日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
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発表要旨
  • 地形図と空中写真による研究
    戸田 真夏, 谷口 智雅, 岡安 聡史
    セッションID: P055
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    ネパールのテライ低地にあるナワルパラシ郡では、地下水のヒ素汚染が深刻な問題になっており、筆者らは一連の調査を行っている。ヒ素汚染の原因としては、地下の帯水層の深さ・地質構造などが大きく影響していると推測される。ヒ素の濃集メカニズムを、現在の地形形成プロセスから考えるため、地形の分類を行った。ヒ素汚染の調査地域は、テライ低地のNawalparasi郡Parasi東方の水田地帯である。本研究は、ヒ素汚染地域北方に連なる山地から流下する河川流域全体を対象とした。今回の研究は机上調査のみで、ネパールSurvey Departmentが1993年に発行した1/25000地形図と、その測量のために1990年に撮影した1/50000空中写真を使った。地形図(等高線間隔10m、補助曲線間隔5m)から作成した地形断面図(第1図)によると、本地域は地形的に、山地、山麓緩斜面、平地に分類できる。ここの山地は、広くはシワリク丘陵、ネパールではチュリア丘陵とよばれるヒマラヤ前衛の山地で、平地とは衝上断層によって区切られている。断面図では、平野とは勾配が著しく、急激に異なっていることがわかる。山麓斜面は土石流によって形成された沖積錐によって構成されている。空中写真では山地上方の崩壊地から続く土石流跡が多くみられる。平地は扇状地および蛇行原から構成されている。しかし、河川は穿入蛇行し、平地全体が段丘化している。この地域の沖積錐や扇状地は日本で見られるものより勾配が緩い。これは堆積物の粒径が小さいためではないかと考えられる。その原因として背後の山地が第三系の砂岩・泥岩で構成されており、生産される土砂がboulderサイズから、急激にsand・siltサイズに変わるためではないかと考えられる。このことはヒ素が検出される砂層の帯水層形成にも影響を与えている可能性がある。
  • 田中 靖, 井上 信
    セッションID: P056
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     海岸域には,海成段丘に代表されるように,第四紀後期における10万年周期の海水準変動や地殻変動などを反映した地形が発達している.海岸域の地形変化は内陸の地形にも伝播するため,その地形変化を10万年スケールで予測する技術は,日本の地形発達過程を議論するうえで重要である.しかし地形は,地殻変動や気候・海水準変動,侵食・堆積など,地形変化に影響する様々な要素の相互作用の結果として形成されたものであり,将来の地形を実際のプロセスに即して予測することは容易ではない. このような長期間に及ぶ地形変化を予測する方法の一つに,コンピュータによる数値シミュレーションがある.地形学において,これらは一般的にLandscape Evolution Models (LEMs),日本語では「地形発達シミュレーションモデル」などと呼ばれ,理論地形学や地形プロセス学の研究成果の上に成り立つものである. 本研究では,田中(2011)で提案したLEMsを本研究の目的に合わせて再構築した.具体的には,現在一般に受け入れられている地形変化に関する方程式,過去の海水準変動曲線のデータ,正方形メッシュの数値標高モデル(DEM)を用いて,第四紀後期における氷期-間氷期サイクルの約2周期程度の期間における地形変化を表現することが可能なシンプルで汎用性の高いLEMsを構築した.これを用いて,実在する海岸域の地形に対してシミュレーションを行った結果を紹介する.
  • 石黒 聡士, 山田 勝雅, 山北 剛久, 山野 博哉, 松永 恒雄
    セッションID: P057
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
    浅海域の生態系や水環境の動態を推し量るうえで、生物群の生息場の役割を果たす海草・海藻類をはじめとする海中基質の分布を正確に把握することが重要である。海藻・海草類をはじめとする海中基質の分布調査は潜行による直接調査のほかに、航空写真や衛星画像等の画像を用いた教師付分類手法など、リモートセンシングによる分布の傾向の把握手法が提案されている。
    しかし,水域の画像解析による基質の把握は,陸域のそれとは異なり、色調の変化が水深に大きく拘束されるため,色調変化の補正が必須となる。特に、船舶が侵入できない浅海域においては正確な水深を面的に効率よく計測することが困難であるため、水深による色調の補正が難しく、従来は水深による色調の変化が誤分類の大きな要因となっていた。
    国立環境研究所は平成24年11月から12月にかけて東北沿岸の一部において航空機搭載型ライダ(LiDAR)による測深を実施した。本研究では、航空機搭載型測深LiDARにより得られた細密な海底地形を用いて航空写真の色調を補正し、浅海底の被覆分類を試みたので報告する。本研究は平成24年度補正予算、独立行政法人産業技術総合研究所「巨大地震・津波災害に伴う複合地質リスク評価」事業の一部として実施されている。

    2.航空機搭載型測深LiDAR
    航空機搭載型測深LiDARは緑色の波長(532nm)のレーザを海面に照射して海底面からの反射をとらえることにより海底地形を計測する技術である。航空機はGPS/IMUを搭載しており、レーザ照射時刻と反射波の時間差から、反射地点の3次元座標が決定される。このときの座標系はWGS84に準拠しており、鉛直方向は楕円体高である。したがって、データ取得後にジオイド高補正し標高を算出する。これにより従来は効率的な海底地形計測が困難であった水深0m~十数mの浅海域において、面的に効率よく計測することが可能である。このシステムを固定翼機(セスナ208)に搭載し、レーザ照射による人体への影響を考慮した安全高度を維持して観測飛行を行う。
    このシステムは各点における反射波形を記録している。さらに、観測飛行中に毎秒1枚の8ビットRGB画像を撮影するカメラ(RedLake)を搭載している。このカメラの解像度は1600×1200画素で地上分解能は約0.4m/画素(飛行高度3000 ft時)である。なお、観測飛行は中日本航空株式会社によって実施された。

    3.対象地域と計測および分類手法
    本研究の対象地域は岩手県山田湾の小島周辺である。この地域は平成23年東日本大震災の前から現地調査が続けられている。震災により東北の多くの湾内で藻場が消失するなどの環境変化が起こった中にあって、震災後も藻場が消失することなく分布していることが確認されており、浅海域の生態系や水環境の動態を理解する上で貴重なサイトである。
    当該地域の観測は平成24年11月30日に実施された。観測結果(水深データによる陰影図およびRedLake画像)を図1に示す。
    本研究ではまず、1)RedLake画像を用いた教師付分類法による底質分類、2)細密水深データによる色調補正を施した画像を用いた教師付分類法による底質分類を実施する。2)の色調補正はdark pixel法による大気補正をした上で、Yamano and Tamura (2004)による手法を用いて水深による色調補正を行う。なお、本研究で使用した画像と水深のデータから簡易的に推定したR,G,Bの減衰パターンを図2に、また、これによって色調補正した結果を図3に示す。
    これらによって得られた画像を用いた分類結果を、現地調査によるグラウンドトゥルースと比較することにより評価する。現地調査は2012年10月に実施した。

    4.結果と今後の計画
    本研究では細密な浅海海底地形データを用いて航空写真の色調を補正して分類を行った。その結果、補正前の画像に比べて誤分類の確率が減少することを確認した。今後、色調補正の手法を精緻化することにより、さらに正確な分類が可能になること考えられる。
    また、航空写真の画像判読と現地調査結果および細密海底地形データの範読から、局所的に凹凸が激しい領域が藻場である可能性が高いことが分かった。今後、地形の凹凸度合いを指標化し、新たな画層としてRGBに追加して教師付分類や、各点で記録された反射波形を指標として考慮した分類手法を試みる予定である。

    参考文献
    Yamano, H. and Tamura, M. 2004. Detection limits of coral reef bleaching by satellite remote sensing: Simulation and data analysis. Remote Sensing of Environment 90: 86–103.
  • 山田 誠, 浜崎 健児, 熊木 雅代, 高村 仁知, 高田 将志, 和田 恵次
    セッションID: P058
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    紀伊半島は、2011年の台風12号による甚大な豪雨災害に見られるように、数年に一度は台風が通過し被害をもたらすような地域である。また、日本でも有数の多雨地域である大台ケ原を含む紀伊半島中部と南部は、年間を通して非常に多くの雨が降り、年間降水量は4000mm以上にも達する。このように、非常に多くの降水が供給され、それらが河川を通じて海に排出されている活発な水循環の場であるにもかかわらず、紀伊半島の水に関する研究、特に河川水の水質に関する学術的な研究例はあまり多くない。さらに、紀伊半島は、人口密集地や農地を多く含む北部地域から、流域のほとんどが森林で形成される南部地域まで、人為的な影響を含めた多種多様な陸域の環境を有しており、水質を形成する環境としてはバリエーション豊かな地域である。我々はこのような様々な環境を有する地域で、河川水の溶存物質の量に表層環境がどのような影響を与えているのかについて明らかにするために、河川水の化学分析を行い、成分組成と陸域表層環境データとの関連性を解析した。試料の採取は2012年4月から6月にかけて紀伊半島西部から南部の17河川で行い、主要溶存化学成分の分析を行った。陸域表層環境の抽出にはArcGIS10(ESRI社)を用いた。解析には土地利用細分メッシュ(100mメッシュ)(国土交通省)・数値標高モデル10mメッシュ(標高)(国土地理院)・アメダスデータ(気象庁)を用いた。また、水質調査した河川のうち8河川について、和歌山県県土整備部河川・下水道局河川課が所有する流量データを解析に用いた。紀伊半島の河川水質の分布に次の特徴がみられた。(1) 河川水質は地域ごとに3つのパターンに分類される。(2) 南部の河川水の重炭酸濃度は著しく低く、それに伴って岩石由来の化学成分濃度も低くなっている。流量データが得られた河川の流域で、河川水に対する単位面積あたりの重炭酸供給量を見積もった。南部地域の重炭酸供給量は他の地域よりも少なく、この地域は河川水に炭酸成分を供給しにくい地域であることが示唆された。一方、全調査対象河川の重炭酸濃度と表層環境との間には、流域平均年間降水量、流域平均傾斜および森林面積割合に強い負の相関関係があることが明らかとなった。重炭酸濃度が低い南部の流域は単位面積当たりの重炭酸供給量が少ないことから、紀伊半島南部の流域では、降水量・傾斜・森林割合が陸域の水に対する重炭酸供給量に影響をあたえ、河川水の溶存成分の低濃度化を引き起こしていることが示唆された。現在、北・中部地域や栄養塩等の人為由来の化学成分についても、流域の流出量と表層環境との関係の解析を行っている。発表ではこれらを総合して、紀伊半島の表層環境が流域の水と物質の循環に与える影響について議論する。
  • - 北海道尻別川流域を対象に -
    小林 修悟, 小寺 浩二
    セッションID: P059
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    北海道尻別川は日本有数の清流として知られ、羊蹄山による湧水をはじめ河川と人々の暮らしは密接に関わっている。尻別川関する水質観測は行われているが、流域全体を対象とした水質解明は成されていない。本研究では2012年5月~2013年3月にかけ奇数月下旬に水質調査を行った。地点は本流、2次流以上の支流、湧水を含む50地点程で水質の季節変動を観測した。調査結果から尻別川はNa-HCO3型の水質を示し、下流にかけて溶存物質は増加する。支流にはイオウヌプリに起源するSO4-が卓越する酸性河川や、羊蹄山南部ではHCO3が多く含まれ弱アルカリ性を示すものなど、流域内には多様な河川が存在し地質との関係が見られた。また、融雪期には希釈現象がみられたが、羊蹄山湧水をはじめとする基底流出による供給が多く、顕著な変化は見られなかった。今後はGISを用い小・中流域ごとでの負荷量を算出し、水質形成機構について更なる解明につなげたい。
  • 東城 文柄, 小林 繁男
    セッションID: P060
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     本報告では、東南アジアにおける土地被覆・土地利用の多様性の定量的な評価を目的として、2005年のMODIS(Terra Moderate Resolution Imaging Spectro radiometer)画像のNDVIの季節変動パターンを分析し、土地被覆・土地利用分類を試みた。具体的には、8日間合成MODIS画像のNDVIの季節変動を多年度分析した結果(Tojo et al. 2011)に基づいて、3時期/32日間合成画像データを用いて、東南アジア大陸部の土地被覆(各種の森林タイプ、水田、耕地、水域等)と土地利用(稲作の作付け回数など)の差異が検出できるか試みた。 表1は、作成した分類図の分類クラスのうち、比較的森林被覆率の高い土地クラス(Closed Forest)と劣化した森林または疎林地(Degraded and Sparse trees)に該当するものを選択・統合したうえで、地球地図(ISCGM)の樹木被覆地図(Tree Map)データやFAO統計値と比較した結果である。バングラデシュに関する結果に注目すると、FAO統計値と比較して、本研究の推定値がよく一致している(+0.9%)のに比べて、ISCGMのデータを集計した結果は森林被覆率が過大になっていたが(+15.7%)、これにはISCGMのデータにおける同国北部の広大な浅水域と森林の誤分類が大きく影響していた(図1)。本研究の方法は、このように広域の森林分布の正確な評価に有効な見込みが大きい。更に異なる作付け体系の稲作地の分類などにも有効性が見られ、今後の更なる研究を要する。
  • 濱田 浩美, 中村 圭三, 駒井 武, 大岡 健三, 谷口 智雅, 谷地 隆, 松本 太, 戸田 真夏, 松尾 宏
    セッションID: P061
