本論文は,カイ・T・エリクソン(1966=2014)の議論を手がかりに,明治後 期における学業成績不振児:「劣等児」の議論を分析し,学業成績不振が,学校で逸脱行動とみなされるようになった際,教員らの児童に対する認識や処遇がどう変化したのかを明らかにするものである。背景には,明治33年の第三次小学校令で進級試験が廃止され,同学年の児童間に学力差が生じるようになったことで,新たな児童集団で教授活動を行っていくための,新たな認識や処遇が必要となったことがある。
知見として,次の認識や処遇が形成されたことで,特別に処遇すべき逸脱児童としての「劣等児」が成立したと分かった。①児童は学級での教授活動を妨げてはならないという認識,②問題解決には家庭の協力的な態度をも要請されるという認識,③教員は児童が成績不振で授業を妨げる状況を放置してはならず,その事情を考慮して同情的に処遇すべきという認識,④成績不振そのものよりも,特定の児童が授業の妨げとなる状況を解消するための処遇,⑤そうした処遇をしても授業の妨げになる者に退学を促し,学校に在籍する児童の境界を明確にする処遇である。
つまり,政策,認識,処遇の変化に伴って,学業成績不振を,問題化と特別な処遇の対象とすることが可能となり,「劣等児」は成立したと言える。また「劣等児」は,新たな児童集団に混乱をもたらしたのではなく,集団の規範や秩序を形成する存在として現れたのである。
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