日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の280件中251~280を表示しています
  • 品田 光春
    セッションID: S503
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.問題の所在
     本報告では、明治前期における鉱業政策の前提となる政府による各種鉱業資源に関する空間認識について、国内の石油資源を事例に検討する。近世以前からの長い伝統を有する金属鉱業や、近世末期から燃料として注目されていた石炭鉱業に比して、石油業は灯油輸入の増加を背景に、近代になってはじめて産業としての重要性が認識された。そのため、中央政府にとっては未知の鉱業であったといっても過言ではない。この未知の鉱業資源である石油産地としての油田に関する地質・地理的な国土情報を、いかに公権力たる政府が認識したかを、複数の公的な油田調査・視察報告書の記載内容から読み解いていく。
    2.資料と分析方法
     今回の報告は明治30年代の地質調査所による継続的な油田調査事業以前の、明治前期における主要な国内油田調査として、大鳥圭介、ライマン、地質調査所(中島謙造)の3者の報告書の内容を相互に比較し検討する。主として用いた資料は、大鳥圭介については『信越羽巡歴報告』(1875年)を、ライマンについては『日本油田地質測量書』(1877年)、『日本油田調査第二年報』(1878年)、『北海道地質総論』(1878年)を、地質調査所(中島謙造)については『本邦石油産地調査報文』(1896年)である。
    3.大鳥圭介の油田視察
     旧幕臣の大鳥圭介は、欧米視察で得た知見から石炭・鉄と並んで石油業の重要性を認識しており、新潟・長野の「くそうず」の将来の開発を期待し、内務省勧業寮出仕中に、新潟・長野・山形の石油・石炭産地を視察し、地質学の視点を踏まえた科学的視点から、当時の石油産地の地質・地形・生産状況について大久保利通に報告した。大鳥は「鑿井の業も越後を先にして次に信濃に及を順とす」として、新潟県を主力産地として優先的に開発すべきと認識していた。これら大鳥の知見が後の官営石油事業やライマンの地質調査事業の方向性を空間的に規定した可能性が高い。
    4.ライマンの油田調査
     大鳥とも密接な関係にあったライマンは「お雇い外国人」として開拓使での北海道地質調査を経て、1876年から内務省勧業寮(1877年廃止、以後工部省工作局)へ所属し、新潟県を中心に日本初の本格的な広域地質調査を実施した。ライマンにより日本のおおまかな油田地帯の地理的分布(北海道・東北日本海側・新潟・長野・静岡)と含油層(第三期)が提示され、民間鉱業者にとっても借区設定など後の油田開発の大きな指針となった。また地質図作成や地質調査の人材育成にも大きく貢献した。特に地質図の作成は国土空間情報の可視化という点で、大きな意義がある。結局ライマンの油田調査は諸般の事情で未完に終わるが、得られた知見は大久保利通・伊藤博文・大隈重信などの政治家に伝達され、政府の国内石油資源に関する空間認識に影響を与えたと思われる。なお、ライマンは結果的に国内油田開発をあまり有望視しなかったが、政府としては1882年に設立された地質調査所において油田調査を行っていることからわかるように、国内油田開発の可能性を積極的に模索していたと思われる。
    5.地質調査所(中島謙造)の油田調査
     1893年に地質調査所の地質課長に就任した中島謙造は、日本人による初の本格的な石油地質調査を行い、地質図整備事業に関連して得られた全国(新潟を中心に、北海道・東北・静岡・長野・和歌山・山陰)の産油地の情報を集大成した。これはライマンの調査を補完し、民間石油鉱業者の開発の指針としての情報提供を意図したものである。
    6.まとめ
     大鳥やライマンらが指摘したように、実際に明治期の石油業の鉱業空間は新潟県を中心に形成されていき、短期間に原油生産も大幅に増加していった。大鳥・ライマン・地質調査所らの地質調査事業は、地理・地質情報の提示という点で、初期の国内石油業界の発展に貢献した。そして、政府の国土空間に対する認識の中でも、国内石油資源への関心はしだいに高まっていくのである。
  • 天野 宏司
    セッションID: S504
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     近代日本の郵便制度は1871(明治4)年に東京~大阪間での逓送を開始したことに始まり,翌年に全国展開が図られた。さらに1873年には,郵便取扱の独占と全国均一料金に規定される現在の郵便事業の原型が完成した。これに伴い,郵便物を実際に逓送するルート・手段,頻度などを把握・周知するための「郵便線路図」が1872年に作成された。郵便線路は,郵便局の新設や廃止,地域交通体系の変化などにより頻繁に改変されるため,「郵便線路図」もしばしば改変された。いわば,「郵便線路図」は逓信省という,公権力による空間把握の結果を示す。明治政府による,国土空間の把握を振り返ると,迅速測図に始まる地図作製が1880(明治13)年からであり,鉄道ネットワークが形成されるのは1890年代である。「郵便線路図」の作成は,これらに大きく先行するとともに,把握および更新頻度の高い空間情報でもあった。「郵便線路図」には同一年紀のものが複冊存在する。各地の逓信区からあげられた郵便線路の改変情報をもとに,「郵便線路図」原簿が作成されていたためと考えられる。
  • 岡島 建
    セッションID: S505
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     近世においては年貢米や商荷物の輸送のために、大坂を中心として全国的水運体系が確立していた。それは、海運を幹線とし、河口港を結節点として、河川水運を内陸支線とするものであった。河川水運は幕藩体制の崩壊や明治以降の鉄道をはじめとする近代交通機関の導入によって衰退の道をたどったと、かつては考えられてきた。しかしながら、開国や全国的流通体系の拡大に際し、全国的交通体系の整備が求められたが、明治初期の殖産興業政策下においては、近世以来の水運を中心とする交通体系の整備が図られ、それらの輸送力を増強するために鉄道建設が進められたと考えられる。その後、鉄道建設技術とそれを支える資本が確立するに従って、鉄道中心の輸送体制への転換が徐々に進められた。一方、水運路を確保する低水工事を中心とする河川政策から洪水の早期流出を目指す高水工事を主とする政策への転換も図られた。これらの政策転換がなされるのが明治期であり、いつ、どこからそれが進められるかという意志決定には、政策者(公権力)が日本の国土をどのように空間認識していたか、ということによっていたと考えられる。本研究はその一端を明らかにしようとするものである。
     内陸水運に関わる交通体系の整備と河川整備の政策は、明治初めには内務省を中心に進められていた。明治初期の殖産興業政策を強力に進めた大久保利通は初代の内務卿(1873-78)で、内陸交通手段を河川水運とし、その航行確保のための河川整備をオランダに範を取って計画した。大久保暗殺後は伊藤博文が内務卿(1878-80)となり、大久保が立てた計画を継続した。次に内務卿となった松方正義(1880-81)は、東北開発の拠点港であった野蒜築港の失敗後、鉄道を基軸として沿岸海運と結ぶ交通体系の構築を目指し、洪水防御中心の河川整備への転換を図る。殖産興業関連部局を一本化した農商務省を設置し、内務省の権限を削減した。山県有朋(1883-89)は大久保路線の復活と内務省の権限拡充を目指した政策を打ち出すが、低水工事が最も進められていた淀川での1885年水害によって低水重視の河川政策は見直しを余儀なくされる。次第に高水重視の方向に動き1896年の河川法制定につながる。また、1870年設置以来工部省の所管であった鉄道建設が、1890年他の内陸交通機関と同じく内務省の所管となったのち、1892年の鉄道敷設法の公布によって内陸交通手段を鉄道とする方針が明確化した。
     内務省の主要人物の空間認識によって政策が変遷してきたと考えられる。
  • 大久保利通に注目して
    山根 拓
    セッションID: S506
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     本シンポジウムは、近代を通じて、公権力(者)の空間認識とその空間形成の意図・実践との関係を考察し、そこからわが国の国土空間の形成過程を説明しようと試みる。この試行の方法論は一つではない。本報告では近代初期の日本で最高公権力者として活動した大久保利通の空間的経験・認識と空間的実践の内容を顧み、それを現実の国土空間形成と関連付けて説明したい。
     大久保利通が事実上の最高権力者として国政のヘゲモニーを握ったのは、1869年の参議就任、1873年の内務卿就任を経た明治初期の一時期に過ぎない。彼の取り組んだ国土空間形成に関わる代表的事業としては、「廃藩置県」と「東日本開発(野蒜築港や安積開墾等)」が挙げられる。このうち前者が国家統治上の「中央-地方」間秩序の制度枠組を定めたのに対し、後者は具体的な場所「東北」の振興に関わった。これらの事業、特に後者の形で顕在化した空間的実践の背景にあったと思われる、大久保の空間的な経験と認識の検証から始めたい。空間的経験は人間の直接的・間接的な場所経験であり、空間認識の基となる。主体による場所経験や認識は、質量両面で評価できる。まずは大久保の生涯にわたる空間的履歴を量的に捉えてみよう。
     1830年生まれの大久保は、鹿児島・加治屋町で成育し30歳過ぎまで、鹿児島に留まった。『大久保利通日記』や『大久保利通文書』からみると、その間、彼の生活活動空間はこの加治屋町と城を主とする市街にほぼ限られた。彼自身が西郷隆盛らとともに薩摩藩内での異例の昇進を遂げたことと、薩摩藩が近世的幕藩体制変革のキャスティングボードを握る構造変動が生じたことで変化が訪れる。文久元(1861)年12月28日、大久保は島津久光公の内命で初めて京都に赴き、以後の活動の本拠が京都に移る。1866(慶応2)-1869(明治2)年、彼は京都に居宅を置いた。その後、明治遷都により本拠は東京に移る。政治的地位を上昇させた彼のヘゲモニーの確立は東京移動後である。1861年以後の彼の活動空間は、前半において、鹿児島、京都、東京(江戸)の3点を軸とし、時にそれらを結ぶ西日本で主に展開した。このエリア外の場所を彼が初めて訪れたのは、明治4(1871)年11月~明治6(1873)年5月の岩倉使節団による米欧派遣であった。その後、彼の足跡は清国・台湾(1874年)、東北地方(1876年)へと及ぶが、公務以外の私的な遠距離旅行は、岩倉団からの帰国年における箱根・富士・京阪地域への1件のみであった。
     権力者・大久保は、上京する地方官らとの会談や、地方との書状の遣り取りを通じ、東京で地方情勢を把握していた。1875・1878年の地方官会議は、警察・土木・橋梁などの問題に関する各地方官の地域性を踏まえた発言もあり、地域事情を権力側に伝える機会であった。政治情報に偏倚していた嫌いはあるが、大久保が、直接経験した東京以西の西日本と異なる東北日本の事情を、こうした間接的手段から一定程度把握していた事実は重要である。
     大久保が「首相」として手懸けた国土空間構造の構想・創出という仕事に関連させて彼自身の空間的諸経験を整理したとき、岩倉使節団による欧州特にイギリスへの渡航経験は転換点となった。これは彼にとって他の空間的経験と質的に異なるものであり、その衝撃が西郷隆盛らへの書状や久米邦武への談話において表明されている。当時の個々の英国産業の先進性のみならず、それらを繋ぐ運河・鉄道のネットワークおよび首都中心にネットワーク化された国土空間構造の機能する様が、彼に強い印象を与えたと見られる。君主制政体の下で近代化を進める英国的国土構造が、わが国の殖産興業的国土開発構想のモデルとして意識され、その実現の舞台として東北地方が選ばれる。東北は大久保にとって個人的経験の薄い地域ではあったが、英国風見立てを適用するには好適の地と判断されたのではないか。東北巡幸に先立つ視察旅行は、彼自身の見立ての確認旅行の意味を持つ。
  • 川崎 俊郎
    セッションID: S507
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     本報告では1920年代以降、銀行合同政策に対する地方銀行経営者の対応を通じて、彼らの国土空間に対する認識を明らかにした。銀行合同政策は1922年から36年にかけて地方的合同から一県一行主義へと統制を強化する方向で進められた。しかしこれに従わなかった府県が12あり、従った府県の中にも結果的に一県一行主義が成立した府県が5つあった。こうした政策の結果は地方銀行経営者の国土空間の認識と関係があった。彼らは必要な場合、銀行合同施策に従い支店網の拡大と資本金の強化を行った。その地理的範囲は府県域を超えず、郡域から府県内の地域区分にとどまった。この点で地方銀行経営者は公的な立場から合同政策を受容したといえる。しかし、この地理的範囲を超えて政策的な合併を行った場合、経営破綻を起こし、逆に銀行合同が頓挫することもあった。この種の合併に関して地方銀行経営者は慎重であり、公的立場よりも経営者としての立場をとることが多かった。これは地方銀行経営者の多くが地域産業、とくに農業とその関連産業に強く結びつけられており、合併によるスケールメリットを生かして、府県領域を活動範囲とすることができなかったためと考えられる。
  • 河野 敬一
    セッションID: S508
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.はじめに
     本報告では、近代日本の地域の再編成の過程において、地方の対応やその果たした役割がどのようなものであったのか、具体的な個人や一族の動きを分析することによって予察していきたい。
     地方有力者は、明治期以降の議会制や地方制度が確立していく中で、市町村長や、地方政治・国政へ参画をする例が多いが、その関わり方については、従来、個人の経歴・事蹟から、その政治活動等を通じて果たした役割について間接的に把握されるにとどまり、個人やその同族集団が、具体的にどのような認識をもって政治に参画し、その結果として家業や地域社会に何をもたらしたかといった具体的な検討は、資料の制約などもあってあまりなされてこなかった。本報告では、まず明治期以降比較的多く作成された「同族会記録」、家や同族の「家憲・家訓」などを分析することによって、地方有力者およびその一族の認識の実態を明らかにしていきたい。

