1.はじめに
熱帯・亜熱帯の海岸沿いに分布するマングローブ林は,近年,開発などによって面積が減少している.一方で,この生態系の重要性が認知されるようになり植林によって森林を修復しようという動きもみられる.マングローブは潮間帯の上半部という限られた土地に成立するために,そこで営まれる侵食・堆積などの地形作用や海水準変動に敏感に反応し,立地を変化させる生態系である.このことに関連して,マングローブ林の遷移や立地変動は陸域の森林よりもはるかに短い時間で活発に起こることが明らかになっている(Miyagi 2001, Hayashi et al. 2005).マングローブ生態系が外部から強いインパクト(例えば,広範な伐採など)を被るとマングローブが立地する土地条件に劇的な変化が起こり,結果的に短時間での遷移や立地変動などの変化が生じている可能性がみえてくる.ここでは,ベトナム戦争の際に米軍の枯葉剤散布によって大規模な森林の破壊があり,その後の植林活動による森林の修復を経験したホーチミン市カンザ地区のマングローブ林をとりあげ,この間のマングローブ林の分布変動を,衛星画像判読などを用いて把握し,破壊と修復の両面で強い人為作用を受けた本地域のマングローブ林分布変動特性を把握した.併せて,この変化に伴う地形・堆積物の変化を解明した.この変化過程を明らかにすることは,「生物・潮汐・地形の相互作用系(宮城ほか2003)」といわれるマングローブ生態系の生態系形成メカニズムを考える際の有力な手がかりになると同時に,今後マングローブ林の計画的な修復・管理を検討するためにも重要であると考えられる.
2.研究方法
カンザ地区のマングローブ林は典型的なデルタ型マングローブ林であり,完新世中期の縄文海進以降の河口域における埋積過程によって成立した土地に立地している.ここではまず,森林破壊前の空中写真地図とその後の衛星画像を判読し,カンザ地区のマングローブ林の破壊直前(1966年),直後(1972,1974年)とそれから現在まで(1989,1994,2002,2005年の各年)の森林の立地変動を把握し,本地域のマングローブ林分布変動特性を明らかにした.また,画像判読から想定される立地変動が実際にどのように行われたのかを現地調査によって検討した.
3.結果と今後の展開
本地域のマングローブ林はデルタの地形形成過程に対応し,幅数kmに及ぶ数本の主流路沿岸と,その間に張り巡らされた分流路の分流間低地に立地している.強い人為作用を受けた本地域におけるマングローブ林の分布変動特性は以下のようにまとめられた.1-1970年までに行われた枯葉剤散布による裸地化とそれに伴う土壌の酸化・乾燥化と表面侵食.2-地区中央部の分流間低地を中心とした1978年以降行われた植林による植生の回復と,周辺部における森林の伐採.3-1994年以降,マングローブ林が河川側に急速に拡大する部分と,河岸侵食によって森林が後退する部分または変動を行わない河岸との分化.4-近年における周辺部の開発による居住地,塩田,エビ池などへの転用.である.
現地調査では植林によって修復した森林においては植栽種であるフタバナヒルギ林の一部にマルバヒルギダマシなどが自然更新する地域がみられ,これらの林床では表層に裸地化による酸化の痕跡がみられた. また,1994年以降過去10年程度の間に河川側に拡大した森林では主にウラジロヒルギダマシが純林を形成し,林床は極めてルーズな粘土からなる.本地域のマングローブ林の基質となる堆積物はデルタ上流から供給された粘土からなるものの,これらが裸地化によって直接降水にさらされた場合,強い雨滴侵食とサスペンジョンが発生し,それが潮汐による移動と塩水中で凝集・沈殿することで再堆積する可能性が示唆される.これは,枯葉剤による裸地化によって近年の急速な森林拡大の下地となる地盤が形成されたことを意味する. そこで,デルタの一集水域単位で裸地化の度合いと近年における森林拡大域の空間分布との関係を検討し,その結果からも裸地化による土砂移動とマングローブ域の拡大が関係している可能性が指摘された.今後は,現地観測によって森林内の落雷による樹冠消失箇所などで起こる侵食や森林の拡大域における堆積の現象を定量的に把握することで,本地域のマングローブ林が破壊から修復する過程で生じた環境変動の強度を検討したい.
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