日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の295件中151~200を表示しています
  • 菅 浩伸, 横山 祐典, 鈴木 淳, 中島 洋典, マホムド リヤズ
    セッションID: 821
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに

     環礁における現成サンゴ礁の堆積構造と形成過程が示される例は少ない。本研究では,モルディブ諸島北マーレ環礁南縁に位置するマーレ島でボーリングコアを採取し,環礁縁を横断する断面での堆積構造と完新世の礁形成過程を提示する。

    2.マーレ環礁のサンゴ礁堆積物試料

    (1)環礁外縁部における掘削試料の採取
     モルディブ共和国の首都マーレの中心を成すマーレ島は北マーレ環礁の外縁(南端)を構成するリーフの上に載るサンゴ洲島である。当初1.08 km2程度であったマーレ島の面積は,埋め立てによって1.97km2まで拡大した。1969年撮影の空中写真でみられる海岸は1890年代の海図に記された海岸線とほぼ同じであり,島の南側には浅礁湖~礁嶺がみられる。現在,南部の浅礁湖はほぼ埋め立てられ,南縁の旧礁嶺部に港が掘り込まれている。埋め立てによる海岸線は,島北部および南~南西部につくられた港以外の地域でサンゴ礁外縁付近まで達する。本研究では,マーレ島で外洋側礁縁部付近に達した南東部の埋め立て地で,旧礁嶺部にあたる地点をボーリング地点として選定し,掘削深度53.5mに達する環礁外縁部のコアを得た。

    (2)礁湖側端部および洲島の堆積物試料
     マーレ島北東部の礁湖側斜面では2002年に発生した地盤崩壊によって,礁面(水深3m)~水深25mまでの礁湖側斜面の内部構造が確認できる。本研究ではこの崩壊地の壁面にて観察した堆積構造および採取した試料を用いて,礁湖側端部の形成を論じる。また,洲島部については現地政府による他の試錘結果を用いて議論する。