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本研究では、テライ低地のナワルパラシ郡パラシの東西約6km、南北約10kmの地域で、地域内に散在する全ての集落で各2箇所以上の井戸を調査地点とした。調査は、2012年8月19日から24日の6日間実施し、各井戸では水温・pH・EC・ORP・DO・簡易AS、採水のほか、測定できる井戸では地下水位、井戸深度を測定した。また、採水した試水は、アルカリ度を現地ホテルで測定し、その他の項目は日本に持ち帰り、イオンクロマトグラフおよびICPM-8500で分析した。 今回の調査で測定できた井戸は、25ワード(集落)の中の55本であり、うち浅井戸の開放井戸は17本であった。この地域の井戸は伝統的な開放井戸と15年ほど前から掘削の始まった打ち込み井戸に分類される。開放井戸の掘削深度は10m未満で今回の調査における地下水面標高は101.64mから114.35mでその差は12.75mであった。この時期は雨季であるため、湛水深は乾季の0.4~4.35mと比較して大きく、1.61m~7.80mであった。打ち込み井戸の深度は実測できないが、聞き取り調査の結果、5.4~52.5mと多様である。現地観測で得られた簡易測定による最高ヒ素濃度は、Aharauli (No.28)における400ppbである。この集落では他の井戸でも500ppb以上の値が得られており、この地域が高濃度ヒ素地帯であることを示している。また、少し距離をおいたKachanhawa(No.11)とKunawar(No.12)では350ppbの井戸があるほか、Khokharpurwa(No.4)、Suryapura(No.5)のワードでも300 ppbの井戸が存在していた。この地域の地形は平坦で地下水流動は極めて小さく、東西方向に高濃度のヒ素を溶出する地質が存在していると考えられる。この地域の帯水層は数m~6m付近の浅層地下水、12~23m付近の第2帯水層、30~50m付近の第3帯水層に分類できることがわかった。この中で浅層地下水の第1帯水層のヒ素濃度は10~100ppbとかなり低い。また、第3帯水層は0~25ppbと極めて低い濃度であった。一方、第2帯水層では10~400ppbの濃度を示し、この地域の汚染された地下水は第2帯水層に限定されていることを示した(図1)。対象地域のDO飽和度は18~121%の範囲を示し、平均では39%で極めて嫌気的な状態であった。同時に測定した酸化還元電位は-150~214mVの範囲で、平均で-6.3mVを示した。このように還元状態の帯水層が広範囲に分布していることは、この地域の地質が極めて還元性の高い状態であることを示した。電気伝導度(EC)は188~2140μS/cmの範囲で比較的高い値を示した。ECの大きな値の井戸はほとんどが開放井戸で、この地域の浅層地下水の汚染を示唆した。汚染の原因はほとんどの家で牛を飼育していることから、その糞尿が雨水とともに浸透しているためである。TNは20mg/L、NH4+は5mg/Lを超える井戸もあり、汚染は深刻である。第3帯水層の井戸ではTN、NH4+は検出されず、ECも700μS/cm程度と汚染の影響はないと考えられる。
  • 谷口 智雅, 濱田 浩美, Bhanu B.Kandel, 岡安 聡史
    セッションID: P062
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    高濃度のヒ素が検出されるテライ低地のナワルパラシ郡パラシの東西約6km、南北約10kmの地域において、地下水の動態とその利用の実態を把握するために、地下水調査を実施している。この地域における生活用水の水源の多くは地下水に依存しており、各家庭で掘られた井戸や共同井戸から地下水が汲み上げられている。井戸は伝統的な開放井戸と15年ほど前から掘削の始まった打ち込み井戸に分類されるが、その多くは打ち込み井戸が中心で、開放井戸の数や分布は限られている。本発表では、対象地域におる開放井戸について報告する。 調査地域内の25の集落を対象に地下水調査を実施し、各集落において開放井戸、掘り抜き井戸1か所を原則とし調査を行っている。その過程の中で聞き取り調査により集落内の開放井戸の有無について調査を行った。調査は2012年3月2日~6日、8月19~23日に実施した。観測項目として、現地において井戸の形状・大きさ・地下水位・ヒ素濃度・水温・pH・EC・ORP・DO等を測定した。その結果、開放井戸のある集落は未使用と見られる4つを含む15集落で、Mahuwa(地点8)については集落内に2つの開放井戸が存在していた。聞き取りによる井戸の作成年は150~200年前と回答した井戸が11箇所と非常に古くから設置されている。井戸の形状はAtharahati(地点2)の正方形、Khokharpurwa(地点4)の五角形を除き、円形である。また、Goini(地点26)の井戸は井戸自体が円形だが、前方後円噴のような型どりになっている。2012年3月の観測結果に基づく井戸概観において、井戸枠高は0.00~0.95mで、地盤高と同じ高さを除く、井戸枠の高さの平均は0.43mである。井戸底までの深さは、Mahuwa(地点8)の9.3mが一番深く、一番浅いのは井戸枠も崩れて未使用井戸であるPipara(地点9)の2.55m、使用されている井戸の中ではGoini(地点26)の3.40mであった。井戸底までの深さの平均は6.02mである。 2012年3月における地下水面までの深さは2.15~6.55m、湛水深は0.4~4.35mであった。8月の地下水面までの深さは0.94~4.73m、湛水深は1.61~4.22mであり、3月の乾季における湛水深が小さくなっている。地下水面は、乾季(3月)より雨季(8月)の方が低く、湛水深でSarawal(地点21)の4.9m差が最大、最小でManari(地点27)の0.69m、平均は1.76mであった。浅層地下水の流動形態は、地下水等高線図として示すことが有効であるが、地下水面計測および対象地域の地形や地質構造の把握が不十分なため、今回は示すに至っていない。
  • 浅田 晴久, 坂井 大作, 松本 淳, 竹内 渉
    セッションID: P063
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
     ブラマプトラ川の下流域に位置するバングラデシュとインド・アッサム州では主要作物として稲が栽培されている。降雨・河川氾濫による水供給が期待できるため、両地域ともに伝統的に雨季に稲が栽培されてきたが、近年バングラデシュでは乾季稲作(ボロ稲)の栽培面積が急激に拡大している。特に大規模な洪水が発生した1988年、1998年、2007年にボロ稲面積が灌漑面積を上回って拡大していることから、筆者は洪水後の余剰水を利用することで直後の乾季に灌漑を用いないボロ稲の栽培が可能になるのではないかと考えてきた (Asada 2012)。一方で上流側のアッサム州でも同じ年に洪水が発生しているが、ボロ稲はほとんど導入されておらず、モンスーン変動の影響を受けやすい雨季作のみ栽培されている地域が圧倒的に多い。
     本研究では、(1) バングラデシュのボロ稲面積拡大に洪水の余剰水が関係しているのか、(2) なぜアッサム州ではボロ稲が拡大しないのか、について衛星画像を基に作成された高分解能地表水データを用いて考察する。

    2.使用データ
     本研究で使用する地表水データ (Land Surface Water Coverage; LSWC) は可視赤外センサ (MODIS) とマイクロ波放射計 (AMSR-E) の情報を組み合わせることで、10 kmの空間分解能で2003年から2010年まで毎日の冠水率を計算したものである。今回は稲作統計と比較するためにLSWCの冠水率を県単位に集計した値を用いた。さらにAPHRODITE’s Water Resources (Yatagai 2012) にて公開されている日雨量データも県単位に集計して用いた。
     バングラデシュ、アッサム州の統計資料として、洪水被害面積データ、稲作付面積データ、灌漑面積データを現地機関から入手して用いた。ただしアッサム州各県の灌漑面積データはほとんど整備されていない。データが利用できる期間の制約により、本発表では2003年から2009年までを解析対象とする。

    3.結果と考察
     LSWCデータは地表水の季節変動を再現しているが、河川や湖沼も含むために、そのまま扱うことは難しい。そこで長期平均値からの偏差をとり洪水被害面積データと比較したところ、雨季の冠水率偏差と洪水被害面積が対応することが分かった。また複数の県で乾季の2月に冠水率が一時的に上昇する傾向が見られたが、これはボロ稲の作付面積に対応することが分かった。しかしボロ稲面積と2月の冠水率との関係は、バングラデシュ沿岸部県、バングラデシュ北東部県では他県と異なる傾向が示された。
     次にバングラデシュとアッサム州の対象43県について、冠水率の長期平均値を基にしてクラスター分析を行ったところ、5つの地域に分類されることが分かった。バングラデシュ沿岸部(クラスターI)、バングラデシュ東部(同II)、バングラデシュ北西部からアッサム西部(同III)、バングラデシュ西部とアッサム中東部(同IV)、アッサム丘陵部(同V)と、ブラマプトラ川下流域から上流域に向かって冠水率とボロ稲比率は漸次的に減少している。各クラスター間の降雨量に大きな差はなく、マクロスケールでは地形条件が冠水率を規定していると考えられる。
     さらにバングラデシュの対象20県について、雨季の冠水率偏差が大きい年を抽出し、当該年のボロ稲の変化傾向を調べたところ、特にクラスターⅡの地域で灌漑面積を上回るボロ稲面積の拡大が見られたが、クラスターⅣの地域でも洪水後の余剰水増加とボロ稲面積の拡大が確認された。つまり元々地表水が少ないバングラデシュ西部県でも洪水後の余剰水がボロ稲面積拡大に効いている。同型の地表水変動を示すアッサム中東部県でボロ稲が拡大されないのは、余剰水が生じにくい地質構造に加え社会経済的条件の制約が効いている可能性も考えられる。
  • -シルダリヤ上流域・イシククル湖を中心に-
    齋藤 圭, 小寺 浩二
    セッションID: P064
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    大陸における水環境は地球環境システムの解明にとって極めて重要である。中でも、ユーラシア大陸はその大きさから地球環境に及ぼす影響が大きい。中央アジアはユーラシア大陸の中央部に位置し、大陸の水環境の根幹を担っている。中央アジアの中でも、キルギスは大河川の水源を有す一方、灌漑による塩害、農薬、工場・観光地からの排水による汚染が懸念されている。法政大学では、古くから中央アジアでの研究がなされており、対象地域はタクラマカン砂漠・チベット・アラル海など多岐に渡るものの、キルギスにおける研究は数が少なく、まだまだ不十分だと言える。本研究では、キルギス東部にて河川や湖を中心に水を採水し、水質分析を行った。河川は全体的にCa-HCO₃型で浅層地下水タイプの水質だった。一方、内陸湖であるイシククル湖はNa-Cl型に近いイオン構造だった。これは、乾燥による水の蒸発によって濃縮されたものだと言える。しかし、イシククル湖とその流入河川とでは主要溶存成分の構造が違うことが疑問に残る。そこで、今後は河川の他に地下水や温泉水を中心に分析を行い、イシククル湖周辺の水環境の解明を行っていく。
  • 梶山 貴弘, 藁谷 哲也
    セッションID: P065
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1 はじめに カラコラム山脈は,アジア内陸部のなかでも大規模に山岳氷河が発達する地域のひとつである.カラコラム山脈北西部のフンザ川流域には,1,322の氷河が認められ,とくに中・下流域において大規模な谷氷河や岩屑被覆氷河(D型氷河)が発達している(梶山・藁谷,2012).しかし,この地域における最近の氷河変動は,十分に明らかにされていない.そこで本研究は,カラコラム山脈北西部のフンザ川中・下流域において,最近の氷河の末端変動を明らかにすることを目的とする.そして,最近の氷河の末端変動のパターンと氷河の形態的特徴との関係を考察する. 研究対象地域としたフンザ川流域は,インダス川の支流で,パキスタンの北部に位置する.山稜の標高は,上流域が約5,000~6,000m,中・下流域が約7,000~8,000mである.中下流域 の山稜と谷底との比高は,最大6,000mに達する.2 解析のデータと方法 氷河の末端変動を明らかにするため,本研究では3時期の衛星画像を判読して,Ⅰ期;1990年と2000年の変化,Ⅱ期;2000年と2010年の変化を比較するとともに,それらの変動パターンについて分析した. 使用した衛星画像は,1990年前後(1989年,1992年)の「Landsat TM(分解能:30m)」,2000年前後(1999年,2000年,2001年)の「Landsat ETM+(同:15m)」,2010年前後(2009年,2010年)の「ALOS AVNIR-2(同:10m)」および「Terra ASTER(同:15m)」である.2010年の衛星画像は,2000年の「Landsat ETM+」を基準として幾何補正を施した. 氷河の末端変動は,前進,停滞,後退の3種類に分類した.ただし,衛星画像の空間分解能および判読誤差を考慮して,氷河の末端位置がⅠ期では40m未満,Ⅱ期では20m未満,それぞれ変化する場合は停滞と認定した.3 氷河の末端変動 研究対象とした氷河数は,277氷河である.このうち,判読することができた氷河数は,Ⅰ期が90氷河,Ⅱ期が211氷河であった.解析の結果,Ⅰ期における氷河の末端変動は,前進39(43%),停滞41(46%),後退10(11%)であった.またⅡ期は,前進24(11%),停滞87(41%),後退100(48%)であり,全体として後退または停滞する氷河の割合が高くなっていた. これら氷河の末端変動を詳細に分析するため,フンザ川流域の氷河台帳(梶山・藁谷,2012)をもとに,氷河表面の岩屑被覆の有無と氷河の末端変動との関係を分析した.その結果,裸氷氷河(C型)においてⅠ期(40氷河)は前進22(55%),停滞17(43%),後退1(2%)で,Ⅱ期(120氷河)は前進8(6%),停滞45(38%),後退67(56%)であった(図1).一方,D型氷河において,Ⅰ期(50氷河)は前進17(34%),停滞24(48%),後退9(18%)で,Ⅱ期(91氷河)は前進16(18%),停滞42(46%),後退33(36%)であった(図2).これらから,C型氷河はⅠ期に前進する氷河が,Ⅱ期に後退する氷河の割合がそれぞれ高かった.一方D型氷河は,Ⅰ期およびⅡ期において,さまざまな変動を示した.4 氷河の末端変動のパターンと氷河の形態的特徴 C型氷河(40氷河)は,Ⅰ期に前進,Ⅱ期に後退を示す変動のパターン(53%)の割合が最も高く,その逆のパターンは認められなかった.これに対してD型氷河(50氷河)は,全ての変動のパターンの組み合わせ(9パターン)が認められた.D型氷河における最も割合の高いパターンは,Ⅰ期に停滞,Ⅱ期に停滞を示す変動のパターン(34%)であり,Ⅰ期に前進,Ⅱ期に後退する変動のパターン(24%)とⅠ期に後退,Ⅱ期に前進する変動のパターン(10%)も認められた. これらのことから,氷河の末端変動は,氷河末端を覆う表面岩屑の被覆程度によって異なることが推測された.また,気温変化に敏感と考えられているC型氷河の末端変動から,Ⅰ期は気温の低いまたは降雪量の多い時期で,Ⅱ期は気温の高いまたは降雪量の少ない時期であったと推察された.
