教育社会学研究
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88 巻
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特集
  • ──国民国家・階層・ジェンダー──
    小玉 亮子
    2011 年 88 巻 p. 7-25
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     幼児教育は,それが誕生した時からきわめてポリティカルな問題であり,そこには,近代社会の三つのポリティクスをみることができる。本論文は,幼児教育に作用するポリティクスについて,その誕生のときにまで立ち戻って議論するものである。
     第一に,国民国家のポリティクスがある。幼稚園を作ったフリードリッヒフレーベルは,ドイツという国のための学校体系が不可欠であると考えていた。19世期初頭においてドイツは分裂し弱体化した国であり,フィヒテやフレーベルといった人たちはドイツ人となることと,自分たちの国民国家を必要としていた。フレーベルは国民国家ドイツの教育体系の基礎として幼稚園を構想したのであった。幼稚園はドイツで普及したが,19世紀中ごろには幼稚園禁止令によって閉鎖させられてしまう。当時の反動政権は,幼稚園の自由な思想を危険なものだとみなしたのである。禁止された幼稚園運動は,国外に活路を見出し,結果的に世界に普及した。
     それを促進したのが,19世紀の新しいメディアである万国博覧会である。博覧会の展示物のなかに,幼稚園とフレーベルが考案したおもちゃである恩物があった。幼稚園運動は,近代消費社会によってサポートされたのである。
     第二のポリティクスは,階層のポリティクスである。幼稚園は私的なシステムとして造られ,恩物は売買される商品であった。フレーベルの教育思想はすべての階層の子どもたちにひらかれたものであったが,彼は事業を成功させるために,上・中流階層をターゲットにした。そのため当初から幼児教育システムは二元化したシステムになる要素を胚胎することとなった。
     第三のポリティクスは,ジェンダーである。フレーベルによれば,幼稚園は学校とは異なるものである。そこにおける教育者のモデルは教師ではなく,母親である。幼稚園は女性のものとなると同時に,上層のためのものと下層のためのものに分断され,そこで働く女性たちのヒエラルヒーも形成された。
     幼稚園を普及し拡大した,ジェンダーのポリティクスは,女性たちに働く場と特別な教育的役割を与えたが,女性たちに特殊な社会は,教師社会から分断され,社会的に低いものとみなされることとなった。
  • ──諸外国の動向を中心に──
    池本 美香
    2011 年 88 巻 p. 27-45
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿では,諸外国において,幼児教育・保育政策に関して,特に経済的な観点から,近年どのようなことが議論され,具体的にどのような施策が講じられているのかを紹介し,日本の幼児教育・保育政策の今後のあり方について考える。諸外国では幼児教育・保育政策が,女子差別撤廃条約や児童の権利条約など,女性や子どもの人権に関する国際的な議論を受けて見直されていることに加え,少子高齢化に伴う労働力不足に対して,女性労働力の活用が求められていること,社会保障費用の負担増に対して,子どもの貧困や教育格差が問題視されていること,就学後の教育の効率性を決めるのは就学前の教育にあるという研究成果が注目されていることなどから,経済成長戦略の一環としても注目を集めている。
     具体的な改革として,幼児教育・保育政策を救貧的な福祉制度体系から,人的投資を意識した教育制度体系に位置づける国が増えているほか,保育の質を高めることにも力を入れる傾向にある。公的投資の効果を意識した様々な工夫も見られ,保護者が自ら共同運営する施設や祖父母が保育する方式を積極的に活用したり,家庭や地域に対する働きかけを重視したり,保護者の労働時間短縮を進める動きなどが見られる。日本で目下検討されている幼保一体化を含む「子ども・子育て新システム」についても,人道的観点に加え,経済成長戦略の一環としての検討を加えることが期待される。
  • ──発展途上国の教育開発と幼児教育──
    浜野 隆
    2011 年 88 巻 p. 47-64
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     近年,幼児教育に対する関心は,先進国のみならず途上国においても高まっている。特に,1990年以降,途上国においては乳幼児人口の増加はほとんどないにもかかわらず,就園者数は著しく増加している。1990年のEFA宣言においては,幼児教育が基礎教育の一部として位置づけられ,そこでは,とくに恵まれない子どもたちに対する支援が強調された。また,世界銀行やユニセフなどを中心に,開発や人権などの観点から乳幼児の発達に対する総合的なアプローチが進められるようになった。
