日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の341件中51~100を表示しています
発表要旨
  • 李 政宏
    セッションID: 411
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    Ⅰ はじめに リーマンショックによる世界的景気衰退の2008年以外,卒業後,就職によって日本に残った留学生は年々増加している.数年間日本の社会の様々なことを体験したり,学んだりしてきた留学生は,移民の予備軍とも言えるであろう. 江・山下(2005)によると,中国出身者は,教育機関から卒業して就職した後,居住の場所は池袋駅から鉄道沿線に沿って拡散し,一部の人たちは埼玉県川口市芝園団地に集住している.清水(1994)は,空間の学習により,留学生は該地域での生活に慣れ,移動の際に同地域内の移動を選択する可能性が高くなると指摘している. 筆者は2012年6月,12月に各一回,台湾系留学生を対象としてアンケートを実施し,台湾系留学生の移動選択,留学生活を分析し,既存の研究との相違点を考察した. Ⅱ 留学生の居住地選択 台湾系留学生の事例に見ると,地方にある教育機関に通う留学生たちは,教育機関の付近に居住地を選択することが一般的である.アンケート結果によると,東京都に在住する留学生の大部分は,西側の池袋,新宿地域に居住している.台湾系留学生は始めての住居地を選択する際に,教育機関のような普段の移動先までの距離を優先に考えており,大部分の留学生はインターネットによって自力で賃貸物件を探していることが分かった. Ⅲ 留学生における地域認識の実態 清水(1994)によれば,居住地に慣れれば,慣れるほど,その地域を理解し,生活を継続する傾向がある. アンケート結果でも台湾系留学生は引越しの経験が.少ないことが分かった.それは,最初の居住地を選択する際に,すでに移動先までの距離,家賃などの条件を考慮した上で選択し、進学などの特別な理由がなければ,引っ越す必要を感じないと考えられる. Ⅳ 留学生の進路選択 アンケート結果によると,台湾系留学生は卒業後,台湾に帰国する傾向が強い.台湾系留学生は来日前,9割近くの人が日本での就職の意思を持っている.しかし,結果的には,実際に日本での就職の努力はあまりしていないことが分かった.それは,台湾での生活水準が日本の生活水準に対して大きく劣っておらず,日本での生活費が高く、それに加えて,台湾における就職活動の手続きが日本のそれに比べて遥かに簡略なことであることが理由であることと考えられる. Ⅴ まとめ 今回のアンケートによると,台湾出身の留学生は中国からの留学生と異なり,来日の際に普段の移動先を考慮した上で居住地を決めることが多く,特別な理由がなければ,移動回数は多くない.帰国の動向を見ても,出身国の生活水準や就職の手続きのあり方などが大きく影響していることが分かった. 文 献清水昌人 1994 東京大都市地域における外国人就学生の住居移動 地理学評論 67A:383-392江衛・山下清海 2005 埼玉県川口芝園団地の事例人文地理学研究 29:33-58山下清海 2010 池袋チャイナタウン~都内最大の新華僑街の実像に迫る 洋泉社
  • 北島 晴美, 太田 節子
    セッションID: 412
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
     65歳以上の高齢者死亡数が総死亡数の85%を超え(2010年),高齢者死亡が総死亡の動向を左右しているといっても過言ではない。65歳以上を一括した高齢者死亡率には,人口構成が反映され,人口が多い都道府県では前期高齢者比率が高いために死亡率が低下する(北島・太田 2011,2012a)。
     人口構成の影響を低減して地域差を把握するために,高齢者のうち死亡数が多い年齢階級(75~84歳,85~94歳)に注目して,都道府県別死亡率の季節変化を見ると,多くの都道府県において全国とほぼ同様に,冬季に高く夏季に低い変化傾向を示し,年死亡率の高低に応じて,季節推移も月別全国値を中心に,その上下で推移する傾向が確認された(北島・太田 2012b)。
     本研究では,死亡率に季節変化がみられる心疾患,脳血管疾患死亡について,都道府県別死亡率の季節変化の地域差を把握することを試みた。

    2.研究方法
     使用した死亡数データは,平成21年(2009),22年(2010)人口動態統計(確定数)(厚生労働省)である。北島・太田(2012a,b)と同様に,年死亡率,各月死亡率は,1日当り,人口10万人対として算出した。今回も75~84歳,85~94歳年齢階級を対象とした。
     人口データは,2010年国勢調査人口(日本人人口)(総務省統計局)を使用した。人口が少ない都道府県の月別,死因別,性別死亡数は,10人未満のこともあり,死亡率の変動が大きい。そこで,2年分の死亡数の平均値から死亡率を算出した。以下の死亡率は年齢階級毎の総数に関するものである。

    3.都道府県別75~84歳,85~94歳心疾患死亡率,脳血管疾患死亡率
     死因(心疾患,脳血管疾患)毎の,都道府県別75~84歳死亡率(年)と85~94歳死亡率(年)には強い正相関がある(相関係数,心疾患r=0.818 p=0.000, 脳血管疾患r=0.914 p=0.000)。75~84歳死亡率順位と85~94歳死亡率順位の平均順位からみた,死亡率が高い,または,低い都道府県は次の通りである。
    心疾患死亡率高:愛媛県,千葉県,埼玉県,奈良県,栃木県 脳血管疾患死亡率高:岩手県,青森県,長野県,栃木県,茨城県 心疾患死亡率低:沖縄県,福岡県,富山県,大分県,長野県 脳血管疾患死亡率低:沖縄県,大阪府,京都府,熊本県,福岡県
     心疾患死亡率と脳血管疾患死亡率には明瞭な相関関係はみられない(75~84歳死亡率r=0.317 p=0.030,85~94歳死亡率r=0.135 p=0.367)。これら2死因の死亡率から,次の4グループに分類できる。
     1.心疾患,脳血管疾患とも死亡率が高い,2.心疾患,脳血管疾患とも死亡率が低い,3.心疾患死亡率は高いが脳血管疾患死亡率は低い,4.心疾患死亡率は低いが脳血管疾患死亡率は高い。
     これらのグループに属する特徴的な県は,1.栃木県,岩手県,福島県,2.沖縄県,福岡県,熊本県,3.大阪府,京都府,奈良県,4.富山県,新潟県,長野県

    4.都道府県別75~84歳,85~94歳心疾患死亡率,脳血管疾患死亡率の季節変化
     上記グループで典型的な特徴を示す府県における,死亡率の季節変化は,全国とほぼ同様に冬季に高く夏季に低い変化傾向を示し,年死亡率の高低に応じて,季節推移も月別全国値を中心に,その上下で推移する傾向が確認された。
     死亡数が少ない県では死亡率の変動が大きくなり,全国値を挟んだ変動もみられる。
     北海道の心疾患死亡率の季節変化は,全国と同様に冬季に高く夏季に低いが,全国値よりも変化量が小さい。また,冬季の死亡率は全国値よりも低く,夏季の死亡率は全国値よりも高い傾向がある。北海道の脳血管疾患死亡率の季節変化は,心疾患よりも順位の変動が少ないが,同様の変化傾向がある。冬季は暖房設備が完備された環境により,死亡率が低いことが従来から指摘されているが,夏季の耐暑も重要なことが示唆される。北海道における心疾患死亡率の全国順位の季節変化を図1に示す。
  • 東京都江戸川区を事例として
    坪井 塑太郎
    セッションID: 413
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    集合住宅に付与される名称には,町名,近隣の駅名,公園名,名所・旧跡名を冠する「場所性」を持つもののほか,地形(丘・ヒルズなど)や自然構成要素(森林・河川名・山地名)の名称を冠することで良好な地域イメージを形成する事例がみられる.本研究では,既往の研究手法を援用しながら,河川や海などの物理的要素から,清新性や涼感など心理的要素を含む幅広い概念を有する「水」関連の名称を有する集合住宅(アパート・マンション)を対象として,東京都江戸川区を事例に,その立地特性を明らかにすることを目的とする.水関連の名称を冠する集合住宅は全332件確認され,このうち,親水公園の名称を冠する集合住宅(39件)の多くは,JR新小岩駅から徒歩15分圏域に位置する小松川境川親水公園においてみられた.これは,同地区が1970年代半ばより宅地開発が進められる中で1985年に竣工した同親水公園が,その空間的象徴として名称波及したものであると考えられる.また,河川に関連する名称を冠する集合住宅は,英語のほか,フランス語,ドイツ語,イタリア語,スペイン語で河川や河畔,小川を指す表現がみられ,区内ほぼ全域において分布していることが特徴となっている.また,最も多くの名称として用いられる「リバー」(163件)のうち,立地に起因する「リバーサイド」(76件)のほか,眺望・景観を想起させる「リバービュー」(3件)「リバースケイプ」(1件)「リバーウィンズ」(1件)などが特徴的な名称として用いられている.これは,地勢上,江戸川区が荒川,新中川,江戸川に隣接している地理的条件の他,「水」自体の持つ良好なイメージがその背景にあるものと考えられる.このほかにも東京湾に面した区南部地域を中心に,海の名称を冠する集合住宅が立地していることが明らかになった.今後は,マンション等の販売広告からイメージの表象に関する検討を行うほか,竣工年代や地形等を考慮し,定量的に立地や分布の特徴を把握することが課題である.
  • 澤岡 知広
    セッションID: 414
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.研究背景と目的
    わが国の分譲マンションストック戸数は年々増加し,老朽化した物件への対応が求められている.しかし一つの建物に多数の権利者が存在することや,建物の老朽化と居住者の高齢化の「二つの老い」が進んでいると考えられることから,建替えによる更新の難度は高い.これまでの建替え事業の多くは余剰床を創出して再建マンションを高容積化し,その売却益を事業資金に充てることで居住者の負担を抑制していたが,そのためには余剰床を売却できる見込みがある立地であることが前提となる.大都市圏では近年,住宅取得の都心回帰傾向がみられており,かつての住宅市場拡大期に郊外や鉄道駅から離れた場所に建設された分譲マンションは,従来の手法を用いての建替えは今後一層困難になると思われる.本研究では,これまでの大都市圏における分譲マンション建替え事業の事例からその成功要因を精査し,建替えを控える物件,特に「二つの老い」が進行している物件の居住者の対応可能性を探る.
    2.研究方法
     わが国の大都市圏における住宅供給において重要な役割を果たした主体の一つに日本住宅公団(現:UR都市機構)がある.公団により供給された分譲団地は昭和40年代から大規模化・郊外化する傾向を見せたが,これらの物件は現在建替えの「適齢期」を迎えつつあると考えられる.国勢調査小地域統計調査区・基本単位区別集計結果の年齢別人口データを用いて,昭和40年代に造成された公団分譲団地において実際に「二つの老い」が進行していることを確認した.その中で,郊外の駅からバスで15~20分を要する立地でありながら,ほとんど戸数を増やすことなく建替えることに成功した団地に着目し,耐え変え事業に関する文献の調査,当該団地建替え事業の担当デベロッパーおよび建替え組合理事への聞き取り調査に加え,建替えに参加した住民へのアンケート調査を行った.
    3.調査地域の概要と調査結果
     東京都町田市の町田山崎団地は昭和43(1968)年に公団が供給し,1街区(300戸)部分が分譲された.1街区は2009年に305戸のマンションに建替えられ,約60億円の事業費は保留地床の売却,居住者の自己負担,補助金等により賄われた.立地面での条件の悪さからデベロッパーが建替え事業への参加を敬遠したため,担当コンサルタントは行政から補助金を引き出すなど居住者の負担の抑制に努めた.戻り入居の際に無償で得られる床面積の割合は平均62.4%,居住者の平均自己負担額は約900万円/戸であったことが文献により明らかになっている.アンケート調査では,住み替えるより安く済むと判断したこと,新築の住居を入手できること,住み慣れた団地内での居住を継続できることが建替えに参加した理由として多く挙げられた.また回答者の多くは住居にゆとりを求めたこと,家族・親族が同居する可能性を理由として,自己負担金を拠出した上で従前よりも広い住戸を得ていた.住戸面積を従前の1.6倍程度まで拡大させた場合,1,000~2,000万円台の自己負担金が支払われていたが,これは近隣で新築マンションを取得するよりも安い金額である.
    4.おわりに
    「二つの老い」の文脈は,高齢者は金銭的弱者であることを前提とするきらいがあるが,家計調査では無職高齢者世帯でも2,000万円以上の貯蓄があることが分かっている行政から補助金を得るなどの工夫により,居住者が拠出しなければならない自己負担をその経済力の範囲内に収めることができるのであれば,立地面で不利な分譲マンションでも建替えられる可能性がある.ただし建替え問題が今後に顕在化すると考えられる昭和50・60年代以降に建設された分譲マンションは,地価高騰期に供給され郊外化がさらに顕著であるため,その建替えにいかに対応するかは社会的にも今後の研究の上でも課題となる.
  • 東京都港区海岸地区を事例に
    太田 慧
    セッションID: 415
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.研究目的 本研究は,都市臨海部における土地利用変化プロセスとそのドライビングフォースを,時間的・空間的観点から明らかにしたものである.大都市臨海部における土地利用は,港湾を核とした物流機能が卓越し,都市住民の生活を支える場として機能してきた.ところが,コンテナ化による港湾物流システムの変化は,従来の埠頭地域の陳腐化や荒廃をもたらし,これらを改善するために,旧来の臨海部にオフィスビルや住宅,商業,文化,レジャーなどの機能を創出するための再開発が行われるようになってきた.しかし,臨海部での急速な土地利用変化は,地域の景観を劇的に変化させ,従来の地域アイデンティティを喪失するという問題点も内包している.以上のことから,本研究は東京臨海部の土地利用をミクロな視点でとらえ,都市臨海部における土地利用の機能変化プロセスのドライビングフォースを時間的・空間的な観点から明らかにすることを研究目的とした. 2.研究手法と研究結果 東京臨海部の土地利用の経年変化を把握する目的で,細密数値情報10mメッシュ統計を用いてマクロスケールにおける土地利用を分析した.その結果,東京都港区海岸地区は1984年以降急速な土地利用変化が発生したことが明らかになった.そこで,より詳細な土地利用変化のプロセスを把握する目的として,東京都港区海岸地区を研究対象地として設定し,よりミクロなスケールで土地利用分析を行った.東京都港区海岸地区は,隅田川河口部・東京湾北西部に位置し,北から順に1丁目,2丁目,3丁目という3つの丁目から構成されている.海岸地区には竹芝埠頭,日の出埠頭,芝浦埠頭が立地し,海岸地区は1941年の東京港開港以来,埠頭に隣接する物流拠点として倉庫用地が卓越する土地利用となっていたが,1980年代中期からの再開発によって急速な土地利用変化がおこった.以上をふまえ,①再開発の波にさらされる直前の1985年,②バブル期の再開発計画が一通り完了した1996年,③1990年代後半の都心の人口回帰現象とその後のさらなる再開発を経た2012年を対象に土地利用のメッシュ図を作成した.1985年から1995年にかけては,再開発の影響で海岸1丁目における低・未利用地や余暇・業務用地の増加がみられた一方で,倉庫用地の減少が確認された.海岸2丁目においても同様の傾向がみられたが,貨物線廃止にともなう鉄道関連施設の減少が顕著にみられる.一方,海岸3丁目においては,従来の土地利用の機能が維持されている傾向がみられ,倉庫用地の維持が他地域よりも顕著であった.さらに,1996年から2012年にかけては,バブル期の再開発で一時的に増加した低・未利用地が減少し,住宅地や商業用地が増加した.この傾向は海岸1丁目において特に顕著であった.海岸3丁目においては,倉庫用地は維持されているものの,その割合は減少傾向であった.3.考察これらの土地利用変化に寄与した社会,経済,政策のドライビングフォースをそれぞれに把握するために,人口,地価,産業別人口,入港船舶の船種別統計の各種統計情報を分析した結果,次のような傾向が明らかになった.①1980年代初頭における海岸地区の安価な地価が再開発を促進した.②1980年代中期から臨港地区内の土地利用変化(港湾の再編)が始まり,1990年代以降に隣接後背地の土地利用変化へと波及した.③港湾の機能変化に応じて,隣接後背地の土地利用が既定された.④1990年代後半以降,都心の人口増加という社会的要因によって,臨海部の低・未利用地が住宅地へと変化した.⑤運河によって隔てられた行政区分ごとに,ドライビングフォースに対する土地利用変化の反応が異なる傾向がみられた.
