日本地理学会発表要旨集
2004年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の189件中151~189を表示しています
  • 若林 芳樹, 由井 義通, 矢野 桂司, 武田 祐子
    p. 151
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.問題の所在と研究の目的 1990年代後半から日本の大都市では人口の都心回帰が顕在化しており、その一端を未婚の若年単独世帯(以下,シングル世帯と呼ぶ)が担っていることが、最近のいくつかの研究で明らかになっている(たとえば,矢部, 2003; 榊原ほか, 2003)。発表者らは、そうしたシングル世帯の居住パターンには男女差があり、女性の方が都心部を指向する傾向が強いことを明らかにした(若林ほか, 2002)。しかしながら、男性についての調査を行っていないため、こうした男女差が生じた原因は十分に明らかになっていない。そこで本研究では、改めて男女のシングル世帯を対象にした調査を行い、労働と生活の両面からみたシングル世帯の居住分化の背景を検討する。2.研究の方法 本研究では,まず東京圏(南関東の1都3県)での男女別・年齢階級別シングル世帯の分布状況を定量的に比較するために、GISを用いて空間分析を行った。そうして明らかになった30歳代シングル世帯の分布に見られる男女差の背景を明らかにするために、東京圏に住む30歳代の仕事をもつ未婚者612人(女性307人、男性305人)に対して2004年2月にインターネットを通じたアンケート調査を実施した。調査項目は、住宅事情と居住地移動の経緯のほか、就業状態、親元との関係などでからなる。その中から一人暮らしの男女345人(うち,女性161人、男性184人)から得られた回答結果を中心に分析を行った。3.シングル世帯の分布にみられる男女差男女別・10歳年齢階級別にシングル世帯をグループに分け、市区町村別分布を定量的に比較するために、非類似指数を用いてグループ間のセグリゲーションの度合いを計測した。その結果、シングル世帯は性別と年齢による隔離の度合いが高く、高齢になるほど男女差は小さくなることが判明した。とくに.30歳代の女性はきわだった分布傾向を示しており、東京都区部の西側への凝集が顕著であることが、空間的自己相関分析によって明らかになった。これに比べて30歳代男性シングル世帯の居住地は分散しており、東京湾岸や多摩川沿いにも比較的高い割合で分布している。4.シングル世帯の労働状態と居住地選択の男女差アンケート調査結果から、30歳代シングル男女の前住地から現住地への移動傾向を比較したところ、男性に比べて女性の方が東京方面を指向する割合が高く、60%(うち59%は都区部内での移動で占められる)が都区部への移動であった。これは通勤先とも関係しており、女性の75%(男性は65%)は都区部で勤務していることがわかった。ただし、通勤時間に有意な男女差はなく、平均で40分前後と比較的職住近接の傾向がみられた。ところが、現住地の選択理由をみると、「住宅の価格や家賃」、「住宅の広さや間取り」、「駅までの近さ」は男女とも半数程度の人たちが挙げているものの、「職場までの近さ」については、男性ほど女性は重視していない。そのかわり、女性は「親元・友人・知人への近さ」や「治安のよさ」を重視する傾向がみられた。これは労働状態とも関係しており、男性に比べて女性の方が事務系の非正規雇用に就く割合が高く、転職回数も多かった。このような不安定な労働状態のため、女性の労働時間や年収は男性を下回り、プライベートより仕事を重視する割合や昇進意欲も男性より低い傾向がみられた。5.考察以上の結果から、シングル世帯の分布にみられる男女差は、基本的には就業機会の分布の違いに関係しているものの、女性の場合は仕事よりむしろ私生活を充実させるために、都市的娯楽の機会が豊富な地区を指向する傾向が強いといえる。このように、都心周辺部にシングル女性が凝集する背景には、労働と生活の両面でのジェンダー差が存在すると考えられる。
  • 飯泉 佳子, 木内 豪, 深見 和彦
    p. 152
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    〔はじめに〕茨城県に位置する谷田川を含む牛久沼流域(面積約166km2)は、現在つくばエクスプレスや首都圏中央連絡自動車道の建設に伴う土地区画整理事業が進められ、宅地開発による人口増加とそれに伴う汚濁負荷排出量の増加が懸念されている。そこで、当研究室では同流域を対象として、開発による水循環や物質循環への影響を明らかにするため、水・物質循環のモニタリングとモデリングを実施している。ここでは、その研究成果の一部を報告する。
    〔調査の概要〕2001年4月から2004年現在までの間、流域内の河川水、地下水、農業用水について、窒素やリン等の栄養塩濃度や無機イオンの主成分濃度を測定した。また、NO3-Nの窒素安定同位体比を分析した他、河川や地下水の水位を複数地点で連続観測し、河川流量を定期観測した。
    〔結果および考察〕(1) 河川水質の特徴:2001から2002年度の調査を通じ、各窒素成分濃度は灌漑期に低く、非灌漑期に高い傾向が得られた(図1)。T-N濃度の平均値は、灌漑期と非灌漑期にそれぞれ2.1 mg/lと3.4 mg/lで、T-Nに占める無機態窒素(NO3-N、NO2-N、NH4-N)濃度の割合は年間を通じて平均約81%であり、NO3-Nがその94%を占めていた。濃度と流量を乗じて負荷量を求めると、灌漑期と非灌漑期における水質の差は比較的不明瞭で、灌漑期における低濃度は、主に流域外から導水される農業用水(灌漑期のT-N濃度は1から2 mg/l程度)により河川水が希釈されることに起因すると考えられる。
     一方、T-PとPO4-P濃度には明瞭な季節変動が見られず、T-Pは濃度、負荷量ともに灌漑期のほうが非灌漑期よりも高い傾向が得られた。T-Pに占めるPO4-P負荷量の割合はおよそ36%で、懸濁態による流出が比較的重要であることが示された。
    (2) 河川水質と流域の土地利用率の特性:汚濁負荷の流出特性は、流域の土地利用や気象条件等に影響される。流域の土地利用率と河川水質を定量的に評価するため、流域内の複数の河川において各水質測定点を下端とした18の小流域を設定し、河川水の窒素やリン、炭素の濃度および負荷量と流域の土地利用率との相関関係を評価した。小流域毎の土地利用率は細密数値地図(1994年)より算出し、水質の値は2003年8月(灌漑期)と2004年1月(非灌漑期)の各データと、2回を平均した年平均値を用いた。
     解析の結果、年平均T-N濃度は農地の面積率と最もよい相関があった(r=0.65)。農地を水田と畑地およびその他の農地の2種類に分類すると、畑地と比べて水田の面積率の方がT-N濃度と相関関係が強かった(r=0.49)。月ごとのデータで比較すると、水田の面積率とT-N濃度の相関係数は灌漑期に高く(r=0.75)、強い相関関係があった(図2)。
     これらの成果を含め、本報告では流域の河川・地下水の水質特性に関する詳細を発表する。
  • 宇根 義己
    p. 153
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.研究目的日本自動車企業による生産機能の海外展開は,1950年代後半から東南アジアを中心とする発展途上国において開始されたが,極めて小さい地位しか与えられておらず(松橋・松田,1992),輸出による海外市場への対応が支配的であった.ところが,1970年代後半からの急激な輸出拡大による貿易摩擦と,1985年のプラザ合意を契機とした円高により,日本自動車企業は海外市場に対して全面的に輸出から現地生産へと転換していった.1990年代においては,アジアを中心として日系組立企業の進出・生産能力強化と,日系部品企業の生産機能の進出が加速した.東南アジアは欧米自動車企業と比較して,日系自動車企業が早い段階から進出しており,その中でもタイへの進出が顕著である.タイ自動車産業は1997年のアジア経済危機時を契機として,それまでの国内市場対応型から輸出指向型に大きく転換し,タイの日系自動車組立工場は1トンピックアップトラックの世界的生産拠点として位置付けられるようになっている. このような背景を踏まえて,本発表ではタイに進出している日系自動車企業の立地展開と部品取引特性を明らかにすることを目的とする.2.日系自動車企業の立地展開日系自動車企業によるタイへの進出は,1960年代前半に政府機関である投資委員会(Board of Investment)による工業化政策に対応して開始された.日系自動車企業の立地は,1960年代から1980年代までバンコク大都市圏を中心に展開していたが,1990年代に入り,バンコク都から東に約100km離れた東部臨海地域の工業団地に移動・新規立地していった.東部臨海地域は,1980年代後半からタイ政府・民間が中心となって工業団地・高速道路・貿易港の造成が進み,インフラの整備が重点的に行われた地域である.さらに同地域では,投資委員会によって製造業のバンコク大都市圏郊外進出に対する税制優遇措置が行われている.このように,タイにおける日系自動車企業の展開は,タイ政府による工業化政策に連動した動きをみせている.3.部品取引特性 日系組立企業の部品調達は,大部分がタイ国内の日系部品企業から行われており,ローカル企業からの調達や輸入による調達は少ない.タイ国内の日系部品企業の多くは,特定県の特定工業団地内に集積しており,ローカル企業の大部分はバンコク大都市圏内に立地している.ただし,日系組立企業の中には,ローカル企業を自社工場の周辺に立地させ,それらとの取引を行うことによりローカル企業の育成と部品調達率の達成を図る企業も存在する. 日系部品企業による部品調達先は,日系組立企業に比べてローカル企業からの調達割合が高い.日系自動車企業によるサプライヤー選定は,品質・コストを重視するが,ローカル企業から購買する部品はさほど品質が重要視されない部品に限定されている.日系部品企業の部品納入活動に関しては,日本の親会社による系列関係がタイにおいても踏襲されていることが確認された.このような系列関係にある日系部品企業は,系列上のトップにあたる組立企業の現地組立工場の立地地点を重視した立地選定を行っている.一方,比較的生産台数の少ない組立企業の系列下にある日系部品企業は,生産規模を確保するために系列を超えた取引を行っている. 本発表では,これら日系自動車企業の部品取引特性の詳細について,聞取り調査を行った日系自動車企業の事例から報告したい.[文献]松橋公治・松田 孝 1992.産業の「空洞化」と自動車工業地域の再編成?海外現地生産の拡大と国内生産体制の再編成を中心に?.明治大学人文科学研究所紀要 31:37-74.
  • 梅田 克樹, 関 孝敏
    p. 154
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1)はじめに 周辺型食糧生産基地・北海道の野菜産地は,生鮮農産物の輸入急増によって深刻な打撃を受けている.しかし,高付加価値化を追求する戦略を採用した一部の野菜産地は,こうした状況下においても高収益を維持することに成功してきた.地熱資源を活用したハウスによって,北海道第二の温室トマト産地に成長した渡島管内森町濁川地区は,その典型例の一つである.本報告の目的は,こうした地熱利用型ハウス園芸地域が濁川地区のみに形成された要因を解明することにある.さらに,その将来にわたる持続可能性を検討することによって,本事例の政策的応用への可能性を模索したい.2)北海道における地熱資源の開発と農業利用 北海道は,豊富な地熱資源に恵まれた地域である.その多様な用途の中でも,地熱エネルギー利用総量の48%を占める最大の用途になっているのが,農業利用(ハウス加温)である.そして,道内にある地熱利用ハウスの過半が,面積わずか6km2にすぎない森町濁川地区に集中している.3)地熱利用型ハウス園芸地域の発展プロセス濁川地区はもともと水田単作地帯だった.しかし,カルデラ底に位置する濁川地区には,自噴を含む多数の温泉源と,のちに地熱発電所が立地するほどの恵まれた熱水貯留層があった.そこで,稲作転換対策として特別転作奨励補助金制度が新設されたことを契機に,この豊富な地熱資源を活用したハウス園芸が本格的に始められた(1970年).特別転作(永年作物への集団転作)に対して転作補助金が上積みされたり(10aあたり5,000円),ハウス建設に対して70%もの高い補助率が適用されたりしたのである.そして,農家24戸が温泉水ハウス36棟を建てて,キュウリ・トマト・タイナを組み合わせた一年三作の土地集約型農業を開始した.1982年に北海道電力森地熱発電所が稼動を始めると,発電後の余剰熱水を活用した熱水ハウス団地が整備された.その後も地熱利用ハウスの普及は順調に進み,源泉数も約80ヵ所に増加した.現在では,熱水・温泉水あわせて3組合の51農家が,約600棟・16haの地熱利用ハウスを経営している.現在主流になっているのは,端境期出荷によって高収益が得られる一年二作のトマト専業経営である.のべ29haの地熱利用ハウスにおいて年間2,400tのトマトを生産しており,その販売高は約8億円に達している.4)地熱利用型ハウス園芸地域の形成要因交通が不便なうえ周辺に有名観光地もない濁川地区は,温泉地としての開発が遅れていた.1960年代には.豊富な地熱資源が未利用のまま残される一方で,危機的な過疎・出稼ぎ問題に直面していた.こうした切迫した状況の中で,村おこしの一手段として地熱利用ハウスが導入されたため,その普及を阻害しかねない温泉権利金(100_から_200万円が相場)の設定は見送られた.また,50_から_200mもボーリングすれば温泉が得られるため,農家による相互扶助のみで温泉掘削・維持を賄っている.暖房用の燃料費も不要である.イニシャルコスト・ランニングコストともに,飛び抜けて安いのである.販売面においては端境期出荷が重要である.特に冬季には,トマトの供給が不足する道内市場と関東2類市場を出荷先にすることで,高単価を維持している.また,通年栽培による年間労働力の平準化も,所得向上に貢献している.5)地熱利用型ハウス園芸地域の持続可能性 近年,地熱資源の枯渇が問題化している.温泉権利金が設定されておらず,一定の間隔さえ空ければ自由に温泉を掘ることができるため,汲み上げ過多による水位低下や湯温の不安定化が生じている.上流に農地防災ダムを建設したことも,地下水位の低下を招いているものと考えられる.第三者機関による地熱資源量の再評価に基づいた利用規制の導入をはじめ,地熱資源の涵養に資する施策の実現が望まれる.地熱資源の枯渇は,地熱利用ハウスによるトマト生産のさらなる拡大を困難にしている.また,収益性を追求して輪作体系を放棄したことが,連作障害による収量減を招いている.大市場において産地として認知されるロットを確保するには,地熱資源と化石燃料,トマトと他作目を上手に組み合わせた新たな経営モデルを開発する必要がある.その一方,一層の高付加価値化を実現するためには,環境にやさしい「温泉育ち」を強調したブランド化の推進や,契約栽培への積極的な取り組みが有効と思われる.これら二律背反する課題を解決するには,販売戦略の抜本的見直しが不可欠であろう.