     しかしながら,サハラ以南アフリカなど,幼児の健康などにおいて特に恵まれない地域ほど就園率が低いという厳しい現状がある。このような幼児教育の国家間格差は,その後の教育達成度とどのような関係にあったのか,検証を行なった。具体的には,各国の就園率とEFA第5学年到達率とがどのような関係にあったのかを検証した。クロスナショナル分析の結果,就園率は,5年後の第5学年到達率と強い関係にあり,その関係は,一人あたりのGNPや教育財政支出を統制しても有意に残ることがわかった。
     国家間の格差のみならず,国内格差も深刻な問題である。本稿ではベトナムを例に国内格差を分析した。国内格差と初等教育段階での学業達成およびその格差との関係を見ると,地域の経済状況や初等教育の質を統制しても就園率と学業達成,就園率と学業達成格差との間には有意な関係が残るということが明らかになった。最後に,本稿でのテーマと日本の教育社会学との接点についても触れた。
  • ──人々を実践に向かわせる知の再構成──
    廿日出 里美
    2011 年 88 巻 p. 65-86
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     保育サービスの多様化が進み,保育実践にかかわる組織やそこで働く人々が相互に知を創造していく資質や能力を理解し,それを支援することが求められている。この研究の目的は,そうした実践知の刷新が何によって引き起こされるか,子どもが対象となるサービスの職業人に求められる知の再構成を保育者養成という現場の日常から明らかにすることである。本稿では,まず,制度に媒介された保育者養成,保育をめぐる市場とイデオロギー,学校教育および職場活動のなかでの保育者養成の内的矛盾について述べた後,保育と演劇という異職種間の提携によって編み直された学習活動の軌跡を振り返り,実践知の創造を支援する道具となる①知の体系,②相互作用としての質問,③状況の変化,④「その場」に即応する現場力,⑤学ばれたことと未解決の課題を具体的に例証する。さらに,公共ホールがアーティストを学校に派遣するアウトリーチと保育者養成の授業科目のなかに芸術における学習活動を位置づける立場の違いについて考察する。三年計画で実施された保育者養成校での演劇ワークショップは,保育の仕事で求められる実践課題の対象や動機と重ね合わさり,参加者の身体をとおして背後にある理論が実感されている。「学習活動の動機は,現実への理論関与である」とエンゲストローム(Engeström)が指摘するように,「芸術における学習」は,知の循環を引き起こすひとつの契機になる。
  • 濱名 陽子
    2011 年 88 巻 p. 87-102
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     現代の日本では,都市化や核家族化,また少子化の進行と家庭の教育力の低下を関連づけ,そのことを解決すべく政策や法制上で「幼児教育」を重要視する傾向にあり,また社会的にも子どもを早くから意識的な教育の対象としてとらえる動きが強まっている。
     政策・法制上での「幼児教育」重視傾向を教育社会学として分析する際の視点の一つとして,これらの背後にあり1990年代以降しばしば言及されるようになった「家庭の教育力=低下」という認識に関する検討があげられる。これらの認識が十分なデータや客観的な分析に基づいていないこと,そしてこの認識が果たして正しいのかどうかを疑問視し,歴史的に検討する研究が出されている一方で,教育と階層の関連や学力の格差の拡大に関する最近の研究では,家庭教育や家庭の文化的要因の重要性を指摘する知見が多く示されている。
     日本の「幼児教育」の実態の変化としては,公的な幼児教育制度である幼稚園のとくに年少児の在籍率の拡大,幼児教育産業を利用する家庭の拡大とその格差,小学校受験に向かう家庭の分析等が研究課題として注目される。これらの現場の変化はいずれも,もともと私事性が強くまた市場化が進行しやすい「幼児教育」の特徴が現実に顕在化している状況と考えられ,ペアレントクラシーの進行や「教育家族」の分化のメカニズムの究明につながる重要な研究課題と考えられる。
  • ──社会化の再検討に向けて──
    阿部 耕也
    2011 年 88 巻 p. 103-118
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿は,幼児教育における相互行為を分析する視点・枠組みを検討することを目的とする。
