日本地理学会発表要旨集
2006年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の255件中101~150を表示しています
  • 福井県福井市の中心市街地を事例として
    水野 智
    p. 101
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    はじめに 我が国では高度経済成長による都市化とともに都市水害の発生頻度が増加し、特に地方都市における中小河川において脅威となっている。2004年度の豪雨災害により、九頭竜川水系足羽川の下流部に位置する福井県福井市は、河川の破堤や氾濫による大きな被害を受けた。都市水害による犠牲者減少のためには自主防災組織の育成・活動活性化が重要であるが、既往の研究では河川整備や都市化といった歴史的変遷や社会的背景が地域防災にどのような影響を与えてきたのかが検証されていない。本研究では、福井県福井市において地域の変遷が防災組織に与えた影響について検証を行った。調査方法 最初に河川整備、防災行政、都市化の3点について資料分析と行政機関への聞き取りによって地域に与えたインパクトを考察した。その結果をもとに、福井県福井市の中心市街地において5つの地区を選定し、地区代表者への聞き取りや地区史の記述をもとに先の3点と地域の歴史、及び防災組織・活動との関連性について考察した。最終的にそれらが2004年度水害における地域の対応にどのような影響を与えているのかを検証し、地域防災と歴史要因との関連性について考察を行った。結果・考察_丸1_河川整備、防災行政、都市化と地域の関連明治期中頃まで河川整備は市町村の個別整備による割合が大きかったが、明治29年に旧河川法が指定されて後は国及び県の占める割合が上昇し、治水事業は次第に地域の手から離れていったことが明らかとなった。防災行政については、当初の地域防災計画策定時点においては水害が相次いだこともあって水防の項目に重点がおかれていたが、その後県下における大規模水害の減少に伴い、改訂に伴って豪雪、原子力、震災等の項目にシフトしていくことが示唆された。また、福井市の都市化は昭和期以降インフラ整備を伴いながら漸次進展していったが、昭和43年の福井国体の頃よりスプロール化と縁辺部への進出がみられるようになり、市域の拡大とともに縁辺部のベッドタウン化が進展し、新規流入住民の増加による地域問題を抱えることとなった。特に周縁の地域では下水道の整備が遅れ、長期に渡り内水氾濫に悩まされてきた実態が明らかとなった。_丸2_地域毎の防災の歴史と2004年度水害福井市の5つの地区を対象とした調査結果では、河川整備、防災行政、都市化との相関により、平時の地域防災活動がある程度規定されることが明らかとなった。2004年度水害との関連では、地区全体を包括する防災組織を持つ地域は適切な対応が行えることが明らかとなった。一方で地域全体を包括する自主防災組織の無い地域においては、過去の水害経験や新興住宅の多寡、日ごろの町内会活動などによって、対応に明確な差異が生まれたことが明らかとなった。結論都市水害と防災を考察する上においても、地域の歴史や都市化といった社会的背景との関係性を考慮に入れることで、より効果的な地域防災活動につなげることが出来る。また地域防災は地域コミュニティを基盤としているため、活発な機能のためにはコミュニティの内発的な力を喚起することが必要である。特に既往水害の経験が乏しい地域や、新規住民の多い地域は水害対応や地域活動に問題を抱える傾向にあるため、これらの地域で重点的に行政・地域双方から働きかけを行うことで、地域全体としてまとまりのある防災活動が可能になるものと期待される。参考文献北陸豪雨災害緊急調査団 「平成16年7月北陸豪雨災害緊急調査報告書」 pp154_-_232 土木学会 2005内田和子著 「近代日本の水害地域社会史」 古今書院 1994JICA 「日本の洪水災害と防災事業から学ぶこと」 防災と開発 pp23ー46 2003
  • 吉田 美冬
    p. 102
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    アフリカにおけるゾウの個体数は、近年の保護活動の活発化によって増加傾向にあり、国立公園では植生破壊の深刻化などの問題が指摘されている。また、農業へ多大な被害を与え、時に人間をも襲うゾウは、その生息地に居住する住民と敵対的な関係を築く場合が多い。 ナミビア北西部の乾燥地帯には、「砂漠ゾウ」と呼ばれる砂漠の環境に適応したアフリカゾウ(Loxodonta africana)が生息する。乾燥気候の卓越する厳しい自然環境下において、砂漠ゾウは、“Linear Oasis”と表現される季節河川を中心に、食物や水を求めた移動生活を行うことが知られている(Viljoen 1987)。一方、この地域に暮らす牧畜民のヒンバも、生活に必要な資源を求め、河畔林の広がる季節河川を利用する。そのため季節河川は、生活空間として両者に共有されるとともに、直接的な出会いの場ともなっている。 本発表では、季節河川の自然環境をめぐり、ゾウと地域住民がどのような関係を築いてきたのか、両者の現在の関係とその変容を明らかにすることを目的とする。調査を実施したナミビア北西部の季節河川であるホアルシブ川流域では、保護政策と狩猟圧の低下により1990年代以降のゾウの個体数は増加傾向にある(Legget 2001)。植生調査の結果から、ゾウの採食行動によって河畔林の大部分が損傷を受けていることが明らかになった。近年の個体数の増加は、河畔林の破壊に拍車をかけていると推察される。また、河畔林の天然更新が進んでいない可能性も示唆されたため、今後の河畔林の存続にとってゾウの影響は無視できない要素となっている。 一方、住民にとっても河畔林は建材や燃材の供給源として重要であった。しかし、住民はゾウの採食行動によって生じた樹木の残骸を利用するなどして、ゾウの動態にあわせるように樹木の入手場所や利用樹種を変化させてきた。また、この地域はNGOの介入により、住民参加型の自然資源管理が1980年代前半からすすめられてきた。住民は、砂漠ゾウを中心とする地域の野生動物を利用した観光業に積極的に関わり、大きな利益を得るようになった。観光業による現金収入は、牧畜に依存していた住民のライフスタイルを大きく変化させ、今や観光業なくしては、生活が成立しない状態になっている。 この20年あまりの間に季節河川周辺の住民がゾウから受ける利害のかたちは多様化してきた。今後のゾウと住民の関係性は、より複雑なものへと変化していくことが予想される。しかし、砂漠における両者の生存を根本から支えているものは、季節河川の自然資源である。この地域の砂漠ゾウと地域住民の関係の将来は、砂漠のオアシスである季節河川の河畔林が今後も存続できるか否かにかかっている。参考文献・Viljoen, p. j. 1987. Status and past and present distribution of elephants in Kaokoveld, South West/Namibia. South African Journal of Zoology. 22: 247-257.・Leggett, K.E.A., Fennessy, J. & Schneider. 2001.Hoanib river catchment study, north western Namibia. Desert Reserch Foundation of Namibia, Windhoek, Namibia.
  • 土壌菌核粒子の分布特性に着目して
    坂上 伸生, 渡邊 眞紀子, 櫻井 克年, 太田 寛行, 藤嶽 暢英
    p. 103
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    【研究の背景と目的】
    担子菌・子嚢菌などの高等菌類のいくつかの種は,一般的に菌核と呼ばれる休眠体粒子を形成する(Townsend & Willets, 1953など)。外性菌根菌であるCenococcum geophilumの形成する菌核は,土壌中に長期間残留する場合があることが知られている(Trappe, 1969など)。この黒色球状の菌核を「土壌菌核粒子」と称し,火山灰土壌中での分布と形成要因について考察された研究が,いくつか報告されている(Watanabe et al., 2002; 坂上ほか,2004など)。
    Watanabe et al., (2004)は,ドイツ・ハルツ山地の花崗岩質ポドソルならびに粘板岩,凝灰岩(デボン紀),輝緑岩(デボン_から_石炭紀)等を母材とする褐色レシベ土にも土壌菌核粒子が存在することを明らかにした。さらに,その存在は火山灰土壌と同様に対植物Alストレス(Feストレス)に規定されていることが解明された。冷温帯林は,一般に外生菌根菌樹種によって構成されることから,土壌菌核粒子の形成が,低pHかつ生物毒性を発現する交換性Alの共条件下の冷温帯林土壌における微生物と植物の共生関係,土壌の生物恒常性維持に深く関わっていることが示唆される。そこで筆者らは,土壌菌核粒子形成の生物的意図を,粒子の空間的分布から考察することを試みている。本研究では,ドイツ・ハルツ山地のElend付近における表層土壌の性状と土壌菌核粒子の分布特性を踏まえて,粒子の形成と微地形・植生の関係について検討した。
    【調査地点と研究方法】
    Watanabe et al. (2004)によりドイツ・ハルツ山地で土壌菌核粒子の検出密度が高かったElend‐Königshütte近郊のPicea abies林下の土壌を調査の対象とした。調査地点は斜面地形に留意して選定し,頂部斜面および上部谷壁斜面・谷壁斜面・下部丘腹斜面,また谷壁斜面を欠く谷頭凹地・下部谷壁斜面内の新規表層崩壊部を含む10_から_100m程度の計5側線において,直線的に地形測量と表土採取をおこなった。
    地形測量は,1mおきに斜面傾斜度を測量し,微地形変化を捉えた。また地形形状の変化に留意しながら,計86地点で表土の採取をおこなった。表土の採取をおこなった地点については,下草の生育状況を双子葉類・単子葉類・苔類・蘚類に区分して調べた。
    採取した表土については,土壌pH,炭素含量,窒素含量,交換性アルミニウム量の測定をおこなった。また,未分解有機物特徴の把握とともに,浮遊法により採取した土壌菌核粒子の重量密度,個体密度および粒径の頻度分布を調べた。
    【結果】
    菌核形成の条件は,乾燥・低栄養など,菌学的研究においていくつかの条件が提示されている(斉藤,1977など)。本研究において,乾燥状態となる可能性の高い上部谷壁斜面域などを含め,採取した多くの表土試料から土壌菌核粒子の存在が確認された。粒子の存在量や粒径の分布には様々な傾向が認められたが,特に崩壊性土壌や,崩積性土壌などの土壌生成が未熟な地点において,大径の土壌菌核粒子が分布する傾向が認められた。
    土壌中における土壌菌核粒子の形成および残留は,Cenococcum geophilumによる種の保存への生物的な戦略であると考えられる。一方,下草植生に富み,微生物活性も高いと予想される地点には,分布量が小さい場合が認められた。箱石(1960)などで考察されているように,斜面においては独特の水分勾配が発生する。土壌菌核粒子が形成されるきっかけは,交換性アルミニウム量などの土壌化学性の影響を強く受けていると考えられる一方で,土壌侵食・崩積などの地形形成作用に対応して土壌菌核粒子の分布が見られるものと考えられた。
    【引用文献】
    箱石 正(1960)土壌の物理性3, 30-33.
    斉藤 泉(1977)北海道立農業試験場報告26, 1-106.
    坂上伸生,渡邊眞紀子,大田寛行,藤嶽暢英(2004)ペドロジスト48, 24-32.
    Townsend BB & Willetts HJ (1957) Trans. Br. Mycol. Soc. 73, 213-221.
    Trappe (1969) Can. J. Bot. 47, 1389-1390.
    Watanabe M, Kado T, Ohta H and Fujitake N (2002) Soil Sci. Plant Nutr. 48, 569-575.
    Watanabe M, Ohishi S, Pott A, Hardenbicker U, Aoki K, Sakagami N, Ohta H and Fujitake N (2004) Soil Sci. Plant Nutr. 50, 863-870.
  • 田上 善夫
    p. 104
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ 霊場の分布
    地域に多様な内容・規模の霊場があり,それらは隣接,包含,重畳していて分布は複雑である。同じ札所が広域の大霊場と同時に地域の小霊場にも属し,また境内に三十三あるいは八十八の霊場が設けられ,さらには堂内に安置されることも多い。こうしたネストないし曼荼羅様の階層構造により,霊場は相互に結合・連接するが,これらは上位・下位を意味するわけではない。また霊場は霊山とも結ばれ,たとえば庄内霊場と出羽三山,板東霊場と二荒山,西国霊場と熊野三山,広島新四国と厳島弥山,九州西国霊場と英彦山などでは,霊場の発願や結願をはじめ重要札所が霊山におかれている。このように霊場は個々に独立・完結せず,他と連続的であることが多い。
    _II_ 巡拝路の分析
    霊場の各札所は巡拝路で結ばれているが,巡礼は固定的でなく,霊山はじめ近隣・途次の名刹などが自在に組みこまれる。各札所の状況とはまた別に,巡拝路で結ばれた霊場は時代的に盛衰を繰り返し,結びつきも変わって異なる霊場に変容する場合もある。そのため霊場の性格は,巡拝路に示されることがある。霊場では札所に番号が付され,多くの巡拝路は発願から結願まで順路として示される。巡拝路は一筆の直線状や回遊状のものが主であるが,部分の集合であったり,全く不規則なものすらある。札所の配置には地形的な制約,個別札所の写し,配置上の観念などがかかわっている。広域にわたる西国,坂東,四国霊場ですら,巡拝路の形態は全く異なっており,そのため霊場開創時の,あるいは先行する時代の背景,基盤を探ることができる。と考えられる。ここではさまざまな霊場について,札所の位置にクラスター分析を援用し,巡拝路の特色を抽出し,霊場が内包する性格の抽出を試みる。
    _III_ 主要霊場のクラスター構造
    このクラスター分析により分類されるのは,位置が近隣同士の札所群である。板東霊場は,第1番札所_から_第14番札所,15_から_19,20_から_26,27_から_33に大きく4分され,最多の群はさらに1_から_4・14,5_から_8,9_から_11,12_から_13に細分される。こうした分類が示すものは,鎌倉を中心にした札所群の階層性である。それらから鎌倉,大山,秩父,日光を含むルートが鎌倉を守護するかのように同心円状に現れてくる。また西国霊場は,第1番札所_から_4,5_から_24,25_から_27,28_から_29,30_から_33に分かれ,最多の群は5_から_9,10_から_19,20_から_24に細分される。坂東霊場同様に細分されるのは,京を中心とした構造に基づいており,さらに京を起点に四方に伸びる放射状の構造が現れる。すなわち山辺道・大峯,また熊野中辺路,西方中国,北方山陰,鬼門に東山道が存在する。さらに四国霊場では第1番_から_23番,24_から_36,37_から_43,44_から_64,65_から_88に5分類される。こうした区分は,異なる部分の存在にもとづくとみられ,実際それぞれで宗派の構成は大きく異なる。また土佐西部・南予を除き,発心,修行,菩提,涅槃の道場とよばれるものにおよそ対応する。
    _IV_ 霊場と巡拝路の変容
    札所は巡拝路上の里程標というには不規則で,いくつかの群が認められることが多い。それには霊場により異なる要因が考えられる。社寺縁起にしばしば漂着があるように,移動は本来信仰に深くかかわる要素である。各地の霊場開創に先駆けて,葛城や大峯などの山脈が踏破され,山脈に沿って直線状に配置された宿を,季節により異なる方向から峰入りする。平安末には法皇をはじめ貴族階級が,大きな戦乱も無く南方の補陀洛浄土と目された熊野に詣で,熊野の王子は大峯のなびきになぞらわれた。鎌倉時代以降には武士が東国から上洛し,伊勢御師,熊野比丘尼,高野聖などの活動により,遠国の庶民も聖地に赴くようになるが,その途次は西国巡礼と重なる部分が大きい。すなわち,いずれにせよ必要な人々の移動があり,それらと齟齬のない形で霊場の発展は促されるものと考えられる。一方,西国巡礼は秋に多く,四国は春に多いといわれ,中央の動向とは異なる系譜において地方霊場が発展したことが考えられる。
  • 江口 誠一, 山倉 拓夫
    p. 105
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    【はじめに】 植物珪酸体化石による古植生の復原研究は,これまでイネ科を中心として行なわれてきた.これは一般にイネ科植物が,珪酸体を多量に生産し,かつその形態が細かく分類できることが大きく影響している.しかし近年,樹木についても珪酸体形態の観察成果が蓄積されるとともに,地層からの産出例が多く報告されるようになった.それらをもとに研究が進み,幾つかの分類群が,過去の木本植生復原に貢献するようになってきた.さらに,詳細な空間復元を目標に置いた,林分レベルの基礎研究も試みられている.本研究は,その流れを受けながら,熱帯雨林を構成する種を例に,その植物珪酸体の形態と運搬・堆積を明らかにした.【調査地と方法】 調査は,ボルネオ島北岸,マレーシアのサラワク州東部に位置するランビル国立公園で行なった.この地域は,有用南洋材のフタバガキ科の樹木が優占する,混合フタバガキ林からなり,設定された52haの永久方形区で,森林動態調査が1991年以降継続して行なわれている.そこに生育するフタバガキ科数10種の植物珪酸体を観察し,葉身中の生産数をカウントした.その内,Dipterocarpus grobosusとShorea inappendiculataについては,対象個体を決め,樹幹から1mごとに設置した0.5m四方の枠内の落葉数をカウントした.さらに,その枠内の表層堆積物を採取し,植物珪酸体の個数をカウントした. 対象としたDipterocarpus grobosusは,樹高約40m,胸高の周囲253.4cmで,永久方形区域内の尾根部に立地する.設置した枠の間の微地形は,ほぼ平坦である.表層堆積物は,黒褐色_から_暗褐色の極細砂_から_細砂で未分解の植物遺体を多量に含む.樹幹から6.5_から_7.0mと15.5_から_16.0mでは,特にシルト分を多く含む.一方のShorea inappendiculataは,樹高約67mで,方形区域内の傾斜地中腹に立地する.設置した枠の間の微地形は,ほぼ平坦である.表層堆積物は,褐色_から_灰褐色のシルト_から_シルト質極細砂である.【結果と考察】 フタバガキ科の植物珪酸体を観察した結果,数タイプの形態が,種ごとにセットとなっていることが確認された.Anisoptera属,Dipterocarpus属,Vatica属は,それぞれの属内で共通したタイプの組み合わせであった.Dryobalanops属とHopea属からは明確な形態を呈した植物珪酸体が検出されなかった. Dipterocarpus grobosusの落葉数は,樹幹から離れるにしたがい減少していく傾向が確認された.しかし約15m付近から遠方は増加する区域もあった.表層堆積物に含まれる同種の植物珪酸体も,ほぼ同じ分布傾向を示した.このことは,植物珪酸体の多くが落葉として樹幹付近に落下した後,大きく移動せずに堆積していくことを示唆している.一方のShorea inappendiculataも,落葉数が樹幹から離れるにしたがい減少するが,植物珪酸体数は多少異なる分布傾向を示した.このことは母植物が立地する地形の違いによると考えられる. 今後の課題として,植物珪酸体に関する,各分類群の堆積域への運搬傾向,熱帯雨林下での保存性,地層からの産出状況との比較があげられる.
  • 大和田 道雄, 畔柳 洋子, 石川 由紀, 中川 由雅, 梅田 佳子
    p. 106
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_.研究目的東京,大阪に並ぶ三大都市である名古屋は,近年,異常高温に見舞われることが多く,暑さが一段と厳しくなっている。これは,ヒートアイランド強度が1980年当初に比較して2.5倍の5℃に達していることに裏付けられる(大和田,1994)。その要因は,都市化の進展と共に名古屋市,およびその周辺地域の地形的特徴にあると考えられる。名古屋が位置する伊勢湾岸地域は,北太平洋高気圧の西への張り出し方によって暑さが決定されやすい。特に,南高北低型時には,高気圧から吹き出す南西よりの気圧傾度風が鈴鹿山脈を越えて濃尾平野にフェーン現象をもたらし,異常高温を引き起こす。しかし,Climate shift以降は南高北低型の出現日数が増加傾向にあることから,今後暑さによる名古屋の都市環境の悪化が懸念される(大和田,2006)。 そこで本研究は,近年増加する南高北低型の気圧配置時においてヒートアイランド調査を実施し,その分布の実態と要因のメカニズムについて解析を行った。_II_.異常猛暑の資料解析図1は,名古屋,東京,大阪における日最高気温37℃以上の出現日数の経年変化を表したものである。名古屋は,30℃,35℃以上では大阪に次ぐものの,37℃以上では最も出現日数が多いことがわかる。過去46年間で最高の14日を記録した1994年は,全面高気圧型であるが,翌年の1995年は今回と同様の南高北低型であった。これらの気圧場の共通点は,伊勢湾岸地域にフェーン現象がもたらされる典型的な気圧配置であることである。_III_.異常猛暑の実態調査1.観測時の気圧配置観測は,2005年7月22日の最高気温出現時において実施した。この時の気圧場は,北日本に弱い低気圧があって東の海上に前線がみられるが,西日本は大陸から張り出す高気圧と合体して南高北低型の気圧配置になっている(図2)。2.観測方法観測は,定点と移動47地点を含む計48地点において,自動車5台によるアスマン通風乾湿計,野外用自記温度計,データロガーを使用して気温観測,および中浅式風向・風速計による風の移動観測を実施した。3.観測結果気温が最も高かったのは,中心部の熱田区から名古屋市東部の名東区・長久手町付近であった(図3)。これは,西風のフェーンによる影響と市中心部の高温域の移動によるものと考えられる。
  • 首都圏287店舗のPOSデータ分析を通じて
    箸本 健二, 駒木 伸比古
    p. 107
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.研究目的
     コンビニエンスストア(以下CVS)は,狭小な店舗に豊富な品群を取りそろえた都市型の小売業態である。CVSは,上位数チェーンによる寡占化が進み,店舗や販売品目の標準化が高度に進められてきた。その一方,狭い商圏や長い営業時間を反映して,各店舗の販売特性は商圏固有の要因の影響を受けやすい。報告者はこうした特性に注目し,首都圏(1都3県)に展開するCVS,99店舗のPOSデータを用いて,販売特性に基づく店舗の類型化を図るとともに,類型ごとの販売特性を規定する商圏固有の要因を整理した(箸本,1998)。しかし今日,酒類や化粧品など規制緩和による取扱品目の変化が進むとともに,CVSの分布地域も急速に都市圏の外延部へと拡大している。それゆえ本報告では,対象店舗を1都6県の287店舗に拡大し,2005年のPOSデータを用いて店舗類型化を行うとともに,各類型を規定する商圏固有の要因を整理する。
    2.分析手法
     本分析は3つのステップからなる。まず第1に,POSデータから得られた品群別の売上情報を用いて因子分析を行い,累積寄与率75%までの上位因子を抽出する。第2に,得られた因子の因子得点を用いてクラスター分析を行い,287店舗を7つのクラスターに分類する。第3に,クラスター毎に店舗立地の特徴を検討するとともに,メッシュデータを用いて商圏特性の把握を行う。
    3.分析結果
     因子分析の結果,上位2因子の累積寄与率は56%,上位5因子の累積寄与率は75.4%に達した。上位5因子の解釈を要約すると,第1因子は外出先因子(主に外出先で消費),第2因子は家庭内因子(主に家庭内で消費),第3因子は他業態代替因子(近隣にスーパー,ドラッグストアが少ない),第4因子は間食・夜食因子(夜間人口が多い),第5因子は単発購入因子(補完的なニーズや緊急避難的購入)と解釈できた。
     これら5因子の因子得点を用いて,287店舗のCVSをクラスター分析を行った。その結果,287店舗のCVSは,a)駅前商店街など競合店が多い繁華街に分布する「高競合型」,b)住宅地に多く分布し,家庭内因子が強い「住宅地型」,c)都心のオフィス街を中心に分布し,外出先因子が強い「都心型」, d)国道16号線外延部の中心市街地に多い「外延部中心型」,e)国道16号線外延部の住宅地に多い「外延部住宅地型」,f)郊外の幹線道路沿いに多い「ロードサイド型」,g)駅や大学周辺など若年層の通過客が多い「結節点型」という7タイプに類型化された。
    4.考察
     首都圏のCVSは,販売特性から7つのタイプに類型化され,各タイプは,都心,郊外(国道16号線の内側),外延部(国道16号線の外側)という,3つの地域のいずれかを中心に分布していることが明らかとなった。さらに箸本(1998)と比較すると,都心部において家庭内因子が鮮明に見られるようになり,また酒類関連因子が上位因子から姿を消すなど,都市空間の変容や規制緩和の影響と考えられる変化が確認された。
    文献
    箸本健二 1998.首都圏におけるコンビニエンスストアの店舗類型化とその空間的展開!)POSデータによる売上分析を通じて!).地理学評論 71A(4) : 239-253.
  • 首都圏287店舗のPOSデータ分析とその空間的考察
    駒木 伸比古, 箸本 健二
    p. 108
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.分析の目的
     コンビニエンスストア(CVS)の販売特性を規定する空間的要因は,曜日によって変化する。たとえば週末の昼間人口についてみると,オフィス街では激減するが,住宅地では増加する。本分析では,首都圏287店舗のCVSのPOSデータを用いて,平日と休日での販売特性の変化を把握するとともに,その背景にある商圏環境の変化を地域別に検討する。
    2.分析手法
     本分析では,箸本・駒木による「販売特性に基づくコンビニエンスストアの類型化」(以下,類型化分析とする)と同じ287店舗のPOSデータを用い,販売情報を平日と土日祝(便宜上「休日」と呼ぶ)に分割する。その上で2つのデータについて,類型化分析と同様に因子分析,クラスター分析を行う。次いで,平日・休日別に得られたそれぞれの店舗タイプを比較し,同一店舗が曜日によって店舗タイプをどのように変えるかについてその理由を考察する。
    3.分析結果と考察
     因子分析の結果,各因子を構成する品群とその解釈は,類型化分析とほぼ同様であった。次いで,平日と休日それぞれの因子得点を用いてクラスター分析を行い,曜日別に店舗分類を行った。2つの分析結果を比較すると,含まれる店舗こそ異なるものの,店舗タイプそのものは曜日の違いを超えてほぼ共通しており,その内容は類型化分析で得られたものとほぼ同じであった。しかし,各タイプに分類される店舗には違いがみられた。そこで便宜上,平日・休日の各店舗タイプに,類型化分析で得られたa)高競合型からg)結節点型の名称を付与した上で,平日・休日間での店舗のタイプ間移動を把握した。
     図1,2は,平日から休日における7つの店舗タイプ間の店舗移動を示している。ここから,1)各タイプの平均残存率は60.6%と高いこと,2)国道16号線の内側(図1)に顕著な5タイプと,国道16号線の外側(図2)に顕著な2タイプとの間では,曜日による移動は極めて少ないこと(曜日以上に地域の消費傾向差が大きい),3)曜日によって客層・客数が大幅に変化する「都心型」「結節点型」の変化が大きいこと,などの点が確認できた。
  • 中国陝西地域調査 その1
    小野寺 淳
    p. 109
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1. 都市化の動向 現在の西安には東西約4.5km、南北約3kmの明清代の城壁が再建されているが、ちょうどその範囲が民国期までの市街地であった。1950年代から60年代にかけては、中国内陸部への生産再配置の流れの中で多くの工業企業が西安にも立地して、特に東部と西部に市街地を拡大させた。しかし、その後70年代にかけては都市インフラ整備への投資が抑制された。80年代以降は経済発展とともに流入人口が増加し、とりわけ南方への市街地の拡大が著しい(図1)。南西部には西安ハイテク産業開発区が建設されている。2.土地制度および住宅制度の改革 経済改革の一環として、計画経済期には無償で配分されていた土地や住宅が、有償化される方向で制度が大きく変更され始めた。土地使用権の有償化による土地収益や、それまでは福利とみなされていた工作単位の職員・労働者住宅の払下げによる収益が、都市インフラ整備や住宅の建設・修繕のために再投資されることが期待された。1990年代の後半からは、土地や住宅の商品化にともなって不動産業が発展し、急速に都市開発が進行するようになった(図2)。3.モザイク状の都市化パターン 以上のような都市の成長や諸制度の改革を前提とすれば、市場メカニズムに従った都市空間の再編が進んでいることが予想されるが、実際にはむしろモザイク状と呼べるような不規則な空間パターンが広く観察された。一つの街区を取ってみても、表通りに面した空間では不動産開発が進み、高層のオフィスビル、商業施設、マンション等が盛んに建設されているのに対し、その裏手には「城中村」と称される、農民の集団によって土地が所有され、居住環境が改善されないまま、出稼ぎ労働者が大量に流入するという異質の空間が残存している。また、計画経済期に立地した国有企業などの工作単位が、十分に市場化されないままの工場や住宅をやはり残存させて、拡大する市街地に包囲されるという状況も見られる。その他、都市計画に依拠した近代的な公共施設や、文化遺産として保護すべき歴史的建造物も現在の市街地には混在している。 当日の発表では、このような都市化パターン形成の過程と問題について、市の中心部から4km程度南に位置する碑林区長安街道弁事処の街区の事例を主に取り上げながら、検討してゆく予定である。
  • 風間 秀彦
    p. 110
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    斜面には、自然斜面、切土によってできた切土斜面、盛土によってできた盛土斜面があり、斜面の形成プロセスによって斜面の特性が異なっている。また、これらの斜面の破壊にはいろいろな種類があり、代表的なものが地すべり、崩壊性地すべり(地すべりと表層崩壊の中間の破壊)、表層崩壊(山崩れ、崖崩れ)、土石流(鉄砲水、山津波)、落石、浸食(侵食)の6つである。最初の3つは、せん断力と粘着力とせん断抵抗角によるせん断抵抗で破壊機構を論じることができる現象であるのに対し、後の3つはそれらで論じることはできない現象である。しかし、最初の3つの斜面破壊の中でも素因や変形挙動は大きく異なっている。例えば、地すべりは第三紀の泥岩や破砕帯など特定な地質の緩い傾斜角(地すべり地帯)で発生し、土砂の移動速度は遅いので人命に関わることは希である。一方、表層崩壊は地質と直接関係なく急傾斜地で表層土(表土と強風化層)が崩壊するために、土砂の移動速度は速いので、多くの人命が失われることが多い。また、後の3つは破壊機構もそれぞれ異なっている。 このように斜面の破壊機構・挙動や発生場所は、その種類によって異なるので、発生に対する対応や対策も当然異なることに注意が必要である。通常、斜面は安定状態にあるので、斜面を破壊させるには、何らかの外的なインパクトが必要である。その主なものは降雨、降雪、地表水、地下水、地震、人為的作用である。最初の4つは水に関するものであり、水が斜面の不安定化に大いに関係し、特に降雨による斜面崩壊は毎年各地で多発して大きな被害がもたらされている。これに対して地震は、降雨に比べて局部的であり、被害地域は小さいといえる。 地震よって発生する斜面災害は、地すべり、崩壊性地すべり、表層崩壊、土石流、落石である。海洋性地震や内陸の直下型地震が毎年発生し、多くの被害がもたらされている。しかし、地震による被害は、家屋や建物の倒壊、道路・鉄道などの交通機関やライフラインなど生活に直結した被害がクローズアップされる傾向が強いために、斜面破壊による災害は少ないよう思われがちである。特に直下型地震では斜面崩壊が多く発せしている。例えば、2004年10月の新潟県中越地震では表層崩壊や地すべりの再滑動などである。また、2005年3月の福岡県西方沖地震では多くの表層崩壊が発生している。斜面破壊によって人家等が押し潰されるのみならず、宅地の斜面破壊によって人家が破壊する場合も多くある。また、斜面の崖端は振幅が大きくなるといわれており、そのために崖端部で表層崩壊が多く発生する傾向がある。 1984年9月の長野県西部地震による木曽御嶽山の中腹部で発生した大規模の斜面破壊は土石流となって伝上川、濁川を経て王滝川まで数kmに及んだ。この土石流は降雨に伴う土石流と異なって、含水量の少ない岩屑流(Dry avalanche)であり、地震による土石流の一つの特徴である。同様な土石流は1978年1月の伊豆大島近海地震においても発生している。 地震予知が十分でない以上、地震による斜面破壊の予知・予測は、現状のところ不可能である。しかし、降雨による斜面崩壊の危険性が高い箇所は、地震よる場合も危険度は高いと考えるべきである。特に、地質的に脆弱な斜面は、工学的にも不安定性が高い斜面であり、その斜面の地形や特性を考え、どのような種類の斜面破壊が発生するかを考え、それに応じた対策を講じることが重要である。
  • 由井 義通, 加茂 浩靖
    p. 111
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    社会福祉が女性の仕事とされるのは,社会福祉の分野がその担い手も対象も女性が多くを占めているからである(杉本,1993)。社会福祉分野などの一定の職種への女性の集中は,賃金の低さ,地位の低さ,男性の優位性を導き出すことになっている。社会福祉を仕事とする男性が増加しても,管理的仕事であり,女性は実践的な現業部門の仕事に就くことが多く,社会福祉は依然として低賃金で定着率の低い「女性の仕事」であるといわれる。1990年代以降,日本では老人介護サービス業おいて従業者が増加した。特に農村地域では限られた雇用機会のなかで,介護サービス業の労働力需要が,女性にとっての貴重な雇用機会として注目されてきた。しかしながら,介護サービス業における雇用の実態,介護サービス就業女性の仕事と家庭の両立等に関する研究は乏しく,女性の就業と生活を絡めたこれらの課題の検討が農村地域の女性就業を理解する上でのテーマになっている。本研究の目的は,東広島市を事例として,非大都市圏地域に展開する介護サービス業の雇用特性,および就業女性に対する周囲からの支援の状況の把握である。3世代同居世帯の比率の高さなど,都市とは異なる環境のなかで,いかなるサポートを受けながら女性が就業しているのかを検討する。このため,本研究では事業所での聞き取り調査を実施するとともに,介護サービス事業所に従事する女性を対象に就業と生活に関するアンケート調査を実施した。分析の結果,この地域の介護サービス事業所では次のような雇用特性がみられた。第1に,中高年女性を中心した従業者構成である。家事あるいは介護の経験が仕事に生かせる点,パートタイム勤務の多さ等が主な理由である。男性を雇用する事業所もあるが,男性の構成比は最も高い事業所でも3割に満たない。第2に,勤務時間の不規則性である。夜間勤務,土日勤務,緊急出勤が必要な事業所も多い。介護職には,夜間や土日の勤務あるいは対老人サービス,体力等が要求されるために,介護サービス事業所では従業者の確保が課題になっている。このため,介護サービス事業所は従業者の採用において様々な工夫を行っている。従業者の希望を重視した勤務時間の設定,託児所の設置等がその例である。一方,女性の生活については家事や育児の分担において世帯形態による違いがみられた。家事・育児の主な分担者は,核家族世帯では夫であるのに対して,親族が同居する親族世帯では親である。夫が家事をすると回答する女性の比率は,親族世帯よりも核家族世帯で高かった。介護サービス業の成長は,仕事に「生きがい」,「社会貢献」,「自己実現」などを求める農村の女性に貴重な就業機会を提供した。利用者あるいは職員間の人間関係,健康等の面で悩みを抱える者もいるが,比較的安定した職場で高い収入を得て,また仕事に充実感を感じているため,現職を継続する意志を持つ者が多い。しかし,土日あるいは夜間の勤務に従事する者の比率は高く,家事や育児の面でのサポートが必要であることは確かである。
  • 大和田 道雄, 深谷 真美
    p. 112
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ 研究目的 近年,大都市を中心にして集中的な豪雨が観測されるようになってきた(Yonetani,1982;佐藤・高橋,2000)。特に首都圏では局地的集中豪雨による被害が相次ぎ,ヒートアイランドとの関係が指摘されている(三上,2003)。さらに,内陸部と海岸部の気温格差による海風の強化,ヒートアイランド強化によるヒートロー,海風の収束とエアロゾルによる凝結核の増加等,その原因は単純ではない。しかし,集中豪雨が夕方に多いことから(藤部,1998),ヒートアイランドによる強い対流性降水の可能性も考えられる。 名古屋市においても2004年9月5日の夕方に天白川沿いの瑞穂区で最大時間雨量107mmの局地的集中豪雨が発生した(図1)。これは,2000年9月の東海豪雨の最大時間雨量97mmを上回るものであった。そこで,この事例解析を行ったので報告する。_II_ 豪雨時の気圧配置 集中豪雨が発生した時の気圧場は(図2),北太平洋高気圧が西日本に張り出す典型的な夏型であるが,日本列島上には東西に延びる秋雨前線が停滞している。したがって,北太平洋高気圧からの南よりの風が秋雨前線に暖湿流を送り込む状況にあるが,九州の南の海上には台風が北上していて2000年9月の東海豪雨時と似た気圧配置だった。しかし,今回の集中豪雨は,持続性のない単発的なもので瑞穂区という狭い特定地域に起こった現象であり,東海豪雨とは異なる性質のものであると考えられる。_III_ 局地豪雨分布 図3は,名古屋市瑞穂区で発生した集中豪雨時の降水量分布を表したものである。降水がみられたのは市域中心部の熱田区から昭和区,瑞穂区,天白区,および名東区であるが,特に降水量が多かったのは瑞穂区で,時間雨量90mmを上回った。名古屋市の排水処理機能は,時間雨量50mm対応であるため,豪雨による浸水被害が相次いだ。_IV_ 豪雨発生時の局地的な風の流れそこで,名古屋市を始めとする愛知県管轄の大気汚染常時測定局の1時間値のデータを使用して風の流れ場を解析した結果,遠州灘からの南東風の進入(図4-a),および北西部からの北東風が名古屋市付近で収束し,さらにヒートローの影響と思われる反時計回りの渦が確認できた(図4-b)。集中豪雨が発生した瑞穂区は,渦の北東付近にあたり,水蒸気の供給量が豊富であったことを裏付けるものである。
  • 大和田 道雄, 梅田 佳子, 石川 由紀, 中川 由雅, 櫻井 麻理, 畔柳 洋子
    p. 113
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ 研究目的 近年,地球温暖化にともなう亜熱帯高圧帯領域面積の拡大によって,移動性高気圧の形状がセル状高気圧から帯状高気圧に移行しつつあることが明らかになってきた(大和田・石川,2002)。通常,移動性高気圧に覆われた状態では,接地逆転,および沈降性逆転が発達し,大気汚染が発生しやすい(原田,1966)。したがって,移動性高気圧の帯状化は,ヒートアイランド,および逆転層を強化し,都市における大気環境の維持をより困難にさせていると考えられる。そこで,名古屋市におけるNO2濃度の旬別変化を調べてみたところ,11_から_12月にかけて高濃度となることがわかった(図1)。これは,移動性高気圧が春季および秋季に多く現れる気圧配置であることによるものである(吉野・甲斐,1975)。特に晩秋季は,日照時間が短くなるためヒートアイランド強度が強まって高濃度になると考えられる。以上のことをふまえ,本研究はNO2濃度が最も高くなる11月下旬の帯状高気圧時における名古屋市のNO2濃度分布を把握することを試みた。_II_ 観測期日および観測方法 観測は,帯状高気圧に覆われた夕方ラッシュ時(2005年11月26日17時03分_から_21時30分)に行った(図2)。観測方法は,名古屋市とその周辺地域における47地点であり,自動車5台による移動観測である。また,NO2の測定には北川式真空法ガス検知器を使用した。これと同時に気温,および風向・風速についても観測した。_III_ 結 果 観測結果を図3に示す。この時のNO2濃度の平均値は0.04ppmであったが,0.06ppm以上の高濃度地域は,港区から中心部を通る北東方向にかけて広く分布していた。特に,0.08ppm以上となった地域は,千種区,昭和区,中村区,春日井市,長久手町,および南区南部である。これらの地域は,いずれも交通量の多い幹線道路が通っており,自動車から排出されたNO2が停滞していたと考えられる。参考文献大和田道雄・石川由紀,2002:地球温暖化にかかわる中緯度高気圧の変化_-_最近の北半球における亜熱帯高圧帯の面積拡大傾向と移動性高気圧の帯状化との関係について_-_.地球環境Vol.7,117-127.
  • 長野県下水内郡中条村伊折を事例に
    浦山 佳恵
    p. 114
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1研究目的
     水田,畑,雑木林,草地,ため池,用水路などからなる“里山の自然”(以下,“里山”とする)の保全が重要な課題となっている.里山が失われる主要因は,都市部周辺では住宅地やレジャー施設などの大規模開発であるが,日本の大部分を占める中山間地域では過疎化に伴う農林地の放棄である場合が多い.したがって,より多くの里山を保全するには,過疎地における里山保全の検討が重要となる.
     一方,資源の浪費を避けて循環的に使用する環境への負荷が少ない社会“循環型社会”への転換が求められている.そうしたなか,中山間地域は自然資源や農地が多く残され,循環型社会を作るのに有利な場所といわれている.しかし,日本ではこれまで循環型社会が築かれてこなかったわけではない.高度経済成長期以前には,地域ごとに農家の循環的な資源利用を核とした循環型社会が築かれていた.そして,それが里山を形成する重要な要素となっていた.以上から,過疎地の里山の保全には,かつての循環的資源利用の再構築が役立つと考えられる.
     循環的資源利用の再構築を検討するには,まず高度経済成長期以前の農家の循環的資源利用の実態と現在までの変化を把握する必要がある.かつて農家は資源の多くを里山に依存し,里山の資源を最終的にはすべて農地に還元し,循環的資源利用を実現していたと考えられる.しかし,里山の資源をどのように利用していたのか,資源のどれだけを里山に依存していたのかは明らかにされていない.
     そこで本研究では,里山の資源利用と里山への資源依存度に注目し,過疎地における昭和20年代の農家の循環的資源利用の実態とその変化を把握した.
    2調査地と方法
     事例地域として,長野県下水内郡中条村伊折を取上げた.中条村の1960年から2000年の人口減少率は55%であり,2000年制定「過疎地域自立促進特別措置法」の指定を受けている.伊折は人口が減少しており,調査協力者が多いため対象地域として取上げた.
     昭和20年代の農家の里山の資源利用の状況については,男女6名に当時の生業および暮らしに関する聞取り調査を行った.調査項目は,生業活動(稲作,麦と豆の二毛作,麻と蕎麦の二毛作,養蚕,楮の生産,畳糸の製造,燃料の採取,山菜・きのこ・木の実の採取,家畜の飼育,貸し馬,代掻きの出稼ぎ),暮らし(炊事,暖房,洗濯,風呂,排泄,家の修理)とした.里山への資源依存度は,男性5名への自家の資源の自給率に関する対面式アンケート調査を行った.資源としては食糧,燃料,肥料,衣類,履物を取上げた.食糧は普段の朝昼夕の食事,普段の動物性タンパク質と摂食頻度,主な食糧ごとの自給率,燃料は購入燃料,効果からみた燃料の自給率,肥料は各農地の施肥状況,効果からみた肥料の自給率,衣類は自給・購入の別,履物は普段の履物の種類をたずねた.現在の農家の里山への資源依存度は男女6名に昭和20年代と同様の対面式アンケート調査を行い,里山の資源利用はその結果から推測した.
    3昭和20年代の農家の循環的資源利用とその変化
     昭和20年代,農家は里山から現金収入源,食糧,飲用水,生活用水,燃料,履物の材料,建築材,農具材,家畜の餌・敷藁,生活用具材を得ていた.農家は里山とそこから得た資源を特性に応じて重層的に利用し,里山の資源を現金収入源・肥料以外すべて使い回し最終的に肥料として農地に還元していた.また,里山の資源利用には家族や近所同士の相互扶助といった社会システムが機能していた.資源の平均的自給率は,食糧では主食96.8%・野菜100%・動物性タンパク質72.5%,燃料90%,肥料68%,衣類0%,履物60%であった.
     現在も,農家は里山から現金収入源,食糧,燃料,肥料を得ていた.農家は里山の資源を重層的に利用し,現金収入源・肥料・人糞尿以外すべて使い回し最終的に肥料として農地に還元していた.資源の平均自給率は,食糧では主食85%・野菜95.8%・動物性タンパク質0%,燃料8.3%,肥料8.6%,衣類0%,履物0%であった.
     以上から,昭和20年代の農家の循環的資源利用は,里山への高い資源依存度と里山の資源の農地への還元により成り立っていたことが確認され,それには里山とそこから得た資源の重層的利用,里山の資源の使い回し,家族や近所同士の相互扶助といった社会システムが必要であったことが明らかとなった.また現在まで,里山の資源の農地への還元は依然継続していたが,里山への資源依存度は特に燃料,肥料,履物において著しく低下していたことが明らかとなった.
  • 山本 奈美
    p. 115
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1. はじめに 中部日本域では夏季の日中に熱的局地循環が発達する。内陸の山岳が局地循環の顕著な収束域となり、水蒸気が蓄積するため、積雲及び対流性降雨が発生しやすい(Kuwagata, 1 997)。また、暖候期の局地的な降雨や雷雨の降水量及び降水頻度は15JST_から_18JSTに集中する(Fujibe,1988)。しかし、対流性降雨の発生頻度および降水量について経年変化を検証した例はない。そこで、中部日本における夏季(7,8月)の対流性降雨を対象に、降雨日数、日最大1時間降水量の28年間(1976~2003年)の経年変化を調べた。さらに、時間降水量の経年変化から日最大1時間降水量の変化の要因を考察した。2. データと解析方法解析には、1976~2003年(28年間)のアメダスの日最大1時間降水量及び時間降水量を用いた。解析対象日は、9JSTの地上天気図において北太平洋高気圧が日本列島を支配する日(計540日)を選択した。解析対象日の時間降水量の積算値を図1に示す。地点ごとに各年の降雨日数、平均日最大時間降水量及び平均時間降水量を求め、これら3つの要素について、地点ごとに正規化した値に3年単純移動平均を行った。経年変化の有意性については、t-検定を用いた検定を行い、危険率5%以下を有意とした。3. 結果降雨日数は、ほぼ全ての地点において減少傾向を示した。日最大1時間降水量の結果を図2に示す。日最大1時間降水量は関東平野の中央部や都心部、濃尾平野の中央部や琵琶湖周囲で有意な増加傾向を示した。関東平野や伊豆半島、濃尾平野は全体的に増加傾向を示した。一方、山岳部や山麓部や鹿島灘、九十九里浜などの沿岸部で減少傾向を示した。さらに、時間降水量の解析結果から、関東平野中央部や都心部では、19JSTから3JSTの時間降水量が有意な増加を示した。濃尾平野では、7JSTから15JSTと21JSTから23JSTの時間降水量が有意な増加を示した。
  • 大和田 道雄, 鳥居 つかさ
    p. 116
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    I 研究目的 中部日本の太平洋側に位置する濃尾平野では伊吹おろし,伊勢平野では鈴鹿おろしと呼ばれる局地風が卓越する(吉野,1978)。そのため,局地風による大気汚染物質の拡散が期待でき,他の都市に比較して環境容量が大きいと考えられる(大和田,2005)。しかし,濃尾平野で吹く伊吹おろしは,地球温暖化に伴う1970年代後半のClimate Shift以降,減少傾向にある(大和田ら,2001)。これは,中緯度地域の温帯低気圧の移動経路が激しい大気大循環の変動によって,変わってきたからではないかと考えられる。そこで,本研究は伊勢湾岸地域の伊勢平野を対象地域とし(図1),風道にあたる四日市・亀山・津での局地風の変動と地球温暖化との関係を明らかにしようとするものである。II 資料および解析方法 解析に用いた資料は,津地方気象台,四日市および亀山気象観測所における風速および風向のデイリーデータを使用した。  解析期間は,津が1961_から_2004年度,四日市が1966_から_2004年度,および亀山が1979_から_2004年度における12月から3月までとした。おろし日の定義は,西高東低の冬型気圧配置のもとで吹くことを考慮し,大和田ら(2001)に基いて,日平均風速が5.0m/s以上,風向は風ベクトルの範囲を北西から西,すなわち270度から315度とした。III 結 果 津・四日市・亀山の過去約25_から_43年間におけるおろし吹走日数の時系列を移動平均で表した結果,津と四日市では減少傾向を示し,亀山では増加傾向を示した。その中でも,西よりのおろしが増加していることが判明した(図2)。そこで,西よりのおろしが吹く時の気圧配置を分類した結果(Owada,1990),2つ玉低気圧型の出現頻度が増加していることが判明した。この2つ玉低気圧は,南岸低気圧と日本海低気圧によるものと,日本海低気圧と高緯度側の日本海低気圧によるものとがあることが判明した。参考文献吉野正敏(1978):“気候学”.大明堂,331p.大和田道雄(2005):第2章気候.新編安城市史11資料編 自然,抜刷,196p.大和田道雄・櫻井麻理・石川由紀(2001):伊吹おろしの吹走日数からみた気候変動.日本地理学会春季大会予稿集.Owada,M.(1990):A climatorogical study of local winds (oroshi) in central Japan. Doctoral Thes., Inst. Geosci., Univ. Tsukuba, 98pp.
  • 佐久間 進, 中山 大地, 松山 洋
    p. 117
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    本研究では、地質が比較的均質とみなせる四国の河川流域を例として、比較水文学的手法を用いた流域分類と、セル分布型Kinematic Wave流出モデルを組み合わせた、流量未計測流域の流量予測手法を提案した。まず、四国管内の14の流量観測所の流域の中から、DEMのみから求めた地形特徴量が似ている流域を一組抽出した。次に、特徴の似ている流域の一方に、流出モデノレを適用して観測流量を再現した。そして、構築した流出モデルのパラメータを用いて、もう一方の流域の流量予測を行った。流域の分類の結果、対象流域の地形は、地形の険しさ、流路ネットワーク構造、流域の平坦さ、低次流路発達状況、流域形状の細長さを表わす5個の因子で説明できた。また、対象流域の中で、最も地形の特徴の似ている流域は、石手川湯渡および土器川常包橋の流量観測所の流域であった。常包橋での降雨_-_流出解析では、Nash-Sutcliff係数は81.1%と良い結果を示したが、この時のパラメータを用いた湯渡での流量予測は、Nash-Sutcliff係数が_-_393.2%であった。しかし、常包橋および湯渡に特徴の似ている中筋川磯の川流量観測所の流域での流量予測は、Nash-Sutcliff係数が68.6%であった。湯渡での流量予測は、Nash-Sutcliff係数は良い結果ではなかったが、この原因として、湯渡より上流にあるダムの影響が考えられる。その一方、湯渡のハイドログラフの推定値の位相は、観測値とほぼ一致した。これは流路ネットワーク構造が常包橋と似ているためと考えられる。また、湯渡、磯の川とも、観測値に比べて値が大きくなったが、これは常包橋に比べて地形が平坦であるため、斜面勾配が小さく流出モデルの土層厚が適合せず、流量が過大になるためと考えられる。これらから、地形特徴量で流域を分類することにより、水平的な地形特性である流路ネットワーク構造はハイドログラフの位相に影響を及ぼし、垂直的な地形特性である地形の険しさが流量のピークに影響を及ぼすという知見が得られた。また、本研究で提案した方法は、最も特徴の似ている流域以外でも、類似度の近い流域に対して、流量を予測することのできる手法であることが確認できた。
  • 大和田 道雄, 中川 由雅, 岩田 充弘
    p. 118
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ 研究目的 近年,我が国では熱帯夜日数が増加傾向にあり,特に中小都市に比較して大都市でその増加傾向が顕著であることが報告されている(気象庁,2002)。都市の熱帯夜に関する研究は,近藤・劉(1998)やKusaka and Kimura(2004)らによる数値実験が行われている。その結果,ビル建物による長波放射量の増加や顕熱フラックスが夜間の都市気温を上昇させていることが実証された。 名古屋市は,人口220万人の人口規模を持つ中部地方最大の都市である。その地形的位置から,他の大都市と比較して異常高温が現れやすい地域であるといえる(大和田ら,2005)。 そこで本研究は,名古屋市における夏の暑さの積算を表す熱帯夜の出現日数を調べ,他の大都市と比較することを試みた。さらに,最低気温出現時における名古屋市域の気温観測を実施し,熱帯夜の実態を明らかにしようとするものである。_II_ 解析および調査方法まず,気象庁の資料から1960_から_2005年の夏季(6_から_8月)の名古屋市における熱帯夜出現日数を調べ,東京,大阪,横浜,神戸,京都,福岡,広島,仙台,および浜松の9都市における熱帯夜の出現傾向と比較した。また,名古屋市域における気温観測は,2005年8月3日の早朝(2_から_5時)に実施した。観測方法は,サーミスタ温度計を自動車に設置し,名古屋市内とその周辺地域の48地点における移動観測を行った。移動観測班は,2人1組による4班からなる。また,観測期間中の時刻補正は,中区白川公園におけるアスマン通風乾湿計と中浅式風向風速計による1分毎の定点観測結果を使用した。観測当日は,樺太付近から朝鮮半島にかけて前線が停滞しているものの,東日本から西日本にかけて広く北太平洋高気圧に覆われた南高北低型の気圧配置であった。_III_ 結 果名古屋市の過去45年間の熱帯夜日数を調べた結果(図1),平均出現日数は11.8日で東京(19.7日)や大阪(29.6日)に比較して少ないものの,増加傾向にあることが明らかとなった。特に名古屋は,東京や大阪に比較して増加傾向が著しく,1960_から_1975年の平均出現日数が4.9日であったのに対し,1976_から_1989年では平均出現日数が9.5日と2倍近く増加し,さらに1990_から_2005年では20.1日と1960年代に比較して約5倍にまで増加していることがわかった。 また,名古屋市とその周辺地域における夏季の最低気温出現時(4時30分)の気温分布は(図2),名古屋市東部で現れた26.5℃が最も低く,観測地域はほぼ27℃以上の熱帯夜であった。特に,気温が高く現れたのは,都市中心部の中区から東区にかけての地域であり,29℃以上を観測した。また,都市中心部から郊外にかけて高温域が同心円状に拡がっており,東部の丘陵地帯である長久手町から日進市の一部にかけての地域では気温が低く現れ,典型的なヒートアイランドの分布形態をなしていることがわかった。参考文献気象庁(2002):20世紀の日本の気候.財務省印刷局,116pp.近藤裕昭・劉発華(1998):1次元都市キャノピーモデルにおける熱環境の研究.大気環境学会誌,33,179-192.Kusaka, H. and F. Kimura (2004): Coupling a single-layer urban canopy model with a simple atmospheric model: Impact on urban heat island simulation for an idealized case. J. M. S. Japan, 82.大和田道雄ら(2005):大都市における夏季の異常高温出現傾向について.2005年春季地理学会予稿集.
  • 吉田 明弘, 吉木 岳哉
    p. 119
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    I.はじめに
     東北地方では1960、70年代を中心に多くの花粉分析学的研究が行われてきた。岩手県の北上低地帯では、Yamanaka(1971)、山中(1978)などにより、晩氷期から現在までの連続的な堆積物についての花粉組成が報告されている。しかし、その多くは堆積物の層序の検討やそれに基づく時間的・空間的な植生変遷について不明な点が多く残されている。
     本研究は岩手県滝沢村春子谷地湿原においてボーリングを行い、テフラ層序、堆積物の14C年代、花粉組成を明らかにした。これらの堆積物の編年および花粉組成に基づき、湿原周辺における晩氷期以降の植生変遷と気候変化について考察する。