  • 山本 晴奈
    セッションID: 416
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本論は,市街地の緑景観の形成・維持の形態を明らかにすることを目的として,路上や住宅周辺に設置された鉢植えを事例として取り上げ,名古屋市における緑化政策と地域組織や個人による植栽管理の関わりに着目し調査を行った.具体的には,名古屋市那古野地区を対象に,鉢植えの分布に関する現地調査と,鉢植えの管理についての聞き取りの2つの調査を行った.まず、鉢植えの分布を明らかにすることを目的として,那古野地区の都市計画道路上から観察可能な,車庫・倉庫を除く建造物983棟について調査を行った.建造物一棟について鉢植えが何個置かれているかを,敷地の内外,地先(建造物から離れた車歩道境界部)の3つに分類し計上した.その結果、鉢植えの設置軒数が調査対象となる建物に対して占める割合は4地区に共通して40%前後であった。また、地先への設置は広幅員道路に見られたが、全体からすると1%に留まった。敷地の内外の設置については、電柱の陰や出窓の下など利用しづらい空きスペースに置かれたものが多く観察された。次に,調査地区において緑景観の維持に関わる人々に対し聞き取り調査を行った.その結果,鉢植えの管理は基本的に個人に委ねられており、鉢植えを用いた緑景観はこうした個人の設置の集合によって形成されると考えられる。また、その設置や維持・管理の動機には町内会や公園愛護会といった地域組織を背景とした人間関係が大きく影響していた。 愛護会の制度は、地域住民に対し鉢植えの設置を間接的に推進したり、反対に規制する役割を果たしていた。愛護会とはかかわりなく個人的に鉢植えを設置する人が殆どであった。鉢植えの個人設置者は、利用しづらい公共空間や制度的管理の隙間を利用して鉢植えの設置を行っている。鉢植えが作る緑景観は市街地更新や人々の生活・植物の生育上の必要から変化する動的なもので、「土地に根付かない」という点で地植えによって構成される一般的な緑地景観と異なる特徴を持つ。
  • 住宅地景観の視点から
    神田 道男
    セッションID: 417
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    東京都の西部の杉並区、中野区、練馬区、新宿区にわたる妙正寺川流域は、人口は約35万人、流域面積は207k㎡である。流域には、明治初期に15か村が存在したが、当時の土地利用には大きな差はなく、林地、畑地、水田、宅地からなる均一地域であった。明治以降の近代化の過程でこの地域では、大規模な土地区画整理が行われ、農村的土地利用の地域から住宅地に変化した。 本論は、妙正寺川りゅういきを対象として、住宅地形成の過程が地域の住宅景観にどのように影響を与えてきたか、道路区画の形成に留意しつつ明らかにする。
  • 橋田 光太郎
    セッションID: 418
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    本発表の目的は,場所・地域の景観を「露頭」として,場所・地域の「地層」たる場所性・地域性を究明する視点から,北九州市の都心部を形成する小倉城とその周辺地域の場所・地域の意味を明らかにすることである。小倉城天守閣の系譜,そして小倉城と周辺地域の系譜を,景観の変容を中心に考察する。特に,場所・地域の形成にかかわる権力などの働きかけに注目して考察を進め,景観の背後に存在する場所性を解釈したい。
  • 千葉県木更津市の新興住宅地を事例として
    嵩 大樹
    セッションID: 419
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    今日の大都市圏における居住地移動は錯綜している。戦後からの東京大都市圏は、東京駅を中心とし、西部地域から時計回りに広がりを見せてきた。そして、バブル期には東京大都市圏は拡大し、千葉県の大都市圏外縁部までを飲み込んだ。しかし、バブル期が終わると、地価の下落に伴い、大都市圏内の住宅取得価格が大幅に下落した。加えて、マンションでの生活がこれまで以上に浸透し、都心部でのマンション開発が行われたことから、郊外住宅地の衰退が見られるようになった。特に、大都市圏外縁部では、郊外住宅地としての性格を弱めた。現在では、居住地移動は都心回帰および郊外住宅地の二分し、主に戸建住宅取得希望者には郊外住宅地への外向移動がはたらいているものの、それは限定的な地域であるとされる。人口減少時代を迎えた今日、郊外住宅地の研究としてはむしろ、衰退を懸念する研究が多い。東京大都市圏の郊外への需要においては、30㎞圏~40㎞圏が中心となると予測されている。 しかし、東京大都市圏周縁部である木更津市ではそのような居住地移動の中で、人口増加が起こっている。その動きは、これまで述べられてきた東京大都市圏の居住地移動の流れとは異なる。本稿は、その居住地移動を検討すべく、木更津市内の新興住宅地である請西南地区、ほたる野地区、羽鳥野地区の3地区を事例として取り上げ、居住者特性や通勤行動を通して人口増加が起こっている要因を明らかにしようとしたものである。本稿では研究対象地域を詳細に絞り、アンケート調査を用いることであえてミクロな研究として、統計上では知り得なかった細部にわたる居住者特性や通勤行動を知ることが可能となった。 木更津市はバブル期の終わりと土地神話の終焉から地価が暴落した。その影響で、現在では横浜市の約7分の1、東京都区部の約20分の1という地価となっているため、他の地域よりも広い戸建住宅が安価に取得できる。アンケート調査によれば、35歳~39歳で子どもが2人いる4人家族の核家族世帯が最も多かった。前住地は主に、木更津市内や隣接市など地域間移動が卓越していたが、対岸の東京都や神奈川県からの転入者や千葉市からの転入者も見られた。現住居居住理由は、「土地・住宅が安価」や「戸建住宅の希望」が2大要因であった。前住の住居が賃貸住宅の世帯が多かったことが要因であろう。3番目の理由として、木更津市内や隣接市の居住者は「生活環境の良さ」を選択したが、前住地が対岸地域の居住者は「通勤が便利」や「自然が多い」を選んでいた。また、この地域からは60歳以上の居住者が見られたことから、老後の最終ライフステージとして研究対象地域が選ばれている。通勤行動として、木更津市内や隣接市への通勤者が最も多かった。このことから、「郊外就業―郊外居住」の職住近接が中心であるといえる。このことから、これまで大都市圏郊外の衰退が地理学において多く議論されてきたが、それはあくまでも東京に通勤する人が多い郊外、即ちベットタウンにおける話であり、木更津市のような東京大都市圏周縁部では、その地域とは性格が異なり、元々郊外の就業を目的とした人が多いことから、一義的な郊外衰退の議論の中に位置づけることは難しいと考えられる。木更津市では職住近接が卓越していることから、大都市圏周縁部には雇用が多いことがわかり、その就業を目的とする居住者が多く存在している限り、大都市圏周縁部は郊外とは相対的な動きを見せると考えられる。他方で、東京都や神奈川県への通勤行動が全体の18.2%も見られた。それらの世帯は、通勤が便利という理由で木更津市へ転居した世帯が多く、アクアライン経由の高速バスを利用している。その高速バスや自動車において、1時間前後で東京都内や神奈川県内の通勤が可能なことで、アクアラインが公共交通として一般化されてきたといえるだろう。そのことが木更津市と東京都や神奈川県との近接性を高めたと考えられる。今や木更津市は千葉市、東京23区、川崎市、横浜市といった大都市圏中心市との近接性の高まりが見られ、そのことが人口増加につながった要因であるだろう。 近年、木更津市内における新たな区画整理と地価の減少に加え、アクアラインの社会実験や高速バスの増便が引き金となり、人口増加が見られるようになった。そして、その区画整理が行われた新興住宅地において、東京都や神奈川県への通勤者が増加している。従って木更津市は今や、東京のベットタウンとしての性格を持ち始めてきたといえる。言い換えれば、木更津市は東京大都市圏周縁部であったが、東京大都市圏内に含まれるようになったと考えられる。
  • 栃木県さくら市喜連川の温泉付住宅地の事例
    橋詰 直道
    セッションID: 420
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本研究の目的は,栃木県さくら市(旧喜連川町)の丘陵地帯に開発されたフィオーレ喜連川とびゅうフォレスト喜連川の2か所の住宅地を事例に,定住化と高齢化の実態及びシニアタウン化が抱える諸問題を明らかにし,千葉県の事例と比較検討することにある。この2か所の住宅地は,1992年以降JR東日本と弘済建物(株)によって温泉付住宅地として開発・分譲されたものである。現在両住宅地とも,老年人口比が33%以上と超高齢でシニアタウン化が進んでおり,定住率は50%弱であることから別荘型住宅地と呼ぶこともできる。定住者は,主に1都3県と地元栃木県内から定年退職を機に,田舎暮らしをすることを目的にアメニティ移動をした住民が多く,彼らの購入・転入理由は,豊かな自然環境の中でゴルフやガーデニングなどの余暇が楽しめる温泉付き住宅地であったことである。住民は6割から7割がここを「終の住処」と考えているが,公共交通の便に恵まれず,買物や通院なども不便で,老後の不安も感じていることから,千葉県の事例と同様,超郊外の別荘型シニアタウンならではの課題が明らかになった。
  • 朝日 克彦
    セッションID: 421
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに ヒマラヤでの人口増加が森林伐採を生起し,土壌侵食,下流域での洪水に繋がり,環境悪化の循環に陥る.いわゆる「ヒマラヤの図式」がかつて広く受け入れられた.しかし科学的知見によって,環境をめぐる安易なステレオタイプは批判的に検証された(Ives and Messerli,1989).今日,ヒマラヤにおける環境悪化の図式は,地球温暖化による氷河の後退・消滅という新しい題材を得て,ふたたび受け入れられつつある.そこで,氷河に関する知見,事実にもとづいて批判的に検討したい. 2.ネパールにおける氷河をめぐる言説 ヒマラヤの氷河は世界で最も後退しており,近い将来氷河が消滅する.ヒマラヤはアジアの大河川の源であり,その氷河は「白い貯水塔」であるから,減少・消滅はアジア13億人の水資源に重大な問題を引き起こす,というシナリオが提示されている.またローカルな事象としても,ネパールでは乾期の河川水は氷河の融解水によってもたらされているから,氷河の縮小・消滅によって飲用水,灌漑水不足が生じ,生活基盤に危機的な影響を引き起こす,といわれている(図).IPCC第四次評価報告書における「ヒマラヤの氷河は2035年までに消滅する」という誤記の背景には,こうしたシナリオによる先入観が影響したものと思われる. 3.氷河に関する知見・事実氷河融解水は資源として利用されているか・多量のシルトを含み,飲用にも灌漑にも適さない.乾燥地における例外事例を除き,ネパールのヒマラヤ山間部で河川水を灌漑には利用していない.・乾期は気温が低く,氷河末端でも気温はプラスにならない.したがって氷河の融解水は河川に供給されていない.・河川水に占める氷河融解水の割合は相当に限定的である.・ヒマラヤ南斜面に位置するネパールでは, 2000mmを越える年降水量があり,そもそも氷河融解水に依存する必要がない.・仮に氷河が消滅したとしても,降水量に変化がなければ原理的には年間の河川水量は減少しない氷河は消滅しうるか・起伏の大きな山地にかかる山岳氷河であり,氷河の比高が数千メートルに及ぶほど大きい.温暖化による氷河平衡線高度 (ELA) の上昇があったとしても,すべての氷河で最高点高度よりELAが高くなることは考えられない.氷河に涵養域が存在する限り,氷河は消滅しえない.・氷河の総面積に対して,消滅の潜在性がある面積0.05km2以下の小型氷河が占める割合は数パーセントでしかない.半分は面積10km2以上の大きな氷河によって占められており(ネパール東部),比較的安定的だといえる.・平均気温が現在よりも高かった完新世においても,氷河が消滅した形跡はない.
