近年,日本各地でニホンジカ(Cervus nippon)による林業被害や森林生態系への影響が報告されている.狩猟者の減少や高齢化によって捕獲努力量が伸び悩む中でも森林への被害を軽減させるために,例えば北米において考案されている,オジロジカ(Odocoileus virginianus)母系集団の強い定住性を利用したLocalized Management法のような,被害防除に効果的な個体数調整手法の適用を検討していく必要がある.しかし,ニホンジカ地域集団内の母系集団の規模がオジロジカと同様であるかは不明であり,本手法の適用の可否は不明である.さらに,既存のマイクロサテライトマーカーによってニホンジカの母系集団を検出できるか否かも明らかになっていない.そこで本研究では,ニホンジカ母系集団の検出を目指してマイクロサテライトマーカーの解析能力を検討し,空間的な遺伝構造の検出可能スケールについて検討した.
国内4地域(北海道,静岡,岐阜,宮崎)で捕獲された計251個体(胎子63個体を含む)を解析に用い,マイクロサテライトマーカー17座の遺伝子型を決定した.遺伝子座ごとの対立遺伝子数(Na)は3~18となり,オジロジカの値と比較して少ない傾向にあった.個体識別能力の指標PID-siblingを算出した結果,本研究では多型性の高い上位4座を用いて個体識別が可能であった.地域集団間および地域集団内の遺伝的多様性を評価するため,全集団平均の遺伝子分化係数(G’ST),各集団のNa,対立遺伝子数の期待値およびヘテロ接合度の期待値を算出した.地域集団間および地域集団内の遺伝的多様性はどちらも低い傾向がみられた.地域集団間および地域集団内において,STRUCTUREを用いた遺伝構造解析では,北海道および宮崎の集団は明瞭にそれぞれ独立のクラスターが構成されるものの,中部(静岡・岐阜間)の遺伝構造は不明瞭になるケースが確認された.一方で,地域集団内の遺伝構造(母系集団)は検出されなかった.胎子63個体を使っておこなった母性解析では,胎子を妊娠していた真の母親を推定できた確率は約20%にとどまった.
本研究では,北海道,中部および宮崎の地域集団間の遺伝構造を明瞭に検出できたが,地域集団内の母系集団は検出できなかった.そのため,サンプル数のもっとも多かった静岡集団においても,Localized Managementの適用が可能な個体群であるとは断定できなかった.それは,各マイクロサテライトマーカーの多型が少ないことが原因であり,日本国内のニホンジカが過去に経験した個体数の減少によるボトルネック効果を反映していると考えられた.
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