教育社会学研究
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104 巻
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特集
  • 分化と統合
    羽田 貴史
    2019 年 104 巻 p. 7-28
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     日本の高等教育研究は,日本高等教育学会及び大学教育学会創設後20年を経て,制度化が確定にしたかに見えるが,その学問的基盤は,他の学問分野と比べて劣弱である。特に,研究者の訓練を行う大学院が4つしかないこと,育成された高等教育研究者の就職市場が,高等教育政策・行政に関する政府関係組織や,大学教育センターなど大学の実務的組織であることは,基礎・開発・応用のバランスをもった高等教育研究の深化・発展を制約し,利益相反関係など複雑な問題を高等教育研究に投げかけている。
     高等教育研究の分化は,個人の発達過程において大学生をとらえる視点を弱め,社会を構成するサブシステムである高等教育システムを,初等中等教育や職業・資格との関係で捉えることを困難にする。
     さらに,学会成立の以前から,高等教育研究には,〈好奇心駆動型〉の基礎研究志向より,大学改革の役に立つ〈使命達成型〉研究志向が強かった。
     教育学は,国民教育制度のための性格が強いが,高等教育研究で前提とされる改革とは,政府の策定する政策に基づく改革を意味しがちである。
     その結果,大学や大学人が主体的・自主的に構想し推進する改革を視野に入れず,政府の政策を大学執行部が具体化することを「改革」と呼ぶ風潮が生まれてきた。そして,大学教員ではなく,大学執行部による教育マネジメントを根拠づけるために,データによる客観的な研究発表ではなく,結論に合わせた都合の良い研究すら見られる。

  • 立石 慎治, 丸山 和昭, 速水 幹也, 松宮 慎治, 中尾 走, 村澤 昌崇
    2019 年 104 巻 p. 29-55
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,教育社会学における高等教育を対象とした研究のうち,計量的手法を採っているものにかんする実態を読み解くことにある。その際,「高等教育研究は教育社会学研究がこれまで培ってきた理論・方法的枠組みを共有しているのか」及び「高等教育研究の固有の計量分析の課題とは何か。また他分野を参照しながら今後,どのように課題に対応していくか」との二つの問いを設定した。
     学会誌掲載論文や大会研究発表の実態を分析した結果から,手法面においては,『教社研』高等教育計量論文ではより積極的に「一般化線形モデル」が用いられていること,内容面においては,高等教育の「制度・政策」がテーマとして共有されているとの特徴が示された。一方,『教社研』高等教育計量論文の特徴は「進学」にあり,「逸脱」や「学習」「経営・運営」は扱われないことから,これらが『教社研』高等教育計量論文とその他との境界となっていることを示した。他方で,引用の構造から,『教社研』高等教育計量論文は『教社研』高等教育計量論文を引用する傾向がありながらも,社会学の雑誌を引用する傾向もあることが明らかになった。以上より,第一の問いに対しては,「全く共有していないわけではない」と見たほうがより適切であることを述べた。
     むしろ,今は『教社研』内部の分断よりも,隣接領域や社会の動向を注視すべきであろう。特に政策との距離が近い高等教育研究にとって,EBPM がもたらす専門家の存在意義や方法の高度化とその陥穽など,対応すべき難題は多いため,隣接領域での議論に学ぶ必要がある。その際には,方法論を巡る議論の場=“生態系”が役割を果たすと考えられるため,教育社会学界の経験から豊かな示唆が得られることと思われる。したがって,第二の問いへの答えとして「EBPMを介して分析手法の高度化が要請されているが,それを超えて課題であるのは,因果推論を正確に議論することであり,(教育)社会学だけでなく,心理学,経済学,情報科学等の隣接領域における議論や,これらの専門分野を超えたRubin,Pearl,Campbell の因果モデルの展開を参照しつつ,計量分析における因果関係の取扱い方について常に再考し続けること」を述べた。

