教育社会学研究
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特集
  • 宮島 喬
    2022 年 110 巻 p. 5-24
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     文化的再生産の理論は,無償の公教育を実現し,教育機会の平等を保障しながら,依然上層階層の再生産と下層階層の再生産が維持されているフランス社会の現実を解明すべくP. ブルデューらにより打ち立てられた。こうした不平等の再生産は,中下層の教育的成功を阻む経済的障害と並んで文化的障害によるところが大きい。これが文化的再生産仮説の核心である。同理論の影響は各国に及んだ。アメリカの場合に一瞥すると,P, ディマジオはその調査に基づき,生徒たちの教育達成には相続的文化資本よりも獲得的文化資本が強く作用するとみ,再生産モデルよりも移動モデルが妥当すると論じた。
     1970代に日本に文化的再生産理論が紹介されたが,「総中流社会」の幻想が支配しており,同理論が受け入れられるに至らない。しかし,80年代に,部分的に再生産理論の影響を受けつつ,同和地区の生徒の学校挫折,低進学率とその条件の研究が行われ,成果を上げた。
     1980年代およびそれ以降,有力大学に学ぶ者の出身階層が高まり,教育における社会的不平等とは何かが論点になってくる。そうした状況下で,若干の研究者が,文化的再生産の過程と関連づけて学生とその文化の調査を行った。その結果として二つの発見事項があった。第一に,学校的成功,社会昇進を可能にする文化資本は,日本の伝統的な文化ではなく,西欧起源の知や教養からなっていること,第二に,そうした文化資本の享受の階層差は,学生を対象とする限り,大きくなく,これは文化資本形成が,相続文化だけでなく,共時的な学習,メディア接触,直接の文化体験などによってもなされていることを意味する。
     比較的高学歴の上層の家族が,次世代における学歴と地位の再生産をはかるため親が子どもの教育に介入するペアレントクラシーが日本にもみられ,これへの批判的な考察が行われ,それが子どもの教育戦略の遂行を母親の役割とみなす点でジェンダー差別を伴っているとする指摘もなされている。また,日本的な文化的再生産過程がしばしば見えにくく,文化的平等神話によって隠蔽されるのはなぜか,という問いも研究者によって提起された。その回答として,日本の上層階層の人々が大衆文化も楽しむ「文化的オムニボア」であるからという論が行われた。興味深い指摘であるが,そのことが社会的再生産プロセスにどん影響を及ぼすかは十分明らかではない。

  • ――構造化する構造としてのハビトゥスの反省的再構築――
    小澤 浩明
    2022 年 110 巻 p. 25-46
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では,ブルデューの「権力と正統性の一般人間学」の基礎理論である教育社会学理論を象徴暴力論の視点から再構成したうえで,その象徴暴力によって成立する権力と正統性に対抗する「構造化する構造としてのハビトゥス」の生成条件としての文化資本の可能性を探求することを目的している。
     まず,ブルデューの教育社会学理論が「精神構造と社会構造の再生産メカニズム」を解明課題としていることを確認したうえで,『再生産』が総合的人間学の確立にとって重要な著作であったことを指摘し,その中心的課題がハビトゥス論の確立にあったこと,同時にこの時点でのハビトゥス論には限界があったことを示唆した。次に,ブルデューの教育社会学の著作(『遺産相続者たち』,『再生産』,『国家貴族』)を象徴暴力論の視点から再構成したうえで,象徴暴力に対抗するハビトゥスを再構築するための文化資本の可能性について3つの論点を提起した。すなわち,①文化資本の平等な配分問題,②文化資本の変革問題,③文化資本の序列化への対抗問題である。最後に,これら3つの論点についてブルデューの見解を検討した結果として,以下の3点を導いた。①文化資本の配分による代理委任に対する抵抗と文化独占への闘争の可能性,②変革された文化資本の創出による文化的恣意性への対抗の可能性,③文化資本の序列化への対抗として教育・能力・成功形態の複数性の対置である。
     結論では,変革された文化資本の獲得は権力と正統性に対抗する批判的リテラシーの獲得を意味し,それは「構造化する構造としてのハビトゥス」の反省的再構築の可能性をもつことを示唆した。

