスミカン産地での参与観察を中心とした調査から解明することを目的とした。
    ■ 蒲郡市のハウスミカン産地と事例集落
    愛知県蒲郡市は全国的なハウスミカンの主産地である。先学の研究(牧野,1981;伊藤あ,1989;拙稿,1997;川久保,1999)から,本産地が露地ミカン産地の小規模産地からハウスミカン産地へと地域の条件(例えば,豊川用水,水田転換の早生温州園の存在,農家や農協の努力など)を活かしながら転換していくなかで主産地として発展してきたことが指摘されてきた。これらを踏まえて,本研究では蒲郡市のハウスミカン栽培において中心をなす神ノ郷町山本集落の事例農家の言説から農家間の競争,とりわけ協同的競争が地域の自立的発展に果たした役割にまず注目した。山本集落は2000年現在,蒲郡市全体の温州ミカン栽培面積(販売用)の8.1%を,施設面積の約20%を占める。また,オレンジの輸入自由化以降,農政による補助事業を積極的に活用して施設園芸団地を造成して農業経営の基盤を整えてきた。
    ■ 地域の構成主体の協同的競争と共生
     事例集落には37戸の施設園芸農家があり,ハウスミカン農家は35戸である。このうち,地域のハウスミカン栽培の動向に影響を与えているのが,本研究で1999年から2001年まで参与観察を行ったA氏である。同氏はハウスミカンの早期出荷を担う第一人者であり,その工夫のなかで地域のハウスミカン施設の仕様を改良して景観をも変化させた。同氏の言説をまとめると,地域内部での競争においていかに自らの経営をトップランナーとして保つかという点に重点が置かれていた。その技術的工夫は,自らの創意工夫のほか,地域における花き園芸農家の技術などの他の施設園芸作目の技術を導入したりと広範囲にわたる。このことは氏の栽培技術の工夫が地域内部の競争のなかで近年まで協同的競争として作用して地域の発展をもたらすとともに,その基盤として他の園芸作目農家などとの地域内部の共生が作用していたことを示している。
     本発表では,このような地域内部における協同的競争と共生を,事例集落におけるハウスミカン農家の農業経営と地域の発展に位置づけながら具体的に報告したい。
  • 久木元 美琴
    p. 176
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    【_I_ 研究の目的】
    近年の少子化にともない,保育サービスはその重要性を増しており,中でも事業所内保育所は,大手企業や官庁で設置され,注目されるサービスである.事業所内保育所は,自宅近くの保育所を利用する場合に起こりがちな,送迎のために回り道をしなくてはならないといった送迎の負担を軽減する働きを持つほか,病気やけがのときにすぐに駆けつけることのできる安心感が利点として挙げられる.だがその一方で,乳幼児を連れての移動は精神的・肉体的負担が大きく,満員電車での長時間通勤を余儀なくされる日本の都市部では現実的でないと指摘されてきた.
    しかし,勤務時間が他とずれている職種・業種に就く人々や,育児休業制度の時間取得によって通勤ラッシュのピークを回避して通勤することが可能な人々にとっては,就業の制約を軽減するための選択肢の一つとして意味を持つものであると考える.事業所内保育所の実態を明らかにし,その可能性を探ることが本研究の目的である.

    【_II_ 事業所内保育所の概要】
    全国の事業所内保育所は,2002年3月31日現在2682施設である.これは,全国の事業所のうち約0.8%にあたる.これらのうち,約7割が病院内に設置されている,いわゆる「院内保育所」である.また,事業所内保育所は2000年には3600施設,2001年には3528施設であったが,減少傾向にある.この背景には,少子化による児童数の減少,不況による福利厚生費の削減等があるものと考えられる.中でも「製造・縫製・食品」分野では児童の減少傾向が高く,逆に「販売・サービス」分野では,近年の勤務時間の多様化を背景として,減少傾向が相対的に低い.
    近年では,文部科学省が霞ヶ関に事業所内保育所を設置して話題になったほか,資生堂(汐留),新生銀行(千代田区)など東京中心部において設置され始めている.
    【_III_ 調査の方法】
    調査対象として,文部科学省「かすみがせき保育室」,お茶の水女子大学「いずみ保育所」,東京大学「駒場地区保育所」を取り上げ,保護者に対するアンケート調査(利用の状況・動機,送迎経路,家事・買い物の行為者等)を行った.その後,各保育所利用者の保護者数名に対し,保育所を利用する一日の活動を中心に,保育所への送迎経路・夫婦間での家事分担の実態についてのヒアリング調査を行った.

    【_IV_ 結果と考察】
    アンケート調査では,事業所内保育所について従来指摘されてきた利点,「近くにいられる安心感」や「二重保育の回避」が確認されたほか,ヒアリング調査において,保育所の選択段階で「どこが関与している保育所か分かるという安心感」が働いていることが明らかになった.
    また,送迎の負担については,いくつかの方法によって通勤ラッシュのピークを回避し,負担を軽減していることが示唆された.
    例えば,文部科学省「かすみがせき保育室」を利用する自営業者は,10時から出勤すればよいため,一般的なラッシュのピークである8時から9時という時間帯を避けて出勤することができる.ほかにも,フレックスタイム制度や育児休暇の時間取得の利用,またパートタイム就業や学生の場合には,ラッシュのピークを回避することが可能である.こうしたオフピークによって,自家用車による通勤は相対的に容易になり,公共交通機関による通勤でも,精神的な負担が軽減されるものと考えられる.
    一方,東京大学「駒場地区保育所」においては,自宅と職場が近接しており,公共交通機関の利用が少ないため,都市部固有の送迎の負担がそもそも存在していない.
    以上より,通勤ラッシュのピークを回避できる場合において,日本の都市部でも事業所内保育所はその有効性を発揮するものと考えられる.
  • 流出経路、生物地球化学過程の影響
    重枝 豊実, 小野寺 真一, 藤崎 千恵子, 成岡 朋弘, 西宗 直之
    p. 177
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.はじめに

     近年、酸性雨問題や森林環境保護への対応のため森林流域における渓流水の水質形成に関する研究が精力的に行われてきた。渓流水質は、流域内の降雨、地下水、土壌水という水文過程、地形過程、生物地球化学過程により異なる渓流水を形成する流出成分の混合によって形成される。そのため、降雨イベント時には降雨流出経路の違いにより水質も一時的に著しく変化することが多くの研究でわかっている。また、降雨イベント時における渓流水を形成する流出成分を定量的に評価する研究も多くみられる。しかし、化学種による濃度変化と流量、流出経路、化学変化との関係は、十分に一般化されたとはいえない。

    本研究では、比較的土層が薄く、花崗岩からなる流域で、河川流量と渓流水の溶存化学成分の関係を評価することを目的とした。


    2.研究地域及び方法

    試験流域は花崗岩が広く分布する広島県竹原市に位置する山地小流域である。標高30から130mにあり、流域面積は約1.55haで、年平均降水量は1187.5mmである。また、この地域は過去に山火事などの土壌撹乱にあい、比較的土層が薄く、二次林で覆われている。

    調査方法として、渓流水が定常的に存在する場所にVノッチ堰を設け、そこで渓流水の採水及び流量測定を行った。また、降水、土壌水、土壌試料も定期的に採取を行った。採水時にはpH、電気伝導度の測定も行った。採水した試料水は実験室に持ち帰り、HCO3-はpH4.8アルカリ度硫酸滴定法で、陽イオンはICP発光分析装置で、陰イオンはイオンクロマトグラフィーで定量した。土壌試料は、土壌pH、水溶性化学成分、交換性陽イオン成分の分析をおこなった。また、化学成分を用いて流出成分分類を行ない、渓流水の流出成分の寄与率を算出した。


    3.結果と考察

     各図はそれぞれ降雨時、無降雨時、降雨後における濃度をプロットしたものである。しかしながら、各値に大きな違いはみられなかったため、この流域では降雨の直接流入による渓流水への影響は小さいものと考えられた。また、低流量時におけるCl-と他の成分との変動の違いから、より溶存成分が高濃度である滞留時間の長い地下水の流出が考えられた。ここでは、基盤の割れ目を経由する地下水と考えた。

    1)河川流量と渓流水の化学的風化過程起源の水質変動

     Na+は低流量時において、基盤地下水と飽和帯地下水の混合により著しい濃度低下がみられた。また、河川流量が増加するに従い、その濃度の低下は緩やかになっていった。また、このとき基盤地下水の寄与率も同様な変動をしていたことから、この流域におけるNa+濃度の変動は基盤地下水による影響を強くうけるものと考えられた。また、HCO3-の変動は、同じ化学的風化作用起源のNa+とは異なり、低下がみられた。これは、地下水が湧水後に脱気するためと考えられた。

    2)河川流量と渓流水中のCa2+濃度の変動

    Ca2+は河川流量の増加とともに濃度が大きくなっていた。Ca2+は生物活動で取り込まれるため表層で多く存在している成分であることから、流量の増加に伴い、流出成分である飽和帯地下水の水位の上昇や土壌表層を経由した水の流出成分が増加したためと考えられた。

