日本地理学会発表要旨集
2022年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の128件中101~128を表示しています
発表要旨
  • 佐藤 将
    セッションID: 634
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    通勤動向の視点から2人目出産後の子育てと仕事の両立可能性に関する分析を試み,育休からの職場復帰を困難にしている要因を長時間通勤が起因していることを指摘されており,就業継続にある程度の成果が示されている.一方で,この10年で共働き世帯も大きく増加している点や,2015年に施行された子ども・子育て支援新制度によって子育て環境が変化したことにより就業継続要因が変容していることが考えられる.これを踏まえて,本報告では東京大都市圏を対象に2人目を出産し,育休復帰後における子育てと仕事の両立化の動向について,2010年および2020年時点を比較しながら明らかにする.

  • 梶原 拓人, 川東 正幸
    セッションID: 317
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     2011 年3 月11 日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波の被害を受けた海岸防災林の再生・復旧事業では,仙台平野の丘陵地から持ち込んだ土壌材料をもとに1534 haという極めて広いスケールで植栽基盤の造成が行われた.だが,植栽基盤上に実際に植栽されたクロマツにはモザイク状の生育差が生じている.一般に,クロマツが災害防止機能を発揮するには植栽後20年程度の期間を要するとされるため,枯死などの生育不良が起こると復旧には多くの年月を要する.したがって,将来起こり得る災害に備えるためには生育不良の要因を解明することが重要である.

     既往研究では土壌硬度や透水不良などの土壌物理性が主な原因とされてきたが,実際の生育不良との関係を追及した研究はない.また,計測を行ったのは僅か数地点であり,植栽基盤における土壌環境の面的な分布を捉えることはできていない.さらに,一部植栽地では基盤材料由来の強酸性の発現が生育不良を引き起こすとの指摘もあり,土壌物理性にのみ原因があるとは考え難い.したがって,海岸防災林における植栽基盤の生育環境の是非に関しては未だ十分な議論がなされていないといえる.

     本研究では震災後大規模に造成が行われた宮城県名取市海岸防災林を調査地とし,植栽基盤における土壌物理性および土壌理化学性の多地点計測を実施した.得られた結果より,造成盛土を植栽基盤として評価し,クロマツの生育不均一性をもたらした要因を考察した.

    2.研究手法

     宮城県名取市海岸防災林における16の工区のうち,同一植栽年度において生育が良好な2工区と不良な4工区を対象地とした.約20 m×30 mの調査区を2工区に1区画,4工区に2区画設定し,2.5 m間隔で表層のpH(H2O),電気伝導度(EC),土壌水分および60 cm深までの土壌硬度を計測した.取得したデータを用いてSAGA GISにてMultilevel b-spline補間を行い,各環境指標の空間分布を推定した.また,全ての調査区を対象に毎木調査を実施し,各環境指標との関係を考察した.

    3.結果及び考察

     毎木調査の結果,生育が良好な調査区と不良な調査区では,同一植栽年度でありながらも樹高に2 m以上の差が生じていることがわかった.また,生育不良は調査区画全域に面的に生じていたことから,調査地における生育差は間伐では対応できないスケールで生じていることがわかった.なお,生育が不良な地点において,局所的に生育が極めて良好なクロマツが確認された.

     土壌調査の結果,クロマツの生育が良好な調査区では土壌水分,ECは共に低く,pHは中性を示した.一方で生育が不良な調査区ではいずれも土壌水分,ECが面的に高く,pHは酸性を示した.生育状況の異なる調査区では各指標値の分布が全く異なることから,これは植栽基盤に用いられた母材が工区ごとに異なることに起因すると考えられた.なお,生育が良好な調査区では計測地点間における各指標値の変動は小さかったが,生育が不良な調査区におけるEC,土壌水分は値の変動が極めて大きくなった.さらに,両指標ともクロマツの生育状況との相関関係がみられ,生育が極めて良好なクロマツ周辺の土壌環境は酸性でありながらもEC,土壌水分共に低い値を示した.このことより,毎木レベルで生じている生育差はECと土壌水分の相違に原因がある可能性が示唆された.数メートル単位で土壌の環境が異なる要因としては,調査地の植栽基盤が複数の地点から採取された山砂により構成されていることから,計測地点ごとに各母材の配合比が異なることに起因すると考えられた.

     土壌硬度に関して,生育が不良な調査区は良好な調査区と比較して極めて固結した層が多くみられたほか,比較的浅い層から固結が確認された.調査地において植栽基盤の造成方法は統一化されているため,土壌硬度の違いは母材由来の粒径の違いに起因すると考えられた.なお,クロマツの毎木レベルの生育差と土壌硬度にはあまり関連性がみられなかった.

    4.おわりに

     これまで海岸防災林におけるクロマツの生育不良は土壌物理性に起因するものだといわれてきたが,本研究によって,土壌理化学性も含めた複合的な要因が生育差をもたらしていることが明らかになった.さらに,生育不良をもたらした要因としては重機による締固めなどの造成方法にのみ焦点が当たっていたが,本研究によって植栽基盤に用いた母材そのものに原因がある可能性が示唆された.また,植栽基盤のEC,土壌水分は数メートル単位で変化しており,これらが毎木レベルの生育差をもたらしていることが明らかになった.これにより,海岸防災林の生育不良を捉えるにあたって,植栽基盤における土壌環境の多地点計測を行うことの重要性を示すことができた.

  • 堀 和明, 中村 倫太朗, 若杉 拓弥
    セッションID: P001
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに 河口域にみられるデルタはプログラデーションによって海側に拡大していき,デルタに土砂を供給する河川も延伸していく.ある地点を対象としたとき,プログラデーションにともなって,プロデルタからデルタフロントにかけて堆積物が粗粒化(上方粗粒化)していくことは広く知られている.これに対し,陸側から海側に向かってデルタフロント堆積物にどのような粒度変化がみられるかについては不明な点が多い.本研究では,プログラデーションにともなうデルタフロント堆積物の粒度変化について,木曽川デルタを対象に検討する.

    調査対象地と方法 木曽川デルタは,縄文海進時に伊勢湾北部に広がった内湾が,木曽川,長良川,揖斐川によって運搬される土砂によって埋積されることで発達してきた.デルタは,下位からプロデルタ,デルタフロント,デルタプレインの堆積物で構成される.デルタを構成する堆積物は既存の沖積層層序において南陽層に相当し,沖積層の区分(井関,1983)ではプロデルタが沖積中部泥層,デルタフロントが沖積上部砂層,デルタプレインが上部砂層および頂部陸成層にほぼ相当する.羽佐田(2015)によると,沖積中部泥層の分布は現河口から約33–39 kmの範囲に限られる.  国土交通省中部地方整備局木曽川上流河川事務所および同下流河川事務所が木曽川,長良川,揖斐川沿いで実施した堤防地質調査などにおいて採取された多数の試料および発表者らが木曽川デルタで採取した既存の3 本のオールコア堆積物について粒度分析をおこなった.堤防地質調査では通常1 m毎に標準貫入試験が実施され,標準貫入試験用サンプラーで得られた試料の一部(ペネ試料と呼ばれる)が保管されているため,粒度分析間隔は1 mとした.各試料については2 mmおよび63 μmの篩を用いて,礫,砂,泥の含有率を算出した.また,プロデルタからデルタフロントに向かって泥分含有率は低下していくため,泥分含有率が50%となる深度を内挿法によって求めた.篩い分けで得られた砂を対象に,画像解析式粒子径分布測定装置(Retsch社製CAMSIZER XT)を用いて粒度分布を測定し,中央粒径を求めた.オールコア堆積物についてもペネ試料と同様に1 m 間隔で粒度分布を測定した.

    結果と考察 以下では,沖積中部泥層(プロデルタ)が認められた地点の分析結果について述べる.プロデルタからデルタフロントに向かって泥分含有率が50%となる層準は,場所によって異なるものの,現海面下10–15 mに認められることが多い.この結果は,Niwa et al. (2011)や堀ほか(2014)とも調和的である.この層準はボーリング柱状図の記載において砂と泥の境界にほぼ相当している.また,この層準付近の砂の中央粒径は多くの地点で0.1–0.2 mm程度となっており,特徴的な粒度変化は陸側から海側に向かって認められないことから,デルタフロント下部における堆積過程に大きな変化はなかったと推定される.  デルタフロント堆積物を構成する砂の中央粒径は,泥分含有率の小さい層準において最大値を取るが,最大でも0.8 mm以下であった.木曽川においては中央粒径の最大値が河口から25 km前後を境にして,それより上流では粗粒(0.4 mm以上),下流では細粒となる傾向がみられた.この原因として,プログラデーションにともなう河道の延伸によって河床勾配が減少し,粗粒土砂が河口に供給されにくくなった可能性や,デルタフロント上部における堆積環境の違い(たとえば主河道からの距離)などが挙げられる.一方,揖斐川や長良川沿いでは木曽川沿いに比べて,全体的に最大粒径が大きい傾向にあった.また,流下方向に沿った最大粒径の変動が大きいことから,養老山地から合流する支流からの堆積物の影響も受けていると考えられる.

    謝辞 本研究は科研費(課題番号:21K18397)および国土地理協会(第17回学術研究助成)の助成を受けたものである.

  • 京丹後市旧網野町・旧丹後町をめぐる日帰り周遊ルートの検討
    大谷 杏
    セッションID: 533
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに

     近年、大学のゼミや授業にフィールドワークを採り入れることが求められ、企画・立案に苦慮する教員もいるのではないかと察する。本発表では、そのような教員の一人である発表者が実り多い校外学習を求め2年間試行錯誤した過程、そこから編み出した周遊ルートを紹介し、大学生のフィールドトリップと共に、できる限り公共交通機関を利用した地域周遊観光の可能性探る。

    1. 北近畿9市町村への訪問

     発表者の勤務先では、PBLやフィールドワークを行うことが推奨されている。ゼミ生たちは地域経営について学んでおり、様々な授業で学校のある北近畿地域が例示されるのだが、個人旅行で各自治体を訪れることは稀である。そのため、ゼミでは2年生を対象に、大学と提携を結んでいる近隣の9市町(福知山市、綾部市、舞鶴市、宮津市、与謝野町、伊根町、京丹後市、朝来市、丹波市)全てを訪問することにした。それぞれの地域的特性や北近畿地域内の多様性を学ぶことが目的である。ここでは、その中のひとつ、京丹後市へのフィールドトリップに焦点を当てる。京丹後市は京都府北部の丹後半島に位置し、2004年に峰山、大宮、網野、丹後、弥栄、久美浜の各町が合併してできた府内4番目501.84㎢の面積を誇る市である。令和3年の統計によれば、人口は50,280人で、うち最も人口が多いのが網野町(11,778人)、最も少ないのがその隣に位置する丹後町(4,657人)である。

    2. 各訪問時のルート

    ・事前に行った下見

    福知山駅→峰山駅→立岩→てんきてんき丹後→琴引浜鳴き砂文化館→峰山駅→福知山駅

    ・第1回フィールドトリップ

    福知山駅→網野駅→間人皇后・聖徳太子母子像→立岩→てんきてんき丹後→琴引浜→琴引浜鳴き砂文化館→峰山駅→福知山駅

    ・第2回フィールドトリップ

    福知山駅発→網野駅→立岩→間人皇后・聖徳太子母子像→てんきてんき丹後→琴引浜→琴引浜鳴き砂文化館→アミティ丹後→網野駅→福知山駅

    3. まとめと考察

     下見での課題は、峰山駅での乗り換え時間の短さとバスの乗車時間の長さであった。第1回フィールドトリップ時は、暑さ対策、琴引浜での時間配分、昼食場所の確保が課題であった。第2回は訪問時期を前倒しし、冷却グッズを揃えた上で、琴引浜鳴き砂文化館での時間を充分に確保した。事前下見の際、悪天候であったため、琴引浜ではなくアミティ丹後に立ち寄ったが、第2回は当施設で丹後ちりめんの機織り機が稼働しているところを見学、織物産業の現状についてもお話を伺うことができた。最終的には網野駅を起点としたことにより、旧網野町の中心部まで足を伸ばすことができた。