    II.堆積物の層序および年代
     春子谷地湿原は岩手山の南東麓、最終間氷期以前の火山泥流堆積地に位置し,標高は約460m,面積は約14.7haである。
    ボーリングコアは手動式シンウォール型サンプラーを用いて湿原内から採取した。堆積物の層序と層相、AMSによる年代値は、以下の通りである。
     深度588_から_576cmには軽石を含む砂礫層(秋田駒柳沢;Ak-K;11.9ka)、深度576_から_565cmには分解の良い泥炭層、深度565_から_535cmには粘土と黒色火山砂の互層、深度535以浅には分解の悪い泥炭層が堆積する。深度396_から_392cmには堀切テフラ(9ka)とみられる灰色細粒火山灰が挟まる。深度302_から_300cm、深度253_から_251cm、深度124_から_121cm、深度77_から_75cm、深度31_から_25cmには、東岩手火山起源の黒色スコリア・火山砂が挟まる。
     深度576cm、深度396cm、深度31cmの植物遺体について14C年代測定を行った結果、それぞれ11,660±50 cal yrs BP、8,750±50 cal yrs BP、390±30 cal yrs BPの年代値が得られた。

    III.花粉分析
     花粉分析試料はコアから約10cm毎に採取し、テフラ層付近ではその上下の層準から採取した。試料の処理はKOH-HF-Acetolysis法によった。同定はハンノキ属を除く高木花粉(AP)を300粒以上になるまで行い、その間に出現した低木花粉、草本花粉、シダ類・ミズゴケ胞子(NAP)について同定した。出現率の計算は、高木花粉はその総和を基数とし、低木花粉および草本花粉、シダ類・ミズゴケ胞子はこれらの総和を基数として百分率で示した。
     高木花粉の組成変化に基づき、下位よりHY-1_から_HY-5帯の5局地花粉帯(以下は「花粉帯」または「帯」とする)に区分した。各花粉帯の特徴は、以下の通りである。
    HY-1帯:カバノキ属が優占し、これにコナラ亜属が10_から_30%と次ぐ。また、マツ属・モミ属・トウヒ属の針葉樹花粉が連続的に出現する。
    HY-2帯:カバノキ属が上部に向かい減少するが、下部で一時的な増加が目立つ。一方、コナラ亜属は逆の傾向を示す。
    HY-3帯:コナラ亜属が30_から_60%と高率である。下部でブナ属が増加し、出現率が20%に達する。
    HY-4帯:コナラ属とブナ属が優占し、スギ属が10%前後まで増加する。中部ではクマシデ属_-_アサダ属が一時的に急増する。
    HY-5帯:マツ属が20%以上出現し、スギ属が上部に向かって急増する。最上部ではカラマツ属が検出される。

    IV.植生変遷と気候変化
     花粉分析の結果から、春子谷地湿原周辺の晩氷期以降の植生変遷と気候変化は、以下のように考えられる。
     約12,000年前には、カバノキ属を主とし,コナラ亜属が混交する森林が広がっていた。マツ属・トウヒ属などの亜寒帯性針葉樹もわずかに存在した。その後、約10,000年前までにコナラ亜属を主とする冷温帯性落葉広葉樹林に変化した。したがって、約12,000年前の気候は冷涼であり、約10,000年前までに現在と同様の温暖な気候になった。しかし、約11,000年前に一時的にカバノキ属が増加することから、この時期に気候が一時的に寒冷化したと考えられる。
     約10,000年前以降は、コナラ亜属を主とした冷温帯性落葉広葉樹林が優占する。その中で、約10,000年前にブナ属が、約1,500年前にスギ属が分布拡大を開始した。その後、約400年前以降には、人為的干渉に伴うアカマツ二次林、スギ・カラマツ植林が拡大したと考えられる。
  • 中村 有吾
    p. 120
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1. はじめに
     北海道には多数の完新世テフラが分布し,これまでに,火山学,第四紀学などさまざまな分野で,火山活動の示標や年代示標として利用されている.筆者らは,火山ガラスの脱水法(400℃12時間法)を考案し,脱水ガラス屈折率を測定することで完新世テフラを容易に同定できることを既に公表した (Nakamura et al., 2002;中村ほか,2002).また,実際にこの手法を用いて,北海道の諸地域において多数の完新世テフラを同定してきた.その結果,北海道のほぼ全域の完新世テフラの層序を解明することを得た.本発表では,完新世テフラ28枚について,層序,分布,岩石学的特徴を公表する.

    2. テフラの同定と岩石学的特徴
     テフラの同定は,鉱物組成,火山ガラス形態,脱水ガラスおよび斜方輝石最大屈折率にもとづいておこなった.
    脱水ガラス屈折率は,n=1.480_から_1.530と多岐にわたっており,テフラごとに明瞭に異なる.また,有珠山1663年テフラ(Us-1663/-b)では,層準ごとに脱水ガラス屈折率の値が異なる.
     多くのテフラに共通して,斜方輝石屈折率はγ=1.710前後である.しかし,樽前山起源のテフラ(Ta-a/-b/-c/-d)は,γ=1.713前後とやや高い値を示す.有珠山起源のテフラには屈折率のさらに高い斜方輝石が含まれ,また,噴火ごとに異なる値を示す.

