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中川 清隆, 渡来 靖, 重田 祥範, 吉﨑 正憲
セッションID: 113
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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Ⅰ.はじめに 我々は,昨年度秋季大会において,上信越山岳域24地点における観測値に基づいて2013年8月の晴天日気温・気圧日変化を求め,特異な位相差の存在を報告した(図2~4(下),省略).この度, 領域気象モデルWRFによる晴天日気温・気圧日変化の再現計算を試みたので,ここにその結果の概要を報告する.
Ⅱ.再現計算方法 再現計算には領域気象モデルWRF(Ver.3.4)を用いた.計算領域は図1(省略)の太枠で示す矩形領域とし,水平格子数100×180,水平分解能2 km,鉛直40層とした.最上層は100hPa面で固定されている.2013年7月31日12UTC (21JST)を初期値として12秒間隔で9月1日00UTC (09JST)まで31.5日分の積分を行なった.初期・境界値には大気データに気象庁/MSM(緯度0.1°経度0.125°間隔,3時間毎),地温・土壌水分データにNCEP/FNL(緯度経度1°間隔,6時間毎),海面水温データに気象庁/MGDSST(緯度経度0.25°間隔,1日毎)を用いた.毎正時を含む10分間隔で全格子点における計算結果を蓄積した.
上信越山岳域24観測地点の最寄り格子点における計算結果を当該地点の再現計算値とみなした。最大で2kmの空間誤差が存在しうる.前橋地方気象台の日照時間が9時間以上の日のみを抽出して時刻別に平均を求めて晴天日気温・気圧日変化曲線とした.
Ⅲ. 再現計算結果の特徴
再現計算により得られた結果を図2~4(上)(省略)に示す.当該期間の晴天日気温・気圧日変化の基本的な特徴はほぼ再現されている.特に日変化位相差の特徴は極めて良く再現されており,昨年度秋季大会において強調した低標高地点における日中の気温日変化位相差の負の標高依存性や大気潮汐の影響も明瞭である.ただし,標高が最高の1400m である赤城山白樺高原における気温日変化位相差は,観測値に比べると不明瞭である.また,観測値において認められる利根川谷頭地域における日中の気温正偏差の正の標高依存性は再現されなかった.当該地域のみに特異な要因が存在する可能性も含めて,詳細な検討は今後の課題である.
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グエン キム ロイ, グエン クワン ヴィエット
セッションID: S1605
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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本プロジェクトでは河川環境に関する住民参加型フィールドワークショップを実施した。対象とした河川はクワンナム省タンビン県を流れるリーリー川であり,ビンライン行政村,ビンクイ行政村において中学生などの参加を得て,現在の河川環境の状況を理解することを目的に実施した。はじめに調査票とGPSカメラをもって実際の河川環境を把握したうえで,ESRI社のWebGISの一種であるStoryMapを用いて結果の取りまとめを行った。StoryMapによって,LyLy川流域における変化の自然と環境を評価することができる。StoryMapは,オブジェクトとイベントの相対的な位置についての情報へのアクセスを容易にするため,河川環境に関する住民レベルでの様々な考察に資するものと期待される。
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松本 穂高, 小林 詢
セッションID: P023
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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目的日本の高山において積雪が晩夏まで残る地点では,植生が進出できないため砂礫地が形成される。その残雪砂礫地は一般に窪む。その窪みをもたらすのは,砂礫地内の侵食作用である。その侵食にはどのような土砂移動が関わっているのか。その土砂移動のプロセスを解明するのが本研究の目的である。今回,下に述べる方法を用い土砂移動と地温を高い精度で把握することができた。そのデータをもとに残雪砂礫地内で起こる土砂移動プロセスを考察したので報告する。
方法長野県乗鞍岳中腹の標高2540m付近に存在する残雪砂礫地において,筆者らは2004年から土砂移動および地温の1時間インターバル連続観測を行っている。土砂移動観測の装置として,2010年にポテンショメーター式変位変換器を用いたソリフラクションメーターを製作し,フィールドに導入した。これは,ターゲット礫に結んだワイヤーの伸び縮みを電圧の変化で検出し変位に変換させる装置である。従来用いてきたペイントライン法では移動のタイミングを把握することはできず,またひずみプローブ法では移動のタイミングは把握できるものの,年間10cm以上におよぶ大きな移動には対応できない。さらに最近取り入れられている自動撮影カメラを用いた方法も,積雪が10mにおよぶ本調査地への適用は困難である。そこでソリフラクションメーターの利点を生かし,この調査では1mまでの斜面下方移動を観測し,その移動量を残雪砂礫地内の3地点間で比較することとした。この3地点では,融雪タイミングおよび凍土融解の進行速度を得る目的で地温も観測した。本発表では2012年10月~2014年10月にわたる2年間分のデータの分析結果を示す。
結果と考察観測から次の結果を得た。
①3地点とも年周期および秋季に日~短周期の凍結融解サイクルが発生した。これに伴い,特に秋季に顕著な移動が全地点で見られた。
②各地点で融雪直後に凍土融解が開始し,その後の3日間で大きな移動がみられた。
③無積雪期におけるまとまった降雨に合わせ,顕著な移動が発生した地点があった。
④積雪下の凍結状態の間にも移動がみられた地点があった。
これらの土砂移動は,それぞれ次の移動様式と考えられる。
①年周期凍結クリープおよび短周期凍結クリープ,②ジェリフラクション,③降雨によるウオッシュ,④積雪グライドによる引きずり。
これらが複合したケース,たとえば地点Aの融解開始後2日目に短時間の凍結が発生したケースでは,わずか2時間で2.0cm移動した。また地点Bの融解開始後3日目に計70mmを超える降雨があったケースでは,半日あまりで1.6cm移動した。これらの移動を様式ごとに比較した結果,凍結クリープおよびジェリフラクションが主要な移動様式であり,地点によって降雨ウオッシュもあることがわかった。砂礫地内における移動様式の地理的差異については,残雪からより早く解放される地点でのみ日周期凍結クリープによる移動がみられたが,現時点で一般化できる明確な傾向はつかめていない。
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青森、弘前、八戸市の調査から
櫛引 素夫
セッションID: 615
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1)はじめに
整備新幹線は2002年に東北新幹線が八戸開業、2010年に新青森開業を迎えるなど、2015年1月までに5路線中、3路線が営業を開始した。2015年3月には北陸新幹線が金沢開業、2016年3月には北海道新幹線が新函館北斗開業を迎える。
整備新幹線の開業に際しては経済的な効果の研究が多数なされているが、地域社会総体や住民生活の変化、さらに沿線住民の評価に関する研究例は非常に少ない。
発表者は2014年8~9月、青森県内の青森、弘前、八戸の3市で、住民896人を対象に郵送で新幹線の評価に関する調査を実施し、計313人から回答を得た(回収率35%)。本研究では、この調査結果に基づき、地域社会の変化を住民の視点から分析するとともに、新幹線開業の意義や地域政策としての可能性、および課題について検討する。
2)新幹線の利用動向
新幹線の利用経験は、「11回以上」と答えた住民が八戸市では70%を超えたのに対し、青森、弘前両市では30%台だった。利用頻度でも、八戸市では「年に1~2回」以上と答えた人が70%を超えたが、青森、弘前両市では40%台にとどまった。新幹線開業に伴い鉄道の利用頻度が「大きく増えた」「少し増えた」と答えた人は、八戸市で半数を超えたのに対し、青森、弘前両市では30%前後だった。
他方、青森市では、回答者の50%が、新幹線開業に伴い「新幹線で出かけたい気持ちが強くなった」と答え、八戸市の42%、弘前市の36%を大きく上回った。このことから、青森市でも今後、新幹線の利用が活発化し、定着していく可能性を指摘できる。
3)鉄道や地元の変化に対する評価
3市とも、新幹線がもたらした変化で最も評価が高いのは「東京や仙台、盛岡との行き来が活発になったこと」である。この項目を除くと、3市の回答にそれぞれ大きな特徴がみられる。
八戸市では、回答者の9割近くが「盛岡や仙台、東京への所要時間が短くなった」と評価しており、青森市の66%、弘前市の68%を大きく上回った。八戸駅は新幹線駅が在来線駅に併設されたのに対し、青森市は新駅にターミナルが移転したこと、弘前市は奥羽線で乗り継ぎが必要なことが影響しているとみられる。
また、八戸市では新幹線開業に伴い「市の知名度が上がった」と評価している人が48%に達し、交通面での利便性向上とは直接、関係のない「存在効果」への評価が高い。半面、「新幹線駅一帯が代わり映えしない」ことを心配する人も44%あり、2002年の開業後、駅一帯の整備や開発が大きく進展しないことへの不満や不安も大きい。
青森市では、知名度の向上や観光客の増加を歓迎する回答が多い一方で、22%が「駅の利便性が低下した」と回答し、ターミナル移転への不満が強い。加えて、新青森駅前の開発が進まない現状に対し、回答者の54%が、開業をめぐって「心配なこと」に挙げ、新青森駅の景観や機能への不満はさらに強い。
弘前市は、観光客の増加を評価する回答が34%と高いが、市内に活気が出ていないこと、新青森駅前の開発が進まないことへの不満が強い。
これらの変化に対する評価を総合して、「自分の暮らし」「自分が住んでいる市」「青森県全体」の3項目について、新幹線がもたらした変化を「良い効果をもたらした」「悪い影響をもたらした」「何とも言えない」から選択してもらった結果、同一の市でも項目ごとに評価の傾向が異なる上、市によっても評価傾向が異なった。
全体的に肯定的な評価が目立ったのは八戸市で、3項目いずれも「良い効果をもたらした」という回答が40%を超えた。一方、青森市では、「自分が住んでいる市」について「良い結果をもたらした」が34%、弘前市では31%だった。
4)北海道新幹線開業への予測
北海道新幹線が及ぼす変化の予測については、「自分の暮らしに良い効果をもたらす」と答えた人は3市とも20%台、「悪い影響をもたらす」と答えた人が4~6%で、7割前後が「何とも言えない」と答えた。青森県全体に及ぼす変化については、回答傾向がやや異なり、「良い効果をもたらす」が八戸市で39%だったのに対して、青森市では28%止まりだった。また、「悪い影響をもたらす」と答えた人が3市とも1割を超えた。
具体的な懸念材料としては「道南・函館に観光客を吸い取られる」ことを挙げた人が3市とも最多で、青森市では63%、他の2市でも48%に達した。
5)考察
新幹線開業がもたらす変化について、住民は「自分の暮らし」「自分の市」「県全体」とで異なる評価の視点を持つことを確認できた。また、「知名度の向上」など、いわゆる「存在効果」への評価も重視していること、さらには新幹線駅周辺の機能や景観が整わない「負の存在効果」にも敏感であることが確認できた。
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木村 義成
セッションID: S1604
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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ベトナムの農村地域においては,地域住民が地形図をはじめとする正確な地図に触れる機会が少ない,あるいは地図そのものに馴染みがない状況で ある。このような背景のもと,日本とベトナムの大学と共同プロジェクトにおいてメンタルマップGISを開発した。このGISアプリケーション を利用して,地域住民に描いてもらったメンタルマップ(手書き地図)上のランドマークの位置を,地形図や航空写真などの正確な地図上で探し出 す,という簡単なゲームを行うことにより,同じ地域の中でも住民間でランドマークが異なることや,他人が描いたメンタルマップ上でランドマー クを発見する難しさを地域住民に理解してもらった。このGISアプリケーションにより,地域コミュニティの情報を共有するうえで,正確な地図 が便利であることを理解してもらうことが,我々のプロジェクトの目的である。本発表では,プロジェクトの概要,開発したメンタルマップGIS のデモンストレーション,今後のプロジェクトの課題について述べる。
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山田 浩久
セッションID: 907
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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地価の形成要素に関しては明らかになっているものの,それらの地価に対する関わり方については中長期的なトレンドがあるため,一つのモデルで全ての地価形成を説明することは難しい。土地の実勢地価と理論地価とのギャップを埋めることが地価変動研究や地価政策の重要なテーマであることはもちろんであるが,地価と地価形成要素との関係を時代や地域ごとに把握し今後の変化を予測することが,より精度の高いモデルの構築や地価を指標とする地域研究に有効であると考える。
本研究では,地価と地価形成の基盤となる土地生産性との関係を都道府県別に見ることによって,近年における傾向とその地域的な特徴を明らかにすることを目的とする。
第二次産業と第三次産業の土地生産性に関しては,『県民経済計算(2001年度 - 2011年度)』を使用し,それぞれ都道府県別の民有宅地の総面積で除したものを使用した。加えて,同じく『県民経済計算』の雇用者報酬を民有宅地で除したものを変数として採用した。地価に関しては,『県民経済計算』の採用年次に合わせ,2002年から2012年までの『地価公示』を地価データとして採用し,都道府県別に平均住宅地地価と平均商業地地価を算出した(以下,住宅地地価,商業地地価)。
大都市の経済活動は地価形成に広域的な影響を及ぼす。近県にそのような大都市が存在する場合,都道府県内の地価形成には域内の経済活動以外の要因が作用していると考える必要がある。そのため,本研究では,三大都市圏を形成している11都府県(茨城県,埼玉県,千葉県,東京都,神奈川県,愛知県,三重県,京都府,大阪府,兵庫県,奈良県)にダミー変数(大都市圏ダミー)を設定し,第二次産業,第三次産業及び雇用者報酬の土地生産性と共に,都道府県の地価に対する単相関係数を年次ごとに求めた。住宅地地価の場合,各年次とも4変数の地価に対する相関係数は1%水準で有意となる中で,地価の都道府県間格差に最も大きな影響を及ぼしているのは雇用者報酬であり,その相関係数は徐々に上昇していることが分かった。商業地地価も全変数が1%水準で有意となったが,都道府県間格差に最も大きな影響を及ぼしているのは第三次産業であった。大都市圏ダミーの相関係数は住宅地地価に対してより高い値を示し,大都市の県境を越える影響は住宅地地価の方が大きいことが分かった。また,両地価とも第二次産業は2006年,2007年,2008年において値を下げ,全期間通じて低下傾向にある。第二次産業の土地生産性は,そもそも住宅地や商業地の地価に直接的な影響を及ぼさないと考えられるが,第二次産業自体の低迷や市街地に混在する零細規模の工場が淘汰されていることも一因として挙げられる。
次に,都道府県別に2002年から2012年までの地価と第二次産業,第三次産業及び雇用者報酬の土地生産性との単相関係数を求めた。また,同期間において全国の平均地価が2008年にピークを迎えることから,2007,2008,2009年の地価にダミー変数(地価回復ダミー)を設定し,その単相関係数も併せて算出した。住宅地地価の場合,概ね各道府県とも雇用者報酬との相関が高いが,東京都,愛知県,三重県,福岡県,沖縄県では有意な相関が現れなかった。このうち東京都は,第三次産業との間で弱い相関が見られ(5%水準),地価回復ダミーに対しては唯一有意な相関関係が現れた(1%水準)。商業地地価の場合,第三次産業よりも雇用者報酬との相関が高い県が多い。バブル期においては商業地地価が住宅地地価を押し上げたことが知られているが,地価の下落期においては絶対的な水準が低い住宅地地価が商業地地価の形成に影響を及ぼすため,住宅地地価との間で高い相関を示す雇用者報酬が商業地地価にも現れたと考えられる。大都市を抱え,あるいは大都市圏域に属し,商業地地価が主体となる地価形成が行われていると推測される北海道,宮城県,千葉県,東京都,神奈川県,京都府,大阪府では雇用者報酬との間に相関関係は見られず,代わりに東京都,京都府,大阪府では地価回復ダミーとの相関関係が現れたことも上記の解釈を裏付ける。
全国の平均地価には大都市の地価が大きく反映されている。地方の地価を議論する場合は,地域の実状から導かれる固有のメカニズムが存在すると考えるべきである。全域を網羅する地価データが得られない以上,代表値から導かれるモデルとの差異を段階的に明らかにしていく研究が必要であると考える。
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長尾 謙吉
セッションID: S1302
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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1.就業機会をめぐる地域格差
日本における地域格差をめぐる論点のひとつが,1980年半ば以降の「三大都市圏vs.地方」から「東京圏vs.その他」への移行である。多様な階層が三大都市圏へと集中した高度経済成長期と比べて,「東京一極集中」のもとでは東京圏に専門的な機能と職種が集中し,人口移動も「選択的」に高学歴層と女性が東京圏を指向している(中川2005)。就業機会の地域的偏在が,「東京圏vs.その他」の構図と大きく関わっているのではなかろうか。就業機会の格差を考えるうえでは,ピケティの『21世紀の資本』よりもコーエンの『大格差』で示された論点がまずは重要である。「平均の終焉Average is over」を論じるコーエンは,技術進歩に伴う中間層の減少に焦点をあてた。若年層にとって労働市場は「悲しい真実」として極めて厳しい状況である一方,高所得層がより高い所得を得る傾向が強まる。日本語訳の副題は「機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」であるが,あわせて「機械の知能は機会の地理をどう変えるか」を検討する必要があろう。 『大格差』で示された論点は,グローバル・シティ論とからめて論じられてきた「分極化」や「専門職化」と重なるところがある。しかし,中間層の仕事が地理的により低賃金な地域へと移動していくことだけでなく,技術進歩に伴う仕事の質的変化に大きな関心が払われている。就業機会をめぐっては,質的変化と地理的変化をともに考慮しなければならない。
2.就業の地理―産業構造と職業構造―