  • -マウエスの一農場における土地利用と水文環境-
    宮岡 邦任, 吉田 圭一郎
    セッションID: P066
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめにブラジル・アマゾン川流域では,熱帯林伐採による農場開発などにより,土地利用形態が大きく変化しているところも多くみられる。伐採後に農場として開発されたところの土地利用は,草地,ガラナなどの畑地,居住地,二次林など様々である。このような土地利用形態の変化は,局地的には水循環や水質をはじめとした地域環境に影響を及ぼしていることが考えられる。本発表では,アマゾン川中流域のマウエス近郊に位置する農場において,地形・地質,乾季における地表水および河川水の物理化学的特性についての調査結果を報告する。2.地形・地質の概要 研究対象の農場が位置するマウエスは,アマゾン川の中流域,ブラジルのパラ州に近いアマゾナス州の東端に位置する。大部分の地域で雨季と乾季があり,季節によって水に覆われる面積は大きく異なる。1年を通して水域や湿地の状態を維持している地域は河川近傍に分布する程度であり,それらの地域の周縁部に季節的あるいは数年に一度水没するヴァルゼアとよばれる低地が広がる。浸水の影響を受ける低地は,アマゾン盆地全体のうちの約5%程度であり,第四紀完新世の堆積物である。一方,ヴァルゼアの外側に分布する白亜紀後期から第四紀更新世にかけて堆積盆地に形成された台地はテラフィルメとよばれている。水面からの比高は対象地域では最大10m強で,台地面は緩い起伏を呈している。地表水は非常に乏しく,地下水面までの深さも台地であるため深く農場内に設置されている井戸の地表から地下水面までの水位は,乾季の始まりにあたる8月下旬で約8mであった。土壌は貧栄養のラトソルが分布しており,地表付近に腐植土層はほとんど発達していない。3.研究方法 農場において土地利用が異なる部分を通るように,河川の水際からテラフィルメを横断し反対側の水際までの約400mの測線を設定し,簡単な地形測量を行い地形断面図を作成した。対象とした土地利用形態は,二次林,ガラナ畑,草地,居住地,裸地である。測線に沿って上記の土地利用の下流にあたる水際付近に,深度の異なる観測井戸を6本設置し,地下水位,pH,水温,電気伝導度を測定するとともに,10mlの採水を行った。また,水際から河川沖合の深度2m地点まで,深度0.5mごとにpH,水温,電気伝導度を測定し,10mlの採水を行った。採水した試水は,主要8元素について溶存イオン分析を行った。4.結果および考察 対象地域の地質については,共通してラトソルが堆積していることから,同じ帯水層中を流れる地下水の水質が測定地点によって異なった場合,地表面環境の影響が地域的差異を生んでいると考えることができる。今回測定したそれぞれの土地利用条件の下流側における地下水の水質に,顕著な地域的差異が認められた。居住地やガラナ畑の下流側で水質が高く,二次林や最も内陸部に設置されている井戸の水質が,相対的に低かったことから,深刻な値でないまでも人為的な影響が現れていることが考えられた。さらに,水域における水質は深層部で若干水質が高い深度がみられる場所が存在した。このことは,地下水の流出口として河床から選択的に地下水が湧出していることを示している。 付記 本研究は科研費 基盤B(課題番号23401039 代表:丸山浩明)の一部である。
  • 確率分布図の作成に向けて
    山橋 いよ
    セッションID: P067
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    モンゴルでは、北部の連続帯から南部の点在帯へと永久凍土分布域が南北傾度で漸減し、永久凍土の有無はローカル地形起伏や植生被覆などに大きく依存している。よってこの地域での永久凍土分布図の作成には、このようなローカルな環境因子を反映させなければならない。 本研究では、ハンガイ山脈周辺 (N46–49°, E96–102°) を対象地域とした。この山脈の北部では、森林が北向き斜面にモザイク状に分布している。一方、南部には森林は分布しない。また、1280mから4020mまでの大きな標高差がある。これら植生・地形の多様性と永久凍土分布の関連を明らかにすべく、現地観測地と地理情報学的手法(GIS)を併せた研究を進めている。 2012年7月19日から8月13日にかけて摂取した、モンゴル国内の127地点の1m深地温データを用いる。また36地点のボアホール永久凍土温度観測データ(BH観測データ)を用いる。他にも、DEMデータ、気象データを使う。 まず1m深地温から下部の永久凍土の有無を判断した。判定においては、50cm地温法 (Fujii and Higuchi, 1976; Fujii et al., 1999) の概念を用いた。また凍土が存在するBH観測データの1m深地温の情報を基にし、判定基準を設けた。次に、凍土「有」地点の環境条件を、GISのSpatial Analystを用いて調べた。凍土の存在に関係する説明変数を導き、ロジスティック回帰モデルにあてはめていく。  1m深地温が9℃以下で凍土「有」、13℃以上で凍土「無」と判断された。草原における1m深地温は、標高と関係があった。しかしN49°以上では緯度による気候的支配が大きくなり、その関係は見られなかった。 森林下の地温は全ての地点において低く、凍土「有」と判断され、森林は凍土の存在に重要な要素であると言える。また森林の1m深地温は、緯度と負の相関があった。凍土「有」と判断される大部分の地点で1m深の土壌は湿っていた。 以上より現在、標高・森林・集水指数や日射等の地形因子を基に、環境因子と1m深地温の関係を調べている。本学会発表ではその進捗結果を紹介する。
  • 水野 一晴
    セッションID: P068
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    南アルプスの「お花畑」の植生について、1981-82年の調査と2011-12年の調査結果を比較し、その30年間の変化とその要因を検討する。
    三伏峠(2620m)の「お花畑」の植生は、1991-92年にはシナノキンバイ、ミヤマキンポウゲが優占し、他にカラマツソウ、ハクサンフウロ、タカネグンナイフウロ、ハクサンチドリ、マルタケブギ、ミヤマシシウド、オオカサモチなどが分布していた。しかし、2012年にはシカによる食害でかつての植生が破壊され、「お花畑」は柵で囲まれて保護されていた。柵の外ではバイケイソウが全体の50-70%を占め、その他にはホソバトリカブトやシロバナヘビイチゴなどが分布していた。バイケイソウやホソバトリカブトはシカが食べない植物であると考えられる。
    聖平(標高2370m)の「お花畑」の植生は、1991-92年にはニッコウキスゲが優占していたが、2011年には、保護されていた柵内でニッコウキスゲはわずかに見られるのみで、柵の外ではバイケイソウが30-50%を占め、他にホソバトリカブト、イワオトギリ、ミヤマキンポウゲなどが分布していた。
    北荒川岳横(標高2650m)の「お花畑」は、1981-82年のときは、7月下旬にシナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ、タカネグンナイフウロなどが優占して開花し、8月になるとマルバタケブギが一面開花していた。しかし、2012年7月下旬には、70-90%を占めていたのはマルバタケブギであった。このように、三伏峠や聖平、北荒川岳横など、森林限界(標高約2650m)以下の「お花畑」の植生はシカによる食害の影響を大いに受けていた。
    一方、聖岳山頂と奥聖岳山頂の間の稜線にある線状凹地(標高2900m)の2011年の植生は、チングルマやガンコウラン、ミネズオウ、アオノツガザクラが植被率10-30%と優占し、他にコイワカガミ、タカネヤハズハハコ、ウサギギクなどが分布し、その植生は1981-82年の植生とほぼ同じであった。このことからシカによる食害は近年、森林限界付近まで影響が及んでいると考えられる。
  • 池田 敦, 岩花 剛, 末吉 哲雄, 西井 稜子, ミロノフ ヴァシリー
    セッションID: P069
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    目的と方法 本研究の目的は、富士山の永久凍土の現状を解明し、その地温変化をモニタリングすることで、将来的に気候変化と火山活動の影響評価につなげることである。山頂部一帯で2008年から2地点の3 m深観測孔と20地点の表層(<1.2 m)の地温を通年で観測してきた。また、物理探査を行い、さらに2010年8月には深さ約10 mの地温観測孔を掘削した。2012年には、1969年まで火山性地熱活動が地表面において特定できた地点で、新たに深さ3.6 mの観測孔を掘削した。結果と考察 火山礫層と溶結層の互層に掘られた10 m深観測孔では、落雷により観測初年度のデータが欠落したが、2年度目になって通年の地温変動を示すデータが得られた。深さ1 mまでは夏季に融解したが、その下には年平均地温が-3℃前後の永久凍土層が確認された。これは実質的に富士山初の永久凍土の通年観測記録である。地温がかなり低いことから、その永久凍土は近年あるいは近未来の気候変動によらず長期的に維持されると考えられる(火山性の地熱活動が変化すれば、そのかぎりではない)。同地点は風衝地に位置しているため冬季に効果的に冷却されることと、夏季の降雨浸透による熱伝達がほとんど生じていないことがその低温状態を形成していた。また、同様に風衝地にあり、わずかに北を向いた3.6 m深の新観測孔では、季節的融解深が70 cmと非常に浅く、浅層にはすでに火山性地熱の影響が残っていないようであった。その他、山頂北面や西面の深さ約1 mの観測孔2地点でも同様の地温変動が観測された。 一方、同じく風衝地にある砂礫層中の3 m深観測孔では、2008年以降、秋季に必ず全層が融点を上回った。とくに9~10月の大雨(台風等)に伴って深部で地温が急激に上昇することが観測され、年によっては地温が0℃を大きく上回ることから、その地点には永久凍土が存在しないと考えられた。同様の昇温パターンは、別の1.2 m深観測孔や風背地2地点(3 m深と1 m深まで)でも観測された。融解期の地温変動が場所により2パターンに異なることは、難透水層の空間分布が不均一なためと考えられ、急激な昇温パターンが 観察された地盤は、透水性が非常によいと思われる。山頂火口周辺の風背地3地点のいずれにおいても、初夏には相対的に遅くまで残る積雪によって地温上昇が抑制されていたが、冬季の積雪によって地温低下がそれ以上に抑制されていた。つまり、風背地となる北東向きから東向きの斜面と、吹きだまりとなる顕著な凹状地には、おそらく標高によらず永久凍土がほぼ存在しない。 北斜面10地点、南斜面5地点の風衝地の地温データは、各方位において地表面温度の高度逓減率が気温の逓減率と概ね等しいことを示した。また、南斜面と北斜面の地表面温度を比較すると、同一標高の年平均地表面温度が北斜面で-2.5℃低かった。その温度差は日射量の差に起因すると考えられ、地表面の方位と傾斜から日射量の年間ポテンシャルを計算することで、積雪がほとんど無視できる場合の地表面温度の空間分布は推定できた。地下構造の異方性が大きいため、それのみで永久凍土分布を議論することは難しい。しかし、0.5 m深の年平均値が0℃を下回る標高が、北斜面において3100 mにあり、対応する年平均地表面温度-1~-2℃の場所が永久凍土帯下限のひとつの目安になると考えられた(富士山のように、地表付近の温度勾配が深部に向かって正の場合、浅層の年平均地温が0℃を上回る場所に永久凍土が存在する可能性は低い)。南斜面ではその温度帯が標高3450~3600 mにある。また、永久凍土帯の下限は、降雨の下方浸透が生じにくい(=昇温しにくい)地盤で構成されるはずであり、その下限の変動は気温変動に線形に応答すると予想される。測候所の気温記録から算出される積算暖度(夏季融解深の指標)は、1966~1997年が480±60℃・days(平均値±1σ)であったが、1998~2012年の最近15年間は580±50℃・daysとなり、90年代後半を境に顕著な温暖化を示している。同じ期間の年平均気温の平均値を比較すると0.7℃の昇温であり、それによって永久凍土帯下限は標高差100 m程度上昇する(現在、上昇中)と見込まれた。
  • 万 含帥, 坂上 伸生, 渡邊 眞紀子
    セッションID: P070
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では、低pH下で塩基が溶脱するために低栄養であり、かつ生物毒性をもつAlイオン含量が高くなる日本の森林土壌を対象として、一次鉱物の風化強度や特徴観察を通して土壌鉱物の細孔の存在およびそれらが共生菌の菌糸の貢献といえるかどうか検討。そのために、土壌の性状、植生分布、菌の活動などとの関係を調べ、一次鉱物の生物風化作用における共生菌の関わりについて考察する。
  • 吉田 真弥, 加藤 早百合, 坂上 伸生, 渡邊 眞紀子
    セッションID: P071
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では、ブナの生育と土壌性状の関係を明らかにするために、植物葉内と土壌中の植物珪酸体含量について調べた。鳥海山の西麓斜面には冷涼多雨を反映して、矮小性のブナ-チシマザサ群落からブナ・ミズナラ混成林、ミズナラ群落に至る森林の垂直成帯分布がみられ、これらとほぼ対応するように土壌は高標高地のポドゾル性土から低標高地の淡色黒ボク土へ移行しながら発達している。本地域では多雨による溶脱作用に加えて、安山岩風化物の土壌母材に大陸由来の風成塵を含むため、土壌pH(H2O)は低く、交換性アルミニウム含量が高い(加藤,2012他)。こうした低栄養の土壌特性が樹木の栄養吸収や成長へ与える影響をみていくことにより、森林立地と土壌の相互関係を知ることは興味深い。一方、植物体における珪素の沈積は植物の健全な成長や様々な生物活動と関係することが指摘されている(Epstein, 1999)。森林土壌生態系における珪素の動態とブナの生育について引き続き検討していく。
  • 菅沢 雄大, 新井 悠介, 近藤 玲介, 増沢 武弘, 宮入 陽介, 横山 祐典
    セッションID: P072
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    日本アルプスや大雪山などの高山の山稜部に広がる周氷河性平滑斜面の風上側最上部には風衝砂礫地が分布する.風衝砂礫地には,構造土やソリフラクションローブなどの周氷河性の微地形が見られる.北アルプスの白馬岳や薬師岳では,これらの堆積構造から形成時期が報告されている(例えば,高田 1992).しかし,南アルプスでは,荒川三山周辺における植被階状土(例えば,小山 2010)を除き,詳細が不明である.そこで本研究では,南アルプス赤石岳において風衝砂礫地のソリフラクションローブの堆積構造および形成時期を報告する. 赤石岳(標高3120 m)北西の標高2850 m付近にはダマシ平と呼ばれる平坦面が広がっている.この南西斜面(風衝側斜面)において,首都大学東京地理情報研究室所管の解析図化機(SD 3000 UNIVERSAL,Leica Geosystems社製)を使用して等高線間隔2 mの地形図を作製し,風衝砂礫地の分布範囲を記載した.また,風衝砂礫地に分布する4ヶ所のソリフラクションローブにおいて,深さ0.7~1.5 m,地表面の最大傾斜方向に深さ0.8~1.5 mのトレンチを掘削し,斜面の表層堆積物の断面を記載した.なお,本研究で取り上げる風衝砂礫地には矮小化したハイマツや矮性低木のパッチがまばらに分布する範囲が含まれている. 調査斜面の標高2800 m付近から稜線部にかけて風衝砂礫地が広がる.稜線部の風衝砂礫地には構造土やソリフラクションローブなどの周氷河性の微地形が多く分布し,地表面の礫が斜面下方に移動する斜面も一部見られる.このような領域は標高2830 m付近まで広がる.一方,その下部から末端部にかけての斜面は,砂礫地の地表面の礫に地衣類が着生していることから現在は微弱な斜面物質の移動しか生じていない斜面であると判断できる.そのような風衝砂礫地の末端部にはソリフラクションローブが見られ,下部のハイマツに覆われる平滑斜面と接している. 風衝砂礫地の末端部に分布するソリフラクションローブとその下部のハイマツに覆われた平滑斜面にかけてトレンチ掘削を行った結果,斜面構成物質の堆積構造が明らかになった.この堆積物は,垂直方向の層相変化が明瞭で,ソリフラクションローブの表面角礫層を除くと4層に大きく分けられる.①の層は,ハイマツの生育部分に見られる腐植質土層で,黒色(7.5YR2/1)を呈する.②の層はソリフラクションローブを構成する角礫・亜角礫層で,層厚5-10 cmの砂・シルトに富む層とそれらを欠いた層が交互に堆積している.③の層は②の層の下位に見られる埋没土層で,暗褐色(10YR3/4)を呈する.この埋没土層中に,鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)に対比される火山ガラスの濃集部が認められた.④の層は長径1-5 cmの角礫・亜角礫からなり,長径10-30 cmの礫を多く含む.この層の淘汰は悪く,礫支持で基質に乏しい. トレンチの記載結果から,ソリフラクションローブを構成する層はK-Ahを含む埋没土層の上位に見られることが確認できた.このことから,風衝砂礫地の末端部に分布するソリフラクションローブの形成時期は,K-Ah降下以降の完新世の寒冷な時期であると考えられる.
