EBMの発展と疫学:
「医療の質」評価に対する社会的関心を背景に“エビデンス(根拠)に基づく医療(Evidence-based Medicine, EBM)”は、1990年代半ばから急速な発展を遂げた。
現実の医療現場での意思決定は「限りある医療資源」のもとで、「医療者の経験・熟練(clinical expertise)」「患者の嗜好・価値観(patient preference)」「研究によるエビデンス(research evidence)」が勘案されて行われる。EBMは「個々の患者のケアに関する意思決定過程に、現在得られる最良の根拠(current best evidence)を良心的(conscientious)、明示的(explicit)、かつ思慮深く(judicious)用いること」とされる1)。
EBMの前身とも言えるのが、「臨床疫学」である。「臨床疫学」とは、地域住民を主たる対象として、数々の疾病の原因(または危険因子)を解明してきた「疫学(epidemiology)」が、臨床の問題を解決するために応用されたものである。LastによるDictionary of Epidemiology は、疫学を「特定の集団(specified population)」における健康に関連する状況あるいは事象の分布(distribution)あるいは規定因子(determinants)に関する研究」2)と定義している。
本論では数回にわたって、禁煙科学を推進するのに有用と思われる疫学やEBMの基本的な考え方を紹介していきたい。
臨床医の感覚と疫学的視点:
身近な例で考えてみよう。多くの臨床医は、自分が(そこそこの)名医であるというささやかな自負を持っている。「自分の外来に来る患者さんは、『先生のおかげで良くなりました、先生は名医です』と言ってくれる」という話もよく聞く。しかし、だからと言って、このような話だけで、自分を名医といって良いだろうか?
少し考えれば分かるように、「良くならなかった患者さんは何も言わずに転院している」かもしれない。残念ながら、外来に通い続けていて、臨床医が診ている(というより臨床医に見えている)のは一部の患者さんに過ぎない。これは「脱落例(dropout)」という、疫学やEBMの視点で情報を読み解く際の基本的な、そして最も大きな落とし穴の一つとなる。疫学的な適切に検討を行うには、受診した患者さんを全員登録して追跡調査を行うことが必要となる。こうして初めに受診した患者さん全体を「母集団」と考え、何人が転院し、そのうちの何人が良くなり、何人が良くならなかったのか、きちんと割合を示すことができる。当たり前のことのようでいて、これすらも疎かにされている学会発表は少なくない。意図的でも(治療成績を良く見せるには、予後の悪そうな患者さんは除外する=初めから診ない、という場合も考えられる)、意図的でなくても、「母集団」のうちの多くが脱落した後に残ったケースだけから判断する誤りを、疫学的には「選択バイアス」による誤りと言う3)。
症例報告が医学の進歩に大きな役割を担ってきたことは確かであるが、臨床現場では「例外的な1例」を(学会発表のため?)大事にしすぎる傾向があるかもしれない。特に初期研修の際は、個々の症例、つまり分数の「分子」にあたるケースを病理学的・生理学的に突き詰めようとするトレーニングが重視される。これをもとに研修医が、ほとんどすべて症例報告で占められている学会の地方会で発表することは当然のように受け容れられている。一方、分数の「分母」、すなわち目の前の患者さんが由来してきた「母集団」を意識する、場合によっては適切に取り扱う術はほとんど学ぶ機会が無かった。この術こそが疫学であり、臨床疫学である。EBMへの関心の高まりから、疫学的な考え方への認識が広まりつつあることは歓迎すべきことと言える。
次号でも事例を用いて、疫学・EBMの考え方の基本を解説していきたい。
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