地域格差や地域間の平等に関して何を問題視とすべきかは百家争鳴となるが,就業に関する機会均等が最も重要な問題であるとも位置づけられてきた(川島1976)。そこでは,機会均等実現のために,産業的多角化と地域間の産業構造の均衡が鍵となることが論じられた。しかし,産業構造とともに職業構造にも目を向ける必要がある。橘木・浦川(2012)では,居住地域に対する住民の意識は「さまざまな仕事がある」という就業機会について東京圏をはじめ三大都市圏で高い数値を示し,専門的・技術的職業従事者と管理的職業従事者をあわせた「新中間階層」の割合との相関が示唆されている。また,「特に男性に関して,人的資本レベルの高い個人が,地方から都市(東京圏)に移動している可能性がある」ことが提起されている。製造業における職業構成に着目した長尾(1996)で示したように,製造業は階層的な立地体系を基軸としつつも,管理職や事務職に関わる就業機会を三大都市圏以外の地域でも生み出し「さなざなな仕事がある」ことに貢献した。サービス経済化は地方においても進展しているが,サービス業が比率的に高くなるのは製造業の発展が弱い地域であり,「ネガティブなサービス経済化」の側面もある(加藤2011)。さらに,統計分類上で広義のサービス業の専門的・技術的職業従事者をどのように評価すべきか難しい問題を含んでいる。 産業構造と職業構造からみて,規模においても構成においても東京圏が「さまざまな仕事がある」ことに卓越した地域である。しかし,東京圏で就業機会を得た「新中間階層」が「豊か」であり,階層間格差や「東京圏vs.その他」の格差を深化させていると断言できるであろうか。日本のように「経済的に豊かな」になった国には「楽さ」と「しんどさ」があり(斎藤2013),資産継承を考慮すると就業や所得だけで「豊か」とは限らないことにも留意しておく必要がある(長尾2013)。
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渡邉 俊介, 磯田 弦
セッションID: 916
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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日本はこれから長期の人口減少と急激な高齢化に直面することになる。国立社会保障・人口問題研究所の平成24年1月推計によれば、合計特殊出生率を1.35と仮定した場合、日本の人口は2010年の1億2,806万人から2030年の1 億1,662 万人を経て、2055年には9,193万人になると予測される。また、同様に老年人口(65歳以上人口)の比率を見ると、2010年の23.0%から、2030年には31.6%、2055年には39.4%と予測されている。この長期的な人口減少と高齢化に加え、近年の小売業の大型店への集約化から、買い物弱者の問題が農山村部のみならず地方都市にも影響が出てくると考えられる。そこで本研究では、宮城県全域を対象とし、日用品を扱うコンビニ、スーパーマーケット(以下、食品スーパー)、ドラッグストア、ホームセンターの立地を、近隣近傍人口数と近隣近傍従業者数、近隣近傍店舗数によって説明するモデルを構築し、その立地確率を算出する。また、日用品店舗の立地確率を算出するモデルを構築することで、今後の人口減少によって日用品の店舗が存続できなくなる場所を予測することができ、買い物弱者の発生する場所を特定することが出来る。
日用品店舗立地確率を求めるためにロジスティック回帰分析を用いる。観測単位は地点であり、従属変数は各地点の日用品を扱う店舗の立地の有無である。また、独立変数は各地点の近傍人口数、近傍従業者数、道路種別(幹線道路または一般道路)、近傍の同業種他店舗数(例.従属変数が食品スーパーの場合時、独立変数に食品スーパーの近傍店舗数)、近傍の異業種店舗数(例.従属変数が食品スーパーの時、独立変数にコンビニ、ドラッグストア、ホームセンターの近傍店舗数)である。上述の近傍はアプリオリには決めず、各地点より0~250m、250m~500m、500m~1㎞、1㎞~2㎞、2㎞~5㎞の環帯の人口数や従業者数、店舗数を集計して独立変数に同時に投入した。ただし、多重共線性を考慮し、一部の独立変数には0~500m、0~1㎞を適用している。
ところで、説明変数の「近隣近傍」の定義が都市部と農山村部で異なることが想定される。なぜなら、日常的な買い物の主な移動手段が地域によって異なるからである。農山村部では日常的な買い物にも自動車を利用するのが一般的であるが、都市部では徒歩や自転車での買い物が可能である。したがって、地域による空間的商圏証券範囲の違いを考慮するために、地理的荷重加重回帰(Geographically Weighted Regression、以下GWR)を用いる。
回帰分析の結果から、近傍人口数および近傍従業者数が店舗立地確率に正の影響を与えるが、その影響は地点によって異なることが分かった。例えば、食品スーパーの立地確率が50%以上となる500m内人口を求めると、その成立人口は地域によって大きく異なり、仙台市太白区や登米市付近では2,400人程度、仙台市泉区や大崎市付近では4,000人となる。
これらに加え、近傍の同業種・異業種の店舗数が店舗立地に強い影響があることが分かった。距離帯による業態間の関係をまとめたものが表1であるに示す。「競合」は同業態間の係数が負の場合、「代替」は異業態間の係数が負の場合、「補完」は異業態間の係数が正の場合、「代替」は異業態間の係数が正の場合を表している。同じく、食品スーパーの立地確率をみ見てみると、0~250mではコンビニと補完関係でありになり、250m~1㎞では代替関係となる。これは食品スーパーが、コンビニ食品スーパーの直近近くにはコンビニは立地しやすいが、少し離れるとコンビニが立地しにくくなることを示している。また、食品スーパーはドラッグストアやホームセンターの近傍には食料品スーパーの近くに立地しやすいことも読み取れる。これらの影響は大きく、食品スーパーの近傍にドラッグストアとホームセンターが立地していると、それぞれ500m内人口が2,800~6,400人、3,000~7,900人増えた場合と同程度の効果があることが回帰式からわかる。
したがって、将来の店舗立地(や撤退)を予測するには、代替・補完関係にある異業種店舗の立地を同時に予測する必要がある。
本報告では、将来の人口および従業者数の推移のシナリオにもとづいて、各種店舗の立地と撤退のシミュレーション結果を含めて報告し、将来の買い物困難地域の発生を予測する。
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―白山手取川ジオパークと金沢大学地域創造学類の事例―
青木 賢人
セッションID: S0104
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.はじめに各ジオパークで大学との連携が進んでいることと思われるが、その活用内容に関する情報の共有は必ずしも進んでいないようにも感じる。本報告は、その共有のきっかけ作りとして、金沢大学地域創造学類における筆者の白山手取川ジオパークの教育面での活用状況について報告したい。
2.専門教育での活用 筆者は、講義・実習などの授業および、卒業研究のフィールドとしてジオパークを活用している。
講義では、「自然環境と社会」において、毎年、ジオパークを取り上げ、白山手取川GPを例に地域環境と地域社会の関係性について講義し、ジオサイトの巡検を行っている。また、ジオパークに関するレポートを課している。
実習では、筆者の属する環境共生コース(コースは学類の下位単位)の2年生を対象とした「環境共生基礎実習」で文献調査およびプレゼン法の学習フィールドとしてジオパークを活用し、毎年、エリアの1日巡検を行っている。
卒業研究のフィールドとしても白山手取川ジオパークを活用している。筆者の属するゼミでは2011年のジオパーク発足後、20名の卒業生を出しているが、7名が白山手取川GPのエリアで調査を行い、内5名は調査に当たって、白山市ジオパーク推進室の協力を仰いだ。これらの成果の一部は、市民向け講演会の資料として活用するなどを通じて、ジオパーク活動に還元されている。
3.導入教育での活用 全学共通の1年次前期の導入科目として設定されている「初学者ゼミ」において、地域創造学類では、(簡単な)現地調査の計画立案と実施を課している。2014年度は著者と前述の社会学者が担当したことから、白山手取川GPをフィールドとして調査実習をおこなった。計画立案時に、白山市ジオパーク推進室の職員にジオパークの概観と課題に関する講義をいただいた上で、現地調査の際には、担当教員がこれまでのジオパークにおける調査・研究の中で構築した人的ネットワークを活用し、実習補助をお願いするなど、ジオパークの全面的な協力をいただいて実施した。この場合、ジオパークツアーにおける地域産物の購買行動が持つ意味などを事前に学生にレクチャーすることで、ガイド・補助をお願いした関係者の店舗での購入を促すなど、「win-win」の関係を構築することに配慮している。
4.キャリア教育での活用 本学類の卒業生は、地域で活躍することができる地方公務員への就職を希望する学生が多い。中でも、環境共生コースでは、地域の環境の保全と環境資源の持続可能な活用に関心がある。そこで2014年度には、キャリア教育プログラムである「キャリア形成セミナー」に白山市ジオパーク推進室の職員をお招きし、地方公務員としてジオパーク活動にかかわることの意味などのレクチャーを行っていただいた。学生からの感想文では、公務の立場から環境と地域づくりにかかわる実践的なレクチャーが、学生たちの就職に対する具体的な意識形成に寄与したことが読み取れる。
5.体験学習のフィールドとしての活用 正課の中で行われる上記のカリキュラムに加え、ジオパーク関係諸団体が行う活動を、学生の体験学習のフィールドとしても提供していただいている。
初夏には、推進協議会構成団体のひとつである手取川内水面漁業協同組合が行う、小学生を対象としたアユの放流事業の補助員として学生が参加する機会を設けている。こうした活動は、高齢化の進む地域において期待される「労働力」としての学生の力を提供する代わりに、学生自身の体験の場を提供してもらえる「win-win」の関係が構築できており、学生の学習と地域の活動の関係性の、ひとつのあり方と考えている。
6.学習での活用の成果と課題 ジオパークをフィールドに学習活動を行うことは、学生にとって、構築済の大学とジオパークの関係性を利用することができ、容易にフィールド学習を行うことができるメリットがある。また、多くの授業や活動でジオパークを取り上げることで多面的に地域に接する機会が増え、地域に対する理解度や関心が醸成されたことが、卒業論文でジオパークを対象に選択する学生が多いことで示されている。
一方で、この関係性を安易に利用することは、地域に過度の負担を求め、一種の「実習公害」を生み出す危険性を孕んでいる。日常的にジオパークの運営で協力関係にある白山市ジオパーク推進室にはある程度の負担をお願いすることはありうるが、地域関係者に協力を願う場合には、「win-win」の関係の意識が不可欠であると考えている。
ジオパークを教育の場として活用するメリットは大きい。これを持続可能にするために、間に立つ研究者が汗をかいて関係性を構築・維持することが大切であろう。
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甘蔗モノカルチュア化以前の喜界島のくらし
藤永 豪
セッションID: S1504
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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喜界島は、鹿児島から南へ約380㎞、奄美大島の東端から約25㎞に位置する周囲48.6㎞、面積56.94㎢の離島である。主に隆起サンゴ石灰岩によって構成され、段丘状の地形を呈し、頂上部は百之台と呼ばれる台地が広がる。
現在の喜界島における主要産業は、サトウキビを中心とした農業である。ただし、かつては集落によっては稲作も盛んであり、麦類や雑穀類(アワやキビ)、イモ類(サツマイモやタイモ)、マメ類(ダイズやソラマメ)、野菜類などの多様な作物が栽培されていた。また、各戸では、ブタやヤギなどの家畜も飼育され、沿岸部では、“おかず捕り”としての漁撈も行われていた。もちろん、こうした生業は自給自足を基本的な前提としたものである。この他、食料に加え、燃料や肥料、飼料、建築資材など、生活の各種側面において必要な物資を調達(採集)するための多様な活動がみられた。これらの生業活動は、マイナー・サブシステンス的なものも含めた複合的な性格を有していた。
本報告では、昭和初期の喜界島阿伝を事例に、同島における生業活動を場所との結びつきから考察し、離島の環境利用と生活基盤の関わりについて検討する。
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中岡 裕章
セッションID: 122
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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エコツーリズムは途上国の自然保護を目的としてとしてはじまり、現在では先進諸国でも広く実践されている。日本でも、1990年ごろから全国の地方自治体で参画が進んでおり、第一次産業の衰退や少子高齢化が進行する地域では、エコツーリズムによる地域活性化が期待されている。
エコツーリズムは、自然地域の環境を保全しつつ、それを持続的に利用し、その利益を環境の保全と地域住民に還元することを目指すツーリズムとして広く認知されてきた。日本におけるエコツーリズム開発においても、はじめは小笠原諸島や知床などの原生的な自然が多く残存する地域の自然環境の保護を目的として行われてきた。しかし、日本の環境の多くは人間との関りのなかで保全されてきた二次的自然や文化的資源を保有するものである。そのため、日本の環境に適応したエコツーリズムのあり方が模索されている。
本研究では、エコツーリズムを推進する地域の具体的な取り組みについてその実態を把握した上で、地域住民の参画意識や関り方の実態を整理しながらエコツーリズム推進による地域への影響について考察する。
本研究対象地域として、埼玉県飯能市を選定した。飯能市は、面積の約76%を森林が占め、林業を中心としてきた歴史がある。近年では、そうした第一次産業の衰退に加え、高齢化や山間部における人口減少が問題視されており、早急な地域振興策が求められる地域である。こうした背景のなか、二次的自然や文化的資源を有する地域としてエコツーリズムを推進してきた。また、エコツーリズム推進モデル事業への参画や、エコツーリズム推進法に基づく全体構想が初めて認定された地域であり、二次的自然や文化的資源を有する地域におけるエコツーリズムと地域住民の関わりについて考察する適地である。
調査は、2014年5月から2015年1月にかけて、飯能市観光・エコツーリズム推進課、飯能市エコツーリズム推進協議会、エコツアー実施者に直接面接調査を実施した。分析にあたり、2004年度から2013年度の飯能市エコツーリズム推進事業報告書を主として使用した。
飯能市では、林業の衰退とともに利用価値を失った森林などの二次的自然や、古くからの生活習慣や建造物といった文化的資源を活用したエコツーリズムを推進してきた。また、エコツアーはツアー実施者や実施団体が主体となって行われ、エコツーリズムの推進以降、エコツアー数・参加者数ともに増加傾向にある。こうしたエコツアーの実施者には高齢者が多く、飯能市内やその周辺地域に居住している。エコツアーを実施する目的は、生きがいやエコツアーへの興味、知識や経験の活用が主であり、換言すれば、経済的な利益を目的としたエコツアーの実施はあまり行われていないといえる。
一方、参加者は女性の割合が高く、60代以上が約40%となっている。また、埼玉県内の参加者が70%を超えており、飯能市内の参加だけで40%近くを占めている。すなわち、飯能市のエコツアーは、実施者・参加者ともに近隣の地域に居住する人々を中心として行われているといえる。
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杉戸 信彦, 松多 信尚, 石黒 聡士, 佐野 滋樹, 内田 主税, 千田 良道, 坂上 寛之, 鈴木 康弘
セッションID: P078
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.「東北地方太平洋沖地震津波遡上高分布図」
津波災害の理解には,浸水高に加え,遡上高の空間分布に関するくわしい情報が不可欠である.しかし,2011年東北地方太平洋沖地震の津波についても,広域を網羅した連続的かつ高解像度の均質データは得られていなかった.
発表者らは,日本地理学会災害対応本部津波被災マップ作成チーム「1:25,000津波被災マップ」の浸水域GISデータに対し,国土地理院保有「東日本大震災からの復旧・復興及び防災対策のための高精度標高データ」(地震後に航空LiDAR測量によって取得された2 mまたは5 mメッシュのDEM)を使用して標高値を付与することで,津波遡上高の空間分布をくわしく明らかにしてきた(杉戸ほか 2013; 鈴木ほか 2013).
さらに,国土地理院による地震直後撮影の航空写真のオルソ画像が有していた位置ずれをヘルマート変換で解決するなど,重要な問題点を解決し,「東北地方太平洋沖地震津波遡上高分布図」としてまとめることができた(松多ほか 2014; 杉戸ほか 2015).基図は国土地理院による地震後撮影航空写真のオルソ画像であり,範囲は岩手県から福島県北部までに及ぶ.東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループによる現地調査データもあわせて掲載されている.例を図1に示す.
津波遡上高分布図は,杉戸ほか(2015)が指摘するように,広域を網羅した連続的かつ高解像度の均質データであり,遡上高の地域性とその要因を,海岸地形や津波の性質などの観点から検討する基礎資料となる.津波の直後に遡上高をいち早く把握する方法論としても重要である.
2.データ公表と今後
津波遡上高分布図は現在,紙媒体(松多ほか 2014)のみにとどまっている.しかしこの春,防災科学技術研究所の「eコミマップ」上で閲覧可能とするほか,名古屋大学のサイト(http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/20110311/)に,紙媒体の電子ファイルおよびGISデータ一式の入手案内を掲載する予定である.
また,青森県中南部および福島県中部~千葉県北部についても作成をすすめており,やはりこの春公表する予定である.地震後の航空写真やDEMが必ずしも十分でない,あるいは「1:25,000津波被災マップ」の浸水域ラインが地震後撮影航空写真のオルソ画像ではなく1:25,000地形図をベースとして作成されているなどの理由で,岩手県~福島県北部と比べ,小縮尺での作成となる見込みであるが,全体として青森県中南部~千葉県北部の津波遡上高分布図が揃うことになる.発表当日は,全域を見渡しながら遡上高の地域性とその要因について検討を行う.
発表者らは現在,津波遡上高分布図をベースとして,被災状況や聞取り調査などの現地調査の結果,津波災害の歴史,教訓などを盛り込んだ,多分野連携型アトラスの作成を模索しているところである.
○謝辞 日本地理学会災害対応本部津波被災マップ作成チームには,「津波被災マップ」の浸水域GISデータを使用させて頂いた.国土地理院には地震後の航空写真やDEMをご提供頂いた.記して感謝いたします.
○文献 松多ほか 2014. 『東北地方太平洋沖地震津波遡上高分布図-2.5万分の1編集図-』名古屋大学減災連携研究センター; 杉戸ほか 2013. 日本地理学会発表要旨集 84: S0403; 杉戸ほか 2015. 地学雑誌 124(2): 印刷中; 鈴木ほか 2013. 土木計画学研究・講演集 47: 394.
