日本地理学会発表要旨集
2005年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の276件中151~200を表示しています
  • 田林 明, 仁平 尊明
    p. 151
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1. はしがき
     地域的に多様に展開する農業現象を一定の基準で整理し、農業に関係する諸事象の類型化や農業類型の分布状態を空間的に投影した農業地域区分は、系統的に農業現象を把握するうえで有効な方法である。この報告では北陸地方の農業の地域的多様性を整理・理解するために、農業地域区分を試みる。
     1960年代までの農業地域区分では、土地利用や農作物、主要経営部門、農業生 産性、農家の就業構造といった農業を性格づける少数の主要な指標に着目することが多かったが、1970年代以降コンピュータの普及によって多くの指標を組み合わせて使用されることが可能になった。さらに近年では電子媒体でのデータの供給が普及し、全国や地方スケールの研究では1980年代まで市町村単位での分析が限界であったものが、旧市町村あるいは農業集落単位での分析も可能となった。北陸地方の市町村の多くは、海岸部から山地までの多様な広い範囲を含み、一つの分析単位とするには不適当なものが多い。そこで、この報告では旧市町村を単位地区とし、複数の指標の多変量解析を用いて、北陸地方の農業地域区分を検討することにする。

    2. 北陸地方における農業の地域差
     これまでの研究によって捉えられてきた北陸地方における農業の基本的な地域差としては、まず、富山県と新潟県の境付近で東西に分けることができることである。また、北陸地方では海岸から平野と丘陵、山地という順に配置されているが、これに対応した農業の地域差が指摘されている。また、平野の中央に位置する中心都市からの距離によって地域差があり、さらに若狭地方や能登地方、佐渡地方は、他とは異なった性格を示すことが多い。これらを、客観的なデータの分析によって再検討することも、この報告の課題である。

    3. 多変量解析による北陸地方の旧市町村の類型化
     まず、北陸四県の1096の旧市町村を単位として、農家、農業労働力、経営規模、土地利用、稲作請負、機械・施設、集落基盤に関する40の変数を選定し、因子分析を行った。その結果、固有値1.0以上の8つの因子を得ることができた。これらの因子の累積変動説明量は64.7%であった。第1因子は農業への志向の強弱を示すものと解釈でき、新潟平野と金沢市の一部や能登半島先端部、佐渡南部で農業志向が強いが、富山平野では特に弱い。第2因子は経営規模を示し、新潟平野が圧倒的に大きく、富山平野や石川平野の一部がこれに次ぐ。丘陵部や山間部、半島部で小さい。第3因子は稲単一経営を示し、柏崎平野や富山平野南部でその傾向が強く山間部では低い。第4因子は専業と兼業を分けるもので、山間部や島嶼部、半島部で専業的で、富山県より西の平野部で兼業的である。第5因子は稲作請負を示し、新潟平野の周辺と富山県と石川県の平野で特に高く、山間部で低い。農業集落のコミュニティの強弱をあらわす第6因子は、平野部の都市周辺で低く、丘陵部や山間部で高い。第7因子は土地利用率を示しており、福井平野北部や金沢市、砺波平野、黒部川扇状地、新潟市の海岸部で高い。特に低いのは新潟県の山間部である。高齢男性の農業就業を示すと考えられる第8因子が高い地域は、新潟県の山間部にややまとまっているが、他では点在するにすぎない。
     因子分析によって検出された8つの因子得点行列に、ウォード法によるクラスター分析を適用することで、北陸地方の旧市町村の類型化を試みた。この報告では対象とする旧市町村数が多いために、加重した因子得点行列の値をべき乗変換して分散させることによって、クラスター分析をおこなった。その結果、北陸地方の旧市町村は5つの類型に分けることができた。

    4. 北陸地方の農業地域区分
     5つの旧市町村類型の分布に基づいて、北陸地方の農業地域区分をすると、まず、(A)農業的性格が強く、経営規模が大きく、稲作に依存し、専業的で、請負が少なく、コミュニティが弱い地域が新潟平野に広がっている。次いで、(B)非農業的性格で、中規模、稲作依存、兼業的で、請負が少なく、コミュニティが弱い地域が富山平野と石川平野、福井平野に広がっている。(C)やや農業的性格で、小規模、非稲作的、専業的で、請負が多く、コミュニティが強い地域は、新潟県上越地方から西に若狭地方に至る山間部と能登半島で卓越する。(D)新潟県中越および下越の山間部では、非稲作的で、請負が多く、コミュニティが強いことは(D)と同様であるが、大規模であるが兼業的で、非農業的である性格の地域に区分される。さらに(E)小規模であるが、農業的で、非稲作的で、請負が少ない地域が、新潟平野や上越山間、石川平野そして福井県の嶺北海岸部に点在している。こうしてみると、従来からいわれてきた北陸地方の農業の基本的地域差が依然として存続しているといえよう。
  • 山田 和芳
    p. 152
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
     本研究では,島根県東部の出雲平野に位置する神西湖において,3本の柱状試料を採取し,堆積物中に混入する炭化木片の放射性炭素年代測定とともに,約2cm間隔の試料を用いた層相観察,軟X線写真観察,物性測定,帯磁率分析,CNS元素分析,粒度分析から,江戸時代以降の神西湖の変遷を明らかにして,変化の要因となる人工改変や自然災害との時代的対応関係について考察した.

    2.神西湖と江戸時代以降の治水事業
     神西湖は出雲平野南西部に位置し,差海川によって外洋と通じている面積1.35km2,周囲5.3km,平均水深1.1mの比較的小規模な汽水湖である.流出河川は,差海川のみであり,反対に流入河川は,姉谷川,常楽寺川,九景川および十間川である.これら河川のうち,差海川および十間川の二河川は後述するように,江戸時代初期に人為的に開削された河川である.奈良時代に編纂された『出雲国風土記』にはこの一帯が「神門水海」と呼ばれる潟湖で,その周囲は35里74歩(約18.8km)であったと記されている.この「水海」は,当時西流していた斐伊川や神戸川によって運搬される多量の土砂によって,急速に埋め立てられ,1635および39年の大洪水による斐伊川の東流化と,神戸川改修工事の結果によって,江戸時代初期には「水海」の南部が孤立して取り残され,現在の神西湖の原型となる湖になったとされている.当時の神西湖は,非常に排水性が悪く,たびたび洪水を繰り返し,周辺の田畑や村に甚大な被害をもたらすようになっていた.これを解消するために,排水河川として差海川の開削が計画され,1687年に完成した.その2年後の1689年には,東部の未利用の沼沢地を開拓するために,十間川が開削された.しかしながら,その後も度重なる台風などによる洪水の被害を受けており,一番最近では1964年の山陰・北陸豪雨による洪水とそれに伴う水害が報告されている.

    3.柱状試料の特徴と年代測定
     2004年8月に,湖心部を通る南北トランセクト上の3地点で,マッケラスコアサンプラーによって不撹乱コアを採取した.3本のコアは,北部よりJZ04-1,2,3コアと命名し,全長はそれぞれ378,178,173cmである.コアの層相は,04-3コアでやや粗粒になるもののおおむね暗灰色シルトまたは粘土層で構成される.ところどころ平行ラミナや,バイオターベーションが発達している.また,コアには粗粒な粒子で構成される層準が複数挟在している.最も長尺であるJZ04-1コアの場合,深度16-20,38-56,100-102,292-316cmの各層準にやや褐色を帯びた細砂-砂質シルトあるいはサンドクラストを含むシルト層が挟在する.とくに,38-56cmでは最上部に炭化植物片を含む有機物粘土層が累重している.これら挟在粗粒層を鍵層として各コア間を層序対比できる.
     また,同コアの深度109および374cmに混入している木片のAMS放射性年代測定結果は,それぞれ190±40,420±40 14C yr BPという年代値が得られ,暦年代に変換するとそれぞれ西暦1740-1810,および1440-1480年となっている.このことから,今回採取したコアは,過去500年間程度の少なくとも江戸時代以降から現在までを記録する堆積物といえる.

    4.洪水イベント堆積物
     粗粒層について,軟X線写真観察,粒度分析を行なった結果,そのほとんどにおいて上方細粒化が認められ,それは,堆積物が短期間に運搬・堆積したことを暗示する.また,粒子比重,帯磁率,およびC/N比の結果は,挟在粗粒層が前後の層準に比べて陸源物質を多量に含むことを示している.これらのことは,この挟在粗粒層が,洪水によって大量の陸源性粒子が短期間に運搬・堆積した洪水イベント堆積物と考えられる.とくに,JZ04-1コアにおける深度38-56cmに挟在する洪水イベント堆積物では,同堆積物中の最上位に有機質粘土層が認められることも,歴史記録における1964年の山陰・北陸豪雨による洪水時の神西湖における大量の木材浮遊の証拠を裏付けるものと考えられる.

    5.水質変動記録と河川開削
     全硫黄量の変化から過去の水質変化について検討した結果,洪水層を除く表層より深度120cmでは,全硫黄量が常に1.5wt%程度になっているものの,下位の層準では激減する.そして,深度200cmあたりから再び全硫黄量が増加する.この高全硫黄含有量は深度340cmまで認められ,それよりも下位ではほぼ0wt%になる.この変化は,下位より淡水→汽水→淡水→汽水という,少なくとも3回の水質変化を示している.深度340cmの硫黄量が変化する原因は,堆積年代を考慮に入れると1687年の差海川の人工開削に求められるであろう.また,開削後においても,江戸時代中-後期には,一時的に淡水化していたことが考えられる.
  • 渡邉 敬逸
    p. 153
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    ●はじめに 本報告では,新潟県二十村(山古志村を中心として,小千谷市東山地区,長岡市・川口町・旧広神村の一部を含む地域総称)において行われる闘牛「牛の角突き」(以下,角突き)の歴史的展開とその担い手の実践を通じて,これがなぜ現在まで維持されてきたかを明らかにすることを目的とする.本報告における担い手は,牛の所有者である牛持ち,取組の際に牛を応援する勢子,そして担い手の集合体である角突き運営組織である.全国の闘牛と比較した場合,角突きの特殊性は「必ず引き分けにする」という点にある.また,角突きの起源は明らかではないが,少なくとも200年余りの歴史をもっていると考えられる. ●牛の角突きの歴史的展開と担い手の実践 1960年代中盤から角突きの衰退が顕著となり,一時,角突き牛は1頭までに衰退した.しかし,角突きは1972年に再開され,1978年には国指定重要無形民俗文化財となった.復活当初,その運営組織は二十村全体を統括する越後闘牛会であったが,現在においては,小千谷闘牛振興協議会と山古志観光開発公社の2団体により各地域の角突きが管理されている.かつての角突きは,担い手の生業の延長線上にある娯楽であり,その背景には経済的根拠があった.しかし,現在では,畜産を生業としない担い手が多数を占め,その生業と角突きにはかつて存在した経済的関係は薄く,担い手個人の楽しみ・遊びとして行われている.2004年3月時点での牛持ち人数と角突き牛頭数はそれぞれ80名,117頭を数える.1980年以降の牛持ち数の変化を見ると,小千谷市においては比較的牛持ち数が一定であるのに対し,山古志村においてその減少が顕著である.●考察1.生業と角突きの関係かつての角突きは担い手の生業との密接な関係をその維持における一義的要因としていた.よって,二十村の生業構造の変化はそのまま角突きの隆盛に関連していた.一方,生業構造の変化は角突きに対してネガティブな要因だけではなく,養鯉業という二十村独特の地場産業を定着させ,担い手の流出をある程度防いだという点でポジティブな要因となったとも言える.2.角突きの組織化と観光資源化1970年代の角突きの組織化は,行政の支援を引き出し,恒常的な組織の形成をみたという点で,角突きの維持において大きな役割を果たした.また,角突きは観光の文脈に取り込まれることで,その伝統性はよりいっそう強化される結果となり,観光資源としての角突きの価値を高めた.3.畜産業者の役割二十村に立地する畜産業者は,現在においても生業と角突きが密接に関連していることから,常に30頭前後の角突き牛を自己所有する.また,他の牛持ちから飼育を預託される角突き牛を含めると,全体の5割弱にあたる角突き牛が彼らに管理されている.角突き牛の頭数の維持という面で,畜産業を生業とする担い手は角突きの維持に寄与している.4.角突きを介した人間関係絶対的な勝敗の無い角突きにおいても,「名牛」「横綱級」といった牛への評価が担い手の間には存在し,その評価には,「厩柄」という言葉があるように,牛持ち自身の評価が大いに関係する.そのため,「名牛」などの評価を得ようとすれば,必然的にその担い手間の人間関係が重要となる.牛持ち達は血縁・地縁といった基本的な人間関係や友人関係を大事にする必要があり,これが角突きの担い手間の関係を強化している.全ての牛持ちたちが「名牛」を目指しているわけではなく,「牛を飼っているだけでいい」という牛持ちもいる.しかし,いずれにせよ担い手達は角突きを介して,他の担い手達と時間や空間や話題などを共有することとなり,角突きが必然的に内包する性質が人と人とを結び付け,それ自体を支える要因となっている.
  • 福岡 義隆
    p. 154
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに 19世紀後半に始まった都市気候に関する内外の諸研究をレビューしてみると、今日社会問題化している都市のヒートアイランド対策の上で多くのヒントがあるように思われる。都市気候現象の実態を解明すべく純学問的に取り組んできた福井英一郎や河村武ら先人の偉業の一端と、最近の研究の一部を紹介しつつ、都市気候研究の問題点を考察してみたい。2.都市化に伴う土地被覆の変化と最適規模の都市化に関する研究(1)都市化に伴う土地被覆の変化と温暖化a.福井英一郎の研究(1956):各種土地被覆率と気温との回帰式_から_東京の例、半径500mの場合、T=40.7_-_0.11G_-_0.10I_-_0.12W_-_0.08H_-_0.10B(T気温、G緑地、I商工業、W水面、H住宅地、B裸地)b.高橋百之の研究(1958):都市内外の温度差と家屋密度との回帰式_から_岐阜県大垣市 ∆Ѳ = 0.95 + 0.16x  (∆Ѳ温度差、x家屋密度) c.熊谷市の半世紀間の都市被覆変化とヒートアイランド(河村1964、松本ら2003):Bruntの式(放射冷却)より、河村は1/(co ) の分布を気温分布から推測、松本らは約半世紀の状況と比較(図_丸1__丸2_)(2)土地被覆や人口からみた最適規模の都市化d.広島におけるヒートアイランド強度と土地被覆(福岡ら1979など):半径200mの円内の蒸発散面積(%)と気温との関係_から_約30%以上では一定e.都市全域の蒸発散面積(%)とヒートアイランド強度の関係_から_30数%超えると一定(図_丸3_)f.人口からみた各国の都市規模とヒートアイランド強度の関係(Oke ,福岡):都市の人口(対数値)とヒートアイランド強度最大値との関係_から_日本の場合30万人を境に傾向が急変(適正規模の都市人口が30万人とも考えられる、図_丸4_)3.都市内外の風の実態から「風の道」構想を考える(1)Country Breeze の発見 !)!)図_丸5_,_丸6_g.Stummer(1939)によるFrankfurt(ドイツ)における例h.大喜多敏一(1960)による旭川市内での樹氷付着状況から(2)都市気候のスプロール化と風との関係i.熊谷市の独自のヒートアイランドか、東京首都圏からの熱移流によるものか?
  • 田中 博春, 浜田 崇, 一ノ瀬 俊明, 三上 岳彦
    p. 155
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    I. はじめに</BR> 長野県長野市では晴天静穏時の夜間に山風が発生し、それが都市の中心部に流入している。本研究グループでは、山風が都市ヒートアイランド緩和に及ぼす効果についての検討を行うべく、これまで各種気象観測を実施している。本報では、特に山風の実態把握のため実施した各種鉛直観測の結果について報告する。

    II. 観測方法等</BR>パイロットバルーン観測:</BR> 2004年4月23_から_25日早朝に、長野市街地中心部に位置する鍋屋田小学校校庭にて、高頻度のパイロットバルーン観測を実施した。タマヤ計測システム製デジタル測風経緯儀TD-3、およびトーテックス製20g気球使用。気球上昇速度150m/min。データ取得間隔10秒。
    ヘリコプター観測:</BR> スカイマップ社所有のヘリコプターに温湿度計とGPSセンサーを設置し、約1秒間隔で緯度・経度・標高・気温・相対湿度の測定を実施した。同時に長野市街地上空を水平スキャン飛行し、同時にデジタルビデオカメラとサーモトレーサーを用いた可視画像と熱赤外画像の撮影も行った。
    天候状態:</BR> 移動性高気圧前面となり明け方は晴天となった。
    </BR>III. 山風の風向風速鉛直プロファイル (図1)</BR> 図1に、パイロットバルーン観測による山風の鉛直分布を示した。観測は、ヘリコプターが飛来する時刻の前後である明け方4時18分_から_6時12分に計6回行った。</BR> 風向風速の鉛直分布は、上空から順に以下の通りであった。地上1000_から_1200m以上では一般風と思われる西風が観測された。地上300_から_370mから1000_から_1200mに掛けては、風速3_から_6m/s程度の北東_から_東風が観測された。この風向は長野盆地の主軸方向とほぼ一致する。そして、地上300_から_370m以下では、約2m/s以下と弱いながらも、西_から_北西風が観測された。この風向は、長野市街地に流入する裾花川の谷口方向と一致することから、この風が本研究の対象とする山風と想定される。しかしながら、浜田ほか(2004)で示された長野県庁屋上で観測される山風の平均事例(3年間200事例、一晩の平均では風速約2_から_4m/s)と比較すると、風向は山風と一致するものの風速がやや小さい。このため、今回観測された山風は、典型的な事例と比較してやや弱いものであったと思われる。</BR></BR>IV. 山風の気温鉛直プロファイル (図2)</BR> 図2に、ヘリコプターによる気温の鉛直分布を示した。データは長野市街中心部の山風吹送地点(a)と山風非吹送地点(b)の上空にて行った、旋回上昇と旋回下降の際の気温の鉛直プロファイルを並べたものである。</BR> 気温の鉛直プロファイルは、山風吹送地点(a)と山風非吹送地点(b)で異なっており、地上約470m以下では山風が吹送する長野市街中心部の方が気温が低くなっている(地上高300mで1.7℃の差)。これは、相対的に低温な山風の移流がもたらしたものと推測され、都市ヒートアイランドの暑熱を山風が緩和 している可能性があると考えられる。</BR></BR>文献: 浜田 崇・一ノ瀬俊明・三上岳彦・田中博春・榊原保志(2004): 長野市街地に流入する山風の特性. 日本気象学会2004年度春季大会講演予稿集, 276.</BR></BR>謝辞: パイロットバルーン観測に際しては鍋屋田小学校に、ヘリコプター観測に際してはスカイマップ株式会社に大変お世話になりました。</BR></BR></BR>図1 パイロットバルーン観測による長野市街地中心部の風向風速の鉛直分布。2004年4月25日早朝。下向き矢印が北風を示す。</BR></BR>図2 ヘリコプター観測による長野市各所の気温の鉛直分布。2004年4月25日早朝。</BR></BR>
  • デリヌル アジ, 近藤 昭彦
    p. 156
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
    地表水である河川と湖の水量変化は気候に代表される自然要因と人間要因の両方の影響を受けており、新疆の農業生産を考察する場合に極めて重要な要素である。人口増加による農業開発行為は水不足を更に助長し、時間が経過するほど、水資源量は減少し、水質が悪化するとの考えが広く一般に強く根付いている。確かに1980年代まではこのような認識は正しかったが、1990年代以降の河川流量変化と湖の水位・面積変化を見ると、必ずしも経時的な水資源の減少に結びついていない場合が見られる。そこで、過去50年間の水文観測データ、CRU TS2.0 データおよび最近20年間の新疆統計年鑑に基づき、人間活動と気候変動の両面から新疆水資源の動態変化と時間との関わりについて考察した。 

