日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
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  • 沖縄在住奄美出身者と奄美返還
    中西 雄二
    セッションID: 622
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _I_ はじめに  1953年12月25日、それまでアメリカ軍政下にあった奄美諸島の施政権が日本政府に返還された。これにより、奄美諸島は鹿児島県に再編入され、引き続いてアメリカ軍政下に置かれた沖縄との間に新たな行政的な分断が生じることとなった。そして、奄美に本籍を置いたまま沖縄で生活する人々は、法的に「外国人」として扱われるとともに、外国人登録の義務化やそれまで保障されていた様々な権利の剥奪をみるに至った。本研究では、沖縄における奄美出身者の法的地位が大きく変動した奄美の施政権返還前後の時期に注目し、沖縄における奄美出身者の就業状況や同郷団体活動の様態を明らかにすることを目的とする。 _II_ 奄美から沖縄への移住  第2次世界大戦前から他地域への移住が数多く認められた奄美諸島であったが、当初、近接する沖縄方面への移住はそれほど多くなく、むしろ日本「本土」の工業地帯や産炭地域へ移住する人々の規模の方が圧倒的に大きかった(『奄美』1930年2月号)。そうした状況が一変したのが、第2次世界大戦後である。特に、沖縄でのアメリカ軍基地の本格的な建設ラッシュが始まり、それに伴う軍作業に従事する労働者需要が高まった1950年以降、奄美から沖縄への「出稼ぎ」移住は急増した。この背景には、1946年2月に沖縄・奄美と「本土」との間の渡航が制限されていたことや、戦後の大規模な引き揚げによって奄美の人口が過去最高を記録するなど、余剰労働人口の顕在化していたことなどが挙げられる。 _III_ 底辺労働者としての就労  1950年半ばには沖縄での軍作業従事者約4万人中、約1万3000人が奄美出身者といわれるまでになった。そのため、1950年代前半を通して、沖縄本島における大島本籍者の居住分布は那覇市周辺の市街地とともに、基地建設が盛んに行われた本島中部への集中傾向が認められた。また、当時、主に男性に特化されていた建設労働者以外にも、女性の「出稼ぎ」も顕著となったが、性産業を含めた底辺労働に従事する人々も少なくなく、しだいに奄美出身者を表す「大島人」という標識が差別的な意味合いを持つ場面も出てくることとなった。沖縄だけでなく、奄美のマス・メディアまでが警察による沖縄在住奄美出身者の検挙事例を強調するような状況で、沖縄で組織された沖縄奄美会は、同郷者の「善導・救済・犯罪防止」を目指す活動を模索する。 _IV_ 奄美返還をめぐる動揺  このような状況で、1953年には当局が把握する正式に本籍を奄美から沖縄に移した奄美出身者だけでも約4万人に達していたが、同年8月に日本政府への奄美の施政権返還が沖縄に先行して決定した。以降、返還時期と返還後の沖縄在住奄美出身者の法的地位の扱いに関する議論が活発化する。例えば、1953年8月18日の『沖縄タイムス』に「沖縄にとって大島の分離は明らかにプラスである。(中略)大島人の多くが引き揚げることにでもなれば、漸く就職難を訴えてきた労働界は供給不足という事態が生ずることになるので沖縄の労働者にとってこの上もない好条件をつくることになる」といった社説が掲載されたり、同年12月に沖縄全島市町村長定例会議が奄美出身者の大規模な郷里帰還を琉球政府に要請したりした。 結果的に、沖縄在住奄美出身者は奄美の先行返還後、沖縄に本籍を移さない限り外国人である「非琉球人」として扱われることとなり、選挙権や公務員への就職資格などを失っただけではなく、他の日本国籍者に与えられていた政府税の優遇措置の適用外に位置づけられるなど、極めて不利な立場に置かれることとなった。 以上の一連の過程を経て、沖縄奄美会に代表される奄美出身者の同郷団体は「公民権運動」と呼ばれる権利回復を求める運動を繰り広げるなどした。しかし、いわゆる「名士」層を主としていた同郷団体は、底辺労働者の同郷者に対する否定的な認識を内在化していたこともあり、広範な層の同郷者を糾合することもなく、結局は1972年の沖縄返還まで、抜本的な処遇改善を達成するには至らなかったといえる。
  • 小野澤 泰子
    セッションID: 623
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     1980年代の高度成長期以降,東南アジア諸国において国境を越える出稼ぎ労働者が急増した。労働力「輸入」国となったタイには現在100万人以上もの外国人労働者がいると推定されており(Yang2007),またその70%以上がミャンマー人であるとされている(Aung2007)。タイ・ミャンマー国境付近の県をはじめ,チェンマイやプーケットといった都市部にもミャンマー人コミュニティが形成されてきている。首都バンコクには,最も多くのミャンマー人が住んでおり(全体の13.9%),ホスト社会において不可視であるが,独自のコミュニティを形成している.
     本研究ではバンコクにおけるミャンマー人コミュニティを対象に,その適応戦略とコミュニティ構造を解明することを目的とする。分析に当たり,二つの種類の組織に焦点をおきながら,バンコクのミャンマー人の組織を提示していく。第一は,バンコクに到着したばかりの移民に対して全般的なサービスを提供している組織であり,第二は彼らのエスニック・アイデンティティに関わる宗教的な組織である。
    2.バンコクにおけるミャンマー人
     バンコクにおいてミャンマー人が仕事をするためには,高いタイ語能力もしくは英語を有し,また不法滞在者への取り締まりが厳しいことから労働許可書(ワーク・パーミット)の取得が必要とされている.そのためバンコクのミャンマー人は他県に比べ教養のレベルが高く,ワーク・パーミットを有している者の割合も高い。職業も,一・二次産業労働者より,欧米系外国人と関わるようなサービス業に従事する者が多く,店やレストランの従業員,メイド,英語教師といった職種が多くみられるのも特徴である。外国人雇用主宅への住込みが多いことから,バンコクにおけるミャンマー人集住地区はほとんど見られず,またエスニック・ビジネスの展開も未だ初歩的な段階にあるため,一般的にミャンマー人コミュニティは現地社会において不可視な存在である。しかしほとんどの者の休みである日曜日になると,ミャンマー人の組織によるミャンマー人のための集会が市内の各地で行われ,情報を交換し合ったり,生活や精神面での支援をしあったりする様子が見られる。
    3.ミャンマー人による活動組織
    (1)ミャンマー人による生活支援組織
     バンコクにはA氏というミャンマー人コミュニティ・リーダーがおり,ミャンマー人の人権を法的にサポートする活動組織と,ミャンマー人のための学校の二つを運営している。
    ・法的サポート組織
     バンコクだけにとどまらず,タイ各地から年間50~100件ものミャンマー人から相談が寄せられ,A氏と事務所のスタッフにより,裁判に必要な書類を作成したり弁護士と連絡を取り合う手助けを行っている。
    ・ミャンマー人学校
     ミャンマー人がタイで仕事をしながら生活していくために必要なタイ語や英語,コンピューター技術,タイの常識やマナーを教える学校。毎週日曜に開校され,受講者は700人以上,主に18~25歳の若いミャンマー人が中心である.
      (2)宗教的諸組織
    ・キリスト教関係の組織
     バンコクにはミャンマー人のためのキリスト教会またはセンターが,5カ所存在している。各教会は150~400人のミャンマー人から成り立っており,メンバーの中には高所得者や高学歴の者も少なくなく,年齢層の幅も広い。また教会ごとにエスニック集団のすみわけがみられることも特徴として挙げられる。
    ・仏教関係の組織
     キリスト教関係の施設が重質しているのとは対照的に,仏教徒のミャンマー人が利用できる施設は非常に限られている。
    【参考文献】
    Aung, T. T. 2007. Myanmar Migrant Society in Bangkok Metropolis and Neighboring Region, 佐々木衞編著2007.『越境する移動とコミュニティの再構築』東方書店.
    Yang, F.B.Y. 2007. Life and Death Away from the Golden Land: The Plight of Burmese Migrant Workers in Thailand, Asian-Pacific Law & Policy Journal 8: 485-535.
  • 阿部 亮吾
    セッションID: 624
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.研究背景と問題意識  2010年現在、すでに200万人超の外国人登録者を抱える日本では、一部に外国人集住都市が顕現するなど、定住化する外国籍住民との「多文化共生」が大きな課題となっている。とりわけ、隣人として日常的にかれらと接する受け入れ地域社会では、1990年代の混乱期を経て、日本人住民と外国籍住民の新たな共生のかたちが模索されはじめている。  多文化共生に関する従来の研究では、社会学を中心に、国や地方自治体といった行政レベルの諸施策、あるいは受け入れ地域社会の変容や葛藤をめぐって議論が展開されてきた。しかしながら、移民エスニック集団それじたいが地域社会とどう向き合い、ローカルな多文化共生に関わろうとしているのかを明らかにした研究は限られている。こと、在日フィリピン系移民の研究に関して言えば、日系南米人と比べて実証・理論ともに蓄積を欠いているのが現状である。  そこで本研究では、フィリピン人人口の多い愛知県名古屋市中区栄東地区を事例に、フィリピン系移民の組織化を通じた地域社会との関わりから、移民エスニック集団がローカルな多文化共生の実現に果たす役割・可能性・限界を明らかにしたい。なお、本研究の調査は、当該地区におけるフィリピン系移民自助団体での10年間にわたるボランティア活動を通した、発表者の参与観察にもとづいている。 2.フィリピン系移民とローカルな多文化共生  名古屋市を拠点とするフィリピン系移民の組織化は、1980年代半ばに始まった。しかしながら、かれらの抱える諸問題の解決を目指す自助団体の本格的な組織化は、2000年に入ってからのことである。背景には、日本人男性との国際結婚によってフィリピン人女性の定住化が進んだこと、と同時にそれによって私的領域(家庭)における問題が増加しはじめたことがある。  2000年に栄東地区で誕生した自助団体Fは、当初はフィリピン系移民内部の問題解決に取り組んでいたが、2003年頃になると外部である当該地区の日本人地域社会との関わりをもつようになる。相手先は、町内会を母体とした地元まちづくり組織や区役所であった。地区の夏祭り、クリスマス、防災・防犯・消防活動、公園の掃除、文化・スポーツイベント等、3者間のローカルな協働作業がいくつも行われた結果、フィリピン系移民は共生における移民側の主体として急速に可視化されていった。 ところが、2003~04年にかけて異なる2つの大きな事件が発生してしまう。_丸1_超過滞在フィリピン人男性数名の逮捕事件と、_丸2_自助団体F事務所の区外移転事件である。_丸1_は多文化共生に対するフィリピン系移民の失望感として、_丸2_は日本人の目には自助団体Fの背信行為として映り、少なからず遺恨を残した。どちらの事件も、発端や非が3者にあったわけではないが、盛り上がりかけたローカルな多文化共生の機運に水を差す結果となった。それ以降、3者は適度な距離を保った上で、文化・スポーツイベント型の「負担のない」多文化共生が展開されていく。 3.考察  これら事件は、ローカルな多文化共生の実現にとって、いくつかの重要な課題を浮き彫りにしている。第1は、各主体間には目指すべき共生像にズレがあるという現実である。フィリピン系移民の間では、構成員が超過滞在か否かは共生活動に影響しない。ところが、日本人地域社会側では、そういった人々は皆一様に「不法移民」となり、共生社会の一員とはならなくなる。これが_丸1_の事件を引き起こす。第2は、共生活動の地理的スケールにズレがあるという現実である。行政やまちづくりは、活動の地理的スケールが明確に設定されている一方で、移民のそれはエスニック・ネットワークを介してどこまでも延伸し、容易に特定のスケールを飛び越えてしまう。このような地理的スケールのズレに対する相互無理解が、_丸2_の事件を引き起こしたのである。ローカルな多文化共生実現の鍵は、こうした諸課題(限界)を各主体が引き受けながらも交渉しつづけるという、不断のプロセスそのものにあるのではないだろうか。
  • 神谷 浩夫, 金 枓哲, 土屋 純
    セッションID: 625
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    ベトナムで働く日本人女性のライフコース
  • 山口県光市を事例に
    和田 崇
    セッションID: 626
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1. はじめに  本研究は,山口県光市を事例に,市民活動団体がまちづくり活動を推進するために必要な知識・情報をどのような手段で入手し,どのようにしてそれぞれの活動充実に結びつけているかという点について解明することを目的とした。研究に当たっては,_丸1_情報を入手する経路,_丸2_情報入手先の空間的スケールの2つの視点から分析を行った。なお,本研究の実査は,資料調査とアンケート調査,聞き取り調査を併用した。 2.光市における市民活動  海軍工敞跡地に製鉄工場や製薬工場などが立地し,工業都市として発展してきた光市は,1964年の周南工業整備特別地域の指定を機に住宅団地や教育施設を次々と整備した。また,企業からの寄付により,文化・スポーツ施設も次々と整備された。1970年代に入ると,ハード整備に加え,市民自らの参加と主体性に基づくソフト重視のまちづくりが指向されるようになり,1973年の光市民憲章制定,1979年の光市総合計画策定などを通じて,「市民参加のまち」が目指すべき都市像の一つとして示された。こうした施政方針に呼応して,光市では公民館活動が活発に行われるほか,市民の発意で「光クリーンアップ大作戦」や「あいさつ運動」が始まり,現在まで30年以上にわたり継続されている。  2005年の「光市市民活動推進のための基本方針」では,コミュニティ活動(自治会),ボランティア活動,NPO活動などの市民活動の推進による,市民と行政との協働によるまちづくりが示された。これを具体化するため,地域づくり市民講座の開催,市民活動補償制度,コミュニティ備品貸出制度,光市地域づくり支援センターの運営などが行われるほか,2008年度からは公民館自主運営体制の構築・支援が進められている。 3.市民活動団体の情報収集パターン  アンケート調査により,光市内の自治会および光市地域づくり支援センターへの登録団体(以下「登録団体」という)で企画立案の中心的役割を果たしている人を対象に,企画を立案する上で参考とする知識・情報の入手手段の比率を尋ねたところ,回答者全体では,「実績・経験(団体の活動実績,個人的経験など)」が49.0_%_で最も多く,これに次いで「社会的ネットワーク(知人,友人,専門家,SNSなど)」が21.7_%_,「学習機会(講座,研修視察など)」が15.5_%_,「データベース(書籍,資料,websiteなど)」が13.8_%_となった。自治会と登録団体を比較すると,自治会は「実績・経験」と「社会的ネットワーク」の比率が,登録団体は「学習機会」と「データベース」の比率がやや高かった。  「実績・経験」に限れば,自治体・登録団体とも「自団体の活動実績」を参照する比率が最も高いが,登録団体は自治会と比べて「企画立案者自身の職業(またはボランティア)経験」の比率が高いことに特徴がある。  「社会的ネットワーク」については,自治会・登録団体とも「自団体の他の会員」から知識・情報を得る比率が40_%_以上と高く,「他団体の知人・友人」がいずれも10_%_強でこれに続いた。自治会と登録団体の違いはほとんどみられなかった。  「学習機会」については,自治会と登録団体で異なる傾向を示した。自治会は「公民館講座」「光市主催の講演会・研修会」「光市地域づくり支援センターの出前講座」などから知識・情報を得る比率が高いのに対し,登録団体は「光市の審議会・委員会への参加」「先進地視察」「山口県等主催の講演会・研修会」などから知識・情報を得る比率が高かった。自治会は主に光市内で提供される学習機会を,登録団体は光市内に限らず光市以外で提供される学習機会を通じて知識・情報を得ていることがわかった。  「データベース」についても,自治会と登録団体で異なる傾向を示した。自治会は「光市広報紙・光市議会広報紙」「光市公共施設での資料閲覧」「光市図書館・公民館での書籍・資料閲覧」などの比率が高いのに対し,登録団体は「光市外の施設やwebsiteでの資料閲覧」「新聞・テレビ・ラジオ」「光市外の書店やwebsiteでの書籍・DVD等の購入」の比率が高かった。すなわち,自治会は光市内で発行もしくは蓄積されている情報を活用することが多いのに対し,登録団体は発行もしくは蓄積されている場所にかかわりなく必要な情報を光市内外から収集している。  以上から,光市の市民活動の例では,自治会・登録団体とも「実績・経験」「社会的ネットワーク」から得られる知識・情報を主に活用しているが,登録団体については「学習機会」「データベース」から知識・情報を得る比率が比較的高く,しかもその活用範囲が光市外にも広がっている実態が明らかとなった。
  • 杉本 興運
    セッションID: 627
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     現実の観光空間において,観光者が自らの体験のなかで,どのような風景やできごとを評価するのかという問題は,ゲストとしての利用主体が訪れることを前提とした地域において重要なトピックである.この種の研究は景観知覚に関する研究として,地理,観光・レクリエーション,環境心理など様々な学問分野で取り組まれてきた.代表的な手法として,観光者に写真撮影をしてもらい,一連の体験のなかで撮影された写真を分析する手法がある.これは,事後にはとらえきれない不鮮明な体験の記憶を,写真という媒体に記録し,画像データとして収集できるという特徴がある.しかし,従来の研究では使い切りカメラを使用しているため,撮影された対象の分析はできても,地域特性,資源の空間配置、撮影地点の空間分布まで踏み込んだ分析は行えていない.本研究では,それを可能にするために,デジタルカメラ,GPSロガー,GISを活用し,井の頭公園と日比谷公園という2つの都市公園を事例に,その有効性について検証する.また,地域同士の比較から,それぞれの公園における観光者の景観体験の特質とその空間的な傾向を明らかにする.  本研究では,井の頭公園(井の頭池エリア)と日比谷公園において,学生と社会人の男女それぞれ12人,13人に,デジタルカメラ,GPS,園内図を携帯してもらい,好印象な風景や対象を自由に写真撮影してもらった.その際,井の頭公園では固定回遊形式として2つの回遊コースをあらかじめ設定し,日比谷公園では自由回遊形式とした.調査終了後,一連の体験に対する総合評価としてサインマップ法によるアンケートをとった.また,撮影地点の分析には,カーネル密度推定法による密度分布図の作成や,カテゴリー別(「人間」,「植物」,「動物」,「管理物」,「構造物」,「園路景」,「水景」,「広場景」,「その他」の9種)の分類を行った.  井の頭公園では全体的に「水景」,「構造物」,「園路景」が多く撮影された.また,井の頭池中央橋上一帯に撮影地点が著しく集積したが,ここでは多様な対象が評価されていた.日比谷公園では全体的に「構造物」,「植物」,「人間」が多く撮影され,「水景」や「園路景」のような空間的な広がりを認識したものは少なかった.そして,花壇のある広場や池の存在する空間で撮影地点が集積する傾向にあった.このように,評価されやすい景観資源のタイプは2つの公園で大きく異なり,地域特性の違いが観光者の体験質に大きな差異をもたらしている.これは,地域イメージの形成にも密接に関わってくるものであるため,地域資源の演出や活用方法を工夫することの重要性が示唆された.  総合評価アンケートの集計地図と全撮影地点の密度分布図を比較したところ,撮影地点の高集積と多くの人に評価された空間はほぼ一致していた.よって,撮影地点の集積の度合いは空間的なポテンシャルをおおむね反映していると言える.しかし,アンケート評価と集積度合いが一致しない箇所もあったため,そういった空間の特性についてより一層の分析が求められる.また,必ずしも視覚的な環境刺激のみが評価されているわけではなかったため,他の感覚による反応データの抽出や補完の方法について,さらなる検討が必要になる.
  • 「闇」と出会う場所としての深夜の街
    小田 匡保
    セッションID: 628
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     2004年に刊行された村上春樹『アフターダーク』は、女子大学生の浅井マリが夜の街でいろいろな人に出会う、深夜の数時間の物語である。『アフターダーク』は深夜の都会を舞台にした小説で、都市の具体的描写もあり、地理的な分析が可能である。本発表においては、『アフターダーク』の舞台となる街を主に空間的観点から読み解き、深夜の街における「闇」との出会いについて考察したい。
     『アフターダーク』に関しては、これまでにも多くの論考・論評がある。東京文学散歩のサイト「東京紅團」は作品中の施設の現地比定を試みているが、納得のいくものではない。神山(2008)は村上作品の空間的特徴を検討し示唆に富むが、『アフターダーク』については、テレビ画面内の部屋(異界)に関心があり、本稿の分析とは重ならない。
    2.登場人物と「色」
     「景観」を広く解釈して、「色」についても考察する。登場人物の服装や持ち物の色は、マリ、高橋、エリ、カオル、白川、中国人娼婦、中国人組織の男ら、人物の性格に応じてかなり使い分けがされている。一見対照的に見える白川と主人公マリの共通性はこれまでも別の面で指摘されているが、服装やカバンの色にもうかがえる。
    3.場所の設定
     作品全体の舞台は渋谷と思われるが、村上(2005)は「架空の街」と述べている。発表者は、渋谷を念頭に置いた架空の場所が設定されていると考える(以下〈渋谷〉と表記)。登場人物の自宅の位置などを地図化すると、人物の性格により、〈渋谷〉と自宅との距離や、〈渋谷〉からの方向性などに違いがあることが明らかになる。街内部の施設の位置についても検討し、ラブホテルやファミレス、公園、コンビニなどの配置について地図化を試みる。
    4.「闇」との出会い
     他の村上作品と同様、『アフターダーク』も異界との接触がテーマの1つである。中国人組織との6回の接触を分析すると、特定の場所だけでなく、どこでも「闇」の世界と出会う可能性があることが示されている。また、深夜の街全体が異界としても描かれている。
     本発表の詳細は、小田(2011)で発表予定である。