    参考URL 京丹後市 https://www.city.kyotango.lg.jp/

  • 張 紅, 堤 純
    セッションID: 440
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    Ⅰ はじめに  

     1975年に重要伝統的建造物群保存地区(以下,重伝建地区)が制定されて,歴史的街並みを保全する有力な法制度の1つとなっている。その選定地区数が現在まで右肩上がりで上昇し,2022年7月まで全国43道府県104市町村126地区となっている。その中で,長野県木曽平沢(以下,平沢)は2006年に全国初の漆工町として選定された。伝統的建造物に特定された建築物は198件である。重伝建地区制度の活用に伴い,歴史的街並み保全に関わる動きが地域内に現れると考えられる。そこで,本発表では,平沢の街並みが保全されてきたプロセスを検討することを目的とする。使用したデータは,2022年5月22日~28日に実施した塩尻市役所や平沢の住民を対象とした聞取り調査,塩尻市役所提供による資料,および現地で実施した景観観察に基づいている。

    Ⅱ 事例地域の概要と街並み景観の形成と特徴

     平沢は塩尻市域南部に位置し,谷あいを北流する奈良井川が大きく湾曲した河川敷に発達した集落である。中山道沿いに位置し,贄川宿と奈良井宿の間にあるため,いわゆる間の宿である。 塩尻市役所に対する聞取り調査結果によると,平沢は1598(慶長3)年に周辺の山林付近に生活していた人々が後の中山道沿いに移住したことで集落が形成された。近世には檜物細工や漆器などの生産で生計を立てていた。徐々に漆器問屋が中山道沿いに集中して分布するようになり,中山道の南北両方向に町が拡大していった。大正時代,金西町の通りが敷設されてから,分家で職人の町が形成された。漆器産業の発展とともに,異なる時代の建物がバリエーションの富んだ街並みを形成している。

    Ⅲ 官民協働による重伝建地区選定の過程

     1970年代,平沢は漆器産業で経済的に豊かであったため,奈良井宿のように重伝建地区制度を導入しなかった。しかし,1990年代以降では,ホテルの洋風化に伴い,漆器の需要が横ばい・減少となり,住民らは新たな活路を望むようになった。隣接する奈良井宿で行われている街並み保全運動に触発され,平沢の住民らも街並み保全運動に目を目けるようになった。 その時,①住民の荻村博久氏が平沢区の区長に着任した時,市との議会で街並み保全を要望した。それで,住民らの意見をまとめて,町並み保存会を立ち上げ,初代会長を担当した。②旧楢川村の村長の立候補者が建築に興味があり,平沢を重伝建地区にする意思があると発言した。同時に,市町村合併の動きが全国的に広がり,市町村合併前の旧楢川村単独で街並みの価値づけをするのはラストチャンスと行政側が認識した。そこで,旧楢川村は,学術界に調査依頼を行った。このように,①と②の官民協働の動きによって,2005年に平沢の属した旧楢川村が塩尻市に編入合併され,翌年に平沢が重伝建地区に選定された。

    Ⅳ 住民の街並み保全に対する行動  

     13軒の住民に対する聞取り調査結果によれば,住民らの街並み保全に対する行動は2パターン存在する。1つ目は,継承型である(9軒)。彼らは先祖代々行ってきた漆器生産を本家ないし分家として継承していく。漆器生産の家業を継承するとともに住宅や仕事場としての建物を継承していく。2つ目は,新規参入型である(4軒)。こうした街並み保全につながる行動は戦後間もなくの頃に遡ることが可能である。彼らは漆器生産の仕事を求めたり,結婚で地域内に定住したりすることで新規参入した。近年,歴史的建築物に関心があることや安心感のある生活を求めることなどから,地域内に移住して,市の空き家利活用に関する政策や地域内の原住民との協調から,空き家を利活用する行動が見られる。2パターンのいずれも建物そのものの維持につながっていく。特に重伝建地区に選定されてから,年間数軒が建物の修理修景を行っていて,街並み景観が徐々に整えられている。

    Ⅴ おわりに  

     本発表は,長野県木曽平沢を事例として,歴史的街並み保全のプロセスを検討した。平沢は,日本の経済成長とともに漆器産業が発展し,その後横ばいの時代を迎えた。こういった経済的要素を補強するために,比較的遅い時期で平成大合併を機に,重伝建の成功事例を参照した上で,官民協働で重伝建地区制度を導入した。その際,地域内に現れた住民側のキーパーソンと行政側の有力な職員が大いに力を発揮した。重伝建地区になった平沢は,地元住民の街並み保全につながる行動を引き出す一方,域外他者を受け入れて空き家の利活用から街並み保全につながる行動を誘発している。

  • 大平 晃久
    セッションID: 441
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    長崎の原爆モニュメント群については,ガイドブックも出版されており,多数あることはよく知られている。本研究で対象とするもので県内に170 基あり,近年でも新たなモニュメントが建てられている。  しかし,これらモニュメント群を地理学的・空間論的にどう解釈するかは易しい問題ではない。本研究では,長崎の原爆モニュメントを,そのメッセージ(対象,伝えるべき内容)から,「地域」,「組織」,「全域」,「遺構・跡地」の4 類型に分けて考察する。この4 類型は,今井が阪神・淡路大震災モニュメントの対象を,「対面関係/非対面関係」,「生/死」の2 つの軸で4 つに分類したものを,地理学的・空間論的に改変したものである。すなわち,対面関係を「地域」(近隣の有縁・無縁の原爆死者・生者を対象),「組織」(学校,企業などの原爆死者・生者を対象),非対面関係を「全域」(あらゆる原爆死者・生者を対象,あるいは平和,反戦といった主張を表示),「遺構・跡地」(遺構・跡地であることを表示)に分け,生/死の軸は問わず,さらに主たるメッセージから4 類型のいずれかに分類できるものとした。本研究では,長崎原爆モニュメント群がいかなる地理学的・空間論的特性を有するかその一端を解明したい。  図1 は長崎市主要部の原爆モニュメント群を示したものである。ここからは,モニュメントが平和公園に集中していること(①)が明瞭であろう。モニュメントの特定の公園などへの集中はごく一般的であり,これらは「集積の利益」を求めた立地であるといえそうである。ただし,平和公園内の福田須磨子歌碑は相当な苦労の末に建立に至ったという。このように自発的に集中立地してきたさまは,Yoneyamaのいう「記憶景観の馴致」として理解できるのではないか。他所から平和公園内への移転は1 例のみ,また他所を記憶する碑でありながらここに新規建立した例も1 基のみである。しかし,注目できるのは,平和公園には特に「全域」碑が集中していることである。「全域」碑全62 基中44 基が平和公園に立地している。平和公園以外では「全域」碑は成立しないと考えられているかのような異常な集中であり,「封じ込めとよびたい。  また,平和公園への集中には場所のリスケーリングも働いている。元々ここは長崎のはずれで,平和祈念像の建設地を中心部に近い風頭山へ変更すべきとの議論が巻き起こったことがある。平和公園,あるいは浦上は,「全域」碑にふさわしい場所,長崎を代表しうる場所とはみなされていなかった。それが地位を向上させ,「封じ込め」るとすらみなしうるまでに至った。  一方,原爆モニュメントの拡散は3 つの点から注目したい。その一つは長崎中心部における立地(②)である。図1 からも読み取れるように,初期には非常に少なかったモニュメントが1960 年代から増加している。これは,原爆は長崎ではなく浦上に落とされたというような長崎と浦上を峻別する発想の終了と軌を一にしているといえよう。ただし,中心部は「組織」碑と仏教寺院内の「全域」碑が多いという特徴がある。  中心部では,上述の平和祈念像のほか平和女神像,仏舎利塔といった原爆に関連付けられたであろう「全域」碑の計画があったが実現しなかった。これは上述した浦上のリスケーリングの裏返しに他ならない。「全域」碑を中心部にもってくる必要がなくなったといえる。  拡散における注目点の2 つめは,長崎市に隣接する長与町・時津町における増加(③)である。行政や被爆者団体による「全域」碑も含め,それぞれの自治体で慰霊や平和祈念が完結するようになった。すなわち,領域の実態化というべき事態であり,その一環としてモニュメント(記念・顕彰行為)の域内完結が起こったといえる。  拡散における3 つ目の注目点として,遠方に移転したモニュメントの存在(④)があげられる。学校などの「組織」碑4基であり,これらは建立地点に大きな意味は与えられておらず移転が容易であるといえる。これは「組織」碑の特性といえよう。  モニュメントには,出来事の起こった場所ではなく,記憶する主体に隣接する例があり,これが「組織」碑である。一方,上述の「全域」碑は平和,反戦といった伝えるべき「特性」に特徴がある。ともに,被爆という出来事に直接関わる領域を大きく超えて拡大しうるモニュメントである。モニュメントと場所の多様な関係がここには現れている。  以上,長崎における原爆モニュメントの集中(①)と拡散(②~④)について,「記憶景観の馴致」(①),リスケーリング(①,②),領域の実態化(③),多様な(メトニミーに基づく)モニュメントと場所の関係(④,②)が現れることを指摘した。

  • ~埼玉県久喜市を事例に~
    若林 福成
    セッションID: S105
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    電子付録

    1.はじめに  近年,地域活性化を図る方法としてアニメの活用が注目されている.2008年8月筆者が発起人となって,埼玉県久喜市(旧:栗橋町)において株式会社トミーテックが展開している鉄道むすめ栗橋みなみを活用した地域振興事業を発案した.また,アニメ「らき☆すた」を活用した地域振興事業では主要メンバーのひとりとして携わった(図).埼玉県久喜市(旧:鷲宮町)はアニメ聖地巡礼の先駆けとして知られ,山村(2008)がファンの旅行行動に関する研究を行っているが,アニメ作品とのコラボレーション商品の開発過程やアニメ聖地における新たなビジネスの展開方法に関しては,まだ明らかになっていない.本研究は,アニメ聖地で新たなコラボレーション商品やビジネスが生まれるプロセスを埼玉県久喜市を事例に主体に焦点をあてて明らかにすることを目的とする(Markusen, 2003).2.研究方法  本研究では,中村(2008)が整理したアクションリサーチの6つの研究者ポジションのうちの,内部者(研究者が自分自身/自分の実践を研究する)の方法によって研究を行った.埼玉県久喜市を対象地域として,アニメ聖地における新たなコラボレーション商品開発やビジネス開発の主体であった筆者自身を研究対象に,アニメを活用した地域活性化の取り組みにおける自身の現場経験をデータ化し,そのプロセスを検討した.また,コラボ商品開発や新規ビジネスに関わった各種プレーヤーのマッピングを行い,時系列でどのようにプレーヤー間の関係性が進化したかを分析した. 3.結果  第一に商品開発として,純米酒みなみを取り上げた.純米酒みなみの商品化の目的は埼玉県栗橋町の地域振興で,鉄道むすめや栗橋みなみのファンがターゲットであり,そのため東武鉄道株式会社と株式会社トミーテックとの協力関係を結び,作品の中の物語と地域を繋げるといった工夫がなされた.主体としての筆者の役割は,埼玉県栗橋町の井上酒店と連携し,商品コンセプトの提案,純米酒みなみの酒蔵の選定,ラベルデザインの校正確認と,商品開発の中心的役割を果たした. 第二に新規ビジネスとして,オタ婚活を取り上げた.オタ婚活の開催の目的は埼玉県鷲宮町の地域振興および婚活支援で,アニメ・漫画・ゲームのファンが主なターゲットであり,そのため埼玉県やアニメコンテンツとのコラボを実現し,異性のファン同士が安心して,共通の話題で盛り上がれるよう工夫がなされた.筆者は,オタ婚活という名前の発案,オタ婚活の企画,プレーヤーの巻き込み,イベント運営,当日の司会,マスコミやSNSの対応をし,プロジェクトの中心的役割を果たした. 4.考察  埼玉県久喜市のアニメ聖地において,主体であった筆者自身が深く関与することで,アニメファンと地域の良い関係が醸成されて行ったとともに,新たなコラボレーション商品開発やビジネス開発が行われたことが示された. 参考文献 Markusen, A. 2003. An Actor-Centered Approach to Regional Economic Change. Annals of the Association of Economic Geographers, 49, 415-428. 中村和彦 2008. アクションリサーチとは何か. 人間関係研究, 7, 1-25. 山村高淑 2008. アニメ聖地の成立とその展開に関する研究 アニメ作品 「らき☆ すた」 による埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察. 国際広報メディア・観光学ジャーナル, 7, 145-164.

