教育学研究
Online ISSN : 2187-5278
Print ISSN : 0387-3161
ISSN-L : 0387-3161
74 巻, 3 号
選択された号の論文の13件中1~13を表示しています
論文
  • 河原 国男
    原稿種別: 本文
    2007 年 74 巻 3 号 p. 321-334
    発行日: 2007/09/28
    公開日: 2018/12/26
    ジャーナル フリー
    16-7世紀、教育慣行の結果、世俗内職業労働を「天職」として励んだという事例を究明したM.ヴェーバーの工業労働調査論を本稿では中心にとりあげ、同時代の20世紀初頭の工場労働を通じて意図的、無意図的にどう資質能力が形成されるか、という認識を、人間形成契機としての自律化を視点に跡づけた。その結果、国民を対象とする政治教育の課題認識と繋がりつつ、機械化とともに、自律化の契機も同等に探究されていた様相が明らかにできた。すなわち、工場内分業労働での「練習」を通じて、労働外の価値関係的関心にも導かれながら合理的に「考量」しつつ、また中世職人のように最終生産物を生産するように市場的関心をもって働くこと、そうした「実践」を通じて自己自身を人間形成的に配慮するという自律化の可能性が、工場機械化のただなかでも探究されていた。
  • 生澤 繁樹
    原稿種別: 本文
    2007 年 74 巻 3 号 p. 335-347
    発行日: 2007/09/28
    公開日: 2018/12/26
    ジャーナル フリー
    M.ウォルツァーの配分的正義論は、他の財とは独立した財の独自な意味に応じて、さらには財の意味が解釈され共有される社会・文化・共同体の文脈に応じて、社会的財が複合的に配分されるべきだと論じるものである。ウォルツァーは、教育の領域においても、複合的な平等が考察されると考える。学校、教師-生徒関係、知識といった教育の財は、経済や政治の秩序に規定されない独自の自律した配分の過程を構成する。教育は、単なる私的な財ではない。私たちが集合的に願望する社会的財である。それは、私たちの社会・文化・共同体のなかに埋め込まれたものである。だが、この配分的正義の自律した領域というウォルツァーの構想は、不徹底であるばかりか、疑問である。というのも、もし私たちが社会的財としての教育の正義や配分の平等をまじめに考慮するならば、かれの考察は<善さ>や<承認>の主張を取り巻くパラドクスに必ず突きあたることになるからである。
  • 橋本 憲幸
    原稿種別: 本文
    2007 年 74 巻 3 号 p. 348-359
    発行日: 2007/09/28
    公開日: 2018/12/26
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、一般に開発途上国と呼ばれる国々のとりわけ初等教育に対する国際的な教育援助の正当化を、留保を付しつつ行なうことである。2000年の「世界教育フォーラム」を経て、開発途上国(政府)-<彼/彼女ら>-の教育の内容・価値に関わる問題が国際共同体-<われわれ>-の問題としても位置付けられている。しかし、そういった<彼/彼女ら>の教育問題は、政治・文化を越えて<われわれ>の問題になりうるのか。<われわれ>は国境線を越えて<彼/彼女ら>の教育問題に関与・干渉できるのか。本稿では、ポール・リクール、ジョン・ロールズ、そしてマーサ・C・ヌスバウムといった哲学者の所論と国際レヴェルでの合意事項を手がかりに、<われわれ>による<彼/彼女ら>への教育援助は「適切な教育」に向けられる限りにおいて正当化されるとの結論が導かれる。だが、「適切な教育」とは何であるのか、その回答が課題として残された。
研究ノート
  • 倉石 一郎
    原稿種別: 本文
    2007 年 74 巻 3 号 p. 360-369
    発行日: 2007/09/28
    公開日: 2018/12/26
    ジャーナル フリー
    高知県の「福祉教員」とは、戦後の新学制の発足直後の長欠・不就学問題対策のため配置され、その後同県の同和教育を担う人材を輩出した独特の教員制度である。本稿では、教育界の内と外の境界上に位置し、その開閉を通じて内外の調整をはかる存在という視点から福祉教員を位置づけ、その活動の軌跡の検討を通じて、長欠・不就学問題やその背後にある部落問題といった、教育実践の安定構造を脅かす危機(<社会>)に直面することによって教員の職分を画する境界にどのような変容が生じるかを考察した。分析から浮き彫りになったのは、境界を開いて問題状況を呈している子どもに、教育関係を媒介せずに直接的に働きかける側面と、その逆に自らが外部の盾になって遮断につとめ、かつての安定構造への回帰をもくろむ側面の両方であった。しかしこうした矛盾ともとれる両面性にもかかわらず、あるいはそれゆえに、福祉教員の足跡には多くの今日的示唆がある。
書評
図書紹介
feedback
Top