  • -時間スケールの異なる人為的撹乱の影響
    小野寺 真一
    p. 155
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1. 目的山地流域の多くは水源地域となっており,将来にわたり質的に保全していくことは重要である。酸性雨の緩衝に関する知見は多いが、山火事による影響を考慮した研究は十分とはいえない。本研究では、山火事による酸性化過程を明らかにするため、土壌及び湧水を採取し、その化学特性をもとに検討した。2. 方法 調査は、1999年5月に山火事のあった広島県大野町及び1994年に山火事のあった竹原市に試験地を設置し、土壌を採取しその化学性をモニターした。また、各試験地では径10cm、長さ10cm及び20cmの不撹乱土壌を採取し、竹原試験地に設置し、下端からの排水の化学性をモニターした。比較のため、竹原試験地そばの20年生の2次林でも設置した。さらに、竹原試験地では洪水流出時の渓流水の化学性もモニターした。なお、地質は花崗岩、土壌は受食度からなるため、土壌は薄く、風化土層も薄い。3. 結果と考察図-1に不撹乱土壌下端からの流出水の流量及びpHを示す。流量は、設置から1ヶ月後の1999年の梅雨に最も上昇した。流出水のpHは、梅雨直前の時期に7以上まで上昇した。その後、速やかに6程度まで低下し、その後1年3ヶ月は安定している。しかし、その後は、急激に低下し、pHは4程度まで低下した。この時期、流出水中ではAl濃度が上昇しており、酸性化の傾向を示す。一方、深度20cmでは、初期のころからpHが低い傾向を示している。これは、風化層自体が酸性化した花崗岩からなる影響もあると考えられる。図2に、山火事流域での土壌pHのプロファイル変化を示す。山火事後2週間で採取した土壌は、表層で7以上の高い値を示す。2ヶ月後の7月には、pHは表層で5.3程度まで低下しているが、深度10cmでは逆に5月より上昇している。さらに、1年後、1年半後と、プロファイル全体に低下する傾向がみられる。なお、吸着態の塩基濃度はpHの傾向と同様の傾向を示した。以上の結果から、表層土壌では山火事直後にミネラルの急激な無機化が生じ、塩基が急増しpHが上昇したものと考えられる。しかし、その後、酸性雨の供給にともない塩基の流亡が進み、約1年後には酸性化したものと考えられる。ただし、流域土壌の酸性化には、酸性雨による効果だけではなく、土壌侵食による影響も大きいことが観察から確認されている。図3に渓流水の洪水時の主要塩基及びAl濃度の変化を示す。主要塩基は洪水流出量の増加に伴って低下する傾向を示し、Al濃度はその逆を示す。すなわち、洪水流出時には、試験流域では酸性化する傾向を示すことが明らかになった。以上より、山火事による短期的な酸性化過程が明らかになった。今後、酸性化速度とその3次元的な酸収支を行っていく予定である。また、初期に回復する植生が塩基のプールに果たす役割は少なくないと考えられるが、本地域では植生回復が悪いため、塩基流亡がより大きいものと考えられる。
  • 森田 圭, 野上 道男
    p. 156
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに地形特性は,標高・勾配・方位・ラプラシアン(凸型斜面の程度・凹型斜面の程度)などDEMから計算される特徴量で示すことができる.1990年代に国土地理院によって日本全国を網羅する50m-DEMが整備され,地形計測に用いられるようになった.日本の細かい地形のきめ(テクスチャ)を表す空間解像度としては2.5万分の1の地形図から作成される限り,50m-DEMがほぼ限界である.北海道地図KKの10m-DEMは、格子間隔はより細密であるが,当然のことながら元データである等高線地形表現力を越えるものでは無い.DEM取得法として,等高線地図から作成する方法以外に,パララックスのある空中写真・衛星画像からの作成,レーザスキャン測距とレーダの位相信号による直接作成などがある.最近では,NASAがスペースシャトル・ミッションとしてレーダを用いて作成したSRTMが注目される.SRTMは,陸域の80%を解像度3秒メッシュ(アメリカでは解像度1秒メッシュが公開)で作成されている.従来は等高線地図から作成した1km-DEMが存在したが,精度が非常に劣る地域があった.同一精度で地球をカバーするSRTMが登場したことで,地形計測による大陸規模の比較研究が可能になるなど期待は大きい.本研究では,飛騨山脈の南端に位置する乗鞍岳(北西端36°10′N・137°28′E,南東端36°04′N・137°37′E)を検討対象地域として,異なる作成法のDEMを用いて,地形特徴量(勾配とラプラシアン)を計算し,集計処理を行い,それぞれのDEMについて特性の比較検討を行う.なお,元データや作成アルゴリズムから比較検討することも可能であるが,ここでは利用者の立場から,それぞれのDEMの特性について報告する.2.使用データと処理方法使用したデータは,等高線地図から作成されたDEMとして国土地理院作成の50m-DEM・北海道地図KK作成の10m-DEM(以下H-DEMと記す),森田・野上(2004)がデジタル写真測量で作成した10m-DEM(以下K-DEMと記す),SRTMの4種類のDEMである.50m-DEMとH-DEM,SRTMは,緯度経度座標系を採用しており,南北方向と東西方向の格子間隔が異なるので,それを補正して勾配・ラプラシアンのような微分計算を行う必要がある.微分計算の結果について座標系を例えばUTMに変換するのと,座標系をUTMに変換してから,微分計算を行うのでは当然結果が異なる.既存のGISソフトではしかも補間法がブラックボックス化されており,その補間法が微分値を大きく変える可能性があるので,異種DEMの比較では当然前者の方法を用いる必要がある.いっぽうK-DEMは,UTM座標で作成したものであるので,微分値の計算にそのような補正は必要ない.そこで,本研究では既存3種の緯度経度法DEM( 50m-DEM・H-DEM・SRTM)の格子点に合わせて,最も細密なK-DEM(UTM座標、10m格子間隔)からリサンプリングして共通の格子間隔の新しいDEMを作成し,それぞれについて,この新しいDEMを基準にして勾配・ラプラシアンについて,相互に比較することにした.3.結果 それぞれのDEMとK-DEMの標高・勾配・ラプラシアンの計算結果を表1に示す.また,ラプラシアンの小さい値の方から5%値を尾根の鋭さの指標,大きい値の方から5%を谷の切り込み指標とした.1)勾配: 50m-DEMとH-DEMは,K-DEMからみて,より急勾配の斜面を表現している. 2)ラプラシアン: H-DEMは,K-DEMからみてラプラシアンの標準偏差が最も大きい値を示した.つまり,地形の煩雑さを誇張するような表現をしていることがわかった.以上2点の特徴は等高線データからDEMを作成するそれぞれのアルゴリズムの影響と考えられる.また,SRTMは等高線データを経由しない直接取得のDEMであり,格子間隔は異なるが空中写真のパララックスから直接得られたK-DEMに近い特性を示した.参考文献森田 圭・野上道男 2004.デジタル写真測量による10m-DEMの作成と乗鞍岳における植生分布の地形的立地条件解析.日本地理学会発表要旨集 65:74
  • 松本 秀明, 野中 奈津子, 久連山 寛子
    p. 157
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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     仙台平野は南北約50kmの連続する沖積低地で,地盤高は大部分が5m以下であり,地表面には自然堤防,旧河道,後背湿地,浜堤列などの平野を構成する地形が明瞭に認められる。平野には性格の異なる3河川が適度な間隔をもって流入し,それぞれの河川沿いの地域に特徴ある3つの地形地域を形成している。北部の七北田川流域は中でも河成堆積物の供給量が比較的少なく,海進期に広がった内湾が,完新世後期においても広い潟湖として残存し,陸域の拡大は河成堆積物による潟湖の埋積として進行した。地表には潟湖の埋積に関わったと考えられる自然堤防地形が多く認められる。南部の阿武隈川沿いは地盤高3m以下と低平であり,第I浜堤列_-_第II浜堤列間の堤間湿地が広く,河川の溢流により形成された旧河道_-_自然堤防地形の発達が明瞭である。 これまで,七北田川流域および阿武隈川流域において,本流からそれ,後背湿地上に延びる旧河道_-_自然堤防地形の形成時期に関しては,2,600-2,400yrBP 前後および1,600-1,500yrBP 前後において,それぞれ極めて短期間に形成・放棄されていることが求められている(野中・松本,2004年春季大会要旨)。さらに,これらの河道放棄時期は,名取_-_七北田川河間低地に認められる複数の埋積浅谷地形の埋積開始時期(Matsumoto, 1999)と一致することから,海水準微変動のうち,海面の上昇期との関連について検討を続けている。 仙台平野中部 名取川沿いの地域は支流の広瀬川とともに,平野の中にあって相対的に河成作用が活発であり,平野西部には扇状地状の地形が形成されている。同時に海岸線に近い幅4kmの地帯には勾配1/1,000未満の低地が広がり,両者は穏やかな傾斜遷緩線を介して接している。前者の扇状地状地形の勾配は3/1,000前後であり,扇頂部の海抜は20m,扇端部は3m前後である。地表面には放射状に多くの旧河道地形が認められ,それらはそれぞれ海側の低地へ連続する。これらの旧河道は40-150mの幅をもち,層厚2-4mの腐植質粘土層によって埋積されている。埋積堆積物の下底から得られた試料をもとにC-14年代測定を行った結果,河道の放棄年代は,1,140±90,1,180±90,1,240±90,1,640±60,2,010±70,2,440±90,2,920±30,および 3,090±100yrBP 前後と求められた。このことから,本地域の河道形成・放棄年代には,時期的な共通性は“もとより”認められない。このことは,七北田川,阿武隈川流域の本流から後背湿地上へ延びる旧河道_-_自然堤防地形の形成・放棄時期に共通性がみられる事象とは対照的である。
  • 竹内 裕希子, ?尾 堅司, 佐藤 照子, 福囿 輝旗
    p. 158
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに広島市安佐南区伴地区では、避難訓練や防災イベントを主催するなど活発に活動が行われている。2003年8月30_から_31日の両日、避難場所での宿泊体験を兼ねた避難訓練が開催され、2日間で約700人の住民が参加した。その両日に、夜間宿泊を体験した住民を対象に行った防災アンケート調査(N=103)の分析結果を報告する。2.調査地域概要および方法広島市は、枕崎台風(1945年)、6.29災害(1999年)、芸予地震(2001年)等、大規模な自然災害による被害を受けてきた。6.29災害以降、土砂災害防止法の施行により、土地利用の一部に警戒区域と特別警戒区域の設定がされ、ハザードマップの公開・配布など様々な防災情報提供方法の整備が進められている。ハザードマップは、「土砂災害危険図_-_土砂災害から身を守るために_-_(2000年6月発行)」と、地震災害に関して避難場所や防災情報を記載した「防災マップ(1998年3月発行)」の2種類が作成され、各戸に配布されている。さらに、広島県のHPでは土砂災害危険箇所を公開している。避難訓練が実施された安佐南区は、かつて農地や林地として利用されていた。1970年代に、安佐南区では地形改変を伴う大規模な宅地造成が行われ、1994年に新交通システム・アストラムラインが整備されて以来、人口は急増している。今回のアンケート調査は、伴地区自主防災会連合会主催の防災訓練(於 広島市立大塚小学校)における夜間宿泊体験者を対象に行った。アンケート調査票は、属性に関する7項目、防災対策に関する5項目、防災情報に関する8項目、今回の防災訓練に関する12項目、防災教育に関する9項目の計41項目で構成された。各質問項目間の関連性は、χ2検定を用いて検討した。 3.結果回答者の94%が男性で、年齢層は、30歳代が27%、60歳代が26%と多く、次いで50歳代は22%であった。家族人数は、4人が30%で最も多かった。居住年数は、10年以内が63%で、うち5年以内が66%、1年未満が17%だった。なお、自宅での滞在時間は、91%の回答者が夜間であると回答していた。避難場所は回答者の88%が確認しており、避難路は67%が確認していた。避難袋については、回答者の28%が準備していた。また、42%の回答者が家庭内で災害に関する話し合い(以下、家庭内防災会議)を実施していたが、災害時の連絡方法については回答者の28%しか決めていなかった。ハザードマップは、回答者の73%が認識していたものの、うち70%はハザードマップを所有していなかった。ハザードマップの内容は「よくわかる」 「だいたいわかる」を併せて78%であった。χ2検定の結果、家庭内防災会議の有無とハザードマップの認知・所有、避難路の確認、避難袋の準備との間に有意な関連性が認められ、避難場所の確認については有意な傾向が認められた(図1)。4.まとめ分析の結果、回答者の73%がハザードマップを認識しているが、うち70%が持っていなかった。これは、居住年数が10年未満の回答者が全体の60%以上で、うち5年以下が66%以上であったことが影響したと考えられる。この地区は、近年最も人口増加が著しいため、ハザードマップが配布された時期に居住していなかったことが考えられる。しかし、所有率は低くとも、避難場所、避難路の確認、ハザードマップの認知率が高いことは自主防災会の活動成果と考えられる。所有率を高めるには、住民登録時に区役所などで配布する方法が効果的と考えられる。また、家庭内での防災会議の有無と防災行動に関連性が認められたことから、家庭内での防災の話し合いを促すことも課題として挙げられる。
  • 安形 康, 杉原 晴佳
    p. 159
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに近年,いわゆる「緑のダム」問題の解明のために,森林小流域における長期流量観測データから,渇水流量の長期年々変動と林相変化との関係を検討する試みが行われている.しかし,そこで明らかになったのは,渇水流量はその生起した直前の期間における降雨量の変動パターンによってその年々変動が強く規定されていて,流域内部の変動をそのまま現しているのではないという事実であった(蔵治・芝野,2002).一方,真板(1994)は大井川支流の流域で,各年の渇水流量と過去の年降雨量の間に7_から_12年のラグをもつラグ相関を見出した.筆者らは蔵治および真板の手法を100km2程度の流域面積をもつ8つの山地流域について適用した結果,真板の手法が適合した河川流域は見出せなかったが,このような大流域においても蔵治の結果と同様に渇水流量生起日直前の一定期間における降雨量が渇水流量を強く規定する場合があることを見出した(杉原ほか,2004).ただし,現段階では同様の解析事例が少なく,様々な流出特性や流域の特徴がどのようにこれらの手法の適合・不適合を決めているかは明らかとなっていない.長期渇水流量データベース渇水流量の経年変動に関する知見が十分得られていない原因の一つに,流量データの整備(デジタル化およびQC)の遅れがある.近年,国土交通省が展開している「水文水質データベース」(http://www1.river.go.jp)は,これに対する一つのソリューションである.これは,同省が管轄する1500点以上の流量観測点の日流量データを無償で公開している.これまで研究で多く使われてきた「流量年表」(地点数は約370)に比べると,より山地源流域に近い観測点が多く加わっているのが特徴である.このほかに,筆者らは,これも河川水文学研究で多く用いられてきた多目的ダム管理年報(ダム数約340)のデータアーカイブを進めており,大半の作業はすでに完了した.これに戦後すぐの調査を基にした「流量要覧」のデータを加えて,Comprehensiveな渇水流量データベースを作成している.長期渇水流量データベースの応用例図1はこのデータセットを用いて,北海道の河川流量観測点について,渇水流量経年変化時系列のトレンドを解析したものである.図1a,1bはデータの終了年度が8年異なるように設定したものであるが,これだけの違いでも両者の間には大きなトレンドの差異が認められる.このことから,10年スケールの変動によって渇水流量のトレンドが大きく左右されることがわかる.ただし,それが気候変動によるものか,貯水池操作や利水に関する政策の変更によるものかは明らかではない.ここで、図1aを見ると,増加・減少の傾向は地域的にまとまって認められる.これから,ここで示した10年スケールの変動は,地理的にランダムに起こるのではなく,特有の空間スケールをも持つ可能性を示唆している.これらの変動特性をより詳細に明らかにすると同時に,国土数値情報や気候値メッシュデータ・レーダーAMeDASなどの近年整備されてきた流域条件情報との対応を明らかにすることが今後求められる.引用文献蔵治光一郎・芝野博文.森林の成長が渇水時流出量に及ぼす影響―東京大学愛知演習林72年間の観測結果―.第6回水資源に関するシンポジウム論文集,615‐620,2002杉原晴佳・安形康・大瀧雅寛.日本島山地河川における季節別渇水比流量の経年変化とその規定要因_-_特に降水特性に着目して_-_.水文水資源学会2004年度学術発表会要旨集.印刷中.眞板秀二(1994):大井川上流域における渇水量と降水特性との関係.ハイドロロジー(日本水文科学会誌),24,47‐54.