  • 大城 直樹
    セッションID: 436
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    琉球列島には御嶽(うたき,ワン,オン)と呼ばれる固有の宗教施設が存在する。これらは形態的には神社,とりわけ産土神や村の鎮守の神様と類似しているものの,ノロや根神(ニーガン)等の女性神官が祭祀を執り行っているという点に大きな差異を認めることが出来る。村落にあるのは御嶽であって,神社はほぼ存在しない。那覇にある波上宮や宜野湾の普天間宮のような前近代から存在するもの,また近代に造られた護国神社なども存在はするが,それらはむしろ例外的なものと言える。とはいえ,第二次大戦前には,村落にも御嶽を国家神道的な神社と読み替える動きがあった(大城1994)。村落の青年団が乃木大将夫妻の写真を御嶽の拝殿に飾って乃木神社としたものなどがそれである。今回は,皇紀二六〇〇年に併せて郡の振興を目的としてできた(御嶽を読み替えた)八重山神社と当初から神社として建造された宮古神社についてその異同を検討してみたい。

    先稿(大城1998)で述べたが,八重山神社は八重山在住の民俗学者・喜舎場永珣(1885-1972)らの検討・検証によって,1939(S14)年1月に南海山権現堂の昇格運動として,またその移転拡張を目指すものとして八重山郷土研究会通常総会において決定された(永珣はこの総会で会長に就任)。「皇紀二千六百年を迎へるに当り石垣町では予而て十周年記念事業として神社造営を為すことになって居り,又郡振興期成会に於ても八重山神社設立することに協議決定」という記事も掲載される(先島朝日新聞:1939年2月2日)。この際,永珣は神社建設に関する準備事務を嘱託された。永珣は小学校の校長を1932年に辞めた後は,石垣町の町誌の執筆のみならず,金銭債務調停委員,町の社会教育委員,八重山郡の養蚕業組合議員件副組合長,また登野城の字長をも務めていた。権現堂は祭神は神社明細帳から脱漏していたため,永珣は諸文献を探索し,それを突き止め波上宮の末社として編入することを願い出たが,結局は大石垣御嶽の敷地に八重山神社が建てられることとなった。御嶽の神社への読み替えと言える。

    宮古神社HPによると,1925(T14)年,平良町が町社・宮古神社を設立。公認の神社を目指すものの認可がなかなか下りず,宮古権現堂とともにシロアリや台風の被害を受け修繕が望まれていた。1940(S15)年にこの二つを合わせた新・宮古神社の建立が決定された。同年,神社明細帳に登録されていた権現堂を「宮古神社」へ改称し,旧宮古神社の祭神が合祀され,新しい敷地への移転計画も持ち上がった(大城2021)。この時にそれに意を唱える者が現れる。元県会議員の立津春方(1870-1943)である。僧籍をもつ元教員の彼は,権現は権現として別物であり一緒にしてはならない反対したのである。他方,宮古神社は段丘上にあるがその崖下に,宮古の創世神が祀られる漲水御嶽がある。先述したように御嶽と神社は相異なるものであるが,新・宮古神社と抱き合わせの行事が行われるようになり,漲水神社と呼称されることにもなった。

    このように元々神社の存在が希薄な沖縄の地において,神仏習合的な「権現」を介して神社を建立しようという動きを宮古と八重山で確認することが出来た。興味深いのは,この二つの神社に関わる知識人としての元教員の役割である。学校教育に当初は従事していたものの,地域の社会教育も担うことになることから,その後はむしろ政治や行政に関与していく。そして今回見たように永珣と春方のスタンスは大きく異なるものであった。この先さらに場所の表象のポリティクスとそこに関わるエイジェントの絡み合いを明らかにしていきたいと考える。

  • 佐藤 洋
    セッションID: 518
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    Ⅰ はじめに

     地方財政制度における地方自治の根幹は課税権にあった(宮本1994)とされる.課税権とは地方税法で定められた,自治体が地方税を賦課・徴収する権利である.日本では,課税権の領域は自治体の領域と一致する.たとえば,都道府県はその領域内の住民や法人,固定資産などの課税客体を対象とした県税を,同様に市町村は市町村税を賦課・徴収している.明治以来の日本の地方自治制度は中央集権的であり,自治体がもつ課税権の範囲(税目や対象)は狭小であった.また,自治体が国の関与を受けずに税目や税率などの課税要件を決定できる権利である課税自主権の拡大も,戦後まで実現しなかった.海外ではフランスなど一部の国々において,広域連合体が課税権を有する事例が散見されるが,日本における課税権は広域連合や一部事務組合などでは認められず,都道府県および市町村に限定される.

     2007年の地方分権推進に伴う税源移譲により国から市町村へ3兆円が配分されたことは,地方政府に対する課税権の強化と解釈できる.しかし,現在の日本では人口減少・高齢化が進行し,特に歳入に占める地方税の割合が高い大都市圏の自治体では,効果的な税収確保策を検討する必要性が増している.しかし,課税額の多寡には人口規模や法人立地などの地域特性が大きく影響し,自治体が実行可能な施策にも限界がある.それでもなお,税収確保策を検討すると,自治体が単独で施策を行うことの限界に直面すると考えられる.自治体による公共サービスでは,スケールメリットを生かすことを目的として市町村間,あるいは市町村と都道府県間の広域連携が活用されてきたが,地方税の税収確保を目的とした広域連携の導入は一部の自治体に限られる.また,地方分権は国家の領域性の変化の一つとされ,山﨑(2012)などの研究蓄積があるが,課税権が有する領域性までは十分な議論がなされていない.以上を踏まえて,本稿では課税権の領域とその影響について整理し,現行の地方税法と課税権において可能な,税収確保に向けた広域連携について検討する.

    Ⅱ 分析対象と研究方法

     地方財政状況調査や国勢調査をもとにした計量分析,国内外の文献や行政資料の渉猟とともに,東京大都市圏における自治体など行政機関へのインタビュー調査を行った.

    Ⅲ 結果と考察

     地方税の徴収における課税権の影響を検討すると,東京大都市圏では低徴収率地域が都県境に存在し,当該地域の自治体では,人口流動性の高さに起因する住民の転出に伴う徴収の難しさが,徴収率の低下に影響するという認識をもつ.実際に,住民の5年移動率や他都県転出率の高さが徴収率に負の影響を及ぼし,自治体の徴税費を増加させている.また,2000年代以降,日本では一部の自治体が地方税滞納整理機構などを設置し,徴収業務の共同化を進めてきたが,都道府県を超えた連携はみられない.

     一方で,課税における共同化はほとんど進んでいない.その理由として,市町村または都道府県以外の組織が課税権を持たないため,自治体が共同で課税できないことの影響が大きい.京都地方税機構などの一部組織では,法人住民税の申告書受付業務などの課税関係業務も行っているが,課税権は構成市町村にあり,税の納付先も市町村である.

     日本では課税権の領域が自治体の領域と結び付いていることが課税と徴収の双方に問題を引き起こす一因であると考えられる.現行の課税権で可能な,課税額を増やすための広域連携と,都道府県を超えた形での徴収率向上に向けた広域連携の方向性について検討していく必要がある.

    参考文献

    宮本憲一1994.分権化時代における地方財政論の課題.日本地方財政学会編『分権化時代の地方財政』67-83.勁草書房.

    山﨑孝史2012.スケール/リスケーリングの地理学と日本における実証研究の可能性.地域社会学会年報24:55-71.

    謝辞

     本研究は日本学術振興会特別研究員奨励費(課題番号:21J21401)の助成を受けた.

  • 地域密着型ビジネススクールと地理学の接点
    原 真志
    セッションID: S101
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    電子付録

    1.シンポジウムの背景と目的

     少子高齢化・人口減の進行や,長引く不況による地域経済の停滞の中で,地域の個性を生かした地方創生が日本各地で取り組まれており,地理学の知見が地域活性化に活用される機会が増え,また期待される状況にある.地理学は様々な要素が相互に影響し合う地域というフィールドを対象とした多面的で総合的なアプローチを特色とし,理論と実践が密接に結びついている(ハバードほか 2018). 香川大学大学院地域マネジメント研究科(香川大学ビジネススクール)は2004年に設立され,地域に焦点をあてたユニークな特徴を持つ経営系専門職大学院である.1学年の定員が30名で約8割が昼間に仕事を持つ社会人学生であり,現在の職場への応用,新規事業や起業など学びを実践に活かそうとする志向性が強い.MBA課程の総決算として2年次に修士論文に替わるプロジェクト研究が必修であり,企業経営関連だけでなく地域に関係し地理学的な要素を含むテーマも多く取り組まれている. 本シンポジウムは,香川大学大学院地域マネジメント研究科におけるプロジェクト研究を発表する機会を日本地理学会において提供し,地域に対する志向性を共有する地理学と地域密着型ビジネススクールが交流することを通じて,地理学の研究を地域の問題解決という実践につなげるポイントを探り,また地域のための研究と実践の望ましい関係のあり方について検討することを目的とする.

    2.地理学と実践

     地理学と実践の論点は従来,地理教育や(岩田1994;山口他2011;山本 2014),地域政策などの文脈で論じられてきた(伊藤,1998). 田中(2020)による学史・方法論の年間学界展望では本文中で8回実践という語が登場し,近年の地理学における実践への高まりを示している.梶田(2014)はアメリカを中心とする応用地理学研究をレビューし,応用地理学の実践ガイドラインをめぐるパショーンとジョンストンの論争を紹介するとともに,応用地理学者や中堅実務家と「純粋」地理学者あるいは学会の中心的地理学者との乖離の問題が存在し,両者が共に仕事をすることでもたらされる副産物の機会を失っていると指摘している.本シンポジウムは中堅実務家と地理学者が共同する機会を提供するという意義を持っていると言える.

    3.研究と実践  

     実践と密接に関係した研究方法にレヴィンが体系化したアクションリサーチがある.中村(2008)はアクションリサーチにおける研究者のポジションを1)内部者(研究者が自分自身/自らの実践を研究),2)他の内部者と協働する内部者,3)外部者と協働する内部者,4)相互的協働,5)内部者と協働する外部者,6)内部者を研究する外部者の6つに整理している. 社会人が大学院で学ぶ際の研究と実践のつながりとして,第一に研究のテーマや目的の選定および仮説の設定が,これまでの仕事での実践経験を活かして行われる,ないしは研究成果を自分や自分の所属組織が活かすことを念頭に行われる点,第二に研究者の属する組織や研究者自身が研究対象となり得る点,第三に研究結果を踏まえて大学院修了後に自らが実践する,あるいは地域に働きかける実践を行い,実社会での検証を行う点が指摘できる(表1).地域に関わるテーマの場合,指導の中で地理学の専門知識が活用される.本シンポジウムでは在学時や修了後に行われた地域に関係する研究を報告し,ディスカッションを通して研究と実践の適切な関係のあり方を探求したい.

    文献

    梶田 真 2014. 地理学において 「純粋理論」 と 「実践・応用」 とは乖離しているのだろうか―1970 年代以降のアメリカを中心とする応用地理学の展開を糸口として―. 人文地理, 66(5), 423-442.

