教育の世紀社による池袋児童の村小学校の構想は、その革新性が評価される一方、実践現場には混乱をもたらしたために計画性の欠如が指摘されてきた。本稿は、同校の構想過程を海外新教育情報から受けた影響に着目しながら再検討した。その結果、設立者たちがトルストイの実験学校をモデルとしていたことと、彼らが初期の混乱を意図的につくり出そうとしており、そこには教師を自己変革へと促そうとする企図が存在していたことが解明された。
本稿は大正新教育の旗手として活躍後、1932年頃を境に全体主義者へと変節した下中弥三郎の生命言説を検討したものである。下中は大正デモクラシー期から昭和ファシズム期にかけて一貫して「生命」という言葉を多用し、生命主義者さえを自認していたが、このことはあまり知られていない。子どもの生命を教育の根幹に据えていた下中が国家的生命の扶翼と拡大を唱えるに至った歴史的契機を明らかにし、その生命主義教育論の陥穽について論じる。
1900年代のイングランドにおける市民大学設立は、大学とは何かが問われる過程でもあった。当時の議論において、「大学」とは、組織面では教育と試験・学位授与を一体的に行う「単一」の機関であり、教育面ではアーツ・サイエンス科目のみならず技術・専門職科目をも通じて教養教育を行う機関であるとされた。教育理念の面ではオックスブリッジの影響も一部みられるものの、その代替ではなく、新たな形の「大学」が模索されたといえる。
目的合理主義的なカリキュラム構成と評価の枠組みを構成する「教授目標」とそれによる「評価」は、今日標準的なものとなり教育実践を根底から規定している。本稿は、そうした枠組みが行為主体としての感覚を失わせ、人の学びを矮小化することを、デューイの芸術哲学に基づくグリーンやアイスナーの所論によりながら批判し、それに対置される、芸術に根ざすカリキュラム構成と評価の枠組みの意義と実践可能性を論じる。
本研究では、市区町村教育委員会の授業スタンダードを教師が受容する程度に、教師・学校・自治体の変数がどのように関連しているのかを検討した。その結果、教師レベル変数では教職年数と教科指導学習動機、学校レベル変数では主体的な校内研究体制と校内研究担当者の変革的リーダーシップ、自治体レベル変数では授業スタンダードの強制力が、教師の受容度と正の関連をもつことが示された。以上の結果を踏まえ、教師・学校・自治体が授業づくりにいかに向き合うべきかを考察した。
本稿は、政策を主な対象とした大学教育改革研究の傾向を批判的に再考するため、欧州質保証研究の動向を検討した。欧州質保証研究では、政策設計に焦点化した研究への偏重が、政策の野心と実態の乖離や、グローバリゼーション言説の強化と多様性の軽視を招いてきたという反省が為され、ローカルな文脈から質保証を再定義しようとする試みが始まっている。欧州の動向は、日本の研究者の立場性の再考を促すものとしても受け止めることができる。