日本地理学会発表要旨集
2005年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の276件中51~100を表示しています
  • 北陸地方東部の河成段丘群を事例として
    中村 洋介, 岡田 篤正, 竹村 恵二
    p. 51
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    我が国でも有数の第四紀の地殻変動域である飛騨山脈と富山湾とに囲まれた北陸地方東部には,北東_-_南西走向の逆断層群が南北約100km,東西約150kmの範囲にわたって発達する(活断層研究会,1991).これらの活断層の第四紀後期における変位速度を算出するうえで,その良好な変位基準である河成段丘面はその重要な指標の1つである.しかしながら,本地域は段丘面の編年の指標となる火山灰層が段丘面構成層中や被覆土壌層(ローム層)中に肉眼で認められうえ,自然露頭に乏しいために,段丘面の編年が非常に困難な地域である.筆者らはこれまで,段丘面被覆土壌層の連続採取(ボーリング掘削による採取を含む)試料から肉眼で確認することのできない広域火山灰を検出することによって,本地域における河成段丘面の編年・対比を行ってきた(中村,2002;中村ほか2003a,2003b;中村・岡田,投稿中;中村,投稿中).一般に,広域火山灰等の年代試料が乏しい地域において河成段丘面の分類・編年・対比を行う場合には,空中写真判読によって段丘面の開析形態,分布,現河床からの比高,ならびに勾配等を手掛かりにして記載を行う.北陸地方東部に分布する河成段丘面は,筆者らの一連の研究の遂行以前に,主として空中写真判読に基づき,「日本の海成段丘アトラス」(小池,町田編,2001),「第四紀逆断層アトラス」(池田ほか,2002),「活断層詳細デジタルマップ」(中田,今泉編,2002)等によって,分類・対比がなされている.また,第四紀逆断層アトラスや活断層デジタルマップでは,上述のような手法で推定された河成段丘の形成時期をもとに,活断層の平均変位速度が算出されている.本研究では,広域火山灰の層位や上下の段丘面との関係より,ほぼ同時期に形成されたと考えられる段丘面を比較し,分布高度,比高,勾配,開析程度,段丘構成層ならびに被覆土壌層の層厚,ならびに段丘礫の種類,平均粒径,ならびにその風化程度等にどれほどの相違が認められるかを整理した.今回は,本研究地域で最も広範囲に分布し,各平野間の段丘面同士の良好な対比基準となっている,_VI_面(中村・岡田,投稿中)の比較を行った._VI_面は,DKP降下直前に形成された段丘面で,本研究地域には金沢平野の小立野面を始め,合計10ヶ所に分布する(表1).表1よりほぼ同時期に形成された段丘面であっても,分布高度,勾配,段丘面構成層の層厚,被覆土壌層の層厚,段丘礫の種類,ならびにその風化程度には,地域によってばらつきが認められる.一方,現河床からの比高,段丘面の開析程度,段丘礫の平均粒径には,地域毎のばらつきが少ない.ただし,他の時代(_VI_面形成前後2_-_3万年間)に形成された段丘面でも,これらと同等の値を示す場合があり,それらとの区別を行なう際には細心の注意が必要である.続いて,空中写真判読を中心とした地形面の分類・対比の難しさについて検討する.表2に,各先行研究による,本研究における_VI_面相当の段丘面の形成時期に関する推定結果を記す.なお,海成段丘アトラスにおける「ftn」(nは2_-_6までの数字)は,MISnを示し,第四紀逆断層アトラスならびに活断層デジタルマップにおける「L」は,おおよそMIS2の時期を示す.本研究で火山灰層序から求めた_VI_面の形成時期(MIS3_-_4)に近いものは,日本の海成段丘アトラスによって推定された徳万新,広野,石垣,ならびに前沢の4地域のみである.その他に推定された値は,2万年前_-_MIS6までと非常に大きなばらつきが認められる.また,各既存研究間における同一の段丘面の年代推定も有意に差が大きい.
  • 関口 辰夫
    p. 52
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    平成16年10月23日17時56分頃に、新潟県中越地方の深さ約10 kmで、M = 6.8(暫定値)の新潟県中越地震が発生し,川口町では最大震度 7を観測した。この地震によって小千谷市を中心に、死者40名、全壊2,864棟(新潟県災害対策本部2005年1月7日調査による)、約1,350箇所の斜面崩壊・地すべり(国土地理院2004年12月調査による)が起こった。  斜面崩壊は、魚沼丘陵の山古志村南部周辺において北北東_-_南南西方向に約14km、幅約10kmの区域に密集し、しかも大規模な崩壊や地すべりをともなって発生した。これらの斜面崩壊はほぼ芋川に沿う流域(M)やその北西側(N)の2つの区域に集中して分布していた。一方、魚野川を挟んだ南側では崩壊地はほとんどみられなかった。  現地調査および空中写真判読による斜面崩壊のタイプは、斜面崩壊(表層)、斜面崩壊(地震動による表層樹木崩落)、斜面崩壊(規模やや大)、流動性崩壊、基盤崩壊、地すべりに区分される。これらの中で、規模の大きな基盤崩壊や地すべりは芋川流域に集中してみられた。  斜面崩壊の分布するこれらの区域は、新潟県中部で標高約300mの魚沼丘陵や信濃川、魚野川、破間川及びその支流の河川が北北東_-_南南西方向の地形パターンを示す。そして、主要なリニアメントや地質構造、微地形も同様の方向に分布する傾向が認められた。  国土地理院で実施した水準測量結果(2004年12月27日記者発表資料「http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE / 2004/1227.htm」)によれば、魚沼丘陵を横切る西北西_-_東南東方向の測線(C_-_G)において、小千谷市_-_川口町の区間(C_-_F)で最大71.5cm隆起の地殻変動がみられた。  また、隆起量の大きいC_-_Fの区間は、地形断面A_-_Bにおいて、魚沼丘陵の西側の丘陵部分_から_芋川流域に位置し、崩壊地の密集域(M)と(N)の区間とも概して一致していた。
  • 西城 潔, 佐藤 利幸, 山縣 耕太郎, 大月 義徳
    p. 53
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに 最終氷期の日本列島の古環境を考える上で、極東ロシアのカムチャツカ半島は興味深い地域である。これまで演者らは、同半島中央部のエッソ付近の山地において地形・土壌・植生に関する共同調査を行い、氷河・周氷河作用の盛衰と植生遷移との関係について検討を進めてきた。本発表では、エッソ東方山地のカール内において見出された微地形発達と植生遷移との関係について報告する。2.調査地域の概要 カムチャツカ川の支流であるビストラヤ川の谷底部に位置するエッソ(標高500m)の東方には、南北方向に連なる標高1500m前後の山稜が存在する。この山地に氷河は認められないものの、主稜線付近には過去の氷河作用で形成されたカール群が分布する。調査を行ったカール(カール底高度約1000m)は、主稜線西側に発達し、エッソ東方約6kmに位置する。カール内は、氷河消滅後に形成された斜面地形や谷底面で占められている。3.カール内の微地形単位とその発達過程 カール内の微地形は、ほぼ東西方向に伸びる谷底面を挟んで右岸側(南向き)と左岸側(北向き)とで非対称な分布を示し、前者は主に周氷河性斜面で、後者はフリーフェイスと崖錐とでそれぞれ占められる。斜面構成物質やテフラ、植生の特徴から、約2千年前以降、周氷河斜面では下部から上部へ向かって斜面安定化が順次進行していったことがわかる。周氷河斜面上部はほぼ無植生であるが、表層を構成する岩屑層の特徴から、現在はこの部分においても顕著な物質移動は生じていないものと考えられる。一方、左岸側の崖錐では、少なくとも2千年前以降現在に至るまで、比較的活発な物質移動が生じてきた。残雪分布や地表面上に認められる微地形の特徴からも、崖錐上で現在物質移動が継続していることが推定できる。また谷底面もその構成物質の特徴から、物質移動の盛んな微地形単位と考えられる。4.微地形単位の発達と植生遷移カール底をほぼ南北方向に横切るように設定した測線上の数地点で、一定面積内に出現する植物(木本・草本)の種数を調べた。その結果、崖錐・谷底面および周氷河斜面中部で種数が多くなる傾向が認められた。それに対して種数が少ないのは、周氷河斜面下部と上部である。以上の特徴は、各微地形単位の発達過程または安定度に対応した植生遷移の段階を示していると考えられる。すなわち崖錐や谷底面など現在でも物質移動が活発(不安定)な微地形単位上では、地表面の適度な撹乱が維持されることにより優占種が出現し得ず、種数が多くなる。一方、周氷河斜面下部では、斜面安定化後の十分な時間により遷移が進行し、既に優占種が決まっているために種数が少ない。逆に周氷河斜面上部は安定化の時期が遅く遷移の初期段階にあるため種数は少ない。また周氷河斜面中部では、斜面安定化後の経過時間が同斜面下部に比べて短く、遷移が十分に進行していないために多くの種が競合した状態にあるものと考えられる。
  • 澤田 結基, 曽根 敏雄, 山縣 耕太郎, 大月 義徳, 西城 潔, 長谷川 裕彦, 岩崎 正吾, 福井 幸太郎
    p. 54
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに日本の高山に分布する化石周氷河斜面,特に化石岩塊斜面の形成プロセスを明らかにするためには,それらと対比しうる程度の規模で,かつ現在も形成が進行中の地形と対比する必要がある.しかし,海外から報告されている周氷河斜面の研究には国内の小規模な化石岩塊斜面と対比可能なものが少なく,対比を前提とした海外での研究が必要である.本研究では,カムチャッカ半島内陸部,エッソ郊外の森林限界付近で見いだした小規模な岩塊被覆ロウブ地形について,内部構造および永久凍土の状態を明らかにするための各種調査を行い,その形成過程を考察した.2.ロウブ地形の概要と調査項目調査地域はカムチャッカ半島の内陸部,エッソ郊外の山地斜面である.ロウブ地形は,西へ延びるゆるやかな尾根上にある北西_から_南西向きの崖推末端(標高約900m)に分布する.本研究では,北西向き斜面のロウブ地形についての調査結果を示す.北西向き斜面のロウブは長さ約100m,幅約20m,厚さは約10m,前縁斜面の傾斜は約40°_から_50°である.ロウブ全体が直径約30cm_から_1mの角礫に覆われる.ロウブの頂面にはロウブの流動方向に平行な条線土が発達する.北西向き斜面に分布する5つのロウブ(NW1_から_NW5)のうち,NW3において地表面温度観測(2000年9月_から_2004年8月),測量(2000年),条線土のピット掘削(2002年)を行った.またNW2,NW3,NW5において弾性波探査を行い,活動層の厚さを推定した.3.調査結果年平均地表面温度(MAST)はNW3の上部/下部でそれぞれ-0.7℃/-2.4℃(2001年9月_から_2002年8月)であった.2002年8月下旬のピット掘削で凍土の存在は確認され,その活動層厚は1.9mであった.弾性波探査の解析の結果,北西向きロウブ群(NW2,NW3,NW5)では,V1の値は381_から_461m/sec,V2の値は2495_から_2851 m/secで,計算された第一層の厚さは1.9_から_2.3mであった.V2の値は,岩石氷河の永久凍土層に典型的な速度(2400_から_4000m/sec)の範囲にある.また第一層の厚さはピット掘削による活動層厚とほぼ一致する.ピット掘削では条線土の断面構造が観察された.条線土は礫部と植被の細粒部にわかれ,幅はそれぞれ約1mである.断面の礫部はくさび状にシルト・粘土質の細粒部に入り,その深さは約80cmである. 4.考察ロウブ上に発達する条線土は,活動層内で凍結融解に伴う淘汰が生じたことを示す.また,凍上しやすいシルト・粘土が大部分を占める活動層では,斜面の傾斜方向に流動が生じる可能性が高い.したがってNW3ロウブの形成には,活動層の流動が関与していると考えられる.しかし,活動層の流動だけでは厚さ約10mのロウブの形成を説明できない.このことは,永久凍土層の変形もロウブの形成に関わっていることを示唆している.永久凍土クリープで流動する岩石氷河の形態を特徴づけるリッジが発達しないのは,流動性に富む活動層にリッジをつくるほどの圧縮変形が生じないためであろう.小規模な岩塊被覆ロウブは,永久凍土層の変形によってロウブが形成される点で岩石氷河と類似するが,活動層の流動によって表層部がならされ,異なる形態的特徴(リッジがない,条線土が発達)を持つに至った地形と考えられる.
  • フィールド観測
    篠田 雅人
    p. 55
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     発表者はリモートセンシングの専門家ではなく、リモートセンシングを利用して、植生気候学の研究をしている、その末端利用者である。このような立場から、衛星データの利用方法とその限界を述べ、フィールド観測など、地域スケールのアプローチの重要性について述べたい。「世界の植生分布を決めているものは何か?」という古くからある植生地理学の根本的な課題に対して、衛星観測は、全球・大陸スケールの植生(植物群系)の動態に関する有用な情報(緑色バイオマス、植物生産力、植物季節など)とともに、植生を取り巻く環境の情報も提供してきた。ここで重要なのは、気候と深く関わる植生分布の大枠は、環境ストレスに関わる植物生理過程と群系間の競争に関わる植物生態過程によって決まっているということである。ただし、日射強制力orbital forcingが同じでも、初期状態が異なると、気候-植生系に多重平衡解が存在することがモデル研究によって指摘されている。発表者は、アフリカ・アジア乾燥地域において、乾燥ストレスとして働く土壌水分の動態と植生活動について、研究例を示した。 発表者は衛星データの解析結果にヒントを得て、土壌水分による乾燥ストレスが乾燥地域の植生に及ぼす影響を研究してきた。非破壊手法による土壌水分の経時・反復観測により、「降雨→土壌水分→植生」の季節的・経年的反応が解明されてきた。乾燥地域では、乾燥ストレスへの耐性、または、それを回避する機能を備えた植物しか生存できない。植物は光合成を行うためには、気孔を開いて二酸化炭素を取り込む必要があるが、同時に蒸散により水分を失う。このため、水収支的にみると、ある降水量に対して、植物体が水不足にならないように、葉面積(それに比例する気孔の数)すなわち蒸散に上限が決まる。このように葉面積が水収支的に求められれば、それに対応する生育型も決まるであろう。 乾燥ストレスには、季節的に、あるいは、日変化のなかで働くものがあり、それらの植物に対する影響の仕方は様々である。こうした生態生理的影響は植生分布にも影響を与えることは予想できるが、それを知るためにも「大気-土壌-植物」連続体の水動態を観測してゆく必要がある。我々は、乾燥地域の多年生草本植物体内の蒸散流の非破壊観測と植物体含水量の現場・衛星観測をモンゴル草原で行っている。このような代表性・典型性のあるフィールド観測とリモートセンシング、さらには、生態系モデルを組み合わせる研究手法が植生地理の研究にも有効であると考える。
  • 熊木 洋太
    p. 56
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1. 活断層で発生する地震の長期評価
     1995_から_2004年の10年間にわが国で最大震度6弱以上を観測した地震活動は10回あり,うち6回は内陸の活断層で発生したものであった。震度6強以上のものに限ると4回で,a.1995年1月の兵庫県南部地震(M7.3,最大震度7),b.2000年10月の鳥取県西部地震(M7.3,最大震度6強),c.2003年7月の宮城県北部の地震(M6.4,最大震度6強),d.2004年10月の新潟県中越地震(M6.8,最大震度7)と,いずれも内陸の活断層で発生した地震である。南海トラフのプレート間巨大地震が平均再来間隔の半ばを過ぎる段階に達したため,地殻歪みの蓄積が進んだ西日本は活断層地震の多発期に入ったという説がある。全国的視野で見ると,活断層地震は決してまれなことではない。
     地震調査研究推進本部地震調査委員会は,主要な活断層で発生する地震の長期評価を精力的に進めてきた。しかし,平均活動間隔が千年_から_万年オーダーであることなどから,多くの活断層で,固有の活動区間や過去の活動履歴が十分解明されているとは言い難いのが現状で,評価の信頼性には限界がある。特に,評価作業上地震の規模と平均活動間とはトレードオフの関係になることが多く,固有地震として最大規模の地震を想定すると,将来の地震発生確率を小さく評価することになることに注意が必要である。
     a.は六甲_-_淡路島断層帯の活動によるもので,神戸側に限れば固有地震ではなかった。それでも大災害をもたらすことがあることが判明したので,これを個別に評価できるようにすることが課題となっている。
     b.は,活断層の存在が事前に認識されていなかった。今のところ,このような地震を評価対象として識別することは難しい。
     c.とd.は,変形しやすい新第三系の分布域で逆断層が活動したもので,本震以外に震度の大きい地震を多数伴ったことも共通している。c.は既知の活断層が活動したものではないが,周辺の活構造や地形配列からみて,逆断層が隠れていそうな地域で発生した。d.は六日町断層帯北部の活動による。震源付近には2001年12月発行の都市圏活断層図に初めて図示された小平尾断層があるが,この図がなかったとしても,被覆層の激しい変形や地形配列から,この地域の活断層の存在は想定できる。これらの点で,この2つの地震の事情はb.とは全く異なるものである。とかく活断層図に表示された地表トレースの線だけで判断されがちであるが,将来の地震像の想定や被害予測にとって,地域全体の地質構造や地形発達を総合的に考察することが非常に重要であることを各方面に知ってもらう必要がある。震源となる地下の逆断層と地表現象との関係を解明する研究も重要である。
     2. 地域特性を反映した災害
     a.は,神戸側では大都市型の災害(密集市街地の建物の倒壊と火災)となった。建物の耐震性がクローズアップされ,都市計画と既存不適格建物対策の必要性が示された。
     一方,d.は全国有数の地すべり地帯の地震であり,山間地で斜面災害が多発した。道路が軒並み通行不能となり,住民の避難すら容易でない状況となったうえ,二次災害として河道閉塞による土地の水没も広範囲に生じた。広範囲の斜面災害は1999年台湾集集地震でも発生しているが,日本ではこれまで危機意識が不十分であったかもしれない。稲作,錦鯉の養殖,畜産など,土地利用型地場産業の生産基盤が多く失われ,地元経済への影響も大きい。限られた交通路のリダンダンシーの確保,過疎化・高齢化が進む中での地震対策に重い課題が突きつけられている。
    3. 災害の把握
     大地震の場合,最も被害の大きい場所は通信も困難になるため,その場所の情報がなかなか得られない。このことは兵庫県南部地震の教訓の一つであるが,新潟県中越地震でもくり返され,山古志村など山間地の状況は直ちには伝わらなかった。このため,災害の実態把握や救援対策などがやや後手にまわることになったことは否めない。電子基準点による地殻変動観測データの伝送が停電により広範囲に一時途絶え,速報段階では確度の高い震源断層推定ができなかったことも課題を残した。