    文献
    小田匡保 2011. 村上春樹『アフターダーク』の空間的読解―「闇」と出会う場所としての深夜の街─. 駒澤大学文学部研究紀要 69(予定).
    神山眞理 2008. 物語に表現される空間の図学的考察─村上春樹の小説を示例として─. (日本大学)国際関係学部研究年報 29: 65-82.
    東京紅團. 《村上春樹の世界》afterdarkを歩く.(http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-afterdark.htm)
    村上春樹 2005. ロング・インタビュー:「アフターダーク」をめぐって. 文學界 59(4):172-193.
  • 成瀬 厚
    セッションID: 629
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I はじめに 下北沢は演劇の街でありながら,近年では音楽ライヴを提供する店舗の集積により,音楽の街としての様相を呈してきている。毎年7月にはそのライヴ施設の集積を活かした「下北沢音楽祭」が開催されている。一方,下北沢の街はここ数年,「都市計画道路補助54号線」と駅前広場を含む「区画街路10号線」の建設計画をめぐって様々な動きが展開している。 本報告では,下北沢でライヴ活動を行っているミュージシャンたちを取り上げ,かれらの下北沢との関わりについて考察する。特に,この建設計画をめぐる動きが顕著であった2005年を中心にミュージシャンたちのこの街との関わり方を明らかにしたい。 II 音楽的社会関係 2005年の5月に雑誌『SWITCH』は「下北沢は終わらない」という特集を組んだ。芸能界からは,この街で生まれ育った小池栄子,演劇界からは原田芳雄が登場し,作家の片岡義男はこの街を舞台とする短編小説を寄稿した。音楽界からは曽我部恵一やクラムボンの原田郁子,小島麻由美,UAなどのメジャー・アーティストが名を連ねているが,本報告で取り上げるのは,かつてメジャー・レコード会社との契約もしていたが,現在は下北沢の施設を含むライヴ活動を中心にしているミュージシャンたちである。 また,本報告では具体的な社会運動としての下北沢再開発反対派の団体について詳細に報告することはしない。反対派の団体で代表的なのは「Save the下北沢」だが,ミュージシャンたちはそれらと緩やかに関係を持ったり,その主張に大枠で同意したりしているが,必ずしも自らが主体的に運動に参加するわけではない。むしろ,自分たちにできるのは音楽活動だけだと割り切っているともいえる。 ただし,こうしたミュージシャンたちは明らかにこの街,下北沢に愛着を持っていて執着している。かれらはそれぞれ好んで定期的に出演しているライヴ施設を下北沢にもち,自ら企画するイヴェントも定期的に開催している。また本報告では報告者を含むオーディエンスの行動もたどっている。表1には,対象とするミュージシャンが2005年に行ったライヴ本数と下北沢での内訳を示した。かれらは,こうした特定の街でのライヴ活動を通して,ミュージシャン同士,ライヴ施設の経営者や従業員,そしてオーディエンスたちと関係を結ぶ。かれらのなかには下北沢周辺での居住暦を持つものもあり,仕事場として,居住地としてこの街と関わっている。朝日美穂が2005年11月にライヴ演奏で参加したイヴェント「シモキタ解体」は下北沢のタウン誌『ミスアティコ』が主催したもので,「Save the下北沢」の代表や,社会学者の吉見俊哉もトークセッションに参加したものである。 III 街の音楽的風景 朝日は単独で,HARCOは南風というグループへのゲストという形で,シリーズCD「sound of shimokitazawa」に参加している。特に,朝日の「ドットオレンジ模様の恋心」という楽曲は下北沢的要素をふんだんに盛り込んだもの。朝日は他にも下北沢のカレー店のドリンクメニューをタイトルにした楽曲もある。HARCOは2004年発売のCDに収録された楽曲「お引越し」のプロモーションヴィデオを下北沢中心に撮影している他,2002年発売のCD『space estate 732』の冒頭で,下北沢で賃貸住宅を探す青年に扮している。ハシケンは2006年から下北沢のライヴ施設「440」で隔月イヴェントを開催し,その集大成として制作したCD『Hug』(2007年)にはそのテーマソング「下北沢」が収録されている。そこではのんびりとしたテンポの曲に,自らの日常的行動のように,下北沢南口界隈をブラブラと歩く様子が描写されている。 IV おわりに 報告者はこれまで,文化的作品における場所の表象分析を通して,場所と人間主体のアイデンティティの関係について論じてきた。本報告では,作品自体の考察も含むが,そのパフォーマンスの場としての場所との関わり合いについても考察した。また,社会運動研究が明らかにしてきたような,場所に対する明確な帰属意識を有する共同性ではなく,下北沢という商品的街に相応しい緩やかな共同性によって,開発反対運動に同調する思想が共有されている。 文 献 中根弘貴 2010. 下北沢に創られる共同性の民族誌:ロックバンドと市民運動グループの繋がり.南山大学大学院2009年度修士論文(未入手)
  • 東京都を事例として
    石原 肇
    セッションID: 701
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _I_ はじめに 地球温暖化防止対策は,世界各国において重要な課題となっている.このためEUでは2005年から産業部門を対象とした,またアメリカ合衆国では北東部10州により2009年から発電所を対象とした温室効果ガスのキャップ&トレード型排出量取引制度が実施されている.日本では2010年4月から東京都が環境確保条例に基づき大規模事業所を対象としたCO2排出量の総量削減義務と排出権取引制度を導入した.この制度は世界で3番目となる温室効果ガスの削減義務制度であり,業務部門をも対象とした世界で初めての都市型キャップ&トレードである. 東京都は総量削減義務化に至るまでの間,環境確保条例に基づく地球温暖化防止対策計画書制度(以下,計画書制度という)により大規模事業者に対して自主的なCO2排出量の削減を求めてきた.その際に,個々の大規模事業所におけるCO2排出量の実績値を把握することを大規模事業者に対し求めてきた. これまで日本におけるCO2排出量に関する地域的研究は,全国市町村における民生部門の家庭部門,小規模事業所を考慮した民生部門の業務部門,建設業のCO2排出量の推計がみられる(中口2004,中口他2005,中口・飯田2007).しかし,大規模事業所のCO2排出量の実態を把握することを目的とした研究はみられない.そこで本報告では,東京都を研究対象地域として,大規模事業所からのCO2排出量の地域的特性を明らかにすることを目的とする. _II_ 研究方法 本稿で用いるデータは,以下のとおりとする.大規模事業所は年度ごとにCO2排出量の実績値を報告している。これらの大規模事業者からの届出は東京都がホームページで公表している。そこで本研究では大規模事業所からの2007年度のCO2排出量の実績値を用いることとする.都内では23区および26市により瑞穂町を含む50区市町ごとの2007年度のCO2排出量が2010年に初めて公表された.この50区市町ごとのCO2排出量総量を用いて当該区市町に立地する大規模事業所からのCO2排出量と比較する.あわせて大規模事業所が,当初の計画書において記載した過去の排出実績に基づく基準排出量と2007年度のCO2排出量とを比較し,用途ごとにどれだけの増減があったかを把握する. _III_ 結果 第一に,大規模事業所は区部の都心部に多く立地しており,その用途はテナントビル,事務所,商業施設などの業務用途が多くを占めていた.一方,都心部から離れた地域では,工場などの産業用途の大規模事業所が多くを占める場合が多い傾向にあった. 第二に,大規模事業所の立地は都内に均一ではなく,集中している区市町とそうでない区市町がみられた。大規模事業所が特に集中している区市町である千代田区,港区,羽村市,瑞穂町では,当該区市町で排出されるCO2総量のうち大規模事業所からの排出割合が40%以上を占めており,計画書制度による大規模事業所の取組結果が大きく影響する地域であると考えられた. 第三に,2007年度時点での排出量削減の状況は用途により差異が見られた.産業用途ではいずれの用途もCO2排出量の平均値は基準排出量より減少しており,概ね対策の効果がみられた.一方,業務用途ではテナントビル,商業施設,宿泊施設,医療施設ではCO2排出量の平均値は基準排出量より減少していたが,事務所や教育施設では基準排出量と比べてCO2排出量の平均値は上回っていた.
  • 泉 留維
    セッションID: 702
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    研究の概要
     本州や四国、九州では、旧来、村落共同体の通行や生活の場として用いられてきた「里道」をフットパスとして再生する試みが各地で行われているが、北海道は状況が少し異なっている。明治時代、山林、原野、河川、海岸等の大半は官有地に編入され、そのうえで人民への払い下げや貸付がなされており、そもそもアイヌの人々の土地であったことから、現在の住民にとって歴史性、共有性のある道は限定的である。ただ、北海道では、市民単独ないしは市民と自治体の協働事業としてのフットパスの設置は、他の地域と比べて非常に活発である。
     本研究では、北海道におけるフットパス事業が、どのような社会的文脈において展開していったのかを概観し、その上で北海道を代表するフットパスである根室フットパスなどのいくつかの事例から、フットパス先進国である英国とは異なる北海道の取り組みの特徴と問題点を指摘する。
    研究内容
     各地のフットパス事業においては、「2つの軸」(フットパス周囲の地権者の数、地方自治体の積極性)と「4つのアクター」(自治体、NPO&ボランティア、地権者、利用者)が織りなす関係構造が、その発展過程や問題発生を説明するカギとなっている。北海道においては関連地権者が少なく、自治体よりは市民の積極的な関与が目立つ。そのような市民参加を促進させたのが、北海道におけるフットパスの有力な支援者NPO法人エコ・ネットワーク(札幌市)である。
     このNPOが仕掛けた2002年のフォーラムを発端にして、道内各地のフットパス実践団体の集合体である「全道フットパス・ネットワーク準備会」が設立されたりするなど、関係者がネットワークを構築し、30以上のフットパスが設置されていった(表1参照)。北海道のフットパスは、他の地域と異なり私有地内を通るものも少なからずあり、(1)復元された旧道や山道、(2)旧国鉄等の廃線跡、(3)牧場や農場、(4)けもの道などを利用するものもある。ここ数年は、大手旅行会社が団体ツアーに組み込むなどにより利用者が増加し、事業者・地権者との交流のみならず、事業者側の理念にそぐわない行為や、地権者のプライバシーの喪失といった矛盾を抱える事態も生じている。
  • 橋本 操
    セッションID: 703
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.研究の背景および目的
     近年,野生動物と人間を取り巻く問題として,野生動物が人里に侵入して生じる農作物被害や人身被害が顕著になっている.そのうち,クマ類の獣害への対応策・保護管理としては,生息数が少なく,被害が密度依存的でないため,生息数を確保しながら被害を防止する必要がある.しかし,北海道のヒグマにおいては大型で危険なため,依然として駆除一辺倒であるのが現状である.さらには,狩猟者の高齢化や担い手不足が問題となっており,従来の出没時対応としての有害駆除対策では,将来対応しきれなくなる地域が現れることが考えられる.そのため,捕獲が繰り返されている地域の原因を調べ,それに合った対応策を構築しなければ,本当の意味での被害の減少にはつながらない.
     以上を踏まえ,本研究では,日高町,平取町,新冠町,新ひだか町,浦河町,様似町,えりも町の7町からなる,北海道日高地域を事例として,ヒグマが出没するパターンとその要因を明らかにすることを目的とする.
    2.研究方法
     まず,1991~2009年に日高地域で駆除されたヒグマの胃内容物分析データを使用し,捕獲されたヒグマの季節的な食性行動の特徴を明らかにする.次いで,平取町を事例地域として取り上げ,狩猟者への調査を基に,ヒグマが出没する要因を探求する.また,2008~2009年の平取町のヒグマの出没地点と土地利用や標高,耕作放棄地のデータを用い,周辺環境の分析を行う.以上の分析を基に,ヒグマが人里へ出没するパターンとその要因を明らかにする.
     胃内容物の分析に関しては, Sato et al.(2005) にならい,
     頻度割合(%)= ni / N ×100
     (ni:食物iを摂取していたヒグマの試料数,N:全試料数 )
    を指標として用いた.
    3.結果
     ヒグマの出没パターンとその規定要因は季節ごとに以下のようにまとめることができた.
     春は,ヒグマが冬眠から覚め,活動を始める季節であり,山にあるフキなどの植物を中心に採食する.人間は山菜の採取やレクリエーションのために山へ近づく.そのため,森林でヒグマを目撃することになる.初夏は,エゾシカの出産の季節であり,農地でのエゾシカの農業被害も多くなる.そのため,エゾシカの有害駆除が農地周辺で行われ,エゾシカの死体が埋められ処理される.また,駆除されたエゾシカがその場で倒れずに藪に逃げ込み,回収できない場合もある.これらのエゾシカの死体を狙い,ヒグマが荒地や耕作放棄地へ出没するようになる.晩夏は,デントコーンが実る季節である.そのデントコーンを狙い,ヒグマが農地へ出没する.そのため,最もヒグマの目撃および被害報告が増加する.秋は,デントコーンの収穫が行われる季節である.デントコーンが収穫されるまではヒグマの出没が続くが,デントコーンが収穫されると餌となる農作物がなくなるため,ヒグマの出没が減少する.また,秋は山にヒグマの餌となる液果や堅果といった果実が実るため,それらを摂取するために山での活動が多くなり,人里への出没は減少する.冬は,ヒグマが冬眠しているため,出没しない.
     以上より,日高地域におけるヒグマの出没要因としては,エゾシカの駆除死体の不適切な処理と農作物が大きく関わっていることが示された.
    文  献
    Sato,Y.,Mano,T.and Takatsuki,S.2005. Stomach contents of brown bears Ursus arctos in Hokkaido, Japan. Wildlife Biology 11:133-144.
  • アルマトゥ州パンフィロフ地区の旧「10月革命40周年記念」コルホーズを事例として
    渡邊 三津子, 中村 知子, アブデショフ オルジャス
    セッションID: 704
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.研究目的
    乾燥・半乾燥地域の自然環境は,乾燥気候と水資源の希少性だけでなく,地形など諸々の要因に起因する,水や土地生産性の時間的・空間的偏りなどによっても特徴づけられる.灌漑などにより,その偏りを人工的に変えることで農業生産性向上が図られてきたが,その過程で様々な問題も発生してきた.水や土地の利用に直接かかわる,農牧業変遷を様々な角度から分析し,それがどのように変化したか,あるいはそれによってどのような問題が起こったかを,実態に即してとらえなおすことは,乾燥・半乾燥地域の自然環境と人とのかかわり方を考える上で不可欠な作業である.
    中央ユーラシア乾燥・半乾燥地域の農業について考えるとき,旧ソビエト連邦の果たした役割を軽視することはできない.アラル海流域における綿花栽培などのように,ソ連時代には農業生産部門における地域分業構造が形成された.それがそれぞれの地域の農業や土地・水資源の利用に与えた影響は大きかったといえる.加えて,カザフスタンの場合は,他の連邦構成共和国の需要を満たすための「過剰生産能力」が存在していたため,ソ連崩壊後の共和国間の経済的連関の断絶により,以前なら輸出されていた農産物が大量に滞留し,より深刻なダメージの原因となったとされる(野部,2007).
    本報告では,アルマトゥ州パンフィロフ地区の,トウモロコシ採種業を専門とした旧「10月革命40周年記念」コルホーズを取り上げる.コルホーズにおいて,どのような開発が行われてきたのかという点に加え,種トウモロコシ栽培に焦点をあてて,その分業構造形成の背景や,それが地域に与えた影響について報告する.
    4.「10月革命40周年記念」コルホーズの開発史
    4.1農業開発と景観変化
    対象地域周辺には,集団化の時期に1929年~30年にかけて,複数のコルホーズが創出された.これらが合併・名称変更を繰り返したのち,1957年に「10月革命40周年記念」コルホーズとなった.
     アルマトゥ古文書館所蔵資料や聞き取り調査によると,この地域に種トウモロコシ栽培が導入されたのは,コルホーズ名称変更前の1956年のことで,それ以前にはトウモロコシ栽培はほとんど行われていなかったようである.本格的農地開拓もこの時期に始まり,はじめに扇状地が農地へ転換され,さらに1970年代には,扇状地以外の場所(イリ河河畔の砂地など)へと開発が広がっていった.
     結果,本地域では扇状地の農地化に加え,栽培作物の転換という大きな景観変化が起こることになった.
    4.2.種トウモロコシ導入の背景と地域分業
    種トウモロコシ導入の背景としては,フルシチョフ農政初期における畜産振興があげられる(中川,1976).畜産振興のためには,飼料問題の解決が不可欠であり,飼料作物の栽培が奨励された.ところが,ソ連邦の北部や東部は気候条件の制約から,ほとんど青刈りの状態で飼料にされた.このため,飼料を栽培するための種を別の地域で栽培する必要性が生じ,本地域で採種業が導入されることとなった.
    本地域では地域外での消費を目的とする作物が生産開始され,モノの流れが大きく変化することとなった.また地域分業の一要素として,それぞれを結ぶネットワークに依存する農業への転換でもあり,ソ連崩壊後の,この地域における農業生産の縮小の要因は,この時期に作られたといえる.
    本研究は,総合地球環境学研究所・研究プロジェクト『民族/国家の交錯と生業変化を軸とした環境史の解明―中央ユーラシア半乾燥域の変遷(リーダー:窪田順平)』による成果の一部である。
    文献)中山弘正(1976):『現代ソヴエト農業』/錦見浩司(2004):農業改革-市場システム形成の実際-.岩?一郎・宇山智彦・小松久男編著『現代中央アジア論-変貌する政治・経済の深層-』201-226./野部公一(2003):『CIS農業改革研究序説-旧ソ連における体制移行下の農業』/野部公一(2007):縮小から回復に転ずるカザフスタン農業-経済体制転換後のあゆみ-.「ユーラシア研究」37:28-33.
  • -「地図学の聖地」に関連して-
    松山 洋, 西峯 洋平
    セッションID: 705
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1 はじめに  2008年から、『地図ジャーナル』(日本地図調製業協会刊)で「地図学の聖地」という連載をしている。当初は、日本経緯度原点や日本水準原点などに行ってみた話を紹介していたが、題材に限りがあるため、最近では高校の教科書や地図帳で取り上げられている地形図を取り上げつつある。  しかしながら、次章で挙げる教科書と地図帳に出てくる地形図は全部で101枚あり、これら全てを紹介するわけにはいかない。そこで、多くの教科書と地図帳で取り上げられている地形図のうち代表的なものを、客観的に選出することを試みた。本発表では、その結果について報告する。 2 データおよび解析手法 解析には、各社が出版している地理Aと地理Bの教科書と地図帳を用いた(表1)。多くは平成17年版であるが、二宮書店については最近のものも用いた。これは、筆者たちが利用可能なものを全て用いた結果であり、他意はない。 ある地形図が教科書・地図帳に出てくれば1、出てこなければ0という名義尺度の行列を作り、数量化III類にかけた。得られたカテゴリースコアを全て用いてクラスター分析(Ward法)を行ない、地形図の特徴について調べた。 3 結果と考察  数量化III類の結果、固有値が1を超える軸はなく、第1軸でも寄与率は9.0%(相関係数 0.96)であった。第2軸以下も寄与率・相関係数とも同じような値が続いていた。  クラスター分析を行なった結果を図1に示す。このデンドログラムで特徴的なのは、結合距離が0となるメンバーが多いことである(図1の左半分)。これは、1社の教科書や地図帳にだけその地形図が出てくることを意味している。 複数の会社の教科書や地図帳に出てくる地形図は、短い距離で結合し、まとまったクラスターとなっていた(図1の点線で囲んだ部分)。これらは、地理学的にも意義のあるメンバーとなっているように思われるが(百瀬川扇状地や室戸岬の海岸段丘、旭川市の屯田兵村など)、詳細については発表当日に紹介する。
  • 逸見 優一
    セッションID: 706
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _丸1_はじめに  現在高校で学ぶ高校生1人1人が、自己の生活場で起きている日常の諸現象について毎日その1つ1つについて掘り下げて思いをはせ、それら諸現象を総合してとらえているであろうか。毎日、授業設計をおこなう上で、筆者の念頭から前記の思いはいつも離れることはない。現行の高校地歴科「地理A・B」、公民科「現代社会」を長年担当する思いはいつもこの問いかけに始まり、終わる日常であり続けてきた。日本全国各地でそれぞれを生活場にして1人1人ごとの高校生の思いのもと自己の生活場はかたちづくられてゆく。 _丸2_生活場から地域をみることの大切さ  1人1人のおかれている多様な生活場をベースに世界各地に生起している地球的課題に関する諸事象をグローカルに把握・分析し、自己の生存する時代的地域のみならず、地球的スケールの視座から、この時代的現代的課題を設定し、課題の解決の道程を展望することが高校で授業構成を展開・設定することは絶えず求められ続けてきた。  「地域調査」学習項目がはたす役割は今後も大きいものが有るとまだ考えられよう。時代的に時を見つめ将来を見定める力として、「課題設定」能力や「課題解決」能力が改めて生きる上で大切なこととなってきている。  自己の将来展望の要は環境を見定めるスキル(技能)を高校生がつくりあげことにあると考えられる。現実社会にとらえられる環境には多様なバリエーションの幅が有る。1歩を始めること。その1つのスキル力に妥当と考えられる方法、育成等について報告者はこの間、「地域調査」的学習がどのような位置をしめすべきなのかについて考察してきた。ここでは、生活場の環境の多様性の中から、古環境をとらえる1例を探ることからアプローチを再び試みたい。 _丸3_古環境を探るための地域調査学習項目の位置の再考  1:自然:地形・気候・日本の自然の項目で扱うか  _II_:地球的課題の項目で扱うか:グローカル把握スキル  身近な古環境把握のための指標、微化石としてプラントーオパールや珪藻、火山灰、樹木の年輪、いわゆる化石をやはり取り上げる(今のところ学校という範疇では限界)。 分析となると安全性の確保と設備(理科室など)・機器、薬品などで、教師が分析し作業過程や成果を動画/画像記録に保存し、いわゆるICT(PC、プロジェクター、液晶テレビ等)で授業時間中に、取り扱う学習項目を設定し、そこに位置づけ、取り扱い、演示し、またはデモンストレーション(いわゆるプレゼンテーション)するしかないのが現状のようである。 _丸4_「微化石分析からみた古環境復元と、今いわれる地球温暖化の流れへ迫るための教材化の在り方の一例」  古環境復原指標になる微化石には、珪藻とイネのプラントオパールが使える。微化石を検鏡・同定することは生徒にきっと新鮮で深い感動を与え、科学の世界へと導いてくれよう。作業提示、実演・演示過程をどう設定することで、試料採取と試料分析をうまく結合し、高校生の関心・意欲・態度を高めてゆく教材となってゆくのか。  他の研究方法等も積極的に取り入れた総合的な観点から、十分に高校生の学習成果が試行錯誤できるものとなることが大切である。高校生が学習結果を自ら展望・展開できる授業設計が目指せることが教材化の最終的な課題である。 _丸5_地域調査学習項目の位置の再考とまとめ  新学習指導要領では、言語活動、日本の項目、地域設定とそこにみられる諸事象を通じ問題点を把握し課題解決のための道筋をさぐるために、レポートを活かす地域調査の設定などが目指される。学校現場では授業の流れの中では、教科書記載モデルで終わらせ、独自には以前はあまり実施されてはいないといわれた「地域調査」を生きるための学力づくりにと提起している。  主体的な「地域学習」は、ここ数年は各都道府県の高等学校ごとに現行の学習指導要領下でもシラバスが作製され教科書の配列にもとづき授業展開の中で、「地域学習」が学ばれているようである。「地域調査」が毎年の「大学入試センター試験」でこのところ必須の出題分野的であることが背景となっている。効果的には、高校「地理A・B」学習への影響点は大きいと言える。活かされた「地域調査」ができるかどうかの課題がここに有るといえよう。
  • 山口 幸男, 今井 英文, 佐藤 浩樹
    セッションID: 707
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    全国地理教育学会では、わが国で初めて本格的な「日本地理かるた」を制作した。このかるたは、わが国の47の各都道府県の特色を、かるた競技を楽しみながら学習できるようにと願って制作したもので、小・中・高校の地理的学習において活用されることを期待している。 本発表では、「日本地理かるた」の制作経緯、趣旨について述べるとともに、「日本地理かるた」を活用した高校地理、及び小学校社会科5年の授業実践事例を報告し、その分析・考察を行うものである。
  • 飯島 慈裕, 堀 正岳, 立花 義裕
    セッションID: 708
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I.はじめに
    近年の日本周辺の冬季気候の特徴として、大陸からの急激な寒気流出現象(寒波)が上げられる。例えば、2009-10年冬季では、日本は冬季平均で暖冬偏差であったが、間欠的に温暖な状態から急に寒波が訪れる事象が多く現れた。ユーラシア大陸上でも、強い寒波によって中国や中央アジアにかけて多量の積雪がもたらされるなど、その影響を強く受けた。今冬(2010-11年)も同様の寒波が頻発している。これら日本まで到達した寒波事例の大気場の解析結果(Hori et al. 2011, SOLA, 受理)によると、北極振動の負偏差の強まりとともに、バレンツ海上でのリッジの形成をトリガーとするユーラシアでの寒気移流プロセスが示されている。一方、寒気が大陸上を移流する際、地表面付近で強烈に発達する接地逆転層の影響を受け寒気が強められる可能性が推測される。しかし、大陸上における寒気の蓄積(強化)、流出の一連のプロセスにおける大気-陸面の時空間的相互作用に関しては不明な点が多い。
    そこで、本研究では2009-10年、2010-11年冬季におけるユーラシア大陸上での接地逆転の形成と、寒気流出との関係について、高層気象観測データに基づく解析を行った。
    II.使用データ
    解析にはNOAA/NCDCのIntegrated Global Radio- sonde Archive (IGRA)から、ユーラシア大陸上の北緯40°-80°、東経60°-150°の領域の特異点データを含む高層気象観測点(89地点)の00Zと12Zの高層気象観測データを用いた。本研究では、地上気温から気温逆転が継続する層を接地逆転層とし、その最高気温の気圧面を接地逆転層の上端とした。また、接地逆転層の強度(InvSt: Inversion Strength: 単位はMJ m-2)を算定した。InvStに加えて、逆転層上端の気圧と気温も、接地逆転発達の指標として用いた。
    また、冬季中の地表面積雪分布について、MODIS/Terra Snow Cover 8-Day L3 Global 0.05Deg CMG, Version 5を用い、8日平均での接地逆転層発達分布との対応を調べた。
    III.結果
    2009-10年冬季における大陸上の全観測地点平均の接地逆転層は10月下旬までは発達が弱く、積雪域が広がるのに対応して11月以降急速に強度を強め、1月上旬に最大の強度となった。寒気の極にあたる東シベリアのヤクーツクでは、逆転層の変動はより顕著であり、11~2月に2週間程度の間隔で逆転層強度の変動がみられた。こうした接地逆転層の発達と衰退は、中央・東シベリアからモンゴルにかけて広域的に繰り返されていた。
    11月以降、シベリアでの接地逆転強度の極大は、日本の寒気流出の極大の3~5日前に現れ、その後の急激な逆転層の衰退に伴い、寒気流出による日本付近の急な気温低下と対応した。12月中旬の事例では、逆転層がエニセイ川流域以東で非常に発達し、5日程度の間に、発達域はモンゴル・中国北東部・アムール川流域へと南下した。このとき、上空の大気は(1)「バレンツ海でのリッジ形成」→(2)「極域からの寒気移流と大陸上での蓄積」→(3)「大陸上では高・低気圧の波束が伝播」→(4)「寒気の南下が進む」という時間変化を示した。シベリア上での接地逆転の強度は(2)の段階で強まり、(3)でシベリアの逆転層の撹乱からモンゴル側に逆転層発達域が南下し、寒気流出時に対応する変化を示していた。
    寒気がシベリアで蓄積し、日本へ流出するまで、逆転層上端(約850hPa)の気温は-20℃以下に維持されていた。上空の寒気移流は、大気放射の減少をもたらし、地表面での放射冷却を強化させるため、接地逆転層の発達に寄与する。その後、接地逆転層の発達に伴いその厚みが増し、擾乱による冷気の混合によって上空の寒気が再度強められ、中緯度への強い寒波をもたらしたと考えられる。
  • 加藤 内藏進, 蔵田 美希, 大谷 和男
    セッションID: 710
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    梅雨期の降水量が特に大きい九州北西部の例として,長崎における1901年以降の日降水量データに基づき,梅雨期の降水量の長期変化について解析した。主な結果は,次の通りである。 (1) 6月の降水量について,20世紀前半は,「かなり降水の多い年はあるものの,降水の少ない年の頻度が高い」という年々のばらつきの非対称性が顕著であり,それは,日降水量50~100mm程度の『多降水日』の寄与の年々変動を反映していた。 (2) 20世紀後半には,20世紀前半に比べ,7月(特に後半)の平均降水量と年々変動は増加,9月の降水量と年々変動は減少していた。特に7月後半のそれは,年々の平均値の増加も,年々変動の増大も,『多降水日』の寄与の大きさを反映していた点が明らかになった。
  • 日下 博幸, 北畑 明華
    セッションID: 711
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに 二つ玉低気圧とは,低気圧が日本列島の南北に対になって現れるものを言い,日本においては重要な気圧配置型のひとつである.飯田(2005)は,二つ玉低気圧が形成されるときの気圧配置として4つのパターンを紹介している.しかしながら,二つ玉低気圧に関する研究は少なく,二つ玉低気圧の出現頻度や,どういったパターンが多いのかといった調査は行われていない. 2.目的  二つ玉低気圧の気候学的調査を行うことを目的とする.過去20年間(1989年~2008年)の二つ玉低気圧の出現頻度を調べ,飯田(2005)で紹介されているパターンを参考に4つの分類型を設けて事例を分類し,それぞれの型の特徴を調査する. 3.使用データ・解析手法  はじめに,二つ玉低気圧の定義(地上天気図において,日本列島を挟んで低気圧が2つ解析されていること)を設け,二つ玉低気圧事例を抽出する.その中でも,予報官のイメージに近いと思われる顕著な二つ玉低気圧事例を選別し,それらを以下の4つに分類する.(_I_)並進タイプ:2つの低気圧が西方で発生し,日本列島を挟みながら東進する.(_II_)南岸低気圧メインタイプ:南岸低気圧が東進してきたときに,日本海上でもうひとつ低気圧が発生する.(_III_)日本海低気圧メインタイプ:日本海低気圧が東進してきたときに,太平洋側でもうひとつ低気圧が発生する.(_IV_)分裂したように見えるタイプ:ひとつの低気圧が九州付近で2つに分裂したように見える.これら4つの分類型は,それぞれ飯田(2005)の4つのパターンに対応する. 事例の分類後,各分類型毎に季節別出現頻度や低気圧の発生位置等を調査する.また,二つ玉低気圧の形成に対する日本列島の地形の影響を調べるため,各分類型からいくつか事例を選び,数値実験(日本列島除去実験)を行う. 4.結果と考察  並進タイプは春に多く出現する.ジェットの季節進行と関連している可能性がある.南岸低気圧メインタイプは冬にやや多く出現する.このタイプの場合,日本海上に発生する低気圧は,前線を伴わない弱い低気圧の場合が多い.南岸低気圧メインタイプは,季節性に特徴は見られないものの,太平洋側で発生する低気圧は,関東沖と九州・四国沖で多く発生する(図1).  数値実験の結果,並進タイプは実験の対象とした10事例全てで二つ玉低気圧の形成が確認できたが,南岸低気圧メインタイプと日本海低気圧メインタイプでは二つ玉低気圧が形成されない場合が2,3事例あった(図2).これらは,二つ玉低気圧の形成に対して地形の影響があることを示唆するものである.  数値実験を行った日本海低気圧メインタイプの1事例については,さらに詳細に解析を行った.その結果,四国沖で発生した小低気圧が,後に,潜熱解放で発達しながら,日本海低気圧の上空にあったトラフと結合して総観規模の低気圧にさらに発達していく様子が見られた.
  • 平田 航, 日下 博幸
    セッションID: 712
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     「二つ玉低気圧型」は日本の代表的な気圧配置の一つで、日本各地に悪天をもたらし、大雨や強風などのシビア現象が起こりやすいことが知られている。
     北畑(2010)は過去20年間の二つ玉低気圧事例を4つのタイプ(並進タイプ・日本海低気圧メインタイプ・南岸低気圧メインタイプ・分裂したように見えるタイプ)に分類し、形成過程における日本列島の影響を調査した。
     他にも二つ玉低気圧に関する統計的研究や事例紹介はいくつか行われているが(Miller, 1946; 櫃間, 2006)、本格的な研究はほとんど行われておらず、二つ玉低気圧とシビア現象の関係は未だ明らかになっていない。