  • ――文化資本指標・受験界・教育的地位志向――
    荒牧 草平
    2022 年 110 巻 p. 47-67
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     日本社会における学歴の世代間再生産を分析するツールとして,ブルデューの「文化資本」概念に着目することの意義を,計量研究の立場から批判的に検討した。初めに,大前ほか(2015)による包括的レビューを参考にしつつ,日本のデータを用いた先行研究の知見を,世代間再生産における文化資本指標の媒介効果の検討という枠組を用いて整理した。また,各研究の用いた方法にも焦点をあてて,それらの妥当性を検討した。次に,ブルデューの意図をとらえるには,多重対応分析(MCA)を用いた社会空間アプローチを採用する必要があることを指摘し,『2013年教育・社会階層・社会移動全国調査』(ESSM2013)のデータを用いて,MCAを適用した独自の分析を行った。主な知見は以下の通りであった。1)子ども時代の文化的経験,中学受験,高校時代の塾通い,中等後教育への進学等は,親の資本総量(MCAの1軸)に強く規定される。2)各学歴段階における学校種の選択は,特に男性の場合,資本総量よりも本人の学力や学習態度および親の教育的地位志向(MCAの2軸)と強く関連する。3)女性の進路分化は,男性の場合よりも資本総量に強く依存する。4)文化資本の分布は経済資本の分布と密接に結びついているため,文化資本の相続は経済資本の相続とも密接に結びついていると考えられる。以上より,これまでの日本社会において,文化資本が経済資本と独立して学歴の世代間再生産を主導してきたとは言えない。

  • 知念 渉
    2022 年 110 巻 p. 69-89
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿は,フランスの社会学者P. ブルデューが被支配層をどのように捉えていたのかを明らかにし,その視点を日本社会に対してどのように応用できるかを探るものである。
     そこでまず,ブルデューの著作から彼が庶民階級や民衆をどのように捉えているのかを確認した。ブルデューによれば,庶民階級の言動を安易に「抵抗」を捉えようとする知識人は一種のポピュリズムに陥ってしまっている。社会学者の役割は,そのように安易に人々の言動を称揚することではなく,被支配層が置かれた人々の社会的条件を明らかにすること,そして,そうした条件にあるからこそ生じている声として理解できるように,人々の声を読み手に伝えることだとブルデューは主張する。
     このような被支配層の捉え方をふまえるならば,ブルデューの研究を被支配層に応用していく際に重要なのは,次の3点である。第一に,現代日本において,支配-被支配関係がどのように成立しているのかを探ることである。これは現代日本の編成原理が何かを明らかにすることでもある。第二に,そうした日本社会の編成原理の維持・変容に教育界がどのように関わっているのかを明らかにすることである。第三に,そうした社会的条件をふまえたうえで,私領域に閉じ込められがちな被支配層の声を言語化していくことが求められる。このような観点から,日本および英語圏における研究を整理して,現在の到達点と課題を明らかにした。

  • 磯 直樹
    2022 年 110 巻 p. 91-113
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     ブルデューの文化資本は,支配と不平等に文化がどのように関わるかを分析するための概念である。本稿では,この概念に焦点を当てつつ,ブルデューが「階級」を支配と不平等にどのように関わらせて概念化したのかを考察する。さらに,他の社会学者によって,ブルデュー派階級分析と呼びうる理論と方法がどのように展開されてきたかを論じる。
     ブルデューの階級分析で軸になる概念は「社会空間」である。これは階級構造に意味が近いが,ブルデューによれば「社会階級」なるものは実在しない。「実在するのは社会空間であり,差異の空間であって,そこでは諸階級が潜在的状態で,点線で,つまりひとつの所与としてではなく,これから作るべき何かとして実在する」という。階級分析を行いつつも「社会階級」の実在を否定するという,この一見分かりにくい論理構造によってブルデューの「階級」分析は構成されている。社会空間における行為者の客観的位置は,資本の種類と多寡によって決まる。複数の行為者の位置が同じでも,各々のハビトゥスの違いによって思考や行為は異なってくる。ハビトゥスは複数の性向の体系として,新たに実践を産み出していく。
     ブルデュー派階級分析は,ブルデュー以外の社会学者と統計学者によって展開されてきた。フランスの幾何学的データ分析の発展がブルデュー社会学と合流し,フランスだけでなく,ノルウェーやイギリスにおいてブルデュー派計量分析と呼べるものが21世紀に入ってから体系化されていった。ブルデュー派階級分析は質的方法も採り入れ,支配と不平等の社会学として発展を続けている。