    2.地方同族集団の政治へのスタンス
     長野県小諸の小山家は、江戸時代から味噌醤油の醸造業を経営し、幕末から明治初期にかけて小諸荒町町内に親族分家による商店を輩出しながら事業を拡大した。一方で明治20年代に、当主・小山久左衛門正友は、渋澤栄一らとの知己も得て製糸業に乗り出し「純水館」を設立したり、小諸義塾の創立に際して資金的援助をするなど新しい産業への進出や地域の教育といった社会活動にも理解を示した。小諸は関東平野と北陸方面を結ぶ交通の要地であると共に佐久平の玄関口という地理的優位性もあって、小諸商人は信州の中でもとりわけ「進取の気質に富む」とみられていたが、実体としてはどうだったのであろうか。
     正友の長男・邦太郎は、純水館長を継ぎ製糸業と家業の醸造業を兼営したが、その後、県会議員、衆議院・参議院と国政に参画し、国政の場で「蚕糸業国策論」を唱え、蚕糸業の発展に力を尽くした。政界進出の経過を小山家に残る「小山同姓会記録」や「小山一族会日誌」によって詳細にみてみると、政治への参画に至るまでの以下のようなプロセスが明らかになる。
     邦太郎は、地域社会のなかでの人望が篤く、地域代表・業界代表として政治への関わりを周囲から強く求められた。一方、小山同族団としては、当主が政治活動への傾注することによって家業の発展の妨げになることをおそれて、大正期から昭和戦前期に起こった政界への邦太郎擁立への動きに一族会において再三の反対決議を行った。
     もう一つの例として、山形県酒田の本間家を挙げたい。本間家は、明治期以降、江戸時代以来の蓄財をもとに信成合資会社を設立し不動産管理と貸金業で資産を拡大させた。しかし、新規事業への進出には消極的で、大正期には所有地1,800町歩を超え、当時の『資産家一覧』においても、地方資産家として五指に入る1千万円を超える資産額を誇ったものの、いわゆる「地方財閥」にはならなかった。これは、本間家の株式投資を禁止した「家憲」の存在に依るものと思われる。また、明治24年の「(本間)光美日記」によれば、7代当主・本間光輝に対する酒田町長への強い推薦に対して、家業への影響をおそれて一族が反対した記録があるなど、小山家と同様の姿勢を示している。
     この2つの例は、地方有力者の政治参画への消極性や、土地への執着を示している。同族や地域社会との緊密なつながりを持っていることは、とくに地方における事業の存立の重要な要件になりうる。反面、共同体的な心情と人間関係に基づいて地域社会から求められる政治活動や社会活動への参画が、規模の限られた同族経営では、政治的活動に関わる人材にも時間にも限界があるため、むしろ事業の拡大・発展への力の集中を阻害する要因となる。また、土地所有を媒介とした地縁が、他事業への投資を阻害する心理的要因になったことも考えられる。
     こうした「保守性」から脱皮しようとする動きのひとつが中央への進出であり、事実、財閥形成をなしたグループの多くが中央を志向した。一方、地方に根ざし事業を保持しようとした有力者たちは、特定の業界や地域を反映した限定的な政治へのかかわりを通じて、地方の地域形成に一定の役割を果たしていった。彼らの政治的な関わりが、どのようなプロセスによって地域形成に反映されていったか、より具体的に検討をしていきたい。
  • 小荒井 衛, 碓井 照子, 村山 祐司
    セッションID: S601
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.趣旨
     2007年5月に地理空間情報活用推進基本法(基本法と略す)が議員立法によって制定され、8月に施行された。この法律は、国民が安心して豊かな生活を営むことができる経済社会を実現するため、地理空間情報の活用の推進に関する施策を総合的かつ計画的に推進することを目的としている。この法律の中で、国・地方公共団体・関連事業者が相互に連携しながら施策の推進や協力を行っていく役割が謳われている。例えば、測量計画機関(国、及び地方公共団体)は測量を行う際に既存の基盤地図情報を利用する努力を、国は基盤地図情報を原則としてインターネットを利用して無償提供を、民間企業は良質な地理空間情報を提供する努力をしなければならない。
     基本法が成立したことを受けて、地理空間情報の流通が今後大きく変化していくことが予想され、地理空間情報を扱って研究を進めている地理学の世界においても、この影響は計り知れない。GIS学会では新法の制定に関するシンポジウムを企画し、技術基準や基本計画の策定に向けて意見を提出するなど積極的に関与しているのに対し、地理学会においては基本法に関する関心が必ずしも高くはないのが実情である。
     従ってオーガナイザーらは、地理学会員に基本法の概要について知っていただくと共に、基本法が目指す高度地理空間情報社会の実現に向けて地理学が何に貢献できるかについて議論を始める契機になることを期待して、今回のシンポジウムを企画した。本シンポジウムでは、基本法を受けての国や地方自治体等での地理空間情報の整備・流通に関する施策や事業の状況、今後の地理空間情報社会のあり方、新法の制定が地理学研究にどの様な影響を及ぼすのか等について議論を行い、地理学者や地理学会が、関連学会や行政機関等と連携して、理想とする地理空間情報社会の実現に向けてどの様な働きが可能であるかを検討していきたい。
    2.シンポジウムの構成
     本シンポジウムは大きく3つから構成される。基本的話題提供、コメント的話題提供、総合討論である。
     基本的話題提供では、本法律の制定に大きく関わった学識経験者2人と国土地理院から話題提供をいただく。奈良大学の碓井氏からは地理空間・地域科学学会連携の視点から、東京大学空間情報科学研究センター(CSIS)の柴崎氏からは工学と地理学の連携の視点から、総括的な話題提供をいただく。また、国土地理院の大木氏からは基本法をうけて政府の施策や事業の取り組みについて報告いただく。
     分野別話題提供については、6名の方から多岐に渡る領域について、基本法の制定がどの様な影響を与え、どの様な効果が期待されるのかについて、それぞれの立場から話題提供をいただく。地理学の分野については、人文地理学・社会科学研究の立場から筑波大学の村山氏に、自然地理学・自然科学研究の立場から東京大学CSISの小口氏に、学校地理教育の立場から獨協大学の秋本氏に話題提供をいただく。地理学以外の領域については、地方自治行政の立場から市川市の大場氏に、社会基盤工学の立場から国土技術政策総合研究所の布施氏に、衛星画像・デジタル画像の立場から宇宙航空研究開発機構の森山氏に話題提供をいただく。
     総合討論では、1時間程度の時間で自由に意見交換することを考えている。総合討論の最初に、コメンティーターとして東京大学の岡部氏と東京大学CSISの今井氏の2人から5分程度のコメントを頂く。そのコメントを受けて、特に地理学の研究分野において研究内容や方向性がどの様に変化していくのか、理想とする地理空間情報社会の実現に向けて地理学者や地理学会がどの様な働きが可能であるかについて、焦点を当てて議論していきたい。
  • 碓井 照子
    セッションID: S602
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1、地理空間情報活用推進基本法と地理空間
     地理空間情報活用推進基本法が、第166回国会で制定(法律六十三)され、2007年5月30日に公布された。この法律の愛称は、NSDI法(National Spatial Data Infrastructure:国土空間データ基盤法)である。米国では, 1992年のクリントン政権発足時に情報スーパーハイウェイ構想として有名な全米情報基盤:NII(National Information Infrastructure:全米情報基盤)行動アジェンダがだされたが、さらに全米科学財団の「国土空間データ基盤整備National Spatial Information Infrastructure(NSDI)に向けて」という国家的戦略としてのNSDIに関する勧告をうけ、クリントン政権は全米インターネット網の整備だけでなく,情報基盤コンテンツとしてのNSDI整備をIT政策の柱にしたのである。この勧告に地理学者が関係していたことは有名である。 1994年、大統領令12906号を公布し、情報技術により米国の政治のあり方を新規に再構築するための情報基盤としてNSDIを官民パートナーシップで整備しようとした。NSDI整備は、GIS(Geographic Information System 地理情報システム)を利用して国民サービスの向上を図ろうとする電子政府政策でもある。
     その背景には、1990年のGIS論争(GISは科学かツールか?)があり、その後、地理情報科学が成立した。1990年代に3次元空間情報技術の目覚しい発展があり、地理空間情報科学とも称されるようになったのである。
     地理空間(Geospace)とは、地球上の地理的空間であり、単なる宇宙空間ではない、そこには、自然と人間との営みがあり、地域、国土、景観、環境などを総称する地球人間圏の空間である。