    2.検討対象とデータ
    高原湖は気候変動の状況を良く表し、一方で、盆地湖と平野湖は気候変動・人間活動の両方の作用を反映するものと考えられる。人間活動と気候変動が新疆の水資源に及ぼす長期的な影響を抽出するため、それぞれ高原湖、盆地湖、平野湖を代表するSayram lake、Bostan lakeとAyding lake、Elbinur lakeと、それぞれの水源河川を本研究の対象流域とした(図.1)。データとしては各流域における水文観測データ、気象観測データ、50年間におけるCRU TS2.0データおよび最近20年間の新疆統計年鑑を用いた。

    3.結果と考察
    1) 各流域の水文観測データによると、いずれの湖流域でも同じような現象が見られる。すなわち、1949年から1980年代後半にかけて、人口増加および灌漑面積の広大に伴い、河川流量が減少し、湖の面積減少と水位低下が見られ、1980年代後半からは、湖の面積増加と水位増加が見られる。
    2) 検討対象流域における気象データによると、1980年代後半より以前は気温・降水量ともに減少し、1980年代後半以降からは気温・降水量ともに増加する傾向が見られる。
    3) ダストストームは一つの劣悪な天気現象として、1980 年代に各流域地域で発生し、人々の生活に被害を与  えてきた。一方で、砂あらしの発生する日数においては1980年代後半から減少していることが明らかになった。
    4) 新疆ウイグル自治区は典型的な大陸性気候を呈し、1980年代後半まで農業生産と人々の生活は干ばつ災害に悩まされてきたが、1980年代後半に入ってからは、反対に洪水災害が多発していることに気がつく。

    4.まとめ
    1980年代後半を境界に、人間活動・気候変動双方の与えた影響が異なるため、新疆における水資源の増減傾向に変化があるという現象が明らかになった。今後、特にElbinur Lake 流域を研究の中心にして、衛星データとGISを組み合わせ、詳細な要因解析を行う予定である。
  • 黒田 圭介, 磯 望, 後藤 健介
    p. 157
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_.はじめに ため池は古来より農業灌漑用に使用されてきたが、今日では用水路等の発達でその役割が薄れつつある。そのような現状にあるため池を、ビオトープや公園として転用維持しようという機運は近年高まりつつある(内田,2003)1)。このようなため池を転用するにあたっては、ため池周辺の環境や景観を無視することなく、十分な環境調査が必要となるだろう。そこで本研究では、ため池周辺の景観を空中写真と画像処理ソフト(Adobe社Photoshop)に組み込まれたピクセルの概念を用いて、定量的かつ簡便な分析方法を検討した。さらに、景観構成要素毎にため池をカテゴリー分類することで、環境景観の地域区分を試みた。調査対象地域とした福岡県京都郡勝山町は、ため池が現在でも改修を重ねながら維持されているが、最近は深井戸の利用などで、農業潅漑用としての役割は薄れつつある。将来のため池の転用の可能性もあり、勝山町のため池周辺環境の現状を把握しておく必要がある。今回は町内45ヶ所のため池を分析対象とした。_II_.画像処理ソフトを用いた解析方法1)ため池の面積と集水面積の求め方:スキャナーで取り込んだ空中写真をPhotoShopで開き、ため池部分を塗る。塗った部分のピクセル数を数えて、あらかじめ算出した1ピクセルあたりの面積(1/6_m2_)を用いて面積を求めた。なお、集水面積算出方法も同様である。2)景観区分方法:ため池の縁を、描画ツールで縁取りし、さらに縁取った線を景観毎に色分けをする。色別にピクセル数を数え、縁全体のピクセル数に占める各景観カテゴリー(以下景観)の比率を求めた。本研究では、土地利用形態から図1に示す景観に区分した。3)上記方法で求めたため池周辺の景観の各出現比率を用いて、景観組み合わせ型(ため池周辺景観の複雑さの程度。以下景観型)と、ため池景観型(ため池周辺景観を構成する景観の種類とその卓越度を表す。)を求めた(表1)。景観型は景観の土地利用の複雑さの程度を反映し、ため池景観はため池周辺の環境を反映する可能性がある。これらの分布特性から、勝山町の環境景観区分を検討した。_III_.結果1)景観型の分布の特徴:勝山町を等間隔に北部、中部、南部に分けた場合、北部はほとんどが_I_型となり、南部では_II_型と_III_型の比率が高い。中部は_I__から__III_型がほぼ同比率で出現する。以上より、北部から南部にかけて景観を構成する要素が増える傾向にあることが分かった。2)ため池景観の分布の特徴:全体的に森林景観のため池が多くを占める。ため池景観に着目して見てみると、勝山町の北西部はほとんどが森林景観の_I_型で、北東部は森林景観と農地景観の_I_型が多い。南部は森林景観を軸にさまざまな景観が出現する傾向にある。以上より、勝山町のため池は、全体的に森林景観が優勢であるが、地域ごとに特色のある景観に囲まれることが分かった。3)景観と地形の関係:ため池の立地地形と景観型の関係を見てみると、_I_型は主に山や谷に集中し、_II_型と_III_型は段丘上に分布する傾向にある。また、ため池景観との関係を見てみると、山地には森林景観がほとんどを占め、段丘には農地景観や混合景観が多い傾向にある。勝山町では、段丘は主に南部に広く分布する。_V_.勝山町の環境景観地域区分(まとめにかえて) _III_の結果より、勝山町の環境景観を、ため池周辺の景観に着目して地域区分を行った。北部は単一の森林景観が卓越し、中部は単一の森林景観が優勢ではあるが、農地を含めた混合景観も多い傾向にある。南部は、森林景観を軸とするものの、水域や裸地などの他の地域にはあまり見られない景観を含めた複合景観が卓越する。よって、勝山町は北部ほど森林環境に囲まれており、南部ほど人為的な環境が増える傾向にある(図2)。1)内田和子(2003):日本のため池!)防災と環境保全!),海青社,270p.
  • 小橋 拓司
    p. 158
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.研究の目的 報告者は,これまで兵庫県内の小中高等学校教員を対象とする質問票調査をおこない,教員のGISに対する認知と教育GISの課題を明らかにした(小橋,2004)。またアメリカ合衆国地理スタンダードとGISテキストの分析から,地理的技能とGIS技能の整合性を明らかにした(小橋,2004)。本報告では,学校教育においておこなわれているGISを活用した授業実践(以下GIS授業実践)の事例をデータベース化し,その分析をおこなう。そして教育現場におけるGIS活用の現状を把握することにより,今後の教育GISのあり方を考察する。 具体的には以下に示した3点を検討する。_丸1_GISを活用した授業が,どの校種,科目,学年に多いのかを明らかにする。_丸2_授業におけるGIS機器やソフトの活用の目的や活用形態,活用場所,地域スケールの傾向などを明らかにする。_丸3_授業のどのような過程で,どのように地理的技能の育成をはかろうとしているのか,またそれはどのようなGIS技能と関わっているのかを明らかにする。2.研究の方法 GIS授業実践事例の収集は,学会誌上での論文や,研究会における口頭発表資料に加え,Web資料も対象とした。できるだけ幅広く多くの事例を集めるよう努めたため,一部,授業目標や内容が不明確なものも含まれている。集められた事例は,次に述べる指標に基づきデータベースとして整理した。なお,ここでいうGIS実践授業とはGISソフトやGISデータ,GIS関連機器を活用していると判断されるものである。 _丸1_を検討するために,GIS授業実践ごとに校種,学年,実施教科,単元,授業テーマ,授業目標,GIS活用の観点などの項目を設定した。また_丸2_を検討するため,サポートの有無,GIS活用の方向性,GIS活用の場面,GIS活用の形態,GIS活用の場所,GIS活用の地域スケール,GIS技能,GIS活用の目的などの項目を設定し,その分類をおこなった。さらに_丸3_に関しては,授業内容におけるGIS技能・地理的技能のあり方についての項目を設定した。3.結果(1)収集したGIS授業実践の事例数は59で,校種別にみると小学校19,中学校20,高等学校20である。小学校のGIS授業実践は中学年・高学年にみられ,低学年ではみられない。実施科目は,社会科が5事例に対し総合的な学習の時間が12事例あり,総合的な学習の時間への片寄りがみられる。中学校においては,第1学年が最も多く12例にのぼる。教科としては,社会科の実施が大部分である。高等学校の実施科目としては,「地理」が最も多い。また高等学校では,学校設定科目や職業科における課題研究において,多くのGIS授業実践がされている点が注目される。このようにGIS授業実践の学年は教育課程と密接に関係していると考えられる。(2)小中高等学校を通じて,「コンピュータ教室において学習者がGIS機器・ソフトを活用し,身近な地域・市町村のスケールでGIS授業実践する」ものが多いことが明らかとなった。活用場所不明の17事例を除く42事例について集計すると,上記パターンの占める割合は59.5%である。(3)地理的技能とGIS技能の整合性が,GIS授業実践の分析においてもほぼみられる。しかし_丸1_授業において「地理情報の分析」をおこなう場合、GISの「地理情報の分析」機能の活用事例は少なく,「地理情報の整理」の1つである重ね合わせや、地理情報の表示の機能を用いて分析する場合が多いこと,_丸2_GISの地理情報の表示機能は,地理的技能のどの過程においても活用されており,欠かすことのできない機能であることが明らかとなった。 文献小橋拓司・鈴木正了(2004):小中高等学校教員にGISに対する認知と教育GISの課題.日本地理学会発表要旨集,65,p.158.小橋拓司(2004):地理的技能とGIS技能.地理情報システム学会講演論文集,13,197-200. 小橋拓司(2004):教育GISの現状と課題.教育GISフォーラム研究紀要,1,p.59-63.
  • 後藤 健介, 黒木 貴一, 磯 望, 宗 建郎
    p. 159
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
     土地の変化調査は、主に土地利用分類によって行われることが多く、GISによる経年調査・解析が行われている。この土地利用分類には、分類精度を高め、さらに効率よく分類が行えるように、地表面の物理的な情報を捉え、土地被覆分類を行うことができる衛星データを用いるようになってきた。
     本研究では、土地利用分類において衛星データがどのような値をとるのか解析し、またその反射率特性を経年変化で捉えた場合における変化量を詳細に検討した。社会的な利用目的で分類している土地利用分類において、反射率特性の季節ごとの変化量や土地被覆状況そのものの変化量をケーススタディしていき、土地利用分類において発生する反射率特性の経年変化傾向を調べて、その意義を検討した。本研究は、GISデータと衛星データを用いた土地利用分類の経年変化に関する基礎的な研究である。

    2. 研究方法
     本研究の研究方法を図1に簡単に示す。
     解析には、福岡県太宰府市における1986年と1999年の2つの衛星データ(LANDSAT/TMデータ)を用いた。衛星データの幾何補正作業については、衛星データ解析ソフトがGISソフトよりも解析ツールが豊富で専門的に作業を行いやすいことから、本研究では衛星データ解析ソフトで幾何補正を行った。
     次に、幾何補正によって歪を除去した衛星データを、GISソフトで取り込み、数値地図、および1/25,000地形図(1998年_から_2002年)を基に作成した土地利用図に重ね合わせた。土地利用図の土地利用区分は一般宅地、樹木宅地などの14区分とした。
     この14区分された分類エリアにおいて、TMデータの各7バンド分の平均値、およびその平均値を中心とする標準偏差などをそれぞれ求め、その値を1986年と1999年で比較し、その変化量を求めた。

    3. 衛星データの年別影響補正
     衛星データを用いた経年変化解析を行うにあたり、解析結果に観測時における大気状態の違いなど、年別の影響が含まれてしまう。土地利用区分ごとの衛星データの各バンド平均値を1999年のデータから1986年のデータで差を算出したところ、各バンドにおいて平均値の差が認められた。この差を年別影響と見なし、1986年のデータにこの差分を加算して1999年のデータに合わせることで、年別影響を除去した。

    4. 土地利用分類別における標準偏差変化量
     図2は土地利用分類別における標準偏差を、1999年のデータから1986年のデータで減算した結果をグラフ化したものである。標準偏差はデータのばらつきを表すものであり、この標準偏差を減算すれば、その土地利用区分における土地の変化量が分かる。この結果、広場、果樹園において差が大きく、特に、バンド3、バンド5においてその差が大きくなった。

    5. バンド別反射率変化量分布図
     年別影響補正を行った衛星データのバンド別において、1999年のデータから1986年のデータを減算し、その変化量の分布図を作成した。また、平均値を中心とする標準偏差の範囲外にあるデータに対して色分けを行い、その分布状況をバンド別に図化した。これらの図より、1986年から1999年までの変化領域を把握することができた。今後はこれらのケーススタディをさらに進め、土地利用分類における衛星データ変化量の特性を詳細に調べていく。
  • 高阪 宏行, 鈴木 厚志, 杉浦 芳夫
    p. 160
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    大学教育が変革する中,地理学に関連する新しい資格認定の動きが活発になってきている.この理由には,大学をはじめとする高等教育課程に対し,これらを評価する社会の目が厳しくなってきていることがあるといえよう.これまでの高等教育は,偏差値やカリキュラム,設備そしてスタッフなどが評価の対象とされてきていた.しかし近年になって,これらの表面的な評価だけではなく,大学生活の中で学生は何を修得してきたか,その質はどのように保証するのかが求められるようになった.これに伴い,様々な学協会・行政などによる資格の付与や認定が定着しつつある.

    本シンポジウムでは,最近2_から_3年の間に全国の地理学関連学科において取り組みが進んでいる各種の資格認定について報告を行ない,意見交換することを目的としている.その中でも,日本地理学会と地理情報システム学会において策定が勧められている「GIS技術資格制度」,日本技術者教育認定制度(通称JABEE)による「修習技術者認定制度」,社会調査士資格認定機構(通称JCBSR)による「社会調査士資格認定制度」,北海道による「北海道アウトドア資格制度」への取り組みを紹介する.

    GIS技術資格制度については,日本地理学会GIS技術資格検討委員会(碓井)と日本地理学会GIS教育研究グループ(鈴木)が報告を行なう.修習技術者認定制度については,概要と認定の手順について福澤が報告を行ない,東京都立大学理学部(若林)と日本大学文理学部(中山)が,それぞれの取り組みを紹介する.社会調査士資格認定制度については,お茶の水女子大学文教育学部(水野)と金沢大学文学部(青木)が報告する.北海道アウトドア資格制度については北海道大学大学院地球環境科学研究科の取り組みを小野が報告する.

    今回報告する「新しい資格」は,単に「卒業すれば資格が与えられる」という類のものではない.これらの資格は外部団体が高等教育課程自体を「審査」し,要件を満たしていることを「認定」し,その結果として,卒業した学生に「資格」を与える.その「資格」の維持には「継続教育」も必要である.認定にあたっては,(1)カリキュラムの内容が明確に設定されており保証されていること,(2)カリキュラム自体が絶えず見直されていること,(3)社会の要請に応えていること,(4)学生の達成度が適切に評価されていること,などがほぼ共通の要件となっている.

    ここで挙げた要件というものは,本来ならば高等教育課程の自発的な行為によって発起されるべき事柄である.それが外部団体によって審査され,認定され,その結果として資格を与えられるという現実は,今までの高等教育課程の内容が,社会の要求からいかに乖離していたかということを表わしていることにほかならない.

    このように,学生の質を保証し,カリキュラムを絶えず見直し,その結果として資格を得ることができるというモデルは,大学をはじめとする高等教育課程の中では今までほとんど見られなかった.しかし,「資格認定」という「外圧」によってでも,高等教育課程が変革しなければならないという現実を,われわれはもはや避けて通ることはできない.これらの取り組みは,変革というよりもむしろ「革命」といったほうがより的を射ているかもしれない.

    このような状況の中で,新たな資格認定に対して取り組んでいる教室は,全国の地理学関連教室に対して,ある意味で「新しい地理学教室モデル」を提示することになるだろう.幸いなことに,地理学という学問分野は「学際的学問」を自負しており,理系・文系を問わずに多様なカリキュラムが存在している.これは他の学問分野に比べても明確なアドバンテージであり,地理学の持つ潜在的な社会貢献性を発揮できる可能性を示唆している.

    これらの資格認定は,教員側の努力のみでは達成できない.教員と学生,社会そして学会が一丸となって取り組まなければ実現不可能である.また,学科や大学を越えた取り組みというものも今後増えていくことが予想でき,多様な交流と連携が期待できる.本シンポジウムが嚆矢となって,地理学界の活性化につながることを願う.
  • 白井 安由美
    p. 161
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     今日,フードシステムのグルーバル化が急速に進みつつある.その一翼を担っているのが多国籍企業のアグリビジネスであるが,こうした企業が農産物の輸出入に関わるだけでなく,販売戦略に基づいて輸入国内に産地を形成する事例がみられる.本報告では,このような事例として日本における外国産キウイフルーツのうち大部分を取り扱うゼスプリ社に焦点をあて,その流通の拡大過程とそれに関わる企業の戦略について検討する.キウイフルーツ産業においては企業が消費市場における需要拡大を図るために牽引的な役割を果たしており,その経営戦略を追うことにより,農産物が消費市場へ浸透していく過程を把握できると考えられる.特に,キウイフルーツの新品種「ゼスプリ・ゴールド」に焦点をあてた考察を行う.

    2.日本におけるキウイフルーツ輸入拡大とゼスプリ社
     日本におけるキウイフルーツ輸入は,1970年代から本格的に始められ,2002年度における日本への輸入量のうち8割がニュージーランド産である.ニュージーランド国内において生産される輸出用キウイフルーツは,ゼスプリ社によって流通過程が管理され,垂直的統合がなされているのが特徴である.日本へと輸出されたキウイフルーツは,ドール社の流通網を用いて販売されている.それは,ドール・ジャパンがゼスプリ社の総代理店となっているからである.ドール社が,総代理店となった理由はバナナ・パイナップルの販売において大手食品小売業への流通経路を持ち,ニーズの把握や,販売提案力に実績を持っていることが挙げられる.