    3. 環礁縁における堆積構造

     岩相記載およびX線回折による鉱物の同定より,環礁外縁部(MMC: Maldive Malé Core-site)における更新統/完新統境界は,現平均海面下9.5m付近に認められる。洲島中央部のコア(BH-1)においても現平均海面下10m付近より下位は更新世石灰岩となる。一方,礁湖側崩壊地では観察できた水深25mまでは全て完新統であった。礁湖側埋め立て地で掘削されたコアBH-2では掘削深度35m(平均海面下34m) 付近で褐色の古土壌が検出された。マーレ環礁南縁の完新世サンゴ礁の基盤地形は,環礁縁で高く礁湖側で低いことが明らかになった。
     環礁外縁部のコア(MMC)では40mを超える更新統を観察することができた。岩相より4つのリーフユニットが判別できた。各リーフユニットではcoral framestoneを挟む礁性砂礫上に,サンゴ・石灰藻(サンゴモ)より成るcoral-algal bindstoneが載る。
     完新統の堆積構造では,環礁外縁部のコア(MMC)上部の,礁原面以下3.3mで固結したcoral-algal bindstoneがみられ,以下は礁性砂礫が主となる。環礁外縁部以外の堆積構造は礁性砂礫が主であり,固結した堆積構造は認められない。マーレ島北東部の崩壊地での観察より,礁湖側斜面の表面から約2mの厚さで固結した礁構造が認められるのみである。本研究で得られた試料のAMS年代測定より,マーレ島が載る北マーレ環礁南縁における約8ka以降の礁形成過程が明らかになった。
  • 地球惑星科学の中で氷床が存在する地域の「地形発達史」に期待されていること
    三浦 英樹, 奥野 淳一, 菅沼 悠介
    セッションID: 822
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    将来の環境変動予測を行う上で、「未来の鍵」となる過去の気候・環境復元の研究はますます重要な役割をもつようになっている(例えば、Jansen et al., 2007)。そのような背景の中でも高い時間分解能があり、定量的な復元が可能なコア研究(氷床コア、海底堆積物コア)が古気候・古環境復元の手法として全盛の現代において、この分野における地形学(特に古環境復元のための地形発達史や気候地形学)の役割はすでに終わったと見なされることも多い。しかし、地球惑星科学の中での古環境研究において、絶対に「地形学的手法」を用いることでしか得られないデータが少なくとも2つある。そのひとつは、氷河地形地質学的手法に基づく氷床の拡大・縮小範囲(場合によっては氷床高度と氷床底面環境)の歴史の復元であり、もうひとつは海岸地形地質学的手法を用いた陸と海との相対的な位置関係(相対的海水準)の歴史の復元である。 地形学によって得られる、この2種のデータは、固体地球の粘弾性モデルや古海洋学・地球化学のデータと組み合わせて解析することによって、氷床体積や世界各地の海水準の変化史を提供し、新生代の地球規模の環境変動に果たす氷床変動の意味と役割を明らかにし、地球の環境変動システムをより具体的に明らかにすることに貢献することができる。さらに、極地の氷床の変動は、海水準変化とアイソスタティックな固体地球の変形によって、地域ごとに異なる地形基準面の変化をもたらすとともに、近年進展した氷期-間氷期サイクルの新しい概念の枠組みの中で、大気・海洋を通じたテレコネクションによる世界各地の第四紀の気候変動においても重要な役割を果たすと考えられるようになってきた。したがって、極地の氷床変動史と気候変動に関する知見の増加は、地形プロセス研究の進展と相まって、これまで定性的な段階に留まっていた世界中のあらゆる地域の気候地形発達史の考え(例えば、ビューデル, 1985)を、より定量的に組み立て直すことに貢献したり、地形プロセスの歴史的な変遷や、地域の総合的な自然史を、より具体的に説明する上での基本的な知識を提供することにもつながるに違いない。 本発表では、最初に、これまで行ってきた南極大陸露岩域における氷河地形や海岸地形を用いた地形発達史研究の例を報告する。次に、これらの地形データと固体地球物理学(特にグレイシャルハイドロアイソスタシーの効果)や地球化学データと組み合わせる研究方法とその成果を説明し、現時点で考えられる後期新生代・第四紀の気候変動・環境変動に果たしてきた氷床の役割と意義、および今後に残された課題について紹介する。このことによって、「氷床の地形をさぐることは、山好きの地形屋の趣味的なテーマではなく、すべての第四紀学の研究者にとっての重要なテーマ」(岩田, 1988)であることを、具体的に示したい。 <文献> 岩田修二 1988. 第四紀研究, 26: 342-343. ビューデル, J. 著, 平川一臣訳 1985. 『気候地形学』古今書院. Jansen, E. et al. 2007. Palaeoclimate. In Climate Change 2007. Eds. Solomon, S. et al.: 433-497.
  • ポロシリ亜氷期とトッタベツ亜氷期の認定に関する新知見
    澤柿 教伸, 岩崎 正吾, 松岡 直子, 平川 一臣
    セッションID: 823
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     日高山脈の七ッ沼カール底直下に厚く分布する氷成堆積物を記載した小野・平川(1975a,b)は,堆積物が上下2層からなるとし,上部層は氷河擦痕を持つ巨礫を含み,En-aテフラのパミス粒子が上部層のほぼ全層準に混じることから,トッタベツ亜氷期のアウトウォッシュ堆積物であると解釈した.一方,下部層は,巨礫混じりの無層理層で,ポロシリ亜氷期のグランドモレーンであると解釈した,依頼,この研究は,直に接する上下2層の氷成堆積物からトッタベツ亜氷期とポロシリ亜氷期を再定義したという点で,日本の氷河地形研究の中で最も重要な論文の一つとして位置づけられ,七つ沼カール底の露頭は,いわゆる「小野・平川露頭」と呼ばれて,最終氷期前半と後半の亜氷期の堆積物が累重する日本で唯一の模式露頭として参照されてきた.  演者らによる小野・平川露頭の新たな調査により,ポロシリ亜氷期のグランドモレーンであると解釈されていた下部堆積物を含む全層準にEn-aが混入していることを確認した.つまり,七ッ沼カール底直下の堆積物は上下層ともすべて新期のトッタベツ亜氷期に形成されたものであり,したがって七ッ沼カールにおけるポロシリ亜氷期のグランドモレーンの存在は否定される.一方,七ッ沼カール東方のエサオマントッタベツ谷の標高850m付近で,Spfa-1を挟むターミナルモレーンを確認し,ポロシリ亜氷期の氷河拡大範囲を特定している.
  • 鳳凰山東麓に分布する岩屑なだれの例
    苅谷 愛彦
    セッションID: 824
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    ◆はじめに 日本アルプス各地で報じられてきた最終氷期の氷河地形・堆積物の一部は,実際は氷河と直接関係しない地すべりで形成されたことが最近知られてきた.例えば,薮沢礫層は完新世の地すべり堆積物である.これらの成果は氷河や氷期を強調した従来説の修正にとどまらず,山地地形論や古環境論に波紋を投げかける.最近,鳳凰山東面に分布する厚い礫層が最終氷期極相期の氷河に関係した堆積物とする従来説と異なり,飛鳥平安時代の岩屑なだれ(DA)堆積物であることが判明した.◆地域・方法 ドンドコ沢周辺を踏査し,露頭記載や試料採取を行った.この付近には糸魚川静岡構造線(糸静線)が走り,それを境に砂岩泥岩互層と火成岩類が接する.糸静線沿いに地形の横ずれが認められることから,同線は活断層として挙動している可能性もある.◆地質記載 ドンドコ沢や大棚沢沿いに複数の河成面とそれらの構成層が分布することは以前報告されていた.このうち低位段丘(T2)面とされた地形と構成層は最終氷期極相期に氷塊が崩落してもたらされたと考えられ,地すべりの可能性は否定されていた.T2面を切る活断層も推定された.後に礫層は土石流成とされ,活断層の存在も否定された.また年代観も改められたが,試料が少なく追試が必要だった.演者が得た新事実は次のとおり.【1.礫層の層相】礫層は下部・上部層からなる.下部層は花崗岩を主とする亜角・亜円礫層で,砂優勢の基質に支持される.層厚≧20 m.下部層の上面に埋没土層が発達する.上部層は花崗岩のみからなる基質(主に粗砂)支持の角礫層で,円磨礫はない.巨礫が卓越する.層厚は最大≧70 mに達する.礫の大半は自破砕している.以下,特徴的な層相をもつ上部層を議論の対象とする.【2.上部層の分布】上部層は低位段丘面構成層とされたものに概略一致するが,新たに確認された地点も多い.同層の分布下限は標高1110 m付近である.【3.上部層を覆う細粒堆積物】地点Lで上部層を覆う細砂層と細砂層に没した大型樹幹を発見した.【4.年代】地点Tの上部層に含まれる木片の14C年代測定が以前行われ727-975 cal ADが得られていた.今回,地点Wの下部層上面にみられる埋没土層から木片3点(A,B,C)を,地点Lの大型樹幹1本の樹皮直下1点(D)を採取し,年代測定に供した.較正値は674-986 cal ADで,先行研究を支持した.◆上部層の成因と時代 上部層中の礫には国内外に分布するDA堆積物で確認された破砕構造が発達する.これはDAやそれに先行する岩盤クリープに伴う基盤岩の破砕-移動過程で生じたとみられる.また上部層の礫は水流円磨されたものをほとんど含まない.以上の特徴を考慮すれば,上部層は土石流や融氷水流の堆積物とはいいがたく,DA堆積物とみるべきである.DA推定発生源はドンドコ沢左岸の2216 mピーク直下にある岩壁である.堆積物の平均層厚を20 mとすれば,推定分布域から求められる発生直後の体積は≧1.8×107 m^3である.地形の状況から,地点Lの細砂層はDA堆積物の塞き止めで生じた湖沼堆積物に相違ない.既存研究を含む5点の14C年代較正値は2群に大別できる.うち3点(地点Tの木片,木片B,同D)が群1に,2点(木片 A,同C)が群2に入る.群1は770-990 cal AD頃に,群2は670-890 cal AD頃に集中して後者は約100年古い.木片の堆積過程を考えると,群1の試料は地点WやT,LでDA堆積物の下敷きになった樹木や塞き止め湖沼の漂流木で,群2のそれはDA発生前から地点Wに存在した古い枯死木や大型樹幹の心材だった可能性がある.大型樹幹最外皮直下から得た木片Dが最も信頼できると考えれば,DAの発生時期は群1の年代範囲に含まれる.◆DAの誘因 誘因として次の歴史地震が想定される.1)糸静線活断層系釜無山断層群などの最新活動(AD0以降),2)AD762美濃・飛騨・信濃地震,3)AD841信濃地震,4)AD841伊豆地震,5)AD878関東諸国地震,6)AD887五畿七道地震.1)は掘削調査などで明らかにされたもので, 2)3)が対応する歴史地震に考えられている.4)は丹那断層のpenultimateイベントに対応するとされる.6)は駿河南海トラフを震源域とする巨大地震で,八ヶ岳の大規模DAと塞き止め湖をもたらしたとされる.
  • 南アルプス・アレ沢崩壊地の観測例
    西井 稜子, 松岡 憲知
    セッションID: 825
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     大起伏山地の中~上部斜面には,山体の重力性変形によって形成されたと考えられる多重化した稜線と凹地列からなる地形がしばしば認められ,二重山稜や多重山稜と呼ばれている.現在,稜線上で目にする二重山稜の多くは,測量精度を超えるほど動いていないため,その動態については依然不明な点が多い.最近,南アルプスアレ沢崩壊地周縁では,年間約0.6 mの速度で開きつつある特異な二重山稜の存在が明らかになった(Nishii and Matsuoka, 2010). 本発表では,4年間の観測データと空中写真判読に基づいて,この二重山稜の経年変動について報告する.
    2.調査地域と方法
     南アルプス北部の間ノ岳(標高3189 m)南東斜面に位置するアレ沢崩壊地は,比高400 m, 平均傾斜40°の急峻な斜面を示す.崩壊地内部では,2004年5月の融雪期に大規模な崩壊が発生した.一帯の年降水量は約2200 mmで,11~6月まで積雪に覆われる.この崩壊地周縁において,2006年10月~2010年10月の無積雪期を中心に,トータルステーションとRTK-GPS測量を組み合わせた斜面の動態観測を行った.さらに,二重山稜の動きを可視化するため,2008年5月から自動撮影カメラ(KADEC-EYE_II_)を設置し,一日間隔で撮影を行った.また,測量実施前の二重山稜の動きを推定するため,3時期(1976, 2003, 2008年)の空中写真判読,2004年崩壊前の現地写真との比較を行った.
    3.結果と考察
     測量結果から,2地点(A, B)の二重山稜(崖)が急速に広がっていることが明らかになった(図1A, B).崖より谷側斜面では,地表面が緩んでいることを示す新鮮なテンションクラックを数多く伴いつつも,形状を維持し全体的に低下している.A地点では,4年間の総移動量は290 cmに及ぶ.その動きは,冬期に遅く(約1 mm/日),夏期に速い(約3.5 mm/日)という季節変動を伴いながら,年平均の日移動速度では,1.5 mm/日(初年度)から2.7 mm/日(最終年度)へと加速した.広がりつつある二重山稜A, Bは,現在ほど明瞭な崖ではないが1976年には既に存在していた.また,B地点の崖高は,1984年と比較して約1 m増加した.A地点における総移動量の3~4割は,2004年の崩壊によって側方の支持を失った斜面の方向(北東)への動きであることから,2004年の岩盤崩壊以降,急速度で崖が広がり始めたと推定される.観測された二重山稜の動きは,2004年崩壊の応力開放によって新たに斜面の不安定化が生じたことを示しており,今後再び発生するであろう深層崩壊の前兆を示すと考えられる.
    引用文献
    Nishii, R., Matsuoka, N. 2010. Monitoring rapid head scarp movement in an alpine rockslide. Engineering Geology 115: 49–57.
  • 瀬戸 真之
    セッションID: 826
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _I_.はじめに  日本の山地斜面における過去の地形プロセスの復原に関する研究は,氷河・周氷河地形を中心に行われてきた.これらの地形が分布する斜面は,氷期の森林限界よりも高い標高の斜面に限られることから,これまでは日本アルプスや北上山地,北海道での報告例が多い.一方で,本州中部の中起伏山地など,氷河・周氷河地形が分布しない高度帯には,過去の地形プロセスが検討されていない斜面が多く残されている.このような斜面の形成史とそのプロセスを明らかにすることは,日本列島の地形発達史や環境変遷史を総合的に検討する上で重要な意味を持つと言える.山地斜面には過去の地形プロセスを反映した斜面堆積物が残ることがある.このような斜面堆積物のうち,斜面下方に向かって岩塊が幅数メートルから数十メートルの帯状を呈して,数百メートルも伸びているものを岩塊流と呼ぶことがある.このような岩塊の堆積地形は,比較的低標高の山地斜面にも分布している.岩塊流は過去における山地斜面の形成史や山地の環境変遷史を明らかにするための資料となり得る.本発表では岩塊流が持つ地形学的諸問題を整理する. _II_.岩塊の生産 これまでの報告例から花崗岩類の岩石から構成される岩塊堆積地形が多いことが明らかである.このことは花崗岩類の風化特性(特に深層風化によるコアストーンの生成)が岩塊の生産に寄与していることを示唆している.しかし,流紋岩や安山岩さらには超塩基性岩等を基岩とする地域においても,岩塊堆積地形は分布する.   これまでの報告によれば,岩塊の生産プロセスは,凍結破砕作用による岩石の機械的風化や深層風化によるコアストーンの生産であるとする見解と,崩壊や地すべりが岩塊流に岩塊を供給したとする見解がある.しかし,岩塊斜面や岩塊堆積地形を構成する岩塊が,斜面のどこで,どのようなプロセスで生産されたかについて明確に言及している報告は少ない.このことは,岩塊の生産源はどこかといった基本的な問題すら解決が困難なことを示唆している. _III_.岩塊の移動 岩塊斜面や岩塊堆積地形を構成する岩塊堆積物の移動プロセスには不明な点が多い.特に周氷河性の物質移動プロセスで岩塊が移動したとされる岩塊堆積物については,周氷河作用が引き起こす物質移動プロセスのうち,どの様なプロセスが関与したのか明らかにされていない.現状では周氷河性の物質移動プロセスのうち,具体的にどのようなプロセスで岩塊が移動したのかを説明するのは困難である.しかし,今までに報告された岩塊斜面や岩塊流は,その大半が現在その発達を促すプロセスが働いていないと考えられている.そのため,現在とは異なる気候環境下でより強力に働いた物質移動プロセスとして,周氷河性の物質移動プロセスが注目されてきたのであろう.一方,非周氷河性の物質移動プロセスによる岩塊の移動には,地すべりや崩壊,岩石なだれなどが考えられている. _IV_.岩塊斜面・岩塊流の形成期 今までに報告された岩塊斜面や岩塊堆積地形には,最終氷期中に形成されたとするものと,後氷期に形成されたとするものがある.しかし,テフラなどの確かな年代資料にもとづいて形成時期が詳しく議論されている報告は少ない.岩塊斜面,岩塊堆積地形の形成時期は,ケースによって異なり,約9万年前から現在にいたるまで,その時期は様々である.しかし,最終氷期と後氷期の両時期を通じて形成プロセスが働いたとする例は報告されていない.この事は岩塊堆積地形の形成時期,形成プロセスが,従来の研究では最終氷期と後氷期とで大きく二分されることを示しているが,これには以下のような問題があると考えられる.従来,「現在働いている地形プロセスでは形成プロセスが説明できないことから,過去の気候条件の下に現在とは異なる種類(あるいは強度)の地形プロセスで形成された」とする考えがあり,いくつかの例では氷期に周氷河プロセスで形成されたとする見解があった.しかし,澤口・長谷川(1989)のように,新たな証拠に基づいて検証した結果,形成時期が大幅に修正されることがある.形成年代に関する証拠を持たない岩塊斜面や岩塊堆積地形については,年代試料を採取し,形成年代を再検討する必要がある.
  • 小疇  尚
    セッションID: 827
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    東アルプスの約40か所の山でハイマツ(Pinus mugo)の分布を調べた。その結果、森林限界以上の高山帯下部に高距約300mの幅でハイマツ帯を形成していることが明らかになった。ハイマツの分布は、おもに片麻岩、片岩類からなる、最も高く多くの氷河をいただく中軸山地でさほど目立たず、その北と南の石灰岩山地で著しい。その原因として、カルスト地形が発達する石灰岩山地では、土壌がうすくハイマツ以外の植物がこの高度帯に侵入しにくく、地形的にもアルムに不適当な土地が多く、ハイマツの生育域が広いことがあげられる。これに対して片岩類の山地には、本来のハイマツ帯の高度帯に土壌の厚い小起伏地や緩斜面が多く、他の灌木類が繁茂したり森林限界が上昇して、ハイマツの生育域が狭められている。それに加えて、古くからハイマツ帯を拓いたアルムが広く分布して、ハイマツの分布域が人為によって著しく狭められた結果、ハイマツ群落が散在的になりあまり目立たなくなった。わが国では、ヨーロッパにハイマツ帯はないという謬説が検証されないまま広まっているが、アルプスではハイマツ帯を森林限界以上の高山帯下部に位置付けている。
  • 曽根 敏雄, 瀬戸 真之, 須江 彬人, 田村 俊和
    セッションID: 828
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1 はじめに  福島県御霊櫃峠は標高が低い山地であるにもかかわらず、周氷河現象がみられる場所として報告されている(鈴木ほか、1985;瀬戸ほか、2010)。ここでは、ペイントラインによる観測で秋から春の1シーズンで1mに達するような大きな地表面礫の移動が生じている(瀬戸ほか、2005)。年平均気温が約8℃である場所としては、この移動量は大きな値である。凍結期間初期における現地観測で地表に10cm程度の霜柱が観察されたことから、凍結融解が礫の移動に関係すると推測されるが、いつどのように移動するのかは明らかではなかった。そこでソリフラクションメーター(曽根ほか、2009)を設置し、いつどの程度の移動が生じるのか観測を行なった。
    2 野外観測  観測地は福島県、郡山・猪苗代両盆地の分水界に位置する御霊櫃峠南方であり、尾根上には裸地が広がっている(標高約980m)。 ソリフラクションメーターを傾斜約25度の西向き裸地斜面に設置し、記録間隔は30分とした。また移動量観測のターゲットとした表面礫の裏面(礫が地面と接する側)の温度(礫下地温)をサーミスター温度記録計(T and DおんどとりTr-52)を用いて30分おきに測定した。インターバルカメラを設置し1時間おきに写真を撮影した。観測期間は2009年11月7日から2010年4月29日である。
    3 結果と考察  観測結果の例として2009年11月19日の礫の移動変位、気温、礫下地温を挙げる。0時から10時までは気温・礫下地温は氷点下であり、8時まで礫はゆっくり動いていた。礫下地温は10時に0℃に上昇し、これ以降10数時間はプラス温度を保った。礫下地温が0℃以上となって1時間後の11時から15時にかけて、礫は24mmと大きな移動変位量を示した。0時から8時までの礫の変位は凍上に、11時から15時にかけての変位は霜柱を含む凍土の融解によると考えられる。このような移動イベントは11月中旬から12月、及び3月から4月を中心とした時期に多発するが、1-2月にも発生し、観測期間中、ターゲットとした礫は約45cm斜面下方へ移動した。礫下地温は、観測期間中、頻繁に0℃を上下した。礫の移動の多くは凍土が融解する時に生じているが、礫下地温がマイナスからプラスへ変化した時すべてで礫の移動が観測されるとは限らなかった。これは凍土が形成されても凍上が生じていないこともあるためと考えられる。またインターバル写真の解析から、観測斜面では積雪が少ないこと、礫の移動の際にはフロストクリープに加えジェリフラクションも生じていることが、明らかになった。
  • 室岡 瑞恵, 桑原 康裕, 春山 成子, 山縣 耕太郎, 近藤 昭彦
    セッションID: 901
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I 背景及び目的
    キーヤ川はアムール中流域に位置し,ロシアと中国の国境を流れるウスリー川,アムール川を経てオホーツク海に注ぎこむ。アムール川周辺の湿地帯から流れこむ鉄がオホーツク海のバイオマスを豊かにすると言われており(Shiraiwa, 2005),中でもキーヤ川周辺の湿地帯が鉄生成に寄与していると考えられている。そこで本研究では,衛星データを用いてキーヤ川周辺の地形分類図を作成するとともに,堪水域と湿地の分布を明らかにし,さらに,湿地調査および水質検査を行った。
    II 方法
     地形分類図は,SRTM (Shuttle Radar Topography Mission)で標高図を作成し,おおまかな地形をつかみ,JERS-1/SAR画像上でテクスチャを丹念に確認することにより作成した。
    SRTMにより,当該地域の河川の標高を32mとし,1mずつ標高を高くして,堪水する地域を塗りつぶすことにより,堪水図を作成した。また,湿地の分布図は,JERS-1/SARを用いてMurooka et al. (2007) に従って作成した。
     現地調査により,キーヤ川周辺の各地形種上の湿地と,比較のために近隣のホル川周辺の湿地において,微地形と植生を明らかにした。
     水質調査は,キーヤ川およびホル川の河川水と周辺の湿地,キーヤ川近くの井戸において,簡易水質検査計(デジタルパックテスト・マルチ,共立理化学研究所)を用いて行った。
    III 結果と考察
     地形は,河川,氾濫原,自然堤防,低位氾濫原,扇状地性の低位氾濫原,山麓緩斜面,山地に分類できた。近隣のホル川と比較してみると,キーヤ川の方が若干標高が低く,ホル川は低位段丘上を流れているのに対して,キーヤ川は扇状地性の低位段丘上を流れていた。さらに,降雨量が多い時に堪水する面積は,キーヤ川の方が広かった。湿地の分布は,キーヤ川沿いの氾濫原およびキーヤ川周辺の扇状地性の低位氾濫原で多い傾向にあった。
     キーヤ川周辺の湿地は平坦でヤチボウズはほとんど見られず,イネ科の植物が優先するのに対して,ホル川はヤチボウズが60cm前後に良く発達しており,カヤツリグサ科の植物が優先し,ウスリータニシの殻も見られた。よって,ホル川の方が,キーヤ川に比べ,流量が多いと言える。