    2、日本学術会議の活動
     20期の学術会議では、第一部(人文社会科学系)、第二部(生命科学系)、第三部(理工学系)の中に30の研究分野別委員会が設置されたが、地理学は、第一部と第三部にまたがるため、第一部では、地域研究委員会に、第3部では、地球惑星科学委員会に所属することになった。第1部では、地域研究委員会の中に人文経済地理地域教育(地理教育を含む)分科会と地域情報分科会が地理系主導の分科会であり、第三部では、地球人間圏分科会とIGU分科会(国際地理学連合)、INQUA分科会(国際第四紀研究連合)の2つの国際対応分科会が設置された。
     地球人間圏とは、地理空間そのものである。地理空間分科会の別名を有してもおかしくはない。地理学としては5つの分科会を主導することになったのである。一般的には、各分野別委員会には、5-7程度の分科会が設置されるから実質的には、地理系分科会は、分野別委員会クラスを構成してもかまわないレベルである。しかし、現在の日本学術会議には、第一部と第三部にまたがる分野別委員会は設置されていない。自然科学と人文社会科学に属する地理学の宿命ともいえるが、今回、地理空間情報活用推進基本法の制定を受け、地理空間に関するアカデミックな分野別委員会は、必要であるともいえる。
     日本学術会議の中に第三部の地球人間圏分科会(地理空間分科会とも言える)と第一部の地域研究委員会の2つの分科会を連携するような自然系と人文社会系の大連合が必要と考えている。そのことにより、日本学術会議の中に、人文社会系と理化学系の癒合した分野別委員会の設置が実現される日が来るかもしれない。
  • 柴崎 亮介
    セッションID: S603
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.地理空間情報活用推進基本法(NSDI法)登場
     法案の検討が始まってから約2年半、国会に提出されてから約1年を経て2007年5月23日に「地理空間情報活用推進基本法」が自民・公明・民主の3党共同提案により成立した。基本法はNSDI法とも呼ばれ(NSDIとはNational Spatial Data Infrastructure:国土空間データ基盤を意味する)、さまざまな情報を位置や場所に関連づけて整理、俯瞰し、多面的に利活用するための共通基盤を構築しようとする点に大きな特徴がある。これまで地理情報システム、いわゆるGISに関しては既にGISアクションプログラムがあり、各府省が連携した政策が進められてきたが、主な対象となっていたのはいわゆる地理情報(=地図情報)であり、いつでもどこでも誰でも容易に位置や場所情報を得ることができる基盤を作る、という意識は希薄であったように思われる。

    2.「誰でもいつでもどこでも簡単に位置や場所がわかる」社会インフラ:衛星測位と基盤地図情報
     「誰でもいつでもどこでも簡単に位置や場所がわかる」社会インフラとして、共通地図とGazetteer(地名集)が重要なのは言うまでもないが、さらに今後一層重要となるものに衛星測位システムがある。衛星測位には現在、アメリカの運用するGPS(全球測位システム)があり、カーナビから携帯電話まで幅広く利用されているが、今後、欧州連合(EU)のガリレオ(Galileo)、ロシアはグロナス(GLONASS)、中国は北斗(Beidou)を2010年代の半ばを目標に開発・運用する予定があり、我が国も準天頂衛星という日本周辺での利用に特化した測位衛星の開発を進めている。測位衛星の数は現在40機をやや越えるくらいだが、将来120機前後になり衛星測位の利用可能な場所・時間帯が大きく拡大する。このように、衛星測位と共通地図・地名集(基盤地図情報)の組み合わせは、防災やITS(高度道路交通システム)など多くの公共サービスを実現するために共通不可欠な社会インフラ(国土空間データ基盤)であると言えよう。

    3.国土空間データ基盤(NSDI)の構築・運用と「地理空間情報活用推進基本法」
     道路のように歴史のある社会基盤施設は、税で資金を賄い、国民の信託を受けた行政府が責任を持って建設や管理、運用にあたるという制度が確立している。しかし、国土空間データ基盤についてはそうした制度・仕組みはきわめて不十分である。
     国土空間データ基盤のようにデジタル情報を流通・利用する社会の基盤的仕組みを実現するためには、情報を発信・利用する多くの組織が共同し、費用を誰にどれだけ負担してもらうかというメカニズムも含めて、その仕組みをデザインし運用、利用する必要がある。特に国土空間データ基盤の中でも特に共通白地図(基本法でいうところの基盤地図情報)はさまざまな機関が協力することで、現在の地図より遥かに新鮮で高精度なものを実現することが可能である。地図に載っている道路などは完成に合わせて必ず正確な図面が作成されるため、そのデータをそのまま地図に載せることで道路が開通するのと同時に地図上の道路も「開通」させることができる。「地理空間情報活用推進基本法」は今後具体的な制度設計、ファイナンス方式、データの流通に関する仕組みの構築を進めることを国の方針として宣言したものであり、今後の展開が注目される。

    (参考文献)
    柴崎亮介(2007) 地理空間活用推進基本法と空間情報社会の展望、JACIC情報87号pp.1-13,2007
  • 大木 章一
    セッションID: S604
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.はじめに
     2007年は、地理情報システム(GIS)を取り巻く国内の情勢が新たな展開を見せた年となった。政府の測位・地理情報システム等推進会議(以下、推進会議)において「GISアクションプログラム2010」が2007年3月に決定されたほか、地理空間情報の活用の推進に関する施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とした地理空間情報活用推進基本法(平成19年5月30日法律第63号)(以下、基本法)が2007年8月29日に施行された。政府は基本法をうけたルールや基準を定めるなど、必要な施策の実施を進めている。本発表では、基本法や政府の取り組み、国土地理院が実施する事業を紹介する。
    2.基本法と推進会議
     基本法は、国民が安心して豊かな生活を営むことができる経済社会を実現する上で地理空間情報を高度に活用することを推進することが極めて重要であるために、その活用の推進に関する施策を総合的かつ計画的に推進することを目的としている。基本理念として、(1)地理空間情報に関する施策の総合化・体系化、(2)地理情報システムと衛星測位との相乗効果の発揮、(3)衛星測位によるサービスの確保、(4)公共施設の管理、防災対策の推進等、(5)行政運営の効率化・高度化、(6)多様なサービスの提供、(7)多様な事業の創出と発展、環境との調和等、(8)民間事業者の技術提案・創意工夫の活用、(9)個人の権利利益侵害、国の安全の確保への配慮を挙げている。
     推進会議は、2005年9月に関係省庁の局長級の会議として設置され、「GISアクションプログラム2010」を作成した。基本法の成立を受け、検討チームを設置。基本法の理念の実現に向け、第9条に基づく地理空間情報活用推進基本計画策定を進めている。
    3.基盤地図情報に関する国土交通省令等
     基盤地図情報は、基本法の第2条に定義されているが、具体的な項目などの基準は、国土交通省令で定められている。また、整備した基盤地図情報を提供する際のルールについても国土交通省の告示で定められている。
     基盤地図情報に係る項目は、(1)測量の基準点、(2)海岸線、(3)公共施設の境界線(道路区域界)、(4)公共施設の境界線(河川区域界)、(5)行政区画の境界線及び代表点、(6)道路縁、(7)河川堤防の表法肩の法線、(8)軌道の中心線、(9)標高点、(10)水涯線、(11)建築物の外周線、(12)市町村の町若しくは字の境界線及び代表点、(13)街区の境界線及び代表点
    4.基盤地図情報と国土地理院の取り組み
     基本法は、地理空間情報が社会の多様な分野で活用されることを理想としており、国や地方公共団体が検討する各施策の実現を追求することが必要となる。その核となる基盤地図情報となりうるデータは、国や地方公共団体において多く保有されており、その普及が鍵となる。国土地理院は、公的機関に保有されるデータが有効に活用されるために、全国の市街化区域・市街化調整区域を対象とした整備事業を2010年までの目標で行っており、今後順次提供していく。
     国土地理院は、基本法の理念のもと、地理空間情報を高度に活用する社会の実現に向けた取り組みを進めてまいる所存である。

    文献
    地理空間情報活用推進基本法(平成19年5月30日法律第63号)、地理空間情報活用推進基本法第2条第3項の基盤地図情報に係る項目及び基盤地図情報が満たすべき基準に関する省令(平成19年8月29日国土交通省令第78号)、地理空間情報活用推進基本法第16条第1項の規定に基づく地理空間情報活用推進基本法第2条第3項の基盤地図情報の整備に係る技術上の基準の告示(平成19年8月29日国土交通省告示第1144号)
  • 村山 祐司
    セッションID: S605
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.地理空間情報基盤の構築
     2007年8 月に施行された地理空間情報活用推進基本法を受けて,全国を網羅する基盤地図の整備が国土地理院を中心に急ピッチで進められている.やがて,この基盤地図には,画像,統計,台帳をはじめ,位置をキーに多種多様な地理空間情報が載せられ,行政にビジネスに活用されていくことであろう.移動体情報,POS,観光・文化情報,タウン情報,さらには音声,景観写真,書き込みといった住民提供の情報も位置をキーにして基盤地図にリンクされ,マッシュアップ的に「集合知」となって,一般市民に広く共有されていくものと期待される.
     本発表では,地理空間情報基盤の拡充が人文地理学にどのようなインパクトを与えるのか,学術的見地に立って考えてみたい.
    2.集計的思考から非集計的思考へ
     人文地理学では,地域単位別(町丁目や市区町村など)に集計されたデータをもとに分析を進めることが多かった.基本法の制定を機に,個別データの流通が進み,今後は面よりも点をベースにした見方・考え方が浸透するものと予想される.総量・平均値主義からの脱却が期待される.
     昨春成立した改正統計法もこの動きに拍車をかけそうだ.これは,「行政のための統計」から「社会の行政基盤としての統計」への脱皮を意図した法律であり,ミクロ統計データにおける二次利用の促進を謳っている.これからは地域単位の可変的な設定も可能になろう.
    3.空間分析から時空間分析へ
     時間軸を一定の間隔でスライスして,時間断面毎に空間分析を施す.これが地域変化を考察する一般的な方法であった(これはまさに集計的思考!).地理的諸事象は,移動を伴いながら絶えず発生・継続・消滅を繰り返している.空間と時間をいかに切り取って分析の俎上に載せるか,非集計データの流通は地理学者に時空間概念の重要性を改めて認識させることになった.地理的諸事象を時空一体で分析する精緻な手法の開発が待たれる.
    4.地誌的アプローチの進展と「場の科学」の台頭
     属性情報が一杯詰まった基盤地図,すなわち地理空間情報基盤は,いわば実世界をディスプレイに投影したバーチャルワールドである.
     絶えず情報が蓄積されていく「データリッチ」の状況下において, GISで渉猟的に地域調査を行うバーチャルフィールドワークは,地域構造や地域変容プロセスを探る有力な手段として大きな可能性を秘めている.空間データマイニング,空間スキャニング,ジオシミュレーションといった探索的アプローチは,地理的諸現象を網羅的に調べ上げて地域性を浮き出させる伝統的地誌学の手法に通じている.1950年代末に起こった計量革命は演繹的思考を醸成させたが,現在進行中のGIS革命は帰納的思考の重要性を人文地理学者に問い直すことになった.
     GISを援用した地域分析の深化に伴って,地理的諸事象の相互関連性(開放性,近接性,ポテンシャル,相対的位置,分布など)に着目し,分析対象を地域全体の中に位置づけて論じる「場の科学」の発展が予感される.
    5.これからの人文地理学
     地理学の衰退が指摘されて久しいが,GISの発展や基本法の制定を機に,「地理」という用語が社会に浸透し,地理学には再浮上のチャンスが巡ってきた.当学会には,工学や農林学,社会科学などの研究者の入会が増えている.統合型GISの普及にともなって,地方自治体からは地域診断能力に長けた地理学に眼差しが向けられている.
     人文地理学の発展には,政策や計画への積極的な関与が鍵を握っているように思われる.人文地理学には社会のニーズを的確にキャッチするとともに,工学的思考を取り入れた応用科学・実用科学へのシフトが求められている.隣接諸科学を束ねて,場の科学を主導するリーダーシップも問われよう.
  • 小口 高
    セッションID: S606
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    I.日本のGISの発展と自然地理学
     日本のGISの発展が,欧米に比べて遅れていたことがしばしば指摘されている.特に1990年代初頭におけるGISの普及度は欧米に大きく引き離されていたが,現在までにこの差はかなり縮小した.しかし,まだ欧米との差が大きい分野もあり,自然地理学はその一つとみなされる.日本で自然地理学へのGISの応用が遅れている理由として,1)特に初期において日本のGISを牽引した地理学者の多くが人文地理学を専門としていたこと,および2)日本ではGISの導入に積極的な工学の研究者が多いが,応用対象として都市や交通といった人文社会的な要素を選ぶ傾向があること,が挙げられる.
     一方,欧米においては,自然科学と人文科学に関するGISが,よりバランス良く発展してきた.たとえば1986年に世界最初のGISの教科書を著したピーター・バーローは自然地理学者であり,1980年代以降に米国のGISを牽引しているマイケル・グッドチャイルドやデービッド・マークも,初期には地形,地質,生態などの自然を主な研究対象としていた.今後,日本においても自然地理学を含む自然科学におけるGISが,より発展することが望まれる.