    3.ゼスプリ社による産地の育成
     2000年,ゼスプリ社は,日本市場をターゲットとした新品種ゼスプリ・ゴールドの販売を開始し,同年,日本国内でも栽培をはじめた.この産地は愛媛県にある東予園芸農協の管轄地域である.東予園芸農協管区内の農家は,経営の発展を図るため,高収益性の品目,作型の導入が課題となっていた.その一つの対応がキウイフルーツの導入であり,この他にも柿,梅,ポンカン,伊予柑が導入されている.ゼスプリ・ゴールドを栽培する生産対象農家は,導入当初は32戸,約4haであったが,現在, 130戸,面積は約27haと増加している.ゼプリゴールドが持つ生産の有利性には,ヘイワード種に比較して大玉であり収量が約1.5倍,3年目で結果するので未収益期間が短い,生産量が決められているので生産過剰にならない等が挙げられる.このゼスプリ・ゴールドの採用は,青果物の国際化時代を迎え,海外資本との提携も,国内生産者に有益なら取り入れるべきという東予園芸農協の方針からであった.東予園芸農協から出荷されたゼスプリ・ゴールドは,従来の東予園芸農協の出荷ルートではなく,ゼスプリ社側の流通網で流通されている.キウイフルーツの導入にあたって,東予園芸農協は,愛媛県経済連を介して,ゼスプリ社と,三者契約を結び,ゼスプリ・ゴールドを栽培するためのライセンスを取得した.日本産ゼスプリ・ゴールドは2003年末に販売が開始された.ゼスプリ社側は,ゼスプリ・ゴールドの接ぎ木を生産者に期限付きで貸与し,本国と連携した生産マニュアルの提供,代金回収を含めた販売全般を担当している.このようなシステムのもとで,ゼスプリ社側は冬場の高品質商品の確保を行う一方,東予園芸農協側は新たな商品開発により生産を活性化することを目指している.

    4.まとめ
     近年,フードシステムのグローバル化が多国籍企業主導で進められつつある.わが国においても外国産青果物の流通が急増しているが,輸送技術の進展により遠距離輸送が可能となった生鮮青果物の急増が指摘できる.これらの生鮮青果物の多くは日系企業もしくは外資系企業が,海外で生産されたものを日本へ輸入する形をとっている.しかしながら,今回扱った事例は,外資系企業が消費地・日本に一部の産地を移転したケースであり,それらは,低コスト化による経済性の追求を求めて海外へと生産産地が移転していく潮流に逆らい,先進国内に新たな産地形成が行われた事例と捉えられる.こうした事例は未だ多くはないと思われるが,アグリビジネスが主導するグローバルなフードシステムを考える上で,ひとつの材料を提供すると考えられる. 
  • 安達 常将
    p. 162
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     経済のグローバル化・経済のサービス産業化・雇用形態の多様化といった先進諸国に共通する要因,さらに平成不況による能力主義的選別の強化により,日本でもいわゆるキャリア女性が増加している.労働関連法の規制緩和・雇用平等政策の実施がこれを支えており,1986年に男女雇用機会均等法の施行,1999年には女性の深夜労働制限の完全撤廃があった.しかし,既往の研究では,女性は男性よりも安全を意識し,一人での外出や夜間の外出,暗い場所や危険な場所を避けることや,夜間に犯罪に遭う可能性が高いことが指摘されている.したがって,通勤・帰宅時の公共交通の利用が一般的な日本の大都市圏において,女性の深夜労働解禁は,新たな交通問題を発生させたと推測される.以上のことを受け,東京都心・副都心を起点とする深夜急行バスを対象に,女性の利用形態を調査した.深夜急行バスは,終電後に都心のターミナル駅を出発し,主に郊外の鉄道駅まで帰宅客を輸送する最終公共交通である.残業に絡む利用が想定されることから,対象として適当であると考えた.バス事業者と女性利用者への聞き取りを主とした調査を行った結果,明らかになったことは以下の通りである. 深夜急行バスは1989年の登場以降,東京都心・副都心から主要鉄道に沿う放射状の路線が急速に展開し,バブル崩壊に伴う衰退を経験した後,2000年以降再拡大している.終電に遅れたビジネス客の輸送を想定しており,あるバス事業者によると,今日の約7割が残業を理由とした利用である.東京東部に比べ西部において停留所の設置数や利用者数が多く,ここには深夜急行バスが輸送の対象とするホワイトカラーの居住地分布が反映されている.この「西高東低」の傾向は,女性の利用者数についても同様であり,なかでも,銀座発三鷹行きのバスは,全利用者の半数近くを女性が占めていた.これは,ホワイトカラー女性が東京西部,特にJR中央線沿線に多い事実とも一致するものである.女性利用者数は深夜における就業増大に対応して増加傾向にあり,街頭インタビューによると,残業に伴う利用がやはり多い.なかには利用が習慣化している女性もいた.利用するきっかけは口コミによる同性からの評判であり,帰宅手段としてバスを選択した理由には以下のようなものがあった.まず,必ず着席でき睡眠が取れること.不特定多数が利用せず,自分と立場が似た人々に利用者が限定されること.また,停留所が自宅に近く,治安の悪い場所を避けられることである.また,ホワイトカラー女性は鉄道駅周辺に居住する傾向が強いため,深夜急行バスが多くの駅をカヴァーしていることは,自宅までの良好なアクセスを提供していることにもなる.そのため,終電を意識的に避け,バスを選択的に利用するケースも確認された.タクシーを利用しない理由には,運賃の高さのほか,運転手が気になりくつろげないという意見も聞かれ,深夜帰宅時の快適性・安心感・安全性といった点が,バスを利用する女性に評価されていることが分かった. ただし,バス事業者は,女性利用者の増加は認識しているものの,女性の利用は開設当初からほとんど想定されておらず,現在でも女性の利用が考慮されている訳ではない.バス事業者は概して男性従業員の割合が高いためか,女性が利用するという認識が薄いようである.例外は女性専用席のある平和交通で,同社が日本で初めて女性バス運転手を採用した事業者でもあることと無関係ではないと思われる.深夜急行バスは,深夜における帰宅交通手段に選択肢を加え,多様化する利用者ニーズに対応するものであり,結果として,バスの特性が女性の評価を得たのである.供給側であるバス事業者が,女性の利用をあまり認識していないという問題点はあるものの,女性の深夜労働が今後さらに増えることが予想されるなかで,深夜急行バスは深夜帰宅時の有効な交通手段として機能する可能性がある.
  • !) 新潟県魚沼市「ほりのうち花き園芸組合」を事例に !)
    両角 政彦
    p. 163
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ 問題の所在と研究の目的 一般に国際化の進展は,社会経済に画一化をもたらすとともに差異化の必要性を生起させる.国際的な農産物流通の場合,外国産農産物の流入による農産物の生産機会の拡大および平準化と,農産物の価格競争にともなう産地の差別化戦略が注目される.差別化戦略の1つが,ブランド化による対応である. 本研究では,ユリ球根調達の国際展開にともなうユリ切花の生産機会の拡大と生産過剰傾向に着目し,国内の球根産地との連関による切花産地のブランド化の可能性について明らかにした.研究対象として,新潟県魚沼市(旧堀之内町)の「ほりのうち花き園芸組合」がブランド化を試みる,ユリ切花「魚沼三山」を取り上げた._II_ 花き球根の輸入自由化をめぐる動き 花き球根の輸入規制の緩和は,1980年代における海外からの要請と国内の流通資本や切花産地の要請を受けて行われた.1987年に国際園芸協会が1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」への出展の条件として,植物防疫制度の緩和を挙げていた.この要請等を受けて,1988年9月にオランダ産のチューリップ球根31品種が,また1990年1月にユリ球根22品種が隔離検疫をそれぞれ免除され,実質的な輸入自由化に突入した. 花き球根の輸入自由化以前の球根切花生産は,産地内で自給的に球根を調達できる地域と,流通資本を通じて国内産球根を調達できる地域とに限られていた.輸入自由化以後の球根切花生産は,これ以外の地域でも様々な品種で可能になり,球根切花の生産機会が大幅に拡大してきた._III_ ユリ切花「魚沼三山」のブランド化の背景 新潟県魚沼市の「ほりのうち花き園芸組合」は,旧堀之内町に所在する流通資本が直接輸入したユリ球根を購入し,球根調達の国際連関を強めてきた.こうした状況は他のユリ切花産地も同様であり,全国的な切花生産の拡大によって切花価格の低迷が顕著になり,「ほりのうち花き園芸組合」は差別化戦略をとる必要に迫られた. そこで,「ほりのうち花き園芸組合」は,外国産球根よりも高品質を望める国内産球根(外国産小球を国内で養成した成球)の調達を町内の流通資本に依頼した.この流通資本は,生産条件の異なる国内の数ヵ所の球根産地を連関させて,球根を生産委託し,高品質の球根を供給してきた._IV_ ユリ切花「魚沼三山」のブランド化の特徴 ユリ切花「魚沼三山」のブランド化は,1995年にカサブランカから始まり,その後に品種を追加し,2001年には10品種で行われている.「魚沼三山」のブランドの確立に向けては,主に以下の差別化戦略がとられている. _丸1_球根選定→国内産球根の使用(委託球根,購入球根),_丸2_栽培形態→施設栽培の導入(寒冷紗ハウス,雨避けハウス,耐雪ハウス),_丸3_栽植密度→10a当たり15_から_40%の粗植,_丸4_選別基準→茎の堅さ・ボリューム・バランスの重視,_丸5_出荷箱→デザインの変更と明記内容の選択. これらは,他産地との差別化と,産地内の一般共選品との差別化がほぼ同等に位置づけられて行われている._V_ ユリ切花「魚沼三山」のブランド化の成果と課題 ユリ切花の卸売価格を同一品種の同一等級で比較すると,主要品種であるカサブランカでは「魚沼三山」が一般共選品の2.0_から_2.3倍を,またソルボンヌでも「魚沼三山」が一般共選品の1.5_から_1.7倍を実現している. その一方で,「魚沼三山」の委託球根仕上量に占める切花出荷量は5_から_10%に留まっており,短期的には不採算の状態にある.これは,「魚沼三山」の厳格な選別基準によって,等級外品と規格外品が大量に発生するためである.この出荷ロスと過剰労働を回避するために,「魚沼三山」の等級外品と規格外品を国内産球根使用切花として一般共選品に回している.この対応によって,出荷先の卸売市場や市場間転送で産地内競合が生じ,ブランド化が阻害されている.中長期的には,「魚沼三山」の出荷量の確保による生産効率の向上が課題である._VI_ ユリ切花「魚沼三山」のブランド化の可能性 「ほりのうち花き園芸組合」がブランド化を試みるユリ切花「魚沼三山」は,他産地との差別化と産地内の一般共選品との差別化によって高価格で販売されている.しかし,「魚沼三山」は出荷・卸売段階で一部が認知されているが,小売・消費段階ではほとんど認知されていない. 「魚沼三山」のブランド化は,出荷・卸売段階の欠陥ではその可能性が残り,小売・消費段階の欠陥ではその再編自体が課題となる.前者では,流通資本の国内産地連関による高品質球根の継続的な調達が基礎条件となり,後者では,産地内のみの対応には限界があり,生産から消費に至る流通機構の変革までが求められる.
  • 愛知県天白川を事例として
    廣内 大助, 大西 宏治, 岡本 耕平
    p. 164
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    天白川流域を拠点として防災活動を行う市民団体,名古屋市天白区,日進市と協働して「生涯学習のための災害・防災学習カリキュラム開発委員会」を結成し,水害に対する防災学習に関する市民向けの様々な試みを行った.本研究では,その試みを紹介する.これは地理学の立場から防災についての生涯学習を実践した試みである.
     市民が地形図やハザードマップを活用できるようにするためには,生涯学習地理教育・地図教育のコンテンツを充実させるとともに,そのコンテンツを用いて啓蒙普及していくことが地域の防災力を高めることに繋がるはずである.
  • 地殻隆起パターン及び初期高度分布への依存性
    鹿倉 洋介, 松浦 充宏
    p. 165
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    地形を形成するプロセスには,地球内部起源の作用(内的プロセス)と外部起源の作用(外的プロセス)の二つがある.内的プロセスの例としては,地震・火山活動やプレート衝突などが引き起こす地殻の隆起・沈降が挙げられる.また,外的プロセスの例としては,降雨・流水や氷河の移動などが引き起こす地表の侵食・堆積が挙げられる.地形の発達は一般に,これらのプロセスがバランスした動的平衡状態の実現に向かって進むと考えられる.従って,定量的に表現された内的プロセスと外的プロセスをカップルさせれば,地形発達過程を時間発展方程式として記述できる.
    本研究では,外的プロセスを定量的に記述するために,Howard and Kerby (1983)による流水侵食モデルを用いる.このモデルは侵食が卓越した山地を想定し,開水路の物理と河川の諸特性に関する経験式から導出されたもので,侵食速度は流域面積のべき乗と傾斜のべき乗の積に比例する.
    この流水浸食モデルに地殻の隆起・沈降のモデルをカップルさせ,時間・空間的に離散化を行うと,三次元地形発達シミュレーションモデルを構築することが出来る.具体的には,ある時刻の高度分布が与えられると,流水侵食モデルにより侵食速度分布が求められる.侵食が卓越し堆積が起こらない地域では,隆起・沈降速度から侵食速度を引いた差が,その時刻の高度変化となる.これを元の高度分布に加えれば、次のステップにおける高度分布を得られる.このプロセスを繰り返すことにより、高度の時間発展を計算することが可能となる.
    この三次元地形発達シミュレーションモデルを用いて,数値計算により地形発達過程の地殻隆起パターン及び初期高度分布への依存性を調べた.地殻隆起パターンが異なれば,動的平衡状態におけて実現する地形が異なる.この問題について,地殻変動のない台地の場合,平坦面が箱型に隆起する場合,平坦面が切り妻型に隆起する場合を想定して計算を行った.地形発達シミュレーションでは,その初期高度分布の与え方や領域分割の仕方によって,形成される水系網のパターンが変化する.この問題についても定量的考察を行った.得られた結果を以下にまとめる.
    地殻変動のない台地の場合,時間の経過とともに台地に水系網が発達し,最終的に平坦な地形が形成される.平坦面が箱型に隆起する場合,時間の経過に伴い発達した水系網は,河川の争奪を起こしながら,最終的には侵食と隆起がつりあった特徴的な地形を形成する.
    平坦面が切り妻型に隆起する場合は,隆起軸の位置が中央より東側にあるとすると,傾斜は東側の方が急になり,侵食速度は東側で速く,西側で遅くなる.その結果,初め隆起軸の位置に形成された山脈軸は,東側からの強い侵食により,その高度を下げながら,西方へと移動する.
    また,初期高度に等方性の擾乱を与え,水系網の発達する過程をシミュレートした.時間経過に伴って侵食が進行するに従い,初期高度で凹地となった部分が連結し,水系網が形成される.さらに時間が経過すると,侵食と隆起がつりあった水系網のパターンが形成される.このようなシミュレーションを様々な領域分割で行い,谷密度などの水系網の幾何学的特性から,どのような領域分割が適切か検討した.領域分割の仕方については,正三角形・正方形・正六角形を用い,それぞれメッシュ間隔を変化させた.結果,メッシュの分割方向に対して流れやすい流路方向が存在すること,メッシュ間隔の違いにより谷密度が異なり,その結果として高度分布が異なってくることが分かった.
  • 松井 譲
    p. 166
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ はじめに
    山地から流出する土砂の動態は沖積平野の発達を決定付ける重要なファクターであり,その理解は重要な課題である.一般に集水域の起伏比が大きいほど,また,集水域面積が小さいほど急勾配の扇状地が形成されることが良く知られており,扇状地の勾配と山地集水域の地形,地質,気候条件が関係していることが統計分析により明らかにされている(斉藤, 1985).しかし,集水域!)扇状地における水理・土砂移動プロセスは不明である.本研究では山地から流出する土砂の粒径や洪水流量によって扇状地勾配がどのように定められているのか,また集水域の特性によって扇状地に流出する礫の大きさがどのように定められているのか検討した.

    _II_ 調査地域
    北陸,姫川・松本盆地,琵琶湖周囲,讃岐平野の4地域合計18の扇状地を研究対象とした.これらの扇状地の集水域面積と扇状地勾配の関係を示したのが図1である.集水域面積と扇状地勾配には負の相関があるが,同程度の集水域面積で比較すると,北陸,姫川・松本盆地の扇状地は琵琶湖周囲,讃岐平野の扇状地よりも勾配が大きい. 洪水流量と礫の大きさによって扇状地の勾配がどのように異なるのか比較検討を行う上で,このように集水域面積と勾配が大きく異なる扇状地を対象とするのが適当であると考えた.

    _III_ 研究方法
    扇状地堆積物の調査を行い,扇状地を構成する礫の大きさを代表礫径Drと減衰率Rdで表現した.前面を侵食された扇状地は扇頂から扇端までの平均勾配が大きくなるため,扇状地の縦断面形を評価し,直線に近い縦断面を持つ上流側3分の2区間の平均勾配を扇状地勾配Sf として計測を行った. また,多目的ダム管理年報のダム流入量データをもとに各地域の確率洪水比流量を計算した.

    _IV_ 結果
    同程度の集水域面積で比較すると,北陸,姫川・松本盆地の扇状地のほうが琵琶湖周囲,讃岐平野の扇状地よりも急勾配であることの理由として,前者の地域では後者の地域と比較して概して山地から流出する礫が大きいことがわかった.また,再現期間が数年程度の確率洪水比流量では北陸,姫川・松本盆地,琵琶湖周囲,讃岐平野の各地域において大きな差は見られないが,再現期間が数十年と大きいとき,琵琶湖周囲,讃岐平野の確率洪水比流量が北陸地方,姫川・松本盆地の確率洪水比流量を大きく上まわり,各地域における扇状地勾配の差異を良く説明できることがわかった.扇頂上流の河床勾配Suと洪水流量Qを用いて表現した土砂運搬能の指標が代表礫径Drと良い相関を示し,山地から流出する礫の大きさがふるいわけにより規定されていることが明らかになった.

    _V_ 考察
    起伏比が大きくなると,集水域の河床勾配が大きくなり,扇状地に流出する礫が大きくなるため,扇状地の勾配は大きくなる.この結果として起伏比と扇状地勾配に正の相関があると考えられる.起伏比が一定で集水域面積が大きくなると,洪水流量が増大し,集水域から大きな礫が流出する.そのため,扇状地勾配は必ずしも小さくならない.しかし,集水域面積は起伏比と負の相関を持つため,結果としてに扇状地勾配と負の相関を持つと考えられる.

