国際保健医療
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20 巻, 2 号
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オピニオン
特別寄稿
原著
  • 平川 オリエ, 喜多 悦子, 青山 温子
    2005 年 20 巻 2 号 p. 2_7-2_18
    発行日: 2005年
    公開日: 2006/04/18
    ジャーナル フリー
    [目的]カンボジアにおいて、女性の健康問題の背景にある要因やこれまでの対策等について検討し、紛争が及ぼした影響と、女性の健康を改善する方策について考察することを目的とした。
    [方法]カンボジア政府保健省や国際開発機関等の公表資料はじめ、文献・資料を幅広く収集して、歴史的背景と保健医療状況について検討した。現地調査では、保健省、国際開発機関、首都と近郊農村部の病院等を訪問して情報収集した。都市部と農村部にて、住民女性、保健医療従事者、既婚男性に半構成法による面接調査と、住民女性のフォーカス・グループ・ディスカッション(FGD)を実施し、紛争前後の生活状況・女性の健康問題とその要因、医療サービスの状況、紛争と健康の関係等についての意見を聞いた。
    [結果と考察]長期間に及んだカンボジアの紛争について分析すると、1970年代後半のポル・ポト政権時代に、人々が強制移動・重労働という苛酷な体験をし、知識人はじめ多数が虐殺されたことがきわめて特徴的である。その結果、人々に身体的・精神的後遺症を残したのみならず、医師はじめ人材の絶対的不足に陥り、保健医療サービス再建が妨げられたと考えられる。1990年代になると、国際社会からの本格的支援を得て、保健医療サービスも著しく改善した。他方、国内格差は拡大し、農村部や都市スラム等では、基本的保健医療サービスも十分行き届いていない。
    女性に対する調査では、ほぼ全員が現在健康に問題があると語ったが、貧困に苦しむ人、家庭に問題を抱える人ほど、不定愁訴的症状を含め健康問題の訴えは強く、また、過去の紛争の記憶を客観的に語れない傾向にあった。これは、紛争による心的外傷が癒されていないため、生活の再建が遅れて貧困と家庭の不安定に苦しむようになったとも考えられる。女性たちは、紛争により健康が脅かされること、貧困と不健康が悪循環することを認識していた。女性たちは地域社会の再生に重要な役割を果たせると考えられ、潜在能力を生かす機会を提供していくことが重要であろう。
    [結論]今後、カンボジアでは、紛争後復興の段階から進んで、長期的開発支援と統合した形で、農村部や都市貧困層に焦点をあて、保健医療等の基本的社会サービスを充足させることに重点を置くべきと考えられる。また、心の傷を癒して生活を再建できるよう精神保健面の支援を充実させる必要がある。
  • 伊達 潤子
    2005 年 20 巻 2 号 p. 2_19-2_27
    発行日: 2005年
    公開日: 2006/04/18
    ジャーナル フリー
    目 的:生物医学をひとつの文化として捉えた場合、「生物医学」文化はグローバル化しているといえる。このグローバル化によって導入される医学的な疾病は、現地の人々に、どのように病気として認識もしくは解釈されていくのか。またその認識は彼らの健康改善にどう影響を与えるのか。以上について、文化人類学的な観点から調査・考察する。
    方 法:イエメン共和国をひとつの事例として、近年の保健医療政策の変遷から、生物医学のグローバル化を検証する。また、2000年から2005年に至る文化人類学的調査(参与観察とインタビュー)によって、イエメン国サナア市住民の生物医学と病気の受け止め方を調査した結果から、病気のローカル化と、この現象が住民の健康改善に与える影響を考察する。
    結 果:後発開発途上国のイエメンでは、保健医療政策策定において国際機関・各国援助機関の影響を受ける。その政策の推進と、民間レベルにおける診断治療の普及により、生物医学に関わる人間や情報、技術、金融、思想などが動き、生物医学のグローバル化が進んでいる。同時に、このグローバル化によって新しく導入される医学的知見を、従来からの伝統的病気や病気に対する考え方と組み合わせて、住民は彼ら自身が認識する病気としてローカル化している。このローカル化の現象は、病気についての認識を画一化する方向ではなく、多様化する方向に向かわせているといえる。近年、健康改善を目指すため、コミュニティ参加やヘルスプロモーションが推奨されつつある。その推進においては、住民の病気認識と診断治療に対する主体性が重要となる。生物医学の病気が住民によってローカル化されると、その病者の位置づけが社会的に与えられるとともに、病者自身も含めた彼らの独自の解釈による病気・病者への対応が生まれる。このため、病気のローカル化は健康改善に対してインパクトがあると考えられる。
    結 論:生物医学を文化とした場合、そのグローバル化は地域住民の病気認識と行動にかなりの影響を与える。それと同時に、住民にそのグローバル化が受け入れられる過程で病気はローカル化され、そのローカル化の様相は、住民の健康改善にもインパクトを与えていく。生物医学の診断治療と、ローカル化された病気に関わるヘルスケアがどう相補できるか、それが住民の健康改善にどうインパクトを与えるのかについて、さらに文化人類学的観点からの調査が望まれる。
総説
  • 神馬 征峰, 下開 千春