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宮城 豊彦
セッションID: S1206
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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荒砥沢地すべりを紹介し、この安全を踏まえた利用の可能性を提案したい。3
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高橋 信人
セッションID: 116
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.研究目的
日本列島は大陸東岸に位置し、世界的にみて季節変化が非常に大きい地域の一つである。このため、日本の気候変動は、季節進行の遅速の影響を大いに含んだものとして現れる。一定の領域をもつ日本においては、何の指標にもとづいて季節進行を表現すべきか、ということが大きな課題の一つであるが、動気候学的な観点に立って大気循環場の変遷をみていくことが一つの方法として挙げられる。そこで本研究は、日本付近の大気循環場の様子を代表する前線帯の動きに注目することにより、日本の季節進行やその長期変化傾向の実態を明らかにすることを目的とした。このことを実現するために、本研究では、平年における前線帯の主軸の位置を基準にして、相対的な前線頻度分布の平年偏差図を作成し、半旬単位で前線帯の様子を捉えて日本の気候変動を表現することを試みた。
2.データと方法
本研究で用いる前線データは、Takahashi(2013, JMSJ)の手法にもとづき、850hPa面における気温と湿度のデータ(NCEP/NCARの再解析値を利用)から作成した。前線データは6時間ごとに緯度経度2.5度間隔で前線の有無を示すものであり、本研究ではこのデータを半旬ごとに集計し、さらに3半旬移動平均値に編集したものを利用した。解析期間はデータが得られる1948~2013年とし、対象領域は日本列島のほぼ全域を含む東経120~150度、北緯10~60度とした。
まず、各経線で半旬ごとに、平均的な前線頻度の極大が現れる緯度(前線頻度極大軸)を求める。また、各年各半旬で前線頻度の平年偏差(1948~2013年平均値からの偏差)を求める。次に、前線頻度の平年偏差図において前線頻度極大軸をY軸の0とした南北方向にそれぞれ10度の幅をもつ領域を切り出す。このようにして得た、各年各半旬の計4,816枚(66年×73半旬-2半旬(最初と最後の半旬))の「前線頻度極大軸をY軸の原点とする前線頻度偏差図」に対して主成分分析をおこなう。その結果から前線頻度分布の特徴を示し、主成分得点の推移をもとに前線帯の季節進行とその長期変化傾向を明らかにする。
3.結果
各経線における前線頻度極大軸や前線頻度極大軸の頻度(緯度幅10度)にみられる平均的な季節推移をみると、梅雨期・秋雨期の前線頻度の極大や、梅雨期と秋雨期で極大を示す経度が異なる様子が認められるなど、本研究で用いる前線データが日本の平均的な季節推移を表していることを確認できた。
主成分分析によって得られた第1~第4主成分の寄与率はそれぞれ、30.7%、18.0%、10.4%、7.0%(第1~第4主成分の累積寄与率は66.1%)であった。第1~第4主成分の因子負荷量分布図から、第1主成分は前線頻度の南北変動(プラス:北偏、マイナス:南偏)、第2主成分は前線頻度の多寡(プラス:少、マイナス:多)、第3主成分は前線分布の走向(プラス:北西-南東、マイナス:南西-北東)、第4主成分は前線頻度の東西変動(プラス:西偏、マイナス:東偏)を表しているものと解釈できる。この分析によって得られた各主成分の得点は、各年各半旬における前線頻度分布の特徴を表す指標となる。特に前線帯の北偏・南偏を示す第1主成分は、言わば前線帯が北上・南下する時期における季節進行の遅速を表す指標として有用である。第1~第4主成分のそれぞれの得点について、各半旬で1948年~2013年のトレンド指数を求めると図1のようになった。+3以上,-3以下の値に注目すると以下の傾向が読み取れる。
・第1主成分:第21-30半旬(4/11-5/30)において前線帯が南偏する傾向(季節進行の遅れ)
・第2主成分:第39-47半旬(7/10-8/23)において前線頻度が増加する傾向
・第3主成分:第36-47半旬(6/25-8/23)において前線の走向が北西-南東になる傾向
今後は、前線頻度分布にみられた傾向がどのような大気場のもとで実現されたものか(原因)、日本各地の気象要素への影響(結果)などを調査・整理することが課題である。
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鈴木 重雄
セッションID: 102
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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はじめに 1960年代以降の山林利用の減少・衰退にともなう落葉広葉樹二次林の遷移の進行や,景観構造の単純化が国内各地で生じている.加えて,過疎化や高齢化の進行による放棄耕作地の増加や,タケなどの栽培作物の放棄も近年の植生変化に大きな影響を及ぼしている.そこで本研究では,かつて養蚕の集積がみられた埼玉県比企郡滑川町山田集落において,1960年代以降の植生・土地利用変化を明らかにし,その要因を検討した.
調査地域と方法 埼玉県北西部では,江戸時代中期より養蚕・製糸が行われてきた.明治期になると,熊谷,東松山,深谷などに製糸工場が建設され,周辺の農家で飼養された繭が出荷されていた.埼玉県の繭の生産量は,戦前の1939年の2.36万トンがピークでありその後,戦中・戦直後に生産が落ち込むものの,1968年には1.32万トンを記録し,戦後のピークとなる.1980年には0.72万トンの生産があったが,その後は,輸入生糸や輸入製品に押されて,県内の大規模工場は閉鎖されたため,2004年には,繭の生産量は56トンとなった(農林水産省繭生産統計調査より).
比企郡最北部の滑川町山田集落においても,谷底平野でのため池灌漑による水稲栽培と共に,丘陵の緩斜面を利用して,桑の栽培が行われてきた.本研究では,山田集落の約106 haを調査対象とした.
植生・土地利用図は,デジタルオルソフォトを用いて作成した.まず,1961年(白黒),1980年(カラー),2009年(カラー)に国土地理院が撮影した空中写真を,Leica Geosystems社製Erdus Imagine ver. 9.2を用いてオルソ補正をおこなった.この際DEMは,基盤地図情報の数値標高モデル(10 mメッシュ)を用いた.そして,このオルソ画像を元に,GIS(Esri社製Arc GIS 9.0)上で,ベクタ型の植生・土地利用図を作成し,時代間の重ね合せにより植生・土地利用の変化を明らかにした.
結果および考察 調査範囲内で1961年に31.1 haを占めていた桑畑は,1980年には10.5 haに減少し,2009年には確認できなくなった.現地踏査によっても,桑畑は確認できなかった.
1961年に桑畑であった場所の変化を示したのが図である.1961年に桑畑であった場所は,1980年までに22.03 haが他の土地利用・植生へ変化していた.この内公園は,集落の西部に建設された国営公園の広場等に変ったことを反映したものであるが,11.28 haは樹林地や草地などへと変化し,耕作放棄が生じていた.2009年になると17.44 haと過半が耕作放棄地となっている.この内,8.81 haはアズマネザサ地やクズの繁茂している藪を含む草地となっており,1980年にこれに分類された土地の約3分の1は,約30年が経過した後も植生が変化しておらず,遷移が停滞している事がうかがえた.また,48年間で27.5倍の面積に拡大した竹林もその46%が桑畑であった場所への侵入であった.
また,1961年にはアカマツ林,落葉広葉樹林,草地がモザイク状に入り組んでいた丘陵頂部や丘腹斜面は,1980年には大部分がアカマツ高木林となった.それらは,2009年には落葉広葉樹高木林へと変化しており,松枯れに起因する植生変化も同時に生じていることを確認できた.
このように1960年代以降の埼玉県北西部における植生は,養蚕の衰退とともに山林利用の衰退に起因する植生変化と共に,マツノザイセンチュウやモウソウチクのように急激に分布を広げている種の存在により,急激な植生変化が生じたと考えられる.
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山下 亜紀郎
セッションID: 414
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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<b>1.研究の背景と目的</b><br> 日本の水資源政策は、需要増に伴う新規水源の開発から、需要の停滞あるいは減少に伴う既存水源の再編の時代に入ったといえる。それに伴い、水資源問題の関心は、既存農業水利に新規都市用水がいかに参入するかから、異常渇水時や災害時等における水資源の融通に移ったといえる(山下:2009、2013a)。水資源の融通策として従来から議論されてきたのは、農業用水から都市用水への水利転用であるが、一方で緊急時の代替水源として近年地下水が注目されている。<br>
以上を踏まえながら本発表では、広島県の芦田川流域を対象に、とくに下流の都市である福山市に着目しながら、水需要の時系列的変化と流域スケールでの水需給の地域特性を明らかにし、渇水時の対応策も含めた水利システムについて報告する。<br>
<b>2.芦田川流域の水需給特性</b><br> 日本全国の一級水系109流域の水需給特性を比較分析した山下(2013b)によると、芦田川流域は、流域の水資源賦存量を100としたときの総水需要ポテンシャル(農業用水、水道用水、工業用水需要の総計)が67であり、これは109流域の中で10番目に高く、中国地方の流域でもっとも高い。このように相対的な水需要が大きいのは、降水量が相対的に少ないことと、上・中流では古くから稲作が盛んで、下流には広島県第二の都市であり工業が盛んな福山市が立地していることが要因である。<br>
芦田川水系に水源を求める主な水利権として特定水利権に着目すると、農業用水は5件あり、そのうち3件は中流の府中市内の水田を灌漑している用水であり、残りの2件は、福山市の神辺平野の盆地を灌漑する用水と、最下流のデルタおよび干拓地を灌漑する用水である。他には、府中市(1件)と福山市(2件)の上水道および、福山市の工業用水道が2件ある。<br>
<b>3.福山市における都市用水需要の変遷</b><br> 福山市上水道が通水開始したのは1925年であり、芦田川支流の論田川を水源としていた。1936年には第一期拡張事業に伴い、芦田川の伏流水を取水するようになった。戦後の高度経済成長期にあたる1960年代には、人口増加と工業の発展によって水需要は急激に増加した。1960年に約976万トンであった年配水量は、1970年には3,125万トンになった。そして1980年代以降は、約5,000万トン前後で推移している。1960年以降の水源別取水量をみると、芦田川の表流水の取水量を増加させることで、水需要の急増に対応してきたことが分かる。さらに、三川ダム嵩上げ事業や八田原ダムから水源を得ることで対応してきた。<br>
<b>4.芦田川流域における渇水対策</b><br> 1997年の八田原ダム完成によって芦田川流域の利水安定度は増したとはいえ、最近でも2009年と2013年に渇水が生じ、農業用水と工業用水の取水制限が行われた。工業用水を取水する事業所には、敷地内に井戸を設けていたり、水を使わずに機械を冷却する設備を整えていたりするところもある。福山市上下水道局も、浄水場内に緊急水源としての井戸を備えている。<br>
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林崎 涼, 鈴木 毅彦
セッションID: P011
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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長石を用いた新たな光ルミネッセンス(OSL)年代測定法として, post-IR IRSL(pIRIR)年代測定法 (Thomsen et al. 2008) が近年確立された.pIRIR 年代測定法では,それまでの長石を用いた OSL 年代測定の際の Fading という問題が解決され,過去数十万年間の堆積年代を見積もることが可能となった(Thiel et al. 2011 など).しかし,pIRIR 年代測定法では正確な堆積年代を見積もるためには,長時間(数ヶ月)太陽光へ露光し,ブリーチしていることが必要である(Buylaert et al. 2012).そのため,一般に露光しにくい河成堆積物の堆積年代を求めるのに,pIRIR 年代測定法は不向きだと考えられる.しかしながら,時間指標となるテフラなどに覆われていない中期更新世の河成堆積物の堆積年代を求めることは難しく,pIRIR 年代測定法を試みる価値は大きい.本研究では,立川市/武蔵村山市の榎トレンチにおいて,まず年代の明らかな立川面の段丘構成層を対象として,pIRIR 年代測定法により河成堆積物の堆積年代を見積もることが可能か検討した.次に,榎トレンチ底から採掘されたボーリング試料(TC-12-1 コア)から,青梅砂礫層に相当すると考えられる埋没礫層の堆積年代をpIRIR 年代測定法により推定した.
トレンチ壁において立川面の段丘構成層中の砂層に塩ビパイプを挿入し,太陽光への露光を防いで試料を採取した.ボーリング試料は暗室において半割し,礫層中に挟まる砂層において,太陽光へ露光していないと考えられるパイプの中央部分から試料を採取した.暗室において,OSL 強度が減衰しにくいとされるオレンジ光源下で試料処理を行い,180〜125μm のカリ長石を抽出した.抽出したカリ長石は,ディスク上へ直径 2 mm の円盤状に接着し,東京大学工学部所有のデンマーク Risø 研究所製 TL / OSL-DA-20 自動測定装置を用いて OSL 測定を行った.
pIRIR 年代測定は Theil et al.(2011)と同じ測定手順を用いた.河成堆積物は,運搬・堆積過程において露光が不十分であると考えられる. そこで,pIRIR 年代測定によって求められた各ディスク試料の等価線量から,最もよく露光していたディスク試料を抽出することができると考えられる,Minimum age model(MAM: Galbraith et al. 1999)を適用し,堆積物の等価線量を見積もった.得られた等価線量を試料採取箇所の年間線量で除することにより,扇状地礫層の OSL 年代を求めた.
榎トレンチは立川Ⅱ面(山崎1978)に位置しており,段丘構成層の堆積年代はAT (30 ka)降灰以降で,UG(15〜16 ka)降灰以前だと考えられている.pIRIR 年代測定法の結果に,MAM を適用した段丘構成層最上部(OSL-5)の OSL 年代は,22.7 ± 2.4 ka となり,先行研究の年代と矛盾しない.OSL-5 から約 3 mほど下位のOSL-3 において MAM を適用した OSL 年代は30.3 ± 3.1 ka で,立川Ⅰ・Ⅱ面のどちらの段丘構成層とも解釈できる. MAM を適用して見積もられた OSL 年代は,先行研究の堆積年代と整合的であり,運搬・堆積過程で充分に太陽光に露光し,ブリーチしていた鉱物粒子を抽出することができたといえる.以上のことから,pIRIR 測定法の結果に MAM を適用することで,段丘構成層の真の堆積年代を見積もることができる可能性があるといえる.
武蔵野台地西部では,古くから段丘構成層の下位に厚い礫層が埋没していることが知られている(寿円 1966 など).これは青梅砂礫層と呼ばれ,堆積開始年代の解釈には下末吉面形成以前(角田 1999 など)と以降(高木 1990;貝塚ほか 2000 など)があるが,正確な堆積年代は明らかでない.pIRIR 年代測定法の結果に,MAM を適用したボーリング試料上部(3.62-3.66 m)の OSL 年代は,65.4 ± 8.2 ka で,武蔵野礫層に相当すると考えられる.ボーリング試料の下部(17.25-17.30 m)では,MAM を適用して 235.7 ± 25.7 ka という MIS7-8 頃の OSL 年代が得られた.本研究の結果から,青梅砂礫層は少なくとも 2 つの堆積時期に分けられる可能性があることが分かった.高木(1990)では,青梅砂礫層中から Hk-TP と考えられるテフラを見出しており,これはボーリング試料の上部で求められた堆積年代と一致する.植木・酒井(2007)では,青梅砂礫層はMIS 6 以前の間氷期に形成された谷を埋積した地層の集合だと考えているが,ボーリング試料の下部の OSL 年代は矛盾していない.
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植草 昭教
セッションID: 917
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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和菓子は、茶道と深い関わりがあると言われ、茶道は安土桃山時代以降武士の間で広まった。このため武士が統治したかつての城下町へ行くと、和菓子店を見かける機会がある。各都道府県庁所在地は旧城下町であったところが多いが、千葉市は江戸時代に城下町ではなかった。そのような千葉市が2011年市政施行90周年を迎えた折に開催された写真展で昭和40年代には存在していたが、現在では無くなっている饅頭屋が写っているのを見たことから、かつて千葉市の和菓子店は何店くらいあり、現在は何店くらいになっているのかを知りたいと思った。しかし、過去の和菓子店数はわからなかった。そこで、現在ある和菓子店は何店あり、どこに出店しているのかを調べることにした。NTT東日本職業別電話帳に掲載されている和菓子店をもとに、百貨店やショッピングセンターなどに住居表示があり、全国展開をしているような和菓子店を除き、2012年に実際に訪問して「創業はいつ、または創業から何年位経っているのか」「店舗と同じ場所で和菓子の製造をしているのか」などの聞きとりを行った。その結果31店の製造・販売を行っている和菓子店があることが確認できた。その和菓子店が出店している場所は宅地、商店街、団地付近と認識できた。その和菓子店の出店場所で特徴的と考えられたのが、千葉市中央区の本町通り付近と団地周辺と思われた。本町通り付近には千葉県庁や千葉市中央区役所などの役所などがあり、商店街も形成されている千葉市では歴史ある通りであり、本町通りの和菓子店は歴史ある和菓子店が多い。また昭和40年代に創業した和菓子店も多いが、昭和40年代には千葉市でニュータウン開発が活発に行われた時期である。千葉市は「武士-茶道-和菓子」の関係性は薄いと考えられるが、このような千葉市に出店する和菓子店の特徴は、歴史のある通りと人口の集中する団地に近接した場所に出店していることが今回の調査で認識できた。
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福島県川内村の事例
高木 亨, 瀬戸 真之
セッションID: P085
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、原発事故)は福島県をはじめとする広範囲にわたり、深刻な影響を与えた。とくに、福島県内では放射能汚染による避難地域が設定され、人の居住が制限されたほか、農業・工業・商業といった人々の生活の基本的な営みさえも、奪われる結果となった。震災発生から約4年が経過した現在においても、一部の地域ではそのような状況が継続している。 その一方で、避難指示が解除され、生活を取り戻しつつある地域もみられはじめた。本発表で取り上げる川内村もその地域の一つである。発災直後、村の大部分が緊急時避難準備区域となった。約1年間の避難期間を経て、2012年3月末には村への帰還が実現した。帰還後、全耕地での農地除染が実施され、稲の作付制限も2013年に居住制限区域と避難指示解除準備区域(いずれも当時)をのぞき解除された。また、2014年9月には避難指示解除準備区域が解除され、同区域での翌2015年からの作付も再開される見通しである。 しかしながら、作付が再開できるようになっても、実際の作付に結びついているのであろうか。本研究では、川内村のうち、帰還後作付が再開され2年が経過した1区・4区、それから9月に避難指示解除準備区域が解除され、この春から作付が再開できる8区を対象に、耕地の土地利用調査をおこなった。そして、今後経年変化を観察しながら、作付の再開状況ならびに耕作放棄の状況を明らかにするとともにその要因を明確にすることを目的としている。本報告では、8区の状況を中心に、作付再開に関する課題を明らかにする。
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山市 剛, 須貝 俊彦, 松島 義章, 松崎 浩之
セッションID: P012
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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1.背景・目的 三陸海岸南部における地殻変動の傾向は地形・地質学的スケールと測地学的スケールで異なる(宮内, 2012など)が, それに関する整合的な説明はなされていない.沖積平野の堆積物を分析し, 地殻変動を含めた完新世の環境変遷を明らかにする必要がある.三陸海岸南部の沖積平野における先行研究は少なく, 丹羽ほか(2014)が陸前高田において完新世の地殻変動について検討している他は, この課題を解決するための精度が十分とは言い難い.本研究では, 三陸海岸南部における完新世の地殻変動と環境変遷に関する新たな事例を得ることを目的とする.
2.研究地域・研究方法 三陸海岸南部の平野の中で山田町(以後, 山田平野と記す)は特に閉塞された環境であるため堆積物の保存状態が良好と考えられることや, 既存ボーリングコア試料が豊富であることから研究対象地に選定した.山田平野における地形分類図を作成し, ボーリングコアの分析を行った.分析は層相観察・記載, 粒度分析, 元素分析, 珪藻分析, 貝化石種の同定, テフラの同定, 放射性炭素年代測定を行った.