    引用文献
    斉藤享治(1985): 扇状地の特性を形成する因子. 東北地理, 37, 43-60
  • 遠藤 幸子
    p. 167
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
  • 長野県諏訪地域の工業技術研究グループの分析を通じて
    藤田 和史
    p. 168
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    I. 問題の所在 経済のグローバル化など,日本の製造業を取り巻く環境は近年大きく変化した.その過程で,日本の製造業は大量生産型の企業システムから脱却し,より技術集約・知識集約型の企業システムへと変貌を遂げてきた.この変化は,大都市圏工業集積に従属してきた地方圏の工業集積地域でも同様であり,地方圏の中小製造業でも知識集約化・技術集約化が進行してきた.この変化を可能としたのは,中小製造業独自の技術導入・研究である.そのような実践を通じて,自社技術の高度化,新規分野の開拓,そして自社製品の開発など,地方圏の中小製造業は新たな競争力を創造してきた.一方で,中小製造業単独の技術開発基盤の整備には,資本・技術情報探索などの点で制約が伴うが,商社などサプライヤーが,これらの機能を支援・補完する役を担ってきた.また,斯学でも研究が蓄積されてきたが,各企業の技術的発展を可能としたものに,工業技術研究グループがある.これらの研究グループは,製造業者や商社など多様な主体が参加するため,参加者間で技術情報の交換が行われる.これら商社や工業技術研究グループは,中小製造業の技術集約・知識集約化を論ずる上で,看過できない存在となりつつある.本報告は,長野県諏訪地域に立地する工業技術研究グループの分析を通じて,中小製造業への技術情報移転における鋼材商・工具商の機能を明らかにすることを目的とする.II. 諏訪地域の鋼材商・工具商の集積 諏訪地域は工業集積地域として著名であるが,それらの工業集積に対応して,鋼材商・工具商の集中もみられる(図1).長野県には千曲川沿岸と松本・諏訪の2大工業集積がみられるが,それらの集積と対応して,鋼材商・工具商は分布している.諏訪地域は南信地方の集積の核心となっており,首位都市である諏訪市・岡谷市に,商社の立地がみられる.また,副次的中心地である茅野市や下諏訪町にも一定程度の立地がみられる.諏訪地域6市町村には,113の鋼材商・工具商が立地する.その多くが,岡谷市の長地地区,諏訪市の四賀・中州地区に集中して立地している.在地資本の鋼材商・工具商のうち,従業者規模が比較的大きいものは,創業年次が1940年代から50年代と古い.一方,中小規模の商社は,鋼材商では1970年代,工具商では1960年代および80年代に創業した企業が多い.これら在地の鋼材商・工具商の増加に対応して,県外資本の商社の進出も1980年代を中心に進んだ.県外資本の商社の本社所在地は,東京都を中心とする関東地方が中心となっている.III. 工業技術研究グループの活動 諏訪地域には,市町村や個人などが主催する工業技術研究グループが存在する.本報告では,岡谷市の「コバール研究会」および諏訪市の「諏訪市難削材加工研究会」を事例として採りあげる.両研究グループは,需要が増加しつつあるチタン合金,マグネシウム合金やコバールなどの難削素材の加工技術の確立・向上を目的として設立された.研究グループは,製造業者を中心に構成されているが,技術アドバイザーやオブザーバーとして,鋼材商・工具商が参加している.研究グループの活動は,外部講師の招聘による講義,製品図面等を用いた加工・試削,検討会などによって構成される.加工・試削によって得られた知見は,検討会で技術情報として交換される.これらの各過程で,商社は情報探索機能を代替し,技術情報の提供を行う.このようにして得られた技術情報は,各企業において参加者を中心に再検討・再試削されることで共有され,その企業の技術として蓄積される.これらの点で,商社および工業技術研究グループは,中小製造業の技術集約・知識集約化の基盤となっている.
  • 宮島 良子
    p. 169
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに  京都市は、第2次世界大戦の戦災をほとんど受けていないため,戦前からの神社仏閣や京町家といった伝統的建築物が多く残っており,それらが,京都の景観を形成している.現在見られる京町家は江戸中期以降に建築されたもので,総二階・中二階・看板建築などの類型に分類される.1989年に京都市が行なった調査によると,約28,000軒の京町家が都心4区(に存在している(京都市1999).
     京都市では,1980年代から徐々に都心部が商業・業務機能に純化していく動きが見られるようになり(藤塚1990),それに伴って京町家が非木造共同住宅等へ建て替えられる傾向にある(橋本ほか2001).京町家の老朽化が進行しつつある今日において,京町家の保存は,伝統的な京都のまちなみを保存するうえでも,不可欠と言える.
     これまでの京町家に関する研究では,都市計画の観点から,京町家分布と居住者が抱える問題を踏まえた保存・継承方策が示唆された研究(三村1991)や空中写真から京町家の経年的変化を明らかにした研究(河角ほか2003)などが行なわれている.しかし,京町家の建て替え変遷や,居住者意思,京町家残存要因についての分析は十分になされていない.年々京町家が減少しているなかで,どのような京町家が消滅し,また,居住者のどのような意思決定によって残存したかという要因を明らかにすることが,京町家を保存する方策につながると言える.
     そこで,本研究では,1995年から2004年の間に,消滅した京町家と残存した京町家を特定し,京町家の経年的変化から,残存する要因を明らかにすることを目的とする.その際,規制や地域とのつながりといった外的要因と,京町家属性,居住者属性や意思決定といった内的要因の両側面からの分析を行なう.

    II 研究対象地域と研究方法  対象地域は,近年共同住宅など建物更新が急速に見られる都心部,とりわけ,四条通に面し,堀川通と烏丸通に挟まれる本能・明倫・格致・成徳の都心4元学区とする.この地域は,祇園祭の舞台として伝統的な地域コミュニティが現在も色濃く残り,さらにCBDとしての役割も兼ね備えている.また,この地域は1999年京都市によって職住共存地区に指定され,都心再生の中心地区として位置付けられている.
     研究方法は,「トヨタ財団助成による調査」(1995・1996年度)データを元に2004年に現地調査を行い,消滅した京町家特定を行った(矢野ほか2004).さらに,消滅した京町家に対して,ゼンリン住宅地図(1995・1997・2000・2003年)を用い,土地利用変遷をおった.また,残存する京町家に対しては,居住者の属性や意識を明らかにすべく,各学区30軒を無作為抽出し,ヒアリング調査を行なった.さらに,建て替えを行なった家居住者に対して,建て替えへ至った経緯をヒアリング調査を行なった.

    III 調査結果  1995・1996年度の対象地域内における京町家数は1,042軒であった.それらのうち,中二階は34%を占め一番多く,続いて総二階が30%であった.また,油小路通では総二階が多く,西洞院通で看板建築が多いなど,地域的な差異が見られた.
     このデータを元に,2004年度現地調査を行なったところ,192軒の京町家が9年間で消滅していた.取り壊された京町家のほぼ半分が一戸建へと建て替えられており,46軒の京町家が共同住宅へと建て替えられていた.
     また,残存した京町家(850軒)に対して行なったヒアリング調査からは,84.2%の世帯で継続居住の意思が確認された.継続居住の意思は,居住者属性や京町家属性と関係が見られ,老夫婦世帯の95.2%が継続意思を示し,小規模な京町家は継続に対して否定的な意思を持っていることがわかった.また,老夫婦や三世代同居,過去に全面リフォームを行なった世帯の継続居住意思が強く,今後残存していく可能性が高いと考えられる.その他,京町家を残存させるものとして,建築基準法等の法規,有形文化財としての指定などが,外的要因として挙げられる.
     さらに,一戸建に建て替えを行なった元京町家16軒に対して行ったヒアリング調査の結果,半数が5年以内に建て替えられ,その主な理由は,家族構成の変化や老朽化であった.

