本稿は、1991年の大綱化以降の30年間に及ぶ大学の教育改革に関して、1.文部(科学)省の政策(審議会答申と競争的資金事業)、2.それに対する大学の反応(改革の実施率と大学教育関係学会)、3.この両面から大学教育改革がもたらした意味を考察することを目的とする。分析の結果、次第に改革が手段ではなく目的化し、改革に関する大学の自由裁量の余地がなくなったこと、大学はそこから抜け出せない現実があることが明らかにされた。
今般の大学入試改革は、新体制に切り替わる直前に「英語民間試験導入」と「国語・数学の記述式問題導入」が見送られるなど、迷走状態にある。なぜ、このような状態に陥ったのか。今回の改革の特徴は、教育測定や教育社会学、英文学者や言語学者等の研究者が危うさを訴えているなかで進められた点に求められるが、本稿では、推進派の問題とともに、研究者が何を主張してきたのかについても踏み込みながら、迷走の背景を描写した。
少子化の進行に伴って新しい「大学の大衆化」の段階に突入し、教員養成の自然な基盤が掘り崩されている中で、教職が労働市場で急速に魅力を失いつつある。教員の「量の確保」の問題は「質の担保」の問題と必ず連動する。これらの教員養成をめぐる危機について考察した上で、実践力養成への期待の高まりと失望、それへの「大学における教員養成」と「教育学」教育の側からの対応について、この間の教員養成政策とも絡めながら論じた。
ウィネトカ教職大学院は、学生を「学習者としての教師」へと育成したことから、進歩主義教育期における教師教育の到達点と評価されてきた。本稿では、学生を指導する側の教師の成長に注目して、その成立過程と教育史的意義を再検討した。ウィネトカ教職大学院は、学生を育成するだけでなく、現職教師が学生指導を通して自身の専門性を意識的に再構築する〈高次の現職教育〉を実現した先進的事例として教師教育史上に位置づけられる。
本研究の目的は、再任用教員たちが学校の中で自らの役割をいかに捉えているのかを、同僚教員との関係に着目して明らかにすることである。そこで、本研究では、β市立小学校に勤める再任用教諭25名に対し、業務内容や役割意識について尋ねるインタビュー調査を実施した。その結果、小学校における再任用教諭の役割意識には、「初任者・後進育成」、「現職サポート」、「見出せない」の3つがあることが明らかとなった。