    3)河川流量と渓流水中のNO3-濃度の変動

    NO3-は土壌中の生物活動により生成され、土壌の水溶性塩基の分布から土壌表層で高濃度であった。また、基盤地下水中で還元的環境であるため脱窒反応により低濃度であることが考えられる。そのため、河川流量の増加により飽和帯地下水、土壌表層を経由する水による流出成分が大きくなり、流量の増加とともに濃度は大きくなったと考えられた。また、低流量時において高濃度となっているのは、河道における落葉からの溶出によるものと考えられた。
  • 鈴木 幸恵, 平川 一臣, 池尻 公祐, 倉茂 好匡, 中村 有吾
    p. 178
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    森林伐採および農業的土地利用は、河川の運搬・堆積・侵食プロセスに大きな影響を与える。とくに、農耕が流域の土壌侵食を引き起こし、河川による流出および堆積に大規模な変化をもたらす。十勝平野南部では、1880(明治13)年に入植が始まるまで、農業的土地利用は皆無で完全に自然の森林植生に覆われていた。入植後、開墾が急速に進められ、現在では日本有数の畑作・酪農地域となっている。本研究では、南十勝地方に位置する3流域において、1.入植以降の土地利用変化と河川氾濫堆積物の層相および層序、2.開墾後の現在における河川環境について明らかにし、開墾前後の河川氾濫堆積物の相違、および、土地利用変化と河川堆積物との関係について考察した。
    河川氾濫堆積物
     耕地面積の拡大状況が異なる3流域、農野牛川、生花苗川、当縁川において河川氾濫堆積物の記載・編年をおこなった。3流域に共通して、地表付近には比較的粗粒で斜交葉理の伴う砂層があり、その下位にはシルト層が位置する。駒ケ岳c1テフラ(1856年噴出)との層序関係を考慮すると、河川氾濫堆積物が粗粒化するのは、いずれの流域でも1856年以降である。また、137Cs含量分析により、1960年代の層準を推定した。その結果、粗粒化の時期は、農野牛川流域では1960年代以前、当縁川流域では1960年代直前ごろ、生花苗川流域では1960年代以降である。これら粗粒化の時期は、耕地の急激な拡大時期とほぼ一致する。また、年輪年代法および埋没人工物を用いた編年によって、当縁川流域では近年さらに堆積速度が加速していることが明らかとなった。
    水文環境
    当縁川流域における水位と雨量の通年観測を行った結果によると、下流域で氾濫が起きるのは雨量が約100mm、水位が2.7mを超えたときであった。2002年7月11日大雨時の河川浮流土砂と氾濫堆積物の粒径組成は、井口・目崎(1979)の方法によりそれぞれ3つの亜集団(A亜集団、B亜集団、C亜集団)に区分できる。2002年7月11日の氾濫堆積物の粒径組成は同日高水位時の河川浮流土砂の粒径と極めて類似する。従って、この氾濫堆積物は河川浮流土砂が堆積したものである。さらに、本流および旧本流沿いの露頭で樽前bテフラより上位の各層準から採取した河川堆積物の粒度分析を行った。本流河岸でみられる氾濫堆積物は、地表面直下の粗粒堆積物(A・B・C亜集団)とその下位の細粒堆積物(B・C亜集団)に区分される。粗粒堆積物の粒径組成は2002年7月の氾濫堆積物と類似することから、現在とほぼ同様の水文環境で形成されたと考えられる。一方、1920年以前の流路(旧本流)でみられる堆積物は、細粒堆積物(B・C亜集団)が卓越していることから、開墾の影響を受けていないと考えられる。
  • 斉藤 光代, 小野寺 真一, 重枝 豊実, 峯 孝樹
    p. 179
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
    海洋、特に閉鎖海域の富栄養化は世界的にも大きな環境問題の一つであり、その原因として陸域の汚染にともなう海洋への栄養塩負荷が問題視される。よって、海洋環境保全のためには陸域からの負荷を軽減させることが重要である。近年、多くの農業流域において施肥などにともなう地表水・地下水の硝酸態窒素による汚染が深刻化しており、海への負荷という点でも懸念される。このため、その流出量および流出プロセスについて明らかにする必要がある。しかし、それらは窒素インプット量や地形などの条件によって異なるため、流域の特性を考慮したうえで窒素流出を評価していく必要がある。本研究では、特に流域地形特性が硝酸態窒素流出に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした。

    2. 研究地域及び方法
    試験流域は、広島県の南東部で瀬戸内海のほぼ中央に位置する生口島(豊田郡瀬戸田町、因島市)内の15河川流域とした。各流域の流域面積は20_から_250haであり、流域勾配は0.08_から_0.35である。生口島には広く花崗岩が分布し、島全体を通して柑橘系の果樹園が多く見られる。2003年6月に各流域の河口付近において河川水の採水と流量観測を行った。また、採水した試料水は実験室に持ち帰り、イオンクロマトグラフィーによりNO3-, Cl-を、ICP発光分析装置によりSiO2を、全有機体炭素計によりDOC (Dissolved Organic Carbon) を、pH4.8アルカリ度硫酸滴定法によりHCO3-を定量、分析した。

    3. 河川からの硝酸態窒素流出
    各流域において観測された河川流量と硝酸態窒素(NO3--N)流出量およびSiO2流出量との関係をFig.1に示す。NO3--N、 SiO2流出量は、河川流量と各成分の濃度との積で表す。この結果から、河川流量が大きな流域ほど溶存成分の流出量も大きい傾向が読み取れる。また、NO3--N は、SiO2に比べて流量と流出量との間の相関が悪いことが分かる。これは、各流域によって河川水のNO3--N濃度にばらつきが大きいことを意味する。一般的に、河川水のSiO2濃度は人為的影響や生物化学的反応の影響を受けないのに対し、NO3--N濃度は農地における施肥、および家庭排水の流入や、微生物による浄化作用などの影響を受けその値が変化する。調査地域一帯は果樹園が広く分布するが、流域内に占める果樹園面積の割合は各流域によって異なり、施肥としての窒素インプット量にも違いがあると考えられる。また、Fig.1においてNO3--N流出量が0である流域についてはNO3--Nが検出されておらず、何らかの浄化作用が働いていた可能性もある。したがって、河川流域からの窒素流出を評価するにあたっては、各流域における窒素インプット、浄化機能の違いを考慮する必要がある。

    4. 流域勾配と硝酸態窒素流出量
    Fig.2に、各流域の勾配とNO3--Nおよび SiO2流出量との関係を示す。この結果から、勾配が小さな流域ほど流出量が大きく、対照的に勾配が大きな流域ほど流出量が小さい傾向にあることが分かる。これは、勾配が緩い流域ほど河川流量が大きいためであると考えられる。一般的に、平水時の河川水は地下水の基底流出によって形成されるため、今回観測された各流域における流量の大きさは、河川への地下水流出量の大小によって決定されていると考えられる。また、地表面が地下水面と一致する領域が大きいほど、地下水流出量は大きくなることから、緩勾配な流域は急勾配な流域に比べて地下水が河川へ流出しやすい形態を呈していると考えられ、その結果、河川流量が大きくなると考えられる。したがって、勾配の緩い流域ほど河川から直接流出するNO3--N量は大きくなると考えられる。
  • 堤 純
    p. 180
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
     本報告は,賃貸マンションの所有者の属性(所有者住所,建築に至る契機や条件等)から松山市におけるマンション供給の地域的特徴を考察するものである。
     分析に当たり,松山市に本店をおく不動産会社日本エイジェント(株)(以下N社)の不動産情報データベースを利用した。N社は管理戸数では全国94位(四国1位),仲介契約件数は41位(中四国3位)(いずれも1998年度)であり,松山市および周辺地域においてマンションの賃貸および新規建築の仲介を主たる業務とする中堅不動産会社である。N社は業務に関わる複雑多様な情報管理について専門のスタッフを配置することにより自社でまかなっており,情報化の取組においては先進企業といえる。
     また,本報告では日々刻々と変化する賃貸借成立/解約等の不動産情報データベースのGISによる効率的な管理システムの構築過程の一端も紹介する。ベースマップとしては数値地図2500「四国」(空間データ基盤)をはじめ,NTT-Neomeit四国 「ME-MAP」(1/2500松山市中心部建物ポリゴンデータ)および松山市役所「都市情報システムデータ」(敷地区画ポリゴンデータ)等を用いた。また,松山市に本店をおく住宅地図作成会社セイコー社によるデジタル住宅地図「MapFinder」の機能の中から,座標登録支援機能およびタウン情報データベースを利用した。これらの各種デジタル地図や諸機能を組み合わせることによりマンションの立地地点のポインティングを進め,最終的にArcGISを用いて各種の分析を行った。
     N社が管理全般を請け負う物件(以下,管理物件)は488を数える。うち,賃貸マンションは全体の80%を越える391棟である(第1表)。賃貸マンションの所有者の65.0%は松山市内居住者であるが,次いで関西圏,愛媛県南部地方(以下,南予)が上位を占める(なお,管理物件には,単純な入居者斡旋のみの場合は含まない)。
     N社の管理物件の所有者に対して当該物件の供給に関わる契機・条件・情報源等について郵送によるアンケートを実施した。その結果,知人や不動産業者(N社を含む)からの有益な情報,余剰資金の有無,所得税対策,相続税対策などの理由から賃貸マンションの所有者となる事例が多数確認された。
  • 辻村 真貴, 恩田 裕一, 原田 大路
    p. 181
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    一般に温帯湿潤地域では,森林植生に被覆され土壌が十分に発達した斜面においては,終期浸透能が200 mm/h程度の値を示すことが従来知られている.一方で,密植されて林床の裸地化したヒノキ林は,ほかの樹種の林に比べ,雨滴衝撃により土壌表面に形成される土壌クラストの影響で,浸透能が低いことが従来報告されている.このような場の条件下で,地表流の発生が従来報告されている.しかし,ヒノキ林において発生する地表流の実測例はきわめて少なく,地表流の特性や形成機構について研究した例はみあたらない.