  • 林 政輝, 小野寺 真一, 峯 孝樹, 齋藤 光代, 重枝 豊実, 吉田 浩二
    p. 160
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
  • 齋藤 光代, 小野寺 真一, 吉田 浩二, 峯 孝樹, 林 政輝, 重枝 豊実
    p. 161
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに 日本を代表する閉鎖性海域である瀬戸内海の富栄養化は、未だ完全に解決されない環境問題の一つである。近年では、海洋環境の保全のため、富栄養化の原因となる陸域から海洋への栄養塩負荷を軽減することが義務づけられ、様々な取り組みが行われるようになってきた。特に、都市部においては公共下水道施設や家庭浄化槽などの整備により、生活排水や産業排水による水質汚染は大幅に改善されてきたといえる。しかし、それらの普及率は一様ではなく、依然として汚染が深刻な地域も少なくない。一方で、地表水および地下水の窒素汚染もまた世界的に顕在化している大きな問題であるが、近年、窒素汚染が進んだ河川水や地下水を浄化・修復する有効な方法として、自然の浄化機能が注目されている。しかし、流域における窒素浄化機能の定量化は十分に行われていない。本研究では、広島県内の規模の異なる河川流域において、流域の規模や地形に加え、都市部の発達段階や窒素浄化機能などの流域の特性を考慮したうえで、陸域から海洋への栄養塩流出を空間的に評価することを目的とした。2. 研究地域及び方法調査の対象としたのは、下図に示す広島県内の13の河川流域(a~m)である(Fig.1)。2004年5月に、各流域の河口付近において河川流量の測定と河川水の採水を行った。但し、瀬野川(b)、黒瀬川(g)、沼田川(m)については、中流および上流においても同様の観測を行った。また、採水した試料水は実験室に持ち帰り、イオンクロマトグラフィーによりNO3-, PO42-, Cl-, SO42-濃度を、ICP発光分析装置によりSiO2濃度を、全有機体炭素計によりDOC (Dissolved Organic Carbon) およびDN(Dissolved Nitrogen)濃度の定量分析を行った。3. 結果と考察各流域(a~m)の流域面積と、各採水地点における河川水中のDOC, DN濃度をTable.1に示す。Table.1より、流域面積が最も大きな太田川(a)の河口付近において採水した河川水のDOCおよびDN濃度は、他の流域と比較して低い値を示した。この結果から、太田川流域は古くから都市の発達が進んでおり、流域内における下水道や家庭浄化槽の普及率が高いため、人間活動の影響が河川水の水質に反映されにくくなっていると考えられる。その一方で、流域面積が中規模の瀬野川(b)、黒瀬川(g)、沼田川(m)の河口においては、DOC、DNは比較的高濃度であった。特に、黒瀬川(g)に関しては、上流から下流にかけて全ての採水地点で高い値を示した。この原因として、b、g、mの流域は、太田川流域と比較して都市部の発達段階が低く、下水道などの整備が完全に行き届いていないということが考えられる。これらの結果から、流域規模と栄養塩流出量は、必ずしも相関関係にはないという可能性が示唆された。
  • 畠山 輝雄
    p. 162
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに わが国では、近年の急速な高齢化と核家族化や女性就業の増加など社会の変化に伴う介護ニーズの増加、そして介護保険制度施行後、数年たったことにより制度の認知が上がったことから、介護保険サービスの需要が高まっている。それに伴い介護保険サービス事業者の参入が相次ぎ、事業所数の急増をみせている。しかし、事業者参入の状況には地域差がみられる。また、事業所立地についても、以前から「高齢者福祉施設は何もないところに立地している」というような問題点が指摘されてきた。このことから、今後のさらなる高齢化に向けて効率的な介護サービス提供を行うために、介護保険制度施行後の事業者参入の状況と事業所立地の特性を把握することが重要である。 そこで本発表は、介護保険サービス事業者の参入が盛んであり、なおかつ多様な供給主体がみられる関東地方において、介護保険制度施行後の事業者の参入動向について考察する。また、事業所の立地についてもサービス別に特性を明らかにする。 介護保険サービス事業者の参入についての研究では、宮澤(2003)1)が運営主体などから市区町村別の統計分析により考察している。本発表では、運営主体に加えて開設年、定員、運営主体の所在地などからより詳細な分析を試みる。また、市区町村単位の分析ではなく施設をポイントとして地図化し、人口メッシュレイヤと重ねGISソフトを用いて分析することにより、サービス別、事業所の属性別の立地特性を明らかにする。2. 分析方法 本発表の分析で扱う介護保険サービスは、福祉系では施設サービスの特別養護老人ホーム、通所サービスの通所介護、訪問サービスの訪問介護、医療系では施設サービスの老人保健施設、通所サービスの通所リハビリである。これらのサービス事業所について分析を行う。 分析には、WAM_-_NET2)の2003年12月31日現在のデータを使用した。使用したデータは施設名、住所、施設定員、運営主体、運営主体所在地、開設年である。各事業所の住所をCSVアドレスマッチングサービス3)により座標値化しそれを地図化した。これらをサービス別、施設の属性別にGISソフトにより分析を試みる。また、2000年国勢調査3次メッシュ統計との重ね合わせにより事業所立地の特性を明らかにする。3. まとめ 介護保険サービス事業者の参入動向は、介護保険制度施行後、在宅サービスにおいて営利法人やNPO法人の参入が都心から郊外地域において盛んであり、これらは小規模タイプが多いのが特徴的である。施設サービスも都心から郊外地域において地方公共団体や社会福祉法人、医療法人を中心に参入がみられたが、在宅サービスに比べると圧倒的に少ない。また、都心から郊外にかけての地域や北関東における中心都市では、近隣自治体に事業展開している事例が多くみられた。事業所立地については、訪問サービスが人口の多い地域に立地しているのに対し、通所サービスや施設サービスは人口が少ない地域に立地するというパターンが多くみられることがわかった。ただし、通所サービスにおいては立地に多様性がみられ、運営主体、定員により立地パターンが異なっている。注1) 宮澤仁 2003.関東地方における介護保険サービスの地域的偏在と事業者参入の関係_-_市区町村データの統計分析を中心に_-_.地理学評論 76:59_-_80.2) 独立行政法人福祉医療機構が運営するサイトhttp://www.wam.go.jp/3) http://fujieda.csis.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/geocode.cgi
  • 堀本 雅章
    p. 163
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに私たちが日常使用している地図は、球面上の事物を平面上に変換する際に歪みが生じる。一方、頭の中で描いた地図「認知地図」は、個人の経験、知識、生活環境等の相違によって歪みが生じる。本稿ではこのうち認知地図を取りあげるが、日本人を対象とした既存の研究で、居住地からの距離が長い、人口規模が小さい、認知率が低いと認知位置のズレが大きくなることが言われている。しかし、従来の研究のように日本人を対象とした場合、出身地等個人差にまつわる要因を考慮しなければならない。そこで本稿では留学生を対象とし、従前の日本人を対象とした研究と同様の結果が得られるのか否かを考察することを研究目的とする。2.調査・分析方法 調査対象者は、東京都多摩地域に所在する理工系大学の中国人留学生114人である。有効回答数は93で、大学院生が大半を占め、30歳前後の既婚者が多い。 調査方法は、海岸線のみを示したB4版の日本地図(方位、縮尺は記載していない)を、北を上にして配付し、国内の17都市のうち知っている都市のみ、その位置を記入してもらった。 分析方法は、緯度、経度をそれぞれ0.25度間隔に区切り、緯度0.25度を10ポイントとし(ポイントは距離の単位)、経度0.25度を8ポイントとし、これを1メッシュとした(北緯35度では経度1度あたりの距離は緯度1度あたりの距離の約0.8倍となるため)。次に、回答者が示した各都市の認知位置をメッシュ単位で東西、南北それぞれ集計し、認知された位置の中心地点を求め、これを認知位置の重心とした。さらに、認知位置の重心からのバラツキを見るために、東西、南北ごとに標準偏差を求め、それらの積に基づき分析した。3.結果遠距離に位置する多くの都市では重心のズレ、重心からのバラツキが大きく、人口規模の大きい都市や都市名認知率の高い都市は、正しく位置を認知される傾向があることが分かった。また、多くの都市では在日期間が長いと認知位置の重心のズレおよび重心からのバラツキは小さくなる傾向が見られ、ともに1%水準で有意な関係が見られた。
  • 鳴橋 龍太郎, 須貝 俊彦, 藤原 治
    p. 164
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
     活断層の活動履歴をできるだけ長期に亘って高精度で復元することが,大地震の繰り返しモデルの構築などに重要である。そのためには,地層から断層活動を示す様々なシグナルを読み出す方法が必要である。その方法の一つとして,養老断層系桑名断層では,浅海性堆積物コアに多数の14C年代測定値を入れ,断層を挟んだ上盤・下盤の堆積速度の差を指標として,相対的に下盤側が低下する多数の地震イベントとその年代が明らかにされた(鳴橋ほか,印刷中)。この地震イベントの層準では,コア試料の化学組成や物理特性にも特徴的な変化が認められる。本発表では,断層活動の指標値としての地層の物理・化学指標の有効性について議論する。
    研究方法
     三重県桑名市汰上地区は,後氷期の海面上昇により上盤側まで内湾が広がり,断層を覆った堆積物が連続的に保存されており,イベント層準の判別に好条件である。本研究で用いたコアは,活断層研究センターが桑名断層を跨いで掘削した群列ボーリングの一部で,下盤側のNo.200(コア長35m),No.275(コア長31m)と上盤側のNo.350(コア長18m)である(図1)。これらのコアの層序と年代は鳴橋ほか(印刷中)で報告した。コアから電気伝導度(EC)を5_から_10cm,帯磁率を5cm,C/N比を50cm間隔で測定した。
    断層イベント時期
     3本のコアについて,合計82試料の14C年代測定値とK-Ah火山灰によって年代をコントロールし,詳しい堆積曲線・標高差曲線を作成した(鳴橋ほか,印刷中)。下盤側では堆積速度が急増する(断層の縦ずれイベントに相当)イベントが階段状に繰り返しており,縦ずれイベントに伴う現象と考えられる。
     標高差曲線_丸1_(堆積曲線No.200-No.350の差)と同_丸2_(堆積曲線No.275-No.350の差)は類似したトレンドを示すが,_丸1_による推定イベント時期が_丸2_よりも系統的に数百年程度早めに検出されることから,イベント後の埋め戻しは断層に近いNo.275の方がNo.200に先行したと考えられる。これらの理由により, No.275コアを基準とした結果,約7千年前から上盤が離水したとみられる約2千年前までに4ないし5回の縦ずれイベント(2回の歴史地震を除く)が検出された。
     各イベントの発生時期(断層近傍のNo.275が基準)を破線で示す(図2)。図2の網かけ部は,No.200コアの堆積速度が大きくなる区間(イベント後にNo.200で埋め戻しが起こっていた期間)を示している。
    結果と考察
     EC,帯磁率,C/N比には,上記の地震イベントと連動した変化が認められる。ECは破線で上昇し,網部で振動を伴いながら低下する。帯磁率は破線部でスパイク状に大きくなる。C/N比は破線部で減少し,網部で増加する傾向をもつ。堆積物中のECの高低は海成・非海成の判別に有効であり,C/N比の増減も陸源・海成の指標となる。そのため,上記のような破線と網部での2パターンの変化は,浅海の縦ずれ断層の下盤側における,縦ずれイベント直後の環境変化およびその後の埋め戻しプロセスと整合的であるといえる。以上の分析結果は浅海の断層近傍の堆積物分析によって,真のイベント層準,およびpostseismicな埋め戻し堆積過程に対応する見かけのイベント層準の2つを読み取れる可能性を示している。そしてこの2パターンの変化は堆積速度変化から得られた,断層に近い場所が先に埋め戻されるという事実を例証しているといえる。
     また,上盤側では読み取れなかった7000年以前の層序についても,下盤側の3つの指標値それぞれについて深度23_から_4m付近に上記と類似したパターンの変化が見られる。そのためこれらの層位に未検出のイベント層準がある可能性がある。
  • 関根 良平, ソド スチン, 小金澤 孝昭
    p. 165
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     黄河流域に位置する内蒙古自治区での土壌流出・沙漠化は,日本でも「黄砂」として直接的にその影響を被っている.中国政府はその対策として,「退耕還林(草)」政策を打ち出した.これは転換手当や穀物の支給と引き換えに耕地を森林や草地に戻そうとするものであり,主に内陸部の特別市・省・自治区を対象として2001年から本格的に実施されている.また、「退耕還林(草)」政策以外にも、放牧本報告では,中国北西部における耕種農業の外延部であり,放牧業地帯との境界すなわち草地境界に位置し,農地の劣化が著しい内蒙古自治区の農村を事例とし,土壌劣化,表土流出,沙漠化の現状,そこでの土地利用,農業経営の実態,さらに2001年より本格開始された「退耕還林(草)」政策の実態と農業経営との関係を明らかにし,これら政策に対する地域的対応形態と内在する問題点について検討した.対象としたのは,自治区の首都である呼和浩特の北に位置し,放牧業地帯との境界に位置するフフホト市武川県大豆舗郷および上禿亥郷,黄河流域のオルドス高原に位置し,毛烏素沙漠が広がるなど沙漠化がより進行している鄂尓多斯市达拉特旗の農村である.