  • 東 善広
    セッションID: 422
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    琵琶湖南湖における1700年代以降の歴史的な冠水域の変化をGISで再現した結果、水位変動により南湖面積の約15%相当の冠水域がたびたび生じていたと推定されたのに対し、近年の2時期のデータ比較では、冠水・干出は、河口デルタやヨシ帯などの浅水域のわずかな地域でしか認められなかった。
  • 東城 文柄, 市川 智生
    セッションID: 423
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本報告では、広大な淡水面とそれに付随する生態系を持つ琵琶湖において、1920-50年代の土地改変がどのような環境影響を持っていたかの考察を、土着マラリアの流行と終焉に関する歴史地理的分析を通して行う。日本の土着マラリアは、シナハマダラカ(Anopheles sinensis)によって媒介される三日熱マラリアであった。特に滋賀県での罹患者数が他地域と比較して多く、しかも1940年代末に発生が集中したために、戦後の医療・衛生改革の対象となった(彦根市 1952)。琵琶湖の東岸に位置する彦根市では、彦根城およびその周辺の城下町を取り囲む堀が媒介蚊の孵化地となり、県内でも特に濃厚なマラリアの汚染地域になっていたと言われている。一方統計データから判断すると、マラリアの流行はより広域的で、マクロな環境条件と結び付いた現象であった可能性があると言えた。 統計が示す1920年時点の湖岸地域における村毎のマラリア罹患者分布(1,000人対比)は空間的に不均一で、かつ1920年に作成された測量地図(縮尺5万分の1)からデジタイジングした当時の水田・浅水域(内湖)・泥田の分布と極めてよく一致していた。これら湖岸の内湖が、1940年代までに干拓によってほとんど消失すると、マラリア罹患者数と分布もこれに合わせて急速に収縮した。このように戦後彦根市で社会問題とされたマラリアの発生は、実際には戦前から広域で見られた流行の「残滓」と言える状況であった。歴史的な日本の土着マラリアの終焉に関しては、これまで戦後の彦根における医療・衛生対策の役割が強調されていたが、この分析結果からは1920-40年代の大規模な湖岸の環境改変の進展により、シナハマダラカの発生に適したタイプのエコトーンがマクロスケールで消失し、マラリアの終焉にまで影響を及ぼしたと推測できる。
  • 倉野 健人
    セッションID: 424
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    【背景と目的】1997年の河川法改正により河川行政の目的に環境保全が加わり,治水と利水を中心とした国による一元的管理から住民意見が反映される河川行政へと転換されることとなった.これを機に,様々なステークホルダーが参加した合意形成に基づく流域の管理が指向されるようになった.これを流域ガバナンスと呼ぶ.北海道東部の網走川流域では網走湖の富栄養化や多量の泥水流入などの水質環境悪化が原因で,汽水域と沿岸域の水産業への被害が報告され,対策が急がれている.網走川流域は上流から下流まで明治初期より一次産業が根付いている北海道の代表的な産業形態を持つ流域である.それゆえ,流域内の環境問題を克服し,一次産業を持続的に発展させていくために,流域を一貫して考える流域ガバナンスの必要性が高まっている.そこで本研究では網走川流域の持続的な一次産業への貢献のため,(1)河川水質調査から一次産業起源の栄養塩及び濁度の汚濁負荷量の定量的把握を行い,(2)ヒアリング調査から網走川流域環境問題連環図とその連環に対するステークホルダー連携相関図を作成し,(1)(2)の結果から網走川流域ガバナンスの可能性を検討することを目的とした.【研究手法】本研究では(1)河川水質調査,(2)ヒアリング調査の2つの手法から流域ガバナンスの検討を試みた.(1) 網走川本流4地点において2011年に4回,2012年に6回採水を行い,栄養塩濃度(NO3-N,NO2-N,NH4-N,PO4-P)と濁度を計測した.栄養塩に関して,濃度[mg/L]からフラックス[kg/day]へ換算し,採水地点間のフラックス増加量を採水地点間の流域面積で除すことで比流出量[kg/day/km2]を算出した.濁度は無次元の指標として計測したが,本研究では栄養塩と同様の演算から比流出量を算出して泥水の負荷を便宜的に求めた.また,比流出量と農地の関係を考察するため,現地での目視観察及びGoogle Earthによる空中写真判読により,Arc GISを用いて農地の面積計算を行った.なお,本研究では畑地・牧草地・水田をまとめて農地とする.(2) 一次産業関係者を中心にステークホルダー13件を対象とし,面接形式で約60分から90分かけてヒアリングを行った.ヒアリングの際は統一した質問項目は用意せず,「流域環境に対する問題認識」,「ステークホルダー間の連携(環境保全行動)」の2点に注力してヒアリングを行った.【結果と考察】河川水質調査結果では,農地の少ない上流域と比べて農地の多い下流域は栄養塩及び濁度の比流出量が増加していた.特に,降雨と融雪の影響で流量の多いときのNO3-N,PO4-P,濁度の比流出量の増加が顕著であった.また,上流域で発生しているPO4-Pは酪農地起源であることが考えられた.網走湖流入前のNO3-N及びPO4-Pは網走湖環境基準値を上回る結果となった.ヒアリング調査から作成した網走川流域環境問題連環図(図1)とステークホルダー連携相関図(図2)において,開発局と漁協,東部森林室(道有林)と漁協とJAつべつによる流域内連携が確認され,流域環境問題に対して既にガバナンスが進みつつあることが判明した.しかし,河川水質調査で示された多量の栄養塩と泥水に関して,現在の連携と対策だけでは不足しており,JAびほろとJAめまんべつの2農協が流域内連携に加わることで農地負荷の削減につながる可能性がある.また,ヒアリング調査により,網走川流域のガバナンスが推進された背景として,所属する組織の垣根を越えて働きかける「能動的干渉者(Active Interfere)」の存在が明らかとなった.網走川流域に限らず,流域ガバナンスの発展には,能動的干渉者の存在が大きく寄与すると考えられる
  • うみんぐ大島の取組の事例考察
    鈴木 一寛
    セッションID: 425
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本研究では、2011年4月福岡県宗像市大島に開設した海洋体験施設「うみんぐ大島」の釣りを活用した体験学習の事例を調査した。うみんぐ大島では人為的に管理されている施設のため、乱獲などの釣り人の行き過ぎた行為に歯止めをかけられる。入場料の徴収により適宜稚魚放流や清掃行為によって、自然環境の回復に向けた対応策を講じている。また、島民が登録制で各体験プログラムの指導者を兼務している取組などから釣り関係業界の取組だけではなく、地元住民の理解と協力が重要であることがわかった。
  • 東京都を事例として
    石原 肇
    セッションID: 426
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    Ⅰ はじめに地球温暖化防止対策は,世界各国において重要な課題となっている.日本では2010年4月から東京都が環境確保条例に基づき大規模事業所を対象としたCO2排出量の総量削減義務と排出権取引制度を導入した.また東京都は総量削減義務化だけではなく,環境確保条例に基づく建築物環境計画書制度を2002年度から,地域におけるエネルギー有効利用計画制度を2010年度から導入する等,民生部門や産業部門に対する地球温暖化防止対策を行っている.東京都は地球温暖化を防止する一環の中で運輸部門への対策も進めており,自動車管理計画書制度(以下,計画書制度という)による対策を講じてきている,この計画書制度は,30台以上の自動車を保有する事業者(以下,特定事業者という)に対して自主的なCO2排出量の削減を求めるものであり,2012年4月に初めて事業者からの報告内容が公表された.そこで本稿では,東京都を研究対象地域として,特定事業者の所在地の地域的特性を明らかにするとともに特定事業者が保有する自動車からのCO2排出量を把握することを目的とする.Ⅱ 研究方法本稿で用いるデータは,以下のとおりとする.東京都は特定事業者からの届出をホームページで公表している.特定事業者からの届出では,事業者名,所在地,事業分類,2009年度の保有自動車台数および自動車からのCO2排出量実績値が明らかとなっている.本研究ではこれらの情報から特定事業者の区市町村別の事業者数,事業分類別(本稿では,運送関係事業,製造業,商業,その他の事業の4つに分けることとする)の地域的特性,区市町村別の特定事業者の保有自動車台数およびCO2排出量を把握する.Ⅲ 結果および考察第一に,特定事業者からの届出数は区部の都心3区が多く,港区が143件,中央区が108件,千代田区が101件となっていた.江東区でも多く101件となっておりが,これらの区が100件以上である.これらに次いで50件以上の区は,足立区の93件,大田区の86件,新宿区の85件,板橋区の76件,江戸川区の71件,練馬区の55件,葛飾区の51件となっており,都心3区に隣接する新宿区以外は23区の外縁に位置する区となっていた.第二に,特定事業者の産業分類をみると,都心3区および新宿区では運送関係事業の割合は小さく,製造業,商業,その他の事業の3つの割合が大きい傾向にある.これら4区には,製造業,商業だけでなく,金融業等の本社や国・地方行政機関等が多く立地することによるものと考えられる.一方,区部外縁部の各区では運送関係事業の割合は大きく,他の3つの業種の割合が小さい傾向にある.第三に,2009年度における特定事業者の保有自動車台数をみると,千代田区が最も多く約35千台,次いで江東区の約24千台,港区の約21千台,中央区および新宿区の約15千台,渋谷区の約10千台となっており,これらの区が10千台を超えている.第四に,2009年度における特定事業者が保有する自動車からのCO2排出量をみると,江東区が最も大きく276千t-CO2で,次いで新宿区の138t-CO2,港区の128t-CO2,千代田区の118t-CO2,中央区の111t-CO2,足立区の108 t-CO2,江戸川区の102t-CO2となっており,これらの区が100t-CO2を超えている.以上のことから,区市町村ごとに特定事業者の立地数や事業の種類には地域的な差異があり,それに伴い特定事業者が保有する自動車から排出されるCO2排出量にも地域的差異があるものと推察された.
  • 安部 真理子
    セッションID: 427
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.背景東日本大震災の津波被害を受け、防潮堤や護岸の必要性を問う声があがっている。一方で国土強靭化政策のもと、被災地沿岸をはじめとして日本全国で海岸整備が進められている。そもそも1998年の時点で日本の自然海岸は53.09%しか残っていない(環境省、1998)。海と陸の移行帯(エコトーン)である砂浜・海岸は、撹乱と回復を繰り返す動的な環境であり、それゆえ生物多様性の豊かである。海岸整備により、海と陸との連続性を失うことは、取り返しのつかない大きな損失である。2.嘉陽海岸の事例より日本自然保護協会ではジュゴンが棲み、餌となる海草藻場が広がる沖縄県・嘉陽海岸の調査を2002年より行い、またこの地に「嘉陽海岸エコ・コースト事業」と題し護岸建設計画があることを確認し、2011年-2012年には2度に渡り事業者である沖縄県北部土木事務所に提出し、地元NGOとともに、事業者や地元住民との粘り強い交渉を続け、工事計画の内容の変更を求めてきた。また東北では東日本海岸調査と題し、東北の海岸の植物調査を2011年から行っている。これらの経緯をもとに、日本自然保護協会は防潮堤整備計画と海岸防災林復旧事業に関する意見書を2月に提出する。巨大堤防に依存するのではない、防災と自然保護の両立ができる計画を望む、そのために大幅なセットバック方式(図参照)の導入などにより、これまでの海岸のコンクリート化による管理を大幅に見直し、自然と共生できる海岸管理が目指せるのではないかと考えている。本発表では調査結果や経緯、意見書の内容を紹介し、実現可能性や今後のあるべき姿について議論を行いたい。3.参考文献環境省(1998)第5回自然環境保全基礎調査 海辺調査 総合報告書
  • その歴史と展望
    辻村 千尋
    セッションID: 428
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    原子力発電から再生可能な自然エネルギーへの転換を求める声が強まっている。一方で、再生可能な自然エネルギーとして注目された風力発電や、地熱発電に関しては、自然保護団体をはじめ、地元からも異を唱える声があがっている。 今後、軋轢を生むことなくエネルギーの転換が行われるためには、何が課題で問題の所在は何かを、整理することが必要であろう。本発表では、自然保護の観点から、電源開発の歴史を振り返りつつ今後の課題を整理し、進むべき方向性の議論に資することを目的とした。 これまでの軋轢を生じる原因分析から重要な観点の一つは、事業の必要性に関する合意形成である。その地域を開発することで失われる自然環境のリスクと、開発によるメリットを比較検討するためには、その事業の必要性の議論は必須である。これは、まさに国土総合開発計画立案の段階でのアセスメントであり、事業者の実施するアセスメントとは異なる部分である。日本の法制度では、この段階でのアセスメントは位置づけられていないが、軋轢を少なく進めていくには、重要な点であると考える。
  • 髙﨑 章裕
    セッションID: 429
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    本研究の目的 基地問題を含めた沖縄の環境問題研究については、多くの場合、保護・保全という側面ばかりが強調されてきた。それは、沖縄の豊かな環境や生物多様性が乱開発や基地建設に脅かされることで、「現場」における緊急な保護・保全の対応が求められたからである。言い換えれば、市民が「現場」での対応に追われたことで、環境と地域住民のローカルな関係性が評価されることは少なかった。そこで本研究では、沖縄県国頭郡東村高江におけるヘリパッド建設反対運動を事例として取り上げ、座り込み運動がもつスケールの重層性に注目しながら、どのようなアクターが「高江」といかなる関係性を持って運動を展開していったのかについて明らかにすることを目的とする。高江ヘリパッド建設問題 研究対象地域である沖縄県東村高江区は、沖縄県北部のやんばると呼ばれる地域に存在する。やんばるとは、イタジイを主とした亜熱帯照葉樹林に包まれ、固有種を含む多種多様な生物によって特異な自然生態系を形成し、国指定特別天然記念物ヤンバルクイナ、ノグチゲラなども生息しており、やんばるの国立公園化と世界遺産を目指す取り組みもおこなわれている。高江の世帯数は約60戸、人口は約150人で、人口の約2割が中学生以下である。このやんばるの森では、1957年よりアメリカ海兵隊による北部訓練場の使用が始まり、その規模は総面積約7,800ヘクタールにも及ぶ。ベトナム戦争時には、高江区住民をベトナム現地の住民に見立てて戦闘訓練が行われた地域でもある。1997年のSACO合意によって、北部訓練場の約半分(3,987ha)を返還する条件として、国頭村に存在するヘリパッドを東村高江へ移設することが計画され、2007年に那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)によって工事が着工されることになる。高江区は区民総会によって二度にわたる反対決議を行っているにも関わらず、工事が進められたことで、住民は2007年7月から座り込みをはじめ。現在もなお続けている。座り込み運動の展開とスケールの重層性 高江における座り込み運動はまず「ヘリパッドいらない住民の会」による「地元」の住民によるものが挙げられる。有機農家や伝統工芸、カフェ経営など、より静かな環境を求めて高江に移り住んできた家族世帯で構成されており、日々の暮らしと密接なつながりがあるという点で「生活環境主義」に近い立場と考えられる。次に挙げられるのが、労働組合や政党の運動組織などの組織的動員によるもので、例えば、社民党・社大党系の社会運動団体である沖縄平和運動センター、共産党系組織による統一連、大宜味村九条を守る会など、左翼活動家による反基地運動としての座り込み運動も行われている。またやんばるの森を守るために、環境影響評価の再実施を求める沖縄環境ネットワーク、奥間川流域保護基金、沖縄・生物多様性市民ネットワークといった環境運動としてのアプローチも見られる。さらに移住者・旅行者を歓迎するという高江の地域性も相まって、非正規雇用や無職の若者、バックパッカーといった者たちが高江の情報を得て、インフォーマル・セクターとして高江集落内で住民と共に労働作業を行いながら、座り込みにも参加するというケースも数多く見られることも高江の運動の特徴である。その大きな影響を与えているのが、音楽やアートといった文化的アプローチから高江の現状と座り込み運動の意義を全国に発信していく地元アーティストを介した全国的なネットワークとイベントの企画である。このように高江における座り込み運動は、「高江」という極めてローカルな場所にも関わらず、運動のアクターや性質に応じて、重層的な側面を有していることが明らかとなった。本報告では、高江の事例におけるスケールの重層性についてさらに詳しい考察を加えたい。
  • 澤柿 教伸, 杉山 慎, 福田 武博
    セッションID: 501
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    第53次南極観測隊の夏期オペレーションにおいて,南極ラングホブデ氷河の接地線付近を熱水掘削し,掘削孔を用いて氷河の底面観測を行った.熱水掘削による南極氷床の底面観測は,日本の南極観測では初めてで,世界でも実施例が限られる挑戦的な試みである.本稿では,熱水掘削システムについて紹介した後,観測地と野外活動の概要,および熱 水掘削の結果について報告する.