  • 小林 信一
    2019 年 104 巻 p. 57-80
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿は高等教育政策の研究をレビューし、その課題を描出する。
     1960年代後半には、国立国会図書館が高等教育政策研究を支えた。立法府の政策研究は、不偏性,とくに行政府からの独立を強い規範とする。立法府は多様な選択肢の中から特定のオプションを選択する。「決める」とは「偏る」ことであり,法を執行する行政府とその政策は本質的に偏っている。
     近年の高等教育政策のアリーナは社会に開かれており,文科省や大学のみならず,政党,官邸,他府省,民間企業団体等の多様なアクターが参入する。行政運営が政治主導になり,文科省等の伝統的なアクターのみによる政策形成ではなくなった。しかし,高等教育政策研究は依然として,文科省の政策形成に寄与することを暗黙の使命としており,研究にはバイアスがある。一方で,特定の行政分野と結びつく各学問分野は固有の流儀で高等教育を扱うため,多様なアクターによる政策形成過程は学問分野間の代理戦争の様相を呈しつつある。
     また,官邸主導,政治主導による行政運営の時代に,内閣,官邸,内閣官房を監視できるのは制度上,立法府だけである。また,委任立法が多く,政策の詳細は行政自身が決める。高等教育策研究は立法府の行政監視機能と連携の余地がある。

  • 成果と展望
    湯川 やよい, 坂無 淳, 村澤 昌崇
    2019 年 104 巻 p. 81-104
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     大学教授職研究は,タブー視されがちな大学教員世界に切り込む挑戦的領域であり,既存研究の貢献は大きい。しかしその成熟ゆえに,近年の大学内外の変化を踏まえた「専門職の社会学」研究としての意義づけの再確認と,方法論的展開の促進が不可欠である。
     この問題意識のもと,本稿では,⑴ミクロレベルでの相互作用の研究,⑵男女共同参画をめぐる政策研究,の二つのレビューを行った。その結果,⑴については,大学教授職研究での相互作用研究における「批判的な社会学」の視点と質的アプローチの不足を指摘しつつ,大学教員を複数の社会学的変数から成る多様性ある集団として捉えなおすことを提案した。⑵のマクロレベルについては,男女共同参画に関する大学教授職研究からの批判的検討と知見の提供の不足を指摘し,それを乗り越える分析の可能性を論じた。
     最後に,こうした専門研究コミュニティ外部の問題意識との接続を通じ,建設的批判や対話を積み重ねることで,大学教授職研究の裾野を広げることの必要性を提言した。

  • 〈溝〉を超える新しい大学生研究に向けて
    大多和 直樹
    2019 年 104 巻 p. 105-124
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     大学生研究と高校生研究との間には学問的な〈溝〉がある。すなわち,極めて親しい近接領域であっても問題関心,研究の視角,用いられる理論・概念に違いがみられる。
     そこで本稿では,その〈溝〉の所在を明らかにし,それを超える大学生研究のありようを探っていった。そこで明らかになったことは,おもに以下に示す4点である。
     ①高校研究において主流となっているいくつかの枠組みをキーワード的に示すと競争者としての生徒と学校適応ということになる。
     ②大学生研究をめぐってどのような学問的な〈場〉が生起しているのかを近年の教育社会学会での学会発表を手がかりに明らかにすることを試みたところ,そこでのキーワードは,能力形成者としての学生と大学へのエンゲージメントということになる。
     ③そうした〈場〉が成立する背景には,近年の職業的レリバンス研究やコンピテンシーへの社会的関心の高まりがあるとともに,生産労働に資することを重視する大学教育改革がある。
     ④〈溝〉を超える研究の一例として,「アイデンティティ資本」や学生のオピニオンリーダーとしての役割に着目する研究があり得る。