    II.地理空間情報活用推進基本法と自然地理学
     2007年8月29日に施行された「地理空間情報活用推進基本法」(以下,基本法)は,日本のGISを産・官・学の多様な側面において発展させる推進力になると考えられる.この法律が,上記した日本の自然地理学におけるGISの発展の相対的な遅れを解消するために有効かを,基本法の内容を踏まえて簡単に検討した.
     上記の基本法は,主に国民生活と経済社会の向上を目指しているため,全体としては自然よりも人文社会に関する要素が重視されている.したがって,基本法は従来からの日本のGISの特徴を反映しているとみなされ,この法律が自然地理学におけるGISの応用を飛躍的に発展させるとは言い難い.しかし,自然地理学に関連したいくつかの課題については,確実に発展を期待できる.たとえば,基本法は13項目の「基盤地図情報」を制定しているが,その中には海岸線と標高点が含まれている.これらの情報が高頻度で更新され,GISデータの形で提供されることにより,地形変化の定量的な研究が容易になる.たとえば,これまで海岸侵食の実態をGISによって分析する際には,複数の時期の空中写真や地図を必要に応じて幾何補正し,海岸線をトレースしてベクター・データを作製する必要があった.今後はそのような手間が減り,幾何補正の際の誤差といった問題も軽減される.内陸の地形変化を調べる際にも,標高データが頻繁に更新されれば,写真測量などによって自前で複数の時期のDEMを作製する手間が減少する.

    III.GISアクションプログラム2010と自然地理学
     2007年3月22日に測位・地理情報システム等推進会議が「GISアクションプログラム2010」を決定した.このプログラムの副題は「世界最先端の地理空間情報高度活用社会の実現を目指して」となっており,基本法と連動する動きを,より具体的に述べたものとみなされる.本プログラムでも,基本的には人文社会関係の情報の充実が重視されているが,「防災・環境などに関する主題図」「沿岸詳細基盤情報」「地質情報」「地すべり地形分布図」「生物多様性情報」といった自然地理学に関する情報も取り上げられている.これらの多くは省庁が以前から整備しているものであり,「生物多様性情報」に含まれるベクター植生データなど,研究者に頻繁に利用されているものが含まれる.その継続的な整備とデータの配布の促進が本プログラムに記されていることは,今後の自然地理学の発展に重要といえる.
  • 秋本 弘章
    セッションID: S607
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     地理空間情報活用推進基本法が制定されたことによる学校教育への影響と期待を3つの点から論じた。すなわち、地理空間情報に関する知識普及における学校教育の役割と地理空間情報の教育への活用、地理空間情報を扱う人材育成機関としての学校の役割、行政機関としての学校のかかわりである。基本法の趣旨が広く理解され、効果的な活用が図られるためには学校教育が重要であるが、教育現場だけで対応できる課題ではない。今後は、さまざまな機関・個人の学校教育への支援が期待される。
  • 大場 亨
    セッションID: S608
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1. 地理空間情報活用推進基本法に基づく技術上の基準
     国や地方公共団体が他団体の測量成果との接合を意識することは稀である。国道・都道府県道・市区町村道の交差点等で、それぞれの管理者によって別々の基準点が隣同士に置かれ、その座標が数十センチもずれていることも珍しくない。そのずれている基準点から測量された道路縁のデータも、交差点でずれている。このため、国や地方公共団体の道路データがあるにもかかわらず、電力・ガス・電話会社やカーナビゲーション用地図の作成会社は独自に測量することが多い。
     これに対して、地理空間情報活用推進基本法第16条第1項の規定に基づく地理空間情報活用推進基本法第2条第3項の基盤地図情報の整備に係る技術上の基準(平成19年国土交通省告示第1144号)では、国や地方公共団体が基盤地図情報を整備するときは、次の基準に適合するものとされた。
    (1) 既存の基盤地図情報の利用基準
    (2) シームレスな基盤地図情報の整備基準
    (3) 広域のシームレスな基盤地図情報の整備基準
    (4) 基盤地図情報が適合すべき規格
    測量に対する多重投資の防止、信頼性が高くて安価な地図の普及に、基本法は貢献することになろう。

    2.整備基準に関する課題
     (3)の実践には課題が多い。2002年4月以降の公共測量は日本測地系2000(世界測地系)に基づいている。従来の日本測地系からの移行方法は、測量計画機関ごとに異なっている。図郭の代表点のみに依拠して座標変換をする方法をとった機関もある。隣接する機関の測量成果の接合を進めるには、各測量成果の経緯や方法を調査し、適切に作業を進めなければならない。
     測量成果の広域での接合を実践してきたのは、大阪府地域におけるGIS大縮尺空間データ官民共有化推進協議会、三重県、岐阜県など僅かな例に限られる。ほとんどの国の機関や地方公共団体にはこのような経験がない。人材の養成、マニュアルの整備、相互調整のための体制の整備などが急務である。

    3.符号化の規格に関する課題
     (4)については、ISO19118(地理情報―符号化)またはISO19136(地理情報―地理マーク付け言語)に適合していなければならない。つまり、XMLまたはGMLで符号化しなければならない。XMLで符号化するためには、タグの名称やXMLスキーマを製品仕様書で定義することになる。
     総務省「共用空間データ調達仕様書及び基本仕様書」、国土交通省「道路基盤データ製品仕様書(案)」、国土交通省「数値地図2500(空間データ基盤)製品仕様書(案)」など、多くの製品仕様書案が作成されている。これらの仕様書案との整合、多くの部署に渡る統合型GISの実現などを考慮しながら、製品仕様書を作成することができる職員は、地方公共団体にはほとんどいない。各種の標準や製品仕様書案に関して知識を有し、団体間の調整をする能力を持った職員を各団体が養成することも必要である。わかりやすい解説書の作成、研修制度の充実、職員間の技術交流などを進めなければならない。