    2005 年 20 巻 2 号 p. 2_28-2_37
    発行日: 2005年
    公開日: 2006/04/18
    ジャーナル フリー
    近年途上国における日本の国際保健活動対象としてコミュニティ(日本における市町村あるいはそれ以下の地域社会)が注目をあびてきている。ところが、コミュニティを活動の場としたcommunity development(以下CDと略)アプローチの有効性や方法論は日本では十分検討されてこなかった。その原因の一つは地域開発とCDの概念の混乱にある。本研究では、まずこの両者の違いを明確にする。次に国際社会におけるCDの概念の変遷を示す。そして最後にcommunity-based(以下CBと略)アプローチとCDとの違いを明確にし、国際保健活動実施のためにCDアプローチが戦略的に使えるようにすることを目的とする。方法としては、2次資料の文献レビューとその分析を行った。結果として、まずCDにはコミュニティ開発等の訳語を用い、地域開発(regional development)と異なった概念として明確に使い分けるべきことを示した。次に国際社会においてCDの概念は第2次世界大戦後大きく変化してきたことを示した。すなわち、1950年代から1960年代に途上国で実践されたCDはトップダウン式に実施され、その結果多くの批判をあびた。しかし、1980年代から1990年代におけるヘルスプロモーション活動の中で、CDは新たに定義し直され、ボトムアップ方式の保健活動手段として定着してきた。最後に、CB アプローチとCDアプローチの違いである。CB アプローチは専門家主導となるため、短期問題解決型の急性感染症対策などに適している。しかし、それが長期化した場合や、コミュニティが慢性の健康問題を抱えている場合には適さない。一方、CDアプローチは住民主導で実施されるためプロジェクトの持続可能性を高めるのに適している。国際保健の専門家は、CBアプローチとCDアプローチの違いを理解し、途上国のコミュニティ住民の抱える問題の種類に応じて両者を事業計画立案段階からうまく組みあわせることによって、より高い支援効果を得ることができるであろう。
  • 谷村 晋, 坂野 晶司, 山本 秀樹, 水嶋 春朔, 石井 明, 溝田 勉
    2005 年 20 巻 2 号 p. 2_38-2_43
    発行日: 2005年
    公開日: 2006/04/18
    ジャーナル フリー
    英国の医師にとって開発途上国で医療活動に従事する際に生じる様々な問題は、帰国後の就職の問題、家族の問題、国際医療協力分野のキャリアパス構造の欠如など、日本と同じ問題を孕んでいる。しかし、求人情報の整備は日本より遙かに進んでいる。最近、英国保健省が国際医療協力の情報整備を行っており、政府の主導的な動きがあることから、将来には状況が改善されるかも知れない。
活動報告
  • 矢野 和美, 石井 美恵子, 林 晴実, 弘中 陽子, 鵜飼 卓
    2005 年 20 巻 2 号 p. 2_44-2_51
    発行日: 2005年
    公開日: 2006/04/18
    ジャーナル フリー
    2003年12月26日イラン南東部バム市で起きた地震災害から8ヶ月経過した現地での保健復興支援活動を報告する。NPO HuMAは、復興が遅れているZone5のヘルスセンターに仮設施設、医療機材を提供するとともに震災8ケ月後の医療状況を調査した。
  • 遠藤 昌一
    2005 年 20 巻 2 号 p. 2_52-2_62
    発行日: 2005年
    公開日: 2006/04/18
    ジャーナル フリー
    世界保健機関(WHO)は1960年代以降、感染性患者(塗抹陽性)を発見し、完治させる結核診療を、国に広く配置された一般医療機関サービスに統合して実施することが社会の結核を減少させる最善の方策であること示し、加盟国にその採用を促した。その後強力な化学療法の開発に伴い、1990年に入りWHOは患者発見・治療の方法、それを支える運営上の条件を「DOTS戦略」(I.2.DOTS戦略の導入と展開参照)として定式化し、そして達成可能な目標を明確に示した。
    フィリピンは1960年代後半にWHO勧告に従い、結核診療の一般医療機関活動への統合に成功したが、やはり対策の運営面で失敗した。(同様な失敗は他の多くの国でもみられた。)そのことを自覚して1980年代後半に日本政府に結核対策の強化への協力を要請してきたことで、国際協力事業団(JICA)による結核対策のための技術協力プロジェクトが開始された。このプロジェクトは開始以来15年間(1992-2007年)、新しい結核対策プログラムであるDOTS戦略の導入と全国的な展開に重要な貢献を果たした。この成功を可能にした要因としては、フィリピンにはプライマリーヘルスケアの基盤が整っていたことが最も重要であるが、その他JICAプロジェクトが他の国際援助機関との調整をリードしえたこと、国際的な対策の経験と研究実績を持つ結核研究所がプロジェクトに参画したこと、などが挙げられる。
    一方、フィリピンでは中央政府および中間行政機関(圏域および州)の行政管理能力が弱く、その能力のさらなる強化が今後の対策の成否の鍵を握る。また存在する感染性結核患者の3分の1が私的医療機関で診療されていると考えられ、この部分の治療の成功にむけて最近公私の協調による努力が組織的に開始された。
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