    そこで本研究では,林床の裸地化したヒノキ林流域を対象に,降雨時に発生する地表流の水文観測およびトレーサー解析を行なうことにより,地表流の流出発生機構を明らかにすることを目的とした。

    2.研究対象地域の概要

    研究対象地域は,三重県度会郡大宮町のヒノキ林内にある小流域(面積0.28ha)である.このヒノキ林は,36から37年生の一斉林で,植林する前は50年生程度のヒノキ天然林であった.樹幹は閉鎖し,下草植生は見られず,林床は裸地化しており,表面侵食が生じていることが確認された.

    3.研究方法

    地表流の流出特性を把握するために,水文観測を実施した.併せて,林内雨,地下水,地表流の採水を行った.採取した水サンプルは,密封して持ち帰り,実験室において,電気伝導度,pH,各種無機溶存イオン濃度の分析を行った.現地観測は,1998年8月26日から9月22日に行ない,この間,9月15から16日と9月22日には比較的大規模な降雨流出イベントを捉えることができた。

    4.結果および考察

    9月15から16日の台風では,総雨量120.4 mm,総流出量15.7 mm,流出率13.0 %,最大降雨強度26.2 mm/hが観測された.降雨前には,地表流および地下水流出はみられなかった.降雨開始から積算雨量が14.2 mmに達した時点で地表流が発生した.流出ハイドログラフのピークは鋭く,降雨ピークとほぼ同時刻に発生した。降雨終了後も,4時間20分間にわたり,流出が続いた.

    地表流に含まれる溶存イオン濃度の時間変化をみると,陽イオンのうちK+,Mg2+,Ca2+濃度は,全期間を通じほぼ一定して低い値を示した.一方Na+イオン,すべての陰イオンおよびSiO2濃度は,流量ピーク時に低下し,流量逓減時には上昇した.また空間分布をみると,とくに最上流部において,地表流の溶存成分が林内雨のそれにきわめて近いことが認められた.

    流出に占めるホートン地表流量を評価するため,SiO2およびCl-濃度をトレーサーに用い,地表流ハイドログラフの成分分離を行った.端成分は,林内雨および地下水成分である.その結果,流出ピーク時の地表流に占める林内雨成分の割合は,60から70%と見積もられた.以上指摘した観測・解析結果は,本研究対象流域において,降雨ピーク時に発生した地表流が,いわゆるホートン地表流によりかなりの部分占められていることを示唆している.

    本邦国土の約65 %を占める森林域のうち,その40 %に相当する人工林が,間伐等の手入れが十分になされず放置されているという現実がある.またホートン地表流は,土壌侵食の重要な誘因の一つである.こうしたことを考慮すると,森林流域ではその発生がきわめて希であると従来言われ,水文学的には最近20年ほどは重要視されてこなかったホートン地表流を,我が国森林流域における主要な水文プロセスの一つとして,また水源林施行や森林政策の観点からも,重要な研究課題の一つとして位置づける必要がある.
  • 後藤 秀昭, 青山 繁雄, 三浦 昂也
    p. 182
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
     2003(平成15)年9月26日午前4時50分に十勝沖を震源とするM8.0の巨大地震が発生した(気象庁,2003)。山中・菊地(2003)の地震波形の解析によると,この地震はプレート境界の低角逆断層がずれたことにより発生したらしく,GPSによる観測もそれと調和的な地殻変動を示している(国土地理院,2003)。この地震と余震により北海道東部には,各地で液状化や地滑りなどの地盤災害が発生した。地震発生直後から被害の実態をつかむための調査が各地で行われ,速報されてきた(日本地理学会2003年度秋季学術大会災害セッション;土木学会調査団,2003など)。地盤被害の比較的大きかった十勝川の沖積低地では,十勝川の堤防の被害や,豊頃駅前市街地の液状化が報告されている(北海道立地質研究所,2003)。
     演者らは,地震発生の約1ヶ月後の10月20日_から_24日の期間,十勝川沖積低地の被害状況を視察し,震度6弱と今回の地震で最大の揺れを記録した場所のひとつである豊頃町市街地に近い十勝川支流の下牛首別川の沖積低地に広がる農地において,液状化現象による地表面の変形を見出した。この変形を平面測量によって把握するとともに,そこで見られた噴泥の地質断面を明らかにするためにハンディージオスライサーを用いた地層抜き取り調査を実施した。
    調査地点の概要
     牛首別川(旧)は,豊頃丘陵を刻んで流れる河川で,下流では本流の十勝川にほぼ直交する向きの東北東_---_西南西方向に延びる幅1kmほどの谷底平野を流下しており,十勝川の河口から約16kmの地点で本流に合流する。幅約2kmの丘陵を挟んだ北側には,牛首別川が流下しており,本流から約5kmの地点で両河川は谷中分水界をなして接していた。現在では,河川改修により,蛇行する下牛首別川(旧:牛首別川)の上流が直線状の牛首別川(水路)によって切断されて流路を替えられており,複雑な水系をなしている。両河川の沖積低地は,標高十数mの平坦な地形で,排水が悪く,泥炭地の発達した場所と思われる。
    液状化地点とその特徴
     下牛首別川を含め,十勝川の沖積低地に広がる農地で液状化現象により変形した農地はそれほど多くなく,車窓からは簡単には見つけられなかった。豊頃町役場での農地被害状況の聴き取りにより,液状化現象により被害を受けたと思われる農地がいくつかあることがわかった。それらを現地で確認したところ,変形が著しい液状化現象の明瞭な農地が認められた。この農地では,麦の芽が出たばかりであり,亀裂を伴う段差や地下から泥が吹き上げている様子がよく観察できた。亀裂や段差は断続的ながら,約80mにわたって直線状に延びていた(写真1)。段差の低下側には,吹き出した泥が麦の芽を薄く覆っていた。役場の圃場整備の地図によれば,変形の見られたこの農地にはかつての河道が横切っており,それにそって液状化が生じたと考えられる。北海道の泥炭地のように,早くから大規模に土地改良や圃場整備が行われた地域では,被害の場所とかつての自然地形との関係をとらえることが必要であると思われる。
    噴泥と地質断面
     段差の約30m北側には,高さ数cmで直径2_から_3mの円錐形をなした泥の高まりが複数見られた。この高まりの中心には,数cmの円形の凹部があり,泥はここから吹きだしたものと思われる。この噴泥の地質構造を明らかにするために,直径約2mの小規模な噴泥を対象にして,幅10cmのジオスライサーを用い,深さ約1.5mの地層を列状に5本抜き取った。抜き取った地層には,植物遺体を含む腐植層と砂の薄層がみられた。噴泥の中心の凹部を横切る抜き取り断面では,腐植層や表土を貫く灰白色の泥の帯が蛇行しながら延びているのが地表から0.4mの区間で観察された。地表に見られる灰白色の泥は,深度1.5m以浅からは見出すことができず,さらに深い場所から供給された可能性が高いと思われる。調査時においても,噴泥の中央の凹部からは水とともにわずかながら,灰白色の泥が出ているのが観察され,地震動に伴い地下水流動に変化が起こったことが推定される。
  • 森川 真樹
    p. 183
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.発表の目的
     パキスタンの開発計画では、国家単位の計画においてスラム問題が明確に組み込まれるようになったのは、最近のことである。本発表では、2001年以降に策定された国家開発計画におけるスラム開発の取り上げられ方を検討し、計画や実施に関する課題点を明らかにして、今後を展望したい。

    2.従来の開発計画とスラム開発
     パキスタンにおいて、国家レベルでの大規模な開発計画が立案されたのは、1955/56年度の第一次5ヵ年計画が最初である。スラムに関連する問題は、当初は都市貧困層の居住問題であり、第二次5カ年計画において、住宅供給の対象に低所得者層も含まれることが明記された。その後も低所得者層対象の住宅提供は、計画の上では取り上げられてきたが、実際に居住問題が解消されることはなく、住環境の悪いスラム地区が急速に拡大した。5ヵ年計画は第八次(1997/98年度終了)まで続いたが、同国の核実験実施やクーデターによる政権混乱等により、第九次計画は発表されなかった。
    2001年になって政府は、10ヵ年長期開発計画(Ten Year Perspective Development Plan)を策定し、長期展望による開発を目指すと同時に、具体的な事業実施に重心をおいた3ヵ年開発プログラム(Three Year Development Programme)を作成した。そこでは、スラム開発に関する方策がはじめて示されている。これは、同じ2001年に、国内のスラム地区住環境改善に対し、政府からの公式ガイドラインが発表されたことにもよる。毎年の開発計画については、年次計画(Annual Plan)が策定されている。

    3.各計画・プログラムにおけるスラム開発
     10ヵ年開発計画、3ヵ年開発プログラム、年次計画のそれぞれにおいて、スラム開発は「物的計画および住宅問題」の項でふれられている。簡単にまとめると、
    (1)開発方法は住環境改善が中心。不法滞在者居住地では土地正規化を実施する。
    (2)スラム住民の低所得性を考慮し、サイト&サービス方式によるスキームを策定・実施する。開発主体は県、自治体、住宅開発公社とする。モデルとして、ハイダラーバードで成果をあげた「フダー・キ・バスティ」スキームの手法を利用する。
    (3)スキームはNGOや住民組織の支援を受け、ジェンダー配慮も含めてコミュニティ参加を重視する。
    (4)低所得者が住宅建築に係る融資を受けられる制度を提供する。住宅融資機関は貯金スキームを開発する。
    (5)政府ガイドラインを実行する為、州政府は国有地を民間開発業者に供与、低価格住宅供給を推進する包括案を作成する。

    4.課題点
     都市人口の約1/3がスラムに居住すると考えられている事実から、スラム開発が国家レベルの開発計画で取り上げられた点は前進といえる。しかしながら、具体性の欠如および技術移転への無配慮と情報交換不足問題であるといえる。

