教育社会学研究
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102 巻
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特集
  • 片山 悠樹, 牧野 智和
    2018 年 102 巻 p. 5-31
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     近年,「地方の若者」が静かなブームとなっており,教育社会学にもその波が押し寄せている。ただし,地方の若者論は「未熟」なテーマであり,今後テーマとして体系化することは可能であるのか。それは,どのような方向性で進められるべきか。本稿の目的は,教育社会学のなかで地方の若者がどのように扱われてきたかを整理し,地方の若者論の課題を抽出することである。
     学会草創期の1950年代には,農山漁村の教育に対して強い関心が抱かれ,そこに住む若者(青年)たちに関する実態調査が数多く実施された。こうした傾向は1960年代までつづいたが,高度経済成長期を迎えると,農山漁村の青年から都市の青年へと焦点が移行する。以降,地方の若者に関する研究蓄積は鈍っていく。
     一方で,高校教育の拡大や一括採用制度の拡がりのなか,学校に焦点をあてた研究が増加し,そうしたなかで都市/地方の若者の違いは認識されにくくなっていった。
     ところが,若者の移行の不安定化が問題となるなか,地方の若者が研究対象として再浮上する。1990年代後半には若者の不安定就労が社会問題となったが,都市的な現象として理解される傾向にあった。しかし,2000年を越えたあたりから,地方の若者の不安定就労が指摘されるようになり,教育社会学のなかでも地方の若者の移行に取り組む研究があらわれるようになった。ただし,移行だけにとどまらず,地方の若者の「生活」を包括的に理解する研究はまだ少ない。
     地方の若者論をブームで終わらせないためにも,かつての課題を反省的に検討しなければならない。それとともに,教育社会学固有の「地方の若者」論を試みる必要があろう。

  • 石黒 格
    2018 年 102 巻 p. 33-55
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     進学,就業において非常に厳しい制約下にある青森県の若者の現状を,進学,就業の実態と社会関係資本の利用という観点から検討した。筆者らが独自に行った3つの調査データの分析から,以下の結果を得た。1)青森県では,威信の高い大学に入学する機会が強く制約されているが,中堅以下の大学への入学機会への制約は弱い。2)そのため,学力の高い若者に対して,選択的に移動の誘因が存在する。3)青森県在住の若者は,南関東在住の若者と比べて労働時間は等しく,勤続年数は長いが,収入は低い。4)青森県在住の若者の社会関係は地域的で,そのために時間が経過しても残存しやすい。5)青森県在住の若者にとって,社会関係が就業機会獲得の重要な経路となっており,特に低学歴の若者でこの傾向が強い。以上の結果および先行研究から,青森県では,学力および経済的に有利な立場にいる若者には大都市へと移動する誘因が存在するのに対して,相対的に不利な立場にいる若者にはそうした誘因は小さく,むしろ豊かでサポーティブな社会関係が出身地に留まる誘因となっていることが示唆された。こうした誘因の二重構造は,相対的に有利な若者が,より多くの利益を得る構造を有しており,格差の再生産装置と評価しうる。しかし一方で,大都市に移動する利益の小さい,資源の乏しい若者を地域に包摂し,移行における不確実性のリスクから保護する機能を果たしているとも理解できる。

  • ――仕事,家族,地元のリアリティをめぐる社会=空間的アプローチの可能性――
    尾川 満宏
    2018 年 102 巻 p. 57-77
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿は,ある地方の田舎町で暮らす高卒男性の事例から,移行過程のリアリティが組織化される側面を,空間をめぐる彼らの解釈活動に焦点を当てて考察した。
     近年の地方の若者に関する研究は,「地方」を若者の経験から切り離して定義することで若者の移行経験のリアリティのある側面を看過してきた。本稿は,社会理論の空間論的転回や「若者文化の地理学」,文化人類学のローカリティ論に着想を得,若者の社会生活の経験と彼らが暮らす場所に関する表象との相互構成性に着目した記述を試みた。
     調査協力者らは,地域の男性労働を支えた建設業に固有の言説と光景を彼らなりに再演したり,非ローカルな都市の生活イメージとの差異化を通じて自身の地域をローカル化したりして,想像された地域労働市場に適合的な職業キャリアや仕事と家族生活の調整を展望していた。これらは,彼らが地域の社会構造との交渉を通じて自身の経験を意味づけるコンテクストを生産し,自らをローカルな主体に位置づける営みだった。
     以上の記述=解釈から,若者の移行経験のリアリティを,地域の構造的諸特性への適応や交渉を通じたローカリティの社会的達成,すなわち職業移行や家族形成にとどまらない社会化の問題として探究する可能性が示唆された。若者の社会生活と空間の相互構成性に着目する社会=空間的アプローチはそのための有用な戦略であり,若者研究を新たな段階に移行させるかもしれない。