    2.目的
     二つ玉低気圧通過時における降水量・降水強度・風速・降雪の地域的特性について統計解析を行う。また、二つ玉低気圧のタイプ別や日本海低気圧・南岸低気圧との比較を行い、降水の実態を解明する。

    3.使用データ
    ・気象庁アジア太平洋地上天気図(ASAS)
    ・AMeDASデータ(降水量の1時間値)
    ・気象官署データ(風速・降雪の深さの1時間値)

    4.解析手法
    4.1.二つ玉低気圧の統計解析
     北畑(2010)が抽出した二つ玉低気圧解析対象事例10年分の並進タイプ・日本海低気圧メイン(以下、日本海Lメイン)タイプ・南岸低気圧メイン(以下、南岸Lメイン)タイプを使用した。また、比較のために、日本海低気圧事例・南岸低気圧事例を抽出した。
    4.1.1.事例毎の降水観測期間の設定
     「降水観測期間」を定義し、地上天気図で判定。
    4.1.2.降水・最大風速・降雪の地域的特性の調査
     総降水量、1時間・3時間降水量の極値、総降雪量、最大風速を地点毎に算出。
    4.1.3.全国の降水規模調査
     事例毎の全国総降水量・降水観測地点数の調査。
    4.2.シビア現象を引き起こす環境場の考察
     二つ玉低気圧の間隔・気圧下降量などに着目。