     水質検査の結果,湿地に隣接したキーヤ川の河川水からは鉄が検出されたが,湿地に隣接していないキーヤ川の河川水,ホル川およびホル川周辺の湿地からは鉄は検出されなかった。また,キーヤ川近くの井戸からも検出されなかった。
     これらの結果から,ウスリー川への鉄供給源の一つが,キーヤ川周辺の湿地である可能性が高い。
    引用文献
    Shiraiwa, T. 2005. The Amur Okhotsk Project, Report on Amur-Okhotsk Project, No.3, December 2005, Research Institute for Humanity and Nature, 1-2.
    Murooka, M., Haruyama, S., Masuda, Y., Yamagata K., Kondoh, A.2007. Land Cover Change Detected by Satellite Data in the Agricultural Development Area of the Sanjiang Plain, China, Journal of Rural Planning, Vol.26, 197-202.
  • 森本 洋一, 小寺 浩二
    セッションID: 902
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    積雪地帯では春先から初夏にかけて融雪水による流量増加が見られ、河川水質も融雪水の影響を強く受ける。また、比較的低緯度の温暖積雪地帯では北海道や北東北の寒冷積雪地帯に比べ、積雪期間中にも頻繁に融雪が発生し河川水質や融雪機構も寒冷積雪地のそれとは大きく異なる。豪雪地帯を流れる魚野川流域では、冬季の積雪が多いところで3mを超え降雪の絶対量も多い。本研究では同地域において降雪や積雪、融雪水が流域環境や水環境、河川水質に与える影響について、河川水質や積雪水質データなどから総合的に考察し、河川水質、積雪水質の形成や組成について明らかにする。
  • -降雨イベントによる変動を中心に-
    澤田 律子, 小寺 浩二
    セッションID: 903
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     周囲を海域に囲まれた島嶼の環境では、表流水は即座に海洋へと流出し、それと共に様々な物質が同時に海洋へと流出している。中でも亜熱帯気候に属する八重山諸島では、島の周囲にはサンゴ礁等が発達し、貴重な環境が形成されているため、島を流下し、海洋へと流出する陸水が沿岸域に及ぼす影響は大きい。石垣島においては赤土流出が以前から問題視されており、名蔵川や轟川の土砂や栄養塩の流出解析が流域単位で行われているが、本研究は流域単位にとどまらず、陸水を広域的にとらえ、その季節変動や降雨イベントによる変動を明らかにすることを目的とする。
    II 対象地域概要
     東京から2000kmの距離に位置し、人口、産業の面から見ても八重山諸島の中でも中心的な島として存在する。気候は亜熱帯海洋性で、平均気温は23.7℃、平均降水量は2127.2mmであり、梅雨期と台風時の降雨が年間降水量の6割を占める。北部には県最高峰の於茂登岳(525.8m)を始めとする於茂登連峰が連なり、雨の降り方に地域差が見られる。一級河川は存在せず、主要河川には宮良川、名蔵川、轟川が挙げられ、その他には大小100ほどの名前のついた川や沢が存在する。人口は南部に集中する。
    III 研究方法
     石垣島の諸河川約90地点において2009年2月より、約3か月に1回の頻度で計8回の現地水温観測を実施し、2010年9月の台風接近時には宮良川流域の5地点で3時間ピッチの集中観測、9点で24時間ピッチの観測を実施した。観測項目は、水温、電気伝導度(以下EC)、DO、TURB、TDS、pH、RpH、流量で、サンプルを用いて、イオンクロマトグラフによる主要溶存成分測定、TOC分析計による全溶存炭素量分析を行なった。月一回の頻度で、河川水と降水のサンプリングも実施している。
    IV 結果と考察
     標準偏差が20以下と変動が小さい地点は於茂登岳周辺部に集中し、変動が大きい地点のECの地点平均値は高いことが特徴として挙げられる。石垣島の水質組成は主にアルカリ土類炭酸塩型に分類される。大半がCa-HCO3型のパターンを示し、特に顕著なのが轟川で、石灰岩地域の特徴が表れたと思われる。一部でNa-Cl型と特異な性質を示すが、これはCa2+、HCO3の含有量が少ないだけでありNa、Clの含有量はCa-HCO3型の他の地点と同程度である。
    降雨後には、ECは急激に減少し、9月4日の正午ごろEC250μS/cm以下の最小値が観測された後、ECは増加し始めるが、平常値までの回復には数日間の時間を要した。下流より川原橋(支流の振興橋)、ハルサ農園前(水路)、仲水橋、竿根田原橋と分布しているが、竿根田原橋、仲水橋、川原橋という順で上流ほどECの回復速度が早く、下流に近づくにつれて回復は緩やかなスピードで起こっている。それに連動してCa2+、Mg2+、Clも増減しており、地点によってはNa、SO42-も増減している。降雨イベントによるECの変動は降雨に伴う溶存物質の流出が引き起こしているが、地点によってその大きさに差異が生じていることから、土壌成分が流出しているところと、していないところが存在することが分かった。
    V おわりに
     雨量強度に対する土壌流出の関係性が見いだせれば、降雨時のECの値から雨量を算出することが可能となる。傾斜や地質といった様々な要因から、土壌成分の流失強度を導き、河川のECと雨量の関係を明らかにしていく必要がある。
    参 考 文 献
    澤田律子・小寺浩二(2010):八重山諸島石垣島諸河川の水質変動に関する研究,陸水物理研究会発表会,.
  • 坂上 伸生, 山崎 賢一, 佐藤 嘉則, 太田 寛行, 渡邊 眞紀子, 石川 忠晴
    セッションID: 904
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    【背景と目的】 河川上中流部から供給される細粒土砂は,感潮域に至って底質の主要成分を構成する。しかしながら,堆積量に比較して通過量が多いことから,その動態を把握することは困難である。河川底質の化学的特性はシルト以下の細粒画分に帰する場合が多く,その動態は底質環境を特徴付ける。山崎ほか(2010)は利根川感潮域の底質を構成する有機物に着目し,出水により低下した炭素量は河口側および上流側の双方から回復して平水時に至ることを明らかにしている。本研究では出水時と平水時の細粒底質中の無機成分の縦断的分布と平水時の微生物多様性について調べた。
    【調査地域と研究方法】 底質調査は,大きな出水直後(最大流量:8,300m3/s)の2008年9月,移行期間である10月,2009年2月の平水時に利根川河口から2KP(KPは河口からの距離)~27KPまでの澪筋で縦断的に行った。採取はエクマンバージ採泥器を用い,層を成している場合は2層に別けて採取した。試料は恒温炉(60℃)で乾燥させ,125umの金属製篩を通過した画分についてエネルギー分散型蛍光X線元素分析装置(EDX-700HS, 島津製作所)によりXRF分析を行った。試料は直径2cm,深さ0.5mmのアルミリングに入れ,100KNで加圧成形して分析に供試した。
     2010年6月(概ね平水時に該当)に4KP,河口堰に隣接する上流部(およそ18.5KP),27KPにおける底質を採取し,細菌密度と細菌多様性について解析した。4KPおよび堰試料については1層目と2層目をそれぞれ分析に供試した。DNA抽出はISOIL for Beads Beating(NIPPON GENE)で行った。細菌量(copies/g湿重)は16S rRNA遺伝子の定量PCR測定から求め,細菌多様性はPCR増幅した16S rRNA遺伝子群を末端断片長多型(T-RFLP)分析に供して推定した。
    【結果と考察】 細粒底質のXRF分析の結果,40~60%がSiで,Fe,Alが10~30%程度検出された。また,Ti,Ca,K,S,Mgが数%程度,Mn,Zr,Cu,Zn,Rbが1%以下検出された。また海水の影響と考えられるBr,Clがそれぞれ最大0.1,3.6%程度検出される場合があった。それぞれの元素の強度値を用いて主成分分析(SPSS ver. 10.0.5J)を行ったところ,Fe・Mn酸化物(第1成分),アルミノケイ酸鉱物(第2成分),ハロゲン(第3成分)によって特徴付けられる成分が抽出された。図1にFe・Mn酸化物成分およびハロゲン成分の出水時および平水時の縦断分布を示す。出水によりFe・Mn酸化物は攪乱され,ハロゲンは数地点で2層目に残留しているものの,多くの地点で消失していた。Fe・Mn酸化物は陸域に由来し,平水時には上流側で高かった。また,主に海域に由来すると考えられるハロゲンが平水時に下流側で高くなる傾向が見られた。河口付近ではエスチュアリ循環により海由来有機物を多く含む細粒底質が遡上することが確認されている(清水ほか,2004)。本研究でも平水時にかけて,20KP付近まで海から遡上した塩水に由来する細粒分が支配的となっていくことが確認された。
     細菌量は,27KPの底質では下流側に比べて約100倍低いレベルであった。これはシルト質成分が少なく炭素量が小さいことに起因すると考えられたが,細菌量と全炭素量との間にはあまり明瞭な対応関係がみられなかった。T-RFLP分析でみた細菌多様性は4KP,18.5KP,27KPの地点間で差はみられなかったが,細菌群集構造については地点間で顕著な違いがみられた。なお,各地点の1層目と2層目には大きな違いがないことが明らかとなった。感潮域における河川流動と底質環境を反映した微生物分布特性が予想された。
    【参考文献】 清水ほか(2004)水工学論文集,48,769-774/山崎ほか(2010)社団法人環境科学会2010年会プログラム,p.97
  • 土地利用との関係に着目して
    宮野 浩, 泉 岳樹, 中山 大地, 松山 洋
    セッションID: 905
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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  • 鈴木 秀和, 宮下 雄次, 板寺 一洋
    セッションID: 906
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
     箱根火山の温泉・地下水については,これまで数多くの調査・研究が行われてきた。しかし,その多くが温泉施設の集中するカルデラ内部を対象としており,外輪山を含め箱根火山全体を包括的に捉えた地下水の涵養・流出機構(流動系)に関する研究は皆無に等しい。地質構造が複雑である火山地域では、環境同位体などをトレーサーに用いて地下水流動系を把握する手法が有効となる。箱根火山全体の地下水流動モデルを構築する手始めとして、2010年8中旬~9月上旬にかけて外輪山斜面を対象に、河川水(99か所)および湧水(38ヶ所)の広域採水調査を実施した。今回は、その結果明らかとなった外輪山斜面における酸素同位体組成の空間分布特性と、それから推定される地下水流動系について報告する。
     箱根外輪山において、斜面方位別に降水中の水素・酸素同位体比(δD・δ18O)を測定した宮下(2009)は、西斜面におけるδ18Oの高度効果(-0.15‰/100m)が、他の斜面のそれ(-0.070 ‰/100m)に比べ大きいことを報告した。これは、西斜面において同位体的に重い雨が降っていることを示しており、今回得られた河川水・湧水のδ18Oにも、同様の傾向がみられる。外輪山の山頂付近にある湧水についてその値を比較してみると、西斜面の命之泉(1010m)で-8.3‰、北東斜面の明神水(1023m)で-9.3‰と同一標高において1.0‰の違いが認められた(図参照)。このような斜面方向による同位体比の違いは、多くの孤立峰において確認されており、大抵の場合は卓越風向に関係し、風上側で同位体的に重い、そして風下側で軽い雨が降るいわゆる「雨陰効果」がその要因と考えられている。断定はできないが、箱根火山の場合も周辺気象観測点における風向データからみて、雨陰効果による影響と推定される。
     したがって、同位体比をトレーサーとする場合には、斜面ごとにその「高度効果」を求める必要がある。今回得られたδ18Oの空間分布から、箱根火山の場合大きく3つの斜面(西・南東・北東)に区分して検討を行うことにした(図参照)。流域平均標高と同位体比の関係から求めた地下水涵養線の高度効果は、やはり他の斜面と比べ西斜面でより大きくなることが判明した。また、地下水涵養線から求めた湧水の涵養高度とその分布状況から、暫定的ではあるが箱根外輪山斜面における地下水流動概念モデルを構築した。
     宮下(2009)は河川水・湧水のδ18Oは降水に比べ約2‰高くなることを報告しているが、これは降水の浸透過程における蒸発の影響によるものと考えられる(風早・安原,1994)。今回得られた地下水涵養線も降水線に比べ1.5~2.0‰高くなっており、平衡状態におけるレイリー蒸留過程を用いてその蒸発率を求めたところ、各斜面とも15%程度であることが判明した。
  • 大八木 英夫, HANG Peou, 塚脇 真二
    セッションID: 907
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに トンレサップ湖は、チベット高原東端の山岳地域に源を発する、広大な流域面積(795,000km2)を誇るメコン川の流域に位置する東南アジア最大の淡水湖である.また、同湖は、アジアモンスーンの影響により雨季と乾季とで、メコン川の水量の増減により、湖からメコン川へ湖水が流れ出る時期とメコン川から湖に水が流れ込む時期に分けられる。それにともなって湖面積は20,000km2から2,400 km2に、水深は約10mの差で周期的に変化する。すなわち、メコン川の水理特性と密接に関連しており、雨季にメコン川の水がトンレサップ川を通じて同湖に逆流し、湖水の水質に影響を与えているといえる。 本研究は、メコン川からの流入が明らかであるトンレサップ湖とその湖に流入するシェムリアプ川における水質の空間分布および季節・経年変化について報告をする。 2.調査概要 シェムリアプ川の源流域から下流域およびトンレサップ湖における観測を2004年11月より実施した。現地において、4.8アルカリ度法によりHCO3-を、その他の溶存主要成分については、実験室に持ち帰りイオンクロマトグラフ法によって測定を行った。また、一部のサンプルには硝酸を滴下し冷暗保存し、国立環境研究所においてICP-AESにて微量元素の分析を実施した。 3.結果および考察 トンレサップ湖の水位は、同湖から流入出するトンレサップ川とメコン川の合流点から約250kmの距離を2週間ほど遅れてピークが生じた。この時期は、メコン川が湖へ流入することが明瞭であり、河川水の水質が一年を通じてCa-HCO3型であった事からもトンレサップ湖の湖水の主要となる水がメコン川であり、湖の水質も河川水の逆流水によって特徴づけられた。 一方、湖水の乾季の水質特性は、Ca-HCO3型とNa-HCO3型の2つタイプが生ずることが明らかとなった。特に、湖北部の湖岸域では、無機溶存成分のうちNa+やCl-の占める割合が高いことが認められた。この要因は、乾季にはほとんど降雨がないため、メコン川からの逆流水がトンレサップ湖に流入するまで、湖水位の低下すなわち湖水量が減少する事により湖岸域に生活を営む水上生活者からの生活雑排水の混入の影響が表面化したと考えられる。この雨季と乾季の水位の季節変動が、トンレサップ湖の周期的な水質形成機構に大きく寄与していることが明らかとなった。
  • - 2009年4月~2010年12月の継続観測結果から -
    都筑 俊樹, 小寺 浩二
    セッションID: 908
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     近年、様々な地域で水質悪化などの水環境が問題となっているが、福島県の猪苗代湖も例外ではない。県中央に位置する猪苗代湖は、日本でも有数の面積を誇る湖沼であるが、本湖は大規模湖沼の中では水質が良く、透明度も高いことで有名で、古くから良好な水環境を保ってきたが、近年は著しい中性化や水質悪化が目立ってきている。そこで本研究では湖沼と集水域の長期的な水環境変化について、様々な水環境情報を整理し、最近の水質を継続観測することで、現状の問題点を明確にしたい。
    II 研究方法
     暖侯期の猪苗代湖の水質季節変動と流域の自然特性が明らかとなり(小寺ほか,2009)、さらに年間を通じた水文特性の一部も明らかとなった(都筑ほか,2010)。本研究ではさらに継続的な観測を続け、2009年4月から2011年3月にかけての2年間に渡り、継続的な現地調査を行い、その観測結果から、猪苗代湖および集水域における水質の水文特性を明らかにすることを目的とする。引き続き同様の調査項目・分析項目を実施した。
    III 結果と考察
    (1)集水域河川
     流入河川においては、湖北部の河川でECやDOCが高い地点が多く、特に高橋川や小黒川はDOCが非常に高く、これらの高負荷な湖北流入河川からの湖水への影響が年間を通じて大きいことが示唆された。暖侯期では水質変動の激しかった酸性河川の長瀬川だったが、寒侯期では比較的水質変動は小さく、水質変動が大きいのは取水量の多い暖侯期に強く見られる現象であることがわかった。また、水位が低いときには普段停滞している河川も停滞が解消されるなど、河川状況は猪苗代湖の水位に強く左右されることもわかった。
     水質組成を主要溶存成分から考察していくと、陽イオンでは北部の河川でイオン濃度が高く、特に牛沼橋(新田堀川)では濃度が非常に高い値であった。Cl-は湖北の河川で高い傾向があり、市街地の人為的影響が出ている可能性が示唆される。HCO3-とSO42-はpHと深い関係があり、強酸性である酸川橋(酸川)ではそれぞれ特徴的な値となっている。NO3-では他のイオンとは異なり、北部よりも南部の河川で高い傾向を示した。
    (2)猪苗代湖
     湖水の水質は、変動幅自体はやや大きいものの、月毎の値はあまり上下せず、河川水と比べるとどの値も比較的安定している。pHは6.6、ECは126μS/cmが観測期間の平均となっている。
     次に現地調査の水温鉛直データからその水温鉛直構造をみると、その鉛直プロファイルは暖侯期と寒侯期では大きく異なり、季節変化は大きい。全循環期は冬季の一度のみとなっており、年間最低水温は3.85℃程度であり、気温だけでなく、地温や地下水の流入の影響が比較的大きいことが示唆された。2009年度・2010年度は共に12月から1月にかけて循環器が訪れており、全循環期としては比較的遅い全循環湖であることがわかった。また、全循環期が訪れても水温が下がりきらずに循環している期間も多く、水温変動が遅いことがわかる。
    IV おわりに
     主に現地調査結果より、湖水の水温鉛直プロファイルの季節変化および年間変動が明らかになった。暖侯期と寒侯期では水温鉛直構造が異なることが示され、流域河川では北部の負荷が高いことが示唆された。
     今後もこれまで通り、年間を通した継続的な調査を続け、水収支や物質収支の観点からも考察を進めたい。
    参 考 文 献
    都筑俊樹・小寺浩二(2010):猪苗代湖および集水域の水環境に関する地理学的研究(2)-2009年4月~2010年12月の継続観測から-,2010年度日本地理学会秋季学術大会発表要旨集.
  • 人為的影響と回復過程の広域評価
    中坂 高士
    セッションID: 909
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    (はじめに) モンゴルでは,近年の乾燥化や人による森林利用の増加により,森林火災が頻発化しており,火災発生や火災跡地の植生回復程度を監視することの重要性が高まっている.ここでの火災は,地球観測衛星Terra/Aquaに搭載されているMODISセンサによりリアルタイムで検知され,位置や延焼域が精度は低いながらも特定されている.Farukhら(2007)はこのような火災発生の分布情報と火災発生時の気象データから,10日以上降雨がなく,実効湿度が35%以下のときに大規模火災が発生していることを示した. モンゴルの森林は水源を涵養したり,生活資源を供給したりするなど,地域住民の生活と密接に関わっている.このことは,ここでの火災を評価するにあたって人の森林火災への関与を考慮することが重要であることを示している.そこで本研究では,モンゴルにおける森林伐採と森林内での人の行動圏に着目したうえで,これらと森林火災発生との関係性を明らかにすることを目的とした.さらに, MODISデータよりも高解像度なLandsat衛星データを応用し,そこでの回復状況を広域的に評価した.
    (方法) 調査対象地はTuv県Batsumber郡のUdleg集落とその周辺である.ここでは過去数年間にわたって,火災と違法伐採により森林が著しく減少した.健全林,針葉樹林の火災跡地,白樺林の火災跡地にて20m×20mの方形区を計24か所設定し,火災跡地の方形区では枯死木や倒木の数と胸高直径,燃焼土壌の深さ,下層植生の被覆率,幼木の再生数を測定した.これらにより,焼損度合いや火災後の回復過程を評価した.さらに,切り株断面の炭化跡の有無によって,伐採が火災の前と後のどちらで行われたかを確認した.また,Landsat衛星データから森林火災跡分布図を作成した.さらに1999年~2010年までの各方形区における植生や土壌水分の変動をLandsat分光反射率の経年変化から推測した.
    (結果と考察) 針葉樹林の火災跡地では白樺林の火災跡地に比べ,土壌の燃焼量が多く,下層植生の回復は進んでいない.これは針葉樹の耐火性が低いため,土壌や下層植生に火がよく燃え移ったためであると考えられる.また,針葉樹林の火災跡地では伐採率が高く,88%の木が火災後に伐採されていた.人々は伐採に税金のかからない上,白樺よりも利用価値の高い針葉樹の枯死木を求めて森林へ侵入していると考えられる.また,森林火災跡分布図によると,火災跡地は車道近傍に広がっていることがわかった. Landsatデータで調査地域周辺の森林火災跡地面積を算出したところ,118km2になった.これはMODISデータで検出された草原・森林の焼損域(519.3km2)よりも狭く,森林の火災跡地のみを抽出したことを反映している.調査区における長期的な分光反射率をみると,2003年に特異な値がみられた.健全林と比べ,全ての火災跡地でBand4の値が7.6減少し,Band3,5,7でそれぞれ1.7, 1.3, 6.7上昇した.これは植生の消失と土壌水分の減少を示しており,2003年に火災が発生したと推測できる.さらに幼木数とNDVI値に有意な相関関係が認められ(R2=0.593, P<0.01),現在の回復過程を表す指標として用いることができる.これをもとに,調査地域周辺の火災跡地における幼木数分布図を作成し,植生回復過程を広域評価した.今後,現行のMODISデータによる迅速な火災検知に加え,Landsatデータによる精度の高い森林火災跡地の抽出と火災後の植生回復過程のモニタリングも進める必要がある.
  • 小野 智郁
    セッションID: 910
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    【はじめに】モンゴルでは1990 年代後半から牧民が利便性を求めウランバートルの近郊に集中しており,土地の過剰利用による植生劣化が懸念されている.また,1990年代前半から国営農場の閉鎖が相次ぎ,耕作放棄地が急増している.放棄後も植生が回復せず,放牧地として利用できない状態になっている.
     Hirano (2007)は衛星データから得られるNDVI(正規化植生指数)を植生量と解釈し,モンゴル全域のなかで大都市近郊や耕作地・耕作放棄地で植生劣化していることを明らかにしている.また,Hoshino(2009)はウランバートル近郊の冬営地周辺において家畜頭数と植物の生活型(一年草・多年草)の関係に着目し,家畜頭数が多いほど一年草が増加すると報告している.しかし,これらの先行研究は都市近郊の植生劣化を単一な基準でしか評価しておらず,耕作放棄地や夏営地周辺での植生動態までには論及していない. Sasaki et al(2007)は典型草原から乾燥草原にかけて,冬営地など集中的な攪乱を受けている放牧地において,植物の生活型と機能型を組み合わせ,家畜の嗜好性に応じた基準から植生劣化を明らかにした.彼らは,植生の質的変化を把握するには複数の指標を用いて評価することが重要であると論じている.
    そこで本研究はウランバートル近郊草原において,多様な土地利用(_丸1_放牧形態_丸2_夏営地_丸3_耕作放棄地)に応じた植生劣化の実態を複数の指標(植生量・植物の生活型・植物の機能型)と家畜の嗜好性に基づいて評価する.