    草地境界に位置する内蒙古自治区における農業生産は,防風対策としての植林や等高線耕作,有機肥料の使用など地力維持の方策をとりながら,井戸の掘削や農薬の多投など,脆弱な環境に強い負荷をかけつつ成立している.同時に,武川県のように農業生産のみで1万元程度の収入を得て相対的に高い生活水準に達している地域から,达拉特旗のように自給的な農業生産の成立すら危うい地域まで存在し,条件不利地内部の格差がきわめて大きい.「退耕還林(草)」政策は両地域ともほぼ同じ内容で実施されており,そこからはこの政策が単なる環境保護対策という性格だけでなく,耕作不適な条件不利地の農民に植林をつうじて直接所得の保障を行う構造調整政策という側面,いまなおかなりの数に上る貧困層に対する所得政策という側面をあわせもっていることが指摘できる.しかし武川県のような地域では,「退耕還林(草)」政策による耕地の減少に対して,農民は相対的に高水準にある農業収入をできるだけ維持するために,農地の生産力をより高める方向に行動し,結果としてより大きな環境負荷をかける可能性が皆無とはいえない.「退耕還林(草)」政策は,実施に際しての技術的な問題点をもつと同時に,その可否はそうした農民行動の如何によって左右されるといえる。
  • ニジェール共和国南西部の乾燥サバンナ、農民による認識の例
    知念 民雄
    p. 166
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに本研究地域においては表面(ガリー)侵食が最近数十年のあいだに激化し、農地の侵食や消失という被害が生じた(Chinen, 1999)。人口増加を背景にして農業生産への需要が高まるなか、農民がどのようにしてこのような地表面状態の変化に対応するのかーこの問いをきっかけにして本テーマに向きあった。内陸部での定住、農地利用の拡大、野菜・果樹園の増加に、井戸水位の変動が関係するように予想された。2 研究地域と方法調査地は首都ニアメイ(北緯13°東経2°)付近のクーテレ流域である(図)。ニアメイ周辺は低平な地形ー鉄キュイラスに覆われた台地(第三紀層であるContinental Terminal層)、緩斜面、浅い谷ーからなる(Chinen, 1999)。サヘルの一画をなす調査地にはところどころに固定(あるいは半固定)砂丘が分布する。水蝕と風蝕(飛砂)が複合する地域である。1年が雨季と乾季にわかれる。ニアメイにおける年平均降雨量は560mm(1943_から_1995)である調査地にはフルベを中心とする民族が住む。天水農業中心の生業が営まれているが、牧畜にかかわる人々も暮らしている。主作物はとうじんびえ(ミレット)である。井戸水位の変動調査は農民の聴きとりにもとづく。聴きとりにはなるべく現場に精通しているインフォーマントを選んだ。時期を違えて何度か同じ井戸を訪問し、また複数人の話をクロスチェックしながら、水位変動を理解しようと努めた。調査は1996年_から_2003年のあいだ断片的におこなった。3 結果本研究は、サンプル(井戸)数は少ないものの、井戸水位が最近数十年間おおむね上昇傾向にあることを示している。ひろい台地を浅い谷が穿つような地勢は、谷部に井戸が掘られると水位上昇をうながす可能性を示唆する。井戸水位上昇の原因特定は容易でないが、いずれにせよ農民たちの多くは、井戸を掘れば水位は上昇してくるとの「思い」を強くもつようになった。土地利用との関連で考えると、農民たちの井戸水位上昇という「発見」(新たな認識)が、ニジェール川からより離れた土地での定住、農地拡大、野菜・果樹園の増加に通底すると思われる。
  • SOURI BUBAK, 森島 済, COLLADO MARIO, RONDAL JOSE, 渡邊 眞紀子
    p. 167
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    Central Luzon in the Philippines, with 1980mm annual precipitation, provides enough water for a single crop of rice during rainy season, but for almost five months of the dry season started from November each year, the shortage of water is a common problem among most of the local farmers for cultivation activities in uplands.The Filipino government has responded to the problem with construction of some small earth dams called Small Water Impounding Projects (SWIPs) in the region, aimed to save additional rainfall during rainy season for cultivation purposes on the period of water shortage.Rainfall is the only water suppliers for the reservoir of the constructed dams and the percentage of that precipitated rain, which get to the dams reservoir, is in a direct relation with soil characteristics. Drops of fallen rainfall, if not evaporated immediately depends on land and soil characteristics, face infiltration in soil or running off on surface of the watershed to reach the reservoir.Since, soil physical aspects play a principle role in both infiltration and runoff producing processes, the aim of the present study is to recognize the importance of soil physical characteristics on hydrological cycle of one of the mentioned constructed SWIPs located in Villa Boad, Talugtug, Nueva Ecija (FIG.1).The main parameter to select the investigation sites in the 34.3 ha Villa Boado SWIP’s watershed area was the type of the land uses and in each of the mentioned sites, including Mango plantation, Grass land and Forest, respectively named as Sites No.1, 2 and 3, soil matric potential monitoring instruments, tensiometers, were installed in 20, 100, 200 and 300cm depths and then infiltration tests were carried out.Soil survey showed that mainly two types of soils can be expected in the watershed; Inceptisols in hilly areas and Vertisols in low lands and around natural channels, where alluvial sediments are deposited. Then, to clarify distribution of different soils types, topography map of the watershed contour lined with 1m intervals was provided.For prediction of soil water content in the three study sites soil layers in the depths, where tensiometers sensitive parts were installed in, were sampled by cores and then soil moisture retention curves for each sample was figured out in the laboratory. Additionally, for monitoring the fluctuation on the underground water level, four observation wells along the watershed long profile were drilled.Tensiometers data also proved that in rainy season soil matric suction falls down considerably among all of the three sites in every depth of them. The data collection in Forest has started within a delay about six months, comparing to Mango and Grass land (FIG.2).Results of the infiltration tests in the field and the core samples investigation in laboratory obtained enough evidences to assume that a layer of swelling clay on 100cm depth limits vertical water flow in the Forest, when it is saturated or is close to saturation condition.Finally, investigations illustrated that except the topsoil, which is more affected by the land use type, sub soil layers involvement on hydrological cycle is more relevant to soil physical characteristics itself rather than land use. Further more, using topography map and soil types distribution, based on geomorphological situations, this paper attempts to estimate the total volume of water held by soil across the watershed
  • 河野 忠
    p. 168
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに高知県の沈下橋に代表される潜水橋は,日本各地に存在している.その概要は高知県(1999)の調査で,全国に407ヶ所現存していることが明らかとなった.その第一位は高知県(69ヶ所),第二位が大分県(68)で,以下,徳島県(56),宮崎県(42)と続いている.しかし,このデータは一級河川のみに限られており,その実態は未だ不明である.そこで大分県における沈み橋の実態を明らかにするため,悉皆調査を実施した.2.沈み橋の数と築造年大分県には四万十川や吉野川に架かるような100mを超える大きな沈み橋こそ少ないものの,200ヶ所以上存在していることが判明した.なかでも杵築市の八坂川には明治9年築造の「永世橋」という,日本最古といってよい沈み橋が残っている.これまでは,高知市にあった昭和2年築造の「柳原橋」が最古(現存する橋では四万十川の「一斗俵橋」,昭和10年)とされていたが,50年ほどその起源をさかのぼれることがわかった.また,大分県院内町には,河川の合流地点にある中州に延びたT字型をした「三つ又橋」という珍しい沈み橋の存在も明らかとなった.3.沈み橋の名称沈み橋という名称は,九州地方固有のものであり,高知県では沈下橋と呼ぶ.一般的には潜水橋と呼ばれ,潜り橋(東北_から_中部),冠水橋(荒川流域),潜没橋(京都府),潜流橋(広島県),地獄橋(関東)などの例がみられる.4.沈み橋の建設要因大分県に沈み橋が多い理由としては,小藩分立に由来する財政難,および肥後石工の流れを汲む豊後石工の存在がある.しかし,最も決定的な要因は地形,地質的条件と考えられる.大分県の沈み橋は,国東半島(22%)と大分県北部(26%),南部(40%)に集中している.南部に沈み橋が多い理由は,9万年前の阿蘇大噴火による火砕流堆積物(溶結凝灰岩)の存在といってよい.この溶結凝灰岩は竹田から臼杵,大分市にかけて堆積しており,広くて浅い谷底平野と河床縦断面が緩やかで平らな河床を形成している.北部は第三紀の古い地質であり,開析の進んだ谷が多い.従って,農地と河床との高低差が少なく,堤防も少ないことから,沈み橋の条件が整っていたといえよう.5.参考文献高知県四万十川流域振興室(1999):流域沈下橋保存に係わる全国事例調査結果,高知県.
  • 河野 忠
    p. 169
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに井戸枠はその材質(木材,石)に基づく技術的制約から四角形,もしくは丸形にするのが一般的である.しかし日本各地には六角形,八角形の井戸が40ヶ所程存在する.なぜ六角にするのかという疑問から,まず数字の意味に注目してみた.日本では八は縁起の良い意味で使われるが,六は神聖な数として知られている一方で,墓や地獄などといった事象に通じる数として認識されている.数の意味で六角井戸をとらえた場合,そこには「六」本来の意味とは別の,特別な意味があるに違いないと考えた.そこで,本研究は日本各地の六角井戸の分布や現地調査から,六角井戸が造られた人文,自然地理学的背景を明らかにすることを目的とする.2.六角井戸の分布と故事来歴六角井戸は秋田から沖縄まで,全国各地に見られるが,その分布は京都・奈良,淡路島周辺,長崎・沖縄に集中する傾向が見られた.またその半分近くが海岸付近に存在し,弘法伝説のある井戸が6ヶ所あった.中部地方以北の六角井戸は,元々あった丸い井戸側にあとから六角形の枠をつけたものが多く,正確には六角井戸とは言い難いものであった.京都・奈良は歴史上の人物や史実に基づく井戸が多く,史蹟となっている場合が多かった.淡路島周辺の井戸は記紀や風土記などに登場する古井戸が多く,海岸付近に存在する.長崎の井戸はやはり海岸付近にあるが,中国人が築造して南蛮貿易船などへ水を供給した史実がみられる.3.多角形にする特別な理由沖縄はもともと丸形の井戸側であるが,そこに井戸枠を造る材料として石灰岩のブロックを使用した.このブロックを組み合わせて井戸枠を作るには,小型の井戸は六角形,大型は八角形にすると効率がよい.石の文化圏に属する沖縄ならではの井戸といえよう.一方で神奈川県鎌倉市小坪海岸にある六角井戸は,六角の二辺を逗子側,四辺を鎌倉側が使用する水利権を表すために築造された.これは,六角井戸が朝夕に井戸の利用が集中する際の合理的な対策として築造された典型的な理由であろうと考えることができる.