    5.結論
     二つ玉低気圧通過に伴う降水は日本の南岸や北陸で強いが、日本海Lメインタイプの降水は全国的に弱い傾向がある。二つ玉低気圧と日本海低気圧・南岸低気圧で全国総降水量の差は小さい。並進タイプは降水観測地点割合が全国で90%近く、次いで、南岸Lメインタイプが広範囲に降水をもたらす。日本海Lメインタイプは東日本で降水観測地点割合が大きい。
     最大降水強度の強い事例は、二つ玉低気圧の3タイプともに南岸低気圧が日本列島により近いところを移動する傾向がある。日本海低気圧の経路には明白な差がみられない。
     最大風速の平均は日本海Lメインタイプが沿岸部を中心に強く、南岸Lメインタイプは全国的に10m/sを下回る。
     二つ玉低気圧は日本海低気圧・南岸低気圧よりも全国で降雪が起こりやすくなる。二つ玉低気圧3タイプの中では並進タイプや日本海Lメインタイプは東北や北海道で比較的ふぶきとなりやすい。南岸Lメインタイプは関東南部まで降雪の可能性があり、全国的に穏やかな降雪をもたらすことがわかった。
  • 高橋 信人
    セッションID: 713
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.研究目的
     北半球における前線帯分布の年変化の平均的様相は、吉村(1967)、Serreze et al.(2001)など、多くの研究者によって明らかにされてきた。しかし、前線帯の年々変動や長期変動に関する調査は少ない。これは、そもそもこれまで長期間の前線帯データが得られなかったことが大きな原因であると考えられる。一方、著者は2010年の日本地理学会春季学術大会にて、Thermal Front Parameter(TFP)を用いて日本付近の前線帯データを客観的に作成する手法の検討をおこなった。その手法によって得られる前線帯データは、必ずしも気象庁天気図から得た前線帯データと合致するものではなかったが、前線帯の季節進行や特定時期の前線帯を年ごとに比較する際には、大気場の状態を表す有益な情報になると思われる。そこで本研究では、北半球の前線帯データの整備・検証を目的として、日本付近の前線帯データ作成時の条件式を用いて北半球の前線帯データを作成し、得られたデータの平均的な特徴を明らかにする。

    2.データの作成方法
     前線帯データを作成するために、まず1948年~2009年におけるNCEP/NCAR再解析値(6時間ごと、緯度経度2.5°×2.5°)の北半球850hPa面の気温と相対湿度のデータから、∇τ、TFP(τ)(τは温度変数を表し、ここでは温位θと相当温位θeを用いる)を算出した。次に、各日時の天気図の各経線上でTFP(τ)の極大が現れるグリッドを探し、さらにそのグリッドが以下の条件を満たす場合に前線があるものと判断した。
    A. θの条件式(TFP(θ) ≧ 0.05) かつ θeの条件式(TFP(θe) ≧ 0.70)を満たす場合
    B. θの条件式(TFP(θ) ≧ 0.18かつ|∇θ|≧ 0.28)またはθeの条件式(TFP(θe) ≧ 1.00)を満たす場合
    ※|∇τ|の単位:K/(100km)、TFP(τ)の単位:K/(100km) 2
    以下、このようにして作成した前線帯データをそれぞれ、データA,Bと表す。なお、これらの閾値は、気象庁地上天気図上の日本付近の前線との対比によって定めた(この手法の詳細は2010年の春季学術大会にて報告した)。

    3.結果
     図a,b(図c,d)は、データA(データB)の1月および7月の北半球の前線帯を前線頻度分布(%)(1948年~2009年平均)で表したものである。これらの図を吉村(1967)と比較すると以下のことが読み取れる。
    ・太平洋寒帯前線帯と大西洋寒帯前線帯は、データA,Bともに明瞭であり、1月から12月まで追うことができる。
    ・データAでは、10月~4月のユーラシア寒帯前線帯や北アメリカ北極前線帯が不明瞭である。
    ・データBは、データAと比べて全体的に前線頻度が高く、例えば1月の日本南岸に沿って、データAでは見られない寒帯トラフに対応する前線帯がみられる。また、多くの極前線も明瞭である。
     データAはθeのみ、データBはθのみを条件式に用いたものに類似しており、図の特徴の違いは、各前線帯の性質の違い(温位傾度、相当温位傾度のいずれで特徴づけられるか)などを表していると考えられる。これらの結果は、概ね先行研究で指摘されていた前線帯の年変化の特徴を表現しているため、今後、これらのデータで各前線帯の年々変動、長期傾向をみていくことが可能であると思われる。

    謝辞: 本研究は財団法人福武学術文化振興財団の歴史学・地理学助成を受けた。また、本研究の一部は、日本学術振興会科学研究費補助金若手研究 (B) No. 22700856 による

    引用文献: Serreze, M.C., Amanda, H.L., Clark, M.P. 2001. The Arctic Frontal Zone as Seen in the NCEP–NCAR Reanalysis. Journal of Climate, 14, 1550-1567.
    吉村 稔 1967.北半球の前線帯の年変化. 地理学評論,40, 393-408.
  • 霧ヶ峰との比較
    野口 泰生
    セッションID: 714
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     中信高原霧ヶ峰とその周辺山地では一年を通して南風が卓越し、積雪分布を通して地形発達、周氷河現象、植物分布に特異な斜面の非対称性が形成されている。この南風と他のアメダス地点の南風との相違や類似性を関東甲信越地方を中心に議論する。  使用した気象資料は霧ヶ峰山岳測候所データ(1943~48)とアメダスデータ(1993)155地点の時別値である。毎時の風向データから霧ヶ峰や関東甲信越のアメダス地点における南風(ESE~WSW)の出現頻度(%)を求め、月別に出現頻度分布図を作成した。この図には一日の風向逆転(海陸風や山谷風)に伴う南風と山越え・迂回などの地形効果により発生する南風が含まれる。そこで、今回は各地点から前者の風向逆転日を除外して分布図を作り直した。  毎月の南風出現頻度(%)の年変化様式には地域性が見られる。そこで、_丸1_年中南風が卓越する地点、_丸2_主に夏に南風が卓越する地点、_丸3_主に冬に南風の地点、_丸4_一年中南風が少ない地点、_丸5_その他、の5種類に地域区分し、考察した。  福井・石川・富山県の日本海側の地域や霧ヶ峰・木曽谷・伊那谷などは_丸1_に属するが、南風が出現する時間帯にはそれぞれ特徴が見られる。
  • 阿部 紫織, 日下 博幸, 高木 美彩, 岡田 牧, 高根 雄也, 冨士 友紀乃, 永井 徹
    セッションID: 715
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに   2007年8月16日に、岐阜県多治見市内のアメダス観測地点において、埼玉県熊谷市と並んで国内最高気温の40.9℃が観測された。多治見市は、盆地内部に位置しているため、熱が滞留しやすい環境下にあると言われている。さらには、多治見市内の市街地においては緑地が少なく、住宅など建物が込み入っており、風が通り抜け難いという環境により、ヒートアイランドの影響も疑われている。一方で、海風による名古屋からの暖気移流が侵入するとも言われている。また、多治見市で日本一の気温が観測されるのにはアメダスの観測地点の周囲の環境が影響しているとも言われている。しかしながら、アメダスデータのみから、多治見市内の熱環境を評価することはできない。 2.目的   本研究では岐阜県多治見市および愛知県春日井市において気温観測を行うことによって、多治見市内の熱環境の実態調査を行う。さらには、局地気象モデルWRFによる局地的な高温現象の予測精度に対して検証を行う。 3.観測概要  岐阜県多治見市内の都市区内公園(2カ所)および小中学校(11カ所)と、愛知県春日井市の都市区内公園(1ヵ所)および高校(1ヵ所)にて、おんどとりJr.を用いた定点観測を7月31日~8月31日の1ヶ月間、2分間隔で実施した。 また、アメダス地点の特異性を確認するため、多治見アメダスおよび多治見市内の都市公園(2カ所)および春日井市内の都市公園(1カ所)にて集中観測を行った。 4.結果  多治見市内の高温現象の原因を探るため、多治見市内の気温分布の解析を行った。その結果、多治見市内の都市部でヒートアイランド現象の影響が確認できた。また、盆地内部の多治見市と外部の春日井市の気温を比較すると、それほど大きく差が見られないことから、盆地効果はあまり強く影響していない可能性がある。  さらに、集中観測の結果から、アメダス地点で観測した気温が他の観測地点の気温よりも高く出ていたことから、多治見アメダス付近は特異的に気温が高くなっている可能性がある。  また、多治見市が猛暑を観測した日の濃尾平野内のアメダスの風向風速を見てみると、この事例での風は弱く、海風が多治見市内に入ってきているようには見えないため、海風侵入による熱の移流の影響はないことがわかった。WRFの結果は多治見の高温を現時点では十分に再現できておらず、計算設定やモデル改良の必要性があることがわかった。 謝辞  本研究は筑波大学計算科学研究センターと多治見市の共同研究によって実施された。本研究の一部は、一般財団法人日本気象協会の支援を受けて実施された。
  • 仁科 淳司, 三上 岳彦
    セッションID: 716
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    仁科・三上(2010)は,1990年以降の時別値データを用いて熊谷における夏季の地上気圧日変化曲線の特徴を検討し,8月には8時と比べた22時ごろの地上気圧が徐々に低下する傾向などを指摘した。これらの特徴のいくつかがヒートアイランド現象に起因するものか,中部日本の局地スケールなどより大きなスケールの現象によるものかを判断する一つの方法としては,過去にさかのぼって1日4回(3時,9時,15時,21時)の地上気圧を検討することがあげられる。本研究では,熊谷の地上気象観測日原簿を用いて,1961年~2010年の7月・8月の地上気圧の時別値から,経年変化と年々変動を検討した。熊谷における8月の地上気圧の経年変化から,地上気圧はどの時刻でもわずかだが上昇傾向にあることがわかる。7月は逆に下降傾向にあるが,8月の上昇の割合,7月の下降の割合はいずれも15時で最大である。これは日中の排熱量の増加など都市化の進展を反映しているものと考えられる。また,8月の日照時間と月平均地上気圧の経年変化及び年々変動を見ると,1980年代の前後で5年間移動平均した両者の変動傾向が異なることがわかる。7月における9時と15時の地上気圧の差,すなわち日中の気圧低下量と日照時間の関係も,1980年代の前後で異なることがわかった。そこで,5年間移動平均値をもとに,熊谷における月平均した8月の地上気圧の経年変化を検討した。1980年代前半までは,地上気圧の5年間移動平均値が上昇する期間は15時の上昇量が小さく,下降する期間は15時の下降量が小さい。地上気圧の5年間移動平均値が上昇する期間は日照時間が増加し,熱的低気圧が発達しやすい時期であることから,この特徴は中部日本の局地気圧系の日変化が主因であると考えられる。一方,1980年代からは,8月では3時の地上気圧下降量がしだいに大きくなり,1990年代からは21時で大きくなる。これは,熊谷の熱帯夜が1980年代以降増加している(気象庁編 2005,p.322)こと,および,1980年代後半から東京湾岸のウォーターフロント再開発が進み,Yoshikado(1992)が指摘した東京湾からの海風の進入がより困難になると判断されることと時期的に一致し,1980年代以降は都市気候の影響が地上気圧に現れていることが考えられる。これに対して,7月では,1980年代前半までの傾向がほぼ継続し,3時の地上気圧下降量が1990年代後半から,2000年代からは21時でやや大きくなる。7月の地上気圧には,梅雨の期間の長さなどのより大きな場の変動が強く表れているためと考えられる。
  • 地上気象観測と領域気象モデルWRFを用いた数値シミュレーション
    高根 雄也, 大橋 唯太, 日下 博幸, 重田 祥範, 亀卦川 幸浩
    セッションID: 717
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
    近年の日本の夏季における高温は深刻な社会問題であるとともに、学術的な関心を多く集めている.全国の気象官署で観測された8月の日最高気温の平年値(1971-2000年)は大阪市の33.0 ºCが最も高く、京都市の32.9 ºCが二番目に高い.両都市の日最高気温の平年値は名古屋市の32.2 ºC、首都圏の埼玉県熊谷市の31.5 ºC・東京の30.8 ºCに比べて高い.奈良市においても8月の日最高気温の平年値は32.2 ºCであり、やはり熊谷市や東京に比べて高い.この観測事実より京阪奈地域は、日本の三大都市圏の中でも、夏季に最も高温化しやすい地域であることがわかる.しかしながら、京阪奈地域の高温に関する研究は、首都圏を含む関東平野の研究(例えば、榧根、1961; Kimura and Takahashi, 1991; 藤部、1993; 1998; Kusaka et al., 2000; 桜井ほか、2009; 渡来ほか、2009a; b; Takane and Kusaka, 2010)に比べて少ない.京阪奈地域の高温化の解明には、同地域を対象とするさらなる研究の積み重ねが必要である.
    そこで本研究は、日本全国で特に猛暑が見られた2007年夏季を対象に、京阪奈地域における高温の実態を、地上気象観測から調査する.さらに、領域気象モデルWRFを用いた数値シミュレーションによって高温化の形成要因を定量分析する.

    2.広域地上気象観測
     2007年8月1日から8月14日の期間に京阪奈地域において地上気象観測を実施した.観測によって、期間中のほとんどの日で、大阪湾からの海風が内陸域へ侵入していく様子、海風前線の内陸側の枚方や京都の周辺地域で日中に特に高温となる様子が詳細に捉えられた.

    3.領域気象モデルWRFを用いた気象の再現実験と再現精度の評価
     領域気象モデルWRFを用いた数値シミュレーションの結果を解析する上で、WRFモデルによる気象場の再現精度をあらかじめ定量的に確認しておく必要がある.比較対象地点は独自に気象観測を行った地点と、京阪奈地域内の気象官署・AMeDAS、さらには同地域の大気汚染常時監視局の計61地点である.
     WRFモデルは観測期間中の地上気温を少し高めに評価しているが、地上気温の出現頻度分布・時間変化・水平分布を良好に再現できていた.

    4.夏季高温の形成要因の分析
     京阪奈地域の地上気温の水平分布・高温の形成要因を分析するために、カラム大気の熱収支解析をおこなった.具体的には、カラム大気内の顕熱の蓄積量(QC)、地表面からカラム大気へと供給されるサブグリッドスケールによる顕熱輸送量の時間積分値(QH)、さらにはQCとQHの差分から、カラム大気の側面や上端からの顕熱のグリッドスケール・サブグリッドスケーによる輸送量(QCONV)を計算する.
     図1は8月11日1500 JSTにおけるQC、QH、QCONVの水平分布である.QCの水平分布(図1a)を見ると、QCの値は大阪を含む沿岸域で小さく、内陸域、特に枚方から京都盆地で大きくなっていることがわかる.QHは内陸域よりも大阪平野全域の値の方が大きくなっている(図1b).QCONVは内陸にいくほど小さくなる傾向にある(図9c).これは内陸域ほど、QCの増加にQCONVが寄与していることを意味している.これらの特徴は、晴天日のアンサンブル平均の結果でも認められた.

  • 池田 亮作, 日下 博幸, 飯塚 悟, 朴 泰祐
    セッションID: 718
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
    近年, 都市のヒートアイランド研究など気象モデルの高解像度計算の一手段としてLESが注目されている. 気象分野におけるLES計算は, 主に理想計算を対象としてきたので, 地形の導入はなく地面は平坦であるものが多い. 地形を表現できるLESとして, 直交座標系を採用したRaasch and Schroter(2001)のモデルや, 地形に沿った座標系を用いたChow et al.(2006)のモデルなどがある. 後者の座標系の場合, 急峻な地形に対しては座標変換誤差が大きくなることが指摘されている. そこで, この研究では一般曲線座標系を導入し地形の効果を取り入れた. また, 大規模計算を想定した計算コードの並列化を行う.
    2.モデル概要
     基礎方程式は, 主に大気境界層を対象とすることからブジネスク近似方程式を採用する. 座標系は一般曲線座標系を採用した. 格子系はデカルト座標での物理量を格子中心, 反変速度を格子境界に定義するコロケーション格子を採用する. 数値計算アルゴリズムはSMAC法, 時間スキームは移流項に2次精度Adams- Bashforth法, 拡散項にCrank-Nicolson法, 空間スキームは2次精度中央差分を採用する. 圧力に関するPoisson方程式はBi-CGStab法で解く. これらの数値計算アルゴリズム, スキームについては, Iizuka and Kondo(2004)のモデルをベースにしている. サブグリットの乱流モデルは, 標準的なスマゴリンスキーモデルと, サブグリット乱流エネルギーからサブグリットの乱流拡散係数を求めるDeardorff(1980)のモデルを導入している. 側方境界条件は, 周期境界, 勾配0の条件, 放射境界条件のいずれか. 上部境界での重力波の反射を防ぐために, 領域上層にRayleigh damping 層を設ける. 摩擦係数はKlemp and Lilly(1978)に従う.
    3.モデルの検証と急峻な地形に対する数値実験
     構築したLESモデルの検証として, 中立大気境界層における流れ場, 大気成層を導入し地表面顕熱フラックスを与えた混合層発達の数値シミュレーションを行った. 開発したLESモデルにおいて, 乱流エネルギー収支の特徴がよく再現された. これらの結果, 力学, 乱流モデルが正しく計算されていることが示された. 次にLESとしての検証ではないが, 座標変換, 大気成層, 境界条件の検証のために, 山岳波の再現実験を行った. その結果, 山岳波の周期, パターン, 波面の方向など線形解とよく一致することが示された.
     さらに, 山の傾斜角を急にして計算が安定に実行できるかを検証した. 傾斜角を45°, 51.3°, 59.7°と上げていった結果, 一般曲線座標で格子を切った場合はノイズを発生させることなく計算できた. z*座標系の場合, 傾斜がきつくなるほどノイズが目立つようになるが, 山の半値幅に対して10格子以上と高密度に格子を切ればノイズは目立たなくなった.
    4. モデルの並列化
     大規模演算によるメモリの確保, 計算時間の短縮のために, LESコードの並列化を行った. 並列化はMessage Passing Interface(MPI)を用い, 並列計算はT2K-Tsukubaを利用した. 1024万格子点で, 1024コアまでストロングスケーリングで並列化効率を測定した. その結果, 1024コアで並列化効率0.5程度得られることが分かった.
  • 北島 晴美, 太田 節子
    セッションID: 719
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     日本では,1990年代以降,顕著な高温傾向が頻出し,特に,2010年夏季には全国的に気温が高く,1898年以降で最も高温な夏となった。観測開始以来の高温記録を更新した観測地点も多い(気象庁「2010年(平成22年)の日本の天候」)。地球温暖化により様々なコストと便益が生じることが予測され,人間の健康への影響も指摘されている(IPCC,2007)。
     本研究では,特に高温であった2010年夏季の死亡率にどのような特徴があるのかについて調べ,気候が死亡にどの程度関連するのか明らかにすることを目的とする。