    4. 災害に関する知識の普及
     2004年12月のスマトラ沖地震津波の際,プーケット島に滞在中のイギリス人少女が,学校の地理の時間に習った津波の来襲だと周囲に告げたため,多くの人が助かったと報道されている。国民の「防災力」を高めるうえで,地理教育の役割は大きい。
  • - 3大都市圏における集水域のヒトと自然の視点から -
    大西 文秀
    p. 57
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     本研究では、集水域の学際研究の視点から流域環境容量の概念を構築し、わが国の3大都市圏における水資源容量の試算を試みることにより、水資源に視点をおいたヒトと自然の定量的関係の解明を進め、新たなライフスタイルや計画手法の実現に向けた環境情報の創造を目標とした。 水資源容量は、ヒトの活動による需要量と集水域が持つ潜在的な水資源量の関係を示すものとした。土地利用状況、降水状況や人口などの自然環境量の関数と、降水の地中への浸透構造の科学的な関数、また、ライフスタイルや環境関連技術などの技術水準による1人当り水需要量の関数などの3関数により構成した。 具体的には、環境単位における降水の地中浸透量の試算による潜在的な利用可能水資源量と人間活動による水需要量の関係を求めるものとし、数値モデルを設定し試算した。数値モデルの分母では、総水需要量を試算した。1人当たり需要量に環境単位内の人口を乗じ求めた。分子は、年間降水量を基本に土地に浸透する量を試算した。土地利用別面積に対応した水分浸透指数を乗じ求めた。土地利用別面積は国土数値情報により設定した。また、蒸発損失量による水資源賦存量を用い試算した。従って、水源ダムの働きや集水域を超えた取水、水資源の反復利用などは除いた、環境単位がもつ潜在的な水資源涵養量の試算とした。 試算年次は1990年と設定し、GISを用い解析し地域分布を明らかにした。また、水資源容量の経年変化と変動プロセスを探るため、琵琶湖・淀川、大和川水系において1975年と1991年の比較試算を試みた。  首都圏、近畿圏、中部圏のわが国における3大都市圏を試算地域とし、1級水系を基本とした集水域区分と支流域区分及び自治体区分の3階層を解析単位とし、集水域の階層モデルを設定した。 需要量が供給量を上回る環境単位は、首都圏では利根川の下流域や中流域、荒川、多摩川、印旛川などの水系で中心市街地から100km圏域にまで及ぶ。また、近畿圏では中心市街地を中心とした大阪湾沿岸地域の50kmに分布し、中部圏では濃尾平野、庄内川、浜名湖の水系など中心市街地を基点とする50km圏域での分布が明らかになった。圏域全体での水資源容量は、首都圏では74.4%、近畿圏では181.4%、中部圏では435.2%を示し、首都圏では自給可能な容量を下回る結果となった。 琵琶湖・淀川、大和川水系における変動試算では、増減率の平均は、集水域区分では29.4%、支流域区分では17.0%と大きな減少を示した。1人当たり水需要量の低下に反し、都市化による降水浸透機能の低下と居住人口の増加が要因と考えられる。 3大都市圏とも水資源容量の試算値は予想以上に低く、特に首都圏で顕著であることが定量的に示された。また、集水域の階層的位置により容量値は大きく変動することが明らかになった。地域の構造を環境の視点から示すことが可能となり、階層構造の視点を環境計画に導入する必要性が示された。 水資源容量の変動解析では、1人当り水需要量の減少に反し、土地利用の都市化や人口増加により、結果として水資源容量が減少することが明らかになった。変動構造の解明も重要な視点であることが示唆された。 本研究により、ヒューマンハビタットとしての集水域のひとつひとつの特性や環境容量の定量的把握が進められ、環境教育の一助になると考えられる。また上流と下流域や支流域の相互依存の関係や、改善により期待される効果、さらに、ミチゲーション、環境計画などの諸活動やライフスタイルの新しいあり方について、ヒトと自然の新しい関係という視点から学際的な認識と検討が可能になると考えられる。参考引用文献大西文秀他(1995)集水域を単位とした環境容量を求める新しい試み、環境情報科学、24-1、59_から_71.大西文秀 (2002)もうひとつの宇宙船をたずねて、-Operating Manual for Spaceship River Basin by GIS- ヒトと自然の環境ガイド-I、遊タイム出版、159pp.
  • 由井 義通, フンク カロリン, 川田 力
    p. 58
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    ドイツの都市計画は,世界で最も厳しい規制を敷いているといわれ,まちづくりは自治体が策定する二段階の建設誘導プラン,すなわち, Fプラン(土地利用計画,Flächennutzungsplan)とBプラン(地区詳細計画,Bebauungsplan)に従って進められる。ドイツでは土地利用に対する計画策定には早期から住民が参加することが重視されており,以前から様々な住民参加が行われている。上記のFプランとBプランはいずれも住民の意見を反映させることが法律によって決められており,1976年の法改正によって原案作成前の早い段階における住民参加が義務づけられている。本研究の目的は,まちづくりの計画や実施段階において住民参加を積極的に取り入れたドイツにおける都市開発の仕組みとまちづくりの実態を明らかにすることである。2004年8_から_9月にかけての調査では,都市計画立案に大きく関与した前市長Schultis氏(現ハイデルベルク大学教授)からの聞き取り調査,都市計画の実務担当者からの聞き取り調査と資料収集を行ったが,今回の発表は都市計画立案時の行政サイドからの聞き取り調査から,ハイデルベルク市における地域計画とベルクハイム再開発計画の概要を発表する。
  • 鈴木 力英
    p. 59
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに植生と気候の両者は地球環境の構成要素の中でも人間社会と非常に密に関わっており,その本質を理解することは,地理学の一つの大きな役割と考える.特に,両者のグローバルな分布関係は,植生地理学における最も本質的かつ基本的なテーマであり,従来から盛んに研究されてきた.例えば,Budyko (1986)は放射乾燥指数と正味放射量を植生帯と関連付けたダイヤグラムを提示した.Lieth (1975)は世界の植生と気温,降水量との関係を図示した.また,Ohta et al. (1993)も同様の気候物理量と筑後モデルで推定した純一次生産力(NPP)との関係を示すダイヤグラムを作成した.しかし,現実の植生状態を全球陸域で知ることは地上観測によっては不可能である.これに対し,衛星観測は全球植生について均質で桁違いに大量の情報量をもたらす.衛星データを使って植生と気候との関係についての従来からの理解を見直すことができる.2. 植生指数(NDVI),湿潤指数,温量指数葉緑素の色素は可視域では反射率が小さいが,近赤外域では非常に大きい.この植物特有の分光反射特性を利用し,植生指数(NDVI: Normalized Difference Vegetation Index)がNDVI = (NIR - VIS) / (NIR + VIS)で計算される.NIRは近赤外域,VISは可視域での反射率である.NDVIは算術的には-1 _から_ 1の値域をとるが,現実の陸域の場合,0.0 _から_ 0.7程度の値をとる.この原理を利用して,衛星観測値からNDVIを計算することができる.本発表では衛星「NOAA」のセンサー「AVHRR」のデータを使った解析を紹介する.温暖月(北半球は3月から9月,南半球は9月から3月)における10年(1986_から_1995年)の平均NDVIを各1×1度グリッドセルについて計算した.湿潤指数は可能蒸発量に対する降水量の比と定義し,温暖月の10年平均値を各1×1度グリッドセルについて計算した.同様に,10年間平均の温量指数(月平均気温のうち5℃を越えた部分の年間積算気温)を同様のグリッドセルについて求めた.3. リモートセンシングによる植生_-_気候ダイヤグラム陸域の各1度グリッドセルにおける平均NDVI,湿潤指数,温量指数を図1にプロットした.湿潤指数,温量指数共に大きいとNDVIも大きいが,どちらかでも小さいとNDVIが小さい.これは,水分や温度条件が植生分布の制限要因となっていることを表している.大きく見ると,図の上半分の領域ではNDVIが湿潤指数に依存して変化し,下半分の領域では温量指数に依存している様子がわかる.これは,全球の植生を規定する気候条件が水分,あるいは温度であるのかを大局的な視点から分離して表している.リモートセンシングによる植生データを使って初めて明らかになった全球植生分布の特徴と言えるだろう.以上のように,リモートセンシングによる植生データを用いると,全球陸域の植生と気候分布の基本的な関係を面的に密に,かつ均質な情報に基づいて分析することができる.その結果からもたらされる植生と気候との基本的関係に関する理解は,地球環境変動を予測する際の知識資産として大きく役立つと考える.謝辞と引用文献:地球環境フロンティア研究センターの徐健青さんと本谷研さんの計算結果を利用させていただいた.Budyko, M.I. 1986. The Evolution of the Biosphere. Translated by M.I. Budyko, S.F. Lemeshko, and V.G. Yanuta. Holland: D. Reidel Publishing Company.Lieth, H. 1975. Modeling the primary productivity of the world. In Productivity of the Biosphere, ed. H. Lieth and R.H. Whittaker. 237-263, New York: Springer-Verlag.Ohta, S., Uchijima, Z., and Oshima, Y. 1993. Probable effects of CO2-induced climatic changes on net primary productivity of terrestrial vegetation in East Asia. Ecological Research 8: 199-213.
  • 池永 正人
    p. 60
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに スイスの年間延べ宿泊客数は6,600万人(2003年)であり,そのうちの55%に相当する3,600万人が夏季(5月_から_10月)に訪れている。 本研究は,スイスアルプスを代表する山岳観光地グリンデルヴァルト(Grindelwald)の夏季ハイキングについて,ハイキングコースの整備状況や安全対策の取り組みを明らかにすることを目的とする。なお,本研究で対象とするハイキングは,一般の観光客が気楽に歩ける集落周辺の斜面や標高2000m前後の低所アルプにおける歩行をいい,専門的な技術・経験を必要とする登山は対象外とした。2.グリンデルヴァルト村の観光客の特性 グリンデルヴァルト村は,スイス・ベルン州南部のベルナーオーバーラント(Bener Oberland)に位置し,人口4,138人(2003年)の観光村である。 延べ宿泊客数は近年減少傾向にあり,2000年の112万人から2003年は97万人(13%減)となった。これは,米国同時多発テロやイラク戦争,SARSの世界的蔓延などに起因している。とりわけ減少が多かったのは,日本人宿泊客である。宿泊客の内訳をみると,夏半期(5月_から_10月)が56%,冬半期(11月_から_4月)が44%と夏季に宿泊客が多い。また,宿泊施設(12,000ベッド)の利用構成は,ホテル46%,アパート41%,ホステル・キャンプ場13%となっている。このうちホテル(46ホテル,2,700ベッド)の宿泊客44万人の国籍数は74カ国であり,スイス32%を筆頭に,ドイツ18%,日本14%(6.4万人),イギリス13%の順に多い。3.ハイキングの観光政策 グリンデルヴァルト村には延長300kmにおよぶハイキングコースがあり,良く整備されて初心者でも容易にハイキングができる。また,目的地の方向や所要時間,標高などが表示された黄色の標識が各所に設置されている。これは全国共通の様式であり,黄色一色の標識は一般向けの比較的やさしいハイキングコースである。これに対して,矢印の部分に白と赤の線の入った標識は,ややハードなコースで中・上級向けである。 写真と解説を加えたハイキングコースの地図は,5月1日から10月31日までのいわゆる夏季ハイキング用である。このハイキング地図は,観光案内所,ロープウェイや登山鉄道の駅,ホテルなどで無料で入手することができる。ちなみに,この地図の解説は9カ国語(独・仏・伊・ロマン・英・日・中・韓・アラビア)で標記している。 麓の集落から広がる多数のハイキングコースは,緑の絨毯を敷きつめたような集落周囲の草地を抜け森林へと延びる。やがて標高2000m前後の森林限界を越えると広大な自然草地のアルプが展開し,上方の山頂部には灰色の切り立った雄大な峰々と純白の山岳氷河を望む。ハイキング客は,このような変化に富んだ美しい山岳景観を楽しむことができる。また,新鮮な空気を吸い,放牧中の乳牛や山羊などの家畜に遭遇し,家畜の首に付けられたカウベルの心地よい響きと,沿道の可憐な高山植物に癒される。 ハイキング客は,険しい道を長時間我慢しながら歩行する必要はない。散歩道のような水平なコース,登山鉄道やロープウェイで展望台まで登りそこから中腹や麓まで下る楽なコースなど,ハイキング客の体力と旅行日程に応じて選ぶことができる。たとえば,メンリッヒェン駅(Männlichen 2225m)_-_クライネシャイデック駅(Kleine Scheidegg 2061m)間の4kmは,ほぼ平坦な道で所要時間は1時間30分である。ハイキングの初心者は言うまでもなく,乳母車や車椅子も通行できるように,路面の凹凸を極力少なくしたバリアフリー構造になっている。また,アイガー(Eiger 3970m),メンヒ(Mönch 4099m),ユングフラウ(Jungfrau 4158m)の3名山のパノラマを眺望できる優れたハイキングコースである。 ハイキング客の安全対策については,ロープウェイ,登山鉄道,アルプ道(自動車通行可能)が緊急時の命綱の役割を果たすようになっている。また,ロープウェイと登山鉄道の駅舎に隣接するホテルやレストラン,点在するアルプ小屋は,ハイキング客の休憩・避難所としての機能を有している。天気情報に関しては,ホテル客室のテレビで,ハイキングコースの要所の様子を知ることができる。4.むすび スイスは日本と同様に高物価の国である。商品には付加価値税7.6%,事業所には観光促進税が課せられ,その税金は観光地のインフラ構造の整備,環境保全,自然災害防止対策などに活用し,観光客が安全で快適に滞在できる観光地づくりの財源となっている。
  • フンク カロリン
    p. 61
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.持続可能なまちづくり 近年、都市計画の用語で、サステイナブル・コミューニティー、コンパクト・タウンのような、持続可能な発展の発想に関連するものが多く使われている。この発表では、このような概念が含める要因をドイツのフライブルク市にあるヴバーン地区の事例で確かめ、持続可能な開発の社会的側面、環境的側面とその間の関連を確認する。2.ヴォバーン地区の概要 ヴォバーン地区は中心市街地からバスで15分ほどはなれたところに位置し、フランス軍隊の基地の跡地を再開発した団地である。面積は38haで、目標人口が 5000人、またオフィスや商業施設で600人が働けることが予想されている。1995年に都市計画コンペが行われた。市内に近いことを考え、3・4階建ての集合住宅を中心にした密度の高い計画が選ばれた。また、軍人の宿舎のうち10ヶ所を残し、学生寮と自治制独立住宅協会(SUSI)が利用することになった。3.ヴォバーン地区の開発概念 この地区を開発した際、6つのテーマに重点がおかれた。計画段階からの市民参加、生活のなかで必要な移動が短距離であるコンパクトな町、出会い・コミュニケーションが可能な場所の提供、多様な、柔軟性のある建築スタイル、自動車用の町ではなく、人間用の町、省エネ・省資源を徹底した町であることを目指した。 それぞれの重点に対する仕組みは市の都市計画に設定されているもの、つまり拘束力のある部分、市民団体のフォーラムヴォバンが提案したもの、そして各住民のアイディアという、3つの部分からなっている。都市計画で設定する部分を最低限に押さえ、住民が決定できる項目を可能なかぎり増やす方針で進められたが、詳細な規制が特徴であるドイツの都市計画システムの枠内で、柔軟性の限界があった。4.社会的側面 社会的側面の取り組みとしては、計画段階からの市民参画が注目された。新しい開発に関心を持つフライブルク市の市民が1994年にフォーラムヴォバンという団体を設立し、市民参加の調整機関として市により認定を受けた。その時点から、住民の代表として市を交渉を続け、開発の第一段階が終わった現在でも、地区の市民活動の中心になっている。また、新しい居住文化を生み出すため、共同住宅の開発が積極的に誘致され、土地販売の際、共同住宅を計画するグループが優先された。その結果、第1段階の422戸のうち、221戸が共同住宅として建てられた。5.環境的側面 環境に関する取り組みでは、特に交通コンセプトが注目を浴びている。各家に駐車所を設けず、自動車を団地の入り口にある駐車場に入れる形式をとっている。また、自動車を所有しない住民で契約を結び、駐車場設置の義務が免状される。公共交通手段として、中心市街地から路面電車が引かれた。 その他に、省エネ建築、雨水の再利用など、様々な仕組みと実験的な技術が利用されている。6.ヴォバーン地区の問題点 実験的な側面を持つヴォバーン地区は、様々な課題を抱えている。一つは、その独特な人口構造である。まず、新しく開発された団地の特徴である年齢層の偏りは強く表れている。住民はこのような実験的なまちづくりに関心を持つ人がほとんどで、共通する政治的・社会的発想が強く、そのためまちづくり活動が積極であるが、一方、そこで排他的な側面も否定できない。その他に共同建築に関係するトラブル、駐車場設立や広場の設定などに関する市と住民の対立など、特に第1開発段階では様々な課題が登場した。
  • 井上 知栄, 松本 淳
    p. 62
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1. はじめに
     日本の気候区分については古くからいくつか提案されてきている.しかし,これまでの気候区分は必ずしも客観的な指標や手法を用いた区分であるとは言えない.そこで本研究では,日本のアメダス観測所の降水量平年値を用いて,降水量の季節推移パターンにクラスター分析を施し,これまでより客観的な日本の気候区分の提示を試みる.