    4.おわりに
     隣接地域との調整、空間データの一つ一つのタグまで定める仕様書の作成など、従来よりも発注のためのコストが増加する。その一方、国や地方公共団体が多くの項目を公開することによる経費節減効果が国民にどのくらい還元されることになるのであろうか。費用と効果の研究例が現れることが望まれる。
     国民の理解を求めることも必要である。空間データの標準化と公開によってもたらされる利益が国民に享受され、ますますその進展が期待されるようにならなければならない。まずはそのような事例を積み重ね、国の機関や地方公共団体が競ってその実現を目指すようになることが望まれる。
  • 布施 孝志
    セッションID: S609
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1. はじめに
     道路管理において、道路工事、占用工事、自然災害等による道路構造の変化に関する情報を、迅速に集約・把握する必要性が高まっている。これらに対して、道路地図情報を用いた各種管理システムの利用が徐々に普及しつつある。各システムにおいては、ベースマップとなる道路地図データが重要となるが、その迅速な更新が新たな課題となりつつある。
     国土交通省では、道路局を中心として、道路行政で用いる空間データのうち、各種サービスを実現する上で必要となる共用性の高い道路地図データ(以下、道路基盤データと呼ぶ)の整備を進めている。これにより、道路の現況情報が電子化され、維持管理段階を始めとする各種業務の高度化・省力化に寄与することが期待される。さらには、道路基盤データの流通が進むことにより、道路管理のみならず、ITS、地図更新、占用施設管理、不動産等の多様な主体による、道路情報と連携した、様々なサービスへ繋がっていくことが考えられる。
     本稿は、道路基盤データ整備へ向けた基本的方針、現状の取り組み、今後の課題の概要を紹介するものである。
    2. 道路基盤データ整備
     道路基盤データは、道路構造を表現する大縮尺(1/1,000~1/500相当)のGISデータあり、道路内に存在する地物で構成され、地理情報標準に従って作成される。具体的な地物は、道路基本地物(距離標、道路中心線、車道部等)、道路関連地物(区画線、停止線、横断歩道等)、道路支持地物(法面、橋梁、トンネル等)に分類される29地物である(国土交通省, 2004)。
     基本的な整備方針として、全国展開が可能となるよう「持続性を確保できる妥当なコストと品質水準であること」としている。そこで、工事の電子納品成果によるデータ蓄積を目指した。国土交通省では、CALS/ECの一環として平成16年度から全国の公共工事において電子納品を実施しているところである。最新の道路現況を示している道路工事竣工時(特に舗装工事竣工時)に着目し、直轄国道の工事完成図面を電子納品対象とする。道路工事におけるデータ作成のため、GISデータを直接作成するのではなく、CAD図面による電子納品を進めている。今後の流通のため、標準的な形式を意識し、「道路工事完成図等作成要領」(国土技術政策総合研究所, 2006a)により、完成図の定義や作成方法、電子納品方法を規定している。完成平面図CADデータは、道路基盤データへ変換することを意図し、GISデータと親和性の高いSXF Ver3.0(Scadec data eXchange Format)による作成仕様を定め(国土技術政策総合研究所, 2006b)、作成されたCADデータは、コンバータにより自動的に道路基盤データへ変換される。
     本要領による道路工事完成図面の電子納品は、平成18年8月に本運用され、現状では、直轄国道で100km程度蓄積されている。ちなみに、高速国道では、独自仕様であるものの、平成17年度末に18,000枚の管理用平面図をCAD化、地方整備局への電子納品がなされている。
    3. 整備展開へ向けた課題
     ビジネスレベルでの利活用等も配慮し、位置精度、整備対象地域、更新周期等を中心としたデータの品質明記が重要である。そのためには、特に以下の検討が必要となる。
    (1) 骨格となる直轄国道や高速国道における効率的かつ確実な整備の促進。確実な整備・更新を促進するため、更新周期を明確化する必要がある。また、独自仕様による既存の電子図面を有効利用し、効率的な整備促進のための方法を検討する必要がある。
    (2) 実展開を踏まえた利活用方策の検討。内部利用・外部利用問わず、利活用の実展開へ向けた追加情報(高さ情報等)や試行の蓄積が必要となる。
    (3) 整備対象地域の拡大。多様な主体が利活用するためには、網羅性が重要となり、地方公共団体への展開が課題となる。そのためには、自治体のインセンティブを誘起できるような仕組みを検討する必要がある。
    文献
     国土交通省(2004)『道路基盤データ製品仕様書(案)』/国土技術政策総合研究所(2006a)『道路工事完成図等作成要領』/国土技術政策総合研究所(2006b)『道路基盤データ交換属性セット(案)』
  • 森山 隆
    セッションID: S610
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     地球観測衛星からリモートセンシングにより得られた画像は、解像度の向上や価格面などで利便性が飛躍的に向上してきており、研究機関のみならず民間事業者にもさまざまな形で利用が広がってきている。地理空間情報という観点では、最新の土地被覆状況が含まれることから、ベースマップとして、あるいは数値地図の道路や行政界、河川などの情報を上書きすることで、簡易的に地図(衛星地形図)としての利用が始まっている。災害時の利用などでは、最新の土地利用状況がわかることが評価されている。また洪水危険地域や土砂崩壊危険地域などを表示したハザードマップにも、衛星画像が利用されている。衛星画像はもともとデジタルデータとして記録されるので、他のデジタル情報やGPSなどの位置情報との融合利用が容易であり、社会のニーズに応じたさまざまな利用が始まっている。
  • シンポジウム「ジオパーク、ジオツーリズムの現在と可能性」:趣旨説明
    目代 邦康
    セッションID: S701
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    近年,注目されつつあるジオパーク,ジオツーリズムについてどのような問題点があるか,考察する.
  • これまでとこれから
    渡辺 真人
    セッションID: S702
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    はじめに
     日本におけるジオパーク推進活動は、これまで日本地質学会と産総研を中心に進められてきた。その経過と現状をまとめ、今後どのように進めていけばよいのか考えたい。
    なぜジオパークか
     地震、火山噴火、土砂災害などが頻発するという地質・地形条件にある日本列島では、地球科学は生命の安全に関わる科学であり、本来市民にもっとも親しまれ活用されるべき科学である。しかし、地震の度に新聞には「まさかXXに地震が起こるとは」という住民の声が報道されるなど、そうなっていないのが現状である。これまでジオパークを推進してきた日本の関係者の主たるモチベーションは、ジオパークを通じてこの現状を変え、地球科学がもっと社会で活用されるようにしよう、という点にある。
    これまでの推進活動
     2004年に世界ジオパークネットワーク(GGN)が設立されると、日本地質学会では同年9月にジオパークに関する集会を開き、2005年にジオパーク設立推進委員会が同学会内に設立された。2006年に国際惑星地球年(IYPE)が国連総会で決議され、そのキャッチフレーズが「社会のための地球科学」と決まると、ジオパークの推進は、日本におけるIYPEの主要な活動の一つであると日本地質学会で位置付けられた。
     2005年から2006年にかけて開催されたNPO法人地質情報整備・活用機構が開催したGeoForum、2007年2月の第四紀学会、同年5月の地球惑星連合大会などでジオパークが紹介された。学界と地域でのジオパーク推進への機運の高まりが2007年6月に朝日新聞科学面で大きく取り上げられ、地域でのジオパーク設立とGGN加盟申請への動きが加速した。
    各地域での活動
     現在ジオパーク設立を準備している地域には、博物館などを中心に、ジオツーリズム的な活動をすでに行っている地域が多い。たとえば、有珠山周辺地域では、2000年噴火以降エコミュージアムとして有珠・洞爺湖周辺の火山を含めた自然を学ぶ旅を推進してきている。また、糸魚川ではフォッサマグナミュージアムを中心として、1991年からジオパークとして野外活動などを行っている。小規模ではあるが、活発に活動している地学系博物館は各地にあり、ジオパークの枠組みが今後そのような博物館のさらなる活性化に利用できるだろう。
     当初ジオパーク推進に対する国の関連省庁の援助を大きく期待している地域も多かった。しかし、自分たちの地域のことは自分たちでしなくてはいけない、と糸魚川市が呼びかけて、2007年12月に各地域ジオパークを推進するための日本ジオパーク連絡協議会が設立され、地域自らの力による推進活動が始まった。
    関連省庁の動き
     ジオパークをユネスコ本体のプロジェクトとする提案が総会で否決されたことから、関連省庁はあまりジオパークに積極的ではなかった。しかし、上記の連絡協議会設立、ジオパークに関する新聞報道の増加などを受けて、様々な動きが現在進行中である。
    今後の活動
     現在、日本ジオパーク委員会(JGC)と日本ジオパークネットワーク(JGN)を設立して日本のジオパーク運動の核としようという構想が進行中である。JGCは地域のジオパーク(計画)を審査し、JGN加盟を認定するとともにきちんと活動しているか定期的に再評価し、JGN加盟ジオパークの中からGGN加盟申請候補を推薦する。JGNは日本のジオパーク活動の中心であり、ジオパークのレベルアップのためのワークショップなどを開催するとともに、ジオパーク全体の広報活動を行う。日本ジオパーク連絡協議会がJGNの母体となると期待される。
     これまでの推進活動はもっぱらジオパークという仕組みの広報活動で、今のところ具体的なジオパークの構想に関しては、それぞれの地域に任されている。そのため、活動のレベルは地域ごとに様々である。今後関連学会の協力のもと、各ジオパーク(を目指す地域)の支援をしていくことが必要である。また、日本のジオパークが保護と地域振興を両立した良い方向に進むよう、JGCが評価機関としての役割をきちんと果たせるような委員会となることが重要である。
  • 渡辺 悌二
    セッションID: S703
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     ジオパーク(地質学会関係者の間では「地質公園」と訳されることが多い)には,多くの人が思い浮かべるいわゆる“地質”だけではなく,地形や土壌が大きくかかわる。したがって,ジオパークは“広義の地質の公園”と考えられ,この点では地理学が果たすべき役割が大きく,さらに“公園利用”すなわち観光開発にも大きく関係することからも地理学がかかわるべき課題として位置づけられる。ところが,地理学会ではこれまでのところ,ジオパークに関してはまったく議論が行われてこなかった。ジオパークは,単に地質学的な観光価値の高い地域を公園にして客を集めれば良いという制度ではない。本来,ジオダイバーシティ(geovidersity)保全について学ぶ場を提供する制度であり,ジオダイバーシティの概念の普及に関しても,地理学会が果たすべき役割が大きい。そこでこの発表では,ジオパークの意義・重要性・欠点について述べることによって,日本におけるジオパークの果たすべき役割について考えたい。
  • 岩田 修二
    セッションID: S704
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     ジオツーリズムの「ジオ」とは,地質学と地形学の「地」である.geosite(地学的場所)に焦点を当てる(理解し評価する)ツーリズムである.geositeとは,風景 (landscape),地形(地形群と単一地形),露頭,化石床,化石,岩石,鉱物である.geositeそのものと,それらを造りつつある,あるいは造りあげた過程・作用を含む.ジオツーリズムは地理学的ツーリズムに含まれる.自然地域ツーリズム・エコツーリズムの一部を構成する.しかし,非生物が対象である.geositesを訪れても単なるレクレーションであればジオツーリズムではない.ジオパークの概念と共に形成されてきた.
     オーストラリアのWave Rockの観光を真のジオパークにするための工夫の案はジオツーリズムに於けるインタープリテーションの重要性を示す.
     ジオツーリズムが地域振興に役立つ例としてパキスタン北部,パスー村の例がある.
  • 中井 達郎
    セッションID: S705
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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     ジオツーリズムの中核に位置づけられるジオパークは,「保護,教育,持続的発展という総体的な観点から地質遺産を扱うある地理的な地域ないし空間」と定義されている(UNESCO,2007)。一方、エコツーリズムの定義については、それを提示する立場によって、ニュアンスが異なるが、自然環境保全の立場からの定義にも、観光業の立場からの定義にも、地域の自然と文化を損なわないこと、地域経済・社会への寄与することが、共通してあげられている。すなわち保護と利用の持続性を求めている。この点でジオツーリズムとエコツーリズムは基本的に共通するものであり、ジオツーリズムをエコツーリズムの中に位置づけることができる。すでに実施されているエコツーリズムあるいはエコツアーの中でも、地質遺産あるいは地学現象を対象としたものが行われている。このようなことから、先行して日本国内や世界各地で実施されているエコツーリズムの経験は、ジオツーリズムの推進やジオパークの設定の参考になるものと考える。
     本発表では、世界自然遺産地域を含むいくつかの事例を紹介し、エコツーリズムが現在抱えている課題を示し、ジオツーリズムの適正な発展のための情報を提供したい。また、オーストラリアで実施されているエコツーリズム認証制度の中から鍾乳洞ツアーに関するクライテリアを紹介する。
  • 小泉 武栄
    セッションID: S706
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
    会議録・要旨集 フリー