    2.研究方法
     使用したデータは,人口動態統計月報(概数)(厚生労働省)と,日本の月平均気温の平年差(気象庁)である。月別,都道府県別死亡状況の比較を行うために,1日当り,人口10万人対の死亡率を算出し,以下の分析に使用した。また,60歳以上の死亡数を60歳以上人口で除した死亡率(1日当り,人口10万対,60歳以上)も算出し,人口構成が異なる都道府県別死亡率の比較を行った。
     日本では,高齢化が進行し,粗死亡率は上昇傾向にある。死因の構成比も徐々に変化している。本研究では,2001年から2010年までの10年間のデータを分析対象とし,10年間の死亡率の変化を月毎に把握し,2010年夏季の状況を調べた。

    3.2001年から2010年までの月別死亡率の変化
     月別死亡率は,いずれの月も変動しながら上昇傾向にあり,夏季の死亡率は他の季節と比べて最も低く,年による変動も小さい(図1)。2001年から2010年までの,日本の月平均気温平年差(図2,17地点平均(気象庁)による)と,同月または翌月の死亡率に有意な相関関係(有意水準5%)が見られた月は4月のみである。

    4.2010年夏季死亡率と2009年夏季死亡率の差
     2009年夏季死亡率は,前年よりも低下(7月)か,ほぼ同じ(8月)であった(図1)。2010年夏季に,2009年夏季よりも死亡率(1日当り,人口10万対,60歳以上)が,特に上昇した県は,群馬県,三重県,青森県,宮城県,長崎県,奈良県,愛知県,島根県である(図3)。逆に, 2009年夏季に比べて2010年夏季の死亡率の上昇が顕著ではない県は,宮崎県,鹿児島県,熊本県,鳥取県である。
  • 高橋 日出男, 大和 広明, 紺野 祥平, 井手永 孝文, 瀬戸 芳一, 清水 昭吾
    セッションID: 720
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    ◆はじめに:東京など沿岸部の大都市では,海風吹走時に都市域風下側で海風前線が停滞しやすく,そこでの上昇流が強化されること,海風前線前方の地上付近には弱風域・下降流域が存在することなどが数値モデル(Yoshikado 1992, Kusaka et al. 2000, Ohashi and Kida 2002など)やパイバル観測結果の解析(Yoshikado and Kondo 1992)から指摘されている.しかし午後以降の海風前線通過後における都市域の風系鉛直構造については明確に示されていない.東京都心風下にあたる都区部北側には降水エコーや強雨の高頻度域が認められ,これを考察するためにも鉛直流に関する理解が不可欠である.本観測では,東京都心の海風風下側でドップラーソーダを用いて三次元風速成分の鉛直分布を測定し,海風前線の通過時とそれ以降における鉛直流の構造の把握を目的とした.
    ◆観測概要と解析資料:観測は2010年8月24, 25日の日中に戸田市戸田公園付近の荒川左岸河川敷で実施した.両日とも午後に関東平野北部や関東山地で発雷があったものの,観測場所では概ね晴天で経過した.観測項目は,ドップラーソーダ(Scintec社製MFAS)による700mまでの三次元風速成分(平均時間30分),パイバル(30分~1時間ごと),総合気象測器(Luft社製WS600)による地上1.5mの風・気温・水蒸気量・気圧(1分平均),および長短波放射(英弘精機社製MR-50,1分間隔)である.また,当日の気象条件の解析にあたり,東京都と埼玉県の大気汚染常時監視測定局(常監局)の観測値およびMTSAT可視画像を参照した.
    ◆観測結果と考察:観測両日とも太平洋高気圧のリッジが日本のすぐ南(30N付近)に位置しており,700hPa付近までは一般風として南~南西風が期待された.常監局の風データによると,都区部東部において,両日とも10時頃より東京湾岸から南東~南南東風が北側へ拡大し,その後に都区部西部で南~南南西風が強まった.12時には埼玉県南部(都県境付近)まで,15時には埼玉県中北部まで南風が達しており,これに対応した積雲列の北上も認められた.また,観測点では水蒸気混合比(地上)の増大が24日は12時半頃,25日は12時頃にあり,これ以降は地上から1300m程度上空(パイバル観測による)まで安定して南風が卓越していた.つまり,この頃に観測点を通過した海風前線がその後さらに内陸へ進入したと考えられる.
     図は24日のドップラーソーダによる風速の南北(V)および鉛直(W)成分の時間変化(南風層の下側半分に相当)であり,海風前線の通過に対応して,上空には大きな上昇流(1m/s以上)が認められる.海風前線が埼玉県中北部まで移動したと判断される15時においても,200mより下層には弱い下降流がある一方で,上空には1m/s近い上昇流が持続的に存在している(25日も同様).海風前線が都市域を通過した後に認められた都市(都区部)風下の大きな上昇流は,風系や対流雲発生に対する都市の影響を考えるうえで興味深い現象と考えられる.今後,都心風上側あるいはより内陸側を含めた複数個所で同時観測を実施する予定である.

    図 ドップラーソーダによる風速の南北(V)および鉛直(W)成分(24日)
    図のベクトルは鉛直成分を10倍に拡大している.等値線は鉛直成分の大きさを示す.
  • 高木 美彩, 日下 博幸, 田中 博, 中村 美紀, 酒井 敏
    セッションID: 721
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    大規模な公園は小規模な公園に比べて涼しいと一般的には考えられている.実際,公園規模と公園内外の気温差との関係の解明を試みた既存研究により,大規模公園においては公園内外の気温差があることがほぼ定説となっている(たとえば尹ほか, 1998;Chang, et al., 2007) .しかしながら,人間が暑い,涼しいなどと感じる温熱感覚には,気温だけでなくさまざまな気象要素が影響している.気温以外の気象要素を考慮して公園規模と温熱感覚との関係を解明した既存研究は少なく,この一般的な見解の妥当性を示す十分な研究結果は未だに得られていないといえる.そこで本研究では,さまざまな気象要素を組み合わせて温熱感覚を評価する指標(温熱指標)の一種,WBGT(Wet Bulb Globe Temperature : 湿球グローブ温度指標)を用いて,公園規模と温熱感覚との関係を解明することを目的とする.2010年8月に,つくば市内の規模の異なる複数の公園において,1)気温定点観測,2)WBGT定点観測を実施した.気温定点観測は,規模の異なる6か所の公園内とその周辺住宅地にて実施し,各公園内外の気温差を求めた.WBGT定点観測は,気温定点観測を実施した公園のうち洞峰公園 (20ha) ,北向児童公園 (0.5ha) にて,公園内の気温・相対湿度・風向風速・日射量を観測した.そして,WBGTの推定に必要な3要素のうち湿球温度,黒球温度を上記の観測値から推定することで算定した.乾球温度は気温の実測値を用いた.そして,これら3つの要素から推定したWBGTについて公園間の比較を行った.まず,気温定点観測の解析結果より,大規模な公園ほど公園内外の気温差が大きいことが確認された.これはChang, et al., (2007)とほぼ一致する結果であった.次に,WBGT定点観測より,洞峰公園と北向児童公園とのWBGT差は解析対象日11:00~15:00の平均値で約0.2℃という結果が得られた.この結果から,両公園の差はほとんどなく,むしろ洞峰公園のほうがやや高い値をとることが明らかとなった.これは,WBGT推定式における湿球温度:黒球温度:乾球温度の比重が7:2:1であるために,両公園の乾球温度差がWBGT差に及ぼす影響量が,湿球温度差および黒球温度のそれを大きく下回ることによると考えられる.
  • 松本 太, 堀越 哲美
    セッションID: 722
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1. はじめに 緑地や水面には周辺の市街地へ暑熱緩和効果があるといわれる。水田もその1つと考えられる。また海風など地域特有の気候の効果も注目されている。そこで海岸部で水田と市街地が隣接する名古屋市茶屋新田地区を対象として気象観測を行った。熱環境に配慮した快適なまちづくりの実現を目指し、地域特有の気候環境を評価することを目的とする。またこの地域は近年一部が市街化区域化され、土地区画整理事業の対象地区を含んでおり開発が著しいが、名古屋市では希少な水田の景観が残っている。市街化前の熱環境評価は、適切な開発や保全を行う上で基礎資料として有用となりうる。開発中の地区を含め水田、市街地など地域内の異なる土地利用での気候環境を評価することも目的の1つである。 2.観測方法 観測は2010年8月5日、8月6日に行った。両日とも太平洋高気圧に覆われ、典型的な晴天日であった。観測地域は北側が市街地、南側が水田域、その中間が土地区画改良地区(以下改良区)となっている。観測方法は定点観測と車による移動観測を行った。定点観測は市街地(地点5)と水田(地点24)の2地点で行った。移動観測は27地点で行い、4台の車を用いて1時間以内で観測を終了できるようにした。定点観測は移動観測時には5分間隔で、それ以外は毎時0分と30分に観測を行った。観測項目は気温、湿度をアスマン通風乾湿計、風向風速をビラム式風向風速計、日射量は全天日射計、地表面温度は赤外放射温度計を用いて計測を行った。なお移動観測結果を解析する際、定点観測の値を用いて時刻補正を行った。 3. 結果  水田域の定点における風向・風速は10時頃から南西~南よりの風が吹き始めた。風速は14:00~15:00頃がピークで、両地点の差も大きくなっている。夕方にかけて南西から南に風向が変化している。夕方以降は南から南南東に変化している。また8月6日14:00の気温分布では水田域の気温は相対的に低く,ほとんどの地点で32℃以下であった。市街地では相対的に高く,34℃以上の地点が多い。最大4.7℃の地点差がみられた。 4. 考察 最南部の水田域の地点から北に向かって市街地まで地点を選び、気象要素を南北方向の断面で比較した。その結果8月6日14:00では水田からの距離が遠くなるほど風速が低下、気温が上昇し、水蒸気圧が低下する。河口地点で水蒸気圧が高かった。これは低温多湿な空気の移流があったと考えられ、海風の進入が推察される。水蒸気圧が水田域で高く、市街地で低く、改良区でもやや低いことから、水田域での蒸発散や水体の熱容量の関係で水面温度が上昇しないことが要因として考えられる。また水田から改良区そして市街地へと地覆が変化する所で気象要素の変化が顕著であった。逆に各々の地域内では変化が小さい。水田から1000m位までの地点では風が強く気温が低い。海岸からこの地点までは建物が少なく、改良区では休耕田や造成地で連続したオープンスペースとなっており、これが風の道になっていると考えられる。よって建物の密集度や土地利用が気象要素に影響を与えていることを示していると推察される。
  • 一ノ瀬 俊明, 雷 蕾, 井村 秀文
    セッションID: 723
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     近接する住棟による日影は、日射の室内進入を制限することから、住宅の冷房、暖房、照明に大きく影響する。eQUESTは米国エネルギー省(US DOE)により開発されたユーザーフレンドリーな住宅電力消費量計算ツールである。これは、与条件および通年の気象時間値(8760時間)をもとに、屋内の電力消費量(冷房、暖房など)の時間値を計算するものであり、近接住棟による日影効果を高精度に計算できる。本研究では、中国の夏暑冬寒気候帯における5大都市(上海、武漢、長沙、成都、重慶)を対象(非単身世帯:全電化を仮定)として、eQUESTを用い、近接住棟による空調用電力消費量への日影効果について数値シミュレーションを行った。ここでは住宅街区の形態パラメータとして、W/H(建物高さに対する棟間距離の比:つまりアスペクト比の逆数)を用い、エネルギー消費の視点からみた住宅街区形態の最適解提示を試みた。
     その結果、以下の知見が導き出された。1) 対象地域においては、日影効果による冷房用電力消費量削減率は10~20%程度、暖房用電力消費量増加率は0~20%程度に達し、対象地域における近接住棟による日影効果としては、冬期の暖房需要に対する増加効果よりも夏期の冷房需要に対する削減効果が優っている。2) 上海、武漢ではこれら2つの効果が相殺しているが、長沙、成都、重慶では冬期の暖房需要に対する増加効果はほぼみられない。3) 内陸側の3都市(長沙、成都、重慶)では、近接住棟による日影効果を最大限生かすようなデザイン(推奨最小棟間距離による住宅街区設計)を推進すればよい。4) 上海、武漢では棟間距離を広めにデザインすると同時に、住棟に隣接して落葉樹の高木を植栽し、緑陰による日影効果に引き出すなどの考え方が有効である。5) 上海以外では、推奨最小棟間距離でデザインされた住宅街区において、最も高い削減率が期待できる。6) 武漢と長沙では、現状の推奨最小棟間距離が電力消費量削減の視点からも好ましい数値である。

