ソシオロジ
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最新号
通巻 197号
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論文
  • ――産育コミュニティ形成の可能性をめぐって――
    岡 いくよ
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 64 巻 3 号 p. 3-20
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、医療システムに包摂された出産をライフサイクルの中に位置づけなおそうと試みる助産師の実践を通して、妊産婦が当事者として自らと胎児の生命の管理の主体性を取り戻し、現代社会において彼女たちが直面する産前、産後の課題を解決するための新たな可能性に関して検討することにある。 産前から産後にかけての親と子を取り巻く課題は、地球規模の母子の健康問題から妊産婦の心身の不安、出産への恐怖、育児への不安に至るまで、多くの次元に及んでいる。医療機関で異常がないとわかっても、どのように産前から出産後を過ごし親になっていくのか、社会生活から距離を置く時期を過ごす妊産婦の孤独、子のいのちを守ることへの重圧感や言語化できない漠然とした不安を抱える人の増加に対しては十分な議論と対策がなされているとは言い難い。 事例にあげる助産師は、八五歳になる現在まで現役で出産介助を行い、妊娠早期から産後の授乳期に至るまで一貫して妊産婦やその家族を支援してきた。 この助産師の実践を通して明らかになったことは、出産を妊娠から育児までの文脈のなかに位置づけるタイムスパンの導入と、産む女性と医療者という二分法ではなく、それに関与する産育コミュニティという視点を導入し、当事者の生活の必要に応じ生命の管理権を当事者に引き寄せ、いのちの主体として生きることにつながるのではないか、という点にある。人生の通過点として出産が重要な通過儀礼であると捉え、医療施設との共存を果たしながら押し寄せる外部条件に対して対応を積み重ねる過程を蓄積してきたといえる。

  • ――M・ノヴァクとの対比から――
    池田 直樹
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 64 巻 3 号 p. 21-38
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は一九八〇年代のP・L・バーガーの思想、特にその資本主義擁護論を新保守主義との関係において解釈することである。一般にバーガーと新保守主義の関係は、一九七〇年代から八〇年代にかけての接近、九〇年代の決裂という流れで理解されていると言えよう。だが両者の関係の破綻に至る伏線は、八〇年代にすでに胚胎されていたと考えられる。これを論証するために本稿は、この時期のバーガーの中心的主題であった資本主義擁護論を同時期の彼の対話相手の一人であったM・ノヴァクの同種の議論と対比する。 バーガーの八〇年代の資本主義論は七〇年代における第三世界への関心に端を発していた。彼はこの主題に取り組む中で、自らの社会観と資本主義との適合性を徐々に自覚していく。 ノヴァクは八〇年代に、資本主義やアメリカ社会への批判が激化する中で、資本主義の宗教的な正当化を求めた。その際彼に大きな示唆を与えたのがM・ウェーバーである。そうしてノヴァクは、資本主義における営利活動がユダヤ―キリスト教の精神に満ちていることを強調し、また、資本主義は民主主義と必然的に結びつくこと、その内部に多元主義を生み出す点においてユダヤ―キリスト教の精神に共鳴することを説いた。 バーガーの議論はノヴァクの議論と多くの主張を共有していたが、そこには確かな相違も存在した。両者の相違は以下の四点にわたる。すなわち資本主義と民主主義の相関性の度合い、資本主義の宗教的正当化の可能性、ウェーバー受容、アメリカ社会観である。総じて言えば、バーガーは資本主義を擁護するものの、ノヴァクの極めて宗教的な議論には距離をとっていた。