    5.おわりに
     パキスタンのスラム開発において、NGOや住民組織による開発では成果が上がっている事例は少なくない。政策レベルでの全国的な支援体制が整いつつある現在、州・県政府や都市自治体の取り組みが今後の焦点になる。地方分権化の潮流ともあわせ、具体的なスラム開発プロジェクトの策定・実施・評価について、ステークホルダー間の協力体制構築、情報交換を中心にネットワークを強化しながら、キャパシティ・ビルディングを目指す必要がある。
  • 上村 要司
    p. 184
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.研究の目的
     近年,高水準の供給が続いている分譲マンションは都市の居住形態として定着した感があるが,そのストックの増大とともに既存住宅の住み替えを通したフィルタリング効果(居住水準の向上)の重要性も高まっている.都市における居住地移動や住宅の居住選択に関する既往研究は多岐にわたるが,中古や新築といった住宅の取得形態から居住選択行動を捉えたものは多くない.そこで本研究では,分譲マンションの取得形態に着目し,新築取得層との比較から既存住宅取得層の居住地選択特性について明らかにする.
    2.方法
     本研究では,東京圏(1都3県)において既存住宅流通量の把握が可能な指定流通機構データから,鉄道沿線別の地域特性に配慮しながら取引活発な10都市(川口・志木・千葉・我孫子・東京都港・八王子・西東京・横浜市青葉・川崎麻生・鎌倉の各区市)を抽出し,2002年12月に当該都市の10マンション(戸数100戸以上)に対しアンケート調査を実施した.有効回答率42.4%で501世帯から回答を得た.
     調査項目は,_丸1_現住地,家族構成,世帯主の職業・就業地等の世帯属性,_丸2_中古・新築での取得形態,_丸3_従前住宅の所在地・所有関係,_丸4_購入時の比較住宅・探索地域,現住地の選択理由,_丸5_購入時の重視項目等である.分析においては,各地域における中古・新築取得層の別に従前居住地や取得時の探索地域及び現住地・勤務先との関係を都市空間パターンとして捉えるとともに,居住地選択における住環境要素の重視度を中心に考察する.
    3.結果
     1)居住選択行動の特性:現住地の選択理由では中古・新築取得層とも「通勤利便性」の比率が高いが,中古では「住み慣れた地域」もこれに次いで高く,「子供の学区」とともに新築との間で1%水準の有意差がみられた.従前居住地が現住地と同一区市である比率は,新築では20%にとどまるが,中古では49%を占め比較的狭いエリアで居住選択が行われている.選択時の探索地域でも,新築の56%が他の区市町村や現住地と同じ鉄道沿線を対象にしているのに対し,中古では同一区市のみが51%を占め,現住地周辺に対する志向性が強い.一方,回答者におけるサラリーマン世帯の多さを反映し,就業地が現住地と異なる区市町村の比率は新築で90%,中古も77%と高く東京都心5区は48%を占める.しかし,就業地が他の区市町村の場合でも,中古では同一区市内での探索が46%と高く,新築の16%に対し探索範囲を限定する動きが顕著にみられた.
     2)都市間移動を伴う選択行動の空間特性:都市間移動を伴う居住地選択が多くみられた新築取得層では,志木市や西東京市のマンションで都心に向かう鉄道沿線を中心に,概ね20km圏内のセクター方向に従前居住地の存在が認められたが,我孫子市では千葉方面から都心区を超えた世田谷区や調布市からの転居もみられた.
     3)居住選択における重視項目:現住地の選択に際して重視された住環境要素をみると,駅までの距離や買物の利便性の重視度が高い都市が多いが,千葉市では沿線やまちのイメージも重視されており,港区では周辺の娯楽環境などの都市機能への期待が高い.一方,鎌倉市では交通等の利便性より周辺の自然環境や住宅街としての閑静さの重視度が高く,居住環境の良好さが強く意識されている.
    4.まとめ
     分譲マンションの新築取得層では,主な就業地である都心区と現住地を結ぶセクター方向での探索以外に,都心区を超えた転居行動もみられたのに対し,中古では同一都市内での比較的狭いエリアでの選択行動が卓越していることが明らかとなった.それは通勤利便性だけなく,住み慣れた地域や子供の教育環境に対する強い志向性が現れた結果といえる.このことは,設備や構造の新しさなど住宅の要素に関心が向けられやすい新築に対して,既存住宅を選択した居住者では,住宅自体より地域の住環境をよく吟味して取得しようとする意識が働いていることを示唆している.
  • 佐藤 浩, 頼 理沙
    p. 185
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    本研究の目的は,頼ほか (2002)が提案した方法に基づき,国土地理院の50mメッシュDEMから阿武隈山地全域の接峰面データを作成して,南・北阿武隈山地の小起伏面を対比することである。図の(a)は作成した接峰面データ(方眼の1辺: 1.375km)で(b)はDEMから作成したオリジナルの地形である。接峰面データから作成した標高帯区分図を介して南・北阿武隈山地の小起伏面を対比した。その結果,概ね両者を対比することができた。
  • 佐藤 峰華, 岡 秀一
    p. 186
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    _I_ はじめに
     一部の亜高山帯針葉樹林にみられる縞枯れ現象は各分野から研究が進められてきた.本研究では北八ヶ岳・前掛山において斜面と植物の立地環境に注目した.植物と斜面環境(特に土壌条件)について調査を行い,縞枯れが起きる場所と起きない場所とで何が異なるのかを明らかにし,それを規定している条件を解明することを目的とする.同時にそれが更新にどのような影響を及ぼし,パターンを変化させるのかについて考察を加えた
    _II_ 調査方法
     八ヶ岳の北端に位置する前掛山(2353.6m)において,時間的・空間的推移を把握するために過去の空中写真(1947・1962・1976・2002年)を判読して,縞枯れが起きる場所と起きない場所を判別した.また林分構造とその立地環境を調べるために,ライントランセクト,コドラートにおける林分および土壌断面調査,林床植生調査を実施した.さらに更新サイクルを同定するために年輪コアの採取と樹齢解析を行った.
    _III_ 調査結果
     過去の空中写真判読より,縞枯れ現象は尾根から南側斜面の一部に限定的にみられることがわかった.また4時期を比較してもその範囲にほぼ変化がないことから,縞枯れ現象の発現には場所の条件が関わっているといえる.また1959年の伊勢湾台風による大規模風倒木地帯は縞枯れが起きる範囲は明瞭に区別できた.
     林分調査結果からは,林分構造と年輪解析結果より4つのタイプに区分できた.すなわち縞枯れが起きない尾根上や北側斜面の成熟林分,樹高階に偏りがみられる縞枯れが起きる林分,伊勢湾台風で一斉更新したと思われる林分,それに岩塊地に接し,特に厳しい環境条件に規定されている林分である.またライントランセクトにおける土壌断面調査を行った結果,土壌深および土壌堆積物の変化と林分構造の変化がよく対応していることが明らかになった(図1).
    _IV_ まとめ
     亜高山帯針葉樹林の縞枯れ現象がみられる北八ヶ岳・前掛山において,斜面と植物の立地環境の関係を調査した結果,以下のことがわかった.
    1)土壌深や土壌堆積物の状態は亜高山帯針葉樹林の更新ならびに林床植生に大きな影響を与えている.土壌厚の変化と林分構造の変化がよく対応しており,土壌条件の空間配列に合わせて植生が変化している.
    2)前掛山の亜高山帯林の更新パターンは土壌条件の配列に応じて区分でき,それぞれ異なる更新パターンを持っている.
    3)縞枯れ現象は場所の条件,つまり土壌条件および周辺との位置関係,風などの環境条件が相互に作用し合い,更新パターンの一つとして維持されている.
  • 橘 英彰
    p. 187
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1.研究の目的
    栃木県北部,日光火山群女峰赤薙火山は日光火山群の中では最も東に位置する成層火山である(山崎,1958).女峰赤薙火山の活動史・地形発達史については,テフラ層序との関係から約30-8万年前にいたる爆発的噴火活動史(村本,1992,鈴木ほか,1994,鈴木ほか,1998)が提案されている.また火山体の溶岩層序と溶岩のK-Ar年代値からは,約50-40万年前に渡る活動史も提案されている(佐々木,1994).本稿では女峰赤薙火山の地形発達史の一部を考察する.佐々木(1994MS)が女峰赤薙火山における最新のイベントとした行川岩屑なだれ堆積物のほか,丁字沢岩屑なだれ堆積物(佐々木,1994MS),所野岩屑なだれ堆積物(新称),稲荷川岩屑なだれ堆積物(新称)とした,火山の南東麓における4グループの岩屑なだれ堆積物の分布およびテフラ層序との関係を調査した.
    2.調査結果
    山体崩壊によって形成された馬蹄形地形は,ほとんどが山頂の溶岩円頂丘群の下位に埋没していると想定されるが,稲荷川西岸斜面の急崖を山体崩壊の馬蹄形地形の一部であると認めることができる.各岩屑なだれ堆積物は,分布状況と層序についていくつか共通する点が認められるので,これらはすべて一度の大規模山体崩壊によって供給されたと考えることができる.地表に露出する堆積物の分布総面積は27.92km2,総体積は少なくとも0.79km3である.給源から分布の末端までの比高Hと流走距離Lの比H/Lは0.09である.行川岩屑なだれ堆積物は御岳第1テフラ(100ka:町田・新井,2003)と,田頭テフラ(125-135ka:鈴木,1999)の直下にある矢板テフラに覆われ,飯綱上樽aテフラ(120-150ka:鈴木,2002)とよく似る特徴を持つテフラを覆うことから,女峰赤薙火山の南東方向への山体崩壊は約12-15万年前に発生したと考えられる.
    この山体崩壊が新しいマグマ活動によるものかは今のところ不明であるが,稲荷川岩屑なだれ堆積物の上位に複数の火砕流・溶岩流堆積物が認められることから,山体崩壊発生後,すなわち約12-15万年前以降にも女峰赤薙火山は火山活動が続いていることが認められた.
  • 吉田  浩二, 小野寺 真一, 齋藤 光代, 西宗 直之, 峯 孝樹, 重枝 豊実, 竹井 務
    p. 188
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1. はじめに
     瀬戸内海沿岸地域では、近年赤潮の発生要因の1つとなる富栄養化が問題になっている。しかしながら、河川を通じて陸域から海域への栄養塩の流出過程はまだ十分に定量化されていない。特に瀬戸内流域では降雨イベント時の栄養塩の流出量が平水時に比べて1オーダー以上多いこと(小野寺ら、2003)から、洪水時のフラックスを明らかにすることは重要である。
    本研究では、降雨イベント時の河川における浮遊物質及び溶存物質のフラックスを明らかにすることを目的とする。特に植物プランクトンの栄養分となる有機炭素・溶存窒素に注目して、定量化した。
    2. 研究地域及び方法
    試験流域(Fig.1)は、広島県豊田郡瀬戸田町(生口島)の小河川流域である(流域面積 ha)。基盤地質は主に花崗岩である。流域源流部は急勾配な山地河川となっており、中流部以降には扇状地が形成されている。源流部は、2000年の山火事の影響で植生密度が低下しており、また、その直下が高速道路の建設工事が行われている。また扇央から扇端がみられる中流から下流部にかけては果樹園と住宅地が混在している。流域の河口付近に水路型の堰を設置して、水位計により水位を自記記録し、水位_-_流量曲線を作成して流量に換算した。調査期間は2003年5月_から_12月である。降雨時にはオートサンプラーを用いて河川水を採取した。採水した試料水は実験室に持ち帰り、5.0μmのメンブレンフィルターを用い、吸引ろ過を行い、浮遊物質の重量を測定した。また、吸引ろ過した試料水は全有機体炭素計を用いて、溶存有機炭素(DOC)と全窒素(DTN)の分析を行った。
    3. 結果と考察
    1)図2・3に降雨イベント時における流量とともにDOC濃度、DTN濃度、DOC及びDTNフラックスの変化を示す。降雨と流量は対応しており、雨が降った約20分後に流量が変化している。また降雨の終了とともに流量は短時間で減衰した。DOC濃度・DTN濃度は流量の上昇とともに低下した。DTNフラックスは流量の上昇時にピークになり、流量のピーク時には低下した。一方、DOCフラックスは流量のピーク時またはピーク後にピークがみられた。この結果は流量のピーク時に地域が主な流出寄与域になっていることを意味し、果樹園ではなく山火事流域や宅地地域などの可能性が高い。
    2)降雨イベント時における浮遊物質濃度及びフラックスは流量の上昇とともに増加した。特に浮遊物質フラックスは流量とともに指数関数的に増加した。また、浮遊物質フラックスは降雨強度にも依存していることが確認でき、流域上流部の道路建設現場や山火事跡地からのホートン地表流による流出が示唆された。
  • ニジェール共和国南西部、乾燥サバンナにおける例
    知念 民雄
    p. 189
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    1 目的
    1998年9月6日の強雨によって、首都ニアメイ近郊の村にて長さ2.5km、深さ10mにも達するガリーが洗掘された。この年は、ニアメイ付近において稀にみる多雨年であった。このような再現期間の長い降雨が地表侵食プロセスにどのような影響をおよぼすのか、気候地形学的に興味深い。本研究は、そのガリー形成(洗掘)過程およびその後の変容と、また近隣のガリーとの比較にもとづいてガリー変化様式を理解することを目的におこなわれた。
    2 研究地域と方法
    ニアメイ(北緯 13°東経 2°)の南東15km 、ニジェール川右岸に位置するレレ・ママニ・ニャレ(Lele Mamane Nyale, 以下LMNと略する)村に出現したガリーを調査した(図1)。ニアメイ周辺は低平な地形――鉄キュイラスに覆われた台地(第三紀層である Continental Terminal 層)、緩斜面、浅い谷――からなる(Chinen, 1999)。緩斜面には、より乾燥していた時代の遺物である固定(あるいは半固定)砂丘やその断片が分布する。水食と風食(飛砂)が複合する地域である。雨は7月_から_9月を中心にした雨季に降る。ニアメイにおける年平均降雨量は560mmである(1943_から_1995)。1998年の降雨量は1060mmであった。
    LMNガリーと近隣のガリーについては、1996年_から_2003年の断片的な(平均して年1回)現地調査にもとづく。航空写真の判読とともに、ガリー形成以前の地表状態や土地利用など、現地住民の聴き取り調査もおこなった。
    3 結果
    ニアメイにおいて900_から_1000mm級の年降雨が1900年代_から_1980年代のあいだに3回あった(Agnew, 1995)ことから、1998年ニアメイの降雨量は数10年(50_から_100年?)に1回という再発性を有すると推測される。LMNガリーはカッシーレ砂丘を切るかたちで一日にして洗掘されたが、頭部後退によって伸長した可能性が高い(図2)。砂丘背後の上流部では、ガリーはいくつかに分枝する。1998年以後の観察によれば、ガリーの上流側への伸長はわずかである。大きな変化として、上流部における拡幅と埋積(ガリー床上昇)が指摘できる。
    LMNガリーと同規模あるいは小規模のいくつかの新期ガリーを総合すると、比較的に短時間に洗掘されたこれらのガリーは長時間かけて「緩和」していくと思われる。いったん洗掘されたガリーから、同時的にさらなる伸長と拡幅と下刻へ急速に変化する傾向を示してはいない。ただし、LMNガリーより大きなガリーがいくつかの砂丘(断片を含む)を切る場合の挙動(発達)は複雑である。
  • 吉田 圭一郎, 飯島 慈裕, 岩下 広和, 岡 秀一
    p. 190
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
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    I. はじめに
    小笠原諸島に成立する「乾性低木林」は,一般に乾燥した環境に対応した植生と考えられてきた.吉田ほか(2002)は,乾性低木林の立地環境が通年では必ずしも乾燥した条件ではなく,夏季に現われる乾燥期での土壌水分量の乾湿傾度が乾性低木林の群落高と対応することを示し,夏季乾燥期の土壌水分量の空間的な不均一性が乾性低木林の成立要因となることを示した.しかし,これまでの研究では,土壌水分の極端な低下を伴う乾燥に対する植物の直接的な応答はほとんど明らかになっておらず,水文気候環境と乾性低木林の成立との間の因果関係については明確にされていない.
    本研究では,群落高が異なる2ヶ所の乾性低木林で,幹生長量と土壌水分量を同時に観測し,特に夏季乾燥期の土壌水分量の極端な低下が樹木の幹生長量に与える影響について考察した.