     幼児教育は,家庭での初期的社会化の段階と学校教育段階の間に位置し,両者と密接に関連している。幼稚園での教育は,集団を媒介にした指導が軸となっており,学校における社会化に先行する雛形が観察される。
     幼児をその相互行為の様式として観察─分析しようとするさい,注目されるのは種々の非対称ルールである。幼児─大人間でやりとりされる問いかけ─応答,人称─呼称のあり方など,いくつかの局面で非対称ルールは見出されるが,それらを介して大人と子どもの相互行為が構成され,社会化場面が立ち上がっていく。
     遊びや指導場面では,子どもの集団においても非対称な関係があり,集団活動への参与資格にかかわる非対称ルールは,集団あるいは社会が成立し,存続するために不可欠の契機となる。幼児教育とはその意味で,非対称ルールを手がかりに対称ルールの習得を目指す,子どもへの働きかけといえる。
     社会化は,集団を構成することと参与者が構成員となることを相即的に成就させる過程を示す。本稿では,具体的な相互行為場面をそうした過程が進行している場として観察し,分析する視点・枠組みを準備する。
  • ──子ども家族への監視・管理の強化──
    田中 理絵
    2011 年 88 巻 p. 119-138
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,日本において児童虐待が社会問題化してきた過程について明らかにしたうえで,さらにその対応方法の問題点について考察することにある。その結果,児童虐待の社会問題化が幾つかの段階を経て拡大してきたこと,「激増」,「深刻化」というイメージがマスメディアによって流布されてきたこと,また社会的対応方法としてリスクアセスメントの方向へ向かっているがそれは結局すべての家庭を国の監視・管理下におさめることを意味することを指摘した。
     国家主導で,リスクアセスメントを導入することは困難を抱える家族を発見するためだが,それは児童虐待を社会問題としてではなく個別の家族問題として捉えられることに繋がる。
     また,児童福祉の現場では,児童虐待の背景は両親の心理的問題などではなく,むしろ社会経済的課題にあると長年見なされてきたが,マスメディアによって広まった児童虐待のイメージは,家族の養育機能の低下が原因であると信じさせてきた。そこで,すべての家庭が検査対象に拡大されているのだが,これは人的資源のロスである。
     教育社会学にできる貢献としては,実証的研究の蓄積,児童虐待に対するモラルパニックの客観的分析など,経験科学の立場からの研究結果の提供が考えられる。また臨床的には,当事者である親・子どもの視点から児童虐待という経験の意味を抽出したり,解決に資するような具体的な事項の特定を行うなどの貢献が可能であろう。
論稿
  • ──「自ら学び自ら考える力」に着目して──
    中西 啓喜
    2011 年 88 巻 p. 141-162
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本論文の目的は,1970年代から継続的に行われている高校調査のデータを分析することにより,少子化や教育改革が,高校,とりわけ1990年代,2000年代に蓄積の少なかった上位高校に,どのような影響を与えたのかを実証的に明らかにすることである。得られた知見は以下の3点である。
     第一に,日本の高校は,少子化社会の中で,1校あたりの生徒数を減らすことで,学校数を維持してきた。しかし,上位の高校では入学定員を維持し続けたため,入学者の中学時の学力の分散が広がり,多様な学力層の生徒が上位高校へ入学することとなった。
     第二に,多様な生徒が入学してきているにもかかわらず,生徒の学習時間は増加している。それというのも,教師が多様化した生徒を個別主義的かつ面倒見主義的に学習指導をしているからである。
     第三に,教師が生徒の学習を,個別的に面倒をみることにより,生徒の「自ら学び自ら考える力」が身に付かないことが明らかになった。
     以上の3つの知見が提起する問題は次のようである。まず,上位校生徒の多様化により,高校階層構造が変容し,新たな局面を迎えている。そのため,上位高校は,エリート養成学校としての地位が危うくなるかもしれない。
     90年代の教育改革は「自ら学び自ら考える力」を強調し,かつては,それが教師を指導から撤退させた。そして,その結果,現在では教師が個別的で面倒見主義的な学習指導をすることにより,高校生の「自己学習能力」が身に付きにくいという意図せざる結果をもたらしたのである。
  • ──医療系女性大学院生のライフストーリーから──
    湯川 やよい
    2011 年 88 巻 p. 163-184
