本稿は、スタンリー・カベルの日常言語の哲学における「翻訳としての哲学」という、人間変容に関わるより広義な翻訳の視座から、単一言語主義を超えて、他なるものに開かれる国際的な学術交流の思考様式を解明する。結論として、自文化中心主義にも境界なきコスモポリタニズムにも陥らず、異文化を他なるものとして受容しそこから学ぶことができるような〈他〉方向的な教育の国際学術交流のあり方を提言する。
本稿では、まず翻訳概念の系譜学的、超越論的な観点から、現代文に特徴的な漢字仮名交じり文の淵源について、漢字仮名交用の創成過程、漢字訓読法とその批判としての国学の意義に論及し、次に翻訳がナショナリズムおよび国民語の創成の要件であることについて諸外国の事例とともに考察する。最後に、西田哲学の「無の場所」と時枝文法の「辞」の意義を確認し、日本の翻訳実践としての表記法と外来思想に対する日本的思想的態度との相関について考察する。
教育学研究の在り方を歴史的に考察する一つの試みとして、本稿は大正新教育の実践家たちによる研究の特質に着目した。実践家たちの研究が、「教育の事実」に基づく教育学の必要性を訴えた澤柳政太郎の問題提起に共鳴するネットワークの中で成立したこと、理論研究と実践研究の不可分な関係認識のもとで、「実験」の価値を自覚するものであったことを示し、受容史のアプローチによる「教育学研究史」の可能性を提示した。
教育行政学の親学問候補は政治学、経済学、社会学、歴史学、哲学等多様であってよい。その中で筆者自身は政治学を親学問として措定している。教育行政学は親学問としての政治学に貢献することを意識するべきである。政治学、教育学はアカデミアの中でそれぞれポスト、学会、雑誌、助成プログラム、ネットワークを有するコミュニティである。教育行政学の研究者はそれら両方のコミュニティに貢献する必要がある。
比較教育学は「政策移転」の概念を用いてきたが、「教育の輸出」事象においては輸出側の優位性を保持し、利益を確保し続けるためにトランスフォーメーションが疎外される。本稿はPartnership Schools for Liberia(PSL)の事例を用いて、トランスフォーメーションを意図しない新しい形の政策移転の特徴を明らかにし、「教育の輸出」において「パッケージ化された学校」を購入するという事象を分析するための枠組みを構築する必要性があることを指摘する。
本稿は、日・中・韓・英の四言語の文献・資料の検討を通じ、東アジアの「大学」概念・アイデンティティが、この地域に存在する複数言語による多元的な翻訳を伴う思索において、どのように定義され、変容し、そこにどのような展望と陥穽が想定されるかを、その基盤となる国際社会に注目して、19世紀半ば以降の東アジアにおける近代大学の移植が本格化した時期から冷戦期までと、その後現在までとの時代区分をしたうえで検討する。
災害を主題とする教育には、災害の記憶の継承をその中核ないしは起点に据えるものが多い。災害の記憶を継承するには、被災者に固有の被災体験の記憶を未災者に理解可能な形にして伝達するというトランスレーションが必要となる。本論では、被災者と未災者との間で実践される災害の記憶のトランスレーションの構造的特徴を明らかにするとともに、このトランスレーションの実践が有する教育学的な意味について考察する。
本稿は、レッジョ・エミリアの幼児教育におけるドキュメンテーションが、どのような意味で評価―アセスメントおよび/またはエバリュエーション―であるかということを、カルリナ・リナルディ、グニラ・ダールベリ、ヒッレヴィ・レンズ=タグチの議論に即して検討し、ドキュメンテーションが価値中立的なアセスメントの蔓延に対抗するツール、価値付与と意味生成を通した民主主義のツールとして位置付けられていることを示した。
社会システムの存続のためにはコミュニケーションの継続が不可欠であり、その際に重要となるのが関係調整メカニズムとしての道徳である。「尊重/軽視」という道徳のコードは排除をもたらす可能性も持つが、排除された者同士の間での再包摂を生み出すものでもある。また、異なるプログラムを有する集団も、相手集団の行為の傾向性に関する知識を蓄積させることで、お互いの予期、すなわち双方向的な理解(「尊重」)を生み出すことも可能になる。
戦後日本の平和教育は、主に反戦というスローガンに依拠して行われてきた。それは戦争の不在を意味する「消極的平和」を目指すものであったと言えるだろう。しかし昨今は、平和を脅かす要因が戦争だけではなくなり、平和教育の原理の再考が求められている。本稿は、カントの永遠平和論に基づき、悲惨なものとして描かれてきた戦争のあり方を見直し、怜悧な判断からして決して合理的ではないものとして捉え直すことを目指す。
本稿では、小学校を事例とし、個々の現場に埋め込まれて組織化される教師の実践の論理を析出することを試みる。個別の学校の日常において、障害児を含め多様な子どもたちと日々関係を営為している教師たちは、自らの教育実践をどのような仕方で意味づけ産出しているのか。本稿が経験的データの分析を通じて探求しようとするのはこの点である。そこから、包摂を志向する実践それ自体が通常学級から障害児を切り離すことへと反転しうる可能性について論考する。