     ジオツーリズムの普及には,学校教育における地学や自然地理,自然史等に関する教育が最も効果的であると考えられる.しかし現実には地学や自然地理に興味をもつ子供は限られ,またカリキュラムに不備があったりすることから,教育効果はあまり期待できないのが実態である.筆者はむしろ社会人に対する教育に期待している。彼らは好奇心が旺盛で、フィールドによく出かけ,教育効果も高い.ジオパークやジオツーリズムが定着すれば,彼らは教育次第では優秀なガイドになりうるだろう.本報告では,「飯豊山山の案内人養成塾」,「山遊会」,「山の自然学研究会」,「勤労者山岳連盟」,「山の自然学指導員養成講座」における人材育成に関わる具体的な事例を紹介する.
  • ネパール北西部マナンの事例
    森本 泉
    セッションID: S801
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    はじめに
     本発表では、具体的事例としてヒマラヤにおいて生じている環境問題と称される状況を取り上げ、「地域環境」をいかに捉えうるのか検討することを目的とする。ヒマラヤをめぐる環境問題の議論は、1970年代以降に盛んになったヒマラヤの図式のように根拠不十分なまま語られてきた環境問題1)、そこで強調されてきた環境問題の原因が不適切であることを指摘する修正論2)というような流れを辿ってきた。こうした議論の流れを踏まえ、本発表では、ローカルな地域で環境問題と称され得る状況の中で生じている環境変化を、写真を示しながら紹介する。
    研究対象地域概観
     ネパール北西部マナン郡は、ヒマラヤ山脈の北側に位置する。南流するマルシャンディMarshangdi川沿いに最も人気の高いトレッキング・ルートのひとつであるアンナプルナ・サーキットが延び、その沿道に村が点在する。マナンを訪れる年間のトレッカー数はマナンの住民人口に相当するおよそ1万人であり、観光産業に期待を寄せている地域でもある。
     マナンの80%以上が山地で占められ、その他牧草地がおよそ11%、耕地は1%に満たない3)。耕地には主に蕎麦や麦類、ジャガイモが主要作物として栽培される。最近の人口動態を見ると、1991年センサスまで減少傾向が続き5,369人にまで落ち込んだが、2001年センサスでは9,462人に急増している。但し、この人口が全てマナンで常に生活しているわけではなく、冬季をカトマンドゥ等で過ごす人が多く、また、カトマンドゥをはじめとした国内外の都市に生活拠点を持ち、外国とつながりを持ちながら生活している人も少なくない4)。したがって、マナンの社会的状況は、外部経済との関わりにおいて考える必要がある。
    環境変化について
     マナン村に約20年前に氷河湖(標高約3,600m)が出現した。トレッカーの増加に伴い湖岸には散策道やベンチが造られ、氷河湖でボート遊びをする為の施設が設置されたこともあったが、トレッカーに人気がなく閉鎖された。このことから、マナン村にあるこの氷河湖は現在決壊の危機に瀕している巨大氷河湖とは異なり、危機的意識をもってというより有効利用するための観光資源として認識されているといえよう。このような環境変化とその影響について具体的に紹介していく。
     氷河湖の形成要因には地球温暖化の影響が指摘されている。もちろん地球温暖化のみが原因とはいえないだろうが、気温が上昇していることをローカルの人々は実感している。例えば気温上昇に伴い村の周辺で栽培される野菜の種類が増えており、環境利用に変化が生じていることが分る。
     また、モレーンが崩壊する原因にも気温上昇が指摘されている。水分がなくなって土壌が脆弱になったところに、近年道路建設の過程で大きな岩盤が爆破されることで、土壌崩壊が増長されているとの報告がある。土壌崩壊は耕作放棄地の増加によっても悪化している。耕作放棄の理由に氷河の後退による水源の枯渇と村からの人口移動が挙げられる4)。その結果段々畑を維持してきた石垣は手入れされずに崩れるままとなり、地表が流出し、浸食が進み、場所によっては集落にまで土壌崩壊の危機が迫っている。
     気温上昇の影響は氷河湖周辺だけでなく、マルシャンディ川沿いの標高の低い村にも影響を及ぼしている。マナン郡の南部に位置するタルTal村は2006年に三度の洪水被害に遭った。増水に加え、洪水の際に堆積した土砂が河床を上昇させ、水位が下がらず浸水したままの家屋が数軒放置されていた(2007年夏)。他方、そこにダムを建設する計画が中国の援助のもとに構想され、将来的に発電所を備えたダムが造成される可能性が出てきた。
    おわりに
     以上の例から次のことを指摘したい。ローカルな人々の働きかけの結果である「地域環境」は、グローバルな環境変化が前提としてあり、そこに環境を利用する人々の生き方に影響を及ぼす要因として他地域・国家との諸関係が加わり、これらに規定されている。「地域環境」を捉えるには、これらの諸状況を総合的、かつ動態的な過程として捉える視点が重要といえよう。