3.結果・考察 山田平野における完新世の古地理の復元 山田平野のコア堆積物は層相・粒径・全硫黄量・貝化石の産状等をもとに5つのユニットに区分した.各ユニットの形成年代とそれに基づく古地理の変遷は古い年代から順に次の通りである.ユニット1の形成年代は10,000年前から8,000年前頃にかけての縄文海進初期であり, 古地理は泥湿地的環境であった.ユニット2の形成年代は8,000年前から4,200年前頃にかけてであり, 縄文海進の影響により古地 理は内湾環境であった.海側にのみ認められるユニ ット3の形成年代は4,200年前から300年前頃であり, 古地理は干潟もしくは浅海環境であった.内陸側にのみ認められるユニット4の形成年代はユニット⒊と同様と推定され, 古地理は陸上環境であった.ユニット5の形成年代は300年前頃以降であり, 古地理は浜堤もしくは泥湿地的環境であった.
山田平野および三陸海岸南部における完新世地殻変動 山田平野における完新世の地殻変動の傾向は, 推定した堆積速度曲線と理論的な海水準変動曲線との比較により, 若干の沈降傾向であった可能性が示唆された(図1).これは測地学的傾向と同様の傾向である.三陸海岸南部における完新世の地殻変動は, 先行研究(丹羽ほか, 2014)との対比により, 全域で沈降傾向であった可能性が示唆された.
引用文献 宮内(2012): 科学,82,651-661.丹羽ほか(2014): 第四紀研究, 53, 311-322.
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香川 雄一, 莫 佳寧
セッションID: P060
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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現在、世界の各地で湖の面積縮小問題が湖沼の保全面において難題になっている。アラル海をはじめ、カスピ海やチャド湖、中国の洞庭湖や鄱陽湖などでこうした問題が起こっている。長江の中流に位置する洞庭湖は、19世紀前半までの面積が約6,000km
2にまで達していた。その後の土砂堆積と人工的な農地干拓により、1998年には約2,820km
2にまで縮小した。本研究では過去の地形図の変遷を通して、洞庭湖の面積縮小の具体的な過程を検討する。
本研究では外邦図と中国で発行された地形図を資料とする。1910年代は「中国大陸五万分の一地図集(湖南省部分)」、1920年代は「東亜五十万分の一地図(洞庭湖地区)」、1930年代と1950年代は「洞庭湖歴史変遷地図集」、1960年代は「1964年 湖南省地図集」、1970年代は「旧ソ連製 中国五万分の一地図(洞庭湖地区)」、1980年代は「1985年湖南省地図集」、そして最新のものは「2005年洞庭湖地区地図」を利用し、洞庭湖の面積変化の過程を洞庭湖全体と詳細な部分とで解析していく。
全体の湖面積の比較から見れば、1920年代から1930年代までの間が洞庭湖の変化がもっとも著しかった時期であり、面積と形状が大きく変化している。1930年代から1950年代までの時期には洞庭湖本湖の面積が縮小しながら、周辺の大きな内湖の面積も次第に小さくなっていった。1950年代から1970年代までの間に洞庭湖の本湖が次第に縮小し、大規模な国営農場の建設や河川整備のために、本湖の周辺に分散している内湖の面積も激しく縮小した。1970年代から1980年代には洞庭湖本湖の面積は安定していたが、周辺内湖で面積縮小が進んだ。1980年代に中国水利部は洞庭湖付近での干拓停止を決定した。また、1998年の長江大洪水を契機として、中国政府は治水政策の転換をはかり、「退田還湖」政策を実施し始めた。2000年以降、「退田還湖」政策により洞庭湖の面積は少しずつ回復してきている。こうして1980年代以降は、政府が環境政策を転換したため、2005年までに洞庭湖では779km
2の水面が増加した。
洞庭湖の各部分として、東洞庭湖・南洞庭湖・西洞庭湖の変化を比較すると、1920年代から1950年代の間にかなりの面積縮小が進んでいたことが分かった。1950年代以後は面積縮小が緩くなり、周辺の内湖の数量と面積が急減した.これは新中国の成立後、食糧危機と人口増加にともなって湖を干拓し、耕地化させるという政策と密接な関係があったと考えられる。
洞庭湖の周辺では湖の面積が縮小したため、洞庭湖の洪水調節能力が低下し、洪水被害が頻繁に発生した。1998年の夏秋に発生した長江大洪水は洞庭湖地区に非常に重大な損失をもたらした。1998年の大洪水期の衛星画像と1920年代の地図を比較すると、洪水期の東洞庭湖に生じた浸水域の面積は過去の水域とほぼ一致し、西洞庭湖とその周辺地区で水没した地域は過去の地図ではほぼ湖であったことが分かった。
地図の比較を通じて、洞庭湖の面積変化の原因は時代の変容にともなって変わっていくことが分かった。1950年代以前は主に周辺住民が浅い沼で自発的に新田開発を行ったことより面積が縮小した。1950年代からは政府に主導された堤防の建設や国営農場の建設が面積縮小の主な原因であった。過去約1世紀にわたる地形図の変遷を追うことにより、洞庭湖の面積縮小過程を理解することができ、環境問題の要因も把握できた。
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宇都宮 陽二朗
セッションID: 822
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.はじめに:渋川春海の製作した天球儀や地球儀・等については、O.Heeren(1873)、深澤(1910), 新見(1911)、藤田(1942)、秋岡 (1988)、海野(2005)など錚錚たる研究者の論文がある。それらの記事を素直に吟味した結果、渋川(安井)は伊勢神宮への天・地球儀一対の奉納の20年前に地球儀を製作していたと解釈せざるを得なくなったので、報告することとした。 2.渋川春海(安井算哲)による球儀類の製作について:表1によると球儀類は12 (図書作や京大地理蔵の天球儀を除くと10 )件存在する。内訳は天球儀7、地球儀3+α、渾天儀1となり、天文関係が地球儀の2倍に達する。年代を見ると、1670年の渾天儀から、1673,83年の天球儀,1690,92,95年の天・地球儀一対、97年の天球儀の製作で、初期に天文関係の渾天儀や天球儀が、後に天・地球儀一対などが製作されている。一見すると天文器機が先行するが、新見(1911)が紹介した「
安井算哲の世界地図 (1670)」の評価如何で変わる。 3. 安井算哲の地球儀資料について:これは、「Mittheilungen der Deutschen Gesellschaft für Natur-und Völkerkunde Ostasiens」Heft 2 (Juli 1873)掲載のO. Heerenによる「Eine japanische Erdkugel」の付図 (写真1)で、その存在は秋岡の指摘以前は本邦に知られず、以後も評価は十分でない。 1)Die deutsche Gesellschaft für Natur-und Völkerkunde Ostasiensは日本を研究し、ド イツ語圏の国々へ紹介することを主目的に1873年、東京で独人を中心に設立された研究会である。 2).Mittheilungen der Deutschen Gesellschaft fur Natur-und Völkerkunde Ostasiensは、1873年創刊で2ヶ月毎に発行されていた。合本中表紙に「Für Europa/ im Allein-Verlag von Asher & Co/ Berlin W. Unter den Linden 5. / YOKOHAMA/ Buchdruckerei des “Écho du Japon.”」とあり、横浜の“Écho du Japon.”で印刷されたと知れる。 3)Heeren論文は、”Eine japanische Erdkugel.”「日本の一地球儀」で、球面上の自然、都邑、国・地方名や注記の発音をアルファヘ゛ット化し、一部は独訳されている。”EIN JAPANISCHER GLOBUS”はこの索引地図である。これはコ゛ア写真図4枚/1頁で、各南極圏にABCD、地理情報の先頭に数値を付与し、本文に対応させている。各文字は、外人の耳で聞いたspellingまたは独訳(例えば氷海は”Eismeer”)であり、単なるローマ字化ではない。但し、寛文庚戌を1670年と同定するなど、内容は正確に把握され訳されている。 4)それ以外の論文:①新見は深澤の論文に触発され、Heeren論文を知らず、Grassimuseumで発見し「歴史地理」口絵写真と解説(1911)に「安井算哲の世界地図」として投稿した。絹地4枚で、寸法は93cm、50cm。淡彩を施し、赤道線42cm、子午線83cmで、地名等のアラヒ゛ア数字は近年の記入ではないと述べた。以後、算哲自筆の世界図として定着したが、約40年前の著者の索引図そのものである。 秋岡は、算哲の天球儀や地球儀製作に言及して、この舟形図に一瞬疑問を呈したが①の先入観から、Heerenが独国内で記載したとみて、論を進めた。海野は他と同様、Heerenの論文名を確かめず、新見の「安井算哲の世界地図」から「地図=地球儀用舟形図」とみなした。更に「春海先生日記」の記述が事実なら地球儀製作の可能性ありと、オルタナティフ゛に記した。 4.まとめ:算哲(渋川春海)の1690年以前の地球儀の製作については、ほとんどの者は否定的である。これは、①新見の写真図が、衝撃的で学者達の思考を停止させ、②Heeren論文を正しく理解できず、③掲載誌やOAGを、独国内の研究組織等と速断したこと、④写真図を算哲直筆(?) とし、⑤少ない情報の為のコ゛アの吟味不足と迷妄による。しかし、上記の詳細吟味により、渋川春海(正確には安井算哲)が1670年に地球儀(亡失?) を製作したと解釈せざるを得ない。
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東ネパールとカトマンズの事例から
渡辺 和之
セッションID: P044
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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羊毛は、岩塩とならび、ヒマラヤ交易の重要な交易品だった。1960年以前、良質なチベット産の羊毛がネパール側にもたらされていた。1960年代以降、ヒマラヤ越えの塩交易は衰退し、カトマンズとチベットを結ぶ自動車道路が開通する。だが、チベット動乱以降、ネパール各地の難民キャンプでは、チベット絨毯を織るようになる。また、ネパール産の粗い羊毛にも洗うとフェルトになる特性がある。ネパールではこの特性をいかし、ラリという敷物を作ってきた。
発表ではヒマラヤ山脈の南北で生み出される羊毛を手がかりに、現代におけるヒマラヤ交易の位相を素描する。チベット絨毯とラリを対象に生産から流通に至るフローを調査し、どのような変化が現在起きているのかを把握することで、現代のヒマラヤ交易において異なる次元の市場がいかに共存するのか、その現状を明らかにする。調査は2011年8月より2014年2月まで、東ネパールのソルクンブー郡、オカルドゥンガ郡、首都カトマンズでおこなった。
チベット絨毯の生産事情について、東ネパールのソルクンブー郡にあるチベット難民のキャンプで調査をおこなった。ここでは1996年までキャンプ内の工場で絨毯を織っていた。その原料となる羊毛はチベットからカトマンズ経由、染料はスイスから運ばれてきたという。この工場はスイス政府が難民対策として作ったもので、原料はもとより、市場もスイス政府が開拓し、ヨーロッパ市場に輸出するシステムだった。
カトマンズで羊毛の流通経路の調査をした。現在、絨毯やセーターに用いる羊毛はチベット産のものとニュージーランド産のものが用いられている。質は後者の方がよく、値段も後者の方が高い。これらの羊毛は卸売商人が仕入れ、糸屋に売る。糸屋はこれをカーディング、糸紡ぎ、染色の工程に出し、糸を卸売する。そして、工場の経営者が糸を購入し、セーターや絨毯に加工する。工場の経営者には製品を輸出する人もいれば、店を構え、観光客に売る人もいる。
かつて絨毯やセーターを作る工場の経営者のほとんどがチベット人だったという。だが、1990年代頃からチベット人は経営から撤退し、現在ではネパール人の経営者が主力である。羊毛市場は1990年代以降低迷しており、特にこの数年の輸出量は激減している。ある経営者はEUのスタンダードに合格することが生き残る鍵とし、労働者の福利厚生なども改善している。また、パシュミナは羊毛よりはよいとして、観光客向けのショップも持つ人もいる。
ラリについては、オカルドゥンガ郡とカトマンズで調査をおこなった。オカルドゥンガ郡の村では、生産者の数はこの10年で激減したが、ラリに対する需要そのものはあるという。このため、原料である羊毛の入手が一番の問題になっている。また、カトマンズでは化学染料で染色したラリ(パキという)も作られており、都市住民の間でも根強い需要がある。
以上のように、2つの羊毛製品は生産や流通において異なる次元の市場を持つ。チベット絨毯に見るように、ローカルからグローバルへ市場の階梯が上がるにつれ、材料や技術が地元のものでなくなっている。ただし、担い手についてはチベット人が撤退したあとネパール人が経営の主体となり、在地化しつつある。また、グローバルに展開する製品だけが生き残るわけでない。ネパール産の羊毛を使ったラリやパキにも根強い需要がある。首都では技術革新が起きており、都市住民の需要に応える製品も作られている。
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自然事象を中心として
澤田 康徳
セッションID: 801
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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Ⅰ はじめに こどもの世界像の形成は,主として直接経験と間接経験によって獲得され,後者はメディアなどで得られる情報のほかに学校教育の視覚教材などがある.そのうち地理写真は地域理解に有効で(伊藤
1980,吉田 1993,森 2004),授業において最も多用され授業の構想にも寄与が大きいあることが確認されている(古岡 2003).また,地理写真を掲載し全国において活用されるものに地図帳があり,吉田(1990)は地域理解の地図帳の有効性を示した.以上のように従前の研究では地理写真やそれが掲載された地図帳の活用について議論されてきた.一方,地図帳の内容は学習指導要領の改訂や社会の変化などにより変更され,それに伴って子供の世界像の認識や認識に関わる教育内容の変化が想定される.地図帳の地理写真内容の年代的変化の把握は,現在の地理教育を構築するうえでの基礎的資料として重要である.本研究では,小学校地図帳の世界の地理写真に関する年代的変化を捉える.児童は社会を捉える過程で,地形や気候などの自然環境を基本条件としており(小林
1985),世界の地理写真のうち特に自然環境に関する内容に着目する.
Ⅱ 調査および方法 小学校地図帳は,約10年おきに改訂される学習指導要領の改定や,社会変化に応じて内容が変更される.また,改訂される年代によって地図帳の冊数や地図帳一冊当たりの写真掲載数も異なる.地理写真に関する年代的変化を捉えるため,写真総枚数が十分に得られよう年代を区分した.ここで,55年から58年にかけては発行から告示へ,77年から89年にかけては生活科の新設へと指導要領の意味合いや内容が異なる.これらのことを念頭にⅠ~Ⅴに年代を設定した.対象とした地図帳は年次を合わせるため初訂版を主としたが,入手の都合上改訂版,指導書の地図帳頁を対象とする年も含む.指導書であっても地図帳の内容が確認でき,発行年はいずれも指導要領発行年以降であり年代区分に差支えないと判断した.
Ⅲ 結果 写真掲載枚数の上位5か国は,アメリカ(34),オーストラリア(15),ソ連(ロシア)(12)次いで中国(10),ブラジル(9)で,いずれの国も面積は大きい.写真内容に着目すると,「(世界の)気候と生活」といった自然/社会環境が包括される写真枚数の割合は,経年的に減少傾向を示す.一方,写真からよみとれる内容が自然環境および人文社会環境に限定される写真は増大している.自然環境を含む写真の気候帯別の写真枚数や割合は,熱帯はいずれの年代も割合が最大で,冷帯や寒帯は減少している.気候帯別の写真割合の最大・最小値の比は近年小さいが,気候帯の面積あたりでは狭い気候帯で枚数が多い.自然事象の写真が掲載される項目の割合は,「気候と生活」で大きく減少し,世界もしくは地域ごとの項目で枚数が増大している.気候帯別にみた場合,写真が掲載される頻度の差は小さく,自然/人文環境は切り分けられた写真が増大している.したがって,自然/人文環境の両者の理解に関する地理写真の扱われ方の留意点が年代的に変化する必要性を本研究は提示していると考えられる.