  • ――『文化・階級・卓越化』を踏まえた計量分析――
    相澤 真一, 堀 兼大朗
    2022 年 110 巻 p. 115-136
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では,ブルデューの『ディスタンクシオン』およびイギリスにおけるその実証的展開である『文化・階級・卓越化』から示唆を得て,日本社会において同様の問いを検討し,いかなる文化資本を見いだすことが可能なのかを計量的に検討する。ただし,本来,このような問いを明らかにすることのできる調査データは存在しないため,現在,広く入手可能なデータでどこまでこのような問いに接近可能なのかについて検討する。
     本稿では,文化的変数あるいは生活様式にかかわる変数を投入した対応分析を行う。『文化・階級・卓越化』に則り,対応分析には,文化的活動あるいはライフスタイルにかかわる変数をアクティブ変数として投入する。具体的な分析手順としては,第1に,文化的活動あるいはライフスタイルにかかわる変数のいずれかのみを投入する。第2に,その両者を投入する。このそれぞれの分析結果に追加変数として,社会階層の分析でよく用いられる変数をプロットし,両者の関係を検討する。分析には,2015年「社会階層と社会移動全国調査」(以下,SSM2015)と東大社研パネル調査(以下,JLPS)の一部のWaveを用いる。
     結果として,文化的活動への関与の有無と資本の総量は相関していることが示唆される。特にクラシック音楽や美術への関与と社会階層変数との重なりが大きい一方で,第二軸の分散は主に年齢と関連していることが明らかになった。

  • ――文化的雑食性は新しい形態の卓越化か――
    片岡 栄美
    2022 年 110 巻 p. 137-166
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     文化的雑食性は,リチャード・ピーターソンの論文が出て以降,文化実践やテイストと社会的地位の関係を論じる社会学的議論の中心となってきた。本稿は文化的雑食性に関する近年の研究から文化的オムニボア(雑食)のテイストとハビトゥスの諸傾向を整理して,7つの特徴にまとめた。それらは(1)テイストの幅広さと多様性,(2)消費の貪欲性,(3)多様性への開放性と民主性,文化的・政治的寛容性,(4)ジャンルを問わない識別力,(5)特殊なものの選択と識別,(6)新しい美学的感性,(7)文化的ヒエラルキーの改変・創造である。これらの文化的雑食性の特徴は一貫した単一ハビトゥスではなく,相互に矛盾する論点もある。文化的オムニボアには美的感性や文化資本,象徴的排除の感覚,文化的ヒエラルキーへの無関心の点で異なる,少なくとも3つのタイプがある。問題は,文化的雑食性が新しい卓越化の形態なのかであり,この問への答えはまだ未確定だが,文化的雑食性は高い教育水準や知的柔軟性,再帰的ハビトゥス,道徳的基準との関連を示し,卓越化の新しい形態と考えられる。また日本の1995年と2019年の2時点の全国調査を用いて,文化活動パターンを比較した結果,この24年間で高学歴化が進行したにもかかわらず,ハイブラウ,文化的オムニボア,ロウブラウ,非活動層の構成比率に大きな変化はなく安定していることがわかった。ハイブラウなスノッブの比率は少なく,約60%が文化的オムニボアである。そしてオムニボアの人々は他のタイプに比べて,社会的地位や学歴は有意に高い。文化的オムニボアは卓越化したテイストと文化資本を持っているが,教育水準が上昇したにもかかわらず文化消費の構造が変化しなかったことから,日本の学校教育がテイストに与える効果は小さく,卓越化したテイストや文化資本は主として家庭を通じて再生産されていると考えられる。