    IV おわりに  対象地域において京町家は年々減少し,その半数が一戸建へと建て替えられている.京町家が残存するためには,個人ではどうにもできない外的要因や,居住形態に起因した内的要因など様々な要因が影響している.そしてこれらの要因には,居住者以外が介入できないものと,他者からの援助が可能であるものが存在する.京町家保存の取り組みを居住者のみに任せるのではなく,税の軽減や,修繕費の補助など行政が居住者の負担を軽減するような対策がこれからは必要であると言える.
  • 松本 秀明, 野中 奈津子, 松宮 正樹, 竹村 亮子
    p. 170
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     筆者らは,仙台平野において自然堤防_-_旧河道地形の形成時期および形成期の地形環境について検討を行ってきた。1.仙台平野南部地区などの事例:平野部の地形勾配が1/1,000未満であり後背湿地の海抜高度が3m未満の阿武隈川下流地域などにおいて,本流から溢流し後背湿地上に延びる4筋の自然堤防_-_旧河道地形が2,600-2,400yrBP前後と,1,600-1,500yrBP 前後において,それぞれ極めて短期間に形成・放棄されたことが求められた(野中・松本,2004)。これらの自然堤防_-_旧河道地形の形成・放棄時期は,名取川_-_七北田川河間低地に認められる複数の埋積浅谷地形の埋積開始時期(Matsumoto, 1999)ともほぼ一致し,完新世後期の海水準微変動のうち,海面の上昇開始から海面上昇期と年代的な一致が認められている。2.仙台平野中部地区の事例:仙台平野中部地区では3/1,000前後の勾配をもち,3-20mの地盤高を有する扇状地上に認められる8筋の自然堤防_-_旧河道地形の河道放棄年代を求めた結果,3,090yrBP_から_1,140yrBPまでを示し,とくに時期的な共通性は認められなかった。これにより,阿武隈川下流部などの自然堤防_-_旧河道地形の形成・放棄時期に共通性が認められる事象の重要性が確認された(松本・野中・久連山,2004)。3.仙台平野北部地区には 七北田川が流入し,平野部の勾配は1/1,000未満である。約6,000年前までに拡大した海域は4,500_から_5,000年前に形成された第I浜堤列によって陸封され,潟湖として残存した。その後,七北田川の排出する土砂により潟湖が埋積されて現在に至るものと考えられている。 本研究では,平野北部地区の七北田川下流部において,低湿地やかつての潟湖底堆積物を覆って形成された5筋の自然堤防地形の形成年代を求めた。ここでは,自然堤防堆積物直下の後背湿地堆積物の年代から,各自然堤防形成時期を求めた。4.結果 山王および袋,出花および高柳の自然堤防地形はそれぞれ2,400yrBP前後,1,500yrBP前後に形成され,ここでも仙台平野の他地区における自然堤防形成時期との共通性が認められた。
  • 原口 剛
    p. 171
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.発表の目的 欧米においては、空間論的転回と総称されるディシプリンを超えた知的潮流のなかで、都市が固有の認識対象としてクローズアップされ、批判的都市論が次々と姿を現しつつある。本発表は、欧米における都市論の全体像に、多少なりとも迫ることを目的とする。しかし、都市論といってもその対象は幅広く、ともすれば論点が散漫になりかねない。したがって、本発表ではとりわけジェントリフィケーション論の展開過程に着目する。対象としてジェントリフィケーションを取り上げる理由は以下のとおりである。第一に、欧米におけるジェントリフィケーション論の展開には、四十年以上にわたる蓄積があり、それは社会階層論、不均等発展論、都市文化論がせめぎあう重要なアリーナであったということ。第二に、とりわけ1990年代に拡大をみせたジェントリフィケーションは、かつて近代都市における郊外がそうであったように、現代都市そのものを定義するような中心的現象となっている、ということである。2.ジェントリフィケーション論と都市表象発表の下敷きとして、以下ではジェントリフィケーション論の論点をおおまかに要約しておく。藤塚(1994)で明快に整理されているように、ジェントリフィケーション論にはConsumer side theory/Supply side theoryという二つの理論的潮流がある。Consumer side theoryの第一の論点は「誰がジェントリファイアーなのか」という点、つまりジェントリフィケーションの消費者の属性にあり、そうした論点は、社会階層論と接点をもつ。社会階層論によれば、後期資本主義社会は「新中間層」と呼ばれる階層が台頭によって特徴づけられる。そうした階層の人々の居住地選択やライフスタイルの嗜好(郊外に対する、インナーシティへの)が、ジェントリフィケーションの過程のなかで決定的な役割を演じている。一方でスミスに代表されるSupply side theoryは、ジェントリフィケーションを地理的不均等発展のひとつとして捉え、地代格差論を骨子とした供給者の動向を理論的主軸に据える。すなわち、インナーシティにおける投資の不在により起る地価の下落が発生し、望ましい土地利用を仮定した際の潜在的地代とのあいだに格差が生じる。そこにより高い利潤を求める金融資本が投資先としてインナーシティを見出し、郊外に流れていた資本がインナーシティ近隣へと回帰するのである。 以上の理論的潮流はジェントリフィケーションを、(それぞれ異なった視角ではあるが)「郊外/インナーシティ」という関係性のなかで捉える、という点では共通している。Mills(1993)は、ジェントリフィケーションの地理的想像力(神話)のなかでは、「郊外/インナーシティ」という差異的表象が機能している、と指摘する。したがって都市の地理的表象(そしてそれを生み出す文化生産者の役割)は、ジェントリフィケーションの過程においては決定的な重要性をもつ。ジェントリフィケーション論のなかで「郊外/インナーシティ」という関係性がどのように位置づけられ、また捉え返されたのか、これが、本発表の第一の論点である。 これを踏まえて第二の論点は、ジェントリフィケーション論から、どのような都市表象が生みだされたのか、という点を検討する。80年代までの理論的蓄積を梃子として、ジェントリフィケーション論からは、Emanicipatory City、Rrevanchist Cityという真逆の都市表象が生まれた。文献(ここでは、とくに要旨で触れたもののみを挙げている)藤塚吉浩 1994. ジェントリフィケーション!)!)海外諸国の研究動向と日本における研究の可能性. 人文地理46: 496-514.Caulfield, J. 1989. Gentrification and desire’ Canadian Review of Sociology and Anthropology 26: 617-32.Mills, C, A. 1993. ‘Myths and meanings of gentrification’, in Place/Culture/Representation、 Eds J S Duncan, D Ley, Routledge、 London, pp 86-96.Smith, N. (1996) The new urban frontier: gentrification and the revanchist city. London and New York: Routledge.
  • 大月 義徳, 曽根 敏雄, 西城 潔
    p. 172
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     カムチャツカ中央低地帯西方、スレディニ山脈内に位置するエッソ(ビストリンスキー地方中心地)周辺において実施した地形学的・地生態学的研究の一環として、エッソ東方8 kmの主稜線直近の緩斜面上に広く分布するソリフラクションローブ群について調査を行った。 当該斜面(55.9°N, 158.8°E付近)の標高は約1,200-1,280 m(周辺の森林限界高度は800-900 m)、主稜線鞍部をはさみ西向き・東向き斜面に分かれる。斜面長は西斜面で650 m、東斜面で250 m、平均勾配は双方とも9°前後を示す。基盤は鮮新-更新世?安山岩質火山岩・火砕岩類で構成され、これらはほぼN-S走向15-20°W傾斜の同斜構造をなす。なお本地点周辺における年平均気温は、エッソ北西方約4 kmの溶岩台地上の観測地点(標高1,034 m)にて〓3.7℃(1999年?2000年)、エッソ(標高480 m)で〓1.7℃(2001年?2002年)である(いずれも曽根ほか, 未公表)。また付近におけるいくつかの試掘や地温測定結果から、当斜面では最深で、地表下1.5 m程度に永久凍土面が存在すると考えられる。 当該斜面において、比較的大規模なローブが列状をなして西斜面に4段、東斜面に1ないし2段、それぞれ認められる。いずれもriser高は1 m程度で、時に3 mに及ぶ。これらのうち東斜面に存在するローブの形状と地下断面を図示する。ローブ内部は、基盤岩に由来する砂混じりシルトに大礫大の角?亜角礫を不均質に含む堆積物で構成され、腐植土などの有機物層が地表下に頻繁に潜在するのが観察される。堆積物全体の変形・移動過程の詳細を明示することは出来ないが、有機物層が3ないし4重に折り畳まれ、(見かけの)層厚50 cm程度以下の規模による堆積物移動の重ね合わせで、この規模のローブが形成・維持されている可能性も想定される。腐植土の年代測定結果からローブの前進速度は、約0.6 cm/yrと見積もられる。  上記の大規模ローブ上には、幅3-4 m、riser高30 cm程度の小規模ローブが数多く認められ、とくに西斜面では大規模ローブriser部において小規模ローブ群が密に分布する傾向が顕著といえる。これらの小規模ローブは地表において、その中核に高含水状態にある粘土質シルト(時に礫混じり)からなる裸地を形成し、これを植被のある高まりが周囲を縁取るように、全体として斜面下方に伸張する形態をなしている。小規模ローブ群の上端は、その分布からみて、基盤岩の岩相および溶岩ユニットの境界に一致しているように観察される。このことから、融雪期?夏期における基盤岩からの滲出水の流動経路に沿うように、小規模ローブが発生・成長し、これらが重層的に繰り返されることにより、本地点の大規模ローブが形成されている可能性があるといえる。 堆積物の液性限界、上載荷重・凍結圧等増加時の間隙水圧上昇に伴う堆積物の流動状況を把握することが、本地点のソリフラクションローブ形成を議論する上で必要であろう。
  • 戸田 真夏
    p. 173
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    The landforms which are composed of bedrock are generally thought to remain unchanged. Sometimes the bedrock channel is also treated as a permanent landform by engineers. In a short period of time, this may be reasonable but after several decades the form of the bedrock changes both gradually over time and suddenly during single events. Since it is technically difficult and needs a long period of time, the measurement of the erosion rate is rarely conducted. An estimate is usually made by a study of the relic landform. Thus the timing and size of the event or events which caused bedrock erosion are unknown.The Obitsu River on Boso Peninsula is incised into Tertiary rock. Using a modified Micro Erosion Meter direct measurement of erosion depth has been in progress since 1992 in Torii-zawa, the upper part of Obitsu, where massive sandstone is exposed on the channel floor. In addition the flow depth and daily precipitation data near the site are being recorded.Comparing these three sets of data (erosion depth, flow depth and daily precipitation), the following results were obtained. There were several intense rain fall events during the measurement period, there were also several big flooding events. These two types of events are not exactly the same. When erosion occurred it was during a big flood with more than 30cm water depth. According to the Sheilds’ function, this flow depth has a critical tracing force of 20.5cm gravel. This size is similar to the dominating large gravels of the banks located near the measurement site. In Torii-zawa when the flow depth is more than 30cm the large gravels are transported downstream. These gravels hit the rock bed and erosion occurs. During the length of this study the erosion rate reached 7mm/yr
  • 松岡 恵悟
    p. 174
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     仙台市の都心部では、1990年代末に大規模な賃貸オフィスビルが相次いで開発された。それらを含め1996年から2000年の間に竣工した賃貸オフィスビルの合計床面積は約35万m2のぼり、1995年までの都心部全体のストック(約151万m2)の4分の1に近い床面積が短期間に新たに供給された。そして、それらの新たなビル立地は、都心業務地域の核心的な地区よりもむしろ、仙台駅北部の戦後区画整理が行われず再開発の必要性が高い地区や、東部の1980年代に基盤整備が進められた地区に多く見られた(図1)。この研究では、これらの新規ビル立地がテナント・オフィスの入居を通じて都心空間の構造にどのような影響を与えたのかを明らかにすることを目的とした。
     近年、仙台市の都心部においても、他の多くの主要都市と同様に賃貸オフィスビルの空室率が高く、とくに1999年以降は10%を超える水準にある。仙台市は東北地方の地方中枢都市であり「支店経済」を基盤として発展してきたが、長引く不況のなかで支店の新規立地は少なく、既設支店の縮小・統合・撤退もみられるなど、オフィス空間の需要増が見込める状況にはない。しかしながら、その一方で設備の整った新しく大規模なビルは相対的に人気が高く、おおむね95%以上の入居率を維持している。
     オフィスビルは一般に竣工後時間を経るにしたがって陳腐化が進み、魅力を減じてゆく。とくにここ数年はオフィスのIT対応が強く求められたため、これに設備面で対応できない古いオフィスビルは市場での競争力を弱め、新しいビルの優位性が際立つようになった。そのため、新しく大規模なビルや設備のより優れたビルは、周辺の既存支店の借り換え需要に支えられ、テナントを集めることが相対的に容易であると言える。
     上述の新しい大規模ビルのうち1998年と99年に竣工した7棟について、入居オフィスの企業概要や以前の立地場所を調査したところ、各ビルとも大企業オフィスが多数含まれ70%前後が借り換えによるものであることが判った。なお、この調査は企業のホームページや会社年鑑、電話帳や住宅地図を資料として行った。また、移転前の入居ビルにおける空室の充てん状況についても調査を行った。その結果、相対的に新しいビルや規模の大きいビルでは、より古く小規模なビルなどからの借り換えにより、充てんが進みやすい傾向を見てとることができた。そして一方で古いビルのなかにはテナント転出後の充てんが進まず、空室率が60%を超えるものも見られた。
     以上のようなテナント・オフィスの移動を通じて、新たに大規模ビルが立地した仙台駅北部や東部地区は業務空間としての性格を強め、一方で古いビルの比率が高い核心的な地区ではオフィス立地数や従業者数が減少し空室率が上昇するという、都心空間の再編成が起こっていることを確認できた。
  • 千葉県北西部における研究事例
    田林 雄, 大森 博雄
    p. 175
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    _I_.研究背景 都市化が河川水質に与える影響は大きいと考えられるが、従来の河川水質研究は農地の影響や、汚染源の特定に力点が置かれたものは多く存在する一方で、都市化と河川水水質の関係性を多くの水質項目から総合的に論じたものはいまだ少ない。 日本において、今日においても都市域は拡大を続けており、都市化が河川水質に与える影響を研究する重要性は高い。 本発表において、流域の土地利用と河川水質の関係を明らかにする。その中で、都市化と河川水質の関係性について検討する。そのために都市化がある程度進行し、多様な土地利用が分布する地域を研究対象に設けることで、都市化の進行と河川水質との関係性を明確にできると考えられる。 _II_.研究方法 ひとつの流域を、主要な合流・分流で多数の支流域に分け、それらを土地利用構成によって分類する。平行して、支流域の最下流部で採水し水質分析を行ない、両者の関係を検討する。はじめに、支流域の土地利用構成を国土地理院刊行の10mメッシュ細密数値情報(1994)を用い、GISソフト、TNTmips6.8によって算出する。次に、支流域毎の土地利用構成を説明変数に主成分分析をし、異なった土地利用構成を持つ流域に統一的な解釈を与えるとともに、点数化した。 水質は、現地で水温、EC、pH、アルカリ度(HCO₃⁻)を測定し、実験室において主要無機イオンのSO₄²⁻, NO₃⁻, Cl⁻,Mg²⁺, Ca²⁺, Na⁺, K⁺の定量分析をした。 最後に、土地利用解析と水質分析から散布図を作成し両者の関係性を検討した。 本発表では2004年3、6、10、12月期に行った調査で得られたデータを提示する。_III_.研究対象地域千葉県北西部に位置する、坂川である。河川は下総台地に始まり、台地を下刻し、江戸川に注ぐ。東京都心部からは北東約30km圏に位置し、常磐線沿線にあるため東京のベッドタウンとしての性格が強い。都市化はこの沿線で著しく、この30年で進行した。だだ、都市化が進行している地域は一部で、流域全体でみれば多様な土地利用が分布する。当流域は下総台地にあり、地質条件は比較的均質であるため、地質が水質に与える影響は比較的小さいと考えられる。また、坂川の特徴として、上流部における利根川からの導水(北千葉導水)が挙げられる。_IV_.研究結果・考察 _IV_-1.流域特性主成分得点から、支流域の土地利用特性は1)森林卓越型、2)農地・都市的土地利用混在型、3)都市的土地利用卓越型の3類型に分類できた。このうち3)は住宅団地や宅地が卓越していた。また、2)が全支流域の過半を占めた。地形図や現地調査から本地域において、流域の土地利用特性は1)→2)→3)の順に都市化の段階をたどったと考えられる。よって、現在2)の類型にある支流域も都市化の進行によって3)に移行するものと推測できる。_IV_-2.河川水質と土地利用の関係都市化の進行とともに河川水質濃度は高まった。ただ、1)から2)への上昇に比べ、2)から3)の上昇は鈍化する。その一因として、2)から3)にかけて下水道等の都市基盤整備が充足していることが挙げられる。_V_.文献・大森博雄(2003):「高精度測定法による多摩川水系の水収支・物質収支の動態把握と河川水質形成機構の解明」.とうきゅう環境浄化財団研究助成・学術研究,31(227),37p
  • 屋外広告掲出活動を例として
    近藤 暁夫
    p. 176
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1、研究の視点 ある地点に立地した事業所に、重力に引き寄せられるように客が来店して取引が成立するには、消費者がその事業所の存在を知っている必要がある。取引が成立するには、前提として情報のやりとりが必要となる。企業(事業所)は、常に周囲の他者に対して自らの存在と事業内容を提示し、市場環境に参加しそれを改善する努力と投資を行なわなければならず、消費者の行動も、それらの情報を集め、解釈した結果である。われわれが接している、市場とそれに伴う空間組織は、このような主体間の情報と取引の不断の相互作用によって形成され、成り立っている。しかし、従来の地理学では、主に情報を受け取る主体である消費者の空間行動についての研究に比べて、もう一方の主体である企業側が情報提示により他者に働きかける努力と、それに伴う物的または意識的な空間構造の改変については検討が遅れている。 企業が自らについての情報を提示し、顧客の知覚と行動に働きかける行為を、マーケティング・コミュニケーション活動とよぶ。本発表では、その内、事業所の屋外広告活動を対象として、どこの、どのような事業所が、どのような屋外広告を、どこに掲出しているかについて明らかにし、事業所による情報提示活動の空間的特徴について報告する。2、研究対象および調査地域屋外広告主とその情報提示活動の空間特性の把握のために、名古屋大都市圏を研究対象とした。具体的な調査対象は名古屋市中心部から岐阜-大垣-桑名を結ぶ東西約20km、南北約30kmの範囲の主要道路沿いに出されている屋外広告と、その広告主とした。3、研究方法【1】 研究対象地域の主要道路(総延長約600km)沿いに掲出されている屋外広告(電柱附属広告、野立看板など)を徒歩により悉皆調査。【2】 電話帳をもとに広告主を抽出し、業種を分類するとともに位置をGIS化。【3】 広告主の分布を事業所統計による全体の傾向と比較し、どのような業種のどのような場所に立地している事業所が屋外広告を出すか検討。また、広告の分布と広告主との対応関係を検討。4、結果と考察【1】 屋外広告約2万1千個を確認。濃尾平野の主要道路においては、30mに1個の間隔で屋外広告が存在する。【2】 広告主は約8千件を確認。この値はこの地域の全事業所の2%余となる。調査の限界上、実際にはより多くの割合の事業所が屋外広告を出すものと思われる。【3】 広告主の大部分が地域の小規模事業所であった。特に医療関係、遊興・娯楽業、風俗宿泊施設、自動車関連業、小売業、理容業など、不特定の一般消費者の来店を必要とする業種の掲出が多かったが、町工場の類や建設業者のような、一般に広告の必要性が低いと考えられる業種も1割以上を占める。頻度に差はあるが、ほとんどの業種の事業所が屋外広告を出すと考えてよいだろう。【4】 一般に、都心部においては屋外広告を掲出する事業所の比率がかなり低い。郊外など、通常の生活行動の中では相対的に視認されにくい立地環境にある事業所が、より積極的に屋外広告による情報提示を通した他者への働きかけを行なっているものと考えられる。
  • 原田 一平, 近藤 昭彦
    p. 177
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1. 背景と目的
    1985年ごろから1990年代前半にかけて土地や株が高騰したバブル経済期に,東京都,千葉県,埼玉県,神奈川県(以下;東京圏)の都市へ人口が集中し,都市周辺の農地・山林地域まで市街地が拡大した。地価は都市の諸環境・諸機能を示す総合値であり(田辺,1951),その時・空間的変動は都市の内部構造を変化させる重要な要因である(脇田,1976)。土地の自然的条件は,居住や生産活動における利便性・快適性・経済性等の条件を規定し,土地の価格評価に影響を与える(水谷,2001)。本研究の目的は,東京圏を対象に地価データから時・空間的な地価変動を明らかにし,大都市及びその周辺を含めた地域の地価形成の実態把握とその要因分析を行うことである。
    2. 使用データ
    (a)国土交通省の地価公示価格(1983年から2003年),(b)国土地理院50万分の1土地分類図(関東地方),(c)国土地理院数値地図2500(空間データ)の関東鉄道路線
    3. 手法
    (1)土地利用別の地価変動
    地価公示価格データから東京都,千葉県,埼玉県,神奈川県,茨城県,栃木県,群馬県(1都6県)の1983年から2003年まで欠損のない2327地点のデータを使用した。商業地(207地点),住宅地(2028地点),工業地(86地点)と3つに分類した土地利用別の地価変動を解析する。
    (2)地形別の地価変動
     土地利用別に分類した地価データを国土地理院の50万分の1土地分類図をベースに低地,台地,丘陵地,埋立地,山地に分類した地形別の地価変動を解析する。
    (3) 東京都心からの距離別地価変動
     土地利用別,地形別に分類した地価データを東京大都市圏の都心である東京駅を中心とした6km毎のバッファ(0km_から_90km)を作成し,東京駅からの空間的距離別の地価変動を解析する。
    (4)重回帰分析による地価決定要因の分析
    地価決定要因の説明変数として,都心(東京駅)からの距離,最寄り駅までの距離,土地利用(商業地・住宅地・工業地),地積,建物構造,地形,水道・ガス・下水の有無,建蔽率,容積率をとりあげ,重回帰分析による地価公示価格の解析を都道府県別に行う。
    4. 結果と考察
    1983年から2003年までの土地利用別の地価経年変化は,バブル経済期における商業地の地価変動が最も大きい。1983年の商業地平均地価は住宅地及び工業地平均地価の約3倍の価格差があったが,1987年には約6倍と価格差が最大となっている。土地利用別に分類した地価をさらに地形別に分類した地価経年変化は,台地における商業地の地価変動が最も大きい。台地における住宅地の平均地価は1987年までは最も高かったが,1988年以降は埋立地における平均地価が最も高くなっており,1991年に台地と埋立地の価格差が約1.7倍と最大となっている。土地利用別に分類した地価をさらに東京駅を中心とした距離別に分類した地価経年変化は,商業地及び住宅地ともに 1983年から1988年までの地価変動の上昇が東京駅近郊で大きく,距離に比例して地価変動が小さくなる。地価の空間分布から住宅地地価は都心(東京駅)から西及び南西方向へ放射状に高地価が分布しており,郊外(空間的距離が都心から離れるにしたがって)にむかうほど高地価は少ない。しかし,商業地は都心だけでなく郊外にも高地価が分布しており,住宅地の地価形成と商業地の地価形成は互いに独立している。
    重回帰分析による住宅地公示地価データの解析を都道府県別に行った結果,都心(東京駅)からの空間的距離および最寄り駅までの距離の2つの説明変数が大きく効いており,全体変数の50%以上が説明でき,交通利便性の地価への影響が大きい。埼玉県,千葉県,神奈川県の住宅地地価は住宅地としての整備水準を示すガス・下水の有無と地形が,都心(東京駅)からの距離,最寄り駅までの距離に続いて地価の説明変数として高い値を示す。しかし,東京都の住宅地地価は地積,建蔽率が都心(東京駅)からの距離,最寄り駅までの距離に続いて地価の説明変数として高い値を示し,居住者が住宅購入の際に最も重要視する居住地の広さが地積と建蔽率に影響を及ぼしている。
    5. まとめ
    東京大都市圏における住宅地,商業地,工業地の地価経年変化及びマクロな空間分布の特徴について明らかにすることができた。
    しかし,地価形成の要因解析に進むには居住地周辺環境の整備が土地利用に与えている影響や居住者の選好の好みもあり,ミクロな解析が必要となるのでGISを利用した研究を進める予定である。
  • 赤坂 郁美, 森島 済, 三上 岳彦
    p. 178
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
    近年フィリピンの周辺海域や循環場の変動が注目される中,フィリピンの気候に焦点をあて,季節変化やその年々変動について詳細な検討を行っている研究は少ない.そこで,本研究ではフィリピンにおいて最も重要な気象要素である降水量に着目し,その季節進行や年々変動について明らかにする.フィリピンは大きく分けて北西部(ルソン島からパラワンにかけて)と東岸域でモンスーンの交替により平均的な雨季の時期が異なり,北西部では夏季に雨季があり,東岸では秋季に雨季があることが知られている.しかし,個々の年のモンスーン入り,終わりなどの季節進行を考慮に入れた雨季の年々変動については明らかになっているとは言えない.そこで本研究では,特に雨季入り・雨季明けの変動についてその経年的特徴を明らかにすることを目的とした.