    2. 資料と解析手法
     気象庁編集の「平年値CD-ROM」より,1979-2000年の期間の平年値が存在するアメダス観測所994地点における,降水量の通年半旬別平年値を取り出した.
     まず各地点,各半旬について年合計降水量に対する降水量比を求め,73半旬降水量比の値を各地点の要素として,クラスター分析(Ward法)によるグループ分けを行った.その結果,日本を7つの地域に区分することができた(図1).

    3. 各地域の季節推移の特徴
     7地域それぞれにおいて地点平均した降水量比の季節推移パターンを図2に示す.各地域の特徴は以下の通りである.
    (A)北日本の日本海側:8-9月に降水のピークがあり,梅雨季の極大や盛夏期の極小はない.大まかには2-6月の少雨季と7-1月の多雨季という1年周期が卓越するが,振幅は小さい.
    (B)北日本の太平洋側:8-9月に降水のピークがあり,1年周期が卓越するなどAと類似点は多いが,冬季に少ないため振幅はAより大きい.梅雨季や盛夏季は不明瞭である.
    (C)中部日本の日本海側:6-7月の梅雨季,9月の秋雨季,11-2月の冬季という3つのピークが存在する.降水量は入梅前に最小,梅雨季に最大になる.
    (D)中部日本の太平洋側:9月の秋雨季のピークが梅雨季と同程度かやや大きい.冬季の降水極小が顕著である.
    (E)内陸・瀬戸内:梅雨季のピークは秋雨季よりかなり大きく,その間の盛夏季の極小も顕著である.日本中西部では5月に暖候季第3のピークがあるが,特にこの地域で顕著である.
    (F)南日本(九州西部):梅雨季のピークが非常に大きい一方,秋雨季はピークとしてほとんど認定できない.10月後半に急減し,2月前半まで少雨の期間が続く.
    (G)南西諸島:梅雨季のピークは6月上旬,盛夏季の極小は7月前半である.また,8月下旬・9月下旬にピークがある.冬季は盛夏季ほど少なくならない.
  • 長尾 謙吉
    p. 63
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     本発表では,「規模」と「品質」という経済現象を探究するための基本的キーワードを軸に,グローバルな展開を行う多国籍企業とローカルな地域的生産システムについて考察していきたい.日系自動車企業を対象とし,長尾(2000)などで研究をしてきたカナダ・オンタリオ州南部の事例を取り上げる.なお,本発表は,2003年9月に約2週間かけて大阪市立大学の同僚4名で行った現地調査を踏まえたものである.自動車生産のグローバル展開と生産規模 経済活動のグローバル化の現代的特徴は,企業の海外直接投資の増大である.日本企業とりわけ製造業の持つ競争力は,内外の研究者の注目を集め研究が蓄積されてきた.日系企業の海外工場の生産活動に関して,多くの既存研究のようにアプリオリに「日本的生産システム」の移転度を適用し評価するのは問題と発表者は考えている.企業の世界戦略や国際分業における当該工場の位置づけや性格を把握した上で検討しないと意味がない.アメリカ合衆国の事例から,「日本的生産システム」の問題なき移転を結論づける研究がある(Kenney and Florida 1993).しかし,海外自動車工場の中でアメリカ合衆国の工場のみが日本の主力工場と並ぶ生産規模を持つことに留意すべきである.日本の経済地理学でも,海外工場の規模を意識した研究が蓄積されつつある(斉藤 2001;友澤 2004).「日本的生産システム」はいかなる環境においても万能というわけではなく(長尾ほか 1999),グローバルな分業体系での位置づけと生産規模の違いが,海外工場の生産活動をいかに規定しているのか,解明していく必要がある(Nagao 2002).カナダ・オンタリオ州南部の地域的生産システム 対象地域は,北米における自動車産業の移転工場回廊の最北に位置し,カナダ経済の核心地域である(Wolfe and Gertler 2001).オンタリオ州南部における日系自動車企業をめぐる地域的生産システムの特徴としては,比較的狭い範囲内に日系・米系ともに複数の最終組み立て工場が立地し,サプライヤを含めて工場間での労働市場の重複を避け,系列を越えた取引がローカルな状況を踏まえて増加していることなどがあげられる(長尾 2000;Rutherford 2000). 2003年9月に,トヨタ自動車はケンブリッジに立地するカナダ工場において,高級ブランド「レクサス」のRX330(日本名ハリアー)の北米現地生産を開始した.「レクサス」ブランド初の海外生産は,それまで合衆国から部品を供給していた主要サプライヤが近接性を考慮して当地域に新規立地するなど,新しい展開を導いている.高品質製品の生産は,生産規模とは異なる側面から,地域的生産システムを規定していく.文献斉藤由香 2001. スペインにおける日産自動車の進出と物流システムの構築.地理学評論 74A: 541-566.友澤和夫 2004. インドにおける日系自動車企業の立地と生産システムの構築!)!)トヨタ・キルロスカ・モーター社を事例として.地理学評論 77: 628-646.長尾謙吉 2000. 工場の立地展開と企業間リンケージ!)!)  カナダ日系自動車企業の事例.森澤恵子・植田浩史編『グローバル競争とローカライゼーション』51-73. 東京大学出版会.長尾謙吉・上田義朗・水野真彦・筒井一伸 1999. ベトナ.ム・ハノイ近郊日系自動車組立・部品工場見学記録.大阪市立大学経済研究所ワーキングペーパー 9903,26p.Kenney, M. and Florida, R. 1993. Beyond Mass Production: The Japanese System and Its Transfer to the US. Oxford: Oxford University Press.Nagao, K. 2002. Global-local networks of Japanese automobile production in North America. Paper prepared for the conference on ‘Japan, Canada and the Pacific Rim: Trade, Investment and Security Issues’, University of British Columbia.Rutherford, T. 2000. Re-embedding, Japanese investment and the restructuring of buyer-supplier relations in the Canadian automotive components industry during the 1990s. Regional Studies 34: 739-751.Wolfe, D.A., and Gertler, M.S. 2001 Globalization and economic restructuring in Ontario: from industrial heartland to learning region? European Planning Studies 9: 575-592.
  • 植村 善博
    p. 64
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに 2004年台風23号はこの年10回目の上陸台風で,西日本を中心に大規模な風水害を発生させた。台風の北側にあたる丹後・但馬地方では由良川や円山川・出石川における水害がマスコミにより注目された。演者は京都府丹後地方の二級河川,野田川および大手川流域に発生した洪水災害を源流域から河口部まで調査し,災害の特徴と地域性,発生要因と今後の防災対策について考察している。本報告では,地形・地質的条件を同じくし,流域面積で野田川98km2:大手川29km2 の差を有する両河川において平野地形,水文条件,社会的諸条件が災害現象にどのように反映しているかを比較研究した結果を報告する。2.気象および地形・水文条件 19_から_20日の源流域の連続降水量は野田川311.5mm,大手川334mmと酷似し,最大時間降水量は前者で18時に54mm,後者で16時に49mmを記録した。一方,水位変化の特徴では,野田川が14時以降急速に水位上昇し,17_から_22時の間に4.6~4.7mの最高水位を継続したのに対して,大手川は12時より著しい水位上昇を生じ,17・18時に38・39mmの最高水位に達し,19時以降急速に水位が低下した。風速では14_から_19時の間に最大瞬間風速30m/secが続き,16,17,19時には42,46,47m/secの北北東風を記録している。 山地の地質は,高度400m以上の源流域が蛇紋岩やカンラン岩,他は風化の著しい花崗岩類が分布する。野田川は加悦町後野付近より上流に扇状地性谷底低地が,下流には低平な後背湿地が発達し,河口部に小さなデルタを形成している。下流より加悦町後野までは新改修工事が完了し,堤高は5.7mまで高められている。しかし,後野より上流では昭和30年代の堤高約4m程度の旧堤防のままであった。大手川は喜多付近より上流で扇状地,その下流に後背湿地が発達する。宮津市街地はデルタ性後背湿地,砂州および埋立地に位置している。大手川は全域で低地面を2.5m程度下刻した流路に藪堤や護岸工事を施しただけの状態にある。3.野田川・大手川の洪水災害野田川:デルタ地区では高潮により28ha,177戸が浸水し,18時頃に最大水深0.5mに達した。後背湿地では支流河川の溢流により約140haが浸水した。野田川の水位が高く,かつ排水能力以上の流水が支流に流れ込んだために生じた内水災害である。扇状地との境界付近において,旧堤防で5地点,新堤防も内水の戻りにより1地点で破堤した。ここから氾濫水が加悦市街地に流れ込み,床上浸水265戸の被害となった。18時に浸水が始まり,約30分程度で最大水深1.8mに達した。22時以降に急速に低下していった。扇状地部においては,堤坊のない蛇行流路をとるため,攻撃斜面の河岸侵食が著しく,流路のショートカットによる破堤と農地への砂礫流入が本流だけで7地点に生じた。大手川:下流部,宮津市街地の大部分が浸水し,2652戸(うち52%が床上浸水)が被災した。中下流部で大手川の全流路から溢流し,後背湿地の全域(約230ha)が浸水または冠水状態となった。とくに,河岸地区や滝馬,辻町では浸水深度が1_から_1.8mに達した。溢流は15時から始まり,浸水は18時頃がピークで22時以降に低下した。扇状地では蛇行流路の攻撃斜面での侵食,ショートカットによる農地への土砂流入が顕著であった。本流で4地点に破堤が生じ,小香河では旧流路が放棄され,水田中に新流路ができている。4.まとめ平野の地形条件,出水や高水位継続時間,支流河川の性質,河川改修工事の進捗状況,都市化や地域の開発状況,耕地整理事業などの相違が両河川の洪水災害の特徴に大きく影響していることが明らかになった。これらを踏まえた地域防災対策を提示することが重要である。
  • 菅野 洋光
    p. 65
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに近年の夏季の天候は年々の変動が大きく、冷夏や暑夏が交互に出現している。それらの発現の周期性を明らかにすることは、北日本における農業の安定化にとって極めて重要である。そこで、北日本夏季天候の周期性発現メカニズムを解明するために、熱帯海水面温度に着目して解析した。2.データと方法 使用データは日本の気象官署データおよびNCEP/NCAR再解析データである。解析は、はじめに日本の気象官署データより周期性を把握・確認し、つぎにNCEP/NCAR再解析データを用いて熱帯海洋域の海水面温度と各種気象要素との関係を把握した。3.結果1)Kanno(2004)により、北日本夏季天候の1982年以降の5年周期が指摘されていたところであるが、2004年夏季のデータもあわせて検討したところ、2004年の暑夏は5年周期に則ったものであることが確認できた。2)北日本夏季天候と強い関係を示す南シナ海とフィリピン東方海域との海水面温度(SST)東西差は、東アジア域の気圧・高度場とも高い相関を示し、特に500hPa高度と相関が高い。そこで相関係数0.8以上の領域でのSST東西差と500hPa高度との関係を見たところ、明瞭な直線関係が認められた。これにより、SST東西差が正(負)の場合、同地域での500hPa高度は高く(低く)、北日本は冷夏(暑夏)となる関係が把握できる。500hPa高度の高低は同地域での対流活動と関係しており、ロスビー波の伝播を介して北日本の夏季天候に影響している。3)南シナ海のSSTはそれ独自で大気循環と強い相関を持つ。図には南シナ海SSTと速度ポテンシャル(大気の収束・発散成分)の相関分布を示す。フィリピン東方域と北東シベリア付近で正の、インド洋で負の相関が明瞭であり、南シナ海のSSTは大規模な大気循環により規定されることが明らかである。これにより、はじめに太平洋からインド洋にかけてのシーソー的な大規模変動に南シナ海SSTが規定され、それとフィリピン東方域SSTとの東西差が対流活動を励起もしくは抑制し、ロスビー波の伝播を通じて北日本の夏季天候に影響するとのシナリオが想定される。参考文献)Kanno, H. (2004): Five-year cycle of north-south pressure difference as an index of summer weather in Northern Japan from 1982 onwards, Jour. Met. Soc. Japan, 82(2), 711-724.
  • 鹿島 薫
    p. 66
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    はじめに昭和基地北東600kmに位置するリーセル・ラルセン山麓には、リチャードソン湖沼群と呼ばれる淡水湖沼群が分布している。これらの湖沼は、夏季に部分的に融解することがあるものの、その多くは結氷状態が4季を通じて継続している。そのため、氷中およびその裏面には、多数の藻類が付着しており、特異な生態系を有している。 今回、これらの湖沼で掘削された6つのボーリングコア試料について、珪藻分析を行った。その結果、これらの湖底堆積物には、最大で1mgあたり10万個を越える珪藻遺骸が含まれていることがわかった。また、更新世末から完新世にかけて、温帯域など他の地域の湖沼には見られない特殊な古環境変動を呈することがわかった。研究に用いた試料と分析方法 リチャードソン湖沼群からは、1996-1997年にコア試料が採取された。本研究では、この内、Lake Y-3, Lake X -3、Richardson-5、Richardson-6、Richardson-7の各試料を分析に用いた。それぞれのコア長は、130cm, 50cm、90cm、182cm、47cmであった。試料は、1-2cm間隔に、スミアスライド法によって、顕鏡用のプレパラートを作成した。スミアスライド法とは、試料を酸処理などせず、そのままの状態で観察する方法であり、本コアのように堆積物中に多数の珪藻遺骸を含んでいる試料の場合、有効となる。 顕鏡は、1000倍の光学顕微鏡を用いた。通常200_-_500個の珪藻遺骸を試料ごとに同定した。淡水性氷生珪藻群集の特徴 コア試料中には一般に多数の珪藻遺骸が観察された。試料中の珪藻遺骸数は、顕著な変動が見られ、最大で試料1mgあたりの遺骸数は10万個を越える。これは堆積粒子の中の過半を珪藻遺骸で占めていることとなる。 湖面の結氷状態が4季を通じて継続しているため、湖水の循環がおさえられ、珪素の供給が少ない。また、湖氷を通じての日射は小さく、低温・低光量・貧栄養・貧珪素に適応した群集が生育する。 産出した珪藻群集の構成は他の湖沼に比べて単純であり、Pinnularia sp-1., Amphora coffeaeformis, Nitzschia frustulum, Navicula contenta, Achnanthes sp-1, Achnanthes sp-2.の6種からなる。その他、Melosira sp-1, Navicula cryptocephala, Aulacoseira sp-1が産出したが、その割合は最大でも1-2%以下であった。 このような特殊な群集構成となるため、何かの原因で湖沼の環境が変化したとき、その変動はコア中の珪藻群集に詳細に記録される。リチャードソン湖沼群の後氷期における環境変動 リチャードソン湖沼群の環境変動について、最も長いコアであるRichardson-6コアをもとに、復元する。 コアの最下部(72cm以深)では、海水-内湾に生息する、Amphor属Cocconeis属 Biddulphia属の珪藻が産出する。これらは、現在のサロマ湖など冬季に結氷する内湾-ラグーン域に多産する種である。このことより、この時期、リチャードソン湖沼群は海水の流入があったことが確認された。 その後、湖沼は淡水化し(72-60cm)、前述の淡水性氷生珪藻群集と呼ばれる特殊な珪藻群集が優先するようになる。66-67cmから、9725±25yBP(暦年補正で11200-10800yBP)が得られており、他のコアにおける淡水化の年代と比較しても、更新世最末期に海域から切り離され、湖水の淡水化が始まったことがわかった。 その後、56-60cmの層準で、再度、海水の影響が認められた。この層準では、汽水性のChaetoceros属の珪藻種が多産し、一時的な海水の流入があった。56cmの層準以降は、再び湖水環境は安定し、湖表面で結氷状態が4季を通じて継続している現在の環境が継続していた。 リチャードソン湖は、現在18mの標高があり、アイソスタティックな隆起が、このような環境変動をもたらした可能性が高い。 なお、56-60cmにおける一時的な珪藻群集の変動については、直接の年代資料がないが、世界各地で確認される8500-9000yBP頃における一時的な気候変動との関連が示唆される。
  • 中村 有作
    p. 67
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_.はじめに琉球列島において近年、切花や野菜などの生産が行われるようになった。隆起サンゴ礁地形という特有の環境条件を備えた琉球列島では、このような農業生産を行うには水利開発や石灰岩排除など様々な農業基盤整備事業を行う必要がある。これらの事業が可能であったのは、奄美振興事業などによるところが大きい。発表者は、昨年の春季大会において和泊町における切花および野菜栽培の発展について、農家における作物の選択過程を中心に述べたが、前述のような課題についても検討を加える必要がある。本発表では、水資源について、開発が行われた背景と開発方法を規定した自然環境、そこで利用された奄美振興事業費、そしてそれによる農業生産活動の変容について、2集落を事例として述べる。_II_.奄美振興事業と水資源開発_丸1_水利開発が行われた背景水利開発を行った目的は、サトウキビ栽培における塩害と干ばつの防止である。波が破砕して霧状に拡散し、沿岸部の集落においては塩害が発生した。これに対する有効な対処方法は、散水を行って表面に付着した塩分を洗い流すことであった。また、干ばつによる被害も深刻であった。そして、政府が行っていた甘味原料自給強化政策がその後押しとなり、和泊町全域で各種事業が行われることとなった。1973年九州農政局により水理地質調査が始められ、1980年代に事業が着手した。事業費負担は、受益面積が20ha以上の場合は国が半額補助し、それ以下の場合は鹿児島県による単独事業となる。農家負担は一切無い。_丸2_和泊町における水資源の賦存状態と開発方法沖永良部島においては、古生層の基盤岩を第四系の琉球石灰岩により30m_から_40m程度被覆している。この地層は透水性が高く、表流せずに地下水となって直接海に流出する。そのため、水資源開発を行うには地下水、鍾乳洞中の流水、または古生層と琉球層群の境界部が露出している場所で発生する湧水や、それが作り出す小規模な表流水を利用し、それを貯水槽に引き込む方式がとられた。_III_.水利開発事業と農業生産の変容 _から_2集落を事例に_から_上述のような事業が与えた影響を集落スケールで検討する。対象として、伊延と皆川の2集落を検討する。_丸1_伊延集落における変容水利施設が完成するまでは天水か他集落の湧水を各農家で買って散水していた。農業形態は、サトウキビ主体に肉用牛・ユリ球根を組み合わせた複合農業が行われていた。1989年に、水利施設は完成し、このシステムは、地下水を電動ポンプで汲み上げ、集落内の200t貯水槽6基、総貯水量1,200㎥に配水し、そこから各農家が取水して利用する。この事業費は合計4,160万円であり、その内訳は県からの補助率は45%、残りはすべて和泊町の町費で賄われた。その結果、安定的に農業用水の確保が可能となった。施設園芸の面積は1985年時点では全くみられなかったが、1990年には264aへと増加した。これは、ハウス内でのスプリンクラーによる散水が可能になったためであり、テッポウユリとカサブランカが栽培されるようになった。また、露地ではスプレーギクとソリダゴがそれぞれ栽培されているが、こちらも品質を維持するために散水を必要とする。_丸2_皆川集落における変容古生層が露出する越山付近の湧水を水源とする石橋川の表流水を取水し、集落内の4ヶ所の貯水槽、総貯水量14,143㎥に導水してそこから各農家が取水する。この事業は1984年に行われ、総工費は3億7,240万円、その45%が県費、残りが町費で賄われた。サトウキビの栽培面積は横這の中で、バレイショの栽培面積が大幅に伸びている。また、切花の栽培も1990年ごろより開始され、施設園芸の面積も拡大している。バレイショは11月より作付けを行ない、3月に収穫するが、少雨時に散水できることが作付の拡大に貢献した。また、切花はスプリンクラー放水が可能になったことでテッポウユリのハウス栽培やスプレーギクの栽培が可能となった。この集落では、1998年には畑地総合整備による畑地かんがいが完成している。_IV_.おわりに奄美振興事業による水資源開発の目的は、サトウキビ作の安定化であった。しかし、実際には政府による買い上げ価格が据え置きされているサトウキビの作付をかえって縮小させる結果となり、より価格の高い切花や野菜への転換を促すなど、サトウキビ主体の農業を大きく変容させた。1960年以降、農家戸数は減少を続けているが、残留した農家は野菜・切花の生産を取り入れることにより収益を向上させ、さらに大規模化・高収益化を志向する者も現れた。
  • 森永 大介, 中山 大地, 松山 洋
    p. 68
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    I はじめに
     近年,洪水ハザードマップや洪水氾濫シミュレーションは有効な被害軽減策として注目されており,これらを公表する自治体や国土交通省の河川事務所が増えてきている.しかし,前者では最大湛水深を示したもの,後者では水深の時間変化を示したものがほとんどであり,氾濫状況に伴って変化する,浸水した道路の歩行可能評価を行ったものはみられない.
     そこで本研究では,鹿児島県北部を流れる川内川の上流域を対象に,水理解析手法を用いて流出・氾濫状況を明らかにした.さらに,対象流域内の姶良郡栗野町において,過去に発生した洪水を超える状況を想定し,避難行動の際,住民が冠水した道路を徒歩で避難場所まで移動できるかどうかを評価した.

    II 研究方法
     50m-DEMから作成した落水線網を用いた分布型流出モデルによる流出解析と,2次元不定流モデルによる氾濫解析を行い,1993年8月豪雨のデータをもとに,川内川流域の流出・氾濫状況を再現した.流出解析の結果はNash-Sutcliffe係数(Nash and Sutcliffe 1970)を用いて観測値との比較・評価を行った.氾濫解析の結果は,栗野町が公表している「栗野町洪水避難地図」に載せられた最大湛水深の値と比較した.
     次に,これまでの想定を超えるモデル降雨を設定し,これをもとに流出・氾濫解析を行った.そして,モデル降雨に基づく解析結果,および,水深・身長比と流速の関係(利根川研究会1995)から,身長170cmと120cmの場合について,道路網の歩行可能評価を行った.さらに,須賀ほか(1994)の水中歩行の実験結果をもとに,身長170cmの場合について,避難場所までの所要時間を計算した.

    III 結果と考察
     流出解析については,実際の洪水波形をよく再現でき,Nash-Sutcliffe係数は0.91という高い値を示した.一方,氾濫解析については,氾濫域が十分に広がらず,1993年8月豪雨時の実際の湛水深を完全に再現できなかった.これは,使用した氾濫モデルでは,実際の氾濫状況を全て考慮することができないことに加え,地盤高データに微地形を考慮できない50m-DEMを使用したことが大きな原因と考えられる.しかしながら,ある決まった条件下でシミュレーションを行う上では,本研究で用いた氾濫モデルは有効であると判断できた.
     また,モデル降雨に基づく流出・氾濫解析結果を用いて,水深・身長比と流速の関係から判断した歩行可能評価では,一部の避難場所では氾濫流が迫り,身長120cmの場合,氾濫開始から数時間の比較的早い段階でなければ,徒歩での避難が難しい状況になることがわかった.また,避難場所までの所要時間については,浸水のない場合では10分前後で行けるような場所でも,浸水によって遠回りしなければならず,より時間がかかる状況になることがわかった.

    IV 今後の課題
     流出解析については,1993年8月豪雨時のデータを用いてモデルパラメータの決定を行ったが,他の降雨イベントのデータも用いて解析を行い,より汎用的かつ有効なモデルパラメータを決定する必要がある.また,氾濫解析に関しては,氾濫モデルに様々な制約条件があるため,建物占有率を考慮して,使用するモデルを改良するほか,より詳細な地形データを扱うなど最大限考慮できる条件を採用して,検討する必要がある.
     歩行可能評価については,水深・身長比と流速の関係のみを歩行可能評価の判断基準に用いたが,住民が高齢化している本地域では,身長に加え年齢や身体能力も加味して考察を深める必要がある.また,須賀ほか(1994)の実験結果を用いて避難場所までの所要時間を計算したが,道路の起伏や,水の流れの方向なども考慮し,避難場所にたどり着くまでの“コスト”をより厳密に算定する必要がある.