  • 髙橋 伸幸, 長谷川 裕彦, 山縣 耕太郎, 水野 一晴
    セッションID: 502
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 低緯度高山帯でも氷河の後退・縮小は進んでおり、氷河から解放された地域には、植生の拡大がみられる。また、低緯度高山帯では気温の年変化が小さい一方で、日変化は大きく、日周期的凍結融解の頻度は、中・高緯度地域の高山・寒冷地域よりも高い。したがって、氷河から解放された場所では、凍結融解作用に伴う凍結破砕や物質移動などの周氷河作用が活発化すると考えられる。本研究では、南米ボリビアのレアル山脈に位置するチャルキニ峰西カールを中心とした地域において周氷河現象の観察、地温測定等を行ったので、その結果について予察的な報告を行う。2.調査地 ボリビアの首都ラパスの北方約25kmに位置するチャルキニ峰(標高5392m)の西カールおよび南カールが主な調査地である。チャルキニ峰でも氷河の後退が認められるが、南斜面と北斜面には現在でも顕著な氷河が残されている。一方、西斜面では、カール壁基部にわずかに氷河が残されているのみである。また、西カール内と南カール内には完新世の氷河後退に伴って形成された複数のモレーンがみられる。なお、西カールの右岸側は花崗岩類、左岸側は砂岩や泥岩などの堆積岩類によって構成されており、西カール内に分布するモレーンなど氷河性堆積物は、主に花崗岩類の地域から供給されたものである。一方、南カールは、花崗岩類で構成される谷頭部を除き、堆積岩類で構成されている。3.周氷河現象 <チャルキニ峰西カール>周氷河性の構造土やソリフラクションロウブの発達は貧弱である。また、残存する氷河周辺部を除くと、全般的に地表面は、草本、矮小低木、地衣類などで被覆されていることが多い。ただし、表層部がシルト質の裸地部分では、霜柱の痕跡が多く認められる。<チャルキニ峰南カール>南カールの氷河末端付近には多角形土が分布する。また、この付近でもシルト質の裸地部分では霜柱の痕跡が多く認められ、条線土も形成されている。とくに、南カール左岸側の崖錐斜面上には見事な条線土がみられる。これらの構造土は、いずれも堆積岩起源の岩屑が供給される地域に形成されている。4.地温・土壌水分 チャルキニ峰西カール内のモレーン上(標高約4800m)にて表層から50cm深までの地温観測を行なった(図1)。2012年8月9日〜8月19日の観測結果によると、2cm深ではほぼ毎日日周期的凍結融解が繰り返されているが、10cm以深では土壌凍結は観測されなかった。地温と併せて温度計設置時に土壌水分も観測した。5cm深で最大5.2%を記録したが、地表面をはじめとして、全般的にきわめて乾燥した状態である。5.結論 構造土の発達は、地質条件に支配されていることがうかがえる。とくに、砂岩や泥岩などの堆積岩の岩屑が供給されるところで、構造土の発達は比較的顕著である。一方、花崗岩類の岩屑が分布する場所では、構造土の発達はきわめて貧弱である。土壌の凍結融解は、深さ10cmよりも浅い表層部のみで生じており、それに伴う物質移動も地表面付近に限られる。その主な営力は霜柱クリープであると考えられる。ただし、地温観測地点のような土壌水分量が極めて少なく、シルトなどの細粒物質の集積がみられないところでは、霜柱さえも形成されにくい。したがって、地表面での土砂移動が不活発であることから、植生も定着しやすいと考えられる。
  • 山縣 耕太郎, 長谷川 裕彦, 高橋 伸幸
    セッションID: 503
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では,ボリビアアンデス,チャルキニ峰において,完新世以降の温暖化に伴い縮小した氷河前面における土壌の生成過程を検討する.今回は,その準備段階として,氷河前面の地形区分と各地形単位上に見られる土壌の特徴把握を行った結果を報告する.チャルキニ峰(5392m)は,東コルディレラ山系レアル山脈の南部に位置し,山頂周辺には5つの小規模な氷河とカール地形が確認される.このうち,西カールを調査対象地とした.チャルキニ峰西氷河の前面において,地形単位ごとにピットを作成して,土壌断面の観察を行った.氷河前面の地形は,完新世初頭以前のモレーン(H1,H2)と小氷期以降のモレーン(M1~M13)およびモレーン間の平坦面に区分される.モレーン間の平坦面は,地表面の形態と構成物から,さらに氷河底ティル堆積面,氷河上ティル堆積面,氷河底流路,氷河前面アウトウォッシュに区分された.各地形単位上に発達する土壌について,M6とM8モレーンおよびその間の平坦面を中心に比較した.その結果,表層の構成物質や,氷河から解放された後の物質移動の影響を受けた土壌断面の違いが認められた.モレーンリッジは,細粒のマトリックスを含んだ粗粒な岩礫で構成されている.M6上でA層は1㎝程度と薄く,場所によってはA層を欠くところがある.植生のない地表面では,霜柱が形成されている痕跡が認められる.実際に調査期間中の地温観測でも,明け方,一時的に地温が0度以下になっていることが確かめられている.霜柱の形成に伴って,傾斜のあるリッジ上では,表層物質の移動,侵食が生じているものと予測される.一方で,モレーン間の平坦面は,相対的に土壌の発達程度は進んでいる.これは,霜柱や周氷河作用による物質移動の影響が小さいためであろう.特に氷河前面アウトウォッシュで,現在も水流がある部分に隣接した堆積部分では,15㎝程の厚さのA層が発達した湿性土壌が観察された.
  • 水野 一晴
    セッションID: 504
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1.チャルキニ峰の氷河縮小と植生遷移
    ボリビアアンデス、コルディレラ・リアルのチャルキニ峰(5740m)の西カールにおいて分布するモレーンとその植生分布を調査した。チャルキニ峰西カールは、Rabatel (2008)により、モレーンが1-10に区分されている。それらのモレーンのうち、Rabetel(2008)で年代が示されているモレーン1:1663±23、モレーン6:1791±18、モレーン9:1873±25と、Rabatel(2008)に出てこない、さらに新しいモレーン11、モレーン13の計5カ所に10mx10mのプロットを設け、そのなかの2mx2mの方形区ごとに、植生分布と地表面構成物質の礫経分布を調査した。また、氷河末端付近の植生分布も調査した。モレーン11の年代は、Rabatel(2008)のモレーン10の年代、1907±19より10-20年くらい新しいもの、モレーン13は、1980年代くらいと推定される。モレーンの年代が新しくなるにつれて、分布する堆積物の礫経も大きく、植物の出現種数や植被率が低下していった。現在の氷河末端は高度4990mであり、氷河末端付近における出現種はPerezia sp.(Perezia multiflora ?)、Deyeuxia chrysantha、Senecio rufescensの3種のみで、それらが大きな岩塊わきに点在し、植被率はきわめて低い。
    2.チャカルタヤ山の地質と植物分布
     ボリビアアンデス、コルディレラ・リアルのチャカルタヤ山(5199m)の氷河は2009年に消滅した。水野(1999)やMizuno(2002)により、1993年の調査時の植物分布の上限の高さは、堆積岩の珪質頁岩の地域で4950m、火成岩の石英斑岩地域で5050m、変成岩のホルンフェルスの地域はその中間であった。また、高度4950mでの植被率は、珪質頁岩地域が0%、ホルンフェルス地域が10%、石英班岩地域が20%であった。これは、珪質頁岩の平均節理密度(1mの針金の輪を岩盤にあてたときの節理と交差する回数を20回測ったときの平均値)が13.3、ホルンフェルスが5.0-8.3、石英班岩が3.0-3.3であり、その節理密度にしたがって、生産される堆積物の大きさが異なった。細かい堆積物の多い珪質頁岩地域は地表の移動量が大きいため、植被率が小さく、植物分布の上限が低いが、堆積物の大きい石英班岩地域では地表の移動量が小さいため、植被率や生育上限高度が高くなっていた。どの地域も上限の分布植物はイネ科のDeyeuxia nitidulaであった。 この3つの地質地域で2012年においても同様な調査を行った。チャカルタヤ山の石英班岩地域の植物分布の上限は5058mで生育植物はキク科キオン属のSenecio rufescensであった。ケニア山においても、氷河消失後最初に生育できるのはセネシオ(Senecio keniopytum)であって、同種はケニア山の植物分布の最上限種でもあった。2012年のホルンフェルス地域の植物分布の上限は5033mで、珪質頁岩地域の植物分布の上限は5022mであり、その上限の植物種はともにSenecio rufescensであった。2012年の植物分布の上限高度が1993年に比べ、石英班岩地域で8m、珪質頁岩地域で72m上昇していた。
  • 奈良間 千之, 田殿 武雄, 山本 美奈子, 浮田 甚郎
    セッションID: 505
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1 はじめに近年のアジア山岳地域の氷河変動は,多時期の数値標高モデルや高度計を搭載したICESatの標高データなどから地域的な質量収支変動の差異が明らかになりつつある.東ヒマラヤでは氷河表面低下量が多い一方,カラコルムでは正の質量収支が報告されるなど,近年の氷河の質量収支や末端変動は一様ではない.中央アジアの天山山脈においては,多時期の衛星データにより広域の氷河の面積変動が明らかになっている.その変動は地域によって大きく異なり,年降水量が多く山脈高度が低い天山山脈外縁部で縮小量が大きい.このような近年の氷河縮小に伴いヒマラヤや中央アジア山岳地域では,氷河前面に氷河からの融け水が溜まった氷河湖が多数出現している.氷河変動にも地域的な差異があるように,氷河湖分布にも地域的な違いがみられる.本研究では中央アジアの天山山脈における氷河湖の分布と氷河湖決壊洪水の特徴について報告する.2 方法2007~2010年に撮影されたALOS/AVNIR-2の衛星データを用いて,天山山脈全域の氷河前面にある0.001km2以上の氷河湖を対象に,ArcGIS上でマニュアルによるデジタイジングで氷河湖のポリゴンデータを作成した.氷河湖ポリゴンのシェープファイルの属性データには,撮影日,使用した衛星画像,流域名,面積,高度,氷河湖タイプ,氷河湖ID,修正日などの基本情報を加えた氷河台帳を作成した.使用した衛星画像の位置精度の検証には,Global Positioning System(GPS)レシーバーであるProMark3とLeica GPS900の高精度GPSを用いて,山岳地域の氷河湖周辺などを歩いて位置情報を取得し,比較した.また,Hexagon KH-9やLandsat7/ETM+の衛星データを用いて氷河湖の発達履歴を明らかにした.30を超える氷河湖で現地調査や湖盆図測量をおこない氷河湖体積を算出した.さらに,過去に決壊した氷河湖の現地調査や被害の特徴をまとめた.3 結果と考察天山山脈全域では,1600ほどの氷河湖(0.001km2以上)を確認した.その分布は,氷河の縮小量が大きい天山山脈外縁部で顕著な発達を示す.特に氷河湖数の多い地域は,氷河縮小が大きいプスケム地域でなく,いくつかの岩屑被覆氷河が分布するイリ・クンゴイ地域やテスケイ地域であった.一方,年降水量の少ない乾燥した天山山脈内陸部のアトバシ地域とフェルガナ地域では,氷河湖数はわずかであった.天山山脈の氷河湖のサイズ分布は,巨大な氷河湖が分布する東ヒマラヤ(ネパール東部やブータン)に比べるとかなり小さい.0.001~0.005km2のサイズが全体の7割を占める.東ヒマラヤの岩屑被覆氷河から発達する巨大な氷河湖の形成過程や平坦な地形場と違い,天山山脈では,平衡線が山脈の稜線付近にかかる小規模な山岳氷河が形成するモレーンの規模は小さく,稜線付近の急傾斜な山岳斜面の地形場は巨大な氷河湖を生み出す空間がない.さらに,氷河湖を堰き止めるモレーンは,小氷期後半~1900年代前半に形成されたため,多量のデッドアイスを含んでおり,多数の小規模なサーモカルスト湖が発達している.1970年代に撮影されたHexagon KH-9と2007~2010年のALOSの衛星データから取得した氷河湖数を比較したところ,ほぼ同数であったが1970年代から継続して存在する氷河湖は半分もなく,現存する氷河湖の多くは1980年代以降に出現したものであった.この地域では,1950~1970年代に氷河湖決壊洪水が多発したが,2000年代に入り小規模な氷河湖決壊洪水が再び報告されはじめた.これは1980年代以降に出現した次世代の氷河湖の発達によるものだと考えられる.また,数か月間~1年ほどで急激に発達して決壊する短命氷河湖も確認した.天山山脈の氷河湖と居住地の距離は十数㎞ほどで,洪水は急勾配の谷を流れるため土石流となるケースが多く,その被害は山麓の扇状地や河川沿いに限定される.2008年7月の氷河湖決壊洪水では,川沿いで被災した人々は過去の氷河湖決壊洪水を知らない新しい移住者であった.発生誘因(自然現象)である氷河湖の決壊をコントロールすることは難しいが,川沿いで暮らす人々の自然災害の知識の改善や情報公開を積極的に進める必要がある.
  • 小松 哲也, 渡辺 悌二
    セッションID: 506
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    中央アジアの山岳地域であるタジク・パミールでは,2002年8月7日に氷河湖決壊洪水(Glacial lake outburst flood: GLOF)が生じ,それにより1つの村(Dasht村; 37°17′51″N, 71°46′50″E)がほぼ消失した(死亡者は25名).こうした氷河災害は今後も同じように発生する可能性が高いことから,タジク・パミールでは適切な災害アセスメントや災害緩和策をとっていく必要がある.しかし,こうした対策を行うにあたって不可欠と思われる情報(氷河・氷河湖の特徴,氷河災害の記録・特徴,現在までに行われた災害アセスメント研究など)は,現在に至るまでまとめられていない.そこで,本研究では,これらの情報のとりまとめを文献レビューやリモートセンシング資料を用いた氷河災害発生箇所の観察,などを通して行った.以下に,このレビューワークで得られた結果の要点を記す.

    ① タジク・パミールではGBAO(ゴルノバダフシャン自治州)において氷河災害の危険性が高く,それ以外の地域では,むしろマスムーブメントに関係する地形災害の危険性の方が高い.GBAOにおいて想定される氷河災害は,氷河崩落,氷河サージ,GLOFに起因するものである.

    ② GLOFについては,2002年8月に決壊洪水を起こしたタイプの氷河湖(ゲリラ氷河湖と名づけた)への注意が特に必要である.ゲリラ氷河湖は,アジアにおけるGLOF研究の先進地域である東ヒマラヤ(ネパールやブータン)で危険視される氷河湖のタイプとは全く異なっており,次のような特徴をもつ.(1)アイスコア・モレーン上に出現する比較的小さな湖(確認されたケースで,その面積は32,000 m2),(2)排出水路をモレーン表面に持たない, (3)出現-成長-決壊のサイクルがほぼ2年間以内に収まる,(4)一度,完全に排水されても再び出現する.

    ③ タジク・パミールでは,氷河サージやゲリラ氷河湖の早期検出が災害アセスメント上,不可欠となる.そのためにはタジク・パミール全域(特にGBAO)において氷河・氷河湖のモニタリング調査を高頻度で継続的に行っていく必要である.こうしたモニタリング調査に最も適すると考えられるのは,北海道大学と東北大学が共同で開発した超小型地球観測衛星(雷神2)のような低コストの観測衛星を多数打ち上げて,同じ地点を高頻度(例えば1日1回)で観測するといったやり方であろう.