    田中和子 2020. 2019 年学界展望 学史・方法論. 人文地理, 72(3), 215-218.

    中村和彦 2008. アクションリサーチとは何か. 人間関係研究, 7, 1-25.

    ハバード,F.・キチン,R.・バートレイ,B.・フラー,D.著,山本正三・菅野峰明訳 2018.『現代人文地理学の理論と実践―世界を読み解く地理学的思考―』明石書店.

  • 澤田 結基
    セッションID: 231
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1. はじめに  北海道東部の平野部には,構造土の一種である十勝坊主(アースハンモック)の分布が知られている。本研究では,十勝平野を代表する分布地である帯広空港のハンモックの形態的特徴を明らかにするために,ハンモックの高さ,長軸,短軸の長さ,長軸方位を計測した。またこれらの計測値と分布範囲の標高との関係を検討した結果を報告する。 2. 調査の概要  調査地は段丘面上の平坦地(標高145m)で,帯広空港滑走路の西側に位置し,農地と滑走路に挟まれた森林の中にハンモックが密集している。調査は,帯広市など十勝地域の市民15名の協力を得て実施した。調査は東西方向に設置した長さ100mの側線3本に沿って行い,ハンモックの長軸,短軸,高さ,長軸方位を計測した。高さは,ハンモック頂部から長軸・短軸それぞれの前後方向に位置するハンモック周縁部までの高さ(合計4箇所)を計測し,その平均値とした。ハンモックの位置データは,DGPSによるRTK測量によって取得した。同時に,ハンモック間低地の標高を測定した。最終的に合計233個のハンモックの形状データを得た。解析では,分布図上に10×10mのコドラートを作成して集計に用いた(図1)。 3. 結果および考察  ハンモックのほとんどは楕円形だが,癒着した一部のハンモックは長円形を呈する。形態の平均値として直径2.05m(長軸と短軸の合計から計算),高さ0.38mを得た。長軸と短軸の比の平均は1.30であった。側線の中心部は両端部と比べて約1m低くなっており,この凹地にあるハンモックの高さは平均0.39mであったが,両端付近では平均0.24mであった。湿った凹地においてハンモックが大きく成長した結果,地形による形態の差異が生じたと考えられる。 長軸方位は南南東-北北西に集中していた。ハンモックの長軸方位が南北方向へ集中する傾向は南アフリカの季節凍土帯でも報告されており(Grab,2005),凍上量の南北差がその要因となり得ることが指摘されている。本調査地で得られている高精度DEMではハンモックの南向き斜面で傾斜が緩い傾向があり,斜面方位による凍上量の差異が南北に長い楕円形の形状と関連している可能性が考えられる。 引用文献 Grab,S.W. 2005. Earth hummocks (thúfur): new insights to their thermal characteristics and development in eastern Lesotho, southern Africa, Earth Surf. Process. Landf. 30: 541-555.

  • ―ライブハウス・クラブへの定性調査に基づく現状の整理―
    熊谷 美咲, 池田 真利子, 柿沼 由樹
    セッションID: 443
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    Ⅰ.はじめに 

    COVID-19における文化創造経済セクターへの影響は極めて深刻であり,特に「不要不急の文化芸術」に加え,人間の距離感が昼間に比較して変化する夜の時間はクラスターを生み出す行動と同一視され,「音」を財・サービスとして扱う夜間音楽空間は,世界的に深刻な影響を受けた。

     さて,ライブハウスやライブバー,クラブやミュージックバー等を一例として,夜の文化芸術活動がほぼ民間セクターとして成立してきた戦後の日本では,諸外国とは異なる独自の文化形態が形成されてきた。文化属性や音楽属性により,おおよその文化的棲み分けのあるものして扱われてきた「ライブハウス」と「クラブ」の別は,いずれも飲食業として登録されている同一の業態であり,また音楽そのもののクロスオーバーや,中間組織であるブッキングエージェンシーの台頭,そして「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下,風営法)」の改正により,その境界が揺らぎつつあること,他方で,通称,「キャパシティ(以下,キャパ)」と総称される収容規模ごとの運営方法やCOVID-19による影響の違いがより大きくなっていることが最新の研究で明らかとなった(池田ほか,2022)。

    他方で,ライブハウスの「小箱」に関しては,宮入(2008)等において小箱での音楽実践の実態に触れられてはいるものの,クラブ系音楽に属する小箱は管見の限り研究が太田(2009)に限られており,またライブハウスとクラブの境界が曖昧となっているという現状を前提とし,「小箱」の文化や実態を把握した研究も不足する。

    以上から,本稿では,東京都23区内に立地する「小箱」(後述)を対象に,その特徴を明らかにすることを目的とする。なお,使用データは,2022年1月から2022年3月にかけて実施した32件の聞き取り調査において,「小箱」であると判断した収用客数が30~100名(ライブハウス),40~100名(クラブ)の店舗12件(ライブハウス4件,クラブ10件)である。

    Ⅱ.小箱カルチャーとCOVID-19

    調査の結果,全体として以下の傾向が看取された。まず,中箱・大箱が風営法の改正により特定遊興飲食店営業許可を取得可能で,深夜営業が可能であるのに対し,小箱は上記許可の取得要件を満たさない場合が多く,現在でもグレーゾーンの営業形態を取る。また,中箱・大箱は,「イベンター」と称されるブッキング会社を得ているためライブハウスやクラブの境界が曖昧化しつつあるのに対し,小箱は個人事業主が主体で,企画を通じて流行に左右されにくく,箱の音楽性において独自性を維持しやすい傾向にある。特にCOVID-19においては,中箱・大箱の必要経費(特に人件費・テナント賃料)が極めて大きく,これが経営維持の生命線となったのに対し,小箱の一部は昼間営業を継続でき,かつ飲食業に対するコロナ支援金を受給することで,経営を維持できる状況であった。以下では,ライブハウス,クラブごとの小箱カルチャーの概略を述べる。

    <クラブ系小箱>

    中箱・大箱に見られる「ディスコ系」「クラブ系」の別は小箱にはなく,「アングラ」でコアな音楽が好まれる傾向にある。また,ブッキング会社を介した大型企画の実施は稀であり,中箱・大箱がネームブランドを冠したDJや動員力のあるDJを選ぶ場合もあるのに対し,小箱はより実験的な場所としての役割を担う。また,経営者の多くは中箱等で下積み経験を積み,音楽知識(レコードの知識やネットワーク等)が極めて重要な意味をもつ。経営面では,事業主以外は非正規雇用スタッフが中心であり,イベント企画も事業主が担当する。また小箱は,固定費に占める家賃の割合が人件費に比べて高い。

    <ライブハウス系小箱>

    音楽嗜好性が明確であり,店舗ごとに「バンド系」や「アコギ系」等のジャンルがおおよそ決まっている。また,店舗開設においては「下北沢」や「高円寺」等のブランド力が,ブッキングにおいて意味をもつため,これが相対的に重要な基準となり,また特定遊興飲食店営業許可取得が困難な中心市街地に立地する。また,複数店舗の経営を行う場合には,15名程度で運営する。

    Ⅲ.おわりに

    小箱は,中箱・大箱とは異なる独自のカルチャーを有する。特に,クラブ系小箱は,2000年代のクラブカルチャーの実験的な空間として機能し続け,DJ・ラッパーのネットワークの中核として空間機能を維持する。なお,クラブ事業者を中心として風営法改正への機運の高まった2010年代前半においても,大箱と小箱では代弁する立場が異なり,小箱独自の協会が整備された。また,渋谷区宇多川町を一例として,よりローカルな地域や音楽表現と結びつく傾向にある。今後,大阪や福岡,名古屋,あるいは地方に所在する小箱カルチャーに関しても,調査報告が求められよう。

  • ―長崎県五島市を事例に―
    甲斐 智大
    セッションID: 637
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.問題の背景と研究目的  

     農村をはじめとする過疎地域は政策文書において「人口減少」や「高齢化」などの課題を抱えた危機的農村として言及されてきた。一方、こうした地域は都市に居住する人々によって「田舎暮らし」「癒し」といった肯定的な評価を受けている側面も有している(立川2021)。そこで過疎地域を抱える自治体では「危機的農村」からの脱却を目指し、都市からの「まなざし」に対応して地域の魅力を発信するとともに、移住定住支援に関わる施策が展開されている。その結果、田園回帰が注目を集め、社会増を実現した自治体が増加している(国土交通省2015)。

     こうした都市―農村関係は福祉レジームに依拠した国家・市場・家族・地域などの間の役割分担や資源分配の在り方に既定される側面をもつ(立川2021)。具体的には「終身雇用」と「男性稼ぎ主モデル」を前提とした福祉レジームに支えられながら経済成長を遂げた日本では、企業の集中する都市への人口集中が進んだ。一方、農村地域では残存する男性労働力による農業経営が展開し、女性はそれに従属する存在として農村生活分野での活躍が期待されると同時に季節による労働力需要の差を埋め合わせるための労働力として位置づけられてきた。2000年代以降、一連の規制改革の進展によって「日本的経営」が揺らぐと、都市から農村への移動を制限してきた「会社」からの「福祉」が希薄化した。その結果、移動を引き留める力は弱体化している。さらに、経済的な自立性と抵抗力を奪われた農村地域では都市からの「まなざし」を受け入れざるを得ない状況に置かれ、田園回帰の実現に向けて様々な施策を展開されている。

     その代表的な取り組みの一つが地域おこし協力隊の受け入れである。福祉レジームの解体によって選択的に移動・定住できる自由が増大するなかで、都市部で保障からこぼれ落ちる人々が本制度を活用して農村へ移住するケースが増加している。しかし、既往研究によると、任期後も地域に留まり続けている協力隊員の大部分が、自身のスキルを基に新規就農や起業していることが明らかにされている。このように、任期終了後の新規就農や起業が定住の条件となりつつある実態を鑑みれば、彼らが地元の地域労働市場に与えるインパクトは限定的であり、田園回帰の対象はスキルを持ちうる一部の者に限定的されているといえる。

     そこで、政府は任期後の起業や新規就農を前提とせずに人口急減地域への移住・定住を促進させるために、特定地域づくり事業協同組合制度を成立させた。本制度では季節による労働力需要の差が生じる地域内の仕事を組み合わせて、新たな雇用を生み出すことを目的とする。派遣労働者は組合との間に雇用契約を結び、季節や時間に応じて地域内の企業で就労する。本制度では無期雇用が前提となるため、派遣労働者に対して過疎地域への定住が期待されている。また、本制度は福祉レジームが崩壊するなかで、地域内の企業による協同組合が地域労働市場内の雇用の調整機能を担いつつある点からも注目されている。そこで、本報告では特定地域づくり事業協同組合の存立構造と当該組織による労働力調整のメカニズムを明らかにする。

    2.特定地域づくり事業協同組合の存立構造  

     2021年度より派遣事業を開始した五島市地域づくり事業協同組合の組合員企業は繁忙期補充型企業、雇用チャネル型企業、運営貢献型企業、出資型企業から成る。繁忙期補充型企業は季節による労働力需要の調整機能として本制度を活用している企業である。雇用チャネル型企業は慢性的な人手不足にある企業であり、労働者を確保するための一つのチャネルとして本制度を位置付けている。雇用チャネル型企業には人手不足によって運営費交付金が減額される恐れのある福祉事業所などが含まれている。運営貢献型企業は組合設立に際して出資することで地元企業へ貢献するとともに、派遣先が確保できなかった場合の派遣先として労働者を受け入れることを念頭においた企業である。出資型は派遣先として労働者の受け入れには後ろ向きであるが、地元企業への貢献を目的とした出資を行っている企業であり、商工会の役員企業などが中心であった。