    文献
    須賀堯三・上阪恒雄・白井勝二・高木茂知・浜口憲一郎・陳 志軒 1994.避難時の水中歩行に関する実験.水工学論文集 38: 829-832.
    利根川研究会 1995.『利根川の洪水– 語り継ぐ流域の歴史–』山海堂.
    Nash J. E. and J. V. Sutcliffe 1970.River flow forecasting through conceptual models part I – A discussion of principles.Journal of Hydrology 10: 282-290.
  • 福塚 康三郎, 黒木 貴一, 野口 貴至
    p. 69
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    研究対象とした前津江村は大分県西部の津江山地東部に位置する(図-1)。津江山地周辺を含む九州地方では、広域的な視点から羽田野・吉松1)や九州活構造研究会2)により、いくつかの地すべり地形の分布が示された。なお、谷川3)は「津江」や「杖」は「潰」が転じたものであり、崖を指す地形地名であると指摘している。津江山地西部においては、藤山ほか4)が地すべり地形分布を明らかにし、福塚ほか5)ではその地域の十籠地すべりと河川縦断曲線の関係を詳しく議論した。本研究では津江山地東部、前津江村の赤石川・大野川水系の地すべり地形の分布を明らかにし、河川縦断曲線との関連性を検討した。その結果、以下のことが分かった。1) 河川縦断曲線が「上に凸」となる場合、河川沿いに地すべりが隣接する可能性が指摘され、概略的な河川砂防計画を検討する上で重要な指標となり得る。2) 研究地域周辺では、誘因となる「地震活動」や、素因と考えられる「熱水変質による一部粘土化した岩盤」が分布するため、今後地すべりの形成プロセスの詳細な検討が必要である。
  • 宮城 豊彦
    p. 70
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    2004年10月26日に、新潟県中越地方で発生した新潟県中越地震は、山古志村を中心として甚大な地盤災害を引き起こし、現在も全村避難が継続している。東頸城丘陵を中心とするこの一帯は古くから地すべり多発地帯として幾多の土砂災害に見舞われてきた。地すべりに孤立する雪深い松之山町の姿を1980年当時のニュースは伝えている。松之山町の地すべり災害から時を経て、この地は今や魚沼産コシヒカリの産地として脚光を浴びている。錦鯉の産地である山古志村にしても、この地を訪れる人々の多くは、雑木林と棚田が重なり、養魚池が夕日に照りかえる景観を心に留めて、「なんとも豊かな農村だな」との感慨にひたることができた。私自身、数年前から栃尾市・山古志村などを学生と一緒に歩き、地すべり活動が生み出す、小さいが複雑で豊かな土地自然を紹介する巡検を始めており、昨年は防災科研が順次発刊している地すべり地形分布図の作成を、この地域一帯を対象としてお手伝いもさせていただいた。 新潟県中越地震約1ヵ月後に日本地すべり学会と日本応用地質学会合同調査団の一員として現地を見る機会を得た。この報告は既に両学会のホームページに日英両語で掲載されており、昨年12月にタイで開催された学会でも緊急報告を行っている。これらは緊急の報告でしかなく、綿密な調査は雪解けを待って再開することになろう。本シンポジウムでは、僅かな観察例に基づく予察的な話にしかなり得ないことを前提としつつも、地すべり地域の土地自然特性の多様性や有用性を強く意識している地すべり地形学者の一人として、被災地の地震被害前後の地形条件をやや細かく観察し、いわゆる水起源の地すべりと地震起源を地すべりとでは、その発生や性状にどのような異同があるかを理解したい。
  • 青森県名川町を事例に
    林 琢也
    p. 71
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.研究の目的現在,農村内の地域資源を活用した観光開発,地域振興が全国各地で行われている。こうした取り組みを効果的に行っていくためには観光事業とそれによる地域変化についての考察に加え,そこで展開される観光事業が地域の農業構造とどのように関わっているかを考察することが重要である(山田,1999)。このため,従来の研究課題を解決するには,農村地理学の視点から観光農業地域の構造を解明することが有効である。そこで本研究では,基幹産業である農業を核に観光振興を図る青森県名川町を対象に,観光農業の継続的発展を可能にした地域的条件を明らかにし,観光農業を基盤とした農村が持続・発展する地域システムの考察を行う。2.名川町の概要と農業観光事業青森県名川町はさくらんぼ,梅などの果樹において県内第1位の栽培面積を持つ果樹産地である。1986年から町の基幹作物であるさくらんぼを活用した農業観光事業に着手し,収穫期に行われる祭りや観光農園に加え,農産物の直売所,農業体験修学旅行の受け入れなど数多くの農業観光事業を実施している。なかでも町の東部に位置する高瀬集落の農家の取り組みが活発である。このため高瀬集落を主な研究対象地域に選定し,現地調査を行った。3.観光農業発展の地域構造高瀬集落では市場・農協出荷に加え,観光農園でのもぎとり,庭先販売,宅配注文を行う農家や直売所をはじめとした多様な販路を持った農家が果樹栽培を行っている。こうした農業形態の発展過程とその要因をまとめると以下のようになる。当地では明治期において,冷害による稲作の不安定さを補完する果樹の栽培が振興され,販路の模索から行商人などとの直接取引が行われた。高瀬集落ではこのような果樹栽培の伝統や直接取引が下地となって,さらに広大な財産区の存在が果樹栽培の拡大を可能にした。また,他集落に比べ交通・立地条件で優位にあることから,観光農業の先駆者や牽引者が現れた。こうした地域リーダーの下,集落内に観光農業が進展した。なかでも後続農家の特徴として世帯主の農外就業経験者が多い。こうした従来は地域農業の柱となりえなかった農家の参加が促され,集落内での観光農業の取り組みが活発化した。営農意欲が向上するにつれて,それまでの観光農園経営の他に,直売所や宅配による販路の拡大,さらに所得の向上や社会的ネットワークの広域化,地域アイデンティティの形成が促された。4.まとめ農業を核とした観光業の発展は意識面・経済面・社会面において農村の活性化を促進させるといえる。観光という要素を取り入れ,より積極的に外部に販路を求めることは意識の変革をもたらす。また,農外就業経験者の見聞や経験は,農村が一体となって観光に対応することに重要な役割を果たす。さらに,従来から積極的に栽培されてきた品目の活用は,新たな栽培技術の獲得などの手間を省き,集落内の自給的農家や高齢者を人夫として活用する際に有効であった。こうした農村内の潜在的な力を全て有効に活用することが農村に活力をもたらし,農業を核とした観光事業の展開を支えるといえる。【参考文献】山田耕生1999.地域資源を活用した観光事業と主要産業の関係に関する研究への一試論.立教観光学研究紀要1:61‐68.
  • 中筋 章人
    p. 72
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1. 土砂災害ハザードマップの歴史 土石流の危険渓流や氾濫危険区域(ハザードマップ)に関する研究は、昭和51年の小豆島土石流災害以来、建設省の土木研究所を中心に精力的に進められてきた。その結果昭和50年代末までには、崩壊や土石流の氾濫区域や危険度判定に関する数々の成果が発表された。 その後、昭和57年の長崎豪雨災害や昭和58年の山陰豪雨災害など、また最近でも平成5年の鹿児島県豪雨災害や平成7年の長野県北部豪雨災害などで崩壊や土石流が頻発したにもかかわらず、この方面の研究は遅々として進んでいない。一方で土石流の氾濫シミュレーションなどに関する成果が発表されてはいるが、シミュレーションの膨大な作業量から見てカバーできる危険渓流の範囲は、ごくごく一部である。しかしながら、平成13年4月1日に施行された「土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律」、通称 「土砂災害防止法」では、新たな危険区域(警戒区域)が設定されるに至った。2. なぜ土砂災害ハザードマップの整備は遅れているのかハザードマップとは、災害予測図であり、言うまでもなく予測情報が表示されていなければならない。この点からすると、現在配布されている土砂災害ハザードマップは、現地の地形地質的特徴や過去の災害実績が考慮されていないため、レベル的には危険箇所分布図といったものであろう。しかしながら整備が遅れているのは、土砂災害研究者を弁護すると、火山のように噴火履歴が豊富ではなく、洪水のように水位や流速など単純な要因だけではないことにある。つまり、履歴が少ない上に降雨条件のみならず、地形条件や地質条件に加えて、よくわからない地盤土質j条件や地下水条件が複雑に絡み合っていることが予測を困難にしていると考えられる。3. 2004年三重県宮川村の事例にみるハザードマップ活用の問題点と防災力の重要性 上記のようなハザードマップの技術的課題に加えて、その有効利用にも大きな問題点がある。平成16年9月末に三重県宮川村で発生した豪雨災害は、事前に精度の良い(1:12000)土砂災害危険箇所マップが出来ていたにもかかわらず、避難勧告の遅れなど自治体の災害に対する意識や経験の薄さから来る「防災力」の弱さを浮き彫りにした。つまり発災時の時系列的対応をみると、マップにある土砂災害発生危険性の想定や避難箇所情報を、地域防災計画に、とくに連絡体制や活動計画にほとんど反映させていなかったことなどから、あらためてソフト面の充実の重要性が明らかとなった。
  • 近藤 裕幸
    p. 73
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    【問題の所在】明治期に始まった旧制中学校(以下 中学校)下の地理教育では、教科書執筆において当時第一線で活躍していた地理学者たちが関わっており、彼らの学問観が反映されている教科書がみられた。筆者はその代表例として山崎直方(1870_-_1929)の地理教科書をとりあげ、地理教育観と学問観の関連性について私見を述べた。その東京帝国大学の山崎直方と共に、日本近代地理学の形成期において大きな足跡を残した人物に京都帝国大学の小川琢治(1870-1941)がいる。小川は山崎と同時代に活躍し、東大の山崎、京大の小川としてしばしば比較される人物である。小川のみを研究対象としてとり上げた先行研究としては、水津が、小川を近代歴史地理学の創始者として位置づけ、小川がこの歴史地理学を人文地理学の一部門としてではなく、人文地理学研究に必要な歴史的考察方法、地理学研究への歴史的考察の導入を目指しているとの指摘がある。岡田は、小川の専門を歴史地理学のみに捉えず、刀剣や囲碁、戦争地理学にも研究が及んでいたことに触れ、その幅広い研究領域と多彩な活躍をとらえている。【本研究の方法と目的】日本の近代地理学史上、重要な位置づけにある小川が、学校教育制度下の地理科に影響を与える可能性は大きい。しかし、小川を地理教育史の上からとらえた研究は寡聞にして知らない。というのも、小川が彼の地理教育観を体系的な著作物として残しているわけではないため、その地理教育観を捉えることに困難を伴うからである。そこで、その困難を克服するために、彼が著した教科書をとりあげることは有効であると思われる。実際、小川は山崎と同様に中学校地理科教科書を多数著しており、その小川の地理教科書には彼独自の地理教育観が具現化されていると考えられるからである。そこで本稿では、小川が著した中学校地理教科書の記述内容や例言をとりあげることによって、小川の地理教育観の変遷を叙述し、その地理教育観と彼が学問上依拠した歴史地理学と関連を描き出すことが本研究の目的である。【本研究の構成】本研究の構成は1「小川琢治の略歴」において小川の経歴を概観する。2「小川琢治の地理教科書の内容」では、1910年代、1920年代、1930年代の小川が著した教科書の変遷を分析する。3「1933年『新外国地理 上下 甲表準拠』教科書の内容」では、小川の地理教育観が特に表れている教科書をとりあげ、それまでの小川の教科書や他の教科書との比較からその特異性について述べる。4「小川の地理教育観の形成」では、小川の地理教育観が形成される上で重要であった諸要因について考察する。【本研究の結論】中等教育における地理教育が山崎らによって本格的に始まったが、地理教育は暗記教科としての傾向が強かった。しかし、次第に地理科教科書において、無味乾燥な地名の羅列を忌避する考えが生まれ、1920年代後半から、自然と人文現象を関連づけるという地理学的方法論をとりいれた地理科教科書が書かれるようになる。小川以外の教科書執筆者たちも1920年代に入り、地人相関的な教科書記述を目指すようになっていく。1930年代に入ると、地人相関の理法といった観念を生徒にいかに学ばせるかという方法主義的な立場が現れ、小川においてもその傾向がみられるようになった。すなわち、文章のみで知識を伝えるのではなく、教科書内の直観教材(挿図等)を増やすことで、より効果的に地理科の内容を生徒に理解させることを意図したのである。そこには、地理知識を上から下へと降下させるだけの地理教育から、効果的な地理教育方法の追求へと転換した過程を見ることができる。その方法主義的立場をとるに際し、小川は歴史地理学の方法論を地理教授に取り入れた。小川の記述方法は他の著者とは異なったもので、小川の専門とする歴史地理学の学問方法を取り入れ、地図・写真を有効かつふんだんに用い『新外国地理 上中 甲表』においてその方法論は具現化された。実際、2枚の地図を並べて地人相関を推測し、考えさせるという同時代的思考にとどまらず、地理的現象が変わっていくさまを時間的思考によってとらえさせるのが小川教科書の特徴であった。
  • 川久保 篤志
    p. 74
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに 近年、わが国で農産物の輸出拡大をめざす議論が高まっている。これは、近年のアジア諸国の経済発展に伴う購買力の上昇やFTA交渉の進展による関税率の低下などに期待したものであり、現に2000年以降のわが国の農林水産物輸出額は対アジア諸国を中心に20%以上の伸びを示している。 そこで本発表では、このような議論が高まるなかで本当に輸出の拡大は有望なのかを、果実の中で最大の輸出量をもち歴史も古いミカンを事例にその現状と拡大への課題について検討する。2.わが国におけるミカン輸出の近年の動向 わが国のミカン輸出は1980年代にピークに達して以来減少続きで、1990年代後半以降も回復の兆しはみられていない。輸出先についても、カナダ・アメリカの北米2ケ国で輸出量全体の約95%を占めている状況は従来と変わっておらず、東・東南アジア諸国への輸出もそれほど伸びてはいない。また、価格についても1990年の162円/kgから2003年の98円/kgへと大きく低下している。したがって、ミカン輸出の減少はカナダ・アメリカでの販売動向の結果であるといえるが、なぜこのように北米向け輸出が1990年代に減少してしまったのか。 その要因の1つは円高の進行による採算の悪化である。1980年代前半には1$=200円台であった為替レートは、1990年代前半には100円台前半へと大きく円高が進んでしまった。もう1つは、相手国の事情で、カナダについては、円高の進行とも関連して価格競争力を強めた中国産のミカンがカナダでのシェアを伸ばしたことが大きい。一方、アメリカについては、植物検疫上の問題が大きい。アメリカは、ミカンの潰瘍病やヤノネカイガラムシ等の病害虫の侵入に対して強い警戒を示しており、輸出希望国は生産園地の指定とアメリカ人検査官の立ち入り調査など数々の検査手続きを受ける必要があるのである。 このような状況下で、わが国の輸出ミカン産地ではどのような生産流通が行われているのか。以下では、静岡県の現状について検討する。3.静岡県における輸出向けミカンの生産・流通の現状1)旧清水市におけるミカン輸出への取組み 旧清水市は、静岡県で最大の輸出ミカン産地であるが、近年はその生産を大きく減じている。その要因としては、清水市でのミカン栽培自体が衰退傾向を強めていることと、ミカンの栽培品種構成が晩生(12月収穫)の青島種に大きくシフトし、通常11月に行われる輸出時に間に合うミカンそのものが減少してきたことが挙げられる。 現在、JA清水市では青島種以外のミカンのすべてを輸出に振り向ける方針にしているが、輸出向けミカンの採算は目標を大きく下回っている。しかし、そのような中でも労働力基盤が弱く青島種への系統更新を進めることに消極的な農家層にとっては、早生ミカンの輸出は国内相場の低迷する11月に出荷できることや、加工向けに出荷するよりもはるかに利益をもたらすことから、一定のメリットがあると認識されている。2)三ケ日町におけるミカン輸出への取組み 三ヶ日町は静岡県最大のミカン産地で、かつ近年輸出向けミカンの生産が増加している。これは、青島種の大玉果(3Lサイズ以上)の輸出に取組み始めたからである。青島種は静岡産ミカンの主力品種であり、国内販売でも有利に取引きされるため本来なら輸出向けに販売されるものではないが、大玉果は国内販売でも低価格なため、等級によっては輸出向けに回した方が利益が出るという判断がなされるようになってきたからである。 しかし、三ヶ日町で輸出に向けられているミカンは決してグレードの高いものではない。生産者は、国内向け販売から得られる収入との比較の中で輸出向けミカンを選別しているのであり、実態としては国内向け果実の最低ランクと加工向け果実との中間レベルの果実を樹上で選別して収穫しており、極めて特殊である。また、選果箱詰めに関しても農協が行うのではなく旧清水市内の集出荷業者に委託しており、農協の関与は国内向け販売とは比べものにならないくらい小さい。3)藤枝市におけるミカン輸出への取組み 藤枝市は現在ミカンの対米輸出を行っているわが国唯一の産地である。輸出指定園となっているのは、海岸から約10kmも離れた山間部の29haで、気候的に冷涼なため糖度重視の現在の国内市場へ販売するためのミカン作りには適していない。また、園地は急傾斜にあり農作業面でも条件不利地域である。輸出に向けられているのは、輸出指定園内で生産されたミカンの約50%で、品種的には青島種以外の品種の全量と青島種の3Lサイズ以上である。しかし、対米輸出は対カナダ輸出よりも高値で取引されていることから、三ヶ日町のように3Lサイズの中からさらに低級品を選別するといったことは行っていない。
  • 中林 一樹
    p. 75
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.中越地震の特徴 中越地震は、新潟地震(1964)の40年記念の年に発生した。10月23日午後5時56分、わが国観測史上2回目の「震度7」の強い揺れと、3回に及ぶ「震度6強・弱」の強い余震が引き続いた。被害は、死者40人(震災関連死を含む)、負傷者2,860人、全壊大破家屋3,250棟、半壊5,960棟、一部損壊家屋は75,500棟以上に達した。引き続く余震は、多くの人を自宅外に避難させ、ピーク時は10万人を超えた。 特徴的な被害は、崖崩れや宅地崩壊などの被害である。元々「山崩れ地帯」である中越地域ではあるが、主震や余震の震源直上の中山間地域では、棚田や養鯉池が山腹に拓かれた(外部との連絡道路である)幹線道路や斜面に建つ家屋とともに大崩落した。いわば「山塊崩落」が至る所で発生し、斜面全体が「ゆるみ」、情報的に交通的にも「孤立集落」が多発した。さらに、崩落した大量の土石が河川を埋め、「自然ダム」が発生し、谷筋の集落をせき止められた泥水が水没させた。こうして、山古志村では「全村避難」を行い、その他の被災地でも孤立集落や自然ダム下流の集落などが「全集落移転」を行った。 地震から2ヶ月後に、雪が降った。3000戸の応急仮設住宅が配置も工夫され、積雪以前に完成したことは幸いであった。阪神・淡路大震災の教訓でもあったが、地域(集落)の絆は驚くほど強く、避難所においても、応急仮設住宅においても、「地域」毎にまとまって入居している。4ヶ月の冬を迎え、春以降の本格復興への話し合いが進められた。2.台湾集集地震との比較とその被災地復興の基本方向 台湾集集地震(1999)の被災状況と共通する被災様相を呈している。中山間地域が主に被災し、台湾の震災復興では「社区総体営造」という概念が、その復興の基本となっている。これは、「地域社会の総合的なまちづくり」という計画理念である。被災地では住宅再建と産業復興を、埋もれていってしまった地域の文化の再興や新しい産業の創出など、ソフト・ハード両面からの地域主体の復興への取り組みである。3.中越地震における中山間地域の復興の基本方向 幸い、中越地域は、養鯉業や魚沼産コシヒカリ米という「名産品」を生む地域であり、地域がほこる「闘牛」文化もあり、この地域には他の中山間地域にはない経済力と地域力があるように思われる。しかし、高齢社会の進展した積雪地域であることは、阪神・淡路大震災とも異なる復興プログラムを提供することになる。個々の生活再建には、「被災者生活再建支援法」と「新潟県による生活再建支援」諸制度による支援が基本となるが、孤立集落や山塊崩落に巻き込まれた集落では「防災集団移転事業」などによる移転型「集落復興」を必要としよう。その基本は、動いた山塊や傾斜地の「土留め」と「道路再建」という中山間地域のインフラ復興である。本格復興には相当の長期化が予想される。その間の台風災害による複合災害化が再び発生すると、その復興はさらに長期化するかもしれない。市町村合併による行政体制の変化とともに、注目していなければならない、復興過程の課題であろう。 もう一つの広域的な課題として、温泉観光やスキー観光などの「風評被害とその復興」も大きな課題となっていることを忘れてはならない。
  • 菅原 広史, 成田 健一, 本條 毅, 三上 岳彦
    p. 76
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    都市内において緑地が周辺市街地より低温になる現象(緑地のクールアイランド現象)は古くから研究されてきた.今日では特に緑地からの流出冷気による都市熱環境,特に熱帯夜の緩和との関連が社会的にも注目を集めるようになった.本発表ではこの冷気流について,これまでの研究を整理し,また,理学・工学それぞれの立場から見た今後の研究のポイントについて述べる.
  • 海津 正倫, プラモジャニー パイブーン, Songkhla湖沿岸低地 調査グループ
    p. 77
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     タイ南部のマレー半島東岸部にはタイランド湾に面して顕著な海岸平野が連続する.なかでも,ソンクラー湖周辺の海岸平野には,南北30 km以上にもおよぶ枝分かれした顕著な砂州列や弧状に延びる数列の砂州・浜堤列が認められる.従来これらの砂州・浜堤列の形成,発達に関する調査・研究は十分に行われておらず,それらの形成時期に関しても詳しい検討が行われていない.本研究では,1998年以降十数回にわたって行ってきた調査に基づいて,これら砂州・浜堤列の形成時期を検討するとともに,平野の地形形成史を明らかにする.<調査地域の地形> マレー半島東部の北緯8度付近に位置するナコンシタマラートから南のハジャイ,ソンクラーにかけての地域には海岸線に沿って顕著な砂州・砂堤列が発達し、その背後には広大な海岸平野と潟湖が分布する.南北約90 km、東西最大約 25 km におよぶ広大な潟湖はソンクラー湖とよばれ,ノイ湖,ルアン湖,サップ・ソンクラー湖の湖盆に分けられる.湖の最大深度は約2mと非常に浅く,湖岸には小規模なデルタが多数発達している.  現在の海岸線に沿って発達する砂州(砂州II, III, IV)は長さ100km、幅最大7?8 kmにおよび、南部では10列以上の砂堤列を認めることができる。このうち,最も海側のもの(砂州IV)は現在の海岸線に沿って北に延び,ナコンシタマラートの東において顕著な砂嘴を形成している. 一方,ナコンシタマラート市街地をのせる砂州(砂州I)やその東側の南に向けて延びる砂州(砂州II, III)は幅数百メートル程度の規模を持ち,市街地をのせる砂州Iは長さ60 kmに及ぶ弧状の平面形を示している. また,さらに内陸にも一部に砂丘をのせる顕著な砂州列(砂州X)が認められる.その分布は一部でとぎれるものの,ほぼ連続的に延び,南部では枝分かれして数列の砂州群となっている. 低地の海抜高度はほぼ全域が2?3 m程度で,最も内陸側で枝分かれして発達する砂州(一部に砂丘をのせる)の地盤高がやや高いほかは,浜堤あるいは砂州の部分でも背後の低地の部分に比べて数十cm?1 m程度の比高をもつにすぎない.<砂州の形成時期と堆積物>  従来,これらの砂州やこの地域の地形形成に関する詳しい調査はほとんど行われておらず,タイ鉱物資源局発行の地質図などでは最も内陸に位置する砂州Xの形成時期が完新世の高海水準期とされてきた.たしかに,南部の枝分かれした砂州間の低地には完新世中期の年代を示す泥炭層が認められ,このことから,この砂州の形成が一見完新世中期であるように思われる.しかしながら,北部のナコンシタマラート付近ではこの砂州が2?3 mの小崖を持つ台地上に発達しており,また,南部でも枝分かれした砂州間の堤間低地では完新世の堆積物がきわめて薄く,地表下十?数十cm以下には,低地部で沖積層下に認められる更新統の堆積物と同様のやや固結した粘土質堆積物が発達していることが多い.目下のところ,この堆積物中からの年代資料は得られていないが,その層相や分布状態から,この砂州をのせる堆積物は更新世の堆積物であり,砂州自体も完新世に形成されたものではないと推察される. 一方,ナコンシタマラート市街地をのせる砂州Iやさらに海側の砂州II, III, IVの下には海成層が発達しており,その年代は内陸のものほど古い,また,それを覆う泥炭層の年代も約6,000年前以降の値を示している. また,南部のサップ・ソンクラー湖岸では沖積層の厚さは薄く,6?7,000年前以降の年代を示す泥炭層が顕著に発達していて,完新世中期以降の早い時期から泥炭(木片を多く含み,乾燥するとイオウが析出するのでマングローブ泥炭であると考えられる)が形成されるようなマングローブ林が発達する潮間帯の環境が続いていたと考えられる. 以上の結果に基づいて,砂州の形成時期をふまえた地形変化を明らかにし,図に示す古地理図を描いた.
  • 千葉 昭彦
    p. 78
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     多くの地方都市の中心商店街や近隣商店街が衰退・停滞している中、その活性化策として様々な試みが提言され、実施されてきている。けれども、これらの再生は何らかのアイデアやイベントを通じて達成されるわけではない。本来、個々の商業集積が地域の中で果たしてきた役割を顧みるならば、その再生とはその本来の役割の回復に他ならない。地域の中でのその役割とは、当然ながら、中心市街地と近隣商店街では異なるし、前者も都市規模によっても異なっている。これらの相違はその商業集積を成立させてきた周辺地域の地域性によってもたらされたものであり、商業集積はそれぞれその地域性に対応して存続してきたわけである。したがって、それぞれの商業集積の再生は、その地域性を踏まえたものでなければならず、画一的な処方箋が存在するわけではない。 とは言え、それぞれの商業集積の周辺地域では、年々、人口減少がみられたり、人口減少が見られなかったとしても居住者の諸属性変化や買物行動の変化が進んでいる。具体的には消費者の世帯構成や年齢構成、職業、買物時間帯等々がそれに相当する。このような地域の変化が進んだ結果、消費者と商業集積の間で取扱商品(嗜好・単価・量等々)や営業時間帯などでミスマッチが生じ、当該地域での商店街等の衰退や停滞をもたらしている。また、商業集積地での業種の欠落などが生じた場合、従来みられた利便性が著しく損なわれ、その商業集積の優位性は大きく低下することになる。商業集積は、その中にワンセットの業種がそろうことにより、また同一業種でも複数の店舗が存在することにより、地域住民の買物利便性を高め、より多くの消費者をひきつけている。今日このことは大型店やショッピングモールなどの特徴として指摘されることが多いが、しかしこれらの特徴は本来商店街などの商業集積地に備わっていた優位性であった。したがって、この利便性低下の要因(店主の高齢化や“商店の兼業化”など)を明らかにし、新規参入者への空き店舗マッチング事業(長野市や郡山市などでの試み)などの可能性を考えることが求められる。つまり、商店街再生においては、周辺地域の変化への対応と商店街の利便性の回復が、必要十分条件であるように思われる。 他方、人口減少が顕著な地域においては、商店街のみならずコンパクトシティに見られるような都市全体のあり方を考える必要がある。この点については、特に造成から20_から_30年程度たった「ニュータウン」あるいは郊外などが今後大きな問題を抱える地域になるように思われる。 いずれにしても、大型店の進出が商店街を衰退させるのか、地域社会の変化に対応できない商店街の衰退が大型店の進出を容易にするのかを見極めながら、商店街再生と都市再生はともに、まちづくりとして考え、方向性を示す必要があると思われる。したがって、それは決してイベント開催やストリートファニチヤァーの整備、建物のリニュアルなどではなく、とりもなおさず商業集積の地域性への対応とそれにもとづくまちづくりとしてとらえることができる。
  • 成果と課題
    伊藤 徹哉
    p. 79
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    I. 研究目的・研究方法
     ドイツでは1960年代以降,中心市街地における社会的・形態的衰退が社会問題となり,これに対応して多くの都市住宅政策が実施された。ITO(2004)はミュンヘンとニュルンベルクを事例として第2次世界大戦後の住宅政策を取り上げ,とくに1970年代以降に都市再生への取り組みが盛んになされていると指摘している。都市再生で主に対象となったのは都心周辺地域であり,1971年の都市建築助成法に基づいた都市更新事業を活用し,衰退地域での建築物改修や環境整備が進められてきた。本研究は,都市住宅政策のうち最も広汎に実施された都市更新事業に着目し,都市再生への取り組みがもたらした主要な成果と課題を明らかにすることを目的とする。
     本研究ではニュルンベルク市住宅・都市更新局における聞き取り調査,行政資料 (Nuernberger Wohnungsbericht),統計資料に基づいて主な都市再生政策を概観するとともに,都市更新事業における住民参加の実態に基づいて都市再生への新たな形態を考察する。

