本稿の目的はロールズの正義の二原理に基づいて教育の分配論を構想することにある。このとき、教育の分配論における適切性対平等性の対立図式を踏まえ、両枠組みの観点から正義の二原理を解釈する。また、本稿ではロールズの自尊の議論を検討し、正義の二原理に基づいて教育を分配することで、自尊(と幸福)の獲得の促進を目指す。自尊の議論を導入することで、教育の分配論における適切性対平等性をめぐる問題に一つの回答を打ち出す。
本稿は、19世紀フランスの女子教育の転換点とされる女子中等教育法(1880年公布)後に展開されたカミーユ・セーによるユニヴェルシテ批判とそれに対する反批判により、ライシテ思想の対立に着目する。セーにとって女子中等教育はすべての娘に対して平等に、そして厳格なライシテのもと行われるべきであった。しかし、法に従って学校を実際に整備する過程においてライシテの徹底が不十分であるとするセーの意見は退けられる。その議論の内容、推移を明らかにすることにより、女子中等教育の制度化の過程において複数のライシテ思想が対立していたことを指摘する。
臨時教育審議会(臨教審)では、1987年8月の解散を見据え、当初、解散後の教育改革の推進体制として、教育政策の主要アクターの同意を受けつつ、教育改革を推進する機能を付与する中央教育審議会の改組を構想していたが、中曽根康弘首相の介入により、臨教審解散後、首相直属の後継審議会の法定設置が目指される。しかし結局、その後の政治状況により中曽根が望んだような改革の推進体制も実現できなかった。結果、1990年代の教育改革は、統括的な推進機関が不在のまま文部省の各審議会に担われる形式になったと考えられる。
東日本大震災時の教員加配措置への肯定的評価の再検討として、教員と教育行政職員へ聞き取り調査を行ない、教員の「傷つき」に着目して分析した。やりがいや居場所のなさ、また教員の専門性の基盤となる子どもや地域との関係性の希薄化等により葛藤や受苦が生じ、その背景として数にのみ着目した政策選択や教員の政策参加のしづらさを指摘した。
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