地理空間
Online ISSN : 2433-4715
Print ISSN : 1882-9872
4 巻 , 1 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 平岡 昭利
    2011 年 4 巻 1 号 p. 1-17
    発行日: 2011年
    公開日: 2018/04/11
    ジャーナル オープンアクセス
     明治期,一獲千金をもくろみ,羽毛を獲得するためアホウドリなどの鳥類を追った日本人の行動は,太平洋の島々へと拡大していったが,本研究は南シナ海の東沙(プラタス)島への日本人の進出を考察したものである。東沙島へは1901 年にアホウドリを求めて玉置半右衛門や水谷新六が探検を行ったが,同島にはアホウドリは生息せず,玉置はすぐに断念し,水谷は目的をカツオドリに代えて進出したが失敗した。次に進出した西澤吉治は,当初,鳥類の捕獲を企図したが,鳥糞(グアノ)・リン鉱採取も視野に入れ,大量の労働者を導入した。無人島が一躍,企業(会社)島「西澤島」に変貌し,無人島進出の行為目的が鳥類から鳥糞・リン鉱採取に変わるのである。また,西澤の事業着手後,領土問題化した西澤島事件は,対日ボイコット運動などの中国のナショナリズムの高揚のなかで起こったもので,日本政府はこれらの運動により大きな痛手を受けており,本研究では,同事件について,日本が西澤島を清国領として認め,清国が西澤の資産を買収することで決着したことにも言及した。
  • 仁平 尊明
    2011 年 4 巻 1 号 p. 18-42
    発行日: 2011年
    公開日: 2018/04/11
    ジャーナル オープンアクセス
     本研究は,ブラジル・マットグロッソドスル州の南パンタナールを対象として,農家民宿(ファゼンダポウザーダ),ホテル,釣り宿などの宿泊施設の経営を分析することから,パンタナールにおいて観光業が発展するための課題を解明する。その際,エコツーリズム発展の地域的差異に着目した。すなわち,エコツーリズムを提供する宿泊施設が集中するエストラーダパルケ(公園道路)沿線を「核心地域」,主要都市から離れた奥地であるニェコランディアを「核心周辺地域」,州境・国境地帯を含む遠隔地のパイアグアスを「外縁地域」に区分した。考察の結果,地域的に偏った観光業の発展,環境保護と観光業発展のアンバランス,多様な観光客への対応力,人の激しい流動性,パンタナール周辺地域との連携の低さなどの点で課題が指摘された。今後,内発的で持続的な観光業の発展を提案していくためには,湿原内外の資源を活用しながら,それぞれの地域性を十分に考慮した計画が必要である。
  • 深瀬 浩三
    2011 年 4 巻 1 号 p. 43-55
    発行日: 2011年
    公開日: 2018/04/11
    ジャーナル オープンアクセス
     本論文は,不耕作農地の増加を背景として,農業・農村を活性化するために導入された観光農業について,埼玉県美里町を事例に考察した。美里町では,1999 年度から2003 年度にかけて町や県の補助事業を積極的に活用して,荒廃桑園などの不耕作農地を中心に,ブルーベリーやプルーン,ウメ,アンズ約70ha が植栽された。果実は主に観光農園や美里町農産物直売所により直接販売されるほか,農協による市場出荷や業者への契約販売も行われている。ブルーベリーを中心に果実の販売は拡大している。観光農園の多くは,経営主の定年退職をきっかけに開設され,60 歳以上の2 ~ 3 人の家族労働で経営されている。美里町は東京大都市圏近郊に位置し,関越自動車道の花園インターチェンジと本庄児玉インターチェンジに挟まれている直接的な好条件に恵まれるため,埼玉県内の市街地から家族連れが訪れたり,東京を起点とした観光バスツアーの日帰り客が増加している。このように,美里町の観光農業は行政主導によって基盤が整備され,ブルーベリー観光農園を中心に発展してきた。常連客や観光業者の存在によって支えられている点に特徴がある。今後は再び不耕作農地が発生しないシステムを形成することが課題である。
  • 齋藤 譲司, 市川 康夫, 山下 清海
    2011 年 4 巻 1 号 p. 56-69
    発行日: 2011年
    公開日: 2018/04/11
    ジャーナル オープンアクセス
     本稿では横浜における外国人居留地と横浜中華街の変容について報告する。横浜は開港から150 年間が経過した。その歴史を鑑みると,外国人居留地の建設に始まり,関東大震災や戦災,港湾機能の強化,華人の集住による中華街の形成など地域が目まぐるしく変化してきた。本稿では横浜開港の経緯について述べた後,外国人居留地の状況と変容,外国人向けの商店施設が集積した元町,最後に居留地の中で華人が集住して形成された横浜中華街について報告する。150 年の歴史の中で横浜の景観は大きく変容し,開港当時の景観や外国人居留地の様子を窺い知ることは難しい。しかし,19 世紀に描かれた絵地図と照らし合わせることで現在の景観と比較することが可能であった。近年では,「歴史を活かしたまちづくり」や「中華街街づくり協議会」が発足し,横浜の外国人居留地は新たな段階に進んでいる。
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