    II.  調査地と方法
    本研究では,乾性低木林が分布する父島東部の初寝山と東平に観測点を設定し,気象および幹生長量の観測結果(2003年1月_から_7月)を比較した.
    初寝山(215m a.s.l)には群落高が約1mの乾性低木林が分布しており,1999年8月末から自動気象観測装置による観測を実施している.一方,東平(226m a.s.l)には種組成はほぼ同じであるが,群落高が6_から_8mと初寝山よりも高い乾性低木林が分布する.両観測点にてTDR式土壌水分計によって10cm深の土壌水分量(体積含水率%)を測定した.また,乾性低木林の優占種であるシマイスノキ Distylium lepidotum を対象として,樹冠が林冠層まで達して被陰されてない各1個体の主幹にデンドロメータを設置し,幹生長量の連続観測を行った.

    III. 結果と考察
    図1aには,2003年1月_から_7月の初寝山で観測された日積算降水量と初寝山および東平における土壌水分量を示す.十分な降水があった場合の土壌水分量は両地点とも約50%でほぼ同じであるのに対し,無降水期間には東平の土壌水分量は初寝山よりも10%以上高い値を示した.特に,梅雨明け後の夏季乾燥期には,東平では最も低下した時でも33.0%(7月26日)であったのに対し,初寝山では16.4%(7月14日)と極端に土壌水分量が低下し,土壌水分量の乾湿傾度が特に大きくなっていた.
    図1bは,両地点におけるシマイスノキの生長量(2003年1月1日を0mmとした)を表している.東平では梅雨時期までは全く幹の生長がみられず,梅雨明け後の光環境の改善に応じて幹の生長量が増加していた.一方,初寝山では2月下旬から梅雨時期まで継続して幹の生長がみられたが,夏季乾燥期には停止し,水分ストレスによる幹の収縮が計測された.夏季以外の乾燥期(例えば2月)には,同じく土壌水分の乾湿傾度がみられたにも関わらず,幹生長量には影響が認められなかった.これは,この時期の幹生長が小さく,植物の活動期間ではないためと考えられる.
    以上から,両地点間でシマイスノキの幹生長量の季節変化は異なっており,植物の活動が活発になる夏季に毎年現れる乾燥に伴った水文気候条件の傾度が,このような乾性低木林の幹生長の季節変化パターンに影響する要因になっていると考えられた.