  • 木村 祐介
    セッションID: P073
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    ニホンジカの糞から植物ケイ酸体を検出し、その由来植物を同定し、またその比率を求めることによって、そのおおよその食性を把握することを目指した。また、糞虫糞の中に存在した丸みを持った粒子構造物の観察・成分分析の結果から、それは植物ケイ酸体、もしくはその変形粒子ではないかと推測された。
  • 渡邊 眞紀子, 大里 陽一, 村上 尚平, 村田 智吉
    セッションID: P074
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本研究は、改変の規模が大きく頻度が高い、都市および周辺の地域を対象に、土壌に関する空間情報の集積を迅速に行う手法を開発することを目的とする。そのために、コンクリート・アスファルトによって被覆された造成土や、整備・管理が行き届いた都市公園緑地や私有地における土壌調査を可能にする、小型CCDカメラを用いた簡便かつ実用的な土壌孔観察手法と解析法について報告する。
  • 愛知縣瀬戸市白坂地区における森林土壌の荒廃と再生
    茗荷 傑
    セッションID: P075
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    愛知県瀬戸市白坂地区において土壌炭素蓄積状況を把握するため林況別、植生回復状況別に土壌炭素量を測定し、貯留状況を解析した。
    ICPPによれば土壌及び地下部の炭素蓄積量は樹木の地上部や大気全体に存在する炭素総量のそれぞれ2倍から3倍にも達し、海洋に次ぐ炭素貯留量を持っていると言われているが、実際の森林土壌中の炭素蓄積量や蓄積のメカニズムに関しては、必ずしも正確かつ十分な資料が得られていない。
    土壌炭素蓄積過程の量的把握は、森林の炭素貯留機能を考える上で緊急の課題であるといえよう。
    土壌への有機物の蓄積やその影響要因を解析する場合、森林の履歴がある程度判明している林分での研究が重要と考え、本研究では、1)様々な履歴や林況を含む愛知演習林内の11地点、2)航空写真で1977と1998年を比較し、林地の回復状況が異なる3地点、の二つの視点から調査地を選定した。
    以上の土壌中の炭素蓄積量の深さ別プロフィールを調べ、測定結果と1)推定経過年数、2)撮影記録年から、年間の森林土壌への炭素蓄積経過を林相別に推定した。

    その結果、多くの林分では炭素蓄積量は表層から下層に行くにしたがって減少する傾向が見られた。また、樹種構成が異なっていても古い林分、新しい林分、貧弱な林分の順に炭素蓄積量が減少していく傾向が見られた。禿寫地との差から年間炭素蓄積量を計算すると新しい林分では0.41t/ha/yr~0.54t/ha/yr、古い林分では0.98t/ha/yrであった。航空写真で判定した森林、回復、裸地地域においても炭素蓄積量は森林、回復、裸地の順に多かった。回復地域の回復に要した時間をおよそ20年と考えて計算するとこの間の1年あたりの炭素の蓄積は0.16t/ha/yrであった。
    土壌への炭素蓄積量は気候、林相など多くの要因で変化する。わが国では酒井らによって、砂壌土の苗畑における6年生広葉樹林での土壌有機物の年間蓄積量の測定が行われ、0.47t/ha/yとの結果が得られている。また、亜寒帯、温帯、熱帯で測定された既往の研究ではこの数値よりも若干大きな値が知られている。
    本研究は履歴が判明している林地での自然植生下で形成された土壌において行われた点に特色がある。
  • -淀川水系木津川を中心事例に-
    江端 信浩
    セッションID: P076
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに 洪水を堤防内で処理する河道改修方式による治水が限界視されて久しく(岸原・熊谷, 1977), また生態系への影響等,河川環境に配慮した治水が求められている中(河川審議会,1996), 氾濫を受容する伝統的治水工法が再評価されてきている(大熊1997など).中でも,水害防備林(以下,水防林)は,経済面・農業面でも寄与するなど,治水機能以外にも多様な機能を持つとされている(上田1955など).ただ,水防林は全国的には減少の傾向にある(渡辺,1998).本研究では,水防林が今日まで維持されている木津川流域に注目し,その背景を明らかにし,水防林の今日的な意義と活用可能性について検討する.対象地域は,淀川水系木津川流域の山城盆地(京都府木津川市),上野盆地(三重県伊賀市)である. 2. 研究手法 明治時代以降現在までの新旧地形図読図を通して木津川流域の水防林の分布の変遷をたどり,次に,水防林の分布と地形・地質との関係を考察した.さらに,流域の市町史等の歴史,国土交通省や林野庁等への聞き取り調査を基に,水防林がどのように維持・管理されてきたかという点について明らかにした. 3.結果・考察 水防林の消長の状況は,流域内でも地域により大きな差異が見られた.上野盆地下流部の岩倉狭窄部手前では水防林の大半が消失したが,山城盆地では,水防林の大半が残されてきた.上野盆地下流部では狭窄部手前で三川が合流するため,氾濫が常態化し,上野遊水地事業の着手に伴い水防林がほぼ一掃されたが,山城盆地では,硬岩の分布や地形の相違の影響を受けて生じた水衝部付近,支流の天井川沿いを中心に,水防林を活かした治水がなされてきた.ただ,上野盆地でも上流部では水防林の残されている箇所が多く,霞堤や堤内地の水田とともに遊水機能を発揮し,遊水地を補完する役割を担っている.また,上流・下流ともに,破堤地形や旧河道など水害が発生しやすい箇所や,堤防の整備状況が不十分な箇所にも水防林は分布していることがわかった.木津川水防林の持つ機能は,上記のような水防機能に止まらない.流域の水防林のマダケは,上流部の上野盆地においては,江戸時代から昭和時代にかけて伊賀傘(和傘)の原料として使用され,一方,下流部の山城盆地でも南山城地域の竹材生産額において一定の割合を占めるなど,流域全体で経済的機能を果たしてきた.近年では竹材の持つ経済的価値は低下したものの,現在ではその文化的意義が注目される.伊賀傘は現在でも上野天神祭で使用されており,山城盆地の御立薮国有林のマダケは東大寺お水取り用の松明として活用され,伝統行事において一定の役割を担っている.  また,ダムによる治水の生態系への悪影響が懸念される中(河川審議会,1996),水防林の持つ環境的機能も注目される.水防林は.上述の遊水機能に加え,浄化(ゴミ除去)作用を持ち,さらに河川景観の要素ともなっている. 以上のような水防林の多面的機能を河川管理者や流域住民が認識し, 適切に管理・保全していくことが今後一層重要になってくるであろう.
  • 松本 秀明, 佐々木 弘太, 伊藤 晶文, 吉田 航, 熊谷 真樹
    セッションID: P077
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに 仙台平野は南北50㎞,東西10~15㎞前後の沖積低地で,北から七北田川,名取川,阿武隈川が流入している。平野の中部を流れる名取川は支流の広瀬川とともに,平野の陸側部分に半径約5㎞の合流扇状地を形成している。扇状地上には多くの「自然堤防-旧河道」地形が分布し,その一部は扇状地から低地側に長く張り出している。平野の北部を流れる七北田川は土砂の供給量が少なく後氷期海進により形成された内湾が,少なくとも2400年前まで,第Ⅰ浜堤列の背後に潟湖として広がっていた。 本研究では名取川,七北田川が流下する地域について,地表に残された「自然堤防-旧河道」地形や地表面下にみいだされる洪水堆積物の堆積状況の調査と放射性炭素年代測定により,多量の土砂が平野に供給された時期をそれぞれ特定した。その結果,過去約4千年間において多量の洪水土砂流入期が2~3期存在したことが求められた。2.名取川流域の大規模自然堤防地形の形成時期 名取川流域については,扇状地から低地側に張り出すように発達した自然堤防群について,その分布と層厚を重機による掘削や簡易ボーリング調査により明らかにした。その結果少なくとも2500~2400 yrBPと1600~1500 yrBPに多量の土砂を伴う大規模な洪水が存在したことが確認された。3.七北田川下流の潟湖の埋積期と土砂の流入 七北田川流域については,潟湖の埋積に関わる洪水土砂の堆積時期を求めることにより,大規模洪水イベントの発生時期について検討した。その結果,潟湖は約3800 yrBP以前から3200 yrBPまではマガキが棲息する内湾的環境であったが,3200~2400 yrBPには次第に水深の浅い干潟的環境へ変化し,その後2400 yrBP,1900 yrBP,1500 yrBP,そして900 yrBP頃に発生した大規模な洪水により多量の土砂が供給され,潟湖の埋積が進行したと考えられた。4.まとめ これまで,発表者らによる仙台平野内外の調査で,2500~2400 yrBPおよび1500~1400 yrBPに大規模な洪水,あるいは洪水頻発期の存在が確認されつつある。今後さらに具体的な事例の蓄積を継続してゆきたい。 現在,東北地方太平洋岸では2011年3月の巨大津波に備えた防潮堤の建設や居住地の高台移転計画が進行しつつあるが,数百年~千年規模の大災害という視点において,背後から襲いかかる大規模洪水や土石流による災害も十分に想定内に捉えておくことが必要である。とくに造成された盛土地盤は地震動に耐えることが必要である。また,沿岸の防潮堤機能を想定した盛土や高い防潮堤は大規模洪水時の低地の排水機能を併せ持つ必要がある。
  • 坂井 大作, 高橋 洋, 松本 淳, 水田 亮
    セッションID: P078
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに 太平洋高気圧は日本の極端高温を引き起こす要因であることが多い。しかし、日々の極端気温においては太平洋高気圧が強い気圧配置だとは限らない。日単位の極端高温をもたらす気圧配置のパターンが複数存在するということである。その温暖化に伴う変化に関しての研究はほとんど研究されていない。 本研究では温暖化に伴う、8月の日本における極端高温発生時の気圧配置のパターンと、その頻度の将来変化を解析した。2. 使用データ 気象庁気象研究所で開発された大気大循環モデルMRI-AGCM3.2H(Mizuta et al. 2011)のシミュレーション(1872~2099年)によって得られたデータの中で、8月の日平均の地上気温、地上気圧を用いた。モデルの格子点間隔は60kmである。境界条件に関しては、再現気候としての1872~2005年は英国ハドレーセンターによる年々変動のある海面水温の観測データ(HadISST、Rayner et al. 2003)を、将来気候としての2006~2099年は観測データをベースに、SRESのA1Bシナリオに基づくCMIP3マルチモデル平均の昇温量を上乗せした海面水温を用いた。シミュレーションは大気の初期条件のみをわずかに変えたアンサンブルランを4メンバー行なっている。 解析に用いた期間は1979~2003年(以後「現在実験」と呼ぶ)と2075~2099年(以後「将来実験」と呼ぶ)の各25年間である。よって、各期間31日×25年×4メンバー=3100日存在する。MRI-AGCM3.2Hの結果の妥当性をみるため、JRA-25(Onogi et al. 2005)長期再解析データを1979~2003年に関して解析した。3. 解析方法 現在実験・将来実験のそれぞれにおいて、気圧配置を客観的に分けるために20°~60°N、120°~160°Eの領域で地上気圧のEOF解析を行なった。日本を南北2領域に分け(「北日本(東北・北海道)」「南日本(「北日本」と沖縄・奄美以外の領域」)、各領域において日平均気温が上位10%(現在実験・将来実験は各310日、JRA-25は77日)に入った日について、EOFの各モードにおいて時間係数が1標準偏差を超えた(そのモードが支配的であるとみなせる)時の地上気圧のコンポジットをとった。4. 結果 結果の一例として、EOFの第1モードと第2モードにおける、南日本極端高温時の結果を示す。第1モードでは日本の北を中心とした、第2モードでは日本の南を中心とした気圧変動である。南日本の極端高温において、EOF第1モードで時間係数が-1標準偏差以下の場合、太平洋高気圧の張り出しが弱く、日本の北に強い低気圧があるパターンとなった(図1左)。現在実験でのこの日数は71日(極端高温全体の約23%)を占めている。なお、JRA-25では17日(約22%)であった。EOF第2モードで時間係数が-1標準偏差以下の場合、南海上に熱帯低気圧があるパターンとなった(図1右)。現在実験においての日数は38日(約12%)であった。一方、JRA-25では3日(約4%)であった。 このように、太平洋高気圧の勢力が強くなくても、その周辺で熱帯低気圧や大陸に強い低気圧が存在している場合に極端高温となるケースが多い。また、将来実験ではEOF第1モードの-1標準偏差以下の場合では高気圧・低気圧の勢力、日数に大きな変化はなかったが、EOF第2モードの-1標準偏差以下の場合では太平洋高気圧は弱化し、熱帯低気圧の領域が東にシフトしていた。また、日数は55日(極端高温全体の約18%)に増加している。
  • 鈴木 智恵子, 飯塚 潤平, 木村 富士男, 若月 泰孝
    セッションID: P079
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに冬季に日本の中部山岳域にもたらされる降積雪は水資源としても重要な役割を持っている.しかし降積雪現象そのものの年々変動が大きいことに加えて地形が急峻であり,気候再現実験の検証に使うことができる地上観測データも比較的標高の低い地域に限られてきた.本研究では,多雪年と少雪年を対象に行った領域気候モデルによる気候再現実験と空間解像度の高い衛星画像データの比較を通して,積雪分布の再現性を検証することを目的とする.2.使用データと解析手法領域気候モデルとしてWRF ARW-Core V2.2による再現実験(Hara et al., 2008) の結果を利用した.初期値境界値にはNCEP/NCAR再解析データを使用した.衛星画像データとして,宇宙航空研究開発機構(JAXA)/東海大学(TSIC/TRIC)提供のJASMES/MODIS積雪マッププロダクトを使用した.本プロダクトは半月単位(各月の1-15日および16日-各月の最終日)で作成されており,水平解像度は500mである.積雪面積と標高の関係を調べるため,国土地理院の数値地図250mメッシュ(標高)を用いて標高の情報を積雪マップに挿入した.地上観測データとしてAMeDASの気温,降水量,積雪深を使用した.対象期間は比較的多雪であった2005年と少雪であった2006年の11月1日から翌年5月31日である.3.結果対象領域において2005年と2006年の11月から翌年5月まで半月毎に積雪分布を比較した結果を図に示す.2005年の方が積雪面積の拡大時期が早く,最大値の出現時期も半月程度早く,冬季全体を積算した積雪面積もより大きい様子が再現されている. MODISを基準としたWRFの積雪面積は5%以内の誤差で一致する時期がある一方,積雪開始時期の11月の他にも20%以上過大または過小となる時期がみられた.過大,過小の時期が2つの年で異なっていることから,積雪イベントの再現性も影響していると考えられる.