  • 福井 幸太郎, 飯田 肇
    セッションID: 507
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    剱岳西面にある池ノ谷右俣の標高2000~2400m付近には、長さ800m、幅30m程度の細長い多年性雪渓(以下、池ノ谷右俣雪渓とよぶ)が存在している。この雪渓は過去数十年間、完全に消失した記録が無い。また、雪渓脇のシュルンドの深さが30mに達するため(図)、かなり分厚い氷体を持つことが指摘されていた。しかし、別名「行けん谷」と呼ばれるほどアプローチが悪く、研究者による氷河学的な調査が行われたことは無かった。立山カルデラ砂防博物館の研究グループは、この池ノ谷右俣雪渓で、2012年9月25日に地中レーダー探査を実施した。その結果、雪渓下流部に厚さ30mをこえる分厚い氷体が存在していることを確認した。同年9月25日から10月27日までの約一ヶ月間、長さ4.6mのポールを氷体に達するまで埋め込み、測量用GPSを用いて観測して、氷体の流動観測を行った。その結果、氷体は一ヶ月間で10、15cm、雪渓の最大傾斜方向に流動していた。厚い氷体の存在と流動の両方を確認できたことから、池ノ谷右俣雪渓は、立山の御前沢雪渓、剱岳の小窓、三ノ窓雪渓と同じく現存する「氷河」であるといえる。
  • 澤田 結基, 鳥潟 幸男, 清水 長正
    セッションID: 508
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 秋田県長走風穴は、我が国で最も早い時期に風速と気温の観測が行われた風穴である。ここでは、小学校の校長であった荒谷武三郎により、夏は斜面の下部から冷風を吹き出すこと、冬は斜面の上部に温風を吹き出す「温風穴」があることが報告されるなど、現在にわたる風穴研究の基礎的な概念がつくられた研究が行われた(荒谷、1920)。 しかし、この先駆的な研究から100年近くを経た現在、倉庫としての風穴利用は途絶え、植生も変化し、荒谷によって発見された温風穴の位置もわからなくなっていた。そこで筆者らは、荒谷によって記載された長走風穴の温風穴を含む温風穴の分布を調査した。また、夏の冷風の噴き出しの要因になると考えられる地下氷の成長過程を観測した。2.調査方法  2010年12月より、筆者の一人である鳥潟が中心となり、荒谷の残した資料などを参考にしながら、長走風穴のある国見山(標高453.9m)一帯で温風穴の捜索を行った。その結果、2011年12月に、荒谷が撮影した場所と同一と考えられる温風穴を再発見することができた。この連絡を受けて2012年1月26日、澤田と清水が現地に向かい、鳥潟とともに積雪底温度と温風穴の温度測定を行った。また、2012年3月24日から6月1日の期間、風穴倉庫跡(2号倉庫)にインターバルカメラを設置し、90分間隔で風穴倉庫内のフラッシュ撮影を行い、倉庫の地下壁面に成長する氷を観測した。同時に、データロガーによる風穴倉庫と外気温の観測も行った。撮影データから、石を積み上げた壁を支える梁の上に成長する氷が確認できたので、この氷の上面と赤白ポールのピクセル座標を計測し、cm単位に換算した。3.調査結果 図1に、積雪底温度および温風穴の温度測定結果を示す。以下の記載は、2012年1月26日の記録に基づく。国見山の山頂に近い標高約430m付近に、荒谷(1920)によって記載された温風穴があり、約14℃の温風を吹き出していた。温風穴の温度は標高が下がるにつれて低下し、標高250m付近では4.7℃を記録した。また、標高約160-250m付近では、約0.5-1mの積雪に覆われた地表面温度が0℃以下の状態にあることが確認された。この標高帯には国の天然記念物に指定されている高山植物群落があり、夏には冷風の噴き出しが生じている。厚い積雪に覆われた地表面温度は通常0℃で一定になるので、氷点下の地表面温度は地下空隙に外気が侵入していることを示唆する。 倉庫内の地下氷は、4月1日に成長を開始し、4月10日までは断続的に成長した。成長と停滞を繰り返した要因として、壁面から滲み出る水の供給が断続的であったことが考えられる。4月10日までは気温が0℃を境に上下する凍結融解期であり、倉庫周辺で生じる融雪が断続的に生じたのであろう。成長は5月5日まで続き、15日まで一定で推移した後、融解に転じた。地下氷の成長は、冬期間に氷点下までに冷却された風穴倉庫内に融雪水がしみだし、壁面に氷を成長させることが明らかになった。
  • 山田 和芳, 篠塚 良嗣, 瀬戸 浩二, 岡崎 裕子, 米延 仁志, 五反田 克也, 原口 強, 安田 喜憲
    セッションID: 509
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    発表では、一の目潟ボーリングコアを用いて、新しい編年モデルを構築し、高時間分解能地球化学分析に基づき、26,000年前以降の東北日本の陸上古環境変動を復元した結果を報告する。秋田県男鹿半島に位置する一の目潟では、2006年秋、湖中央部においてシンウォールコアリングによる平行コアリング法(Nakagawa et al., 2012)によって、湖底下から約37mまで完全な連続堆積物(IMG06コア)を採取している。IMG06コアのコンポジット深度-年代モデルを構築する際、イベントフリー編年モデルを作成した。つまり、堆積物中で、層厚1cm以上褐色層(上方細粒化の構造あり)をイベント層として、これら一過性の堆積物を除外したイベントフリー・コンポジット深度に対して、合計74個の放射性炭素年代値から求めた暦年代値をプロットして、編年モデルを作成した。なお、イベント層は、全層にほぼ均一に挟在し全体の約4割を占めることが明らかになった。その結果、過去28,000年間において、堆積速度の異なる3つのステージが存在して、0.5~16 ka、16~24 ka、24~28 kaで、それぞれ0.325、0.463、0.786 mm/yearと求められた。また、コアの表層部(コンポジット深度で0~80 cm)は、年縞計数により、435年分の堆積物であることも示された。次に、気候プロキシーによる環境変動を明らかにするために、深度26.1mより上位の年縞堆積物の部分(タービダイト層は含まない)の試料(n=887)についてCNS元素分析及びICP-AESによって総数17の主要及び微量化学成分量を求めた。分析の試料間隔は平均15 mmであり、分析用試料は層厚2~10 mmで分取し、その時間分解能は最大で30年と見積もられた。これらの高時間分解能試料を用いた無機分析結果に基づき、気候プロキシーを用いて推定された過去26,000年間の男鹿半島周辺の気候変動は、大局的に15 kaまでは寒冷乾燥期、15-9 kaは、寒冷乾燥期から温暖湿潤期移行期、9 ka以降は、温暖湿潤期となっている。また、変動の振幅の激しさは、15-9kaで最も大きくになる一方、9ka以降では中間程度、26-15 kaでは極端に小さくなっている。とくに、晩氷期の気候変動に着目すると、今回の一目潟堆積物の記録は、15 kaより緩やかな気候温暖湿潤化が生じており、その中で、14 ka付近と、12.5-11.3 kaに、一時的な気候寒冷乾燥化傾向が認められる。このような傾向は、琵琶湖堆積物の記録と同調する一方、中国の石筍やグリーンランドの氷床コアの記録とは類似しない。この原因として、男鹿半島周辺の気候変動が、アジアモンスーンのような大気循環の変化よりも、海水面の急激な上昇による対馬暖流の流入による気候変動の影響を大きく受けた可能性があげられる。15 kaからのゆるやかな温暖化傾向は、14.6 ka頃の海水準変動の急激な上昇(MWP1a:Yokoyama and Esat, 2011)にともない、それが対馬暖流の日本海への本格的流入を促し、それが、男鹿半島で徐々に気候温暖化を生じさせたと解釈される。一方、ヤンガードリアス期は、男鹿半島では12.5-11.3 kaあたりに存在しているものの、そのシグナルは弱い。これは、男鹿半島のような日本列島の日本海沿岸地域では、顕著にあらわれなかった可能性がある。
  • 作野 広和
    セッションID: 510
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
     人口減少社会を迎えた今日,中山間地域における集落の限界化は多くの国民が知るところとなった。限界集落に対しては多様な見解が存在しているが,限界化した集落は最終的に消滅が想定されている。地理学においては,過疎化が著しい昭和40年代に,いわゆる廃村研究が盛んに行われた。しかし,その後は集落の消滅について,十分な研究が行われているとは言いがたい。そもそも,集落単位の人口すら把握が困難な中で,消滅した集落の位置や時期を特定することは極めて難しい。報告者は,2011年に島根県を対象として無住化集落の把握を行い,既に報告を行った。本報告では,その後の追加調査などを踏まえ,精査した結果を改めて提示する。 島根県では1947年以降,断続的に『島根県地名鑑』が発刊されている。同誌には,新旧市町村名,大字名の他に,「通称」欄にいわゆる集落に相当する地名が記されている。そこで,最古刊の1947(昭和22)年と最新刊の2006(平成18)年に記載された地名を比較することで,消滅した集落を類推した。ただし,両者を比較するのみで消滅集落であると断定することは危険である。地名の掲載がなくなった理由の大半は,自治会等の再編によるところが大きい。そこで,報告者は消滅した全ての地名に対して地形図や住宅地図をもとに位置を確認した。また,それを補完する形で市町村役場に対するヒアリングや現地調査を行った。さらに,無住化した集落の地形的特徴や無住化した経緯を可能な限り追跡し,なぜ集落に居住者がいなくなったのかについて明らかにした。そして,無住化した集落の現状と地域管理の実態を明らかにすることで,無住化集落の今後の動向について考察した。 本調査の結果,島根県内の無住化集落は82あり,このうち1970年代の集落移転事業で移転した集落が13,ダムの建設等により移転した集落が11,災害による消滅が1あることが判明した。したがって,集落住民の転出や死亡により,いわゆる「自然消滅」した集落は57であることが明らかになった。これらの集落は空間的に集中する傾向にある。無住化集落が多いのは,浜田市(旧三隅町),益田市(旧匹見町),津和野町(旧日原町)など,石見地方に集中している。過疎が比較的緩い出雲地方にも分布しているが,その数はわずかである。また,隠岐地方には無住化集落は存在していない。 なお,集落のあり方は地域によって多様性に富んでおり,集落の無住化を判定することは極めて難しい。したがって,今後も集落の実態を詳細に把握するなどしてさらなる精査が必要であると考える。
  • 伊藤 千尋
    セッションID: 511
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1 はじめに自然環境による制約が大きい山間部に暮らす人びとにとって、買い物や通院などの日常生活における制約や不便さは、その地に住み続けることを困難にする最も身近な要因となる。このような地域において、行商は、物資の供給や地域間交流の重要な役割を担ってきたが、近代化とともに衰退の一途をたどっているとみなされてきた。しかし行商が、車営業へと転換するなかで、商圏を拡大させてきたにも関わらず、現代の行商の存続の意味やその成立背景に注目した研究はほとんど行われていない。本研究では、行商が存続している滋賀県高島市朽木において、行商の利用や行商人との関わりの変遷、そして現在朽木にて営業する行商の利用者の特徴を明らかにすることを目的としている。そして、行商という移動性をともなう経済活動の形態を、過疎化・高齢化をはじめとした現代の農山村が抱える問題群に位置づけて考察し、その意義を再検討したい。2 方法調査は滋賀県高島市朽木にて行った。朽木地域の3集落(33世帯)において、行商人との関わり合いに関する過去の記憶や経験、現在の行商利用の有無や日常の買い物について聞き取りをした。また、朽木地域で行商を行なっているA氏にGPSによる位置情報の記録を依頼し、行商ルートと顧客の把握、各家での滞在時間の算出を行った。3 結果と考察朽木は、福井から京都へとつづく「鯖街道」に位置し、古くから行商人が往来してきた地域である。林業や農業を生業にしている人びとが多いこの地域では、徒歩や自転車で訪れる行商人から魚や日用品を購入することは日常の光景であった。しかし、昭和30年代後半から40年代にかけて、近郊の都市部に雇用機会が増加し、生活スタイルにも変化が訪れた。これまで山村にとどまっていた人びとの行動圏は拡大し、行商からモノを買う機会は減少していった。一方で、行商も車営業へと転換し、一部の人びとには利用され続けていた。現在、朽木地域に定期的に訪れる行商は二組いた。食料品や日用品、衣料品など様々な商品を積んでいるA氏(岐阜県)と、魚を主に販売するB氏(福井県)である。行商利用者は、ひとり暮らしの高齢者が多かった。彼らのなかには買い物にほとんど出かけず、行商を「命綱」とみなしている利用者もみられた。また、行商と利用者の間には、経済的なつながりのみには留まらない関係性がみられた。例えば、行商は、定期的に訪れるものの何曜日に来るかはわからないため、利用者が、前日に買い物を済ませている場合もある。しかし、利用者の多くは「必ず何か一つでも買う」こと(義理買い)が、次も来てもらうために大事であると語った。そして、「A氏に話を聞くと他の人の様子がよく分かる」、「他の人が使っている薬の様子などを相談できる」といった声があり、地域の人びとの情報を繋ぐ役割も果たしていた。以上のことから、朽木地域における行商は、社会変化とともに衰退していったが、現在では、高齢者に買い物の選択肢を提供するだけでなく、雑談や相談の社会的な場として機能したり、散在する利用者間の関係を繋いだりする新たな役割を帯びていると考えられる。
  • 飯塚 遼
    セッションID: 512
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    イングランドの一部の農村地域において、サービス・クラスと呼ばれるホワイトカラー層の流入が顕著となっている地域がみられる。そのような社会階級構成の変化をともなう人口変動は、農村地域の社会的、経済的、あるいは文化的側面の変容を生じさせており、その現象はルーラル・ジェントリフィケーションとして捉えられている。農村地理学や農村社会学の分野において、ルーラル・ジェントリフィケーションは、農村再編の概念の1つとして注目されており、世界の各地域における研究の蓄積が期待されている。本研究は、近年、ルーラル・ジェントリフィケーションが進展しているイングランド・ダービーシャー・デールスを対象として、ルーラル・ジェントリフィケーションのプロセスとその要因について議論することを目的とする。
  • ―群馬県上野村を事例に―
    永山 いちい
    セッションID: 513
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究の背景 山村においては,人口が減少する中で,都市から農山村への人口移動が注目されている.山村におけるIターンには,人口減少の歯止めだけでなく,税収の確保や地域資源の活用・経済活性化,地域資源の価値化・商品化などが期待される. Iターンに関しては,先行研究によりIターン者の移住過程と諸アクターの役割について明らかにされているものの,適応過程や受け入れ基盤としての地域社会については着目されていない.よって,本研究では,山村でのIターン者の移住・適応過程の分析を通して,Iターン者の移住要因と受け入れ基盤としての地域社会との関係からなるIターン居住の存立形態を明らかにする.2.研究対象地域 研究対象地域は,群馬県上野村である.上野村は,群馬県の南西部に位置し,西は長野県,南は埼玉県に接している.標高1,000m~1,500mを超える山々が連なる急峻な地形で,利用可能な平坦地は限られている.上野村の西から東へ,利根川の支流である神流川が流れており,その河岸段丘上に集落が分布している. 上野村では,基盤としていた産業が衰退することにより人口減少と過疎化が進行した(西野,2011).そうした状況の中,上野村では1970年に黒澤丈夫氏が村長に就任し,様々な地域政策が講じられてきた.上野村では第一次産業,第二次産業,第三次産業をバランスよく振興することとし,イノブタ事業や木工業の地場産業化,国民宿舎の建設などが行われた.地域政策の財源は,積極的に受け入れられた補助事業であるが,2006年以降はダム建設による固定資産税収入も活用されている. 1989年以降は,定住促進策が実施された.上野村の定住促進策としては,①雇用の場の創出,②村営住宅の整備,③各種生活支援策の実施がある.上野村の資料によると,Iターン者は年々増加している.Iターン者は2012年7月時点で130世帯232名が居住しており,上野村人口の16%を占めるに至っている.Iターン者の転入が,上野村人口の社会減少に対し,ある程度の歯止めとなっている.コーホート別の人口動態をみると,若年層の人口増減が著しく,これは若いIターン者の転入と転出による.上野村では,基本的に満45歳以下の者を対象に生活支援策を実施するなど,若年層の定住を促進している.3.調査結果 移住・適応過程を明らかにするため,Iターン世帯にアンケート調査と聞き取り調査を実施し,46件の回答を得た.全体の特徴としては,移住時年齢が10代もしくは20代の者が27名と多いこと,村営住宅に居住するものが多いが居住年数が長い者は持ち家や借家に居住するものが多いこと,関東地方からの移住が多いことが挙げられる.移住・適応過程から,上野村におけるIターン居住の存立形態を考察した.山村空間への関心や希望する職への就業,村営住宅への居住が組み合わさって移住が成り立っている.また,村内行事等への参加,社会組織への参加,仕事への順応により,Iターン者は上野村に適応している.生活支援策の利用や空き家への居住は,移住・適応過程それぞれに作用している.上野村では就業面・居住面・生活面の環境を要因としてIターン者が移住・適応し,Iターン居住が成立している.山村全体でみられる衰退に対応するものとして,各地で産業の振興や定住促進策の実施への取り組みが行われる中,上野村のIターンを成立させる地域的基盤は,強力なリーダーの存在と財政的基盤の確立,生活環境の改善による上野村の利便性向上である.[参考文献]西野寿章2011.山村空間の商品化―持続可能な発展のための山村の地域政策―.田林明編著『商品化する日本の農村空間に対する人文地理学的研究(課題番号19202027)平成19~22年度科学研究費補助金基盤研究(A)研究成果報告書』176-190.