    【方法】ウランバートル南部の典型草原Altanbulag (以下:AL)と北部の森林草原Batsumber (以下:BA)にて, 2008年7月,2009年8月に現地調査を実施した.現地調査は植生調査(種の同定・被度・草丈)と分光放射計測を行った.植生調査データは植物の生活型(一年草・多年草・潅木),植物の機能型(Grass・Forb・Sedge・Sage・Legume),家畜の嗜好性(高・低・非)に分類した.さらに,植生データと分光反射データから植生量(被度・植物体積・NDVI)を算出した.この他に,衛星データ(Landsat5/TM)を使用し1989‐2006,2006‐2010年間でAL,BA全域におけるNDVIの変動分布図を作成した.

    【結果と考察】_丸1_放牧形態と植生動態:ALでは移動放牧,BAでは半定住放牧がされている.ALとBAの現地植生を比較した結果,ALでは攪乱後に発生する一年草の割合が有意に高く,そのほとんどが非嗜好性植物かつ植生退行指標種であった.その一方,BAでは種数,多年草,Forb(イネ科以外の草本)の割合が有意に高かった.2006‐2010年のNDVI変化分布図によると,ALとBAの両地域において宿営地,河川,集落周辺で植生が劣化していた.以上より,ALでは攪乱の影響が現れやすいため,牧民草原への負荷を分散させる移動牧畜を選択していると考えられる.BAでは比較的湿潤であり攪乱の影響が現れにくいため,半定住する酪農牧畜や農耕業を営む牧民が多いと考えられる.ウランバートル近郊草原では,その土地に適した放牧形態がとられているが,土地利用頻度の高い場所や夏営地周辺で植生の劣化が起きている. _丸2_夏営地周辺の植生動態:ALの夏営地近隣で一年草Sage(Artemisia adamsii)や一年草Forb(Chenopodium sp.)の非嗜好性植物が優占し,植生量が夏営地近隣で減少していた.BAの夏営地近隣では高嗜好性植物のSedge(Carex duriuscula)が優占し,夏営地近隣で植生量が減少していたことから,Sedgeが植生退行指標種であると考えられる.また,調査を行ったほとんどの夏営地周辺で植生が劣化していた. _丸3_耕作放棄後の植生動態:放棄後8年経過した草原では,高嗜好性植物の割合が0%であり,一年草Forbが放棄地で優占していた.また,植生量は非耕作地に比べ少なかった.放棄後15年経過した草原では,放棄地と非耕作地を比較すると,高嗜好性植物の割合にほとんど差がみられなかった.また,放棄地での植物量は非耕作地より値が上回っていた.さらに,NDVI変化分布図によると,両耕作放棄地で植生が回復していた.これらから,放棄後15年経過した草原では植生回復がみられたが,放棄後8年経過した草原では植生が回復過程であり,耕作放棄され植生回復するまでに時間を有すると考えられる.
  • 太田 遥
    セッションID: 911
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    【背景および目的】ブラントハタネズミ(Microtus brandti,以下ハタネズミと略)は,内モンゴルからモンゴルにかけて広がる乾燥草原に生息している.草丈が低い草地を生息域とすることから,過放牧で荒廃した草原に侵入し,更なる草原劣化を引き起こすとされる(Zhong et al,1999).さらに食性が家畜のそれに類似し食糧競合を引き起こすことから,害獣として駆除の対象となっている(Haцaгдopж, 2009).その一方で,ハタネズミは土壌層の攪拌や,土壌養分を増加させることにより,草原の更新・回復を促進している(Samjaa et al, 2000).遊牧民は草原を持続的に利用していくために,このようなハタネズミの草原生態系における役割を理解したうえで,ハタネズミとの共存体制を築いていく必要がある.
     ハタネズミは集団営巣地(コロニー)を形成するが,その形状はハタネズミの生活史に応じて変容し,同時にコロニー周辺部の植生動態も変容していく.本研究の目的は,ハタネズミによる草原の更新・回復過程を理解するために,コロニー周辺部の植生遷移を明らかにすることである.

    【方法】コロニーが形成されてから放棄されるまでの時間軸に沿った植生の遷移段階を明らかにするために,123か所のコロニーで植生調査(種毎の個体数・植被率・植生高)を行った.さらにコロニーの形状(面積・巣穴の数・マウンドの高さ・露出土壌の割合)を測定した.後者のデータを用い,クラスター分析でコロニーを時間軸に沿った4つのステージと対照区の計5ステージに分類した.植物種は生活型組成を基準に,1年生草本(2年生草本も含む)と多年生草本,またイネ科とヒユ科に分類した.また,ハタネズミおよび家畜の食用植物と非食用植物にも分類した.各コロニー内での生育種の同定後,植物種毎に積算優占度および植物量として用いられる体積近似値を算出した.さらに,植物群集内の多様性の変化や,種構成の均一性,遷移の度合いは多様度指数,均衡度指数,遷移度になどより評価した.

