明治時代初期に成立した佐渡の御料林は林分数420箇所,面積6,750haを占め,1890年から37年間存続した。その構成は一等林が12箇所(水源林1箇所を含む)であり,多くはアカマツ林で土壌は"壌土"であった。二等林は30箇所でアカマツ林が多いがスギ林,雑木林,竹林も含まれていた。土壌の多くは赤壌,黒壌などの壌土グループと燥埴,壌埴などの埴土グループに区分されていた。三等林は164箇所であり,ナラ林,雑木林の割合が高かった。土壌は石礫,岩石などに区分されている例が多く,立木密度も低いため,材の生産はあまり期待できなかったと推測される。その外に面積が小さい員外林,風致林が多数含まれていた。台帳を作成するための林分調査は1880年代から行われ,1876(明治9)年に制定された官林調査仮条例に従って行われたと判断された。土壌は"瀘土","埴土","壌土","砂土","石礫","岩石(地)"の主要な6夕イプに分けられ,埴土と壌土は色合いや乾燥度によってさらに細分されていた。当時としては最新の技術によって調査が行われていることから,地元の技術者と中央から派遣された技術者のグループがこれらの調査を実施したと推察された。
抄録全体を表示