    3.労働者の特徴と特定地域づくり事業協同組合の機能

     調査の結果、本制度を活用している派遣社員の大半が移住者であり、これまでのライフコースの中で困難を抱えている者が目立つ。また、地域内での「移住者コミュニティ」との接点はほとんどない。一方、彼らに対する派遣先企業からの評価は高く、派遣実績のある企業の大部分が本制度の積極的な活用を目指している。

     これらのことから福祉レジームの解体によって安定的な生活基盤が希薄化するなかで、協同主義的な特徴を持つ当該組合が田園回帰の対象を拡大させながら、地域内の女性が担ってきた労働力の調整弁としての機能を代替えしつつあるといえる。

  • 大西 健太
    セッションID: 510
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    目的:デジタル化が進行しているアニメーション産業において、以前より地理的な近接性の必要性が薄れてきている。しかし、依然として東京一極集中の産業立地に大きな変化は見られない。一方で、地方にスタジオを新たに設けたり、移設したりする事例が増えてきた。以上のような状況下で、アニメーション産業集積はデジタル化によってどのような変化をしているのか。なぜ未だに東京に集積しているのかに着目して研究を進めた。

    研究方法:聞き取り調査と文献調査を用いて調査を進めた。2021年10月から12月の2か月間で聞き取り調査を行い、並行して統計などを分析した。聞き取り調査先はアニメーターを養成している専門学校6校とアニメーション制作会社1社、法人である。

    結果:東京においてアニメーション制作会社の数は増加傾向にある。 多くの制作会社がデジタル機器を導入し、工程を効率化しているが、多くの課題が残っており、業界内でのシェア率は大きく高まっていない。また、アニメーション産業では過酷な労働状況が問題となっている。昼夜を問わない作業や低賃金労働などが代表的であり、若いアニメーターがすぐに辞めてしまったり、別産業への人材の流出が起きたりしている。これらは、集積による利益が、副次的に不利益を生み出したと本研究では考える。

     東京で長年集積してきたアニメーション産業だが、近年地方へ工程の一部を移転する事例が増えている。移転した会社からは地方での制作のメリットが多く述べられた。インタビュー結果やインターネット記事の事例から、地方への進出条件を以下の4つにまとめた。

    ① 作品制作やグロスを受注できる取引関係が構築されている

    ② 完成したものを共有や運搬できるルートが確保されている ③ 人材を調達できる

    ④ 地方に行くメリットを見出している

    考察:インタビューや統計より、産業集積からの大きな分散は見られなかったが、デジタル化を起因とする集積内部の変容がわずかながら見られた。CG会社が新たに多く参入したことによって、渋谷区を代表とする都心部にもアニメーション制作が波及してきた。

     デジタル化は進んでいるが、東京での集積は依然として強固なものであった。その理由として、アニメーション産業の脆弱性が上げられる。制作会社は小さな規模が多く、制作に依存した経営体制をしている。東京で制作することは、集積による負の影響を受けることもあるが、それを容認することで、それ以上のリスクを回避することができ、どの会社も集積内での経営を成り立たせている。

  • 令和2年7月豪雨における熊本県人吉市を事例として
    坪井 塑太郎
    セッションID: 238
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     近年では,洪水災害における「逃げ遅れゼロ」と「社会経済被害の最小化」を目的とした水防法の改正(2017年)や,避難情報に関するガイドラインの改訂(2021年)が行われ,従前の避難勧告を廃した5段階の警戒レベルに基づく避難情報の本格運用が開始されるなど行政・住民双方において「新たな対応」が求められるようになってきている。また,災害の発生構造では,2000年代初頭に注目されるようになった都心部でのヒートアイランド現象との関係が指摘されているゲリラ豪雨に代表される「局地集中型」の災害から,地球規模での気候変動の影響によると考えられるスーパー台風や線状降水帯などによる「広域激甚型」の災害へと変化がみられ,2021年からは「流域治水」への政策転換が図られている。災害・防災に関する研究は,これまでに数多くの研究が蓄積され,貴重な成果が示されてきているが,今後に向けても感染症蔓延下での避難のあり方や,被災者支援の方法,生活再建への連動施策などの検討が求められている。本研究では,上述の課題意識のもと,2020年(令和2年)7月豪雨災害において球磨川の氾濫により被害が発生した熊本県人吉市を事例として,被災世帯の位置情報をもとに災害を記録すると同時に,被害や避難の実態を把握し,あわせて,被災者の生活復興感の変化を通して災害対応課題を明らかにすることを目的とする。

    2.研究・調査方法

     調査にあたっては,被災者支援や家屋修繕等の専門技術を有するNPO連携により結成された被災者支援チーム(アーキレスキュー人吉・球磨)を主体として実施した。同チームにより,被災者宅への声かけによる支援活動の一環として,訪問時に調査趣旨説明と協力依頼を行い,了解が得られた世帯に対して質問紙に沿った対面インタビュー形式により130人(96世帯)から回答を得た。

    3.被害・避難状況

     本調査地域における球磨川に近接する地区においては全壊家屋が多くみられ,その分布は,浸水深の状況とも一致する。しかし,河川から北側に離れた地域においても住家床面から200㎝を超す高さの浸水・全壊家屋があり,ヒアリング調査から得られた現地の状況から,球磨川に流入する支流からのバックウォーターの影響により被害が拡大したと考えられる事例も見られた。 浸水域内の被災家屋の多くは,大規模半壊以上となっており,1階床面からの浸水の高さ(床上浸水高)が140㎝を超えるものが大半であった。既存の人吉市のハザードマップ(2017年公開)のものと比して,浸水範囲については概ね一致が見られたものの,浸水想定深については実績浸水深が超過する場所が複数地点でみられた。 本調査においては,有効回答92世帯中,自宅外避難の避難所・避難所以外をあわせて37世帯(40.2%)に対し,自宅内避難は55世帯(59.8%)であり,発災当時,浸水域内に相当数の自宅避難者がいたことが想定される。避難契機に関する質問では,各種災害・防災情報よりも自宅への浸水覚知が主要な要因となっていたことが示され,本地域における洪水災害は,市街地への急激な洪水流の流入・増水により「逃げ遅れ」が発生し,これが人的被害の拡大の要因となったものと考えられる。

    4.被災者の生活復興感

     年齢別の「日常生活再開」に対する復興感の推移において,30代以下,40代においては,比較的早い段階でその実感が得られている反面,50代以上の全世代で復興感が概ね50%を得られたのは,発災から4か月後の2020年11月であった。また,年齢別の「まち・地域安定」に関する復興感の推移においては,40代を除き,全体的に低調であり,復興の実感が得られていない状況であった。この背景には,仕事の再開等に伴う経済的自立復興力の違いによるもののほか,被災家屋の取り壊し等による空き地や,転居等による空き家の増加などの地域変化が背景にあるものと考えられる。

  • 但馬 智子
    セッションID: S104
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.社会的背景  

    2020年以降,人々の生活や働き方は,人口密集地=大都市を回避しながら, 徐々に地方(移住)への関心が高まっている(内閣府, 2022).蔓延する感染症の影響もあいまって人々の生活や行動様式が質的に変貌する一方で,地方(移住)の関心の高さは単に感染回避がその唯一の要因とは考えにくい.居住する地域で人々が活力向上の契機を捉えようとする前向きな選択があると思われる.  関連して近年,国際的な経済指標において,GDPに代わる幸福度や豊かさの指標の重要性が再認識されている.OECDのBetter Life Index(BLI:より良い暮らし指標)は,人々の暮らしを11の分野(住宅,所得,雇用,社会的つながり,教育,環境,市民参画,健康,主観的幸福,安全,ワークライフバランス)で計測し,経済指標と両輪となる豊かさを指標化している(OECD, 2020).我が国の「満足度・生活の質に関する調査」(内閣府, 2021)をBLIと照らすと,「社会とのつながり」「市民参画」の指数は諸外国との比較で低いレベルを示している.

    2.仮説提起  

    以上の社会的背景から、都市との比較において地方の発展は経済性とともに,地域に住む人々の幸福度や創造性としての文化資本・人的資本が最大化され,両輪で機能すべきであるという仮説をもって検討する.  本発表では,仮説の一考察として,地域を活性化する手法の一つとして近年地域で行われているアートフェスティバルを題材に取り上げる.国内のアートフェスティバルは,現代アートや舞台芸術を一定期間地域の中で展開し,大都市を含む広域都市型,過疎地を含む地域型を主な類型とし,地域資源を生かしたサイトスペシフィックという場所の固有性を重視した多彩なアートプロジェクト(展示,イベント,公演など)が含まれる(吉田, 2021).  香川県でも,島嶼部を舞台に備讃瀬戸地域の活性化を目指す地域型アートフェスティバル「瀬戸内国際芸術祭2022」が開催中である.当該芸術祭は,3年に1度開催されているが,総事業費・広域性ともに国内最大級の規模となっており,経済性については観光振興の側面から入込客数,経済波及効果などが蓄積されている.経済性とともに,その活動を通じた地域に住む人々の幸福度や創造性にかかわる文化資本・人的資本の蓄積・最大化について検証すべき観点が内包されると考えられる.

    3.比較事例研究

    瀬戸内国際芸術祭は,その立ち上げから約15年にわたる活動を行っている.経済性と幸福度および創造性の両方が地域の発展にとって重要であるとの問題認識のもと、本発表は瀬戸内国際芸術祭、別府市の「温浴温泉世界」、舞台芸術のエディンバラ・フェスティバルという3つのアートフェスティバルを取り上げ、文化資源・人的資源がどのような形で蓄積され持続的に活用され、地域の幸福度および創造性に貢献しているのかを3つの事例の比較分析から明らかにすることを目的とする。 別府市は,温泉地であることから文化活動よりも観光地の印象があるものの2009年春からアートフェスティバル「混浴温泉世界」が開催している.市民の自律的な参画により,文化資本と人的資本の持続性を獲得し,地域資源のさらなる掘り起こしがなされている.予算規模では瀬戸内国際芸術祭の10分の1に満たないが,地元の市民・NPO・企業・行政がネットワーク化することにより,その取り組みの持続性が発揮されている(但馬, 2022).また,2022年春に実施した別府市の文化活動に参加する市民に対してエンゲージメントの観点で行ったアンケート結果では,人的資源活用における持続可能性が提起された. 1947年に公的機関とエディンバラ市民により創設された世界最大級の舞台芸術の祭典エディンバラ・フェスティバルはエディンバラに多くの観(光)客が訪れる毎年夏の風物詩となっている.中心となるのが,公式行事Edinburgh International Festivalという観光誘致型フェスティバルであるならば,Edinburgh Festival Fringeはその名前のとおり,周縁(フリンジ)にある自由な芸術家,市民たちのプラットフォームである.文化資本と人的資本が融合する歴史的なフリンジの在り方を参照する.

    4.問題提起

    以上の事例比較により,瀬戸内国際芸術祭をはじめとする地域型アートフェスティバルは,地域の経済効果の発揮とともに,文化資本・人的資本の持続的な活用の必要性が提起される.冒頭の社会的背景から,地域型アートフェスティバルが,地域に居住する人々にとって活力向上の契機となり,人々の幸福度指標の要素である社会とのつながり,市民参画の必要性を再認識し,地域資源として新たな機能をもったプラットフォームとしての役割が期待される.

