日本地理学会発表要旨集
2005年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の276件中101~150を表示しています
  • 大阪府吹田市を事例として
    桐村 喬
    p. 101
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    I はじめに
     近年,少子化や人口の空洞化などにより,公立小学校の児童数が減少している地域が存在するが,それと同時にマンション開発や大規模な宅地造成により,児童数が大幅に増加する地域もみられる.このような,相反する状況を抱える自治体では,適正な学校運営のために,一定数以上の児童数の確保や財政の効率化などを目的として,通学区域の再編や,学校統廃合の議論がなされている(葉養1998).
     通学区域の設定に関する研究は,地理学や都市計画などの分野でなされてきており(及川1986,富永・貞広2003ほか),通学区域設定のモデルは相当程度整備されてきているといえよう.しかし,モデルの適用に際して,設定の基準となる空間単位として,メッシュが用いられてきたため,提示された設定案の多くは,現実的なものではなかった.日本では,通学区域を構成する空間単位は,自然的,社会的なまとまりによって構成されるものが多い(葉養1998)ため,これらを考慮しながらモデルの設定や適用を行なう必要があろう.
     本研究では,通学区域の構成単位や設定条件について検討したうえで,小学校通学区域設定の遺伝的アルゴリズムを用いた最適化モデルを提示する.そして,公立小学校児童の空間的分布の変化により,通学区域の再編が検討されている,大阪府吹田市を事例に,現行の通学区域と,モデル適用の結果を比較する.また,モデルの最適化に際して,通学区域設定に適応させたGAによる手法と,従来の区域設定手法との比較を行ない,GAによる手法の有効性を検討する.
    II モデルの定式化
     モデルは,総通学距離の最小化を行なうものとし,児童数による適正規模と最大通学距離の制約条件を設ける.そして,通学区域の連続性を保つことと,公共施設との関連を維持するという制約条件を,モデルに加えた.また,長期的に通学区域を維持するため,モデルに時間軸をとり入れた.
     区割り設定に用いられる手法は,一般には,整数計画法が用いられるが,最近では,GAやAZP(Openshaw1977),Bação and Painho(2002)による方法(以下,PAGA)などの探索的な手法も用いられつつある.これらの方法のうち,厳密解を導出できるのは整数計画法のみであるが,大きな問題になると非常に時間がかかる.ここでは,区割り設定問題に適応させたGA(Emphasizing Continuity GA:ECGA)を提案し,それにより近似解を求めることとする.
     GAは,選択淘汰や突然変異といった生物が進化する際の過程に着想を得たアルゴリズムである(北野1993).ECGAは,通常のGAに,隣接関係をもとに突然変異を起こす方法を取り入れたものである.この方法は,区割りと区割りの境界に位置する地域ほど,突然変異を起こしやすくしたものである.
    III モデルの適用と評価
     モデルの適用対象となる地域は,大阪府吹田市である.適用時点は,2004年を基準として,2010年までの7年間とした.また,設定の基準とする空間単位(以下,基準地域)は,町丁を基本として,鉄道や主要道路,従来の通学区域によって,町丁を分割したものを採用した.通学距離には,各基準地域の重心点から,各小学校までの道路距離を算出して用いた.
     まず,AZP,PAGA,ECGAについて,通学区域設定問題に対する性能を検証した.この結果,AZPとECGAのみが解を導出し,AZPは計算時間が短いものの,総通学距離の最小化という点では,ECGAのほうがよい値を示した.
     次に,ECGAを用いて,いくつかのパターンについて,通学区域設定案を算出した.1つは,実際に予定されている統廃合の実施後の状態で,全域の通学区域について案を算出した.もう1つは,現実的な設定案として,大規模校と小規模校について,1校ずつ,周辺校を含めた設定案を示した.これらの案の多くでは,適正規模を保ちながらも,平均通学距離を減少させることができたが,小規模校を対象としたものでは,平均通学距離の大幅な増加となってしまうものもあった.
    IV おわりに
     本研究により,ECGAは,従来の区割り問題に対する解法よりも,より有効に動作することがわかった.また,町丁を基準としたもので設定したことで,現行のものとの比較が可能となったほか,個々の学校を対象として,モデルの適用を行なうことで,現実的な通学区域の最適化案を示すことができた.
     今後は,ECGAによる解の安定化を図ることが必要であろう.また,設定案について,児童の安全や地域社会のまとまりに関する評価ができれば,より現実的な案を示すことができよう.
  • 平野 勇二郎
    p. 102
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに 都市域では地表面被覆の大部分を人工構造物が占めるため,植生は重要な構成要素である。本稿では,衛星リモートセンシングの一般的な植生指標であるNDVIの都市域における性質とその利用可能性・有用性について,著者らの検討事例を紹介する。2.都市域におけるNDVIの季節変化パターン 都市域は多種の地表面被覆が混在しているので,NDVIは植生に限らず様々な要因の影響を受けている。このため都市域ではNDVIを用いるにあたり,その性質をできる限り把握しておく必要がある。図1に衛星データ(JERS-1)による土地利用別のNDVIの季節変化を示す。これらのデータを可視_-_近赤外座標上にプロットし,この座標上のNDVIの等値線(以下,等NDVI線と呼ぶ)との位置関係から,NDVIの季節変化パターンについて考察を行った(平野, 2001)。等NDVI線は原点を中心とした放射状の直線となる。様々な土地被覆カテゴリーの分光反射特性とNDVIの関係について解釈するためには,この等NDVI線の上にデータがどう分布しているかという観点から考察すると分かりやすい。図2に示した通り,例えば「樹林地」や「荒地」(図省略)などはいずれも等NDVI線を横切る方向にほぼ直線的に変動する。植生が少ない「市街地」や「水面」はほとんど変化しない。「田」は春から夏にかけて水面が混在するため環状の分布となるなどの特徴がある。3.都市域におけるNDVIと緑被率の関係 都市域では植生の有無が明確であるため,緑被率は主要なNDVIの変動要因である。NDVIと緑被率の関係を,緑被・非緑被カテゴリーの線形混合モデルに基づき分析した(平野ほか, 2002)。線形混合モデルとは,各画素の反射率は画素内の被覆カテゴリーの反射率の面積加重平均により表現されるというモデルである。画素内の緑被・非緑被部分をそれぞれ単一の被覆カテゴリーと仮定すれば(例えば「植生」と「土壌」など),NDVIと緑被率の関係式は次のような簡単な式で表現できる。 (1) αは緑被率,a,b,c,dは緑被・非緑被の各カテゴリーの反射率から得られる定数である。この式に基づき,各カテゴリーの反射率をJERS-1のデータから抽出してNDVIと緑被率の関係を示した(図3)。「市街地」,「住宅」などは,平均化された都市域の非緑被のカテゴリーである。図3において画素内の非緑被部分が「市街地」の場合にとくに直線的であることから,NDVIは都市域において緑被率との線形性が強いことが理解できる。また「水面」が混在した場合にはNDVIは高くなりやすく,より非線形になる。4.応用事例:都市気候シミュレーションへの適用 都市域の植生によるヒートアイランド現象の緩和作用は,都市気候の実態把握・解明を行う上で重要な要素である。しかし従来の都市気候シミュレーションの多くは土地利用データを用いて気象モデルの地表面の設定を行っているため,土地利用データでは把握できない宅地内の植木や道路用地の街路樹などの効果を表現できない。そこでNDVIから得た緑被率データを局地気象モデルへ組み込み,現状の植生分布を反映した都市気候シミュレーションを行った(平野ほか, 2004; Hirano et al., 2004)。この結果,緑被率データ適用により現状再現性が向上していることが確認された。この現状の緑被率データによるシミュレーション結果と,植生が存在しない場合を想定したシミュレーション結果とを比較し,植生により夏季・日中には約1.5 ℃のヒートアイランド緩和効果が生じているという結果を得た。5.今後の課題と展望 都市域における植生リモートセンシングの活用事例はむしろ都市計画・都市防災などの工学分野で多いようであるが,その多くがケーススタディーである。人為的な影響による環境変化が著しい都市域においては,環境変化を把握・分析する手段としてのリモートセンシングの有用性は言うまでもない。今後はさらに体系的・継続的な研究が必要であると考えている。文献平野勇二郎 2001 日本建築学会計画系論文集, No.548, pp.75-82.平野勇二郎・安岡善文・柴崎亮介 2002. 日本リモートセンシング学会誌, Vol.22, No.2, pp.163-174.平野勇二郎・安岡善文・一ノ瀬俊明 2004. 環境科学会誌, Vol.17, No.5, pp.343-358. Hirano, Y., Yasuoka, Y. and Ichinose, T. 2004. Theoretical and Applied Climatology, 2004, Vol.79, pp.175-184.*日本学術振興会特別研究員
  • 村上 利之
    p. 103
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     棚田圃場は田越し灌漑による水の反復利用によって湛水が維持されている。圃場へ流入した水は,一時的に貯留されると同時に面に広がって流下するため,棚田は上位で消費された水が下位で還元される連鎖的な水文過程を形成していることが考えられる。このことから,圃場内の水の流れを捉えることは,棚田の水循環を理解するために必要である。本研究は棚田圃場内における水の貯留・流下特性を明らかにするために,2003年度の栃木県茂木町石畑棚田圃場に加え,2002年度の長野県千曲市姨捨棚田圃場における水収支測定結果を基に解析を行い,比較・検討を行った。石畑棚田上位圃場では,全般的に浸透量の割合が多くなる傾向が認められた。この大部分は畦畔への漏水による損失量であるが,実際は畦畔に多量の水分が含まれていたことや,各圃場の水位が低く維持される傾向にあったこと等から,上位圃場は比較的,透水性の高い圃場であることが推測される。しかし,下位圃場では浸透量が少ない反面,流出量が過剰に生じた。これは,上段に位置する圃場から浸透流入が多量に生じ,圃場内の水の貯留が過剰になるため,人為的に水位調節を行っていることがあげられる。また,浸透流入の値は,水が圃場内を流下すると同時に大きくなる傾向が認められた。このことから上段の圃場から連鎖的に浸透流入が生じ,各圃場の流出量を多くしていることが考えられる。一方,姨捨棚田圃場では,全般的に浸透や漏水による損失が非常に少なかった。この理由として,各圃場の透水性が小さい上に,常時の水管理において漏水防止に努めていることがあげられる。しかし,最下段の圃場では,上段の圃場で浸透した水が集中的に流入するため,水路への流出量が多くなった。タンクモデルによる計算結果から,上位圃場では流入した水のほぼ全量が流下する間に消費されるため,水路への流出が皆無に等しい結果となった。しかし,最下段の圃場は上段の圃場や水路から漏水流入が生じるため,湛水が維持されている状態にあった。このことから,上位圃場へ流入した水は,畦畔内に一時的に貯留された後,下段の圃場や水路へ徐々に還元されて流下していると推測される。下位圃場へ流入した水は圃場内で消費されず,そのまま流下している。各圃場における実測値から,浸透量の大半が流入側の値をとり,圃場内における消費がほとんど無い状態であった。よって,下位圃場では上位圃場と逆に,上段の圃場から常に水が還元され,これらの水量の大部分は流入量とともに,残水として圃場を通過して水路へ流出すると考えられる。一方,姨捨棚田圃場は,石畑棚田の下位圃場と同様の水の流下を示している。これは,圃場内で消費される水量が少ないことに加え,最下段の圃場において上段の圃場の残水や浸透水が集中し,流出量を多くしていることがあげられる。しかし,実際は圃場の湛水状態に応じて取・断水操作が行われていることから,水路への流出量の値は石畑棚田圃場に比較して少ないといえる。したがって,今回の解析結果から,棚田圃場内の水の貯留・流下特性は,圃場の位置関係によって異なるが,連鎖的に生じる畦畔浸透や漏水に大きく影響されることが明らかになった。
  • 中村 有吾
    p. 104
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     1. はじめに
     有珠山は1663年以来,22_-_70年の活動休止期を挟んで,歴史時代に9回の噴火をおこなった。なかでも,1663年の噴火は,プリニアン噴火による降下軽石(有珠bテフラ:Us-b)および水蒸気マグマ噴火によるベースサージ,降下火山灰など多量のテフラを噴出した大規模な火山活動であった。これまで筆者ら(中村ほか,2002;Nakamura et al., 2003)は,テフラの層序および岩石学的特徴から,1663年噴火の推移を考察してきた。しかし,肉眼での露頭観察では,噴出物の堆積構造の記載に限界があり,当時の噴火様式の正確な復原には到っていない。そこで本研究では,有珠山1663年噴出物模式露頭のはぎとり試料の作成,および,それにもとづく堆積物の詳細スケッチを2004年秋に試みた。その概要をここに示す。

     2. 方法
     はぎとり試料の作成は,有珠山1663年噴出物の全ユニットが観察できる伊達市西関内町の露頭(図1,現在の有珠山頂(大有珠)から東南東に約 5 km)でおこなった。はぎとったのは,Unit-A下部,Unit-C,Unit-E,Unit-F,Unit-G下_から_中部から,特徴的な堆積構造を示す,それぞれ 40×30 cm 前後の領域である。はぎとりには,水反応性グラウト剤(OH-1A,東邦化学工業(株)製)を使用した。

     3. 有珠山1663年噴火の概要
     (1)有珠山1663年噴出物(Us-1663)は,岩相により7つのユニット(Unit-AからUnit-G)に区分できる。(2)Unit-Aはベースサージをともなうマグマ水蒸気噴火,Unit-Bはプリニアン噴火,Unit-CからUnit-Gはマグマ水蒸気噴火を中心とした火山活動により生成した。(3)Unit-Bのプリニアン噴出物(Us-b)は,有珠山東方200 kmの十勝平野南部まで分布する。また,水蒸気マグマ噴出物の一部(おそらくUnit-G)は,有珠山の東方100 km付近まで到達している。(4)噴火は,1663年8月16日から20日間ほどつづいた。(5)プリニアン噴出物と水蒸気マグマ噴出物では岩石学的特徴が異なる。(6)有珠山1663年噴火には化学組成の異なる複数のマグマが関わった。