    3. 主な広域テフラ
     北海道各地の堆積物層序の解明に役立つ,特に重要な広域テフラは,駒ヶ岳c1テフラ(Ko-c1,AD1856),樽前aテフラ(Ta-a,AD1739),駒ヶ岳c2テフラ(Ko-c2,AD1694),白頭山苫小牧テフラ(B-Tm,AD947?),樽前cテフラ(Ta-c,ca. 3000 yr BP),駒ヶ岳gテフラ(Ko- g,ca. 6500 yr BP)である。いずれも,北海道西南部から東部まで広く分布する(図1)。それぞれ,火山ガラスに富む,優白色火山灰で,クロボク土壌や泥炭,海成砂層中において明瞭に識別できる。

    4.各地の層序
     駒ヶ岳火山:駒ヶ岳の東麓ではKo-c2が,西麓ではKo-d が,それぞれ層厚 1 m を超える厚い降下軽石層を成す。Ko-dの直下のクロボク土壌には,B-Tmが層厚2_から_3cmで挟在する。Ko-gは,歴史時代のテフラに覆われ露出が少ないが,駒ヶ岳の東麓から西麓まで広く分布する。
     有珠火山:有珠山起源の最大規模のテフラは有珠bテフラ(Us-b,AD1663)で,この噴火では厚い降下火山灰・火砕サージ(Us-1663)を噴出した。それに次ぐ規模のテフラは,明和年間テフラ(Us-1769),文政年間テフラ(Us-1822),1977年テフラ(Us-1977)で,有珠山麓を覆う。先明和テフラ(Us-pM),嘉永年間テフラ(Us- 1853)は規模が小さく,局地的に分布するにすぎない。
     知床半島:知床羅臼岳は,過去2200年間に3回の大噴火をおこなっており,それぞれ降下軽石(Ra-1:数百年前,Ra-2:1400yBP,Ra-3:2200yBP)および火砕流を噴出した。また,約2000年前には天頂山火山が水蒸気マグマ噴火をおこない,降下テフラ(Ten-a)を噴出した。