  • 関連諸学との対話から
    戸村 理
    2019 年 104 巻 p. 125-145
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は二つである。一つはこれまでの日本における大学組織研究のレビューを行うこと,もう一つはそのレビューを通じて,関連諸学との関係性や,大学組織が持つ組織慣性の点から大学組織研究の展望を行うことである。
     大学組織の研究には,考慮すべき前提がある。それは大学組織の複雑性と,大学組織に関連する基礎概念の混用である。前者は大学という組織の目標の曖昧さや,組織の構成員である大学教員が自律性と自由を強く求めることに起因している。後者は大学の管理・運営・経営や,ガバナンス・マネジメント・リーダーシップといった現代の大学組織を取り巻く種々の用語について,必ずしも共通理解が伴っていないことに起因している。
     以上の前提を考慮した上で本稿では,大学組織に言及したテキストやリーディングスを対象にレビューを行った。その結果,現状追認型の考察となっていることがあり,不確実な環境の中での大学組織の動態性やダイナミズムが十分に考察されずにいるとの見解に至った。
     今後の展望では,第一に関連諸学である教育経営学や組織社会学に注目し,その知見や理論の援用可能性について検討した。第二は組織慣性に注目し,大学組織特有の組織慣性を学術的に見出すことが必要であるとした。それは期せずして,大学の再編・統合・連携や,大学経営における問題など,学術的のみならず高等教育研究に求められる実践的問題の解決にも寄与することが期待できるとした。

  • 相澤 真一, 濱本 真一
    2019 年 104 巻 p. 147-167
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本論では,高等教育研究を参照してきた隣接分野の立場から,教育社会学研究としての高等教育研究について,今後の研究への問題提起と期待を提示する。本研究が提示する高等教育研究の隣接分野とは,主に,中等教育研究と社会階層・社会階級・社会移動研究(以下,略して,階層移動研究)である。
     それらの隣接分野の視点から見た場合,高等教育研究にはいくつかの課題が指摘できるように思われる。第1は,「日本の」高等教育の選抜を理解するために,その本質的な部分に関する定義を見直す必要があるのではないかということである。第2は,日本の高等教育制度は,社会階層構造に対して,どのような制度的文脈を持っており,どのような機能を保持しているかを明らかにすることが求められているという点である。第3は,高等教育研究ならではの視点である「高等教育機関が行う研究」を社会学的対象として配置していくことが必要となるという点である。
     以上の3点を踏まえて,日本の高等教育が制度的,歴史的に,世界のどのような類型に近く,どのような事例と比較されうるかを吟味することによって,より抽象度の高い階層移動研究に組み込んでいくことができると考えられる。また,日本の高等教育の特質を,隣接分野の文脈と共通性を持ちながら,より広い文脈を持った言葉で社会学的に明らかにしていくことにより,高等教育研究がより緊密に国際的な研究と結びついていくであろう

論稿
  • 社会空間アプローチによる世論の分析
    近藤 博之
    2019 年 104 巻 p. 171-191
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     近年,格差是正や少子化対策の一環として教育の無償化が議論されている。これについては賛否両論があるものの,意見の分布に階層差はとくに見られないという。しかし,個人化された社会で人々の意識を扱うには単独の意見ではなく,諸々の意見が織り成す文脈に焦点を当てる必要がある。本稿では,ブルデューの社会空間アプローチを用いてこの問題に取り組んだ。具体的には,子どもの教育と高齢者の社会保障について個人と政府の責任を問うた質問(JGSS-2012)に注目し,それと他の諸々の意見との関連を多重対応分析により吟味した。
     分析の結果,まず第1-2主成分で構築した政治的意識空間が経済的適応度と政治的参加志向によって特徴づけられることが示された。また,取り上げた意見の多くは第2象限から第4象限にかけて展開し,その並びが階層的様相をもつことが示された。社会的属性変数の布置からは,その並びが資本総量に一致することが確認された。他方,費用負担意識はそれに直交する第1象限と第3象限にかけて展開し,他の意識との関連は希薄であった。社会的属性の布置も,僅かに伝統的専門職と経営者・業主の間に対立的関係が見られるに過ぎなかった。さらに,意外なことに,学生や若者の位置が政府の責任増大を否定する領域に見出された。これらは,この問題が未だ議論として定着しておらず,単に現状を反映した回答がなされているに過ぎないことを示唆している。全体を通して,教育費負担意識の現状と社会意識分析に対する社会空間アプローチの有効性が示された。