    【結果及び考察】コロニーはステージ0(対照区:コロニーの形成なし)と形成されて間もないステージ1,活発に利用されているステージ2,越冬にも用いられているステージ3,そして放棄される寸前のステージ4に分類された.ステージ0とステージ4を比較し,以下の結果を得た.ステージの進行に伴い植被率は約2倍,植生高は約4倍,植物量は約6倍に増加した.一方で種数は約半分に減少した.多様度はわずかに減少したが,均衡度には変化がみられなかった.遷移度はステージの進行に伴い低下した.1年生草本の植物量はステージの進行に伴い増加したが,多年生草本では,変化は見られなかった.ハタネズミの食用植物の個体数および植被率は減少した.一方で草丈は各ステージ間で有意差がなかったことから,ハタネズミの食用植物である多年生草本は,草丈が変わらずに密度が減少したことが示唆される.この理由として,ハタネズミの食用植物は多年生草本であり,根まで食べられることにより越冬することができずに枯死したことが考えられる.ハタネズミがコロニーを利用するに従い,植物群落を構成する主な種は,多年生草本かつ家畜の食用植物が優占した群落から,1年生草本かつ家畜の食用植物が優先した群落へと推移した.これは,多年生草本がハタネズミによる土壌の撹乱に耐えられなかったためと考えられる.また,家畜とハタネズミの共通の食糧であるイネ科草本の植物量は減少したが,家畜の全食用植物は7倍にまで増加していることから,ハタネズミによる遊牧への弊害は少ないと考える.本研究によって,ハタネズミの生活段階と植生の遷移段階とが対応付けられた.この対応関係は,ハタネズミの活動域を避けて放牧したり,ハタネズミの個体数を適切に維持したりするなど,人とハタネズミが共存していく上での有効な判断材料となりうる.
  • カルナータカ州を事例として
    木本 浩一, アルン ダス, 辰己 佳寿子
    セッションID: 912
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに インド環境森林省は、2010年8月31日、ゾウの保護に関する包括的な報告書Gajah-Securing the Future for Elephants in Indiaを発表した。この報告書は、ゾウに「国家遺産動物 National heritage animal」としての地位を与えるもので、国際地理学連合(IGU)でも最新ニュースとして取り上げられた(2010年11月7日、HPにアップ)。 インドにおける森林経営が大きな転機を迎えたのは、1990年代のことであった(木本:2008)。いわゆる住民参加型森林経営の一種として導入された「共同森林経営Joint Forest Management (JFM)」は、本格導入から10年を迎えようとしている地域が多く、ようやく実際に住民と森林局とがどのように利益配分を行うのかといった「成果」についての議論や活動が始まろうとしている。 現在、インドの森林地域では、以上の他に、都市化や農民のよる入植、ホットスポットの指定など、さまざまな事象がみられる。ただし、ここで注意しなければならないことは、個々のイシューや事象を「地域」という枠組みでみていかない限り、その評価が難しいということである。つまり、先に触れたゾウ問題は、森林をゾウに特化・純化した地域として認定してしまうために、そのことに付随する多くの問題を現象させてきた。また、各種の線引きが為される中で、そもそも森林とは何か、という基本的な問題が喫緊の課題として噴出してくることになった。 2.研究の目的と方法 以上を踏まえ、本報告では、植民地化や独立後の工業政策のもとで実施された森林伐採とは異なる、農民による森林開発の実際について、カルナータカ州マイソール県フンスール郡周辺地域を対象として、検討したい。 農民の入植、開発には2つのタイプがあり、まず遠方から富裕な農民が入植する場合と、次に周辺的な貧しい農民が開拓する場合とにわけられる。
  • 山科 千里
    セッションID: 914
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    サバンナ植生の動態過程のひとつとして,パッチ状の植生が形成され,変化していくというパッチ動態がある.パッチ状の植生を生み出す要因としては,降雨の偏在や地形,水分や養分の不均一な場があげられている.アフリカのサバンナ地域では,数十m単位の島状地形みられ,その上に特異な植生が形成されることが報告されている. 本研究の目的は,ナミビア北東部,モパネ植生帯にみられる島状地形に注目し,その上に形成される植生の特徴を明らかにし,成因を検討することである.調査は2009年10月から12月と201011月から12月の約5ヶ月間行った.  本調査地の植生は,_丸1_マメ科ジャケツイバラ亜科のモパネ(Colophospermum mopane)が優占する“モパネウッドランド”,_丸2_マメ科のDichrostachys cinereaが優占する“アカシアパッチ”,_丸3_サルバドラ科で常緑のSalvadora persicaを始め多くの特有の出現樹種をもつ“島状地形のパッチ”,_丸4_その他の4つに分類された.それぞれの植生の分布をみると,モパネの優占する植生が地域を広く覆い,その中に_丸3_や_丸4_のような植生が数十m単位でパッチ状に分布していた.アカシアパッチは特に河川沿いなどに分布する傾向がみられた. 調査地では43種の樹木が出現し,そのうち23種は島状地形のパッチ(_丸3_)にのみ出現した.常緑樹であるSalvadora sericea,Capparis tomentosaやCordia spp.,Grewia spp.などの低木はシロアリ塚にのみ出現し,果実をつける樹種が多い傾向もみられた.林床に堆積した種子は,隣接するアカシアパッチの8倍(重量比)であった.このパッチでは,その他の植生に比べ樹木密度が2倍以上高いことが特徴であった. _丸3_の地形は直径20-40m,高さ2‐5mほどの島状になっており,その上に小さな塔状のシロアリ塚が形成されているものもあった.塔状のシロアリ塚にはキノコシロアリ亜科のMacrotermes sp.がみられ,そのほかにもTrinervitermes sp.などがみられた. また,_丸3_ではマングースやツチブタ(Aarvark)によって形成された径20‐100cm,深さ20-200cm以上の穴やこれらの動物やアンテロープの一種であるSpringbok,ゾウのフンなど多くの動物痕が観察できた.ゾウのフンにはマメ科のAcacia eriolobaやDichrostachys cinerea,バオバブ(Adansonia digitata),ヤシ科のHyphaene petersianaなどが含まれており,そのうちAcacia eriolobaの17%,Dichrostachys cinereaの5%が発芽していた.  以上から,本調査地のモパネウッドランドにおいて,島状の地形は,樹木の密度や種数の多い特有の植生パッチを形成していた.この特異な地形はシロアリによって形成され,その後様々な生物の作用を受け現在の形になっていると考えられるが,これについては今後の課題である.島状地形では特に、常緑樹や鳥や草食動物の餌となる種子をつける樹木が多く,多数の動物痕もみられた.したがって,動物や昆虫の採食地として利用され,これらの動物が種子の散布を助けていると考えられる.また,島状地形の上には周囲に比べ多くの種子が堆積し,実生の生育も多数みられたことから種子の発芽・定着にも適した場所であると考えられる.これは,この地域が雨季に一帯が水浸しになるということと,島状の地形的な特徴によって植物の種子・実生の避難場所となり,多くの樹木が生育し特徴的な植生を形成している. 本研究は、日本学術振興会科学研究費(特別研究員 No.21・4226)助成によって実施されました.
  • 沖津 進
    セッションID: 915
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    本州中部日本海側山地亜高山域を対象として,それを構成する主な植生を取り上げ,極東ロシア沿岸,海洋域の対応植生との植生地理的関係を議論した.亜高山域は高木林域と低木林域から構成される.高木林域の主要植生はオオシラビソ林,ダケカンバ林,広葉草原(お花畑),偽高山植生,低木林域の主要植生はハイマツ低木林,雪田植生,風衝植生,荒原植生である.偽高山植生を除く7タイプの主要構成種の組成や分布地理を検討した.重複も含めた分布地理を見るとオホーツク沿岸型が5タイプ,東シベリア型が3タイプ,環北太平洋型(ベーリング要素型)が2タイプ,周北極型は1タイプであった.日本海側山地亜高山植生は太平洋北部の湿潤気候に分布の本拠を置くことがわかる.これらの植生地理的議論から,最終氷期の亜高山植生は,現在推定されている状態と異なり,湿潤気候要素が地形的すみわけをしながら点在分布し,それらのレフュージアとなっていたことが想定される.
  • 新井 教之, 吉田 圭一郎
    セッションID: 916
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _I_ はじめに  新潟県・福島県・山形県の境に位置する飯豊山地は,「偽高山帯」(四手井,1952)を持つ山として知られ,針葉樹林帯を欠き,代わりにササや「お花畑」が広がる.1950年に磐梯朝日国立公園,1992年には森林生態系保護地域に設定され,豊かな自然が維持されている.しかし,近年,飯豊山地周辺の日本海側の山岳において気候変動に伴う植生変化が報告されている(安田・沖津2006).今後,ますます気候変動の影響は顕在化していくと考えられるなかで(IPCC 2007),保全の観点からも原植生を記載することの意義は大きい.そこで本研究では,飯豊山地山稜部の「お花畑」において植生調査を行い,現在と1968年の植生調査資料の比較を行った.その結果得られた40年間の「お花畑」の種組成変化について報告する. _II_ 調査方法  本研究では,飯豊山地山稜部の44地点の「お花畑」においてBraun-Blanquet(1964)の植物社会学的方法により出現植物名と被度階級を記録した.調査地点の標高,傾斜方位,斜度に加え表層土壌の様子や周辺の植生についても記録した.得られた組成資料はDCAを用いて序列化した. 40年前と現在の種組成を比較するために,調査地点ごとの類似度を比較した.また,変化のパターンと要因を明らかにするために,地形条件や気象条件(気温,降水量,積雪量,積雪期間)においても検討を行った.気象データは3つの雨量観測所(杁差1,164m,池の平1,050m,中峰1,400m)と飯豊山麓の5つの気象観測所(喜多方212m,桧原824m,小国町140m,高峰250m,津川100m),奥胎内ダムのものを用いた. _III_ 結果と考察  過去40年間で飯豊山地を取り巻く気象条件に大きな変化は見られなかった.しかし,DCAを用いて40年前と現在の「お花畑」を比較した結果,種組成の変化が認められた(図1).ハイマツ,ガンコウラン,アオノツガザクラ,ウラシマツツジ,チシマザサの出現頻度が増加し,シラネニンジンやイワカガミの出現頻度が低下した.コミヤマカタバミ,タテヤマスゲが見られなくなり,タカネナデシコ,ミヤマキンポウゲが新たに確認された.こうした種組成の変化の程度は標高に沿って異なり,標高が低いほど種組成の変化が大きかった.また,風の影響を受けにくいと考えられる風背斜面や線状凹地,雪田においても種組成の変化は大きく,高標高域の風衝地では最も種組成の変化が小さかった.これらのことから風が種組成変化の差に大きく関与していることが示唆された. 飯豊山地の種組成変化は気候以外の要因が植生変化に影響を与えることを示唆する.
  • 小川 滋之
    セッションID: 917
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    研究の背景と目的:東日本太平洋側の落葉広葉樹林では,シラカンバBetula platyphylla var. japonicaやミズメB. grossa,ヤエガワカンバB. davurica,オノオレカンバB. schmidtiiなどのカバノキ属樹木が多く分布する.この中でも,シラカンバ,ヤエガワカンバ,ミズメは個体生長が早い樹種であり,地すべり地や火山麓扇状地などの開放地の出現に依存して林分を維持する機構が報告されている.しかしオノオレカンバはシラカンバなどとは異なり,個体生長が遅く寿命も長い樹種特性を持つ.この樹種は,急峻な尾根や岩角地に分布することから調査が極めて困難なため,林分が形成される立地環境や維持機構については明らかではない.本報告では,オノオレカンバ林が形成される立地環境と維持機構を考察する. 調査地・方法:調査は秩父山地の城峯山天狗岩(標高969.2 m)で行った.天狗岩は秩父中古生層の層状チャートによる急峻な地形である.周辺地域ではコナラが優占するが,天狗岩はオノオレカンバやヤシャブシが多い.この地域においてオノオレカンバ林の構造を明らかにするために植生調査を行い,林分の立地環境と維持機構を明らかにするために傾斜,土層の厚さ,個体サイズ分布の調査を行った.比較のためにコナラ,ヤシャブシも同時に調査対象とした. 林分が形成される立地環境:オノオレカンバは,急峻な尾根の中でも露岩上の比較的平坦な区域に分布していた.急斜面の区域や土層が厚い区域では個体数は少なかった.急斜面の区域ではヤシャブシが多く,土層が厚く平坦な区域ではコナラが多く分布していた.これらのことから,オノオレカンバはヤシャブシとは異なり,個体寿命が長く生長が遅い樹種特性のため,急斜面では幹の損傷や根返りなどにより成木まで生育できずに枯死する.土層がある区域ではコナラが優占するため被陰される.成木まで十分に生育できる立地環境として,オノオレカンバは急峻な尾根の露岩上に林分を形成していると考えられる. 林分の維持機構:オノオレカンバは,比較的土層が厚い区域(厚さ11~30cm)では大径木(直径15cm以上)が多く,小径木(直径15cm未満)と稚樹(樹高2m以下)は少なかった.土層が薄い区域(厚さ0~10cm)では,稚樹から成木(小径木)まで多く分布していたが,大径木は少なかった.このことからオノオレカンバ林の維持機構は,土層が厚い区域と土層が薄い区域での2タイプあると考えられる.土層が厚い区域では,これまでに報告されているカバノキ林に近い特徴があり,林冠ギャップの出現に依存して林分が維持されていると考えられる.土層が薄い区域では,矮性化した疎林の中で稚樹から成木までみられることから,順次更新することで林分が維持されていると考えられる.
  • 仲尾 剛
    セッションID: 918
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I はじめに
     1888年7月15日,福島県磐梯山で水蒸気爆発が起き,山体北側に直径2kmを超える爆発カルデラが形成された.失われた山体は岩屑流となり,山麓に無数の流れ山を形成した.2010年現在,爆発カルデラ内への植物の侵入は進んでいるが,アカマツの高木林からシラタマノキ群落まで,様々な植生景観が形成されている.磐梯山爆発カルデラ内の多様な植生を,地形・表層地質の分布・変遷との関連に注目し,地生態学的視点から検討した.
    II 調査方法
     地形分類図,表層地質図,相観植生図を作成し,それぞれの分布を比較した.また,地域による遷移開始時期の違いや,遷移の進行を考察するため,調査地域内で広い範囲に及ぶ4つの植生で,各植生共通の先駆樹種と判断したアカマツの胸高直径・樹高・樹齢を測定した.
    III 多様な植生の形成過程
     得られた調査結果と文献より,爆発カルデラ内の多様な植生が形成されるまでの,以下のような過程が考えられた.
     1888年の山体崩壊により,裏磐梯の植生は破壊され,広大な裸地・荒原が形成された.その後,1910~1919年に桧原湖周辺でアカマツの植林が行われたが,その地域,もしくは被害を受けなかった地域からアカマツの侵入が進み,本研究の調査地域にはアカマツが初期に分布したと考えられる.それが成長して,現在のアカマツ高木林を形成したとみられる.本研究で得られた,アカマツ高木林の樹齢最高値69年という結果は,これと矛盾しない.
     1954年に,一ヶ月以上数次にわたり,カルデラ崩壊壁の南西部が崩れ,崩壊物はカルデラ内を広く覆った. 一次の崩壊物は,銅沼の泥水と混じり,銅沼北部で泥を混入して広がったと考えられる.かつての銅沼は,崩壊壁北東端の崖下付近まで広がっていたが,1954年山崩れにより埋没され,現在の面積になった.銅沼の泥が混入した崩壊物上には,オシダ-アカマツ亜高木林,ヤシャブシ林が成立した.
     1954年山崩れは,崩壊ごとに,運搬される物質の到達距離や種類に違いがあったと考えられる.爆発カルデラ内北東から南にかけて分布する,岩塊を多量に含む黄褐色火山砕屑物は,山体の火砕岩によって構成される部分からの物質供給が主であった可能性が考えられる.ここにはシラタマノキ-アカマツ低木疎林が成立した.崩壊壁直下の,安山岩の岩塊が集積する地域には,ミヤマハンノキ疎林が成立した.
     オシダ-アカマツ亜高木林,シラタマノキ-アカマツ低木疎林で測定したアカマツの最高樹齢は,それぞれ56年,42年であり,成立が1954年の山崩れ以降であることを支持する.
     切り立った崩壊壁や崖錐,火山砕屑物堆積斜面は,斜面下部への土石の供給が盛んであり,カルデラ内東側を主として扇状地・氾濫原が発達し,1954年山崩れの崩壊物を覆っている.扇状地堆積物上には,礫・砂を多く含む地域ではアカマツ-カラマツ低木疎林,泥質の地域にはススキ草原が対応して分布する.地形の変遷との関連から,これらの植生は調査地域の中でも比較的新しく形成されたと考えられる.このことは,アカマツの樹齢を調べた4つの植生の中で,カラマツ-アカマツ低木疎林が最高値,平均値ともに最も低いという結果が支持する.
  • 福地 慶大
    セッションID: 919
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに 黒斑山は浅間山の西部に位置し,約2.3万年前に火山活動が終了した浅間山の外輪山である.黒斑山は2.3万年以前にできた古い火山体であるため,植生遷移が進めば極相林(本地域ではシラビソ,オオシラビソ林など)になるはずである.しかし,黒斑山西斜面の数ヶ所には,クロマメノキ・ガンコウラン・コケモモなどの遷移初期にあたる植生が存在する.また,そこは岩塊地・砂礫地(以下このような場所を砂礫地と呼ぶ)になっており,その周辺部には樹高が低く偏形したカラマツが生育している.このことから,比較的近い時期に何かしらの小規模な撹乱があり,小規模ギャップ(砂礫地)が形成されたと推定される.本稿では,この砂礫地の形成時期及び形成要因を地形・地質・砂礫地の分布とカラマツの樹形・樹高・胸高直径・樹齢などの調査から検討した. 2.研究方法  1947年(米軍撮影,縮尺4万分の1)と2006年(国土地理院撮影,縮尺2万分の1)の空中写真を用い,砂礫地の分布・植生分布を比較した.また,砂礫地の分布・礫径・風化被膜の調査と砂礫地周辺のカラマツの偏形樹の樹形・樹高・胸高直径・樹齢の調査を行った. 3.結果・考察 3-1.黒斑山の砂礫地の分類 黒斑山西斜面に存在する砂礫地は,地形・礫種・礫径・風化被膜などの違いからA(Loc.1~3),B(Loc.4),C(Loc.5・6),D(Loc.7・8)の4つに分類した.Aは傾斜が緩やかで,比較的大きな岩塊が見られ,礫種や風化被膜の厚さが似ている.また,大きな岩石に流理構造がみられることから,局地的な火山活動があったと推定できる.Bは傾斜がやや急で,黒斑山の活動期のものである岩石が見られ,比較的小さな傾向にある.  Cは傾斜が急で,岩石の大きさ・風化被膜の厚さが似ている.また,尾根から谷筋にかけての移行帯にあたる.Dは傾斜が緩やかで,岩石の大きさと風化被膜の厚さが似ている. 3-2.カラマツから推定される砂礫地の形成時期 1947年と2006年空中写真を比較すると,植生の遷移が進み,砂礫地の分布範囲が縮小し,地形・傾斜の違いにより遷移の速度が異なることが明らかになった.カラマツの偏形樹の樹齢は一番古いもので,186年になるものが存在する.富士山の宝永火口・御庭では,カラマツが定着するまでに約100~300年要しており,この砂礫地周辺では約300~400年くらい前からカラマツが定着し始めたと考えられる. 3-3.砂礫地の形成要因 砂礫地の形成要因は詳細には明らかにならなかったが,小規模な火山活動(水蒸気爆発・噴気・噴火),侵食に伴う土砂の移動などの複合的な要因が考えられる. 4.おわりに 黒斑山は約2.3万年以前に火山活動を終えた火山だと思われてきたが,遷移初期にあたる植生の存在から,ごく最近の時期(約300~400年前)に小規模な火山活動をした火山であると考えられる.このように比較的最近の時期に火山活動があった可能性がある限り,火山防災上,砂礫地の成因を明らかにしておく必要がある.また,このような火山植生から火山活動を検討することは他の火山でも行なうことが可能であり,火山活動史を議論する際,岩石など地形・地質的な観点からだけではなく,植生の遷移及び先駆植生の分布も含めて議論を行なうことによって,火山の噴火史をまた違う視点から見直すことができるかもしれない.
  • -仙台市北西部、泉ヶ岳周辺を例に-
    西城 潔, 松林 武, 森下 信人
    セッションID: 920
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに わが国では、1950年代末の燃料革命以降、丘陵地・台地に分布する二次林の薪炭林利用が急速に衰退した。その結果、人為の及ばなくなった二次林では、植生遷移が進行しているといわれている。しかし燃料革命から半世紀以上を経過した現在でもなお、二次林には、それ以前の人為の痕跡を認めることができる。そのような痕跡を読み解くことにより、過去の人為と自然との関係や、人為が景観形成にはたした役割をより詳細に論じることが可能となろう。 本発表では、仙台市北西部に位置する泉ヶ岳(1172m)の周辺を例に、微地形および森林景観に認められる過去(おそらく大正~昭和初期)の木炭生産の痕跡について報告する。 2.調査地域の概要  泉ヶ岳は船形火山群に属する第四紀火山で、地形的には奥羽脊梁山脈の東端に位置する。泉ヶ岳の東方には背面の標高300数十m程度の丘陵地が広がっており、この丘陵地上に広がる二次林は、藩政時代から木炭生産に利用されてきた。泉ヶ岳南東麓に位置する旧根白石村の資料によれば、木炭生産は明治以降急増し、1930(昭和5)年~1935(昭和10)年頃の生産量は年間20万俵前後に達した。この時期を最盛期とし、以後、生産量は減少に転じることとなる。とくに1950年代中期(昭和30年頃)以降、生産量は急減する。ただし本地域では、燃料革命以後も複数名が木炭生産を行っており、2010年末現在、少なくとも2名が継続中である。 3.泉ヶ岳周辺における過去の木炭生産の痕跡 (1)炭窯跡 過去に木炭生産が行われていた場所では、いまなお炭窯の跡が微地形として認められることがある。調査地域周辺で使われてきた炭窯の形態や大きさを参考に炭窯跡の認定基準を設定し、現地でその分布を調査した。その結果、泉ヶ岳山麓では標高790m付近まで多数の炭窯跡が分布することがわかった。その時代は、文献や聞き取り調査の結果、炭窯跡に生育する樹木の樹齢から、1920~1940年代、すなわち大正~昭和初期頃であったと考えられる。この時期は、上記の木炭生産量の増大期に当たる。 (2)森林景観  現存植生図によれば、泉ヶ岳周辺にはミズナラを主とする落葉広葉樹林やスギ・カラマツなどの植林地が分布する。植林地が分布することは、植林に先立って無樹木地が広がっていたことを示唆する。また広葉樹林に覆われる2つの炭窯跡A(標高610m)・B(標高790m)の周辺において、ライントランセクト法による樹木調査を行った。泉ヶ岳南斜面に位置する炭窯跡Aの背後斜面は、ミズナラ・アカマツ・マンサクを主とする広葉樹林に覆われている。約3割の樹木が株立ち樹形を呈しており、極相樹種と考えられるブナはみられない。また泉ヶ岳北方に位置する炭窯跡Bの周辺では、窯跡を中心に10数~20数mほどの範囲にはウダイカンバなどの陽樹からなる林分が成立し、その外側にブナが多く分布する。そのブナの中には、胸高直径が1m弱に達するものもみられる。聞き取り調査によれば、泉ヶ岳周辺の炭焼きの際、1町歩につき3本程度のブナを母樹として伐り残したとのことであり、そのような伐採施業上の措置を示唆するものかもしれない。 4.まとめ 炭窯跡の特徴(分布・時代)から、泉ヶ岳周辺では大正~昭和初期頃、木炭生産のための伐採が標高800m付近まで及んでいたことがわかる。現在もみられるスギ・カラマツ植林地は、木炭生産のための伐採跡地を利用して作られたものであろう。それ以外の場所は、伐採後、広葉樹林に覆われるようになるが、いまなお森林の種組成や樹齢構成に、伐採およびその後の遷移の過程、伐採施業上の配慮といった痕跡を認めることができる。
  • 淺野 敏久
    セッションID: 921
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに  韓国で大きな環境問題論争を引き起こしたセマングムとシファの干潟開発に関して,報告者らは2003年より,断続的に利害関係者等への調査を行ってきた。その結果の一部を浅野ほか(2009)として報告したが,今回の報告では,そこでも述べたようにセマングム干拓反対運動が,堤防閉め切り直後から,急速に縮小したことに関連して,日本の状況とは対照的に異なる「その後」の状況を,同様に環境悪化が問題になったシファ開発の現状とあわせて紹介することにしたい。 2.シファ湖の「その後」  韓国の西海岸は干潟が発達し,1960年代から政府によって積極的に干拓事業が進められてきた。そこでは食料増産,住宅開発,産業団地開発などが行われてきた。一方で,環境への関心の高まり,民主化後の環境市民運動の隆盛などにより,大規模な自然改変をともなう開発に対して環境面から問題視する動きもみられる。  シファ干拓は,干拓事業が環境への悪影響を及ぼすことを人々に知らしめる転機になった開発事業である。農地や工業団地開発のために,約1.3万haの干潟を干拓し,約4千haの海面を閉め切って淡水湖にする計画が立案された。1994年までに防潮堤が建設され,湖は海から閉め切られた。水門が閉められると湖の水質が急速に悪化し,農業用水源として使えないばかりでなく,悪臭被害や沿岸農地に風の塩害をもたらすなどした。結局,淡水化による水資源開発をあきらめ,水門を開いて海水を流入させることになった。  しかし,シファ湖では,水資源開発を断念し水門を開いたという話では終わらず,海水流通のために堤防を開削し,そこに潮力発電施設を建設するという計画がたてられ,実際に建設された。さらに,干拓地には風力発電施設の建設も検討され,当該地域の干拓計画は,自然エネルギーを用いる「環境に配慮した持続的開発」として,工業団地開発,都市開発,リゾート開発が進められつつある。大規模開発による干潟の環境問題震源地は,エコロジカルな産業開発予定地という場所になっている。 3.セマングムの「その後」  セマングム干拓は1991年に着工された。33kmの防潮堤を築き,その内側に約3万haの新しい土地と1万haの淡水湖をつくる計画で,当初は農地開発を目的としていた。シファ湖の環境悪化問題が社会的関心をひいたことで,セマングム干拓も大きな社会問題となった。地元の漁業者や市民にとどまらず,全国レベルで環境団体その他市民団体や研究者らが計画への疑念を表明し,反対運動が拡大した。反対運動のピークは2003年の三歩一拝行進が行われた頃で,反対派と事業推進派のそれぞれの示威活動が活発に繰り返された。2006年には堤防がつながり広大な干潟は外海から遮断されてしまった。非常に活発であった全国的な反対運動は,その後,急速に縮小してしまった(関心と運動資源を他の開発事業に向けてしまった)。  反対派の運動が縮小してしまうと,推進派の一極であった全羅北道は国への開発推進圧力を強めた。2007年にはセマングム開発を推進するためのセマングム特別法が制定され,2010年には防潮堤が完成するとともに,セマングム総合開発計画が確定した。そもそもは大規模な農業用地を開発する干拓事業であったセマングム開発は,その事業の中心を工業・都市開発および観光開発を行う内容に変わった。ここでも再生可能エネルギーを利用した親環境的な「持続可能開発」を行うことが志向されている。 4.おわりに  2010年末に福岡高裁判決を受け,諫早湾干拓事業地での閉め切り堤防の開門調査が行われることになった。セマングムと諫早湾では水門の閉め切り・開放を求めて,同じ時期に裁判が行われ,いずれも原告勝訴の判決が出され,その後の展開が注目された。日韓の運動関係者等の相互訪問や連携も活発になり,両者は対比して議論されることも多かった。しかし,わずか数年しか経っていないのに,諫早では地道な運動が継続され,開門調査にまでつながりそうなのに対して,セマングムでは開発への反対運動はほぼ影を潜め,むしろ逆にセマングム開発は,21世紀に誇る地球環境に優しい「韓国の緑の希望」と喧伝されるに至っている。この差がなぜ生じるのか,この差がもつ意味は何なのか,議論を深めることが望まれる。ただし,今回の報告では韓国の状況を報告するにとどめ,論点の洗い出しや着眼点の整理を行いたい。
  • 竹本 弘幸
    セッションID: 922
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _I_ はじめに 八ッ場ダム建設に伴う川原湯代替地:上湯原地区は,川原湯温泉再生の要として重要な移転先である.この地区の地形は,やや開析を受けた円弧状の急崖と前縁に広い堆積面を有する緩斜面である(図1).中村(2001)によれば,吾妻渓谷で貴重な土地ながら土砂崩れと落石が頻発することから,畑地利用が出来ず雑木林になっているという.この地を所有する豊田氏らの証言でも,過去に何度か土砂災害を体験・目撃しているとのことである. この地区は,国から地すべり調査の委託を受けた会社の報告でも,地すべり危険地帯22箇所の内の一つに挙げられている. 一方,国交省では上湯原地区は地すべり地形ではなく河川の蛇行地形で,裏付けとして地質断面図を公開していた(図2). 本発表では,代替地の安全確保と防災上の視点から,2つの全く異なる見解について検証するために実施した文献および現地調査の結果を報告する. _II_ 長野原町・群馬県・研究機関ほかの資料検証 久保他(1996)は,上湯原地区を吾妻川の最高位段丘とし,応桑岩屑なだれ堆積物(OkDA)を崖錐堆積物が厚く覆うこと,中村(2001)は,同地区全体を覆う複数の崖錐堆積物の存在と昭和の土石流災害を報告している.倉沢(1992)「川原湯新温泉源の開発」の地質断面図では,OkDAが7mの崖錐堆積物を挟んで上下2層(群馬県,1991)に分かれていることを図示している(図3). 2009年公開(独)防災科学技術研究所の全国地すべりマップによれば,上湯原地区は背後の円弧状急崖を滑落崖とし,2つの地すべり斜面移動体で構成されていることを明らかにしている(図1).竹本(2010)は,OkDAの堆積面高度が対岸の立馬に比べ30m以上低下した地すべり塊であることや河川局が公開した地質断面(図2)の誤りを指摘している.いずれの報告もOkDAが流下後,時間を置いて再移動した事実と上湯原地区の全体を覆う大規模な土砂災害が起きていたことは明らかである. _III_ 国交省の蛇行地形と(独)防災研の地すべり移動体の検証 次に,上湯原の災害履歴の検証結果を図4に示す.地点1(新駅建設地上)では,OkDA以降5回の大規模災害が発生した.地点2では,尾根地形直下から複数の地点で湧水が観察でき,群馬県(1991),倉沢(1992)の報告も同じである.上湯原でOkDAの堆積面高度が大きく低下し,層厚10m以上の崖錐堆積物が全域を覆った事実は,防災対策を考える上で重要課題の1つである.この大災害は,浅間テフラから約1.3万年前直後に発生していたことが確認できた.以上は,住民の安全第一を考え,地すべり危険地帯を指摘した良識ある地質調査会社と防災科学研究所の地すべり見解を裏付けるものである.このような場所にダムを造り湛水した場合,活動中の移動体(林・白岩沢・八ッ場沢トンネル)と同様,地すべりが再活動する可能性が高く,代替地では深刻な事態を招くことに繋がるだろう.現状は,国交省河川局がダム建設のため,意図的に検証を怠ってきたとしか言いようがない.万一,地すべりが発生した場合,ダム推進を訴える一方で,住民の為の安全検証を怠った側に責任が生ずるのではないだろうか. _IV_ まとめにかえて  国交省・群馬県などの資料検証と現地調査から,上湯原地区はOkDA流下後,地すべりと土砂崩れを繰り返して形成された場所であることは明らかである.河川局は,多くの調査者と国の研究機関が災害リスクを指摘した上湯原の巨大地すべり地を『八ッ場ダム建設のため,河川の蛇行地形であると偽装公表して工事を進めてきた』と受け取らざるを得ない.既に,利根川流域の治水・利水計画の中で基本高水を操作していた事実を含め,河川局の環境アセスメントが,ダム建設に協力した住民の災害リスクまで軽視し,ダム建設だけを目的化していたことと同じである. 国は,川原湯温泉街の再建を最優先で実施し,従来型の河川行政の誤りを認め,全面的見直しと情報公開を通じて真の環境アセスメントを実施することが急務ではないだろうか.
  • 細萱 京子, 服部 亜由未, 安江 健一, 廣内 大助
    セッションID: 923
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    はじめに
     本報告では,天正地震における阿寺断層周辺地域の被害実態を解明することを目的とする.
     天正地震とは,1586年1月18日(旧暦1585年11月29日)に発生した,推定マグニチュード7~8とされる歴史地震であり(宇佐美2003),数ある日本の歴史地震の中でも非常に規模の大きな地震である.その被害記録は,越中・美濃・飛騨・尾張・畿内など広範囲で残存している.震源については諸説あり,活動履歴調査や歴史地震調査の結果から,御母衣断層,養老・桑名断層,伊勢湾断層,阿寺断層が震源断層の候補として挙げられている.
     地震調査研究推進本部地震調査委員会(2004)では,阿寺断層南部の最新活動が天正地震であるとされている.一方で,歴史地震調査では阿寺断層周辺での同時代の史料がなく,阿寺断層を天正地震の震源として考えるには難しいと言われてきた.
    調査方法
     阿寺断層周辺地域では,同時代史料がなく文献調査のみで地震被害を網羅することには限界がある.そこで本研究では,文献調査に加え,聞き取り調査によって阿寺断層周辺地域で地震被害に関する地域伝承を探った.聞き取り調査は,旧家や地域の有識者,寺院を対象に行った.更に,建立年代が天正地震以前とされ,断層直近に位置する寺社から得られる情報に基づいて,地震による被害の検討を行った.
    結果・考察
     天正地震による阿寺断層周辺地域の被害としてこれまで挙げられているものは,「大威徳寺の倒壊」と「小郷地区の陥没」である.まずこれらの既往の被害報告について検討を行った.「大威徳寺の倒壊」は,これまでは地震動による直接的な被害とされていたが,第7代飛騨代官長谷川忠崇が江戸時代に執筆し,明治42年に岡村利平によって編纂された『飛州志』の記述から戦火により荒廃した寺院が天正地震の揺れを契機に廃絶したことが明らかになった.「小郷地区の陥没」は,地域伝承として現在も天正地震で陥没が起こったことが知られており,陥没場所には字大沼が残っている.
     本研究では既往の被害報告に加えて,a多聞寺の倒壊,b大沼付近の家屋移転,c門和佐地区の中絶(逃散),の新たに3つの地震被害が判明した.このうち,aとbに関しては,小郷地区の陥没場所周辺の被害であり,陥没が起こったこととの関連が示唆される.また,断層直近に位置する寺社から得られる情報に基づいて,地震による被害の検討を行った結果,天正地震後に廃絶し,その後再興されている寺院があることがわかった.
     大威徳寺の倒壊など阿寺断層周辺の被害に限れば,天正地震の被害は阿寺断層震源の地震でなくても説明でき,その場合,地質調査で400年前に確認される阿寺断層震源の地震は,既存の地震カタログに存在しない中世の地震である可能性も否定できない.しかしながら,小郷地区で陥没が起き,周辺に地震被害が集中していることを考慮すれば,明確な地殻変動を伴う解釈も可能であり,断層活動との関係を考える必要がある.
     歴史地震調査において,信頼度の高い同時代史料を用いることは,被害実態を把握する上で重要である.一方で,阿寺断層周辺地域のように同時代史料が得られない地域では,地震被害が過小評価されてしまう可能性がある.本研究のように,伝承や寺院の成立年代などから地震被害を検討することも,被害実態を解明するための有効な手法である.
    引用文献
    宇佐美龍夫 2003.『最新版日本被害地震総攬[416]―2001』東京大学出版会.
    地震調査研究推進本部地震調査委員会 2004.阿寺断層帯の長期評価について.
  • 松永 光平, 佐藤 廉也, 縄田 浩志, 賈 瑞晨, 岳 大鵬
    セッションID: 924
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    はじめに 中国で1998年に始まった「退耕還林」政策は、同年の長江をはじめとする大洪水をきっかけとしており、農村において斜面の耕地を林地に換え、代替産業をおこすとともに、水と土砂の流出(水土流失)を防ぐことを目標としている。植林面積の増加は重要な政策目標とされ、地方政府により成果が喧伝されている。一方で、造成された林地の水土流失予防効果についての報告や研究は限られている。加えて、「退耕還林」政策終了後(以下、ポスト「退耕還林」と称す)、植えた木々が伐採・放棄されることにより、林地が持つ水土流失予防効果が失われることも懸念されている。 本発表では、中国黄河中流域、黄土高原の陝西省北部農村を事例として、以下の2点について調査結果を報告する。 (A)「退耕還林」の実施による水土流失の抑止状況 (B)ポスト「退耕還林」の耕作再開と水土流失の見込み 方法 研究対象地域は黄河流域の主要土砂供給源である黄土高原において、典型的な地形条件を備えた陝西省洛川県と陝西省安塞県を取り上げた。目的Aの達成のため統計データを用いて「退耕還林」前後の土地利用と侵食量の変化を算出し、現地住民への聞き取りを行った。土地利用変化については、現地聞き取り調査の制限から、退耕還林地の累計面積のみを指標とした。侵食量については、洛川県を含む洛河流域と宝塔区・安塞県を含む延河流域を対象に、「黄河泥沙公報」に記載された2000年と2008年の年侵食(水土流失)量を比較した。「黄河泥沙公報」は2000年から水利部黄河水利委員会により毎年公表されているもので、黄河流域の本流・支流の年間土砂排出(水土流失)量を掲載している。 目的Bの達成のため現地でポスト「退耕還林」の再耕作に対する住民意識を調査した。また、再耕作の可能性の判断指標として、「退耕還林」に伴う生業転換の成否についても聞き取り調査を行った。以上から推定される再耕作の可能性と台地面や谷壁斜面など微地形の土地利用とに着目して、水土流失危険性を評価した。 結果・考察 退耕還林地の累計面積は、2000年から2008年にかけて洛川県、宝塔区ともに増加していた。一方、2008年、洛川県を含む洛河流域の年侵食量が31.2 t/km2であり、2000年に比べて1294.6 t/km2減少した。安塞県を含む延河流域では2000年1850.3 t/km2で、2008年までに1629.6 t/km2減少した。洛川県(2010年4月)、安塞県(2009年12月)にて聞き取りを行ったところ、政府関係者、住民とも洪水など水土流失イベントの減少を報告した。2000年から2008年にかけて退耕還林地の累積面積が増加し侵食量が減少していることは、退耕還林により水土流失が緩和された可能性を示唆する。 洛川県では、リンゴという経済作物が現地住民の主要収入源となっており、斜面における耕作意欲は低いため、耕作再開とポスト「退耕還林」における水土流失の危険度が小さいと判断された。一方、安塞県では主要収入源は出稼ぎとなっており、一部では耕作の再開を希望する声も聞かれた。安塞県においては代替産業の育成効果が限られているため、ポスト「退耕還林」における水土流失危険度が相対的に大きいと考えられる。
  • 谷端 郷
    セッションID: 926
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I はじめに
     阪神大水害では,1938年7月に発生した豪雨により,土石流や河川の氾濫が引き起こされ,神戸市などに多大な被害が及んだ.本研究では,阪神大水害に関する災害地図や災害統計を用いて,神戸市域を対象に,被害の有無や程度の地域差に関する要因を回帰モデルを用いて定量的に分析した.