論稿
  • ――「グローバル人材」の再生産戦略に着目して――
    太田 知彩
    2022 年 110 巻 p. 169-189
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,P. Bourdieuの文化的再生産論の視点から,「グローバル人材」の留学動機と地位達成との関連を明らかにすることである。
     労働市場のグローバル化に伴い,東・東南アジアの国々では留学を通じた高階層家庭の再生産戦略のトランスナショナル化が指摘されている。日本でもグローバル人材政策を背景に,留学がキャリア形成において重要視されるようになっている。しかし,日本において現出しつつある「グローバル人材」の留学を,出身階層や地位達成という視点から検討した研究は存在しない。
     そこで本稿では38名の「グローバル人材」にインタビュー調査を実施し,以下の三点を明らかにした。第一に,「グローバル人材」の多くは社会経済的に恵まれた家庭環境にあり,家庭あるいは選抜的な学校への入学を経由しグローバル文化資本を獲得していた。第二に,留学を「普通の人」からの卓越化の手段として位置づけるものもいるが,多くは美的性向に基礎づけられた表出的な動機を強調し,留学が地位達成に影響しうることを認識しながらも,それらを動機として語るわけではない。第三に,自身の留学が自己実現に基づくものであると語ることで,意識的にせよ無意識的にせよ,地位達成の手段として留学する人からの卓越化をはかっていることを確認した。
     以上の知見を踏まえ,近年のグローバル人材政策によって,留学をめぐる階層格差や地位達成における不平等が拡大している可能性を指摘した。

  • 保田 直美
    2022 年 110 巻 p. 191-211
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     現在,学校に専門職を常勤で配置し,明確な業務の分担を行うことで,教員役割を限定し,その負担を軽減することが,「働き方改革」答申などで目指されている。これはメンバーシップ型の雇用慣行の学校に,ジョブ型のそれを持ち込むものであり,教職に関する研究でも,多職種協働がこれまでの包括的な教員役割を限定することが懸念されている。しかし,専門職論では,実際の職場では分業があいまいになり,職種間の役割が重複しやすいことも指摘されている。
     常勤での多職種協働は,実際に,役割の限定化を介して仕事の負担感を減らすのだろうか。中学校へのSC・SSWなどの常勤配置を進めているF市で,教員を対象に行った質問紙調査のデータを用いて,SEM(構造方程式モデリング)で検討した。その結果,協働の頻度が高まると専門職の配置により仕事に余裕ができると思うようになるが,それは役割の限定化の意識には媒介されないことが明らかとなった。
     ではなぜ,協働の頻度が高まると仕事の負担感が減るのだろうか。メンバーシップの意識を考慮に入れたモデルを検討したところ,教員が他職種にメンバーシップの意識を抱くこと,そして,メンバーシップの意識が他職種に自由裁量の余地を与えることが,両者を媒介していた。
     以上から,常勤での多職種協働においては,教員役割の限定化よりも職種間での役割重複が生じている可能性が高く,従来の教員役割の包括性は損なわれにくいと考えられた。

  • ――低進学率地域の高校におけるリソースの制約と傾斜配分――
    田垣内 義浩
    2022 年 110 巻 p. 213-235
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿は,地方県の非都市部の高校からの大学進学を十分に検討してこなかったトラッキング研究の課題を踏まえ,非都市部の高校でみられる高校「内」トラック編成とリソース配分から大学進学率の低さが許容されるメカニズムの一端を明らかにした。非都市部には高校数が少なく,高校内に多様な学力層が包含される。そのため,事例校のX 高校は学科・コースを並置(=高校「内」トラック)することで多様性に対応していた。
     分析結果は,次の通りである。まず,非都市部の高校「内」トラックでは,学習・進学意欲におけるトラック間の差異が「分断」といえるほど明瞭になっていた。「分断」が生じてしまう内部メカニズムを検討した結果,以下の3 点が明らかになった。第一に,若手に偏った教員構成など非都市部特有のリソースの制約が存在していた。第二に,高校再編の危機もあり,学力トップ層を特進コースにまとめ稀少なリソースを集中投入することで,地域からのエリートキャリアルート確保に腐心していた。第三に,その反面,大学進学率を左右するボリューム層に対する手厚い指導が困難となっていた。
     地方県の非都市部の高校では,リソースの限界から「平均的な大学進学機会」を開く選択肢をあえて振り切って,一部の「国公立大学への進学ルート」確保に焦点化せざるをえない固有の事情があるのであり,地方県内部の多様性を捉えなければ,地方からの大学進学の実態を捉え損ねてしまうだろう。