  • ―雇用機会の地域差から問題をみる―
    高見 具広
    2018 年 102 巻 p. 79-101
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿では,地方を取り巻く課題を,雇用機会の面を中心に整理し,雇用機会の地域間格差が若者の生き方にどう影響しているのかを考察する。
     地方出身の若者が出身地を離れるタイミングは,本稿が用いたデータでは18歳時の大学等への進学が中心だが,雇用機会の地域差は,学校を卒業するタイミングで地元に戻れるか,戻りたいと思えるかに大きくかかわる。その地域差については,従来,失業率や有効求人倍率などの指標をもって,雇用機会の「量」に関する地域差が主に問題にされてきた。近年の雇用情勢をみる限り,こうした量的な地域差は見かけ上縮小したが,雇用機会の「質」には地域差が多分にある。それは,ひとつには就ける仕事の選択肢(業種・職種)の地域差がある。地方では大企業本社の立地が少ないこともあり,オフィスワーク等,大卒者の希望に沿う雇用機会が相対的に乏しい。また,初任給の格差に代表される労働条件の地域差も依然として大きい。地方でのヒアリング調査からも,地方都市と,都市部から離れた地域の違いこそあれ,こうした要因の複合から若者流出の課題を抱えていた。こうした中,地元企業の存在・魅力が十分知られていないことも,Uターンを躊躇させている状況があることから,希望する若者が地元で仕事・生活していける選択肢を示すため,地域では「働く場」を知ってもらう様々な方策が行われている。

  • 田端 健人
    2018 年 102 巻 p. 103-124
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿は,さまざまな語りに注目することで,震災後の地域と若者の諸様相を叙述することを試みる。震災と地域の関係を考えるために,まず,外国人記者によって書かれた石巻市立大川小学校津波被害に関するノンフィクションをとりあげる。同小学校では,2011年3月11日に発生した巨大津波によって,避難中の74名の児童と10名の教師の命が奪われた。教師たちはなぜ,子どもたちを裏山に避難させなかったのか。この問いに迫る関係者の複数の証言は,これまで一般にはアクセス困難であった。ところが,このノンフィクションで,著者は,独自取材にもとづく多くの証言を公表しており,児童たちを校庭に留めるよう促す積極的な働きかけが,教頭に対してなされていたことを指摘している。本書によれば,教頭は,自らの意思に反し,地域の地区長と住民たちに従ったとされる。この出来事を,本稿は,伝統的な地域の問題として解釈し,こうした地域社会の本質構造を,コミュニティ構成員の権力勾配,ならびに,平等と差異を前提条件とする自由な話し合いの乏しさとして考えたい。
     ただし,津波に襲来された他の学校に目を転じれば,対照的な事例も見られる。そこで,災害前に校長,教師,地区長が対等な立場で,異なる経験と考えを語り合い,それを実践に移していた事例を紹介する。こうした事例では,事前の話し合いと実行が,結果として,災害に対する抵抗力を高めることになった。
     話し合いと実践という観点から,本稿は,地域の若者という次のテーマに進む。震災後に目を引くようになった現象の一つとして,若者たち,ときに小学生さえもが,災害の証言者として,あるいは語り部として,自らの被災体験を公の場で語りはじめたことがある。本稿では,10代の語り部たちを紹介し,その語りに耳を傾けよう。そうすることで,若者たちがなぜ,自らの悲痛な体験を語らないではいられないのか,被災地の若者たちに何が起きているのかの理解を深めたい。若者たちの誠実で,深みをたたえた静かな語りから明らかになるのは,背負わなくてもよいはずの罪悪感である。「避難してきた住民を自分は助けられなかった。」「祖父は,私が学校から帰るのを待っていたから,海に近い自宅で津波の犠牲になった。」こうした若者たちの語りは,単に感情やストレスの発散ではなく,経験の断片的な寄せ集めでもなく,ましてや今後の減災に向けた教訓にとどまるものでもない。そうではなく,呵責ない現実に曝された若者たちの唯一無比な実存を分有しようとするアクションであり,その宛先は,いまだ災害に遭遇していない他の地域の人びと,あるいは違った境遇で危機を経験した異なる人びとへと向けられている。
     こうした語りの活動が,潜在的あるいは顕在的に希求しているのは,身体的,情緒的,知的に安心安全な場所であり,被災した地元を超え出て,お互いに安心して話ができ,自分とは異なる経験や考えに耳を傾け合う場所である。自らの被災体験を語る現地の若者たちが教えてくれているのは,こうした場所こそ「学校」と呼ばれるべきであるということかもしれない。なぜなら,「学校(school)」という語は,古代ギリシア語「スコレー(σχολή)」に由来し,それは本来,ものごとをゆっくり考え,真実を求めて語り合い吟味するための閑暇,忙しさから解放される聖日を意味するからである。