    1)石弘之 1988 『地球環境報告』岩波新書等。
    2)Ives, Jack D. and Messerli, Bruno 1989 The Himalayan Dilemma Reconciling development and conservation, The United Nations University, Routledge, London. 小野有五 1990 ヒマラヤの“ディレンマ”をめぐって『地理』35-1, 74-81等
    3)Annapurna Conservation Area Project所蔵資料(2001年現在)
    4)Chapagain, Prem Sagar n.d. Land Abandonment and Agriculture in Upper Manang Valley: A Study of Changing Processes and its meaning (a draft of Ph.D. Dissertation to Tribhuvan University, Nepal)
  • 社会保障制度改革とローカルな実践
    稲田 七海
    セッションID: S802
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    I.はじめに
     報告者は、2000年より甑島列島の上甑島にある旧里村(現・鹿児島県薩摩川内市)における高齢者地域ケアについてフィールドワーク調査を行っている。旧里村を調査対象地として設定した理由は、「離島における自然環境的な要因や生業(サブシステンス)がローカルな高齢者ケアの実践にどのような影響をもたらすのか」という報告者の問題関心に相応しい地域と考えたからであった。
     調査を開始した2000年から現在までは、高齢者地域ケアを含む社会保障についての制度改革が進められた時期でもあった。この間の報告者の調査では、ナショナルなスケールで生じている社会保障制度改革が、旧里村というローカルなスケールでの高齢者地域ケアに影響を与え、さらに旧里村の地域コミュニティの循環にも変化をもたらしていることが明らかとなった。つまり、離島という自然環境的要因に加え、国家レベルでの福祉政策過程が、制度運用を行うエージェント、アクターの行為や選択に大きく影響を与えており、さらにローカルな地域環境をも変容させていることが明らかになってきたのである。本報告では、近年の「離島・旧里村」の地域環境の変容とそこにおける高齢者ケアの実践を巡る状況について、これまでの報告者によるフィールドワークの経験を通して紹介していく。
    II.制度改革が地域環境にもたらしたもの
     旧里村では、高度経済成長期以降の過疎化とそれにともなう人口高齢化により、高齢者ケアへの需要が急速に高まったが、ケアの担い手不足が問題化していた。こうした問題に対し、旧里村では伝統的な互酬的相互扶助と国庫補助対象事業としての家庭奉仕員派遣事業を組み合わせた独自の高齢者ケアシステムが構築されてきた。1980年代に在宅介護事業へと展開する際にも、このケアシステムが礎となり、住民ボランティアを積極的に活用し、低コストで利用者のニーズに柔軟に対応したケアシステムが確立された。
     1990年代以降は、新旧ゴールドプランによる施設整備が進み、旧里村のケアシステムは成熟期に入った。住友生命総合研究所(2005年に解散)が毎年実施していた地域介護力調査によると、旧里村は1996年から4年連続地域介護力日本一の村と評価された。しかし、2000年の介護保険制度の導入によって、成熟期にあった従来のケアシステムから介護保険制度に基づく新たなケアシステムの構築が求められた。この結果、月々の介護保険料の徴収という金銭的負担が、住民ボランティアの参加のインセンティブを低下させ、介護を通して維持されていた地域コミュニティの相互扶助のシステムや理念が崩壊の危機にさらされた。
    III.市町村合併とさらなる周辺化
     2005年10月に旧里村は、甑島列島4村と本土側の川内市を含む9市町村と合併し、薩摩川内市となった。合併に伴い、旧里村において高齢者ケアサービスを提供する里村社会福祉協議会は、薩摩川内市社会福祉協議会に編入された。さらに、福祉関連の施設・事業所に指定管理者制度が導入されたため、今後、旧里村外あるいは島外の事業者が高齢者ケアサービスに参入してくる可能性もある。こうした事業者選択の意思決定の場は海を隔てた薩摩川内市の本庁にあるため、制度を運営するにあたり、旧里村の住民の意思やローカルなコミュニティの実態は合併以前よりも反映されにくくなっている。旧里村は離島であることに加え、合併した旧市町村内での地域の階層化に取り込まれ、これまで以上にその周辺性が重層化しているのである。
    IV.フィールドワークから見えること
     介護保険制度の導入を機に旧里村での高齢者ケアからはローカルな場所性が失われ、市町村合併によって本土-離島、本庁-支所としての非対称な関係性が強められていっている。高齢者地域ケアをめぐるフィールドワークをとおして、離島のスケールは静態的に存在するのではなく、中心-周辺の垂直的なスケール間の関係性の中で社会経済的、政治的なプロセスに影響を受けながら変容する動態的なものであることを理解することができた。このように離島の地域環境が動態的であることに加えて、今後は、高齢者ケアは身体性や場所との関わりが密接であること、そして、ケアの現場はマルチスケールなケア規範が交差する場であるという点によりセンシティブに対応したフィールドワークが必要であると考える。
  • 木村 美智子
    セッションID: S803
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.はじめに
     環境と共生した地域づくりを実現するためには、市民・住民、NPO、行政、事業者、研究者、専門家などの様々な主体がパートナーシップを構築し、各主体間の交流により環境共生のための取り組みを進めていくことが重要な課題の一つとなっている。このような社会的背景のもと、2003年に「自然再生推進法」や「環境保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」が施行されたことを契機として、地域環境の特性を考慮した環境教育・環境学習が推し進められるようになった。また、学校教育の場では、「総合的学習の時間」が2002年に完全実施されたことを契機として、1990年代後半に小学校を中心として普及しはじめたビオトープ(以後、学校ビオトープと呼ぶ)を環境学習教材として利用することへの関心が高まっている。そこで、本報告では、宮城県内の小学校を対象として実施した学校ビオトープに関する意識調査の結果に基づき (2003年11月実施、238校から回収)、地域社会における環境学習の位置づけや役割、地域づくりとの関連性について考察していきたい。
    2.学校ビオトープ整備の背景と課題
     「学校ビオトープ」という新しい概念が導入された経緯については3つの理由が考えられる。一つは地域の生態系復元を目的としたもの、二つ目は子どもが自然と触れ合うことにより豊かな感性が培われるという教育・学習効果を期待し人の心を育てる場として導入されたものである。三つ目は、2003年に小学校の屋外教育環境施設の整備指針が改正されて理科や総合学習に効果的に活用できる施設を計画することが謳われ、具体的な例としてビオトープ整備が挙げられたことである。このような状況を背景として、生物を栽培・飼育する場所というレベルを超え、人工的ではあるが地域の自然生態系の再現を試みる生物の生息空間(=ビオトープ)を校庭に導入する動きが活発になってきたと考えられる。最近では学校ビオトープコンクールが開催されるなど、学校ビオトープに関する知識や情報が普及しており、今回の調査でも8割が「知っている」と回答、「関心を持っている」学校は5割を占めた。
     学校ビオトープについて3割の学校では導入の必要性を認めており、その理由は「自然観察に有効であり学校内で気軽に観察できる」「憩いの場・安らぎの場」となっていることである。これは都市、農村を問わず多くの学校が指摘している点であり、児童が身近な場所でいつでも利用できる学校ビオトープは高く評価されている。その一方、3割が「ほかに観察場所があるから必要ない」と考えている。また、維持管理やビオトープ担当者確保の難しさに加え、学校ビオトープの定義が確立されておらず教育効果が不明瞭であることから4割が導入に消極的であり、都市地域の学校でその割合が高くなっている。環境学習教材として学校ビオトープがいかに効果的であっても、「維持管理の難しさ」「学校ビオトープの定義の不明瞭さ」を解決しなければ持続的な活用を望めないことは明らかである。学校ビオトープを定着させていくには、教育的効果のみならず、「憩いの場・安らぎの場」としての役割を積極的に取り入れていくことも必要だと思われる。
    3.地域社会における環境学習空間としての学校ビオトープの利活用を規定する要因
     学校ビオトープを定着させ持続的・積極的に活用していくためには、地域の資源として学校ビオトープを位置づけることが重要な課題であると思われる。このことを踏まえ、学校ビオトープの利活用を規定する要因は次の3点に集約される。
    (1)学校ビオトープの意義と活用方法を明らかにする。学校ビオトープは環境学習の教材としての利用に留まらず、憩いの場、コミュニケーションの場、という多目的な利活用に意義がある。地域の自然環境を学習する「環境学習の場」として活用するには、地域の自然を構成する環境要素を取り入れたビオトープを整備する必要がある。
    (2)カリキュラム上の位置づけを明らかにする。児童がビオトープで新たに発見することの喜びや気づきを促す<調査や観察>、驚きや楽しみを促す<探検や遊び>などの項目を積極的に取り入れることがポイントである。
    (3)地域との連携を進める。学校ビオトープの活用目的・方法に関する情報を地域社会に提供し、ビオトープを知ってもらう工夫が必要である。学校ビオトープの維持管理は大きな課題であるが、児童・教職員、PTA、地域住民が協働でビオトープの運営に関わることがビオトープを地域に根付かせていく上で最も重要な点である。
  • 作野 広和
    セッションID: S804
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    I はじめに
     河川や湖沼を対象とした水環境の保全活動は全国各地で行われている。当初は環境学習や地域活動の一環として水質調査やごみ拾いといった点的活動が中心であった。しかし,近年では相互交流や地域間連携により,水源から河口までをたどる線的活動や,流域を単位とした面的活動にまで発展するものも現れた。
     このような住民による地道な努力を前提とした環境保全活動が行われている一方で,大規模公共事業により水環境に強い影響を与えている事例も多数ある。とりわけ,河川環境に対してはダム工事や堤防工事により,水質や生態系への影響はもちろんのこと,家屋移転など社会的な影響も大きい。
     本報告では干拓淡水化問題で住民による環境保全運動が展開された宍道湖・中海流域における環境保全活動の実態を紹介し,公共事業の進展状況との対比を行う。その際,環境保全活動の主体者が地域においてどのような役割を担い,どのような影響を与えているのかについて明らかにする。
     これにより,環境保全活動のあり方を地域の文脈から位置づけるとともに,大規模公共事業が地域においてどのように受け止められているのかについて明らかにできると考える。
    II 宍道湖・中海の概要と流域における公共事業
     宍道湖・中海はそれぞれ全国6位,5位の面積を有する汽水湖で,水産資源,観光資源として活用されている。河川法上は宍道湖に流入する斐伊川の一部とされ,島根県出雲地方に源流を有する大小の河川が流入し,鳥取県境港で日本海と接続している。
     戦後の増産期においては宍道湖の干拓も計画されていたが,1963年の国営中海土地改良事業では宍道湖・中海の淡水化と,中海の5工区において干拓されることが計画された。その後,住民の反対などもあり1988年に淡水化は凍結され,2002年正式に中止された。一方,中海干拓5工区のうち本庄工区を除く4工区では工事が行われ,既に農地等として利用されている。残された本庄工区は国の公共事業見直しなどの理由から2000年に中止が決定された。
     ところで,1972年に松江市を中心とした大水害を契機として,斐伊川・神戸川治水事業が1979年に着手された。この事業では斐伊川・神戸川上流にダムを建設し,あわせて斐伊川から神戸川への放水路も建設し,さらに宍道湖と中海を結ぶ大橋川を拡幅する計画となっている。ダム建設と放水路建設は現在進行中であり,完成時期も予定されているが,大橋川拡幅工事は未着手である。
    III 宍道湖・中海流域における環境保全活動
     下流域の中海では米子市民や安来市民を中心とした中海水質改善の市民活動が活発に行われていたり,境港市ではアマモ再生の活動も行われていたりする。また,宍道湖では景観保全活動やまちづくりとからめた環境保全活動が行われている。さらに,斐伊川河口付近を中心とした宍道湖一帯ではNPO法人を中心とした「ヨシ再生プロジェクト」が実施されており,多くの市民を巻き込んだ湖岸保全活動が行われている。
     中流域や流入中小河川では水質調査などの地道な活動が各地で展開されており,地域によってはビオトープづくりも盛んである。上流域ではダム建設工事にともない,地域おこしと関連した環境保全活動や,下流域との交流活動なども行われている。
     このように,宍道湖・中海流域では積極的な環境保全活動が各地で展開しているが,包括的な相互交流は行われていない。大別すれば斐伊川本流域,宍道湖沿岸,中海沿岸の3地域それぞれにおいて緩やかな連携がはじまりつつあるといえる。
    IV 環境保全活動の主体者と公共事業に対する立場
     宍道湖・中海流域においては2つの大規模公共事業が行われているが,干拓淡水化問題が決着に至ったこともあり,反対運動などは沈静化している。環境保全活動を行っている主体者は公共事業に対する批判的意見は強く表出していない。一方で,大規模公共事業の実施者である農林水産省や国土交通省は環境保全活動に対して,人的,資金的援助を盛んに行っている。そのため,環境保全活動組織・団体と,行政機関との関係は概ね良好である。これは,行政の行うことを肯定的に受け止める住民の地域性に依拠している面もあるが,相互が未来志向のパートナーシップを築きつつあるきざしであるとも考えられる。
  • 奈良 朋彦
    セッションID: S805
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.はじめに
    近年、道路や水辺等の公共空間の活用について地域の魅力向上のための使用やそれに伴う公共空間の整備等、もっぱら行政が管理してきた公共空間が地域の資源として見直されてきている。こうした民間発意で公共空間を積極的に使おうとする動きに対して、行政側でも公共空間利用の規制緩和や公共空間の実験的活用に対する助成等の施策で対応しようとしている。一方、公共空間の地域振興目的での活用は本来の利用方法でないため本来利用者との共存や安全面への配慮等が求められる。このような課題を解決する主体としてNPO等の中立的な組織が考えられ、活用を求める地域主体と活用に慎重な行政の間に入って相互の調整に入る等の役割が考えられる。
    2.江東区の水辺空間
    江東区は荒川水系下流のデルタ地帯にあって、江戸時代より埋立でできあがった都市である。水運に利用された掘割や運河は現在は一部埋め戻されたが、多くは残されている。また、水運とともに育まれた伝統文化や下町人情等の地域文化は依然残っているが、大規模マンション開発により新しい住民が増えつつある。水質汚濁も改善されていて、水辺空間が地域の資源として見直されてきている。
    3.NPOによるまちづくり活動
    NPOの役割として、1.水辺空間が地域の資源として地域住民に関心をもってもらうこと、2.水辺空間を利用する際に行政機関に働きかけを行って各種規制の緩和の要望等を行うこと、3.水辺空間の効果的な利用のための陸上にある地域資源の活用の提案等が挙げられる。
    NPO法人江東区の水辺に親しむ会は、江東区の地域資源である豊かな水辺環境を生かすために、地域住民に対するPR活動、行政、大学、地域団体等が連携したイベントや検討会の実施等を行っている。
    こうした活動を定期的に行い、行政とも連携することで、多方面からの信頼を集めることができた一方で、期待に応える体制を整える必要が出てきた。NPO活動は一般にボランティア活動の延長と見られがちだが、地域や行政の要望に応えられるプロ集団である必要がある。
    【NPO江東区の水辺に親しむ会の概要】
    地域の住民に対して、さらに水辺を身近に感じ、豊かで楽しい地域となる事を目的に、河川や水辺に関するまちづくり、環境、景観、交流を通した事業を行うことを目的としている。(平成14年9月設立)会員数は105名(2008年1月現在)であり、会員は、会社員、大学教授、行政、主婦、船舶所有者、退職者等で約8割が本業を持っている人である。主な活動として、以下などがある。
    A.水彩フェスティバル(8年前より毎年1回開催)
    地元団体、町会、大学、自治体、河川管理者等が参加して、水辺に親しむイベントを実施。水辺の役割である環境、親水、景観、防災についてアピールし、乗船体験、水辺オープンカフェ、コンサート等水辺に親しむ機会を設けている。特に子どもたちに対して水辺が原風景となって将来のまちづくりの担い手となるよう期待している。
    B.江東区のまちづくりの勉強会と実践
    3年前の全国都市再生モデル調査(内閣府)を契機に、行政、大学、地元団体、NPOがまちづくりに関して意見交換を行う勉強会を継続実施している。実際にまちを使っていこうとする意欲が高まり、「お江戸深川さくらまつり」を新たに始めたほか、交通社会実験(国交省道路局)を行う等、実践的なまちづくり活動を展開している。
    4.活動の効果
    A.地域の巻き込み
    公害のもとであった水辺の水質が改善され、地域の資源であることを積極的にアピールした結果、賛同する市民が増えて市民からも水辺の活用を求める声が大きくなりつつある。
    B.行政・公的機関との信頼関係
    地域や行政と連携した事業を多く展開した結果、行政からも信頼されるようになり、水辺関連の行政機関からの相談や連携事業等を進めている。
    C.周辺地域の活動団体との連携
    水を通じて他地域とつながっていることから、他の活動団体との連携を始めることができた。地域内だけでは実現できない大規模な水辺空間のPR活動の展開が期待できる。
    5.現在直面している活動の課題
    A.ボランティアの限界
    会員の多くは本業を持っており、本業で培った専門的知識を有しているものの時間の制約から実務への関与が難しい。無償で行うボランティアではなく雇用体系を持った団体に成長していく必要があり、事業体としての地位を確立していく必要がある。
    B.対行政との交渉能力の限界
    地域の活動を展開していく中で、特に行政に対して多くの書類や図面を作成したり、交渉を行う場面が多くある。書類作成の能力や交渉能力に長けた人材が必要であり、こうした部分では素人であるNPOのような地域活動の担い手に対して、書類作成免除など規制緩和等が必要と思われる。
  • 地域からの国際協力を事例に
    埴淵 知哉
    セッションID: S806
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    はじめに:現地中心のNGO活動
     国際協力の分野においては,先進国の政府・企業・NGOなどの供給者が半ば一方的に与える開発援助,「従来型開発」の問題点が常に指摘されてきた.その後,住民や現地NGOの能力強化やエンパワーメントを促し,参加者の主体性・自立性・独立性を確保する開発方法として「参加型開発」が進められてきた.これに伴い,先進国NGOは,政策提言や所在国内への普及啓発活動などを中心とする役割の再構築を進めてきた.
     こうした潮流のなかで,「現地」という活動対象地域が,NGOの実行性や正当性を担保する場として形成されてきた.ここでいう現地とは,海外,とりわけ「南」におけるNGOの主要な活動対象地域を意味する.NGOをめぐる評価においては,こうした現地中心の活動こそが,しばしばNGOの存在意義を主張する根拠にさえなってきた.グローバルなNGOによる超国籍主義と並行して,こうした現場主義あるいは現地主義といった点が,これまでのNGO活動の一つの特徴であったと指摘しうる.
    現地主義の問題
     こうした現地主義的なNGOの活動,あるいはそれに付随するイメージが,所在国・所在地の支援者に対して,NGOという組織や,NGOが取り組む問題の本質的な理解を促すものであるかどうかは,議論の余地がある.というのも,今日ではNGO活動は多岐にわたっており,その主な形態をみても,現場型以外に,アドボカシー(政策提言)型,開発教育型,キャンペーン型,ネットワーク型など,現地以外で行われる活動が多くあるためである.
     しかし,このようなNGOの多様な側面は,少なくとも日本の一般市民に十分理解されているとはいえない.NGOのみの活動ではないが,数年前に一種の流行ともなったホワイトバンド・キャンペーンでは,前例のないほど多くの人々が活動に関わった反面,購入資金が貧困問題への直接支援ではなく,アドボカシー活動に使われていることへの批判などもみられた.こうした背景から,直接事業に使われない事務経費や,直接事業を展開しないネットワーク型,アドボカシー型の団体などにおける資金難の問題もこれまで度々指摘されている.
    現地から地域へ:地域からの国際協力
     当然のことながら,NGOが取り組む問題の構造は地球的規模に拡がっており,問題の仕組みは現地のみでは完結しない.対応して,NGOの組織や活動も,実際にはローカルからグローバルまで,極めて複雑な様相を示している.こうした状況に鑑み,地理学の視点に立てば,「連鎖」とも言われる支援・援助の一連の流れを踏まえ,NGO活動を媒介する空間の成り立ちや機能を明らかにしていく必要がある.すなわち,現地以外の空間に着目することが,上記のような問題を地理学的に捉えなおす出発点となるだろう.
     そこで,本発表では,埴淵(2007)による「地域からの国際協力」に関する実証研究の結果をもとに,NGOにおける二つの空間―地域と現地―の位置づけを検討し,そこから浮かび上がる地理学的な課題を提示する.地域を基盤にしたNGO活動は,従来とは異なる空間を戦略的に活動に組み込むことで,上述のような現地主義に付随する諸問題を乗り越えようとする試みと評価しうる.海外の現地を主たる活動空間としてきたNGOにとって,なぜ国内の地域が単なる資金調達の場として以上に問題となるのかを,地理学の概念を用いて検討したい.