    2.使用データ及び解析方法
    使用データはMatsumoto(1992)で集められたものに加えて,PAGASA(Philippines-Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration)から直接入手した日降水量データを半旬値に編集して使用した.解析対象期間は,1961-2000年である.観測地点数は,主成分分析を行うために,40年間で欠測値が31個以下の39地点を使用した.1961-2000年のデータに対して主成分分析を行った結果,第1主成分(寄与率 32.8%)がフィリピン全体の降水量の増減を表していると解釈できたため,第1主成分のスコアの変化から夏季の雨季入りと雨季明けを定義した.雨季の連続性を考慮するためにスコアの値を5半旬移動平均し,更に雨季入り・雨季明けの半旬を特定するためにU-検定を適用した.検定は有意水準5%で両側検定を行った.第1主成分の5半旬移動平均スコアの値がマイナス(プラス)からプラス(マイナス)に交替している期間の前後1ヶ月の間に,検定量の最も小さい2グループの境にあたる半旬を雨季入り(雨季明け)と判断した.
    3.解析結果
    図1は第1主成分のスコアから定義した各年の夏季の雨季入り・雨期明けの半旬を示したものである.フィリピン全体における夏季の雨季入り半旬の39年平均値は29半旬(5月21日-25日),標準偏差は3.8半旬であり,雨季の持続期間の平均値は37.6半旬,標準偏差は8.87半旬であった.また,Ropelewski and Halpart(1987)によりエルニーニョ現象が起きた年にフィリピンでは少雨なることが指摘されているが,エルニーニョ年に雨季入りの遅れ,及び雨季の持続期間が短くなるといった特徴は必ずしも表れていない.エルニーニョ現象が起きた年のフィリピンにおける降水量変化については,量や降水強度による議論が必要であることが示唆される.また,1999-2000年にかけては乾季(1-4月)に連続したプラスのスコアが表れており,これは他の年にはみられない特徴であり,検討が必要である.
    参考文献
    Matsumoto,J.1992. Climate over Asian and Australian monsoon regions. PartII, Distribution of 5-day mean precipitation and OLR. Department of Geography, University of Tokyo.
    Ropelewski and Halpert .1987 . Global and Regional Scale Precipitation patterns Associated with the El Nino / Southern Oscillation .Mon.Wea.Rev 115:1606-1626.
    図1 第1主成分の5半旬移動平均スコアの符号とU-検定から決めた雨季入り▲(雨季明け▼)半旬グレーなっている半旬はスコアの5半旬移動平均値がプラスである半旬.
  • 石井 伸幸, 福岡 義隆
    p. 179
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 従来の都市気候(ヒートアイランド)の調査研究は晴天時が対象とされてきた。降水直後のヒートアイランドに、都市表面の土地利用の違いが如何に反映されているかを明らかにするかは、温暖化対策の上でも重要である。本研究では1年間の自記録による温湿度データを解析した結果について考察した。2.研究方法_丸1_観測方法:熊谷市内の23箇所に「おんどとり」を設置。_丸2_解析方法:降水後日と連続天気日の事例ついて等温線を描き、ヒートアイランド強度の日変化を求めた。熱的特性との対応も考察した。3.研究結果_丸1_連続晴天日の多くは昼間のヒートアイランド形成は弱いが降水後日は昼間に顕著である。_丸2_ヒートアイランド強度は都心上位3地点の平均気温と郊外下位3地点の平均気温の差として求め、その日変化について降水後日と連続晴天日を比較すると、前者(図2)は昼間に大きく後者(図3)は1日中ほぼ同じ値で推移している。
  • 中谷 友樹, 中瀬 克己, 小坂 健, 岡部 信彦
    p. 180
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    欧米の先進諸国と比べ、日本におけるHIV感染症の罹患率は依然として低いものの、日本で初のAIDS患者が確認された1985年以降、HIV感染者数は着実に増加しつつある。1990年代初頭までは、日本におけるHIV感染症流行は主として東京とその周辺の都道府県で顕在化していたに過ぎなかった。しかし、日本全体での感染者数の増加とともに流行地域は拡大し、近年では、大都市圏とともにその以外の地域での感染者数増加も懸念されている。そのため、日本におけるHIV感染症流行の有効な対策をはかるには、地域的な流行拡大動向の把握、流行拡大を推進するメカニズムの理解、将来的な流行推移の予測が必要である。この目的に資するため、本研究では、AIDS/HIVサーベイランス資料に基づき、都道府県別HIV感染者数(日本国籍)の推移を視覚化するとともに、日本におけるHIV感染症の多地域流行モデルを構築し、将来的な流行推計と流行の空間的な関係性の検討をはかった。
  • 本岡 拓哉
    p. 181
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1996年,イスタンブールでの第二回国連人間居住会議(ハビタット_II_)において「住居は基本的人権の基礎」であり,「各国政府は居住の権利を完全かつ前進的に実現する義務を負う」ことが「居住の権利」として採択されて以降,「居住の権利」はわが国の住宅研究において関心を集めつつある。ここでの「居住の権利」とは居住へのアクセスの権利,占有の保障,住居の質の補償というように大きく三つの要素から成り立っており,生存権の基礎として位置づけられている。しかし,早川(2001)が指摘しているように, これまでわが国では住むことを権利と考える者は少なく,また政府が主導する住宅政策においても「居住の権利」への視点が欠落していたといえよう。本報告では,わが国の戦後の都市空間において「居住の権利」が軽視された事例として,終戦直後から高度成長期にかけて展開したバラック住宅地区のクリアランスについて取り上げる。具体的な研究手法としては,バラック住宅地区が問題化される際の社会的コンテクストを明らかにしながら,バラック住宅地区解消に対する神戸市の制度的実践の執行過程を追っていく。また,バラック住宅地区住民による主体的な「居住の権利」の主張にも注目し,地区が撤去対象となった際,住民組織としていかなる振る舞い(運動)を見せたか検討する。 終戦直後は社会全体が混乱し,また資材難,資金難だったため,公民それぞれのセクターの住宅供給が滞った。そのため多くの者が「不定住」の状態となったが,ここでの「不定住」には浮浪するケースと,市有地や民有地などに仮小屋!)バラック!)を建てるケースの2通りがあった。当時の政府は社会福祉政策のなかで「不定住」問題に対応したが,GHQの指令により浮浪者対策が前面に押し出されたために,一定程度,プライベートな場所が確保された仮小屋居住者の存在は黙認され,バラック住宅は都市内で放置されることになった。また,「都会地転入抑制緊急措置令」が1949年に廃止され,神戸市内への流入人口が増加したことで,1950年頃にはバラック住宅が終戦直後に比べ増加,拡大していった。 こうした状況に対して,1950年の生田区(当時)鯉川筋の集団撤去を皮切りに,神戸市は復興区画整理事業に対して「障害物」となるバラック住宅を強制撤去していった。また,復興事業が進捗する一方で,老朽化が早いバラック住宅の集中地区が周囲から異質化し始めていた。1950年を過ぎるとバラック住宅地区が問題地域(特異性部落)として新聞などメディアによって扱われるようになったのである。そこでの問題とは主に四つの側面が指摘できる。一つ目は赤痢などの伝染病が蔓延する劣悪な環境として取り上げられる衛生的側面である。二つ目は,戦前から展開する「ミナト神戸」「国際港都」としてのイメージとはかけ離れた,バラック住宅地区の無秩序が示される景観的側面である。そして三つ目が建築構造上の問題と密集度との関係から大規模火災が多発するという防災的側面である。四つ目が「犯罪の温床」として見なされる反社会的側面であるが,とりわけ1955年を過ぎた頃からバラック住宅による「不法占拠」が不動産「窃盗」であると言われだした。すなわち,「不法占拠」の犯罪性が前面に押し出され,住宅困窮者としての居住者へのまなざしが後景化していったのである。 このようにバラック住宅地区が周辺地域から異質化し,そしてそれに対する問題視のまなざしが都市空間,社会の中で構造化されることで,行政の撤去活動が市民権を獲得しはじめた。それを受け,神戸市は1958年に大規模な不法占拠地区調査を敢行し,市内にある約3000戸の不法占拠バラック住宅が行政の撤去対象として明示された。その後,市は1960年から65年までに年間約300戸ずつを,1966年からは約100戸ずつを撤去し,1970年までにバラック住宅はほとんど消失していったのである。 バラック住宅の撤去に際して,神戸市は「不法占拠」を理由に居住者に換地や代替住宅の提供は一切行なわず,見舞金という形で移転保障費が支払うだけであった。一方,行政による撤去作業,保護に対して,「居住の権利」を盾にした住民運動の存在もあった。しかし,住民運動が神戸市に対して「居住の権利」を勝ち取ったことは皆無に等しかった。なぜなら神戸市は居住者それぞれと自主撤去を勧める交渉手法をとり,住民の組織化を内部から瓦解させたのであった。そのため,代執行によって強制撤去されるのではなく,自然消滅するバラック住宅地区が多かったといえよう。
  • 南パンタナールにおけるスポーツフィッシングの発展と漁村の変貌
    丸山 浩明
    p. 182
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1990年代に発展した南パンタナールのエコツーリズムは、とりわけスポーツフィッシングの進展に大きな特徴がある。スポーツフィッシングの導入により、伝統的な魚取り漁師たちは、釣りガイドや生き餌捕獲漁師へと急速に経営転換を図った。しかし、その一方でさまざまな環境・資源問題が発生し、その解決を図るために釣りにかかわる多様な法規制が強化された。その結果、2000年以降、スポーツフィッシング客の流入が減少し、漁師の経営を悪化させてふたたび新たな経営転換を迫っている。
  • _-_「馬込文士村」を事例として_-_
    大矢 幸久, 椿 真智子
    p. 183
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     明治30年代以降、東京郊外は理想的住宅地あるいは審美的対象として認識され始めた(樋口:2000) 。郊外に対する眼差しや認識を扱った研究としては、国木田独歩や徳富蘆花などの作品分析や、行政主導の都市計画あるいは鉄道・不動産会社の住宅地開発を扱ったものが多い。しかし都市化が急速に進展する関東大震災以降の都市郊外が、当時の人びとにどのように認識されイメージされていたのかについては十分解明されていない。そこで本研究では、昭和戦前期において東京郊外に向けられていた眼差しを、郊外を生活の場とした作家の作品(小説・詩・随筆・日記・書簡等)にもとづき検証し、都市郊外という「生きられた場所」のもつ意味を明らかにすることを目的とした。具体的には、明治末から昭和前期にかけて多くの作家や画家たちが集住した「馬込文士村」をとりあげ、まず馬込在住文士の作品を題材として、馬込の表象景観の特徴を考察した。東京の都市化が進展する過程で、文士や芸術家や集住した地域として田端・馬込・落合・阿佐ヶ谷などがあげられるが、本報告では、景観・風景の描写が頻繁に作品中に登場する作家が多く居住していた馬込に着目した。作品分析に加えて、馬込周辺の都市化の実態や文士たちの生活行動の分析を行い、当時の理想的な郊外観について検討を行った。 作品に描写された馬込のイメージは、肯定的なイメージと少数の否定的なものとに分類された。肯定的なイメージ表現としては、「郊外」、「村」、「田舎」、「田園」、「明るい」、「環境が良い」、「自然が豊かな」、「西洋的」、「絵画的」、「武蔵野」などがあり、都市や他の郊外地域とは差異化され賞賛されていた。これらのイメージ表現は、地形・植生・気象に関する「自然景観」、田や畑・作物・農家・農業施設に関する「農業景観」、住宅・都市的な人間・都市インフラに関する「都市的景観」の3つの景観要素から構成されている。とくに、自然・農村景観と「文化住宅」などの近代的住宅景観が混在する風景描写が多くみられた。また少数の否定的イメージを構成する景観要素の多くは、肯定的イメージと重複しており、描写された時期や作者・場所により異なる評価が与えられていた。 馬込の表象景観を国木田独歩の『武蔵野』に代表される武蔵野観と比較すると、_丸1_自然景観・農業景観を賛美していること、_丸2_空間の広がりを強調していること、_丸3_自然景観と農業景観、都市的景観が混在する風景を賛美している点に共通性がみられる。一方、異なる点としては、_丸1_西洋的・絵画的であること、_丸2_住宅や都市インフラ(道路・電線・電柱)、都市的な活動や生活風景など、都市的要素や近代化を象徴する要素が多く登場することがあげられる。 次に、地籍図や旧土地台帳等の資料にもとづき、馬込のイメージとその実態との関係を考察した。台地と低地とが複雑に入り組む馬込は、1920年代以降急激に人口が増加し、住民の職業構成も変化した。昭和初期における土地利用は、農村が広がる「西馬込地区」、耕地整理をへて農業的土地利用と宅地とが混在する「馬込台東地区」、市街地化した「谷中地区」の3地区に大きく分かれる。当時の馬込は都市化最前線に位置し、純農村的性格と都市的要素とが混在していた。作品中に登場する景観要素の分布をみると、自然景観は、山林や農地に加えて住宅の庭先に植えられた植物も含み、すべての地区に存在していた。一方、農村景観は「西馬込地区」と「馬込台東地区」に、都市的景観は「馬込台東地区」と「谷中地区」に主に分布していた。賞賛され肯定的に捉えられた豊かな自然や住環境は、実際には既に都市化の影響を受けつつあり、変化途上の風景であった。 馬込に居住していた作家の生活行動は、銀座・丸の内・新橋などの都心部や大森駅周辺にも広がっており、彼らが日常的に都市的生活や都市文化を志向していたことが読みとれる。作品中に、大森を「文明」、馬込を「田舎」「雑木林風」として二項対立的に捉える描写があるなど、馬込のイメージは「文明」的でモダンな大森の存在を背景に成立していた。 昭和戦前期における馬込は、独歩の「武蔵野」観を継承しつつも、近代的な都市生活や交通条件の良さと、「自然」「田園」の双方を享受できる理想的な生活の場として評価されていたと考えられる。
  • ─沖縄県浜比嘉島を事例として─
    前畑 明美
    p. 184
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究目的 日本は、周囲を海洋に囲まれた世界有数の島嶼国である。その広大な本土とは対照的に、小島嶼では第二次世界大戦以降、本土との隔絶から派生する「後進性」の改善が要請され、国による「離島」振興が推進されてきた。特に1960年代からの「架橋時代」、島々は本土からの莫大な投資により近代化・資本主義化を進め、急速にその孤立性を喪失したといわれる。しかし現在も、それら多くの島嶼では後進性からの脱却は果たされていない。人口減少と高齢化、地場産業の衰退、共同体の消滅によって社会的存続の危機にある。今や日本の島々は、縁辺地域として固定化され、最も生活空間の様相が変質し地域社会の衰退が顕著な地域となってきている。本報告では、沖縄の浜比嘉島を事例とし、“架橋化”という島の大近代化事業を通した「島社会」の変容とそのしくみを、“島嶼性”を考慮しながら総合的に検討してみたい。2.島嶼の架橋化 島嶼地域の架橋化は、事実上、海上交通から常時陸上交通システムへの移行を意味する。それは島嶼の特性である海による本土からの隔絶性を除去し、自然の制約を越えた人と物の自由な往来を可能とする。これまで「離島」振興においては、この隔絶性の解消こそが島の抱える社会・経済問題を解決すると考えられてきた。広域化・大規模化・高速化へと進む現代社会にあり、生活や生産・流通にもたらす橋のプラス効果は絶大、かつ人口減少を抑制するとみなされている。いわば後進性脱却への最終手段である架橋化は今日まで諸島嶼で進められ、現在120橋を数える。3.対象地と方法 浜比嘉島は、沖縄本島中部東海岸の太平洋上に浮かぶ、面積が約2㎢の島である。農業に加え、沖縄屈指の広大なイノー(サンゴ礁の浅い礁池)を背景に漁業を基幹産業としている。琉球開闢の神が渡来した島として知られる浜比嘉島もまた、戦後に人口が減少の一途をたどり(1997年の架橋の前には、40年間に国勢調査人口は1372人から421人へと約70%減少)、過疎が進行していた。 用いるデータは、島での面接による聞き取り・参与観察に拠るもの、そして各種の統計である。これらを基に、島の内情についての価値判断に重点をおき、架橋化に伴う生活の質的変化をみていく。その際、様々な要素から成る「島社会」を捉えるには多面的な考察が必要となる。本研究では、人口・産業・共同体の三つの側面から変容の全体像にせまり、それをふまえそのしくみについて明らかにする。4.結果の概要(1)架橋後の島では、交流人口が増加したにもかかわらず、人口再生産はなお縮小し、引き続き人口の減少傾向がみられる。(2)産業も、その再編過程においてモズク養殖への特化に至り、全体として縮小・不安定化している。(3)共同体は内部の個別化・孤立化を受けて急速に弱体化し、解体へと向かっている。(4)日々の生活や産業、共同体の複合体として成立する「島社会」は、存立基盤そのものを喪失しつつある。その結果、本島への依存性が強まる中、受動的変化を遂げながら「島社会」は著しく衰退してきている。しかしこうした島の動静は、島嶼の人々の人間関係や人と島との関係における現代社会特有の変容ともまた別言される。(5)近年の島の変容は、架橋化のもたらした輸送や心理の効果が、海に基づく「人の繋がり」や「多様な暮らし」を包括していた伝統的「島社会」に対し限定的に、同時にマイナスとしても全般的に働いた帰結である。先行研究では人口面での架橋効果が示されているが(宮内・下里,2003)、島の統計人口を扱う際の問題、さらに「島社会」全体のプラス面を上回るマイナス面の影響にも留意していく必要があると考える。島嶼地域の架橋化は、確かに海上交通にはない利便性を島にもたらす。しかし事例を通しては、島独自の社会生活の向上、および社会的存続という点では、その効果が島嶼の特性に十分に反映されず、一定以上の効果を生み出すのは難しいといえる。
  • 黒田 真二郎, 蟹江 美由紀, 松山 洋, 岩田 修二, カダル ケズル
    p. 185
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    ●はじめに 日本の周氷河岩屑斜面の大部分は既に化石化しており,そのほとんどが粗大礫で構成され植被に覆われている.こういった粗大礫で構成され,それでいて活動している斜面は,国外の高山や高緯度地域に多くみられるが,その移動様式や形成環境,斜面発達はよくわかっていない. 筆者らは,中国天山山脈において周氷河岩屑斜面の上部・中部・下部で斜面物質移動量(volumetric velocities)を求めるために,放棄年代の判明している道路上のデブリを測量し移動量に換算した.本研究では得られた3箇所の斜面物質移動量を比較し,斜面上部から下部への物質収支について論じる.●調査場所・方法 標高約4000mの中国新疆ウイグル自治区天山山脈ウルムチ河源流域の東向き斜面,平均傾斜は37°,礫径0.8_から_1.5 mを主構成とした活動中の周氷河性岩屑斜面であり,斜面には1960年に放棄された道路がある. 斜面物質移動量は,これまで多くの研究で求められているが,そのほとんどは基質が充填された斜面物質構成層に,ひずみプローブを埋め込み,その変形量から算定されてきた.しかし,粗大礫で構成される周氷河岩屑斜面は,基質を欠くためその方法を用いることはできない.そこで本研究では,放棄道路を平板測量し,石垣で作られた山側法面から道路上に押し出したデブリを図面からよみとりその量を計算した.そして,その値を44年分の移動物質として斜面物質移動量に換算した.●結果と考察 1) 露頭観察から,層厚1_から_1.5 mの基質を欠く岩屑層の下に,凍結・融解をするのに充分な細粒層が層厚0.1_から_0.4 mで存在し水分を良く含んでいることが分かった.その下層は基盤岩となる.2) デブリの量は上部80.42 m3・中部15.18 m3・下部21.03 m3であり,年間移動量に換算すると,それぞれ0.0156 m3m-1y-1・0.0031 m3m-1y-1・0.0031 m3m-1y-1となった.物質移動量は斜面上部で大きく,中・下部で小さい.このことは,斜面上部は中・下部に比べ多くの斜面物質が排出されているということであり,中・下部にはその排出された物質がたまっているということになる.つまり,この斜面の縦断形は,斜面中・下部が膨らむような凸型化が進行する状態にあると示唆される.本研究は東京地学協会平成16年度研究・調査助成金および国土地理協会平成16年度学術研究助成を用いた
  • 蟹江 美由紀, 黒田 真二郎, 松山 洋, 岩田 修二, カダル ケズル
    p. 186
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    ●はじめに 岩石氷河は,永久凍土の存在を示唆する地形であり,その活動状況は過去・現在のその地域の気候条件に左右される.天山山脈ウルムチ河源流域には,U字谷の側壁斜面下部に連続する崖錐型岩石氷河が多くみられる(図).連続する岩石氷河のうちウルプト谷の岩石氷河は,前縁部の立ち上がり部分の標高が5m違うだけで,岩石氷河の表面形態に変化が生じている.この岩石氷河について,詳細な測量とライケノメトリーの調査をおこなった.本研究では,それぞれに得られた相対年代と形態を比較し,活動岩石氷河が停滞・化石化していく過程におきる崩壊の特徴をあきらかにする.●調査場所・方法 中国新疆ウイグル自治区天山山脈ウルムチ河源流域のウルプト谷入口付近北向き斜面に連続する岩石氷河3個について,平板測量により地形図を作製した.また前縁斜面にてオオロウソクゴケ属のXanthoria elegansの内接円径30個の平均を4箇所で計測し,Zhu(1996:PPP,Vol7,P79-94)が用いた成長曲線に当てはめ成長年代を求めた.岩石氷河は活動時,前縁部が前進をつづけるため礫移動により地衣が成長できないが,停滞化して前進が停止すれば礫移動が停止し成長できるようになるので,地衣の成長年代は前縁部の前進が停止してから現在までの期間を示す.●結果と考察 1) RG1は前縁部の比高が20 m,頂面のリッジははっきりしているが,若干のガリーが入っている.RG2の西半分はRG1に近い形態をなすが比高は8 mと低く,頂面のリッジは不明瞭.東半分は前縁部の比高が5 mで一部に馬蹄形の崩壊跡があり,頂面は著しい陥没や段差がある.RG3の前縁部の比高はRG2と変わらないが,馬蹄形の崩壊跡が全体にみられ,一部前縁地形が失われており.頂面は中央部にRG2より大きな陥没がある.RG1の比高に比してRG2・3の比高が少なく逆に頂面面積が広くなり地形が複雑化していることから,RG2・3は内部の氷が融けきってつぶれ,平坦化した地形と考えられる. 2) 地衣の平均内接円径は_丸1_18 mm_丸2_-W 27 mm _丸2_-E 31 mm_丸3_49 mmとなった.ウルムチ河上流域におけるXanthoria elegansは,0_から_40 mmまで急激に成長する.そのため_丸1__丸2_の年代を成長曲線から求めることはできないが,_丸3_はおよそ80年前から成長が始まった. 3) ライケノメトリーの結果から,岩石氷河の停滞・化石化は80年前から始まり,RG3,RG2東側,RG2西側,RG1の順で進んだと考えられる.RG1を停滞化直後,RG3を化石化した岩石氷河地形と考えると,崖錐型岩石氷河の停滞・化石化に伴う地形の崩壊は次のように進行する. a.岩石氷河が停滞するとまずガリーが侵入→ b.内部氷が融けて比高が低下,リッジが不明瞭になり平坦化が始まる→ c.さらに氷が融けて頂面の平坦化に加え陥没が生じ,前縁部は崩壊がおこる→ d.頂面の陥没はさらに大きくなり前縁地形は不明瞭化し,低平で面積の広い地形になる.本研究は東京地学協会平成16年度研究・調査助成金および国土地理協会平成16年度学術研究助成を用いた
  • 橘 美由紀, 渡辺 悌二
    p. 187
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
    北海道,礼文島の風衝地には,常緑矮生低木のツツジ科近縁種であるガンコウラン(Empetrum nigrum)が生育する.低緯度かつ低山である礼文島の風衝地で,同様の形態変化をガンコウランにおいて確認した.しかし,植物の矮小化については,体系的な認識のみならず,明確な定義さえなされていない.また,低地に生育するガンコウランについて,日本での研究は,分布の記載に限られ,生態を明らかにするための基礎的なデータさえほとんどない.本研究では,礼文島の低山の風衝地において,ガンコウランの分布特性と形態変化を明らかにし,微気象を斜面方位で比較することで,ガンコウランの環境適応を考察する.
    2.調査地域および研究方法
    調査地は, 礼文島,礼文林道付近の標高221.5 m の丘陵である. 2003年5月から2004年11月に, 東西南北の各斜面で,野外観測および現地調査を行った. まず, 測量により作成した等高線間隔1m の地形図を基に, 方形区ごとに植生および裸地, 礫の分布を記載し, 斜面ごとにガンコウランのフェノロジーと形態を調査した.つぎに,積雪,風速, 土壌水分,降水量,日射量,また通年の気温,群落内温度(地上5 cm)と地温 (地下5 cm) を, 頂上と東西南北斜面の5地点で測定した.
    3. 結果と考察
    植生の分布と構造土の形成により,斜面方位で微地形が異なることが示された (図1). 風衝地は,植被階状土を形成するガンコウラン群落,草本群落内のガンコウラン群落, 草本群落, ハイマツ群落(Pinus pumila), ササ群落(Sasa kurilensis),裸地に分類される. 北斜面には, 裸地化したTreadとガンコウランに覆われたRiserから成る, 植被階状土が広がる. 急な西斜面は, 上部で露出した基盤岩を伴う砂礫地で, ガンコウランが部分的に存在する. 南斜面は条線土が大部分を占め, ガンコウランやスゲなどが点在する. 緩やかな東斜面では, ガンコウランやウスユキソウ(Leontopodium discolor),ススキ(Miscanthus sinensis) などの草本類が分布する.
     斜面方位で,ガンコウランの3つの形態が明らかとなった(n = 165)(図2).北斜面で矮小形と匍匐形,西・南斜面で匍匐形,東斜面で直立形を成す.矮小形では,他形と比較して,植生高(= 26 mm)と年間伸長量(= 10 mm)において有意差を示し(P < 0.01), 北斜面の稜線付近で局所的に分布する.直立形と匍匐形では,斜面方位で年間伸長量の差は認められず(= 20 mm),一方,東斜面の植生高(= 78 mm)は,北・西・南斜面(= 34,45,36 mm)と比べて有意な差を示した(P < 0.01).
    ガンコウランの形態と微気象を斜面方位で比較した結果,風衝地で,ガンコウランの形態変化をもたらす主因は,冬の低温ではなく,通年の風であることが示唆された(図2). 北斜面は,強風と土壌水分が不足する最も厳しい環境下にある.北斜面の矮小形は,強風により生育が最も規制された結果,生じた適応形態である. 北・西・南斜面では,強風と積雪の有無が,土壌の凍結融解と構造土の形成に寄与する. その結果,礫の移動により,ガンコウランの分布と生長が制限され,地表面を這うように匍匐形を成す. 東斜面では,弱風と良好な水分条件の下,他の植物の生育促進に伴い,光環境が制限される. その為,ガンコウランの垂直方向への生長が助長され, 直立形となる.
  • _-_GISを利用した市町村単位の考察_-_
    財城 真寿美, 小口 高, 小池 司朗, 山内 昌和, 高橋 昭子
    p. 188
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    【 I はじめに 】
    人口の分布は気候や地形の条件に大きく影響されるが,この関係を詳しく検討した研究例は少ない.その理由として,自然環境が良い場所に人が集まりやすいことが自明とみなされ,詳しい検討の必要性が求められないことなどが挙げられる.しかし,最近の文理融合型研究への関心の高まりと,GIS及びデジタル空間データの普及・整備によって,人口の分布と自然環境との比較検討が容易にできるようになった(小口ほか, 2003).
     本研究では,GISを用いて,国勢調査メッシュデータと50 mメッシュのDEM(デジタル標高モデル)を分析し,これまで都道府県単位で検討されてきた居住と地形条件(標高・傾斜)との関係(大友ほか, 2001: 小口ほか, 2003)を,より詳細な市町村単位で明らかにしていく.