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本研究は,高等教育・研究者養成における教員─学生関係の社会学研究として,アカデミック・ハラスメントの形成過程を明らかにする。そのため,医療系の女性大学院生を事例に,学生が「被害」を認識する契機となるエピソードに着目し,被害の背景にある教員─学生間の信頼関係の変遷を,対話的構築主義アプローチを用いたライフストーリーとして再構成する事例研究を行う。
     考察の結果,学生が「被害」と認識した出来事は,それ単独として存在するのではなく,多忙化した教員の研究・教育関与の低下,研究室間の不文律システム,教員同士の確執等,日常に埋め込まれた諸文脈の累積により学生の教員への信頼が失われ,その結果初めて学生にとって不快で不当な「ハラスメント被害」が構築されるという過程が明らかになった。
     また,対話的構築主義アプローチをとったことにより,上記のハラスメント形成過程は,従来のアカデミック・フェミニズムの中でのモデル・ストーリーとなってきた「ジェンダー要因を中核とするハラスメント体験」の語りに対してずれを含む新たな対抗言説として導出された。
     研究室の教員─学生関係で生じる困難を,単に学生相談の臨床心理からのみ論じるのではなく,背景にあるジェンダー関与的文脈と非関与的文脈の総体について社会学的に検討し,政策・教育機能分析と指導の実践レベルの研究とを接続する必要があると考える。
  • ──学習環境と達成動機の質的差異に着目して──
    有海 拓巳
    2011 年 88 巻 p. 185-205
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本研究では,「地方/中央都市部の進学校に通う生徒の学習・進学意欲がいかにして維持されているのか」について,そのメカニズムの一端を明らかにすることを目的とし,①生徒が置かれている学習環境に差異があるなかで,それぞれの生徒の学習・進学意欲はどのようにして維持されているのか,②それぞれの生徒の学習・進学意欲には,いかなる達成動機(志向性)が作用しているのかという2点に着目し,分析を行った。
     分析の結果,地方の生徒については,学習塾等の教育機会が中央都市部と比べて乏しい学習環境にあるなかで,逆に,そのような環境に置かれているからこそ, 入学した学校の教師との間の信頼関係が強くなることがわかった。さらに,地方の生徒に関しては,教師によって強調される「社会的な自己実現」といった志向性が,学習・進学意欲に作用していることが明らかになった。
     一方で,中央都市部の生徒については,周囲に学習塾や大学等の教育機会が多くあることから,学校の教師の積極的な介入が無くとも学習・進学意欲が維持されうる状況にあることがわかった。また,その際,学習・進学意欲に対しては,地位達成志向が強く作用していることが明らかになった。
     本研究を通じて,階層・高校ランク上位グループの学習・進学意欲がいかにして維持されているのか,地方/中央都市部という区分において,その説明図式には質的な差異が見られることを明らかにすることができた。
  • ──多母集団パス解析による4時点比較──
    上山 浩次郎
    2011 年 88 巻 p. 207-227
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿では大学進学率における都道府県間格差の要因構造を時点間の変容を考慮しながら明らかにする。そのことを通して,近年の都道府県間格差がどのようなメカニズムによって生じているのか,その特質を浮かび上がらせる。
     そこで1976から2006年の4時点マクロデータに基づき,共分散構造分析の下位モデルである多母集団パス解析を行った。
     結果,(1)1976年には「所得」と「職業」によって格差が生じていたものの,(2)1986年には「地方分散化政策」(供給側要因の格差是正)の効果もあり「所得」と「職業」の影響力が弱まった。だが(3)1996年に入ると,男子で「所得」の影響力が,女子で「大学収容率」の影響力が増し始め,さらに(4)2006年には,男女ともに「所得」と「大学収容率」が影響力を持ち始めただけでなく,男子のみではあるが「学歴」も大きな影響力を持っている。加えて,「大学収容率」を介した「所得」の間接効果ももっとも大きい。
     以上から,こんにちの大学進学率の都道府県間格差のメカニズムには,社会経済的条件が持つ影響力の大きさ,供給側要因の「実質化」と「機能変容」,両者の「相乗効果」の増大という特徴があることが浮き彫りとなった。
  • ──小学校入学時に言語的格差は存在するか──
    前馬 優策
    2011 年 88 巻 p. 229-250