  • 沼津市の事例
    高島 淳史
    p. 170
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 近年では、人口の郊外流出やモータリゼーションの進展などを背景として、全国的に中心市街地の衰退・空洞化が深刻化している。そのため、1998年に中心市街地活性化法が制定され、自治体では中心市街地活性化基本計画が作成され、それに基づき市街地の整備改善と商業等の活性化とを両輪とするさまざまな事業が実施されている。しかし、いまだ有効な対策がなされないため、中心市街地の衰退はおさまっていない。とくに地方都市においてはその傾向が著しい。 そこで、本発表では沼津市の中心市街地活性化施策を対象とし、現在までの施策から問題点を明らかにする。また、「TMOぬまづ」と第3セクターである「ぬまづ産業振興プラザ」の活動についても検討する。2.中心市街地活性化に向けた施策 地方都市の中心市街地において市によるハード整備は、さまざまな制度を利用することで行われてきた。各自治体では国や県から補助金をもらい、核施設や駐車場整備等を中心としたハード事業が盛んに行われてきた。 1998年の中心市街地活性化法以降は、市は補助的役割とされたが、市により基本計画が策定されるため、補助金確保のためのハード事業が多く盛り込まれている。沼津市は、2000年4月に225番目として基本計画を提出し、2001年3月には商工会議所を母体とした「TMOぬまづ」を設立、また同年に第3セクターである「ぬまづ産業振興プラザ」が設立し、2004年に地域交流センターの「まちの情報館」を開設するなど積極的に活動している。3.結論 沼津市では、活性化事業がさまざまな部署によって実施され、一体的な施策が行われていない。また、活性化事業実施に向けた事前調査が行われてきたが、事後調査が行われていないため、現実的な事業の問題点が把握されていないのが現状である。一方で、「TMOぬまづ」や第3セクターの「ぬまづ産業振興プラザ」の2つが、活性化の中心として相互の競争・連携によってさまざまな戦略を計画し、実践的な対策を講じている。
  • 観光客・経営者・居住者による街路景観評価の分析を考慮して
    田中 絵里子
    p. 171
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.研究の背景と目的 昭和50年の文化財保護法の改正に伴って伝統的建造物群保存地区制度が発足して以降、歴史的町並み保全を契機とした地域づくりは全国に広まった。それらの地域では、歴史的建造物の修理、調和した街路景観の整備など、多くの事業が実施されている。なかでも街路景観の整備は、地域の歴史や文化を顕在化させる最も有効的な手段として扱われている。しかし、具体的にどのような街路整備が人々に評価され、その後の地域づくりへ影響を与えるかについては、街路整備事業がいずれの都市でも実施段階であるため、未だ明確にされていない。 そこで本研究では、既に街路整備事業が実施された埼玉県川越市を事例に、町並み保全としての街路整備事業による街路景観の変容およびそれに伴い観光地化した商店街の実態について報告する。なお、街路景観の評価に関しては、観光客、経営者、居住者の3視点から行うものであり、研究対象地域は、一番街、大正浪漫夢通り、菓子屋横丁の3街路とする。
    2.街路整備事業による街路景観の変化と観光客・経営者・居住者による街路景観評価 一番街は、蔵造り町屋や洋風近代建築などの歴史的建造物を多く残しており、川越の町並み保全の中心となってきた。そのため一番街においては、小江戸のコンセプトの基に、歴史的建造物の保全、舗装の整備、電柱の地中化、周辺建物の修景など多くの事業が実施されてきた。個人や企業で建物を修景する店舗も増え、その結果、一番街は日本瓦のスカイラインが美しい、統一性、連続性のある街路景観が形成され、観光客、経営者、居住者に高く評価されている。 一番街と同じような歴史的建造物を有する大正浪漫夢通りでは、一番街の後続的なまちづくりとしてアーケードの撤去、歴史的建造物の保全、舗装の整備、電柱の地中化などが実施されてきた。しかし、道路幅員が広く開放的な割にスカイラインに統一性がみられないことや、コンセプトが大正という掴みどころがないことなどから観光客の評価はあまり高くなかった。 菓子屋横丁には、蔵造りのようなシンボリックな建造物はないが、石畳舗装が実施されただけでも十分に雰囲気の感じられる通りになっている。原色の派手な建築物もあるが、道路幅員が狭いことと主な通行人である観光客の視線は店先の商品に注がれることが影響して、それほど大きな問題にはなっていない。
    3.観光振興がもたらした商店街の変容 一番街は、従来、地元客を対象とした店舗で構成されていたが、近年、観光地化が進行するに従って、観光客を対象とした店舗が多数進出してきた。特に重要伝統的建造物群保存地区選定以降の変化は著しく、なかには地域に関係のない土産物店もあり、地元商店主たちの間では戸惑いの声も出始めている。顧客数および売上は、一部の観光客を対象とした店舗では「増えた」ものの、従来からあった地元客対象の店舗では「変わらない」という回答が多かった。大正浪漫夢通りでは、9割近くが地元客を対象とした店舗である(図)ことから、川越の観光客が増えても、顧客数、売上に変化はないという回答が多かった。一方、菓子屋横丁においては、店舗の100%が観光客を対象に菓子の製造・販売を行っている。そのため近年の観光客の増加は、そのままダイレクトに顧客数、売上の増加につながり、いずれも「増えた」との回答が多かった。
    4.まとめ 川越は街路整備事業を実施したことによって、各通りで時代的コンセプトに合わせた統一性のある街路景観を形成してきた。観光振興をしたことにより、一番街や菓子屋横丁は、商店街の活性化に成功したと観光客・経営者・居住者全てに評価されている。しかし、一番街では観光客を対象とした店舗が急増し、従来の商店街としての性格が変化するという事態が生じている。大正浪漫夢通りは、観光客が集まらず観光地化しなかった結果、商店街への影響も見られず活性化しているとはいえない。すなわち、町並み保全に伴う観光振興は、街路景観の統一を促進し、商店街活性化にも貢献したが、商店街の性格を変える原因ともなり得ることが明らかになった。
  • 鈴木 範仁
    p. 172
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.研究の視点横浜市南部の金沢区の柴町一帯は、東京湾内での漁業を中心とする第一次産業の割合が今日でも高い。柴地区は丘陵に囲まれており、周辺と隔絶された地域景観を有してきた。そのため、金沢区の人口が増加した1960年代以降においても、地区内人口は停滞しつづけた。しかし、1968年決定の横浜市金沢地先埋立事業は、当地区をはじめとする周辺の既存集落に大きな影響を及ぼした。 本発表では、この柴地区を調査対象地域とし、埋め立てにともなう地域社会の変化の実態を明らかにする。2.金沢地先における埋立事業の経緯 この埋立事業は、横浜市の都市開発事業の一環として実施されることになった。この事業の目的は、旧来のような臨海工業用地の造成ではなく、都心再開発事業によって転出する事業所の転出先用地の確保、および市内に混在する各種工場の移転先の確保、さらに埋め立てによる自然海岸喪失の代替地としてレクリエーション施設を造成することを目指した。本事業地は、横浜都心部から約15km離れた市内で唯一の自然海岸として残存してきた金沢地先が選ばれた。事業は、1971年に北部1号地より順次着工され、1988年に3号地まで完成した。埋立地内の土地利用計画は、工業、住宅、文教・レジャー施設など複合的な利用が目標とされた。3.調査結果(1)柴地区周辺におけるおもな産業は、昭和初期から海苔養殖業を中心としてきたが、埋め立て後は、海苔養殖業が衰退した。しかし、柴地区では漁業の残存がみられ、漁業従事者の中で、転業者はわずか43人(167人中)であり、転業率は25.7%と近隣の漁協と比較しても低い。(2)埋め立てによる漁業補償交渉は、1969年よりスタートし1971年に締結をみた。柴漁協の組合員(167人)に対しては、総額58.5億円が支払われた。(3)海苔養殖の最盛時「干し場」として使われた地区内の畑地には、埋め立て後、宅地への転用がみられ、多くの集合住宅が建設された。(4)補償金の他に、完成した埋立地には漁業従事者のみが代替地として取得することができた。取得者は、その場所に戸建住宅や集合住宅を建設した。そのことが誘引となって、1985年時点の約2300人であった柴町の人口は、1990年には約4500人へと急増した。(5)埋立地に立地した戸建住宅は、柴地区関係者が移住したため、現在でも地域関連は大きい。しかし、集合住宅に入居した新住民とは関係が希薄である。(6)漁業従事者は現在でも旧集落内に居住している。その大半は埋め立て以降に世帯交代があり、多くは漁船所有者である。
  • 川田 力
    p. 173
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1. 問題の所在 平成14年度から小・中学校で開始された新学習指導要領に基づく教育では、新しい学力観としての「生きる力」を育成するための「学び方を学ぶ」学習が前面に押し出されている。この新学習指導要領の実施にともない、小・中学校の社会科(地理的分野)でもカリキュラムの変更がなされた。地理的分野でいえば、小・中学校においても学び方・調べ方・まとめ方といった地理的スキルがより重視されるようになり、教科書の内容構成の変化とあいまって教育実践の場でも教員の力量が問われることとなった。こうしたことをふまえて、今回のシンポジウムでは小・中学校の地理を教えるうえで不可欠な技能や資質とは何かを踏まえて、それらを有した小・中学校教員養成を実施する際の課題について議論したい。2.議論の潮流こうした問題について、日本地理学会では2003年度秋季学術大会(於・岡山大学)において「地理を教えるということとは?_-_地理教育力のさらなる向上をめざして_-_」と題するシンポジウムが開催され、新学習指導要領における地理教育の内容変化がどのように捉えられているのか、各学校段階でいかなる取り組みが展開しているのか、また、いかなる指導上の困難や問題点を有しているのかについて議論がなされた。その議論の中では、新学習指導要領の下での学習内容の精選の結果として小・中・高等学校の各学校段階間での教育内容の重複が極めて少なくなるよう学習内容が整備・配置されていることを認識し、次の学校段階で効果的な学習を行うために、それぞれの学校段階で児童・生徒に修得すべき学力とは何かを明確化する必要性が論じられた。また、地理教育で必要とされる「自ら学ぶ力」を確実に育成するための学校間連携のあり方や、初等中等教育における一貫的・系統的な学習指導の重要性も強調された。日本地理学会ではさらに、2004年度春季学術大会(於・東京経済大学)において「小・中・高一貫カリキュラムの方向性を問う」と題するシンポジウムが開催され、再度、各学校段階で児童・生徒に修得すべき学力とは何かが具体的な教育実践の事例を踏まえて議論されるとともに、多様な学校間での一貫的カリキュラム案が提案された。ここでも、各学校段階で育成すべき地理的スキルの内容を具体的に明示する必要性が再三強調された。また、活動主義への傾斜の結果生じているとされる、地理教育において習得すべき基礎的知識や概念が軽視され世界観・世界像がエゴセントリックでステレオタイプに陥っている児童・生徒が増加しているという報告は傾聴に値する。このほか、これらのシンポジウムに先立つ2003年度の日本地理学会春季学術大会(於・東京大学)におけるシンポジウム「日本地理学会のグランドビジョン策定に向けて」でも、地理教育の振興策についての報告がなされているし、他学会では地理科学学会秋季学術大会において「ジオグラフィカル・スキル_-_地理教育の世界的新潮流を探る_-_」と題したシンポジウムも開催されている。3.小・中学校教員養成の課題高等学校の地歴科において地理が選択科目となっている現状は、義務教育で地理教育を終えた社会人を急増させている。換言すれば小・中学校段階における地理教育の役割が増大しているといえる。しかしながら、小・中学校での地理教育実践における指導上の困難や課題も少なからず報告されている。また、こうした、小・中学校での地理教育実践上の困難さの程度は、教員の有する地理的知識・技能・考察力の多少によって大きく異なる。これは、高等学校の地歴科で地理を教えている教員の多くが地理学を専門的に学習した経験を有するのと対照的であろう。地歴科創設以降の高校で教育を受けた小・中学校の教員には、地理に関しては中学校卒業レベルの学力に加え、大学でごくわずかの地理学関連科目の単位を修得したという教員も少なくないと思われる。しかしながら、大学で地理的資質を有した小・中学校教員養成を行う際の課題も多い。地理を教える教員として不可欠な地理的知識・技能・考察力とは何かの共通認識は得られていないし、それらを修得させるための適正なプログラムも整えられているとはいい難い。
  • 荒木 一視
    p. 174
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.  はじめに 本報告では教員養成系大学における地理教育,特に人文地理分野を中心にして,現在の教員養成を巡る様々な状況を踏まえた課題を提起したい。その際,授業科目数や教員養成系コースと非養成系のコースでの授業の関係といったカリキュラムに関わる側面と,授業や養成過程の目指す理念の側面を取り上げる。2.地理学関連授業報告者の所属する山口大学教育学部社会科教育教室が提供する地理学関係の授業は,2人の教官により,人文地理学,自然地理学,地域人文地理学,地域自然地理学の4つの講義科目と地理学実習,地理学演習,地理学巡検の3つの実習・演習科目である。このほかに,社会科基礎演習や社会科特別研究などといった「地理」を謳わない科目の中でも地理的な内容を取り上げたり,具体的な卒業論文の指導をしたりといったことは行われているが,いずれも複数教官での担当授業であったり,オムニバス形式の授業であり,教授できる内容については部分的なものとなっている。また,山口大学教育学部では非養成向けにも地理学の授業が開講されている。地理学I,同IIであり,非養成課程に籍を置くもう一人の地理学教官によって授業が行われている。この現行のカリキュラムは,それ以前の旧カリキュラムと比較すると,開設科目数において大きく減少している。旧カリキュラムでは人文地理学I,同II,自然地理学I,地誌I,同IIの5講義科目に加えて地域調査実習,地理学実習,地理学巡検,地理学演習I,同IIに加えて非常勤講師による地理学特講が開設されていた。くわえて,養成課程に所属する学生は非養成課程の教官の開設する人文地理学III,自然地理学II,地誌III,などの講義科目を選択し,卒業要件や免許の要件とすることができた。しかし,現カリキュラムでは養成系と非養成系の間でこのような学生の行き来はなく,むしろ,授業担当教官には(文学部や経済学部で開設される地理学とは異なる)教育学部ならではの地理学の授業,教員養成課程ならではの地理学の授業を展開することが求められている。そうした中で,養成課程の学生は養成課程で提供される地理学の授業のみを選択し,非養成系の学生は同様に非養成課程の地理学授業のみを選択する。教員養成用の地理学の授業を教員養成課程の学生に提供するという理念場からは問題がないのかもしれないが,その反面,学生が受講する地理学授業の数は明らかに少なくなっている。この少ない時間数は求められているスキルや能力を身につける上で十分といえるのだろうか。3.何を学ぶのか,何のためのスキルなのか 「地理教育は何をし,地理教員は何を教えるのか」といった問いかけに対して,「地理的なものの見方・考え方を身につけそれを子供たちに教える」と言ったような答が模範解答のように帰ってくる。しかし,その後に「地理的なものの見方・考え方って何ですか?」と続けたら,明確な答が返ってくることはほとんど無かった。学生はもとより,現職の教員についても同じである。こういう状況では,学び方,調べ方,まとめ方といった地理的スキルを重視するといっても,何のためのスキルなのか,そのスキルを使って何をしようとするのかがよくわからない。調べるために調べるのだというような,稚拙な議論に陥りはしないかと危惧されるところである。また,「地理的な・・・」についての明確な認識が社会科教室の構成員の中でさえ共有されることがないではなかろうか。こうした曖昧さの背景には,なぜ初等教育で地理が教えられるのかについての検討が充分になされていないことがあるのではないかと考える。4.おわりに 限られた講義時間の中で,スキルを有効に使いこなせる人材を育成することは簡単なことではない。しかし,その中で効果的な養成を実現するためにも,なぜ学校で地理が教えられているのか,なぜ初等教育に地理が組み込まれているのかという本質的な問いに答える訓練をしておくことが欠かせないのでは無かろうか。地理教育を所与のものとするのではなく,また,単純にその重要性のみを強調する議論に陥るのではなく,学史的背景も踏まえた上で,限界と可能性を議論しなければならないと考える。