     4. はぎとり試料による堆積構造の記載
     はぎとり試料の観察によって明らかになった堆積構造は以下のとおり:(1)平行葉理(Unit-CおよびG),(2)ハンモック状斜交葉理(Unit-A,-E,-F下部),(3)非対称小規模リップル(Unit-F中部),(4)火山豆石(Unit-C,-F,-G)。
     以上より,Unit-A下部,Unit-E,Unit-F下部は,火砕サージ堆積物であることを示す。また,Unit-Fにみられるリップルは,サージ堆積物表面に形成された風紋と考えられる。顕著な平行葉理を示すUnit-CおよびGは,降下テフラと考えてよいだろう。Unit-FおよびGは火山豆石に富んでおり,非常に水分の多いマグマ水蒸気噴火であることを示唆する。Unit-F下部は低温サージであろう。
  • 澤柿 教伸, 松岡 直子, 岩崎 正吾, 平川 一臣
    p. 105
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
     日高山脈の七ッ沼カール底直下には,氷成堆積物が厚く分布し,恵庭a降下テフラ(En-a)が確認され,上部は最終氷期トッタベツ亜氷期のアウトウォッシュ堆積物,下部はポロシリ亜氷期のグランドモレーンとされていた(小野・平川,1975)一方,トッタベツ谷においては,ポロシリ亜氷期の氷河底ティルの存在が確認され,その下位の堆積物は融氷河流によるものと解釈された(岩崎ほか,2000b,2002).しかし,これらの融氷河流堆積物の成因や形成時期は明らかにされていない.
     堆積物の層相および堆積構造は,水流や流送物質の移動形態・様式と密接に関わっている.氷河作用が及ぶ範囲において,その堆積物の特徴を観察すれば,堆積物が形成されたときの水流や氷河の融解状況を推定することができる.そこで本研究では,日高山脈の氷成堆積物中に残された堆積構造を詳細に記載して,それらを形成した水流や物質運搬のプロセスについて検討し,氷河末端付近における堆積環境を復元することを目的とする.
    2.研究方法
     本研究では,七ッ沼カールおよびトッタベツ谷において,円磨度,淘汰度,粒径などの礫の特徴の記載を含めた露頭スケールの構造を記載するとともに,OH-1Aを用いた地層の剥ぎ取り標本の採取を行った.この手法を用いれば,未固結堆積物でもその粒子配列などの微細堆積構造の観察が可能となる.また室内で剥ぎ取り標本を用いて数mm_から_数cmオーダーで堆積物の層相と堆積構造を記載した.基質部や層理を構成する細粒物質については粒度分析を行った.
    3.結果と考察
     七ッ沼カール底直下では,氷成堆積物の全層準にEn-aが混入しているのを確認した.これによって,ポロシリ亜氷期のグランドモレーンとされてきた堆積物の存在は否定され,堆積物はすべてトッタベツ亜氷期に形成されたことが明らかになった.また,堆積物は氷河上へのEn-aの降下,被覆によって氷河の融解が促進され,融氷河流によって形成されたと解釈した. トッタベツ谷の堆積物については,泥やシルトの細粒物と砂とが分級して数層も堆積し,初生堆積構造が保存されており,準同時性の堆積構造である脱水構造や浸食構造を示すことが明らかとなった.このような構造は,融氷河流によって形成された堆積時,もしくは堆積直後の堆積構造を保存していると考えられ,氷河底でのひきずりによって生じたものではない.さらに初生堆積構造の保存は,静水状態が長い間保たれていたことを意味する.したがって,氷河が衰退していく過程で生じた融氷河流が,砂礫や氷塊を流出させ,長時間かけて堆積物を形成し,この堆積物が形成されたときには,アクティブな氷舌端から解放されていたと考えられる.また,停滞氷の融解に伴って堆積物が再移動し,それによって特異な変形構造が生じたと考えられる.堆積構造には砂と細粒物の互層がさまざまな厚さで堆積しており,融氷河流は定常ではなく,細かく変動していたことが推測された.
    (引用文献)
    小野・平川 1975.ヴュルム氷期における日高山脈周辺の地形形成環境.地理学評論 48:1-26.岩崎ほか 2000b.日高山脈トッタベツ川源流域における第四紀後期の氷河作用とその編年.地理学評論 73A:498-522.
    岩崎ほか 2002.日高山脈トッタベツ谷における氷河底変形地層について.地学雑誌 111:519-530.
  • 村上 亘, 島田 和則
    p. 106
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    はじめに. 堰堤の建設に伴う土砂移動状況の変化が植生の成立・更新に影響を与えることが指摘され(崎尾・鈴木、1997)問題視されているが、その実態は十分に明らかにされてはいない。まず、堰堤建設後の土砂移動状況の変化を明らかにするとともに、新たに形成される地形面が植生の成立・更新する上でどのような場であるのかを明らかにする必要がある。 本研究では、岩手県松川村湯の沢の最上流に建設された堰堤の後背地、および雫石町東の又沢の2つ堰堤の後背地に形成される地形面について、植生の成立・更新する場が時間的・空間的にどのように変わるのかという視点から検討した。調査方法.それぞれの調査地において測量を実施し、等高線図を作成するとともに、微地形区分を行い、各地形面の面積割合を調べた。地形区分は植物の成立・更新に関する視点から過去の研究事例および現地踏査による流路との比高と地表の状況から河床域を流路、毎年冠水すると考えられる低位河床面(下)、100年スケールで見ると何度か冠水すると考えられる低位河床面(上)、100年スケールでは離水していると考えられる高位河床面に区分した(詳しくは島田他(2004)で報告)。調査地のうち、東の又沢では堰堤の下流側および堰堤の影響の小さな区間についても同様の調査を行い、堰堤からの距離による違いを比較した。また、時間的な変化を比較するために、出水によって顕著な地形変化が認められた湯の沢および東の又沢第_I_堰堤後背地では再測し、面積割合の変化を求めた。さらに、湯の沢では堰堤建設(1981年)後の1983年以降に撮影された空中写真より1m間隔の等高線図を作成し、それを基に地形変化量を求め、2001年以降の測量データとあわせて、調査区間の地形変化量の経年変化を調べた。なお、湯の沢では1983年の時点ですでに水通付近まで堆砂が進行していたことが空中写真判読から認められている。調査結果および考察. 区分した地形面に成立する植生の状況は現地踏査から、次のとおりであった。低位河床面(下):無植被、あるいは当年生の実生が散生低位河床面(上):樹木が定着し、状況によっては成林する高位河床面:大径木化した樹林が発達する 両調査地の堰堤後背地では低位河床面(上)が広く形成されることが認められた。また、出水によって地形が変化しても、出水後の地形面の大部分は低位河床面(上)に区分され、その面積割合は出水前とほとんど変化しないことも認められた(図1)。低位河床面(上)には、成長錐から堰堤建設後に侵入したと判断される樹木が成立していた。また、堰堤建設以前から生育していた樹木も場所によっては残存していた。 湯の沢での浸食・堆積の地形変化量の経年変化から調査地では1988年までは堆積傾向が顕著であるが、それ以降は期間によっては浸食傾向も見られるようになり、長期的に見ると、いわば動的平衡状態になっていると思われた。2001年からの現地踏査では、清水(2003)が厳密な意味での「満砂」の判断基準とする堰堤の下流域と後背地、より上流域の堆積物の粒径が一様であると判断されるため、1988年以降の地形変化の量的な推移は「満砂」状態となってからの特徴であると判断された。まとめ. 調査結果から堰堤の後背地に形成される地形変化および地形面の特徴は以下のとおりである。_丸1_後背地には低位河床面(上)が広く形成される。_丸2_出水に伴い地形が変化しても、新たに形成される地形面の大部分が低位河床面(上)に区分され、その面積(形成)割合は出水前とほとんど変化しない。_丸3_堰堤後背地では満砂状態になると、出水によって地形が変化しても、浸食・堆積の変化量は長期的に見ると一定である(動的平衡)。 低位河床面(上)が広く存在することから、本調査地の堰堤の後背地は渓畔樹種が生育することが可能な場であると判断される。ただし、調査地では堰堤の後背地ごとに優占して成立する渓畔樹種が異なることがこれまでの調査から認められる(村上・島田、2003)。このことは、地形面を構成する堆積物の粒径組成、水分条件、あるいは母樹となる樹木の有無などさまざまな生理的な要因によるものと考えられるが、これらは今後の検討課題である。
  • 「ローカル・ガバナンスの転換」という視点
    武者 忠彦
    p. 107
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    研究の背景衰退著しい中心市街地の再開発は,今や地方都市に共通の政策課題となっている.中央政府は,いわゆる「まちづくり3法」から近年の「都市再生基本方針」にいたるまで,地方都市再生のための多様な支援メニューを用意してきた.一方,こうした制度的環境の中で,行政や住民がどのように振る舞うべきかについては,住民参加や官民協働,Community-based Planningなどの必要性を強調した数多くの規範的議論が存在する.しかし,そこでは「あるべき住民像」の提示に重点が置かれているがゆえに,地域固有の政治的ないしは社会的状況に左右される不確実な環境下で,その時々の暫定的な認識をもとに意志決定していかざるを得ない当事者,という現実が十分に把握されていない.本研究では,自治体の首長をはじめ,行政や商工会議所の担当者,議員,商店経営者など,再開発の当事者らによる政策決定や合意形成のあり方を,「ローカル・ガバナンス」のひとつとして捉えることで,ガバナンス論の視点から再開発のメカニズムを明らかにする.このように定義されたローカル・ガバナンスは,必ずしも合理的ではなく,体系化されたものでもないが,都市政策に付随して常に形成されてくると考えられる.本研究が対象とした長野県松本市は,中心市街地の大規模な再開発を成し遂げたという点では,まちづくりの成功例と位置づけることができる.しかし,そこに立ち現れたローカル・ガバナンスは必ずしも安定的なものではなく,大店法をはじめとする制度的環境の変化,市政交代,多様化する商店経営者の戦略など,多くの不安定要因を抱えながら再開発は実現された.研究の概要松本市では,潤沢な国庫補助や国体の開催を背景に,1970年代に進められた駅周辺区画整理事業によって,商業重心が既存の商店街から駅周辺地区へとシフトした.これに危機感を抱いた商店街連盟は,商工会議所を媒介としたインフォーマルな関係によって市長や松本市商工部と連携し,再開発計画を推進したが,1980年代を通じて再開発計画は停滞することになった.この停滞は,構造的には地方移転支出の削減という財政的要因や,議会からの反対という政治的要因によって説明される.しかし,それとは異なる文脈として,再開発に消極的な経営者が商店街組織に内在する運命共同体的な行動規範によって商店街に残留したことで,区画整理事業の足かせとなったり,再開発にリーダーシップを発揮してきた経営者らの危機感が,大店法強化によって弱められたりしたことなど,商店経営者に現状維持的な戦略が波及したことも重要であった. 1990年代に入ると,大店法の緩和を契機に,松本市の再開発計画は大きな展開をみせた.かつて一部が再開発に批判的であった議会でも,社会政策的な見地から再開発を容認する意見が浸透し,さらに,開発主義を標榜する市長の誕生によって,自主財源や地方債にもとづく再開発への積極的な投資がなされた.また,中心市街地への投資を正当化するためのスローガンとして「都市間競争」が多用され,各種地域団体の動員も図られた.その一方で,商店街に隣接する大型店の影響による商店街組織の弱体化や,固定資産税の増加による個々の経営悪化を背景に,商店街からの撤退戦略が波及するなど,商店経営者の戦略は多様化し,必ずしも開発推進の枠組みとは連動していないことが明らかとなった.発表では,松本市において形成されたローカル・ガバナンスの中で,今後,住民参加や官民協働によるまちづくりを進めていく際の問題点も検討したい.
  • 鈴木 重雄
    p. 108
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
    竹林の拡大は、里山の植生変化の一つとして、竹材・タケノコ生産を目的とした植栽や、生産の放棄による管理の粗放化といった人為攪乱の影響を強く受けたものである。しかし、竹林分布の拡大を、人為攪乱の条件と地形条件、植生条件などに着目して、多面的に検討したものは少ない。そこで本研究では、首都圏有数のタケノコ生産地である千葉県大多喜町平沢集落において、全国的に竹林拡大の中心となっているモウソウチク林を中心とする竹林分布の変遷を把握し、その変遷の背景となった要因について、竹林が拡大した場所の植生条件、地形条件、人為攪乱の三つの観点から明らかにした。

    2.調査地域と方法
    房総半島中央部に位置する千葉県大多喜町は、年間300tを超えるタケノコを生産している。特に南東部の平沢集落では竹林面積が広く、タケノコ生産も、明治末期から始まっている。1980年代後半以降は、タケノコ生産が衰退しているものの、現在でも生産を継続しておこなっている林家も多数存在しており、管理がなされている竹林と放棄された竹林が混在している。
    竹林分布の変遷は、1966年、1974年、1984年、2001年の4時期に撮影された空中写真の判読と現地調査によって作成した植生図によって復元した。そして、竹林拡大の要因を、DEMから求めた斜面方位・傾斜や、尾根・道路・住宅からの距離の各データと、林家からタケノコ生産の状況や管理方法を聞き取り、これらを多面的に検討した。