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農家の創意工夫の把握に向けた地理学的手法の検討
藤岡 悠一郎, 西川 芳昭, 水落 裕樹, 飯嶋 盛雄
セッションID: 811
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1. はじめに
アジアやアフリカの農村地域では、農家が自給用作物を栽培する際、複数の作物を同一の畑で栽培する混作や間作、単作など、多様な作付様式がみられる。作物種の組み合わせは農家ごとに異なる場合が多く、畑地空間の環境認識や生計戦略など、作付様式には各農家の主体的な営為が反映されている。しかし、調査者がインタビューなどで把握する農家の認識と実践との間にはズレがある場合が多く、作付様式に反映された農家の意図を調査者が把握するためには、農家の認識と実践の両面に注目した多面的なアプローチが必要となる。本稿では、アフリカのナミビア共和国北部地域を対象とし、農家の作付様式から彼らの創意工夫を理解するための調査手法について、メンタルマップによる農家の認識把握や自律型飛行体(UAV)による航空写真の活用というアプローチから検討した。
2. 方法
2012年11月~2014年9月にかけて、ナミビア北中部に位置するO村において現地調査を実施した。予備調査により、32世帯を対象に、村の農業体系について把握した。その情報を基に8世帯を抽出し、作付様式に関する調査を実施した。調査では、その年に栽培した作物種を聞き、その後、画用紙に畑のスケッチを描いてもらった。その後、そのスケッチをもとに各作物種の栽培場所の選択理由、作物種の組み合わせの理由をインタビューし、彼らの認識を把握した。インタビュー調査が終わった後に畑へ移動し、実際の耕作範囲をGPS受信機を用いて記録した。また、スケッチに描かれた内容を基に、実際の作付様式について説明をしてもらった。最後に、UAVによって畑の航空写真を撮影し、実際の作付様式について把握した。
3. 結果と考察
(1) 作付様式に対する農家の認識:調査世帯が作付を行っている作物種は12種であった。メンタルマップおよびインタビューにより、これらの作物種には単作としてのみ栽培される作物と混作によって栽培される作物があることが明らかとなり、混作の組み合わせ方は世帯によって異なる傾向がみられた。例えば、マメ科のササゲはトウジンビエと混作する世帯とモロコシと混作する場合がみられ、組み合わせを実施する背景には様々な意図がみられた。
(2) 認識と実践のずれ:メンタルマップによって把握した農家の認識と実際の作付様式の間には、様々な要因によるずれがみられた。インタビューによる調査では、一般的な傾向として、作物種間の混作様式が説明される傾向がみられるが、実際に農家が行っている作付様式と比較すると、農家が小規模に試みに実施している作付方法などが浮き彫りとなり、農家の主体的な取り組みが抽出された。
(3) 作付様式を採用する多様な意図:年間降水量が少なく、降雨の経年変動が大きい本地域では、混作は不確実な降雨に対するリスク軽減の意味合いがみられた。例えば、乾燥に強いトウジンビエと湿害に強いモロコシの種子を混ぜ、同じ場所に混播する方法を行っている農家では、洪水や干ばつなどの気象災害発生時でも、どちらか一方の作物が生存することを意図して実施すると説明した。また、砂質土壌に覆われる本地域では土壌の肥沃度も微地形によって異なると説明され、各世帯の畑の環境条件に適応した作付方法として、多様な混作が実践されているとみられる。
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プロジェクトが目指すもの
宮岡 邦任, 吉田 圭一郎, 山下 亜紀郎, オリンダ マルセーロ, 篠原 アルマンド, ニューンズ フレデリコ, 大野 文子
セッションID: P040
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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Ⅰ はじめにブラジル北東部(ノルデステ)の熱帯半乾燥地域(セルトン)では,1970年代後半の大規模ダムの建設による灌漑農業の発展の結果,環境負荷の低減,貧困農民の定住化等への効果が期待される一方で,牧草地からの農地転用に伴う灌漑用水使用量の増加による地下水流動形態や水位への影響,施肥による周辺地下水や河川水水質への影響,これらの水文環境の変化に伴う農場周辺における植生環境への影響,安全な水の確保と健康被害,農業経営形態の大きな変化による地域住民の生活様式をはじめとする社会経済機構等への影響など様々な影響が懸念されている。本研究では,セルトンの典型的な土地利用変化を経験した事例農場を主な研究対象として地域住民の生活様式,社会経済機構,栄養・衛生状態への影響検証および地下水および河川水の水質・賦存量の実態検証を行い,それぞれの問題点の抽出から水資源・人間社会環境の旱魃への耐性について評価することを目的としている。
Ⅱ 対象地域の背景本研究対象地域はペルナンブコ州西部に位置するペトロリーナおよびその周辺地域である。この地域の代表的な植生であるカーチンガを流れるサンフランシスコ川中流域のペルナンブコ州西部は,地質的な理由から地下水利用に適した帯水層が形成されておらず,水質的にも悪い地域が広がっている。これらの地域では,16~17世紀にサトウキビ栽培によって繁栄した大西洋沿岸地域への食料供給地として牧畜業が発達した(丸山,2013)。頻発する干魃のたびに土地を所有しない貧農は,農場からの排斥によりアマゾンや沿岸諸都市への移住を余儀なくされ,不安定な生活を強いられてきた歴史がある。
この状況が大きく変化したのは,1978年のソブラディーニョダム建設以降に活発化したCODEVASFによる灌漑用水と農業団地の整備である。この結果,地域に安定収入がもたらされたことで住民の定住化が進み,ペトロリーナの人口は,約15万人(1989年)から約28万人(2009年)と大幅に増加している。
Ⅲ 研究の方向性プロジェクトの目的を達成するために,以下の課題を設け,現地調査を実施していく予定である。
1.土地利用・植生分布,土壌特性,水利用形態,地下水および河川水の水質・賦存量の実態検証と問題点の抽出
2.アグリビジネスの発展と貧困救済のための公的機関による大規模な灌漑施設および農業団地の建設と,地域住民の生活様式,社会経済機構,栄養・衛生状態への影響検証および問題点の抽出
3.農業経営・生産形態の変化に伴う水文環境・人間社会環境の干魃への耐性の評価
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小野寺 徹
セッションID: 802
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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北海道旭川市で毎年開かれている「私たちの身のまわりの環境地図作品展」(環境地図作品展)は、児童生徒が自らの観察・調査を地図に表現した作品の展示会である。現在は環境地図教育フェアとし、期間中は環境地図作品展の他に作品解説、特別講演、研究発表、環境地図教育研究会総会、みんなの環境地図ワークショップ、表彰式を開催している。主催は、環境地図教育研究会。一昨年は、旭川市の他に東京でも環境地図作品展を開催した。 国内で同様の地図作品展は、札幌市、仙台市、茨城県、多摩市、富山県、岐阜県、滋賀県、京都市、神戸市、赤穂市、広島県、徳島県、香川県、鳥取県、島根県、大分市などでも開かれている。また国土交通省国土地理院の「地図と測量の科学館」では1998年から毎年、「全国児童生徒地図優秀作品展」も開かれている。 環境地図作品展は、1991年8月、旭川市で「環境変化と地理情報システム国際会議」が開かれた時の付帯行事として開催されたのが初めてで、それから継続して今年で第25回目をむかえる。「身のまわりの環境」という言葉は、環境地図作品展を機に広く用いられるようになった。ここでは、これまでを振り返るとともに環境地図作品展の特色と意義について論ずる。 旭川市で開催されている環境地図作品展は、いくつかの特色がある。第1の特色は、身近な環境を題材とし、児童生徒が自ら観察・調査したことを地図に表現した作品を展示していることである。テーマの設定、調査の仕方、表現の方法などは製作者に任されているからこそ、製作者の感性や手法によりさまざまな表現が可能となり、出される作品は豊かな発想が示された興味のあるものばかりとなる。第6回からは自由テーマに加え「みどり」「音」「におい」「色」「風」「水」「むかし」「土」「安全」「あたたかさ」「ふしぎ」「美しさ」「虫」「花」「石」「防災」「食」などの指定テーマももうけた。これにより同じテーマで実に多様な地図がつくられるようになった。 第2の特色は、応募者の地域的限定が全くないことだ。応募者は、小学校から高等学校までの児童生徒に限られるが、全国どこからでも応募でき、海外からも応募できる。海外からは、ジンバブエ、タイ、モルジブ、マケドニアなど15カ国からの応募があった。1996年にはリトアニア、2006年はチェコ、1998年と2012年にはフィリピンから先生と学生が来日している。日中間の関係悪化前の2004年から2011年までは中国からの応募が多数あった。 第3の特色は、作品展の質的な向上を図るための活動である。その最も目立つものは、募集ポスターであって、前回の優秀作品10点程を掲げ、審査の際の講評の要約も記してある。また、外国人にもわかるように英語表記もしている。ポスターにカレンダーをつけることによって教室内に通年掲示され、たえず子どもたちの目に触れることは、指導に役立ち、毎年の作品の質的な向上を図ることができる。その他作品会場で配布する入賞作品リーフレットや毎年発行される環境地図教育研究会誌も作品の作成には大変参考になる。1996年と 2003年に刊行した「環境地図づくりマニュアル」は作品作成の手引き書として重要な役割を果たした。また、ホームページも作品の向上に一役を担っている。 環境地図づくりは,五感を使って環境の中のさまざまなつながりを考え、さらに見方や視野を広げていくというものである。20年前に氷見山(1995・1996)は、環境地図の作品の作業プロセスについて(1)計画立案(2)調査準備(3)調査観察(4)記録(5)地図作製(6)地図の読みとりと説明の6つの段階にわけ、それぞれの段階がもつ意味を論じている。環境地図づくりは、科学的な基礎能力と態度を身につける上で効果的なばかりでなく、さまざまな力を培い、高めることに役立つ。観察力、環境を空間的にとらえる力、地理的事象を見抜く力、どのような情報を収集すればよいか考える力、収集した情報を整理し目的に応じて表現する力、さまざまな情報メディアから適切に調べることのできる力、人と環境との相互の関係を理解する力、他の人々と協力したり交わったりする力、地図から読みとる力など、勝れて総合的な学びの機会となる。環境地図作品展に出された作品から子どもの発達過程、特に小学1年生から6年生までにどう生活空間が広がり、どう観察能力がついてきたかがわかるようになった。また、調査方法、表現のしかた、地域の様子なども学ぶことができる。環境地図は、学校づくりやまちづくり、防災やアセスメント、GISなどにも活かすことができる。まさにESD(持続可能な開発のための教育)で総合的な科学力を身につけることができる。環境地図作品展が、国内はもとより世界に広がり第25回から次の第50回へと続いてもらいたい。
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筒井 由起乃, 松井 圭介, 堤 純, 吉田 道代, 葉 倩瑋
セッションID: 503
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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1.はじめに
近年、オーストラリアではアジア化が進んでいる。2011年のセンサスによると、全人口の8.7%、外国生まれ人口のうち約3割はアジアが占めている。なかでも多いのが、中国(外国生まれ人口でイギリス、ニュージーランドにつづき3位)、インド(同4位)、ベトナム(同、イタリアにつづき6位)である。
ただし、中国、インドからの移民が増加したのは2000年代以降であり、それ以前はベトナムがリードしていた。ベトナムからの移民は1970年代後半のインドシナ難民が起源で、40年近い歴史がある。特にニューサウスウェールズ州とヴィクトリア州に多いが、クイーンズランド州、南オーストラリア州にも1万人以上のベトナム系住民が居住している。シドニー郊外のカブラマッタやメルボルン郊外のフッツクレイに代表されるような「ベトナム人街」も形成されている。このようなベトナム社会の形成過程とその実態を解明するのが本研究の目的である。ここでは南オーストラリア州アデレードの事例を報告する。
2.ベトナム系住民の分類
オーストラリアのベトナム生まれ人口は1975年以前にはおよそ700人にすぎなかったが、1981年には5万人、1991年には12.2万人、2001年には15.5万人と増加した。2006年は16万人で微増にとどまったが、2011年には18.5万人(外国生まれ人口の3.5%)と再び増加に転じた。家でベトナム語を話す人口も、23.3万人(全体の1.1%)と2006年の19.5万人から増加している。ベトナム系の移民が、インドシナ難民やその家族を核としつつ、その子孫であるオーストラリア生まれの2世や3世、さらには新規の移民にも拡大していることがわかる。
ベトナム系住民は、以下のように、移民の時期によってその属性に違いがみられる。
①1975~76年の難民:旧南ベトナム政府関係者および中流階級が多い
⇒一度職業上の下降移動を経験した人でも、努力によって再度、社会的上昇移動を経験した人の割合が、後の難民に比べて高い。
②1978年以降の難民:主として中国系ベトナム人で、小ビジネス経営者などが多く、教育技術レベルも相対的に低い。⇒職業選択が比較的困難。
③家族呼び寄せプログラムによる移民:「労働者」というより「扶養者」のケースが多い。
④オーストラリア生まれの2世・3世:
⑤2000代後半以降の新規移民:留学を契機とした若年層が多く、英語がある程度堪能。
3.アデレードのベトナム系住民とベトナム社会
2001年と2011年を比較すると、ベトナム生まれ人口は10,237人から11,682人に増加し、家でベトナム語を話す人口は12,374人から15,620人に増加した。つまり、アデレードにおいては上述の④(2世、3世)の増加が顕著であることがわかる。
ベトナム系住民の分布を、移民時期(2000年の前後)に考慮して図化すると、つぎのような特徴をよみとることができる。①ベトナム系住民の多くは、アデレード中心部の北側に分散して居住していること、②2000年以降の新規移民は中心部の南側のベトナム系が比較的少ない地域に居住していること、③北部の農村地域(Virginia)に集住地区があること、である。
アデレード北部の公共交通はバスが主であり、基本的には車社会である。そのため、ベトナム系の居住地域も分散していると考えられる。ベトナム系の仏教寺院や子ども向けのベトナム語補習学校、スーパーなどがこの地域に立地している。
Virginiaは農業地域であり、ベトナム系が経営する農場が数百も立地する。イタリア系の農場主から経営を受け継ぎ、近年ではインド系などの労働者を雇って手広く野菜を栽培するというケースが多くみられる。
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鍬塚 賢太郎
セッションID: S1705
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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インドのICTサービス産業は,バンガロールやデリー首都圏地域などの大都市だけでなく地方都市にも立地しながら成長している。本報告では,こうしたICTサービス産業について,以下の二つの動きに注目しながら検討する。一つは大企業が主導する地方分散であり,もう一つは地方都市における地場中小企業の叢生である。前者は空間的分業を主軸とした産業立地のもとに,後者は起業家の縦横なネットワークのもとに地方都市を位置づけるものである。本報告では,こうした二つの動きが持つ相互の関連もとりあげることで,インドで台頭する「新経済空間」の一側面に迫る。
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メガ・リージョンの台頭
岡橋 秀典
セッションID: S1701
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.はじめに 近年のインドの経済成長は、都市化の進展や大都市の発展、工業地域の形成など急激な空間の変化をもたらしている。これらの空間的諸変化は経済発展に伴う経済空間の全国土的な統合・再編によるものと考えられる。インドでは、経済自由化以降、グローバル化と国内市場の拡大にともない資本の移動が活発化し、また国内外への労働力移動も拡大している。また、交通・通信インフラの整備により、人や物、情報の流動も増大の一途をたどっている。このような生産要素等の流動性の増加は、インドの空間構造が大きく変動していることを示唆する。それは、大きく見れば、後進国型の都市・農村の二重的構造から先進国型の中心・周辺の求心的構造への移行という変化である。 従来、インドの空間構造を捉える時、空間を都市・農村に二分して捉える見方が一般的であった。その枠組みは今日でも有効な面があるが、農村問題が農村内部だけでなく、国家レベルの政治経済やグローバル化など外部のファクターに大きく規定されていることからすると、都市農村の枠組みを超えた空間構造にもっと目を向ける必要がある。 本シンポジウムでは、現代インドで出現しつつある新しい経済空間について、産業立地・産業集積の側面と、大都市およびメガ・リージョンの側面に分けて検討するが、本報告は、その前提となる空間構造把握の枠組みと新たな経済空間としてのメガ・リージョンの意義について述べる。
2.現代インドの空間構造把握の枠組み 現代インドの空間構造把握においては、新経済地理学の重視する「産業の集中・集積」、地域構造論の重視する「産業配置(産業立地、地域循環)」と「地域経済(産業地域、経済圏)」が重要な意義を持つ。また両者がともに注目する、政治過程としての地域政策も無視できない。さらに、①政策的な保護対象である小規模工業の集積、②個々の地域条件の下で農業部門を中心に歴史的に形成され、今日も機能している地域的再生産構造、③社会資本の整備に伴って重要度を増す大都市の外部経済も重要である。これらをふまえて、現代インドの空間構造把握の枠組みを提示する。
3.現代インドの空間構造−地帯構成モデルと中心・周辺モデル
空間構造の変動メカニズムを、地帯構成モデルと中心・周辺モデルによって説明する。地帯構成モデルは、農業を軸に再生産構造の「型」を想定し、地域的な差異を先進後進の地帯性として捉える。これは国内市場が全国的に統合されず、都市と農村の二重的構造が顕著な状況に有効であろう。「ヒンディー・ベルト」とパンジャーブ、あるいは北インドと南インドの間で、地域的な再生産構造が異なることは容易に想像がつく。これに対して、中心・周辺モデルは経済発展にともなう国内市場の全国的な統合を前提とする。現代インドはまさにこの中心・周辺モデルへの移行過程にあるといえる。そこでは、グローバル化や、国内市場の拡大と統合にともない、労働力や資本といった生産要素の移動が活発化する。国内外を問わず、低開発地域から先進地域への労働力移動が拡大する一方で、交通・通信インフラの整備によって空間的障壁が弱まり、物資や情報の流動が増大する。他方、国際分業体制に組み込まれるため、海外直接投資が地域発展に大きく影響するようになる。しかも投資の大都市偏在は、中心・周辺モデルを一層強化する方向に作用するであろう。
4.メガ・リージョンの台頭とその意義 急速な大都市の発展、産業集積の発展、郊外空間の急速な拡大といった現代インドの状況からは、経済成長を牽引する「中心」は、単体の大都市よりも、それらを核としたより広域の、都市集積+産業集積として捉えることが適切と思われる。この空間こそがメガ・リージョンである。メガ・リージョンは、都市群とそれらの周辺の郊外地域が一体となった多核心的な集積であり、単に人口が多いだけでなく、イノベーション、生産、消費市場などの拠点が集結することにより成立している。メガ・リージョンが新経済空間としての実体をもつようになるが、その一方で、メガ・リージョンから離れた地域は停滞を余儀なくされ、地域間の格差拡大と固定化が大きな政治問題となるだろう。
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小松原 琢
セッションID: P014
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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日本弧は典型的な島弧の1つと目されながら、島弧内におけるプレート境界の位置やその性情については定説が未だない。そこで演者は活断層の平均変位速度分布と断層によって画された盆地の沈降運動をもとにプレート境界の位置を性情について議論する。 過去数十年にわたってアクテイブテクトニクスに関する知識量は飛躍的に増加した。日本弧陸域における大規模活断層の水平変位(隔離)速度の分布と、数10万年間の長期的な平均基準面高度に対する断層沈降側(盆地側)における沈降速度が隆起側の隆起速度を上回る盆地(沈降卓越型断層盆地)の分布はほぼ明らかになっている。 それらは、以下の事実を示している。
1)北海道中軸帯の水平変位速度はフォッサマグナ地域の水平変位速度と比較して明らかに小さい。
2)急速な水平変位速度を示す断層群は東北地方の日本海沿岸から本州中部の内帯を経て四国・九州の中央構造線に連続する。
3)沈降卓越型断層盆地は水平変位速度の大きな断層沿いに限られて分布する。
以上は、次に述べるプレート運動を示唆する。
1)日本海溝や南海トラフにおけるプレート沈み込みに伴う水平移動を除外したGNSS観測結果と大規模(A級の水平変位速度をもつ)活断層の分布は調和的である。
2)北米(オホーツク) プレートとユーラシア(アムール)プレートという2大大陸プレートの衝突境界はフォッサマグナ地域に位置する。しかし、東北日本弧と千島弧の衝突は現在も続いている。
3)アムールプレートの南東端は日本海から北陸地方、近畿三角地帯を経て中央構造線に連続する。このプレート境界は 新潟-神戸および日本海東縁の歪集中帯と一致する。しかし、その西方延長はいまだ不明瞭である。また、一連の構造ではなく、多数のA級断層群と初期的沈み込みに伴う沈降卓越型断層盆地群によって構成される。
4)アムールプレートの北西端に位置するバイカルリフトの伸長過程と新潟-神戸歪集中帯から四国の活断層の水平短縮運動史は地質学的な時間尺度では同時に発生している。これはアムールプレートの東進を示す。
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浜田 崇, 富樫 均
セッションID: P037
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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長野県環境保全研究所では,長野県北部の標高1000mの飯綱高原において,山岳地の積雪深変動をモニタリングするため,2002/2003 年冬季から積雪深の定点観測を実施するとともに,飯綱山周辺域において2010年冬季より積雪深分布観測を行っている.本報告では,これまでに得られた積雪深観測データを整理し,冬季の天気界付近にあたる山岳地の積雪深分布の特徴について報告する.