    埴淵知哉 2007. NGOと「地域」との関わり―日本の地方圏に所在するNGOによる「地域からの国際協力」. 地理学評論 80-2: 49-69.
  • 井関 崇博
    セッションID: S807
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.問題の所在
     開発事業の環境配慮において環境NGOの役割は大きい。コスト増加を嫌う開発事業者と前例や縦割構造に拘束される行政に対して、利害関係から離れた環境NGOは両者に対して環境配慮を強く求めていくことができるのである。
     かつて、環境NGOは直接行動によって開発に対抗する方法をとってきたが、近年、その関わり方は変化してきている。行動よりも言論を重視して高度な主張を展開するようになり、また、関係者の協議の場の創出を目指すものもある。個々の開発事業だけでなく、それを方向付ける諸制度の改善にも関与するようになった。
     本研究では、これらに含まれる新しい関わり方の一つに着目する。すなわち、開発の必要性も理解した上で、開発と環境保全を創造的に「両立」させることを目指し、事業者と「協調」してその具体策を協議していくような関わり方である。以下では、このような関わり方の特徴とそれに伴って発生する困難を明らかにする。
    2.事例の分析
     南山の自然を守る会(代表:菊池和美氏、以下、守る会)は東京都稲城市の住民団体で、市内の土地区画整理事業による緑地(市街化区域)の喪失を防ぐため、事業者である組合に対し計画の見直しを求めている。アセス手続きに入った2000年、守る会は反対の意思を明確にし、署名運動や市議会への陳情等を行った。結果、稲城市長が事業者に市民の意見を聞くよう要請するという成果を挙げた。
     ちょうどその頃、開発予定地区でオオタカの営巣が発見された。これに対して東京都は事業者に対して十分な自然環境調査を地元の自然保護団体とともに実施することを要請、組合は守る会に調査の協力を依頼した。事業の頓挫は地権者の負担と乱開発を招くと考えていた守る会は、多くの緑地を残すような計画案を検討する場を設けることを条件にこれを受け入れた。組合は環境保全エリア検討協議会を設置、その中で、守る会は里山コモンズ案を提示したが、その要点は、(1)開発地区に入居する住民が共同で緑地を購入・所有する、(2)その住民が緑地の恵みを十分享受できるようにする、ことであった。この案は環境をいかに守るかというよりも、環境と開発をいかに両立させるかという問い(両立フレーミング)に対する解答であったといえる。
     2006年4月、組合と守る会は里山コモンズ案の実現に向けて互いに協力することを約束した。守る会は(社)日本不動産学会環境資産形成研究会(代表:原科幸彦東工大大学院教授)に協力を求め、一年間にわたって共同勉強会を実施し、組合もこれにオブザーバーとして参加した。勉強会での論調は、環境志向が高まりをみせる現在、緑地保全は自然保護だけでなく、事業とその後のまちづくりにおいても有利だから、里山コモンズを中心にしたまちづくりを展開してはどうかというものであった。2007年3月、守る会は勉強会の成果を組合に報告し、これを受け、組合はさらなる具体化のため研究会を設置することを申し出た。
     ところが、その後、両者のコモンズの協議は事業者側の事情で一方的に凍結されてしまった。別に懸案事項があるので、コモンズの議論は待ってほしいというのである。ただ、守る会はこれまで組合と築いてきた関係を破棄せず、研究会の準備の再開を要請するにとどめている。他方、守る会自身は自ら提示した両立フレーミングへの具体的な解を模索するのだが、両立を考える際の前提条件に関する情報が不足していることに加え、まちづくりという環境NGOの領域を超えるテーマにも立ち入っているために明解な答えを示せずにいる。また、両立の議論が難解であるゆえに、一般市民からは十分な理解を得られないでいる。
    3.考察
     (1)環境NGOの協調戦略は対抗戦略の否定から導かれるが、原理的に不安定であるゆえに第三者による担保か、あるいは継続的な圧力が必要であること、(2)両立フレーミングは事業者との協調を容易にする一方で、議論が環境NGOの範疇を超えることになり、加えて、議論の難しさから一般の理解と支持を得にくいことから、自身の影響力を低下させる危険性があること、が示唆された。
  • 公害から環境問題への歴史的展開の視点から
    山本 佳世子
    セッションID: S808
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/07/19
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    1.研究の視点と目的
     本研究は日本の公害と環境問題に関連した政策の変遷について概観し,報告者の実施した意識調査をもとに,将来世代の中心となる若年層の意識からみた公害と環境問題との関連性について考察し,環境学習の視点から地域再生にどのようにつなげていくことができるのか示すことを目的とする.

    2.公害と環境問題との関連性
     明治時代に社会問題となった足尾銅山鉱毒事件は,日本の「公害の原点」と呼ばれている.また昭和時代の新憲法下で起こった水俣病事件も,旧憲法下で起こった足尾銅山鉱毒事件と構造上は類似しているため,これら2つの事件は合わせて新旧憲法下での「公害の原点」と呼ばれている.公害の定義は, 1967年の公害対策基本法における定義が1993年に成立した環境基本法でもほぼ同じように踏襲されており,「公害とは,環境保全上の支障のうち,事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染,水質の汚濁,土壌の汚染,騒音,振動,地盤の沈下および悪臭によって,人の健康または生活環境に係る被害が生ずることをいう」である. これを受けて環境研究分野では,加藤編(1998)は「公害とは,比較的明瞭に因果関係と責任関係が確定できる環境汚染・環境破壊による人的被害であり,人の生活の安全性・安寧性の阻害である」と定義している.そして環境問題も同様に,「環境問題では因果関係および責任関係を問題にすべきであり,その意味ではあらゆる環境問題が公害である」と定義している.

    3.公害の変質
     1960年代後半の四大公害裁判や,1970年のいわゆる「公害国会」における公害に対する集中的な討論が行われ,様々な行政施策が実施され,日本では公害事件への対応は終了したかのようにみえる.しかし近年のダイオキシン汚染や山間部や島嶼部での廃棄物の不法投棄による土壌や水質汚染などに象徴されるように,公害による汚染の現状がより複雑になり,深刻さをさらに増している.
     また,公害に関連した一連の裁判への関心,世論や社会的関心の高まりなどの影響により,日本では多くの公害規制のための法律が順次整備されてきた.このように厳しくなった規制を逃れて,日本よりも規制の比較的緩い東南アジア諸国に工場移転し,海外で公害を起こす事件も生じている.このことは「公害輸出」と呼ばれ,日本の公害の海外への派生や隠蔽の一形態となっている.以上のことから公害は収束しているとはいえず,さらに複雑化,深刻化,多様化していると考えられる.

    4.公害と環境問題との関連性および地域再生
     日本の代表的な公害については学校教育でもこれまでに取り上げられてきたはずではあるが,そのような問題についての若年層の知識が十分ではなかったことが明らかになった.したがって,公害についての歴史を風化させず教訓を活かすために,学内外の環境教育の場でどのようにこの点について取り組んでいくのか検討する必要があるといえる.また若年層の環境問題についての意識においては,地域環境問題,生活環境や居住環境に関わる問題,人間の健康障害に関わる問題よりもむしろ,地球規模の環境問題を最も重視する傾向がみられたことが示された.このことから,どのような環境問題も私達の日常生活との関係が深いことを若年層にどのように認識・理解させるのかが,学内外での環境教育の重要な課題となってくるといえる.
     さらに若年層の意識にもとづいた公害および環境問題の特性について比較すると,日本の代表的な公害よりもむしろ,未来世代について考慮した新しい環境問題についての知識の方が少なかったことが明らかになった.このことは,代表的な公害や一般的な環境問題については日本では主に学校教育の場で学習する機会があるが,以上の新しい環境問題についてはマスメディアやインターネットのニュースなどで報道されてはいるものの,若年層が自分達との関わり合いを認識しておらず関心が低いことと,学校教育ではこれまであまり取り上げられていないことが主な原因であると考えられる.そのため公害の発生と変質の経緯だけではなく,特に近年の環境問題の多様化についても学内外の環境教育の場で若年層に伝えていくことが必要である.環境問題のうち特に近年着目されるようになった新しい環境問題では,未来世代への影響等も考慮して因果関係と責任関係を明示することにより,若年層に自分達との関わり合いを認識させることが効果的であると考えられる.
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