  • ―三重県四日市市を事例に―
    福本 拓
    セッションID: 535
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    Ⅰ エスニック集団の持ち家取得

     エスニック集団の居住経歴,特に持ち家取得については,都市社会地理学においても多大な関心が払われてきた。エスニック集団にとって持ち家層への移行は,社会経済的地位の上昇を反映し,また集住地区からの居住地分散を促す一因となる。一方で,この過程に介在するエスニックな紐帯や資金融通に着目し,特有の空間的パターン形成の背景を分析する研究もある。  しかし,既存研究では,エスニック集団の持ち家取得に関わる諸要因のうち,国際人口移動との関連が看過されがちであった。エスニック集団の場合,長期的な居所を定める上で,出身国や他国との比較考量に基づく生活戦略が影響していることは容易に想像できよう。特に日本の南米出身の日系人の場合,より良い職業を求めて移動を繰り返すため,概して居住モビリティが高い。彼ら・彼女らが持ち家層へと移行する過程は,どのような経済的・社会的背景の中で,あるいは今後の居住の見通しの下で生じているのか。これらの点を明らかにすることは,日本の住宅市場における外国人の位置や,今後の「定住」のあり方を考える上で意義がある。

    Ⅱ 対象地域・調査方法

     三重県四日市市の笹川地区では,UR・県営住宅において1990年代中盤からブラジル・ペルー出身の居住者が急増した。本研究では,笹川地区に在住経験があり,四日市市またはその隣接市町で持ち家を購入したブラジル人・ペルー人を対象とする。調査は,2021年2-3月と翌2-3月,地元で外国人住民の支援活動を行う団体と共同で実施した。この団体が知己を有する外国人,およびその知人で協力を得られた人を対象に,インタビュー調査(1人あたり60-90分)をZoomにて通訳同伴で行い,14世帯17名(ブラジル人9世帯,ペルー人5世帯)のデータを得た。このほか,持ち家購入者の嗜好や属性等の情報を得るために,不動産業者を対象とするインタビューを4件行った(ブラジル人経営1件,ブラジル人スタッフを雇用する業者2件,四日市市内の不動産業者1件)。

    Ⅲ 持ち家取得に至るまでの特徴

     対象者は初来日から平均して22.4年経過しており,当初から継続して笹川地区に居住するのは1名のみ,それ以外は同地区への転居までに帰国を含め複数回の引っ越し・転職を経験していた。当初の移住は「デカセギ」としての特徴を色濃く反映していた。

     持ち家取得に至る最初の動機としては,友人・親族が購入した戸建て住宅を見て気に入ったからという者が多い。物件の探索は,独力で行った1世帯,住宅展示場を利用した2世帯以外は,友人・親族に紹介された不動産業者に頼る形で行われていた。判明している限りで,これら業者はブラジル人経営によるもの,またはブラジル人スタッフを雇用する業者であった。また全ての対象者が,当初は笹川地区内での持ち家取得を考えていた。その理由は,職場への近接性,慣れた生活環境,子どもの学校の3つに大別される。

     ただし,対象者のうち,実際に同地区で持ち家を取得したのは5世帯にとどまる。これには,土地改良に多額の費用を要する場合があるほか,土地区画が広いために価格が高くなりやすいことが影響している。また,費用面から中古住宅を探していても,新築よりローン審査が厳しいことで断念した事例が2件あった。特にフラット35は,派遣社員であっても一定期間の就業経験があれば審査が通るという。価格帯としては,新築(11件)で2.7-3.8千万円,中古(3件)で1.3~2.1千万円であった。不動産業者によれば,新築で3千万円前後が多いとされる。

     返済額は,新築の35年ローンで月8-11万円となっており,子育てで就業ができない事例を除き,夫婦共働きで支出している。夫婦の少なくとも一方が,正社員か無期の契約社員として就業している。UR住宅での支出額よりはやや増えるが,ローン支払いはそれほど負担ではないという世帯が多い。

    Ⅳ 持ち家取得過程にみる「定住」の契機とその意味

     日本での長期居住を決断した背景として,子どもが日本で生きていく見通しを挙げた者が半数にのぼった。これには,帰国後の言語の問題や子ども自身の意志が影響しており,既に卒業して日本で就業している子どももいる。ほかに,離婚や病気治療,親族の有無など,「定住」の契機となる背景は様々である。

     興味深いのは,持ち家取得の前後で,就業の安定への意識が高まっていたことである。ここには,リーマンショック時の経験や,帰国の選択肢を絶ったという決意,40代以降の安定した職確保の難しさ等が影響していると考えられる。日系人移住者の子どもについては,ダブル・リミテッドに代表される言語の問題が,不安的な社会経済的地位の再生産の一因とする研究もある。その意味では,持ち家の取得は,日系人移住者内部における階層分化の現れと解釈することも可能である。

  • 島津 弘
    セッションID: P004
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに  2020年4月22日,上高地周辺で群発地震が本格的に始まった.これ以降群発地震によってさまざまな場所で落石が発生した.群発地震が続く中,6月14日に大雨が発生し,各所で崩壊,土石流が発生した.群発地震は静穏化したものの,2021年9月にふたたび活発化した.2022年4月27日には再開した群発地震後初めて大雨が発生し,県道沿いの斜面で崩壊が発生し,観光客などが上高地谷に閉じ込められた.群発地震はたびたび発生してきたが,1998年8月7日に始まった群発地震でも各所で落石が発生した.8月中~下旬に確認されたあらたな土石流堆積物は,群発地震開始後の初めての大雨イベントである8月12~13日に発生したと考えられている(三島,2002).本発表では上高地谷における地震,特に群発地震と斜面から谷低への土砂供給の関係を整理し,報告する.

    2.2020年の群発地震と大雨イベント  2020年の地震は4月22日以前から発生していたが,22日以降活動が本格化した.23日に最大震度4の地震が発生し,その後,5月13,19,29日に最大震度4の地震が起こった. 6月11~13日にアメダス上高地における合計109mm,14日に117.5mmの大雨があり,林道沿いの複数箇所で土石流が発生したのが確認され,一部が梓川本流まで達した.2020年9月の調査では林道に直接土砂は流れ込んでいないが,土石流が発生した形跡が認められる場所も発見した.また,斜面上にはいくつもの崩壊地が確認された.

    3.1998年の群発地震と大雨イベント  群発地震開始時,上高地で調査を行っていた.1998年8月7日昼過ぎに最初の揺れが来て,その後上高地で体に感じる地震は数分おきに起こった.深夜には山からの落石の音が聞こえ,翌日登山道上を大きな岩塊が塞いでいるのを目撃した.8月12日にはさらに活発化し,最大震度4および5弱の地震が発生した.一方,アメダス上高地では12日に日降水量79mm,13日に77mmの雨を記録した.この日には現地にはいなかったが,8月後半に現地入りした人から,いくつかの谷の出口付近で土石流堆積物が観察されたことの報告を受けた,9月上旬に下宮川谷沖積錐上で新しい土石流堆積物を確認した.8月13日以降,9月10日以前には数回の日降水量40mm程度の降雨があったのみである.以上のことから,群発地震開始あるいは最大震度記録直後の大雨イベントで土石流が発生したと考えられる.

    4.まとめ  1998年,2020年には群発地震と最大震度4の地震の直後の大雨イベントで土石流が発生している.一方で,継続的に調査を行っている1992年以降,小規模の土石流または土砂流以外の斜面から渓流を通った土砂流出はほとんど発生していない.活発な群発地震活動はこの2回に限定されるが,それ以前の土砂流出について,地震との関係を検討する必要があると考える.

  • 浜田 崇, 岡本 遼太郎, 小熊 宏之
    セッションID: 214
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    定点カメラにより撮影された画像を用いて,高山帯における雲(霧)の観測手法を確立することを目的とする.用いた画像は公開されている蝶ヶ岳ヒュッテより奥穂高岳から槍ヶ岳の稜線を撮影した定点カメラの2019年の画像である.まず画像を一定の大きさのタイルに分割し、それぞれのタイルごとに雲(霧)の有無を判別する.雲(霧)の判別には既存の大規模画像分類データセットで事前学習させた深層学習モデルを用いて,4つに分類を行った.モデルによる分類の精度は非常に高く,本手法を用いて山岳地を撮影したカメラ画像から雲(霧)の時空間分布を把握することが可能となることがわかった.

  • 山内 洋美
    セッションID: 418
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.学習手法“ミステリー”の可能性と限界

     学習手法“ミステリー”とは,複数の登場人物が関わるかみ合わない複数のストーリーをバラバラにカード化し,カードを物理的に並べることで再構築することを通して,“謎”を解き,課題を解決したり,場合によってはそのほかの資料も読み込みながらストーリーの過去や未来を想定したり課題を解決しようとしたりするものである。1990年代後半にイギリスで生まれ,オランダを経由してドイツで発展を遂げた。

     例えば,イギリスの事例としてのLeat(1999)では,「なぜヴィッキーの車はロックされたか?」というオープンな(定まった答えのない)人文的事象に係る問いと,約30枚の個人の行動を中心に断片的に述べた短文からなるデータスリップと呼ばれるカード,補足資料としての新聞記事が載っている。

    課題(オープンな問い)を紹介→活動(グループ全員でカードを読み込み、机上に物理的に並べる)→課題の答えを示す→活動を評価する

     どちらかというと,人文地理学的な視点で,社会システムを構築するようなデータスリップ=カードがつくられているといえる。

     一方,ドイツの事例としてのHaß(2012)では,データスリップ=カードにはそれぞれ表題がついており,タイトルに沿った事象の説明と図表・写真等が比較的詳細に載っている。カードの枚数も20枚程度と少なめだ。またオープンな問いも,「なぜサハラ砂漠にはクロコダイルがいるか?」といった自然事象に係る問いであり,カードの内容もそれを補足するような自然地理学あるいは地球物理学的な視点でつくられている。

    準備(カード等を用意する)→(生徒をグループに分ける)→課題(オープンな問い)を紹介→活動(グループ全員でカードを読み込み、関連づけしながら机上に物理的に並べる、)→課題の答えを示す(複数の異なる答えを比較する)→活動の内容やカードのつながりを振り返る(メタ認知)

     どちらかというと,自然地理学・地球物理学的な視点で,自然システムとそれに係わる社会システムの要素からカードがつくられ,グループや個人の活動の振り返り(メタ認知)を重視している。

     さて,前述の二者はカードのつくり方や問いを立てる視点は異なるものの,カードを物理的に配置することで,課題=問い=“謎”を解くという学習手法であることには大きく変わりはない。そして,課題=問いを“謎”に見立てることで,生徒の課題への関心や学習への意欲をかき立てることができ,さらにカードの配置が,生徒の課題に対する思考や,生徒がグループワークにより組み立てた自然/社会のシステムを可視化できるのが利点である。

     一方で学習手法“ミステリー”には限界もある。イギリス型の短文のデータスリップ(カード)ならば30枚を短時間で読んで配置することも可能だろうが,ドイツ型の情報が詰まったカードを20枚以上用意すれば,1時間の授業で関連づけを含めた配置をさせるには限界がある。しかしカードの枚数を削れば,問いに対する答えの多様性が狭められ,また教員の望む答えを誘導しかねない。

    2.学習手法“ミステリー”を地域調査単元に生かすには

     地域調査単元,特にフィールドワークを含む調査を行うことは,コロナ禍も影響して一層困難となった。加えて高校で「地理総合」が必修化されたことによって,地域調査の経験に乏しい教員が地理教育に携わる可能性が増え,地域調査の実施難度が上がったといえよう。しかし,そのような状況下だからこそ,学習手法“ミステリー”を地域調査単元に生かしやすいと考える。

     それは,教員も生徒も必ずかかわる学校周辺地域をフィールドとして,「なぜ,勤務校がここに開校したか」という問い=謎を設定でき,その問いに沿って学校に保存されている資料や,学校周辺のことがらを調べて断片的にカード化するだけで,教材がつくれるからだ。ドイツ型のカード作成方法に近い。素材が集まってくれば,問い=謎に対する答えとなるストーリーもできてくる。そこで,素材を経済/社会/環境に大まかに分類し,欠けている分野の素材を探すことで,さらにストーリーに複雑さが生まれ,生徒に取り組ませたときの問い=謎に対する答えの多様性も生まれてくる。なにより,所属する学校に対する問いは,生徒の意欲や関心を最もかき立てやすい上に,グループワークでカードを並べることで,生徒の視点を生かして地域を構造化し,その特徴を俯瞰できる。

  • 八塚 正剛, 石塚 正秀, 村山 聡, 寺尾 徹
    セッションID: P016
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1. 研究の背景と目的  