    5. 北海道の完新世テフラ層序
     図1に,北海道の完新世テフラ層序を示す.本研究では,上記の広域テフラ(Ta-a, Ko-c2, B-Tm, Ta-c, Ko-g)を道東で記載したことにより,北海道全域の完新世テフラ層序がほぼ明らかとなった.
     ただし,有珠山先明和テフラ(Us-pM)とKo-c2の関係は明らかでない.また,十勝岳グラウンド火砕流,恵山元村火砕流(Es-M)の位置づけも不明である.これらに関わる層序は,より正確な年代値にもとづく議論が必要である.
  • 堀 和明, 小出 哲, 杉浦 正憲
    p. 121
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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     海岸低地のすぐ上流側に広がる河成低地とそれを構成する堆積物は,海進から海退に移行する時期の地形・地層形成過程を明らかにする上で興味深い場所に位置する.伊勢屋(1992)や川瀬(2003)はボーリング資・試料をもとに関東平野や雲出川低地の河成低地の発達過程を論じた.また,近年,完新統コア堆積物の詳細な解析が活発におこなわれ,海成層の層相や堆積速度に関する理解が深まってきた.この手法を河成層に適用し,地形との関係を考えることは河成低地に関する理解を深めることにつながる.本研究では,河成低地がいつどのようにして現在の姿になったのかを検討するために,濃尾平野北部の自然堤防〓氾濫原帯でコア堆積物を採取した.
     コアは長良川右岸の岐阜県墨俣町で採取されたST1およびST2の2本である(図1).ST1は後背湿地,ST2コアは旧河道(脇)に位置している.掘削地点の標高は約5m,掘削長はそれぞれ26.2m,23.8mである.採取したコアについては半裁後,肉眼観察,色調測定(10cm間隔),砂泥含有率測定(10cm間隔),軟X線写真撮影,電気伝導度測定(50cm間隔),AMS法による14C年代測定(6点),をおこなった.
     堆積物は色調や粒度,堆積構造などから大きく7つのユニットに区分される.ユニット1はST1のみに認められ,亜円礫と粗粒砂からなる.ユニット2は,生痕化石が多くみられるシルト質砂層からなり,電気伝導度も相対的に高い値を示す.放射性炭素年代値は最下部で8030 yr BP,中部で7450 yr BPとなっている.ユニット3は,ハマグリやマガキなどの貝殻片を含む砂層からなり,約7300yr BPの値を示す.ユニット4は,斜交層理や平行層理をもつ砂層で構成される.このユニットに含まれる植物片からは5270yr BPの年代値が得られた.ユニット5はST1 のみに認められた.上方粗粒化を示す砂泥層から構成されており,ユニット4を覆う.電気伝導度は約0.5-1.0 mS/cmとなっている.砂泥中には植物痕が多くみられた.ST2のみに認められたユニット6はユニット4に侵食面を介して累重する.このユニットは主として砂礫からなっており,電気伝導度も0.2 mS/cm以下と低い.ユニット7は,薄い層状の有機物や植物痕を多く含む砂泥層である.電気伝導度の値はユニット6と同様に小さい.また,両方のコアにおいて深度5m付近と深度1m付近で砂の含有率が大きくなっている.ST1コアの深度6m(ユニット7)付近からは3660yr BPの年代が得られた.
     以上から,ユニット6と7が現成の河成低地を構成する堆積物で,この地域が海岸低地から河成低地に変化したのは5270 yr BP以降3660 yr BP以前と考えられる.さらに,ST2では深度12m付近に侵食面が認められる.この侵食面は砂礫からなる河川流路堆積物が下位の海成堆積物を侵食することで形成されたと推定される.ユニット7は氾濫堆積物と考えられるが,砂を多く含む層準が両コアにおいて2回認められ,その深度もほぼ等しい.これは,両地点に砂を堆積させるような河川の大規模な氾濫が3660yr BP以降,少なくとも2回生じたことを示唆する.
  • 堀 和明, 春山 成子, Sotham Sieng
    p. 122
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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     メコン川は世界の大河川の一つで,チベット高原に源流をもち,南シナ海に注いでいる.ベトナム南部に位置する河口付近には大規模なデルタが発達し,その形成史については,近年,地形・堆積学的な視点から多くの知見が得られてきた(たとえばNguyen et al., 2000;Ta et al., 2005; Tanabe et al., 2003).一方,この上流に位置するカンボジア,プノンペン近郊は,地形的に自然堤防・後背湿地地域となっている(久保,2002,2003).この地域は,メコン川とトンレサップ湖から流れてくるトンレサップ川が合流し,それらがメコン川とバサック川に分流する場所にあたる.衛星画像では,これらの河川沿いに多数の旧河道やスクロールバー,スウェールが認められる.このように地形的な特徴ははっきりしているものの,それらを構成する堆積物の特徴については不明な点が多い.本研究では,プノンペン近郊において機械掘削により3本のコア堆積物を採取し,その解析を試みた.
     コア堆積物は,コンポンチュナン州のトンレサップ川右岸の後背地で採取したTAコア(N12°00’ 982,E104°46’ 030),バサック川・メコン川の間のスプロールバーが発達する場所で採取したCKコア(N11°28’ 816,E104°57’ 749),メコン河右岸の旧河道上で採取したPAコア(N11°43’ 834,E104°57’ 842)である.採取したコア堆積物については,プノンペンの地質調査所で半割した後,肉眼観察,カラー写真撮影,土色計(コニカミノルタSPAD-503)を用いた色調の測定をおこなった.色調についてはL*a*b*表色系で示す.L*は明度に対応し,0が真黒,100が真白,a*は正の値が赤で負の値が緑,b*は正の値が黄で負の値が青に対応する(中嶋,1994).
     TAコア堆積物の深度0-11cm は植物根を含む表層土壌,深度11-110cmは橙色?赤褐色を示す細?中粒砂,深度110-327cmは褐灰色?明灰色のシルト質粘土,深度327-680cmは緑灰色?灰色の風化した細粒な亜角礫であった.深度440-450cm付近には炭化物が認められた.色調は堆積物の特徴とよく対応し,L*の値は40-65付近を示し,表層1m付近から上では値が小さくなっていく.a*の値は深度327cm以深で負の値を示すことが多い.b*の値は,5-15付近におさまっている.風化が進んでいる点や色調などからみて,TAコア堆積物は表層部を除き更新統だと考えられる.プノンペン郊外の露頭においてもTAコアの深度327-680cmに近い堆積物を地表面に近い位置で確認できた.また,この堆積物は久保(2002)の地形分類図に示されている台地(upland)あるいは支流性の扇状地(gentle fan)を構成する堆積物に相当すると考えられる.このようにトンレサップ川右岸沿いでは完新世堆積物の厚さが薄いと予想される.
     CKコア堆積物は,深度0-40cmが表層土壌,深度40-420cmが赤褐色の粘土?シルト,深度420-480cmが褐灰色の粘土?シルトであった.また,深度480-640cmは,上方細粒化を示す細粒?粗粒砂からなる.これ以深の堆積物については柱状試料としては得られなかったが,乱された試料の観察によれば,深度10m付近までは砂質堆積物からなっていた.色調は,深度420cm付近を境に大きく変化している.とくに,この付近より上でa*,b*の値が正の方向に急増することから,深度420cm以浅の堆積物はそれ以深よりも赤および黄がかっていることがわかる.堆積物の特徴から,深度480cm付近までの泥質堆積物は河川氾濫時に後背湿地あるいは凹地を埋積した堆積物だと考えられる.一方,その下位の砂質堆積物は,上方細粒化を示す点などから考えて,流路充填堆積物だと推定される.
     PAコア堆積物は,深度0-760cmが灰褐?赤褐色のシルト,深度760-1986cmがおもに褐灰色のシルト?極細粒砂とシルト質粘土の互層,深度1986-2200cmが細礫を含む中粒砂,深度2200-2320cmがシルト?極細粒砂とシルト質粘土の互層と有機物に富む泥層,深度2320-2500cm が中粒砂からなっている.a*およびb*の値は深度760cmを境に大きく異なる.深度20-22m付近にみられる砂が河川流路堆積物だと考えられ,それらが厚い砂泥互層により覆われていると推定される.今後,年代値なども含めて地形・地層形成過程を詳しく論じる予定である.
  • 榊原 保志, 中川 清隆
    p. 123
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    軽風時における小集落の夜間ヒートアイランドの立体構造の特徴を検討した.クロスオーバーは23事例中わずか3例しか認められなかった.クロスオーバーは風速の減少いいかえると運動エネルギーの低下により引き起こされれると考えられる.しかし,都市内外の風速差には明瞭な違いはなかった.また,弱風小集落のヒートアイランド形成に都市構成物質の蓄熱の効果が大きな役割を演じたと示唆された.これは軽風時に限定された事例の結果かもしれない.
  • 北部九州の事例
    西木 真織, 後藤 健介, 磯 望, 黒木 貴一
    p. 124
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 1972年にアメリカの地球観測衛星LANDSATが打ち上げられて以来、衛星データは地球観測の研究に利用されてきた。しかし、同一の土地被覆と分類されたエリアにおいて、反射率特性が季節的に変化する傾向が認められたことから、衛星データの季節的反射率特性をバンドごとに捉え、その変化量などを詳細に検討した。2.季節変動の実態 本研究では、季節による変化を捉えるために、大分県日田市における2001年度の5時期(季節)の衛星データ(LANDSAT/TM)を用いた。まず各月の衛星データについて、OM-SAT(沢瀉電子株式会社)を用いて幾何補正を行った。その衛星データについて、教師付分類によるポイントトレーニングを行った。その際、5月のポイント地点の土地利用を基準とし、分類項目を水域、森林、草地、裸地、水田、市街地の6分類とした。また、5月の土地分類基準と同一基準を用いて、他の4時期の土地被覆分類を行った。さらに、ポイントトレーニングを行った地点の現状を確かめるため、2005年10月に現地調査を行った。3.研究結果 分類結果の一部を図1に示す。これは、20001年5月と10月の土地被覆を表している。 現地調査の結果、特に水田、および市街地として区分した地点の反射率が季節的に大きく変化することが判明した。 図2は水田としてポイントトレーニングを行った地点において、バンドごとの数値の変化量を表したものである。どのバンドにおいても季節(時期)による差が大きい。現地調査時の水田は、稲が刈られており裸地との区別がつきにくい場所、また、稲が黄変して市街地と区分しにくい場所、水田表面が焼かれて黒変している場所、ひこ生えや二毛作作物により草地との区別がつきにくい場所など、反射率を変化させる要素が多くあることが判明した。4.今後の利用 衛星画像から季節変動特性を詳細に抽出することで、地表の季節変動像や環境変化像を明らかにできる。今後の環境モニタリングへの応用の可能性も検討したい。なお、本研究には科研費基盤研究C課題番号16500653を利用した。
  • 佐藤 浩
    p. 125
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
     平成17年9月2日の午前4時2分-4分に、航空機搭載センサを利用して、1,500m上空から新宿御苑の熱環境を把握した。データの解像度は2mであり、温度分解能は±0.3℃である。
     その結果、新宿御苑よりも周辺市街地のほうが温度が高いことが判った。また、新宿御苑内においては、25℃-27℃の樹林よりも芝地のほうが温度が低く約20℃だった。別途計測した夏季の航空レーザ測量データから把握される植生高が高いほど、温度が高い傾向があった。しかし、たとえ植生高が高くても、疎林であると、温度は若干低くなることが判った。このことは、樹林内部では地上からの夜間の放射が樹木に妨げられていることを示唆している。
  • カナダ レジャイナを例として
    石丸 哲史
    p. 126
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    サービス経済化,知識経済化の進展する今日では,生産過程においてさまざまな形で専門的知識(expertise)が必要とされ,これを情報やサービスという形によって提供する業種が活発に生起している。このような知識集約的事業所サービス業は,労役主体のサービス業とは異なり生産性は高く,この業種の立地は都市の経済基盤に影響を与える可能性は高い。一方,このような専門的知識は,コスト削減を主たる動機とする労役主体サービスと異なり,企業活動において必須の要素とされるわけではなく,しかも内部化の選択肢もあることから,全ての地域,全ての業種,全ての規模の企業において投入を必要とされるわけではない。結果として,顧客企業側の専門的知識に対する需要が知識集約的ビジネスサービス業の立地可能性へ大きく影響することになる。ところで,事業所サービス業の立地に関しては,わが国においては東京一極集中の状況がこれまで明らかにされてきた。集中の背景としては,サービス購入の意思決定部門が東京に集中するため,中枢管理機能を大きく指向するようなサービス業は東京に集中することが説明され,これに関連して,地方圏における「東京発サービス」の域外支配があるとされた。しかしながら一方で,地方圏では専門的知識主体のサービスに対する需要が低いため,知識集約的事業所サービス業の立地環境が整っていないともいえる。このように,ビジネスサービス需給の地域的差異に着目することが,知識集約的ビジネスサービス業の立地の解明に大きく貢献するものと思われる。すなわち,地方圏におけるビジネスサービスの立地動向は当該地域における顧客企業側の量的・質的両面からみたサービス需要の実態と大きくかかわっているといえる。地方圏においては,顧客企業がこのような知識集約的ビジネスサービスの投入をコストではなく浪費(expense)と捉える傾向が大きく,そのためニーズがあっても需要として発展しない「ニーズ ディマンド ギャップ」(O'Farrell and Hitchens 1990)が存在する。さらに,わが国の中小企業においては,サービスに対する有償意識の低さから「浪費」としてのサービスの購入意欲が乏しく,このことが大都市圏とのコントラストを鮮明にしている構造的要因のひとつと考えられる。以上のような,問題意識のもとで本研究では,知識集約的ビジネスサービス業である経営コンサルタント業を対象として,地方圏の立地動向とその背景を探る。本報告では,有償意識の点など欧米諸国と比べてサービスに対する認識が異なるわが国の状況を明らかにすべく,カナダ地方都市レジャイナにおける経営コンサルタントの分布と活動を明らかにし,事業所サービス業における首位都市卓越の状況が,わが国特有のものであるか検討する。経営コンサルタントは,個人経営から「ファーム」と呼ばれる大企業に至るまで企業規模の幅は大きく,就業するコンサルタントの性格もさまざまである。このような状況において国際的な比較を行うために,本研究ではICMCI(The International Council of Management Consulting Institutes:国際公認経営コンサルティング協議会)公認の国際称号CMC(Certified Management Consultant)を取得した日本とカナダにおける経営コンサルタントの地域別の分布を明らかにした。対人口比からみると,カナダは日本のおよそ7倍の認定経営コンサルタントを抱えていることになる。このコンサルタントの国内での分布をみると,日本では東京都に59%が集中しているが,カナダでは首位都市のトロント(Greater Toronto)であっても34%であるように,カナダにおいては日本のような強度な首位都市集中を示しておらず,本研究で対象とする人口19万人程度のレジャイナにおいても1%のシェアはもっている。このようなカナダ地方圏における経営コンサルタントの存立基盤は,需要サイドが支えているものと思われる。すなわち,レジャイナの経営コンサルタントは,域外業者との競合を認めながらも,顧客のニーズを実感しており,レジャイナの市場の拡大に関しても決して悲観的でない(アンケート調査による)ことが関係しているものと思われる。
  • 宇根 寛
    p. 127
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    地震による被害を軽減するために、ハザードマップの利用が重要であることは、すでに、2004年春の日本地理学会公開シンポジウム「地震被害軽減に役立つハザードマップのあり方」と、その議論を受けて日本地理学会が2004年7月に取りまとめた「ハザードマップを活用した地震被害軽減の推進に関する提言」で示されてきたところである。この提言の中で、災害イメージを具体的に実感できる詳細なハザードマップの作成のため、土地条件図や地形分類図などの地理学の成果を効果的に利用することが必要であることが指摘されている。2005年10月、中央防災会議は「表層地盤のゆれやすさ全国マップ」を公開した。これは、表層地盤の違いによる計測震度の増幅程度を全国について1kmメッシュで示したものであるが、その基礎となるのは地形分類データであることが明確に述べられている。さらに、このマップでは、地方公共団体に、より詳細なメッシュでのマップの作成を推奨している。そのためには、土地条件図などの微地形分類のデータが不可欠である。また、国土交通省は、2006年1月「総合的な宅地防災対策に関する検討会報告(案)」を公表し、今後、宅地ハザードマップの作成を進めていくことを打ち出した。ここにも、上記の提言で提案した微地形地盤図の考え方が反映されている。このように、地震防災の高度化のためにハザードマップが必要であること、そのためには地理学の成果である地図の情報が不可欠であることは、行政的にも広く認知されてきている。
     土地条件図や地形分類図のもつ情報の多重性を高度に活かして、詳細なハザード情報をよりわかりやすく伝えるために、地理情報システム(GIS)の活用が不可欠であることも、上記の提言に示されている。国土地理院では、土地条件図をデジタルデータとして提供する準備を進めている。土地条件図のデジタルデータには、地形分類のポリゴンデータのほか、切土、盛土に関する情報、標高に関する情報などが階層化されて盛り込まれる。さらに、活断層データや空中写真画像、旧版地図、標高データなどのデータも順次整備されつつあり、地域レベルの地震災害の具体像を描くために、これらの地理情報を有効に利用することが求められる。
     埼玉の地震防災に資する地図情報として、土地条件図、都市圏活断層図、治水地形分類図、空中写真、旧版地図、標高データがある。
  • 中村 洋介, 中村 和郎
    p. 128
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに 本発表では、一本の積雲列がしばしば三浦半島から東京・世田谷方向に延びていることを発見したので報告する。関東南部の積雲列は東京環状八号線(通称「環八」)上にできる低層の積雲列「環八雲」が知られる。塚本(1990)は、夏季に形成される環八上空の積雲列を「ヒートアイランド雲」と名づけ、環八付近の高温域に東京湾と相模湾からの海風が収束し、大気汚染物質が凝結核になることで形成されると報告した。本報告での積雲列は、三浦半島の中央を南北に延びる横浜横須賀道路(通称「横横」)に沿って出現する。比較的交通量の多い横浜横須賀道路上空に一列の積雲が連なることからこの雲を仮に「横横雲」と名付けた。本発表では、「横横雲」の出現日、出現時の風向、気温、海水温、気圧配置と現段階で考察される出現の成因について報告する。分析には気象庁アメダス、神奈川県環境科学センター、神奈川県農林水産情報センター、神奈川県水産技術センターの資料を使用した。2.「横横雲」の出現 「横横雲」は低層の複数の積雲がほぼ南北方向に長く一列に並ぶ雲列である。2005年は年間20回程度の発生を確認した。観測は横浜市戸塚区小雀町の丘陵上からの目視である。積雲列を追跡すると、日平均通行台数13万台の横浜横須賀道路上空に発生していた。発生時期は3_から_9月に多くみられ、発生時の多くは移動性高気圧や太平洋高気圧に関東地方が覆われている。「横横雲」は早朝から夕方にかけて発生し、夜間は消滅する。発生時、積雲の各セルは北方向へ流れている。発生時の風向は、三浦半島の東京湾側では南東成分の風向、相模湾側では南西成分の風向を示す(図1)。冬季の北成分の風向時は発生しない。 「横横雲」発生時の2005年4月24日に積雲列を北方向に追跡すると、横浜横須賀道路から第三京浜上空に延び、川崎IC付近で世田谷(環八)方向に続いていた。一方で2005年8月4日に南方向に追跡すると逗子付近で雲が形成されていることを確認した。3.「横横雲」の成因 三浦半島のほぼ中央を南北に積雲列が並び、発生時には積雲列に向かって風が収束している。暖められた三浦半島の陸域と周りを囲む比較的低い海水温域による海風の発生が東京湾と相模湾からの風の収束を生み、「横横雲」が発生していると推察される。発生には横浜横須賀道路の交通量の関わりも考えられるが、より交通量の多い横浜新道上空には発生していないなど明瞭な交通量との因果関係は特定できなかった。4.おわりに 甲斐ほか(1995)や糸賀ほか(1998)では、「環八雲」は太平洋高気圧か移動性高気圧に覆われる南風成分の日に出現し、海風の収束とヒートアイランドによる上昇気流が成因であると報告している。「横横雲」の成因もこれらの報告と類似している点もあると推察されるが、これまでの「環八雲」の報告では東京都内のみの分析であり、本調査で「環八雲」は「横横雲」として神奈川県東部にも延びている可能性があることが分かった。中西・菅谷(2004)は、暖候期において相模湾・東京湾・鹿島灘からの海風が収束してつくられる東京湾周辺の雲列下で午後に降水がみられることを報告している。2005年7月25日には、「横横雲」出現後の17時に三浦半島から栃木県小山にかけてのレインバンドがみられた。今後は「横横雲」と降雨の関連についても検討してゆきたい。参考文献糸賀ほか 1998.環八雲が発生した日の気候学的特徴_-_1989_から_1993年8月の統計解析_-_.天気45:13‐22.甲斐ほか 1995.東京環状八号線道路付近の上空に発生する雲(環八雲)の事例解析_-_1989年8月21日の例_-_.天気42:11‐21.塚本1990.ヒートアイランド現象と雲_-_1989年夏の観測から_-_.気象34:8‐11.中西・菅谷2004.夏季の東京湾周辺に発生する雲列と局地気象および午後の降水との関係.天気52:729-73
  • 小田 匡保
    p. 129
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_.はじめに 筆者は前稿(2005)で、戦前期の聖護院を例に、近代における大峰の入峰ルートを明らかにしたが、その際、大峰に入る前や大峰から出た後に、鉄道・バス・船などの交通機関が利用されていることに触れた。一部の船の区間を除いて、出発してから帰るまですべて徒歩によった近世以前と近代との大きな違いがここにある。社寺参詣や巡礼においても同様であり、小野寺(1990)は、明治期に鉄道利用によって、東国からの伊勢参宮ルートが変化し、途中の善光寺などに参詣しなくなったことを指摘している。大峰入峰の往路・復路においても、同じような状況が想定される。本発表は、近世との比較は措いておき、近代交通機関を利用した大峰入峰前後の行程と、途中における社寺参拝について、聖護院の入峰を例に明らかにしようとする。資料は、聖護院の機関誌である『修験』の戦前版と当時の時刻表を主に用いる。なお、近代交通機関の利用は数箇所で確認できるが、本発表では社寺参拝が見られる3つの区間に絞る。_II_.京都_から_吉野山 『修験』掲載の最古の事例である大正12年には、京都駅を出発し、奈良、王寺で乗り換えて吉野駅(現・六田駅)に着いている。吉野駅からは徒歩で、吉野神宮を経て吉野山に向かう。昭和3年3月、吉野鉄道の六田(旧・吉野)_から_吉野間が開業し、以後、基本的には吉野神宮駅で下車する。昭和3年11月には奈良電鉄の京都_から_西大寺間が開通し、大阪電気軌道(大軌)の橿原神宮前(旧駅)まで乗り入れる。昭和4年以降、入峰の一行は奈良電鉄ルートを利用するようになり、乗り換え地点にある橿原神宮への参拝も、昭和4年から戦時中まで原則として毎年行なわれる。_III_.吉野山・上市・柏木_から_京都 戦前期における聖護院の大峰入峰は、中間の前鬼から北へ行くコースと、南へ行って熊野三山を巡るコースを交互に隔年で行なっていた。北回りコースの場合、大正12年は吉野山まで戻ったが、大正14年には上市で解散している。昭和2年以降は柏木が最終宿泊地となる。本山一行が往路を逆にたどったと考えると、昭和3年までは、吉野_から_吉野口_から_王寺_から_奈良_から_京都というルートのはずである。注目されるのは、大正12年の帰途、信貴山・奈良の著名社寺に参拝していることである。信貴山は乗換駅の王寺駅に近い。昭和2年も、奈良で東大寺などを巡っている。昭和8年からは、柏木に泊まらず、大台ヶ原を出た日に京都まで帰るという忙しい行程になっている。時間的余裕があった昭和初期までは、京都への帰りに、交通機関の乗り換え地点で社寺参拝をしていたことがうかがえる。_IV_.勝浦_から_京都 南回りの場合は勝浦で解散し、その後本山一行は、鳥羽行きか大阪行きの汽船に乗る。大正13年_から_昭和5年の3回は鳥羽に上陸しているが、昭和7_から_11年の3回は大阪に向かっている。鳥羽か大阪かの選択は、船の出帆時刻が関係していると思われる。勝浦発の船便は、遅くとも昭和15年にはなくなっており、昭和15年と17年は、全通した紀勢西線を使って大阪回りで帰京している。鳥羽に上陸した大正13年と昭和5年には、二見・伊勢内宮・外宮に参拝したことが記されている。一方、その後、大阪まで船や鉄道で移動した場合は、社寺参拝が確認できない。_V_.おわりに 近世の入峰においては、大峰に入る前や後の行程でも、途中の社寺に随時参拝を行なっていた。戦前期の聖護院の大峰入峰は、近代交通機関を利用しているが、乗り換え地点での社寺参拝が見られ、近世的な行動をわずかに残していると言える。しかし、行程の短縮化や利用交通機関の変化によって、そのような行動は消滅し(戦時中までの橿原神宮参拝を除く)、現在に至っている。文献小田匡保(2005)近代における大峰の入峰ルート_-_戦前期の聖護院の入峰を中心に_-_、山岳修験36。小野寺淳(1990)道中日記にみる伊勢参宮ルートの変遷、人文地理学研究14。
  • 林  香織, 春山 成子
    p. 130
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに
     2004年12月26日0時59分(GMT)のインドネシア西部スマトラ島沖で起こったM 9.0の巨大海底地震に伴い発生した大津波ではインド洋沿岸諸国の多くが被災している。南部タイにおいてもアンダマン海側の海岸平野では津波堆積物を残す大きな災害を被った。その中でもPhuketは、リゾート地でもあるために被害は人災に展開している。被災後、1年が経過し、タイでは行政が復興支援、将来に向けた自然災害軽減に向けた計画を立てつつある。しかしながら、当該地域では被災地域が閉塞されたポケットビーチで発生していることから、地域の土地条件と開発の関係についても検討が必要である。また、沿岸地域における研究事例があるが、必ずしも巨大津波災害との関係にまでは言及されていない。そこで、当該地域におけるリゾート開発が沿岸地域の土地利用に急激な変化を与えた影響を考え、災害脆弱性を明らかにする必要がある。本研究では、ポケットビーチの中でも被災状況の異なった6つを選定して調査を行ったが、今回はKamalaビーチ、Patongビーチ、Karonビーチの3地区での事例を報告する。
    2 対象地域
     タイ半島、アンダマン海に面するポケットビーチの中でも最近30年の土地利用変化量の大きな地域として、プーケット島のKamalaビーチ、Patongビーチ、Karonビーチを選定した。
    3 調査手法
     空中写真(2002撮影)20枚を入手し、地形判読を行い、地形分類図予察図を作成し、6つのビーチで地盤高のデータを入手するとともに、LaserAce300を使用して6ビーチの海浜微地形の簡易測量を行った。加えて、海浜底質の表層サンプルを採取し粒度分析を行い、地形分類図を作成した。そして、計測した海浜地形の断面図の上に津波被災時の波高データを示し、浸水地域、浸水深度、建築物の被害状況から自然地形と津波の被害状況について検討した。
    さらに、より深く地形と津波の被害状況の対応を考察するために、現地においてアンケート調査を行い、災害時の状況把握に努めた。
    4 結果
     取り扱った6つのポケットビーチの面積は狭いが、河成海岸平野は複数列の砂州が形成されており、背後には後背湿地が形成されている。また、潟湖跡地からなる湿地と砂州や砂丘からなる微高地が主要地形要素であることがわかった。Patong, Karonビーチは微高地が海岸線に平行に分布していたが、Kamalaビーチはそれが内陸部の段丘の傾斜面と平行な三角形状に分布しており、2つのタイプに分類できることが分かった。これらのポケットビーチでは、40-70%にリゾート施設(ホテル・レストラン・テーマパーク等観光客を顧客として営業している施設)が分布しており、観光業に特化した土地利用の拡大がおよそ30年前から起こっていた。リゾート施設のうち新規のものは、後背湿地を開発したものが多く見られた。津波被害と地形の関係は、Patongビーチでは、河川周辺部を除き海岸線から2つ目の微高地前方で浸水域が終わっており、Kamalaビーチでは、季節変動的に存在する河動に沿って鳥趾状に広がっていた。
  • 沼田 尚也
    p. 131
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.目的近年,日本の大都市では,人口が郊外に分散するだけでなく都心でも増加する傾向にある.しかし,この都心域での人口増加については,どういった人口移動によるのか実証的に明らかにされていない.そこで本研究では,2000年代前半に,都心域において人口が増加傾向である札幌市を対象として,都市間,都市農村間移動である転入転出による移動,および都市内人口移動を分析することにより,人口の都心再集中のメカニズムを明らかにし,都市の発展段階における日本の都心再集中の位置づけを行う.2.研究方法 本研究は,近年都心域において人口が増加している札幌市を対象地域とする.研究方法は以下のとおりである.はじめに,札幌市の地域概観を示す.そのうち,人口特性については統計区別人口増減率や老年人口率などを分析する.また,人口移動の背景として,近年の住宅立地の傾向や再開発などにかかわる政策も概観する.次に,近年の札幌市における性および年齢階級別の転入,転出による人口移動について,因子分析を適用することにより傾向を明らかにする.さらに,性および年齢階級別の都市内人口移動を分析し,その移動パターンを明らかにする.その際,分析方法として,橋本・村山(1991)を参考として,3相因子分析法を適用する.最後に,札幌市の地域概観を背景としながら,転入転出,都市内人口移動のパターンを考察することで,近年の都心再集中のメカニズム解明を行う.本研究で使用したデータは,転入,転出および転居(都市内人口移動)については,札幌市より提供されたものである.対象期間は2000年1月から2004年12月までの5年次である.それぞれの年次について,札幌市の206の統計区および準統計区における転入転出転居の移動が性および5歳毎の年齢階級別に示されている.有効ケース数は5年間で転入がのべ380,014人,転出がのべ343,334人,転居がのべ715,020人である.  なお,人口増減や住宅立地を図示する際の資料として,国勢調査を基にした札幌市の『札幌市の地域構造』,『札幌市都市計画基礎調査』を併用する.3.結果分析の結果,近年の札幌市では,図1に示すように都心およびその辺縁部での人口増加がみられた.これに対し,転入転出,都市内人口移動は以下のように寄与している.札幌市への転入および札幌市からの転出による移動は,5年間を通じて,10代後半から20代の年齢階級が主要な傾向をかたちづくっている.転入は10代後半から20代の年齢階級による,就学,就業によると考えられる移動が多い.そのため,都心および都心辺縁部や大学の立地する地域への移動が卓越している.また,転出も同様に都心および辺縁部からの移動が多い.しかしながら,10代後半から20代の年齢階級では絶対数において,転入数が転出数を大きく上回っており,これが札幌市における緩やかな人口増加の要因と考えられる.都市内人口移動は,主に20代から30代前半の年齢階級による移動が中心となっている.傾向としては,都心辺縁部における短い距離での移動が卓越している.また,札幌駅やその他の拠点地区の再開発の影響も見られた.なお,郊外を介した移動はあまりみられない.よって,近年の札幌市における都市内人口移動からは都心および都心辺縁部で人口の滞留が促され,かつ,郊外は停滞傾向にあるといえる. 4.考察以上の結果より,近年の札幌市の都心およびその辺縁部における人口増加は,都市外からの比較的若い年齢階級による流入と,停滞および都心部への滞留傾向にある都市内人口移動により生じていることが明らかとなった(図2). かつて,都市の発展は,集中と分散という2極構造によって示されていた.都市化は都市外からの集心が,郊外化は都市内での人口移動による分散が大きな要因であった.反都市化を経験せず,人口が増加を続けてきた日本の都市では,近年の都心再集中が,移動は存在するものの人口の滞留を促す傾向にある都市内人口移動と,都市外からの流入という二つの流れにより成立している.よって,内部の停滞と,引き続く外部からの集中が,日本の都市独自の新たな発展段階と考えられる.
  • 相馬 絵美
    p. 132
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.目的災害時の避難行動や避難場所の圏域に対する考察は人的被害の縮小にとって重要であり,地域防災計画における避難場所の指定に反映されることが望ましい.この点を重視して山本(2000)は,避難場所としての公共的緑地について,誘致距離と地域人口により充足度評価を行った.また,森田(1998)では阪神・淡路大震災時の避難行動から避難距離および避難圏の構造について考察している.避難場所には,公園や学校など公共施設が指定されることが多く,都市計画策定時の人口分布に対応してその配置が決定される.その際,重視されるのが避難場所までの距離であり,いずれの場所からも出来るだけ短い時間内に到達できるように,避難場所は配置される.この避難場所は一度設置すると簡単に移動させることはできないため,その配置は中心地理論の様な,財の到達範囲の上限(移動可能な限界距離)による静態システムとして理解できる.人口増加が起こると収容限界人口の分布範囲が変化する.ここで人口が急激に増加した場合を想定すると,収容限界人口の分布範囲が縮小し避難行動圏よりも小さくなるため,非収容人口が発生する.以上を理論的背景として,先行研究では平面で直線距離を用いた分析を行った.しかし,居住者による避難行動は街路空間で行われるので,距離として道路距離を仮定したより現実的なネットワーク空間での分析が望まれる.そこで本研究は,札幌市中心部を研究対象地域として,ネットワークボロノイ領域を用いた分析を行い,避難場所の圏域と居住人口への対応を考慮した避難場所の充足度について考察する.本研究で行ったネットワーク空間解析にはPC-Mappingを使用した.ネットワークボロノイ領域は,ネットワーク上の母点がノードに対する平面ボロノイの領域を保有するアルゴリズムで生成される(図1).2.研究方法本研究では,避難場所の圏域および充足度をもとめるための分析を行う.分析のためのデータとして,地域人口については札幌市住民基本台帳人口の条丁目別人口を,避難場所の種類・収容人員データについては札幌市防災会議事務局の資料を用いる.札幌市地域防災計画では,災害が発生し,避難が必要な場合に避難する場所・施設として,一般一時避難場所(以下,一時避難場所),一般収容避難場所(以下,収容避難場所),広域避難場所が整備されている.柏原ほか(1998)より,本研究では避難段階として災害発生から身体・生命の安全を確保する一時避難を,地域住民が指定避難場所の安全性を求め,設定地域内全ての指定避難場所への避難行動をとると定義して分析をすすめる.また,分析過程において,積雪のない時期の状況を夏期,積雪により影響を受け屋内施設である収容避難場所のみが利用可能な状況を冬期と呼ぶ. 避難場所を終点としたネットワークボロノイ領域による非収容人口の算出を行う(図2). 3.結論非収容人口の発生が,対象地区内の人口が多い地区で顕著なことから,その原因が固定的な避難場所施設と人口増加によるものといえる.特に,冬期の非収容人口が増加し,積雪地域である札幌市では避難場所の季節間の階層性によって,避難場所の圏域が収容限界人口の分布範囲を上回ることがわかる.また,道路ネットワークのボロノイ領域による分析を試みた避難場所の圏域は,平面ボロノイ領域の結果とは圏域の空間的な差異および充足度の差異があり,その要因として,広域な敷地によるネットワークの面的障害の制約が考えられた.このように,現実的な避難行動について言及できる有効な手法といえる.
  • 安田 正次, 大丸 裕武
    p. 133
