教育学研究
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67 巻, 2 号
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  • 吉川 卓治
    2000 年 67 巻 2 号 p. 181-190
    発行日: 2000/06/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、1886年の帝国大学令-それはすべての大学は官立かつ総合大学でなければならないとした-の制定によって成立した帝国大学体制のもとで、府県等の地方公共団体によって設立される大学である公立大学に関する理念がどのように形成されたのか、それはいかなる内実を有していたのか、ということを明らかにすることにある。本稿は、大阪府立高等医学校の校長として昇格運動を主導し、1919年に同校をはじめての公立大学である大阪医科大学に昇格させた人物である佐多愛彦における大学論の展開に注目し、それが歴史的にいかなる意義をもつものであったのか、ということを検討することによって上記の目的にせまろうとしたものである。本稿の主な結論は、以下のとおりである。(1)1910年代において、政府は高等教育制度を改革するため、教育調査会および臨時教育会議を設置し、1918年に成立する官公私立大学を認める大学令の制定のための準備に入る。しかし、そこでなされた政策論議においては公立大学の理念を明確化するという課題に対してはほとんど関心が寄せられず、また公立大学の設置主体である地方公共団体を自治の主体ではなく、国家の地方行政区画としてのみ捉えるという限界があった。(2)かわりに先の課題に応えて公立大学理念を形成したのが佐多であった。(3)その理念は、公立大学は帝国大学と対峙し、都市ブルジョアジーによって設立されるものであり、財政的独立にもとづく「大学の独立」を前提とした学問の実際化と大学開放等の社会的活動によって、都市における文明の発展を中心的に担うべきものである、というものであった。(4)佐多もこの理念をはじめから有していたわけではなかった。彼は、1912年から翌年にかけて大学や病院についての研究を目的とした欧米視察を行い、ドイツのフランクフルト、ハンブルク、ドレスデンにおける新大学設立運動に関する知見をもとにその理念を作り上げたのである。それらの都市においては官立ではなく市立の大学を創設しようとしていたのであり、佐多はそこから深い印象を受けたのである。(5)佐多によって作り上げられたこの理念は、著名な大阪市長であり、その建学理念にもとづいて大阪商科大学を設立したことで知られている関一の大学論に影響を与えたと考えられる。(6)関が都市の自治を重視したのに対して、佐多は大学令制定過程における政策立案者たちと同様にそれを重視することはなかった。彼は都市の繁栄が無条件に国家の繁栄につながるものと考えたのである。この意味で佐多の大学論は帝国大学体制を根底から否定するものではなく、この課題は関に引き継がれたのである。
  • 秋山 麻実
    2000 年 67 巻 2 号 p. 191-200
    発行日: 2000/06/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    本稿は、19世紀イギリスにおいて、ガヴァネスとその雇用者との葛藤および家族の純化について論じたものである。「ガヴァネス問題」とは、当時のガヴァネスの供給過多によって浮上してきた問題であり、これまでこれは、彼女たちの経済的困難に関する問題として捉えられてきた。また、この問題は、階級とジェンダーの境界に関わる彼女たちの微妙な立場という問題を含むものとして捉えられてきた。これらの問題は、19世紀中葉の多くの定期刊行物、とりわけフェミニズム雑誌において言及されている。しかし、そのような定期刊行物の記事のなかでも、特に今日代表的とされているものにおいてさえ、それらを仔細に読んでいくと、ガヴァネスに関する問題におけるより根本的な要素が浮び上がってくる。それは、ガヴァネスが、雇用者の家族のなかにポジションを得ようとしているのではないか、という中産階級の不安である。ガヴァネスに関する問題におけるこうした側面は、階級の越境という問題に収斂されるべきではない。家族の境界を脅かすことは、階級の越境より危険視されることである。というのも、ガヴァネスが狙っているのは、単に家族の一員であるというポジションではなく、母のポジションだからである。彼女は、単に境界を侵すというだけではなく、家族関係の秩序そのものを乱すのである。ガヴァネスは、1848年のガヴァネスに関する有名な論稿において言われているように、「タブー化された女性」 (tabooed woman)なのである。ガヴァネスのポジションに関する中産階級の不安は、彼女たちが母の代理としての役割を果たす存在であるということと、19世紀半ばに〈家族〉(family)観念が変化していったことに起因している。〈家族〉という語は、サーヴァントをその範疇から排除し、核家族を中心とした集団を指すようになった。その変化に伴って、ガヴァネスのポジションは、曖昧なものとなってきたのである。ガヴァネスの経済的困窮を緩和するために、フェミニズム雑誌においては、彼女たちと雇用者が契約書を作って、報酬や労働条件を決めることを奨励した。しかし、契約書を作るということは、ガヴァネスを近代的雇用関係の文脈に置くことにほかならない。そのため、結果的には、契約書を作るということは、ガヴァネスを雇用者の家族から外部へと移行させることに貢献することとなった。すなわち、〈家族〉はその境界領域に住う存在を排除し、よりいっそう純化していく方向へと向ったのである。
  • 金田 裕子
    2000 年 67 巻 2 号 p. 201-208
    発行日: 2000/06/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    <摘要邦文訳>本稿では、教室の会話に教師と子どもたちがどのように参加しているのか着目し、参加の様式の特徴を記述する方法を検討する。授業の過程は、単に認知的なだけでなく、知識と言葉を媒介にして参加者たちが社会的な関係を構成する過程でもある。その際に鍵になる概念は、エリクソンの提示した参加構造である。この概念は、いつ誰が誰に、何を言うことが出来るのかに関しての参加者たちの権利と義務であると定義できる。参加構造の研究は、教師と子どもたちの相互作用場面でのトラブルが、コミュニケーション様式についての予想が互いに異なることによって起こっていると説明してきた。しかし本稿では、以下の二点から参加構造の研究の新しい可能性を探りたい。第1に、参加構造の研究が提示している視点と研究方法は、教室に混在する会話の規則の静的なパターンを明らかにしているだけではない。コンテクストが変化するのに伴い、参加者たちの役割関係は再配分され、協同的な行為において異なる形状を作り出している。そうした点に着目することで、参加構造の研究は、教室の会話が即興的に展開していく側面を記述することを可能にする。個々の教室における参加構造の微細な変化は、会話の順番どり、発話のタイミング、会話フロアの生成に着目して記述することができる。教室の会話における即興的な側面を記述することで、子どもたちが積極的に状況を構成し、また教師が様々な方略を用いてコミュニケーションを組織している複雑な過程を捉えることが可能になるだろう。第2に、学習課題との関連をどのように捉えるかである。従来の参加構造の研究においては、構造的な会話の規則は、発話の際の手続きややりくりを簡素化して、学習の内容に集中できる機能を果たしていることが示されていた。しかし、教室のディスコースと学習課題の関係は、より複雑である。キャズデンが示した教室の「ディスカッション」では、即興的な会話の連続においては話題の選択に関する役割関係が重要になってくることが予見されていた。ランパートの研究において参加構造は、「何を知識とみなし、どのように知識を獲得するか」を決定するやり取りにおける権利と責任の配置として再定義される。その様な参加構造の形成によって、妥当な知識を決定する権威は教師から生徒たちのディスコースコミュニティへと移行し、同時にディスコースコミュニティの形成と維持において教師が果たす役割の複雑な側面が明らかになる。
  • 2000 年 67 巻 2 号 p. 266-268
    発行日: 2000年
    公開日: 2011/06/02
    ジャーナル フリー
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