  • 草原 和博
    p. 175
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題の所在 社会科教員の養成では,以下二つの課題を同時に達成することが求められている。一つは,社会認識に関わる教科領域(地理のみならず歴史や公民等を含めて)を中心にして,ある教科目標のもとにカリキュラムを立案,授業を試行し,評価を通してカリキュラム・授業を改善できる自立的な教科研究力の育成である。もう一つは,学習指導要領の趣旨と大きく齟齬をきたすことなく,その枠内でカリキュラム・授業を具体化できる教科指導力の育成である。初等中等教育への国家統制が厳しい日本では,上述のような「学問性の追求」と「政策への追従」の二重のしばりが,教員養成プログラムのあり方を規定してきた。鳴門教育大学では,この二重のしばりの両立をはかり,今日の教育課題にも応えるべく,平成13年度より大学院に「教育実践研究」を開設した。同科目の理念を受けて,来年度から学部でも「教科教育実践」の立ち上げが予定されている。本発表では,鳴教大における過去三年の試みを紹介することで,本シンポジウムの課題に答えたい。2.教育実践研究の理念_-_目標設定_-_ 「教育実践研究」の実施にあたって,以下三つの原則・目標を立てた。第一に,比較授業開発研究の方法論を取り入れ,教科教育学の学問的知見を踏まえ,授業を自立的に開発できる力量を形成する。地理教育の根拠は一つではない。指導要領が準拠している地理教育論も多様な地理教育論の一つに過ぎない。事実,研究者の間では,教科指導のあり方をめぐって多様な目標が提起され,内容構成と指導方法のあり方が模索されている。そこで受講生には,学界で対立・競合している地理教育論(学派)をレビューし比較させ,なぜそういう論争が生じるのかを原理的に解明させる。また指導要領の地理教育論を対象化・相対化する機会も与え,諸理論の見取り図を描けるようにしたい。第二に,比較授業開発研究を,指導要領の枠組みのなかでも学校現場での戸惑いの大きい,とくに若手教員が苦手とする項目で行い,具体的な指導法を研究させる。例えば,現行の指導要領下では,新設された「地域の規模に応じた調査」の難しさが叫ばれている。そこで,そのような単元に意図的に注目し,同単元の指導案を,思想を異にする複数の地理教育論にもとづいて設計させる。さらにそれぞれのプランを試行し,意義と限界を実験授業の結果に即して検証させるようにしたい。第三に,附属学校と大学の連携,大学内では教科教育と教科専門の連携において運営する。例えば,「身近な地域の調査」の授業開発を行うときは,附属学校側で一つの(指導要領に近い)地理教育論の,大学側では競合関係にある別の地理教育論の授業化を試みる。双方の理論設定と実験授業のコーディネートには,教科教育の担当者が主たる責任を負う。ただし,実験授業の準備と実践には教科専門の担当者にも協力を仰ぎ,地理学の視点から授業の開発・改善の方向性を示してもらう。このような二重の連携を取り入れることで,現場のニーズや子どもの実態を受けとめ,かつ教育学と地理学の学問的成果に裏打ちされた教員養成が可能になるだろう。3.教育実践研究の実際_-_内容構成と指導展開_-_ 2の原則・目標は,次のようなテーマと年間計画に具体化した。平成13年度は,_丸1_地域に関する地理的見方・考え方の育成に特化するか,_丸2_地域を手段にして社会の見方・考え方を育成するかの比較を試みた。平成14年度は,_丸1_都市内部の事象の分布を調べ,それを地図に落としてゆくことでフィールドワークのスキル習得をめざす授業と,_丸2_スキルと知識を分離せず,フィールドワークを通して都市の空間構造の概念を探求させる授業を比較対照させた。平成15年度は,_丸1_資料の分析を通して地域の特色を直観的に理解させるジオグラフィー学習と,_丸2_そもそも地域(の区分や特色)とは実在ではなく,社会的・学問的に構成された解釈であることに気づかせるメタ・ジオグラフィー学習の二類型を実施した。年によって若干の違いはあるが,各年度の演習は,おおよそ以下の流れで進めてきた。第1期(6月_から_9月)は座学中心。学界の動向を大観し,授業開発のフレームワークづくりと教材研究に専念させる。第二期(10月_から_1月)は実践中心。先に附属中の授業を観察・分析し,引き続き大学側の授業を開発・試行する。第三期(2月_から_3月)は授業記録と調査票の解析。各実践の目標達成と理論の得失を明らかにする。さらに受講生による報告書づくりと学界発表を通して,成果を学校現場にフィードバックさせる。
  • 田林 雄, 大森 博雄
    p. 176
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_.研究背景 都市化が河川水質に与える影響は大きいと考えられるが、従来の河川水文研究は都市化の影響の少ない山間部で多くなされてきた。また、河川水質は主に流域の地質、土地利用によって規定されると考えられるが、こうした土地条件と河川水質との関係についての詳細は未だ不明な点が多い。河川周辺の土地利用から河川水質との関係を推定したものはあるが、両者を一対一に対応させ関係を論じたものは少ない。さらに、河川水質データはその河川でも数地点で観測される場合が多く、物質収支や河川水質をより空間的に把握する必要があるといえる。_II_.研究目的・方法 一流域における河川水質と土地利用の関係を解明する。 流域全体を、河川の主要な合流・分流で支流域に分け、それらを土地利用構成によって分類する。また、支流域の最下流部で採水し、両者の関係を検討する。 流域の土地利用構成は国土地理院刊行の10mメッシュ細密数値情報を用い、GISソフト、TNTmips6.8によって算出する。 水質は、現地で水温、EC、pH、アルカリ度(HCO₃⁻)を測定し、実験室で主要無機イオンであるSO₄²⁻, NO₃⁻, Cl⁻, Mg²⁺, Ca²⁺, Na⁺, K⁺の計量をする。 また、従来、都市の河川水質を表す尺度として、BODやCODが多く用いられてきた。いずれの手法も溶存有機物量を計測することが目的であるが、結果は高い、低いとしてしか現れない。すなわち、土地利用が河川水質に影響を及ぼしているということは明らかになるが、どういった土地利用が水質に強く影響を与えているかは明確に表現しにくい。河川水に溶存する複数の無機イオンを調べることで、特定の人間活動が、河川水質を形成していく過程をみることが可能となる。 本発表では2004年3月期に行った調査で得られたデータを提示する。_III_.研究対象地域 千葉県北西部に位置する、坂川である。東京都心部から北東約30km圏に位置し、東京のベッドタウンとしての性格が強い。都市化がこの30年で進行した。当地域は下総台地にあり、地質条件は比較的均質であるため、地質が水質に与える影響は比較的小さいと考えられる。また、坂川の特徴として、上流部で利根川からの導水が挙げられる。_IV_.研究結果・考察 流域全体で目立った水質変化をもたらす支流域の合流はほとんどみられなかった。これは本流に比べ流入する河川水の流量が少ないためであると考えられる。河川水質は流下に伴ってCa_-_HCO₃型からNa⁺やCl⁻をより多く含むものに推移し、その間、ECは徐々に高まった。利根川からの導水部でECは266μS/cmを示し、坂川放水路河口で272μS/cm、坂川河口で351μS/cmを示した。坂川上流域の台地を刻む谷部に発達した住宅地からはNa⁺を多く含む水塊が流入する点で共通していた。これは、人間活動が活発である証左だといえる。_V_.参考文献・ 大森博雄(2003):「高精度測定法による多摩川水系の水収支・物質収支の動態把握と河川水質形成機構の解明」.とうきゅう環境浄化財団研究助成・学術研究,31(227),37p
  • 黒木 貴一
    p. 177
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    _I_.はじめに 福岡教育大学では自然地理の内容に関し、1年生前期の人文地理学及び自然地理学(15/2コ)、1年生後期の地理学概論(15/2コ)、2年生前期の自然地理学講義(15コ)、3年生の自然地理学実習(30コ) と自然地理学演習(30コ)で講義等がなされる。これらの内容は学年が進むほど専門性が増すようになっている。しかしこれらは自然地理学全般の内容は網羅できず、リモセンやGISなど新しい自然地理学の内容までは十分紹介できない。それ以前に、高等学校の地理を履修していない学生数が急増してきた問題がある。これまで本学の抱える自然地理教育の諸問題を明らかにし、自然地理学実習や地理学概論などを通じて教育方法を検討し、その問題解決方法を模索してきた(黒木,2003, 2004;黒木ほか,2004)。本稿ではその検討と模索状況を紹介し、自然地理学の技能や資質を有する小・中学校教員養成の課題について述べる。_II_.本学の自然地理教育にある問題1.社会科教員を目指す学生の教科への意識 本学で社会科教員を目指す人文系学生の多くは、1)地理の内容が難しいと感じており履修を敬遠し歴史教科を選択しがちである、2)履修意識は第一に資格取得にあり踏み込んだ教科内容を敬遠する、3)泥にまみれ汗を流す自然地理の野外調査に抵抗を感じ自然地理よりも人文地理に進みやすいという特性がある。多くの学生が、1)地理は暗記科目であり、2)教科書の内容は最先端であり、3)自然地理は自然科学の一部とは思っておらず、また4)自然地理に野外調査が必須であるとはあまり考えていない。2.教育環境の問題講義等を進めるにあたり、_丸1_実習室や実験室がない、_丸2_年間履修上限42単位が設定されている、_丸3_多様なコースの学生が全学年履修する実態がある、_丸4_教育関連の実習の種類が多く、_丸5_受け入れ先の都合で五月雨式に学生が休む、などの問題もあり十分な教育環境を提供できていない。_III_.取り組みの現状(対策)_II_.の問題を背景に講義等では、1)新しい自然地理内容の学習、2)文献・資料調査や計算を伴う学習、3)野外調査を必須とする学習、4)実験・観察・解析を必要とする学習を実践させ学生の意識改革を図る。実践の中で地図及び地図帳に親しませ(技能)、時間・空間スケール、人文地理と自然地理との関係、他分野の知識が必要な自然地理的分析手法に関する理解(資質)を進めさせることを念頭におく。1) 新しい地理内容学習:自然地理学実習では、共通パソコン室にて、フリーソフト(ArcExplorer, MapWin, カシミール等)を用いた数値地図およびGIS教育を進めている。2) 文献・資料調査や計算:地理学概論では、九州の水循環をテーマにした講義を実施している。この中で気候学、水文学の内容を紹介し、地図帳などの統計資料を使って水量を計算させ、九州島(各県)の水循環を視覚化させる。ここでは統計の持つ様々な空間と時間スケールを、九州島の1年に統一させる計算過程で、地理的な時間・空間スケールの考え方の理解を進めることも企図している。3) 野外調査:社会研究基礎(初等・中等教員養成コースの社会科専攻学生の演習科目)では、キャンパス周辺の現地調査を行い、テーマ毎の地理情報を地図化し、その地図を用いた模擬授業を実践させている。レポートでは学習指導要領と模擬授業との関連を考えさせる。最終的に学生の作成した地図はGISデータ化し、地域環境マップにまとめた。4) 実験・観察・解析:自然地理学演習と卒論を通じて実験、観察、解析を経験させ、自然地理は野外調査が必要な自然科学であることを理解させる。簡易ボーリング、粒度分析や燃焼試験、活断層や火山灰の観察、岩盤節理計測などを実施させている。_IV_.まとめ自然地理が苦手・嫌いな生徒を再生産させないために、自然地理好きの学生を排出することが現在の重要な課題である。講義等を通じて、小・中学校の自然地理を教える上で不可欠な技能や資質を念頭に置く地理的スキル(学び方、調べ方、まとめ方)を理解させるための試みを表1にまとめた。
  • 川西 俊之, 森重 孝太郎
    p. 178