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    はじめに 群馬県北部と新潟県南部の境界にあたる奥利根・奥只見周辺の山稜部には多数の湿原が散在している。筆者らは近年この地域の湿原が縮小していることを明らかにし、その要因について検討してきたが、湿原における植生がどのくらいの期間でどのように変化したかは明らかにならなかった。そこで、本研究では年代を隔てて撮影された航空写真を比較することにより、湿原植生の時間的変化について検討を行った。方法 使用した航空写真は1965年と1999年に撮影されたものを用いた。これらの航空写真をスキャナを用いてデジタル化し、GISソフトによりオルソ化して歪みの補正を行った。オルソ化された画像を比較して色調が変化している部分を選出した。これらの色調に変化が認められた場所について植生調査を行って、どのような植生が生育しているかを調べた。結果と考察 図1に1965年、1999年の平ヶ岳の様子を示した。湿原の周囲において色調の変化が数ヶ所か認められた。色調の変化が顕著に認められた部分を図1に円で示した。35年間で最大8m程度変化していると見られることから、平均すると年間20cm程度湿原が縮小しているのではないかと考えられる。 航空写真で色調の変化が認められた部分について植生調査を行った結果、非湿原性植物であるチシマザサが繁茂している部分が多く見られた。顕著な部分は図1に円で示した。湿原周囲でチシマザサと同所的に生育していたのはスゲ類やニッコウキスゲ等の高茎草本およびハイマツであった。このような種構成は湿原が乾燥化して、湿原に非湿原植物種が進入している初期の段階と考えられる(安田 ・沖津 2001)。したがって、航空写真で色調の変化が認められた部分は湿原が乾燥化した際の植生遷移の初期の状態にあると考えられた。 以上より、1965年から1999年の35年間で植生が変化して湿原が縮小している事が航空写真より認められ、植生の変化は主にチシマザサが湿原内へ進入することによるものであると確認された。湿原周囲には今回航空写真で確認できた場所以外にも多くの部分でチシマザサが繁茂しており、1965年の航空写真でもチシマザサが生育していると考えられる色調の部分が多数見られる。これらのことから、1965年以前より湿原へチシマザサが進入していたと推測できる。今後、湿原の縮小がいつ頃から起きていたかを明らかにする事が必要である。文献:安田正次・沖津進 2001. 上越山地平ヶ岳湿原の乾燥化に伴うハイマツ・チシマザサの進入.地理学評論 74:709-719.
  • 安田 正次
    p. 134
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに 上越国境に位置する平ヶ岳は頂上部が平坦で湿原が広がっている。この湿原はオオシラビソ低木林と複雑に入り組んで分布している。この湿原の主な形成要因は残雪であると考えられ、その場所における堆雪量の夥多によって生育する植生が決定していると推測される。この湿原周囲の低木林は風衝樹型を呈する樹木個体が多く見られ、その樹型から冬期に強い卓越風が吹くと推測される。この湿原の形成要因と考えられる残雪分布の偏りが冬期の卓越風の風向によって決定されると考え、偏形樹の樹型・分布調査を行って冬季の風向を推定し、堆雪分布への影響を検討した。調査方法 現地でオオシラビソの偏形樹について樹高、樹型などの毎木調査を行った。調査結果を小川(2001)などの既存の文献を参考に風衝度及び成因となる風向について推定を行って、冬期卓越風のマッピングを行って卓越風分布図を作成した。この卓越風分布図と残雪期の航空写真を比較して風の分布が堆雪状況へ及ぼす影響を検討した。さらに、残雪期に現地踏査を行って残雪の分布と植生分布の関連を検討した。結果と考察 平ヶ岳頂上部での偏形樹の樹型より、この地域の偏形樹は積雪期の卓越風によって形成された事が判った。図1に風衝樹調査の結果より推定された風向分布を示した。これより、平ヶ岳頂上の西側では南からの風が強いと考えられる。また、頂上北東側では稜線の西側は北西からの風、稜線の東側は南西からの風が卓越している。、また、頂上部周辺では南からの風と北西からの風が入り交じった状況であった。これらのことから、平ヶ岳頂上では冬期の季節風である北西からの風が卓越せず、周囲の地形の影響を強く受けて複雑に卓越風が吹いていることが明らかとなった。残雪期にあたる1968年6月の平ヶ岳の様子を示した図2より、堆雪部分は風の吹走路の風下であることが判る。これより、平ヶ岳頂上部では吹走する風の影響を強く受けて堆雪分布が形成されていると考えられた。 そして、残雪期における踏査の結果、堆雪量が多い部分は森林ではなく湿原になっていることおよび、堆雪量が著しく少ないところでも森林植物が生育していないことが明らかとなった。以上より、冬期の卓越風が作り出す積雪の偏りによって、植生の分布が規定されていることが明らかとなった。文献:小川肇 2001 偏形形態のタイプとその成因 「日本の気候景観」 7-11.
  • -茨城県水戸市の事例-
    久保 倫子
    p. 135
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_. 問題の所在 バブル期以後のマンション供給の増加により、東京都心部や地方都市中心部での人口統計的変化や都市機能変容に注目が集まっている。マンションをはじめとする集合住宅の立地は、土地利用転換を生じさせ、立地地域居住者の質的・量的変化を引き起こすなどの要因から、都市研究の重要な視点とされてきた。欧米のコンドミニアム居住者の特性は、都市の規模や特性を反映して異なるという指摘もみられることから、都市研究においてマンション居住者に着目することは有益であると考えられる。また、欧米とは性質の異なる日本の住宅市場では、居住者特性や居住地選好をとらえることが必要とされている。これまでのマンション研究は、供給や都市機能の側面からの蓄積が多く、居住者に関しては人口統計学的特性や世帯属性などの視点から分析されている。しかし、バブル期以降の社会・経済的変化の中で、住宅取得に関する選択肢や価値観がより柔軟になってきたことにより、マンション購入世帯の世帯構成や居住意識は多様化していると考えられる。居住者の住宅への意識や居住者を取り巻く血縁関係などの個人的背景を踏まえた分析が必要になってきている。本研究では、水戸市中心部のマンション購入世帯へのアンケート調査および聞き取り調査により、居住者の居住地選択に関する意思決定過程を明らかにすることを目的とする。居住地選択の過程の分析を通して、居住者の多様な住宅へのニーズや価値観を明らかにし、「水戸市中心部のマンションに住む」ことの意味を考察する。対象となるのは、水戸駅周辺(1km)および国道50号線沿線に立地するマンションで、管理組合またはマンション自治会の協力を得られた5棟全戸(591戸)に対してアンケートを配布した。回収数は139(23.52%)で、有効回答は135であった。マンションには賃貸での居住世帯も含まれるが、居住地選択の要因が賃貸と購入では異なるため、購入世帯(121)の回答を分析に用いる。また、聞き取り調査は、アンケート回答者を中心に行ったもののうち39世帯からの回答を用いる。_II_. 水戸市におけるマンションの立地と周辺環境水戸市は、人口262,532人(2005年国勢調査速報)で、茨城県の県庁所在都市である。水戸市におけるマンション供給は1970年代から始まり、バブル期以降は中心部および主要国道沿線に立地が広域化している。市街地内では、商業施設が集中し、公共交通が整備されているうえ、水戸城跡周辺の歴史的景観や公園緑地の多さ、教育環境や医療施設の充実などで生活利便性が高く、良好な地域イメージが形成されている。_III_. マンション居住者の特性と居住地選択 水戸市中心部のマンション居住者は、大半が茨城県内からの転入者であり、なかでも市内移動が半数を占める。その他の場合には、茨城県内に地縁・血縁があったことなどが選択の理由となっている。各世帯により居住地選択の過程は多様であるが、世帯構成やライフコースにより近傾向が認められるため、居住者を3類型に分類し、分析を行った。(1)普通世帯(夫婦のみ・夫婦+子)が約半数を占め、ついで(2)高齢世帯(子の離家後・退職前後の夫婦および単身者)、(3)シングル世帯(就労期の単身者・退職後は含まない)となる。類型ごとの特徴は以下の通りである。 (1)結婚・家族の成長、就業上の都合、社宅や寮の年齢制   限などが転機となり転居を決定している。多くは新居探索過程で戸建住宅や賃貸集合住宅との比較を行っている。現住地に永住予定とする世帯は3分の1程度であり、今後実家継承や戸建住宅購入の予定者がみられた。   (2)子の離家や退職が転機となり転居を決定している。過半数は住宅購入経験があり、「終の棲家」として購入している。戸建住宅の維持管理の困難さや自家用車利用に頼らざるを得ない環境への不満から、中心部のマンションを選択している。この類型は、市街地内のマンションで割合が高く、利便性に加え、地域イメージの良さやマンション自体の価値の高さを志向する世帯が多い。 (3)就労期にあるシングル世帯は、若年層に限らず中年層にも見られ、単身であることにより住宅選択の意識に(1)と差異が見られる。住宅所有と親からの独立への意欲が強い。 発表では、以上の居住者特性を踏まえ、各世帯の居住地選択の意思決定過程を示す。そこから水戸市の特性と、社会的変化にともなう居住者の多様な居住地選択要因や意識について明らかにする。
  • 塚本 章宏, 磯田 弦
    p. 136
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ はじめに 本研究は,江戸時代初期の京都を描いた「寛永後萬治前洛中絵図」のデジタルデータ化の手順を提示し,同絵図をGISを用いて分析することによって得られる,測量誤差,土地利用,屋敷地分布および敷地面積などに関する知見について報告する.同絵図は,京都を描いた最も初期の手書き測量図のひとつとして資料的価値が非常に高い.この絵図は,京都の歴史景観を復原するのに有用であることもちろん,これを空間基盤にし,近世京都のさまざまな資料を複合的に利用することにより,江戸時代の京都においてもGISを援用した分析が可能となる._II_ 史料情報 「寛永後萬治前洛中絵図」は,江戸幕府の京都御大工頭の中井家が作成した多くの図面のひとつで,京都大学附属図書館に所蔵されている.また同型の絵図には宮内庁書陵部所蔵の「寛永十四年洛中絵図」が存在するが,こちらは下図とされている.本研究はこの二つの異本のうち,より清書絵図の体裁に近い「寛永後萬治前洛中絵図」を使用した.作成年代は,寛永19年(1642年)頃とされている.本絵図は,縦(南北)・横(東西)に636×282.5cmの長方形紙面に描かれており,縮尺は約1/1368である.図中には,町地・河川・田畠・山林・藪・山・道などの土地利用,町名・通り名などの地名,さらには道幅・間口・奥行きなどの測量数値までの細かな記載がある.また公家衆・大名衆・医師衆などについては,敷地が描かれており,分類区分ごとに異なる色の色紙を貼り付けて所有者を記入してある. 本研究では,洛中絵図のデジタル化にあたり,臨川書店から出版されていた,写真複写による複製本を使用した._III_ GIS化の手順  _丸1_ ジオレファレンス: 絵図を現在の測地座標系に登録するには,絵図中の座標と測地座標との対応関係(リンク)を指定する必要がある.リンクには,主として拡幅されていない街路の交差点に設定し,洛中絵図をスキャニングして作成したデジタル画像を1/2500都市計画図デジタルデータと,明治中期測量の旧版地形図をあわせて用いながらリンクを作成して,ジオレファレンスを行った._丸2_ ベクターデータ化:ジオレファレンスされた洛中絵図をトレースすることにより,土地利用や屋敷地のポリゴンデータを作成した.そして,土地利用や所有者名などをポリゴンの属性として与えた._丸3_ 記載情報のテキスト化:洛中絵図中の文字情報は,ポイントデータとして整備した.文字の翻刻は立命館大学アートリサーチセンターの協力の下で行い,テキスト化を行った._丸4_ 誤差の抽出・測定:ジオレファレンスに用いたリンクをGISで分析して,絵図の系統的な誤差,そしてローカルな誤差を算出する.ローカルな誤差は,デジタル化の工程で生じる誤差の最小化に使用した.系統的な測量誤差については,御土居の北部などのまだ市街化していない地域で特に顕著であった.一方,碁盤目状の整然とした街路が広がっている市街地部では,非常に高い精度が得られることがわかった._IV_ 分析_丸1_ 土地被覆:絵図内にはさまざまな土地被覆が記載されているために,当時の都市景観を復原することができる.また本研究の成果を空間基盤にとして,他の年代の土地被覆のデータを重ね合わせることで,変遷を明らかにすることができる._丸2_ 公家・武家屋敷の敷地形状と分布:測量データが細部まで記載されているために,屋敷地形状の詳細なデータを取得することができる.また,色分けされた付箋によって公家・武家などの敷地分布が明確にされていることからも当時の社会階級の空間的分布や占有面積をGISを用いた検討が可能である._丸3_ 地名情報データベース:当時の地名を位置情報が付されたデータとして管理することが可能になる.これと,同時代の町鑑や行政文書などのデータなどとを,地名をもとにマッチングすることで,当時の業種や土地利用の空間的分布を導くことができ,封建時代下の都市の形態や発展を考察することができる._丸4_ 測量精度の検討:本研究で抽出した測量誤差から,江戸時代初期の測量精度を検討することが可能である.当時の測量精度についてのこれまでの研究では,測量道具や技術が主な焦点になっていたが,現実と差を比較したものは少ない.さらに今後,江戸時代初期の絵図を用いたGIS化の作業における誤差の許容価として,本研究の成果が目安となり得る.
  • (1) 天空率の算出
    高橋 日出男, 中村 康子
    p. 137
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    はじめに:都市域における地表面の幾何学的形状は,都市の気候環境に対してさまざまな影響をもつと考えられている.地表面形状に関連する重要なパラメータとして,天空率や地表面粗度などがあり,前者は都市ヒートアイランドの形成に関わる地表面の放射環境に,後者は風の水平および鉛直分布などに影響する.天空率については,街路幅と建築物高度の比や,魚眼レンズを用いた天空写真に基づいて算出されている.地表面粗度についても,いくつかの算出方法が知られている.しかし,これまでに東京都区部全域などの広範囲を対象とした天空率や地表面粗度の空間分布については,その特徴が提示されてされていない.また,天空率の空間代表性や都市を代表的する大きさなどは吟味されていない.これらの課題にアプローチするためには,天空率の広域的かつ連続的な把握が必要であり,それには建築物などの地表面形状を再現できる高細密な地表面高度のデジタルデータを用いた計算が有利と考えられる. 本報告では,航空機のレーザー測量による2.5mメッシュ地表面標高データを用いた天空率の算出手順と,その結果の1例として大きい交差点を含む街路に沿った天空率分布を提示する.資料:本研究では,(株)パスコが作成した数値地表モデル(DSM)を用いた.これは建築物等を含む地表面標高を2.5m間隔でデジタル化したデータで,オリジナルデータの測定精度は水平方向±0.3m,高度方向±0.15mであり,グリッドデータ化された際にはおおよそ高度方向±0.2mとなっている.建築物や街路の位置については,東京都都市計画局が作成した土地利用・建物現況調査GISデータ(平成8,9年)の情報を参照した.また,地面標高として,数値地図5mメッシュ(標高)を2.5m間隔に内挿した値を用いた.地面標高とDSMによる標高差が±0.5m未満の場合を,有意な高さをもつ人工構造物がない「地面」とみなし,すべての「地面」において天空率を算出した.天空率の計算:まず,天空に投影される建築物の有無を図のように判定する.すなわち,方位角θと仰角φを,それぞれΔθとΔφずつ変化させ,「地面」である原点から視線を少しずつ(水平面投影長でΔLずつ)延ばした場合に,水平半径R内で視線が建築物にぶつかるかどうかを判断する.仰角φにおいて,仰角幅Δφ,方位角幅Δθに対する微小天空格子の天空率Δψは,Δψ=sinφcosφΔθΔφ/πで与えられることから,視線が建築物にぶつからなかった場合についてΔψを積算することにより当該「地面」における天空率を算出する.計算パラメータの最適化:東京都区部全域の計算を行うにあたり,R,Δθ,Δφ,ΔLの値を,計算精度と計算時間との兼ね合いから設定した.中高層建築物が密集している新宿区歌舞伎町付近と,超高層建築物が建ちならぶ都庁付近の1km四方を対象に,Δθ=2゜,Δφ=1゜,ΔL=2.5/10mを基準値として評価した.まずR(建築物を考える範囲)を5mずつ拡大し,拡大によって補足された建築物部分の天空格子数に対するそれまでに補足された分の割合を算出した.その結果,新たに補足される建築物部分が,歌舞伎町付近ではR=80m以内,都庁付近でもR=200m以内で0.1%未満となることから,R=200mとした.また,Δθ,Δφ,ΔLについては,それぞれを段階的に大きくした場合の基準値からの差(ΔSVF)について,1)二乗平均平方根(0.01未満),2)|ΔSVF|≧0.02の割合(5%未満),3)平均値(バイアス)(±0.005以内)を求め,括弧内の基準を満たし計算量が最も少ないΔθ=10゜,Δφ=5゜,ΔL=2.5/6mを採用した.街路に沿う天空率分布:主要街路として,東西方向の走向をもつ中野区丸ノ内線新中野駅付近の青梅街道を取り上げ,街路上および街路中心線から30m南北に位置する街路幅の範囲の天空率を求めた.これによれば,大きい交差点付近では,50m程の区間で天空率が0.3から0.4程度変化する.また,少し路地に入ると天空率は1.4km区間の平均値でも0.1から0.2以上小さくなり,かつ場所による差異がきわめて大きい.以上のことから,気温分布などと対応させる場合に,天空率の空間代表性には注意が必要であり,とりわけ交差点付近における天空率は,都市キャニオンの平均的な天空率と大きく異なる場合が想定される.
  • 吉野 淳一
    p. 138
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    一昨年10月23日に発生した新潟県中越地震は、私たちに改めて地震災害の恐ろしさを示すとともに、土砂崩落による孤立地域の発生や、刻々と変化する被災者のニーズへの対応など多くのあらたな課題を残した。また、昨年3月には福岡県西方沖でマグニチュード7.0の地震が発生したが、この地震は、従来地震の空白域と考えられていた場所で発生した地震であったため、大きな衝撃を与えた。国の研究機関である地震調査研究推進本部が公表した南関東地域におけるマグニチュード7クラスの地震が発生する可能性は、今後10年間で30_%_、今後30年間では70_%_と、きわめて高く、埼玉県をはじめとした関東地方では、大規模地震の発生はもはや予断を許さない状況と言える。また、政府の中央防災会議首都直下地震対策専門調査会が公表した、首都直下地震においてマグニチュード7クラスの地震が発生した場合の被害想定では、多数の死者、建物被害などが想定されており、被害を最小限に抑えるための対策が急務となっている。このような中、本県では、危機管理と防災を専門に所管する組織として、危機管理防災部を全国に先駆けて設置し、大規模地震発生時に迅速かつ適確に対応できる体制を整えるとともに、様々な災害対策に取り組んでいる。 首都直下地震が発生した場合、首都圏ならではの問題として、交通機関の途絶により、約650万人にも達する多くの帰宅困難者が発生することが想定されている。 特に、東京都に通勤・通学する県民が100万人を超える本県では、県民を都内からいかに安全に帰宅させるかが大きな課題となっている。 そこで、県は、帰宅困難者へのサポートとして、ガソリンスタンド事業者の団体やコンビニエンスストア及び外食企業と、トイレ、水道水及び情報の提供を内容とする災害時支援協定を締結し、帰宅者の安全確保対策の強化に努めている。また、県民の一人ひとりが自分も被災者になる可能性があることを認識し、日頃の心構えと準備をしていただくために、災害時に利用する経路を実際に歩いてみる「徒歩帰宅訓練」を、東京都や市町村と連携して実施している。昨年11月には、板橋区から県庁までのコース(約13km)と、足立区から八潮市・三郷市までのコース(約10km)の2コースで訓練を実施した。約430人の県民が参加し、自らの目と足で帰宅ルートを確認した。さて、首都圏は、政治や経済などの中枢機能が集積しており、首都直下地震が発生した場合、甚大な被害が各方面に及ぶことが予想される。このような状況を踏まえ、首都圏を構成する八都県市は、広域的な応援体制の確立と防災関係機関との協力体制の強化を図るため、毎年、合同防災訓練を実施している。今年度は、鴻巣市において市役所を中心とする市街地型訓練を実施した。実際の市庁舎を利用した実践的な救出訓練や、避難所の開設訓練やボランティアセンターの立ち上げ訓練などを行った。このほか、全国初の試みとして、県職員自らが、市町村や業界団体等と連携し、一般木造住宅の無料耐震診断を行ったり、県が管理している道路沿道の地震に対する安全点検を行うなど、様々な大規模地震対策を実施している。また、前述したガソリンスタンドやコンビニエンスストアなどとの協定のほか、社団法人埼玉県電業協会と、災害により被災した県の管理する施設と道路の電気設備の復旧についての協定を締結した。さらに、社団法人埼玉県鳶・土木工業会と、工業会が有する建設資機材を使用し、一刻も早く人命救助の活動を行うための協定を締結するなど,様々な関係機関と積極的に協定を締結し、県が実施する災害応援活動の強化を図っている。 阪神・淡路大震災で亡くなった方の多くは建物の倒壊や家具の転倒による圧死、窒息死で、地震発生後瞬時に亡くなった。このことは我々に自分の命を守るには、まず自宅の耐震化など身の回りの安全性の確保が大切であることを教えている。また、広い範囲で災害が発生した場合、県や市町村、消防機関などが全ての現場に即座に駆けつけることは不可能である。災害時には、「自らの命は自らで守る」、「自分たちの地域は自分たちで守る」という自助、共助の精神に基づき、家庭や地域の防災力を強化することが何よりも大切である。県は、災害時に、地域住民が協力し合って救助や避難活動、避難所の運営などを行う「自主防災組織」をひとつでも多く結成していただくため、市町村と協力して自治会の総会などに出向き、直接住民の方々に働きかけている。今後は、さらに、従業員をかかえて、いざという時、地域防災の要となる地元の企業に働きかけ、市町村、消防団、自主防災組織と連携した体制を構築し、地域防災力の向上を図っていく予定である。
  • 京都市醍醐地区を例として
    井上 学
    p. 139
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ 問題の所在 近年,多くの自治体において交通空白地域の解消を目的とした「コミュニティバス」が運行されている.コミュニティバスの多くは,自治体や住民組織が中心となって計画段階から携わっている.これは,事業者が中心であったバス路線の設定に,自治体や住民組織が大きく関わるようになったことを示すものである.自治体がバス交通サービスをある地域に供給した場合,他の地域からも同様のサービスの供給を求められ,結果的に自治体内の多くの地域にバスを運行するケースが見られる.しかし,運賃収入のみで,バス運行の経費をまかなえない路線がほとんどで,補助金による欠損補助にも限界があるため,行政域が広い自治体ではコミュニティバスの運行には制約がある.そのため,住民組織や沿線の企業が中心となって運行されるバスは,上記の問題を克服する手法のひとつである._II_ 研究目的これまでのバス交通に関する研究は,すでに運行されている路線を,移動ニーズを反映した結果として分析されてきた.また,バス路線の利用者が少ない場合は,需要と供給との間に齟齬があるとして,それを縮小させることで,バス利用者を増加させる研究も見られる.バス路線の運行に至る経緯を明らかにすることで,地域の交通需要と結果としての実際のバス路線との差異が生じる要因を分析することが可能である.そこで,本研究では,住民組織が中心となって運行されたコミュニティバスを対象として,バスの路線の決定にいかなる需要が影響を与えたか明らかにすることを目的とする.なかでも,バス運行の計画段階から運行に至るまでの住民の合意形成プロセスに着目した.これによって沿線住民の移動需要と運行されたバス路線との差異を検討することができる. _III_ 研究対象地域と研究方法研究対象地域は京都市伏見区醍醐地区である.醍醐地区には京都市バス,京阪バスが運行されていたが1997年10月の地下鉄東西線の開通にともない,京阪バスに一元化された.その後の京阪バスの路線改変にともない,交通空白地域や既存のバス路線沿線からコミュニティバスの運行の要望が高まった.そのため,醍醐地区の女性会や自治会を中心として「醍醐地域にコミュニティバスを走らせる市民の会」(現:醍醐コミュニティバス市民の会)が組織され,コミュニティバス運行を目指すこととなった.本研究は「醍醐コミュニティバス市民の会」への聴き取りと運行に至までの各種資料を中心に,コミュニティバスの運行に向けた住民の合意形成プロセスを明らかにする. _IV_ 結果・考察  醍醐地区では,京都市や京阪バスにコミュニティバスの運行を要望したけれども,京都市バスがあることから,京都市によるコミュニティバスの運行は困難であった.京都市バスもコスト削減を目指しており,新たなバスを運行することはできなかった.一方,京阪バスは,2002年3月にコミュニティバスを運行したものの,住民が要望していた経路とは大きく異なることから交通空白地域の解消には至らなかった.そこで,「醍醐コミュニティバス市民の会」が組織され,コミュニティバス運行の検討が始まった.バスの運行に関しては,「京のアジェンダ21フォーラム」と新規参入事業者のひとつである「ヤサカバス」の協力が大きな影響をあたえた.前者は運行ノウハウを持たない「醍醐コミュニティバス市民の会」に対して,コンサルティングとしての役割を,後者は実際のバスの運行に関する役割を果たした.醍醐コミュニティバスの経路は,これまのバスが運行できなかった狭隘な区間が多くを占めるが,とりわけ,住民の協力による違法駐車の解消が可能な地域,坂道などにより高齢者の移動が困難な地域が選択された.観光客からの収入が期待される路線も設定されたが,この路線に対しては当初から沿線住民の不満も大きい.これは行政からの補助が期待できないために,採算性を重視した結果である.このように,運行ノウハウを持たない住民組織に対しては,研究者などによって構成される専門知識を持った集団が路線の設定や住民間の調整に大きな役割を果たした.醍醐地域では「京のアジェンダ21フォーラム」内のグループのひとつである交通WGがバス運行に関する助言を行った.ヤサカバスが路線バス運行の実績を増やしたいという理由から運行を受託したように,コミュニティバス運行の委託にあたっては,新規事業者の参入機会を促すものとなり得る.これは運行ノウハウの乏しい自治体のコミュニティバスの路線策定にも適応できるものである.
  • 橋本 直子
    p. 140
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1. はじめに利根川中流域の埼玉県羽生市本川俣を取水口とする葛西用水は、埼玉県東部及び東京低地の主幹用水路として、江戸時代から現在に至るまで重要な役割を担ってきた。400年余に及ぶ葛西用水の歴史は、成立から今日に至るまで用水沿線の環境変化とともに複雑で多様な変遷をとげている。葛西用水の研究史については近代以降の水利事業にかかわるものとして、葛西用水路普通水利組合による『葛西用水路沿革史』(1924)、『葛西用水略史』(1932)、葛西用水路土地改良区による『葛西用水史(通史編・資料上・資料下)』(1993)がある。また農業水利・土木史からの観点からの論考が多い。流域の自治体史は、地域内における葛西用水の理解と史料の掘り起こしという点で大きな成果をあげているが、部分的考察に留まっている。従って利根川からの取水が開始された1719年以前の考察や、流域全体に及ぶ考察はなく、事実関係の誤認も多い。本発表は葛西用水の成立過程を、段階的に整備されてきた用水に影響を及ぼした河川環境の変動から段階手に解明することを目的とした。なお、これは2001年夏(埼玉県4館・東京都1館)が合同で開催した「合同葛西用水展」の成果である。2. 研究地域と手法考察地域は埼玉県から東京都に至る約80kmに及ぶ。1719(享保14)年以降、利根川本川俣が取水口となった葛西用水は、用水組合10か領・300か村・11万石の地域を灌漑する用水となった。1719年以前の各地域の用水の解明には、「葛西用水絵図」を分析した。葛西用水絵図は現在約20点が確認されている。絵図はいくつかのタイプがある。特に19世紀に描かれた絵図には、かつての水路跡や旧河道が詳細に描かれている。この解読により、1719年以前の葛西井堀、中島用水、幸手用水の成立過程と周辺河川環境を解明した。3. 考察と結果用水は南部から、葛西井堀(初期葛西用水)、中島用水、幸手用水があり、成立時期を異としている。これら用水の成立背景には関連する河川の開削・改修が大きく関わっていた。第1段階 3つの用水は単独で機能した。_丸1_葛西井堀:初期の葛西用水。1623年元荒川の瓦曽根曽根溜井から取水。葛西領へ送水。_丸2_中島用水:はじめ庄内古川、1641年江戸川開削により江戸川から取水。_丸3_幸手用水:1660年利根川本川俣から取水。幸手領の用水。第2段階 _丸1_と_丸2_が結合_丸2_中島用水は、古利根川を通じて松伏溜井から人工水路である鷺後用水で瓦曽根溜井に送られ、_丸1_葛西井堀と結んで葛西用水として機能した。1704年利根川洪水により中島用水の取水口が閉鎖し、深刻な用水不足となった。第3段階 _丸1_と_丸3_が結合。_丸2_が分離。中島用水からの送水が不能になった葛西用水は、_丸3_幸手用水に取水源を求めた。この結果、1719年利根川に新たな取水口を設け、中島用水の古利根川口以南を結合して、現在知られている葛西用水体系が成立した。はじめそれぞれの地域で完結していた3つの用水は、利根川諸河川の河道変遷と隣接地域の用・排水の問題が複雑にからみ、小地域から大地域の結合に拡大・統合していったことが判明した。
  • ビジネスの小地域地区分類
    桐村 喬, 中谷 友樹, 矢野 桂司
    p. 141
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに 本研究では「どのようなビジネスがどの地区で営まれているのか」という問いに答える事業所特性の小地域地区類型‘Geo-business-graphics’の構築と分析を検討した.このGeo-business-graphicsは,「どのような人々がどの地区に住んでいるか」という問いに答えるために設定されたGeodemographicsの新しい方向性を模索するものでもある. 具体的には,2001年の事業所・企業統計の全調査区を対象として,産業中分類や開設時期,事業所形態などの事業所特性に基づき,ニューラル・ネットワークの一つである自己組織化マップ(SOM)を利用した地区分類を行ない,その利用可能性について検討した.II 自己組織化マップ SOMとは,コホーネンが提案した教師なし学習ネットワークであり,脳の自己組織化能力をモデル化したものである.SOMに入力されたデータは,データから抽出したサンプルに基づく学習の繰り返しにより,2次元の地図(map)上に配置された出力素子に分類される.値の分布がよく似た変数同士では,各出力素子のもつ値も近くなり,そのデータのもつ冗長性が自動的に判断されている.これは,従来の社会地区分析において,因子分析や主成分分析とクラスター分析によってなされていた処理が同時に処理されていることを意味する.III 条件の設定と分類結果 SOMに関しては,出力素子を5行5列とし,初期の重みはランダムに設定した.変数には,調査区別集計データから78変数を作成し,調査区内の全事業所数に占める割合を算出したものを標準化した値を用いた.2001年における調査区は,全国で247,828調査区ある. SOMによる分類の結果,全国の調査区は20類型に分類された.SOMにより出力される素子数は25であるが,全体に占める割合が1%に満たない類型は別の類型に統合しているため20類型となっている.図1は,大阪市中之島地区周辺における類型の分布である. 事業所特性に基づいて地区分類を行なうことで,事業所分布の空間構造の把握が比較的容易となる.また,類型ごとの集積度の計測や隣接する類型の組み合わせのパターンなどを把握することで,小地域からみた「ビジネスの空間構造」を検討できることになる.さらに,ジオデモグラフィクスと組み合わせることで,居住地ベース・従業地ベース両面からみた地区類型・地域分析も可能となる. 本研究は,東京大学空間情報科学研究センターの研究用空間データ利用を伴う共同研究による成果である.
  • (2) 東京都区部における天空率の分布構造
    高橋 日出男, 中村 康子
    p. 142
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    ◆はじめに:都市ヒートアイランドの形成要因のひとつとして,建築物の密集による天空率の減少に対応した下向き長波放射の増加が指摘されている(Oke 1981,朴 1987など).成田(2001)は,自動車による下向き長波放射の移動観測を行い,局所的な下向き長波放射の差異は天空率の違いによってよく説明できるとしている.また,移動観測によって得た気温と,その測定点における天空率との関係も調べられているが,これらは基本的に主要な街路が対象とされている.一方で,都市ヒートアイランドは,都市とその周辺部における気温分布として認識される.それゆえ,仮に主要街路上で測定された気温が都市気温分布の一断面を代表し,天空率(下向き長波放射)と有意な関係が得られたとしても,その延長として都市ヒートアイランド現象を考察するためには天空率の空間分布が必要となろう.また,都市の最大ヒートアイランド強度と中心部の天空率との関係(Oke 1973)などが求められているが,ヒートアイランド強度(気温)の代表性とともに天空率の空間代表性や都市を代表的する天空率の大きさなどについても十分に吟味する必要がある.
     本報告(2)では,東京都区部全域について算出された天空率を解析することにより,東京都区部における代表的な天空率の大きさと天空率の分布構造の把握を目的とする.
    ◆資料:天空率の算出は,建築物等を含む地表面標高を2.5m間隔でデジタル化した数値地表モデル(DSM:(株)パスコ作成)を用い,別報告((1)口頭発表)による手順で行った.なお,地面標高として数値地図5mメッシュ(標高)を2.5m間隔に内挿した値を参照し,地面標高とDSMによる標高差が±0.5m未満の場合を「地面」とみなして,すべての「地面」(全体で31,724,662点)における天空率を算出している.
    ◆結果:100m四方から1km四方まで格子スケールを変えて平均した天空率分布を求めたところ,都心から周辺に向かって天空率は概略増加するものの,200mスケールまでは主要街路沿いの極小と鉄道沿いの極大など局所的な特徴が目立つ.一方で,1kmスケールでは東京駅北東側の日本橋付近を極小(約0.35)とするが,空間的に変化の乏しい分布となる.1km格子内の天空率ヒストグラムを調べたところ,ほぼすべての格子で1つまたは2つの頻度の極大をもつが,極大が1つの場合でも平均値と最頻値は乖離することが多く,単純な平均値では代表的な天空率を得られないと判断される.そこで,1km格子を代表し得る天空率として以下の値を求めた.まず,各1km格子における階級幅0.05の天空率ヒストグラムについて,頻度の大きい階級を相対頻度の累積で50%以上になるまで抽出する.抽出された階級が連続する場合には1つの極大と考え,頻度で加重した階級値の平均値を求める.また,連続しない場合でも,2つの階級群(2つの極大)に分かれることがほとんどであるため,それぞれについて同様に平均値を求めた.これによる天空率の分布が図1(極大が1つの場合で,点は極大が2つの箇所.座標は平面直角座標系第9系)であり,都心部とその周辺部とでは代表的な天空率に大きな差異があることがわかる.
     対象範囲における780個の1km格子について,ここで得た天空率のヒストグラムを求めると図2になる.極大が1つの場合(a)には,0.5_から_0.6に極大があり,これが都心部を代表する天空率の大きさと考えられ,0.8以上の周辺部とは明確に分離される.両者の遷移帯に多く認められる極大が2つの場合(b)には,天空率の小さい方の極大(1st)が0.6_から_0.65に,大きい方の極大(2nd)が0.9_から_0.95に現れ,(a)の場合と極大の位置が類似している.すなわち,天空率の代表的な値は,都心から周辺に向かって連続的に増大するのではなく,天空率の小さい領域を残しながら,天空率の大きい面積が増加すると考えられる.
     上記のことは,1km格子の天空率ヒストグラムによるクラスタ分析からも支持され,都心中心では0.4以下の天空率を示す箇所もあるが,都心部の代表的な天空率は0.5_から_0.6であり,周辺に向かって小さい天空率を残しつつ0.8以上の領域が増加し,東京湾岸の埋め立て地や河川敷では0.95以上の値となる.
  • 京都府宇治市の事例分析
    青木 和人
    p. 143
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    _I_ はじめに
    今日,ごみ問題は地方自治体の行政課題の中で,早急な解決を求められている問題である.これまでごみ問題は,廃棄物の定量的分析から,その発生構造が考察されてきている.環境工学での研究事例としては,ごみ有料化制度を実施していない滋賀県大津市での家庭ごみへの事業系ごみの混入状況を明らかにした事例(天野ほか 2002)や東京23区における単独世帯の1人当たりごみ排出量の増加傾向を指摘した事例(小泉ほか 2000)などがある.地理学での研究事例としては,名古屋圏における市町村の廃棄物収集サービスの地域的差異を考察した事例(栗島 2002)や福井県を対象として地方都市と周辺町村部のごみの排出にみられる地域間差異を明らかにした事例(波江 2004)などがある.
    市町村のごみ減量政策を議論するためには,市町村内の小地域単位での地域間差異を考察する必要がある.そのために利用可能な統計として,国勢調査や事業所・企業統計調査による小地域統計がある.近年,GISの発展・普及により,GISはこれらの小地域統計を必要な圏域別に集計し,行政情報と比較・分析することにより,市町村の政策に活用することが期待されてきた.
    しかし,小地域単位のごみ排出量データの入手が困難であったため,これまで小地域を対象としたごみ排出量と小地域統計とを比較した研究はされていない.本研究の目的は,市町村内の小地域単位のごみ排出量を対象として,地域的特性の差異を解明することである.