    3.結果および考察
    分析の結果、平沢集落における竹林の年間拡大率は、1966年から1974年で1.086倍、1974年から1984年で1.010倍、1984年から2001年で1.023倍と拡大が続いてきた。
    落葉広葉樹林や針葉樹林といった植生であった場所で拡大面積が大きく、放棄された畑での拡大も著しかった。一方で、宅地や水田といった現在でも人手が加わりやすい場所では、竹林の拡大が抑制されていた。このように竹林周辺の土地の利用が竹林の拡大に影響を与えていた。竹林の拡大と地形条件の関係は、東向き斜面に竹林が多く存在し、東・南向き斜面で拡大速度が速かった。方位によって林家によるタケの植栽のされ方には差異は見られないことから、モウソウチクの生育が東・南向き斜面でより盛んであると考えられる。また、15°以上の傾斜地に竹林が多く存在し、30°以上の急傾斜地で拡大速度が速かった。緩傾斜地は水田や宅地に利用されることが多いことと、急傾斜の竹林ほど管理の粗放化が生じやすいことの影響を受けて、竹林分布と斜面傾斜の関係がみられたと考えられる。そして、道路から150m以上はなれた場所で竹林の拡大が進んでいた。これは、現在では道路から離れた場所では、生産従事者の高齢化や労働力の不足によって、竹林の管理が行われていないことを示しているといえる。
    竹林の拡大は、地形条件に起因するタケの生育環境と、タケノコ生産の放棄や竹林周辺の土地利用といった人為攪乱の強度の変化によって引き起こされていた。斜面方位は環境条件として竹林の拡大に作用し、傾斜度や道路からの距離といった条件は、タケノコ生産林の放棄に影響を及ぼし、集落内での竹林拡大の進み方に差異をもたらしていた。
  • 山本 俊一郎
    p. 109
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_.研究目的
     本研究は岩手県水沢鋳物産地を対象に,当該産地で生産されている伝統工芸品と産業機械部品の2側面から産地の生産流通構造を把握し,産地の存立構造を明らかにする.本研究に用いたデータは主に産業機械鋳物を生産する法人企業8社における聞き取り調査,伝統工芸品を生産する個人企業17社へのアンケート調査に基づく
    _II_.水沢鋳物工業組合加盟企業の概況
    水沢鋳物工業協同組合に加盟する全56社のうち41社が水沢江刺駅周辺の羽田地区に集積している.製造品目をみると総じて規模の大きな企業ほど産業機械鋳物生産を生産している.一方,個人企業はすべて家内工業による伝統工芸品生産に従事している.現在産地の全生産量のうち,産業機械部品,伝統工芸品の割合は7:3であり,前者は1980年から生産量を増加させていくが,伝統工芸品はバブル景気まで衰退に転じる.その後,産業機械部品は1990年をピークに減少し,伝統工芸品もバブル崩壊以降,一度は鉄器ブームにより売上を回復したが,その後は急激に衰退している.
    _III_.産業機械部品と伝統工芸品の生産流通構造
    産業機械部品生産企業における主力製品は大きく_丸1_自動車用部品,_丸2_バルブ,ポンプ部品類,_丸3_農機具用部品,_丸4_工作機械用部品の4つに分類することができる.一方,伝統工芸品生産企業では大半が鉄瓶急須を生産しており,製品種類は少なく他社と競合関係にある.
    産業機械部品生産企業における伝統工芸品から産業機械部品への転換過程には各企業それぞれ違いがみられた.また産業機械部品製品の中でも数度の転換を重ねていることが指摘できる.一方,伝統工芸品生産企業では,価格の上昇に見られる高付加価値化への対応はみられるものの製品転換をはかる企業は少ない.
    産業産業部品生産企業における主な販路は各企業異なっており競合していない.部品を納入する地域は関東方面,また岩手水沢周辺部に集中している.一方,伝統工芸品生産企業では,主に水沢市内の法人企業へ製品を納入しており,産地外業者とのつながりは希薄である.
    _IV_.産地のネットワーク形成
     当産地には組合活動を中心とした数多くの部会・研究会が存在する.各企業はこれらの会の存在を重要視しており,企業間には信頼のおける同志,親友間のとしての貴重な情報の場が形成されている.地域内の産業機械部品生産企業のつながりを示す事例として,昨年から12社が参加している「いわて鋳造鋳物研究会」の開催があげられる.月に一度材質の勉強会を中心に,製品の品質向上のために各社が意見を出し合って産地全体のレベルアップを図っている.
    _V_.弱い紐帯と強い紐帯の再構築
    産地の生産量の大部分は産業機械部品へと移り変わっている.今後,当該産地が生産量を維持していくためには,産業機械部品生産企業におけるさらなる品質管理や素材開発などの技術力の向上はもちろん,新製品の開発や営業力の強化が必要不可欠となっている.一方で,依然として伝統工芸品「南部ブランド」がもつ歴史性は,地域の観光業とのつながり,伝統技術の継承・保存の役割など,産地内外に対する無形の地域資源として重要な経営戦略となりうる.今後は,産地内の同業者,個人の強い信頼で結束した強い紐帯と,新素材・技術開発における大学研究者とのつながりや,海外市場の開拓などにともなう新たな取引先との弱い紐帯がバランスを保ちながら,「産業機械部品」と「伝統工芸品」それぞれの優位点を生かした一つの「鋳物のまち」というアイデンティティを形成していくことが重要となる.
  • 山口 泰史, 江崎 雄治, 松山 薫
    p. 110
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     山形県庄内地域では、近年、高卒者の大学進学率が上昇しているが、学卒Uターンの状況を見ると、男女とも、いわゆる有力大学進学者のUターン指向は低下しており、特に男性では、学卒Uターン率の水準は、その他の大学への進学者が支えている状況にある。また、卒業時点で職を得ていない状態でUターンを行うケースも増加傾向にある。
     雇用形態については、かつては公務員や教員が主流であったが、採用人数の減少もあって、近年では一般企業に就職する割合が増えている。また、その職種を見ると、ホワイトカラーから、かつて高卒者が多く就いていたブルーカラー職にシフトしており、いわゆる「学歴代替」が生じている。また、女子では非正規雇用も増加している。
     一方、行政やマスコミでは、1990年代頃から県内企業の合同会社説明会を開催するなど、学生の就職活動に対する支援体制の整備を進めており、採用決定に結びついた手段でも、これらの会社説明会を挙げる人の割合が増えている。しかしながら、結果として学卒Uターン率の上昇には結びついておらず、むしろ、これまで中心であった家族や知人の紹介の代替を果たしているに過ぎない状況ともいえる。
     このように、庄内地域の大卒者の学卒Uターンは、量的に頭打ちであるのに加え、就職状況等に関しても決して良好な状態にあるとはいえず、庄内地域においては、若い人材の地元定着に多くの課題が残っていると考えられる。
  • !)金沢大学文学部地理学教室の場合!)
    青木 賢人
    p. 111
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.「社会調査士」資格について社会調査士とは,日本教育社会学会・日本行動計量学会・日本社会学会が設立した「社会調査士資格認定機構」(以下,認定機構)によって認定される,社会調査の専門的能力を示す職業資格で,2004年度から資格認定が開始された新しい資格である.学部卒業レベルの資格であり,社会調査に関する基礎的な知識・技能,相応の応用力と倫理観を身につけることが要求される.なお,大学院修士課程修了レベルには,社会調査の企画設計から報告書の作成にいたる高度の実践的能力を身につけていることが要求される専門社会調査士資格が用意される.内容の詳細は認定機構のHP(http://wwwsoc.nii.ac.jp/jcbsr/)を参照されたい.資格の創設・認定は学会が主導的役割を果たしていて,今後,地理学会・学界のアクションプランを考える際にも参考になるものと思われる.具体的な創設の経緯は以下の通り.1991年,日本社会学会内で資格認定に関する検討が始まり,2001年に日本教育社会学会,日本行動計量学会が検討にオブザーバー参加,2002年に社会学会で正式に機構設置が承認された後に,2003年に認定機構設立準備会が発足,日本教育社会学会,日本行動計量学会の正式加盟を経て,2003年に認定機構が発足した.現時点で認定機構は任意団体で,法的拘束力を持つ資格ではないが,2008年度の法人認定を視野に活動を行っている.社会調査士の認定手順は以下のようになっている.各大学が「標準カリキュラム」に示される内容に準拠した科目(講義・実習・演習)を認定機構に毎年申請し,科目認定を受ける.学生は科目認定を受けた授業から「標準カリキュラム」を満たすように履修・単位取得し,大学(各大学の連絡責任者)を通じて認定機構に申請.書類審査の後,資格が交付される.すなわち,大学(実質的には教室単位)がどのような科目群を標準カリキュラム準拠の科目として認定を受けているかによって,学生の資格取得に対する難易度が変化する.なお,標準カリキュラムは次のA_から_G(E・Fはどちらか一つで可)で,準拠した授業を大学が設置,科目認定を受け,学生が履修する.科目の設置と取得によっては,三年生段階で取得見込みが得られ,就職活動時に履歴書に記載することができる.A:社会調査の基本的事項に関する科目(90分×15週)B:調査設計と実施方法に関する科目(90分×15週)C:基本的な資料とデータの分析に関する科目(90分×15週)D:社会調査に必要な統計学に関する科目(90分×15週)E:量的データ解析の方法に関する科目(90分×15週)F:質的な分析の方法に関する科目(90分×15週)G:社会調査の実習を中心とする科目(90分×30週)2004年科目認定の段階において,地理学系の授業が科目認定を受けているのは,金沢大学と九州大学のみである.2.金大・文・地理での導入の経緯金沢大学文学部史学科地理学教室において,社会調査士資格への対応が検討されたのは2003年10月であり,人間学科社会学教室からの働きかけがきっかけとなった.社会学教室からは文・法・経・教育の多くの講座への働きかけがあったが,対応したのは地理学教室と文化人類学教室であった.この3教室は,社会学・文化人類学が人間学科,地理学が史学科と学科は異なっているが,副専攻制度下で共同のコースを設置している関係で平素から連絡を密にとっている経緯があり,新たな資格導入に際して,スムーズな対応が取れたものと考える.社会学教室からの説明を受けた後,学生へのヒヤリングを行った結果,地理学教室の学生で聞き取りやアンケート調査などを導入している学生には資格取得の意志があり,所持する資格が増えることは就職活動にも有利と考えていること,また,4単位程度の履修負担増が限界ということが判明した.こうした結果を踏まえ,地理学教室においても資格導入のための科目申請作業を始めることとなった.
  • 碓井 照子
    p. 112
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.GIS技術資格の必要性21世紀の地域情報化社会においてGISの技術者養成と大学におけるGIS教育・研究の充実は,社会的な急務といえる。ISO/TC211において、GIS International Licenseがカナダから提案され,国際的なGIS技術資格が問題となった。GISビジネスの分野でもGISコーディネーターやGISマネ_-_ジャーなどの職種が増えつつあるが、一方で中高年のGIS技術者のリストラと起業・再就職問題も深刻な社会問題となっている。GISビジネスは,知識集約型のSmall Businessであるため,ベンチャー企業の設立にとってもGIS技術評価の尺度が必要になる。また、大学の構造改革の中で,新研究領域に適した学科再編が行われ,大学教育におけるGIS技術者の資格認定は,この分野の新規創設にも重要なインパクトを与える。 GIS技術資格制度創設の目的は、21世紀の電子政府・電子国土時代の基盤を支え、高度情報化情報化社会を担う多くの技術者が企業名や組織規模に拘束されることなく、その知識や技術によって公正な雇用が確保され、1人でも起業が可能な知識集約型情報産業(GIS産業)を発展させることにある。 世界的な国際資格制度の潮流として個人の技術能力を公に認定する技術資格認定制度と継続教育が、大学と学術団体などが連携して発展させている場合が多い。海外においても大学におけるGISコースの設置だけでなく、GIS関連学会によるGIS Certificate プログラムが発展してきた。2、米国のGIS専門職種 米国では1993年に米国労働省が「GIS Specialist、 GIS Professional」を職業分類に加え、GIS技術者育成コースが全米の大学に多数のGISコースを開設させた。すでに1998年段階で全米に700のGIS教育コースがヨーロッパでも500のGIS教育コースがある。 1990年初頭、米国でGISのSをScienceとする新学問分野として地理情報科学が提唱され11の学問分野からなる大学コラボレーションとして地理情報科学大学連合(UCGIA)が1994年に創設された。米国では、GISの技術資格について、大学のGIS資格認定カリキュラムがあり、政府機関や民間機関で実技指導を受けるGISインターンの制度もある。また,最近では,GIS関連学会(URISAやASPRS等)でもGIS技術資格認定が実現され、英国においても地理情報学会(AGI)が、GIS専門家養成継続プログラム(CPD)を作成した。
  • 若林 芳樹
    p. 113
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 東京都立大学理学部地理学科は、2004年にJABEE(日本技術者教育認定機構)の「地球・資源」分野で初の教育プログラムの一つとして認定を受けた。この報告では、地理学には縁遠いと思われがちな技術者教育のプログラムとして当学科が認定を受けるに至った経緯と教育改善の取り組みを紹介する。2.JABEE受審の経緯 当学科がJABEEへの取り組みを始めたのは、2002年度からである。当時はJABEEも設立から間もない時期で、地理学界はもとより理学系の分野でも未だあまり知られていなかったため、手探りの状態で試行審査の準備を開始することになった。そうした状況下で当学科が受審を決めたねらいは、当時進行しつつあった大学改革の中で地理学科の独自性と存在感を確保することと並んで、年々厳しさを増す就職戦線で技術士補(修習技術士)の資格が学生の就職にとって有利になると判断されたことがあげられる。また、文理融合型のカリキュラムをもつ地理学科にとって、JABEEの認定基準の重要な要素となる学習教育目標や学習保証時間の中で、理工系だけでなく人文社会系の科目が相当なウェイトを占めていたことも好都合であった。3.教育改善への取り組み 2002年度の試行審査では、いくつかの審査項目で不備が指摘されたため、翌年からそれらの改善に向けて準備が進められた。とくに、受審に際して学生の達成度を証明する試験の答案やレポート類の保存、教育改善の取り組みの記録などが必要になるため、新たに教員の負担も増大した。またカリキュラム自体に大きな変更は加えなかったものの、理工系の必修科目が増えたために学生が履修できる科目の選択の幅が狭まったことは否めない。しかし、なんとか翌年の本審査にこぎつけることができたのは、当学科がもともと変革に柔軟に対応できる体制と規模を備えていたからかもしれない。 具体的な教育改善の取り組みとしては、シラバスの充実や学生による授業評価だけでなく、教員相互の授業参観・評価、卒論のテーマ公募などを実施した。これらはFD(Faculty Development)の一環として行ったもので、教員の意識改革や審査する側の教員自身にとっての指導法の改善に一定の効果があったようである。また、技術者倫理やデザイン能力といった、従来の地理学では顧みられることが少なかった側面に改めて眼を向けるよい機会となったことも確かである。
  • 小野 有五
    p. 114
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    北海道アウトドア資格制度 北海道は2002年に「北海道アウトドア資格制度」を立ち上げ、自然、夏山、冬山、カヌー、ラフティング、トレイル・ライディングの6つの分野での資格認定を開始した。資格取得希望者は、分野共通の基礎科目と分野ごとの専門科目に関するの筆記試験、および各専門分野の実技試験を受けて、すべてに合格すれば資格を得られるしくみになっている。合格率は3割程度である。また、道が設定するカリキュラムを満たせば、「北海道アウトドア資格制度」の人材育成機関として認定するしくみを導入した。これに応じて人材育成機関となったのは、自然学校を運営するNPO法人、専門学校、いくつかの私立大学などであり、国立では、北海道大学の大学院地球環境科学研究科が唯一であった。2005年からは北海道教育大学が新たに人材育成機関に加わっている。人材育成機関として認定されると、筆記試験が免除(高校の場合には基礎問題の筆記試験のみ)されるが、実技試験は受けなければならず、また、受験時までには一定程度の実務経験が要求される。試験のために、北海道では基本テキストを作成し、それを勉強することで、試験の合格者を増やすとともに、アウトドアガイドのレベルを向上させようとした。現在、資格制度の運営は北海道と、NPO法人「北海道アウトドア協会」が協同しておこなっているが、将来的には、アウトドア協会がすべての業務をおこなうことになっている。北大・大学院での連携 大学院・地球環境科学研究科の地球生態学講座は、自然地理学、環境地理学を主な研究・教育分野とする講座であったが、90年代の後半から受験志望者数および学生の質の低下に悩まされてきた。これにはさまざまな要因があるが、全国的な大学院重点化によって、学部からそのまま同じ大学の大学院に進学する者が増えたこと、とくに地理分野では、「環境」を看板に掲げる大学院が増えたため、かつては北大など数校にしかなかった「環境」系の大学院の存在価値が相対的に薄まったことなどがあげられよう。学生の質の低下は全国的な問題であるが、それ以前に、研究者を志望する学生が減り、自然ガイドやレンジャーなど、自然に関わる実務的職業につきたいと望む学生が増えた傾向を無視できない。学生が修士課程で学んだ知識や技能を生かせる職業につく機会は減少している。したがって、これまでのような研究者養成を第一とする指導には不満をもつ学生も少なくない。このような理由から、当講座では、講座内に「自然ガイド・環境保全指導者コース」を立ち上げ、この3年間、学生を養成してきたが、2005年4月からは、講座の枠をはずし、大学院環境科学院につくる環境起学専攻統合コースにおいて、実務者養成の教育を始めることになった。
  • 水野 勲
    p. 115
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    お茶の水女子大学(以下、お茶大と略す)では、2005年度から、社会調査士の免許が取得できるようにカリキュラムを構成し、現在、社会調査士資格認定機構に申請中である。筆者は、地理学から社会調査士免許の申請に関わったので、この経験を他大学でも生かせるように、ここにお茶大の現状を報告する。 お茶大・文教育学部は、1997年度に学部改組を行い、地理学科から人文科学科地理学コースとなった。この改組は、単に名前を変えた以上の変更であった。第1に、入学試験を人文科学科(哲学、歴史、地理)で共通に行い、2年次後期に学生たちがコース選択を行うので、地理学コースを魅力あるものにしないと学生数を確保できない。第2に、地理学科時代には認められていた測量士補免許の認定を取り消されたため、測量士補に必要と考えられるカリキュラムを手探りで構成するという不確実な状態にある。ここに、地理学コースとして、新たな免許取得の可能性を探ることが、戦略的に重要になっていたのであった。 社会調査士という免許状が設定されたことを程なく知ったが、お茶大内では、地理学がこの免許状と関係あるものと、最初はみなされていなかった。すなわち、社会学(社会理論、家族社会学)を中心として、教育学、心理学(臨床心理、実験心理)のカリキュラムを基に、社会調査士の免許申請を行おうとしていた。これは、お茶大内の学部および大学院の編成における教員のまとまりを反映していたが、むしろ地理学に対する他学問の教員の認識が低いことが問題であったと筆者は考えている。すなわち、地理学における野外調査(巡検)は多少なりとも他学問から認知されているとしても、統計学を自在に使いこなす社会調査が地理学界で行われているとは思われていないのである。そして、それは、残念ながら事実であろう。日本の地理学界が「計量革命」を一時的に受容したとしても。 そこで、上記の社会調査士の免許申請コースに対して、地理学からも参加の声をあげ、カリキュラム構成を多分野の中で提案することになったのである。たまたま、お茶大内で地理学の教員が7名いたため、カリキュラム上、統計学、調査法、巡検がふんだんに準備されていたことが幸いしている。当初、地理学が社会調査士免許の申請に参加することについて、他分野の教員は懐疑的であったが、6科目を免許申請科目として提供することで、逆に免許申請の重要な部分を受け持つことになった。なぜなら、地理学が参加することにより、お茶大の社会調査士免許は少なくとも2コースのカリキュラム(毎年40名を想定)を同時並行させることができたからである。ちなみに、他分野からの科目提供数をあげると、社会学2、家族社会学2、教育学2、実験心理学2、臨床心理学2であった。 地理学コースにとって、この多分野の科目からなる社会調査士免許の申請を行うことは、次のようなプラスがあると考えられる。第1に、地理学コースの必修科目の他に、他学科から2科目を取れば免許が取得できる見込みのため、地理学コースの学生の多くは無理なくこの免許を取得できる。第2に、社会調査の方法論、統計実習(量的研究)を多学科から履修する慣例ができることにより、地理学コースのカリキュラムの不十分さを補うことができる。第3に、他学科学生に対してフィールドワーク(質的研究)の科目を提供することにより、他分野の研究者に対して地理学の独自性を主張することができる。 社会調査士の免許申請をきっかけとして、学内および学界内での新たな方向付けが、今後問題になってくるであろう。すなわち、関連分野の研究者と共通の言語で語れるような統計理論、統計分析、フィールドワークの蓄積が必要である。推測統計学、調査票の設計、ランダムサンプリング、データクリーニング、SPSS、分析結果の解釈など、社会調査の方法論にあたる部分を、地理学界でも受容する必要があり、それは計量地理学の財産を再認識し、カリキュラムの中に積極的に取り入れることになるであろう。それは、地理学におけるGISの位置づけと並ぶ、重要な課題である
  • 大浦 瑞代
    p. 116
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     本発表は、過去に大規模災害を経験した地域において、その記憶が現在どのように伝承されているかを、場所に着目し考察するものである。