  • ―空間的移動に着目して―
    杉田 真衣
    2018 年 102 巻 p. 125-144
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     若者は,少しでも望ましい生活を送るための資源調達の可否を勘案しながら,居住地と就業地を選択している。不安定雇用の若者,中でも女性はなおさらそうである。しかし,学卒後の空間的位置の変化も含めて,大都市の若者の移行の実態を明らかにした研究はあまりない。本稿では,都内の二つの公立普通科高校を卒業した若者に対するパネル調査の結果をもとに,東京に生きる若年女性のキャリアを空間的移動と関わらせながら検討した。
     その結果,第一に,後期青年期の前半といえる高卒後 5 年間では,雇用が不安定化・流動化するほど,就業先も居住地も狭い空間内に留まり続ける傾向が浮かび上がった。
     第二に,結婚は相対的に学歴の高い女性にとっては職業的・空間的選択を制約するものとなっていた一方で,学歴が低く不安定な就業状況にある女性たちにとっては,展望の不透明さから抜け出す手かがりとして位置付いていた。しかしその実現は容易ではなかった。
     第三に,後期青年期の後半といえる20代後半から30代前半にかけて,非正規労働に従事していた女性たちのキャリアは,結婚や正社員登用の有無を軸に分岐し,その分岐が彼女たちとコミュニティとの関係の違いを生み出していた。結婚ルートにも正社員ルートにも接続しない非正規単身女性たちは,消費文化世界へのコミットに必要な空間的移動をすべく,できる限り時間的な制約を受けない就業を続けようとしていた。

  • José Beltrán Llavador, Daniel Gabaldón-Estevan
    2018 年 102 巻 p. 145-151
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

    This article presents an overview of developments related to the sociology of education in Spain in recent decades. It employs Brint’s and Van Zanten’s models to analyze the annual meetings of the Spanish Association of Sociology of Education (ASE). It assesses how Spanish sociology is received in general, and then focuses specifically on the sociology of education in the Japanese education system and in Japanese culture and society. The findings from the analysis point to the need to expand and deepen dialogue between Spain and Japan in order to achieve social change on a global scale.