    II 研究の方法
     まず,『神戸市水害誌附図』に添付されている「神戸市災害概況図」をもとに,GISを用いて被害データを作成した.この概況図に示される被災地域は被害の程度ごとに区分されている.
     次に,被害の有無や程度の地域差に影響を与えたと考えられる,地形や標高,傾斜,河川からの距離の自然要因に関するデータと,人口密度や世帯密度,要保護世帯率,市街化時期の社会要因に関するデータを作成した.その作成には,地形図や土地条件図などの地図資料,および国勢調査や『要保護世帯の生活状態調査』の統計資料を用いた.これらは,被害の地域差を説明する回帰モデルの独立変数を構成する(表1).
     回帰分析にあたっては,上記の被害や要因に関する数値データを統合したポイントデータをサンプルとした.このポイントは国土数値情報の3次メッシュ1/10細分区画(100mメッシュ)の重心点であり,分析の範囲は1930年当時の市街域に100mメッシュが完全に含まれる区域とした.ただし,1930年当時水域であったポイントは除外した.分析ではすべての変数について欠損値を持たないポイントのみを採用し,統計解析を行った.そのため,1930年当時の市街域に含まれるポイント数は2456個であるが,そのうち解析に使用できたポイント数は1817個(74.0%)であった.

    III 結果・考察
     (1)被害の有無に関する要因分析の結果:被害の有無(被害あり=1,被害なし=0)と自然・社会要因との関係を検討するために,被害の有無を従属変数とする二項ロジスティック回帰モデルを用いた.その際,被害の有無に対して各独立変数の係数が有意であるか否かをそれぞれ検討し,有意な係数のみを用いて強制投入法による二項ロジスティック回帰分析を行った.その結果,5%水準で有意な7変数(city2disriverhogorategeo4geo5geo6popden)が抽出され,これらが被害の有無に対して影響を与えていることが分かった.7変数のうち,city2disriverhogorateの係数は負の値を示し,残りの4変数の係数は正の値を示した.
     (2)被害の程度の地域差に関する要因分析の結果:被害の程度(浸水区域=1,土砂床下侵入=2,家屋半壊または土砂床上侵入=3,家屋全壊または流出=4)と自然・社会要因との関係を検討するために,被害の程度を従属変数とする順序回帰モデルを用いた.その際,被害の程度に対して各独立変数の係数が有意であるか否かをそれぞれ検討し,有意な変数のみを用いて強制投入法による順序回帰分析を行った.その結果,5%水準で有意な9変数(elevationcity2city3city4geo2geo5geo7disriversetaiden)が抽出され,これらが被害の程度の地域差に影響を与えていることが分かった.9変数のうち,elevationの係数は正の値を示し,残りの8変数の係数は負の値を示した.
     これらの結果のうち,要保護世帯率が高いほど被害を受けない点と開港から明治中期までの最も早く市街化された地域で被害の程度が大きくなる傾向にある点は,これまでに指摘されてきた都市における水害の傾向とは異なる結果である.先行研究においては,要保護世帯率が高いような貧困地区および相対的に新しい時期に市街化された地区は,河川沿いなどの居住条件の悪い場所に立地し,水害に遭いやすい傾向が指摘されてきた.しかし,神戸市における要保護世帯率の高い地域は,市街地の拡大にともなう河川の付け替えによって,新しく流路となった河川沿いに立地していた.そのために,被害が旧流路沿いで発生した阪神大水害においては被害を免れ得たと考えられる.また,宇治川に沿った谷地形が神戸三宮間の中心市街地付近に達している特有の地形条件が,中心部での被害を大きくした要因として考えられる.このように,阪神大水害における被害の地域差の要因としては,立地や都市化過程における神戸市特有の特徴を指摘することができる.
  • 古田 昇
    セッションID: 927
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    本報告では、大きな自然災害に遭遇することの少なかった瀬戸内中部地域において未曾有の災害といわれた平成16年の台風23号水害を例に、その被災区域と、地形環境との関係を国土地理院によって公開されている5mメッシュDEMから作製した地形モデルとの相関を検討する。また、流域の高松市国分寺町における水害の教訓としてどのように認識しているかについても報告したい。
  • 碓井 照子, 長谷 理史, 森本 晶
    セッションID: P1401
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    本研究では、川上村の限界集落の実態を分析し、限界集落の進行を抑制する原因を明らかにし、特に生活利便性に影響を与えるバス交通や空き家対策の問題点をGISで分析する。 奈良県川上村では超高齢化が進行しており、2010年9月末現在で人口は1853人、高齢化率は50.5%(住民基本台帳人口)となっている。高齢化率が集落全体の人口の50%を超える集落が大半で、2010年9月限界集落および限界集落直前の集落の実態調査を実施した。その結果、限界集落への進行は、空き家率と独居率(単身世帯率)に関係していることが明らかになった。限界集落の進行を抑えるには空き家率と独居率を低下させることが重要である。そのためには、買物や医療に関する生活利便生の向上が必要であり、川上町では、空き家対策としての「川上住まいるネット」や「やまぶきバス」が運行されている。特にコミュニティバスとしてのやまぶきバスの運行についてその利便性を、コスト関数を用い、傾斜を抵抗値としてコスト時間距離を計算し、バス利便性を自動計算するモデルをArcGISで開発した。
  • -セーフティプレイスの最適配置モデル―
    北村 恭兵, 植田 光, 碓井 照子
    セッションID: P1402
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1. はじめに
     一般的に山間地域における防災の問題点として、過疎化や限界集落における高齢者の避難行動の困難さが考えられる。本研究の対象地域である奈良県川上村も例外ではなく、集落のほとんどは限界集落となっている。また中央構造線の外帯にあたり、地盤が緩いため過去に大雨による土砂崩れがたびたび発生している。そこで、集落と避難場所の位置関係や危険区域をGIS上に表示し、集落立地から避難場所や避難経路の関係を分析し、超高齢化の進展した山間地域における避難経路・避難場所の在り方について考察する。
    2. 避難場所の現状
     2010年9月に研究対象地域で限界集落の現地調査を行った。この結果、川上村が現在指定している避難場所は集落ごとになく、避難場所まで直線距離で約7_km_あり、避難は集落内で一時的に行うほうが安全ではないかと言える。そこで災害時における避難場所の一つとして、安全でかつ住民が避難時間内に到達しやすい個人の家をセーフティプレイスとしたモデルを堤案した。
    3. 分析方法
     本研究では、地震災害ではなく雨による土砂災害を想定した分析を行った。使用データとして、基盤地図情報10mDEMとALOS PRIZMより作成した5mDEMの2種類のDEMを使用した。ALOS PRISMにおいては、ERDAS  LPSを用いて空中三角測量を行い、5mDEMを抽出した。分析方法としては、DEMから傾斜ラスタを作成したのち、個人の家からのコストアロケーション分析を行った。このデータに抵抗値として傾斜を重みづけして、個人の家からの避難時間別に到達できる範囲を計算し、セーフティプレイスを自動的に抽出できるモデルをArcGISのモデルビルダーを利用して作成した。(図1) このデータに地形や地下水の流路方向などを考慮して集落内のセーフティプレイス自動抽出モデルの改良を行った。
    4. まとめ
     本研究の対象地域は山間地域にあるため、セーフティプレイス抽出に当たりより細かい精度が求められた。基盤地図情報10mDEMとPRISMより作成した5mDEMを用いて、個人の家からの避難時間別コストアロケーションラスタを作成し比較した。この結果、避難範囲の重なり程度からセーフティプレイスを自動抽出する可能性を示すことができた。
  • 『大阪府第二回百斯篤流行誌』を用いて
    花岡 和聖, 中谷 友樹
    セッションID: P1403
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I はじめに
     明治期、ペストやコレラ、マラリア、結核などの伝染病が各地で発生し、様々な防疫対策が取られた。当時、発生状況や患者、感染原因等が詳細に調査され、各地で流行誌としてまとめられた。 ペストに関しては、大阪は、神戸と並び、全国的に最も早い時期にペストの流行が始まる。1909年に発行された『大阪府第二回百斯篤流行誌』によると、大阪では、1899年~1900年及び1905年~1907年にわたりペストが流行した。とりわけ1907年11月には、発生患者数が220名を超えており、それ以前で最も多い約80名の患者が発生した1905年12月と比較しても、1907年11月頃の流行は非常に大規模なものであった。
     そこで、本研究の目的は、大阪市を対象にして、『大阪府第二回百斯篤流行誌』から、1906年9月~1907年12月末までのペスト患者の時空間データベースを構築し、当時のペストの地理的分布や拡散過程を明らかにする。地理情報システム(GIS)を用いて、上記の資料を地図化し、改めて分析することで、ペスト流行に関する新たな知見が得られるものと期待できる。こうした研究は、医学地理学だけでなく、情報科学を活用した人文科学研究であるデジタル・ヒューマニティーズ(Digital Humanities)研究としても位置付けられる。

    II ペスト患者の時空間データベースの構築
     『大阪府第二回百斯篤流行誌』から、大阪市を対象に、「ペスト患者の時空間データベース」の構築を、以下の手順で行った。
     まず「「ペスト」患者一覧表」に掲載されるペスト患者の属性をエクセルに入力し、患者属性データを作成する。属性には、ペスト患者の番号や氏名、発病月日、発見理由及月日、病類、住所、発見場所、職業、性別、年齢等の情報が含まれる。
     次に、仮製二万分一地形図上に患者の発生地点が記された「大阪市「ペスト」鼠及「ペスト」患者発生図」と、住宅地図上に患者の発生地点と番号が記された詳細図を用いて、発生地点のポイントデータを作成した。具体的には、まずGISを用いて、上記の仮製図を幾何補正し、地図上に記された患者発生地点のポイントデータを入力する。続いて、詳細図に記された発生地点の位置関係をもとに、仮製図上のポイントデータの患者番号を特定した。その上で、患者番号をキーにして、661件の患者属性データとポイントデータを結合した。
     最後に、これら以外にも、流行誌に掲載されたペスト鼠数や患者間の同居・交流関係の情報をデータベースとして整備した。

    III ペスト患者とペスト鼠数の分布
     ペスト患者の時空間データベースを用いて、患者全体のうち、発病と発見が同一場所のペスト患者の発生地点及びペスト鼠数を図に示す。ペスト患者が密集する地域は、主に難波や南堀江、南北に流れる東横堀川の東側である。患者の分布は、感染源となるペスト鼠数の分布はとも一致する。当時、捕獲した鼠の買い取りが行われていたが、1907年、難波警察署管内では年間94,351頭の鼠が検査され、うち1,460頭がペスト菌を有していた(10万頭に対して1547頭)。一方、曽根崎警察署管内では、鼠10万頭に対してペスト鼠は、47頭であった。

    IV 患者間の同居・交流関係
     特筆すべきは、『大阪府第二回百斯篤流行誌』の「「ペスト」患者同居及交通関係図」には、患者間の同居関係や交流関係が示される点である。この資料をデータベースとして整備し、患者属性データと合わせて利用することで、感染経路を時空間的に追跡が可能となる。これは当時の人的交流の空間範囲を示す資料ともなり得る。

    V おわりに
     本研究では、『大阪府第二回百斯篤流行誌』を用いて、同資料に掲載される患者属性及び地図上の発生地点から、ペスト患者の時空間データベースを構築した。これを利用することで、患者の発病月日に基づき、発生地点の時空間的変化を把握でき、どのようにペスト拡散し流行したのかを、患者の人口学的、社会経済的属性とも関連付けながら、詳細に分析できる。さらには、患者間の交流関係の情報は、社会ネットワークの観点からの分析や検証も可能である。
  • 曽我 俊生
    セッションID: P1404
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー

    1 施設と周辺環境に関する研究
     人間の場所に対する認知や行動は,周辺環境つまりその空間に存在する他の要素に影響をうける.船越ほか(1988)は参道空間を構成する要素や要素相互の関係を分析し,その結果,構成要素には参道空間を区切り,参道の空間的深さを演出する効果があることを明らかにした.施設の立地特性を明らかにする場合,その施設の属性データから分析を行うのが一般的であるが,本研究では先行研究の視点をもとに,公共ホールの立地特性を「目的地への経路」にも着目しながら明らかにしていく.

    2 周辺環境のとらえ方
     一般的に立地分析をする場合,対象施設の周辺を環状に区切り,その内部を分析する手法が多い.しかし公共ホールを分析対象とする場合,上記の視点に加え,最寄り駅から公共ホールまでの経路にも着目する必要がある.なぜならば,公共ホールは基本的に公共交通機関を利用しての来訪が推奨されているため,公共ホールまでの経路が施設の計画段階や利用段階において人々に大きな影響を与えているからである.ゆえに立地特性をより実態に即して明らかにする場合,経路に着目する必要がある.
     本研究では上記の理由から,公共ホールの周辺環境を「経路環境」と「近隣環境」の2点を用いて明らかにする.最寄り駅から公共ホールまでの経路にGISを用いて線バッファを生成させ,そのバッファ内を経路環境とした.また,公共ホールを中心として円バッファを生成させ,そのバッファ内を近隣環境とした.各々のバッファ内における土地利用の項目別割合を分析することで,周辺環境の特徴を明らかにする(第1図).