    II. 1960年代後半以降の都市再生政策の変容
     ドイツにおける第2次世界大戦後の都市住宅政策は,戦災復興を目的とした社会住宅建築を皮切りに,1950年代半ば以降における都市人口の増加と人口郊外化に対応した都市計画制度の改良など,連邦・州との連携において実施されてきた。
     1960年代には主要大都市の都心周辺地域において人口高齢化や外国人比率の上昇,事業所の転出,管理の不十分な経年建築物の増加といった衰退地域が拡大し,既成市街地の再生への社会的要請が高まった。このため1960年代後半には一部の地方自治体において都市再開発事業が実施されたが,財政的・法的制度が未整備のため,継続的に大規模な対策を実施することは困難であった。1971年に都市建築助成法が制定され,州・国からの財政的援助に基づいて大規模な都市更新事業が可能となった。初期の事業では老朽建築物の滅失と近代的住宅の新築を柱とする面的な再開発事業の性格が強かったが,都市人口の増加が鈍化した1970年代後半になると,修繕・改修といった既存の住宅ストックへの対策と,中庭緑化や街路整備といった居住環境整備が中心となり,住宅地域の社会的・経済的・生態的な特徴を考慮した事業内容へと変化している。

    III. 都市更新事業による都市再生
     事例とするニュルンベルクはバイエルン州に属し,2000年において48.8万の人口を有する。外国人比率は,18.1%であり,全国平均8.9%を大きく上まわる。当市では1973年以後,1998年までに12件の都市更新事業が実施され,7事業が完了または2003年までに完了予定である。事業区域に居住する人口は3.8万であり,98年の市域人口の7.8%を占める。
     都市再生に関連する住宅所有者への助成制度は,2000年において13事業(表は省略)におよんでいる。都市更新事業と直接的に関連する制度は,5事業であり,老朽建築物の再建への補助やファサード(建築物正面)の補修に対する補助金の交付(以上『都市建築助成』)や住宅施設改修時の課税控除(『都市更新事業地域における経済的援助』),住宅施設の近代化などの改修に対する融資(『バイエルン州近代化事業』)等の手段を通じて住宅の形態的・機能的な更新を実現している。
     事業の実施にあたっては,住宅の形態的特徴および社会・経済的特性に関する予備調査が綿密になされた後,正式な事業内容が策定される。近隣コミュニティーの維持を図るとともに,地域社会の要望を積極的に取り入れることを目的として,市当局担当者,実施区域の住民,市民団体,政党などが参加する地域集会(Stadtteilkonferenz)が開催さている。こうした計画への住民参加が積極的に目指されているものの,実際には意見聴取が形骸化しているとの指摘や,参加者の固定化や特定利害集団の役割が強いなどの問題も提起されている。

    IV. 都市再生政策の展開と課題
     中心市街地再生への切り札として導入された1970年代前半の初期の事業は住民への視点を欠いたものであり,その反省をふまえて1980年代以降の事業は住民参加型へと転換したものの,依然として多くの問題を内包している。

    ITO, T. 2004, 'Influence of housing policies on the renewal in urban residential areas in Germany', In "Changing Cities!)International Perspectives", ed. M. Pacione, 185-194. Glasgow: Universities Design and Print.
  • 鳥取市における交通バリアフリーの取り組みを中心に
    山下 博樹
    p. 80
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに 今日の地方都市、とりわけその中心市街地の衰退の要因には、これまでの都市発展の主な要件であった人口増加や地域産業の発展などの停滞や衰退に加え、モータリゼーションや計画性の低さに伴う拡散的な市街地形成によるところが大きい。本報告では、中心市街地に立地する旧来の都市施設を交通バリアフリーの施策にもとづいて有効的に利用可能な環境に整備しつつある鳥取市を例に、これまでの商業集積に依存した中心市街地のあり方を再考し、これからの中心市街地再生のために求められる機能や方向性、あるいは持続可能性の高い市街地形成について考察したい。2.交通バリアフリー法の概略 交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通を利用した移動の円滑化の促進に関する法律、平成12年11月15日施行)は、ノーマライゼーションの理念の下、すべての人々が共に社会参加できる住みよいまちをつくることを目標に、日常生活における歩行による移動上のバリア除去により、高齢者や身体に障害のある人が自立した生活が可能な環境の整備を重点的かつ一体的に推進することを目的としている。具体的には、_丸1_1日あたりの平均的な利用者数が5千人以上の駅やバスターミナルなどの公共交通施設を中心に、_丸2_広域的な利用のある公共施設や高齢者・身体障害者等の利用が日常的に多い施設を含む地域で、_丸3_公共交通施設から徒歩での移動が可能な範囲の歩行空間や公共(的)施設などのバリア除去を行うことができる。3.鳥取市の中心市街地の概況 JR鳥取駅と県庁・市役所の立地する行政地区を結ぶ若桜街道を中心に旧来型の商店街が立地しているが、中心市街地の居住人口の減少と高齢化、1990年代に急速に進展した郊外型店舗の立地などにより、約1割が空き店舗となるなど停滞傾向にある。若桜街道沿いには県民文化会館や、日赤病院などの医療施設などの公共的施設も多く立地している。また、中心商店街の反対側に位置する駅南口周辺には障害者、勤労者を対象とした福祉関連施設などが集中している。このように中心市街地には日常生活に必要十分な諸施設が徒歩圏内に立地しており、自家用車を利用しなくても生活可能な居住環境にある。4.交通バリアフリーによる中心市街地再生 高齢化が顕著な地方都市、とりわけ中心市街地では交通バリアフリーによる徒歩空間の整備により、高齢者や身体障害者だけでなく、子供など車をもたない人にとっても優しいまちに整備することが可能となる。また、駅周辺に近年立地している分譲マンションにはこうした利便性の高さを求めた高齢者世帯の入居が増えている。つまり、交通バリアフリーによる居住環境の向上にともなう中心市街地内の居住人口の再増加、さらには商業施設の再活性化が期待されるのである。こうした環境の再整備は地域の持続可能な発展の基礎として、今後重要な視点になるといえよう。 本報告は、2001年に鳥取市より受託した「鳥取市交通バリアフリー基本構想」策定に関する研究の成果をもとにしている。また、平成14_から_15年度科学研究費補助金基盤(B)(1)「21世紀の社会経済情勢下における我が国大都市圏の空間構造」(研究代表者:富田和暁)の一部を使用した。
  • 鈴木 毅彦
    p. 81
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    はじめに 日本列島の地形の中で山地は侵食域であるため,その形成過程並びに形成年代を明らかにする材料に乏しく,平野部に比べて編年学的研究が遅れている.山地の形成過程と年代,また形成時の古地理を明らかにする手がかりとして,山頂付近に広がるいわゆる小起伏面や,山地を覆う第三紀_から_第四紀前半の火山噴出物の基底地形と年代が役立つ可能性がある.とくに小起伏面については古くから研究があるが,形態の記述からのアプローチが多く,形成年代等について明らかにされた事例はほとんどない. 本報告では,火山噴出物を用いた小起伏面形成過程の復元として,東北日本弧外帯の阿武隈山地に分布する小起伏面について,その年代と形成過程に関する新たなデータと解釈について述べる.阿武隈山地の小起伏面地形 阿武隈山地は全体的に小起伏な山地であり,いわゆる隆起準平原とよばれている.このうち北西部には複数の小起伏面が発達し,Koike(1969)により6面に細区分されている.また,木村(1994)によりそれらの地形発達史が編まれている. 今回,研究対象地域とした郡山盆地東方の三春町付近において,上記の報告のように,複数の小起伏面を認めた.このうちKoike(1969)で定義された小起伏面として,上位から船引面,熊耳面,三春面,上位舞木面,下位舞木面を再確認した.熊耳面/三春面間と三春面/上位舞木面間の境界は地形面の高度差が大きいため識別が容易であるが,船引面/熊耳面間と上位舞木面/下位舞木面間の高度差は小さく識別がやや難しい.小起伏面を覆う火砕流堆積物 上記の小起伏面は,いずれも数10m前後の起伏をもつ丘陵状の地形を呈するが,尾根部に強溶結部を伴う火砕流堆積物が認められる.火砕流堆積物の下位は,多くの場合,基盤の花崗岩を不整合に覆う水成層であるが,花崗岩の緩やかな斜面であることもある.また水成層はシルト_から_砂層の場合や,亜円_から_亜角礫層の場合がある.いずれの地形面もこの様な状況であり,高位の平坦面だからといって火砕流堆積物と水成層の間に風成層があるわけではない.火砕流堆積物はいずれの小起伏面上のものも共通して,下位より火山豆石に富む部位,非溶結部,強溶結部からなり,火山ガラスに富み,斑晶鉱物として石英を含むが,有色鉱物をほとんど含まないという特徴をもつ.今回,熊耳面上の火砕流堆積物より4.82±0.12Ma,4.86±0.12MaのK-Ar年代値を得た.これまでKoike(1969),木村(1994)により本層は白河火砕流堆積物と考えられてきたが,この年代からは,本層は少なくとも吉田・高橋(1991)の白河火砕流堆積物よりも古いものと解釈できる. 考察 各小起伏面上の火砕流堆積物は同一のものと考えられ,その年代は小起伏面の形成年代を推定する手がかりとなる.但し考察するにあたり,火砕流堆積物と小起伏面の関係をどのように捉えるかが鍵となる.すなわち,1)火砕流堆積物が本地域を被覆後,それを侵食して階段状を示す小起伏面群が形成された場合,2)先に階段状小起伏面群が形成され,その上を火砕流堆積物が被覆したケースである.これまで1)を支持する火砕流堆積物侵食時の砂礫層等が見出されないことから1)の解釈を積極的に採用することはできない.このような砂礫層がすでに消失した可能性もあるが,ここでは2)のケースを考える. この場合,鮮新世前期の5Ma頃火砕流流下時にはすでに階段状小起伏面群は存在していたと考えられる.また,それらはいずれも当時,広大な氾濫原やそれが段丘化したものと考えるよりも,すでに小規模なチャネルが発達した低起伏な丘陵状の地形であったと考えられる.また,現在火砕流堆積物はほとんど侵食により失われているが,それぞれの小起伏面の背面高度は各面での火砕流堆積物の基底高度におよそ一致している.火砕流堆積物までは活発に下方への侵食が進んだが,基盤のマサ化した花崗岩まで達すると侵食は鈍ったようである.この様な形成過程からみれば,現小起伏面群は,鮮新世前期までに形成された小起伏面群の剥離化石面といえる.
  • 小岩 直人, 藤田 謙介
    p. 82
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    西津軽沿岸は海成段丘の発達が良好な地域であり,指標テフラによる段丘面の編年や,旧汀線高度を用いた地殻変動に関する研究が数多く行われてきた(たとえば宮内 1988).それらの中で,西津軽沿岸ではMIS5e面が2段存在する地域があることが指摘されている(本報告では高位からMIS 5e-1面,MIS 5e-2面とする).2段化の要因については,隆起速度が大きい本地域において,MIS 5e中の二つの高海面期に対応して形成されたものと考えられている(太田・伊倉 1999).しかし,これらのMIS 5eにおける2段の海成段丘面の発達過程について詳細な検討が行われているとは言い難い.本研究は,段丘構成層の観察,簡易測量によって作成した地形断面図をもとに,隆起速度とMIS 5eにおける海成段丘の発達過程との関連について再検討を試みたものである.西津軽沿岸は,MIS 5eの海成段丘面の汀線高度が20_から_120mと,隆起量の変化が大きい地域となっている.また,MIS 5e中に形成された段丘面が,1段と2段の地域が隣接しており,地殻変動と地形発達の関係を考察するのに都合の良い地域である.  MIS 5e-1面およびMIS 5e-2面の両者の発達が良好であるのはMIS 5eの旧汀線高度が60_から_100m前後の地域にとなっている.これよりも大きい隆起量を有している地域では,1段のみのMIS 5e面となっている.また,隆起量が小さい地域では,MIS 5e 面が2段発達しているとしても,MIS 5e-1面とMIS 5e-2面の比高は小さくなっている.段丘縦断面図からは,MIS 5e-2面がMIS 5e-1面を侵食した結果,一段のMIS 5e面を形成しているように判断される.また,隆起量の小さい地域である,鰺ヶ沢の屏風山砂丘地帯南部(1段のMIS 5e面)では,MIS 5e面構成層中には複数回の海進が記録されていると推定される. 海成段丘は,その地域固有の地殻変動と汎世界的な氷河性海面変動の重合現象により形成される地形(八木 1988)であることをふまえれば,MIS 5eの海成段丘面が2段存在するためには,適度な隆起量が必要であると思われる.すなわち,隆起速度が大きな地域では,見かけ上の海面安定期が短いため,広い段丘面が形成されない.反対に隆起速度が小さいところでは見かけ上の安定期は長くても,それを2段の段丘面とするための隆起量が不足する.あるいは2段の段丘面が形成されてもMIS 5e-1面とMIS 5e-2面間の比高が小さいことから,後者が前者を侵食して1段の段丘面となっていると推定される.海面変動は汎世界的に生じている現象であり,MIS 5e に2度の高海面期が存在していたにもかかわらず,日本各地の下末吉面は多段化することなく,一段の広い段丘面として存在していることが多い.これは,下末吉面が従来考えられてきたよりも複雑な形成過程を考えなければならないことを示唆する.本調査地域における屏風山砂丘地帯南部のMIS 5e面構成層中に認められた複数回の海進期は,複数回の海面変動があったにもかかわらず一段の段丘面として存在する下末吉面の形成過程を示すものとして興味深い.
  • 「苫小牧ゼロエミッション・ネットワーク」の事例
    山本 健兒
    p. 83
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    本報告は,苫小牧ゼロエミッション・ネットワークという循環型地域社会の形成に寄与しようとする企業間連携を紹介し,その意義を考察することを目的とする.そのためのデータは,各企業の担当者からのヒヤリングとその際の説明資料である.このネットワークはトヨタ自動車北海道(株)の提唱によって,2001年9月に結成された.会員として参加している企業は同社のほかに,いすゞエンジン製造北海道(株),出光興産(株)北海道製油所,清水鋼鐵(株)苫小牧製鋼所(電気炉による製鋼),(株)ダイナックス(自動車部品製造),苫小牧ケミカル(株)(廃棄物処理業),日本軽金属(株)苫小牧製造所,日本製紙(株)勇払工場,合計8社(事業所)であり,そのほかにアドバイザーとして(財)道央産業技術振興機構が関わっている.ネットワークは廃棄物ゼロ化のための取り組みに焦点を絞っている.具体的には,参加各企業が抱えている廃棄物処理の問題とこれへの対処の仕方を各社の現場で報告しあうというもので,初年度と第2年度は月1回,第3期は2ヶ月に1回,第4期の2004年度は3ヶ月に1回の頻度で研究会が開かれてきた.出席者は各社とも課長クラスなどを加えた廃棄物処理担当者2_から_4名であり,各年度末には参加各企業(事業所)の社長・所長からなる代表者会議が開かれ,ここで当該年度の活動が総括されている.そのほかに,廃棄物処理で先進的試みを行っている企業を視察している.ネットワークに参加している諸企業のなかには,鉄やアルミニウムなどの端材や切子を排出する企業がある一方で,それらを原料として製造活動する企業や廃棄物処理を通じて資源を回収する側に立つ企業もある.しかし,そのような投入産出関係にある企業のみというわけではない.循環型地域社会の形成のための活動として,各社の相互学習と独自の工夫によるゼロエミッション化に向けた努力そのものが重要な意味を持ちうる.それは例えば金属加工に伴う汚泥や研磨カスの処理などに見て取ることができる.また,黒鉛カスの再資源化などで,ネットワークに参加する企業の間に新たな投入産出関係が生まれた事例もある.さらに,個別企業単独では廃蛍光灯や廃乾電池などの処理が難しかったが,連携することによってゼロエミッションにつなげた事例もある.しかしそれだけでなく,ネットワークの取り組みをネットワーク外部に対して情報発信することにより,循環型地域社会形成の機運が醸成されうるという意味がある.情報発信は,北海道新聞や苫小牧民報などの地元新聞による報道と,ロータリークラブなどでの講演や学会などでの報告という手段がとられている.ネットワーク活動は概ね成功し,ゼロエミッション化が各社とも進展している.ただし,ゼロエミッションとは廃棄物がゼロになることではなく,埋立廃棄物のゼロ化のことであり,言葉の本来の意味での循環型地域社会の形成に寄与するとしても,直結するとは限らない.循環型地域社会という概念が本来意味する内容のうちどれに,上記の企業間連携が寄与するのか,再検討を必要とする.また,ネットワークへの参加が開かれているわけではないことにも注意せざるを得ない.とはいえ企業にとっては,埋立廃棄物ゼロ化の推進により,コスト削減を実現できるという意味は大きい.コスト削減という個別利害の追求が社会全体の利益につながりうるのである.苫小牧ゼロエミッション・ネットワークと参加企業の行動は,ホーケンほか(2001)『自然資本の経済』(佐和隆光監訳)日本経済新聞社の言うナチュラル・キャピタリズムの好例である.
  • 南パンタナール・ニコランディアにおけるエコツーリズムの発展
    仁平 尊明, コジマ アナ
    p. 84
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     南パンタナールのほぼ央部に位置するニコランディアは,豊かな自然があることで知られる.ニコランディアでは,広い土地を所有するファゼンダによって,粗放的な牧畜が100年以上つづけられてきた.しかし,近年では,パンタナールにおけるエコツーリズムのブームにより,ファゼンダの経営が急速に変化している.本研究は,ニコランディアのエコツーリズムに関するファゼンダの経営を分析することから,南パンタナールにおけるエコツーリズム発展の課題を考察する.