     天明3年(1783)の浅間山噴火は、広範囲に多大な被害をもたらした。噴火による降灰が田畑を埋め、中山道を寸断した。旧暦7月8日に発生した岩屑なだれは、現在の群馬県嬬恋村鎌原地区をほぼ壊滅させた。さらに、二次的に発生した泥流が吾妻川・利根川沿いの人や馬や家を押し流し、集落を泥で埋めたのである。現在もその痕跡を至る所で目にすることができ、残された様々な史資料が災害の経験を伝えている。
     この噴火災害に関連する石造物は、文献調査で判明するだけでも100基ほど存在する。群馬県を中心として埼玉県や東京都などにも所在し、数基が集中する場所もある。石造物に刻まれた年月日は、全てが造立年を示すとは限らないものの、およそ三分の一が災害直後の天明3年から4年である。他には三回忌や三十三回忌などの回忌年が多く、二百回忌の昭和57年(1982)には6基が造立されている。銘文の内容からは、死者を弔う慰霊碑、災害の事実を後世に伝える記録碑、救済者を称える顕彰碑、などの意味合いを読み取ることができる。その中でも特に慰霊碑は、吾妻川・利根川沿いに多く分布する。
     嬬恋村鎌原地区の観音堂近辺には、20基もの石造物が存在する。鎌原観音堂は、石段15段と共に被害をまぬがれた場所である。戒名を刻む墓碑や供養碑などの他、二百回忌には高さ5mの供養観音像が祀られ、その後も和讃や謝恩の碑が造立されている。現在は観音像前で供養祭がおこなわれ、2004年も8月5日に「浅間押し二百二十二回忌供養祭」が開催された。8月5日は、旧暦7月8日を新暦で読み替えた日である。祭では獅子舞や轟太鼓が奉納され、読経や焼香に続き和讃が詠われる。
     伊勢崎市戸谷塚町地区には天明4年に祀られた地蔵の他、百八十回忌に2基、二百回忌にも2基の石造物が造立されている。戸谷塚町は利根川沿いに立地しており、天明3年の災害時には河原に多数の遺体が打ちあげられた。その供養のための地蔵は当初川岸に所在したが、大正初年の耕地整理により現在は観音堂境内に移されている。供養祭は、昭和37年(1962)に百八十回忌を記念した碑の造立とともに始められた。碑には約700人の遺体を村総出で埋葬したことなどが刻まれている。供養祭は旧暦10月9日の観音縁日に観音堂境内でおこなわれ、2004年は11月20日に開催された。祭では嬬恋村鎌原地区から観音堂奉仕会の会員が来て和讃を詠う。これは、上流で泥流に流された人が下流で打ちあげられたことによるという。
     このように、現在供養祭がおこなわれているほとんどの地域では、新しく石造物が造立されている。また、供養祭には鎌原地区の観音堂奉仕会会員が出向き、和讃によって災害の悲惨さや供養の由来などを伝えている。
     石造物の所在する場所は、災害を伝承するうえで重要な場所である。その場所で毎年繰り返し供養祭がおこなわれることで、地域の人々は災害の記憶を再認識する。そして、その場所に新しく石造物を造立することで、場所の意味がより強められている。多数の石造物の存在と供養祭の相互作用により、災害の記憶の場所が形成され意味づけられていると捉えることができよう。
  • 中山 裕則
    p. 117
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    .はじめに 大学生の学力低下などに対する懸念などの背景もあり、大学の卒業生に対する質の向上が求められつつある。日本大学文理学部では地球システム科学科において、日本技術者教育認定機構(Japan Accreditation Board for Engineering Education:以後「JABEE」と呼ぶ)による認定を目指し、準備を進め、2004年5月に認定を受けて、同年春に認定後初の卒業生を社会に送り出した。本報告では、日本大学文理学部における地球システム科学科の教育プログラムがJABEEによる認定を受けるまでの経緯、学科の体制、プログラムの特徴、認定による影響、今後の課題などについて述べる。2.地球システム科学科のJABEE認定地球システム科学科では、1999年のJABEE設立後、地質学会、応用地質学会、地下水学会などを中心に開始された地球・資源の分野におけるJABEEによる認定制度の検討に合わせて、学科内で認定を目指した準備を開始した。具体的には、2001年に学科内で本格的な議論が開始され、プログラムの見直し、体制の整備、申請準備、議論等を経て2003年に認定のための申請を行い、2004年春、学習・教育プログラム「地球システム科学科」が“地球・資源およびその関連分野”での認定を受けた。その春にはJABEE認定後初の卒業生67名を社会へ送り出すことができた。3.学科内の体制 認定へ向けて技術者学習教育プログラム「地球システム科学科」とその学習・教育目標を設定し、技術者教育委員会を組織して体制を整備した。技術者教育委員会は2004年末現在、委員長、幹事長、幹事をはじめとし、学習・教育の目標、教育方法、達成度評価、教育改善、アドバイザーをはじめとする10部会で構成されている。4.プログラムの特徴 学習・教育プログラム「地球システム科学科」の構成は、講義科目とトレーニング科目の2つを柱とし、それぞれが導入、専門、応用プログラムへと順に進む流れとなっている。1年次は導入プログラムとして地球科学やその他の理学に関する基礎的なことがらを、2年次は専門プログラムとして専門的な知識を学習・トレーニングし、3年次では科学調査と研究法の具体的な科目と技術者としての倫理観に関する科目、およびより専門性の高い講義科目で構成される応用プログラムを経験する。この後,4年次で個々のテーマによる研究により、実践的な研究指導を受けて、様々な課題に対応可能で柔軟な知識と技術を身につけることを目指す内容とした。特徴としては、第1に、地球科学を理解するためには講義による知見や野外で修得した観測結果をとりまとめる能力を必要とする観点より、野外および室内における実験・実習科目を通じた実践的なトレーニング教育の重視を掲げる点と、第2として、講義などで得た自然現象に関する知識を野外において実際に体験・確認することで理解を深めるために、1年次から野外での実習科目を設けてフィールドワーク教育に重きを置いている点をあげることができる。5.認定による影響 JABEEの認定により、教育科目に対し4年間を通した具体的な学科の教育・学習の目標が示され、これに沿った教育の実施と評価により、学生および教員の双方に緊張感が生まれたことは認定による影響として指摘できる。また、卒業生の中にはすでに技術士として社会の第1戦で活躍している技術者も多く、その人たちからの期待が寄せられ始めていることも事実である。 一方、認定により教育の質的保証と向上が強く求められるため、各教員の自覚、卒業生に対する責任がさらに必要となった。また、研究だけでなく教育に対する寄与、教育の継続的な改善も求められているため、各教員へのプログラムの維持と改善ための責任と分担が増し、以前に比べて教育に費やす時間が増加したことも事実である。そのため教員を含めるスタッフの強化が必要になっている。6.今後の課題 JABEE認定を受けた学習・教育プログラム「地球システム科学科」は、実績がまだ浅く、体制、内容、目標など今後、いっそうの充実が必要であり、実際に改善を続けている。この更なる充実には、学生の要望の取り込み、外部アドバイザーや卒業同窓会との連携による社会的要望の取り込みなどが必要であり、特に認定後の卒業生の社会での技術者としての活躍とその効果のフィードバックも必要と考えられる。さらは、JABEEのプログラム内容の社会や学内に対する紹介と共に、取組みによる成果の公表も必要と思われる。
  • 福澤 仁之
    p. 118
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    技術者教育認定の目的とJABEEの役割JABEEは教育プログラムの認定を通じて技術者教育の向上を実現し,その国際的同等性の確保を目指すことを目的としている.認定の対象は教育そのものであり,実施の責任は大学等の高等教育機関が担っている.JABEEは教育と技術者キャリアが車の両輪のように均衡を保って支え合う全体像を描きながら,教育認定を通して高等教育機関における技術者教育の向上を主務とする.技術者教育の質的保証と継続的向上技術者教育の外部認定が必要とされる背景には,わが国の高等教育機関における教育のあり方が厳しく問われていると考えるべきである.これには3種類の問題が考えられる.第一は学生側の問題であり,学生の多様化と学習意欲の低下,自己学習不足,応用力・本質的理解不足,設計能力不足などがある.第二は教育機関側の問題であり,卒業生の質的保証を行うことに対する理解不足と認識の甘さ,技術者教育の不足と工学基礎教育への偏重と座学重視などがある.第三は社会の問題であり,日本社会では技術者は会社に属するエンジニアであって,自立した技術者(プロフェッショナルエンジニア)であるという意識の欠如などがあげられる.JABEE認定基準は,基準1-6と補則としての分野別要件から構成されている. 基準1:学習・教育目標の設定と公開 基準2:学習・教育の量 基準3:教育手段(入学および学生受け入れ方法,教育方法,教育組織) 基準4:教育環境(施設・設備,財源,学生への支援体制) 基準5:学習・教育目標達成度の評価 基準6:教育改善(教育点検システム・継続的改善) 補則:分野別要件JABEE認定基準には,教育の実施主体である学科などの希望により認定をおこなう.学生が自発的自主的に能力開発に励む学習を重視し,技術者に求められる素養,能力と倫理意識を獲得できるように学習・教育の改善に取り組むことなどが共通した基本精神として含まれている.このため,教育の実施主体は独自の学習・教育目標を明らかにし,学生が理解できるように工夫しなくてはならない.そのためには,十分な数の教員が存在し教育支援体制と環境が備わっているだけでなく,FDや教員間のネットワークが機能していること,教員の教育に対する貢献度の評価が実施されていること,すべての科目について公開されたシラバスに従って学生の達成度が公正に評価されていること,さらに,教育の実施主体(プログラム)が掲げる学習・教育目標に対する達成度を総合的に評価するシステムが機能し,学習・教育目標を達成した学生だけに卒業・修了が認められていることが求められる.いずれも,従来のわが国の教育プログラムにはなかったことであり,その必要性は,本来ならばJABEEとは関係なく認識されるべきものである.技術者教育認定の意味するものJABEEによる外部認定システムは,技術者教育の実施主体に強制的な構造改革を迫るものでないが,わが国の技術者教育のパラダイムに大幅なシフトを引き起こすことになる.そのパラダイムシフトの一部は以下のように表現でき,これがJABEEによる技術者教育認定システムの第一の意義となる. TeachingからLearningへ 個人学習からグループ学習あるいは協調的学習へ 暖昧な社会契約から明確な学習目標達成の契約ヘ(カリキュラムの約束より,「卒業生にはこういう能力・知識があります」という社会に対する保証を重んじる方向性) 教育評価の軽視から,教育方法とその評価方法は不可分であり,教育者の責任であるという自覚へ 知識偏重教育から実社会の問題解決,あるいはエンジニアリング課題への積極的な取組へ第二の意義は,2000年4月に一部改正された技術士法にあり,わが国の技術者の社会的地位向上と国際的認知への寄与である.この改正によって,文部科学大臣が指定する認定教育課程の修了者は,技術者に必要な基礎教育を完了したものと見なされ,技術士第一次試験を免除されて直接「修習技術者」として実務修習に入ることができると規定されている.これにより,大学における技術者教育と技術者資格とのリンクが確保されたことになる.
  • 鈴木 厚志
    p. 119
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    日本地理学会グランドビジョンと資格制度 日本地理学会理事会は、2003年12月に「日本地理学会グランドビジョン」の具体的検討の実施を決定した。その内容には、地理学の社会的地位向上を目指した資格制度の構築が含まれている。この資格制度は、専門教育→実務訓練→認定試験→継続教育、により構成されている。専門教育は共通する課程の下で大学や研究機関がそれを担い、実務訓練は職場において資格にふさわしい業務に一定期間従事することを要件とする。認定試験合格者には資格が付与され、資格保持者は継続教育による能力の維持と向上、さらに職業倫理に関する研鑽を重ねる。この資格制度は、国際的に共通の考え方に基づくものである。ただし、導入に当たっては、教育プログラムの開発と共通化、実務訓練機関の確保、継続教育の形態や時間重み係数(CPDWF)の設定方法について慎重な議論が求められている。昨年9月、日本地理学会内に設けられた‘地理情報システム技術資格推進委員会’の任務は、このような中に位置付けられる。2.GIS課程と地理学教育1988年、GISの研究と教育を目的として設立されたNCGIA(National Center for Geographic Information and Analysis)は、1990年にGIS指導者向け基礎資料であるNCGIAコアカリキュラム(Core Curriculum in GIS)を開発した。これは日本語にも翻訳され、3編75ユニットで構成されている。その後NCGIAは、改訂版コアカリキュラム(Core Curriculum in GIScience)の編集(5章27節)を1995年より開始するが、完成には至っていない。共通化を目指した初期のGIS課程として、NCGIAコアカリキュラムの果たした役割は大きい。 1994年設立のUCGIS(University Consortium for Geographic Information Science)は、地理情報科学とその技術に関する学部教育の充実、学位認定プログラムの一貫性向上、関連分野の交流促進を目的としたUCGISカリキュラム(Model Undergraduate Curricula for GIS&T)を提唱している。このGIS課程は学生教育用のみならず、広くこの分野に関わる人々を対象とした資料として活用されている。この課程は12の知識分野からなり、ユニット、トピックへと細分される。学生は、それらを希望に応じ選択する。 わが国の事例として、地理情報システム学会は、2004年3月に『GISコアカリキュラムの開発研究!)カリキュラム原案の作成!)』を編集した。NCGIAやUCGISのGIS課程そして英語版GISテキスト14冊もとに、九つからなる最低限の内容項目案を次のように提案している。_丸1_序論_丸2_実世界の概念モデル化と基本概念_丸3_空間データモデル_丸4_空間データ取得_丸5_宇間データ編集_丸6_空間データ分析_丸7_空間データの視覚的伝達_丸8_GISのシステム構築_丸9_GISと社会それぞれの内部を構成する項目については、重要度に応じ二つのレベルを設定している。今後地理情報システム学会は、公表によって得られた意見を反映し、継続した内容更新を予定している。ここに示したGIS課程は、いずれも理学部や教育学部といった具体的な教育環境を意識せずに提案されたものである。運用に当たっては、学部・学科の性格、学年、物理的環境を考慮し、適宜変更を加え教育することを想定している。日本地理学会では、2002年度春季学術大会時に各大学のGIS課程と教育実践報告をテーマとするシンポジウムを開催した。しかし、GIS課程の内容やその共通化について踏み込んだ議論は行っていない。一方、アメリカ合衆国の有力な地理学教室は、印刷地図を教材とした地理的地図学科目をGIS関連科目へ再編成するにあたり、1980年代後半から1990年代前半にかけて、地図学やGIS関連雑誌にて豊富な事例報告と活発な議論を展開させている。GIS技術資格の導入を念頭においた場合、地理学教育で扱えるGIS課程にはどのようなものがあるのだろうか。既存科目のなかで、GIS技術資格の専門教育として採用すべきものはどれなのか。検討すべき課題は多い。当日は、それぞれのGIS課程の内容と問題点、専門教育として採用すべき地理学関連科目と教育内容を中心に報告する。
  • 遠藤 匡俊
    p. 120
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    蝦夷地は二度にわたり幕府の直轄地となり、アイヌの風俗・習慣を和人風に変えるという同化政策が実施された。和名化や風俗改変とともにアイヌ文化は大きく変容してきたと理解されている。しかし、和名化の展開過程は必ずしも明確ではなかった。本研究の目的は、1800年代初期の択捉島のアイヌを事例に、和名化の展開過程を明らかにすることである。1800年代初期において最も和名化率の高かった択捉島のアイヌの場合、和名化はまず5歳以下のまだ名をもたない人々から導入され、それから11歳以上の人々に展開していったことが判った。これまで和名化は役職者との関係で注目されてきたが、和名化の展開初期においては非役職者である幼少の人々からはじまっていた。
  • 高橋 日出男, 中村 康子, 鈴木 博人
    p. 121
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    ◆はじめに:都市域における降水現象の地域性に関しては,地表面粗度や熱源について比較的単純な仮定を与えた数値シミュレーションによる研究がある一方で,詳細な観測データに基づく解析的研究は都市気温(都市ヒートアイランド現象)に関する研究と比べて不十分である.1970年代にアメリカで行われたMETROMEXでは,都市(St. Louis)の風下に強雨域が出現しやすいことや雷雨域の移動が都市によって影響を受ける可能性が指摘され,近年では都市ヒートアイランドと対流性降水分布との関係が報告(たとえばAtlantaを対象としたBornstein and Lin(2000))されている.長期間かつ空間的に稠密な降水量観測資料によって,都市域における気候学的な強雨発生の空間構造を明らかにした研究は少なく,都市型水害など災害対策の観点からも十分な研究の蓄積が必要である.
     本研究では,稠密な時間降水量資料に基づいて東京都心域における強雨発現頻度の空間構造を提示することを目的とし,建築物高度(階数)の資料から強雨発現と都市の幾何学的構造との関連性を予察的に考察する.
    ◆資料:降水量資料として,アメダスおよびJR東日本による時間降水量,ならびに東京都建設局河川部雨量観測所の10分間降水量から求めた時間降水量(東京都降水量という)を用いた.対象期間は1991_から_2002年の6_から_9月であるが,1993年は東京都降水量の多数地点で長期間の欠測があるため除外した.なお,東京都降水量にはある程度の異常値が含まれているため,経験的かつ暫定的であるが,以下の手順(略)により異常値の検出(欠測扱いとする)および強雨事例(時間降水量20mm以上)の抽出を行った.
     建築物高度の資料については,東京都都市計画局が作成した土地利用・建物現況調査GISデータ(平成8,9年)を使用した.建築物階数を建築物高度として扱い,50mメッシュ内の最大階数を当該メッシュを代表する建築物階数として抽出した.
    ◆結果:図は対象とした226例を分母とした時間降水量20mm以上の発現頻度分布図であり,欠測の多い地点は除外(含めても分布型は変わらない)してある.これによると,東京駅周辺(都心部)は強雨頻度が若干大きいものの特に高頻度ではない.23区北部から東京・埼玉県境沿い,ならびに新宿の西方から北東方向(ほぼ環状七号線沿い)に強雨発現の高頻度帯が存在する.強雨発現時の東京(大手町)における風ベクトル(1時間の平均をV=(7Vt+5Vt-1)/12で評価)には北東_から_南南西間で顕著な風向の集中性は認められないが,2_から_3時間前には東よりと南よりの風に分離できる.そこで事例2時間前の風向が東風(105例)と南風(77例)および例数が少ないが北風(29例)の場合に分類した.
     風向別に時間降水量20mm以上の発現頻度分布図を作成すると,東風・南風時に共通して東京・埼玉県境沿いに高頻度帯が存在する.ただし東風時には都心部西側から西に向かって強雨頻度が増大し,新宿西方(中野付近)に強雨頻度の極大が現れる.南風時には池袋北方に強雨頻度の極大があり,高島平_から_光が丘団地付近の極大も顕著となる.北風時には渋谷_から_霞が関以南で強雨頻度が増大する.東風と南風について風速3m/sを境とした弱風時と強風時を比較すると,上記の地域性は弱風時に顕著で,強風時には東風時と南風時の差異は小さい.
     異なる空間スケールで平滑化した建築物高度(階数)分布について,風の吹走方向別に建築物高度の変化割合(勾配)を求め,東風・南風・北風時における強雨頻度分布との比較を行った.1kmスケールで平滑化した場合には,東風時に新宿東側および皇居西側での上昇勾配が大きく,池袋周辺では明瞭でない.南風時には池袋南側において新宿付近と同程度に大きな上昇勾配が認められる.また,渋谷_から_霞が関付近の上昇勾配は,南風時よりも北風時に大きくなる.以上のように,風向別の強雨頻度極大域は高層建築物群の分布とある程度の対応が指摘されるが,今後さまざまな地表面状態パラメータなどとの関係を調べる必要がある.
  • 法学部・経済学部の学生を対象に
    今井 英文
    p. 122
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    2004年度秋季学術大会(広島大学)では、「地理的資質を有する小・中学校教員養成の課題」というテ_-_マでシンポジウムが開催された。発表者はこのシンポジウムで得た知見を視野に入れて、岡山大学で「教職地誌学」の授業を試みた。今回はその概要について報告する。 大学教育において、地理学は教養課程、専門課程、教職課程などで開講されている。しかし、これらの教育課程は目的が大きく異なっている。特に、教職課程は、教員として必要な知識や技術を伝えることを目標としている。この点に鑑みると、教職課程の地理学では、地理学に関する深い知識のみならず、学校現場で地理を教える際に使える知識や技術を教える必要があると考える。 このような問題意識をもとに、発表者は、2004年度後期に岡山大学法・経済学部二部(以後、岡山大学二部)で実施した「教職地誌学」の内容について報告する。
  • 徳島県徳島市を事例として
    駒木 伸比古
    p. 123
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    I はじめに
     小売業により都市の空間構造を究明する研究においては,店舗の立地および買物トリップを関連付ける必要がある.なぜなら,都市を機能地域の集合体として捉えた場合,店舗はその機能中心であり,買物トリップは機能地域を示すからである.従来の研究において店舗立地を分析する際には集計データが用いられることが多く,厳密な店舗の位置情報が損なわれてしまっていた.また,買物トリップの分析においても,定性的な表現をされることが多かった.本研究では地方中心都市である徳島県徳島市を事例とし,店舗立地および買物トリップパターンにより地方都市の空間構造を究明する.ただし前述したような問題点を解決するために,次のような方法を用いる.店舗立地を分析する際には,店舗の位置情報をGISにて管理し,交通網や人口分布などと定量的に関連づける.また買物トリップパターンを分析する際には,トリップパターンをトリップ数により重み付けされた点分布とみなし,その標準偏差楕円を描くことにより形状判断を行う.