    3 周辺環境と公共ホールの関係性
     本研究により,公共ホールの周辺環境は公共ホールと対応関係をもつことが明らかとなった.しかし,その対応関係は各公共ホールの建設年や施設規模といった「属性データ」ではなく,最寄り駅から公共ホールまでの「経路長」や「近隣施設との関係」において認められる.これは公共ホールが経営面だけではなく,設置される都市の状況など,社会的・地理的な条件に影響を受ける施設だからである.立地論だけでは展開を語ることの出来ない施設において,周辺環境に着目した分析手法をとることの有用性が明らかとなった.
  • 白石 喜春
    セッションID: P1405
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     一般社団法人、一般財団法人(以下、一般法人と記述)は、2008年12月の新公益法人制度の施行に伴い新たに加わった法人格である。一般法人は公益認定等委員会(八条機関)から認定を受けることで税制的に最も有利な公益法人になれる。また、_丸1_官庁の許可が要らない、_丸2_監督官庁がない、_丸3_行う事業に制限がない、_丸4_出資が不要、_丸5_登記のみによって成立、_丸6_特定非営利活動法人と同等の税制優遇(非営利型の場合)等の利点があることから、法人格を得ようとする組織から注目されている。そこで本調査では、このような一般法人の実情を明らかにするべく、新設一般法人の業態別設立状況および一般法人等の都道府県別立地状況について検討した。
    2.業態および活動内容の傾向
     一般法人の新規設立件数は5,639件(2010年8月現在)であるが、今回は各法人の保有するホームページにアクセスして必要な情報を得られた1,105件について業態の傾向、設立前の状況について調べた。
     表1に示すように支援型団体及び業界団体で全体の46.4%を占め、営利的団体はわずか6.6%。一般法人の多くは非営利型であることがわかる。また、調査対象法人の設立前の状況をみると、純粋に新設した法人は705件(63.8%)で最も多く、任意団体からの新設は280件(25.3%)、特定非営利活動法人からの新設は22件(2%)であった(図1)。簡便な方法で法人格が得られるという利点が一般法人の新規設立を促していると考えられる。また、特定非営利活動法人から一般法人になった法人の多くは公益認定を目指していると考えられ、すでに公益認定を受けた法人も多数存在している。
    3.一般法人の立地状況
     次に、急増中の一般法人が地域的にどのような分布形態を示しているのか調べた。一般法人は新法施行後1年9ヶ月が経った2010年8月現在新規及び移行した法人を含めて9,484法人が存在。他法人を加えた法人数を都道府県別に示すと図2のようになった。一般法人の多くは東京都に集中し、その分布形態は極めて限定的。これは、全国規模で活動を展開する法人が多く立地していることに加え、東京都と地方において一般法人に関する認知度に差が生じていることが要因であると考えられる。
  • 兵庫県加古川市を事例に
    矢嶋 巌, 小坂 祐貴
    セッションID: P1406
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     近年、日本では地方都市の高齢者を中心にフードデザート(以下FDsと略記)問題が顕在化している。FDs問題とは、自家用車や公共交通機関を利用することが困難な社会的弱者における、生鮮食料品店への近接性の低下がもたらす食料問題である(岩間ほか2009)。日本におけるFDs問題は1990年代後半から地方都市を中心に買い物難民、買い物弱者として発生が報告されている。FDs問題が深刻な問題として認識されてきたのはごく最近になってのことであり、研究報告も多くはなく、衛星都市を事例とした研究は現時点では確認されない。
     本研究の目的は、京阪神大都市圏に含まれる衛星都市である兵庫県加古川市を対象にFDs問題の事例研究を行い、同市における高齢者の買い物環境について考察し、FDs問題の解決策について模索することである。同市は、1990年ごろに大型店が次々と出店した地域で、中小規模のスーパーが受けた影響は大きい。また1960年代から1990年代半ばまで衛星都市として急激に人口が増加し、その時期に移り住んだ年齢層が一定であることから、現在急速に高齢化が進んでおり、中小小売業の衰退と高齢化というFDsの条件からも研究対象地域として適している。研究方法は、GISを用いて生鮮食料品店への近接性と高齢者の居住状況からFDsエリアを想定し、聞き取り調査により高齢者の買い物状況や地域特性について調査した。特に買い物難民の条件とされる経済・健康・孤独の3つの視点を重視した。今回は、山陽本線東加古川駅北側のA地区、加古川線厄神駅北西約2kmに位置するB地区の2つの住宅地区に居住する高齢者を対象に聞き取り調査を行った。
     本研究によるFDsエリアに居住する高齢者への聞き取り調査の結果、経済・健康・孤独の全ての条件にあてはまる高齢者を見つけ出すことはできなかった。しかしながら、いずれかの条件にあてはまる人は多くみられた。A地区では、5年ほど前に地区の中心にあったスーパーが閉店し、スーパーは住宅団地の周辺部に限られるようになり、身体的に弱っている高齢者の買い物環境は悪化傾向にある。聞き取り調査によると、閉店したスーパーは、生鮮食料品の供給だけでなく、地域のコミュニティの場にもなっていたという。単なる生鮮食料品店の復活のみならずコミュニティの場としての復活を望む声も聞かれた。 B地区では、5年ほど前に地区唯一の食品スーパーが閉店してから2年間FDsの状態であったことが明らかになった。現在では、同じ場所に別のスーパーが出店しているが、住民への聞き取り調査によると経営状態は良くはないという。このままでは以前のようにつぶれてしまうのではないかと懸念する声も多く聞かれた。B地区のようにスーパー経営が難しい地区については、社会福祉サービスとして行政による最低限の生鮮食料品の供給体制整備が必要となっているのかもしれない。
     今後高齢化が急速に進むと予想される加古川市においてFDs問題はいっそう深刻化していくものと考えられる。また、高齢化問題は日本全国において共通する傾向であり、今後もさまざまな地域でこういった問題が見られるであろう。FDs問題の根本的な解決のために、今後も様々な地域における研究蓄積が急がれる。
    <参考文献>
    岩間信之・田中耕市・佐々木緑・駒木伸比古・齋藤幸生2009. 地方都市在住高齢者の「食」を巡る生活環境の悪化とフードデザート問題―茨城県水戸市を事例として―. 人文地理61-(2): 29-45.
  • 東郷 直子
    セッションID: P1407
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     犯罪の発生を地理的にとらえる試みは,19世紀の地図学派や1920年代のシカゴ学派による研究以来,社会学や環境犯罪学の分野を中心に行われてきた.地理学においても近年,警察機関などからの情報公開が進んだことを受けて,GISを用いた犯罪情勢の視覚化・分析・モデル予測が盛んである.しかしながら,田中(1984, 1988)のように犯罪の発生を一種の都市病理現象とみなし,犯罪被害者と犯罪発生場所の関連性について社会地理学的な観点から分析・考察したものはまだ少ない.
     そこで本研究では,地理学的な分析に適しているであろう街頭犯罪のうち比較的標本数の多いひったくり犯罪に着目し,その空間パターンから都市内部の犯罪発生につながる諸関係を明らかにすることを試みた.
     研究対象地は大阪市全域とした.分析資料は「大阪府警察犯罪発生マップ」1)および同府警が実施している「安まちメールサービス」を用いた.研究対象期間は2009年(n=1,386)および2010年2月19日~同年12月31日(n=860)である.ひったくり被害者の年齢・性別,発生時刻,被害者・加害者の交通モードをクロス集計し,発生地点のポイントデータからカーネル密度推定により作成したひったくり密度分布図や空間スキャン統計で検出した犯罪ホットスポットなどと比較しながら,被害者属性と発生場所の地域特性について考察する.さらに,ひったくりと短時間の人口移動との関連性をみるために,パーソントリップデータを用いた分析を行った.
     調査期間内に観察されたひったくり被害者数のうち約9割が女性である.これらの女性被害者を年代別・24時間帯別にみると,一般的なオフィス職の始業・就業時刻と前後する7時台と19時台を境に,中心となる被害者の年齢層が20歳代から60歳代・70歳代にシフトしている(図1).彼女たちがひったくりに遭った場所については,それぞれ市中心部の商業地域,および市東部から南東部にかけての住宅地域に明瞭な高密度ゾーンがみられ,これは23時台の非居住滞留人口密度および16時台の居住滞留人口密度のパターンによく対応する.原田ほか(2001:42)が東京23区の事例で指摘したように,大阪市でも繁華街の深夜営業の飲食店などで働く女性(おそらく若年層が中心)が帰宅中に被害に遭いやすく,一方で無職女性(高年層の多くが含まれる)の被害は自宅から近い日常行動圏内で起こる傾向がある.歩行者・居住者の属性や時間帯によって被害に遭う場所の潜在性が異なることは,都市内部での多様な防犯対策の必要性を意味している.
     さらに今回の発表では,都市病理現象としての大阪市のひったくり発生分布の差異について明らかにするために,空間スキャン統計量によって犯罪集積のクラスターを検出し,各々について高齢者率・人口密度・エスニシティといった地域特性指標との相関分析を行う.


    1) http://www.map.police.pref.osaka.jp/Public/index.html(最終閲覧日:2011年1月18日)
    文献
    田中和子 1984.大阪市の犯罪発生パターン―都市構造と関連づけて―.人文地理 36(2):1-14.
    田中和子 1988.被保護層居住パターンからみた大阪市の都市構造.福井大学教育学部紀要III(社会科学) 38:1-19.
    原田豊・鈴木護・島田貴仁 2001.東京23区におけるひったくりの密度分布の推移:カーネル密度推定による分析.科学警察研究所報告防犯少年編 41(1・2):39-51.
  • 畑中 健一郎, 浜田 崇, 陸 斉
    セッションID: P1408
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     家庭からのCO2排出量は基準年から著しく増加しており、その削減対策が大きな課題となっている。家庭の省エネを効果的に進めるためには、エネルギー消費構造の実態を明らかにし、どこに重点を置いて省エネを進めていくのか検討する必要がある。家庭のCO2排出量は、これまで家計調査を中心にさまざまな統計資料を用いて間接的に推計が可能な県庁所在地のデータをもとに比較考察されることが多かったが、実態把握という面では不十分であった。とくに長野県の場合は南北に長く、標高差も大きいことから、県内でも地域による違いが大きいと考えられる。そこで本研究では、長野県内の家庭を対象にアンケート調査を行うことによって、自動車利用も含めた家庭のエネルギー消費の実態を把握し、それらエネルギー消費に起因するCO2排出量の推計を試みたので報告する。
    2.調査方法
     調査方法の概要を表1に示す。アンケートは、県内家庭でのエネルギー消費の地域的な違いをみるために、10広域圏からそれぞれ1市町を選び、それぞれ住民基本台帳から200世帯、合計2,000世帯を無作為に抽出して、2009年12月に質問票を配布した。アンケートの回収数は979世帯、回収率は49%であった。
    3.結果の概要
    3.1 使用エネルギーの種類
     家庭の暖房、給湯、コンロでそれぞれ使用しているエネルギー種の割合は、回答世帯全体の平均で暖房は灯油が91%でもっとも高く、次いで電気が74%であった。給湯は灯油が55%、コンロはプロパンガスが64%でそれぞれもっとも高い割合であった。また、太陽熱温水器の使用割合は回答世帯全体の8.6%、太陽光発電は2.7%であったが、これらの設備の使用割合は、飯田市や佐久市など日照時間が比較的長い市町で高い傾向がみられた。また、薪ストーブと薪風呂の使用割合もそれぞれ4%前後あり、木質バイオマスが豊富な長野県の特性がみられた。
    3.2 エネルギー消費量
     2008年12月から2009年11月までの1年間について、電気、都市ガス、プロパンガス、灯油の月ごとの消費量の世帯平均値は、いずれも冬季の消費量が多く、夏季の消費量が少ない傾向が見られたが、暖房での利用が多い灯油でその差が顕著であった。一方、台所のコンロでの利用が多いプロパンガスの季節差は僅かであった。また、市町別にみると、都市ガスは比較的料金が安い市町で、灯油は県内でもより気温が低い地域で消費量が多い傾向がみられた。
    3.3 CO2排出量
     各世帯のエネルギー消費量をもとにCO2排出量を推計したところ、月別の排出量は冬季に多く、夏季に少ない傾向がはっきりとみられ、灯油の季節変動の影響がもっとも大きいことがわかった。年間の平均では、電気が35%、自動車燃料が32%、灯油が25%を占めていた。市町別の排出量では、灯油と自動車燃料に由来するCO2で大きな差がみられ、各地域の気温や交通環境の違いがCO2排出量に大きく影響していることがうかがえた。
     また、全国値との比較では、一人当たり排出量で26%多く、また、燃料種別では、灯油は3倍以上、自動車燃料も27%多く、逆に都市ガスは50%以上少ない。推計方法に違いがあるため単純には比較できないが、寒冷地であり、かつ自動車への依存度が高い長野県の特徴が現れているといえる。
    4.おわりに
     長野県内の家庭のエネルギー消費実態をアンケートにより把握し、それに伴うCO2排出量を推計した。その結果、県内でも使用エネルギーの種類や消費量、CO2排出量に地域性が見られることが明らかとなった。今後さらに地理的要因やライフスタイルなど、CO2排出量に影響を及ぼす要因の分析を進め、効果的な省エネ対策に結び付けていきたい。
  • 田中 耕市
    セッションID: P1409
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I. 研究目的
    環境負荷軽減を目的として,各地で通勤等の移動に際する公共交通利用促進が取り組まれている.本報告では,都市圏と都市計画区域が合致しないことによって生じる都市域拡大と,それによって増大する環境負荷の問題を明らかにする.事例として,自動車依存度の高い地方都市の徳島都市圏を取り上げて(図1),公共交通(主に路線バス)の都市政策的位置づけの問題点を解明する.

    II. 都市圏と都市計画区域の相違の問題
    徳島都市圏は,その大部分が徳島東部都市計画区域に含まれるが,徳島市に隣接する藍住町のみは,同町のみで構成される藍住都市計画区域として独立している.藍住町都市計画区域では,市街化区域と市街化調整区域が設定されておらず,全町域がいわゆる非線引き区域となっている. 1960年代以降から,徳島市の北に接する松茂町,北島町,藍住町の3町では,徳島市のベッドタウンとして著しい人口流入を経験した.特に藍住町では拡散的に農地が都市的土地利用へ転用されていった結果,町域全体で農地や住宅,商業施設等が混在することになった(図2).