     エコロッジを経営するファゼンダ

     バイア・ボニータ(Fig.1: B)
    所有地は1750haであり,ニコランディアでは小規模なファゼンダである.エコロッジの部屋は9つであり,2004年7・8月(最盛期)の観光客数は62人であった.観光客の約6割は外国人である.地主夫婦が生活する家は,ファゼンダから190km離れたコルンバ市にある.
     地主である女性主人は,この規模ではファゼンダの経営が難しいことから,ニコランディアでは最も早い1990年にエコロッジの経営をはじめた.エコロッジを経営するようになると,連邦大学での教職を退職した.彼女は親から受け継いだ土地を守りたいと言い,夫はファゼンダを売却したいと言う.

     カンポ・ネータ(Fig.1: D)
    所有地は1.45万haであり,エコロッジの部屋は5つである.2004年1_から_8月の観光客数は60人であった.観光客の多くは,ブラジル人,アメリカ人,フランス人,オーストラリア人である.地主夫婦が生活する家は,州都のカンポ・グランデ市にある.
     このファゼンダの婿養子である主人は,現在が土地の売り時であると判断して,2004年に7000haの土地を売却した.この資金により,カンポ・グランデ市の南方210kmにあるドラードス市に賃貸アパート(40室)を建設した.

     バイア・ダス・ペドラス(Fig.1: G)
    所有地は1.55万haであり,エコロッジの部屋は5つである.このファゼンダは,母屋の改装を契機に,2003年から知人と観光客を受け入れるようになった.ニコランディアの草分けの一つであり,敷地内で小学校を運営するなど,地元の盟主である.

     クアトロ・カントス(Fig.1: E)
    所有地は4000haであり,エコロッジの部屋は4つである.ファゼンダ・アリアンサが遺産相続で分割され,その遺族が2002年よりエコロッジの経営を始めた.個人客が多いため,経営は不安定である.

     エコロッジを経営しないファゼンダ

     サンタ・クララ(Fig.1: F)
    所有地は7200haであり,1900頭の牛を飼育する.作家のアビーリオ・バホース氏が所有する3つのファゼンダの一つである.彼の息子夫婦は,いずれかのファゼンダでエコロッジを経営したいという意向をもっており,サンタ・クララはその有力な候補地である.

     ベレニーセ(Fig.1: C)
    所有地は800haであり,放牧は行っていない.2001年に売りに出され,2002年よりマトグロッソドスル州のドン・ボスコ大学が借り上げた.生物学の研究や学生の野外実習に使用されたが,2005年には元の地主に返却されている.

     ベーラ・ビスタ
    タクアリ川の北部に位置するため,地域区分上はパイアグアスに属する(Fig.1: A-1).しかし,ニコランディアの環境活動・政策の影響を大きく受けている.タクアリ川のボッカ(自然発生の流水口)の人為的コントロールを禁じた環境NGOの活動や州の環境政策により,このファゼンダの敷地の大部分が水没した.そのため,新たに放牧地(Fig.1: A-2)を購入した.

     エコツーリズムの発展と地域の自然環境

     地域住民の知識の流出
    エコツーリズムのブームにより,土地を売却・購入したり,エコツアーを始めたりする人が増加している.経済的な環境の変化により,都市へ移住する住民が増加して,彼らが受け継いできた昔からの知識が利用されなくなることが危惧される.

     環境保護活動・政策のリバウンド
    パンタナールのエコリーリズムが注目されるようになると,マスコミの報道や研究論文などで,その環境問題が頻繁に取り上げられるようになった.その後,地域外からやってきたNGOによる監視や,環境政策が厳しく実施されるようになった.このことは,住民ばかりでなく,野生の動植物に対しても急激な生活環境の変化をもたらしている.

    [本研究は,平成16・17・18年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールにおける熱帯湿原の包括的環境保全戦略」(基盤研究B(2) 課題番号16401023 代表: 丸山浩明)の補助を受けた.]
  • 星田 侑久
    p. 85
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.研究のねらい
     本発表では、階層分析法Analytic Hierarchy Process (以下AHP)を用いて、近畿地方の既存の産業廃棄物最終処分場の立地評価を行った分析とその結果を報告する。AHPを用いた従来の立地評価分析では、問題にかかわる各集団がさまざまな評価要因や評価基準に対して行う重み付けのパターンを研究者があらかじめ想定し、それに基づいて立地評価を行うというシナリオ分析の形がとられてきた。しかし、こうしたアプローチでは、重み付けのパターンの特定が恣意的に行われるという問題が付きまとう。
     そこで、本発表では、この問題を回避する方法として、(A)AHPを帰納的に用いて既存の処分場を立地評価する手順、ならびに(B)この(A)の手順で算出された重み付けによる最適立地評価のシミュレーション分析を提示する。(A)は、帰納的アプローチであり、論理的に矛盾せず、かつ、できるだけ多様な組み合わせの重み付けのパターンを想定して既存の最終処分場の立地環境評価を行い、評価点を算出し、平均評価点のもっともよかった重み付けのパターンともっとも悪かった重み付けのパターンとを得るというものである。これに対して、(B)は演繹的アプローチであり、帰納的アプローチで得られた重み付けのパターンを用いて、最適立地場所を求めるシミュレーション分析を行うものである。
    2.分析の手順と事例
    (A)恣意性を含まない重み付けのパターンの算出
     近畿地方に所在する既存の最終処分場59施設を対象に、7つの評価基準(既存施設との距離、水源からの距離、公共施設からの距離、半径500m圏人口、水域からの距離、道路からの距離、半径20km圏人口)、それぞれについての代替案(ここでは既存施設が所在する59の250mメッシュ)の実測値を求める。これらの実測値について、想定する評価基準の重み付けのパターンごとに評価し、各代替案の評価点を算出する。本研究では、20,000通りの重み付けのパターンを想定した。59の代替案の平均評価点Aが最大値をとる重み付けのパターンを「既存施設の立地をもっとも適切と評価する重み付けのパターン」とし、Aが最小値をとる重み付けのパターンを「既存施設の立地をもっとも適切でないと評価する重み付けのパターン」とした。
    (B)恣意性を含まない重み付けのパターンによるシミュレーション
     (A)で得た2パターンの中間的なパターンを加えて、3つのパターンを用いたシミュレーションを行い、奈良県内の最終処分場の建設可能地における最適立地場所を探索した。ここでの代替案とは、奈良県の建設可能地に相当する22,341の250mメッシュである。評価基準と実測値は、(A)で用いたものと同じである。
    3.分析結果とその意義
    (A)評価基準の重み付けのパターン
     既存の最終処分場の立地場所を評価した場合、平均的にみて最良の判定が得られたのは、「半径20km圏人口や道路からの距離といった最終処分場の経営効率を重視する」重み付けのパターンであり、逆に、平均的に最低の評価となったのは、「水域からの距離や水源からの距離が十分にあるという環境面の安全性を重視する」重み付けのパターンであった。
    (B)最適立地場所
     奈良県における最終処分場の立地適性のシミュレーションの結果、異なった3種類の重み付けのパターンを用いて立地環境評価を行っても、共通して高く評価される地域が存在することが分かった。このことは、最終処分場の建設場所の選定をめぐって異なる立場に立つ集団間でも、相互に共通解となりうる場所を探す手法としてAHPが利用できる可能性を示唆している。
  • 山下 宗利
    p. 86
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     多くの地方都市では伝統的な中心商店街に空き店舗や駐車場が目立ち、衰退が著しい。その一方で、郊外幹線道路沿いにはロードサイド型の店舗や飲食店が立ち並び、大規模な駐車場を備えた大手資本のショッピングセンターが出現している。中心商店街をとり巻くように発達してきた地方都市の中心市街地では、郊外への移住にともなう居住者の減少や業務・公共施設等の流出、モータリゼーションの進展にともなう生活行動パターンの変化、また大型店の閉鎖や店舗の後継問題などが起因となり、空洞化が共通してみられる。これは特に地方小都市において顕著である。 1998年に施行された「中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律」(略称:中心市街地活性化法)は、衰退化しつつある市街地を整備改善し、かつ商業の活性化を図る市町村を支援するために制定され、全国の自治体で導入が図られた。その数は2004年末時点で630市区町村(652地区)にのぼる。その多くは地元商工会議所内にTMOが組織され、主として衰退した中心商店街を救済するための事業が実施されてきた。しかし道路拡幅・新設や再開発ビルの建設といったハード面からの取り組みが事業の中心で、残念ながら成功例はわずかとされる。 一方で、わが国の大都市を中心に1990年代後半以降、人口の都心回帰が顕在化している。単独世帯と夫婦のみの世帯が都心回帰の担い手である。シニア世代が子育て後のライフステージを都心部の高額マンションに求める傾向も現れている。都心部では少子高齢化が一層進展しつつある。 本研究では、佐賀市を事例に中心市街地の動向と2004年に新たに作成された中心市街地活性化基本計画の内容を基に、今後の中心市街地の姿について検討したい。 佐賀市の中心商店街は旧長崎街道沿いに形成され、戦災を免れたため旧来の伝統的な商店街が維持されてきた。しかし他の地方都市と同様に、空き店舗や空き地が増加し、大型店の撤退と郊外大型店の相次ぐ立地によって中心商店街の衰退が深刻化している。佐賀市は1998年10月に全国で5番目という早期に中心市街地活性化基本計画を提出し、旧長崎街道を分断して市街地再開発事業を実施した。TMO組織「(株)まちづくり佐賀」が主体となり、再開発ビル「エスプラッツ」の運営をおこなったが、当初の計画の不備等により2001年には破産に追い込まれた。その後エスプラッツは商業床を閉鎖し、競売に数回かけられたが不調に終わり、2004年9月に佐賀市土地開発公社による取得がなされ、現在はその売却先を募集している状況である。 このような中心商店街の衰退とともに、中心市街地とその周辺では空屋や駐車場といった未利用地を活用した高層マンションが相次いで建設されている。その影響により中心市街地の人口は2001年頃に下げ止まり、近年ではわずかながら増加傾向が認められる。 新しい佐賀市中心市街地活性化基本計画の目的は、高密度の複合的な中心市街地へと改変し、人が歩く空間を創造すること、である。そのために、まちなか居住の増大を図り、現状の空き店舗を活用して中心商店街の再生し、病院や公的な施設、および事業所の誘致等を通して来街者の増大を図ろうとしている。すなわち旧中心市街地活性化基本計画は、疲弊した中心商店街を救済するための計画で、中心市街地=中心商店街としてとしての性格が強く現れていた。それに対して新基本計画は、商業機能のみならず居住機能や業務機能を併せ持った市街地本来のあるべき姿への整備計画として変更されている点が大きく異なっている。この背景には、「エスプラッツ」の頓挫以外に、少子高齢化社会の到来に備えた持続可能なコンパクトな中心市街地の形成、さらに佐賀の特殊性として、上位都市福岡との近接性が大きく影響している。 中心市街地およびその周辺地域における新規マンション建設にともなって人口流入が生じている。佐賀市が実施したこれら22棟のマンション居住者実態調査によれば、前住地は佐賀県内が79.7%を占め、中心市街地を除く佐賀市内からの移住者が全体の50.2%を占めている。また年齢構成をみると、30歳代が20.6%、40歳代が18.7%と高いが、65歳以上の高齢者は9.0%に過ぎない。これは居住地としての中心市街地の利便性が現れているといえよう。 佐賀市中心市街地では単なる中心商店街の救済にとどまらない地域全体の問題として、中心市街地の整備が始められようとしている。福岡への業務機能の流出が懸念されており、都市の要となる中心市街地の再生が不可欠である。少子高齢化社会の到来を見据えた都市住民の生活インフラの整備が必要であり、新しいライフスタイルに対応した生活空間の創造に向けた取り組みが今後の課題である。
  • 梶浦 岳
    p. 87
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに ソ連崩壊後の市場経済を導入した中央アジア5ヶ国の中で最小面積のキルギス共和国(以下キルギス)は,天然資源に乏しいためGDPは低く,農牧業の割合が高い.近年,キルギスでは,ヒツジ,ウシ,ウマなどの家畜が金銭と同様に重要な財産として位置付けられており,家畜市場での取引量が高まってきている.キルギス経済の中でも家畜の取引は日常茶飯事におこなわれており,キルギス経済の一端を担う重要な項目である. 本研究では,キルギスにおける家畜市場の実態を把握するため,いくつかの家畜市場を取りあげ,それぞれの特徴を比較検討することによって,この国における家畜市場の役割を考察した.現地調査は2004年7_から_8月に通訳を伴い,ビシュケク,カント,トクモク,キズルスゥ,カラコルの5つの家畜市場で実施した.2.家畜市場の分布とトクモク家畜市場の成立 今回確認できた家畜市場は6つ,このうちナリン州のアトバシ家畜市場以外の5つで調査をおこなった.この5つの家畜市場は,チュイ州の3つ(ビシュケク,カント,トクモク),イシク・クル州の2つ(カラコル,キズルスゥ)である. 聞き取り調査の中で,最もキルギス人に認知されているのがトクモク家畜市場である.この市場は,首都ビシュケクより東へ約60 km のトクモク市にあり,1995年にカザフスタン共和国(以下カザフ)からの出資により設立された.トクモク市はカザフとの国境に面しており,市場は国境ゲートまで100 mほどの幹線道路沿いに立地している.キルギスはカザフよりも経済的に劣勢であり,裕福なカザフ人は週末になると国境を越えて家畜の買い付けにやってくる.この経済的格差により,この市場には国境を越えて多くの買い手が集まるため,キルギス全土からも多くの売り手が集まってくる.3.家畜市場の売買方法 家畜市場は毎週土日に開催される.これらの家畜市場は周囲を塀で囲まれ,不正な取引を防止している.乗用車やトラックで家畜を運んできた家畜の売り手は,まず入口の門で家畜の種類・数によって,所定の金額を払い,その証明書を貰う.そして囲いの中で,自由な場所に家畜と共に立つ.買い手は家畜の傍に立つ売り手に値段を尋ね,価格交渉が成立すると家畜をその場で連れて帰る.ほとんどが仲買人を通さず,個人売買が主流となっている.4.考察 家畜市場は,立地要因から次の2つに分けることができる.1)幹線道路沿いといった交通の利便性のある市場,2)中心都市があり,その郊外に広大な土地をもつ市場である.前者の幹線道路沿いにある家畜市場には,カント,トクモク,キズルスゥといった家畜市場が挙げられる.後者の家畜市場では,ビシュケク,カラコルという需要をもつ核となる町が存在する. 市場経済導入後,家畜の売買は国境を越えて自由におこなわれているため,家畜市場では相互利益の出るシステムを構築している.特にトクモク家畜市場には100 km以上の遠距離から多様な手段で牧畜民が家畜を運んでくる.カザフの出資元により,家畜市場は幹線道路沿い,国境沿いに立地され,輸送費が遠距離からでもより安価になるような家畜流通体系が構築されている.さらに,家畜市場を通じて,様々な地域から人々が集まり,人の流れが変化しているといえる.キルギスとカザフは家畜市場によって密接に繋がっており,キルギスの家畜市場は,カザフという巨大需要によって支えられている.
  • 轟 博志
    p. 88
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     近世・近代歴史地理学の研究において、分析の資料として地籍図が多用されるようになった。近年では日本国内の研究のみならず、日本の手によって地籍図が作成された外地に関わる研究でも、地籍資料が用いられ始めた。これは日本統治初期に、全土において土地調査事業が行われた朝鮮半島においても同様である。 ただし既往の研究においては、日本統治期、即ち近代の朝鮮都市や農村の地理的状況の変化について扱ったものが大部分であった。韓国の各自治体などに残されている地籍図(閉鎖図面)と旧土地台帳を併用して、集落構造の変化や所有関係の変化を追ったもので、日韓双方の研究者により盛行している。 一方、近代以前の状況を地籍図を元に追跡しようという動きは、朝鮮を事例とする研究に関する限り、存在していない。日本本土のように、近世に地籍図やそれに準ずる地図が伝えられていないため、直接的な研究が出来ないためと思われる。しかし、朝鮮総督府(臨時土地調査部)が最初に作成した原図には、近世史料を併用することによって、李朝時代の集落景観を復原する数多くのヒントが含まれている。例えば、当時と現在使われている地番は完全に一致するため、それを手がかりに特定建物の位置を正確に比定する事も出来る。下の図は、慶尚北道の清道邑を事例に、近世史料などと対照させて地籍原図上に官衙等の配置を復原したものである。
  • 近年の都心立地型分譲マンションの住み心地を探る
    香川 貴志
    p. 89
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     演者は、昨年の日本地理学会秋季学術大会(広島大学)において、広域中心都市の大都市圏を事例地域として、バブル期前後における分譲マンションの供給地域の変化を解明した。その中でも札幌市は、都心およびその周辺地区を包含する中央区への集中度が高い都市として注目される。ちなみに札幌市中央区において供給された分譲マンションは、統計(不動産経済研究所の『全国マンション市場動向』)で確認できる1973年以降のものだけでも、物件数(同一建物でも複数回に分けて分譲されたものは分譲が行われた回数をそれぞれカウント)が920件、総戸数が約35,000戸にも及び、すでに至極一般的な住居形態になっていると判断できる。とりわけ、バブル崩壊後の地価下落に伴って中央区内で大量供給されている近年の分譲マンションは、住宅需要者に対して積極的な「都心居住の提案」を行っていると考えられる。したがって、当該マンションの入居者が自らの居住するマンションを如何に評価しているのかを知っておくことは、今後の都心居住、ひいては都市圏全体での居住を考える上で極めて重要な作業となろう。 そこで、札幌市中央区において近年供給された分譲マンションから、立地場所に特色があり、かつ一棟あたりの戸数が多い5物件をピックアップし、各物件の全戸に対してアンケート調査票を配布・留置のうえ郵送で回答を得た。対象物件の選定に際して留意した「立地場所の特色」は、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの小売商業施設への近接性、病院・医院など医療機関への近接性、CBDへの近接性など、都心立地型分譲マンションのチャームポイントとして広告媒体等で強調されがちな要素である。対象物件それぞれの間には、これら諸施設への近接性に強弱があるため、都心立地型分譲マンションにみられる微妙な「住み心地」の差異の一端に迫ることができる。アンケート配布は2004年8月下旬に行った。アンケート配布は約450通、回収は120通であったので、回収率は約27%である。 アンケートの内容や細かな結果数値については当日の口頭発表に委ねるが、札幌市ならではの特徴、他の都市にも共通するであろう特徴が見極められた。前者の好例としては、転居理由や従前住居に関して「雪下ろしなどの作業が大変なため戸建住宅から転入」という回答(自由記述)が中高年層で少なからず認められた。また、後者の好例としては、コンビニエンスストアは近辺にあっても総合スーパーが近くにない場合に「日常の買物が不便」という不満点が多くみられること、病院が近くにある場合に「通院が便利」というプラス評価がある一方で「救急車の出入りが頻繁で騒々しい」というマイナス評価が認められることなど、個別調査ならではの住環境評価を得ることに成功した。公共交通が比較的便利でありながら、通勤に自家用車を使用するケースが多いことは、東京大都市圏や京阪神大都市圏では希薄な特徴であると考えられるが、今後の地方中心都市や広域中心都市において公共交通政策を慎重に進めていく必要性が示唆されていると理解できよう。
  • 岡本 透, 吉村 和久, 山田 努, 栗崎 弘輔, 菊地 敏雄
    p. 90
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    はじめに
    鍾乳石を用いた過去の環境変化を復元する研究の利点は、U-Th法や蛍光強度を用いて形成年代を数十万年前から年単位で把握できること、得られた年代値と鍾乳石中の炭素・酸素同位体組成および微量元素の濃度の変化との対応から古環境を高精度に復元することができることである。本研究では、岩手県北東部に位置する内間木洞で採取した3本の鍾乳石を試料として、炭素・酸素同位体組成を分析し、その変動から完新世の環境変動を明らかにすることを目的とした。
    調査地域および試料
    鍾乳石は、U1は洞口から約100mの「大広間」上層支洞、U2とU3は洞口から約200mの「北洞」で採取した。洞内気温はU1を採取した大広間は約8℃、U2、3を採取した北洞は8_から_9℃である。U1とU2は円錐状の石筍で、採取時に成長中であった。U3は採取時には根元から折れていた円柱状の石筍である。石筍を成長方向に分割し、切断面を研磨した後、1mm間隔で分析試料を採取した。東北大学大学院理学研究科地圏進化学講座の同位体比質量分析計Finnigan MAT DeltaS と炭酸塩自動生成装置Finnigan MAT Kiel_III_を用いて炭素・酸素同位体比を測定した。
    結果および考察
    鍾乳石のδ18O値は方解石を析出した滴下水の同位体組成と析出時の温度に依存する。δ18O値の変動は、洞口からの空気の循環が認められる大広間で採取したU1は大きく、支洞である北洞から採取したU2とU3は小さかった。これは鍾乳石を採取した場所の気温変化の違いによるものだと考えられる。ただし、採取時に成長中だったU1とU2のδ18O値は、表面から20mm以降は同調して変化しているため、個別の変動だけではなく、滴下水のδ18O値に影響する地表の気温変化などの環境変化を示している可能性が高い。一方、鍾乳石のδ13C値は土壌有機物の組成、すなわちそこに生育していた植生のδ13C値を反映していると考えられるため、その変動はしばしば植生変遷の指標として用いられる。分析試料のδ13C値とδ18O 値との相関は低いため、δ18O値とは異なる環境因子によってδ13C値の変動が引き起こされたと考えられる。内間木洞周辺には、草原下で形成されると考えられる黒色土が河川沿いの河岸段丘や緩斜面に広く分布し、カルスト台地上にも認められる。このため、内間木洞で採取した鍾乳石のδ13Cの変動は地表における森林(C3植物)と草原(C4植物)の植生変遷を示している可能性が高い。
  • 野上 道男
    p. 91
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
  • _-_市民参加型第三セクター万葉線のLRT化を中心とする高岡のまちづくり_-_
    松原 光也
    p. 92
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究の目的と方法
     都市再生と持続的な発展を目指したコンパクトシティの概念は密度の高い、多様性や独自性のある、環境負荷の少ない、人間本位、自立的な都市を目標とするものである。そのため、欧米ではTDM施策に基づくLRTの整備により、中心市街地の活性化が図られている。一方、廃止が検討されていた万葉線は、高岡・新湊両市と市民団体との連携により存続されることとなった。地方都市の再生のために、地理学的な総合分析法を活用した指標の提示はまちづくりのために有効と考える。そこで、市民参加型第三セクター万葉線を中心としたまちづくりを目指す高岡を事例に、人口と従業地、駅勢圏の関係に基づく交通地域区分を指標とした都市の地域分析法を提示する。