    【 II データと解析方法 】
    居住地の分布解析に利用したデータは,2000年度国勢調査地域メッシュ統計の基準(3次)地域メッシュデータを,UTM座標系へ変換した後に人口1人以上のメッシュ(居住地)と人口0人のメッシュ(非居住地)に二分したものである.利用した50 mメッシュのDEMは,北海道地図(株)のGISMAP Terrain UTM座標系標高格子データである.湖沼や河川などの水面に位置するデータは,マスク処理を行って消去した.
     まず,居住地のメッシュと重なるDEMのデータを抽出し,そのデータを市町村ごとに集計した.さらに,居住地のメッシュに重なるDEMのデータから傾斜を計算し,市町村ごとに集計した.非居住地のメッシュに関しても同様の集計を行った.市町村界のデータは2001年1月現在のものである.
    なお,データの解析にはESRI社のArcView 3.3を使用した.

    【 III 結果と考察 】
     1.標高との関係
    居住地の最大標高が上位20位に含まれる市町村を表1に挙げた.これらの市町村は,日本アルプスを含む地域に集中しており,山小屋を居住地として含む地域である.また,上位20_から_50位の市町村は,標高2000 mを下回る山小屋のほかに,スキー場や温泉地などの観光業の盛んな市町村が含まれる.
     居住地の平均標高が上位50位に含まれる市町村も,日本アルプスを含む地域に集中しており,ほとんどが群馬・長野・山梨・岐阜4県の高低差の小さい市町村である.最大標高が上位となった富山県のいくつかの市町村は,前述の4県の市町村に比べて高低差が大きく,居住地が比較的低標高の地域に立地するために,平均標高の上位には含まれない.
     2.傾斜との関係
    居住地の平均傾斜が大きな市町村は,小口ほか(2003)で指摘されているように,山間部での林業や畑作が伝統的に盛んな地域である奈良県や四国地方の市町村に多くみられた(表2).上位20_から_50位には,埼玉や東京など首都圏の郊外に位置する市町村も多く含まれる傾向があり,郊外開発による居住地の拡大が,通常では利用しにくい急傾斜地に及んでいると考えられる.
     また,9位の御蔵島村は,直径約5 km,最高点850.9 m(御山)のすり鉢状の地形をした島であり,その縁辺部に居住地が分布しているためと思われる.
     今後は,標高と傾斜が中_から_下位の市町村を含む検討や,人口密度と地形との関係の詳細な検討が必要である.

    参考文献
    大友 篤・笹川 正・角田 敏. 2001. 『土地形状別人口統計とその分析』(財)統計情報研究開発センター.
    小口 高・伊藤史子・青木賢人・青木宏人・江崎雄二. 2003. 人口の分布・増減と地形との関係!)GISによる都道府県単位の解析. 厚生労働省科学研究費総合報告書, 47-90.

    *Corresponding Author(財城): zaiki@csis.u-tokyo.ac.jp
  • 小玉 芳敬, 岡田 昭明, 森 大輔, 中務 慎也
    p. 189
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     天然記念物・鳥取砂丘において1992年以降,4本の学術ボーリング調査(B1_から_B4)が実施されてきた。この結果をふまえて小玉ほか(2001)は,鳥取砂丘が成立する以前の景観から,砂丘形成へと至る地形発達史のモデルを提示した。その一コマに砂丘形成以前のものとして,古千代川の峡谷景観が描かれている。これは,1999年に実施されたB4ボーリングで基盤岩の直上に確認された厚さ7mの円礫層(標高_-_50.60m_から__-_57.65m)に基づく。つまり,この円礫層の礫形・礫種・礫径・層厚のいずれもが,千代川の河床礫である可能性を示唆したためであった。2001年には日本物理探鑛(株)との共同研究により,2つの測線で二次元比抵抗電気探査を実施し,古千代川埋没谷の位置を推定することができた(小玉ほか,2002)。本研究の目的は,このようにして推定された埋没谷の存在やその形状・規模を,ボーリング調査により確かめることである。さらに得られた試料より古環境の変遷を考察することである。
     鳥取大学乾燥地研究センター敷地内で2004年に新たに4本のボーリング(B5#0_から_B5#3)を実施し,いずれも岩盤が確認される深度まで掘削した。ボーリング地点を2001年の電気探査の測線上に設けた。4地点は水平距離で160m以内に分布し,それぞれ測量により平面位置と標高が求められた。B5#0は,推定埋没谷の中心付近で,岩盤の深度を探る目的で実施されたパイロットボーリングである。B5#1_から_#3では,コア試料やスライム試料の記載・採取を目的とした。#1は,#0から約8m離れた地点で推定埋没谷の中心線に相当し,#2と#3はそれぞれ埋没谷の左岸側斜面と埋没谷の左脇に当たる。
     掘削地点の海抜と掘削深は,それぞれ#1:45.69m,56.45m,#2:39.18m,36.0m,#3:33.67m,14.30mであった。#1:53.55m,#2:34.20m,#3:12.20mの深度で,すべて風化し粘土化した凝灰角礫岩(基盤岩)に到達した。風化した凝灰角礫岩は#1と#2では白_から_淡緑色を,#3では褐色を呈していた。#1と#3では,基盤岩の標高に約30mの落差がある。電気探査の結果も加味すると,基盤は谷底幅約180m,深さ約30mにおよぶ谷地形を示すことがわかった。この規模は古千代川の河谷として妥当なものであろう。
     #1では地表_から_深度46.1mまでが黄褐色の中砂層で,コウボウムギなどの炭化した種子を多く含む層準がいくつかみられた。固結度は低く,コア採取が困難であった。深度46.1m_から_50.3mには灰色の中砂_から_粗砂層が,深度50.3m_から_52.45mには暗灰色シルト層が確認された。このシルト層には葉理が明瞭に発達し,葉などの植物片もはさまれていた。その下位には深度52.45m_から_53.55mで,細礫をまじえたマトリックスと径20_から_33cmの礫(未風化の緻密な酸性岩)からなる砂礫層が岩盤の直上に見いだされた。#2では地表_から_深度33.65mまでが黄褐色の中砂層で,その下に厚さ55cmの砂礫層をはさみ,直下で基盤岩に達した。礫質は#1の砂礫層とほぼ同じであった。#3では地表_から_深度12.20mまでが黄褐色の中砂層で,直下が基盤岩であった。なお,#0は#1と同じ層序であった。
     基底礫層が薄いことや,その礫種が限られていることから,この谷を形成した河道景観としては岩盤河川が連想される。葉理の発達したシルト層はこの場所がある時期,河谷湖となったことを物語る。黄褐色の中砂層は,固結度が低いことや,軽石層・ローム層のはさみがないことから新砂丘砂と判断される。つまり河谷湖がある時期,新砂丘によって一気に埋積されたものと思われる。シルト層に含まれる植物片から年代データを得ることや,シルト層の珪藻分析が当面の課題である。
     本研究には平成16年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))の一部を使用した。
    文献 小玉芳敬ほか(2001)鳥取地学会誌.No.5,49_-_58.
      小玉芳敬ほか(2002)地理要旨集.61,139.
  • 松山 薫
    p. 190
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.「日輪兵舎」とは
     第二次世界大戦期の日本においては,大陸植民地政策の一環として,「満蒙開拓青少年義勇軍」制度により多数の青少年が中国東北地方(旧満州)へ開拓移民として送り出された.彼らは茨城県下中妻村字内原(現内原町内原)に設置された「満蒙開拓青少年義勇軍訓練所」(所長・加藤完治,以下「内原訓練所」とする)で一定の訓練を受けたのち渡満した.この内原訓練所の敷地に数多く建ち並んでいた木造円形の共同宿舎が,いわゆる「日輪兵舎」である.建築家の古賀弘人の設計によるもので,その形状から太陽(日輪)をかたどったものとして加藤完治の皇室崇拝に基づく農本主義的な独特の開拓精神と結び付けられ,同訓練所の象徴ともいうべき存在とされていた.

    2.日本各地の日輪兵舎
     興味深いことに,全国的な満蒙開拓運動の高まりは,やがて各地の開拓者養成施設や学校に内原訓練所の日輪兵舎を模した円形建造物の出現をもたらした.管見の限りでは,戦後の関連分野において,日本各地に分布するこうした「日輪兵舎」に着目した研究は見あたらない.戦時中の満蒙開拓運動の高まりがいかにしてこのような現象をもたらしたかに関する実証的な研究はもとより,この種の建造物がどこにどれほど存在したかも認識されていない.そこで本発表では,戦時中に満蒙開拓運動を背景として建てられた木造円形の訓練施設を「日輪兵舎」と総称し(「日輪舎」「日の丸兵舎」などと呼ばれるものも含む),現時点でのそれらの所在調査結果,戦時中にそれらが果たした役割や建造の経緯,現存日輪兵舎の現状について紹介する.
     雑誌『拓け満蒙』などの戦時中の満蒙開拓関連文献によれば,当時少なからぬ数の日輪兵舎が,学校や農業関連の教育施設の敷地に建てられていたことが示唆されている.発表者は全国で18都府県計29ヶ所(一つの施設に複数棟の日輪兵舎が建っていたとしても,一ヶ所と数えている)の日輪兵舎の存在を,文献で確認している(2004年末現在).そもそもこれらの原型というべき内原訓練所の日輪兵舎は,その特異な姿が当時のメディアでもしばしば取り上げられ,ニュース映画,小説,演劇,歌などの題材となっていた.それゆえ内原訓練所の日輪兵舎の存在はかなり人口に膾炙しており,これが各地での日輪兵舎の建造につながったと考えられる.さらに,より直接的な要因としては,「興亜教育」の一環として導入された内原訓練所への学校教師の体験入所や,内原訓練所関係者などの人的つながりの存在があげられる.日輪兵舎の建設主体としては地方自治体(公立学校),地元教育会などが学校教育施設として建設したほか,地主や地元有力者,各種財団などが農村青年の訓練を目的として建てた例もある.これらの日輪兵舎は教室や宿泊施設として用いられ,とりわけ地方農村の青少年及び教育関係者への満蒙開拓政策の浸透に寄与した.