  • 重田 祥範, 渡来 靖, 中川 清隆
    セッションID: P080
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     埼玉県熊谷市およびその周辺地域を対象として,定点型観測による長期的な地上気温の測定を東西約8km,南北10kmの範囲で連続的におこなった.熊谷市内に計6地点の測定点を設け,公園のポールを利用して測定器を設置した.観測期間は2011年9月10日~2012年12月31日(現在も継続中)である. 観測の結果,熊谷市で発生するヒートアイランドは東西方向に分布しており,都市部と郊外の気温差は年平均で約3℃(最大7℃)であった.なお,ヒートアイランド現象の中心はJR熊谷駅北口付近の繁華街に位置していた.また,都市部と郊外の気温差が最大となる時間帯は19~24時頃であり,夜間に顕著であった.一方で,ヒートアイランドは年間を通して発生と熊谷地方気象台で観測された風速の相関分析をそれぞれ試みた.その結果,両者のあいだにはほとんど相関が認められなかった.
  • 大橋 和幸
    セッションID: P081
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめにOx濃度の年平均値は,1985~2004年度の20年間で約5ppb上昇しており(光化学オキシダント・対流圏オゾン検討会,2007),環境基準達成局数の割合は一般局・自排局ともに2010年に至っても0%であった(環境省報道発表資料,2012).この原因として,越境汚染や地域気象の状況が変化したことなどが指摘されている.また,以前よりわが国では週末の方が週日と比較して相対的にNOx濃度が低いにも関わらず,Ox濃度が高くなる週末効果という現象が確認されてきた.例えば,大原(2006)によると,Oxは週日の方がその場での生成量は多いが,週末はNOの排出量が減少するため,O3が分解されにくくなることが原因であるとしている.一方,神成(2006)は,HC-limitedの環境下において,週末にNOxの排出量が減少することによってO3生成抑制効果が解除されるため,週末に高濃度になるとしている.この様なOx濃度の近年における経年変化傾向や,週末効果といった短周期変動が指摘され,その原因が考えられてきているが,一方,こうした現象の時空間的特徴に関しては必ずしも明らかとなっていない.そこで本研究では関東地方を対象として,近年のOx濃度上昇および週末効果について,時空間変動からそれらの要因を考察することを目的とした.2.方法対象地域は関東地方1都6県とした.使用したデータは国立環境研究所で取り纏めている大気汚染常時監視測定データの1時間値であり,対象物質はOxである.対象期間は1980年4月から2011年3月までとした.はじめに,Oxの季節的・経年的な時間的特性を比較するため,月別平均値に対して主成分分析を行った.ただし,測定局により観測開始時期の違いや欠測値を含む期間が存在するため,対象地域内をグリッドで区切り,グリッド平均値を作成した後,解析を行っている.また,週末効果を把握する観点から,日平均値に対して同様のグリッド化を行ったデータに対しても主成分分析を行った.3.結果月平均値に対して行った主成分分析の結果,第1主成分には関東地方全域の濃度変動を示すモードが検出された.この成分は経年的に見ると,2000年頃からOx濃度が増加していることを示している.また,地域的な増加量の違いが認められ,北関東南部および千葉県では大きく,南関東では相対的に小さい傾向にあった.さらに,日平均値に対する解析結果から,週末効果に対する濃度変動は1980年代には小さく,近年において大きくなる傾向を持つことが明らかとなった.季節変化成分も顕著に認められ,春期(4月・5月)に増加の極大を持ち,経年的な増加傾向がこの時期における高濃度化と極大期の拡大に対応していることが示唆される.
  • 磯 望, 黒木 貴一, 黒田 圭介, 宗 建郎
    セッションID: P082
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1)はじめに
     九州北部豪雨は2012年7月3日~14日にかけて九州北部を中心に梅雨末期に生じた集中豪雨災害である。この豪雨による被害は福岡県南部・大分県西部・熊本県北部にまたがる範囲で生じた。この期間に梅雨前線の移動に伴う集中豪雨が断続的に発生し、特に7月3日・12日・14日に発生した集中的な豪雨で土砂災害や洪水災害が発生した。
     7月3日災は、大分県中津市の山国川および日田市の筑後川支流花月川で、河川の増水により氾濫および破堤し洪水を生じた。また、福岡県朝倉市・うきは市など筑後川中流域でも、土砂災害や用水の氾濫などが生じた。中津市耶馬溪で最大時間雨量91㎜・24時間雨量250㎜である。
     7月12日災は、やや南下した梅雨前線に沿った熊本・大分・福岡3県の境界付近を中心に集中豪雨が発生し、阿蘇市では阿蘇火山のカルデラ壁崩壊と土石流をもたらした。また、熊本市内では白川が、大分県竹田市では玉来川がそれぞれ一部で氾濫した。阿蘇乙姫では最大時間雨量108㎜、24時間雨量507㎜に達した。
     7月14日災では、やや北上した梅雨前線に沿って福岡県南部矢部川流域・筑後川中流域・大分県山国川流域・福岡県北東部等に豪雨をもたらし、7月3日災の山国川・花月川を再び氾濫させたほか、矢部川は中・下流域の各地で氾濫、筑後川は支流隈上川沿岸で氾濫、本流でも久留米市付近では昭和28年水害当時の水位まで上昇し支流の合流点周辺で一部氾濫を生じた。八女市黒木では、最大時間雨量91.5mm、24時間雨量486㎜を記録した。
     ここでは、7月14日災を中心に、各地の土砂災害、洪水氾濫等の被害状況とその特徴について報告する。
    2)矢部川上流部の被害の特徴 矢部川上流部では、支流の星野川・笠原川沿いで、豪雨により」河川水位が上昇した。河川沿岸では、攻撃者面付近に規模の大きな地すべり性崩壊の発生が目立ち、崩壊地の末端は川床付近に達した。この形式の崩壊地は、河川の増水に伴う渓岸侵食をトリガーとして発生した可能性がある。この形式の崩壊地は、八女市上陽町半沢で高さ約50m幅約150m、上陽町真名子で高さ約90m幅約70m、崩壊深約5m程度と見積もられた。また、八女市黒木町田代でも、高さ約50m幅約250mの大規模な地すべり崩壊が河川に沿って発生した。これらの崩壊土砂は河川の一時的な増水をもたらした。
      一方、一般的なの山地斜面中腹に発生する崩壊地と、その崩壊地から下流に土石流をもたらす形式の土砂災害も発生しているが、崩壊・土石流型の災害は比較的散発的である。八女茶生産地である黒木町松尾の緩斜面では、背後の急斜面で発生した土石流が茶畑部分を流下して被害を生じているが、その影響範囲は流下した10m未満の幅に畑地を侵食または堆積した。
    3)矢部川中・下流部の洪水被害 矢部川と星野川合流部周辺に広がる八女の台地では、灌漑用水路が発達し、矢部川および星野川に沿った取水堰が設置される。これらの取水堰は本流河川に堰を設置して分流に導水するが、分流の氾濫を防ぐため水路を掘削して洪水流を再び本流の戻す方式が採用されている。このため、取水堰の上流側と、分流から本流へ戻す水路付近で増水し洪水被害が生じた。また、八女市立花町山下などの低地では、水位が平常水位より7m以上増水し、堤防を超えて一部氾濫した。これらの氾濫には、本流に合流する支流の堤防からの氾濫も認められた。
     下流部のみやま市瀬高町本郷では、矢部川から分流する沖端川で堤防上の擁壁が壊れて集落内に浸水した。また。沖端川沿いの柳川市三橋町中山と矢部川本流沿いの柳川市大和町六合の2か所で破堤し、下流一帯に洪水が広がった。
    4)7月14日豪雨被害の特徴 矢部川流域を中心とする豪雨被害は、山間部で崩壊・土石流に伴う被害を伴ったが、降水量が多かったため、渓流の水位上昇と渓岸侵食に伴う大規模地すべりの被害が多発した点に特徴がある。下流域では増水による破堤や溢流型の洪水を生じた。筑後川流域では、本流の水位は昭和28年水害の水位前後まで上昇したが、本流は破堤せず、支流合流点付近で支流側に増水の影響が生じ一部冠水した。
        なお、本研究は学振平成24年度科学研究助成事業基盤研究(c)課題番号23501253(研究代表者磯望)を利用した。
  • 町田 尚久
    セッションID: P083
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
     寛保2年の洪水は,埼玉県長瀞町の寛保洪水位磨崖標などに代表されるように,関東地方では荒川流域や利根川流域,千曲川流域を中心に大きな被害をもたらした.特に千曲川流域の浅間山周辺では大きな土砂災害や洪水災害がもたらされた(丸山1990など).この洪水にかかわる古文書は,近畿地方から関東地方にかけてあり,近畿地方では鴨川や近江の災害がみられるものの詳細な記録は数少ない.また,関東甲信越地方では,多数の古文書やそれにかかわる文献がある.この洪水の原因に関しては,国土交通省北陸地方整備局(2002)によって複数の台風の進路が提示されているが,諸説あるため,実態に則して気象現象を明らかにする必要がある.そこで本研究では,埼玉県内の寛保2年災害にかかわる複数の資料に記載されている気象実態から,災害の実態との関係を考察する.なお,本研究では日付を旧暦にて表記する.
    2.寛保洪水にかかわる資料と気象実態
     寛保2年の気象の記録は,現在の埼玉県越谷市(越谷市史),深谷市(武州榛沢郡中瀬村史料),加須市(加須市史),羽生市(羽生市史),県外では長野県松本市(松本市史上巻)がある.たとえば,越谷市史の西方村旧記の弐(越谷市役所市史編纂室1981)には次のような天気の変化が記録されている.

     越谷市史(西方村旧記 弐)
      寛保ニ戌年七月廿七日より八月二日迄雨ふり続き申候、
     尤朔日之朝より大雨降リ八ツ過より丑寅風にて、雨の降
     る事矢之ごとく、同晩四ツ時より辰巳風に成大風にて大
     木もたおれ、雨は桶よりまけることくして,二日之朝七
     ツ時より雨風しづかに成、五ツ時より天気能三日之昼九
     ツ迄川通リ水少に(略)


     気象の実態を解釈し抜粋すると,越谷市では,8月1日の八ツ過(14時過ぎ)より「丑寅風」(北東),同じ晩の四ツ時(20時)より「辰巳風」(南東)となる.2日の朝七ツ時(4時)には,「雨風しづか」となり,降雨をもたらした気象現象がほぼおさまったと考えられる.
    3.資料からみた埼玉周辺の気象の実態
     埼玉県内の越谷,加須,羽生,深谷の各地点では,降雨が27日から認められる.28~29日には,降雨がある場所ない場所に分かれるため,不安定な天候であったこと推察され,29日に限っては小康状態となっていた可能性が極めて高い.一方で29日の夜には,深谷で北東風(艮風)と大雨,長野県松本で大雨との記載があるが,その他で明確な表記が少なく不安定な天候が8月1日の午前中まで続いていたと解釈できる.
     8月1日になると埼玉県内の各地点と長野県松本のすべてで,大雨となり風もあった.特に越谷では14~16時に東北風(丑寅風)が,長野県松本市では16~18時に北風が吹く.そして22~24時には越谷で南東風(辰巳風)となり,風向きの変化がみられることから,台風と考えられる.そして越谷では台風の北から東側にあたる位置であったと解釈される.松本は,山間地域の北風であることを考慮すると,少なくとも台風の西側の位置にあたる.このことから台風の中心は,埼玉県越谷と長野県松本の間を通過したと考えられ,関東・東海から北上し,日本海方面へ向けて通過したと判断される.
    4.台風の検証と異常気象との関係
     越谷で大風の影響が14時~翌4時で最大14時間である.この記録を基に一般的な台風(直径400㎞)を想定すると,平均移動速度が約29㎞/hとなることから比較的速い速度で通過したことになる.寛保2年の全国的な天候を長崎県諫早や青森県弘前などの古文書を参考に解釈すると,比較的天候に恵まれており冷夏や異常気象の記載がみられない.一方で台風の直径が400km以上になると,近畿地方から関東地方にかけてが,台風の影響範囲と一致するので,寛保2年の災害は台風によるものと判断できる.しかし近畿地方の資料には,時間の記録がある資料を得られていないことから,さらに精査する必要がある.