    2.交通地域区分の目的と設定
     自治体は人口と従業者の分布や都市構造、駅勢圏を考慮した交通体系の整備が重要な課題となる。そこで、交通計画を策定する際に考慮すべき地域特性として、交通地域区分を設定する。まず住民生活の基礎単位となる町丁目別に人口密度(2000年度国勢調査)は4000人/km2、従業者密度(2001年度事業所統計、農林水産業を除く)は8000人/km2、町丁目の中心が駅から400m圏内に入っているかを基準として8つの地区に分類した。(図)これらのデータは統計GISプラザより取得し、ベースマップとして数値地図2500・25000(空間データ基盤)を使用した。

    3.高岡市における交通地域区分を指標とする分析
     高岡市は富山県西部の中心都市で、人口は約17万人(2000年国勢調査)である。新湊(越ノ潟)と高岡(高岡駅前)を結ぶ万葉線(12.8km)は、かつて大伴家持がこの地に赴任した際、多くの和歌を残したことに由来する。前田利長の城下町としても栄え、北陸線、氷見線、城端線の開通により交通の要衝としての地位を固めた。自動車交通の発達と人口の郊外化も進み、万葉線の利用客が減少して廃止が検討されるようになった。
     高岡市の中心市街地は高岡駅から市役所までの2500m圏内で、集積度は低い。駅周辺では人口密度は高いが、人口の絶対数は少なく、高齢化率も高いことから中心商店街の危機を迎えている。市役所周辺は業務地区と、その周りの住宅地区に分けられ、高岡市において最も人口、従業者、公共施設が集中している。2500m圏以遠は低密な準住宅地区の占める比率が非常に高い。また、伏木、戸出といった副次的な中心も存在する。さらに、市全体に対する職住混在地区の従業者数の比率によると、土地利用の多様性は低い。市全体に占める駅勢圏内の比率は人口、従業者、公共施設のいずれも低い水準である。つまり、自動車の依存度が高く、環境負荷の高い都市であることがわかる。