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,バーンスティンの言語コード論の視点から,二つの課題に対して考察することである。第一に,子どもたちに言語運用上の傾向性の差異はあるのかということ。第二に,異なる言語コードを規定する環境的要因について考察することである。
     本稿では,まず,本稿で用いる主要な概念である言語コード論について概略する。次に,調査の概要を示し,そのうえで子どもの用いる言語コードの違いが言語運用にどう表出するのかを明らかにする。そして,子どもたちの有する言語コードの違いを規定する環境的要因について検討を行う。
     具体的には,小学校1年生に対する「物語作り」調査を行い,そこでみられる言語運用と家庭環境の関連について分析を行った。その際,文脈依存性の観点から,日本語に特徴的に表れる主語や格助詞の省略に着目した。
     その結果,二つの主な知見が得られた。まず,主語を省略する傾向にある精密コードを有していない子どもは,発話開始までに時間を要する傾向があることを示した。
     本稿で示したもう一つの知見は,精密コードの獲得が,親の職業,家族構成によって左右されるというものであった。この点に関して,精密コードを用いた人格的統制様式が,ホワイトカラー層においてさらに強化されている可能性を指摘した。また,家族構成の違いによる獲得コードの違いから,彼らの家庭では,精密コードの獲得機会が相対的に少ないという可能性も指摘した。
  • ──ローカルな社会状況の変容と労働経験の相互連関──
    尾川 満宏
    2011 年 88 巻 p. 251-271
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿は,ある高卒就職者たちの〈語り〉をもとに,地方の若者による労働世界の再構築過程を,ローカルな社会状況と彼らの労働経験との相互作用として考察した。
     従来,調査協力者の「地元」における男性労働は建設業・製造業を中心とし,なかでも建設業は職人世界を形成してきた。調査協力者は不明確な進路意識のもとで高校を卒業し,建設現場で接した「職人天下の物語」や「ボス」をもとに彼らの《職人》像を構成し,職業人としてのアイデンティティを構築しようとした。
     しかし,地元建設業を囲繞する環境は近年厳しさを増し,零細企業から仕事を奪っている。そうした地元建設業界の構造を理解するなかで,調査協力者たちは《職人》の物語に「終わり」を悟っていった。その後,彼らは工場労働に生活安定の場を求めてゆくが,学歴や年齢で序列化され,高度に分業化された工場労働のシステムは,目指すべき明確な労働者像を彼らに与えない。ところが彼らは,工場労働を《職人》世界の基準を用いて語ることで異化=再構築し,再び職業人としてのアイデンティティを語る文脈を自ら用意していたのである。
     地域的な労働世界を再生産する文化のダイナミクスは地方にいまなお残存している。地方の若者が抱えるローカルな課題へ注目することは,もっぱら大都市のフリーター・無業者問題を論じてきた「学校から職業への移行」研究に,新たな地平をひらくと思われる。
  • ──生活保護世帯出身生徒の学校生活を事例に──
    盛満 弥生
    2011 年 88 巻 p. 273-294
    発行日: 2011/06/10
    公開日: 2014/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿では,エスノグラフィーという手法を用いて,学校生活の中で貧困層の子どもに特徴的に表れる課題を明らかにし,それらの課題が学校や教師から貧困層の問題として捉えられにくい背景にある学校文化のあり様について検討した。
     対象となった生活保護世帯出身生徒の約半数が「脱落型」の不登校を経験し,不登校経験や学習資源の不足等が直接的に影響して低学力に陥っており,将来の夢や進路に対する「天井感」が見られた。
     このような目立った課題を有する彼らであっても,生徒を家庭背景や成育歴によって「特別扱いしない」日本の学校文化の中にあっては,学校や教師から「貧困層」の子どもたちとして,特別に処遇されることはない。しかし,彼らの不利が他の一般生徒との違いとなって学校で表れた場合には,学校や教師から特別な配慮や支援がなされることになる。ただ,この場合の支援のあり方は,貧困による不利を解消しようとする積極的な働きかけというよりはむしろ,集団の中で顕在化してしまっている不利を隠そうとする消極的なものとなる。
     本来であれば,子どもの状況を一番把握しやすい,そして,貧困層の子どもが常に一定数存在し続けていたはずの学校現場で,貧困の問題がこれまでほとんど立ち現れてこなかった背景には,こうした「特別扱いしない」学校文化と,差異を見えなくするための「特別扱い」の影響があったと考えられる。
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