    謝辞:本講演は、環境省地球環境研究総合推進費E-0806「低炭素型都市づくり施策の効果とその評価に関する研究」(代表・井村秀文)の研究成果の一部である。
  • 国府田 諭, 中口 毅博
    セッションID: 724
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    本研究では、1990年と2007年の家庭部門におけるCO2排出量を全国の市区町村について推計し、地域の平均気温との関係について考察した。一般論として寒冷な地域ほど暖房用のエネルギー消費量が多くCO2排出量も多くなり温暖な地域は逆の傾向にあると思われるが、市区村町別かつ四つのエネルギー源別(電気、都市ガス、LPガス、灯油)にCO2排出量を推計し、アメダスデータによる月別平均気温と比較することにより、定量的な検討を行った。
  • 魚井 夏子, 渡邊 眞紀子, 村田 智吉
    セッションID: 725
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1. はじめに
     Bockheimが1974年に米国土壌学会において初めて都市土壌(Urban Soils)を「都市および都市近郊において,混合,埋立て,あるいは異物を混入させて創られた厚さ50 cm以上の非農業,人工的な表層をもつ土壌物質(USDA, 2005)」と定義したが,国内外の土壌分類法では都市土壌の明確な分類基準は確立されておらず,耕作地や造成地などの土壌と共に分類されるのが一般的である.しかし,都市土壌がおかれている環境は,人間活動の影響を強く受けた環境であり,農林地土壌のおかれる環境とは異なる.また,土壌生成分類論の基本的概念に基づけば,土壌は様々な環境条件によって生成される(浅海編,1990).したがって,都市土壌には都市環境の特殊性を考慮した分類基準が必要だと考えられる.そこで,本研究では平山(1978)において「人間活動の影響が強いほど堅い土層になり,土壌硬度が人間活動の土壌への影響の指標になる.」と述べ,人間活動の影響を表層の土壌について議論した.このことから,本研究では,造成や管理などの人間活動がもたらす固有の土壌生成過程と土壌硬度の鉛直分布特性との関係を明らかにする.そして,土壌硬度の鉛直分布の特徴から都市土壌硬度を用いた都市土壌の評価と分類の有効性について考察する.
    2. 研究手法
     本研究で対象とする都市土壌は既存の都市土壌の定義をふまえたうえで,さらに土壌調査が可能な場所として「都市公園における土壌」を対象とする.これは,土地利用の履歴や造成工事の記録等の人間活動の記録が残されている場所であることが望ましいためである.本研究では,環境省所管の東京都千代田区北の丸公園を対象として,公園内134地点で鉛直方向1mまでの土壌硬度計測と代表地点において簡易断面調査を行った.硬度の測定には,長谷川式土壌貫入計(H-100 ダイトウテクノクリーン)を用いてSOFTNESS(cm/drop)として計測結果をグラフ化した.
    3. 結果と考察
     公園内134地点で得られた鉛直方向の土壌硬度プロファイルの形態から土壌硬度を3グループに分類した.そして,電子化した古地図や造成履歴の資料と土壌硬度の測定地点をGISソフト(ArcGIS9.2 ESRI)によって重ね合わせ,土地利用や造成履歴,利用・管理形態と土壌硬度形態の関係を検討した.
     その結果,北の丸公園の土壌硬度の形態は,極度に固結している層や,固結層に挟まれた軟らかい層がみられるなど,農耕地土壌で一般的にみられるものとは異なる形態を示すことがわかった.次に,GISソフトを用いた分析から,固結層は建物の圧密や造成時の重機の圧密,公園利用者の踏圧によって形成され,軟らかい層は盛土や植裁のための客土や公園管理の過程で形成されたことが分かった.
     都市土壌には固結層の形成という特異な生成過程がみられる.都市公園を対象とした本研究により,鉛直方向の土壌硬度形態と,土地利用履歴,造成手法,管理手法,利用環境との対応関係が明瞭に示された.このことから,土壌硬度の鉛直分布は人間活動という環境因子を考慮した都市土壌の評価・分類を検討するのに有効な指標であると考えられる.
    【引用文献】United States Department of Agriculture -Natural Resources Conservation Services (NRCS), 2005. Urban Soil Primer.[http://soils.usda.gov/technical/ classification/ taxonomy/, pp61-65.>]/ 浅海重夫編 1990. 『土壌地理学-その基本概念と応用』. 古今書院./ 平山良治 1978. 自然教育園の土壌図. 自然教育園報告. 8: 39-59.
  • 渡邊 眞紀子, 大野 真知子, 坂上 伸生, 村田 智吉
    セッションID: 726
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    【背景と目的】 土壌は炭素貯留機能、保水機能、物質循環機能等様々な機能を持つ。都市における公園緑地土壌は、自然土壌とは異なり、造成や公園管理の影響を大きく受けるため、土壌の機能は人為的負荷による変化が予想される。本研究では土壌の持つ様々な機能の中から特に炭素貯留機能に着目し、管理や造成のプロセスを踏まえて捉えられる特性にもとづいて、都市内の公園緑地を対象に炭素貯留量の推定を試みた。調査地はこの100年程の土地利用変化の詳細が資料によって裏付けられている新宿御苑とした。
    【調査地域と研究方法】 国民公園という管理された土地では、調査にさまざまな制約を受けることから、広大な面積(58.3ha)を占める新宿御苑における土壌調査の先行例はほとんどない。土地分類基本調査(東京都,1998)土壌図では「厚層黒ボク土壌腐植質(林地)」に分類されている。今回は、新宿御苑を所管する環境省自然環境局新宿御苑管理事務所と十分な協議を重ね、都市公園の景観をできるだけ損ねない調査とサンプリング手法を検討した。
     新宿御苑の始まりは徳川家康が江戸城に入城した天正19年、譜代の家臣であった内藤清成に屋敷領が授けられたことによる。その敷地に近代農業振興を目的とする内藤新宿試験場が明治5年に設置され、その後フランス式庭園を導入し、今日のような庭園の形になったのは明治39年であるとされる。太平洋戦争時には公園の多くは畑として利用され、昭和20年には新宿御苑も爆撃を受けほとんどの建物や資料は焼失したが、昭和24年に国民公園として一般公開が始まった。本研究では、現存する文献資料をもとに、新宿御苑は土地利用が地点によって大きく異なると読み取れる9区域を選び、計20地点を調査地点とした。現地調査は2010年5月と11月に実施した。長谷川式土壌貫入計(H-100,ダイトウテクノクリーン)を使用して、深さ1mまでの土壌硬度鉛直プロファイルを取得した。土壌採土器(DIK-115B,大起理化工業)を使用してφ5cm・高さ5cmのステンレス製土壌採取用円筒(100ml)により不攪乱試料を0~5、5~10、10~20、20~30cmで採取した。さらに検土杖を用いて,土壌を90cm深まで10cm毎に採取した。それぞれ採取した土壌サンプルの野外土色・野外土性を調べ、室内でpH(H2O)を測定した。また、土壌三相計(DIK-1130)を用いて実容積を測定し、固相率、仮比重、真比重を算出した。メノウ乳鉢で磨砕後、NCアナライザー(NC-22F,住化分析センター)を用いて全炭素量(TC%)の測定を行った。小型プログラム電子路(MMF-1,アズワン)を使用して強熱減量法によって熱分解特性の違いから易分解性炭素と難分解性炭素の組成比を求めた。
    【結果と考察】 土壌硬度プロファイルと土地利用履歴との間には明瞭な対応がみられた。人の立ち入りの少ない地点では人工的な改変がみられない自然土壌に近い鉛直分布が示されたが、造成履歴を持つ地点では固結層が繰り返し出現した。また、固相率と土壌硬度との間に有意な対応関係が見出された。TCの鉛直分布は30cm以浅においては現在の土地利用に依存する傾向がみられ、30cm以深では公園造成前の履歴を反映した性状が示された。一般に、土壌のTCは樹種などに依存する部分があるが、新宿御苑においてもその傾向がみられた。また、池に隣接する樹林地の土壌は他地点と比べ表層のTCが大きかった。これは、池に隣接した樹林地はそれぞれ柵で覆われていたり、休憩所の奥にあったりと比較的人が入りにくいためリターによる表土へ炭素還元量が多く、一方、人の立ち入る森林や、通路に隣接している地点は、管理上リターを除去しているため表土還元分の炭素量が小さいと考えられた。また、草地土壌は森林土壌よりも難分解性有機物の割合が高く、TCも多いのが一般的傾向であるが、新宿御苑では芝刈りや張替えが頻繁に行われているため、芝地におけるTCは森林のTCと同程度であった。仮比重(固体重量g /100 mL)を用いて、炭素貯留量を算出したところ、30cm深までは芝地100、樹林地80 C ton/haであり、90cm深では芝地240、樹林地150 C ton/haであった。国内の各種森林土壌に関するデータベースと比較すると、芝地は黒色土と、樹林地は褐色森林土と同等の値が示された。
  • 平衡線高度(ELA)と質量収支分布の復元
    阿部 洋祐, 山口 悟, 澤柿 教伸
    セッションID: 801
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    氷期の古環境を復元する際,平衡線高度(ELA)は1つの重要な指標となりうる.氷河地形からELAを復元する方法として,涵養域が氷河全体の面積に占める割合(AAR)によって決定する方法などがあるが,実際にELAを求める際には,AARの値などを任意に決定する必要がある.今回氷河流動の面から,氷期の日本の氷河のELAならびに質量収支の高度分布を再現するためのプロトタイプの氷河流動モデルを構築したので報告する.氷河をいくつかのgridに分けた場合,それぞれのgridにおいては,質量保存の法則が成り立つ.氷河が同じ形を保つ定常状態であるためには,浮上速度(dF/dx)を打ち消すだけの質量収支(M)が表面で生じなければならず,しかもELAを境に涵養域と消耗域では符号が逆転しなければならない(涵養ならば+,消耗ならば-となるはず).従って氷河流動の観点からみると,Mとは符号が逆のdF/dxの高度分布が計算できれば,dF/dxの符号が変わった高度がELAであると決定することができる(涵養ならば-,消耗ならば+).またdF/dxの高度分布から質量収支の高度分布を推定することも可能である.日高山脈七つ沼カールの氷河地形を基に再現した氷河に対し,今回のモデルを適応した結果,標高1675mと1650mの間でdF/dxの符号が変化することが解り,流動面から見たELAがこの間に存在すると考えられる.このように本モデルを用いると,AARなどを用いずに独自にELAを復元出来る可能性がある.
  • 石川 守, ジャンバルジャン ヤ, 酒井 貴悠
    セッションID: 804
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    はじめに モンゴル北部ダルハッド盆地は、シベリアから広がる連続的永久凍土帯の南限に位置する。明瞭な湖岸段丘が発達し、この盆地はかつて大きな湖であった。ここでみられる凍土地形に注目することにより、離水後の永久凍土や凍土地形の発達、近年の気候変動に伴う凍土環境の変容など、気候学・地形学・雪氷学・古環境学など多くの研究課題が設定できる。演者らは2009年と2010年に当地を訪れ、永久凍土の温度動態や凍土地形に関わる調査を実施したので、この結果を報告する。 気温と永久凍土温度の環境 ダルハッド盆地は典型的な内陸性気候である。定常測候所が3地点にあり(Renchinlhumbe, Tsagaannuur, Ulaan-uul)、それぞれでの年平均気温は-6.9℃(2004-2009年)、-4.8℃(2007-2010年)、-3.9℃(2007-2010年)、また年較差は約70℃(最高27℃、最低-43℃)である。2010年8月に実施したボーリング調査によると、1.6m深から土壌が凍結し、6mと15m深での地温はそれぞれ-2.4と-0.6 ℃であった。 凍土地形-ピンゴ 河川沿いにはいくつかのピンゴが発達している。2010年8月に、比高10m程度のピンゴ頂部にて35m深のボーリングを実施した。0.5m毎にコアを観察し、地質と地下氷構造を記載した。その結果5m深までレスが、9mまでに円礫を含む砂礫層(SS1)が、13mまではシルト・粘土層(SM1)が堆積していた。その後23mまでピンゴの核となる地下氷が存在し、23mから24mまで氷核上と同様にシルト・粘土層がみられ(SM2)、25mで円礫を含む砂礫層(SS2)を確認した。SS1層やSM1層ではアイスレンズの長軸方向はほぼ鉛直であった。SM1層と氷核層の境界部では破砕されたシルトが地下氷に取り込まれた構造がみられる。 これら層序関係と地下氷構造からピンゴの形成史を編む。SS1とSS2層中の円礫は覆瓦状構造を示しており、これらは河成堆積物といえる。SS1層の形成時は地表面が平坦であったこと、氷核が存在する深度では地下氷を発達させるほど地温勾配が大きくなりえないこと、さらにSM1とSM2層が同じであったと仮定すると、この氷核はSS1層と同時期に近隣の河川・湖沼を水の給源として凍上性のあるシルト粘土層中で発達を開始したと考えられる。氷核の発達とともに地表面は離水するまでに隆起し、その後レスに覆われた。以上のことから、このピンゴは開放型であり化石化していると解釈される。 以上の考察を深めるために、粒度組成・水安定同位体・年代試料などの分析を進めている。さらに掘削と並行して実施した物理探査や継続中の地温観測などの結果、および周辺地形との関係なども検討している。 凍土地形-ドッグホール ここにはドッグホール(HOXOUH XOHXOP)とよばれる構造土が分布する。平坦地にて直径4-5m程度の円形状の凹地が数m~10m間隔で分布する。このような特異な構造土はモンゴル北部にしか存在しない。永久凍土の存在指標とみなされている一方で、現地語で簡単に記載されているのみで、詳しく調査されていない。形成過程を検討するため、模式地にて分布図や微地形図の作製、電気探査やGPRなどによる地下構造の探査、トレンチ断面の記載などを行った。結果は本発表で紹介する。
  • 安田 正次, 大丸 裕武
    セッションID: 805
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    はじめに 近年、日本海側地域において積雪量が減少する傾向があり、それに伴うとされる動植物の分布の変化が報告されている。筆者らはこういった現象の現状の確認のために各地で植生変化と積雪量変化の対応について検討を行っている。その一環として、日本でも有数の積雪地帯である黒部川源流部での植生変化と積雪環境について検討を行った。 調査方法 植生の変化を検出するために、過去から現在にかけて撮影された空中写真の比較を行った。黒部川源流部を撮影していて植生が判別できる入手な空中写真の内、最も古いものは1969年のもの最新のものは2005年のものだった.それぞれの空中写真は図化ソフト計測名人(アジア航測社製)で正射図化して歪みを取り除き、得られた画像をGISソフトArcGIS9.3(ESRI社製)上で位置合わせをして重ね合わせて表示し、植生の変化を検出した 植生の変化が認められた地点については、2009年8月に現地で植生調査を行ってどのような植生の変化が発生しているかを確認した.その際に精密GPS(日本GPSソリューソンズ社製NetSurv2000)で位置計測を行って画像の位置合わせの精度を向上させた。 積雪量変化を把握するために、黒部川上流部で永年気象観測を行っている黒部ダムの気象観測記録を関西電力より提供してもらい、その観測資料から、植物の生育に影響を及ぼすと考えられる・年間の積雪被覆日数・年最大積雪深を抽出してその変化を検討した。 結果  空中写真の検討の結果、斜面の崩壊などを除いて植生の変化が顕著だった部分は黒部川源流部の北ノ俣岳北東側斜面の残雪凹地周辺だった。現地調査の結果、この部分では残雪凹地の砂礫地において、チングルマやミヤマキンパイ、イワノガリヤスからなる草本主体のパッチ状群落や、ハイマツを主体とする木本主体のパッチ状群落の数と面積の増加が認められた。  次に、黒部ダムでの積雪の変化を図に示した。積雪日数は折れ線、年最大積雪深は棒で示した。積雪日数・最大積雪深共に増加傾向にあることが明らかになった。それぞれ直線近似を計算したところ、積雪日数は10年あたり2日、積雪深は10年あたり19cmの増加傾向であった。  考察 黒部ダムの観測データでは、積雪によって地表が被覆されている日数と積雪深(積雪による地表への圧力)は共に増加する傾向にあった。つまり、積雪による環境圧は増加傾向にあると推測される。しかし、雪田凹地の砂礫地でパッチ状群落が増加していることから、実際には植物に対する環境圧の減少もしくは、群落形成にプラスになる何らか作用が働いていると推測される。これまで、雪田砂礫地の形成・維持には積雪被覆日数と積雪グライド圧が大きく関与するとされてきたが、本研究の結果はその他の作用についても検討しなければならない事を示しているといえるだろう。今後、冬季の季節風の変化による、雪田の堆雪量の変化や植物の生長量に関する土壌水分量や夏期の気温変化などを検討する事が必要であると考えられる。 本研究の一部は科学研究費補助金(研究課題番号:21700855)および環境省地球環境研究総合推進費(S-8-1)の支援を受けて行われた。
  • 高岡 貞夫, 苅谷 愛彦, 佐藤 剛
    セッションID: 806
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    高山地域にある湖沼は水生植物の生育場所や水生昆虫、魚類、両生類等の生息場所となるほか、水域の分布が限られる高山地域において、これらの湖沼が高山を生息・利用の場所とする鳥類や哺乳類に対しても、貴重な水場を提供していると考えられる。本研究では、高山湖沼の特性や生態的機能の解明を目指す第一歩として、北アルプス北部地域を対象に高山湖沼の分布の特徴や成因について検討を行ったので、その結果を報告する。 本研究では佐藤・苅谷(2008)による北部飛騨山脈地すべり地形学図(1/25000)が作成された範囲のうち、標高2000m以上の地域を調査対象とした。本地域には、堆積岩類の分布域を中心に地すべり地形が卓越し、稜線から山腹斜面にかけて線状凹地や低崖が多数観察される。空中写真(1976・1977年撮影,カラー,1/15000)の判読および現地調査によって、対象地域における湖沼の分布図を作成した。 対象地域内には94個の湖沼が判読された。このうち白馬大池を除くと全て6000_m2_より小さく、大半は1000_m2_に満たない小規模なものであった。これらの湖沼の分布と地すべり地形学図との対応関係をみると、60個は地すべり移動体内部の凹地内か、移動体の外縁に位置していた。また、移動体の外部にある湖沼のうちの28個は、稜線付近から斜面中腹にかけて存在する線状凹地の内部や、尾根向き低崖の近くに位置していた。これらの線状凹地や低崖は重力性岩盤クリープによる山体変形で生じた正断層に由来すると考えられる。したがって、94個の湖沼のうちの88個は、いずれも地すべりの発生を契機として形成されたものと考えられる。また、地すべりと直接の関係のない6個は、白馬大池とその東方にある天狗原の内部に位置するもので、乗鞍岳溶岩の噴出にともなう堰き止め(白馬大池)や、溶岩台地上の凹地に形成されたものである。 ALOS(2007年6月23日撮影)から推定される残雪域と比較すると、地すべり移動体内部の凹地や移動体外部にある線状凹地などは残雪域となっており、94個の湖沼のうち82個は残雪域内に位置していた。地すべりによる小地形が残雪域の偏在性に関わり、融雪による地下水涵養が湖沼形成に関与していることが示唆される。 しかし、同様の小地形が存在する全ての場所に湖沼が形成されているわけではなく、涵養域の面積や風化物質の粒径に関わる地質などの条件も重要であると考えられる。
  • 渡辺 満久, 中田  高, 後藤 秀昭, 鈴木 康弘, 堤  浩之, 谷口  薫, 澤  祥
    セッションID: 807
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1 はじめに 秋田県横手盆地の東縁部においては、角館西方から南方の横手まで、南北延長約60 kmの活断層が存在することが示されてきた(活断層研究会、1991)。その北半部では、1896年陸羽地震時に地表地震断層が現れたこともあり、活断層の位置や形状が詳しく検討されてきた。一方、横手盆地南部東縁の活断層に関しては、横手付近から南方へ直線的に連続する「大森山断層」と、湯沢付近で南北に直線的に連続する「東鳥海山断層」が図示されていたものの、それらの位置・形状に関しては不明な点が多かった。 地震予知総合研究振興会(2007)・谷口ほか(2007)は、米軍及び国土地理院撮影縮尺約1万分の1空中写真を用いた詳細な写真判読によって、横手盆地東縁の活断層の位置・形状を再検討した。その結果、いくつかの新知見を得ることができた。ただし、これらの報告では、活断層を新たに認定した理由などが十分に示されてこなかったように思われる。本報告では、横手盆地南部における変動地形解析例を紹介し、新たに活断層を認定した根拠を明示する。その上で、これらの活断層の活動性に関しても紹介する。なお、口頭発表時には、複数の立体映像を用いる予定である。 本研究においては、平成21-23年度科学研究費補助金(基盤研究(B)((研究代表者:鈴木康弘)も使用した。 2 変動地形解析例 (1) 横手市赤川付近 : 横手盆地東縁から数km西の盆地床中に存在する赤坂丘陵の北方延長部(赤川付近)において、最終氷期以降に形成されたと推定される扇状地面に比高約1mの撓曲崖が形成されている。この活断層トレースは、南部ではNNW-SSE方向に連続しており、N-S方向に連続する横手盆地東縁の断層線とは雁行している。赤川付近では、断層トレースはN-S方向となり、さらに北方の金沢中野の西方まで(NNE-SSW走向)連続し、その全長は20km以上に達する可能性がある。赤川では群列ボーリング調査を実施し、地下構造や変位量累積性を検討した(澤ほか、2011)。 (2) 横手市浅舞付近 :最終氷期後半以降に形成されたと推定される扇状地面上には、西流していた諸河川の流路跡が多数認められる。上藤根~下鍋倉の約4kmの区間において、これら複数の流路跡を切断する、比高1m程度以下の南北走向の低崖が認められる。河川の流路跡は、この低崖を挟んで東西に連続しており、ここに活断層が存在することは確実であろう。低断層崖が認められる区間は比較的短いが、反射法地震探査結果(産総研、2010)によれば、北は少なくとも上述の赤川付近まで、南は湯沢方向へ連続する可能性が高い。 (3) 湯沢市八面~三又 : 北流する皆瀬川の右岸、最終氷期後半以降に形成されたと推定される段丘面上には、比高数m以上の、細長い地塁状の高まりが南北方向に連続する。河成段丘面上にこのような高まりが連続することは不自然である。また、これら高まりの東西両縁の崖は、皆瀬川の旧流路を切断していることが確認できる。これらの事実から、皆瀬川右岸に活断層が存在していることは確実であろう。これらの活断層は、東側の山麓の活断層と並走するように見える 3 まとめ 上記した活断層は、いずれも、最終氷期後半以降に活動していることは確実である。断層変位を受けている旧流路の形状は非常に明瞭であるため、完新世に活動を繰り返している可能性もある。活断層の活動時期や、連続性を明らかにしてゆく必要がある。 【文献】 活断層研究会 1991.新編日本の活断層. 谷口ほか 2007.日本地球惑星科学連合大会予稿集. 澤ほか 2011.本学会発表. 地震予知総合研究振興会 2007.平成18年度地震調査研究観測データの分析評価支援成果報告書 産業技術総合研究所 2010.「活断層の追加・補完調査」成果報告書 No.H21-2,30p.
  • 澤 祥, 渡辺 満久, 鈴木 康弘
    セッションID: 808
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    【はじめに】従来の研究(活断層研究会,1991;池田ほか編,2002;中田・今泉編,2002など)では,横手盆地東縁断層帯は北の角館西方から南の横手までの南北延長約60 kmの活断層線として示されてきた.地震予知総合研究振興会(2007)・谷口ほか(2007)は,米軍及び国土地理院撮影縮尺約1万分の1空中写真を用い高度化された写真判読手法によって横手盆地東縁断層帯の断層分布と形状を見直した.その結果,北部においては北方の駒ヶ岳西麓断層帯(生保内断層)と連続し,南部では従来横手以南で稲川に向かい南北に連続するとされていた活断層線が,そうではなく右雁行配列しながら南方の湯沢へ向かい東鳥海山断層に連続していくことが新たに指摘された.横手付近では,横手盆地東縁断層帯が山麓線から西側の盆地床へ向かって雁行しながら張り出し,それらのトレースは盆地床に突出する南北走向の丘陵(赤坂丘陵)西縁に位置する.筆者らは,地震予知総合研究振興会(2007)で新たに認定された西へ向って盆地床内に張り出す断層線北端(横手市赤川)において,地形面の年代と断層変位の累積・変位量を確認するために5本の試錐を2010年12月に行った.本発表はその中間報告である.なお,地震予知総合研究振興会(2007)で新たに認定された横手南方の断層線の認定根拠については,渡辺ほか(2011,本学会)で報告する.
    【研究地域の地形地質概観】本研究地域(横手市赤川付近)に分布する地形面は標高50~60 m,勾配数度程度の平坦なもので,奥羽山脈から北西流する横手川およびその支流が形成した扇状地性の地形面である.これらは小河川によって浅く開析されたり,またより古い扇状地面が新期の扇状地面上にほとんど同じ高度で埋め残され所々に現れたりする.試錐地点は,地震予知総合研究振興会(2007)で新たに認定された断層線の北端に位置する.この断層線は皆瀬川右岸山麓線から北へ向かって伸び,横手盆地東縁と右雁行配列して盆地東縁西側の盆地床中に突出する赤坂丘陵の西縁を限る.そしてトレース北端の調査地域付近において,丘陵西縁北延長の扇状地面上に,ほぼ南北走向で比高約1 mの東上がりの撓曲崖を形成する.
    【試錐調査】撓曲崖を東西に横切る断面で,深度約10 m,口径66 mmのオールコアボーリング5本(西側からNo.1~5,No.3が撓曲崖直上)を30~50 m間隔で掘削し,地下地質の確認と年代測定試料の採取を行った.そして11試料の14C年代測定を実施し,年代・層相と連続性から地層の対比をした.地層は厚さ数十cm表土の下に上位から,粘土,シルト,砂の細粒物質が地表下約4 m位まで連続する.断層下盤側No.1~3では,地表下約4 m以深に中礫を主体とする砂礫層が現れる.しかし断層上盤側No.4と5では地表下約4 m以深は砂あるいはシルトが主体となり,砂礫層はそれらの間に数十cmの厚さで挟在する.No.1の地表下約1 m,No.2の地表下約7 m,No.3の地表下約8 m,No.4の地表下約4 mには,黒色~暗褐色の腐植層が認められ,これらを境に上下の層相が大きく変化する.これらの層相と14C年代値から,研究地域の地下地質は表土以下,上位からI層,II層.III層に大別される.I層は小流が研究地域の扇状地面を開析した小谷を埋積する厚さ数mの堆積物で約5,000年前以降の完新統と推定される.II層は研究地域の扇状地面を構成する堆積物で,約20,000年前以降の最終氷期最盛期に形成されたものである.III層は少なくとも3万数千年前より古いII層が堆積する以前の扇状地堆積物である.研究地域南方3 kmの赤坂丘陵西縁隆起側に位置する横手市中山の背斜変形(比高6~7 m)した地形面において,その構成層である砂礫層(地表下約2.5 m)から45,880年前の14C年代が得られている(産業技術総合研究所,2010).III層は,おそらくこの地形面と同時期の扇状地面が,赤坂丘陵西縁を限る東上がりの逆断層運動により地下深くに埋積されたものと考えられる.III層上面の高度は撓曲崖(no.3)を挟んで東上がり約4 mの高度差を示し,II層上面の東上がり約1 mの高度差と比べ有意に大きく変位の累積が認められる.このことは,この断層線沿いで3万数千年前以降東上がりの逆断層変位が継続していることを示すものである.
  • 楮原 京子, 小坂 英輝, 三輪 敦志, 今泉 俊文, 儘田 豊
    セッションID: 809
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1. はじめに
     北上低地西縁断層帯は典型的な東北日本の逆断層帯である(図1).その北部の南昌山断層群では,変動地形から山地・盆地境界の断層崖と盆地内に数条の推定活断層が認定されている.また,小坂ほか(2011)によって低地内に,鮮新統に噴出した火山岩類からなる北谷地山などの小丘が第四系の上に衝上していることが指摘されている.しかし,南昌山断層群と小丘の関連性や断層群を構成する活断層の地下でのつながりについては明確にされていない.そこで,本研究では空中写真判読と地表踏査,反射法地震探査に基づいて,上記の地形的特徴とその地下構造との対応を検討した.
    2. 南昌山断層群周辺の地形的特徴
     南昌山断層群は,山際からF1断層,F2断層,F3断層から構成される.F1断層は,山麓の高度不連続部として認められるが,現在(後期更新世以降)の活動度は低い.F2断層は扇状地面上に明瞭な低断層崖として認められ,断層上盤側では山地側への傾動が顕著である.F3断層は,段丘面の系統的な勾配の変化(減傾斜と撓み)とその下流側への開析谷の発達という地形的特徴をもつ.
    3.南昌山断層群の地下構造
     反射断面は,反射面の特徴と既存の試錐資料,地表踏査の結果を踏まえ解釈した.北上低地の地下浅部ではほぼ水平な鮮新・更新統が伏在し,F3断層の断層崖の地下で地層の撓みや肥厚化がみられる.この堆積層は明瞭な西傾斜の反射面によって,その西縁が限られて, F3断層が西傾斜の低角逆断層であると推定される.またF2断層の断層崖からは,地下へ向かって断層面からの反射と思われる西傾斜の反射面が捉えられている.F1断層は山地内の強振幅かつ低周波な反射面群と低地側の高周波な反射面と群との境界に推定され,やや高角な西傾斜の断層と推定される.
     以上のように南昌山断層群では,地表で認定したF1断層,F2断層,F3断層の地下延長部に西傾斜の断層形成されていることが明らかとなった.また,地層の重なり合いや各断層の上盤にみられる変形構造の解析から,F3断層の活動開始がF2断層に先行したと推定される.F3断層による活動は,上部中新統~鮮新統を変位させており,低地に残丘状に分布する地形の形成において,F3断層の活動が大きく寄与していることを示す.
  • 小荒井 衛, 岡谷 隆基, 中埜 貴元, 小松原 琢, 黒木 貴一
    セッションID: 810
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに 中越地方では、2004年中越地震、2007年中越沖地震と被害地震が相次いだ。中越地方は活褶曲地帯としても有名であり、ALOS/ PALSARの干渉SARにより、中越沖地震と同期した小木ノ城背斜の10cm弱の隆起(活褶曲の成長)が報告されており、活褶曲の成長速度は小千谷周辺とオーダー的には同程度としている(小荒井ほか,2010)。一方、中越地震では、地震前の空中写真測量と地震後の航空レーザ測量のデータから、信濃川と魚野川の合流部あたりで0.5~1.5mの隆起が報告されている(小長井ほか,2007)。このように、地震に伴う活褶曲の成長と斜面崩壊の集中との関連性が注目されており、山古志で集中した斜面変動・地すべりとを活褶曲地帯における地形発達史との関連で説明することが求められている。研究の一環として、芋川流域の段丘編年を行ったので報告する。 2.芋川の河床縦断面図と段丘の特徴 航空写真判読と航空レーザ測量による1m間隔等高線図の読図により、明らかに連続する平坦面の区分を行った。現河床の流下方向に5m間隔で現河床流下方向と直交する方向に延長線を引き、延長線と交わる平坦面の高さを航空レーザのデータから読み取りプロットし、河床縦断面図(図-1)を作成した。連続する段丘面としては最低でも3つ確認できる。最も低い段丘には風成層は載らず、中間の段丘の風成層にはテフラは認められず、最も高い段丘には風成層の下部に斜方輝石が認められ、約15kに噴出した浅間-草津火山灰(As-K)の可能性が考えられる。 調査対象地域東側の道光高原では5mを越える厚さの風成層があり、その中間部にはカミングトン閃石が認められ、約13万年前に噴出した飯縄-上樽テフラ(It-KT;鈴木,2001)と考えられる。このように周辺には古い地形面が存在するが、芋川流域には1万5千年前より古い地形面が存在しないのは、芋川流域の隆起速度が極めて大きいためと考えられる。本研究は科学研究費補助金(研究課題番号:22500994)の予算により行われた。 引用文献 小荒井衛ほか:地質学雑誌,116-11, 602-614, 2010 小長井一男ほか:活褶曲地帯における防災シンポジウム講演概要集,土木学会,4-14,2007 鈴木毅彦:第四紀研究,40, 29-41,2001
  • 仲村 祐哉, 須貝 俊彦, 石原 武志, FREIRE Fernando, 松本 良
    セッションID: 811
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    はじめに
     火山国日本では全域において火山噴出物の総称であるテフラが堆積しており,時間指標層となっている.後期更新世以降に関しては,広域に分布するテフラの給源や堆積年代,分布地域などはほぼ解明されつつある(町田・新井2003).しかし,降下範囲が狭いローカルなテフラや,海域に分布するテフラなどはまだ給源や堆積年代が解明されていない場合が多い.また,海底コアのテフラ研究によって,陸上のデータをもとに描かれた分布図が大きく書き換えられることもある(町田・新井,1988).
     本研究では,新潟県上越沖で採取されたピストンコアMD179-3312から見出した11枚のテフラについて,実体顕微鏡観察による鉱物組成の記載,SEM-EDSによる火山ガラスの主成分化学分析を行い,同定を試みた.上越沖は海域でありながら,九州地方・中国地方・中部地方・北海道など,様々な地域の火山からテフラが降下・堆積している可能性が高く,テフラ研究において地理的に有利な場所といえる.同海域では,2008年,2009年の調査航海によって,多数のコアが採取されたKY-05航海のPC510コア(Fernando,2010)よりも長いコアを採取した.