  • 中川 秀一
    セッションID: 514
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    国土の周辺にある地域の新規移住者の概況を明らかにし、その意義について地域存続力の観点から考察した。岐阜県飛騨市山之村地区は、中部山岳地帯に位置する7つの小集落からなる山村である。豪雪地帯でもあり、冬季には積雪のために外部とのアクセスが制約される。また、人口減少とともに少子高齢化が進んでいる。しかし、この地域では、各種の住民組織が地道な地域活動を継続しており、特産品の開発や農業公園の誘致・整備を図ってきただけでなく、住民組織を基盤とした会社による運営をも行ってきた。こうした活動は、新たな雇用・生活機会を生み出す基盤となり、旧来からの住民の住み続けのみでなく、新たな移住者を招来するに至っている。本報告では、こうした対象地域における地域活動の取り組みの経過を紹介する。また、新規移住者の来歴と生活意識に基づいて地域存続の可能性およびその課題について検討する。
  • 星川 真樹
    セッションID: 515
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに ペルー農業は,大農と小農に二分され,その格差が拡大しており,現金収入を得ることが困難な農村地域から都市部へと人口が流入している.そのため,首都リマには全人口の3分の1が集中し,貧富の格差拡大につながっており社会的問題となっている.とくに貧困が多くみられるのが,山岳地域である. しかし,首都近郊の山岳農村では,商品価値の高い非伝統的作物であるチリモヤやアボカドを導入したことで,現金収入を確保し,その生産・経営を維持している小農群がみられる.その背景には,首都近郊であることから情報との近接性,市場から近隣であるという流通面での優位性などが示唆され,首都から遠隔に位置する農村地域と比較し,首都近郊の山岳地域は変動が大きいことが考えられる.そのため,首都近郊の山岳農村の動態は,ペルーの農業の動態をみるうえでも重要である.本発表では,どのような小農群が非伝統的作物を導入し,どのようにして生産を維持しているのかを聞き取り調査を踏まえて発表する.2.San Mateo de Otaoの自然地域区分 ペルーの自然環境は多様であり,海岸砂漠域のコスタ,山岳地域のシエラ,熱帯地域であるセルバの3つに一般的に大きく区分される.しかし,実際には,それら3区域のなかでも自然条件は,標高差などによって一様ではない.ペルーの地理学者であるPulgarは1941年に,伝統的アンデス地域の呼称や歴史的背景も加味しながら自然科学的検証を行い,この3区分を細分化し,ペルーの8自然区分を発表した(表1).これは,ペルーの国土地理院でも認められた自然区分となっている. Quechuaよりも標高の高い地域に暮らす小農の多くは,その植生から,伝統的作物であるジャガイモやトウモロコシなどを生産したり,アルパカやリャマの牧畜をしたりして暮らしている.しかし,Yungaでは,ジャガイモやトウモロコシも生産できるが,非伝統的作物とされるアボカドやルクマ,チリモヤといった青果物も生産でき,この点が,Quechua以上の標高の地域とは大きく異なっている. 本研究で取り上げる首都近郊の山岳農村,San Mateo de Otao村は,非伝統的作物を生産可能なYungaからQuechuaに当たる自然地域区分に位置している.3.小農経営郡の差異の分析 村は,首都から120km東に位置し,標高1000m~3500mの間に7つの集落が点在している.農家の多くは,農地が1ha以下の小農で,アボガドとチリモヤの両者を組み合わせて生産,販売している.しかし,聞き取り調査から,農家間にも非伝統的作物の導入経緯や経営に差異があることが明らかになった.その差異を生じる要因としては,自然条件と社会的要因の2つに大きく分けることができた.自然条件では,耕作地の標高の差異による生態環境の違いにより,生産作目が規定されることなどが挙げられる.社会的要因としては,農家と仲買人との関係の差異などがみられた.このような差異が,経営改善の成果の差異にも大きく影響していた.3.小農経営郡の差異の分析 村の農家の多くは,農地が1ha以下の小農で,アボガドとチリモヤの両者を組み合わせて生産,販売している.しかし,聞取り調査から,農家間にも非伝統的作物の導入経緯や経営に差異があることが明らかになった.その差異を生じる要因としては,自然条件と社会的要因の2つに大きく分けることができた.自然条件では,耕作地の標高の差異による生態環境の違いにより生産作目が規定されることなどが挙げられる.社会的要因としては,農家と仲買人との関係の差異などがみられた.このような差異が,経営改善の成果の差異にも大きく影響していた.
  • -ナッジャ・サブカウンティを事例として-
    マコサ ダン, 高柳 長直
    セッションID: 516
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    New Rice for Africa (NERICA) was introduced in Uganda in 2003 to help the rural farmers in improving their livelihood in terms of income and food security. Using livelihood impact analysis technique, this study sought to assess the role of NERICA in improving rural livelihood by 1) understanding the production environment 2) exploring the marketing opportunities and challenges and 3) highlighting the changes in livelihood outcomes.Although the NERICAs currently released in Uganda are upland varieties, they have been restricted to lowland cultivation due to unpredictable rainfall. Without irrigation, the cropping season has to coincide with the rainfall pattern. Given this restriction, the early maturing varieties are being preferred to the high yielding ones as they can escape the drought onset. Because one extension staff serves about three thousand farmers, inadequate information dissemination is a limiting factor. Despite all these challenges, NERICA yield (3.26 tons/ha) in Najja is above the national average (2.2tons/ha). Milling places also double as selling points where buyers and sellers meet. When sold in milled form, rice fetches more profits (Ush432500/acre) compared to (Ush262500/acre) from selling in paddy form. However, transportation cost to the rice mills are a major obstacle. Generally, NERICA farming is also more profitable than maize, its closest substitute. This has caused farmers to grow it more as a cash crop than as a food crop. As a result, they have managed to accumulate assets such as land, houses and motorcycles which act as collateral for loan transactions. The policy implications of these findings are various: water conserving technologies need to be promoted to reduce the drought risks, early maturity should be given more attention during NERICA promotion, training and or hiring of more extension workers who are knowledgeable in rice agronomy and emphasizing value addition by providing conducive environment to milling services in rural areas.
  • ナミビア農牧社会における稲作導入とGPSロガーによる労働分配調査
    藤岡 悠一郎, 西川 芳昭, 飯嶋 盛雄
    セッションID: 517
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに農村開発プロジェクトでは、在来の農法や農家の労働分配、社会・自然環境をどのように把握し、それらをいかにプロジェクトにフィードバックするかという点が、参加型アプローチが主流になった現在でも主要な課題の一つとされている。発表者はこれまで、南部アフリカの乾燥地域に位置するナミビア共和国において実施されてきた稲作導入に関する研究プロジェクト(科学研究費補助金:代表者 飯嶋盛雄)やJICA/JSTによる地球規模課題対応国際科学技術協力(SATREPS)プロジェクトに関わり、農牧社会における稲作導入やイネ-ヒエ混作農法の開発に携わってきた。本発表では、プロジェクトで重要視してきた参加型アプローチに向けた農業労働の実態把握に関し、地理学の分野で研究がすすめられてきたGPSロガーによる行動の時空間把握手法の応用可能性について検討を行うことを目的とする。2. 方法2009年12月~2010年3月,2010年5月、2011年1月~3月、2012年12月~2013年3月にナミビア北中部に位置するO村において、現地調査を実施した。調査は村に住み込みで行い、35世帯を対象に経済状況や農業に関する聞き取り調査を実施した。また、2か年の雨季に、村の3世帯の住民にGPSロガーを渡し、農作業時に携行してもらうよう依頼を行った。同時に作業日誌をつけてもらい、作業内容を把握した。そして、それらの結果を世帯の構成員に提示し、労働に関する彼らの認識や稲作導入にともなう労働競合の点での課題などについて把握した。3. 結果と考察(1)大雨と洪水被害の多発:ナミビアでは、2007年から2011年にかけての4回の雨季のうち3回において、通常年をはるかに上回る大雨や洪水が多発し、国家非常事態宣言が発令された。2008/09年には、大雨による農地の冠水が広い範囲で発生し、季節河川周辺では洪水による農地の冠水がみられた。この地域の農家が主食にするトウジンビエは湿害にきわめて弱く、大きな被害が生じていた。そうしたなかで、新聞などを通じた稲作情報の提供などもあり、トウジンビエの被害が大きかった凹地状の地形や湿地でイネを栽培したいという要望が高まっている。(2)農業労働の実態:現地の農家は基本的には家族労働によって農耕を行い、必要に応じてトラクタ耕起や除草のための雇用労働を近隣の住民に依頼していた。農作業のなかで、作付面積や播種の時期にとくに影響をおよぼすものは、ロバによる耕起であった。耕起を行う人が特定の世帯構成員に偏る傾向があり、また道具が1組しかない場合が多く、他の構成員に労働を振り分けることが困難であった。稲作など、新たな作物を導入する場合、耕起における労働競合を最小限に回避する農法を考える必要がある。(3)労働に関する農家の認識:労働に関する結果をデータ取得に協力してもらった世帯に提示し、議論を行った結果、労働の分配に関する農家自身の認識や具体的な悩みが明らかになった。そして、稲作の導入に関しては、播種や耕起の時期ややり方をずらすという点でのフィードバックの可能性が認められた。
  • 則藤 孝志
    セッションID: 518
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.学術的背景と課題設定
    地理学におけるフードシステム研究では,農産物・食料品流通の地理的パターンの解明,そのパターン形成に影響を与える個別経済主体の行動や立地展開,それらをめぐる理論概念の検討が主要な論点としてあげられる(荒木,2010).一方,関連分野である農業経済学では,生産から加工・流通を経て消費に至る一連のプロセスにおける取引で結ばれた主体間関係の解明が,フードシステム研究の一義的な課題としてあげられる(清原,1997).このような地理学と農業経済学の視点や論点を互いに共有し,融合させるようなアプローチを図ることがフードシステム研究の進展につながるのではないかと考えられる.
    以上の問題意識のもと,これまで報告者は,農業経済学のアプローチである構造論的分析枠組みを用いて,梅干しのフードシステムを捉え,その全体像を「産地間の差異と相互関係」に焦点を当てながら分析してきた(則藤,2011).生産・加工段階の地域的まとまりである産地に目を向ければ,同じ品目であっても,歴史や規模,農産物および加工品の品質,供給経路,価格形成の仕組みなどにおいて産地間の差異がみられ,そのもとで競争や連携など産地間の相互関係が成り立っているのである.
    これを踏まえ,本報告では,ウメの生産から梅干しの小売に至る一連の取引における「価格形成システム」を掘り下げる.価格形成システムとは,売り手と買い手がある特定の価格に到達するプロセスを,その方法(競売,相対交渉,フォーミュラ等)に着目して一つの仕組みとして捉えようとするものである(新山,2001).この価格形成システムには産地間の差異がみられ,また相互に関連し合うことで,全体として一つの複合的なシステムが成り立っていることを,梅干しを事例に示したい.
    2.分析方法
    大規模産地である和歌山県みなべ・田辺地域と中小規模産地である福井県若狭町を取り上げ,両産地を起点にみた①~⑤の取引段階において,どのような方法で価格が発見されるのかをまず明らかにする.次に,それぞれの方法が互いにどのような要素で結びついているのかを明らかにする.具体的には,相対交渉であれば,交渉で参照要素となるのはどの段階の価格か,フォーミュラ(公式)であれば,算式に組み込まれる基準価格はどの段階の価格かを特定する.さらに,梅干しの価格形成システム全体の基礎にある価格(基本価格)の特定を通じて,複合的なシステムが機能するメカニズムを解明する.
    なお,本報告で用いる主なデータは,両産地における農家,農協,加工業者への聞き取り調査による.調査は,2008年10~11月,2012年6月,2013年2月(実施予定)に行った.
    3.分析の結果と考察
    農家と農協・加工業者との白干し取引では,①は相場,②は青ウメの卸売市場価格と連動したフォーミュラである.この差異は,両産地における加工段階の競争構造に規定されている.次に③の若狭町の農協からみなべ・田辺地域の加工業者に販売される白干し取引では,「①の七掛け」という暗黙のフォーミュラが存在し,大規模産地と中小規模産地との階層的関係が伺える.一方,農協・加工業者とスーパーとの梅干し取引④⑤は,ともに相対交渉だが,そこでは圧倒的にスーパーの価格交渉力が強い.④の価格が①と⑤に大きな影響を与えることから,④がシステム全体の基本価格になっていると捉えることができる.
    【参考文献】
    荒木一視 2010. 市場と流通(フードシステム). 経済地理学会編『経済地理学の成果と課題』50-59. 日本経済評論社.
    清原昭子 1997. フードシステムに関する主体間関係の分析方法. フードシステム研究 4: 2- 17.
    新山陽子 2001. 『牛肉のフードシステム―欧米と日本の比較分析―』日本経済評論社.
    則藤孝志 2011. 梅干しのフードシステムの空間構造分析. フードシステム研究 18: 18-28.
  • 和歌山県の紀ノ川農業協同組合の取り組みを事例に
    岩橋 涼
    セッションID: 519
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
     有機農業や環境保全型農業の取り組みは,食の安全や環境に対する意識の高まりを背景に,各国で多様な展開をみせている.英語圏の地理学では,農業食料システムのグローバル化や大量生産・大量流通システムに対するオルタナティブな動きと関連するものとして,有機農産物は議論されている.日本の地理学では,各地域における有機農業の展開など生産部門を中心に検討がなされてきたが,生産地域にとって生産物をどのように流通させていくかは重要な問題である.国内で生産される有機農産物は,多くの場合,市場外流通を中心に多様な販売ルートが形成されている.本研究では,有機農産物などの流通や販売という観点から地域での有機農業や環境保全型農業の取り組みを検討する.
     対象とする紀ノ川農業協同組合(以下,紀ノ川農協)は,和歌山県の紀の川市を中心に展開し,JAとは別系統の組織として市場外流通を中心に農産物を販売している.2010年度の環境保全型農業推進コンクールでは大賞(農林水産大臣賞)を受賞している.本発表では,紀ノ川農協による有機農業や環境保全型農業の取り組みと農産物販売の実態を明らかにし,農業振興の可能性について考察する.