    II 店舗の立地分析
     徳島市におけるコンビニエンスストア(CVS),デパート,ショッピングセンター,スーパーマーケット,ホームセンターについて,店舗と主要道路(国道および県道)との距離,最近隣主要道路における交通量,人口分布と売場面積を考慮した理論商圏人口をそれぞれ算出し,店舗の立地特性を示す.その結果,デパートやショッピングセンターといった高次の商業施設およびオフィス立地型CVSは徳島駅前付近に,ロードサイド型ショッピングセンターは徳島駅から半径約5kmに広がる市街地の主要道路沿いに,スーパーマーケットは広く市街地に,そしてホームセンターやロードサイド型CVSは郊外の主要道路沿いにそれぞれ立地することが明らかになった.

    III 買物トリップのパターン分析
     買物トリップが一定数以上集中する地区を「商業核」として選出し,その商業核への買物トリップパターンを描くことにより,商業核の分布およびトリップパターンの形状を分析する.その結果,トリップパターンが主要道路の方向に卓越すること,河川(特に吉野川)が買物トリップに対してバッファーとして作用すること,徳島駅前および郊外に位置する商業核への買物トリップパターン面積が相対的に大きくなること,そしてデパートの立地する商業核へのトリップパターンがほぼ徳島市全域を正円状に覆うことの4点が明らかとなった.

    IV 店舗立地および買物トリップパターンによる徳島市の空間構造
     鉄道・バスなど公共交通の結節点であり,最も利便性の高い徳島駅前には,デパートやショッピングセンターといった大規模かつ高次の買回り品を扱う店舗や,都市回遊者を対象とした店舗が立地する.この地区への買物トリップパターンは,道路網や河川網に関係なく徳島市域を越えて周辺市町村にまで広がる.市街地における幹線道路沿いには,自動車利用客を対象としたショッピングセンターやホームセンター,規模の大きなスーパーが立地する.こうした地区への買物トリップパターンは,徳島市全域に広がるが,道路網や河川網により形状が偏る.市街地全般には,CVSや規模の小さなスーパーマーケットが広く立地する.これらの地区への買物トリップパターンは,上記の2つに比べて相対的に小さくなり,また道路網や河川網の形状に対する影響がさらに強くなる.市街地外における自動車交通量の多い主要道路沿いには,ホームセンターやロードサイド型CVS,スーパーマーケットが主要道路に沿い立地する.このような地区への買物トリップパターンは,主要道路に沿って比較的大きく広がる傾向にある.
  • _-_ビオトープタイプ,地形と地下水流動_-_
    宮岡 邦任
    p. 124
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    既にニェコランディア地域の地下水流動については,溶存成分濃度分布や電気伝導度分布の傾向によって,過去の河川流路に規制された形で地下水流動系が複数存在することや,雨季と乾季で地下水流動形態や混合の状態が大きく異なることが示されている(宮岡:2003,Miyaoka, et. al.: 2003).しかし,高精度かつ大縮尺の地形図の入手が極めて困難なことから,対象地域における地盤標高の把握が行えず,これまで地下水面標高分布を明らかにするに至っていなかった.本研究では,新たに種々のデータを用い作成した地下水面標高分布を基に,ビオトープタイプ・地形起伏・地下水流動形態の関係について検討した結果について示す.
    研究対象地域は,ニェコランディア地域のファゼンダ・バイアボニータ農場地内である.丸山ほか(2002)において示されたビオトープタイプの分布を基に,対象地域において実施した簡易測量の結果を加味することにより,地下水面標高分布図を作成し,その他の物理化学特性と併せて地下水流動形態について検討した.また,LANDSAT影像の解析によってサリナ(高塩分濃度の湖)の分布について検討した.
    地下水面の形状は,乾季と雨季で大きく異なることが認められた.すなわち乾季では河川流路では地下水面の谷であったところが雨季には尾根に変化しており,一方旧河川流路では,乾季・雨季を通して地下水面は谷の形状を呈していた.乾季において地下水面の尾根が形成された地域は,ビオトープタイプではコルジリェイラに相当する.また,乾季に地下水面の谷が形成された地域は,湿性の植生が卓越して分布する地域と一致する.このように,本地域における地下水面標高分布を通してみた地下水流動形態は,対象地域の地形・植生と密接に関係していることが考えられた.
     さらにLANDSAT影像の解析から,サリナはタクワリ川扇状地性地形の扇端部のほぼ同一標高地帯に帯状に分布することが確認された.このことは,Miyaoka(2003)において示唆した,本地域における複数の地下水流動系の存在を裏付けるものである.
  • 山下 博樹, 藤井 正, 伊藤 悟
    p. 125
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 成熟時代を迎えた欧米をはじめとする多くの先進諸国では、20世紀に拡散・肥大化した都市地域をいかに持続可能なかたちに再構成するかが、都市政策の主要テーマのひとつとなりつつある。オーストラリア第2の都市であるメルボルンでもその都市圏の市街地は拡大の一途をたどり、住居・商業施設などの郊外化が進展した。しかし、そのような状況の中、メルボルンが位置するビクトリア州政府は都市圏の無秩序で拡散的な拡大を防ぐために、1970年代より郊外核となるアクティビティ・センターと都心の一体的な整備・開発を行ってきた。本報告では、地域住民の日常的な生活行動と関わりの深いショッピングセンターの立地動向より、メルボルン都市圏の地域構造の一端を明らかにする。さらに、アクティビティ・センター開発の特徴について述べる。2.ショッピングセンターの立地展開 メルボルン都市圏の人口336.7万人(2001年センサス)は、メルボルン市を中心にやや東に偏って分布している。その結果、主要なショッピングセンターの立地もそれに類似した傾向を示している。都市圏内に立地するショッピングセンターは、156カ所でその総売場面積は約255万_m2_である。メルボルン都心部に立地するのは10カ所、約13万_m2_に過ぎず、商業施設立地の郊外化が顕著である。売場面積が8.5万_m2_を超えるスーパーリージョナル型は4カ所、5万_から_8.5万_m2_のメジャーリージョナル型は12カ所となっている。ショッピングセンターの立地は、1970年代以後急速に進められたが、90年代後半よりその新規立地は減少傾向にある。3.アクティビティ・センターの開発 アクティビティ・センターの開発構想は、1970年代にさかのぼる。アクティビティ・センター開発の目的は、鉄道などの公共交通利用を基本とした、小売、サービス、オフィスなどの土地利用のミックス化と就業空間の形成である。その背景には公共交通利用の促進や職住接近などによる持続可能性の高いまちづくりがある。アクティビティ・センター開発の基本的な特徴は次のようにまとめられる。_丸1_アクティビティ・センターの開発は基本的には州が基本方針を立て、各自治体がそれを実行している。_丸2_その財源の確保は、基本的にはケースバイケースである。_丸3_郊外間を結ぶ公共交通は、アクティビティ・センター間をバスで結ぶ形で整備を進めている。_丸4_新規のショッピングセンターの開発は、ゾーニングにより基本的にはアクティビティ・センターへ誘導される。アクティビティ・センター以外へのショッピングセンターの開発などは、各自治体が調整を行っている。_丸5_郊外型の大規模ショッピングセンターもバスなどのアクセスを増やし、公共交通体系の中に位置づけている。 本研究を行うに際し、平成16_から_17年度科学研究費補助金基盤研究(C)(1)「成熟時代における都市圏構造の再編とリバブル・シティの空間構造に関する地理学的研究」(研究代表者:山下博樹)の一部を使用した。メルボルン都市圏における主要シヨッピングセンターの立地  1:メルボルン都心部 2:スーパーリージョナル型(売場面積8.5万_m2_以上)3:メジャーリージョナル型( 〃 5万_から_8.5万_m2_)4:リージョナル型( 〃 3万_から_5万_m2_) 資料:『Shopping Centre Directory Victoria & Tasmania (PROPERTY COUNCIL OF AUSTRALIA 刊)』より作成
  • 渡辺 満久
    p. 126
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに中越地震の発生直後には,小千谷周辺の活断層が活動したのかと思っていた.報道では,「未知の活断層」が地震を起こしたとの指摘もあった.鈴木康弘氏とともに翌朝から現地調査に向かい,現地では廣内大助介氏と合流し,地表地震断層の緊急調査を実施した.地震発生翌日の朝には,震源が魚沼丘陵の直下であることを知り,小平尾断層・六日町盆地西縁断層調査が起震断層であると確信した.我々の調査地域は,小千谷ではなく六日町盆地となった.地震の規模はM7に満たないため,地表地震断層が出現していても,変位量は大きくないと予想された.2.現地緊急調査の意義 我々は,六日町盆地西縁を中心に,地表地震断層の確認を行った.その結果,小平尾断層と六日町盆地西縁断層の北部において,数10cm以下の鉛直変位を確認することができた(発表当日に詳しく紹介する).地形学的な地表地震断層の認定を緊急に行ったのは,以下に述べるように,2つの大きな理由があった.第1に,「未知の活断層が地震を起こした」という報道が定着することを恐れたためである.地震観測部門の方々は,活断層の古い情報しかもっておられないことが多い.後述するように,小平尾断層・六日町盆地西縁断層が初めて詳細に図示されたのは,2001年のことである.それ以前の情報しか知らなければ,「未知の」とされてしまう可能性が高い.とくに,今回のように変位量が小さい場合には,地表地震断層を特定しないと,「未知の活断層」が取り上げられて,大きな誤解を生じかねない.地震発生後には断層モデルが提示され,それをもとに様々な議論が進む.このようなモデルの構築に関しては,自由度が非常に大きい.敢えて申し上げれば,どのようなモデルでも提示可能であり,変位量が小さい場合にとくに問題となりうる.せめて,起震断層の地表トレースの位置を決めておきたいと考えたのが,第2の理由である.そうしないと,「不確か」であったはずのモデルが「決定版」として一人歩きし,地表から得られた「変動地形学的事実」が軽視されかねない.このような状況は,今後の被害軽減策を講ずる上でも避けなければならない.地表踏査にもとづいて断層変位地形を認定することは,我々の専門的仕事である.地表地震断層の詳細な位置に関しては,いまだに議論が続いているものの,小平尾断層・六日町盆地西縁断層が中越地震の起震断層であることは受け入れられた.しかし,現在示されている断層モデルは,地表のデータと整合しない部分があるように思われる.さらに検討することが望まれる.3.活断層図の意義と問題点 「新日活(1991)」にはほとんど示されていなかった,小平尾断層・六日町西縁断層の全容が,「都市圏活断層図(2001)」には図示された.起震断層の認定に関しては,両活断層の詳細な位置がすでに図示されていたことも大変大きな意味をもっていた.「図示はしていないけれども,実はある」では,ほとんど説得力はない.図示されていたからこそ,多くの研究者が確認することができた.国土地理院が都市圏活断層図を発行していたことの功績は極めて大きい.ただし,都市圏活断層図の凡例には,不統一や意味の不明確なところがある.そのため,一部の報告において,「六日町盆地西縁断層延長に位置する未知の活断層が・・・」といった(変な?)表現もみられた.また,専門外の利用者が多いことを想定した場合,活断層そのものの記載内容に関しても,検討を要する部分がある. 被災地では,ほとんどの方々が,中越地方に活断層があることをご存知ではなかった.しかし,活断層の研究者の間では,「中越地方には活断層が非常に多い」ことが常識である.研究者の言葉(成果)は,一般の方々には理解(活用)されにくい.防災に関する意識を高めそれを維持するためには,地元の行政が研究成果を取り入れて具体的に啓蒙することが絶対に必要である.そのためには,情報が適切に整理された活断層図を提示することが重要である.今回の被災地では,このような意味での活断層図の活用はなされていなかったは残念である.4.まとめ 地表での断層変位や具体的な断層運動像の認定,活断層図を整備・活用に関しては,もっと地形学者をはじめとする地理学者が積極的に踏み込んでゆく必要がある.いずれも,地理学にしかできない(貢献すべき)課題である.
  • 河本 大地
    p. 127
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    I.研究の目的と背景