  • 障害の原因論選択の議論における生物医学モデルと障害の社会モデルのせめぎあい
    篠宮 紗和子
    2019 年 104 巻 p. 193-214
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本研究は,LD(学習障害)の文部省定義(1999年)の作成過程において「中枢神経系の機能障害」という生物学的原因論がどのように採用されたのかについて,文部省定義に関する行政資料と回顧文書から明らかにした。
     本研究の社会学的関心は,病の原因論が選択される過程で,生物医学モデルとその他のモデルがどのように並存するのかというものである。先行研究では,LDは医療化(=生物医学モデルの浸透)の事例として研究されてきた。しかし,当時の医学研究ではLDの生物医学的原因の有無を確認できたのはLD児の3割であったほか,治療法も未確立であった。また,LDは当時教育概念と言われており,医学からはある程度独立した概念であった。LDが必ずしも生物医学モデルによって把握できなかったという事実を踏まえてLDという現象を説明するには,単に生物医学モデルの浸透の事例としてではなく,病を捉えるモデルが多様化するなかでその概念や原因論が争われた事例として分析を行う必要がある。
     分析の結果,文部省の議論では生物学的原因論を明記するアメリカ案と障害の社会モデルに基づいたイギリス案が検討されたが,①LDが通常の教育では指導できない存在であることを強調でき,②新たに増加する障害児の数が比較的少なく現場の混乱が少ないという利点から,アメリカ案が選択されたことがわかった。当時の社会・制度的状況が考慮された結果,イギリス案は適切ではないと判断されたのである。

  • 全国学力・学習状況調査における学校パネルデータを利用した実証分析
    中西 啓喜, 耳塚 寛明
    2019 年 104 巻 p. 215-236
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,平成25年度から29年度に実施された全国学力・学習状況調査における学校パネルデータを用い,学級規模の縮小が学力を向上させるのかについて検証することである。
     学級規模の縮小が児童生徒の学力を改善するのかどうかについては,教育政策研究の中でも注目される分野のひとつである。ところが,学級規模の効果に関する知見はしばしば整合的ではない。このような知見の不一致は,観察されない異質性の影響が一因だと考えられている。近年の日本の学級規模研究では,データの階層性や内生性バイアスを除去した分析が蓄積され,小規模学級ほど学力向上に好影響があることが示されてきた。しかし,こうした一連の研究の多くは一度きりのクロスセクションデータによる知見に留まっている。そこで本稿では,5年間の学校パネルデータを用い,学級規模の効果検証を行った。
     分析結果は次の通りである。第一に,計量経済学における固定効果モデルによる分析の結果,小規模学級ほど学力スコアが高くなるという知見が得られた。この結果は,観測不能な異質性を除去しており,同一の学校における学級規模縮小による学力スコアの上昇を意味している。第二に,小規模学級の全体的な効果は,小学6年生と中学3年生の両方に対し,全ての教科において統計的に有意な結果が得られた。第三に,小規模学級のポジティブな効果は,就学援助を受けている児童生徒が毎年多く通う小学校6年生に対してのみ統計的に有意であった。