    III.公共交通の利用実態と位置づけの問題
    3町の徳島市への通勤率は高く(北島町37.4%; 藍住町30.8%; 松茂町26.0%; 2005年国勢調査),3町と徳島市内とを結ぶ道路(特に橋梁部)における渋滞が激しい.両都市計画区域のマスタープランでは,自動車交通や渋滞の抑制による温室効果ガス排出量の低減については言及されているものの,公共交通による具体的な解決アプローチには触れられていない.藍住町における町外への公共交通依存率は約3%にすぎず,徳島市を結ぶ路線バス3路線の乗客数も減少を続けており,通勤目的としての利用客はきわめて少ない.特に,住宅地が拡散している同町においては,他2町に比較してバス停から500m圏外における宅地利用と人口増加が多く(図3),空間的に公共交通にアクセスしづらい人口の割合が増加している.
  • 交差点表記からの考察を中心に
    安藤 哲郎
    セッションID: P1410
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     本発表は、平安京における貴族の行動空間と認識空間を比較し、両者の関係性を明らかにすることを目的とする。その際、史料として貴族の日記(表1)を用い、記述のうち、交差点の表記に着目して検討を行う。また独自の時期区分(図1)を用いる。
     平安京の交差点表記については、秋山國三(1975)が街路名と合わせて検討を行い、横街路を先に縦街路を後につける呼び方が普通だとしたが、発表者は、時期による違いや大路・小路の違いも含めた詳細な検討も必要と考え、藤原期・院政確立期・動乱期の貴族の日記に記述された交差点の分布を図示した。そして、たしかに東西大路の先述例が時期を問わず多いが、その傾向は院政確立期に顕著な点、交差点の集中が大路に多いが、小路にも一部見られる点などを指摘した(安藤2011)。
     これを受けて本発表では、特に数の多い「焼亡の範囲」「往来の辻」「邸宅の位置」の3種類の交差点を整理することにした。「焼亡の範囲」は交差点表記以外の、邸宅名などで記述されたものも一部含む。また「往来の辻」には交通路も含める。これらの交差点は貴族の日記からの例であり、貴族の認識や行動に関係していると考えられる。発表者は、「焼亡の範囲」は貴族の認識に、「往来の辻・交通路」と「邸宅の位置」は貴族の行動に関わると位置付けた。以下、具体的に分布を見ていく。
     「焼亡の範囲」は「後聞」や「云々」のような、聞き書きと思われる表現とともに記述される例も多く、焼亡位置を直接確認しなくても聞き書き可能であると判断し、認識色が強いと判断した。「焼亡の範囲」から理解できる認識空間は、藤原期は左京四条以北、院政確立期は左京七条以北全体に広がり、動乱期は八条まで広がる反面、分散的であった。
     「往来の辻・交通路」は貴族の行動によるものであり、行動色が強い。また、「邸宅の位置」は貴族の行動の出発点になっているほか、移動や訪問に関する記事も多くあり、こちらも行動空間として扱う。「往来の辻・交通路」から理解できる行動空間は、大路が概ね交差点が集中する街路と重なるが、四条大路では交差点の集中があるのに街路の利用がなく、公的に使われていなかった面が考えられる。また、「邸宅の位置」から理解できる行動空間は、藤原期は事例が少なく判断しにくいが、院政確立期は主に左京五条以北ではほぼ偏りなく広がる。他方、動乱期には八・九条を含め左京全体に広がる反面、分散的である。
     両者を比較すると大差なく見える。しかし、交差点の集中する街路に対し、認識空間はあまり重ならず、行動空間は多少のずれはあるが比較的重なる。つまり、両者にはずれがあるはずである。そこで、院政確立期と動乱期の「焼亡の範囲」と「邸宅の位置」を重ね合わせた。すると、空間の外周は重なるが、内部にはずれが見られた。史料などから検討し、認識空間ではあるが行動空間ではないという場合、貴族の居住地区から外れ、商業の空間などに変化している空間ではないかと推測された。
     また、院政確立期には認識・行動空間がともにほぼ隙間なく広がっているが、あらゆる大路が使われた点にも着目すると、京内を満遍なく利用しようとしたのではないか、と考えられる。
  • 大島 英幹
    セッションID: P1411
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    I  はじめに
     商業中心地の階層構造の変化については、根田(1985)が小地域の事業所統計を、橋本(1992)が職業別電話帳を用いて分析しているが、データ作成・解析の作業量が膨大になる。本研究では、商業統計立地環境特性別統計編の商業集積地区別集計を用いた簡便な方法により、広範囲にわたり、多時点の変化を商業集積地区(大規模小売店舗を含む商店街)単位で把握した。
    II  研究方法
     東京南西郊外の私鉄5路線のターミナル駅を除いた108駅について、駅周辺の商業集積地区の商品販売額が両隣の駅周辺よりも多い場合、「上位の中心地」とした(図1)。1979~2007年の間の6時点について、上位の中心地が隣の駅と入れ替わるかどうかを見た。
    III  中心地の階層構造の変化
     2007年時点の上位の中心地41駅のうち6駅は、1979年時点では隣の駅の方が上位の中心地であった。中央林間駅の場合、商品販売額の増加が隣の南林間駅の増加を追い抜いている(図2)。湘南台駅と長後駅、新百合ヶ丘駅と百合ヶ丘駅も同様である。日吉駅の場合は、商品販売額が増加するのと同時に、隣の綱島駅の商品販売額が減少して入れ替わった。海老名駅と本厚木駅も同様である。菊名駅の場合、隣の大倉山駅と抜きつ抜かれつを繰り返している。
     これに対し、あざみ野駅の場合、商品販売額が増加を始めるものの、隣のたまプラーザ駅には追い付けなかった。相模大野駅と町田駅も同様である。
    IV  階層構造変化の要因
    階層構造変化の要因として、駅間距離、乗り入れ路線の増加、大型小売店の出店、都市計画の誘導、人口の密度および世代構成などが考えられる。
    参考文献
    根田克彦 1985.仙台市における小売商業地の分布とその変容-1972年と1981年との比較-.地理学評論58(Ser. A)-11 715~733.
    橋本雄一 1992.三浦半島における中心地システムの変容.地理学評論65A-9 665-688.
  • capital city tourismに着目して
    和田 英子, エランガ ラナウィーラゲ
    セッションID: P1412
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    本研究はアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のジョージタウン地区を研究対象地域としている。ワシントンD.C.は国際的にも重要な役割を果たし,政治的な施設などを中心に観光地としても有名であるが,その中心部に近接する高級住宅街ジョージタウンはBusiness Improvement District(BID)にも制定された中心市街地であり,この地区を通る二つの通りMストリートとウィスコンシン・アベニューは互いに交差しており,多くの商業施設が並ぶ。この二つの通りを研究対象地域として業種の分布とその特徴を明らかにすることを目的とする。また,業種分布の特徴の要因をジョージタウンで利用可能な公共交通機関の影響から考察する。
    調査は2010年6月26日,27日に行った。業種は「衣料品店」,「飲食店」,「家具店」,「雑貨店」,「美容系」,「その他」の6の大カテゴリーと,さらにそれらを細分化した計14の小カテゴリーに分類した。各通りの両側の業種構成を調査し,通りごとの違いだけでなく,店舗の向きによる違いと各通りをブロック分けしたときの特徴をそれぞれ考察した。
    各通りの全体を見たときの特徴は,Mストリートには数多くの業種が混在していた一方で、ウィスコンシンには「男性向け衣料品店」を中心とした特定の業種が集積していることが明らかになった。
    ジョージタウン地区へアクセスできる代表的な交通機関には,ワシントンメトロの運行する地下鉄および路線バス,そして2種類の循環バスという4つがあげられる。地下鉄は直接ジョージタウンに乗り入れていないため両通りに対して直接影響があるとは考え難いが,最寄りの近隣の駅へのルートを持つメトロバスや循環バスはMストリートを通過し,駅にアクセスするのに効果的である。さらにこれらは運賃が数ドルと安価であり,ジョージタウン地区への出入り口の役割をMストリートは果たしていると言えるだろう。また,メトロバスとサーキュレーターバスはウィスコンシンとMストリートに複数の停留所を構えており,安価な運賃から,乗客の目的を問わず利用されていると考えられる。しかし,循環バスのなかでも観光に特化したトロリーバスは,ウィスコンシンを主要なルートとして通るものの,そこには停留所を設置しておらず,Mストリートとの交差点付近にあるショッピングモールを目的地とする停留所があった。つまり,観光という視点から見るとMストリートはジョージタウンにとって重要な役割を果たしていると言え,その一方で停留所の無いウィスコンシンは観光という観点でとらえられない通りということになろう。
    Mストリートに数多くの業種が集まり,ウィスコンシンには特定の業種が集まっていることの要因の一つには,ウィスコンシンの方が住宅街に直結していることや,近隣の駅へ行くためにはMストリートを通る方が近いといった地理的要因がある。
    またそれ以外に, Mストリートの南側の西端の1ブロックにショウルームを含めた家の内装に関わるものを扱う「家具店」が集中していた。このような集積はウィスコンシンとの交差点以西にしか無く,そこには観光循環バスの停留所は無い。また,ウィスコンシンに分散していたインテリア雑貨や一般的な家具を扱う「家具店」,つまり,近隣住民に需要がありそうものを扱う「家具店」は観光循環バスが観光地として重要視していないエリアに分布していたことが明らかとなった。このように業種の分布と公共交通機関を複合して見てみると,Mストリートは観光者向け,すなわち観光地の一つであり,ウィスコンシンは近隣住民向けで観光地ではないということがわかる。
    また,Mストリートの西端の北側1ブロックにレンタサイクルを行う店が調査範囲内で唯一あったことから,ポトマック川を挟んだ最寄りの駅であるロズリンから見てMストリートは,ジョージタウン地区にとってのゲートウェイと言えるだろう。
  • 田中 真由紀
    セッションID: P1413
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    農業のグローバル市場下において輸出大国であるアメリカは、穀物を中心として世界各国の食糧を支えているといえる。また、食肉牛中心の食生活であるアメリカは、畜産業関連に応じて成長した飼料用作物生産の生産額も大きい。したがって、アメリカ農業は全体を見ると、主な農産物は穀物や飼料用作物、および畜産物である。 ところが、大きな土地で気候条件も幅広いアメリカでは、土地に適した作物を生産することから、農場形態は多様であり、農業地帯ごとにその傾向も異なっている。それゆえ、アメリカの農業を詳細に見ていくと、機械化にもとづく大規模化、輸出産業、土地・労働粗放的経営などと指摘されている特徴以外にも、機械化が困難で比較的小規模な農業も存在するし、また大規模化しつつも機械化を通じてではなく労働集約的な農業も存在する。例えば、アメリカの果物や野菜の園芸作物の生産は、その育苗から生育・管理、出荷などで周密な注意を要する労働が多く、機械化による必要労働量の削減には限りがあるため、他の農業部門と比較して機械化による規模拡大が遅れている部門である。このことは、生産過程における労働力率を上げることになり、労働力が重要な生産要素となる労働集約的農業といえる。グローバル労働市場下において、大規模化や機械化による規模の経済が成り立たない労働集約的農業の部門は、生産費に占める労働コストが大きくなるため、国際競争力が低くなる。そしてそれは、競争力の高い低コスト輸入農産物との競合を余儀なくされることを意味する。  そこで本研究では、グローバル経済のなかで自由に農産物貿易が行われている昨今、アメリカの労働集約的農業において、その生産に大きな影響を与えるだろう労働力について考察することを目的とし、検討を行った。
  • 金 どぅ哲, グエン テイ ミン アン
    セッションID: P1415
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    Thuong Quang is home to 2 ethnic groups; Kinh and Katu people..In Thuong Quang, Kinh and Katu groups share 40 and 60 percent of commune population respectively. The Katu resettled in Thuong Quang around 1975 right at the end of Vietnam War. Some Katu leaders claimed that Thuong Quang was their homeland before 1975 resettlement. Traditionally, they managed land based on customary rule. The unwritten rule stipulated that land was common property and the right to use a land plot belongs to the first household who cleared and cultivated on that plot. Even if the land plot is left unused, any household who want to become new user must negotiate with the first user. Kinh people’s history in Thuong Quang is shorter as they started resettling in the location during 1977-1980 following state-controlled migration. The commune is divided into 7 villages (4 for Katu, 3 for Kinh). The purpose of this study is to investigate the implementation of forest land allocation policy at local level, through the field survey in Thuong Quang Commune, Thua Thien Hue province in Central Vietnam. Forestry land allocation (FLA) in Thuong Quang: After the revision of 1993 Land Law, the government has issued series of policies stipulating forestry allocation to households. In Thuong Quang forestry land was first allocated via a project carried out by SNV, a Dutch’s NGO, in 2002. The FLA process in general was similar between Kinh and Katu people. Even before SNV’s project started in 2002, households within each village had already conducted land allocation based on their customary rule. Initially customary land use system was an identity of the Katu as mentioned above. Kinh people in Thuong Quang, however, also adopted this approach in land allocation. A plot could be leased, transferred or exchanged between households. These transactions, however, were never recorded by commune authority because these were verbally agreed between households. This allocation was informal and only acknowledged by households. The FLA conducted in SNV project was based on such informal allocation between households. On this pre-negotiated basis, the program conducted land registration, demarcation and finally, issuance of Land Use Certificate (LUC). In other words, the official allocation was in fact a process of legalization for existing informal allocation. Land dispute resolution: The most significant difference between the two groups appears in land conflict solving mechanism. For intra-ethnic land disputes, Katu people usually do not require official resolution as Kinh people. This results from the presence of a patriarch -‘gia lang’- in Katu village. The patriarch is an elder respected by other villagers for his experience and knowledge of traditional custom and belief. In land disputes, he becomes a great source of information on history of land use of relevant households. The patriarch could help involving households negotiating the problem using indigenous knowledge and norms. Unlike the patriarch, the most important figure in a Kinh village – the village headman – does not take this mediating role. For both ethnics, resolution and enforcing power resides in commune authority. Land disputes between Kinh households often find their way to commune authority for final resolution while most of those between Katu would be neutralized at village level thanks to the role of the patriarch. Conclusion: The study implies that ethnicity is an important factor in shaping local response to development policies. To achieve a gain, informal and familiar apparatus may be the only one the minor ethnic can employ while the major ethnic can exploit both formal and informal tool for their own gain.
  • 梁 海山
    セッションID: P1416
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    はじめに 改革開放以後の中国は経済構造が大きく変化し,膨大な農村過剰労働力を生み出しつつある。これに対して中央政府は,郷鎮企業が集中した地域に多数の小城鎮(小都市)を建設して,農村過剰労働力を農村地域内に吸収する戦略的な都市化政策を打ち出した(滕,2001)。都市化の影響が内モンゴルの農村に深く浸透し,それらを著しく変革しつつあるなか,1990年代末から中国の農村整備の重点は,県(旗)庁所在鎮に移行してきている。しかも,すでに中国の開発政策にともなって広大な農村地域に自発的な建築ブームが凄まじい勢いで発生し,内陸の内モンゴルにもその波が押し寄せている。とくに2000年以降の西部大開発により,エネルギー基地の建設や交通インフラ,都市インフラの整備などで大規模な開発資金が投入されてきた。西部各地域では,このようなチャンスを活かそうというムードが広がっており,内モンゴル各地で鉱物資源,特に石炭,天然ガスの開発が急ピッチで進んでいる。奈曼旗にも石油開発,麦飯石など資源開発の波が押し寄せているが,半農半牧地域の特徴として化学肥料の生産や畜産業関係の工場が地域開発の牽引役として発展し,資源開発と工業化に伴う小城鎮建設が本格的かつ急速に始まった。BR本研究の対象地域である内モンゴルの奈曼旗については,これまでおもに砂漠化について数多くの地理学的な研究が蓄積されてきた。しかし,ほとんどの研究は,リモートセンシングを用いて砂漠化の原因を過放牧と過耕作に求める内容で,主として土地利用変化に関するものであった。奈曼旗では,中国内陸における地域開発の一環として小城鎮建設が進められているが,これについて報告した例はほとんどない。そこで本研究では,近年の奈曼旗における地域開発と小城鎮建設計画の実態を明らかにすることを目的とする。BR B【対象地域】/B 奈曼旗は,内モンゴル自治区東南部に位置する中心都市の通遼の南西180kmに位置している。中国の農業地域区分では,農業と牧畜を兼営する半農半牧地域として分類されている。全旗には大沁他拉鎮(奈曼旗の所在地),八仙筒鎮など13の鎮・ソムと国有農場が含まれ,人口44.19万人,面積は8,120kmSUB2/SUBである。当地域は半乾燥大陸性季節風気候で,冬が長く夏が短い。年間降水量は367mmで,主に夏季に集中している。春は,風が強くて,雨が少なく,著しく乾燥する。このような少雨・乾燥・強風に特徴づけられた気候条件のもとでは,地表の植生が一旦破壊されると,砂漠化が進行しやすい。本地域の砂漠化は,主に過放牧と過耕作が原因と考えられ,1990年代末からは砂漠化防止対策として放牧禁止政策が実施始まり,2000年以降から退耕還林還草政策が本格的に始まった。BR B【奈曼旗の地域開発と小城鎮建設の背景】/B小城鎮建設の拡大をもたらした直接的な原因として,1990年代までの経済発展と工業開発,2000年以降の外部地域からの企業と資金の導入,都市人口の増加,居住用地の開発,新市街地の開発があげられる。奈曼旗では,最近の西部大開発や環境政策により,工業用地,エネルギー基地の建設や交通インフラ,都市インフラの整備などに大規模な開発資金が投入されている。工業用地と居住用地の開発は,奈曼旗の市街地拡大を牽引した最大の要因であった。また,奈曼旗は,中国の重点開発県の一つになり,地域開発が進展しているため,この地域における開発の拡大や都市計画には,政府の政策が誘導要因として働いたと考えられる。BR B【結果・考察】/B 本研究は,奈曼旗の所在地である大沁他拉鎮の都市総合計画資料に基づいて,小城鎮建設の実態を整理するともに,奈曼旗の地域開発に伴う砂漠化対策のプロセス,社会経済構造変化,都市インフラ整備の発展などについて考察した。大沁他拉鎮の場合,2020年まで都市的土地を26.85km2増加させ,農地が少ない北側の砂漠化地域へ拡大する計画である。そこには奈曼旗における農牧空間の再編の動きが投影されている。たとえば,北部の未利用地が多い砂漠化地域で開発を行い,工業用地や公共施設,住宅地,公園などを建設して生態環境が保護されている。また,農地の保護を最優先し,都市的土地利用については,交通・水利などのインフラ整備用地を優先した小城鎮建設となっている。大沁他拉鎮は,奈曼旗の政治・経済・商業・教育・文化の中心として,郷鎮企業の発展によって支えられている。とくに地域開発政策と工業の発展が,この地域の小城鎮建設を推進する主な要因といえる。そして現在,大沁他拉鎮の市街地とその周辺の卿・鎮の中心地にまで都市的土地利用が拡大してきている。
  • 坪井 塑太郎
    セッションID: P1417
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _I_.問題所在と研究目的  中国では近年の急速な経済発展が注目を集める一方,中長期的な成長阻害要因として水不足問題が指摘されている.こうした状況を踏まえ,1998年には「中華人民共和国水法」が制定され,同法により水資源の保護,管理,洪水災害対策が実施されてきているほか,節水の励行や節水型先進技術の開発,水の需要抑制,リサイクル,節水灌漑の採用などが規定されている.また,2002年に南北間の地域的な水資源格差の解消を目的とした「南水北調」が着工され,すでにその一部では通水がはじまっている.  中国の水環境に関する既往研究では,これまで需給の絶対量や将来予測等に関する「量的」な研究のほか,水質汚濁等に関する「質的」な研究も数多く行われてきている.近年では中国の環境関連データの多くがインターネット等でも公開されるなど,比較的容易にその取得は可能になっているが,それら統計データは一級行政区(省・直轄市・自治区)単位で行われているものが多いことが実情である.しかし大規模な土地面積を持つ一級行政区単位での地図化を含む分析ではマクロ的な把握は可能であるものの,より詳細な空間的特徴把握のためには下位の行政単位を対象とした分析が不可欠である.本研究では,中国の行政単位のひとつである「地級市」に着目し,GISによる地図化(可視化)を行いその動向を把握することを目的とする. _II_.研究方法  中国の行政界としてGISで利用できる地級市単位のものは少ないため,本研究では「中国分省地図集」(星球地図出版社:2006)をもとに地理情報分析支援ソフト(MANDARA)の白地図処理機能を用いてベースマップの作成を行った.また,データは「中国城市統計年鑑」(国家統計局城市社会経済調査司:各年版)を用い,さらに地域の分析ユニットに応じて「8大総合経済区」「10大水系」にも対応させる取り組みを行った. _III_.考察  図1・2は,同じスケールを用いた行政区界別の生活用水量(L/人日)を示したものである.図1では中国全体として南北間格差が明示できるが,図2ではこうした中でも東北地方および内陸地域の一部において用水量が確保されている様子が分かるほか,新疆ウィグル自治区,青海省,チベット自治区などにおいてはその地勢上,データの欠損(未取得地域)が多いことが看取できる.現在中国では,第十次五カ年計画により2000年以降「西部大開発」のもと内陸部の工業発展が進められている.しかし中国全体での産業構造は労働集約的な軽工業によるものから,電機・電子産業や自動車産業など生産工程上多量の水を要する高技術産業が増大しており,今後においてもより多くの水資源が求められるほか水不足が内陸地域へ拡大することが懸念される. _IV_.研究課題  既往の研究では主として一級行政区を単位として議論されることの多かった中国の環境情勢に対し,本研究ではGISを用いて地級市単位・流域単位で地図化(可視化)することで,より詳細な地域の動向把握を行った.今後は,人口,労働,産業構造をはじめとする社会経済分野に関するデータの集積を進め,他分野とも連携した研究を蓄積していくことが課題である.
  • 千葉 菜保子, 春山 成子, 松本 真弓, 奥村 貴史, 野呂 明美
    セッションID: P1418
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに  新宮川(熊野川)流域は山地面積が97%に及び、平野面積が狭い。上流地域にダム建設はされたものの、自然河川の様相を残している新宮川の中下流域を対象として高水敷、低水敷を対象として現地で粒度分析を行い、河床材料の粒形分布・岩石比率などの分布を明らかにすることを目的として、2010年6月、8月、11月に調査を行った。本稿では当該河川の自然環境を考えに入れて粒度分析結果をもとに河川環境について論じたい。 2.研究手法  本研究では新宮川の河口部の曙地点、相筋、楊枝、志古、和気、本宮の6地点において、最大河川流量を想定して高水敷を代表する場所ならびに現在の河川流量の影響を受けている低水敷を代表する地点を選定して、各々の地点で1m*1mの方形で30cmを掘り上げて礫を100個ずつ採取し、岩種・長径・短径・重量・ラウンドネスを調査した。現地で礫のふるい分け試験、記載を行い、砂以下の粒径部分を研究室に持ち帰り、粒度分析を行った。その結果を粒径加積曲線として示し、100個の礫を対象とした岩種・長径・ラウンドネスについての相関図を作成した。 3.研究対象地域  新宮川は大峰山系山上ヶ岳・稲村ヶ岳・大普賢岳の間に水源を発し、西流(天ノ川)し、十津川渓谷を南に流れ、北山川と合流し峡谷をへて熊野灘に注ぐ一級河川である。流域は奈良・和歌山・三重の3県にまたがる。年間降水量は3000mmに達し下流平野部では洪水が発生している。 4.結果・考察 粒度分析の結果、河口部の砂礫州、河口部から4km地点、を含め、採取地点全点で礫径が大きく、河川勾配との関係が認められた。測定箇所6か所の河床材料の平均粒径を求めた結果、必ずしも、河川上流地域の平均粒径が大きく、河口部で小さいという結果を示すことはなく、河口部から21km地点と、38km地点における河床材料の平均粒径が最大粒径を示すことが分かった。また、全体的に、高水敷と低水敷を比較すると、前者で平均粒径、礫径が大きいことが分かった。全体的に砂成分以下の粒径物質量が少なく、下流まで礫床の河川であることが分かった。 新宮川の河川勾配の変化を見てみると勾配が提低減している地点で礫径が大きくなる傾向が見られ、また、支流河川の流入直後の地点では粒径が大きいことが分かった。河床材料は砂岩・頁岩・チャートの比率が多く、地質図を照らし合わせてみると砕屑物の供給源は熊野層群、熊野酸性岩類などとの一致が見られることもわかった。新宮川の最河口部では安山岩・硬砂岩・石英斑岩などの河床材料が認められ、河川上流部で堆積していない岩石があり潮岬火成複合岩類との一致が示された。 5.まとめにかえて  本研究では新宮川の本宮地点以下の本流河床材料を対象としたが、支川との関係を理解するために今後は支流地域の河床材料調査を継続が望まれる。また、河川流量変化都の対比などが求められる。
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