19世紀末から20世紀前半のアメリカにおいて、学校外の施設や街頭など様々な場所における遊びや仲間関係の中で普遍的に行われてきた生徒の自治活動を「学校内化」した課外活動が取り組まれるようになった。本稿は、この「学校内化」を実現したロジックを分析することで、課外活動成立過程を通貫する歴史的性格を考察し、これらの取り組みの影響下において今日も取り組まれる特別活動のあり方に対する示唆を提起した。
本稿では、「人間は生まれてこないほうが良い」と主張する反出生主義に関するいくつかの議論の観点から教育(学)について検討を行った。反出生主義を前提とするとき、新たに生まれてくる存在に対する教育(学)からの応答は極めて重要となる。反出生主義に応答する教育(学)は、教育(学)のすべてが肯定あるいは否定される訳ではないということに自覚的でありつつ、思考することが求められるのである。こうした教育(学)の一端は、ハンナ・アレントの論じる「準備」としての教育にみることができるかもしれない。
クラスサイズによる小学生の長期的な国語の学力の推移の違いを、小学校第1学年終了前後から第5学年終了前後までの5時点の標準学力検査得点のパネルデータを分析することで検討した。分析対象は103校、162学級、3,460名分のデータであった。児童・時点、児童、学校の3レベルを仮定したマルチレベル分析を行った。その結果、小学生の国語の学力の推移に対してはクラスサイズが小さい方が有利であることを示唆された。
本研究では、中学生の抱く文理意識を、学業的自己概念の一つとして位置づけて、学業仮説、選好仮説、ステレオタイプ仮説の3つの見方から、ジェンダー差が生じる理由を検討した。質問紙調査の計量分析によって仮説を検証した結果、学業仮説は十分な説得力を持たず、選好仮説は部分的に支持され、ステレオタイプ仮説は支持された。本研究の結果は、「男子の方が理系に向いている」のような文化的信念を無効化し、女子中学生が理系科目に対して好意的な態度を示しやすくなれば、「理系」の女子が増加する可能性を示唆している。
1950年代前半は、サークルにおける生活綴方教育実践の検討が教師の教育研究の中心的課題であった。本稿は1950年代前半の土田茂範による教育研究を、山形県児童文化研究会からの影響に着目して検討した。教育実践に根ざした知見と、全国的な研究動向に即した知見という二つの焦点を有した山形県児童文化研究会で、土田は子どもの事実に内包された豊かな意味を読み取るまなざしや、教育実践の事実を全国的な研究動向と結びつける視座を獲得していたことを示した。
精神分析家エリク・H・エリクソン(1902-1994)の思想は、教育哲学においては近代的な発達観に抗する人間形成論として受容されてきた。本論文は、その思想の形成基盤である、1920年代から30年代の精神分析理論と技法に照らしながら、初期エリクソンが遊びの「コンフィギュレーション」に着目した児童分析から独自の身体論・発達論である「器官様式」の思考を導いたことを明らかにした。その結果、彼のライフサイクル論は精神分析的な身体論・空間論としてあらためて検討されるべきことが示唆された。