長野県の北部に位置する飯綱山は,標高1917mの中期更新世の成層火山であり,標高1000m前後の高原をなす小起伏面上に,ほほ独立した高まりとして存在する.この山体とその周囲に観測地点を設け,2010年以降,測深棒および神室型スノーサンプラーを用いた積雪深(積雪水量)の一斉観測を行っている.観測地点の数は9〜19地点,標高は574m~1,590mの範囲である.観測場所はなるべく周囲が開けた平坦地を選定した.観測は基本的に1月〜3月に1回/月の頻度で行い,1日〜1日半をかけて一斉に実施した.観測点の内1箇所(標高1030m)では,超音波積雪深計による積雪深の連続観測を行った.
当地域では,概ね12月下旬から積雪が始まり,1月中もしくは2月中に年最大積雪期を迎え,3月中旬から4月にかけて消雪する.積雪深(積雪水量)は標高が高くなるにつれて増える傾向にあるが,飯縄山のおおむね南北でわけてみると,標高との対応関係がより明瞭となる.また,当地域は日本海側の気候区を決める冬季の天気界(降雪分布の境界)付近に位置しており,地元で言われている天気界(高社山—中綱湖)からの水平距離が離れるほど積雪深が深くなるという傾向にもある.この傾向からはずれる地点をみると,すべて山地斜面上部となっていることから,当地域における積雪深の基本的な空間分布は天気界からの水平距離と,山地斜面の高度という2要素の影響が合わさることによって決まっているものと考えられる.
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石黒 聡士
セッションID: P006
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.はじめに 2014年11月22日に長野県北部の地震が発生し(Mj 6.7, 以降,神城断層地震),地表地震断層が出現した(廣内ほか,2014など).地表地震断層は復旧工事などの人工的な要因や降水などの自然現象により,出現後,比較的短時間で姿を変えてしまう.また,長野県北部は降雪の多い地域として知られ,降雪期直前の短期間で地表地震断層の観察が不能となる可能性があった.そこで,本研究では,小型の無人航空機(Unmanned Aerial Vehicle; UAV)2機により空中写真の撮影を行い,Structure-from-Motion - Multi-View-Stereo (SfM-MVS)ソフトウエアを用いて解像度数cmの超高細密の地表モデル(Digital Surface Model; DSM)およびオルソ写真を作成して,短期間で広域的な測量を行った.これをもとに,断面計測を行い,断層に沿った変位量を計測した.
2.写真撮影と地上基準点の計測および地形測量 UAVによる写真撮影は,地震発生1週間後の11月29日と30日に実施した.使用した機材は,いずれもDIJ社のPhantom2とF450であり,搭載したカメラはRICOH社のGRである.シャッタースピードや絞り等を天候に合わせて調節し,インターバル撮影を行った.当初,地表に変位が認められた南北約9.5 kmの全域を撮影予定であったが,時間と天候の制約により,約7割程度のカバー率に留まった.
地上基準点(Ground Control Point; GCP)の測量は地震発生2週間後の12月3日と4日に実施した.ライカ社GCP900を使用し,リアルタイムキネマティック(RTK)測量を行った.測量の結果,119地点の緯度・経度・標高を得た.なお,RTK測量に含まれるオフセット性の誤差は,GCP測量時に四等三角点「二ツ屋」を計測する事により補正した.
本手法による地形計測の妥当性・精度を検証するために,同時並行でオートレベルによる断面測量とトータルステーション(Total Station; TS)による平面測量を実施した.
3.SfM-MVSによる細密DSM作成と変位量計測 SfM-MVSは,対象物を多方向から撮影した写真を用い,イメージマッチングの技術を応用することにより大量の3次元点群データを生成して3Dモデルを作成する技術である.本研究において撮影した写真とGCPを用いてSfM-MVSソフトウエア(Photo Scan Pro)により解析し,解像度約5 cmのDSM(図1)と解像度2.5 cmのオルソ画像を作成した.
作成されたDSMを用いて,地表地震断層沿いに数m間隔で断面計測を行い,鉛直変位量を計測した.変位量は単に崖の比高(見かけの変位量)を計測するのではなく,背後のたわみなどの地形を考慮する必要がある.計測の結果,鉛直変位量は見かけの変位量よりも過小評価される場所と過大評価される場所が確認された.
4.まとめ 作成したDSMにより,以下のことが明らかとなった.(1)DSMの陰影図からは,複雑に屈曲し,かつ分岐する地表地震断層のトレースと,トレース近傍の変形だけでなく,幅数mにわたってブロードに変形する構造が明瞭に示されている.特に,比高10 cm以下の微細な変形は,現地での観察では認識することができないものであり,この手法の優位性を確認できる.(2)オートレベルおよびTSによる断面測量結果とDSMによる断面計測結果とを比較した結果,より微細な高度変化も捉えていることが確認できる.ただし,場所によっては10 cm内外の誤差が生じるようである.(3)本来測るべき変位量は単に崖の比高ではなく,背後のたわみも含める必要があり,DSMを用いることにより,その計測も可能である.単に崖の比高を計測した場合,変位量が過小または過大評価される恐れがある.
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池上 文香, 鈴木 敦, 小寺 浩二, 浅見 和希, 齋藤 圭
セッションID: P030
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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五島列島は九州の最西端に位置し、北東側から南西側に80kmにわたって大小あわせた11の有人島と52の無人島で構成される列島である。自然海浜や海蝕崖、火山景観など複雑で変化に富んだ地形で、ほぼ全域が西海国立公園に指定されるなど豊かな自然景観を有している。しかし、五島列島に関する水環境や水質に関する文献は少ない。そこで本研究では、五島列島の島々の水質の特質を比較し、水環境の現状を把握し課題を探る。
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笹本 裕大
セッションID: 825
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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Ⅰ はじめに
近世以降の日本では,「むら」が生活や産業の単位とされてきた.そこでは,地縁的社会集団のもとで,生活や産業に関わる各種活動が包括的に行われていた.しかしながら,それらの集団は,今日までのむら内外の変化によって消失する傾向にあるとされる.一方で,存続している地縁的社会集団も少なからずあり,集団の意義を指摘するものもある.
わが国の典型的な地縁的社会集団に報徳社がある. すなわち,報徳社の活動の経緯・その現状を広く検証することで,地縁的社会集団の存続要因を探ることが可能だと考える.2010年において存続していた報徳社は,全国に91社あり,そのうち,最多の62社は静岡県内にあって,その大半が同県西部に集中していた.また,三重県内には静岡県に次ぐ16社が存在した.このうち13社は大台町荻原地区にあった.つまり,2010年に存続していた報徳社は,静岡県西部および三重県大台町荻原地区に集中していた.そこで,本報告では,静岡県西部および三重県大台町荻原地区における報徳社の活動実態を明らかにする.
Ⅱ 静岡県西部の事例
静岡県西部における報徳社の活動実態を明らかにするため,農村的景観が維持されている掛川市の嶺向集落と,都市化の進行が著しい袋井市の祢宜弥集落の事例を取り上げる.
嶺向集落では,1903年に嶺向報徳社を設立・法人化した.当初の報徳社は,嶺向集落内の全120戸あまりをもって構成されており,自治に関する話し合いおよび各種活動への資金提供,集落の主要産業である農業を支えるための活動,社員からの預け入れ金の管理を実施していた.
嶺向集落では,農業の衰退に伴って,農業を支える活動を消失した.また,農業の衰退に加え,高齢であること,常会が曜日に関係なく実施され参加しにくいことなどを理由として退社する社員が相次いだ.このため,報徳社は嶺向集落の自治を主体的担う立場にはない.しかしながら,今なお自治に関する話し合いを実施しており,社員の家族を通じて集落の自治に少なからず影響を与えているほか,集落内の各種活動に対する資金提供も継続している.また,社員から預け入れ金の管理も,経済動向に対応しながら,継続している.
祢宜弥集落では,1893年に推譲報徳社を設立・法人化した.当初の報徳社は,祢宜弥集落内の全22戸をもって構成されており,自治に関する話し合いおよび各種活動への資金提供,集落の主要産業である農業を支えるための活動,社員からの預け入れ金の管理を実施していた.
祢宜弥集落では,1990年代以降,急激に都市化が進行した.その過程で集落内の農地が失われ,報徳社による農業を支える活動は消失した.また,祢宜弥集落では,都市化による新住民の流入も進行した.推譲報徳社では,新住民の入社を勧奨した.そして,自治に関する話し合いを今なお継続しているほか,地区の祭典に資金提供している.社員からの預け入れ金の管理も,経済動向に対応しながら,継続している.
Ⅲ 三重県大台町荻原地区の事例
荻原地区では,1930年代に報徳社が設立された.当初の報徳社は,自治に関する話し合いおよび各種活動への資金提供,集落の主要産業である農業を支えるための活動,社員からの預け入れ金の管理を実施していた.しかしながら,1940年代に入り,太平洋戦争が激化した頃には,それらの活動は失われた.
1950年代に入り,報徳社が土地を所有するために法人化が行われた.そして,土地所有に関する活動に加え,旧来からの活動を実施してきた報徳社や,郵便事業を実施してきた報徳社は存続している.一方で,土地所有に関する活動のみに重きを置いてきた報徳社も2010年までは存続していた.しかしながら,そうした報徳社のあった集落では,2010年以降,土地所有において報徳社と同様の役割を有することのできる地縁団体を立ち上げて報徳社を解散した.
Ⅳ おわりに
本報告では,静岡県西部および三重県大台町荻原地区における報徳社の活動実態をみた.各報徳社は,もともと同様の活動を行っていた.その後,各報徳社の活動実態は,農業の衰退,都市化,経済動向,政策の転換の影響を受けた.このため,各報徳社の活動実態には地域的差異が生じている.
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加藤 秋人
セッションID: 704
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.はじめに<br> グローバル化の中で工程間の国際分業の進展の中で,現在の日本の産業では,大企業を中心に研究開発機能の強化が進んでいる.そのため,かつては内製されていた設計や開発・試作の工程での外注利用も進んでおり,中小企業はそうした動きに呼応するように,試作機能の提供を通じて大手企業の製品開発を下支えすると同時に,独自の開発力や技術力を高めることで生き残りを図っている.とりわけ中小企業などによる試作機能の供給は,①複数の設計案を同時に生産する必要性,②社内で不足する製品開発に必要な資源の確保,③従来の事業から離れた分野の開発における技術・知識の調達などの理由から,研究開発において重要となる.<br> 近年,いくつかの集積地域において,この試作機能を強化するべく,行政の支援などを受けて試作関連の組織が設立されている.本発表では,その一事例として京都地域の試作組織「京都試作ネット」の取組みの分析を通じて,同地域の中小企業による試作品生産の現状を明らかにし,その可能性を検討する.<br><br>
2.京都試作ネットの沿革と運営実態<br> 京都試作ネット設立のきっかけとなったのは京都機械金属中小企業青年連絡会のメンバーが行っていたドラッカー勉強会である.この勉強会の中でマーケティングとイノベーションの重要性を認識し,その実践として2001年に京都府南部の機械金属関連の中小企業10社が,試作に特化したウェブサイトを立ち上げたことで京都試作ネットは誕生した.この活動は京都府の試作産業推進施策に発展するなどし,京都地域の大手企業27社の出資によって,京都試作ネットの窓口企業となる京都試作センター株式会社も設立された.<br> 現在の京都試作ネットは,試作品等の開発・加工依頼を同ネットのメンバー企業に仲介する業務を主体として活動している.取引件数は年間1,200件程度で,京都試作センターの株主企業を含めた近畿地方の大手企業からの受注が多い.受注内容も同株主企業の事業分野である電気・電子関連や医療関連が多い.<br> 京都試作ネットに参加しているメンバー企業は100社程度あり,100社は会費や負担する業務,試作案件の受注優先度が異なる3つのクラスに分類されている.このうち中核メンバー企業は京都試作ネットが依頼を受けた取引案件を最優先で受注できるが,最も高い年会費支払うほか,問合せ等の窓口当番,京都試作ネットとして参加する展示会の運営の義務がある.なお京都試作ネットへの加入やクラスの昇格には,同ネットの行事参加や,他の企業の承認が必要となる.<br><br>
3.中核メンバー企業にみる試作の実際<br> 京都試作ネットの中核メンバー企業は27社ある.その業務内容は,切削や造形からメッキ・表面処理に装置開発,設計まで,また加工材質では金属から樹脂まで,多様な分野・技術にわたる.その中で,多品種少量短納期生産への対応という点で共通している.また一部企業を除いては,受注先がどのような大きさ・形状・機能のものを必要としているかを聞いて,自社で設計をして生産するという形態の取引を始めており,開発への参入も実現している.その要因としては,物理的近接性のみならず,他地域からのアクセシビリティが高いということも含め,対面接触が比較的容易な地域に大手企業の開発拠点などが多い点が挙げられる.<br> こうしたことから生産する試作品も開発段階の「原理試作」から量産目前の段階の「生産試作」まで幅広い.とは言え,中心は後者の生産工程の下流段階の試作である.<br><br>
4.京都試作ネットと集積地域の試作機能<br> 京都試作ネットは,大手企業を中心とした受注先にとっては,取引費用の一種である外注管理費用を削減する効果をもたらす,いわば「外注管理の外注先」として利用されており,このことは京都試作ネットメンバー企業にとっては,取引先拡大の機会となっている.ただ,京都試作ネットが仲介する取引には,比較的単純な加工外注の依頼が最も多く,開発など生産工程の上流に事業範囲を拡大するという京都試作ネットの目標は,この仲介業務だけを見る限り,必ずしも達成されているとは言えない.一方,生産工程の上流に事業範囲を拡大する,という同じ志の下に集まった組織ということもあり,各社のそうした意識の維持・共有において京都試作ネットは貢献している.その結果としてメンバー企業それぞれが開発業務への参入を図るべく変化している.<br>さらに,複数企業が協力することでより高度な製品開発を行うべく,共同開発スキームの構築が模索されている.この取組みにより,現在は各社がそれぞれ進めている開発業務への参入という動きが,さらに強化されることが期待される.