    _II_ 市町村におけるごみ処理の現状
    ごみとは,廃棄物の処理及び清掃に関する法律第2条により,産業廃棄物を除く一般廃棄物のうち,し尿,特別管理一般廃棄物以外のものであると定義される.市町村は,当該区域内の一般廃棄物の処理に関する計画を定め,生活環境の保全上支障が生じないうちに収集し,これを運搬し,及び処分しなければならない.これに基づき,市町村では,多くの人員と予算を用いて一般廃棄物の処理を行っている.
    日本において一般廃棄物は,昭和61年度には4,296万トンであったものが,平成2年度以降は毎年,年間約5,000万トン以上排出されている.市町村が行った処理のうち,直接焼却された割合は78.4%を占め,資源化された割合は17.3%にとどまっている(環境省 2005).この廃棄物処理の現状から,ごみ排出量の増加は,直接的に市町村の処理負担を増加させることとなる.
    ごみ処理量の増加は市町村に対して,不燃ごみ処理については,最終処分場の残容量の問題,可燃ごみ処理については,焼却処理回数の増加に伴う地球温暖化問題やダイオキシン発生などの周辺への環境問題などを生じる.これらのことから市町村には,行政区域内のごみ排出量の地域間差異から,ごみ発生構造を把握することにより,ごみ減量化を進めるための政策が求められている.