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1.  はじめに 本報告では山口県の小学校の教育現場の事例を中心に,学び方・調べ方・まとめ方といったいわゆる「地理的スキル」を実践する上での課題について検討する。その際,発表者らの経験から以下の諸点を課題として取り上げたい。(1)時間や経費などの技術的課題(2)どの学年でどこまでを教えるのかという系統性やカリキュラムにかかわる課題(3)何を教えるのかという学習内容とその意義にかかわる課題。の3点である。2.技術的課題 現在,小学校で「まちたんけん」(2年生活科)や「学校のまわりの様子」(3年社会科)といった学習活動をおこなっておりこうした活動は,「調べる」能力を身につける上では大きな効果があると考えられる。しかし,現実に学校の外に出かける上では,安全面が最も気がかりな事項となる。担任一人で30人以上を引率するのは管理上非常に困難で,「学習ボランティア」という保護者の協力を依頼しているが,なかなか人員を確保できない。こうした人的支援の他に,教材や施設の整備として,以下を揚げることができる。国内の産業の学習では、学ぶ産業を選択できるはずなのだが、実際は教科書に掲載され,資料及び単元構成が充実している産業(米作り・漁業・自動車工業)を学習する傾向にある。しかし,学校から遠く離れていて容易には見学できない産業もある。教科書にある産業ならば資料はあるが、見学が難しい。地元の産業ならば見学しやすいが、学習を広めるだけの教材準備・単元構成ができない。身近な地域の範囲内だけで産業を学べばよいのではなく、国内の産業の様子まで広げる必要があるので、結局,資料の豊富な教科書の産業を選択して,遠くまで見学に行き、その後ビデオ資料やインターネットを活用して収集した資料などによって調べ学習を行っている。学校単位で地元産業の資料について蓄積できるとよいのだが、実際はそれができていない。他にも,数年すると内容的に古くなってしまう教材をどのように更新するか。優れた教材などの(PC)ソフトが高価で購入が困難という問題などがある。3.学習内容の系統性,カリキュラムにかかわる課題 どの学年でどこまでを教えるかという問題がある。地図学習に則せば,小学校でどれだけ身につけておかねばならないのだろうか。地図を利用して「なぜそこに○○があるのか」と考える力を養うことは,各学年の発達段階に応じて行なわなければならないが。どの時点で何を持って評価するのか。学年進行に従って,今の学習内容が次の段階でどう活かされるのかを踏まえた,全体のデザインが必要である。これは同時に小学校と中学校間の学習内容についてもいえることである。また,3年で地図記号や方位など基本的な事項を学習し,4年では身近な地域,あるいは自分たちの住んでいる市町村や県を教材にした授業となる。その際,身近な地域の地図を教材として利用することは,3年時の学習内容との系統性から効果的といえるが,そうした地図教材の蓄積がないという問題がある。これは技術的課題でもあるが,結局,教材の充実した他地域を取り上げた授業をおこなっているのが現状である。身近な地域の教材化・地図化をおこなえる能力が求められる。4.内容的課題 「考えたり,自分の意見を述べたりする授業への改善」が求められてきたが、実際指導している教師にとっては実に曖昧で難しい部分である。何を考えさせるのか、どうやって考えさせるのかがはっきりしないため、教師の戸惑いも多い。同様に,調べ方を身につける学習や体験的な学習が求められてきたが、課題の持たせ方や調べ方の指導について手探り状態で進めているのが実情である。例えば5年の日本の様子という単元では,まず日本の形を地図で確かめたり、地形・季節について調べたりして、全体的な概要をつかみ,次に気候が特徴的であるということから、沖縄と北海道の気候をいかしたくらしや歴史・文化について調べ,比較したりしている。その際、主題は北海道と沖縄の地域学習なのか,それとも気候が違えばくらしが違うということを一般的に学ぶための学習なのか,後者ならば歴史や独特の文化まで学ぶ必要はあるのか,また,山口県から見た北海道・沖縄は「異質」にうつり、異質性のみを強調することにならないかなどといった問題がある。 逆説的には,以上述べてきた諸課題に対応できるような教員の養成が求められているともいえる。
  • 湯浅 清治
    p. 179
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.中学校における地理教師に求められるもの日頃、中学校の社会科地理的分野を教えるうえで必要と感じているあり方(能力?)を列挙すると、_丸1_学習指導要領をしっかり読込むこと、_丸2_学習指導要領の目標・内容をテーマ化して授業を構成する能力、_丸3_学習指導内容からテスト問題を作成する能力、_丸4_生徒の活動や作品(レポート・図表など)を評価する能力。提出すれば認めるというのは評価ではない。生徒に課題を見出し、それを追求する一連の作業を提示できる能力=地域調査及び問題解決にむかう意欲を持つこと。そして、最後に_丸5_生徒の成長を見守ることを喜ぶ人間性も必要であると感じている。2.学習指導要領の読込み地理学専攻生は、“地理的見方・考え方”を身に付けているから、自らの範疇で教材を組み立てる傾向がみられる。すなわち、「教えたい」気持ちが学習指導要領に先行して授業内容を組み立てた授業を展開しがちである。絶対評価の導入・評価規準の設定に対応するためには、客観的で共通した目標が求められるわけで、そのためにはまずは規準ありきで、その次にその扱い方において「教えたい」気持ちが学習内容に置かれることになる。3. 学習内容をテーマ化する能力学習指導要領を読み込むと、学習指導要領と授業内容との関係を考慮することが不可欠となる。このことが、学習内容をテーマ化する能力につながってくる。極端な場面では、教科書を全く扱おうとしない意見も散見するが、そのあり方は研究であって教育ではないと考える。4.テスト問題を作成する能力テスト問題をつくる作業は大変な労力を伴う。現場では毎年、定期テストだけでも5回作成する。まさに、生徒に求める四つの観点を加味した問題づくりに苦慮しながら、どのような授業をしたかを振り返るのである。学習内容がうまく構成できて、授業も楽しく展開した項目・単元では、問題も系統だって作成できるだろう。この意味で、テスト問題作成時の心境がそのまま授業展開の善し悪しを物語るといえる。ここ数年、教育実習生に担当授業の問題を10点程度で作成させてみようと考えるのであるが、そのゆとりが実習生にもないというのが実状である。客観化された学習内容・学習目標を生徒がどこまで身に付けているか、を問う記述テスト問題を作成する能力が求められることを事前に心しておくにこしたことはない。5.生徒の学習活動を評価する能力現今の初等・中等教育は正解主義に陥り、正誤の結果を気にするあまり、決まった“正解”を確認して、学習活動を終える傾向にあると思われる。それに対して、思考・判断の過程は「答えのない」方向性も有している。まさしく多面的・多角的な思考及びその過程を受け入れ、その展開を支援する力が求められる。と同時に、多様な生徒の関心を生徒自らが表現する過程も授業では大切である。その際、過程を認めて評価するとともに、生徒が作成したレポートを評価することになる。そこには図表や主題図その他様々な資料などがあるかもしれない。そうしたレポートを評価する能力は、自分がいかにそうした調査過程をこなしてきたかによると思われる。さらに言えば、ここで言う評価は形成的評価も意味しており、学習活動の過程において生徒の学習状況を判断することから次の指導に役立てることも意図した評価と考えたい。項目・中項目を通して生徒が身に付けていく学力を継続的に支援していく能力といえよう。生徒の純粋な関心を地理的な思考に向かうように援用する能力、そしてその思考を展開させるのに効果的な資料の収集及び資料活用の技能を助言しながら支援する能力は、「生徒の活動を長い目で見守る態度、様々な生徒の反応にも振り回されずに根気よく対応する」といったいわば性格的な能力も求められている。6.生徒の成長を見守ることを喜ぶ人間性地理的スキルとは若干それるが、「生徒の活動を長い目で見守る態度、様々な生徒の反応にも振り回されずに根気よく対応する」ことはとりもなおさず、子どもと向かい合う姿勢を大切にするということと思う。教育は「人が相手」。とりわけ中学生はまだまだ子どもなのだから、「成長する可能性を秘めた存在」と生徒一人一人を暖かく見ることができる性格も求められる能力の1つであると思う。教育実習生が「授業だけでなく生徒と接する体験もしてみたい」と事前の実習希望票に書いてある場合も多い。意欲的で良いことだと思うと同時に、まずは授業でどのように生徒と関わり合えるかを考えたらよいと思う。授業でできる人間関係が授業外でも生きてくるのだから。
  • 吉田 浩二, 小野寺 真一, 齋藤 光代, 峯 孝樹, 重枝 豊実, 竹井 務, 林 政輝
    p. 180
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1.はじめに 瀬戸内沿岸地域では、近年赤潮の発生の1つとなる富栄養化が問題になっている。しかしながら、河川を通じて陸域から海域への栄養塩の流出過程はまだ十分に定量化されてない。特に瀬戸内流域では降雨イベント時の栄養塩の流出量が平水時に比べて1オーダー以上多いこと(小野寺ら、2003)から、洪水時のフラックスを明らかにすることは重要である。 また、瀬戸内沿岸地域では温暖少雨の気候なため、山火事が発生しやすく、山火事が発生した地域では大きな降雨イベントにより、陸域から土砂が流出し懸濁物質を発生させ海域へと流出している。よって、雨季において集中的な降雨による懸濁物質の定量化を行うことは重要である。 本研究では、雨季による降雨イベント時において河川へと流出する懸濁物質及び溶存物質のフラックスを明らかにすることを目的とする。特にプランクトンの栄養分となる溶存有機炭素・溶存窒素に注目して定量化した。2.研究地域及び方法試験流域は、広島県豊田郡瀬戸田町(生口島)の小河川流域である。基盤地質は主に花崗岩である。流域源流部は急勾配な山地河川となっており、中流部以降には扇状地が形成されている。源流部は、2000年の山火事の影響で植生密度が低下しており、また、その直下が高速道路の建設工事が行われている。また扇央から扇端がみられる中流から下流部にかけては果樹園と住宅地が混在している。流域の河口付近に水路型の堰を設置して、水位計により水位を自記記録し、水位_-_流量曲線を作成して流量に換算した。調査期間は2003年5月_から_2004年6月である。降雨時にはオートサンプラーを用いて河川水を採取した。採水した試料水は実験室に持ち帰り、5.0μmのメンブレンフィルターを用い、吸引ろ過を行い、浮遊物質の重量を測定した。また、吸引ろ過した試料水は全有機体炭素計を用いて、溶存有機炭素(DOC)と全窒素(DN)の分析を行った。3.結果と考察降雨イベント時における比流量と懸濁物質のフラックスの変化において比流量の増加と共に懸濁物質のフラックスも増加した。比流量は降雨強度に依存し、降雨強度が強くなると道路建設工事を行っている撹乱地域や山火事地域の土壌をより深く浸食することを確認した。また雨季に集中して多くの懸濁物質が河川を通じ海域に流出していることが分かった。 降雨イベント時の比流量と懸濁物質の濃度の変化を示した。今回の結果では比流量と懸濁物質の濃度はあまり相関がなかった。
  • 逸見 優一
    p. 181
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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    1、 はじめに 本報告では、日常の個人生活の結果のあとを検討する手段としてのメンタルマップ分析の成果と課題を展望する。新高等学校学習指導要領では個人空間認知動向の予測の可否について、地歴科「地理A・B」の各教科書では取り上げられる。内容的には各社独自の設定展開がとりおこなわれているものが発行・使用され2年が経過してきている。本報告は、新課程実施後の2年間で、筆者がこの間試行錯誤した結果を活かした教材化改革・進展へ向けてのあり方を若干考察したい。 新教育課程では「地理A・B」ともに、略地図・メンタルマップが学習項目として取り上げられる。学習者個々に、生活場での生育歴ごとによって様々なメンタルマップが、すでに、現実の生活空間の把握、認識などの結果として定着している。 授業実践結果から報告者は、すでに保持された個々の学習者のメンタルマップにおける選好性の傾向を分析・類型化し、その特性を検討し、より好ましい世界空間認識の育成方法を検討するためのあり方の1例を展望してみた。まず、報告者が2002年度に岡山県内で報告した旧課程公民科「現代杜会」における地図学習の取り組みと効果を検討したものを見てゆきたい。いわゆるメンタルマップではかならずしもないが、略地図を用いた授業づくりの効用を検討したものである(岡山県高等学校地歴公民部会公民分科会第2回研究協議会:2003,2,3:於県立岡山朝日高校:「公民」科教育におけるメンタルマップなどを利用した評価の試み)。2、研究の目的・方法・今日課題1:研究設定テーマ等 4次元空間における空間認知、メンタルマップ(認知地図)法を用いた新学習指導要領対応における評価方法に関する試案を実施・試行錯誤してみることをめざす。2:検討試案検討例1) メンタルマップ(認知地図)的手法の新課程評価例への対応の是非について。→「現代杜会」へどこまで対応・応用可能か。→公民科の他の「政経」・「倫理」への対応は・応用はどうか。→地歴・公民科「世界史A・B」・「日本史A・B」・「地理A・B」への対応・応用はどうか。2) ワークシートの1例としてのメンタルマップ(認知地図)的ワークシートの可溶性・可能性はどうか。地歴・公民科すべてに対応できるか、できぬかその是非について。3:まとめ。 本件の特性・可溶性などについてはかなり有効といえるのではないか。新課程用の教科書・教科書対応資料・教科書対応作業ノートなどでは、「地理A・B」、「現代杜会」では多様な取り上げ方、記述利用等がおこなわれているものも多くなってきている。4:具体案事例 報告者はメンタルマップ(認知地図)をもちいた授業改善検討例の課題と展望については、すでに(社会科教育現行学習指導要領下の「杜会科」(高等学校中心)の解体と現場教員の社会科教科目意識について…『現代杜会』・『世界史』を中心として…1990年度教育研究全国集会発表レポート:束京・埼玉大会)において取り組み、計画事例をすでに発表している。以来10余年を経過した今日、新学習指導要領の実施にともなって登場したメンタルマップ・略地図学習では、多くの先学の方々の研究事例・授業実践例が実ったケースである。現代的なグローバリジェーションの時代的生活場では、今日の情報化社会が与える諸事象等をもうけた学習者の世界認識の結果の形成とその歪み是正を展望した観点を活かすことの大切さが求められた教材化のあり方の1つ1つがグローカルな生活をおくるためにも、今問われるともいえる。
  • 馬淵川流域の事例
    清水 裕太, 小寺 浩二
    p. 182
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     「水環境」をはじめとする研究や「地理学分野」の枠を越えた諸研究においてデータベースによるデータの管理、共有は研究を進めて行く上で有用であるといえる。近年、分野・学会を越えて「水」のデータベースに関する議論が活発にされるようになり、そうした中で、日本地理学会「水環境」の地理学研究グループ主要テーマの一つ「GISを用いた水環境研究」分野でも、データベースの問題が繰り返し取り上げられてきた。 特に、小寺ほか(2000)の提言を受けて、地理学的な視点に立った「多くのデータベースのプラットフォーム」となるような「大河川流域データベース」のフォーマットに関する議論を進めるため、2000年度秋季学術大会では数多くの事例提示があり、意見が交わされた。 その後、フォーマットの統一のための議論を継続してきたが、ある程度形式が整ってきたので、東北地方の馬淵川流域を取り上げ、大河川流域データベースのプロトタイプとして紹介し、問題点について報告する。 流域特性に関する解析は、コンピュータ上でデジタルデータによる作業を行ったため、アナログデジタル変換への時間は要さなかったが、全てデジタルデータで行うのは精度の問題など信頼性が問われるため、従来の紙媒体での手法も平行して行っていく必要性が感じられた。 また、流域の規模や特性によって変更すべき形式もあり、様々な流域での事例を重ね、修正していく必要がある。