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北島 晴美
セッションID: 604
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.はじめに<BR>
年次別老衰死因順位は,1953~1957年に第3位と最も高くなったが,その後,順位を下げ,1996~2007年は第7位と最も低くなった。2009~2013年には第5位(2011年第6位)と再び順位を上げている。<BR>
高齢になるほど老衰を死因とする比率が高くなるため,今後,高齢化がさらに進行すると,老衰による死亡の比率は現在よりもさらに上昇すると予測され,老衰死亡の動向を把握することは,医療・社会福祉政策の観点から重要である。<BR>
発表者は,老衰死亡率の推移,老衰死亡割合の推移,老衰死亡率の季節変化に関してすでに報告した(北島,2014)。<BR>
本研究では,都道府県別老衰死亡の地域差について,最近の傾向を,標準化死亡比(SMR),年齢調整死亡率,死因別死亡確率から分析した。<BR>
<BR>
2.研究方法<BR>
使用したデータは,SMR(『平成20年~平成24年 人口動態保健所・市区町村別統計』,厚生労働省)(以下では2010年と標記),年齢調整死亡率(『平成22年都道府県別年齢調整死亡率』,厚生労働省),死因別死亡確率(『平成22年都道府県別生命表』,厚生労働省)である。<BR>
4大死因(悪性新生物,心疾患,肺炎,脳血管疾患)の地域差と老衰の地域差を比較するために,これらの死因のデータも使用して主成分分析を行った。<BR>
<BR>
3.5大死因のSMR,年齢調整死亡率の主成分分析<BR>
47都道府県をケース,男女の5大死因のSMRを変数として主成分分析を行い,主要な第1(寄与率35.0%),第2成分(寄与率30.3%)が抽出された。第1成分と第2成分の成分負荷量の散布図(図1)からみて,第1成分は,肺炎,悪性新生物,心疾患,第2成分は老衰,脳血管疾患の変動を主に説明するパターンである。<BR>
男女の年齢調整死亡率を変数として主成分分析を行い抽出された第1,第2成分もSMRと類似した特徴を示した。<BR>
SMR,年齢調整死亡率の第1成分の主成分得点がいずれも高い府県は,青森県,大阪府,秋田県,栃木県,低い県は,長野県,沖縄県,山梨県,静岡県である。同様に第2成分の主成分得点がいずれも高い県は,静岡県,栃木県,岩手県,低い府県は,福岡県,沖縄県,大阪府,佐賀県である。<BR>
<BR>
4.5大死因の死因別死亡確率の主成分分析<BR>
47都道府県をケース,男女の5大死因の死因別死亡確率(0歳)を変数として主成分分析を行い抽出された第1成分(寄与率41.3%),第2成分(寄与率19.7%)の成分負荷量の散布図を図2に示す。第1成分は,老衰・脳血管疾患と,肺炎・悪性新生物が逆の変動をするパターンであり,第2成分は,心疾患の変動を説明するパターンである。<BR>
第1成分の主成分得点が高い県は,長野県,静岡県,宮城県,三重県,岐阜県,低い道府県は大阪府,福岡県,佐賀県,北海道,奈良県である。<BR>
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松木 駿也
セッションID: 124
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1. はじめに 近年の観光形態の変容により観光客に対する地域の説明には、バスガイドのような画一的なガイドから専門知識と観光客を楽しませる技術が必要な解説活動(インタープリテーション)へ求められるものが変化してきた。そこで注目されているのが地域住民による観光ボランティアガイドである。世界遺産のような観光客の多く訪れる地域では受け入れ態勢の整備としてガイド育成が求められ、さらに、ジオパークのような学習観光の場では専門知識と適切な安全管理を行える有償ガイドも出現している。 そのような中で、島原市、南島原市、雲仙市からなる長崎県島原半島には、現在、有償無償の10ほどの観光ガイド組織が存在しており、世界遺産とジオパークという二つの大きな観光政策のもとガイド組織の再編が行われている。本報告では、その概要について述べ、観光ガイド組織やガイド個人への聞き取り、アンケート調査をもとに、再編過程にある島原半島の観光ガイド制度に対するガイド個人の認識や、ガイド間・組織間関係の変化から、現在のガイド制度の問題点と今後の持続可能性について考察していく。 2. 世界遺産による観光ガイドの統合 南島原市の日野江城跡、原城跡は、2007年に世界遺産暫定リストに記載され、2015年1月に推薦が決定した「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産となっている。これにより、日野江城跡、原城跡では観光ガイドの需要も高まると予想される。そこで市内の合併前旧町ごとに存在した5つのボランティアガイド組織を管轄する南島原ひまわり観光協会を中心に協議を重ね、5組織を「有馬の郷」に統合することとした。観光協会は旧町域を超えて地域資源を相互に通しで案内可能な人材(「スルーガイド」)を養成しようと画策している。これに対し、各組織は人材育成の必要性を強く実感しており、各組織にできる範囲での対応・協力をしていくこととしている。強いリーダーシップを発揮する観光協会のもと、目的を共有した既存ガイド組織が連携を図っていくこととなるが、一部のガイドへの負担増加が危惧される。 3. ジオパークによる観光ガイド・ボランティアの再配置 1990年代前半に噴火災害の起こった島原では、2004年からNPO団体がまだすネット(のちに島原半島観光連盟)に所属するガイドが有償の火山学習プログラムを行っていた。2008年に日本ジオパーク、2009年に世界ジオパークに島原半島が認定されるのを契機に、ジオパーク推進協議会事務局では2007年から養成講座を開講しジオガイドの育成を行った。参加者の多くは既存のガイドやボランティアであり、事務局はジオパークガイドとしての制度を確立することをしていなかった。しかし、世界ジオパーク再審査直前の2012年12月にこれまでに養成講座を受講した者などの希望者に認定試験を課し、これに合格した27名を有償ガイドを行う認定ジオパークガイドとし、観光連盟の中に組織した。そのため、観光連盟ガイドなど他の様々なガイド組織に重複所属する者もいる一方で、これまでにガイド活動を行ったことのない者も多く含まれる組織となった。また、かつて莫大な災害支援を受けた島原にはボランティア意識の強い者も多く、ガイド個人の背景の違いから組織内での意識がまとまらない。また、ジオパーク事務局と観光連盟の2つの上部組織、認定ジオパークガイドと観光連盟ガイドの2つのガイド組織が併存することもその溝をさらに深める要因となっている。ジオパーク事務局がガイドを把握し、まとめることができておらず、現場であるガイドとの意思疎通をとれる制度の確立がもとめられる。
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野外巡検で撮影された写真の分析から
小池 拓矢, 佐々木 リディア, 菊地 俊夫
セッションID: 123
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1. はじめに 従来の有名な名所旧跡を見てまわるような物見遊山的な観光形態から、地域に眠っている資源を発掘して売り出す着地型あるいは体験型と呼ばれる観光形態に目が向けられるようになるにつれて、観光におけるガイドツアーの役割は重要なものになると考えられる。なぜなら、そこに単に位置するだけでは観光対象として機能しない地域資源に人の目を向けさせるためには、何らかの説明が必要となるからである。寺崎(2004)によると、ガイドツアーとは「ガイドが自然や文化などの題材を使って、単に見るだけでは気づかず知ることができないことを、ツアー参加者の感覚に訴えて気づかせ、驚かせるなどして、興味を刺激しつつ知識や情報を提供する」ものであり、ツアーに参加した観光者はガイドの説明を受けることによって地域の資源を発見することができる。
そこで、本研究はガイドツアーにおけるガイドの案内とツアー参加者の行動の関係性を明らかにすることを目的とした。ガイドツアーにおいては、参加者が移動するルートは基本的に固定されているため、本研究では参加者の行動として、ツアー内で行われる写真撮影を対象に分析を行う。具体的には、ガイドの発言が参加者の写真撮影の行動にどのような影響を与えているのかを測定し、検討する。
また、各種ガイドツアーによって、その対象や参加者は多様であるが、本研究では、大学の講義の一環として行われた丘陵地域の野外巡検を対象に調査を行った。
2. 調査方法 調査は、首都大学東京の観光系の学科が提供する講義「自然ツーリズム学概論」の野外巡検内で行った。巡検は2014年12月7日(日)の12時30分から約3時間、埼玉県所沢市の「トトロの森」と呼ばれる森林や狭山湖周辺を、講義を担当する菊地俊夫教授による説明を受けながら歩くもの(図1)であり、「自然ツーリズムの風景を読み解く-保全と適正利用の調和を考える」というテーマに基づいて行われた。参加者はその多くが首都大学東京の学部2年生であり、全部で20人の参加があった。参加した学生は、巡検で観察したことを踏まえて、自然環境の保全と適正利用の方法と問題点をレポート用紙2枚程度にまとめて、後日提出することになっていた。
当日は、ガイドである教授にICレコーダーとGPSロガーを持ってもらい、参加者である学生には調査者が配布したGPS機能付きカメラで、特に枚数の制限などは設けず、興味をもった事物を中心に写真を撮影してもらった。また、巡検の最後には撮影した1枚1枚の写真に対して何を対象に撮影したのかを、調査者が作成したカテゴリー(動物、植物、構造物など)から選択させ、質問紙に記入してもらった。
発表では、巡検当日の調査から得られたガイドの音声データ、位置情報が付与されている参加者が撮影した写真のデータ、何を撮影したかが記入された調査票のデータから、ガイドが説明を行った地点と写真撮影の密度の高い地点が一致しているかなどについての分析結果とその考察について報告する。
文献
寺崎竜雄 2004. ガイドツアー. 日本交通公社編『観光読本』 174-176. 東洋経済新報社.
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飯島 慈裕, 齋藤 仁, フョドロフ アレクサンダー
セッションID: P024
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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1. はじめに
20世紀後半以降の温暖化にともない、寒冷圏陸域の連続的永久凍土分布地域では、地表付近の温度上昇による表層の永久凍土と凍土氷の融解(活動層の深化)が進行している。凍土氷の融解と流出によって生じる地表面の沈降:サーモカルスト現象(thermokarst)は、環北極域で広範に現れており、沈降後は湖沼が広がる。東シベリアの北方林域ではアラス(alas)と呼ばれるサーモカルスト湖と草原からなる景観となる。
サーモカルストによる湖沼の発達は、地形変化を伴う凍土荒廃現象である。その進行は、凍土そのものの変化にとどまらず、生態系、水文過程、されには地域の気候変化まで波及的に影響が連鎖する。その時空間的変動の理解は、寒冷圏での環境変動を予測する上で重要性が高い。活動層深化に伴う熱・水環境変化過程の理解には、景観ごとの現地観測と衛星データ解析を組み合わせ、それらに基づく凍土荒廃過程のモデル化によって、現状の診断や将来予測へとつなげる統合的研究が有効と考えられる。
本研究は、活発なサーモカルスト現象と湖沼の拡大が指摘されている連続永久凍土帯の北方林が広がる東シベリア・レナ川中流域を対象として凍土環境の安定性の広域評価を目的としている。本発表では、その研究の端緒として、最近の衛星データに基づきサーモカルスト湖の地形的特長を段丘面区分によって統計的に解析した結果について報告する。
2. データならびに方法
本研究では、最新のサーモカルスト湖分布を捉えるため、ヤクーツク周辺のレナ川中流域において、2013年9月19日に撮影されたLANDSAT8画像を用いた。
また、ライプツィヒ大のMathias Ulrich博士によってGIS化されたレナ川右岸地域の段丘区分(Soloviev 1959に基づく)によって、段丘面ごとのサーモカルスト湖のサイズ、頻度を解析した。
3. 結果
LANDSAT8画像のShort-wave Infrared 2 (SWIR-2 : band 8)による、ヤクーツク右岸、ユケチ観測地点周辺の水域の様子によると、灰色に広がる北方林(カラマツ)内に、無数の小規模なサーモカルスト湖沼(黒色)が分布している様子がわかる。この地域のサーモカルスト湖沼を両対数の面積-頻度曲線で表すと、レナ川の左岸、右岸に関わらず、傾きが約-1.9の直線で近似される(図は省略)。このことは、現成のサーモカルスト湖において、小規模な湖沼の寄与が無視できないことを示している。
右岸地域の段丘面区分に基づく、各段丘面でのサーモカルスト湖沼の累積面積割合からは、段丘面ごとに面積寄与がことなる様子が分かり、高位面ほど小さいサイズのサーモカルストの寄与が大きいことが分かる。累積面積の50%は直径に換算して200~600m以下の小さいサーモカルスト湖となっている。
低位面では、1990年代の気温のシフトによって、農地・牧草地として開墾された地域での急速なサーモカルスト湖の形成が示されており(Fedorov et al., 2014)、段丘面による分布の違いは、凍土氷密度の分布や凍土融解過程などの自然条件と人間活動の程度との相互作用が一因として考えられる。今後は、過去の衛星画像等からサーモカルスト分布の変遷を比較することで、凍土融解とサーモカルスト湖の形成について、さらに解析を進める予定である。
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小寺 浩二, 浅見 和希, 齋藤 圭
セッションID: 312
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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2014年9月27日に御嶽山で噴火が発生した。この噴火により火山噴出物が御嶽山周辺に降ったため、水環境への影響が予想された。そこで当研究室では、噴火による水環境の変化を確かめるために月1回の継続調査を実施した。結果、御嶽山南部の河川で火山噴出物により水が白濁し、水素イオン濃度(pH)や電気伝導度(EC)も変化していることが分かった。また噴火直後、白濁した水は御岳湖の湖底に流入していたため、牧尾ダムより下流には噴火の影響が表れていなかったが、水温低下により御岳湖の水が循環し、湖底の水と混ざったため、ダムより下流でもpHやECの変化が表れた。
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グエン クワン トゥアン, グエン ティ イ
セッションID: S1606
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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コミュニティツーリズムを通じた農村の地域づくりは,ベトナムにおいて地域の自然や文化の管理,保全を行いつつ,地域経済を発展させるモデルとして期待されている。本プロジェクトではソンビエン行政村(クアンナム省)とフールオン行政村(トゥアティエンフエ省)を対象地域にコミュニティツーリズムによる地域づくりの可能性を探るためワークショップとWebGISを用いた情報共有を試みた。結果としては以下のような結論を得た。
- ソンビエン行政村ではコミュニティツーリズムとヘルスツーリズムの組み合わせが,ソンビエン行政村のコミュニティのポテンシャルを考えると適している。
-またソンビエン行政村の取り組みからコミュニティ内のルートマップにおけるWebGISデータベースを開発の可能性と課題が把握できた。
- フールオン行政村での取り組みでは,観光資源ポテンシャル確認に加えて,地域環境の問題個所の確認にWeb GISデータベースが利用可能であることが確認できた。
- これらのワークショップやWebGISを介した情報共有は,地域づくり,伝統文化保全,自然資源の保護,持続可能な地域経済の発展の方向性についての地域住民の気づきに有用であった。
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-2014年の一斉調査の結果から-
阿部 日向子, 浅見 和希, 小寺 浩二, 斎藤 圭
セッションID: P029
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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我々のグループは毎年行われている「身近な水環境の一斉調査」に参加しており、2014年は浅間山を中心として、周辺を流れる吾妻川、千曲川(信濃川)およびその流域河川と信濃川の支流である魚野川とその流域の水環境調査を実施した。その結果広域にわたる水質のデータを得られたので、これを基に水質を比較し、各流域の特徴や地域特性を把握することを目指した。
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アーティストと創造産業の違いに着目して
池田 真利子
セッションID: 421
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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分断都市としての歴史を経験した都市ベルリンは,東西で異なる変化を遂げてきた.とくに政治転換期以降,旧東ベルリンインナーシティ地区では,文化的占拠やテンポラリーユースなど,合法・非合法に関わらず文化・創造的空間利用が顕在化し,ジェントリフィケーションを含む特定街区の改善を促してきたが,こうした改善の過程に関しては都市の在り方と併せ議論が成されてきた(池田 2014).独語圏既存研究においては,特に東ベルリンインナーシティ地区の改善過程が注目されてきたが,「旧東独インナーシティ地区が旧西独インナーシティ地区よりも経済的に豊かとなった」という逆説的状況に代表されるように,東西統一から四半世紀が経過した現在,都市改編は旧西独地域へと及びつつある. したがって,本発表は旧西ベルリンインナーシティ地区のロイター地区を事例に,街区の肯定的イメージが創り出される具体的な過程に注目することにより,ジェントリフィケーションにおいてアーティストが担う役割を明らかにする.研究方法は以下の通りである.まず,2013年および2014年にロイター地区全域の詳細な土地利用を調査し,続いて地区改善事業に取り組む行政および関連事業主体への聞取り調査を行い,地区の変容過程に関する聞き取り調査を行った.さらに,ロイター地区のアーティスト,小売店事業主(商業,サービス業)を対象に経営形態や開設年,立地選択理由等に関する聞取り調査を行った.ノイケルン地区は,旧西ベルリンインナーシティ地区であり,東西統一以降はトルコ系移民をはじめとする外国籍住民が近隣地区より多く流入し,トルコやポーランド,セルビアなどの移民の背景をもつ人々Migrationshintergrundが集住している点,失業率も15.4%と市全体の失業率11.2%に比較して極めて高い点などから,典型的な「問題街区」である.本研究の対象地域はノイケルン地区の最北端に位置するロイター地区である.同地区では,「Cultural Network Neukölln」(1995年~)や「48 hours Neukölln」(1999年~)など,特に1990年半ば以降アーティストによる自発的活動が活発化していった.2003年には連邦政府およびEU地域開発基金(ERDF)を基に地区改善事業が開始され,街区マネージメントが開始された.さらに2005年には民間団体であるテンポラリーユースエージェンシーが同地区に多い空き店舗を活用し,アーティストや都市企業者への期間限定的借用を開始した.ロイター地区は2008年以降,広義における文化施設(アトリエ,カフェ・バー,ブティックなど個人経営の小売店・サービス業)の増加が著しい.旧東西境界線(ベルリンの壁)に近接する地区は,東西分断時には国家の縁辺部として衰退していたが,統一後に地理的中心性を回復した.こうした衰退地域では,交通利便性のほかに,未修復・未改善の建造物に起因する安価な地代などから,東西統一後の1990年代よりアーティストや都市企業家が積極的に移住し,地区のイメージを高めていった. 本研究で明らかとなった知見は以下の通りである.第一に,商業施設の分布に着目した土地利用からは,既存研究で指摘されてきたエスニックマイノリティなどの立ち退きによる置換(上方変動)というより,大通り沿いの商業施設(小売店)はエスニック関連施設,小路には小売店事業主(商業,サービス業)が集積し,より偏在的かつ多面的に変容を遂げていったことがわかる.第二に,ロイター地区の改善過程をみると,アーティストがパイオニア期である1990年代半ば以降転入しており,続いて1990年代末以降,創造産業を含む小売店事業主(商業,サービス業)が同地区へと転入した.こうしたことから,創造階級のなかでも特にアーティストは,他の商業・サービス業などの創造産業と一種異なる役割を果たしていることが,ジェントリフィケーションの時系列的変化より明らかとなった.