    コアの概要
     本研究で用いるコアは,MD179航海で採取したピストンコアMD179-3312であり,採取地点は北緯37度32分5.4秒,東経138度8分18秒の水深1029mの地点である.

    対比結果
     層序,鉱物組成,火山ガラスの形態・化学組成を用いて,テフラの対比を行った結果,コアに介在する11枚のテフラのうち,9枚のテフラを先行研究のテフラと対比することができた.上から順に,As-K,Jo-2,AT,On-Ng,Aso-4,On-Kt,K-Tz,SK,Toyaである.

    まとめ
     対比結果から,先行研究(町田・新井,2003など)で推定されていたテフラの降下範囲が更新されることが示唆された.最も注目すべきテフラは,洞爺カルデラ起源のToya火山灰であり,同テフラが見つかっている地点としては,最南西端に位置する.このことは,Toya火山灰を噴出した火山活動の規模が見直されるべきことを示唆する.また,御嶽起源のOn-NgとOn-Ktが見つかっており,御嶽火山の活動規模も見直されるであろう.さらに,三瓶火山起源のSKが本コアでは層厚11cmあり,町田・新井(2003)で描かれているSKの等層厚線図も更新されるであろう.このように,本研究の結果から,テフラの降下範囲や規模が見直されることが示唆された.また,別途公表される同コアの古環境データから,今回見つかったテフラの高精度の年代が解明されることが期待される.