    _III_ 研究対象地域と研究方法
    研究対象地域は,小地域単位のごみ排出量データを保有する京都府宇治市とする.宇治市では2006年1月現在,ごみ有料化制度は実施されていない.宇治市は1960年代から人口が急増し,2000年の国勢調査では,人口18万9112人を有する京阪神大都市圏の衛星都市である(宇治市企画管理部企画課,2004).
    分析対象とするごみは,全排出量の約7割を占める家庭ごみのうち,可燃ごみの排出重量とする.分析には宇治市のごみ収集車単位の可燃性ごみ収集重量,2000年国勢調査および2001年事業所・企業統計調査の小地域統計結果を使用する.
    研究手法は,まずGISにより宇治市のごみ収集車の収集範囲データを作成し,年・季節・月単位のごみ収集量地図を作成する.次にごみ収集量地図を小地域統計結果と重ね合わせることにより,宇治市内における小地域単位のごみ排出量の地域間差異を考察した.

    _IV_ 考察
    その結果,以下のことが明らかとなった.
    _丸1_宇治市の小地域単位のごみ排出量と事業所数との比較から,一人当たり事業所数の多い地域において,ごみ排出量の増加傾向が確認された._丸2_宇治市の小地域単位のごみ排出量と世帯人員数との比較から,単独世帯の多い地域において,ごみ排出量の増加傾向が確認された.
    今後は小地域別のごみ排出量を被説明変数として,小地域統計の各属性項目を説明変数とする空間的自己相関問題を考慮した空間的回帰分析を実施することにより,より精緻なごみ排出量の地域間差異を明らかにしていく予定である.
  • 神奈川県横須賀市の事例
    大友 秀一
    p. 144
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに
    近年,我が国では,交通事故をはじめとする様々な事故の発生および凶悪な犯罪の増加が深刻化している.平成13年6月8日に発生した大阪教育大学付属池田小学校事件が,学校安全を見直す決定的な機会となった.さらに,平成17年11月23日に,広島市において小1女児が殺害される事件が発生し,ほぼ同時期の平成17年12月2日に栃木県今市においても同様の事件が発生した.今,児童の安全が緊急の課題として問われており,小学校の安全管理において,放課後における学校外での児童の行動をも視野に入れた取り組みや,各学校での安全マップの作成が求められており,安心・安全な環境を得るための地域に関する情報を求める傾向が強くなってきている.
    そこで本研究では,地理情報の入力・管理・分析・出力に優れるGISを小学校の安全管理へ応用する上での有効性や課題を検討する.本発表は,その前段階として,アンケート調査及びGISを用いて横須賀市における放課後の児童の実態把握を試みた結果を報告する.

    2.研究対象地域
    本研究では,横須賀市のT小学校をとりあげる.対象地域は同校の児童が,日常的に習い事や購買行動をする範囲である.地域内の丘陵部には自然が残されており,そこで外遊びをする児童もみられ,児童の行動には多様性がある.対象地域は,宅地開発時期にできた区画整理の整った地区と,開発時期以前からある家屋が密集し,道路幅員が狭く複雑な道路形態になっている地区とが混在する都市近郊でよくみられる地域である.

    3.研究方法
    児童の実態を日常の生活活動からみるため,活動日誌法によるアンケート調査を行った.調査対象校は横須賀市立T小学校第5学年の児童で,93のサンプルを得た(男子50人,女子43人).調査日は6月9日,天候は晴れであり,アンケートには,自宅内・自宅外を問わず放課後の活動を時間を追って記録してもらった.得られたデータをもとに,児童は放課後にどのような行動をしているのかについて考察を行った.また,GISを用いてネットワーク分析を行い放課後の行動範囲を推定した.

    4.結果と考察
    アンケート調査およびGISを用いた分析結果と考察を以下に示す.
    (1)遊び,習い事が放課後に外出する主な目的となっている.
    (2)放課後の児童の生活では,15時台,16時台に遊びや習い事のため外出する傾向が強く,外遊びに出かけていた子どもおよび習い事へ行っていた子どもは17時_から_19時の間に帰ってきている.神奈川県における人身事故の発生件数が多い時間帯が16時_から_18時であることから,帰宅する17時_から_18時の時間帯における児童の行動は,交通に関する安全を考える上で重要な時間帯と考えられる.
    (3)児童が外出する場合の放課後の行動パターンを分類すると,下校_-_遊び_-_帰宅(遊び型),下校_-_習い事_-_帰宅(習い事型),下校_-_遊び_-_帰宅_-_習い事_-_帰宅(遊び・習い事型),下校_-_自宅過ごす(自宅型),その他の5つに大別できた.
    (4)GISを用いたネットワーク分析から,対象地域周辺の塾までの道路距離の平均は2012.5mであった.この距離を用いてバッファを発生させ,行動範囲とした.