    5.台風によってもたらされた崩壊とその後の影響
     丸山(1990など)は,千曲川流域の災害の実態を古文書などから復元し,町田(2011)は寛保洪水位磨崖標の高水位の原因をマスムーブメントと指摘した.この実態に沿うように,武州榛沢郡中瀬村史料(河田1971)には,西上州の山々の崩壊が記されている.このことから利根川流域の西側では数多くの崩壊をもたらしたと推察できる.一方で秩父では崩壊の記録は少ないため,そこから浅間方面に向けて崩壊地が増加していたと考えられる.従来の歴史水害の研究は,水害の要因を降雨の増加にともなった流量の増大として考えることが多いが,崩壊が河川への供給源となって土砂を下流側へ供給することで,水害が発生することも考慮する必要がある.今後,氾濫の実態から河床変動との関連性を明らかにする.
  • 財城 真寿美, 小林 茂, 山本 晴彦
    セッションID: P084
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに発表者らは,19世紀の日本列島各地から東アジアの隣接地域における気象観測記録を収集し,それらをデジタル化・補正均質化して科学的に解析可能な状態に整備するデータレスキューに取り組んできた.その過程で,日本を含めた各国の公使館や領事館において,外交業務や領事業務のかたわらで気象観測業務が行われていたことが明らかになってきた.東アジアでは,おもに台風の襲来予測のため,1876年以降電報による気象観測データの交換が行われるようになり(China Coast Meteorological Register、香港・上海・厦門・長崎のデータを交換),以後それが活発化する.公使館や領事館における気象観測は,このようなデータ交換のネットワークに組み込まれたものではなかったと考えられるが,在外公館という組織に支えられて,観測が持続された場合もあった.本発表では,この例として在京城日本公使館(領事館)における約15年間(1886-1900年)にわたる気象観測記録を紹介し,今後の類似記録の探索と研究の開始点としたい.2.在京城日本公使館(領事館)の気象観測記録在京城日本公使館(領事館)で行われた気象観測の記録は,「氣候経驗録」というタイトルを持つ独特の様式の用紙に記入されたもので,毎日3回(6時,12時,18時)計測された華氏気温にくわえ,やはり3度の天候記録をともなう(図1).現在,その記録は外務省外交史料館に収蔵されており,アジア歴史資料センターがウェブ上で公開している資料によって閲覧することができる. アジア歴史資料センターの資料にある外務省と海軍との交渉記録によれば,「氣候経驗録」は京城(漢城)に日本公使館が設置されて間もない1881年には作成されていたようである.これには,当時榎本武揚らと東京地学協会に設立にあたっていた初代公使花房義質(1842-1917)の近代地理情報に対する考え方が関与していると考えられる.しかし,壬午事変(1882),甲申政変(1884)と相次ぐ動乱で公使館が焼かれ,以後の公使館・領事館の立地が確定するのは1885年になってからである.そのため,今日までまとまって残されている「気候経験録」の観測値は1886年から始まっており,同年の送り状には「當地気候経驗録之儀久シク中絶シ廻送不仕候處當月ヨリ再興之積ニ有之・・・」と長期間の中断について触れている. こうした「氣候経驗録」の報告は1900年4月まで続き,以後は中央気象台の要請により,最高最低気温や雨量の観測値もくわえ「京城気象観測月報」が報告されるようになった.ただし,このデータは直接中央気象台に送られるようになったためか,外交史料館には現存しないようである.3.課題と展望前近代の朝鮮半島では,朝鮮王朝による雨量観測のほか,カトリック宣教師による気温観測が行われた(『朝鮮事情』)。また1888年頃には,朝鮮政府が釜山・仁川・元山に測候所を設置し、気象観測を開始した(アジ歴資料,B12082124200).さらにほぼ同じ頃,日本は釜山電信局に依頼して観測を行わせ,電報によるデータ収集を行うようになり,また京城のロシア公使館でも気象観測が行われたという(Miyagawa 2008).ただし,韓国気象局が提供するデジタルデータには,これらの観測結果は収録されていない.「氣候経驗録」にある観測値を,現代の気象データと連結・比較するには,様々な解決すべき問題点がある.しかしながら,首都京城における19世紀末期の約15年間にわたる気象データとして活用をはかることは,当時の気候を詳細に復元するだけでなく,日韓のこの種のデータの交流という点でも意義あるものとなろう.今後は,観測値のデジタル化にくわえ、観測地点の同定を行って補正・均質化を行うことにより、現代の気象データと連結したり,比較したりすることにより,長期的な気温の変動の特徴を明らかにしていく.
  • 奥野 充, 藤木 利之, 森脇 広, 河合 渓, 中村 俊夫
    セッションID: P085
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    南太平洋,クック諸島のラロトンガ島は,サンゴ礁に囲まれた周囲32km,海抜652mの火山島である.Merlin(1985)は,ラロトンガ島の植生を,1)Homalium属(ヤナギ科)の山林,2)Fagraea属(リンドウ科)-Fitchia属(キク科)の尾根林,3)Metrosideros属(フトモモ科)の雲霧林に分けた.今回,同島北東部のカレカレ湿地(S21° 12' 57 .5 ",W159° 44' 23 .1")で2009年8月に採取した堆積物(深度400 cm)の花粉分析を行った.コア試料は0~137 cmが暗灰色粘土質泥炭,137~170 cmが暗褐色未分解泥炭,200~350 cmが樹木片を多く含む暗褐色未分解泥炭,350~370 cmが暗灰色粘土,370~400 cmが赤褐色粘土であった.花粉分析は10 cm間隔で行い,42種類の化石花粉・胞子を検出したが,350 cm以深では抽出できなかった.14C年代は,炭化木片2点(60,130 cm),植物片6点(132,137,140,200,315,340 cm)を測定した. 全層を通じサガリバナ属とヤシ科花粉が優占する.サガリバナ属は最上部で1.3%までに急減している.一方,ヤシ科は上層に向かい増加傾向にある.タコノキ属は最下部で32.3%と多く,急減する.草本のイネ科とカヤツリグサ科は上部で急増する.現在,サガリバナ属(ゴバンノアシ)が沿岸部に優占していることを考慮すると,徐々にゴバンノアシ林が破壊され,その跡にイネ科やカヤツリグサ科、シダ類の草本やタコノキが侵入し,草地が広がったとみられる.今後はさらに分析を進め,いつごろ古ポリネシア人が本島へやって来たのかを論議したい.
  • 白石 喜春
    セッションID: P086
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.調査目的非営利法人に対する支援や市民社会空間の保護を主目的とする中間支援団体の役割は、社会のニーズや構造が多様化するに伴い増してきており、それに比例して中間支援団体が展開する支援活動も多様化してきている。それは諸外国でみられる共通の事象でもある。このような状況下で諸外国の代表的な中間支援団体はどのような支援活動を展開し、どれほどの成果を上げているのか、その実態を明らかにすることを本調査の目的とした。調査を進めるにあたり、2012年9月7日にモントリオールで開催した公益法人協会主催のCIVICUS国際会議関連会議で作成した中間支援団体のための評価表の自己評価を28カ国の中間支援団体に依頼した。その結果、23カ国から回答が得られ、その回答を指標に分析を行った。2.中間支援団体が行う支援活動の傾向活動内容別の活動実施率は「政策提言」が78.7%、「連携促進・コーディネート」が68.8%、「マネージメント・ガバナンス」が68.3%、「情報提供」が67.9%で、これら4つの支援活動は活発であるものの、「人材育成支援」、「組織評価」及び「マッチング支援」はそれぞれ31.1%、32.3%、37.7%と低い数値が示された。 次に中間支援団体が成果を上げている活動分野の把握を試みた。しかし、調査対象団体による評価は団体によって基準が異なることから、何らかの補正を加える必要がある。そこで、各団体が評価した活動実施全項目の合計値の平均を団体ごとに算出し、その平均値を基準として成果が出ているか否かの分類を試みるべく図1のように色分けした。平均値を上回る活動実施項目の割合を活動内容別に算出した結果、「ガバナンス・マネージメント」が66.4%、「連携促進・コーディネート」が60%、「政策提言」が58.9%、「情報提供」が56.7%、「人材育成支援」が52%、「マッチング支援」が52.9%、「組織評価」が36.5%となった。つまり、前述の支援活動が活発な上位4分野と、成果を上げている上位4分野は一致し、両者は比例関係にあるといえる。3.国別にみた中間支援団体の支援内容の特徴国別でみると、「情報提供」はフィンランドやトルコが得意とし、タンザニアやエストニアが不得意としている。「マッチング支援」はスコットランドやメキシコが得意とし、日本、中国、韓国が不得意としているなど、国や地域によって中間支援団体の支援能力などに差があることが分かった。しかし、このような地域的差異は調査対象団体の能力のみが原因しているとは言い難く、その国で活動する非営利法人のニーズ、政治状況、社会構造の違いも反映されているものと考えられる。
  • 杜 国慶
    セッションID: P087
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    日本において,少子高齢化社会の進展に伴い,外国人の定住,すなわち外国人を移民として受け入れることが注目されるようになってきた.このような背景の下で,外国人または外国人の移住問題について,研究が盛んに行われてきた.特に,外国人に関する統計が整備されつつあることは,研究の基盤を築き,外国人の諸相を究明する研究に拍車をかけてきた.また,国勢調査において,外国人の丁目字レベルの小地域統計データが公表されてから,ミクロな分析が可能になった.しかし,外国人の帰化に関する研究としては,統計データが欠如する状況のなか,アンケート調査を通して研究者によるデータ収集の試み(謝,2005;浅川,2003)があったものの,帰化または帰化人口に関する包括的な把握には至らなかった.そこで,本研究は,統計データが少ない帰化人口について,『官報』で公開されている帰化者の個人情報を1950-2009年の60年間のデータを収集して,データベースを構築し,地理学の視点から帰化人口の分布と変化を分析することを試みる.
  • 中川 清隆
    セッションID: S0101
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    Ⅰ. 関東平野北西部猛暑研究の動向

     わが国観測史上最高気温40.9℃の記録を持つ熊谷をはじめ,館林,伊勢崎,前橋,高崎といった関東平野北西部では,暖候季にしばしば猛暑が集中して発生し,最高気温起時は太陽南中後約3時間と遅い傾向があり(中川,2010),近年その頻度や強度が増加傾向にある(藤部,2012).藤部(1998)は,850hPa気温≧21℃,日照時間≧8時間の著しい高温気団に覆われる晴天日の増加を関東平野内陸域における猛暑日増加の主要因とし,一般風西風型および弱風型猛暑の場合には都市化も要因の一つとした.
     近藤(2001a)は,1992年7月29日猛暑の原因として,①北西上層風の関東内陸部までの長いフェッチに伴う大きな熱移流項と,②山岳風下の関東平野上空における下降気流に伴う大気境界層厚減少による熱容量減少を指摘した.近藤(2001b)は,晴天日の関東地方における,①海岸付近の海風循環低気圧,②長野県-関東平野標高差に伴う対流混合層高度差による内陸低気圧,③谷状地形を呈する関東平野北西部斜面を上る斜面循環流反流収束による前橋付近の強い下降流が形成する熱的低気圧の連携による猛暑発生機構を指摘した.木村ほか(2010)は,理想化実験により,山岳において成長する混合層が平地に比べて高温位の上層大気を混合層内に取り込み,これが一般風および局地風により輸送されて山岳風下側の混合層および地上の温位を上昇させることを指摘した.
     篠原ほか(2009)は,彼らのシミュレーション解析および桜井ほか(2009)の事例解析の結果に基づいて,①背の高い暖かい高気圧下の沈降場における断熱圧縮昇温と鉛直方向の拡散抑制,②高い最低気温,③埼玉・東京都県境での海風前線停滞による海風侵入の阻止および山越え気流の継続,④力学的フェーンによる昇温の4点を,2007年8月16日猛暑の原因とした.
     渡来ほか(2009a,b)は,魚野川-利根川の谷(ギャップ)を塞ぐ数値実験の結果等に基づいて,2007年8月16日はドライフェーンであったが,午前中は浅いフェーンであり,午後に深いフェーンに変化したと結論付けた.Takane and Kusaka (2011)は,2007年8月16日は,山越えの際に日射により加熱された山地斜面から非断熱加熱が付加される,ウェットフェーンでもドライフェーンでもない第3のフェーンであったと主張した.
     Enomoto et al.(2009)は,2004年7月20日猛暑は,①チベット高気圧北縁のアジアジェット気流蛇行の東方伝播による小笠原高気圧の強化と,②同高気圧から吹出す高相当温位風による山岳風下フェーンにより形成されたと結論付け,同猛暑が大規模現象と密接に関連していると主張した.
     熊谷地方気象台はHPにおいて,①東京都心からの熱移流と②秩父山地越えフェーンの2点を,埼玉県の平野部が暑くなる理由としている.吉野(2011)は,関東の異常高温時の予察的モデルを提唱した.局地的強風により海風前線が侵入し難い水平距離150~180kmの本州脊梁山地ギャップ出口のほぼ中央部に位置する熊谷と都心の間に海風前線が停滞するため,熊谷以北の地域が,海風による冷却を受けず,日射とフェーンによる加熱を受け,著しい高温に至るとした.

    Ⅱ. 本シンポジウムの目的

     上述の如く,関東平野北西部猛暑の発生メカニズムに関しては様々な説があり,統一見解は未だ得られていない.本シンポジウムは,これらの諸説および7名の話題提供者による新たな見解を吟味・総括し,関東平野北西部猛暑の発生メカニズム研究の今後の課題を明確にすることを目指す.
  • 重田 祥範, 渡来 靖, 中川 清隆
    セッションID: S0102
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本研究は,既往研究でも指摘されている長野県から関東平野北西部,および新潟方面から谷川岳を超えるフェーン的な気温(温位)上昇の実測値を得ることに主眼をおき,広範囲に独自の気象観測機器を設置することを試みたものである.そして,得られた実測データをもとに,関東平野北西部で発生する猛暑を定量化し,その形成メカニズムの解明について観測的手法からアプローチしていく.
  • 菅原 広史
    セッションID: S0103
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    関東内陸における高温現象解明のため,地表面熱収支の解析を行った.気象庁によるウィンドプロライラー観測データから混合層高度を推定し,1 次元混合層成長モデルと組み合わせることで地表面顕熱の推定を行った.2011年8月を対象に推定を行ったところ,9ー12時の平均値として 210Wm-2 が得られた.これは同時期の別手法による観測結果(小金井市;200Wm-2)と同程度であり,また東京都内(330Wm-2)の2/3程度であった.