     本研究の目的は、スリランカにおける有機農業の展開のメカニズムを解明することである。どこでどのように有機農業が展開しているのか、その成立条件と仕組みを整理して示したい。
     有機農業は、オルタナティヴな農や食のあり方を追及する社会運動として広がりを見せてきた。しかし現在は、慣行農業と同様のグローバルフードシステム化が進みつつある。特に、先進工業国における有機農産物需要の増大が、途上国における輸出向け農産物産地の形成を促している。多国籍アグリビジネス等が、先進工業国の有機認証を取得し、そのシステムに基づいて途上国で安価に有機農産物を生産して、先進工業国側に輸出する事例が急増しているのである。一方、途上国には、NGO等が農村開発の手段として有機農業の普及を試みる事例も幅広く見られる。
     しかし、有機農産物産地に関する研究は、大半が先進工業国側で行われており、途上国側の実態解明はほとんど進んでいない。
     そこで本研究では、スリランカを対象に有機農業の展開状況の把握を行った。スリランカを選択した理由は、以下の3点による。第一に、有機農産物や自然食品の国際展示会であるBio Fach Japan 2004に最多の企業が参加するなど、有機農産物輸出に積極的な国であり、さらに国家レベルでの有機農業推進の体制も構築されようとしていること。第二に、途上国農業を特徴づける中小規模の家族混合型・多角化農業と、専門特化型農業の両方において、有機農業の展開が明示的に見られること。前者はアグロフォレストリーなどの伝統的栽培体系の再評価、後者は茶プランテーションに代表される。第三に、小国であり、かつ関係者のネットワークが比較的強固で資料収集や状況把握が行いやすいため、有機農業の展開をナショナルスケールで検討可能なことである。

    II.スリランカにおける有機農業の展開過程

     NGO活動による展開の事例としては、Christian Workers Fellowhipにより創設された、Kandy近郊のGami Seva Sevanaが特筆される。1986年以降、国内外のNGOや教育関係者、小農のトレーニングによる、有機農業普及の拠点として機能している。また、Colombo近郊のHelvetas(スイス国際協力協会)スリランカ支部が、1992年以降、伝統的農法の支援を行っていた7つの国内NGOとネットワークを築き、金銭的・技術的支援を行っている。両NGOの有機農業担当者は、IFOAM-Asia(国際有機農業運動連盟アジア支部)のコーディネーターとしても活躍している。
     輸出型農業の中心である茶については、Stassen Natural Food (Pvt) Ltd.が1986年、茶園として世界初の有機認証を取得した。その後、欧米・豪州・日本などの有機認証を取得し輸出する企業が増加している。産地はいずれも、良質の茶が生産される高地に位置しており、低地でも生産される慣行栽培茶とは異なっている。また、有機茶園の大半はフェアトレード認証も取得している。
     アグリビジネスによる展開としてはもうひとつ、小農グループ編成による輸出向け産地の形成を伴うタイプが確認できる。Kandy周辺の山間部やColombo近郊、中部の乾燥した低地には、多種多様な作物を栽培する、伝統的なアグロフォレストリーが残存している。これらの地域のスパイスやココナッツ、果実等が、加工食品などの形で先進工業国へ輸出されている。その先駆的存在はTropical Health Food (PVt) Ltd.で、1995年にオランダ人が創設した。その際の有機認証申請先であるオランダのSkalが、スリランカで最も多い21の有機認証企業を有する有機認証検査機関となっており、さらに10企業が現在申請中である。
     このように、スリランカの有機農業は先進工業国との強い関係性の中で展開が進みつつある。

    *図中に示したのは、筆者が2005年1月17日までに情報を得ている箇所のみ。
  • 大槻 涼, 後藤 慶之, 上條 孝徳
    p. 128
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに 駒澤大学は,多くの地図資料を所蔵している.この中に,外邦図と呼ばれる地図が含まれている.外邦図とは,明治から昭和20年にかけて,軍事目的で作られた海外の地図である.駒澤大学の外邦図は,多田文男(1900-1978)が持ち込んだとされている.しかし,その多くが未整理のまま,学内2カ所に分割され保管されてきた. 2003年11月に駒澤大学で開かれた,「外邦図研究会」を契機として整理の準備が始められた.2004年4月から,駒澤大学応用地理研究所のプロジェクトの一つとして,学内で有志を募り整理作業を開始した. 駒澤大学の場合,外邦図の正確な枚数も把握されていないままだった.そこで,地図ケースから取り出し,一枚一枚数えることから作業を始めた. 作業を早める目的で2004年7月18日から23日まで,埼玉県比企郡小川町において合宿を行った.合宿を通し約3000枚の地図を数え,東北大学大学院理学研究科地理学教室(2003)との整合作業を行った.2004年12月に合宿の成果をまとめた『駒澤大学所蔵外邦図目録』を作成した. 活動の詳細は,『駒澤アップアーカイブズニュースレター』のなかで報告している.マップアーカイブズとは,マップ「地図」とアーカイブズ「公文書館」をあわせた言葉である.地図をキーワードに幅広い研究の場をめざして名付けた.将来,外邦図を含めた多くの地図資料を対象とした研究を試みたい.これまでの作業のべ作業日数:35日(2004年12月現在)合宿:2004年7月18日から23日埼玉県比企郡小川町にて,ニュースレター『駒澤大学マップアーカイブズニュースレター』No.1からNo.3発行(2004年12月現在)目録『駒澤大学所蔵外邦図目録』作成作業手順1. 枚数確認2. 整理番号貼付3. 東北大学大学院理学研究科地理学教室(2003)との整合4. 目録の作成今後の作業予定1. 作業行程の再検討2. 目録とインデックスマップの作成3. 保管方法の検討『駒澤大学所蔵外邦図目録』について調査項目:東北大学大学院理学研究科地理学教室(2003)に準拠学内の外邦図のうち,地図室に所蔵されていた外邦図を中心にまとめた.掲載枚数3281枚(2004年12月現在)掲載地域の特徴東南アジア地域が中心.(今回の整理では中国を含まず.)今後の課題 駒澤大学に所蔵されている外邦図の中には破損・劣化が進んでいるものもある.地図の補修法や管理法を確立する必要がある.外邦図とともに大量の海図や,多田自ら彩色を施し,フィールドノートとして用いた外邦図の存在も確認された.あわせて整理をする必要がある.文献東北大学大学院理学研究科地理学教室 2003.『東北大学所蔵外邦図目録』
  • 鈴木 康弘, 宇根 寛, 遠藤 邦彦, 鈴木 毅彦, 中林 一樹
    p. 129
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    奇しくも阪神・淡路大震災から10年目に起きた新潟県中越地震は、大規模な山地災害を伴い、地方都市や山村において複雑な大災害を引き起こした。この震災を教訓にして今後の地震防災を模索するためには、地域の地震ハザードや自然環境、産業構造などを俯瞰的・地理学的に考察する視点が重要であることを、各分野の地理学関係者の提言から明らかにしたい。
  • 発達段階に応じた地図指導の視点からの活用例
    足立 恵子
    p. 130
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_.中等教育におけるGIS活用の意義と課題
     平成14年度より施行されている中等教育の学習指導要領においては、「生きる力」の育成を目的とした「総合的な学習の時間」が設定され、「生きる力」「自ら学び、考える力」の育成が強調されている。そして、地理教育においても「学び方を学ぶ学習」が取りこまれているが、授業数の縮減に伴って、地理的分野は歴史・公民的分野と比較しても大幅な改訂が行われるようになった。そのような状況の中で、大量の地理情報を地図化し、オーバーレイや空間解析などを可能とするGIS(地理情報システム)は有効な教具として考えられ、現在では多くの先駆的事例が紹介されている。しかし、教育現場では日常的にGISが活用されておらず、教育環境と活用方法に幾つかの課題があると考えられる。
     そこで本研究では生徒の発達段階を考慮しながら、地理教育と不可分である地図についての「地図指導」の観点からGISを活用した教材をいくつか提案し、授業実践を交えてGISの実効性を検討していくことを目的とする。
    _II_.発達段階に応じた地図指導の教具としてのGIS活用
      「地図指導」は「読図」「作図」「描図」の3領域があるが(田中1996)、特に「読図」「作図」の2領域においてGIS活用が有効であると考えられる。新学習指導要領では地図に関する具体的な記述は少なく、現場での地図帳においては辞書的な扱いで終わっていることが多い。「地理的な見方や考え方」、「地理的技能」の育成のために「地図指導」の充実、地図の有効活用が強く望まれるが、現在の地図帳は多くの情報が盛り込まれており、1つの事象における空間的な広がりや連続性などを読み取る場合はやや不向きである。
     そこで、GISは、簡略化した主題図の作成やオーバーレイ機能を活かした「読図」の資料作成に有効であると考えられる。また「作図」においてもGISの特質を活かし、紙地図より柔軟性のある「作図」指導が考えられるが、ここでは生徒の発達段階に応じ、GIS操作の習熟が目的になるのではないように配慮する必要がある。さらに、「作図」は生徒が主体的に活動する作業学習が多くなるため、「作図」による「問題解決」能力の育成を目的とした、「選択授業」や「総合的な学習の時間」での活用も考えられる。
    _III_.中等教育における実効性のあるGIS活用のために
     中等教育、特に地理教育におけるGIS活用は非常に有効であると考えられ、地理教育のアイデンティティの回復のためにもGIS導入への期待は大きい。
      教育現場でのGISの普及のためにも、現在の教育課程において生徒・教師両者にとって負担が少なく、且つGISの実効性が実感できる活用方法の提示が望まれる。そのために、従来からある「地図指導」の観点から、地図帳と並ぶ1つの教具としてGISを活用することにより、より「身近な活用」を提案し、生徒の発達段階に応じてGISによる学習内容を深化させていくことが重要である。
     また、GIS導入により「地図指導」の重要性を教師が再認識する契機となることも期待できる。今後は、様々な視点からのGIS活用の提案により教育現場でのGISの認知度をさらに高め、さらなる教育環境の整備と実践可能なGIS活用についての研修機会の充実等が望まれる。
     ※発表では、具体的なGIS活用例を紹介する予定である。
    文献
     田中耕三1996.『地名と地図の地理教育!)その指導の歩みと課題!)』古今書院.
  • 菅 浩伸, 中島 洋典, 大橋 倫也, 濱中 望, 岡本 健裕, 吉水 剛志, 鳥取 海峰, 中井 達郎, 堀 信行
    p. 131
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
     種子島・屋久島地域の海岸には縁脚縁溝系を伴ったサンゴ礁地形が部分的にみられ,北限域のサンゴ礁とされている1)。近年,壱岐にて主にキクメイシ(Favia sp.)によって内湾に形成されているサンゴ礁が発見された2)。ただし琉球列島でみられるミドリイシ類を主として強固な礁構造を形成するサンゴ礁とタイプが異なる。琉球列島でみられるサンゴ礁は,北限域で浅礁湖を欠く平坦で幅狭な礁原となり,分布域も内湾に偏る。本研究では種子島北西に位置する馬毛島で北限域サンゴ礁のボーリングを行い,北限域サンゴ礁の構造と形成過程を論じる。

    2.馬毛島北西岸のサンゴ礁地形
     馬毛島北西岸には島の周囲で唯一明瞭なサンゴ礁地形が認められる。湾入部に位置する岬港(N30o45’40”, E130o51’05”)付近の礁原が最も広く,礁縁から汀線(浜)まで260mの,浅礁湖(礁池)をもたない平坦な地形が広がる。礁原面は潮高基準面より高く,最も高い部分では平均海面ほどに達する,わずかに離水したサンゴ礁である。礁縁部より50mほど陸側ではラピエ状の侵食地形を呈する。礁縁部には縁脚・縁溝が発達し,縁脚の海側は4_から_5mの急崖をもって下位の緩やかな斜面へと続く。海側の水深5m以深の緩斜面には基盤岩である第三紀層の熊毛層群砂岩・シルト岩が露出しており,ところどころに卓状ミドリイシを主とした大規模なサンゴ群集が発達している。ただし群集下部に礁堆積層は形成されていない。

    3.完新世サンゴ礁の堆積構造
     岬港付近のサンゴ礁にて汀線に直行する側線を設け,礁縁部から礁原陸側端部付近にかけて4本のボーリングを行った。ボーリングには_(株)_ジオアクト製 水陸両用油圧式掘削機を用いた。完新統の層厚は最大で3.93m(Core Hole 3)であり,海側のCore Hole 1, 2では基盤高度がやや高いため層厚が2.5m程度となる。基盤は第三紀熊毛層群の砂岩・シルト岩である。
     完新世サンゴ礁堆積物は明瞭な帯状構造を呈し,最海方の礁縁部で皮殻状サンゴ相・その内側で卓状・板状ミドリイシ相,その背後にサンゴ礫・礁性砂相となる。最も陸側の基盤直上には黒灰色砂泥の堆積がみられる。陸側では基盤地形が皿状の凹地となり,礁形成前には内湾的環境であったと考えられる。

    4.馬毛島における礁形成過程
     採取したコアより原地性サンゴを主に10試料の放射性炭素年代測定を行った(うち2試料は測定中)。
     最も古い年代値は最陸方の黒灰色砂泥上の原地性サンゴで約6,500 cal yBPであり,この部分では5,900 cal yBPには現在の礁原面が形成されている。礁縁部付近でみられる卓状・板状ミドリイシ相よりなる礁構造は約5,900 cal yBPから100年程度の短期間で形成されている。CH-3最上部で得られた最も若い年代値より,馬毛島北西岸の礁原の離水は約3,300 cal yBP以降に起こったことがわかる。
     馬毛島では完新世最暖期に湾奥部で礁の形成が始まっている。この時期には鹿児島湾まで黒潮暖水舌が恒常的に流入していたことが推定されている3)。馬毛島ではその後,約1,000年の間に礁原の大部分が形成されており,温暖期のパルス的な礁形成によって,礁の概形が形成されたといえる。