  • ――標準的ライフコースから離反するバンドマンの経験に着目して――
    野村 駿
    2022 年 110 巻 p. 237-258
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,「音楽で成功する」といった夢を掲げて活動するロック系バンドのミュージシャン(以下,バンドマン)を事例に,標準的ライフコースから積極的に離反する若者の経験を明らかにすることである。
     学卒後すぐに正規就職し,適齢期での結婚を経て,自らの家庭を築くという標準的ライフコースの規範は,ジェンダーによる差異を伴いながら現在でも多くの若者を捉えている。本稿では,その規範から積極的に離反して,自らの将来の夢を軸に夢追いライフコースを形成するバンドマンの実態を明らかにする。得られた知見は次の2点である。
     第1に,彼らは標準的ライフコース規範を批判しつつも,それが「普遍的」で「一般的」な生き方であることを認めていた。ゆえに,その多くが夢追いアスピレーションを反動的に加熱させて,夢を追い続けていた。しかし第2に,夢追いへと邁進することが身体的・精神的問題を引き起こして夢が追えなくなったり,年齢を重ねて将来への不安が増大し,標準的ライフコースの規範に抗えなくなって夢を諦めたりする者が確認された。
     以上の知見は,後期近代の要請に従って自らの人生を形成し続けることの困難性を示している。また,標準的ライフコースの規範は,それから離反しようとする若者にとっては抑圧的に作用するが,翻って夢を諦めた後には,セカンドキャリアの重要な選択肢の1つとなる点で両義的な性質を有しているといえる。

  • ――1970年代における学校批判言説の再評価――
    香川 七海
    2022 年 110 巻 p. 259-281
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では,1970年代の遠山啓による学校批判言説の検討を通して,同時代の彼の所論の性格を明らかにした。
     遠山の学校批判は,受験競争の激化と教育政策における能力主義を背景としつつ,テストの得点をもとにした競争原理と,競争の結果を一元的に配列し,優劣を決定する序列主義への批判によって構成されたものであった。このとき,教育政策のみならず,教師に内面化された能力主義も批判の対象となっていた。なお,遠山は学校批判とともに,それを克服する方途も同時に構想していた。そして,教師に示された方途は,ほとんどが教師個人で対応することが可能なものであった。これは,彼が教師の意識の変革を重視していたことと,受験競争や能力主義など,「現在の体制」下でも,したたかさを持ち,現状を打開する可能性を模索していたことによる。総じて,彼の所論は教師を一方的に指弾する論調にはなかった。もちろん,一部には教師への諫言も存在はしたが,全体を通してみると,明らかに穏当な論調の学校批判であった。
     学校批判に関する先行研究や概説書では,1970年代の学校批判において,「学校・教師バッシング」の峻別は曖昧であった。しかし,実態として,当時は,論者や所論の掲載媒体によって,複数性のある学校批判が展開されていた。遠山の所論もそのひとつであった。

  • ――全国学力・学習状況調査における小学6年児童・学校・都道府県のマルチレベルデータから――
    中西 啓喜
    2022 年 110 巻 p. 283-303
    発行日: 2022/07/30
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー

     義務教育標準法が改正され,学級規模縮小に関する議論が活発だが,学級規模縮小は人件費等の財政支出の増加を伴う。しかし,財源は有限であるため,何にどの程度の財源を投入すれば,どれほどの成果が得られるかのエビデンスを示すこともまた重要である。こうした財政支出の正当性に関する意思決定は,衡平性(equity)と適切性(adequacy)の2つの原理からの検討を要する。本稿では,平成29年度に実施された全国学力・学習状況調査の個票データに都道府県ごとの教育費データをマージした小学6年児童・学校・都道府県の3レベル階層的データを分析し,学級規模が学力に及ぼす効果を検討した。
     得られた知見は次の通りである。第一に,3レベル階層的データにおいて,都道府県ごとでの学力の分散割合は1%未満であり,学校間での学力の分散割合は約7%以下であった。第二に,都道府県の児童1人あたり教育費と学力には正の相関が見られた。第三に,20人未満の小規模学級では学力が高く,第四に,算数においてのみ20人未満学級では学力格差を是正するという知見が得られた。
     本稿の分析結果より,小規模学級編制への財政支出への適切性は検証されたものの,財政支出を調整することで劇的に学力が向上することを期待することが難しいことも明らかにされた。教育費支出の議論は,支出の重要性を前提としつつ,小規模学級編制を含む他の支出の効率的運用の検討を要するのかもしれない。

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