  • 瀬戸 芳一, 高橋 日出男
    セッションID: S0104
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに
     関東平野の内陸域では猛暑日数の増加傾向が認められ,この傾向は東京周辺から埼玉・群馬県南部にかけての広範囲にわたることが指摘されている(藤部,1998).また,局地風系のパターンと地衡風型の関係が経年変化していることが指摘されており(Fujibe,2003),これらに関連して,関東平野の風系分布と内陸部の気温との関係を解析した.
    2. 資料と解析方法
     気象庁によるアメダス観測資料などに加えて,各都県による大気汚染常時監視測定局のデータもあわせて利用した.解析期間は1979年から2008年(30年間)の7,8月とし,地衡風速6 m/s以下かつ半数以上の気象官署(関東周辺)で日照8時間以上,日降水量1 mm未満の日を海風日として抽出した(332日).特に,平野部の気象官署すべてで条件を満たす日を典型海風日に選び(79日),時刻ごとの気温,風についてコンポジット平均を行った.
    3. 結果と考察
     海風日における熊谷の高温(35℃以上)は,熊谷と東京との日最高気温差TK-Tが大きい場合に現れやすく,海風日に占めるこのような日の割合は経年的に増加傾向にある(図 1).TK-Tの小さい場合には,熊谷における気温の上昇量が小さく(図 2),低温な東風海風が顕著に侵入するのに対し,TK-Tの大きい場合には東風成分が弱い(図 3).近年は後者に相当する場合がやや多く,同様の風系は地衡風向が西~北寄りの場合にみられる.そのことが海風日における熊谷など北関東の高温増加に関与している可能性がある.
  • 西森 基貴, 石郷岡 康史, 桑形 恒男, 吉本 真由美
    セッションID: S0105
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    近年の著しい暑夏頻発により,特に関東地方では青少年の体育活動や幼老年者の生命にも関わる状況となっており,農業への深刻な影響も懸念される。気象庁の統計による近年の暑夏としても,8月に極値の最高を記録した2007年のほか,7-8月とも全国高温となった2010年,8-9月の高温が顕著であった昨年2012年と,特に近年に多い。関東地方北西部の猛暑をテーマとする本シンポジウムでは,ローカルな観測事例や気象モデルによる要因解明が中心となっているため,著者らは長期変動の観点から,農業気象要素の変動とそれらに影響する大気循環場の変動を解析し,さらに将来予測に関する論点を考察する。
  • 髙根 雄也, 日下 博幸
    セッションID: S0106
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに 近年,地球温暖化と都市温暖化との関連から都市域で発生する猛暑への関心が高まっている.これまで,先行研究によって関東平野内陸域で発生する猛暑の発生頻度が過去から現在にかけて増加していることや,その増加の要因は高温気団下の晴天日の増加と都市化であることが示されてきた.また,1994年8月3日,1997年7月5日,2007年8月16日に発生した猛暑には,山越え気流に伴う昇温(フェーン)が関与していることが指摘されてきた.しかしながら,フェーンの発生が,過去に発生したその他の猛暑に共通した特徴かどうかは不明であった.また,夏季に関東平野で発生するフェーンのメカニズムは,これまで詳しく調査されていなかったためよく分かっていなかった.したがって,フェーンによって発生すると指摘されてきた猛暑の形成メカニズムもよく分かっていなかった. 本研究では,まず過去22年間に関東平野内陸域で発生した猛暑の発生タイプを観測データにより把握することによって猛暑の気候学的な特徴を調べた.その上で,観測データと領域気象モデルを用いて,同地域で発生する猛暑の形成メカニズムを,フェーンのメカニズムとともに調べた.2.統計解析 過去22年間の観測データを用いて猛暑発生の必要条件を調べた.その結果,必要条件は当日の高い日最低気温と850 hPa等圧面高度における高い気温であることが分かった.これら2つの必要条件を満たす猛暑発生日を,気圧配置型・関東平野内陸域の日中の地上風の型・前日までの連続晴天日数の値の組み合わせで分類した.その結果,計27種類のタイプの中で最頻出のタイプは「鯨の尾型・南東風型・4日以上の連続晴天」を兼ね備えたタイプであることが分かった.この結果は,フェーンの発生が猛暑発生の必要条件ではないことを意味している.また分類の結果,事例数こそ少ないが「鯨の尾型・北西風型・4日以上の連続晴天」タイプは,関東平野内陸域が最も高温になりやすいタイプであることが分かった.この結果は,フェーンが発生した日に,関東平野内陸域が特に高温となる可能性を示唆している.3.事例解析 2011年6月24日に発生した39.8℃の猛暑(「鯨の尾型・北西風型・0-1日の連続晴天」のタイプ)と2007年8月16日に発生した40.9℃の猛暑(「鯨の尾型・北西風型・4日以上の連続晴天」のタイプ)の形成メカニズムを多角的に調べた.2011年6月24日の猛暑は,関東平野の南部を覆う南西風と北西部を覆う西寄りの風の収束域の北縁で発生していた.この猛暑の形成メカニズムを調べるために,オイラー熱収支解析を実施した.その結果,猛暑形成の主要因は,西寄りの風の侵入であることが分かった.この西寄りの風の侵入経路と風下の気温上昇(フェーン)のメカニズムを,後方流跡線解析・ラグランジュエネルギー収支解析・オイラートレーサ実験により調べた.その結果,西寄りの風の侵入に伴う風下の気温上昇(フェーン)のメカニズムは,典型的なフェーンのメカニズムとして知られている,風上側で降水を伴わないタイプのフェーンと降水を伴うタイプのフェーンが組合わさった,新たなメカニズム(hybrid-foehn)であることが分かった(図1).これまで,両者のフェーンは理想的な環境場においては,発生する環境場が互いに異なるため別々に発生すると考えられてきたが,上記の結果は複雑地形が存在し現実的な環境場においては,両者のフェーンが組合わさり風下の高温をもたらす可能性があることを示唆している. 2007年8月16日に発生した猛暑は,おもに以下に示す2つ要因が組み合わさった結果,発生したことが分かった.1) 2007年8月16日の前7日間は,晴天が連続していた.この前7日間の連続晴天日数は,1998~2008年の7・8月の統計では12番目に大きい値であった.連続晴天によって土壌が乾燥し,それによって地表面から大気へ供給される顕熱フラックスが増加していた.そしてこの顕熱フラックスの増加が猛暑の発生に寄与していたことが分かった.このメカニズムは,中部山岳域の土壌水分量の感度実験によって確認された.2) 数値実験の結果,地表面からの非断熱加熱を伴うフェーンの存在が確かめられた.このフェーンは,気流が中部山岳と関東平野内陸域の混合層内を吹走する際に,サブグリッドスケールの乱流拡散と地表面からの顕熱供給によって加熱され,この加熱された気流が侵入することによって風下側の地上が昇温するメカニズムである.後方流跡線解析とラグランジュエネルギー収支解析の結果,この地表面からの非断熱加熱を伴うフェーンが,先行研究が指摘していた典型的なドライフェーンに比べて猛暑の発生に大きく寄与していたことが分かった.
  • 渡来 靖, 重田 祥範, 中川 清隆
    セッションID: S0107
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    関東平野北西部では、夏季に起こる高温現象の一因としてフェーンの影響をしばしば受ける。渡来ほか(2009)では、2007 年8 月16 日の猛暑において北西山越え気流によるフェーンと魚野川-利根川の谷を抜ける地峡風(gap wind)の存在を示した。本発表では、2008年8月16日猛暑の領域気象モデルWRFによるシミュレーション結果を用いて、地峡風の影響を調べた。前方流跡線解析の結果、日本海側から地上付近の気塊が山岳斜面を沿うように流れて地峡風として風下側斜面に流下して前橋付近に達している一方、上空1500m付近の気塊は風下側の前橋付近で急降下し熊谷の地上付近に達していた。地上付近での地峡風の水平発散に伴う補償流の存在が示唆される。
  • 永戸 久喜
    セッションID: S0108
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    気象庁では、天気予報や各種気象情報の作成を支援するために、その目的に応じて計算領域や計算格子間隔の異なる複数の数値予報モデルを運用している。本講演では、これらの現業数値予報モデルの概要を紹介するとともに、統計や事例による検証結果を基に、夏季の関東地方北西部の最高気温予報特性と課題について示す。
  • 福岡 義隆
    セッションID: S0109
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    先行研究を概観して取り組む姿勢が大事。Kratzerや福井気候学・吉野小気候などの著書から始まる。熊谷については河村・水越らの優れた研究がある。時間配分内で本稿で多少触れる.重田祥範らによる「関東平野北西部で発生する猛暑の形成機構解明を目指した広域気象観測網の構築」にはじまり,永戸久喜 「気象庁現業数値予報モデルによる夏季の関東地方北西部の最高気温予測特性」にいたる7編の発表に関するコメントと,今後の問題点をまとめる.
  • 久保 倫子
    セッションID: S0201
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.研究の背景:居住地域構造の変化と住宅供給 日本では私鉄資本による沿線開発や大手不動産資本による大規模住宅地開発が行われたことにより、1960年代から70年代に都市の郊外化が加速度的に進行した。都市郊外では、鉄道網の整備によって都心への通勤者の郊外居住が加速し、非大都市圏出身者の住宅購入が郊外化と密接に結びついていることが明らかにされた(川口 1997;谷1997)。1990年代後半以降になると、人口の都心回帰傾向が指摘されるようになった。この要因は、工場・商業施設・大型レジャー施設等の跡地利用や各都市の駅周辺での再開発事業のためにマンション開発が盛んに行われたこと(不動産経済研究所2002)、地価の下落によるマンション供給と行政主導の公共住宅供給により人口増加が引き起こされたことなどである(矢部2003)。この現象にともなう住民構成の変化に着目した研究から、1990年代後半に多様な住宅供給がなされた東京都心部で居住者の量的・質的変化がおこり、都市空間の再編成がおこっていると指摘されている(宮澤・阿部2005)。都市中心部においてマンション供給が増加する一方で、郊外住宅地の多くは、開発から数十年が経過し居住者の加齢にともなう地区全体の高齢化や持続性の危機などの問題に直面しつつある。2.研究課題東京大都市圏における居住地域構造が大きく変容している現在、その実態を明らかにする上では、住宅の供給的側面や居住者の住宅取得行動の分析が有効であると考えられる。しかしながら、複雑に入り組んだ住宅市場において全てのサブマーケットに焦点をあてる事はデータの制約などの問題もあり大変困難である。そのため、本研究では1990年代後半以降の住宅供給において重要な役割を占めるマンションの供給的側面と居住者の住宅取得行動を扱うこととする。東京大都市圏におけるマンション供給の変化を示した後、その要因について専攻研究等や事例研究をもとに検討する。これらを踏まえて、東京大都市圏における都市居住地域構造の変容と住宅・居住との関係を考察する。3.東京大都市圏におけるマンション供給と住宅取得行動東京大都市圏においては、多様なマンション供給がなされてきたが、1990年代後半以降は、都心部でのコンパクトマンションの供給、湾岸部を中心に超高層マンションの供給などが顕著であった(久保・由井2011)。大都市近郊においても、核家族世帯にむけたマンション供給などが継続してきた(久保2010)。世帯構成やライフスタイルの多様化が進み、また大都市圏において生まれ育った世代が住宅購入の年齢に達するようになったことにより、必ずしも郊外の戸建住宅が理想的とはみなされなくなり、郊外化の時代のような等質的な住宅取得行動がみられなくなっている。文献川口太郎 1997.郊外世帯の居住移動に関する分析―埼玉県  川越市における事例-.地理学評論70A: 108-118. 久保倫子 2010.幕張ベイタウンにおけるマンション購入世帯の現住地選択に関する意思決定過程.人文地理 62:1-19.久保倫子・由井義通 2011.東京都心部におけるマンション供 給の多様化-コンパクトマンションの供給戦略に着目して -.地理学評論 84:460-472.谷 謙二 1997.大都市郊外住民の居住経歴に関する分析-高蔵寺ニュータウン戸建住宅居住者の事例-.地理学評論 70A:263-286.不動産経済研究所 2002.『全国マンション市場動向2002年実績・展望』不動産経済研究所.宮澤 仁・阿部 隆 2005.1990年代後半の東京都心部における人口回復と住民構成の変化-国勢調査小地域集計結果の分析から-.地理学評論 78:893-912.矢部直人 2003.1990年代後半の東京都心における人口回帰現象-港区における住民アンケート調査の分析を中心にして-.人文地理 55:277-292.