     一般に,島嶼部では雨水の集水面積が小さく,河川等の地表水系から常時, 水を確保することが難しいことから,水不足・渇水に陥りやすい。加えて,瀬戸内海の島嶼部では, 気候的条件では少雨,地質的条件では保水性の低い花崗岩が分布していることから,水不足のリスクがより高い地理的環境にある。そのため,多くの島では,淡水資源を安定的に得るために,雨水を活用したため池が利用されている。 

     一方, 香川県土庄町豊島 (面積: 14.4 km2) では,1994, 1995年の異常渇水時にも涸れることなく湧き続けた湧水「唐櫃の清水」をはじめ, 他の瀬戸内海島嶼部と比較して水環境が特異であり, 豊富な水資源を有する。例えば,水を多く消費する水田 (棚田) が分布している。また,水道導入以前には,湧水の他, 主に井戸が生活用水源として活用されてきた。しかし, 過去に豊島の井戸に焦点を当てた詳細な調査は実施されておらず, 豊島の水環境の特異性を示す研究資料がなく,不明な点が多い。そこで,本研究では, 豊島の井戸の分布とその特性を明らかにするとともに, 水道導入後の井戸の利用機会の変遷を分析することを目的とする。

    2. 調査方法  

     2020年以降, 計7回, 現地調査を実施した。現地調査では, 井戸の分布や数を確認すると同時に井筒の材質及び形状や直径, 井戸の構法などの特性を確認した。さらに, 井戸を所有し, 実際に活用してきた高齢世代を中心に井戸の利用機会に関するヒアリングを行った。

    3. 調査結果及び考察

    3-1. 井戸の分布と特性  

     2022年7月時点において, 豊島全域で70基以上の井戸が確認された (図1) 。しかし, 全件調査が実施できていないことから, さらに多くの井戸が存在する可能性がある。また,井戸は平地の集落(家浦浜, 唐櫃浜など)だけでなく, 海抜100 m 以上と標高の高い唐櫃岡地区にも立地する。唐櫃岡には湧水「唐櫃の清水」, 棚田も立地することから, 地すべり地形が地下水の浸透・貯留に強く寄与している可能性がある (Yatsuzuka et al., 2022)。

     井戸の構法は, いずれも掘井戸であり, 直径は80 – 100 cm程度である。井戸内部は井筒を重ねた側付き井戸, 石垣を組んだ石積み井戸の2種類が確認された。井筒の素材は, 花崗岩製, コンクリート製の他, 現地豊島で産出され, 柔らかく加工も容易な豊島石 (角礫凝灰岩) も存在し, 地元の石材業との関連も示唆される。

    3-2. 豊島における水道の導入と水道導入後の井戸の利用機会

     「離島に光と水」を合言葉に離島部の水道導入の契機となった「離島振興法」制定の2年後 , そして土庄町との合併と同年の1955年に家浦地区 (豊島の人口集積地区) を皮切りに豊島島内に水道事業が導入された。豊島の水道普及率は1970年の時点でも約半数 (44.6%) に留まるが, 1980年までのわずか10年間で水道普及率が95% と急速に水道が普及した (日本離島センター, 1970-2010) 。この水道普及率の上昇と対応して, 井戸の利用機会は減少し, 生活用水源としての地位が低下したと考えられる。また, 住民へのヒアリングから, 水道の通水と同時に, 一部の井戸水に含まれる大腸菌, カナケなどの水質への不安, 定期的な水質調査の必要性から飲用用途としての利用機会が減少したとの証言を得た。しかし, 現在でも,井戸を全く使用しなくなったわけではなく, 井戸横に電動井戸ポンプや洗い場を併設し, 主に屋外での水利用 (農機具の泥落とし, 草木の水やり) 用途の水源として活用されていることがわかった。

    謝辞 

     本研究は, 公益社団法人日本離島センターの「離島人材育成基金助成事業 (研究助成型) 」を活用した研究成果の一部である。

    参考文献 

    日本離島センター 1970-2010. 『離島統計年報』.

    Yatsuzuka, M. et.al. 2022. Study on Dug Well Distribution and Water Balance in Teshima Island: Environmental Humanities and Hydrological Perspectives Journal of Kagawa University International Office, 14: 1-6.

  • 平野 勇二郎, 一ノ瀬 俊明, 吉田 友紀子
    セッションID: P013
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    東日本大震災において福島県では原子力発電所事故が発生し、放射性物質汚染の影響により多くの地域住民が長期にわたる避難生活を強いられることになった。国立環境研究所は東日本大震災における被災地の環境回復と復興を支援するため、放射性物質の環境中における動態の解明や生物・生態系への影響評価、復興まちづくり支援などの多角的な研究を進めてきた。

     本研究は福島県を対象とした居住・生活環境の一環として、熱環境評価を行った事例を紹介する。熱環境の評価は生活者の居住快適性や、冷暖房エネルギー消費、熱中症・ヒートショックの発生と関連する重要な要素である。とくに復興まちづくりの過程では、被災地の帰還者に向けた情報発信だけでなく、他地域へ展開するための立地条件評価としても重要である。

     温熱環境の評価には、例えば不快指数、WBGT、PMV、SET*など数多くの指標が提案されている。ただし、福島県は寒冷地であるため、暑熱ストレスだけでなく寒冷ストレスも対等に評価できる指標を選択することが適切である。そこで本研究では国際生気象学会が提唱している温熱環境指標であるUTCI(Universal Thermal Climate Index)を選択した。UTCIは人体熱収支・体温調節モデルを利用し、人体スケールの生気象リスク・シミュレーションにおいて近年利用事例が増えつつある。

     UTCIを算出するために必要な気象要素を得るため簡易の気象シミュレーションを行なった。シミュレーションは月別に行い、月別・時刻別のデータを得た。気象シミュレーションのデータからUTCIを算出した。計算には地上気温、放射温度、相対湿度、スカラー風速の計算結果を用いた。この結果から、夏季は盆地の気候の特性として中通地域と比較し会津地域が高温化しやすいことや、海の熱容量の効果により冬季は浜通りが温暖であることなどが示された。

  • 飯沼 健悟
    セッションID: 433
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに

     令和元年,約50年にわたり停滞していた名鉄名古屋本線の名鉄岐阜駅―岐南駅間の高架化事業について,岐阜県・岐阜市・名古屋鉄道の3者により事業覚書が締結され,令和4年2月岐阜市は国土交通省から都市計画事業としての認可を得た。その計画の概要には,高架化に併せて統合される駅の新設,その周辺における土地区画整理事業があり,それら地域には,江戸期における加納城下町の土地区画の景観を今でも残す地域が含まれている。つまり,明治初期に行われた市街宅地における地租改正事業の様子を確認できる稀少な地域が含まれている。

     土地境界の確認において,市街地となっている地域は,地価が高く,土地境界が抱える問題も複雑な権利関係に起因するものがある。そのため,非常に慎重且つ適正な判断が求められている(飯沼2019)が,大規模事業等により市街地地租改正という希少な事例が失われていく前に,その作業の様子を明らかにしていく必要がある。 本報告では,加納城下町の景観が残り,かつ明治初期の地籍図類が現存する地域について調査をし,市街宅地における土地境界とその周辺問題との関係を考察したい。

    加納城下町の景観を残す地域

     加納城下町の多くは,昭和初期に行われた耕地整理事業,昭和20年岐阜空襲による戦災復興区画整などの区域に取り込まれていること,加えて,岐阜市における地租改正事業の資料が乏しいことから,城下町当時の土地区画の景観が残り,かつ資料が現存する地域は加納南広江町,加納新町,加納柳町,加納安良町及び加納八幡町の約7haのみが確認できた。

    加納城下町の地引絵図

     市街地における丈量手順は明治9年(1876)3月7日公布の「市街地地租改正調査法細目」で確認ができる。 同細目第1章第1節において「丈量にあたっては,1カ町の周囲を測量して面積を求めておき,次に各宅地についての実測し,その合計と1カ町総面積との合致を検討するという仕方」(佐藤1986)とある。 岐阜市役所に保管されている旧厚見郡加納町にある安良町の地引絵図(作成年不明)は,三斜法により丈量が行われているが,距離が寸単位まで測定され,それは丁寧な調査が行われている。(飯沼2019)

    現在の測量技術による調査との比較

     加納城下町において,現在の測量技術で調査した成果を地引絵図と対査することで,当時の測量技術の考察を試みることは可能である。そして,「市街地宅地では100坪に対して2坪,即ち2%を土地丈量の許容誤差として認定」(塚田1986)されているその許容誤差が,そのように調査がされていることを実証することもできる。これにより,現在の登記記録の基礎となっている明治初期の地租改正事業の成果が土地境界問題に与える影響が考察でき,その検証は大変有益であると考える。 また,明治期の地籍図は法務局に備え付けられる旧土地台帳附属地図の基礎となっているため,その作製がどの程度丁寧に行われていたのかを検証することも同様である。

    今後の課題

     加納城下町において、明治期の景観が失われていく恐れがある今,早急に明治期に行われた調査を確認し,その検証結果により,現在の登記記録の基礎となった地租改正事業の成果が,近年の市街地における土地境界が抱える問題にどのように対応できるのか,それら問題にどれくらい影響を与えるかを考察することを今後の課題としたい。

  • 愛知県豊川市を事例として
    駒木 伸比古
    セッションID: P028
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.研究の背景と目的

     少子高齢化や人口移動,ライフスタイルの変化などにより,日本では全国的に空き家の増加が続いている。平成30年住宅・土地統計調査によると,2018年現在,空き家数は住宅の13.6%に相当する848万9千戸となっている。これに対し,2014年に,『空き家等対策の推進に関する特別措置法』が施行され,国による基本指針に基づき,自治体は空き家の対策計画を作成し,空き家に関する施策を進めている。

     一方,都市計画においては福祉や交通なども含めて都市全体の構造を見直す『コンパクトシティ+ネットワーク』の考え方が重要視されるようになった。2014年に創設された立地適正化計画制度においては,居住誘導区域および都市機能誘導区域の設定,誘導施設の設定が必須となっている。このうち,誘導施設とは,居住者の共同の福祉や利便の向上を図るものであり,高齢者福祉,子育て支援,教育,文化,商業,金融,行政などの機能を有する施設が設定されている。

     こうした政策動向を踏まえると,立地適正化計画に則った空き家活用の検討が必要であると考えられる。そのためには,立地適正化計画の視点に基づいた空き家の立地評価が必要になるであろう。そこで本発表では,空き家と誘導区域,都市機能施設との位置関係を分析することで,その立地特性を定量的に示すことを目的とした。

    2.分析対象・方法

     本発表の対象地域は,愛知県豊川市とした。愛知県の東部,東三河地域に位置し,令和2年国勢調査(2020年)に基づく人口は184,659,前回と比べて4,186人増となっている。

     分析対象となる空き家は,2017年度時点での空き家候補645棟を含む,1,714棟とした(図1)。分析にあたり,『豊川市立地適正化計画』が定めた「必要な都市機能施設」および独自に追加した施設(計24種類)と空き家との道路距離を指標とし,市全域と地区(中学校区)ごとに検討した。さらに,それぞれの道路距離をもとに,クラスター分析(Ward法)を用いて空き家を分類し,その特性を考察した。

    3.分析結果

     クラスター分析の結果,便利さの度合いを反映したA~Fの6つのグループに分けることができた。グループAは,ほぼ全ての施設への利便性が低く,山間地に分布していた。グループBは,にぎわい・行政施設への近接性が低く,縁辺部に分布していた。グループCは相対的に金融機関への近接性が低く,山麓部に分布していた。グループDは商業・金融施設への近接性が高く,郊外の台地部に分布していた。グループEは,バス停への近接性は低いがにぎわい施設への近接性が高く,郊外の低地部に分布していた。グループFはいずれの施設への近接性が相対的に高く,市街地中心部に分布していた。

     なお,この結果を所有者の認識と照らし合わせたところ,最も居住環境が良いと考えられるグループFでも,約3割が利用されていなかった(表1)。

     これらの結果は,優先して活用すべき空き家を検討する際に参考になると考えられる。さらに,空き家の属性(建築年数や間取りなど)なども考慮することで,ニーズに応じた空き家の活用を考えることができると言える。

    付記

     本研究は,JSPS科研費(18K01153)の助成を受けており,2019年度「豊川市空き家対策セミナー」の発表内容に加筆,修正を行ったものである。豊川市建築課および都市計画課からは,データや情報の提供や結果への示唆などをいただいた。

  • 鈴木 淳一, 寺田 徹
    セッションID: P019
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    本研究では,概念の誕生から約30年あまりと比較的新しい研究領域であるエシカル消費について,世界にはどのような研究文脈が存在し,どのような論点で議論が進められているのか,エシカル消費研究の全容を捉えることに主眼を置く.第1のアプローチとして,既往研究の網羅的な文献レビューを通して,現時点でのエシカル消費に関わる研究の射程を整理し,その上でどのような倫理性が議論されているのかをまとめる.続いて,第2のアプローチとして,地理性・文化性の視点でフードシステムやフードネットワークを議論する文献に絞り,第1のアプローチの結果を踏まえて,どのような議論が展開されているかを体系的に整理する.これらの視点がフードシステムに関わる地理学研究にどのような着眼点をもたらすかを明らかにすることは,地理学研究を学際的に深化させる上で興味深い研究課題であると考える.