  • 傘となる集合行為フレームの創発過程
    藤根 雅之
    2019 年 104 巻 p. 237-257
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     学校教育と学校以外の組織の連携が重視されている。先行研究では,連携の成功要因を理念・目的の共有とする議論と,連携によって学校以外の組織が学校化してしまう危険性の議論がなされている。本稿は,組織間の多様性を尊重した連携の可能性を考察するために,オルタナティブスクール同士の連携を事例にその実践者の技法を集合行為フレームを枠組みに明らかにする。
     得られた知見は以下の通りである。まず,それぞれの組織が掲げる集合行為フレームは多様である。連携してネットワークを組んでいるにも関わらず,互いを差異化・批判し合う。そして,それぞれの実践者は,他の組織との連携において,子ども・若者に合う他の組織を紹介できることにメリットを見出すのであるが,紹介することで自身の組織が選ばれないという事態から,自身の組織の集合行為フレームの正当性に揺らぎを経験する。それに対し実践者は「不完全性の積極的肯定」という傘となる集合行為フレームを構築する。自組織で全ての子ども・若者を「抱え込む」ことは当事者の不利益になると語られ,自身の組織が不完全であるというフレームによって他の組織との連携の必要性が正当化される。
     以上より,学校的な教育の理念や目的から距離をとる/とらざるを得ない子ども・若者の学習権の保障という観点から,学校教育とは異なる理念や目的や文化からなる組織の存在を肯定し,それらを同化させるのではなく,その間の調整を行う傘となる集合行為フレームの構築の重要性を指摘した。

  • 胡中 孟徳
    2019 年 104 巻 p. 259-278
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本研究は,完全学校週5日制の前後で小中学生の土曜日の生活時間が変化するか,また,その変化に階層差が存在するかを,2001年と2006年の社会生活基本調査を用いて検討した。従来の議論は,完全学校週5日制によって,土曜日に学校外で過ごす時間が増えることで,そうした時間を有効に使える子どもとそうでない子どもが分極化すること,そうした分極化に階層差が伴うことを予測していた。本研究は,そうした議論の理論的背景として,学校教育が平等化装置か,階層差を再生産する装置かを検討する研究群が想定できることを指摘した。
     分析結果は,以下の3点にまとめられる。第1に,2006年には土曜日の学校の時間は行為者率の減少により大幅に減少していた。その結果として,学校外学習,教育的余暇,享楽的余暇のいずれの時間も増加していた。第2 に,学校外学習と教育的余暇については,階層との関連には変化が見られなかった。学校外学習の時間は階層差が高いほど長いという傾向はあるが,その傾向は時点間で変化していない。教育的余暇の時間は2001年,2006年のいずれの時点でも階層差は見られなかった。第3 に,享楽的余暇の時間は,2006年にかけて階層差が拡大していた。2001年には階層差が見られないものの,2006年では階層的地位が高いほど享楽的余暇の時間が短くなるような変化が見られた。以上より,学校教育の存在は,学校外で享楽的に過ごす時間の階層差を抑制しているといえる。(592字)

  • 教職ナラティヴを通じたリアリティ構成に着目して
    白松 賢
    2019 年 104 巻 p. 279-299
    発行日: 2019/06/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー

     本研究の目的は,教育社会学における教師研究の課題とともに,教職ナラティヴの質的研究の方法論上の可能性を明らかにすることである。
     教育社会学は,多様な分析手法を持って教師と向かいあってきている。しかし本研究は「教師の成長」について,先行研究の孕むポストコロニアリズム課題を二つ指摘した。第一が実証主義パラダイムの政治性であり,第二が解釈主義的アプローチの政治性である。そこで本研究はこれに対峙する上で質的研究の方法的課題を整理し,解釈学的アプローチとしての教職ナラティヴ研究の重要性と研究枠組みを提起した。
     研究の規準には,第一にナラティヴ・リアリティという研究対象の限定と認識論上の線引き,第二に研究者の資源と研究協力者の資源の「透過性」を記述すること,第三にドミナントストーリーへの疑問を抱かせ,多様な議論を誘発する研究成果の産出可能性を「方法に適した規準」として設定した。
     本研究では,3名の研究協力者へのインタビューをもとに,研究者と研究協力者の相互作用で生成される教職ナラティヴのリアリティ構成を探究した。
     研究の知見には,第一に教師の成長に関する語りがナラティヴの埋め込み化や文脈的拘束性という個別的関係的なコンテクストでしか示され得ないこと,第二にその限定性が教師の資質能力向上を求める教育改革の支配的言説と絡まって教職の不確実性を強化していること等を明らかにした。

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