    5.おわりに
    現在の小学校における日常の安全確保に関する児童の安全管理の対象は,登下校の時間における通学路のみとなっている.事故を未然に防ぐためにも,小学校は家庭や地域社会の協力を得て,放課後において特に17時_から_18時の時間帯における児童の行動を視野に入れた安全管理が求められる.
  • 石川 由紀
    p. 145
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1 研究目的 秋季に発生する局地豪雨は,秋雨前線と台風に寄与するところが大きいが,秋雨前線の停滞位置,および台風の進路などは,対流圏上層を吹走する亜熱帯ジェット気流によって決定される。亜熱帯ジェット気流は,豪雨発生時には日本列島の東の海上に形成される順圧的な高気圧の存在により日本列島の西側でトラフ,東側でリッジを形成する(図1)ことを報告した。 そこで,本研究は,台風と秋雨前線の影響で発生すると考えられている秋季の局地豪雨に関して,上層の擾乱の影響も大きいことを考察しようとするものである。2 資料および解析方法 解析に用いた資料は,アメダスの雨量データ,およびNCEP/NCARの再解析Dailyデータである。対象とした事例は,顕著な豪雨災害として報告されている9事例である(表1)。 解析は,各事例の最も降雨量が多かった地点において最も激しく降雨が観測された時間帯の200hPa面における相対渦度0のコンターの時間変化を調べ,それらと雨の降り方,中層の乾燥域,下層の水蒸気の分布などとの関係を考察した。3 結  果 台風の存在が無くて豪雨となった1989年の事例では,9月2日21時_から_4日3時と9月4日21時_から_6日3時までにおいて地上の天気図ではどちらも前線が列島上に停滞しているが(図2),200hPa面における渦度0のコンターの形には顕著な違いが見られた(図3)。 これらの違いは,2_から_3日の降雨が九州から中部地方の広い範囲で見られたのに対し,5_から_6日の降雨が中国四国地方から中部地方にかけての比較的狭い範囲でみられたことに関係すると推測される。
  • 消防庁地域安心安全ステーション整備モデル事業の実践報告
    清水 實
    p. 146
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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     水谷東小学校区地域は、荒川支流の新河岸川と柳瀬川の合流点に位置し、宅地化される前は水田や沼地の遊水地帯であったが、昭和38年ごろから急激な宅地開発が行われた。このため、水谷東地域西側の東武東上線沿いの榎町を除く地域の人口密度は市全体の1.7倍、木造率は約9割で、そのうち旧耐震基準以前の建物が約6割と多く、高齢化率も高い地域となっている。平成17年9月に国交省関東地方整備局により荒川水系荒川浸水想定区域に指定されたが、昭和41年から河川改修や排水設備が整備される平成3年までは毎年のように水害被害を受けてきた。また、昭和60年には水谷東3丁目で12棟が被災する大火をはじめ、狭隘な路地で火災が幾度も発生するなど、その度に地域住民が協力して被害軽減に努め、安心して暮らせる地域づくりに取り組んできた。こうした地域の状況が、富士見市内の他の地域に比して、地域住民の連帯意識を強く育んできたと言える。とくに平成7年1月17日の阪神淡路大震災は、住宅が密集し地盤の悪い水谷東地域住民にとって衝撃的な警鐘となり、平成8年には神戸現地で地域コミュニティーの力で減災と復興を実践した真野地区住民と交流し、また「語り部キャラバン隊」を招いて体験を聞くなど、多くの尊い教訓に学び、地域ぐるみの連携と自主防災活動の大切さをあらためて認識することができ、地域内の全ての町会に自主防災組織を立ち上げた。小学校区内の4自主防災会は、町会の枠を越えて安心安全な地域づくりの課題に取り組むため、水谷東小学校区自主防災会連絡会を結成し、平成9年からは、隣接する志木市住民を含めた地域ぐるみの水谷東地域合同防災訓練を毎年実施している。 平成17年度の消防庁地域安心安全ステーション整備モデル事業の地域選定を受けて、平成17年7月3日、水谷東小学校区地域の中心施設となっている水谷東公民館に地域安心安全ステーションを設置し、同時に各町会集会所に同支所を配置した。地域安心安全ステーションの運営体制は、校区内の4自主防災会の各正副代表者が水谷東地域安心安全ステーション運営委員を兼任し、ステーション活動を分担して執行することとした。消防・警察から活動ノウハウの指導・助言を受け、防災防犯活動の充実と住民意識の高揚を図り、支所ごとに近隣住民が5-6名でチームをつくり、それぞれの都合にあわせた時間帯での防犯パトロールや夜回りを行い、また小中学校PTAと連携して登下校する子どもの見守りや地域パトロール活動とあわせた高齢者世帯等災害時要援護者の見守り、応急救命講習会などの活動に取り組んでいる。すでに、高齢者世帯等への声かけを通して、災害時要援護者リストを作り、災害時に役立つ看護士や大工、電気等の技能者の登録をした支所もあり、常に最新の情報に更新していくことや、また、子どもの見守りでは、下校時間が一定していないため、時間によっては市民協力が困難な場合があり、その間隙をどう埋めるかなど、活動の中で新たな課題も見えてきている。 平成17年12月21日には、地域ぐるみで安心安全ステーションの運営や防災防犯活動を支援・協力する体制を確立するため、小学校区内の自主防災会、行政、消防、警察、小中学校PTA、地元企業・商店会、医療機関、金融機関等33の関係団体・個人で構成する水谷東地域安心安全ネットワーク会議を開催した。今後、毎年2回定期的に会議を開催し、これまで以上に連携して地域ぐるみで取り組みを進めていくこととし、次回会議までにそれぞれの団体で、時間帯等を調整して効果的な防犯パトロールの強化を図ること、災害、事故等の危機に迅速に対応し、地域協力で被害を軽減するためのマニュアルの整備、平常時からの情報交換と合同訓練などを実施していくことを確認した。 私たちの地域が抱えている多くの災害要因について市・県・国の様々な科学的調査によって明らかにされるようになったが、昭和30年代後半以降、各地からこの地に移り住んだ住民に、事前に現在のような情報が提供されていたら、あるいは住民自身が今と同じように防災意識を持っていたらどうしただろうか。いずれにせよ現時点では、第二の故郷として生活してきた多くの住民が、高齢化したこともあるが、愛着のあるこの地から逃げ出すのではなく、力をあわせて自分達で地域住民の安心安全を確保する道を選択し、様々な課題に取り組む日々を続けている。最新の情報やデータに基づき行政が住民の自主的な活動を支え、地元企業等が地域住民と連携し、地域ぐるみで日々の活動を継続していくことが、本当の意味での地域防災力となる。いつ来るか分からない「その時」に後悔しないために、私達はこれからも、子どもからお年寄りまでが豊かな自然環境に恵まれ、安全に安心して暮らせる地域づくりに向けて努力していく。
  • 奈良間 千之, 藤田 耕史, 梶浦 岳
    p. 147
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1 はじめにキルギス共和国北部に位置する天山山脈の氷河は近年縮小傾向にあり,調査地域のテルスケイ・アラトー山脈でも急速な氷河後退が確認されている.これら乾燥地域の氷河縮小が招く将来的な水資源問題に関して,氷河縮小がどの程度河川流量に影響を与えるのかを考える必要がある.本研究では,キルギス共和国のテルスケイ・アラトー山脈東部において,2004_から_2005年にチョン・キズル・スウ川流域でおこなった気象・融解量・電気伝導度(EC)の観測結果から,氷河の融解量と融解期における河川流量に対する氷河流出量の割合を推定した.2 方法チョン・キズル・スウ川上流のカラ・バトカック氷河のラテラルモレーン上にAWS(Automatic Weather Station)を設置し,気象観測をおこなった.氷河表面の7箇所でスチームドリルを用いて3.5mの掘削をおこない6月頭と9月末に氷河表面低下量を観測した.これら観測データを用いて融解期の氷河の融解量を推定した.氷河流出水のECは,氷河上や氷河周辺部の17地点で測定した.チョン・キズル・スウ川の河川水のECは,氷河から20km下流の流量観測所にEC計を設置し,2004_から_2005年に常時観測した.3 結果チョン・キジル・スウ川流域(302 km2)の氷河面積(39 km2)は13%を占める.2004年6月に氷河流出口で測定した氷河流出水のEC値は43.6μs/cmで,氷河上と氷河周辺の17地点から得られたEC値の平均とほぼ同じであったため,流出口のデータを氷河流出水の代表値とした.氷河の流出水以外の水のEC値は,氷河に設置したAWSの気温が 0℃以下になり,EC値の変化がなくなる10月26日の流量観測所の256.1μs/cmとした.これらEC値と流出量を用いて,河川流量から氷河の流出量を分離したところ,融解期の7_から_8月で氷河の流出量は河川流量の40%を占めることが明らかになった.AWSの気象データから熱収支法により氷河の流出量を求めたところ,その結果はEC値から得られた流出量とほぼ一致した(図1).4 考察この流域に占める氷河は13%に過ぎないが,下流の河川流量に対する氷河流出量の貢献は非常に大きいことが示された.小規模な氷河でも今後の氷河縮小により,河川流量に大きな影響を与える可能性を示している.本発表は,ここで示していない2005年のデータを中心におこなう予定である.
  • 小口 久智
    p. 148
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    小学校における新しい世界地誌教育のあり方を考えるWhat a New Education for World Geography in Elementary School should be小口 久智 (山形県中山町立豊田小学校)Hisatomo KOGUCHI (Toyoda Elementary School)キーワード:世界地誌教育、一貫カリキュラム、心象地理、小学校Keywords:Education for World Geography, Integrated Curriculum, Imaginative Geographies, Elementary School _I_ はじめに 本発表では、日原(2005)による[義務教育=最適なスケールでの地誌教育]→[高校=マルチスケールに扱う地誌教育]という一貫カリキュラム試案を念頭に、小学校社会科における世界地誌教育実践の課題と可能性について検討する。_II_ 小学校社会科における「世界」学習の課題我が国の国際化が進む中、小学校社会科においても各学年で「世界」とのつながりや国際連合のはたらきについて学習する内容が取り上げられるようになった。しかし、学習指導要領によれば、小学校社会科は、指導内容や発達段階に応じて、「社会的事象について考える力」の育成を目指している教科とされている。そのため、小学校社会科におけるこのような「世界」学習を、世界地誌教育の一端を担う学習と見なすことはできない。なぜなら、小学校社会科で登場する「世界」は、地理的な事象に対する関心を高め、地域的特色を考察理解させ、地理的な見方・考え方の基礎を培うことを目指すためのものではないからである。このことは、6年生社会科において、我が国とつながりの深い国について学ぶことに関して、学習指導要領解説の中に、次のような但し書がなされていることからも読み取ることができる。「なお、ここでは、つながりが深い国の地形や気候、産業、人口などの概要を調べることが趣旨ではないことに留意する必要がある。」 また、限られた時間の中で、学習対象として「世界」を取り上げ、子ども達に調べ学習を強いることは、逆に、子どもたちの心象地理を偏らせ、社会認識を閉じたものにしてしまう危険性がある。_III_ 小学校における世界地誌教育の可能性確かに、現代という時代は、子ども達の自己形成(多様な場所や異質な他者と出会いながら自己を織り上げていく)空間は、地球規模まで広がっている時代だと言える。しかし、そのことを、様々なスケールを対象とした世界地誌学習を小学校で行うための根拠にすることはできない。これまで、小学校における世界地理(地誌)教育として、様々なスケールの場所や地域を学習対象として取り上げる学習が実践されている。だが、それらは、人々のくらしや生き方を共感的に理解するための異文化理解学習である場合や、“地球のためにがんばろう!”運動のための地球市民教育的イベント学習である場合が多かったように思える。 もちろん、このような取り組みは、子ども達の心象地理を豊かにするとともに、テレビ放送や小説などの読み物と同じように子ども達の視野を広げていくためには有効な取り組みであり、地理的な学習と見なすこともできるが、内容的には世界地誌教育とは言えるものではない。 では、小学校において世界地誌教育を実践する可能性はあるのだろうか。ここでは、それに答えるために、二つの方向性を示しておきたい。_丸1_5年社会科を世界地誌教育に_から_現行の枠組みの中で_から_ 社会科カリキュラムの配列は基本的に同心円的拡大方式となっている。そのため、対象地域が「身近な地域」から「身近でない地域」になる小学校5年生でつまずく子どもが多いと言われている。子ども達の心象地理の中では、生活世界を離れた地域は、すでに「外国」なのである。 そこで、5年社会科における産業学習と国土学習を世界地誌教育として再構成する。A社の教科書を見ると、「米づくりのさかんな庄内平野」「水産業のさかんな枕崎市」というように、すでに動態地誌的な単元で編集されている。ローカルスケールで地域を取り上げ、日本という世界について学ぶ世界地誌教育が構想できる。_丸2_6年社会科で世界地誌教育を_から_現行の枠組みを超えたものとして_から_ 現行の枠組みの中でも、地表面の経済的相互パターンやネットワークに着目するという地理的な学習が3年社会科から行われている。そこで、6年社会科における「つながりの深い国」の学習を、現行の枠組みにとらわれないで、世界地誌教育として内容を広げて構成する。但し、この場合は、中学校社会科との内容的整合性を調整していくことが求められる。文献日原高志 2005.新しい世界地誌教育のあり方を考える(その3) !) 中高一貫カリキュラム試案!).地理要旨集68:41 
  • 「彩の国環境地図作品展」の実践
    亀井 啓一郎, 原 美登里, 鈴木 厚志
    p. 149
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1 はじめに
     モノやヒトや自己との対話をとおし、協力・協働のある学びが提唱されて久しい。地理教育に関する文献では、古くから野外観察や野外調査に基づいて自ら情報を目的に応じて収集・処理し、それを解釈・判断し、自らの考えを述べる能力育成の大切さが指摘されてきた。自らの観察や調査によって構成された心象は、視聴覚教材等によって得られたものより狭い地域範囲にとどまるが、観察や調査に基づき得られた内容には深さと多角的側面が備わり、地域を認識する基礎となるためである。このようなことが指摘されてきたにもかかわらず、それらを実践する組織的な方法や、評価・展示のための仕組みを十分に構築してきたとはいえない。本発表は、4年目を迎えた「彩の国環境地図作品展」の実践報告である。これにより、地理教育の基礎・基本を視座に据えた、大学と地域社会との協働ネットワークづくりの一端を紹介したい。

    2 「彩の国環境地図作品展」の組織と概要
     「彩の国環境地図作品展」は、2002年度より埼玉県内の小・中・高・特殊教育諸学校に在籍する児童・生徒を対象として開始している。立正大学地球環境科学部と埼玉県北部地域創造センターは、県の推進する「職・住・遊・学」拡充戦略の一つにこの地図作品展を位置付けた。そのため、当初より埼玉県や埼玉県教育委員会、熊谷市教育委員会、地元の現職教員、生涯教育施設の長に実行委員として参加頂き、初年度の組織を立ち上げた。2005年度の実行委員は総勢17名、その内10名は県内諸機関から参加頂いている。 後援団体としては、埼玉県やさいたま市、教育委員会、公益法人、そして日本地理学会をはじめとする地理学・地図学系学会に協力を依頼している。また、東京電力(株)埼玉支店には、特別協賛という形で発表会・表彰式の会場を提供頂いている。 2005年度の「彩の国環境地図作品展」の年間日程は以下の通りである。5月から6月にかけて、埼玉県内の小・中・高校や生涯教育施設などに作品募集のポスター・チラシを配布し、作品応募を呼びかけた。作品の受付は9月2日から16日である。10月に作品審査となる実行委員会を開催し、11月から翌年2月にかけて、発表会・表彰式と作品展示会を開催している。 なお、この地図作品展の事業経費は、立正大学地球環境科学部予算と同大学院にて実施するオープンリサーチセンター経費から支出されている。

    3 地域協働ネットワークづくり
    産官学協同事業の事例を示す。「彩の国環境地図作品展」の作品募集の一環として、「地図作り教室」を開催している。開催当初は、立正大学地球環境科学部の施設のみで観察・調査・地図作成のすべてを行っていた。2004年からは、北本市にある埼玉県自然学習センターとの事業として、7月の第3・4週の土曜日に開催している。「地図作り教室」では自然学習センターの指導員が中心となり、自然学習センターのある自然観察公園で観察・調査を行い、その翌週、立正大学地球環境科学部において地図化と発表会を行っている。さらに、2005年は熊谷市環境対策課と協働で「地図作り教室」を開催している。入賞作品については、発表会・表彰式を開催し公表している。発表会・表彰式は、東京電力(株)の普及施設であるTEPCO SONICを会場とし、実行委員や国土地理院や埼玉県などの授賞団体の関係者に出席頂いて開催している。作品展は巡回展示により行っている。展示会場はTEPCO SONIC・埼玉県自然学習センター・さいたま川の博物館・立正大学熊谷キャンパスで、入賞作品だけではなく、多くの応募作品を展示・公開できるように配慮している。このように、発表会・表彰式と巡回展示においても地域社会との協働体制を推進している。

    4 作品の特徴
     2005年度の応募は34作品であった。そのうち10作品を入賞作品として選出した。入賞作品を学年別にみると、小学生5作品、中学生3作品、高校生1作品、中学生と高校生のグループによるものが1作品である。このうち、国土地理院長賞を受賞したのは、熊谷市立佐谷田小学校元荒川環境調査隊H17の「がんばれムサシトミヨ!ムサシトミヨの食料編」である。また、埼玉県知事賞と日本地理学会長賞を受賞したのは、こどもエコクラブザ・すぎちゃんズの「ようこそ鳥さん元荒川へ」である。両作品とも埼玉県内を流れる元荒川をテーマとしてグループで観察・調査をし、その結果を図表や写真を用いて表現豊かにまとめた作品である。これらは、本地図作品展の目的の一つである、身近な環境や地域の姿を自ら観察・調査することを実践した質の高い作品である。また、このような作品は増える傾向にある。これは、われわれの取り組む事業の趣旨が出品者側にも伝わり、地域恊働ネットワークが少しずつ形成されている証拠ともいえよう。
  • バンガロールの事例から
    鍬塚 賢太郎
    p. 150
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
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    1.はじめに
     1990年代後半からインド大都市には多国籍企業やインド企業のソフトウェア開発センター,そしてコールセンターなどが立地していった。こうしたインド大都市での情報サービス産業の成長は,都市構造にどのようなインパクトを与えているのだろうか。本発表では当該産業の受け皿となってきた大都市郊外部の工業団地との関係から,そこで生じているいくつかの問題点を指摘したい。経済のグローバル化にともなう発展途上国大都市の成長に関しては,東南アジア大都市について研究が蓄積されてきた。それとの比較を念頭におきながら,インド大都市における情報サービス産業立地のインパクトを都市圏レベルから考察しておくことは,グローバル化を主導する産業の相違が,都市構造にいかなる違いをもたらすのかを検討していくことにもつながる。
    2.インド大都市における情報サービス産業の郊外立地
     サービス輸出を指向するインドの情報サービス産業は,大都市郊外部に立地する。こうした傾向は従業員規模の大きな企業ほど顕著である。輸出額の大きいバンガロールとデリー首都圏に着目してみると,前者では都市南部のエレクトロニクス・シティと東部のホワイトフィールドに,後者では南東部のノイダや南西部のグルガオンに多数の企業が立地する。いずれも空港への近接性を持つ地区であり,公的機関によって幹線道路沿いに建設された工業団地である。
    3.バンガロール郊外部における工業団地開発
    <エレクトロニクス・シティ>
     カルナータカ州電子産業振興公社(KEONICS)が,1978年から開発をはじめたエレクトロニクス・シティ(約340acre)は,都心部南方約15kmに位置する。団地内には約100社が立地し約5万人(エンジニア・管理職37,000人)が働く。当初,工場立地を念頭に開発され,電子部品なども製造されていた。1991年にSTPIが設置され,現在ではソフトウェア開発センターやコールセンターが多数立地する。なかでも,ここに本社を置くインフォシスには2005年11月現在約13,000人が働く。次いでウィプロ(約9,000人),コールセンターのHP Global India(約6,000人)が続き,この3社で就業者全体の75%を占める。その後,カルナータカ州産業用地開発局(KIADB)がフェイズ2(約340a)の開発を98年から始め,現在9社が立地する。
    <ホワイトフィールド>
     都心部東方約20km,空港から約10kmの地点に位置するホワイトフィールドには,94年から開発が開始されたシンガポール政府系企業が運営するオフィスパーク(ITPL,約70a),およびそこに隣接してKIADBが92年から開発を開始した工業団地EPIP(Export Promotion Industrial Park,約530a)がある。後者には2005年3月時点で112の土地区画にアメリカの多国籍企業の研究開発部門やTCSなどインド大手企業など約80社が立地する。EPIPの就業者だけで約23,000人であり,全体の51.2%がソフトウェア開発やコールセンター業務に従事する。これらの企業の中には隣接するITPLに拠点をおいているものもあり,そことの一帯となった開発が行われている。
    4.サービス輸出の拡大とインド大都市の変動
     注目されるのは,公共部門による郊外部での工場立地を意図した工業団地建設とそこへの情報サービス産業の新規立地であり,また20代から30代にかけてのエンジニアやオペレータの職場が,郊外部に大規模なかたちで誕生したことである。
     ただし,このような成長は郊外部での住宅供給を十分に伴うものではなく,通勤に用いる大量輸送手段も整備されていない。彼/彼女らはカンパニー・バスやタクシーを利用して住宅地が広がる中心部から通勤する。特にコールセンターオペレータの勤務は深夜におよび女性の割合も高く,そうしたことが社会問題化している。こうした特徴は,デリー首都圏にも共通する。
     工業団地の整備に牽引された情報サービス産業の郊外立地とその成長は,経済のグローバル化のもとに置かれつつあるインド大都市の都市構造を大きく特徴づけながら,その変化を促している。こうした特長は,東南アジア大都市の郊外部との顕著な相違点として指摘できよう。
    <参考文献>
    岡橋秀典編「経済自由化後のインドにおける都市・産業開発の進展と地域的波及構造」広島大学現代南アジア地域システム・プロジェクト研究センター,344頁,2005年.
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