特発性下顎頭吸収(Idiopathic condylar resorption:ICR)は,特異的に下顎頭が進行性に吸収する病態とそれに伴う著明な下顎枝高の減少を特徴とする,よく知られている顎関節病変ではあるものの,その病因についてはいまだ統一した見解にはいたっていない。ICRは10代女子や閉経後の女性に好発することから,その発症においては女性ホルモンが深く関連しているものと考えられている。本研究の目的はICRの病因ならびに顎態的特徴に関する研究の文献検索を行うとともに,この研究領域における今後の方向性について検討することである。第1章ではICRの病因について,第2章ではICRの顎態的特徴について,それぞれ文献検索の結果をまとめている。結語として,ICRの早期診断の必要性と可能性について最近の動向に鑑みながら述べる。
顎関節円板障害は日常臨床で遭遇する機会が多い。実際,当科初診患者の約11%に顎関節MRIで関節円板の前方転位や変形が認められ,復位性あるいは非復位性顎関節円板障害と診断される。臨床症状が関節雑音のみで,画像検査で下顎頭など顎関節の硬組織に著明な異常所見が認められない場合は,顎関節症に対し特段の治療を行わず,経過観察となることが多い。一方,顎関節やこれに関連した領域に疼痛や不定愁訴が認められる場合,また線維性癒着やクローズドロックを生じている場合には,顎関節症の治療を行い,症状の緩解が図られる。顎関節症状に対しては,保存的かつ可逆的な科学的根拠に基づいた治療法で対応することが強く推奨されている。顎関節円板転位が生じて比較的早期に対応した際,結果的に円板整位が達成されることがある。同様の保存的治療を行っても整位されない場合もあることから,決して意図的に行えるものではなく,たとえ一時的に整位がなされても再発の可能性は十分にある。関節円板の位置異常や変形のみられる関節は,滑液成分や関節構成組織の器質的変化,これに伴う潤滑機能や緩衝機能の低下を生じている可能性があり,単なる形態上の問題と捉えるべきではない。また,顎関節円板障害により惹起される臨床症状の多くは長期的には緩解に向かうものの,途中の経過についてはさまざまである。したがって,顎運動障害や不快症状の原因となる関節円板の位置異常や形態異常の詳細な様相や予後について理解を深め,より精度の高い診断ができることが望ましい。そこで,円板転位に関連する顎関節組織内の変化について,基礎的研究結果に基づいて考察することとした。
顎関節症の病態はさまざまであるが,多くは関節円板の器質的変化による顎関節内障である。これが長期に及ぶと円板の穿孔や断裂を生じ,さらに病態が進行すると骨・軟骨の変形を生じる。顎関節症の原因は明らかではないが,現在では環境と宿主の相互バランスの破綻によって発症するという考えが提唱され,機械的負荷関連因子やエストロゲンなどが指摘されている。関節組織には,マトリックス高分子が豊富に含まれ,粘弾性特性や摩擦力に対する潤滑機能を有している。しかし,関節組織に加わる機械的負荷が生理的限界を超えると,代謝バランスが崩れ,骨・軟骨組織が破壊される。しかし,骨・軟骨破壊機構における機械的負荷とエストロゲンの関連性についてはいまだ不明な点が多く,その詳細も明らかにされていない。また,変形性顎関節症の初期変化として関節潤滑機能の低下が報告されており,過度な機械的負荷が潤滑機能タンパク質を低下させ,それにより基質破壊をもたらすことも報告されている。このような基質破壊に対し,整形外科領域では高分子ヒアルロン酸の関節腔内注入が症状緩和に有用であると報告されている。しかし,顎関節における効果については現在のところ十分なエビデンスが存在しない。本稿では,これらの問題について従来の研究結果とわれわれの知見を参考に概説する。
顎関節症の発症に関する寄与因子に咬合が関与するか,という議論には一応終止符が打たれている。しかし,このことが咬合をはじめとする顎機能検査の無意味さを示すこととイコールではない。顎口腔機能は顎関節,咀嚼筋と歯列といった複合体が神経筋機構との調和を保ち営まれることから,顎関節や咀嚼筋に異常があれば他の器官にも影響があり,またその逆もありうる。本稿では著者が行ってきた前向きコホート調査を中心に,咬合を含む顎機能,心理特性が顎関節症の寄与因子としてどのように関与しているか概説する。犬歯のガイドの有無,痛覚閾値,ストレスが有意な相対危険度を示したことから,顎関節症発症リスクのスクリーニングが重要と考える。
前方転位した顎関節円板の石灰化を伴う顎関節症に対して,顎関節鏡診断下に顎関節円板切除術および顎関節形成術を行った1例を報告する。患者は74歳の女性,右側顎関節痛を自覚し,近歯科医院を受診した。パノラマX線画像で右側下顎頭の変形を認めたため,精査加療依頼で当科紹介となった。開口量は切歯間距離で46 mmで,開口時に右側顎関節痛を認めた。CT所見で右側下顎頭は肥大し骨棘を認め,下顎頭前方に境界明瞭な石灰化物を認めた。手術直前に顎関節鏡視下診断で軽度の滑膜炎を認めたが,遊離体や顎関節円板の穿孔は認めなかった。顎関節円板切除術および下顎頭形成術を施行し,顎関節円板の石灰化を認めた。術後2年経過しているが開口量は49 mmで顎関節痛は認めず,顎機能は良好である。