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高岡 貞夫
セッションID: S1205
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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1.はじめに
地すべりは地形学や防災科学の研究対象として研究が進められてきたが、地すべりが多様な生態系を形成する上で重要な役割を担っている点が注目され、日本の山地においても早くから地生態学的研究がおこなわれてきた(例えば小泉 1999,宮城 2002,三島ほか 2009,佐々木・須貝 2014)。日本アルプスでの研究は必ずしも多くないが、本地域は地すべり地特有の地形や地形プロセスが生態系の発達、特に植生景観や地域のフロラの形成にどのような役割を果たしてきたのかを体系的に研究する場を提供してくれる。 本講演では主として植生の成立に着目して、生態系の構造とその発達に対して地すべりが長期的にどのようにかかわってきたのかを解明することの意義と課題を述べる。 なお、本稿では地すべりを広義の意味で用い、また、必ずしも大規模でないものにも言及する。
2.生態系の構造を規定する地すべり
地すべりの発生によって、その土地の植生は改変される。日本の主要な森林における林冠ギャップの平均面積は30~140 m2であり、大きなものでも400 m2程度であるが(Yamamoto 2000)、大規模地すべりは森林全体を破壊するような攪乱である。その強度・影響度は地すべり地内で一様でなく、地すべり発生以前の植生が部分的破壊を受けつつも移動ブロック上に残存する場合、土壌や埋土種子等(生物学的遺産)が残存して二次遷移が始まる場合、裸地が形成されて一次遷移が始まる場合など、さまざまである。 また、地すべり地には急崖、凹地、小丘、岩礫地、湿地、池沼などが形成され、斜面の安定性、表層構成物質の乾湿、微気候条件などの違いを有する多様な環境が混在する場が形成される。地すべり発生後の植生遷移は、こられの環境の違いにも影響を受けながら進行すると考えられる。 このように地すべりを契機として形成される、地すべり地を空間単位とする生態系を、本稿では地すべり生態系とよぶ。
3.地すべり生態系の発達過程
地すべりによって新しく形成された地表で起きる植生発達は、地すべり発生前に成立していた極相に向かって遷移が進んでいくケースばかりではなく、土地的特性(岩塊原や凹地など特殊な土壌や微気候がつくる環境)と結びついて成立した植生が長期的に維持されるケースや、急崖など不安定な斜面に攪乱に対応する性質を持つ種が優占する植生が継続的に成立するケースなども考えられる。 このような植生発達の過程を知るには、長期的視点で現象をとらえ分析することが必要であるが、その重要性が指摘されながら実証的な研究は少ない(菊池 2002,高岡 2013)。長期的な変化過程を通時的に観察することは古生態学的手法を取り入れてもなお限界があるので、発生年代の異なる地すべり地を比較し類型化することを通じて間接的に時間変化を推測する必要があるが、それを行うのに十分な地すべり地が日本アルプスには存在する(苅谷ほか2013)。
4.地すべり生態系の多様性
地すべり生態系の発達の仕方が地すべり地によって異なるのは、上述したような時間の長さに依存したものばかりではないであろう。例えば地形・地質条件を反映して地すべりの発生様式が異なれば、地すべり地内に生じる地形の構成や生物学的遺産の有無も異なるであろうし、類似した発生様式による地すべり地であっても、気候の違いによって異なる植生発達過程が進行することも起こりうる。 日本海側から太平洋側の気候区にかけて位置する日本アルプスは、気候や地形・地質条件の違いを考慮しながら地すべり生態系そのものの多様性を広域的に比較検討する場として適した場所であるといえる。
5.日本アルプスでの検討事例
ここで地すべり生態系の一要素である池沼を取り上げる。日本アルプスを含む中部日本の標高2000m以上の地域に存在する約50 m2以上の面積を有する池沼304個のうち、202個(66.5%)は地すべりや重力変形によって形成された凹地に存在する(Takaoka 2015)。これら202個の池沼は積雪が多い地域ほど出現頻度が高く、また地質分布も出現頻度を左右している。地すべり成の池沼は、面積、出現標高、形成年代、水質、周囲の植生などの点で同地域内の火山成、氷河成の池沼とは異なる特性を持ち、水性生物に重要な生息地を提供している。
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田代 崇
セッションID: 105
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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本研究では、西部熱帯太平洋海域に位置するフィリピンの後氷期における古環境復元をおこなうことを目的とし、同領域に位置するパイタン湖より得られた湖底堆積物試料から復元された約8,300yrsBP以降の古植生環境と古気候変動の関係性を議論した。特に、乾燥指標植物と考えられるコゴン草原の卓越期と粒度分析から得られた湖水位変動記録との関係からローカルな地域における乾湿変動を復元し、周辺地域における復元記録との関係性に関して考察をおこなった。分析試料は、乾季の終わりで最も水位が低下する時期(4~5月)に、標高約65m、崖面からの距離約350mの湖南西岸(15°50’05.0”N、120°43’41.9”E)において採取した。 粒度分析は、試料中の欠如、攪乱部分を除く試料から、 2㎝毎に試料を採取し、計247点でおこなった。植物珪酸体分析は、粒度組成データに対しクラスター分析(K-mean)をおこない、4つの粒度組成タイプとして分類し、それぞれの堆積タイプ(Type1:陸化型、Type2:湖岸型、Type3:遷移期型、Type4:湖心型)に該当する典型的な複数の試料計42点を対象におこなった。粒度分析結果から推定された湖水位の変化は、降水量の変化を反映すると考えられることから、本試料の各層が堆積した環境は、降水量が多い時期には湖水位が上昇することにより湖心に近い堆積環境が形成され、降水量が減少した時期には、水位が低下することにより湖岸部に近い堆積環境となることが推定される。したがって、前者の堆積環境のもとでは、中央粒径が小さくなると共に淘汰も進み、後者の場合、淘汰が進まず、中央粒径が大きい物質が堆積することから、この変化が乾湿変動と関係するものと考えられた。次に、植物珪酸体分析の結果と粒度組成から推定された湖水位変動を乾湿環境に読み替え、これらの関係を分析した。この結果、Type1からType4に対応するコゴン(乾燥指標)の植物珪酸体の含有率は、一部のタイプにおいて幅があるが、平均ではType1からType4に従って含有率が低下する傾向が認められた。また、逆に木本型(湿潤指標)の植物珪酸体の含有率は、Type4~Type1へ従って上昇する傾向が認められた。以上より、Type1からType4への堆積環境の変化は、植生から復元した乾燥から湿潤への変化と概ね対応しており、湖水位変動と古植生環境は、相互補完的に乾湿環境を支持すると考えられる。また、これを基に推定される対象地域の乾湿変動は、8,300~7,300yrsBP間は乾燥期、7,300~5,900yrsBP間は湿潤期、5,900~5,700yrsBP間は乾燥期、5,700~2,800yrsBP間は弱い湿潤期、2,800~2,400yrsBP間は乾燥期となった。対象地域以外のアジアモンスーン地域の陸域においておこなわれてきた乾湿変動の復元記録と本研究の結果の対応関係を考察した。これらの乾湿変動記録を概観すると、6,000yrsBPを境とする前後で傾向の変化が見られた。8,000~6,000yrsBPまでの期間では、対象地域以外の全地点が湿潤傾向にあるが、対象地域のみに8,000~7,000yrsBPに極端な乾湿変化を示す傾向がみられた。一方、7,000~6,000yrsBPにおいては全地点で湿潤傾向が示された。これらの結果より、本研究対象地域を含む熱帯モンスーン地域一帯では、少なくとも約7,000~6,000yrsBPにおいて気候最適期もしくはヒプシサーマル期の温暖湿潤傾向が一様に現れている可能性が考えられた。また、熱帯域において対流活動の指標とされているSSTと対象地域で復元された乾湿環境の変化の関係を分析することで、これら乾湿変動の発生メカニズムに関する考察をおこなった。西部熱帯太平洋海域におけるSSTの高温状態は、対流活動が活発な状態を示すと共に、その海域が湿潤状態であることを示し、SSTの低温状態は、対流活動が不活発な状態を示すと共にその海域が相対的乾燥状態にあることを示す。これを考慮し、同海域におけるSSTの変動と本試料において復元された乾湿変動との関係を分析した結果、約8,000~6,000yrsBP間においては、周辺海域においてSSTが高温である期間に湿潤傾向があり、SSTが低温である期間に乾燥傾向があることが示された。今後の課題としては,対象地域の乾湿変動と対流活動との関係をより高い時間分解能で解明する必要が挙げられる。
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ゆ こう, 尤 欽, 沈 彦俊, 近藤 昭彦
セッションID: P031
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
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はじめに 現在、世界の水消費量の70%~80%は、灌漑用水によるものである。水循環プロセスに大きな影響を与える農業生産活動の影響を把握する事は重要な課題であるが、農業用水量を算出するためには、農事暦を知る必要がある(小槻ほか 2012)。華北平原は中国で二番目に広い平原であり、農業灌漑面積は全国の約42%を占めている。一方、一人当たりの水資源量は中国一人当たりの水資源量の15%しか占めていない。そのため、華北平原の水管理は持続可能な農業の課題となっている。そこで、本研究では華北平原の主要農産物の農事暦と作付面積の経年変化を明らかにした。データと手法 PAL(Pathfinder Advanced Very High Resolution Radiometer Land Data sets)にはAVHRRのチャンネル1(可視)、2(近赤外)、4、5(熱赤外)およびNDVIが含まれている。データの空間分解能は8kmである。時間分解能は10日であり、年間36旬分のデータが存在する。本研究ではNDVIを利用した。冬小麦のNDVI値変化パターンを抽出するために、1982年から2000年のPALデータを利用した。 SPOT VegetationデータセットはSPOT4号・5号に搭載された陸域の植生被覆状況を観測センサーである。ピクセルごとに10日間のNDVIの最大値を選択することにより雲の影響を取り除いてある。時間分解能は10日であり、空間分解能は1kmである。冬小麦のNDVI値変化パターンを抽出するために、1999年から2012年のSOPTデータを利用した。 中国気象科学データサービスセンターでダウンロードした華北平原各省の気象データを利用した。農事暦変化を考察するために各省の気象データを利用した。 SRTM(Shuttle Radar Topography Mission)は2000年2月にNASA、DLR(Deutsches Zentrum fur Luftund Raumfahrt)とISA(Italian Space Agency)によって作成されたDEM(Digital Elevation Model)である。本研究では、DEMを用いた地形解析に基づき冬小麦の分布情報を検証するために使用した。 野外調査によって、60点のトレーニングポイント地点を設定し、この情報を用いて華北平原における土地被覆ごとのNDVI値季節変化パターンを抽出した。その季節変化(フェノロジー)の特徴を利用して農事暦判断と冬小麦の面積を抽出した。 結果 冬小麦の農事暦における播種旬と収穫旬は、年々変動しており、播種時期と収穫時期が解析期間の30年で遅れていることがわかった。また、1982年から2012年までの冬小麦面積の時空間的変化が明らかになり、近年冬小麦の面積が減少する傾向があることが明らかとなった。考察 秋の平均気温、平均降水量と冬小麦播種旬の変化に正の相関があった。春の平均気温は上昇しているが降水量はあまり変化が無い。そのため、春の蒸発量が多くなり、相対的に農業用水が増加した。華北平原の灌漑水はほぼ地下水であるため、地下水位が低下したが、地盤沈下などの影響のため地下揚水が制限されて、水不足に拍車をかけている。水不足が植物の成長の遅れ、収穫時期の遅れの一要因と考えられるが、中国政府による南水北調による通水が2014年12月12日に始まった。農事暦に対する影響を引き続き観測する必要がある。 抽出した冬小麦の面積と統計年鑑を比較した結果、よく一致することがわかった。標高データと重ね合わせた結果も、山地地帯冬小麦の誤分類がほとんど確認されていないため、本研究の冬小麦面積と分布は精度が高いと考えられる。まとめ 華北平原は著名な食糧生産地であり、その水不足の問題は世界でも注目されている。本研究では、衛星リモートセンシングにより華北平原の農事暦の変化を明らかにした。華北平原において冬小麦の播種時期と収穫時期が遅れることは、自然要因と人為適要因の両方があると考えられる。水不足等の影響による華北平原の冬小麦面積の減少は報告されているが(許文波 2007)、本研究では、2つの衛星データを用いて、冬小麦の生育パターンに基づき、長期間(30年)の華北平原における冬小麦面積を抽出した。その結果、冬小麦の面積が減少していることが明らかになった。引用文献小槻峻司・田中賢治・小尻利治・浜口俊雄 2012. 衛星データから作成した農事暦を活用した全球陸域水循環解析 水文・水資源学会誌 Vol25、No6、373-388許文波・張国平・範錦龍・銭永蘭 2007. MODISデータを用いた冬小麦面積変化解析 農業工程学報 Vol23、No.12、144-149(in Chinese)
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宮原 育子, 白坂 蕃, 渡辺 悌二
セッションID: 521
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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本研究では、現地調査によって、中央アジアキルギス南部パミール高原のアライ谷における宿泊(ゲストハウス)事業の現状を明らかにし、2つの町におけるゲストハウスの在り方を比較し、さらに、今後の地域の観光発展における課題を述べた。
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ーオープンソース・コミュニティを介した広域的知識流動の分析からー
福井 一喜
セッションID: 609
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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1.研究の背景と目的
経済発展とイノベーション形成を促進する地理的メカニズムの検討視点として,アントレプレナーシップと,その形成をめぐる重層的な空間スケール間の相互作 用を読み解く「トランスナショナル化するアントレプレナーシップ(Transnationalizing entrepreneurship)」が論じられており,ローカル空間におけるアントレプレナーシップはトランスナショナルな空間スケールで活動するアン トレプレナーの活動を通して形成・強化されると考えられている.
日本におけるアントレプレナーシップは先進国の中でも低調で知られるが,こうした地域におけるアントレプレナーシップ形成の研究枠組みとして,ローカル外 からの知識獲得に注目した,ローカル・ノンローカルの空間スケール間の垂直的な知識流動の分析が有力視されている.本研究の目的は,トランスナショナル化 するアントレプレナーシップの視点から,IT産業に関する人材により構成される「オープンソース・コミュニティ(以下「OSC」)」を介した広域的知識流 動の空間構造を明らかにすることである.IT産業はアントレプレナーシップが発現する典型的な産業である.本研究においてアントレプレナーは,資源の新結 合すなわちイノベーションを企業の内外を問わず実行する者を意味し「起業者」に限定しない.
2.オープンソース・コミュニティ(OSC)
アントレプレナーのネットワークはしばしばインフォーマルな形をとる.近年,研究会や勉強会の会合といった多様な主体が協働する開放的な「インフォーマ ル・ネットワーク」が,知識創造やイノベーション形成に寄与すると注目されている.OSCは特定のオープンソース・ソフトウェアの発展と普及を目的とし た,全世界的な規模を持つ開放的なインフォーマル・ネットワークで,情報技術者を中心とした,組織を越えた多様な人材間の無償協働の場である.OSCでは オンライン上だけでなく会合での対面接触を通した協働が行われ,そこでは個人間の重要な知識移転が発生すると考えられる.またOSCでは個人間の協働によ る先進的知識の共有,創造,検証,そして失敗が自発的に繰り返され,個人主義的・協働的・自発的に失敗のリスクを恐れず新たな機会を創造する場という性質 から,アントレプレナーのネットワークとしての側面を持つ.
本研究ではOSCの会合の中でも,島根県松江市在住の情報技術者が発明した,世界を代表するオープンソース・ソフトウェアの一つと目される「Ruby」の コミュニティにおける会合を分析対象とする.Rubyコミュニティの会合は先進国を中心に世界各地で開催されている.本研究では東京都,京都府,島根県で 開催される事例4会合の運営者,参加者,会合を支援する自治体と企業への聞き取り調査とアンケート調査を行った.
3.OSCを介した広域的知識流動
企業・業種・職種の壁を越えた人材間ネットワークであるOSCの会合には,参加者が国外を含む広域なスケールに分布する大規模な会合と,参加者が県域・市 域レベルのローカルなスケールに分布する小規模な会合が存在する.これら異なる空間スケールの水平的なネットワーク間を垂直的に結合する,一部の人材によ るトランスナショナルな空間スケールにおける活動の存在が認められた.こうした人材は広域的に獲得した知識や人脈といった資源を他者との協働を通して波及 させる媒介となり,その資源を生かしてローカル空間における新規事業や新規会合の設立,地域的な教育・啓発活動,IT産業振興を目的としたロビー活動等の 協働を主導するとともに,それらの成果を再度,国外や東京都の大規模会合で共有するという循環的な活動を行いながら,アントレプレナーシップの地域的な発 揮・増強に寄与している.
OSCでは,ローカル・ノンローカルの多様な空間スケールのネットワークが重層的に存在し,トランスナショナルなモビリティを有する少数の人材による,異 なる空間スケールのネットワーク間を行来する活動が,垂直的な結合関係を形成している.OSCを介した広域的知識流動は,これら活動する人材が必ずしも一 致しない水平・垂直の両軸から構造化されている.この重層的な空間スケール間の知識流動を通して,ローカル空間では,開放・共有・協働・失敗・リスクを是 とするアントレプレナーシップが発揮・増強され,そのことが地域的な競争優位性の創出に寄与している.
本事例は,ノンローカルなアントレプレナーやそのネットワークがローカル空間を一方的に変質するのではなく,重層的な空間スケール間におけるローカル・ノ ンローカルの循環的な相互作用の中で,トランスナショナル化するアントレプレナーシップが(再)形成され,その過程においてローカル空間が変質することを 示している.
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米島 万有子, 福田 一史, 中谷 友樹, 細井 浩一
セッションID: P084
発行日: 2015年
公開日: 2015/04/13
会議録・要旨集
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I.研究背景と目的
東日本大震災の経験から、甚大な災害時にも利用可能な情報入手手段としてワンセグ放送の価値が改めて指摘されるようになった(総務省2013)。これを受けて、本研究の対象である立命館大学衣笠キャンパスにおいては、ホワイトスペースを活用したエリア限定ワンセグ放送による防災情報共有システムの構築を進めている。このシステムの主な利用者となる学生に有用なメディアデザインとコンテンツデザインの確定には、災害に対する学生の意識や災害発生時の学生の行動を理解しておくことが不可欠である。
これまでにも大学生を対象とした防災意識に関する調査報告が蓄積されてきた(後藤ほか2004;黒崎ほか2007など)。そこでは、大学生の防災意識の低さや知識の欠如とともに、大学での防災訓練・防災教育の必要性が指摘されている。また、開講期間中に発災した場合、大学には多数の学生がキャンパスに滞在していることから、多くの帰宅困難者ならびに混乱が発生することが予想される(森田ほか2014)。そのため、事前の帰宅困難者の推計も必要とされている。そこで、本研究では大学生を対象とした質問紙調査によって防災意識と帰宅行動に関する意向を把握し、さらには、それらを規定する各種の要因を検討する。
II.調査の概要と分析方法 調査票は、①個人属性(通学経路や滞在時間等)と情報入手手段の所有実態、②防災・災害に関する経験、③災害の備え・知識、④災害時の対応、⑤メディアの利用経験、⑥キャンパス内の行動の6セクションから構成されるように設計した。なお、京都市防災マップを参考に、設問は地震災害に限定して災害に対する設問を設定した。衣笠キャンパスに所属する学部生・院生を対象とし、各学部および大学院生の在籍数を基準に600人の調査票回収を設計した。調査への協力者は、2014年12月3~5日にキャンパス内の屋外にて募った。ここでは、特に①~④の設問のうち災害への備えおよび災害時の行動に着目し、その規定要因を回答者の経験や居住環境といった個人属性から統計分析した。
III.分析結果と考察
調査では、災害に備えることについてどう思うかを、興味、必要性、責任、信頼、知識・情報、自主性、他者との関係性、イメージのそれぞれの項目について5段階評価を求めた。その結果、「かっこいい」、「明るい」といったようにポジティブに捉えている回答者ほど、災害時の備えをしており、災害ボランティアなどの経験があることがわかった。すなわち、備えに対するイメージの好感度を上げることによって、災害の備えを高めることができるものと考えられる。
大学滞在中に地震災害によって帰宅困難になった場合、大学に留まるか否かの行動選択には、大学から自宅までの距離および性別との関係性が認められた。大学と自宅までの距離が10km以内の学生は、徒歩で帰ることができると判断する傾向がみられたが、なかでも一人暮らしをしている学生は大学に留まることを選択することも多い。これは、下宿先の滞在よりも大学の滞在の方が安全であることを想定してのものと思われた。
なお、帰宅困難時には、大学から自宅まで20km以内の場合、徒歩での帰宅を推奨しているが、災害時に正しい判断や行動ができる自信が「まったくない」、「ない」と回答した学生は381人(63.6%)にのぼる。これを踏まえれば、発災時には情報や人の行動の混乱が生じ、帰宅困難者が想定よりも増加することが考えられる。
以上の結果から、平時から学生への災害・防災の情報提供を行い、発災時の対応力を養うことが必要である。その方法として、記憶定着率が高いとされる映像を利用し、災害への備えに対するイメージ好感度が上がるようなコンテンツの提供が有効になるものと考えられる。
引用文献黒崎ひろみ・中野 晋・小川宏樹・岡部健士・村上仁士2007. 2006年度工学部新入生を対象とした防災教育の実施と防災意識調査. 大学教育研究ジャーナル4: 15-21.
後藤裕美・石川孝重・伊村則子2004. 都心キャンパスに通う大学生の地震災害に対する認識と行動に関する研究―その1 アンケート調査の概要と地震災害に関する知識―. 日本建築学会大会学術講演学術梗概集:441-442.
総務省2013.「平成23年度版情報通信白書」. http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h23/pdf/n0010000.pdf
森田匡俊・正木和明・奥貫圭一・落合鋭充・小林広幸・倉橋 奨 2013. 愛知工業大学八草キャンパスにおける大規模災害発生時の帰宅困難者数の推計. 平成24年度愛知工業大学地域防災研究センター年次報告書9:57-64.
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