    4.万葉線とまちづくり
     万葉線にとって低密度な都市形態や構造は不利な条件であるが、高岡・新湊両市を中心とする「万葉線対策協議会」と、市民団体の「万葉線を愛する会」、「RACDA高岡」が連携し、万葉線を生かす取り組みが実施された。各地域の自治会、商工会議所などの協力を得て、2002年4月に市民参加型第三セクター万葉線が成立したのである。さらには「公共交通再生案」をもとに、各地域でのまちづくりとの連携を図る活動が展開されている。万葉線存続の経緯から、赤字を前提としても福祉のために公共交通を充実させること、歴史や文化の独自性を高めること、市民が自分達でお金と時間を出資し、意見を出すことで自治体の活動と連携をとることが重要であることがわかる。分散した都市の形態であっても、市民の活動がまとまることで都市のコンパクト性を高めているのである。
  • 北九州市小倉中心商業地を事例として
    安河内 智之
    p. 93
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    _I_.研究の視点 近年の我が国における小売業の特徴に関する地理学の研究では,大店法の運用規制緩和に伴う大型店の出店地域の広域化と売場面積の拡大が指摘されている. 本研究が対象とする北九州市では,郊外における大型店の増加に伴い,1980年以降,小倉中心商業地の商圏は縮小し続けた.その一方で,1990年代中頃以降,大規模な商業施設の開発が小倉中心商業地に集中した.また,小倉中心商業地に新たに開発された商業施設は,既存の商業施設と比べて低い年齢層の顧客に対して高い集客力を示している._II_.研究目的と研究方法 本研究では,商業開発の進展に伴う小倉中心商業地の変容過程を検討するとともに,その要因を明らかにすることを目的とした.また,小倉中心商業地を変容させた要因に関しては,1)小倉中心商業地において大規模な商業開発を成立させ た要因.2)1990年代中頃以降の商業施設が若い世代の顧客を吸引 する要因.の2点に分けて考察した. 具体的な研究方法として,変容過程の検討に関しては,北九州市が実施した商圏調査および北九州商工会議所が実施した歩行者通行量調査の結果を分析した.変容要因の考察に関しては,リバーウォーク北九州を開発した室町一丁目地区市街地再開発事業を,近年の小倉中心商業地における大規模商業開発の事例として取り上げた.この事業の経緯からは,1)成立要因を,ここに入居する商業テナントの本社所在地や顧客設定に関する分析からは,2)若者を吸引する要因を考察した._III_.商業開発に伴う中心商業地の変容ラフォーレ原宿小倉が開業した1993年以降,小倉中心市街地には若者を対象とするテナントに特化したショッピングセンターが増加した.これらのショッピングセンターは,小倉駅を起点としたペデストリアンデッキによって結び付けられたことで,集客力の面で相乗効果を生むとともに,来街者の回遊行動を大きく変化させた._IV_.大規模商業開発の事例 室町一丁目地区市街地再開発事業は,小倉中心商業地を流れる紫川の沿岸地域において,1988年以降進められてきた景観整備事業を契機として始まった.この事業は,用地の取得から施設の購入と利用に至るまで,行政や民間企業といった枠組みを越えて連携した小倉の地域経済を基盤に施工された.特に,施設の購入に際しては,リバーウォーク北九州内部の商業施設の購入と管理を主な目的とする北九州紫川開発株式会社が,小倉に拠点を置く企業と北九州市の共同出資により設立された. リバーウォーク北九州にキーテナントとして入居しているデコシティ北九州は,102の商業テナントが入居するショッピングセンターである.これらのテナントの約7割は,県外に本社を置き,全国的に店舗を展開する企業による出店である.また,全体の半数にあたる51テナントは,北九州市に初めて出店されたテナントである._V_.小倉中心商業地の変容要因 1990年代中頃以降の小倉中心商業地では,市街地全体の活性化を目的とする小倉の地域経済を基盤として,大規模な商業開発が進展した. ショッピングセンターの増加に伴う有力商業テナントの小倉中心商業地への進出は,それまで福岡へと流れていた若者を小倉中心商業地に吸引する要因となっている.また,デコシティ北九州には,郊外のショッピングセンターへの出店を志向するテナントの出店もみられた.すなわち,小倉中心商業地は郊外へと流れていた若者もつかもうとしている. デコシティ北九州にテナントを出店している企業の他の業態も含めた出店戦略から判断して,小倉中心商業地は福岡に次ぐ規模の市場として評価の向上傾向がみられる.
  • 茨城県鹿島郡旭村を事例として
    淡野 寧彦
    p. 94
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    _I_.研究の視点と目的 戦後の畜産物消費の増加とともに,日本の養豚業産地は発展を遂げてきた。しかし,近年の食品流通のグローバル化や食品の輸入自由化が進むなかで,国内の養豚業にとって海外産地との競合は避けられない状況にある。一方で,BSEや鳥インフルエンザの発生,産地表示の偽装といった畜産物の生産や流通に対する消費者の不信感から,食品の安全性を重視する消費者ニーズなども発生している。こうした問題に対し,国内の養豚農家や豚肉を取り扱う食肉業者などは,事業の合理化や再編成,あるいは新たな事業展開を行わねばならない状況にある。 本研究では,上記のような養豚業を取り巻く課題への産地の対応として,高付加価値食品による商品の差別化に視点をおき,特に近年,全国各地で着手されている銘柄豚の生産・販売に着目して検討する。事例地域として,大消費地を抱える関東地方において,著しい飼養頭数の増加が起こり,かつ,現在,銘柄豚の生産が行われている茨城県旭村を選定した。_II_.関東地方における銘柄豚生産・販売の類型 『銘柄豚肉ハンドブック 改訂版』に記載されている銘柄豚のうち,関東地方において養豚農家によって生産が行われている銘柄豚43種類を取り上げた。これらは実施主体の性格から,大きく3つに分類できる(右図)。特にこのなかで,近年の銘柄豚生産・販売の性格を有するものは,「農協主導型」と「個人主導型」のなかでも複数の出荷先を持つ「複数取引系」である。_III_.銘柄豚の生産・販売の実態と課題 _-_茨城県旭村の事例から_-_ 茨城県旭村は,全生産額に対する第1次産業の割合が約50%を占める農村地域で,メロンや甘藷栽培とともに養豚業も発展している。旭村では,今日,「農協主導型」の属する「ローズポーク」と,「個人主導型複数取引系」に属する「はじめちゃんポーク」の生産が行われている。旭村でローズポーク生産にたずさわるのは,農協に出荷する養豚農家6戸のうち3戸であり,そのなかには母豚55頭という小規模な経営の農家も含まれる。ローズポークの生産・販売には,農協によって生産方法や生産農家,流通経路,販売店が指定され,高付加価値食品を供給する独自の枠組みが構築されている。しかし,販売される地域が限られ,販売量も伸び悩んでいる。一方,「はじめちゃんポーク」の生産・販売では,母豚5000頭を飼養する極めて規模の大きい養豚農家が銘柄豚生産に着手し,出荷された肉豚は複数の食肉業者によって関東地方一円に流通している。しかし,銘柄豚生産農家は流通や販売に直接関わっていないため,銘柄豚として販売されるかどうかはそれぞれの食肉業者の対応に左右されがちである。_IV_.関東地方における養豚業存立にとっての銘柄豚の意義 関東地方における銘柄豚生産の大部分は養豚農家によって行われており,個々の養豚農家が自らの経営方針のなかで生産に着手している。このことは,これまでにも指摘されてきた,農家を中核とする養豚業が現在も存続していることを意味している。その一方,流通や販売の面では,農家や食肉業者,農協,販売店などの間での結びつきが弱いために,銘柄豚による商品の差別化が十分行われていないことが明らかとなった。
  • 高岡 貞夫
    p. 95
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1997年から1998年にかけて、エルニーニョの気象条件下でケニアでは記録的な大雨が降り、洪水や地すべり、疫病の発生などによりケニアは多大な損害を受けた。被害総額は農業分野だけでも2億ドルを超えたとされる。このように災害として語られる長雨は、ローカルに見ればその影響は様々であるはずである。本研究ではケニア山北東麓に位置するMeru Central県の一部を対象とし、長雨による影響の現れ方の不均一性を記述するとともに、そのような不均一性が生じた原因を検討することを目的とする。調査はImentiの人々がすむ、ケニア山北東麓にあるKatheri、Naari、Kiirua、Ruiri、Rwarera、Mugaeの六つの村で実施した。これらの村は最も標高の高いKatheri(1950m)から最も低いMugae(1300m)にかけて、降水量が1200mm以上から約600mmに変化する。Katheriはケニア山上部の森林帯に隣接する古くからの農村地域にあり、土地の不足のために20世紀以降、この地域から標高の低い地域へ農民が移住していった歴史がある。最も新しい村であるRwareraやMugaeはサバンナ植生帯にあり、それぞれ1967年と1980年に入植が始まった。この地域には3月下旬から5月にかけてと10月中旬から12月にかけての2回の雨季がある。主要な食用作物であるトウモロコシと豆類は全ての村で栽培され、茶やコーヒーの栽培が主にKatheriとNaariで行われている。調査地域では、1997年10月から降り始めた雨が通常年の乾季にあたる1-3月にも降り、1998年5月まで降り続いた。Meru気象観測所では、1997年10-12月の3ヵ月に1年分の降水量を上回る1602mmの降水を記録した。降水は山地上部では斜面を深く刻む谷を流れ、耕作地に洪水が氾濫することはなかったが、谷が発達しない山地下部の村(Kiirua、Ruiri、Rwarera、Mugae)の一部では、浅い谷をあふれた洪水が農作物に被害を与えた。また、例年は最も降水量の少ない最下部の村Mugaeでは、むしろトウモロコシやミレットの収穫量が増加し、長雨は農民に歓迎される面もあった。長雨による影響は作物によって異なり、トウモロコシ、豆類、ジャガイモの主たる食糧作物が被害を受けやすかったのに対して、バナナおよびサツマイモ、キャッサバ、ヤムなどの根茎作物は被害が小さかった。バナナや根茎作物は山地下部の村では、あまり作付けされていなかったため、作物ごとの影響の受け方の違いが、村による被害の受け方の違いを増幅する形となった。1999年には、Rwareraにある3戸の農家の畑に、有用樹ムリンガ(Cordia africana)の多数の幼樹が侵入・定着しているのが観察された。ムリンガは高木性の落葉広葉樹で、KatheriやNaariなど山地上部には普通に見られるが、降水の十分でないRwareraでは少ない。耕作地に堆肥や日陰をもたらし農業に有用なので、古い村から得た苗がRwareraにも植樹されてきたが乾燥のため定着しにくかった。ムリンガは1998年に洪水によって上流から種子がもたらされ、長雨によって定着できたと考えられる。長雨は日照不足や菌害によって、短期的には農業に被害を与えたが、農耕の助けとなるムリンガをもたらしたという意味では、長期的にみるとプラスのインパクトを与えたことになる。1961年の雨季(10-12月)には1997-98年のエルニーニョ時よりも多量の雨が降った。29戸の農家で、1961年の異常降雨を記憶していたが、1961年のほうが被害が大きかったと考える農家は5戸のみであった。異常降雨の影響の大きさは、必ずしも総雨量の大小によって決まるものではないようである。この原因として、1961年には収穫期の1月に異常降雨が終息していたこと、被害を受けやすいトウモロコシ、豆類、ジャガイモなど換金作物でもある作物に、当時は現在ほど偏っていなかったことなどが考えられる。
  • 鼎 信次郎
    p. 96
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    筆者を含めた幾人もの研究者が、全球や大陸規模の植生変化・陸面水文条件などが気候・水循環に与える影響を、特にGCMなどの大規模数値モデルを用いて研究してきた。それは例えば、アジアの人為による土地利用変化がモンスーンに与える影響についての数値実験研究であったり、年々の気候の変動や”地球温暖化”が作り出した植生変化の気候へのフィードバックであったりする。例えば筆者らは、インドシナ半島における土地利用改変が9月のみに顕著な降水量減少をもたらしていることを示したり(Kanae et al., 2001)、半乾燥地においては夏の降水量の変動に陸面水文量の変動が影響を与えていることを示したり(Koster et al., 2004; Kanae et al., submitted)してきた。これら以外にも世界の様々な研究者が様々な結果を国際ジャーナル等に発表してきた。それら数値モデル研究では、そういった土地利用、植生の変化や陸面水文量の変動は大規模気候・水文循環に「結構な」影響をもたらすと結論付けられている。特に植生が与える影響に関しては、昨今の森林保全議論や温暖化議論と出会ったときに、何らかの政治的意味合いを持つ可能性もある。今のところ幸いそれらの結果が一人歩きして政策論議などに使われることはほとんど無いようだが、現状では一人歩きしてもらうには不安と感じる問題点を抱えている。その問題点を端的に述べるならば、シミュレーション結果に対して検証を欠いていることである、と言える。Kanae et al. (2001)では降水量変化に関して検証らしきことをした点が、少しだけ評価されたようである。また、検証を欠いていることが不安をもたらす根源の一つは、シミュレーションの際に変化させる植生パラメータや植生モデルの構造などが、何らかのある前提や条件の元では観測され論文に記載されている事実なのであろうが、そのような大規模な変化を見たいときに必要にして十分な要素を反映しているかどうかに疑問が残ることである。例えばKanae et al.(2001)を始めとした森林伐採数値実験ではアルベド変化が「結構な」降水量変化へとつながっているが、そのアルベド変化はわりと微小なものであり、今となっては観測誤差と比べて本質的に有意かという点で疑問は残る。また、気候の変動は植生の分布や、少なくとも展葉・落葉の時期とLAIの量に影響を与えるだろうが、そのようなことを考慮した数値気候モデル実験は数少ないし、フレームワークとして考慮したとしても、より複雑になったモデルを使うわけであるから、妥当性のある検証はますます難しいであろう。しかし一方で、そのような気候と陸面のフィードバックの適切なモデル化は、地球温暖化議論のためにも、現代社会が強く求めている。植生変動にともなる土壌構成変化がモデル化されていない点も問題であるが、その検証はもっと問題であろう。現在、過去の地球規模での土地利用・植生データセット、パラメータデータセットのほとんどがアメリカ産であることも、我々にとっては一つの大きな問題ではないだろうか。さて、これらを背景とした上で、日本で研究する者の地理学的視点で考えたときに、今後の我々の目指すべき方向性はどのようなものであろうか。様々なことが考えられるだろうし、誰も考えていないことを行うことが独創につながるわけではあるが、まず第一歩として以下の点からスタートするのはどうだろうか。東アジア、東南アジアの植生(水田なども含めた)パラメータの特徴が、これまでのグローバルデータセットにはそれほどうまく反映されていない気がする。そういったものを我々の手で作り、応用研究をして広めていくことはどうだろうか。グローバルデータセットとしてグローバルに配布されるべきなのは言うまでもない。また、応用研究の際に検証的視点を持つべきことも、言うまでもない。Kanae S., T. Oki, K. Musiake: Impact of Deforestation on Regional Precipitation over the Indochina Peninsula, J. Hydrometeorology, 2, 51-70, 2001Koster, R.D., P.A. Dirmeyer, Z. Guo, G. Bonan, E. Chan, P. Cox, C.T. Gordon, S. Kanae, E. Kowalczyk, D. Lawrence, P. Liu, C.H. Lu, S. Malyshev, B. McAvaney, K. Mitchell, D. Mocko, T. Oki, K. Oleson, A. Pitman, Y.C. Sud, C.M. Taylor, D. Verseghy, R. Vasic, Y. Xue, T. Yamada: Regions of Strong Coupling Between Soil Moisture and Precipitation, Science, 305, 1138-1140, 2004Kanae, S., Y. Hirabayashi, T. Yamada and T. Oki: Influence of land surface hydrological condition on interannual variability of precipitation in boreal summer, submitted
  • 岡本 勝男
    p. 97
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに1960年4月1日に,初めてアメリカ海洋大気庁(NOAA: National Oceanic and Atmospheric Administration)気象観測衛星TIROS-1 (Television and Infrared Observation Satellite-1)が打ち上げられ,衛星リモート・センシングによる環境観測が始まった。これにより,広域の環境を同時に(広域性),同一条件で(均質性),繰り返し観測すること(反復性)が可能になった。以来,長期間にわたる観測データが蓄積されている。また,これらの衛星データやモデルを使い,温度,降水量,植生指数のようなパラメータが,地球規模で毎日得られるようになった。さらに,標高や土壌区分のような地球規模の地理情報も作成されてきた。その結果,リモート・センシング・データや地理情報を使い,長期にわたるグローバル/大陸スケールの農業(耕地分布,耕地面積,生産量)および植物生産量,環境の変動を議論することが可能になっている。2. リモート・センシングと歴史的資料の結合:農地分布変動に焦点を当てた土地利用変化土地利用変化として農地の変動に焦点を当て,衛星リモート・センシング・データと土地利用変動モデル,歴史的統計資料を利用した例として,1700_から_1992年の農地変動推定を紹介する。Ramankutty and Foley (1999, Global Biogeochem. Cycles, 13: 997-1027)は,NOAA AVHRR (Advanced Very High Resolution Radiometer)データを用いて作成された1 km土地利用・土地被覆図(Belward et al. 1999, Photogrammetric Engineering & Remote Sensing, 65: 1013-1020)から,統計値に合うように,耕地面積を変化させていくモデルAS(t,k)を構築した。AS(t,k)は,政治単位kのt年の耕地面積推定値で,次式で定義される: (1)ここで,AI(t,k)は政治単位kのt年の耕地面積統計値,t1の初期値は1992,t2の初期値は1991,0<α(k)≤1である。彼らは,推定した耕地面積の変化率を用いて,グリッド・セルごとの面積を,1992年から1700年まで推定していった。逆に,将来予測はどうするか。リモート・センシング・データは過去の記録なので,そのままでは将来予測に使えない。例えば,α(k)と耕地面積変化率を1つ前の推定区間の値と同じとしたり,最近のトレンドをそのまま使ったりという仮定を置けば,式(1)を未来方向に解いていくことが可能であろう。ただ,その場合,都市近郊や山間地のような地域特性を考慮したり,攪乱点を経済や政策の予測に関連させて発生させたりする必要があろう。3. リモート・センシングとGIS (Geographic Information System),モデルの結合:人間活動が環境に及ぼす影響人間活動が植生や環境に影響を及ぼす例として,窒素循環の解析への応用を紹介する。窒素は,タンパク質の構成元素で生命にとって不可欠であるが,人間や集約的農畜産からの排水による窒素負荷量の増加は,沿岸部での富栄養化を招いている。Shindo et al. (2003, Ecological Modelling, 169:197-212)は,食料生産・供給システムにおける窒素の流れと環境負荷を記述するモデルを構築した。そして,これを用いて,東_から_東南アジアの窒素負荷量と水中窒素濃度を0.5°グリッド解像度で推定した。モデルの構築には,地球化学的知見と社会経済的知見が用いられ,現地の水試料分析値に基づいてチューニングされた。このモデル・シミュレーションにより,非農業セクタからの窒素負荷よりも農業セクタからの窒素負荷量が大きく,今後も増加が見込まれること,同じ負荷量でも気温が低く降水量が少ない地域の水中窒素濃度が高くなることが予測された。モデルには,統計資料に基づくパラメータとリモート・センシングによる土地利用・土地被覆図,主題図化された人口分布図とNOx発生量図,各種気候値が,初期値として与えられた。これらは,リモート・センシング・データを利用して定期的に更新され,高精度化することが期待される。4. 今後の展望地球変動の仕組みや影響の解明は,自然科学分野で多くの研究が行われ,全体像が明らかになりつつある。二酸化炭素濃度の上昇や,森林伐採,土地劣化,人口の都市集中のような最近300年に顕著になった環境問題は,人間の経済活動と密接に関っている。中国の黄河断流に対する灌漑水取水制限や,土地劣化に対する退耕還林還草政策を見ると,環境問題は政治問題ともいえる。したがって,環境問題は,自然科学から社会科学までを包含しており,これらの境界分野をシステム論的にとらえることが,今後ますます重要になっていくであろう。
  • 2004年 新潟県中越地震の場合
    高橋 学
    p. 98
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    視点 2004年中越地震を事例に、震災発生のメカニズムを検討するのが、本報告の目的である。中越地震は1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同じ直下型地震であった。しかし、そこ中越地震の震災は共通点を持ちながらも、いくつかの点で、阪神・淡路大震災と異なっていた。それについて検討をしたい。研究方法 1)気象庁・日本気象協会の震度1以上地震について、発生パターンを検討。 2)地震直後、ヘリコプターによって被災地の概要を把握。 3)現地踏査。 4)震災発生メカニズムの検討。結果 1)10月23日に発生した中越地震の本震以前に、中越地方では、9月7日19時43分に震源の深さ1km、M2.4をはじめ多くの前震と考えられる地震が発生していた。M4.0以上の地震については、しばしば同様の前震がみとめられ、今後、地震予測に利用できる可能性がある。 2)北米プレート周辺で発生する地震の場合、一定の地震発生がみとめられる。そのひとつとして、根室沖・釧路沖_-_十勝沖_-_岩手沖_-_宮城沖_-_福島沖_-_茨城沖_-_房総沖と地震が発生する。そして、もうひとつは、宮城沖までは同様であるが、そこから中越_-_秋田沖_-_北海道西方(もしくは西方沖)と展開する。 3)中越地震では、平野域において、比較的被災の程度が軽かった。これは、人口密度が低いために、集落の大半は自然堤防や段丘面に立地しており、旧河道や後背湿地に立地するものが少なかったことに起因すると考えられる。平野域の被害は、老朽化した住宅や悪い土地条件の場所に限定的であった。また、この地域は豪雪地帯であり、それに対応した家屋の構造となっていたことも、災害を小さくした原因であったと考えられる。 4)丘陵域では地すべりや斜面崩壊にともなう被害が顕著であった。丘陵域は、鮮新_-_更新統の砂岩や泥岩からなる魚沼層群から構成されている。このため、丘陵域は、典型的な地すべり地域となっており、棚田地域を形成していた。棚田の開発は、地すべり地域の特性をうまく利用したものであり、この段階では、人間は自然環境にうまく適応して生活を行なっていたということができる。 5)この状況を変更するのに大きなインパクトを持ったのが、1985年に開通した関越自動車道であった。たしかに、それ以前においても、水田漁業として鯉の養殖は行なわれていたけれども、その規模は大きなものとはいえなかった。ところが、関越自動車道路の開通によって、東京へ、関東へ、そして海外へと市場が広がることによって、棚田は爆発的に養鯉池へと姿を変えていったのである。養鯉池の掘削により、地下水環境は変化し、地すべりがより発生しやすい環境となったと考えられるのである。その背景には、バブル経済期に、より収入が多い生業を選択するという住民の考えが反映していた。 6)2004年秋に中越地方地方を襲った集中豪雨や台風23号の影響により、丘陵地域は、充分すぎるほど地下水により満たされており、仮に、中越地震が発生しなかったとしても、ある程度の地すべり被害は発生したであろうと考えられる。 7)魚沼丘陵域の地すべり地帯において、地域の復興策として養鯉業が復活するようなことになった場合、再び、大雨や地震をきっかけに地すべり被害が再発すると考えられ、注意が必要である。 8)阪神・淡路大震災の場合には、経済の高度成長期に都市に集中した過剰な人口を収容するために、土地の履歴を無視した一戸立て住宅の建設が、被害を深刻にした。それに対して、中越地震被害の場合は、バブル経済期を中心にして、土地の履歴を無視した養鯉池の掘削が、被害を大きくしたといえよう。
  • 大和田 道雄
    p. 99
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_ 名古屋市の概況 名古屋市は,人口約220万人の中部地方最大の人口規模を持ち,2005年の愛知地球博覧会の開催や中部国際空港の開港等,今後は周辺市町村も加えた発展中の都市である。伊勢湾に面する名古屋市は,夏季の北太平洋高気圧に覆われた気圧配置型において,伊勢湾からの南よりの海風の進入が著しく,また,南高北低時には南西の風が鈴鹿山脈を越えるフェーン現象によって異常高温が現れる地域である(図1)。_II_ これまでの研究 Climate shift 以前の名古屋市のヒートアイランド強度は,夏季の日中において2℃前後であるが,約10年後の1988年の調査では4℃にまで強まった(大和田,1994)。さらに,最近の調査(2004年)では4.5℃を観測した。特に,名古屋地方気象台で過去2番目の39.8℃を記録した1994年8月5日の観測では,ヒートアイランド強度が5℃を上回り,ヒートアイランド強度をさらに強める結果となった。しかし,高温域はその時の風系に敏感に反応しており,海風の進入する河川沿いの地域での気温は低く現れる。これは,高湿な海風や河川の蒸発散量が多いため,気化熱による影響が大きいと思われる。_III_ 結 果これまでの 名古屋市における飛行機観測結果から,夏季のヒートアイランド上限高度は,約1,000m付近であり(図2),北太平洋高気圧に覆われた風速1.0m/s前後では都心部を中心に同心円状の高温域がみられるが,海風(SSW)も風速が2.0_から_3.0m/sでは高温域が風下側に移動する。さらに,風速が3.0m/sを上回った場合には高温域が分断されることになる(図3)。
  • 第4回京阪神都市圏パーソントリップ調査による分析
    花岡 和聖, 矢野 桂司, 中谷 友樹, 村尾 俊道
    p. 100
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1 はじめに
     パーソントリップ調査(PT調査)は、昭和43年以降、人口50万人以上の都市圏では、ほぼ10年毎に実施されている。高度経済成長期以降のモータリゼーションの進展、住宅の郊外化、産業のサービス化などに伴う都市構造の変化、高齢化、女性の社会進出、核家族化などによる世帯の多様化は、それらと密接に関わる人々の交通行動に変化をもたらした。PT調査は、そのような人の動きを捉えることができる資料として交通需要マネジメントをはじめとする都市計画策定に活用されている。
     しかし、PT調査による精緻な分析を行うには2つの問題がある。第1に、個人属性間や地域間にみられる回収率の偏りの問題が挙げられる。PT調査は調査対象区域に居住する世帯から個人を抽出する標本調査であるため回収率の偏りが見られ、それらを前もって補正する必要性がある。第2に、PT調査で集計に用いられる空間単位が市区町村単位またはそれらを区分したPTゾーンであり、駅周辺地域や郊外住宅地域を区別するような細かい空間単位でのトリップを把握できない。
     前者の問題に関して、現行のPT調査では回収率の偏りは層別拡大による補正がなされている。一方、後者のPTゾーンより細かい空間単位でのトリップの把握について、これまで有効な手法が示されていない。それに対して、近年、空間的マイクロシミュレーション(空間的MS)による空間単位の細分化方法が提案されている。そこで本研究では、京都府を例に、空間的MSを用いて、PT調査の回収率の補正と同時に、空間単位を小地域(町丁目)に細分化し、より詳細な空間単位でトリップを推計する。

    2 研究方法
     本研究では用いる空間的MSと呼ばれる手法は、(1)詳細な空間情報を有したミクロデータを作成、(2)それに基づきシミュレーションを実行、(3)結果を再集計することで政策評価を行う一連の分析から成る枠組みである。_丸1_に関して複数の手法が提案されており、本研究では組合せ最適化アルゴリズムの1つである焼きなまし法を採用する。焼きなまし法の具体的な手順は、PT調査から人口規模に応じてサンプルを抽出し、制約表との適合度を示す誤差を比較しながら、サンプルを繰り返し抽出し置換する。その結果、徐々に誤差が減少し、最適解に近似する。本研究では、平成12年度国勢調査小地域集計の性別年齢階級(5歳階級)別人口の統計表を制約表として、第4回京阪神都市圏パーソントリップ調査のPTゾーン別サンプルを入力データとして使用した焼きなまし法を小地域毎に適用し、各小地域別のPT調査サンプルを推計する。

    3 推計精度
     推計精度を検証するために、まず推計結果と制約表との誤差を地図化する。京都市を中心とする都心部の大半の町丁目では誤差がゼロを示し、推計が適切になされている。しかし、京都府北西部と南部で高い誤差を示す町丁目が見られた。この原因を分析するために、1人当たりの誤差と1人当たりのサンプル数をグラフ化すると、負の相関が認められる。これは誤差を小さくするためには、人口規模に応じて、ある程度のサンプル数が必要であることを示唆している。
     次に、京都府全域の自動車免許保有率と代表交通手段について、推計結果をPT調査の層別拡大による補正値と京都市統計書の実測値と比較する。推計された値と両データとの整合性は高いことから、焼きなまし法による推計精度は高いと思われる。
     最後に、焼きなまし法と層別拡大による補正方法を比較すると、焼きなまし法は、(1)同等の回収率の補正精度を達成し、(2)小地域別トリップを推計でき、(3)新たな制約表を容易に取り込むことができる点で優れている。

    4 地域内部におけるトリップの空間的差異
     空間的MSによる推計結果から、高齢者・女性自動車免許保有率、京都市区部PTゾーンへの移動平均時間、自地域内での完結トリップの比率を町丁目別に求めた。その結果、従来のPT調査では明らかにできなかった小地域単位でのトリップの空間的差異を把握することができた。具体的には、駅周辺地区や人口密度の高い地域のトリップを把握できた。だだし、現状ではトリップの出発地・目的地などについて空間単位の細分化は行っておらず、その点は今後の研究課題である。

    5 おわりに
     本研究では空間的MSを用いて小地域別のパーソントリップの推計を試みた。焼きなまし法を用いた推計では、様々なデータと比較した結果、高い推計精度が得られた。また、小地域別にトリップを地図化することで、PT調査では得られない小地域単位でのトリップの空間的差異を把握することができた。空間的MSによって推計されたこれらの結果は、都市計画策定に際しての基礎資料として活用できると思われる。
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