  • ――K. Mannheimによる構想を起点として――
    小田 和正
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 64 巻 3 号 p. 39-57
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    本稿では、U. Beckに代表されるような時代診断的研究の基本構図と諸機能、社会学理論としての諸特徴を理論的 に整理することを通して、時代診断学が社会学的研究のなかに固有の位置価をもつこと、すなわち社会学の一研究ジャ ンルとして独自の地位を占めることを示す。そのために本稿ではまず、社会学的時代診断学というK. Mannheimの 先駆的な構想に着目し、彼の構想を批判的に再検討するという方法を採る。彼の構想に見出される不備を修正することで、時代診断学における「時代」や「社会」の概念を明確化し、「診断」や「処方」の概念もまた理論的に再規定することができるからである。その上で、時代診断学について近年なされている議論の一部を参照しつつ、時代診断学が果たす独自の諸機能、および社会学理論としての諸特徴について考察している。 本稿が提示する時代診断学における時代/社会概念とは、そのときどきに人々が抱く社会像>=包括的な状況の定義であり、時代診断学はその診断において、そのときどきの社会状況に基づいてそうした状況の定義を解釈し、社会状況に非適合的な状況の定義やその定義が依拠する解釈図式を批判する。そしてその処方において、社会状況に適合的な状況の定義や解釈図式を提案する。これが本稿が提示する時代診断学の基本構図である。こうした診断・処方によって時代診断学は、直示的機能、パラダイムの刷新機能、公共的機能という三つの機能を果たしうる。これらは通常の社会記述や社会理論が担う機能とは異なると同時に社会学的研究に不可欠の機能であるがゆえに、社会学的時代診断学は社会学的研究のなかで固有の位置価をもつと言える。

  • ――東京圏の神輿渡御における町会―神輿会関係を事例として――
    三隅 貴史
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 64 巻 3 号 p. 59-76
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    本論文の目的は、祭礼に自己充足の価値づけを行う地域外参加者が多数を占める東京圏の神輿渡御において、なぜ秩序だった神輿渡御が可能なのかという問いをとおして、高齢化・人口減少時代の祭礼における共同性について論じることにある。そのための事例として、台東区のA神輿会―一〇の町会関係と、四つの町会による祭礼運営を取り上げる。 祭礼は参加者の統合のための行為であり、それ 祭礼は地域外参加者などの個々人の楽しみのための行為であり、共同性 は成立しないという二つの視角から分析されてきた。これに対して筆者は、東京圏の神輿渡御を、価値をめぐる闘争のその時点での決着にもとづき、異なる帰結が立ち現れうる行為として分析する。 現代の神輿渡御において秩序が可能な理由は、神輿渡御の三者関係が成立しているからだ。神輿渡御の三者関係とは、町会―町会に協力的な神輿会―自己充足を優先する神輿会の三者関係によって神輿渡御が成立していることをさす。 この中では、町会が自らに協力的な会により多くの資源と特権を与えることで、その会を町会のためにふるまわせ、自己充足を優先する会を管理させている。その結果町会は、秩序だった神輿渡御と共同性を成立させている。 三者関係にもとづき、東京圏の神輿渡御において共同性が再成立している状況を、社会統合論の文脈から地域の再統合と総括する。再統合とは、地域外参加者の貢献によって、町会にとってあるべき神輿渡御が成立したことによる、その地域に愛着を持つ人びとの間での共同性の再成立をさす。

  • ――子ども同士の関係の質的な違いに着目して――
    三品 拓人
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 64 巻 3 号 p. 77-94
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    本稿では「児童養護施設で暮らす小学生男子が形成する子ども同士の関係にはどのような特徴があるのか」という問いを立て、施設生活の参与観察データを基に友情の社会学の理論――とりわけ、仲間/友人関係の違い――を援用しながら子ども同士の関係を検討した。 その結果、以下の三点が明らかになった。一点目に、児童養護施設の子どもは実に多様な原理で結びつく子ども関係の中で生きていることが分かった。それゆえに、施設にいる間は、子どもは孤立しにくく、共に過ごしている時間や相互行為の内容を考えた際には、学校で形成される関係以上の密接さを有していた。二点目に、友情に関する理論と照らし合わせると、自発性や文脈によらない関係という観点から、施設内での子ども同士の関係は〈仲間〉関係に近く、学校の知り合いが〈友人〉関係に近いと判断できた。同じような子ども同士の関係に見えても、〈仲間〉/〈友人〉関係では結びつく原理やその特徴が質的に異なっている。三点目に、施設で生活する子どもにとって学校での〈友人〉関係を積極的に形成し難い事例が見られた。具体的には、施設内の他者の介入があること、施設内のルール及び職員の配慮との抵触すること、子どもが施設周辺地域の地理を知らないこと、という構造的な問題が発見された。 以上から「児童養護施設で暮らす小学生男子が形成する子ども同士の関係にはどのような特徴があるのか」という問いに対して、「施設内での多様な〈仲間〉関係が形成される一方で、学校における〈友人〉形成が制限されるような特徴がある」と結論付けた。