    引用文献
    吉田圭一郎・飯島慈裕・岩下広和・岡 秀一(2002):水文気候条件からみた小笠原諸島父島における乾性低木林の立地環境.地学雑誌,111,711-725.
  • 佐々木 緑
    p. 191
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題の所在と研究目的
    大量生産・大量消費の経済社会を経て,毎年大量の廃棄物が排出されており,その処理が社会問題化している.資源やエネルギーは有限であるため廃棄物の排出を最小化し,排出されたものは資源として再利用していく持続的な社会への転換が必要である.そのためには生産・流通・消費の流れに続き再資源化という流れを強固なものにしなければならない(外川 2001).特に有機性の廃棄物は,廃棄物総量に占める割合が高く,生物学的分解によって環境中に直接還元されるため,比較的低コストで有用な資源として再生しうるため,非常に重要な資源である.
    持続的社会においては,比較的小さな空間スケールでの物質循環が理想モデルとして位置付けられている.しかし,排出側と利用側は個々に偏在し,互いのニーズも偏っているため現実的な物質循環はより複雑に行われている.したがって,円滑な廃棄物の活用のためには,廃棄物を排出する側と利用する側の立地のみならず,各々の利害を含めた連関を検討する必要がある.
    有機性廃棄物のその特性から,利用側としては農業での役割が大きい.現代社会において農業は他産業とも複雑に結びついているため,動態的・循環的視点,各部門間の総合的把握の視点が不可欠である.したがって,本研究では上記で述べた持続的社会の一端を担う再資源化に,フードシステム論的考え方を取り入れ,有機性廃棄物に関わる諸要素の相互連関を分析し,それらを統合的に把握して研究を進めていきたい.そこで本研究では,大都市近郊における有機性廃棄物の排出側と利用側の相互連関およびその空間的特性を通して,有機性廃棄物活用システムの成立基盤を解明することを目的とする.対象とするアクターは,神奈川県において有機性廃棄物の排出する清涼飲料水メーカー,それを活用する三浦半島の農家組織,そしてそれらを結びつけている廃棄物処理業者である.

    2.各アクターの特性
     排出側は,近年,社会的関心の高い環境に配慮をした経営に移行している.そのため,排出される廃棄物の処理構造が,ISO14001の環境認証を取得以前と以後とで大き変化していた.しかし,短期的にはその成果はいまだ見られていなかった.廃棄物処理業者では,その取引先が,第一次産業由来から二次産業由来のものに変化し,搬入先も多様になってきていることが明らかとなった.しかし,需給量の不安定さに問題があった.利用側では,作物の種類によって有機物使用量が異なること,需要期には偏りがあることがわかった.

    3.有機性廃棄物の活用システムの成立基盤
    有機性廃棄物の活用システムは,各2者関係という二つの機構から成り立っているため,運搬処理側の負担が必然的に大きくなっていた.この活用システムを支える空間的基盤として,大都市近郊では,多種類の有機性廃棄物を排出する産業の立地と,大消費地を控え集約的農業のために地力維持が必要な農業地域という需要と供給があったことである.有機性廃棄物の活用システムでは,その収集量と状態によって供給先や量が大きく影響を受けていた.
    排出側の工場が高速道路付近に集積しており,運搬頻度が高い廃棄物処理業者は,高速道路付近に立地することにより排出側への近接性を高めていた.さらに経営上,距離に関係なく堆肥保管量が超過した時の緩衝地を必要としていた.利用側としては,有機物を多く投入する作物を栽培していることと,同じ属性をもつ需要者が集団化していることが活用システムを成立させるためには重要となっていたことが明らかとなった.
  • 2000-2003年の気温・地温観測結果からの考察
    青山 雅史
    p. 192
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     飛騨山脈南部の槍穂高連峰における永久凍土の分布およびその形成維持機構を明らかにするため,2000年10月から気温および岩石氷河(岩塊地)上における地温(おもに地表面温度)の観測をおこない,2002年10月からは観測地点を増設して観測をおこなっている.本発表では2003年9月までのそれらの観測結果に基づいて,槍穂高連峰における永久凍土の分布とその形成環境,および冬期積雪底温度(BTS)と積雪時期の関係について論じる.
    2.観測地点・方法
     気温観測は槍穂高連峰主稜線上にある南岳小屋(標高2975 m)と大キレットカールのカール底(標高2580 m)でおこなった.地表面温度観測は細粒物質を欠き粗大な角礫からなる岩石氷河上でおこない,天狗原カールで1地点(TE1),大キレットカールで7地点(OK1-7),南沢北カールで3地点(MK1-3)の計11地点でおこなった.OK6では50 cm深と100 cm深,MK3では50 cm深の地温の観測もおこなった.観測にはティーアンドディ社製TR-52(おんどとりJr. )を使用した.測定温度精度は±0.3℃,測定分解能は0.1℃である.観測期間は南岳小屋気温およびTE1,OK2,OK6(地表面),MK3(地表面)では2000年10月1日から2003年9月30日の3年間,OK4,OK5,OK6(50 cm深と100 cm深),OK7,MK3(50 cm深)では2002年10月1日から2003年9月30日の1年間であり,大キレットカール気温およびOK1,OK3,MK1,MK2では2002年10月7日から2003年10月6日の1年間である.測定間隔は全地点1時間である.
  • 高木 亨
    p. 193
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
     本報告は,1970年代に実施された醤油醸造業の近代化事業にともなう醤油産地の変化とその後の変容を,主に業者の動きから明らかにすることを目的とした.醤油醸造業の転換点となった近代化事業のうち工場の集約化は産地に大きなインパクトを与えた.その多くが「生揚(きあげ)醤油」を製造する段階までの集約化,またはすべてを協同工場で生産する集約化であり,参加する各メーカーは,それぞれの集約化に応じた生産設備の撤廃が求められた.こうした近代化事業を進めるなか,各産地に応じた集約化の形態がとられてきた.さらにその後の社会・経済状況の変化により,その形態が大きく変化してきている.
  • 船引 彩子, 春山 成子
    p. 194
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    ベトナム北部,紅河デルタでは高精度のボーリング調査によって,完新世におけるデルタの形成過程が明らかになりつつあるが (Tanabe et al 2003 a, b),平野全体の地形発達や内陸部河成平野とデルタ地域の関係について十分に考慮されているとはいえない.本研究では既往研究で行われたボーリング調査の結果に加え,平野内陸部で掘削したボーリングコアの分析,平野全体の地形分類図・地質断面図の作成によって完新世を通じた古地理の復元を試みた.
    相対的海水準が上昇中であった約8 cal kyr BPに首都ハノイの南方や平野東部の埋没段丘面上には塩性湿地が広がった.海水準が最も上昇した6 cal kyr BPにはマングローブ林が平野内部まで進入した.その後,4 cal kyr BPまでの海水準の安定期に本川河道付近では進入した内湾を埋積してデルタが前進し,4 cal kyr BP後は海水準の下降とともに離水した河口部では浜堤列群が,ハノイ付近では幅数kmにおよぶ自然堤防帯が形成された.一方,本川からはなれた平野東部では離水にともなって沖積面の段丘化がおきたことが考えられる.
    参考文献
    Tanabe, S., Hori,K., Saito, Y., Haruyama, S., Doanh, LQ., Saito, Y. and Hiraide, S., 2003a. Sedimentary facies and radiocarbon dates od the ND (Nam Dinh) –1 core sediments obtained from the Song Hong (Red River)delta, Vietnam. Journal of Asian Earth Sci., 21, 503-513
    Tanabe, S., Hori, K., Saito, Y., Haruyama, S., Vu, V. P., Kitamura, K., 2003b. Song Hong (Red River) delta evolution related to millennium-scale Holocene sea-level changes. Quaternary Science Review, 22, 2345-2361.
  • 大平 晃久
    p. 195
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題の所在  現代思想や言語学における固有名についての議論の中で,「地名は翻訳できない」という主張がこれまでしばしば行われてきた。こうした地名への見方は,固有名は一般名とは違って意味を持たないという考え方と深く結びついた,固有名論の根幹に関わる問題である。また地理学の側からは,場所を言語論的に考える上でも,地名を具体的水準で考える上でも関心を抱く問題であるといえる。しかし,これまで地名の翻訳不可能性は十分に検討されてきたとはいえず,本発表ではわれわれが地名を使用する実態に即してこの問題を考察してみたい。
    2.翻訳とは何か
     固有名のうち,議論の対象となってきたのは主に個人名であるが,柄谷(1989)や立川・山田(1990),柴田(1978)らは,地名も含めて固有名は翻訳できないことを論じている。確かに,地名や個人名はふつう字義的に訳さずに発音を写すものであり,固有名は「言語のシステムから比較的自由であって,…ひとつのシステムから他のシステムへ…越境していく」(立川・山田 1990)といった見解は魅力的である。
     しかし,地名が字義的に翻訳されている事例はいくつもあげられるし,多くの地名が翻訳しようと思えばできる。翻訳が可能かどうかではなく翻訳することの妥当性が問題なのであって,出口(1995)が個人名について述べるように,「固有名を翻訳しないというのは,異なる言語間の約束ごとであって,それは『翻訳できない』のと同じことではない」というべきであろう。
     クワイン以降の言語哲学においては,異なる言語間のみならず,同一言語話者間のコミュニケーションをも翻訳の一環としてとらえる立場が支配的である。そして,正しい翻訳とは決して一義的に定まるものではなく,円滑な対話が成立することをもって判断するしかない。このように考えるなら,地名の翻訳にはただ字義的な翻訳だけでなく,発音を写すことも含めなければならないし,さらには,全く新しい命名やある地名のさす範域が拡大して他の地名が消滅することも,場合によっては翻訳に含めうるといえる。
    3.なぜ発音を写すのか
     そこで問うべきは,地名の翻訳にあたって発音を写す方法が主流であるのはなぜかということであると思われる。考えられる2つの要因を以下に示したい。
     まず考えられるのは,土地が誰かの所有物であるという意識である。発音を写さずに字義的に意訳する地名にはこれに該当しないものが多いと思われる。他者が行使した名付けの権力を尊重し,相手が用いる地名呼称を受容することは,円滑な対話成立の条件といえるし,逆に地名をめぐる対立がこの構図で理解できることもいうまでもない。なお,個人名の翻訳についてもこの説明は当てはまろう。
     次に考えられるのは,地図的な認識を介して地名(発音)が唯一の固有なるものとしてとらえられているということである。その構図は仮に次のように示されよう。まず地名(発音)とそれに対応する範域が強固に結びつく。そして範域は地表の一部として地図的に思考されることによって,地表にただ1つしかない固有物とみなされる。その結果,範域に対応する地名(発音)もまた,地図上に位置を占める固有の単独的存在として了解されるに至る。この要因は個人名にはない地名の特徴である。

     最後に,以上の検討は決して地名の価値を否定するものではなく,個人名や一般名とは異なる地名の独自性,場所の意義を示唆するものであることを付言しておきたい。
  • 柏野 花名, 須貝 俊彦
    p. 196
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに

     扇状地の集水域面積(Ad)と扇面面積(Af)については,

    Af=cAdn     (1)

    という関係が古くから指摘されてきた.日本においては,主に掃流による砂礫を起源とする扇状地を対象とした研究がおこなわれており,集水域の面積増大に伴う起伏と侵食速度の加速的減少が,cおよびnの値を規定することがわかっている(Oguchi and Ohmori, 1994).