    謝辞
     本研究は,経済産業省石油天然ガス・金属鉱物資源機構の支援を得て,日本海におけるメタンハイドレート資源開発研究の一環として実施されたものである.また,公文富士夫信州大教授には高野層とテフラをご案内賜った.深謝申し上げます.
  • 山縣 耕太郎
    セッションID: 812
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    河川は,グローバルな気候変化などの自然的な要因や,農地開拓などの人為的要因に敏感に反応して,侵食,運搬,堆積プロセスに変化を生じる.こうした環境変化と河川の応答関係の解明は,流域管理や災害対策の上でも重要な課題となっている.流域に分布する河成堆積物は,流域に生じたこうした環境変化を記録する媒体と考えることができることから,堆積物を用いて過去の環境変化と河川の応答関係を検討する事が可能である.本研究では北海道十勝平野南西部湧洞川流域に生じた歴史時代の河川環境変化を,河口部に位置する潟湖である湧洞沼の湖底堆積物コアをもとに検討した.また,河川環境を変化させた原因を明らかにするために,流域斜面の土壌調査と,歴史資料の検討を行った.北海道は,明治維新を境に,それ以前のアイヌによる狩猟採取を中心とした生産活動から,本州以南から開拓移民した人々による農業を中心とした活動へと,地域の生産活動の形態が激変した地域である. 十勝平野南部に位置する湧洞川河口に位置する潟湖湧洞沼から4本の湖底堆積物コアを採取し,堆積物について粒度組成,帯磁率,炭素含量の分析を行った.また,各コアについて放射性同位体(Cs-137)と火山灰を利用した年代推定を試みた.さらに,土壌浸食の状況を把握するために,流域の数地点において土壌断面の観察を行った.その結果,湖底堆積物および土壌断面において,火山灰層およびその上位に帯磁率の増大が認められた.これは,火山灰期限の磁性鉱物が移動,再堆積したためと考えられる.Ta-bについては,その影響が100年以上継続している.また,湖底堆積物コアの層相観察から,Ta-aより上位で堆積物が粗粒化していることが確認された.地点4のコアに関する検討から,粗粒化が開始した時期は,1920年頃と推定された.これより上位,1963年層準の直上にも粗粒化のピークが確認される.この層準では,帯磁率の増大も生じている.流域斜面の土壌断面観察では,植林地および二次林の土壌断面にはほとんど撹乱,侵食の形跡を見出すことができなかった.一方で,牧草地の土壌断面では,顕著な撹乱を受けている様子が確認された. 火山灰の堆積は,不安定な物質を土壌表層に供給するため,その後長期に渡って,主にその火山灰が降雨などによって流域内で移動,再堆積をする.このような河川への物質供給は,植生によって地表面が覆われ,火山灰の上位に土壌層が発達することによって地表面が安定するまで継続するものと考えられる.層厚の大きいTa-bの場合には,100年以上にわたって物質供給が続いた. 河成堆積物の粗粒化の原因としては,河川に供給される粗粒物質量が増大した場合と,水文条件が変化した場合が考えられる.地点4に見られる堆積物の粗粒化現象のうち,1963年以降に起こった粗粒化は,帯磁率の増加を伴っていることから,表層土壌の侵食が関係しているものと考えられる.一方その下位に見られる顕著な粗粒化は,帯磁率の増大を伴っていないことから,表層土壌の侵食量は少なく,水文条件のみが変化した可能性が考えられる.たとえば,森林が伐採されて植生が破壊されたことによって表面流出が増大して洪水の規模や流量が増大したことによって粗粒化が起こった可能性が考えられる. 調査地域を含む忠類村における牧草地面積の変化と,畑面積の変化を見ると.牧草地の急激な増加が起こるのは,1965年ころであり,新しい粗粒化の時期とほぼ一致する.畑の増大時期は,1900年頃からであり,下位の粗粒化の時期とほぼ一致する.湧洞川流域では畑地の占める面積は多くないので,むしろ植林地の増大と関係があるのかもしれない.
  • 森脇 広, 杉原 重夫, 松島 義章, 増淵 和夫, 弦巻 賢介, 大平 明夫
    セッションID: 813
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    国分平野の流域は,第四紀に噴出した火砕流からなる台地・丘陵と多数の成層火山・単成火山からなる霧島火山群で,活発な堆積物供給源を形成する.鹿児島湾は火山構造性陥没地からなり,深い海底地形をなす.鹿児島湾の北岸にある国分平野は,姶良カルデラ北縁にあることから,この沖合は急激に深くなり,比高100m以上に及ぶ急斜面を形成する.この急斜面は,水深10m以下で,距離1kmほどの幅で縁どる三角州頂置面に続く前置斜面状の地形からなることから,この比高100m以上の斜面は未固結の堆積物からなると考えられる.このことは,最終氷期最大海面低下時の汀線は現在の海岸低地下か,これに近い沖合に存在し,この平野の海岸に近い陸上からのボーリング掘削によって,最終解氷期前半の海面の痕跡をとらえることができることを示唆する.今回,最終解氷期以降の古い時期からの海面の痕跡を一つのターゲットとして,国分平野の海岸干拓地のもっとも汀線よりにあり,これまでの低地でのボーリング資料から古天降川谷底の存在が推定される地点において,深さ80mのボーリングを行った.  その結果,このコア(K-1)の地表下約78m(現海面下77m)で,溶岩・溶結凝灰岩の礫からなる沖積層基底礫層(14,600 cal yr BP: IAAA-90999)に達した.今回の発表では,これより上流1kmにある地点で行われたボーリングコア(K-2)の解析(森脇ほか,2005)と併せて,本地域の最終解氷期の古環境変化と海面変化について報告する.  古環境の知見は,堆積物の層相,貝化石,珪藻化石の分析によった.堆積物の年代は貝化石,有機物,木片のC-14年代とテフラによって求めた.  得られた結果の中で特筆すべき点は次の諸点である. _丸1_K-1, K-2コアとも干潟付近の堆積物がその多くを占める.急速な海面上昇にたいして,シラスを中心とする堆積物が多量に供給された結果,現在の海岸近くの低地付近において干潟を維持してきたことを示す.K-1地点での約15,000年前以降の堆積速度は5.5mm/yrである. _丸2_テフラによる海底コアの酸素同位体記録との高精度対比.本地域の最終解氷期の重要な指標テフラである桜島-薩摩テフラ(Sz-S: 12,800 cal yr BP; 奥野,2002)が,K-2コアでは現海面下約50mの海成堆積物中に見いだされている(森脇ほか,2005).一方,東シナ海の海底コア(MD98-2195)で見いだされたSz-Sは,このコアの酸素同位体記録(Ijiri et al., 2005)では,新ドリアス期とアレレード期の境界付近に見いだされている(Moriwaki et al., 2010). _丸3_姶良カルデラにはいつ海進が及んだか.K-2コアでは,Sz-Sテフラより4m下位(現海面下49m)に海成層の痕跡が出現する.これより海岸側1kmにあるK-1では最深の貝化石が現海面下61.5mにある.標高61.3mにある貝化石の年代は,12,800 cal yr BP(IAAA-90998)である.Sz-Sテフラの年代や酸素同位体記録での層位からみて,本地域への海進はmelt-water pulse Ia(Fairbanks, 1988)に対応した初期の急激な海面上昇によって開始されたものといえよう. _丸4_最大海面低下時の汀線.K-1コアでの基底礫層を現汀線から1km沖にある急崖に延長すると,当時の古天降川の河口は現海面下90m付近にあると推定される.これは鹿児島湾の湾口を横断する海底地形の最深部約95mと類似する.この時期の海面が現海面下100m以上にあるとされていることは(Yokoyama et al., 2007),この時期鹿児島湾奥は湖であった可能性を示唆する.
  • 中田 高, 後藤 秀昭, 渡辺 満久, 鈴木 康弘, 徳山 英一, 佐竹 健治, 隈元 崇, 西澤 あずさ, 伊藤 弘志
    セッションID: 814
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    南海トラフ沿いの海域は,近い将来巨大地震が発生する確率が極めて高いとされおり,政府地震調査研究推進本部は,当面10年間に取り組むべき地震調査研究に関する基本目標の一つとして,海溝型地震を対象とした調査観測研究による地震発生予測及び地震動・津波予測の高精度化を挙げている.発表者らは,高度化のためには震源断層に関連する活断層の位置・形状に関する資料を整備することが不可欠と考え,DEMから作成した南海トラフ沿いの海域の詳細なSD画像の判読を行ってきた.その結果,これまでの地震動や津波の記録などをもとに南海地震,東南海地震,想定東海地震に対応する破壊予測範囲(領域X:足摺岬沖~潮岬沖(A+B),領域Y:潮岬沖~浜名湖沖(C+D),領域Z:浜名湖沖~駿河湾(E))区分(石橋・佐竹:1998など)にもとづくこれまでの予測手法(政府地震調査研究推進本部,2001)は)は不適切であり,活断層の位置・形状を考慮した地震発生予測を行う必要なことが明らかとなった. 活断層の分布の概要  南海トラフに沿って発達する活断層については,徳山ほか(2001)などが,海底地形に加え反射断面から読み取れる地質構造の特徴を認定根拠に認定した通り,トラフに平行な前縁断層や分岐断層などの北傾斜の逆断層の発達が顕著である.しかし,この研究では海底地形は分解能の低い資料によっているために直線的かつ断片的に描かれており,活断層の位置・形状や連続・不連続に関する情報の信頼性は高くない.本研究では従来とは比較にならない分解能の高い地形画像を用いて,陸域活断層と同様の判読基準にもとづいて活断層判読を行ないトラフのほぼ全域の活断層の詳細な分布を明らかにした.これによって,長大な横ずれ断層の発見など数多くの新知見を得るとともに,活断層の連続性や独立性についても十分検討が可能なデータとして整備した.これまで認定された主要断層の多くは,上述の破壊領域区分を超えて連続するものや領域内で連続が途絶えるものが認められることが明らかになった. 相模トラフ北東側の活断層は,大正関東地震の震源に関連すると考えられる東京海底谷の出口付近から北西に大磯海脚基部に至る活断層(相模構造線(木村,1975))と,元禄関東地震に関連すると考えられる東京海底谷出口付近から南東から南に房総半島南部沖に至る活断層(新称:野島崎沖断層系)が認められる.また,相模トラフ南西側にも石橋(1988)が存在を指摘した西相模湾断裂が,明瞭な断層変位地形を伴って発達することが確認された. 駿河トラフから南海トラフに沿っても,東海沖活断層研究会(1999)の遠州断層系,小台場断層系,東海断層系,南海前縁断層系や,徳山ほか(2001)の南海OST断層系,四国沖前縁断層系,土佐断層系に属する活断層が認められるが,それぞれの断層系を構成する活断層の位置・形状および変位様式などは,これまで知られているものとは大きく異なる.たとえば,土佐断層系を構成する活断層の多くは長大な右横ずれ断層であることなど,地震発生予測に多大な影響を与える新情報が得られた. 歴史地震に関連する活断層  近年,熊野トラフの外縁隆起帯(outer ridge(茂木:1977))の基部に認められた分岐断層が1944年東南海地震の震源断層であるとの説(木村・木下:2009ほか)が注目されている.この断層は潮岬海底谷を挟んで東西に連続し,潮岬沖に設定された破壊領域区分とは調和的ではない.また,1946年南海地震の震源断層は潮岬の東から足摺岬沖に破壊領域を持つと想定されているが,これも分岐断層の位置・形状とは対応しない.新たに認定された活断層のうち1944年地震に対応すると推定される活断層は,熊野トラフ底を横切る東西性の逆断層で,東海沖活断層研究会(1999)が1994年地震の震源と推定する遠州断層系の南部に位置し,新鮮な活断層変位地形が認められる活動的な断層である.また,1946年地震に対応する活断層は,太地沖から潮岬海底谷を横切り土佐バエ南縁の急崖の基部を通り,足摺岬南東に達する新たに認定された逆断層である.二つの地震の震源断層の境界は新宮沖にあり,地震に伴う地殻変動や津波発生を説明するのに矛盾はない. このほか,安政東海地震・安生南海地震,宝永地震の震源断層と新たに認定された活断層とに対応関係についても発表時に言及する予定である. 本発表は,海上保安庁と広島大学などが共同で行っている平成19-22年度科学研究費補助金(基盤研究(B)((研究代表者:中田 高)の成果の一部である.
  • 小坂 英輝, 今泉 俊文, 阿部 恒平, 三輪 敦志, 楮原 京子
    セッションID: 815
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1. はじめに
    本発表では,上平断層群の南端部にあたる瀬の沢川(高村山荘付近)沿いの断層露頭(39°23′18.4″,141°0′19.4″)とその周辺の変位地形から,トレンチ調査では困難な最新活動に先立つ活動イベントについて解読する.対象とする断層露頭は下川・粟田(1983)により報告されたものであるが,断層露頭の活動イベントについては不明である.この断層露頭は,逆断層の下盤側の変形を高さ約10 m観察できる大規模なものであり,より古い活動イベントを確認する上で重要と考えられる.
    2. 地形面と変位地形
    本研究では,構成層を覆う被覆層の特徴を渡辺(1991)と比較して,本地域に分布する地形面をH面(最終間氷期より前),M2面(50~60 ky),およびL2面(最終氷期前半)とした.さらに,河川に沿って多段化しているL2面を,高位よりL2-1,L2-2,L2-3面に細分した.L2-1面には崖高2 m(最小)の断層崖が認められる.L2-2面は,直接断層変位地形が横切られないため,変形をうけたか不明であるが,L2-3面は,低断層崖を侵食していると考えられることから,最新活動イベント後に形成されたと推定される.したがって,本地域の活断層は,L2-1面以前の地形面に変形を与えていることは明らかである.
    3. 断層露頭の記載
    断層露頭には,新第三紀凝灰岩類と第四紀の砂礫層が接する逆断層が露出する.本研究では,逆断層下盤側の地層を不整合関係と層相の違いによって,A層,B層,C層,D層に大別した.A層には,インブリケーションの再配列が認められ,その再配列の分布からA1層とA2層に2分できる.A2層,B層,C層およびD層の基底面は傾斜不整合面である.B層から採取した3つの試料の14C年代は>43,500 y. B. P. を示し,C層最上部から採取した14C年代は25,050±120 y. B. P.を示した.断層変位を受けていないL2-1面の構成層をE層とした.E層にはTo-aが認められ,腐植土層から採取した2つの試料の14C年代は,1300±40 y. B. P., 1190±40 y. B. P. を示した.なお,14C年代測定は_(株)_地球科学研究所,火山灰分析は京都フィッション・トラック_(株)_に依頼して行ったものである.
    4. 断層露頭からみた活動イベントの解釈と上下変位量
    断層露頭下盤側の傾斜不整合から,活動イベントは少なくとも4回あると解釈される(図1).D層は,L2-1面の構成層であり,C層は,14C年代からL1面に対比される.最下部のA層および,B層は,C層基底の不整合の時間間隙の長さと構成層の風化の程度からM2面に対比されると推定さる.地形面と断層露頭下盤側の地質境界の対比に基づき現地測量を行い求めた上下変位量は,L2-1面で2 m,L1面で約6 mであった.M2面の上下変位量は,B層上面に対比したとき約17 mであった.段丘面の離水年代と変位量の関係図から判断される平均変位速度は約0.3 m/yrである.
    5. 段丘発達史からみた活動イベントの再解釈
     M2面離水後の活動イベント数は,一回当たりの変位量を,北湯口地区での一回当たりの上下変位量が1~2 m(後藤・渡辺,2006)を仮定すると,上下変位量が17 mであることから8~16回となる.この仮定は,断層露頭周辺の低断層崖高の最小値(I測線:2 m)と矛盾しない.断層露頭から解釈される活動イベント回数は,活断層の固有値にある程度揺らぎがあると考えても,地形発達から考えられる活動イベント数よりも明らかに少ない.このことは,活動イベントが解釈された不整合形成の時間間隙中に複数のイベントが存在することを示唆する.
    文献
    下川浩一・粟田泰夫,1983,日本第四紀学会講演要旨集,13.
    渡辺満久, 1991,第四紀研究, 30A.
  • 宮城 豊彦, 濱崎 英作, 柴崎 達也, 内山 庄一郎, 檜垣 大助
    セッションID: 816
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    地震断層・断層面の構造と大規模な岩盤すべりなど斜面災害の分布には密接な対応が指摘されている。しかし地すべりの運動自体はすべり面相当層でのC、φや間隙水圧に依存することも事実である。「地震性土砂災害と降水型の斜面災害の異同を明確化すること」が大きな課題として取り上げられた。そこで、本課題に対して我々は過去の巨大地すべりの初生滑動には巨大地震が関与しているという仮説を軸として、主として東北地域の第三紀層地域に分布する巨大地すべり地形のいくつかで地形復元を試み、そこに関与する地震動と地下水賦存の影響についてパラメトリック解析を通じ、その発生条件を明らかにすることを目指した。計算ケースは、計算地形として元地形と現地形、水位条件として満水位と想定水位、水平震度としてKh=0、Kh=0.25で計8ケースについてそれぞれ_丸1_-_丸3_の地すべりで実施した。結果は下に示すとおりで、想定水位では地すべり前地形・現況地形ともに安全率が2.5を超える。なお満水位になってもやはり前地形・現況地形ともに1.5以上と安定である。もっともすべり前地形の満水位は地下水賦存量としては現況に比べ多いこともあり安全率低下はより大きい。しかし、Kh=0.25では想定水位程度でもFs=1.0ぎりぎりか1を割り込む。当然、満水位ではそれより10-20ポイント低下し、滑る結果となる。すなわち、この3箇所の地すべりの初生発生条件として地震動の関与が想定される。
  • 岡谷 隆基, 佐藤 浩, 関口 辰夫, 鈴木 啓, 小荒井 衛, 原 哲也
    セッションID: 817
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに  干渉SARは,大地震に伴う地殻変動抽出など広域にわたる面的な地表変動を捉えることに威力を発揮してきた.地すべりに伴う変動はそれらと比較すると局地的ではあるものの,Kimura and Yamaguchi (2000)などにより干渉SARで抽出できる可能性が指摘されてきている.平成19年能登半島地震による局地的な変動の広域的な分布が,地すべり地形とほぼ合致することを宇根ほか(2008)が指摘したことを踏まえ,国土地理院でも山形県月山地区などを対象として,干渉SARによる地すべり監視に関わる業務や調査研究を行っている(鈴木ほか 2010;佐藤ほか 2010).  本研究では,東北地方を対象として,ALOS/PALSARを用いたSAR干渉画像で検出された局地的な変動から地すべりに伴う変動を抽出する可能性について検証を行った. 2.実施結果  本研究の過程では20箇所以上にわたる局地的変動について検討を行っているが,図表ではこのうち3箇所を例示した(図の上下と表の上下が対応)。それぞれ変動域がSAR干渉画像で検出されているが,防災科学技術研究所(2010)の地すべり地形分布図で確認されているものは中央のケースのみである.一方,地形図の読図により地すべり地形と判断されるものは中央と下の2ケースであり,SAR干渉画像で検出された変動域は地すべり性変動を捉えている可能性が高いと考えられる.これらから,下のケースのように防災科学技術研究所(2010)で報告されていない地すべり地形でも,SAR干渉画像と地形図の読図等から活動的な地すべりが抽出できるケースがあることが分かった. しかし,SAR干渉画像において変動域と推定される場合でも,上のケースのように地すべり地形が認められない場合もあるため,干渉域があるからといって地すべり性変動にすぐに結びつけることは出来ない.これは,SAR干渉画像に乱れを生じさせる要因として気象条件など地表変動以外の要因もあるためである. 3.まとめ  SAR干渉画像で検出された局地的な変動から地すべりに伴う変動を抽出する可能性について,東北地方を対象として検証を行った.その結果,SAR干渉画像で検出事例とされた箇所の多くは既知の地すべりと一致し,数多ある地すべりからその変動が活動的なものを抽出できる可能性が示された.また,地形的には地すべりでも防災科学技術研究所(2010)で指摘されていない箇所もSAR干渉画像により変動が示唆されるケースもあり,地形図の読図や空中写真判読を組み合わせれば,活動的な地すべりの抽出及び監視にも干渉SARを活用できることが分かった. 文 献 宇根寛・佐藤浩・矢来博司・飛田幹男 2008.SAR干渉画像を用いた能登半島地震及び中越沖地震に伴う地表変動の解析.日本地すべり学会誌 45-2: 33-39. 佐藤浩・小荒井衛・飛田幹男・鈴木啓・雨貝知美・関口辰夫・矢来博司 2010.地すべり性地表変動に関するSAR干渉画像判読カードの提案.国土地理院時報 120: 9-15. 鈴木啓・雨貝知美・森下遊・佐藤浩・小荒井衛・関口辰夫 2010.山形県月山周辺におけるSAR干渉画像を用いた地すべりの検出.国土地理院時報 120: 1-7. 防災科学技術研究所 2010.地すべり地形分布図データベース. http://lsweb1.ess.bosai.go.jp/index.html(最終閲覧日:2010年12月27日) Kimura, H. and Yamaguchi, Y. 2000. Detection of landslide areas using satellite radar interferometry. Photogrammetric Engineering & Remote Sensing 66-3: 337-344.
  • 清水 整, 須貝 俊彦, 中山 裕則, 佐藤 明夫, 門谷 弘基, 遠藤 邦彦
    セッションID: 818
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに  イリ川は天山山脈に水源を持ち,中央アジア,カザフスタン共和国中部のバルハシ湖に注ぐ内陸河川である.イリ川は乾燥気候に属し,下流域においてはイリデルタと呼ばれる広大な平坦面が広がり,旧流路の痕跡が明瞭に観察される.とくにバカナス(図1)付近において現流路が西に向かっている一方旧流路は北に向きを変えており,流路が分岐しているようにみえる.  イリ川の注ぐバルハシ湖周辺の環境変動に関しては,バルハシ湖での湖底コアの珪藻分析や化学分析などによる過去2000年間の湖水位変動が復元されつつある(Endo et al.,2010;千葉他2010;Sugai et al.,2010など).イリ川はバルハシ湖に流入する河川水の80%を占めており,イリ川下流部の地形面の形成時期と形成過程を求めることは陸上地形の形成史の解明だけでなくバルハシ湖の環境変動に関する手がかりとなることが期待される. 2.手法 縮尺10万分の1の地形分類図を作成した.Google earthの衛星画像データ,SRTM30のデータを基とした陰影図を用いた.(図1).2010年8月に現地調査を行い,現地では,地形測量と段丘堆積物と旧流路の堆積物の観察・記載・サンプリングを行った. 3.地形面分類の結果 イリ川下流の地形は,現流路の氾濫原を最下位面として,T1~T5の5つの地形面に分類された. T1面は更新世に形成されたと考えられる河成面であり,loc.1(図1)では,中砂から泥質に上方細粒化を示す堆積ユニット2サイクル観察された.またT1面は植皮された縦列砂丘に被覆されており,イリ川沿いでは,更にその上を現生の河畔砂丘が覆っている. T2面はバクバクティより北に分岐したイリ川の旧流路に沿って分布している,その面上にはT1面ほどではないが風成砂の堆積が進んでいる(loc.2, 図1). T3面はバカナスデルタと呼ばれ,面上には旧流路が明瞭に残存している.loc.3(図1)の旧流路の横断方向に,深さ約1mのピットを5つ掘削し,流路堆積物と考えられる淘汰の良い砂質堆積物に含まれる貝片と流路の湿地化を示す腐植質土壌からそれぞれ,1500年前頃と700年前頃の14C年代値を得た.この年代値は従来13~15世紀といわれていた(Adbravilov and Tuleburanka,1994) ,バカナスデルタの形成年代より古い. T4面はイリ川の現河道に沿って存在する.この面はイリ川が西行するようになってから形成された面であり,T4面上に残存する旧流路は,大規模増水時には氾濫流が流入するとみられる. T5面はイリ川の現河道の氾濫原であり,現流路沿いに存在するものの,その面積は小さい. 以上よりイリ川はバクバクティより分岐し北に流下した時代の後,1500年前より以前にバカナスを経由し北に流下するようになり,バカナスデルタを形成したのち西に流路を変え,T3面を700年前以降に段丘化するようにT4,T5面を形成したと考えられる.
  • 弦巻 賢介
    セッションID: 819
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     東北日本弧には島弧縦断方向に発達した火山フロントが形成されており,多くの第四紀火山が活動している.火山活動におけるマグマ供給系を議論するためには,マグマの変遷に時間的束縛を与える,火山活動史の解明が重要であるといえる.
     栃木県北部に位置する高原火山は,太平洋プレートとフィリピン海プレートとの会合部付近に形成されている,中期更新世から活動を開始した活火山である.高原火山は活動の初期に大規模な火砕流を噴出させ,低重力異常域や湖成堆積物の分布から推測すると直径約8kmに及ぶ塩原カルデラを形成した.その後,比較的大型の成層火山を形成し,カルデラ内に流入した溶岩により,その約半分は埋積された.このように高原火山はカルデラ火山としての活動と,成層火山としての活動の両タイプの特徴を持つ特異な形成史を有しており,これは高原火山のマグマ供給系が活動時期によって変化したことを示唆している.本研究では,高原火山の形成史を明らかにすることを目的として,主に空中写真を用いた地形判読と地質調査を実施し,噴出物の全岩化学組成をもとに検討を行った.
     塩原カルデラを形成した際に噴出した大規模火砕流堆積物は,館ノ川凝灰岩や大田原火砕流堆積物などと呼ばれており,これまでは0.3Ma頃に噴出した単一の火砕流堆積物とされていた.しかし,この火砕流堆積物はその記載岩石学的特徴や層位,放射年代の違いから少なくとも3つの火砕流堆積物に細分できる.それぞれの火砕流は広域テフラとの層位関係から,約0.6Maと0.3Maに噴出しており,カルデラ火山としての活動は活動の初期から0.3Ma頃まで継続したと考えられる.この時期の噴出物はソレアイトマグマを主体とする玄武岩~玄武岩質安山岩と,デイサイトや流紋岩によるバイモーダルな活動を行っていたが,両者にはマグマ混合を示す積極的な証拠は認められない.
     0.3Ma以降は,カルクアルカリマグマを主体とする成層火山の活動が顕著になり,現在の主要な山体を構成した.活動の後期にはデイサイトが噴出するが,これら0.3Ma以降の噴出物には明瞭な鉱物分解組織や苦鉄質包有物など,マグマ混合を示唆する岩石が認められる.
    また,完新世に噴出したデイサイトについてはそれ以前の噴出物とは異なり,角閃石を含むことから,水に富むマグマが新たに供給されていることを示す.
     高原火山におけるマグマ溜まりは0.3Maを境として大きく変化した.このことは高原火山周辺の広域応力場の変化を反映しているのかもしれない.
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