幼児教育は,それが誕生した時からきわめてポリティカルな問題であり,そこには,近代社会の三つのポリティクスをみることができる。本論文は,幼児教育に作用するポリティクスについて,その誕生のときにまで立ち戻って議論するものである。
第一に,国民国家のポリティクスがある。幼稚園を作ったフリードリッヒフレーベルは,ドイツという国のための学校体系が不可欠であると考えていた。19世期初頭においてドイツは分裂し弱体化した国であり,フィヒテやフレーベルといった人たちはドイツ人となることと,自分たちの国民国家を必要としていた。フレーベルは国民国家ドイツの教育体系の基礎として幼稚園を構想したのであった。幼稚園はドイツで普及したが,19世紀中ごろには幼稚園禁止令によって閉鎖させられてしまう。当時の反動政権は,幼稚園の自由な思想を危険なものだとみなしたのである。禁止された幼稚園運動は,国外に活路を見出し,結果的に世界に普及した。
それを促進したのが,19世紀の新しいメディアである万国博覧会である。博覧会の展示物のなかに,幼稚園とフレーベルが考案したおもちゃである恩物があった。幼稚園運動は,近代消費社会によってサポートされたのである。
第二のポリティクスは,階層のポリティクスである。幼稚園は私的なシステムとして造られ,恩物は売買される商品であった。フレーベルの教育思想はすべての階層の子どもたちにひらかれたものであったが,彼は事業を成功させるために,上・中流階層をターゲットにした。そのため当初から幼児教育システムは二元化したシステムになる要素を胚胎することとなった。
第三のポリティクスは,ジェンダーである。フレーベルによれば,幼稚園は学校とは異なるものである。そこにおける教育者のモデルは教師ではなく,母親である。幼稚園は女性のものとなると同時に,上層のためのものと下層のためのものに分断され,そこで働く女性たちのヒエラルヒーも形成された。
幼稚園を普及し拡大した,ジェンダーのポリティクスは,女性たちに働く場と特別な教育的役割を与えたが,女性たちに特殊な社会は,教師社会から分断され,社会的に低いものとみなされることとなった。
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