  • 阿賀野川流域の事例
    矢野 智大, 小寺 浩二
    p. 183
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     「水環境」をはじめとする研究や「地理学分野」の枠を越えた諸研究においてデータベースによるデータの管理、共有は研究を進めて行く上で有用であるといえる。近年、分野・学会を越えて「水」のデータベースに関する議論が活発にされるようになり、そうした中で、日本地理学会「水環境」の地理学研究グループ主要テーマの一つ「GISを用いた水環境研究」分野でも、データベースの問題が繰り返し取り上げられてきた。 特に、小寺ほか(2000)の提言を受けて、地理学的な視点に立った「多くのデータベースのプラットフォーム」となるような「大河川流域データベース」のフォーマットに関する議論を進めるため、2000年度秋季学術大会では数多くの事例提示があり、意見が交わされた。 その後、フォーマットの統一のための議論を継続してきたが、ある程度形式が整ってきたので、東北地方の阿賀野川流域を取り上げ、大河川流域データベースのプロトタイプとして紹介し、問題点についても報告する。 流域特性に関する解析は、コンピュータ上でデジタルデータによる作業を行ったため、アナログデジタル変換への時間は要さなかったが、全てデジタルデータで行うのは精度の問題など信頼性が問われるため、従来の紙媒体での手法も平行して行っていく必要性が感じられた。 また、流域の規模や特性によって変更すべき形式もあり、様々な流域での事例を重ね、修正していく必要がある。
  • 重枝 豊実, 小野寺 真一, 藤崎 千恵子, 成岡 朋弘, 西宗 直之, 加藤 成子
    p. 184
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに近年、酸性雨問題への対応のため水源水質となる山地流域における渓流水の水質形成に関する研究が精力的に行われ、洪水イベント時には降雨流出経路の違いにより水質が一時的に著しく変化することが明らかにされ、渓流水を形成する流出成分を定量的に評価する研究も多くみられる。ここで河川流量は飽和体積つまり地下水の変動との間に物理的な相関関係が報告されており、降雨時の地中水の変動とともに河川流出量の変動においても河川水質の変化をとらえられると考えられる。一方、瀬戸内地域は過去の産業活動や高温少雨という特徴的な気候により生じる山火事などで土壌層が薄いため酸緩衝能が比較的小さいことから、洪水イベント時には山地流域における渓流水の一時的な酸性化が報告されている。そのため、渓流水質の変動への影響予測のため長期的なモニターも重要である。そこで、本研究では、比較的土層が薄く、花崗岩からなる瀬戸内沿岸の山地小流域において、長期的な河川流量と渓流水の溶存化学成分の関係を評価することを目的とした。2. 研究地域及び方法試験流域は花崗岩が広く分布する広島県竹原市に位置する山地小流域である。標高30_から_130mにあり、流域面積は約1.55haで、過去5年間の年平均降水量は1125.4mmである。また、この地域は過去26年前に山火事などの土壌撹乱にあい、比較的土層が薄く、森林回復期にあたる二次林で覆われている。調査方法として、渓流水が定常的に存在する場所にVノッチ堰を設け、そこで渓流水の採水及び流量測定を1999年から2001年及び2003年の4年間にわたり行ない、現在も継続中である。また、洪水イベント時には自動採水機を用い、集中的に採水を行った。また、降水、土壌水、土壌試料も定期的に採取を行った。採水時にはpH、電気伝導度の測定も行った。採水した試料水は実験室に持ち帰り、HCO3-はpH4.8アルカリ度硫酸滴定法で、陽イオンはICP発光分析装置で、陰イオンはイオンクロマトグラフィーで定量した。土壌試料は、土壌pH、水溶性化学成分、交換性陽イオン成分の分析をおこなった。3. 結果 図1に河川流量と渓流水中のNa+、Ca2+濃度の関係を示す。1) 河川流量と渓流水中のNa+濃度の変動図1aより化学的風化生成物として地下水中に多く存在するNa+濃度は1999年を除き低流量時においてばらつきがあるものの比較的変動が少なく高濃度であった。また、河川流量が増加するにともない、濃度は低下していった。しかしながら、1999年は低流量時においても濃度は低かった。2) 河川流量と渓流水中のCa2+濃度の変動図1bより表層土壌に多く存在するCa2+濃度は1999年は他の年と比べ低流量時から河川流量時において低くなっていた。また、2000年においては、低流量時から河川流量の増加にともない濃度が低下していた。2001年においては低流量時において濃度の低下はみられず、河川流量が約0.2mm h-1のから増加するにともない低下していた。2003年においては低流量時から約0.2mm h-1に増加するにともない濃度が低下していたが、さらに河川流量の増加にともない上昇していた。4. 考察1999年における水試料は大規模降水イベント時及びそれ以降に採水したため、Ca2+濃度は土壌中の地下水位の上昇により流亡したためと考えられる。その後年を経るにつれ、河川流量の増加にともなう渓流水中の成分濃度の上昇がみられるため、表層土壌中の成分が回復したと考えられる。また、Na+濃度の変動から1999年における大規模洪水イベントにより、低流量時に渓流水を形成する流出成分であり、滞留時間が長いと考えられる地下水経路へNa+濃度が低い滞留時間の短い水が混入したと考えられる。そのため、年を経て地下水中の水が置き換わり、2003年において低流量時の濃度が他の年に比べ高濃度になったと考えられる。
  • 相模川流域の事例
    森池 寛通, 小寺 浩二
    p. 185
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     「水環境」をはじめとする研究や「地理学分野」の枠を越えた諸研究においてデータベースによるデータの管理、共有は研究を進めて行く上で有用であるといえる。近年、分野・学会を越えて「水」のデータベースに関する議論が活発にされるようになり、そうした中で、日本地理学会「水環境」の地理学研究グループ主要テーマの一つ「GISを用いた水環境研究」分野でも、データベースの問題が繰り返し取り上げられてきた。 特に、小寺ほか(2000)の提言を受けて、地理学的な視点に立った「多くのデータベースのプラットフォーム」となるような「大河川流域データベース」のフォーマットに関する議論を進めるため、2000年度秋季学術大会では数多くの事例提示があり、意見が交わされた。 その後、フォーマットの統一のための議論を継続してきたが、ある程度形式が整ってきたので、関東地方の相模川流域を取り上げ、大河川流域データベースのプロトタイプとして紹介し、問題点についても報告する。 流域特性に関する解析は、コンピュータ上でデジタルデータによる作業を行ったため、アナログデジタル変換への時間は要さなかったが、全てデジタルデータで行うのは精度の問題など信頼性が問われるため、従来の紙媒体での手法も平行して行っていく必要性が感じられた。 また、流域の規模や特性によって変更すべき形式もあり、様々な流域での事例を重ね、修正していく必要がある。
  • 船引 彩子, 春山 成子, ディン フン タイ
    p. 186
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    伊勢湾周辺の沖積低地の発達と相対的海水準変動について,伊勢湾の南西部に位置する雲出川下流平野を対象とし,ボーリング調査によって完新世を通じた相対的海水準変動と沖積層の発達過程について検討した.雲出川下流平野は伊勢湾西岸の沖積低地のうちでも三角州がよく発達し,また同時に浜堤列平野の形状を示す.沖積層の基底は雲出川右岸地域では標高‐15m,古川付近では標高約‐28mで,最終氷期の低海水準期の雲出川は現在の雲出古川とほぼ同じ位置にあったとされる(川瀬2003).本研究では,この最終氷期の開析谷にあたる二地点で深度約25mのボーリングコアを掘削した.
  • 狩野川流域の事例
    住野 静香, 田中 勇伍, 小寺 浩二
    p. 187
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     「水環境」をはじめとする研究や「地理学分野」の枠を越えた諸研究においてデータベースによるデータの管理、共有は研究を進めて行く上で有用であるといえる。近年、分野・学会を越えて「水」のデータベースに関する議論が活発にされるようになり、そうした中で、日本地理学会「水環境」の地理学研究グループ主要テーマの一つ「GISを用いた水環境研究」分野でも、データベースの問題が繰り返し取り上げられてきた。 特に、小寺ほか(2000)の提言を受けて、地理学的な視点に立った「多くのデータベースのプラットフォーム」となるような「大河川流域データベース」のフォーマットに関する議論を進めるため、2000年度秋季学術大会では数多くの事例提示があり、意見が交わされた。 その後、フォーマットの統一のための議論を継続してきたが、ある程度形式が整ってきたので、駿河湾に注ぐ狩野川流域を取り上げ、大河川流域データベースのプロトタイプとして紹介し、問題点についても報告する。 流域特性に関する解析は、コンピュータ上でデジタルデータによる作業を行ったため、アナログデジタル変換への時間は要さなかったが、全てデジタルデータで行うのは精度の問題など信頼性が問われるため、従来の紙媒体での手法も平行して行っていく必要性が感じられた。 また、流域の規模や特性によって変更すべき形式もあり、様々な流域での事例を重ね、修正していく必要がある。
  • 富士川流域の事例
    風間 隼, 清水 裕太, 小寺 浩二
    p. 188
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
     「水環境」をはじめとする研究や「地理学分野」の枠を越えた諸研究においてデータベースによるデータの管理、共有は研究を進めて行く上で有用であるといえる。近年、分野・学会を越えて「水」のデータベースに関する議論が活発にされるようになり、そうした中で、日本地理学会「水環境」の地理学研究グループ主要テーマの一つ「GISを用いた水環境研究」分野でも、データベースの問題が繰り返し取り上げられてきた。 特に、小寺ほか(2000)の提言を受けて、地理学的な視点に立った「多くのデータベースのプラットフォーム」となるような「大河川流域データベース」のフォーマットに関する議論を進めるため、2000年度秋季学術大会では数多くの事例提示があり、意見が交わされた。 その後、フォーマットの統一のための議論を継続してきたが、ある程度形式が整ってきたので、駿河湾に注ぐ富士川流域を取り上げ、大河川流域データベースのプロトタイプとして紹介し、問題点についても報告する。 流域特性に関する解析は、コンピュータ上でデジタルデータによる作業を行ったため、アナログデジタル変換への時間は要さなかったが、全てデジタルデータで行うのは精度の問題など信頼性が問われるため、従来の紙媒体での手法も平行して行っていく必要性が感じられた。 また、流域の規模や特性によって変更すべき形式もあり、様々な流域での事例を重ね、修正していく必要がある。
  • 林 勝一
    p. 189
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
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     1956年5月1日に水俣病は公式に確認された。それから数年のうちにそれは「奇病」「伝染病」ではなく,重金属中毒であることが明らかにされ,1959年には有機水銀が原因物質であることを熊大研究班が突きとめた.しかしチッソは後に公序良俗に反するとして無効とされた見舞金契約(1959年)を一部の患者と結ぶことで,「水俣病は終わった」こととし,沈静化を図った.1968年に政府が水俣病を公害と認定するに及び,被害者らは「いかなる代理=表象を禁じ,被害者の直接表出」(成)を支える「支援者」らとともに,いわゆる自主交渉や裁判を通じて,加害者チッソと「相対」の,すなわち「何ものも媒介としない直接性」の闘争を行ったのである. 公式確認から約40年後の1995年、政府はすべての紛争を取り下げることを条件に,未認定患者の救済策をまとめた.水俣病患者諸団体は「苦渋の選択」の末にこの「最終解決策」を受諾するに至った。水俣病像を狭く限定的に捉えること(77年判断条件)で認定患者数を押さえてきた政府の水俣病の判断条件の誤りと被害を拡大させた行政責任を「政治解決」では認めないままに,熊本、鹿児島両県で一万人を超える人が解決策の一時金の受給対象となった。 すでに「最終解決策」を受諾する以外に選択肢が残されていなかった患者らにとって,それが「全面的な解決」であろうはずもない. また,1978年以来,チッソ救済および患者補償のために熊本県は県債を発行してきたわけであるが,2000年2月、政府は「チッソ支援抜本策」を示し、巨額の公的資金の投入が決定された。1999年3月時点のチッソの県債にかかわる公的債務は1442億円にのぼり、すでに返済の目処が立たなくなっていた。この抜本策により,今後は県債にかかわるチッソの累積債務のうち返済不能額を国が一般会計からの国庫補助および地方交付税措置により肩代わりすることとなり,その一方で当面チッソは水俣病認定患者への慰謝料、年金、医療費等の補償金(約23億円:2001年)を支払うのみとなった。国は県債に関わる債務を引き受けたのであって、ここでも水俣病の発生責任を認めたわけではなく,PPP(汚染者負担)の原則を逸脱し続け、問題を先送りしたに過ぎない(花田)。 「和解」の対象者はあくまで「水銀の影響を否定できない」者であり,未認定患者を水俣病と認めたわけではない.そうであるなら尚更,「和解」に漏れた人々は,これ以降,「水俣病とは関係のない者」として「政府解決」の圏域から放り出されたのであり,「水俣病は終わった」という社会的雰囲気の前に,さらに深く影のなかに隠されてしまっている.それは膨大な数の未申請のままに取り残された不知火海沿岸の人々も同様であろう.誰が「水俣病患者」であるのか,ないのか,をめぐる主体の分節化のプロセスのことを「表象の政治」(栗原)というなら,「水俣病患者」という像=対抗的なアイデンティティをもつことを否定されたこうした人々は,これからいかなる自己の表出の様式を持ち得るのだろうか. 本報告では,こうした「政府解決」以後の水俣病をめぐる状況の中から,いくつかの具体的な事例を取り上げ,水俣の現在を素描することとしたい.
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