論稿
  • ――中国都市部と農村部の中学校の比較研究――
    劉 麗鳳
    2018 年 102 巻 p. 155-174
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,中国の都市部と農村部の中学校における「できない生徒」に対して,教師がどのように処遇しているのかを考察することである。用いたデータは,都市部と農村部の中学校での参与観察とインタビューである。中国では農村部の中学生の退学率が高く,先行研究から家庭の貧困と親の勉学への無理解,学校の物理的な条件が指摘されているが,教師文化や指導文化など学校内部のミクロレベルでの教師 - 生徒間の相互作用が中学生の退学行動に及ぼす影響の考察も重要である。
     本論では,以下の点を明らかにしている。都市部の中学校の教師は,他の生徒の学習の妨げにならないよう「できない生徒」に対して「ソフトな隔離」をしつつ,教室内の役割を与えることで生徒集団の一員として包摂していた。一方,農村部の中学校の教師は「できない生徒」を教室や授業からあからさまに排除し,彼らに教室外の役割を与えると同時に,彼らを監視役に利用して校内の秩序づけを行っていた。中国における「学業成績重視」の価値観のもとで教師の処遇に違いが生じる背景には,教師が用いるストラテジーに違いがあり,前者は生徒の学習意欲の喚起を重視するペダゴジカル・ストラテジーが用いられていたのに対して,後者は「できない生徒」を教室や学校から排除することで自らの評価を高めようとする教師のサバイバル・ストラテジーが用いられていた。

  • ―昭和8年児童虐待防止法の制定に関する構築主義的研究―
    高橋 靖幸
    2018 年 102 巻 p. 175-194
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿は,昭和戦前期における社会問題としての児童虐待の構築過程で,貰い子殺しと児童労働がどのように問題化され,児童虐待防止法の制定へ結実したかを明らかにする。そのうえで虐待を防止する法律の制定が,日本の近代的な子ども期の語りのあり方にどのような変容をもたらしたかを社会構築主義の視点から考察を行う。
     本稿はまず児童保護事業に関する内務省の審議から,児童虐待防止の議論の経過を整理し分析を行った。結果,それらの議論が児童への虐待を重大な問題とする訴えを展開しつつ,一方で虐待問題の範囲を必ずしも確定しないまま進行し,複数の子どもの問題を包含するように発展したことが明らかとなった。
     また,児童虐待防止の法制化の議論を考察するにあたり,貰い子殺し事件を契機とする一連の新聞報道を分析した。結果,昭和戦前期における社会問題としての児童虐待の構築が,貰い子殺し事件をはじまりに,内務省社会局の公式統計が示す「実態」を資源としながら,児童労働を社会問題としていったことが明らかとなった。
     本稿の分析の結果,児童虐待防止法の成立が,保護と教育の対象としての「子ども期の享受」の議論をうみだし,労働の世界にとどまる,近代的な子ども期を享受しない子どもを問題とする語り方を生成したこと,そしてこの語りが児童労働を児童虐待防止法の成立以前とは違った新たな問題として社会のなかに定着させたことが明らかとなった。

  • ――ドイツ・ブレーメン州における移民集住地域の終日学校を事例に――
    布川 あゆみ
    2018 年 102 巻 p. 195-215
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     2000年代に入り,いわゆる「PISAショック」を経験したドイツでは,移民の子どもの低学力ならびに移民の子どもと移民背景をもたない子どもとの間の学力格差が深刻な社会問題として受けとめられた。2003年以降,学力格差是正策の一環として,それまで半日(遅くとも13時頃まで)で終わっていた学校を終日(16時頃まで)とする学校制度改革が進んだ。本稿はこの学校制度の改革過程について,学校,家庭,学校外の関係性の変容という視点から,ドイツ・ブレーメン州(都市州)における移民集住地域の終日学校(ハイドン校)を事例に分析を行ったものである。
     本稿では政策過渡期(2007年~2009年)における三者間の関係性を歴史的な観点から振り返り,その時の関係性が今日の状況(2015年~2018年)にどのような含意をもっているのか,二つの時間軸から分析を行った。分析から,三者の関係性は可変的であるものの,それまでの線引き,すなわち領域ごとにきっかりと役割を分けることの意味あいが薄れていることが明らかとなった。学校が終日化したことによって,多様な領域を横断し,連携・調整するものとして教育を位置づけ,子どもの育ちを支える仕組みを根本的に変えていることが明らかとなった。それはまた伝統的な役割規範になじみのない多様な背景をもつ家庭を前提とした議論が,移民受け入れ社会としてのドイツに求められていることを示唆した。