    3.戦後の日輪兵舎
     1945年の終戦により日輪兵舎は本来の役割を終え,その多くは取り壊された.しかしごく少数は現存し,体験農業の場として利用されたり,「戦争遺跡」として保存されたり,登録有形文化財をめざしたりする事例が見うけられる.今後こうした建造物は「戦争遺跡」,もしくは地域学習施設としての役割を担っていくものと考えられる.
  • 森山 正和
    p. 191
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    はじめに _-_ 対策の基本的考え方 都市ヒートアイランドの原因と対策を考える際に、「都市の温度境界層の視点」と「建築外部空間における環境設計の視点」で考える必要がある。<1>都市温度境界層(都市スケール)の視点 一般的に、都市の空間規模が大きくなればヒートアイランド強度も大きくなる。ヒートアイランド現象とは、本来、都市の温度境界層そのものを意味すると考えるのが妥当であろう。この視点による第1の対策は顕熱流の抑制である。<2>建築外部空間における環境設計(地区スケール)の視点 市街地で夏の暑さを体感するとき、その暑さは必ずしも都市化に起因する高温によるものとは限らず、むしろ日射を受けて高温となる建物壁面や舗装面などから強い輻射熱を受けたり、風がさえぎられていたりすることに起因するウエイトが大きい場合が一般的であろう。この意味で、環境設計の視点による熱環境問題もヒートアイランドの一環として論じられることが多いし、また、ヒートアイランドの解決にとって直接的にその対策の一致する重要な視点でもある。1. 地表被覆物の変更による対策 _-_表面温度を上げない、蓄熱をさせない<1>地上のみどり 樹冠部に天空が覆われ、適度な換気のある快適な歩行空間(クールスポット)が都市には数多く必要である。<2>建物外皮・舗装道路対策 建物表面や道路等舗装面の熱収支において、大気への顕熱流の放出割合の小さなものほど評価が高いと考えられる.建物の壁面では、熱容量の大きな建材が建物外側に使われている場合には日射の蓄熱が大きく,ヒートアイランド緩和効果の評価は低くなる.外断熱といわれるような建物外側に断熱的な建材が使われている場合には,日射は蓄熱しないので夜間評価は高いが,日射を受けて表面温度は高くなり日中の評価は低くなる.なお,いずれの場合も表面における日射反射率は大きい方が有利である.一般的な瓦屋根は日中,日射を受けてかなり高温になるが、夜間は蓄熱の影響が現れることなく放射冷却により相対的に低温になる.屋上緑化は、夏季日中,植物の蒸散作用,及び日影効果により表面温度は上がらない.夜間においても日中の日射による蓄熱の影響がない.屋上面の高反射塗料は日射の蓄熱が防げるため,日中夜間とも評価が高い.アスファルトの道路や舗装面は日射反射率が5から10%と小さく、蓄熱のためきわめて評価は低い。一方、コンクリート面の日射反射率は20から35%である。保水性舗装または散水を行った場合、日射熱を蒸発により消費してしまうため表面温度は高温とはならない.乾燥すれば効果は失われるので持続性が問題である。2.人工排熱の対策<1>建物の熱管理 断熱・気密などの省エネルギー手法の他に、新エネルギーの普及、未利用エネルギーの活用も一般に重要な対策と言える。都市空間の熱環境形成との関係から室外機の置かれる位置は上方のほうが良い。排熱の潜熱化(水冷式冷却塔)は、同時に水蒸気を放出するが、湿度上昇による体感的な感応度は気温ほど高くはないなどの理由で、対策の一つとなる。<2>自動車対策 渋滞・道路の蓄熱・大気汚染の解消、公共交通促進、自転車の利便性向上など。3.風通しによる対策<1>都市の造りようも夏を旨とすべし 日本は元来耐えがたい蒸暑気候の下で、開放的な家屋スタイルを伝統的に形づくってきた。都市も同様に。<2>海陸風・山谷風など局地循環風による「風の道」計画 海や山に接して発達している都市の多いわが国では海風や山風と言った相対的に気温の低い局地循環風に十分配慮した土地利用や市街地形態を計画に取り入れてゆく必要がある。4.都市環境気候図の活用による対策地表被覆、人工排熱、局地循環風など、地図上にこれらの要素を計画を意識して総合的に表現したものが「都市環境気候図(都市環境クリマアトラス)」である。気候風土に基づいた地域の将来計画を考える基礎図の一つであり、住民とコミュニティ計画や気候環境の専門化が将来計画について話し合う際の共通言語の働きも期待される。
  • 大和田 道雄, 中川 由雅, 櫻井 麻理
    p. 192
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_ 研究目的
    近年,大型台風の襲来や温帯低気圧の異常発達による風害が相次いでいる。特に,2004年は,過去に例を見ない程の台風が襲来し,土砂災害,崖崩れ,洪水被害のみならず果樹等の農作物にまで影響を及ぼした。さらに,春・秋季には温帯低気圧が異常発達し,風害による被害が相次いだが,運搬船や漁船等への影響も多大であった。そこで,本研究は最近のこのような温帯低気圧の異常発達の原因を探り,今後の防災の予測に役立てようとするものである。
    _II_ 対象事例および解析方法
     対象としたのは2004年3月18日,4月21日,および11月27日に日本列島に影響を与えた温帯低気圧である。これらの温帯低気圧は,ほぼ大型台風並に発達して日本列島を通過したため,20_から_30m/s異常の突風が吹き荒れた。特に,11月27日に通過した低気圧の中心気圧は952hPaにまで発達し,東北・北海道では最大瞬間風速30m/s以上の風が吹き,特に北海道の浦河では42.7m/sを記録した。
    そこで,まず地上気圧配置の動きから,低気圧の発生地域を特定し,低気圧の動きに伴う移動経路と発達過程を確認した。また,これと並行してNCEP/NCARの再解析データから,亜熱帯ジェット気流の軸として200hPa等圧面高度場,および寒帯前線ジェット気流の軸として500hPa等圧面高度場解析を行い,両ジェット気流のトラフとリッジの動き,さらに,気温と比湿の鉛直プロファイルを作成した。
    _III_ 結 果
     特に異常発達した2004年11月27日の低気圧は,11月26日18時の段階では日本海にあって,中心気圧は988hpaであった。この時,樺太北部にも低気圧(994hPa)が発生している。しかし,翌日の27日にはこの2つの低気圧が合体して異常発達した。これは,北太平洋高気圧が例年に無く勢力が強かったため,亜熱帯ジェット気流が北上して日本海にトラフを形成し,日本付近でリッジとなって寒帯前線ジェット気流と接したため,北側の低気圧からの極寒気の流入と南側の低気圧による暖湿流による低気圧性擾乱が強まったことが考えられる。
  • 塚田 友二, 岡 秀一
    p. 193
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
    都市や農村に残存する森林は,人間による影響が大きいため,環境条件に加えてさまざまなスケールの人為攪乱を含む歴史的要因を考える必要がある(大住2003).
    そこで本研究では,北海道石狩平野を対象として,人為攪乱をはじめとする歴史的要因が,森林の分布や植生構造にどのように関わってきているのかを明らかにする.
    2.方法
     平野内の85地点で毎木調査を実施し多様度指数(H´),胸高断面積合計(BA)などを算出した.その結果とGISを用いて明らかにされた自然環境条件ならびに人為攪乱とを比較した.人為攪乱の内容には土地利用変化,植栽,流路変更,森林利用,都市化などがある.なお解析は石狩低地帯南部,石狩低地帯中部,石狩低地帯北西部,空知低地帯南部に区分しておこなった.
    3.結果と考察
     森林は平野の8.6%にみられ,農地の強風からの保護を目的に設定された林帯幅数10mの幹線防風林と一部の平地林に残存する.石狩低地帯南部はH´が高く,BAは中庸である.これは明治時代にカシワの選択的伐採があったもののその後の植栽がなかったこと,河川からやや離れた場所の土壌の乾燥化が関係する.石狩低地帯北西部はBA,H´の分散が大きい.古砂丘地形に規定された植栽の有無,土地利用変化パターンが及ぼす種構成の違い,原植生の植生構造を残す旧河川の自然堤防に位置する林分など地域におけるさまざまな植生のタイプの存在が分散を大きくさせている.石狩低地帯中部,空知低地帯南部はBAの分散が大きい.原植生の多くが荒地,湿地,疎林であったことを考慮すると,BAは植栽年数が規定している.しかし戦後に開拓されたため,現在でも湿性な環境が維持されている.そのため絶滅危機種であるクロミサンザシなどの生育地になり,林分はレフュージアとしての可能性を持つ.
    この他に住民の管理と強風による倒木の影響を受けている森林が住宅地域に残存している.
    4.まとめ
    平野の森林は,開拓から約140年の間に大なり小なり自然環境条件に規定された人為攪乱を受け,地域ごとに異なる植生構造を形成してきたことが分かった.その結果,1)明治時代の人為攪乱による作用を強く受けた林分,2)樹種構成の変化が起きている林分,3)流路変更の影響を受けず原植生が残る河川近傍の林分,4)自然林と植栽がモザイク状に分布する林分,5)湿性な環境が維持されている林分,6)都市化の影響を受けた林分,の6タイプに区分された.残存する森林は地域特有の歴史性や自然環境の中で培われてきており,それぞれは人為攪乱の影響を受けつつも固有の価値と可能性を持つものとして評価できる.
  • 佐藤 浩, 関口 辰夫, 牧田 肇, 八木 浩司, 加藤 悟
    p. 194
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    世界遺産白神山地の地形と植生の関係を調べるため、現地調査と航空レーザ測量を行った。その結果、雪崩等の影響を受けた斜面では樹高が低く、また、水系の発達した緩やかな斜面では、ブナに混ざってサワグルミが生えていることが判った。
  • 小池 司朗, 山内 昌和
    p. 195
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_ はじめに
     日本は、間もなく人口減少時代を迎えようとしている。地域に関心をおく地理学において、今後の地域人口の見通しを把握することは、学術研究のみならず研究成果を政策等へ応用する上で有用であろう。
     国立社会保障・人口問題研究所(以下社人研とする)では、2003年12月に2000_から_2030年における市区町村別の将来人口推計を公表した(国立社会保障・人口問題研究所、2004)。同推計は、社人研で行う人口推計としては初めての試みである。本報告では、社人研で実施した市区町村別将来人口推計について、推計手法および結果の概要について提示する。なお、推計結果を分析したものとして、西岡ほか(2003、2004a、2004b)がある。

    _II_ 推計手法
     推計の方法は、5歳以上人口についてはコーホート要因法を用いた。これは、ある年の男女・年齢別人口を基準として、出生率や死亡率、移動率などの仮定値を当てはめて推計するものである。0-4歳人口の推計は、婦人子ども比(15-49歳女子人口に対する0-4歳人口の比)の仮定値によって推計した。出生率ではなく婦人子ども比を推計に用いた理由は、主として市区町村別の出生率は年による変動が大きいためである。
     さらに、上述の方法により各市区町村別に推計値を求めた後、男女・年齢別推計人口の都道府県内全市区町村の合計が、都道府県別将来推計人口(国立社会保障・人口問題研究所、2002a)による各都道府県の男女・年齢別推計人口の値と一致するよう一律補正を行い、これを最終推計結果とした。このため、市区町村別の将来人口推計の結果は、全国推計(国立社会保障・人口問題研究所、2002b)のうちの中位推計の結果とも整合性をもつ。
     なお、推計単位としたのは,2001年12月末現在の市区町村の領域(3245自治体)である。

    _III_ 推計結果
    1.総人口
     2000年と2030年の人口を比較すると,人口が増える自治体は431(13.3%)で,このうち,人口が2割以上増加する自治体は91(2.8%)ある。残る2814自治体(86.7%)は2030年の人口が2000年よりも減少する。その内訳をみると,2割以上人口が減少する自治体が1817で過半数(56.0%)を占めている。この中には,2030年の人口が2000年の半分以下になってしまう自治体も158(4.9%)含まれる。

    2.年齢3区分別人口
     全国推計(国立社会保障・人口問題研究所、2002b)によれば、総人口に占める0_から_14歳の割合は、2000年の14.6%から2030年には11.3%に低下する。市区町村別にみても、99.3%の自治体で年少人口割合は低下し、年少人口割合10%未満の自治体は、この間に3.2%から31.4%へ著しく増加する。
     一方、総人口に占める65歳以上人口の割合は、全国推計(国立社会保障・人口問題研究所、2002b)では、2000年の17.4%から2030年には29.6%に上昇する。市区町村別にみても、99.6%の自治体で老年人口割合は上昇し、老年人口割合40%以上の自治体は、この間に2.3%から30.4%へ著しく増加する。

    <文献>
    国立社会保障・人口問題研究所2002a.『都道府県別将来推計人口-平成12(2000)-42(2030)年-(平成14年3月推計)』人口問題研究資料306号
    国立社会保障・人口問題研究所2002b『日本の将来推計人口-平成13(2001)-62(2050)年-(平成14年1月推計)』人口問題研究資料303号
    国立社会保障・人口問題研究所2004『日本の市区町村別将来推計人口-平成12(2000)-42(2030)年-(平成15年12月推計)』人口問題研究資料310号
    西岡八郎・小池司朗・山内昌和2003.日本の市区町村別将来推計人口-平成12(2000)-42(2030)年-.人口問題研究59-4:52-90
    西岡八郎・小池司朗・山内昌和2004a.市区町村人口の将来動向-日本の市区町村別将来推計人口・2003年12月推計-.厚生の指標 51-7:1-8
    西岡八郎・小池司朗・山内昌和2004b.21世紀前半の地域類型別将来人口の見通し.地域開発482:7-13
  • 佐藤 浩, 関口 辰夫, 小白井 亮一, 鈴木 義宜, 飯田 誠
    p. 196
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    新潟県中越地震で生じた斜面崩壊の分布と震源、地質、地形のデータを重ね合わせ、斜面崩壊の特徴を明らかにした。
  • 曽根 敏雄
    p. 197
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     風穴は一般に夏にもかかわらず、外気よりも冷たい風が地中から吹き出る場所をさす。風穴から風が吹き出る現象は、風穴現象と言われている。風穴の風は、暑いほど風が強くなるとか、夏に冷風穴から冷風が吹き出し、冬には外気が吹き込むといった記載はなされているが、風穴風の挙動についての詳しい観測データは不足していた。近年になって、風穴風の詳細な温度変化については通年のデータが得られるようになった。しかし風速変化については、長期間の連続的なデータはなかった。風穴風の風速変化を知ることは,風穴現象の機構の解明に役立つ。また風速は風量の見積もりに必要であり、風穴の冷却能力や熱収支を考えるうえでも欠かせない。そこで、北海道東部の置戸町鹿ノ子ダム左岸の風穴地において風穴風の観測を行なった。外気温と冷風穴の気温をおんどとりJr.を用い、風穴風の風速をベーン式風速計によって2001年8月から2002年8月まで観測した。
     観測地は、南向きの道路の法面で、1980年のダム工事の際に、地下氷が発見された場所である。斜面にはいくつか風穴がみられるが、斜面脚部にある風穴において観測を行なった。ここでの年平均気温は約5℃である。工事以前に存在したと考えられる永久凍土は1990年までに融解したが、寒冷であった2001年には越年するような凍土が形成された。風穴の存在が局所的に寒冷な環境を作り出すのに役立っているものと考えられる。
     観測の結果(図1,2)、風穴風の挙動について以下の結果を得た。
    1 外気温と風速はよい相関がある。この風穴では外気温が約7℃(4 - 9℃)を境に、これより高いと冷風が吹き出し、低いと外気が内部に吸い込まれる。両者の差が大きいほど強風となる。この境界の温度は、風穴内部の平均気温と考えられる。外気温と風穴内部の平均気温が等しい時に風は止まる。
    2 ここでは風穴内部の空気の平均気温と外気温との差により風穴現象が生じていると考えられる。
    3 同じ外気温に対する風穴風速が春から夏にかけて変化することが認められた。これは風穴内部の状態(風の経路)が季節変化するためと考えられる。
  • 川田 力, フンク カロリン, 由井 義通
    p. 198
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.問題の所在1993年からECで開始されたサスティナブル都市プロジェクトは、都市の持続性に関するアイデアの普及、幅広い経験交流、都市レベルでの持続可能性を高める実践例の普及などが目的とされた。これは、EUに引き継がれ、現在も持続可能な都市を形成するための様々な政策が実施されている。ドイツにおいてもこれに対応する様々な都市開発計画が策定・実施されてきた。また、これと同時に多くの自治体で作成が進んでいるローカルアジェンダ21では、総合的・統合的な都市発展は行政が責任を持って実施すべき施策として位置づけられているが、その際、単に住民の意見を聞くだけでなく、住民に動機づけを行い多数の住民の多様な参画が企図されている。 本研究の目的は、ドイツのハイデルベルク市を例に、持続可能な都市を形成するための都市計画とそうした計画への住民参加の実態を明らかにすることである。2.ヴィーブリンゲン地区の開発計画ハイデルベルク市の北西部に位置するヴィーブリンゲン・ショーレンゲヴァン地区(Wieblingen Schollengewann)は、連邦国土計画・建築・都市建設省(BMBau)による実験住宅・都市計画プロジェクト(ExWoSt)のうち、未来都市(Stadt der Zukunft)部門のモデル地区に選定された。計画は、主に農地として利用されている約11.6haを開発し、500_から_600戸の集合住宅を建設することが主な目的である。この開発計画では、特に、都市計画の進展、地域社会整備、交通計画、環境保全に関する貢献が期待されている。3.住民参加の状況 ドイツの都市計画においては建設法典(BauGB)第3条により、開発計画の初期段階で計画目標とその影響を情報開示し住民意見を聴取する早期参加と、計画決定の前に建設誘導プランを縦覧し住民からの提案を受ける2段階の住民参加機会が義務づけられている。 ヴィーブリンゲン・ショーレンゲヴァン地区の開発計画では計画初期の早期参加の時点で、住民が情報提供を受けるだけでなく、より積極的に計画立案過程に参画できるシステムが採用された。具体的には、まず市長および市の計画担当者が出席し、計画構想の住民説明会が開催された。さらに、計画構想に関心のある住民と計画担当者および国外を含めた民間の設計業者等が開発計画について議論するワークショップが開催された。ワークショップでは、交通計画、環境保全、地域社会整備などの計画構想について検討された後、設計業者等が提案した具体的な開発計画プランについて議論がなされた。その結果、以後の当該開発の計画策定にあたって十分な考慮が必要な項目について合意された。4.開発の課題 ヴィーブリンゲン・ショーレンゲヴァン地区開発の最大の課題は、ネッカー川の新橋建設計画との計画調整である。現在、最も有力な新橋建設計画では新橋への取付道路がショーレンゲヴァン地区開発計画用地と重複しているのである。ネッカー川の新橋建設計画は環境保全および景観保全の観点から住民団体等からの反対意見が提出されているなどの要因から最終的な計画策定に至っていない上、両計画間の調整はハイデルベルク市議会でも政治問題化しており計画決定に至るまでには時間がかかるものと予測されている。そこで、ハイデルベルク市は新橋計画と重複しないショーレンゲヴァン地区北部の開発を先行して計画決定し着工することにしている。しかしながら、このことにより、実験住宅・都市計画プロジェクトに対応する当初計画からの変更が発生し、住民の意見が十分反映されたモデル地区としてふさわしい開発が完了するのかが問題となる。
  • 畔柳 洋子
    p. 199
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    近年,ユーラシア大陸東部のゴビ砂漠および内モンゴル周辺では強いダストストームが発生しており,東アジアでは黄砂飛来が年々増加傾向を示し,大規模な黄砂イベントが見られるようになった。この要因として,砂漠地域周辺における寒気の流入の変化やサイクロジェネシスの変化が挙げられている。そこで,本研究では,過去約55年間において日本列島に最も多く黄砂が飛来した2002年を事例として,サイクロジェネシスの発生を左右する対流圏中層部のトラフ変動に着目し,その発現地域,発現数,およびそれに伴う相対渦度の変化の特徴について解析を行った。さらに,これらを少黄砂年(2003年)と比較し,ダストストーム発生地域と発生要因,および日本列島への飛来との関係について考察を行った。
  • _-_熱帯湿原におけるビオトープタイプ毎の植生構造と種組成_-_
    吉田 圭一郎
    p. 200
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    I.はじめに
    パンタナールは,南米大陸のほぼ中央に広がる面積約23万km,2の熱帯湿原である.パンタナールの植生分布について,これまで主に非生物的な環境要因の側面から研究されてきた(たとえば,Prance and Schaller 1982;Zeilhofer and Schessl 1999).しかし,植生分布は被生物学的な要因だけではなく,生物学的な要因(種子散布や繁殖特性など)や人為的な要因によっても影響を受ける.特にパンタナールでは湿地環境の賢明な利用による伝統的な牧畜業が営まれており,その植生に対する影響は大きいと考えられる.そこで本研究では,非生物的な要因だけでなく,人為的な要因を考慮して,パンタナールにおける植生分布の形成過程を明らかにすることを目的とする.本発表では,その第1段階として,ビオトープ毎の植生構造を種組成について報告する.

    II.調査地と手法
    調査地は南パンタナール・ニェコランディア地区(Nhecolândia)のファゼンダ・バイアボニータ(1760ha)である.ここでは多様なビオトープタイプがみられ,その空間パターンは非生物的な要因と人為的な要因が複合的に作用して形成されたと考えられる.
    本研究では,代表的なビオトープであるバザンテ,バイシャーダ,カンポアルト,セラード,セラドンに各1ヶ所の20m×20mの方形調査区を設置して,植生調査を行った.胸高直径5cm以上(20m×20m)と胸高直径5cm以下かつ樹高1.5m以上(10m×10m;サブコドラート)の樹木を対象に毎木調査を行い,樹種,胸高直径,樹高を記載した.また,各方形調査区に8ヶ所の1m×1mのコドラートを設置し,草本層について種毎の被度を測定した.

    III.結果
    5ヶ所の方形調査区には20種の木本種と19種の草本種が出現した.
    草本層では,セラドン以外のすべてのビオトープタイプでAxonopus pirpusiiが被度20_から_80%で優占した.また,各ビオトープタイプにはそれぞれ特徴的な草本種が分布し,種組成の漸移的な変化がみられた.バザンテやバイシャーダには木本種が分布しなかった.カンポアルトではByrsonima orbignyanaVochysia divergensがみられたが,個体密度は小さく(12個体/0.04ha),樹高も3m程度と低かった.セラードではこの2種に加えてCuratella americanaが分布し,樹高は3_から_6mとやや高いが個体密度(14個体/0.04ha)はカンポアルトとほぼ同等であった.セラドンでは高さ10_から_12mで連続した林冠をもつ森林が形成されていた.木本種の個体密度は大きく(64個体/0.04ha),ほとんどの木本種が含まれて種多様性が高かった.図1にはC. americanaV. divergensのDBH_-_H関係を示す.2樹種ともセラードとセラドンのビオトープタイプ間で差異はみられず,すべての個体が同じ曲線上にプロットされた.

    IV.考察
    バザンテやバイシャーダからカンポアルトを経てセラードへと,地面高が高くなるにしたがって草本層の種組成は漸移的に変化し,ビオトープタイプの空間パターンに季節的な河川の水位変動が影響することを示唆した.高水位期にも浸水しないセラードとセラドンでは,分布する主要な樹種のDBH_-_H関係には両者間で差がないことから,時間の経過とともにセラードはセラドンへと遷移すると考えられた.しかし一方で,両者には植生構造と種組成には大きな差異が認められ,別の要因がそれらの空間パターンに関わっている可能性がある.

    本研究は平成16_から_18年度科学研究費補助金「ブラジル・パンタナールにおける熱帯湿原の包括的環境保全戦略」(基盤研究B(2),No. 16401023,代表:丸山浩明)の補助を受けた.
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