  • ――本質主義をめぐる観点からのアイデンティティ論再考――
    寺崎 正啓
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 64 巻 3 号 p. 95-112
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    本稿は本質主義というキーワードを軸に現代社会の精神状況を抽出し、記述したものである。ニート・ひきこもり、スクールカースト、マウンティング、ネット炎上等の現象を本質主義というキーワードのもと読み直すことで、今日的な排除、序列のあり方やそこでの問題点を明らかにすることを目的とする。 主として00 年代以降インターネットの普及を通じて、よりミクロな領域における排除や序列化の過程が加速度的に可視化した。そこで我々は、規模の大小を問わず展開される排除や優劣を示すレトリックを頻繁に目にすることになる。 本稿は、そこで見られる排除性や序列意識を悪魔的で例外的なものとするのではなく、我々の一部として、自明のうちに、あるいは潜在的にどのように人間の内に落とし込まれてきたのかについて考察する。 議論は、アイデンティティ論が抱えていた「働くこと」というテーマをめぐる本質主義的、排除的な側面に焦点を当てるところからスタートする。 次に、消費社会で形成されるアイデンティティ、及びそれに伴う序列意識について論じる。 第三に、アイデンティティ形成の過程において異なる準拠枠を持つ者同士が、他者をことさらに劣った者として位置づける悪魔化のプロセスに着目する。自己愛の最大化をめぐり、社会的文脈や道徳的文脈を利用する今日に特徴的な戦略を記述する。 最後に、本質化や悪魔化の帰結としてマウンティングと呼ばれる攻撃性やナチュラルな上から目線が生じていることを指摘し、議論を結ぶ。

研究ノート
  • ――島根県若年層人口流出と家族実践についての一考察――
    片岡 佳美
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 64 巻 3 号 p. 113-129
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    地方では、主に進学が原因と見られる若年層の人口減少が著しい。かれらの県外移動に対し、家族、とりわけ親がどのように関与してきたか。島根県で、子ども(高校生)を県外の大学に進学させることを考えている親、あるいは実際に進学させた親を対象にインタビュー調査を行ない、地域人口をつくり出す主体としての家族の働きを議論するための仮説の提示を試みた。 分析では、「家族実践」の視点を取り入れた。それは、個々の成員が、家族であるがゆえに、そして家族になるために日常的に行なっていることに注目する視点である。親たちは、親であろうとするために、かれらが親として当然と考える「子どもに広い世界を学ばせる」という家族実践に熱心だった。幼い頃から習い事や異文化交流など、さまざまな「広い世界」を子どもに体験させ、そして最終的に子どもが県外の大学進学を選ぶように仕向けていた。そこには「こんな狭いイナカしか知らないのでは生き残れない」という競争社会的価値に加え、「親はわが子のために尽くす」「親がやらなければだれがやる」といった近代家族的な規範が見られた。一方で、子どもが県外に出た後の親たちの家族実践は、どこに向かって進むべきか目標が定まっておらず活発でない。それほどまでに、「広い世界を学ばせる」ことが、かれらにとって親としての最大の家族実践だったことが窺える。かれらが集中して熱心に取り組む家族実践で子どもの県外流出が進むこと、そしてそうやって近代家族や競争社会の規範や文化もが子どもに伝えられていくことを示唆した。

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