    一方,山麓の沖積面や段丘面などの平坦面上には,小規模な扇状地が形成されることが多く,これら小規模な扇状地は,土石流により形成される割合が大きい.こうした小規模な扇状地は,従来の統計的な扇状地研究においては外されることが多く,その集水域と扇状地との関係は不明な点が多い.

    そこで本研究では,主に土石流によって形成される小規模な扇状地について,集水域の地形が扇面の発達に与える影響を検討した.


    2. 調査地域・方法

    小規模な扇状地が連続的に発達する地域として,北海道稚内市西側の半島(以下稚内半島と称する)と岐阜県南西部,養老山地北東山麓を調査地域とした(Fig.1,2).

    稚内半島は全域にstage1,5e,7,9の海成段丘が分布し,Stage1の海成段丘上に小規模扇状地が連続して発達している.

    養老山地は,その東側に急峻な断層崖をもつ傾動地塊であり,三角末端面下には各谷から流れ出た土砂が堆積し,多数の扇状地を形成している.

    両地域において,Af,Ad および集水域の起伏を表す起伏比(R)や集水域の平均基準高度分散量(D)を計測し,集水域の地形量が扇状地にどのように関わっているかを調べた.


    3. 結果・考察

     上述の式(1)において,稚内はn=0.92,養老はn=0.85であり(Fig.3),日本の平均値n=0.4(Oguchi and Ohmori, 1994)より大幅にnの値が大きくなった.本調査地域においては,Adの大小にかかわらず,RやDがほぼ一定であることが確かめられた.つまり,集水域面積の増加に伴って土砂生産量もほぼ比例して増え,それに応じた扇面が形成されていることがわかった.

    次に,各集水域から供給される土砂量(Q)を,Dを用い

    Q=5.0×10-4D3.2×Ad     (2)

    によって推定した.ここで,5.0×10-4D3.2は,Ohmori(1978)による平均削剥速度の推定式である.QとAfとの関係は両地域とも概ね一本の直線上にのってくることから(Fig.4),扇面はそれぞれの地域の土砂供給量に見合うように発達していることが明らかとなった.また,稚内は約50万年前より0.3mm~0.4mm/yの速度で隆起してきたのに対し,養老は100万年以上前から稚内と同等かそれ以上の速度で隆起しており,これが両者の土砂供給量の違いをもたらしていると考察された.


    引用文献

    Oguchi, T. and Ohmori, H. (1994):Z. Geomorph. N. F, 38, 405-420.

    Ohmori, H. (1978):Bull. Dept. Geogr. Univ. Tokyo, 10, 31-85
  • 菅 浩伸, 河名 俊男
    p. 197
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    完新世初期から中期に、サンゴ礁が海面上昇にどのように対応したかを示す事例研究は、今後の海面上昇に対するサンゴ礁の応答を予想する上できわめて重要な知見となる。しかしながら、掘削の困難さや経費的制約もあり、十分な事例の蓄積には至っていない。
    ここでは、琉球列島南部、石垣島と西表島の間に広がる石西礁におけるボーリング調査で明らかになったサンゴ礁形成過程を基に、海面上昇過程におけるサンゴ礁の成長様式・成長速度を論じる。

    2.石垣島周辺の完新世海面上昇過程
    河名・中田(1997)は、石垣島南東部の大浜海岸にて、琉球石灰岩のプラットフォーム上をパッチ状に覆うサンゴの年代値を得ている。現海面よりも僅かに高い位置から約7 ka cal BP前後の年代が多く得られており、このうち最も古い年代値は約7.8 ka cal BPである。当時、海面がほぼ現在の高さ付近まで達していたことがわかる。堀・茅根(2000)では、石垣島伊原間の現成サンゴ礁掘削コアから得られた最深部の年代値が報告されている。これらの結果より、約9.5_から_7.8 ka cal BPに、海面は約13 m/ka の急速な上昇があったことが推定される。ここで推定される海水準上昇曲線は他で得られた曲線よりも傾きが急であり、IPCC 2001で予測された2100年までの全球平均海面上昇速度(0.8_から_8.0 m/ka, 中央値4.4 m/ka)を大きく上回る。

    3.堡礁型サンゴ礁「石西礁」の形成過程
    石西礁では3カ所の掘削を行った。このうち2カ所は堡礁礁原上であり、他の1地点は礁湖中のパッチリーフである。掘削で得られた完新統の層厚は15.5_から_21.0mであり、礁原上で浅く、礁湖中のパッチリーフで深い。完新世サンゴ礁は約8.5 ka cal BP頃から形成を開始している。形成開始時期は、礁原部・礁湖中のパッチリーフともほぼ同時であり、推定される海水準の到達から約1 ka前後遅れる。成長開始時の推定古水深は約10_から_15mである。
    完新世サンゴ礁の成長速度は、礁原部で平均 約3_から_4 m/ka、礁湖中のパッチリーフで平均 約9 m/kaである。礁原部は約4.0 ka cal BPに海面に達しするが、推定される海水準の到達より約3.7 kaほど遅れる。一方、礁湖中のパッチリーフは急速な成長速度により6.5 ka cal BP頃には海面に到達している。ここでの海面に対するタイムラグは約1.4 ka程度である。
    礁湖中のパッチリーフの堆積構造は、主に枝状ミドリイシで構成されている。ただし、ここでは石灰藻を多く含んだ層相となっており、通常の礁湖中の枝状ミドリイシ相とは異なる。一方、礁原部は卓状ミドリイシ・太枝状ミドリイシの層相と礁性砂が交互に堆積する。礁性砂は礁形成当初の数メートルを除いて、ハリメダを多く含む。この点は他の裾礁型サンゴ礁で見られる砂質堆積物と異なる。

    4.海面上昇過程でのバックリーフ成長型礁形成
     石西礁における海面上昇過程での礁成長の一番の特徴は、礁縁部における消波構造の形成が十分でない時期に、礁湖内の枝状ミドリイシによる急速な成長が見られることである。石灰藻を多く含む枝状ミドリイシの堆積相は、波浪に抗しつつ急速に上方成長したことを物語っている。このような礁成長様式は他でほとんど報告されていない。
    石西礁で見られる、単一礁中でのバックステップ型礁形成と、バックリーフ構成相による急速な礁成長は、海面上昇過程における礁形成の1つの象徴的事例と考えられる。
  • 島津 弘
    p. 198
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    鹿児島県の屋久島を流下する多くの山地河川の河床には中径が1mを超える礫が分布している(Shimazu, 2003).その大きさは所によって5mを超える.このような巨大な河床礫が広く分布する地域は,日本では屋久島以外には存在しないと思われる.一方,屋久島の土面川では豪雨によって土石流が発生し,河川沿いの景観を一変させるとともに,下流集落に大きな被害をもたらした.このような巨大河床礫の分布を明らかにして,その移動プロセスを検討することは,屋久島における河川プロセスを解明することに加え,防災の意味でも重要である.そこで,屋久島を流下する河川のうち代表的な宮之浦川を取り上げ,調査を行った.

    2.屋久島の地形と宮之浦川
    屋久島は九州最高峰の宮之浦岳(1935m)をほぼ中心とするドーム状の横断面をした,平面的にはほぼ円形の島である.屋久島花崗岩が島の大部分を占め,北_-_東_-_南西の海岸沿いには四万十層群の熊毛層が分布する.屋久島花崗岩との境界付近は接触変成を受けている.中心部には平坦面が広く分布し,起伏は小さく谷は浅い.一方,その外側を取り囲む標高1200m以下の地域にはきわめて深い谷が分布する.他の山地の同程度の標高の地域に比べると,起伏がきわめて大きい(島津,2003).谷沿いには崩壊地形が数多く認められる.河口に近い所には巨大な滝が分布している.
    宮之浦川は宮之浦岳の北斜面に源を発し,主稜線の外側に沿って回り込むように流下し,北東海岸で海にそそぐ延長およそ16kmの河川である.

    3.最大粒径および河床勾配の縦断分布
    河川の中間部にあたる源流からおよそ8km地点より下流の部分で調査を行った. 8km地点における最大粒径は4.5mであるが,下流方向へ徐々に減少し,12km付近では,およそ2mとなる.ここからおよそ1kmの区間で60cmまで急激に減少する.河口付近の15kmより下流には砂礫堆が分布せず,粒径も不明である.
     1:25,000地形図を用いて,河床勾配を算出した.一般傾向として,源流から河口まで減少傾向を示す.源流付近ではおよそ300‰,12km付近では30‰である.ここから減少しかたが急激になり,河口付近はおよそ3‰である.
     河床勾配と最大粒径には正の相関がみられる.しかし,他の河川における同程度の河床勾配の地点と比べると,粒径が大きいという特徴が認められる.