    本研究は科学研究費(基盤B)課題番号15300303(研究代表者:菅 浩伸)の成果の一部である。
    1) 中井達郎. (1990) 「暑い自然」古今書院, 57-65. 2) Yamano, H. et al. (2001) Coral Reefs, 20, 9-12. 3) 大木公彦 (2002) 第四紀研究, 41, 237-251.  
  • 松永 豊
    p. 132
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     阿蘇火山地域の過去約100年間における草原分布の変化の実態を,阿蘇全域を対象とした地域スケールと集落を対象とした地区スケールとに分けて解析し,その変化の自然的,社会的な要因について検討した.
     本研究では,1905年頃,1950年頃,1995年頃に発行された地形図および1950年頃,1970年頃,1990年頃,2000年頃に撮影された空中写真を用いて草原分布の実態を把握した.また,草原分布の変化と地形条件などの諸要因との関係についてGISを用いて考察した.
     本地域の草原は,1900年代はじめ,阿蘇全域に分布していたが,その後約100年間でおよそ半分にまで面積が減少した(第1図).とくに,阿蘇カルデラの外側における減少が顕著で,これらは草原の利用形態の変化に伴う土地利用転換がおもな要因である.この土地利用転換には,草原の維持管理に適した地形条件や火山性土壌などの草原の立地条件が関与していると思われる.
     阿蘇地域において,とくに草原減少がみられるようになったのは1950年以降である.1960年代以降,全国的な造林ブームを背景に阿蘇地域の各地で行われた植林は,1950年から1970年の期間にみられる草原減少の主要因である.とくに,1959年に町有地の払い下げが行われ,住民の土地所有形態が変化した小国町では,草原への植林が急増した.また,1960年代,阿蘇地域で本格的に行われはじめた草地改良は,北外輪山を中心に阿蘇地域の各地に広まり,人工草地の増加による草原の減少をもたらした.
     1970年頃から現在の期間にみられる草原減少は,植林の他に雑木林・竹林化や放棄草地化によるものが多い.1970年以降,それまで主に牛馬で行われていた畑の耕起がトラクターへと変化した.さらに住民の高齢化や離農化が進行した阿蘇地域の農村では,草原を利用する機会が減少し,積極的な土地利用転換も行われず,草原の管理放棄に伴う草原減少が進行した.とくに,アクセス性が比較的悪い場所においては,草原と道路との距離が遠く,利用放棄に伴う草原減少が顕著にみられる.これらは,阿蘇東部の波野村など山東地方において多くみられる.
     1990年以降,牧野地域において草原の減少がみられるようになった.例えば,一の宮町日の尾牧野地域では,1990年7月の集中豪雨に伴う斜面崩壊による草原減少の他,現在は遷移の進行に伴う草原減少も認められる.この背景には,急勾配で林地に囲まれた牧野の立地条件とともに有畜農家の減少や牧野組合員の高齢化などの社会的要因により,1993年以降野焼きが中止されたことが関係していると思われる.
  • 石川 由紀, 大和田 道雄
    p. 133
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_ 研究目的 暖候季の100hPa面に形成される南アジア高気圧は,日本列島が位置する東アジアの気候に大きな影響を与えることがわかっている(大和田・石川,2002a;2002b;2004;石川・大和田,2004)。特に,夏季においては,北太平洋高気圧の張り出し方に大きな影響を与える(大和田,2001)。さらに,石川・大和田(2004)では,南アジア高気圧が日本列島を中心とする東アジアで北東方向へシフトしている状態の場合に,日本列島で局地的な豪雨が発生する場合も多いことがわかった。 そこで,本研究は,過去に発生した9月の局地豪雨災害の事例を取り上げ,南アジア高気圧の北東シフト傾向と,それに伴う亜熱帯ジェット気流,および寒帯前線ジェット気流の変動傾向と局地豪雨発生との関係を考察しようとするものである。_II_ 資料および解析方法 局地豪雨災害は,過去の災害の記録から,9月の前線と台風,もしくは前線による大雨によって発生した激甚災害の事例を選出した(表1)。選出した事例は14例で,日数にして98日である。総観場の解析においては,NCEP/NCARの再解析データを利用した。 また,南アジア高気圧の形状の確認は,100hPa面の等圧面高度場を用い,ジェット気流の吹走位置に関しては,200・300・400・500hPa面のu,v成分を用いて,その強風軸を特定した。北東シフト部分のトラフの位置は,特定の緯度においてv成分がマイナスからプラスに変化する経度とした。_III_ 結  果 南アジア高気圧の北東シフトが確認できた事例は,98日中83日で,その割合は約85%にも達することがわかった(図1)。また,その時のトラフの位置は,120_から_124Eが27例と最も多かった(図2)。参考文献大和田道雄(2001):総観気候からみた名古屋の暑さ.日本気象学会中部支部公開気象講座テキスト.1!)6.大和田道雄・石川由紀(2002a):北半球における亜熱帯高圧帯の鉛直分布の季節変動について.愛知教育大学研究報告,51.大和田道雄・石川由紀(2002b):地球環境変化にかかわる中緯度高気圧の変化!)最近の北半球における亜熱帯高圧帯の面積拡大傾向と移動性高気圧の帯状化との関係について!).地球環境,7.大和田道雄・石川由紀(2004):東アジアと西ヨーロッパの気候特性と最近の異常気象.安城市史研究,5.石川由紀・大和田道雄(2004):東アジアの秋季の豪雨発生に関わる帯状流のトラフと亜熱帯高圧帯.2004年春季地理学会予稿集.
  • 宇根 寛, 佐藤 浩
    p. 134
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     災害発生時において、災害の場所と規模がどの程度のものであるかを判定して必要な体制を整備し、すみやかに避難、救援、復旧活動を行うため、災害の素因・誘因を特定してさらなる被害の拡大や2次的災害を防止するため、行政やボランティアによる被災者の支援活動のため、また、被災建築物の除去や被災地域の復興計画策定・実施のため、それぞれの段階においてそれぞれのニーズに適切に対応した地理情報の提供が求められることはいうまでもない。しかしながら、災害発生の初期においては、政府や地元の災害対策本部などは、十分な情報を得られないままに対応に追われ、災害状況に関する地理情報を収集・整理するどころか、どんな地理情報が必要であるか、といったことさえ伝える余裕もないと言っていい。従って、提供する側は、どんな地理情報をどのように伝えれば現場のニーズに応えられるのかを、それぞれの段階ごとに自ら判断し、積極的に現場に伝えていく努力が必要である。 国土地理院では、災害対策要領に基づき、直ちに災害対策本部を設置し、GPSデータの解析、断層モデルの作成、空中写真の撮影、現地調査の実施、地図の提供、災害現況図の作成、HPによる情報提供などを決定し、すみやかに具体的活動を開始した。 初期段階での問題は、発災当初は最も被害の大きい地域の情報が伝えられず、周辺部の情報が先に伝えられることから、最も重要な被災地域を見誤る可能性があることである。限られた情報から災害の全容を推測するためには、震源の位置や規模の情報から、自然的、社会的条件を踏まえて、どこに被害が発生するかを地理学的に判断することが必要である。 国土地理院が行った主な地理情報の提供に関する活動は、空中写真の撮影、災害対策用地図の緊急作成、災害状況図(崩壊等分布図)の作成、電子国土Webシステムによる情報公開などである。 
  • 長春市を事例として
    方 大年
    p. 135
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    _I_目的 本研究は、中国における都市の内部構造の特性を追究するものであるが、特に都市を構成する重要な機能である商業機能に着目し、商業中心地の形成と変容を明らかにすることを目的とする。研究事例として、近年都市変化の激しい中国東北地方の吉林省長春市を取り上げる。_II_研究方法 長春市の歴史資料に基づき、それぞれの時代の商業中心地を明らかにして比較する。_III_考察 1.長春市における商業中心地の形成1)1911年、大馬路商業中心地に地元の中国商人たちの出資による商埠地(商業活動が活発な地域)がつくられた。満州時代の都市計画に基づき、駅前商業中心地と大馬路商業中心地は一本の道路で結ばれ、百貨店や企業が立ち並ぶ商業中心地として発展してきた。重慶路商業中心地、新発路商業中心地には満州時代の都市計画に基づいて、劇場と大型百貨店がつくられ、当時は賑やかな繁華街であった。2)新中国成立後は百貨店の建物がそのまま利用され、80年代まで国営百貨店として発展した。その時の都市構造は生産施設、住宅施設、生活施設などすべてを統合した「単位」という枠組として発展し、商業中心地はほとんど発達しなかった。3)80年代の改革開放による国民経済の向上にともない、国営商店を中心とした街が商業中心地となった。4)90年以降国営商店を中心とした商業モデルは崩壊し、国有、民営、株式、外資、第三セクター等多様な形態のデパートや専門店などが形成され、商業中心地の中心性が高まって拡大したところもあれば、衰退した商業中心地もある。紅旗街商業中心地、同志街商業中心地は85年の長春市政府の総合計画によって発展した商業中心地である。2.現在の長春市における商業中心地の機能1)駅前商業中心地は、交通運輸、医療(薬)、情報通信などの専門店、事業所を主とした商業中心地である。2)重慶路商業中心地は、金融や高級ホテルなどが集積している。なお、ここには行政官庁や医療機関なども集中している。3)大馬路商業中心地には、伝統的な商店、卸売業と中型デパート、スーパーマーケットなどが大馬路に沿って分布している。4)紅旗街商業中心地は、長春市政府の都市計画によってつくられた商業地区であり、主に大型デパート、情報通信関連の専門店、サービス業、飲食店が集まっている。5)同志街商業中心地は、長春市政府の都市計画によってつくられ、発展した地区である。文教地区に隣接しており、飲食店、小売業を中心とした商業地区だが、まだ発展途上の段階である。6)新発路商業中心地には、主に小売業、スーパーマーケット、飲食店などが集まっているが、衰退傾向にある。
  • 鈴木 力英, 近藤 昭彦
    p. 136
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    砂漠や氷で覆われるような地域を除き,植物は陸地の大部分を覆っている.極端な場合を除いて,人間の住むすべての地域で植物が存在すると言っても過言ではないだろう.植生は,気候などと並び人間環境を形作る極めて重要な要素であり,植生の変化は,人間社会への影響となって敏感に現れるはずである.現在の世界に分布する植生は,気候,水文,土壌,地形,雪氷といった自然の環境要因との太古からの相互作用を経験して成り立っている.さらに,人間による文明が地球上に現れてからは,農業や林業などによる植生の人工的な改変,すなわち人間活動との相互作用も経験してきた.以上のように,植生を考える時,自然要因と同時に人間要因考慮する必要がある.このような背景を持つ植生は,総合学問である地理学が積極的に扱うべき研究対象であろう. 植生は古くから人の興味を引き,盛んにその研究が行われてきている.19世紀を通じて世界各地の植物相が調べられ,現在では世界の植生分布が大きく六つの植物区系界に分けられている(例えば,林,1990).このような分類を行うには植生の現地調査が必要となる.実際のフィールドを訪れ,植物の種類,個体数などを観測することになる.しかし,地上を広く覆う植生すべてを,しかも継続的に現地調査することが不可能であることは明白である.それに対して,人工衛星は広域を均質に,かつ,継続的に観測するという,現地調査では適うことのない非常に大きな観測能力を持っている.衛星観測の持つ空間性と時間性という特徴は,植生を地理学的な視点から観察する重要な手法になるはずである.葉緑素を含む植物の葉は,可視域において反射率が小さいが,近赤外域では非常に大きい.この植物特有の分光反射特性を利用し,リモートセンシングによって得られる最も基本的,かつ広く応用されている植生情報である「(正規化)植生指数(NDVI: Normalized Difference Vegetation Index)」がNDVI = ( NIR – VIS ) / ( NIR + VIS )で計算される.NIRは近赤外域,VISは可視域での反射率である(例えは,ホッブス・ムーニー,1993).植生指数は算術的には –1 _から_ 1の値域をとるが,現実の陸域の場合は0.0 _から_ 0.7程度であり,地表面の「みどりの度合い(greenness)」を代表している.衛星「NOAA」のセンサー「AVHRR」,以下同様に「Terra,Aqua」の「MODIS」,「SPOT-4」の「VEGETATION」,「Landsat」の「TMやETM+」,などの観測値から計算することができる.植生指数は地表面の単なるgreennessであるため,「植物区系」や「植物相」といった従来からの植生に関する概念を取り入れ分析することは難しく,地上観測に基づく植生地理学との間にギャップがあることも否めない.しかし,すでに30年間に及ぶ衛星観測の歴史があり,様々な方面でそのデータは応用されてきている.例えば,植生指数を元にしたフェノロジー解析により,全球を1kmの解像度で覆う植生分類マップが作成されている.また,植生指数データの時間的連続性を活かし,近年の気候変化や,大気中の二酸化炭素濃度の増加と植生の経年変化との関連が研究されている.さらには,地球表層での炭素循環の研究分野でも植生指数が応用され,成果を挙げつつある.衛星観測による植生データの中には,植生の地域性や様々な変動に関する情報が記録されている.それを読み出すためには,地理学の持つ総合性,時空間に対するセンスが必要である.本シンポジウムでは,衛星リモートセンシングを利用した植生地理学の可能性を多様な側面から探り,得られる知識資産が人間社会へどう貢献するかを考える.将来に対する懸念である環境変化について,地理学はその課題解決に最も期待される学問分野であることを確認し,今後の発展へとつなげて行ければと考える.引用文献:林 一六 1990.『植生地理学 (自然地理学講座5)』 大明堂.ホッブス, R.J. ・ ムーニー,H.A.編,大政謙次・恒川篤史・福原道一 監訳1993.『生物圏機能のリモートセンシング』 シュプリンガー・フェアラーク東京.
  • 通勤流動にみるP&R・K&Rに焦点を当てて
    上江洲 朝彦
    p. 137
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    研究課題これまでの通勤研究は、任意の社会・経済的事象を素材に通勤流動を捉えたもの、あるいは通勤流動そのものを素材に任意の社会・経済的事象を考察したものの二つに大きく分けることができるが、それらの多くは交通手段への言及が少なく、特にP&R・K&R等の駅端末交通の研究事例は少ない。P&R・・・車で駅まで移動し駅周辺の駐車場に駐車後、鉄道を利用する移動方法K&R・・・は家族等が運転する車で駅まで同乗し、鉄道を利用する移動方法そこで、本研究では宮城県仙台市を中心にした仙台都市圏を対象地域に取り上げ、通勤流動における端末交通特にP&R・K&Rに焦点を当て、その発生メカニズムについて考察する。研究目的本研究では、パーソントリップデータの分析を踏まえた聞き取り調査及びアンケート調査の結果から、仙台都市圏の通勤流動における駅端末交通の発生、特にP&R・K&Rの選択に関わるメカニズムを考察する事を目的とする。研究方法 まずフィールドワークならびに2002年度に行われたパーソントリップデータ(以下PTデータ)等の分析から、居住地分布や公共交通の展開について考察する(_II_章)。次にPTデータの駅端末交通の集計から都市圏内の駅端末交通の利用状況に触れ、各端末交通の利用者数から駅の類型化を行う(_III_章)。続いて各類型から事例駅を選定し、各駅周辺の土地利用ならびにP&R・K&Rの展開についてフィールドワーク及びPTデータから分析する(_IV_章)。そして最後に都市圏の地域的特徴から各類型における駅端末交通の発生メカニズムならびにP&R・K&Rの選択に関わるメカニズムを考察する。まとめ本研究では、仙台都市圏の駅を3つのパターンに類型化しそれぞれの端末交通およびP&R・K&Rの選択メカニズムについて以下に考察した。徒歩卓越型「徒歩」と「二輪車」が端末交通として卓越する。その形成要因には「駅と居住地との近接」が挙げられ、加えて「駅周辺の駐車場台数」もそれらの発生に作用している。徒歩卓越型の駅の多くは駅と居住地とが近接しているため、自動車や路線バスなどを利用して移動する利用者数は少ない。このことが「徒歩」や「二輪車」といった移動距離の短い端末交通が卓越する要因と考えられる。徒歩卓越型の駅におけるP&R・K&Rの選択については、利用できる駅周辺の月極駐車場の台数が少ないためP&Rの発生は抑制され、駐車施設を必要としないK&Rが卓越する。公共交通卓越型「公共交通」と「自家用車」が端末交通として卓越する。それらの形成要因として、「駅と居住地との距離」、「駅周辺の駐車場台数」そして「高密な公共交通網の展開」等が大きく作用している。公共交通卓越型の多くの駅が立地している地区は、郊外核として機能しているため、住宅地と駅とを結ぶ路線バスの起終点にもなっている。そのため公共交通で通勤している駅利用者が多い。また、駅が郊外核に立地する性格から縁辺部から都心方向への移動の際、駅周辺部でP&R・K&Rが発生している。そのため、端末交通に占める自家用車の役割も大きい。公共交通卓越型の駅におけるP&R・K&Rの選択には、利用できる駅周辺の月極駐車場の台数が多いためP&Rの発生には好条件の地域である。また、公共交通卓越型の駅周辺部には、従業員用の駐車場を設置した就業地が多く分布している。そのためそれらを利用したK&Rの発生も多くみられる。そのため公共交通型の駅においてはP&R・K&Rの発生が共にみられる。自家用車卓越型「自家用車」のみが端末交通として卓越する。その形成要因として、「駅と居住地との距離」、「駅周辺の駐車場台数」そして「脆弱な公共交通網の展開」等が影響している。自家用車卓越型の駅の多くが、一日のバスの運行本数や路線数が都心部や郊外部に比べて極めて少ない地域に立地するため交通環境は自家用車に大きく依存しいている。そのため自家用車で通勤している駅利用者が多い。自家用車卓越型の駅におけるP&R・K&Rの選択には、利用できる駅周辺の月極駐車場の台数が多く、また駅利用者の世帯員の多くが自家用車を保有しているためP&Rの発生が卓越する。
  • 北島 晴美, 太田 節子
    p. 138
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
     筆者らは,これまで都道府県別平均寿命(0歳平均余命)と気候との関係を,『メッシュ気候値2000』(気象庁)を使用して分析し,_I_期(1923, 1928, 1933)には,男・女の平均寿命と降水量には有意な相関関係がみられることから,降雪量の違いが_I_期平均寿命の地域差に影響した可能性を確認した。_II_期(1955, 1960, 1965, 1970, 1975)には,男・女の平均寿命は,全年を通しての月平均気温(日最高,日最低,日平均気温)と正相関があり,最深積雪と負相関がある。_II_期に見られた平均寿命と気温,最深積雪との相関関係は,_II_期の前半までの全国の状況を反映したものと推察された。_III_期(1980, 1985, 1990, 1995, 2000)には,男女の平均寿命は気候要素とほぼ無相関であった(北島・太田,2004)。
     _III_期には,平均寿命と気候には相関関係が見られないが,高齢者に限れば冬季の気候条件の違いが戸外での活動を制限し老化の進行に影響する可能性があり,高齢者の平均余命は,全ての年齢階級の死亡率を反映した平均寿命よりも気候の影響を受けやすいと考えられる。
     本研究の目的は,高齢者の平均余命が_I_期,_II_期において平均寿命よりも気候条件と関連していたのか,_III_期において高齢者の平均余命は気候条件と関連があるのかを,長期間のデータから明らかにすることである。

    2.研究方法
     北島・太田(2004)と同様の資料から,_I_期,_II_期,_III_期について,都道府県別高齢者平均余命分布図を作成し,平均寿命の分布とどのような違いが見られるのか調べた。
     次に,各期間で都道府県別高齢者平均余命は気候要素とどのような相関関係を持つかを検討した。
     さらに,各期間の特徴を詳細に検討するために,13年分の65_から_80歳の平均余命と気候要素との相関係数の変遷を調べ,特徴的な相関関係を示した気候要素について,高齢者の平均余命に及ぼす影響を考察した。

    3.高齢者の平均余命と気候要素との相関係数の変遷
     日平均気温(年平均)と平均寿命および65歳平均余命との相関係数(図1)は,平均寿命,65歳平均余命とも_II_期に最も相関が強く,_III_期に最も弱い。_I_期には両者の中間的な値を示す。平均寿命よりも65歳平均余命の方が日平均気温と相関が強い。平均寿命は_III_期には日平均気温と有意な相関関係がないが,65歳平均余命は1985年まで日平均気温と有意な相関関係がみられる。
     年最深積雪と平均寿命との相関係数(図2)は,_I_期に最も負の相関が強く,_II_期,_III_期には次第に相関が弱くなり1990年以降は相関係数が0前後となった。65歳平均余命では,_II_期に最も負の相関が強く,その後次第に相関係数が0に近づく。_II_期,_III_期において,平均寿命よりも65歳平均余命の方が年最深積雪と相関が強い。平均寿命と年最深積雪に有意な相関関係がみられるのは,1965年(男性)あるいは1970年(女性)までであるが,65歳平均余命は1980年まで有意な相関関係がある(図2)。75歳平均余命は1985年まで,80歳平均余命は1990年まで有意な相関関係がみられる。
     以上のように,高齢者の平均余命は,_I_期の最深積雪を除いて平均寿命よりも気候との相関関係が強く,_III_期初めまで気温・最深積雪と有意な相関関係があった。また,高齢になるほど,有意な相関関係が最近まで持続する傾向があった。