  • 元木 理寿
    セッションID: 517
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに かつて,元木(2009)はごみが出るという認識を地域の人たちと共有し,これからの生活環境のあり方を考えていくための,基礎になるような研究や調査こそが求められているのではないかとした。また,ごみ集積所の分布と立地環境に着目し,実態調査を行ってきた。他方,廃棄物減量化,分別収集が進む中で,ごみ集積所の管理に関しては,地域コミュニティ衰退,高齢化に伴い多くの課題が顕在化しつつある。そこで,本研究では茨城県水戸市を事例として,ごみ集積所の分布と立地環境に着目し,その管理実態を把握することを目的とした。

    2.水戸市の家庭ごみ集積所の概要 水戸市ごみ集積所設置要項(水戸市,1994)によれば,家庭ごみの収集を行う場所(以下「ごみ集積所」とする。)の利用については,ごみ集積所1ヵ所当たりの利用世帯数は,概ね10世帯としている。その設置場所に関しては,①歩行者及び収集作業の安全が確保できること,②収集車が容易に転回又は通り抜けができる道路に面すること,③利用者及び近隣者の同意があること,④土地所有者の承諾があること,としている。また,その面積,枠,構造物等の設置に関しても概ね設置基準を設けている。

    3.ごみ集積所の運用とごみ集積所の立地環境  ①水戸市内のごみ集積所は,13,026ヵ所である(2021年3月31日現在)。その中で水戸市内のごみ集積所の運用は,水戸市生活環境部清掃事務所によれば,地区の都合や細かな都合により10世帯以下での利用を認める場合もあるとされる。近年,高齢者や独り身世帯から自宅から離れたごみ集積所に家庭ごみを運ぶことに課題を抱えており,自宅近くに集積所を設置して欲しいとの意見も増えている事が明らかになった。 マンションについては,新設の場合それぞれの敷地内にごみ集積所に置かれることが多いが,建設確認の際,事前協議が必要となり,建設予定地周辺の自治会と不動産業者が水戸市生活環境部清掃事務所にて協議が持たれることもある。公営住宅の場合,管轄担当者が水戸市の担当者,県営住宅の場合は県開発公社,市営住宅の場合は住宅課,とそれぞれ立地に関する事前協議を行っている。 ②今回,事前に双葉台地区,赤塚駅周辺,堀町周辺にてごみ集積所にかかる景観観察を行った。 例えば,ごみ集積所の立地環境をみると,主要道路の歩道付近と,生活道路で路地の狭い箇所に点在するごみ集積所では,立地に関して違いが確認できた。主要道路に面している場合,歩道に面した緑地の部分に設置されており, 住地側に寄せて設置されるといった例は確認できなかった。それに対して,生活道路や道幅の狭い道路に面している場合,個人の住宅の壁や側溝に設置する場合が比較的多く確認された。こうした集積所は,道幅の狭さや空間の確保ができない場所において確認された。また,公園などが近くにある場合,その公園の敷地外,公園脇に設置されることが多かった。一方,郊外において宅地と宅地の間が広い場合や農地がある場合には住宅地から離れた場所に立地することが確認された。

    4.おわりに  ごみ集積所の立地環境に焦点を当て,観察した結果,立地にはごみ集積所周辺の環境に対応した地域的傾向がある事が確認できた。しかし,その立地環境や経緯,土地利用については不明な点も多い。今後はごみ集積所の管理ついて検討を進めたい。

  • ―高松藩弥千代姫の物語 ―
    西村 美樹
    セッションID: S106
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    電子付録

    1.目的

     ポスト・コロナの旅の価値変化について山本(2022)は,「モノからコト,コトからトキ・ヒト」への変化に伴い,旅先への期待が「消費→体験→出会い」へと進化し,もともと観光が教育的意味を内包していることから,「学びの旅の復権」が強まる可能性は高いとしている.さらに,観光客の期待する「体験・出会い」「学び」の重要なアイテムとなる地域の伝統・文化に対するオーセンティシティのニーズも高まっている(秦泉寺,2018).その一方で,和食がユネスコ無形文化遺産登録により保護されたことと同様に,地域の伝統・文化は何らかの保護がなければ継続・伝承が難しい状況にあるものも多い.地域の伝統的なものを残したいと活動するグループも多く存在するが,小規模かつ高齢化している場合が多く,サスティナブルな活動のために必要な情報発信も十分でない.情報発信について梶谷(2015)は,イベントの一つの側面は情報の交流と再生産を可能にする双方向のコミュニケーションメディアであると述べ,イベントの情報源としての役割を示している.

     そこで,地域の異なる分野のグループが融合・協力しイベントを開催することで,これまで交流のない人々への情報発信が可能となり,各々の活動にプラスの効果が生じると考え,実際に開催したイベントを事例としてその効果を検証した. 

     伝統に関する地理学習について伊藤(2011)は,物語性で知の再文脈化が図られ魅力ある地理学習となるとしている.本研究で取り扱うイベント事例も,難しく受け取られがちな歴史や伝統・文化に関する「学び」を分かりやすく印象的に伝えるため,まずシナリオによるストーリー(物語)を作成し,寸劇・食事・トークショーという「楽しみ・娯楽」の要素を取り入れ提供したものであり,「学び×楽しみ・娯楽」=「ラーニングエンターテインメント」と称することとした(図1).

    2.研究対象と方法

     本研究は、2022年6月26日(土)香川県文化会館において実施した,「弥千代姫お駕籠道中『栗林荘の段』」を研究対象として取り上げる.具体的な内容は、高松藩最後の11代藩主松平頼聡公とその正室,大老井伊直弼の息女弥千代姫を中心として,高松の歴史について認識して頂くとともに,様々な伝統・文化・芸術・食に触れ,体験し,楽しみながら学べる2時間半のライブパフォーマンス&食事の催しである(表1). なおこれは筆者が一部の企画と実施に直接関わったものであり,イベント参加者に対するアンケートおよびヒアリングは,アクションリサーチの手法を組み合わせた分析と位置づけられる(中村,2007).

    3.実施結果および考察

     結果として,①異分野融合の効果,②主催者側の目的意識と参加者側の受け取り方(感想)の差異,の2点が明らかになった.以上を踏まえ,①多様な異分野を融合するためのポイント,②観光コンテンツとしての可能性,③活動を継続するための課題,の3点を考察した.

    参考文献

    ・山本達也・岡本岳大 2022. ポスト・コロナ時代における 「旅」 の価値の変質に関する検討. 清泉女子大学紀要, 121-140.

    ・秦泉寺友紀 2018. 観光における食文化の位相と真正性―イタリアを事例として. 和洋女子大学紀要, 59, 13-22.

    ・梶谷克彦 2015. 日本における地域イベントの時代変容に関する研究. 日本感性工学会論文誌, 14 (3), 433-442. ・伊藤裕康 2011. 「物語 (り)」 としての 「伝統」 社会科地理学習における伝統の扱い方. 社会科教育研究, 2011 (114), 77-90.

  • 松山 薫
    セッションID: 434
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/05
    会議録・要旨集 フリー

    満蒙開拓青少年義勇軍制度は,昭和戦時期の日本に日輪兵舎とよばれる特異な建築を生み出した.それは,茨城県内原の満蒙開拓青少年義勇軍訓練所(通称「内原訓練所」,1938~1945年)の訓練生を収容するための宿舎兼教室として,古賀弘人により考案された円形に近い平面と円錐形の屋根をもつ建造物である.丸い平面を太陽(日輪)になぞらえることにより皇国思想との親和性が強調され,精神主義的な訓練になじむものであったことに加え,モンゴルの包を想起させる形によっても,内原訓練所,ひいては満蒙開拓青少年義勇軍制度そのものの象徴として言及されてきた.一方で訓練生でも建てられる簡便さと建築コストの低さという実用的な特徴も兼ね備えていた.

    発表者はこれまで,この形式の建造物が,終戦までの間,各地の学校,修練道場などの開拓民訓練施設といったさまざまな主体により模倣され全国に伝播していた事実を発掘し,満州開拓制度の全国的浸透過程を明らかにすることを試みてきた(松山 2004,2015,2021ほか).そうした各地の日輪兵舎の多くは,高等小学校在学生や青年学校在籍者,成人移民を検討しているものなど,潜在的なものも含めた満州移民候補者のために建設されたものであった.一方で,前述のような錬成主義や簡便性から,必ずしも満洲移民の訓練を目的としない各種訓練施設においても,この時期に日輪兵舎が建設されたケースが実は少なくない.

    本発表では,そうした満洲移民促進以外の目的に日輪兵舎が「流用」されたケースをとりあげ,戦後その皇国思想の体現性ゆえに長い間取りあげられる機会が少なく忘れられつつあった日輪兵舎が,戦時期には国策をとおしてどれほど社会に浸透した存在であったかを考察する.

    その一つ目の例は,農業訓練とは異なる目的の研修施設として建てられたものである.厚生省の体力増強を目的とした津田山修練道場(神奈川県)のほか,棚倉の営林局技術員養成所(福島県),大館の滑空道場の宿舎(秋田県)などがそれにあたる.他の例としては,主として建設の簡便性をいかして,工事などの労働者の仮設宿泊所として用いられたケースである.橿原神宮造営工事(奈良県),静岡大火の復興工事(静岡県),根室海軍航空基地(北海道)の建設工事などが例としてあげられる.ただ,全国から勤労奉仕者が集まった橿原神宮造営工事(「八紘舎」というバリエーションが用いられている)では,簡便性の点だけでなく皇国主義のメタファーとしての要素も色濃く見受けられる.これは紀元二千六百年記念事業の一環であり,他の少なくない建設事例に影響を与えたと考えられる.

    これらの日輪兵舎の多くは,公的費用によって建てられたにもかかわらず,戦後の自治体史などの二次資料では十分には言及されてこなかった.一方で,その形態の特異性から写真資料には比較的恵まれている場合もある.写真も含めた同時代資料を発掘することにより,日輪兵舎の伝播過程を正確に詳らかにしていく必要がある.

    松山 薫 2004.満蒙開拓の痕跡をたずねて-山形県にあった「日輪兵舎」〔序章〕-.東北公益文科大学総合研究論集 8: 75-90. 松山 薫2015.日本各地の「日輪兵舎」-忘れられた満蒙開拓青少年義勇軍の象徴-.季刊地理学 67: 191-195. 松山 薫 2021.農民道場と日輪兵舎.東北公益文科大学総合研究論集 40: 89-94.

feedback
Top