    2.紀ノ川農協の取り組み
     紀ノ川農協は1976年設立の那賀町農民組合,1981年に近隣の農民組合と産直事業を統一して設立された和歌山県農民組合産直センターを経て,1983年に現在の紀ノ川農協となった.2011年現在,組合員は932名である.那賀町農民組合設立時から現在に至るまで生協への産直を続けており,そのなかで減農薬・減化学肥料栽培や無農薬栽培に取り組んできた.さらに,有機JAS認証や特別栽培農産物の認証取得も推進しており,有機JAS認証はキウイフルーツ,タマネギなど,特別栽培農産物は柑橘類,柿,梅,トマト,ピーマン,タマネギ,米で認証を取得している.農産物の販売については,生協ほか業者を通じた大手量販店等への販売など多様な取引先への販売がおこなわれている.地域での活動としては,紀の川市環境保全型農業グループに参加し,那賀地方有機農業推進協議会で事務局を務めるなど,有機農業や環境保全型農業の普及・発展に積極的である.また,直売所の運営,学校給食への農産物の提供や地元スーパーへのインショップなどの取り組みもおこなわれている.
    3.生産地域の農業振興の可能性
     紀ノ川農協の取り組みは生協への産直,有機農業や環境保全型農業の普及,認証の取得と販路の開拓,地域での活動など持続可能な農業をめざすものといえる.ただし,有機農産物や特別栽培農産物等の生産と販売については,認証の取得が進んだ一方で,生産者は経営や作業管理の状況からできる範囲で認証を取得するという意識であり,拡大には課題がある.また,販路は確保されているものの,販売先では必ずしも有機農産物や特別栽培農産物が求められているわけではなく,小売店が設定した,よりゆるやかな栽培基準や別の基準が重視される場合もある.本研究対象にみられるような有機農産物などの生産や流通による農業振興の可能性については,生産者と有機農業や環境保全型農業に対する認識をどのように共有していくか,それらの農業による農産物をどのような流通ルートで販売するかが重要となるだろう.
  • 機械共有と堆肥調達,出荷を取り上げて
    吉田 国光
    セッションID: 520
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.研究目的既存研究から,農家や農協,その他関連団体などの多様な主体間関係から形成された様々なネットワークの存在が「産地の工夫・戦略」として農業生産の維持や拡大に寄与していることが示されてきた。一方,それらの主体がいかなる関係性を基礎にしてネットワークを複相的に形成してきたのかは十分に検討されていない。それらのネットワークが農業生産活動の各段階に応じて,それぞれの果たす役割を相対化していくことも求められる。そこで本発表では,周年的に集約的な露地野菜作が卓越する淡路島三原平野を事例に,各農家の農業生産,とくに農業機械の共有と堆肥の調達,出荷の方法が,主体間のいかなる関係性のもとに展開しているのかを分析することから,それぞれのネットワークの広がりや性質の差異が農業生産にいかに作用しているのかを明らかにすることを目的とする。研究対象地域には兵庫県南あわじ市上幡多集落を選定した。三原平野の農業生産は,水稲やタマネギ,キャベツ,レタス,ハクサイなどを組み合わせた「三毛作」と呼ばれる年2~3作の輪作体系による集約的農業が周年的に展開し,耕作放棄地は少ない。主産品であるタマネギやキャベツ,レタス,ハクサイは秋から春にかけて市場で一定の地位を保っている。出荷については,市内に青果物卸業者が80社あり,農協外出荷の割合も高くなっている。畜産農業については,耕種農業と畜産の分化がさらに進み,一部の大規模酪農農家や肉用牛繁殖農家によって行われている。集落内に畜産農家がいない場合は,何らかの社会関係を有する他集落の堆肥供給農家から堆肥を調達するようになっている。様々な地域単位をもとにして農業生産が展開しており,様々な性格を有する主体間関係を分析するうえで好適な研究対象地域と考えられる。2.研究方法 研究方法は社会ネットワーク分析の枠組みを援用し,新しいものから既存のものまで様々な位相で展開する複相ネットワークを,それぞれの位相の相互関係に留意しながら考察する。社会ネットワーク分析では,人間関係をノード間の紐帯の有無や強度,ノード間の距離やノード媒介性などを量的に分析することが多い。しかし,農村部では経済活動と社会生活が不可分に展開しており,量的に把握することは困難である。そこで本発表ではノードを結ぶパスの性質に留意して分析した。パスの性質に関して,パスの基盤となる主体間関係のあり方は,大きく2つに分けられる。1つ目は定住に基づく拘束的なものである。いわゆる「地縁」や「血縁」,水利組合などの機能集団を通じた「結社縁」といった入脱退困難な関係で個人の自由で「選べない縁」である。2つ目はこれらの関係によって説明できない関係である。このような関係は居住地などとは無関係に取り結ばれ,入脱退が可能で選択的に取り結ばれる関係で「選べる縁」とされる。具体的には,経済取引に限定されたような関係などであり,契約解消により関係もノード間のパスとなる関係も途絶えるようなものである。3.結果 対象地域において,農家の所有耕地および借地面積は大きくても2.5haであるが,年3作行うために,実質的な経営耕地面積は5~6haとなっていた。農業従事者の平均年齢は60歳を超えており,近年に離農した世帯もみられる。作付品目については,専業農家や第1種兼業農家は多様な品目を栽培し,とくにレタスの割合が高くなっている。第2兼業農家や労働力の少ない第1種兼業農家は,米とタマネギのみの年2作といった作型を選択する傾向にあった。こうした農業経営形態のなかで,農家の世帯収入の大半を,専業農家は裏作である野菜作,兼業農家は農外就業から得ていた。各農家の農業経営自体は独立しているが,水稲作においては集団転作も含めて集落単位で管理されるようになっていた。また農業生産を展開するうえで,とくに農業機械の共有と堆肥調達,出荷をめぐり複数の農家間での共同作業や,農家間での取引が必須となっていた。 対象地域において農業機械の共有は,水稲作の移植機とコンバイン,タマネギ栽培の移植機と収穫機でみられた。機械共有をめぐるネットワークにおいて,水稲作デは収益性の低さから,集落などの社会集団が準拠枠となって,ネットワークを構成するノードが多くなっていた。一方,タマネギ生産に関する機械共有ネットワークではノードが水稲作に比べて少なく,ノード間のパスも「選べない縁」が含まれる場合もあるが,移植時期の調整といった農業経営の側面が条件となっていた。さらに発表では,堆肥調達と出荷においても機械共有と同様の分析を行い,これらのネットワークのあり方と農業経営との関係について考察を加える。
  • 田村 俊和
    セッションID: 521
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    関東平野と秩父盆地とを隔てている外秩父山地の山稜は定高性を示し,その中・北部の稜線付近(海抜ほぼ1000m以下)には山頂緩斜面が広がっている.この範囲は,多くは三波川帯の片岩類,一部は御荷鉾緑色岩,さらには蛇紋岩からなり,どの地質のところにも地すべり地形が高密度に分布する.多くの地すべり地形に共通して,滑落崖・移動体の地形的コントラストが不明瞭で,主滑落崖が稜線にまで達している例が少なくない.この低山地の主軸と,それに直交する軸に沿って,稜線高度と各地すべり地形の主滑落崖脚部(移動体上端)の高度とを軸線に投影して重ねる断面図を作ってみたところ,主軸に沿った地すべり移動体は,稜線の両側に,稜線からの比高100m以内の高さまで分布し,しばしば両側の主滑落崖が背中合わせに接していることが明らかになった.これは,地すべり活動の継続により,稜線をまたいで主滑落崖が後退すれば,あるいは稜線の両側の地すべりが会合すれば,数十~100mの稜線低下をともなう定高化が促進されることを示す.このように,外秩父山地中・北部における定高山稜の発達に地すべりがある役割を果たしていることは,ほぼ疑いない.しかし,地すべり活動だけで定高稜線が形成されたのか,それに先行して小起伏面が存在したか否を判断するには,地すべりの進行による稜線低下・起伏量減少の速さを見積もり,この低山地の隆起開始・進行の歴史との関係を検討する必要がある.
  • 苅谷 愛彦, 原山 智, 清水 勇介, 澤部 孝一郎
    セッションID: 522
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本発表では,黒部川源流の水晶岳西面・岩苔小谷沿いに分布する大規模な岩石なだれの地形・地質を詳細に述べる.この岩石なだれは約9900 cal BPに発生し,その体積は4.6*10^7m^3に達する.岩石なだれが発生する前の最終氷期には,水晶岳やその周辺の山岳に氷河が発達していたと考えられる.この岩石なだれはパラグレーシャル地形変化の一種とみなすことが可能かもしれない.
  • 松四 雄騎, 苅谷 愛彦, 原山 智, 松崎 浩之
    セッションID: 523
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    地表近傍の造岩鉱物中に生成する宇宙線生成核種を用いた大規模崩壊の発生年代推定法を考案し,北アルプスのいくつかの場所でその適用を試みた.対象としたのは,立山北東の内蔵助平に堆積する巨角礫を主とする岩屑と地質的にその給源と思しき富士ノ折立東方の斜面,および水晶岳西方の斜面において巨大な馬蹄形の滑落崖様地形を呈し,高天原付近に大量の岩屑を供給したとみられる斜面である.花崗閃緑岩もしくは花崗岩の巨礫頂部あるいは露岩斜面の表面から試料を採取し,化学処理を行って石英を抽出し,その中に含まれる宇宙線生成核種Be-10を加速器質量分析によって定量した.試料採取地点の緯度,高度,周囲の地形および積雪による遮蔽を考慮してBe-10の年間生成率を推定し,試料となった岩石の地表面露出年代を算出した.その結果,内蔵助平へ岩屑を供給したとみられる斜面の露出年代は2.0-2.7 kaと推定され,岩屑の露出年代からは,その後0.4-1.3 kaにも巨礫の供給があったことが示唆された.すなわちこれらの岩屑供給は完新世の環境下で発生した大規模崩壊によるものであることが明らかとなった.水晶岳-高天原付近の崩壊地形では,滑落崖様地形の近傍斜面の露出年代は3.2-4.2 kaと推定され,完新世に地形変化があったことが示唆された.一方,谷底付近に顕著な高まりをなす岩屑丘頂部で得られた露出年代は,12-21 ka,および40-68 kaと古く,氷期-間氷期の遷移期あるいは最終氷期の環境下においても,大規模な崩壊が発生したことが示唆された.岩石中の宇宙線生成核種は,従来不明とされてきた古期大規模崩壊地形の年代決定において強力な手法として援用できるものと期待できる.今後さらに多くのデータを蓄積することにより,大起伏山地の地形発達において大規模崩壊が及ぼす影響の評価を行っていく予定である.
  • -北海道沙流川支流宿主別川流域の例から-
    輿水 健一
    セッションID: 524
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    山地斜面に発生した崩壊地は、ひとたび崩壊したのちも継続的に拡大・深化し、土砂を生産し続けることがある。表層崩壊地においては、面積の拡大がそのまま生産土砂量に比例するため、生産土砂量の見積もりにおいて、特に拡大する表層崩壊地の把握は重要である。ところが、崩壊地が拡大するか否かの研究は多くなされてきているものの (例えば,岩橋・山岸,2010)、その後の時間経過で、拡大した面積など定量的な視点からの検討については、従来ほとんどなされてこなかった。そこで、本研究ではイベントによって発生した崩壊地のうち、その後拡大した崩壊地につき、拡大した崩壊地面積を加味した見積もりを崩壊地の地質特性から検討する。このことは、山地管理においても有益な情報となる。対象としたのは、2003年8月の豪雨(最大日雨量:388mm)により多数の表層崩壊が発生した北海道日高地方沙流川支流の宿主別川流域(54km2)において、5年経過した後も面積が拡大し続けた崩壊地である。
  • ―12の山での「登山道侵食」地形学図の作成でわかったこと―
    小林 勇介, 平川 一臣, 小松 哲也, 小畑 貴博, 渡辺 悌二
    セッションID: 525
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
    登山道侵食という地形現象を理解するにあたり,「侵食発生箇所における地形計測的要素の分析」や「侵食断面形態の変化の把握」といったアプローチが,これまでのところ主流なものとしてとられてきた.その一方で,地形学では当然と考えられるアプローチ:①多地域・多地点での地形現象の比較,②地形現象をあらわす地形学図の作成,はおこなわれてこなかった.本研究では,これまでに着目されてこなかったこれらの点にもとづいて,登山道侵食のパターンや特徴について明らかにする.

    2.研究方法
    北海道内の48 の山の登山道において登山道侵食の有無を確認した.登山道侵食が確認できる山であった場合,その山の登山道侵食パターンをもっとも良く代表するような場所を1地点選び,そこで地形学図を作成した.地形学図は,登山道侵食の始点から終点までを含む数~十数mの区間でのスケッチをベースとし,それに折れ尺,クリノメーター,レーザー測距器を使用して計測した斜面長,侵食深,侵食幅,侵食断面形態といった情報をもりこんだものである.

    3.登山道侵食のパターン
    登山道侵食は30の山でみられた.地形学図は,そのうちの12の山で作成した.侵食のパターンは,発生箇所の表層地質に着目すると以下の2つのタイプに区分された.

    (1)粘土質タイプ(狩場山,長万部岳,目国内山,積丹岳,余市岳,礼文岳,斜里岳):主に中期更新世に活動を終えた古い火山にみられるタイプ.特徴的なのは,登山道侵食の深さ・幅と表面礫・表層地質との間に河川水理の経験則と似た次のような関係がみられる点である.すなわち,登山道侵食は,地表面上に散在する大礫・巨礫がまばらになり,礫の粒径が小さくなる地点からはじまる.侵食がみられる場所の表層地質は粘土質であり,その断面形はV字型である.侵食の断面形が函型を示すようになると,地表面上に大礫が散在するようになり,侵食は漸次解消にむかう.

    (2)砂礫質タイプ(オロフレ山,利尻山,富良野岳,黒岳,羅臼岳):過去数万年間以内に生じた火山噴火によると思われる火砕流,もしくは降下軽石・スコリアが堆積した山でみられるタイプ.粘土質タイプとは異なり,登山道侵食の深さ・幅と表面礫・表層地質との間に関係はみられず,不規則な侵食パターンをとる.

    4.おわりに
    北海道では,平成17 年に環境省によって大雪山国立公園内の登山道管理に近自然工法が導入された.近自然工法とは,登山道を小さな川にみたて,その表流水を礫や木材によって制御することで,登山道侵食を軽減させる工法である.これに対して,本研究の結果は,登山道を川として捉えることが可能な場合(粘土質)とそうではない場合(砂礫質)があることを示す.これは,少なくとも表層地質を考慮に入れない一様な近自然工法では,登山道侵食の軽減が難しいことを示唆するだろう.