  • ―正統的周辺参加論の枠組みから―
    西 徳宏
    2018 年 102 巻 p. 217-237
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,教員の職業的社会化過程を,正統的周辺参加論の視点から分析し,学校研究と教員研究に新たな学問的示唆を提出することである。
     従来の教員の職業的社会化研究では,教育実践をめぐって成員間に生じるコンフリクトの存在や,それが集団にもたらす影響についての分析と考察を欠いてきた。そこで本稿では,教員の職業的社会化の過程で生じるコンフリクトが集団に与える再帰的な影響について,人権教育推進校であるX小の学校組織文化を取り上げ,成員の組織的社会化過程を正統的周辺参加論の枠組みから検討した。
     調査より以下の三点が明らかにされた。第一に,成員は集団の歴史的背景に基礎づけられた教育実践に参加し,状況に埋め込まれた学習を行っていた。第二に,教員同士の相互交流を通して,成員はX小の成員としての熟練のアイデンティティを形成していた。第三に,教員集団の連続性と成員の置換の矛盾に伴って実践者間に生じるコンフリクトは,集団の結合と相互交流を喚起する組織化を集団に促し,文化的構造の再生産をもたらす再帰的な影響を有していた。最後に,本知見が先行研究に対して有する学問的示唆について考察を行なった。

  • ―「お説教」の協働産出をめぐる相互行為分析―
    粕谷 圭佑
    2018 年 102 巻 p. 239-258
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,学校の「お説教」場面において,子どもたちがいかにして場面に即した形で「児童としての適切なふるまい」を組織しているのかを明らかにし,そこから「児童になる」こと,すなわち「学校的社会化」のあり様を検討することである。上記の目的のために,本稿では,小学校6年生の教室で生起した「お説教」場面における教師―児童間の相互行為を分析する。その際,サックスの社会化論を参照し,子どもの相互行為能力としての「観察可能性の提示」と「カテゴリーの理解」に着目した。
     分析の結果,「お説教」場面では,児童らは,教師によって方向付けられ,教師によって想定された反応を提示することによって,自らを「お説教を従順にうける児童」として観察可能にし,「非お説教」場面や「お説教」が収束に向かう場面では,教師の想定外の反応を提示することで,「教師と親密に話す児童」として,自らを観察可能にしていた。これは,児童らが学級というローカルに組織されたカテゴリーに結びついた活動と期待の複層性を把持しているということである。こうした分析結果を踏まえ,本稿では,子どもが学校の中で「児童」となる「学校的社会化」は,個別具体的なクラス(=教師と児童集団)の日々の営みの中に埋め込まれており,日常の実践的関心においては,「観察可能性」の調整が適切なものとして前景化していることを指摘した。

  • ―「教師である」とはいかに語られるか―
    伊勢本 大
    2018 年 102 巻 p. 259-279
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,研究協力者である教師たちの〈語り〉から「教師である」という物語がいかに構成されるのかを明らかにすることである。
     日本社会において,批判対象として教職を捉えようとする論理が根強く存在する一方,教師の働き方を見直し,彼/女たちを救済しようとする動きも広まっている。これらのことからも示されるように,教師に対する世間のまなざしは錯綜している。そうした今日的状況において必要となるのが「教師であるとはどういうことなのか」という根源的な問いに,教師たちの〈語り〉から回答を示す試みである。
     本稿を通して描かれるのは「教師である」ということが,教師個人が「献身的教師」をめぐる物語と対話し,その物語といかに折り合いをつけながら自らの職業アイデンティティを語ることができるのか,というフレキシブルな解釈・交渉実践だという側面である。それはつまり,教師たちが「教師である」ことを表現する個別の物語は,それぞれの形で紡がれる,開かれた可能性を有していることを意味する。
     近年,教師の長時間労働の問題改善に向けて学校現場の働き方を見直すという方向で議論が進められている。しかし,教師の生きやすい現実を形作る上では,まず彼/女たちを一人の人間として理解することが何よりも重要となる。本稿の議論は,これまで教育社会学において十分に関心が寄せられてこなかった,教師の個別性を保障するための枠組みの意義を示唆している。

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