  • 生駒市を例に
    稲垣 稜
    セッションID: S0202
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     本研究は,大都市圏郊外地域の現状をふまえ,居住と通勤の面から大都市圏郊外の変容を考察するものである。大都市圏の日常生活行動に関する研究において,通勤は重要な指標であり続けてきた。 これまでの郊外の通勤研究は、統計データをもとにしたマクロレベルの分析に始まり,その後アンケート調査をもとにしたミクロレベルの分析へと進んできた。報告者は,郊外の通勤流動に与える人々が,郊外流入者である第1世代から郊外出身者である第2世代にシフトした点を踏まえ,郊外第2世代の居住,通勤行動を明らかにした(稲垣,2011)。しかし,現代の郊外は,すでに第2世代さえも親元を離れつつある時代に突入している。したがって,現代の郊外における通勤流動の変化メカニズムを明らかにするには,第2世代からの考察のみでは不十分である。 そこで本研究では,近年の郊外居住者の通勤流動に着目する。また,郊外化時代の動向と比較するため,1970年代に郊外に流入してきた人々も対象とする。 本研究では,国勢調査データとともに,アンケート調査により収集した郊外居住者の居住地,就業地の変化を分析する。対象地域は,近鉄奈良線沿線に位置し,大阪大都市圏郊外に相当する生駒市(および奈良市の一部)である。 生駒市は,1970年代,1980年代には10%以上の人口増加(5年間隔)をしてきたが,1990年代に入ってその勢いは弱まっている。また大阪市への通勤率は,1985年以降,低下傾向となり,1995年以降は大阪市への通勤者の絶対数でも減少を示すようになっている。 アンケート調査は,①1970年代に入居が開始された一戸建て住宅地,②1990年代後半以降に入居が開始された一戸建て住宅地,③1990年代後半以降に入居が開始されたマンション,において,2012年10月~11月にかけて実施した。対象となるのは,世帯主と配偶者であり,アンケート内容は,出身地,前住地,入居当初の就業地,現在の就業地などである。
  • 川口 太郎
    セッションID: S0203
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     大都市圏における居住地移動に関する先行研究の多くは,少産少死への人口転換が行われる1950年代以前に生まれた多産少死世代を対象にしていた。これらの研究では,若年期には都心周辺に居住していた人々が,ライフコースの進展に伴ってより広い住居を求めて外向的な移動を行ったことが,大都市圏の外延的拡大をもたらす原動力であったことを明らかにした。バブル経済が崩壊し低成長期に入ると,住宅市場の主役は人口転換完了後に生まれた少産少死世代へと移行した。地価は一転して下落基調となり,都心周辺部や駅周辺での高層マンションの建設が目立つようになった。また,晩婚化・非婚化,少子化などによって世帯形態の多様化と世帯規模の縮小が起こり,これを反映して住宅市場におけるニーズは多様化した。 時代背景が異なる以上,少産少死世代の居住地移動は多産少死世代とは異なる特徴を示すと考えられる。多産少死世代にあっては,年功序列の終身雇用体系と右肩上がりの経済環境のなかで,それなりに安定した人生設計を描くことができた。したがって所得水準に制約されつつも,年齢規範に裏打ちされた画一的なライフスタイルを実現することができ,その合成ベクトルとして「住宅双六」なる単線的なライフコースを認めることができた。一方,少産少死世代においては,所得の伸び悩みや雇用の流動化に伴う将来の不透明に加えて,ライフコースを律してきた伝統的な社会規範が弱体化して個人の選択と責任に帰せられるようになった。それゆえライフスタイルは多様化し,その合成ベクトルとしてのライフコースに明瞭な方向性を見いだすことが困難になった。少産少死世代の居住地移動は,働き方・住まい方・家族のあり方などが多様化する一方で,さまざまな立地・形態の住宅が供給されるようになり,一般化を難しくしている。 しかしながら,以下の2つの点に新しい時代・世代の居住地移動を理解する手掛かりを見いだせるのではないかと考える。その第1は,家庭内の性別役割分業を実現した多産少死世代に対して,少産少死世代は一人稼得世帯を維持することが難しく,共働き世帯の増加となって表れたことである。そのため世帯にあっては仕事と家事・育児の関係を個人や家族のなかで調整することが必要になり,場合によっては親族資源や公的資源のサポートも必要になってきた。これらをどのように組み合わせるかは個々の生活戦略であるが,女性の就業継続と育児支援が居住地の選択に大きな要素を占めるようになったことは,多産少死世代との大きな違いである。 第2に,少産少死世代には大都市圏出身の「第二世代」が多いと考えられる。親世代の多くが大都市圏内に居住していると考えられ,それはすなわち,居住地の選択にあたって実家や親の存在を無視できないことを意味する。地方出身者が多い多産少死世代は,故郷に残した親の存在を気にしつつも,あるいは当てにできないことを前提に,自らの住まいの選択を行うことができた。それに対して少産少死世代の多くは前提として実家の存在があり,その支援を期待することもできれば,いずれは支援を期待される場面も出てくるであろう。もちろんこれは選択の問題であり,すべてがそうなるわけではないが,少なくとも多産少死世代の居住地選択の念頭にはなかった実家との関係が看過できない要素になっている。 住まいの選択は,直接的には購買力に帰するところが多いものの,究極的には,さまざまな妥協を強いられるとしても,どのような人生(生活)を送りたいかという価値観の選択であり,ライフスタイルの選択であると考えられる。仕事と家事・育児の折り合いをどのようにつけるか,あるいは親との関係をどのように取り結び,親族資源をどのように活用していくかといったことは,生活の在り方を根本的に規定しているといっても過言ではなく,住まいの選択にあたって重要な要因なのではなかろうか。
  • 千里ニュータウンを事例として
    香川 貴志
    セッションID: S0204
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    国内最古のニュータウンである千里ニュータウンを事例地域として、その周辺と内部における分譲マンションの供給動向を調べた。ニュータウン周辺地域では、千里ニュータウンのイメージの良さを活用した分譲マンションが1970年代から供給され始めたが、これは千里ニュータウン内の再開発が規制されていたことを反映していると考えられる。他方、ニュータウン内部では、1980年代における給与住宅の改築を皮切りとして分譲マンションの供給が始まり、1999年におけるPFI法の成立によって一層多くの分譲マンションが供給されるようになった。現在では、内部での供給戸数が周辺地域のそれを上回っており、千里ニュータウンは大きな変革期を迎えているといえる。
  • -広島市高陽ニュータウンの事例-
    由井 義通
    セッションID: S0205
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.研究の目的高度経済成長期以降,大都市圏郊外地域で活発に開発された住宅団地では,居住者の高齢化とそれに付随したさまざまな問題が表出している。入居当初は若年層に偏っていた世帯主夫婦は高齢化し,さらに彼らの子どもたちは独立したことにより高齢者夫婦のみの世帯か高齢単独世帯が中心の住宅地へと変容している(福原;1998,由井;1998,中澤ほか;2008)。そのため,郊外住宅団地における高齢化や再活性化は喫緊の課題となっているが、高齢化対策のみでは住宅団地の活性化をはかることは困難であり、高齢化対策と並行して 、いかに若年世帯を呼び込むことができるかが検討されている。本研究の目的は、郊外住宅団地における活性化策を立案するための基礎的資料を得て、持続可能な住宅地へと転換をはかるために、子育てによるまちづくりの可能性を探ることである。上記の目的のために、本研究では国勢調査等の統計資料によって郊外住宅団地における女性の就業状況を把握するとともに、子育てをしながら働く女性たちを対象にしたアンケート調査によって、彼女たちの就業と子育ての状況に関する実態と課題の解明を試みた。アンケート調査は、2011年4~6月に、住宅団地内の公立保育園、公立幼稚園、公立小学校低学年児童をかかえる母親に対して実施した。アンケート調査票の配布は、保育所・幼稚園・小学校で1100部配布し、146部の有効回答を得た。2.郊外地域における女性就業と子育ての状況研究対象である広島市安佐北区の高陽ニュータウンは、1980年代前半に供給された広島県内最大の郊外住宅団地であり、計画面積268.2ha,計画人口約25000人であった。人口規模は計画人口に届かず減少し始め、約20000人の居住人口となっている。かつて高陽ニュータウンでは専業主婦が多く、子育て中の女性就業者は少なかったが、近年は専業主婦が減少し、就業女性が増加している。そのため、高陽ニュータウン内の市立幼稚園は廃園の方針が出され、3園の公立保育所への依存が強くなっている。子育て中の就業女性を対象としたアンケート調査結果によると、半数以上がパートタイムの非正規就業者であった。彼女たちは、勤務時間の融通によって子育てと就業の両立をはかっており、通勤の利便性や家事や育児の時間が十分確保できるパート就業を選択している。高陽ニュータウンに居住することを選択した理由として、ニュータウン内に住む自身の親への近接性をあげた回答が約3分の2であったことから、就業と育児・家事の両立のために、近居を志向していることが明らかになった。この傾向は、香川(2010)による千里ニュータウンでの研究結果と共通する。3.子育てによるまちづくりへの課題少子高齢化社会が深刻になりつつ郊外住宅団地において求められるのは、あらゆる年齢層に向けた総合的な活性化策である。特に若年世帯を呼び込むことによって、居住世帯の多様化をはかり、長期的に持続性のある社会づくりが課題となる。
  • 千葉 昭彦
    セッションID: S0206
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     東日本大震災では建物被害や宅地の崩壊なども数多くみられた。それに対しては、建築や土木、地質などの領域において調査が進められているが、社会経済的な分野での検討は必ずしも多くはない。そこで、本報告では東日本大震災におけるこの宅地、とりわけ住宅団地(造成地)の被災に関して、その社会経済的な特徴を明らかにし、その上で被災地域において今後検討が必要になると考えられる社会問題を示す。具体的には、今日多くの都市圏で社会問題化している郊外での人口減少・高齢化が急激に顕在化し、被災住宅地の復旧・復興のあり方をも左右する状況になっている。逆に言うならば、この郊外での高齢化の実態を踏まえない復旧・復興事業は、地域社会の再生をもたらさないと見ることもできる。また、東日本大震災での被災によってこの郊外問題の顕在化の時間が早められたとするならば、ここでの復興事業は他の多くの都市圏での将来の課題解決の方向性を先取りしていると考えることもできるだろう。 宅地被害は圧倒的に仙台都市圏に集中するが、その位置を地図上で確認すると仙台駅から南北3~5キロ程度の位置で特に多くみられる。個々の造成地の被災理由には個別事情もあると思われるが、高度経済成長期に造成された住宅地でもある。そして、この時期は同時に宅地造成等規制法の基準や規制が適用される以前の時期でもある。この宅地造成等規制法は、実態としては成立後約10年間適用されていなかった。そのため、その(不作為?の)理由を明らかにすることは、政治・経済的なテーマとして重要であろう。 ただ、このような問題とは別に、これらの被災宅地では災害発生以前から人口減少と高齢化が顕著になっていた。そのため、すでに多くの商店の撤退・倒産や医療機関の不足、公共交通の減少などの地域問題が指摘されていた。そのような地域での被災は、人口減少の加速化を促すことが想定されるし、これらの地域問題のいっそうの激化も予想される。となると、たとえ造成地を被災以前の状態に回復したとしても、そこでの生活条件は以前よりもより悪化することが推察される。 けれも、実際にはこれらの被災地の多くは復興計画において原状回復をはかることになっている。確かに費用が確保できれば、多くの造成地・敷地での原状回復のする可能性は大きいと報じられているし、居住者・所有者の中ではそれを望む声が多く聴かれる。とは言え、それで個人財産が回復したとしても、地域社会として良好な居住環境が保証されるわけではない。 被災空間の造成地の原状回復だけでは問題解決にならず、被災以前の地域問題の再現、あるいは被災以前よりも地域問題を悪化させる結果になりかねない。したがって、被災住宅地の復旧・復興を検討するに当たっては、土木事業としての復旧だけではなく、居住のあり方それ自体、あるいは多くのところで顕在化しつつある郊外問題としてを検討することが求められる。
  • 松井 秀郎, 竹内 淳彦, 田邉  裕, 濵野  清, 吉開  潔
    セッションID: S0301
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.シンポジウムの趣旨 1)新学習指導要領における地誌学習(諸地域学習)の拡充 平成25年度からいよいよ高等学校での新学習指導要領が完全実施となる。なかでも地理Bでは、三つの大項目の中で「(3) 現代世界の地誌的考察」を設け、諸地域の地誌的な学習内容を充実し、また、「地誌的に考察する方法」を身に付けさせることも重要なねらいとされている。 内容の取扱いでは「アで学習した地域区分を踏まえるとともに,様々な規模の地域を世界全体から偏りなく取り上げるようにすること。また,取り上げた地域の多様な事象を項目ごとに整理して考察する地誌,取り上げた地域の特色ある事象と他の事象を有機的に関連付けて考察する地誌,対照的又は類似的な性格の二つの地域を比較して考察する地誌の考察方法を用いて学習できるよう」とされ、これまでのいわゆる静態地誌,動態地誌に加えて、比較地誌の方法によっても考察することが求められている。 2)地理学における地誌研究などの衰微と再興への方途 高等学校での地理教育において、地誌学習が拡充される一方で、地理教育の根幹となる地理学における地誌研究や方法論としての地誌学の衰微が著しい。宮本昌幸・武田泉によれば地誌学を専門とする日本地理学会会員数は減少し、題名に地誌と明記した著書・論文や学会発表も低調な状況にある。 このような問題意識から、地誌学の興隆期から地誌学に強い関心を抱きつつ研究を続けてこられた先生方や、高校教育現場の長として地理教育に力を入れておられる校長先生、全国の学校での地理教育・社会科教育の指導を進めている教科調査官の参加を求めて、本シンポジウムを地誌研究などの再興に向けた講演と総合討論の場としたい。2.講演内容の概要  (1)濵野 清:「新学習指導要領における地誌学習の位置付け」 新学習指導要領における地誌学習重視の視点は、小・中・高等学校を貫く改訂の柱である。学力の重要な要素として基礎的・基本的な知識、技能の習得が求められる中、日本や世界の諸地域に関する地理的認識を養うための学習が、改めてその学習指導要領の内容として位置付けられることとなった。 ここでは、とりわけ大項目レベルで内容構成が変更された中学校と高等学校に焦点を絞り、その概要を確認したい。 (2)竹内 淳彦:「いま、地誌を考える」  「地誌」は正しい地方づくりのための基本である。“地域性の解明と記述”を目的とする地誌の基本は田中啓爾の研究に見られ、田中の「指標をもとにした地域性の解明」と動態的な「地位層」の考えこそが地誌研究のベースとなる。これらをもとに地域区分、域の重層、シンボルなどが検討される。「地誌」の充実のためには、学界、教育界、行政挙げての強力な取り組みが不可欠である。 (3)田邉 裕:「私の受けた地誌教育から考える」 1950年代の大学では、多田先生が外国地誌、福井先生が自然地誌、飯塚先生が「日本と世界」を中心に地誌全般を講じ、1960年代のレンヌ大学ではフランス地誌を受講した。共通する特徴は系統的・画一的でなく、「そこはどのような所か」を明らかに出来るような地域性の指摘から入っていた。自分がヨーロッパ地誌を講ずる立場になって、網羅的でありながらトピック的な地誌とその順序性の論理構築を心がけた。 (4)吉開 潔:「私の体験的地誌教育論」 グローバル人材の育成やリベラルアーツの重視など、総合的な知識・思考力を求める最近の教育動向は、地誌学及び地誌教育の活性化に資するものといえる。かつて高校地理教師として世界地誌を指導したとき、大学で地誌関係講座を履修した経験が活きた。新学習指導要領で地誌学習が充実された今こそ、地誌学研究者と中・高地理教師が連携・協力して、魅力ある地誌授業の開発・実践に取り組んでいく必要がある。
  • ~導入~
    今井 修
    セッションID: S0401
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本シンポジウムの導入として,地理学の社会的役割に関する仮説を立てた.地理学研究者は,現象の分析,現象に対する影響までを対象と考えるものの,社会が関心も持つ対策からその結果のモニタリングに関しては関心が薄い.このことが地理学の社会的認知を下げているのではないか.そこで,実際に必要とする場面として,交通安全という社会的課題の認識の場面を示し,解説する.
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