教育と労働の関係には社会間で顕著な差異が存在し、それを看過すれば誤った認識や政策をもたらす危険がある。本稿は、今世紀に入り大きく進展してきた「資本主義の多様性」論を参照することにより、教育と労働の関係における社会間の差異、特に日本の特徴を、スキル形成という観点から把握することを、第一の目的とする。さらに、独自のデータ分析により日本の教育と労働の関係における特異性と問題点を検証することを、第二の課題とする。
本稿では、知識社会の到来を背景に人的資源の開発が求められる中で、教育の大規模調査において、リテラシーやコンピテンシーの概念がいかに展開してきたのかを、OECDの国際教育指標事業の動向を中心に明らかにした。リテラシー概念が、最低限の読み書き能力から高次の情報処理能力へ拡張され、さらに、情意を含む人間の全体的能力としてのコンピテンシー概念へと展開し、その概念的な精緻化と測定が発展的に進化したことを論じるとともに、学びのイノベーションを促す課題を指摘した。
なぜ大学教育と労働市場の接続が、非連続になるのか。本稿は、このリサーチ・クエスチョンに対して景気循環とは異なる構造的要因に注目する。1993年以後、わが国の私学主体の高等教育システムには、学歴インフレによる「機会の罠」が生じている。大卒新規労働者は、労働市場における世代間の置換効果にも晒されてきた。就活におけるメンタリティが内定獲得を、マッチングの質が大卒労働者の能力発揮を規定している。
2000年代を迎えようとする頃から、「キャリア教育」と称される取り組みが展開されている。学校教育の中で職業観・勤労観を育むことを中心に据えてきたキャリア教育は「教育」と「労働」とを円滑に繋ぐための取り組みといえるが、その内容は多様性に富む複雑なものである。本稿は20年弱に及ぶキャリア教育の政策展開について、これに関わるアクターに注目し、イシュー・ネットワークの視座で捉えることを通じて整理するものである。
本論では、フランスの進路指導の展開を分析することで、普通教育における「労働・職業」の位置づけの変容とその背景にある要因を明らかにする。「労働・職業」の位置は、市民社会、資格社会、移民社会、グローバル社会といった多様かつ複雑な特徴をもった構造の中で、学校と教員の役割をどう規定するかに関わるが、教科に「労働・職業」を包含するには、まず市民育成のコンテキストでの捉え直しが求められる。
今日日本においては、職業教育の公共性が問われている。本稿では、1900~10年代のアメリカ合衆国における職業教育運動展開とスミス・ヒューズ法制定(1917年)の事例を取り上げ、これらの過程で、①アメリカ社会の成員全体の利益、②職業教育機関へのアクセスなどの点で、職業教育の公共性を担保した公教育としての職業教育制度が形成されたことを明らかにした。