    4.巨大河床礫の起源と土砂移動プロセス
     巨大礫は屋久島花崗岩に特徴的な巨大な長石の斑晶を含む花崗岩である.屋久島花崗岩は深層風化を受けているところも多くみられる.コアストンが残留した可能性もあるが,河床勾配と最大粒径が正の相関を持ち,下流方向に粒径が減少していくこと,熊毛層分布域にも巨大礫がみられることから,起源はコアストンだとしても大部分の礫が河川プロセスによって流下してきたことは確実である.
     宮之浦川に流入する支流が出口付近に大きな沖積錐をつくっていること,それらの源流付近には崩壊地があること,宮之浦川上流には大きな谷埋め状の段丘地形がみられことから,支流からの土砂流出により天然ダムが形成され,その決壊によって巨大な土石流が発生し,巨大礫が運搬されたと推定される.
     今後は,源流部付近の河床堆積物や段丘堆積物の調査やほかの屋久島河川との比較から,土石流の原因を実証的に明らかにする必要がある.

    文献
    島津 弘(2003):起伏構造からみた屋久島の地形.立正大学大学院地球環境科学研究科紀要,3,50-58.
    Shimazu, H. (2003): Transport processes of huge blocks in mountain river basins in the Yaku Island, Japan. Regional Geomorphology Conference Mexico Abstracts, 50.
  • 高橋 日出男
    p. 199
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに:長江流域に多降水をもたらす梅雨前線擾乱の形成については,総観場の日々変化に認められる主要なプロセスとして,上層のトラフの通過に伴うチベット高原東-北東側下層における低温気塊やシアラインの出現が重要と考えられる.一方,長江以南については,多降水をもたらす梅雨前線擾乱の萌芽あるいは梅雨前線の活発化をもたらす総観場の日々変化プロセスは明確でない.降水域の移動や前線構造には複数の類型があること,中国南部の大気下層は多湿であり顕著な擾乱でなくとも多降水が発生し得ることなどから,多降水帯の形成をもたらす総観場には多様性のあることが想定される.本研究では,長江以南における多降水事例を抽出し,各事例の850hPa面高度場を分類したうえで,長江以南における降水帯形成に至る総観場の時間変化を提示することを目的とする.
    資料と方法:対象期間は1990-1995年で,5-8月を通して解析を行った.用いた資料は気象庁全球客観解析データであり,降水量については観測報デコードデータを用いた.解析には00UTCおよび12UTCの1日2回のデータを用い,時刻毎に11日間移動平均値からの偏差を擾乱成分として算出した.降水量に関しては,6時間降水量から18-06UTCと06-18UTCの12時間降水量を求め,それぞれ00UTCと12UTCの客観解析データと対応させた.18-45゜N,95-125゜Eの範囲において降水量データの欠落が0.5%未満である119地点を用いて,1476例の12時間降水量分布に主成分分析を施した.上位2成分が長江以南の降水量変動に関与する成分とみなされたので,そのスコアと出現時期により105例を抽出した.抽出事例について,15-45゜N,105-125.625゜Eの範囲における850hPa面高度偏差分布をクラスタ分析によって6グループに分類した.例数が少ない1グループを除外し,5グループについて当該日を基準とした合成図解析により総観場の時間変化や前線構造の解析を行った.
    結果:事例数の多いType A,Bで全体の約6割を占めることから,以下では両タイプを中心に記述する.
     Type A(32例)では,850hPa面高度場にチベット高原南東縁から東北東方向に延びる低圧部と高原東-北東縁から東北東方向に延びる高圧部が認められ,両者間の30゜N付近には北東風と低温域が存在する.多降水帯は低温域南側の温度傾度極大帯上の低圧部に対応している.低圧部と高圧部は,ともに上層に向かって北に傾いた構造をしており,500hPa面高度偏差場の時間変化によれば,この低圧部に対応する負偏差域は2日前からチベット高原東部より追跡でき,北側から連なる正偏差域と負偏差域とともに東進しつつ発達している.下層の低温域は850hPa面気温偏差場においてチベット高原東縁から東方へ拡大しており,500hPa面と850hPa面の風ベクトル差で評価した下層の鉛直シアも同様に高原東側から東方へ拡大している.また,相対渦度の南北断面によれば,110゜E付近では正渦度の極大軸が対流圏上層の亜熱帯ジェット北側に連なっているのに対して,120゜E付近では下層に限定されている.以上のことから,この場合の梅雨前線擾乱は基本的に北側からの傾圧波に伴って高原東側で形成され東方に拡大したと考えられるが,南北方向の気圧傾度形成に伴う北東風の出現も中国東部における下層の水平シアの形成に寄与している.
     Type B(29例)では,850hPa面において高原東縁とその東方に高圧部と低圧部があり,中国平野部では高緯度側から30゜N以南まで北風が卓越している.降水帯は,この北風と南シナ海からの南西風との収束帯に形成されており,降水帯付近の温度傾度は小さい.700hPa付近で北側からの低相当温位空気の侵入が顕著であり,differential advectionによる対流不安定性の生成が梅雨前線の活発化に寄与していると考えられる.高圧部と低圧部は,上層に向かって北西側に傾く構造をしており,正負偏差域の配列からは北西方向からの傾圧波の伝播が示唆される.前線構造は110゜E付近と120゜E付近とで大きな差異は認められず,正渦度の極大軸は対流圏上層の亜熱帯ジェット北側に連なる背の高い構造をしている.なお,Type E(8例)もType Bと類似しているが,高圧部・低圧部の位置が東方へずれており,北側からの低相当温位空気の侵入も110゜E付近に比べて120゜E付近において顕著である.
     南シナ海における高度場の正偏差と華南南部において南西_から_西風偏差が認められるType C(18例)と,500hPa面において高原上を東進してきた低気圧がそのまま30_から_35゜Nを東進するType D(15例)を除き,長江以南における梅雨前線の活発化に関しては,上記のように中高緯度循環からの影響が強く認められ,その影響の受け方は前線の構造にも反映されている.
  • 小地名とその住民認知を手がかりとして
    江藤 千晴
    p. 200
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    _I_.研究目的
     住民独自の小地名・語彙は、住民固有の知識(多くは民俗知識)を反映しているため、様々な分野で重要な指標とされてきた。人文地理学においても伝統的に地名研究が行われてきたが、人文主義的地理学の影響を受けた近年では、小地名・語彙を分析して地域住民の主体的空間あるいは世界観の描写を試みる地域地理学的研究が、十分とはいえないまでも確実に蓄積されてきている。
    かつて日本の山村においては土地と密接に結びついた生業活動がさかんに行われており、そのため自然に関する知識と小地名や語彙との間に対応関係があることが報告されている。しかしながら山村の生業活動が衰退・消滅し、山林の多くが放置林となって久しいのは周知の通りであり、これらの社会経済的変化によって従来の呼称による区分の根拠は失われた。そしてこのような状況を受けて、現住民の空間認識があいまいになったことが指摘され、村落空間の認知が住民の属性によって異なることも報告されるようになった。
    これらの研究を受けて本研究では、比較的地理的孤立性が高く住民の居住期間の長い過疎の山村を対象にして、どのような小地名がどのような住民に認知されているかを調査し、認知空間としての現在の山村空間の重層性を明らかにする。
    _II_.対象地域
    対象地域は、佐賀県東脊振村大字松隈小川内(おがわち)及び住民によって一部積極的に利用された豆野国有林である。小川内は脊振山地東面に位置する旧国境の自然村で、急峻な山地の谷合標高400メートル付近の那珂川右岸に中心となる小川内集落が、大野川左岸に小規模な大野集落がある。わずかな耕地しか存在しない上外部に出るにも峠越えが必要となるため過疎化がとまらず、2000年6月時点での人口は54人である。そのうち27人が60歳以上と高齢化が進んでおり、若年層は村外にほとんど流出したため、30歳以下で実際に小川内に居住している住民は10人以下である。なお福岡都市圏の渇水対策ダムとして五ヶ山ダムの建設計画が1988年に決定されている。
    _III_.調査方法
    まず、文献・資料及び4人の古老(明治45年生男性、大正12年生男性、大正14年生女性、昭和9年生男性)からの聞き取りによって地名を収集して、144の小川内住民の小地名を選定した。それから小川内に常住する住民43人を対象にアンケ_-_トを配布した。アンケートでは名前・現住所・生年・転居暦・職業・職場・区会と区役への参加経験・参加時期・所属クラブについて質問した上で、各小地名を「○:地名・場所ともに知っている」「△:地名のみ聞いたことがある」「×:全く知らない」の3段階に評価してもらい、それぞれについてその利用経験を記入してもらった。これらの調査は2000年8月から11月にかけて行ったものであり、25人から有効な回答を得た。
    _IV_.分析
     ○の個数の割合を住民の小地名認知度とし、居住集落別・世代別(40歳未満、40歳以上60歳未満、60歳以上70歳未満、70歳以上)・区役参加経験の有無・性別の各属性ごとに、その強弱や空間的分布を小川内住民全体との差異にも留意して考察した。
     先行研究でも若い世代の極端な認知の低さが度々指摘されている。小川内においてどのような小地名が残存する傾向にあるのかについても若干の考察を行った。
    なお詳細な分析結果については、当日スライドを交えながら報告したい。
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