  • 菊池 輝海
    セッションID: 526
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     2000年の噴火により火山性荒廃地となった三宅島の村営牧場跡地において、リル地形(線上の浅い溝)が実生の発生・定着に与える影響を調べた。15×25mの調査斜面内で1.2×2mの小プロットを23地点に設置してリル地形内部及び周辺の土砂侵食・堆積量調査と生育するハチジョウススキの実生の定着数・株のサイズ変化を2012年4月から12月にかけて計測した。また調査斜面内の株の分布調査、及び雨量計・水位計・土壌水分計による斜面周辺の気象・水文環境の観測を同期間で実施した。
     プロット内をリルの底(CT)、リルの谷壁部(斜面に対し西側をWS、東側をES)、リル間の高い平坦部(西側をWU、東側をEU)に地形区分し、5つの地形区ごとの植物株の定着数を比較した。結果、定着数はリル内(CT、WS、ES)でリル外(WU、EU)に対し有意に多く、特にWSで最も多かった(図1)。一方サイズ変化の推移では調査期間内に5cm以上増加する安定成長型の株がWSで比較的少なかった。
     プロット内の土砂移動量の計測、及び各観測機器の記録結果より、侵食・堆積作用はリル内部で激しいことがわかった。20mm/日程度の降雨で出水が生じ、それによって最大5cmほどの侵食、または堆積が地表面で起こった。調査斜面全域では、次世代の実生の供給源となりうる穂を付けた株がリル内部に多く定着していた。
     これらの結果より次の結論を得た。1)降雨によって出水が生じるとリル内で激しい土砂移動が起こり株の定着を妨げる要因となりうるが、同時に地表面に散布された種子がリル内に集められ、実生の発生・定着に大きく寄与している。2)リル内部でも定着に差が見られ、WSでは株数が最多であったが安定して成長した株は少なかった。これは西側谷壁という地形が卓越する西風を遮る効果を持つため株の生存には有利であるが、結果として株の密度の上昇により各株の成長量が制限されたことによると考えられる。
  • 小荒井 衛, 小松原 琢, 岡谷 隆基, 中埜 貴元, 黒木 貴一, 古澤 明, 鈴木 毅彦
    セッションID: 527
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    新潟県中越地方は典型的な活褶曲地帯であり,地殻変動が激しい.このうち,魚野川流域では段丘地形が発達しており,信濃川との合流地点で低位段丘の発達が著しい.一方,2004年新潟県中越地震において斜面変動が集中した芋川流域にも段丘が部分的に存在するが,発達状況は良くない.筆者らは同地区において,段丘編年のため幾つかのテフラ分析を行ったので,その結果を報告する.芋川流域では上から1面~8面の段丘が存在し,芋川3面のローム層中から火山ガラス,角閃石などが検出された(小荒井ほか:2011).Choi et al.(2002)が破間川の段丘でテフラAb-t1を検出した層準のテフラを分析したところ,芋川3面のテフラと主成分化学組成が一致したため,芋川3面のテフラはAb-t1に対比される.芋川1面のローム層の中段からは立川ローム上部ガラス質火山灰(UG)と同様の主成分化学組成を示すテフラが検出された(小荒井ほか,2012).幡谷ほか(2006)は魚野川のLf4面から浅間-草津火山灰(As-K)を報告しているが,筆者らが同層準のテフラを分析したところ,UGに対比可能な主成分化学組成値が得られた(小荒井ほか,2012).As-KもUGも共にほぼ同時期に浅間火山から噴出したテフラと考えられる.そのため,As-Kの模式露頭である群馬県吾妻郡長野原町の浅間大滝(竹本,1996)において採取した軽石を分析した.本露頭では2層の顕著な降下軽石層が確認され,下位が板鼻黄色軽石(As-YP)で層厚が約20cmあり,上位が草津黄色軽石(As-YPk=As-K)で層厚が1mある.芋川1面のテフラ,魚野川Lf4面のテフラ,UGの標準試料,As-YP,As-YPkの主成分化学組成は類似しており,主成分化学分析からはUGとAs-Kを区別することは難しい.一方,榛名山南麓の高崎市中室田の露頭では,同様に2層の降下軽石層が確認でき,下位の軽石層は層厚が40cm,上位の軽石層は厚さが連続せず離散的である.2層の軽石層は化学組成的には区別が難しいが,顕微鏡下での観察では下位の軽石と上位の軽石とで鉱物組成の量比的な違いが明瞭である.下位の降下軽石As-YPは浅間火山から東方に厚い分布軸を持つのに対し,上位の降下軽石As-YPk(=As-K)は北方に厚く分布することから(町田・新井,1992),魚野川周辺で小荒井(2012)が化学組成からUGに対比したテフラは,As-Kの可能性が高いと考えられる.
  • 菅 浩伸, 横山 祐典, 長尾 正之, 中島 洋典, 堀 信行, 浦田 健作, 安達 寛, 大橋 倫也, 後藤 和久, 鈴木 淳
    セッションID: 528
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    沈水サンゴ礁や沈水海岸地形は,過去の海面変化や気候変動の重要な記録である。本研究では久米島北岸と南西岸の6海域でワイドバンドマルチビーム測深機を用いた三次元地形測量を行い,礁縁・礁斜面~島棚の海底地形を高精度で可視化した。本発表では久米島における海底地形面の分布水深と地形について報告する。
  • 渡辺 満久, 中田 高, 後藤 秀昭, 鈴木 康弘, 西澤 あずさ, 堀内 大嗣, 木戸 ゆかり
    セッションID: 529
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
     海底活断層の位置・形状は、巨大地震の発生域や地震規模を推定する上で欠くことのできない基礎的資料である。本報告では、地震と津波が繰り返し発生している日本海東縁部において、海底地形の解析を行った。海底DEMデータと陸上地形(いずれも250 mグリッド)とを重ね合わせ、立体視可能なアナグリフ画像を作成し、陸上における地形解析と同世の作業を行った。 日本海東縁は新生のプレート境界として注目され、これまでにも海底地形や地質構造の特徴をもとに活断層が多数認定されてきた。また、歴史地震の震源モデルなどについても、いくつかの詳しい検討が報告されている。本研究によって、これまでの活断層トレースと比較して、その位置・形状や連続性に対する精度・信頼性が高い結果が得られたと考えられる。 松前海台の南西部(松前半島の西約100 km)~男鹿半島北部付近を境に、活断層の密度が異なる。北部では、活断層の数はやや少なく、南北あるいは北北西-南南東走向の活断層が多い。奥尻島の東西にある活断層をはじめとして、長大な活断層が目立つ。1993年北海道南西沖地震(M7.8)の震源断層モデルとして、奥尻島の西方で西傾斜の逆断層が想定されているが、海底にはこれに対応する活断層は認定できない。この地震の震源断層に関しては、詳細な海底活断層の分布との関係で再検討が必要であろう。後志トラフの西縁は、奥尻島東縁から連続する活断層に限られている。その東方には北北西-南南東走向の複数の活断層があり、積丹半島の西方沖には半島を隆起させる活断層が確認できる。 松前海台の南端から南方へ、約120 km連続する活断層トレースが認められる。これは、余震分布などと調和的であることから、1983年日本海中部地震(M7.7)の震源断層に相当すると考えられる。久六島西方では活断層のトレースが一旦途切れるようにも見えるが、これは、データの精度の問題かもしれない。これより南部では、北北東-南南西走向の活断層が密に分布している。粟島の北方の深海平坦面を、南から北へ延びる最上海底谷は、深海平坦面を変位させる(北北西側が隆起)の活断層を横切って、先行性の流路を形成している。このような変動地形は、極めて活動的な活断層が存在することを示している。なお、1964年新潟地震の起震断層に関しては、浅部の解像度が悪いため、十分には検討できない。 アナグリフ画像を用いて海底地形の立体視解析を行うことにより、日本海東縁部の海底活断層の位置・形状を精度よく示すことができた。その結果、歴史地震の震源域との比較が可能となった。また、海底活断層の位置・形状に加えて、周辺の変動地形の特徴を明らかにすることによって、地震発生域や津波の発生源の特定や減災になどに関して、より具体的な検証や提案が可能になると考えられる。今後は、歴史地震と海底活断層との関係をさらに詳細に検討してゆく予定である。
  • 楮原 京子, 小坂 英輝, 三輪 敦志, 今泉 俊文
    セッションID: 530
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    北上低地西縁断層帯は典型的な東北日本の逆断層帯である(図1).その北部の南昌山断層群では,変動地形から山地・盆地境界の断層崖と盆地内に数条の推定活断層が認定されている.また,小坂ほか(2011)によって低地内に,鮮新統に噴出した火山岩類が第四系の上に衝上し,残丘状の小丘を形成していることが指摘されている.しかし,南昌山断層群と小丘の関連性や断層群を構成する活断層の地下でのつながりについては明確にされていない. 夏油川から胆沢川の間に広がる台地の上には,併走する何列もの断層(天狗森-出店断層群)がある.出店断層についてはこれまでKato et al.(2006)等でテクトニックインバージョンの断層であることが分かり,浅層で分岐する断層を伴う高角逆断層であることが知られている.しかし,台地に分布する個々の断層が地下でどのように連続するのかについては不明である.北上低地西縁断層帯の南方延長にあたる仙北平野では,2003年宮城県北部の地震(Mj 6.4)をはじめ,規模こそ小さいものの過去約100年間に1900年(M 6.5),1962年(M 6.5),2003年(M 6.4)と被害地震が頻発している.このことは断層帯端部の変位様式を議論する上でも重要な点であり,特に,この地域に分布する鮮新統の急傾斜構造(一関-石越撓曲線)の性状と第四紀の活動性を明らかにすることが課題と考えられる.本研究では上記のような北上低地西縁断層帯における多様な変動地形と地下構造を明らかにし,さらには活構造としての空間的な連続性を明らかにすることを目的とした.研究を進めるにあたっては,空中写真および地形解析図を用いた地形判読,地表踏査,反射法地震探査,重力探査を実施し,北上低地および周辺地域の地形・地質,地下構造に関する情報を取得した.その結果,南昌山断層群では3条の活断層とその地下延長部に西傾斜の断層形成されていることが明らかとなった.また,地層の重なり合いや各断層の上盤にみられる変形構造の解析から,最も盆地よりの活断層による隆起運動が,低地にみられる残丘状の地形の形成に大きく寄与していることが明らかとなった.天狗森-出店断層群では,既知の断層線よりも東部の地下に伏在する断層が認められるほか,断層群の地表トレースに対応する複数の断層が認められた.ただし,地下深部へ連続しない活断層も複数存在していることも分かった.また,2008年岩手・宮城内陸地震の余震分布が本断層群の地下延長部によく一致していることも見えてきた.また,地質学的に認められていた一関-石越撓曲線は地下につづく高角逆断層の活動に伴う変形構造であり,活動度はC級~B級下位程度であると推定された.発表では,以上の結果について報告すると共に,北上低地西縁断層帯全体を通してみた場合の活構造の連続性について議論する.本研究は平成21年度~平成25年度科学研究費補助金基盤研究A(課題番号:21240074,代表:今泉俊文),財団法人国土地理協会平成24年度研究助成(代表者:楮原京子)の一部を使用し,独立行政法人原子力安全基盤機構の支援を得ました.記して感謝いたします.
  • 鈴木 毅彦, 斎藤 はるか, 今泉 俊文
    セッションID: 531
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    東北日本弧南部に位置する会津盆地は,奥羽脊梁山脈西方に多数発達する内陸盆地群の一つであり,他の盆地同様に南北方向の活断層を境に周辺の丘陵・山地列と接する.会津盆地西縁には,明瞭な活断層である会津盆地西縁断層帯(活断層研究会,1991; 福島県,2002)が存在し,断層帯西側には会津盆地西縁丘陵が発達する.中新世以降の長期にわたる会津盆地の発達史は鈴木ほか(1977),山元ほか(2006)などにより議論されており,断層帯の最近数万年間の活動については福島県(2002)により報告されている.しかし中期更新世以降の盆地発達史や断層帯の活動史については,それらを明らかにする上で重要な堆積物の分布が盆地内では地下に限られるため不明な点が多く,充分に明らかでない.一方,栗山・鈴木(2012)は,盆地中西部に位置する会津坂下町において断層帯を挟み,丘陵と盆地地下で129 kaに降下年代をもつ田頭テフラ(鈴木ほか,2004; 青木ほか,2008)を検出し,盆地発達史や断層帯活動史解明のための知見を得た.本研究ではより古い年代にさかのぼり同課題を議論し,盆地側での断層による変形を明らかにするため,2012年5~7月に会津坂下町中心部付近の盆地内2地点において,深度29 m(AB-12-1:会津坂下町字上口)と深度99.5 m(AB-12-2)のオールコアボーリングを実施した.本講演では,多数のテフラが検出されたAB-12-2から順に調査結果を報告する.[AB-12-2:会津坂下町字中岩田]断層帯から東方約900 mの標高179.09 mの地点である.深度48-50.46,54.49-56.47,76.81-84.74,88.76-98.59 mに礫層があるほかは,シルト・泥炭層・砂からなり,多数のテフラを含む.これらテフラの特性を検討した結果,深度4.09 m(いずれもテフラ基底)に沼沢沼沢湖(Nm-NM, 5.4 ka; 山元,2003),17.05 mに姶良Tn(AT, 29-30 ka; 町田,2011),30.12 m に大山倉吉(DKP, 62 ka;長橋ほか,2007),31.63 mに沼沢金山(Nm-KN, 62-65 ka;栗山・鈴木,2012),45.75 m に田頭(TG, 129 ka),88.34 m に砂子原松ノ下(Sn-MT, 180-260 ka;鈴木ほか,2004)の各テフラを検出した.上記のうちTGとSn-MTは火砕流堆積物ないしはラハールとして堆積し,ほかは降下テフラとして堆積した.[AB-12-1:会津坂下町字上口] 断層帯から東方約2.5 kmの標高177.32 mの地点である.本コアで認定されたテフラは深度14.72 mから検出されたATのみである.AB-12-2で深度4.09 mに検出されたNm-NMが本コアで検出されないのは,AB-12-1の掘削地点が鶴沼川沿いの沖積低地であり,深度6.7 mまで続く砂礫層(沖積低地堆積物)の堆積に伴う侵食で削剥されたものと考えられる.[堆積速度と断層帯の活動]AB-12-2での堆積速度は,地表・Nm-KN間で0.50 m/kyr,Nm-KN・TG間で0.22 m/kyrと栗山・鈴木(2012)で得られた値とほぼ同じである.また,Sn-MTの噴出年代は180-260 kaと幅があるが220 kaとした場合,TG・Sn-MT間では0.35 m/kyrとなる.いずれにせよTG・Sn-MT間とTG降下以降で堆積速度に大きな変化はない.仮に断層帯低下側である盆地床の堆積速度が断層帯の活動度に依存すると過去約20万年間で大きな変位速度の変化は無かったと考えられる.なお,ボーリング調査は,文科省科研費「変動地形マッピングに基づく伏在活断層・活褶曲と地震発生様式の解明」によった.引用文献: 青木ほか 2008.第四紀研究 47: 391-407.福島県 2002.会津盆地西縁断層帯に関する調査成果報告書.活断層研究会 1991.新編日本の活断層.栗山・鈴木 2012.日本地理学会発表要旨集81: 147.町田 2011.第四紀研究 50: 1-19.長橋ほか 2007.第四紀研究 46: 305-325.鈴木ほか 1977.地質学論集 14: 17-44.鈴木ほか 2004.地学雑誌 113: 38-61.山元ほか 2006.喜多方地域の地質.山元 2003.地質調査研究報告 54, 323-340.
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