    北島晴美,太田節子 2004:都道府県別平均寿命の分布の変遷と気候の影響.信州大学山地水環境教育研究センター研究報告,3,53‐75.
  • 防災マップを指標として
    井ノ元 宣嗣
    p. 139
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1995年の阪神・淡路大震災は、阪神間を中心とする地域の人命・財産に多大なる被害をもたらすと同時に、日本における災害対策のあり方を大きく変化させる契機となった。それは理念として「防災」から「減災」への変化である。減災概念における災害対策の代表例として挙げられるのが防災マップである。「防災マップ」とは、1988年から国土庁(現・国土交通省)が災害に対して脆弱な国土条件にあるわが国において、住民の生命・身体・財産等を災害から守るため、「防災マップ作成モデル事業」を通じて、国土と災害に対する正しい情報の周知に努めてきた際に呼ばれた名称である。そして今日、多くの自治体等でこの防災マップなるものが作成され、住民へ公開されている。しかしながら、それらの内容が実際の災害発生時に備えるものとして考えるとまだ不十分であると、演者は考えている。そこで、本報告は現在公開されている防災マップの内容に関する評価と、防災マップを通じてみた地方自治体における災害対策の課題とそれを規定する要因を明らかにすることを目的とする。
  • 北海道砂原町の郷土芸能を事例に
    齊藤 智晃
    p. 140
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    _I_ はじめに 公立の小中学校の通学範囲である学区という地域は,学校統廃合の影響を受け,徐々にその範囲が統合されていく.その結果,学校と地域との関わり方も変化し,統廃合前の地域コミュニティが崩壊していくのではないかといった懸念が多い.この点について,今回取り上げる北海道砂原町は,統廃合以前の3つの小学校区それぞれに固有の郷土芸能が存在し,学校と関わる地域活動として行われてきた経緯をもつ。これらの存続については,統廃合の議論がなされた時にも強い要望があり,学区ごとの地域のまとまりを示す大きな指標であったといえる.そこで,これらの郷土芸能の統廃合前後での活動状況の変化から,学校統廃合が砂原町の地域コミュニティにもたらした変化を考えてみたい._II_ 対象地域の概要北海道砂原町は,渡島半島の中部に位置する,人口約5000人,面積56.85k_m2_の小さな町で,町内には1953年以降,砂原小学校・掛間小学校・沼尻小学校の3つの小学校が存在してきた.1997年に児童数の急激な減少から,これら3校が統合され,新たに「さわら小学校」という,町に1つの小学校が誕生した.この時,小さな町であったことと,3つの小学校区がともに漁村という同様の地域性を持っていたことから,住民からの大きな反発はなかった._III_ 統廃合前の活動状況 砂原地区の権現太鼓,掛澗地区の内浦湾道中奴,もともとは青年会の行事で,いずれも地区の小学生対象として行われるようになったのは1979年からである.共に,当初は地域活動として開始し,それぞれ23人と9人の参加であった.権現太鼓は,全員参加の学校行事としては行われなかったが,内浦湾道中奴は,統廃合直前の1996年には,運動会において4年生以上の小学生全員参加で,学校行事として行われていた.沼尻地区の沼尻駒踊りについては,もともとが沼尻小学校の5・6年生参加による学校のクラブ活動の一環として1979年に始まり,統廃合前年の1996まで存続していた._IV_ 統廃合後の活動状況権現太鼓と内浦湾道中奴は,ともに地区の有志参加の形態で存続しているが、権現太鼓の現在のメンバーは,小学生はわずかに10名で,砂原地区の子どもは7名だが,掛澗地区の子どもも3名参加している.さらに中学生以上の参加者も9名あり,そのうち一人は近隣の鹿部町在住の方である.対して沼尻駒踊りは,現在でも地区の小学生は原則として全員参加で行われ,2004年度は19人が参加している. _V_ まとめ 以前は、自分の学区内の郷土芸能に参加するのが原則であったが,町で1学区となった現在は,権現太鼓がそうであるように,他地域の子どもでも希望があれば参加できるようになり,旧学区の枠組みが取り払われつつある.しかし,地区全体の児童数から見ると参加者は明らかに少なく,野球やサッカーといったスポーツ少年団の人気に押されがちであるのが現状だ. その一方で人口が最小で,他の2地区から距離の離れている沼尻地区では,いまだに全員参加で駒踊りが行われており,旧学区としてのまとまりの強さがうかがえる. 砂原町では2005年4月1日に近隣の森町への吸収合併が予定されている.合併後は,もともと小規模な砂原町の地域コミュニティがどうなっていくのか,気になるところだ.
  • 神谷 浩夫, 中澤 高志
    p. 141
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.研究目的発表者らは,金沢市と横浜市に立地する高校の卒業生に対する調査を踏まえ,ライフコースが地域ごとに差異化するメカニズムを明らかにする研究を行ってきた.これまで調査対象としてきた高校は,県立の進学校である.それゆえ卒業生がたどったライフコースは,それぞれの地域を出身地とする者のうち,限られた層のライフコースしか代表していない.そこで発表者らは,実業高校卒業生に対しても卒業後のライフコースを多面的に把握する調査を行い,ライフコースと地域性の関係を,より広い階層について検討することを企画した. 実業高校における生徒の進路選択については,教育社会学における研究蓄積がある.それらのほとんどは,学校と職場の接点のみに着目しており,生徒が卒業後いかなるライフコースを歩むかについては,研究の射程外に置いている.また既存研究の多くは,学科に関わらず実業高校を一括し,地域における個々の高校の位置づけを考慮せずに,もっぱら普通科高校との対比(多くの場合は高校の序列における実業高校の低位性)を問題にしている.発表者らは,実業高校を卒業することの意味は,地域によって,また男女によって異なるとの前提に立ちつつ,実業高校卒業生のライフコースを地域的な文脈においてとらえることを目指す.今回の発表は一連の研究の中間報告であり,金沢市のA商業高校卒業生に対する調査結果を中心に報告する.2.調査 2000年12月に,石川県立A商業高校卒業生に対してアンケート調査を行った.A商業高校は創立以来100年以上の伝統を誇り,地域経済において枢要な位置にある卒業生も少なくない.調査対象者は1982年3月から1991年3月に同高校を卒業した女性2,718人と男性978人であり,女性356人(13.1%),男性77人(7.9%)から回答を得た.本発表では,今回の調査に基づく男女の比較に加え,以前実施した石川県立S高校の卒業生に対する調査との比較を通して,商業高校卒業生のライフコースの特徴を明らかにする.なお,2005年2月には,アンケート回答者から協力者を募ってグループインタビューを実施する予定であり,当日はその知見も交えて発表を行う.3.結果 対象者の多くは,就職に有利であるなどの積極的な理由からA商業高校への進学を選択しており,普通高校への進学が成績的に難しいなどの消極的な理由で進学してきた者は少ないようである.女性では,高校卒業後の進路として就職を選んだ者が80%を超えており,そのうち60%以上は事務職に就いている.A商業高校の女性は,男性に比べて,就職し,社会に出ることを自明視する傾向にある.その一方で,親が進学に反対したことを就職理由の一つとしてあげた者が14%おり,これを選んだ者が60人中1人しかいなかった男性と対照的である.A商業高校の女性の就職先選択理由を,進学校であるS高校の女性(多くは大学・短大卒で就職)と比較すると,大企業であること,給料が高いこと,休日数が多いことなどを重視する傾向にある反面,自分の適性や能力を活かせることや女性が働きやすい職場であることをあまり重視していない.A商業女性は,高校卒業時点からS高校の女性に比べて結婚,出産後の就業継続意欲が弱い.そのため,いわば「腰掛け」的に地元大手企業の事務職として就職することが多く,結婚や出産に伴って退職する者も多い.しかし既婚女性の1/3以上が夫あるいは自分の親と同居していることもあって,出産後の再就職率はきわめて高い.ただしそのほとんどは,非正規雇用である. 自営業主の養成は,A商業高校が本来的に担っていた役割であり,男性では現在自営業を営んでいる者が一定の割合を占めている.男性では,販売・営業職に就いた者が最も多いが,女性における事務職ほど,職種の一貫性はない.男性の約1/3は,高校卒業後,進学している.男性の進学者27人のうち,14人は専門学校に進学し,新たに職業教育を受けている.雇用労働化が進むにつれ,A商業高校の役割は自営業主の養成から定型的な事務職の育成へと移っていった.しかし高卒労働市場において,事務職として就職する機会は,ほぼ女性に限定されている.A商業高校において,人数的にも少数派の男性は,女性に比べて進むべき進路が不明瞭であり,その結果が進路や職種の多様性となって現れている.
  • 中澤 高志, 川口 太郎, 佐藤 英人
    p. 142
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.研究の目的 高度成長期以降の東京大都市圏における住宅供給の変化は,供給地点の外縁化と住宅の集合化・高層化に特徴づけられる.これらの特徴は,日本住宅公団に代表される公的デベロッパーが先鞭を付け,これに民間デベロッパーが追従するかたちで顕在化してきた.バブルが崩壊し,地価が下落局面にはいると,住宅供給地点は一転して外縁化から都心回帰へと転じた.いっぽうで住宅の高層化はいちだんと進み,今日では50階を超えるようなマンションも登場している.住宅に関する研究は,すでに地理学においてもかなりの蓄積をみている.しかし研究の関心は,都市住民の住宅取得行動や特定サブマーケットにおける住民特性など,住宅の市場における消費の主体である住民に向けられることが多く,大都市圏における住宅供給について包括的な検討を加えた研究は限られている.本発表では公的デベロッパーおよび民間デベロッパーの宅地開発と,バブル崩壊以降の都心周辺部におけるマンション供給の動向を経年的に把握しうるデータを用い,東京大都市圏における住宅供給の動向を定量的に分析することを目的とする.2.資料都市再生機構の資料には,現在都市再生機構が管理する賃貸住宅と,おもに日本住宅公団と住宅・都市整備公団が建設,分譲した分譲住宅について,着工年や供給戸数などが記されている.このうち分析に使用するのは,東京都,茨城県,千葉県,埼玉県,東京都,神奈川県に立地する物件である.民間デベロッパーの住宅供給に関しては,千葉,埼玉,神奈川の各県より得られた宅地開発に関する資料を用いる.これらは各県下において行われた大規模な宅地開発の台帳であり,ここから公団や住宅供給公社などの公的デベロッパーによる宅地開発を省いて分析する.データの主な項目は,着工年や開発面積であるが,県ごとに記載内容が異なっており,データにも精粗がある.マンション供給については,『全国マンション市場・30年史』を用いる.これは,1973年から2002年末までに供給されたか,もしくは2003年以降に供給が予定されている超高層マンション(20階以上)について,総戸数や供給主体などを収録している.3.分析 日本住宅公団は,中堅所得層に良好な居住機会を整備する目的で,1955年に設立され,東京大都市圏だけで約40万戸の賃貸住宅と約20万戸の分譲住宅を建設してきた.公団は「高・遠・狭」と揶揄されるような,需要に見合わない住宅を供給し続けたと批判されることが多い.確かに1970年代に供給地点が外縁化を見せている.しかしそれぞれの供給地点における供給戸数を考慮すれば,設立以来の供給地点の変化は,民間デベロッパーに比べると小さい.民間デベロッパーによる宅地開発が盛んに行われたのは1980年代までであり,その間供給地点は外縁化してきた.外縁化の程度は千葉県において大きく,神奈川県において小さいなど,セクターごとに差が見られる.1990年代の後半からは,都区部を中心にマンションの供給が活発化し,都心3区だけで約1.5万戸,都区部全体では6万戸の超高層マンションが供給されている.超高層マンションの建設は,郊外にも波及しており,2000年から2002年末までの間に約1.4万戸が都区部外の1都3県に供給された.今後も都心3区で約3.5万戸,都区部全体で8.7万戸あまりの建設が予定されている.マンションの大量供給は,第二次ベビーブームコーホートの住宅市場への本格的な参入をにらんでのことであろう.しかし,その動向には不確定の要素が大きく,今後の住宅市場の動向が注目される.
  • 京都市中京区における事例
    原澤 亮太
    p. 143
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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     日本の都市部は木造住宅が密集していることが多く、そのような場所では道路の整備が進まない状況にある。地震時の道路閉塞に伴う問題は、諸外国と比較して日本に顕著な現象である。 本研究では、被害分布に影響する表層地質による土地条件を考慮して、地震時の道路閉塞を想定する。そして二次被害対策のひとつである避難に着目し、避難危険度およびその要因について分析することを目的とする。更に、防災対策に対する問題提起もしたい。 本研究では、地震災害時に避難距離(時間)が著しく延長あるいは避難が不可能になる危険性を「避難危険度」と呼ぶ。  建物倒壊の要因として、土地条件を考慮する。空中写真判読および遺跡発掘資料を用い、軟弱地盤の推定を行った。 建物倒壊については、京都市による被害想定(京都市 2003)における花折断層を震源とする地震時の全壊率から、倒壊数を設定した。倒壊する建物は、旧版空中写真の判読により推定した老朽家屋とした。軟弱地盤上の建物から優先的に倒壊を想定する。 道路閉塞は、倒壊建物の瓦礫による交通の寸断に限定した。閉塞区間の想定には、市川ほか(2004)のモデルを参考にした。倒壊建物の全周囲に高さと等しい幅で瓦礫が流出し、それが道路中心線までかかった場所を閉塞区間とする。 対象地域内各所(交差点ノード)から、一時避難場所および市指定の広域避難場所までの避難距離を求めた。分析は平常時の道路網と閉塞箇所を取り除いた道路網とで行った。 京都市は戦災が少なかったこともあり、多数の老朽家屋が存在している。また周囲には、今後大規模な活動の可能性が指摘される活断層が数多く存在している。将来、大規模な地震災害が懸念されることから、本研究の対象地域として選定した。 結果は以下のようになった。(1)避難困難になる場所が、一定の場所に集中:避難が困難になるのは、老朽家屋の多い場所、閉塞しやすい細街路の多い地域、軟弱地盤の存在する付近である。当該地域においてはこれらの条件が全て重なる場所が多く、避難困難地域の集中をもたらしたものと考えられる。(2)避難不可能となる場所が相当数発生:閉塞した道路に囲まれるため、避難が不可能となる場所である。発生する地域の傾向は(1)と同様である。早急な対策を要する問題といえる。(3)高齢者人口密度の高い地域と避難危険度の高い地域が一致:戦前からの旧市街や、高度経済成長期に都市化したような地域に多く見られる。戦後の開発地域は(1)の条件とも重なる。 本研究では土地条件、老朽家屋、細街路、高齢者人口といった悪条件が重なる場合が多いことが明らかとなった。その要因は次のように考えられる。京都の旧市街には「町家」と呼ばれる戦前からの木造家屋が密集して存在していた。それに加え高度経済成長期の住宅需要に伴い、小規模な木造家屋が郊外にスプロール的に増加していった。これらの土地は、地盤が軟弱であった場所も多い。現在は建物の老朽化、住民の高齢化が同時に進行していると考えられる。 将来の地震災害時を想定した場合、老朽化した建物は倒壊し、区画整備の進まなかったような細街路の多くは閉塞する。一方、住民の多くは高齢者であり、さらに道路閉塞と重なり、かなりの避難困難者が発生することにつながりかねない。 今後の防災計画の中で、この問題は十分に考慮されることが望まれる。
  • 松島 紘子, 須貝 俊彦, 八戸 昭一, 水野 清秀, 杉山 雄一
    p. 144
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
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    1.はじめに
     関東平野中央部における中期更新世の地形発達は,中期更新統が地下に埋没しているために不明な点が多い.演者らは先に,関東平野内陸部に位置する埼玉県吹上町において活断層研究センターが掘削した深度173.20mコア(GS-FK-1;図1)と,吹上に隣接する行田市において埼玉県が掘削した深度610.70mコア(SA-GD-1;図1)を解析し,以下の知見を報告した(松島ほか, 2004a, b).MIS9とMIS11の海進期には吹上町以北にまで海域が拡大したこと,海退期には基底礫層(G1_から_G4)が形成されたこと.加えて,各礫層の礫種構成と礫径を分析して,荒川および利根川の流路変遷や利根川流域の火山からの礫供給量の変遷を考察した.本研究では,GS-FK-1コアとSA-GD-1コアを基準として,既存ボーリング柱状図を分析・整理し,関東平野中央部における中期更新世以降の古地理変遷の復元を試みた.
    2.方法
     上述したGS-FK-1コア・SA-GD-1コアと,GS-OK-1コア(中澤・遠藤, 2002)・羽生地盤沈下観測井コア(埼玉県, 1990)を基準として,深井戸柱状図データを加えて,吹上_から_羽生間(A-A’)および・吹上_から_北本間(B-B’)の地質断面図を作成した(図2).さらに断面図を含む24×30kmの範囲を対象として既存柱状図データを用い,貝化石産出層準から識別したMIS9とMIS11海成層の上面高度分布図をGISソフトを用いて作成した.各基底礫層の下面高度・層厚分布図も同様に作成した.
    3.結果と考察
    3-1 MIS9とMIS11の海成堆積物の空間分布と特徴
     同一の海進_から_高海水準期に堆積した一連の浅海性の地層は,海域が拡大した時期のおおよその海面高度を示す.対象地域においては,MIS9とMIS11の海成層は概ね水平に連続性よく堆積している(図2).MIS9とMIS11の海成層はいずれも吹上_から_行田_から_羽生まで確認できることから,この位置まで海進時に海岸線が後退したことは確実である.当時の海岸線は羽生よりさらに北東へ延びていたと推定される(図1).海成層の分布限界(図1)はほぼ同位置であるが、GS-FK-1とSA-GD-1の層相解析によれば,MIS11の海成層は厚い内湾性の泥層を主とし,MIS9のそれは淘汰の良い海浜砂の薄層を主とすることから,MIS11の最大海進時の海岸線の位置はMIS9のそれよりも内陸に及んでいた可能性がある.このことは,グローバルな海洋酸素同位体比変動特性や関東平野南部の海成層の産出化石の分析結果などから, MIS11の海進がMIS9のそれより大規模で,温暖であったと推定されていることと調和的である.しかし古東京湾の閉塞状況や直前の氷期の地形特性,河川フラックス,深谷断層系の活動などといったローカルな条件が堆積環境に影響していた可能性があり,更に検討が必要である.A-A’断面では,海成層が僅かに低いSA-GD-1付近にMIS11以降の沈降軸が存在することを示す.また,B-B’断面では,鴻巣10付近を境に北西側は深谷断層の沈降側,南東側は綾瀬川断層の隆起側に位置し,GS-FK-1と鴻巣5の間ではMIS9とMIS11の海成層上面に標高差が認められる.このことは,深谷断層と綾瀬川断層が長大な活構造(深谷断層系;杉山ほか, 2000)の一部を成していることを示唆する.
    3-2 MIS7_から_MIS8の河成堆積物の空間分布と特徴
     礫層は細粒層を狭在しながら層相変化するため対比が難しいが,上述した海成層との上下関係に着目することによって側方に追跡できる.MIS7_から_MIS8に堆積したG3礫層は上流側ほど厚く,鴻巣10とSA-GD-1以東で急激に薄くなる(図2).MIS8氷期の谷の基底礫に,MIS8_から_MIS7の扇状地礫が累重したと考えられる.G3構成礫はGS-FK-1とSA-GD-1の礫層解析から主に荒川起源であり,したがって厚い礫層の分布限界(図1)は荒川の扇状地の末端と概ね一致すると推測される.しかし,基底礫と扇状地礫を区別することは困難であり,礫層の堆積時期等は今後の検討課題である.
  • 江崎 雄治, 山口 泰史, 松山 薫
    p. 145
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    【_I_ はじめに】
     日本の地方圏においては,引き続く社会減に自然減が加わることにより,さらなる人口減少の加速が懸念されている.そのような中,社会増減と直接関わる還流移動,すなわちUターンの動向は,今後ますます注目を集めることになろう.
     しかしながら,国勢調査,住民基本台帳人口移動報告というわが国の人口移動統計の2本柱からは,居住経歴が調査されていないためにUターン移動を把握することは不可能であり,このためUターン現象に関する実態解明は不十分な状況が続いた.このような中演者らは,かつて長野県と宮崎県の出身者約5,300名に対し居住経歴等を尋ねる調査を実施し,その結果,1956_から_58年高校卒から1976_から_78年高校卒の世代にかけて,三大都市圏にいったん他出した者のUターン率が一貫して上昇したことなど,いくつかの知見を提示することができた(江崎ほか,1999,2000).
     本研究では,地方圏の人口減少の加速化が懸念される中で,最近の若い世代の動向を把握する必要性が生じつつあること,前回調査では男性出身者のみを調査対象としていたため,男女間のUターン率の違いなどに関する分析が課題として残ったことなどをふまえ,新たに山形県庄内地域出身者を対象として同様の調査,分析を行うこととした.
    【_II_ 調査の概要】
     本研究では,山形県庄内地域出身の男女に対して,居住経歴や職歴等を尋ねる調査を郵送形式で行った.
     具体的には,山形県庄内地域の20の高等学校のうち12校の同窓会名簿(卒業生名簿)を入手し,1976_から_78年卒,1986_から_88年卒,1996_から_98年卒の3世代の卒業生に対して調査票を送付した.1976_から_78年卒業生には5,000通送付し,1,092通を回収(回収率21.8%), 1986_から_88年卒業生には7,000通送付し,947通を回収(同13.5%), 1996_から_98年卒業生には7,000通送付し,699通を回収(同10.0%)した.
    【_III_ 調査結果】
    1.他出経験のない者の割合
     調査対象者の居住経歴を,「1.庄内定住」「2.学卒Uターン」「3.一般Uターン」「4.県内他地域他出」「5.三大都市圏他出」「6.その他地域他出」に大別して,それぞれの人数を集計した.まず庄内以外の地域での居住経験のない「1.庄内定住」は1976_から_78年卒は27.7%,1986_から_88年卒は26.5%,1996_から_98年卒では14.9%であった.1986_から_88年卒から1996_から_98年卒にかけて大きく減少しているが,それまで停滞していた山形県の大学進学率が1990年代以降上昇を続けていることなどから,主に大学進学に伴う他出者の増加と考えられる.
     なお「1.庄内定住」の割合はどの世代においても男性が女性を数%上回っている.
    2.他出経験者のUターン率
     「1.庄内定住」を除いた「2.学卒Uターン」_から_「6.その他地域他出」は,庄内以外への他出経験を有する者である.そのうち「2.学卒Uターン」は大学(短大・専門学校)卒業と同時に庄内に帰還した者,「3.一般Uターン」は他地域で就業し,一定期間経過後に庄内に帰還した者である.ここで,「2.学卒Uターン」の人数を「2.学卒Uターン」_から_「6.その他地域他出」の合計で除したものを「学卒Uターン率」,「2.学卒Uターン」と「3.一般Uターン」の合計を「2.学卒Uターン」_から_「6.その他地域他出」の合計で除したものを「Uターン率」と定義し,男女・学歴別に値を算出した.その結果,「Uターン率」については高校卒では上昇傾向が伺えるが,進学した男子についてはむしろ低下する傾向がみられた.これと呼応するように「学卒Uターン率」についてもおおむね低下傾向がみられる.なお,表からわかるように,ほとんどの集計項目について男性が女性を上回る値を示している.
    3.Uターン者の属性
     きょうだい構成についてみると,男性では「一人っ子」「その他の長男」「次男三男等」の順に,女性では「一人っ子」「姉妹のみの長女」「その他の女子」の順にUターン率が高いが,世代とともに続柄間の格差は縮小する傾向にある.また「3.一般Uターン」について就業開始からUターンまでの期間を観察したところ,前回調査と同様,比較的早い時点でのUターンが大勢を占めた.1976_から_78年卒世代のUターンまでの平均年数は男性が4.45年,女性が4.56年であった.学歴別では,高卒者では男女差はほとんどみられないが,大卒者では女性のほうがUターンまでの経過年数が長い.
  • 赤石 直美
    p. 146
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    近年,環境問題への関心が一般化するなかで,棚田を特徴とする農村景観は歴史的・文化的景観として捉えられ,その維持や保全活動が注目されている。しかし,2004年,記録的な集中豪雨や相次いだ台風の上陸,新潟中越地震などの災害により,農村景観を形成する農地・農業用施設は大きな被害を受けた.例えば,棚田の被害が顕著であった新潟中越地震では,農地・農業用施設などの被害は約15,000ヶ所にのぼり,被害額は約900億円といわれる(2004年11月25日現在).災害が多い日本では,今日みられる農村の景観は,このような災害による被害と,それに対する復旧を繰り返しつつ維持されてきたのである.しかしながら,歴史災害において復旧や復興を取り上げた研究は必ずしも多くはない.そこで本研究は,災害による被害から農地はどのように復旧,あるいは復興されてきたのか,過去の人々の対応を検討する.本研究が対象としたのは,1935(昭和10)年に京都市周辺で発生した鴨川・桂川の氾濫を中心とした水害の被害を受けた耕地である.この地域はもともと,京都市周辺は平安京の遷都以来,幾度となく水害を被ってきた.特に,1935(昭和10)年の水害は,鴨川改修の契機となる大きな災害であった.まず,本研究はこの水害による農地とその関連施設の被害を京都府レベルでみていきたい.水田の被害面積は14,922反(被害見積価格は約197万円),畑の被害面積16,699反(被害見積価格約26万円)であった.さらに,溜池の被害面積は55,877反(被害見積価格約13万円),水路の被害間数は73,583間(被害見積価格約91万円)であった.加えて,井堰・堤塘などの被害見積価格は約32万円であった.区町村別に被害状況を見ると,京都市,愛宕郡,桂川上流部の南桑田郡・北桑田郡周辺での被害が大きかった.次にこれらの地域のうち,今日,京都府のふるさと保全事業の対象地域である,京都市左京区大原(旧:愛宕郡大原村)や静原地域(旧:愛宕郡静市野村)の被災状況に注目した.すると,田畑は「石砂入,土砂堆積荒地等」,畦畔は「堀潰,山崩潰等」,溜池は「埋没,決潰,破損等」などの被害が報告されていた.さらに,農地の被害は課税問題と関係すると考えられるので,土地台帳の記載内容を検討した.その結果,「昭和十年十月十五日荒地成昭和十三年迄荒地免租年期」などと記載された田畑が多数みられた.この免租期間は土地によって異なり,数年_から_十数年間であった.また,その記載に続いて,「流失」あるいは「土砂入」,「石砂入」と具体的な被害内容が朱書きされていた.このように昭和初期においても,災害の被害を受けた耕地は数年間,地租を免除されていたのであった.この被害を受けた農地の復旧過程を解明するにあたり,本研究は,京都府で作成された「昭和十年水害復旧耕地事業台帳」を利用した.これは,耕地や畦畔をはじめ,農道,溜池,水路,井堰の復旧に掛かった補助金額を,申請のあった事業毎に記した資料である.これによると,事業の申請件数は京都市で116件,愛宕郡大原村で60件,愛宕郡静原村で84件であった.申請年度は,1936(昭和11)年_から_1939(昭和14)年の間で,それらの工事は着工から2_から_3年の間に完了していた.なかでも,溜池・水路・農道・井堰は公共の施設の復旧事業として取り扱われていた.その一方で,土地台帳による田畑の被害記録と復旧事業申請数を比較すると,後者が少ないことがわかった.そこで,具体的な復旧方法について,昭和20年代に災害を経験した農家に聞き取り調査を行った.それによると,彼らは土砂や礫といった堆積物を取り除き,もとの耕作面を掘り出して田畑を復旧したという.その際,補助金などの援助を受けていなかったようである.このように田畑の復旧は,一部では補助金が利用されていたものの、多くの場合、それぞれの農家によって行なわれてきたのであった.本研究は,1935(昭和10)年における京都の水害と,それによる農地の被害,さらにその復旧過程を検討した.その結果,溜池や農道などは,公共の復旧事業として扱われた場合が多かった。それに対し,田畑では補助金の交付を受けたケースは少なく,個々の農家が復旧工事を行なってきたのであった。ここ数年,環境に対する価値観が変化し農地の保全が言われているものの,農業の衰退が進む今,災害を機に離農する農家があると考えられる.このような問題に対して,災害復旧にみる過去の環境に対する価値観が,いかに貢献できるのかを検討することは,今後の課題である.
  • 苅谷 愛彦, 佐藤 剛, 黒田 真二郎
    p. 147
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    ■白馬岳周辺の高山地形は,主に氷河地形学と周氷河地形学の視点で記載されてきた.一方,空中写真判読に基づく地形分類図が最近刊行され,本地域における多数の地すべり〔広義;以下LS〕地形の存在が明らかにされた.演者らも空中写真判読や踏査を行い,黒部川右支柳又谷源流部の長池平や小旭岳西方にLS地形 や,LSの前駆とみられる線状凹地〔LD〕を多数確認した.LS地形やLDは氷河・周氷河地形と並び,本地域の多様な景観の形成に重要である.■調査地のLSは,_丸1_岩盤すべり,_丸2_堆石すべりに大別できると考えられる.最新地質図によると,岩盤すべりの一部は地質断層や層理面をすべり面とする可能性が高い.LS は斜面上に単発することもあるが,特定斜面でのLSの集中やLS移動体の二次滑動により複合体をなすことも多い.長池平や小旭岳西方には推定総体積 ≧10の6乗 m3の大規模LS複合体が存在する.とくに長池平LS複合体〔NLC〕では西進した移動体が顕著である.移動体表面には多くの微地形(圧縮稜線や凹地)が生じている.NLC主移動体の推定平均すべり面深度は約110 m,推定体積は7.5×10の7乗m3である.主移動体の西進は鉢ヶ岳南面や白馬岳北面の中規模LSを誘発し,三国境にLD列を発達させた可能性もある.■なお,長池平の残雪砂礫地(地点1)では完新世中期の埋没腐植土が発見され,汎球温暖化とその後の冷涼化に結びつけた消雪変動が論じられた.しかしNLC主移動体の一部は後方回転を伴い西進した疑いが強い.斜面変動の進行中に地点1付近が東へ逆傾斜し,ドリフトの形成に有利な地形条件が生じたならば,土層埋没の主因は斜面変動由来の局所的微気候変動である可能性が出てくる.■第四紀末期,調査地に氷河が発達したことは疑いないが,拡大範囲や年代は未詳である.断片的情報に基づく推定氷河最拡大域とLS分布を重ねると,氷河が発達した谷頭でLS地形が発達することがわかる.内外で指摘されてきたように,解氷後の岩盤内の応力変化がLSの発達に関与したと考えられる.また解氷直後や(間氷期の)冷涼期に山岳永久凍土の形成-衰退が生じ,LSの発生に影響した可能性もある.滑動の数値年代が判明している例は少ないが,長池北岸の中規模LS は7433 cal BP以降に生じた(地点2).■LSやLDは斜面に複雑な微起伏をもたらす.またLSに因む岩盤や斜面物質の脆弱・細分化のために斜面深部と表層の水文条件が変質する.それらは総じて傾斜や含水量,積雪分布,斜面物質移動の様式・速度を変化させ,ひいては植生分布に影響を及ぼす.調査地の多様な景観の成立要因としてLSやLDの重要性を一層強調すべきであろう.また斜面発達に対する貢献度についても,周氷河性斜面物質移動よりLSの方が量的に重要な場所は少なくないとみられる.NLC主移動体が1万年間に傾斜方向へ300 m平行移動したと仮定すると,長期の平均相対垂直物質移動量は1.7×10の6乗 m•ton•km-2•a-1となり,周辺の斜面での実測・推定値より2-3桁大きいことになる.
  • 苅谷 愛彦, 佐々木 明彦, 山本 紀夫
    p. 148
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    ■アマゾン川源流域に属するアンデス東山系東面では,標高1000 m前後の熱帯降雨林帯から同5000 m前後の氷雪帯に至る多様な自然環境が,水平距離100 km程度の狭い範囲内に連続して現れる.住民は大きな高度差を活かし,自給自足を基本とする持続的農牧を営んできた.すなわち,彼らは年間を通じ垂直方向に移動し,異なる環境を利用しつつ農牧を行ってきた.こうした環境利用は西山系を含むアンデス各地で認められ,垂直統御と呼ばれて民族学・人類学的視点で研究されてきた.■ペルー共和国クスコ市の東約120 kmにあるマルカパタ村(南緯13度35分,西経70度58分)も垂直統御の好例が認められる地域で知られる.住民(約6000人)の大半はケチュア語を母語とする先住民で,他にミスティ(メスティーソ)や入植者が居住する.先住民は高地部に,入植者は低地部に,ミスティは中間域に主居住地を持つ.■垂直統御はインカ時代以前から先住民により行われてきたと考えられる.彼らは標高4000 m前後に主居住地をもち,それ以高に家畜番小屋を造ってリャマやアルパカを飼育する.また標高4000 m以低では,ジャガイモの共同耕地が標高3000 m前後まで分布する.この高度帯では先住民は耕地周辺に出作り小屋を設け,栽培法や収穫期を異にする多様な品種を栽培する.さらに,標高約3000 mから約2000 mにかけて,彼らはトウモロコシも栽培する.しかし標高2000 m以低では先住民の活動はみられなくなり,入植者がサトウキビやコーヒーなどを栽培する.■同村での先住民の農牧や季節移動は詳しく解明されてきたが,生活の背景に存在する自然環境構成要素のうち,とくに地形に関する記載は僅少だった.そこで,私たちは高原上のワヤワヤ峠(標高4730 m)から同村中心地のプエブロ・マルカパタ(同3100 m)を経て,低地部の中心地であるキンセミル(同600 m)に至る水平距離約100 kmのルートで調査を行い,農牧土地利用と主要地形との関係を検討した.本ルートは同村を貫流するアラス川にほぼ沿う.■牧畜は高原上の氷食台地や,高原縁辺の谷頭カールとその底の堆石上で営まれる.カールの下位に続く氷食谷(U字谷)内の段丘面や氾濫原,氷食谷壁下部の沖積錐,崖錐も牧畜の利用頻度が高い.段丘面や沖積錐,崖錐の利用はジャガイモ耕作帯でもみられ,氷食谷が終わる標高約3000 mまで認められる.プエブロ・マルカパタ以低では,氷食谷に代わって急な谷壁を有する峡谷(V字谷)が現れる.段丘面や氾濫原は依然出現して農耕に利用されるが,氷食谷より谷底が狭い分,これらの地形で利用可能な範囲は狭まる.代わって谷壁下部の沖積錐や崖錐がよく利用される.また峡谷の深化につれて地すべりが発達するようになり,地すべり移動体全体が階段耕地(アンデネス)化された例も認められる.標高1000m以下では周辺山地との比高も減じ,谷幅も広がり複数の段丘面が発達する.段丘面は部分開墾された後,地力回復のため数年間放置される.このため,地形の発達の良さの割に単年で利用される面積は狭い.■以上のように,同村では高度帯ごとに中地形区分が可能で,各区分に呼応して特徴的な小・微地形が発達する.多様な地形が認められるのは氷食谷である.先住民の生活に重要な牧畜やジャガイモ栽培がこの帯域で行われていることは,垂直統御が気候・植生のほか地形の影響も受けていることを示唆する.一方,氷食谷と同様に峡谷でも段丘面や氾濫原,沖積錐が利用されるが,いずれの小・微地形も幅狭い谷底に分布する.むしろ,地形の規模からは長い谷壁斜面の随所に生じた地すべりが重要と考えられる.
  • 河原 大, 磯田 弦, 矢野 桂司, 中谷 友樹
    p. 149
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
     本報告の目的は,京都の都市の骨格を形づくってきた最も基本的な建築様式であり,京都のまちの歴史・文化の象徴として,現在もなお,多くの市民の住まい及び仕事場として活用されている京町家の現状を正確に把握することにある.
     京都市は,都心部を対象に京町家の外観調査と住民へのアンケート調査を行った平成7・8年度市民調査「木の文化都市:京都の伝統的都市居住の作法と様式に関する研究」を基礎として,調査地域を拡大して平成10年度京都市「京町家まちづくり調査」を大規模に実施した(これらを第I期調査と呼ぶ).これら2つの調査結果から,都心4区(上京区・中京区・下京区・東山区)で,明治後期に市街化していた元学区に含まれる範囲には,約28,000軒弱の京町家が残存していることが確認されている.
     これらの外観調査では,町家類型,保存状態,建物状態などが悉皆調査され,その正確な位置が把握された.なお,これら以外に,空き家か否か,事業活用ありか否か,敷地の間口や奥行き,鉢植え植栽・樹木・生け垣の有無などもあわせて調査している.
     立命館大学文学部地理学教室では,かかる既存の京町家調査のデータをGIS化し,第I期調査のデータベースの不備を可能な限り修正して京町家モニタリング・システムを構築してきた(河原ほか,2004).2003年度からは,(特非)京町家再生研究会,京都市都市計画局都市づくり推進課,(財)京都市景観・まちづくりセンターなどと密接に連携をとりながら,第I期調査から約5年を経過した現在の状況を明らかにすべく,追跡調査を2003年夏から開始した(第II期調査と呼ぶ).
     そこでは,第I期調査を基礎とした外観の追跡調査を行い,京町家の存在の有無,保存状態,建物状態,空き家か否か,事業活用,などを再調査し,消失した場合は,現在の用途をデータベース化した.さらに,第I期調査では確認されなかった京町家(新発見町家と呼ぶ)もあわせて調査した(矢野ほか,2004).
     第II期調査の結果、第I期調査と第II期調査の間で,京町家はこの5年間に約4,200軒が減少したことが明らかとなった.この減少は,京町家総数の約15%を占めているが,地域的には,東山区の一部や御所周辺の地域における減少が顕著であることが分かった.京町家の消失で生じた土地利用の転換については、半数以上が新たな一般住宅への立て替えであり、約2 割が露天駐車場や空地・売地・造成地への転換であった.
     本報告では,京町家の残存状況のほかに,保存状態,建物状態の変化や,空き家と事業活用の実態も取り上げ,住民属性との関係から京町家の分布変化の特徴について考察を加える.
  • 平井 幸弘
    p. 150
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/07/27
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに  2004年、日本列島には過去最多の10個の台風が上陸し、各地で豪雨や長雨によって、土石流、破堤氾濫、中小河川の内水氾濫、高潮など様々な気象災害・水災害に見舞われた。 これらの一連の自然災害を通して、住民への避難勧告や避難指示のタイミングや方法に多くの課題があることが明らかになった。いざという時、住民へ避難の勧告や指示を出すべき行政も多くの場合混乱しており、それぞれの地域住民が自らの命と財産を守り、お互いに助け合って高齢者などの災害弱者を救えるよう「地域の防災力」を高めることが求められている。そのための重要かつ不可欠なツールの一つが、「ハザードマップ」である。2.これまでの日本地理学会災害対応委員会の取り組み 日本地理学会災害対応委員会は、様々な自然災害に対して、「災害前から災害後に至る幅広い時系列において、災害の要因や影響を明らかにし、災害発生から地域社会の復興に至る間での総合的な研究こそが、地理学としての社会貢献の一つである」という認識にたち、とくに「ハザードマップ」に焦点を当て、これまで過去2回の日本地理学会の学術大会においてシンポジウムを開催してきた。2003年春のシンポジウムでは、「災害ハザードマップと地理学-なぜ今ハザードマップか?〓」と題して、火山噴火、洪水、土砂災害、地震などの各種の自然災害にたいするハザードマップの作成・整備の背景と現状、課題、そして今後の展開などについて議論を行った。このシンポジウムの内容は、同年の雑誌「地理」(48巻9月号、2003年)に特集「ハザードマップの最前線」としてまとめられた。2004年春のシンポジウムでは、上記のシンポジウムを受けて、とくに地震災害を対象としてハザードマップの作り手と使い手の両方の立場から、「地域社会にとって、地震被害軽減に活用出来るハザードマップとはどのようなものか」をめぐって討論を行った。このシンポジウムの内容についても、同年の雑誌「地理」(49巻9月号、2004年)の特集「地震のハザードマップ」としてまとめられた。3. 地域の防災力向上のために 今回は、冒頭に述べた2004年の水害の多発を受け、ハザードマップとしてはもっとも取り組みが進んでいるとされる水害ハザードマップに焦点を当てる。そして、地域の防災力を向上させるために、実際の災害現場あるいは防災教育や生涯学習の現場で、水害ハザードマップを使ってどのような取り組みがされているのか、ハザードマップをより効果的に活用するための課題は何かについて、以下の3つの視点から報告・討論を行うこととした。 まず最初に、近年の豪雨災害多発の背景について気候学・気象学的視点からの報告をいただき、これを受け、土砂の移動を軸とした発達史地形学的な観点から気象災害とハザードマップをいかに結びつけるか、また防災上の土地利用管理、災害危険性の評価、そして危険域のゾーニングとハザードマップとの関連について、二つのコメントをいただく。 ついで、水害ハザードマップの作成・整備・普及の現場、またハザードマップを利用している住民の実態、さらにハザードマップを含め積極的に防災街作りに取り組んでいる行政の現場から三つの報告をいただく。そしてこれらを受けて、ハザードマップをより効果的に利用するために、「洪水ハザードとして地域特有の情報を加える」、「土砂災害ハザード情報を地域防災計画に反映させる」ことが地域防災力の向上に重要であると言う二つの立場からコメントをいただく。 第3の視点として、学校教育や一般社会の生涯学習の現場で、現在防災教育に関してどのような取り組みが行われ、今後の地域防災力向上のために、何が課題なのかについて二つの報告をしていただく。 最後に全体を通して、ハザードマップを活用することで地域の防災力を高め、自然災害による人的・物的な被害を少しでも減らすために、今何が課題で、どうしたらよいのかについて総合討論を通してまとめたい。
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